本 | 今のところではありますが…
「『やさしさ』という技術」

【2016.04.04 Monday 10:56
4年続けて呼んでいただいてる中学校での
年度初めの学校道徳のプログラムを作った。

その学校の学校目標や重点目標、
そのための短期目標を伺い、
私のできることとの共通部分を考え、
昨日半日かけてパワポが出来上がった。

その作業の間、
自分のことを振り返っていた。

若い頃に行った、
「やってはいけないこと」をした時の
自分の心理状態ってどうだったんだろうか?




いろいろな背景はあったと思う。

小学校低学年の時には、
おばあちゃんが集めていた
一円玉貯金をくすねてしまった。
まだ後先考えることができない、
衝動的な部分が、
私にはあったんだと思う。
もちろん見つかって叱られる。


ちゃんと後先のことを考えられるようになって
確信的に悪いことをしたこともあった。
その時の最終的な決断の背景に、
「どうせ、心が汚いもん」
ってのがあったように、
今考えると思う。

これはニキビが背中にもできて、
見てもらった宗教家から言われた
「心の汚さが表に出てきてる」
という一言に、
そうだと思い込んでしまった背景があると思う。
表面的にはいい子だったけど、
心の中では悪いこといっぱい思ってたから、
肯定せざるをえない納得が
自分の中にもあった。



例えば、
欲しい物がある。
今なら誰も見ていない。
取ってしまおうと思えば取れる。
その時どうするか?

例えば、
ルールを破ってばかりのA男がウザい。
先生に叱られてるのに、まったく
堪えてないのがイライラする。
自分はいろいろ我慢して提出物も出している。
なんでヘラヘラしてられるのか?
ラインのグループからA男を外してやりたい。
その時、どうするか?

例えば、
もうゲームはやめなきゃとわかってる。
宿題してかないとやばい。
でも、あとちょっとだけやりたい。
その時どうするか?


そんな時に、
そのことをやるかやらないかの判断をする時、
人によっては、
それまで浴びてきた言葉は、
大いに影響する可能性がある。

「どうせ、あんたはダメな子だから」
「ズルばっかりして」
「だから友達できないんだよ」
「本当にだらしないね」
「もうあなたのことはあきらめた」

大人が、
本人のためだと思って、
良くなってほしいからこそ
使う言葉だとしても、
それがネガティブな言葉ばかりだとすると、
その言葉を浴び続けた人は、
そう思い込んでしまう可能性は高い。
そう思い込んで、
「どうせ自分はそうだから」と
あきらめてしまう選択をする。



大人は、
例えば
自分もネガティブな言葉を浴び続けながら
成長してきたとしても、
あるいは私のように一回のめちゃ大きなダメージを
与えられたとしても、
まずは、
その中で生きてきた自分の頑張りを認めた上で、
その上で
「自分はネガティブな言葉がけばかりしない」
と決めることが
必要だと思う。
そして、努力をしたいものだ。



私は、
子どもたちに直接話すチャンスを
与えてもらっているんだから、
本当のことを伝えることが大切だ。


どんなことを思ってしまっても
仕方ないこと。
感じる気持ちに善悪はないこと。
なまけたいな、ズルしたいな、
意地悪したくなってしまった、
そういうことは、人間だからあるってこと。
そう思ってしまった自分を
汚いって決めなくっていいってこと。
そう思う自分はダメだって、
ダメ印つけなくっていいってこと。

感情は湧いてきてしまうもの。
でも、
考えと行動は手当ができるもの。

手当とは、
責めることとは違う。

人として間違った方向や、
あとで自分のことが嫌になってしまう方向に、
考えや行動が向かいそうになった時に、
責めるんじゃなくって、
そっと
手を添えるように戻してあげることだ。

「気持ちはわかるけど、
 それやばいよ」って。



やっぱ
私が子どもたちに伝えたいのは、
このことにつきるなあ。

思春期真っ盛りの子に、
自分を肯定していいんだよって
口でいっくら説明しても、
きっとウザいだけだと思う。

だから、どんなこと思ってもしょうがない。
でも、
必要なこと、やろう・・・

工夫して伝え続けるしかない。



・・・・・・・・・・・・・・・

さて、
「『やさしさ』という技術」という本の中から
抜粋。
「『悪い考えを持つのは良くない』という
 メッセージは忘れよう。邪悪なことを考えても
 罪悪感を覚える必要はない。悪いことを考える
 だけでうっぷんが晴れれば、悪い考えを実行に
 移さずにすむかもしれない。」
「私たちは自分の行動をかなりコントロールして
 いる。良い行いを行いをすると決めるのは
 自分自身であり、行動の背後にある動機は
 さほど重要ではない。重要なのは実際に
 どんな行動をとるかである」
 
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「死んだ金魚をトイレに流すな」

【2016.01.22 Friday 09:28
今週の月曜、雨の寒い朝、
傘はささず両手にゴミの袋をもって、集積場に向かう。
年を重ねた男性がゴミを出してらして、
出し終わった彼は、私のために、
カラス避けの網を持ち上げてくれている。
手袋してない手。
冷たかったと思う。l
私が到着するまでまだちょっと距離があるのに、
彼はそうしてくれた。

水曜は仕事が早く終わった。
まだ明るい時間帯にカルの散歩ができた。
家の近くの電信柱のところで、
6人の男子中学生がなにやら丸くなって話してる。
近づくと、みんなで勉強してた。
中の一人が社会のテキストから問題を出し、
5人で答えるクイズみたいな感じで。
確か問題は「1907年にあったことは?」的な
ものだった。
私はじゃましちゃ悪いから
会釈して通り過ぎようとすると、
気付いた一人が
「こんにちは!」って言ってくれる。
すると全員が気付いて挨拶してくれた。
「寒い中で勉強してるんだね。すごいね」
というと、
「がんばります」とか言ってくれる。


カラス避けの網を忙しい朝、しかもめちゃ寒い時に、
私がゴミ袋をおきやすいように持って待っていてくれたり、
多分高校受験にむけて、きっといつもじゃないと思うけど、
時には誰かと一緒に楽しみながら建設的な行動ができたり・・・。
素敵だなあと思う。

そして、彼らに
「金魚が死んでしまったら、どうする?」
って質問したら、
「トイレに流す」
とか
「生ゴミと一緒に捨てる」
とは言わないんじゃないだろか。

「死んだ金魚をトイレに流すな
 〜『いのちの体験』の共有〜」
という本は、友人に紹介してもらって読んだ本。

ある時、
大好きな友人と、
「人間が行動を抑制するためには
 どうしたらいいか」問題を、
いろいろな角度から話した。
その時彼女が
「くみは、金魚が死んでしまったら、
 どうする?」と訊いてくれて、
「多分、庭にうめる」
と答えたら、
「ある時から
『トイレに流す』って
 子どもが出てきたらしいんだよ」
と紹介してくれたんだ。


この本に書かれていることは、
私が今まで
「子どもとのコミュニケーションの方法」などの
講座で伝えてきたことと同じだった。
背中を押してもらえる内容だった。

この本の中で繰り返し書かれているのは、
ネガティブな体験を一人で抱え込まず、
誰かと共有することの大切だ。

「こうした感情の共有体験を積み重ねる
 ことによって、不安や絶望感を
 『棚上げ』し、『自分はひとりぼっちで
 孤独ではない』ということや、『自分は
 自分のままでいいんだ』と、ありのままの
 自分を受け入れることができるようになる。
 『今の自分でいいのだ』ということは、
 具体的にそう考えたり、そう信じ込もう
 とすることではない。
 あえて言えば、根拠のない自信のような
 ものである。何かつらいことがあっても、
 悲しいことがあっても、どこかで『何とか
 なる』『大丈夫だ』と思える。つまり、
 自分を肯定し、信頼できる感情である。
 いのちの体験を誰かと共有し、棚上げする
 作業というのは、実は自分を信頼し、
 大切に思う心を育てる土台作りなのである」

この文章の中の「棚上げ」という言葉で、
今まで考えてきたことの一部が
すっきりとした。
「棚上げ」だから
「解決できなくっていい」ってことだ。
「先送りしてもいい」ってことでもある。

何かが解決しないうちは、動けない・・・
ってなると、
人間大変だ。
だって世の中、答のでないことって多いもの。

「決められる」ってすごいことだけど、
同じくらい
「あいまいのまま動く」もすごいこと。

「棚上げ」は別の言葉でいうと、
「不快感情を安全に抱える」だし、
「不快感情を自己の中に
 統合できる」という言葉になると
思うが、それを
「棚上げ」ってしたところは
私にはすっきりと落ち着く言葉だった。



「棚上げ」できるためには、
ネガティブな体験(著者は『いのちの体験』と呼ぶ)を、
誰かと共有することを積み重ねることだといっている。

それほんと、そうだと思う。

ころんで、膝をすりむいた時に、
「痛かったね」
って手当てをしてもらうこと。
失恋してやばいときに
「つらいね」
って一緒にいてもらうこと。
失敗して落ち込んでる時に
「くやしかったよね」
とお茶出してもらうこと。

「人は人とありて人になる」だ。

この本の中では、
「三角形の体験」と呼んでいるが、
起こった出来事(A)本人(B)寄り添う人(C)
というABCの三角形で体験する。
ひとりじゃなくって、
起こった出来事を誰かと分かち合うこと、
本当に本当に大事だと思う。

そして、子どもにそういう体験を
持たせてあげるためには、
(C)にも、
そうしてもらった体験が必要だと思う。

子どもの頃に、
ちゃんと受け止めてもらえた体験、
困った時に「困った」って言えたりとか、
「イヤ!」などと言えたりできなかったとしても、
今からでも、
誰かにしっかりと受けとめてもらえる経験を、
どこかでしてほしいと思う。


笑っているほうが、
周りはいいかもしれないけど、
しんどい時には思い切り泣けたり、
もしも死にたくなってしまった時には、
死にたいって言える、
そういう場がある人は、
死んだ金魚を
トイレには流さないのではないか。

命の大切さを説くことも大切かもしれないけど、
それよりも、
自分のそのままのところ大切に扱ってもらった
経験があると、
人は自分のことを大切にでき、
周りのことを、
物を言わない生き物も含めて、
大切にできるんだ。

そんなことを改めて確認した本。

 
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ちょうどいい距離にいる。その2

【2016.01.02 Saturday 18:06
年末年始に「フィードバック」について考えたのは、
「みんなのきょうしつ」という本で、
伴走者という言葉に出会ったことも大きいと思う。


この本の舞台は小学校。

担任の岩渕先生がクラスで起こったことを
自らフィードバックして(前の記事の②)
それを、
別のクラスの中谷先生がフィードバックする(前の記事の③)
って内容。
昨年末に、
普通に1ページ目から読んだが、
年が明けてから、
どうしても気になり、
中谷先生の部分だけを読み、
その中で、
岩渕先生の実践に、
質問をしたり、
気になったことを書いたりしている部分を
拾い出して、
そこでもう一度岩渕先生の文章を読んで、
そこはなぜ質問が必要で、
なぜ「気になったこと」を伝える必要があったのかを、
考えてみるってことをやってみた。

つまり、
相手を応援し、
相手の成長を願い、
相手を尊重して出す、
より良いフィードバックってものを、
中谷先生の言葉から研究してみたってこと。
(まだまだ研究序の口ですが)

中谷先生は、
ほとんどは、
鏡のように、岩渕先生の実践を
ただただ受け止める。
時々は彼が使ったそのままの言葉で、
時々は自分自身の言葉で言い換えて、
「こういうことをしたんだね」
「こういうことが起こったんだね」
って感じ。
岩渕先生は見ていてくれている
安心感を感じたのではないかなあ。

また
岩渕先生の実践で、
素敵だな、いいな、まねしたいな、感動した
ってことに関して、
めちゃ「具体的に」フィードバックしている。
この具体的ってところが多分、ミソ。
時には「」の岩渕君の言葉を拾い価値づけている。
岩渕先生は、
「おし、これでいい!」と確認できたし、
自信のようなものも感じたんじゃないだろうか。

また、時々は、
「岩渕君は、こうやって、子どもたちを見守りながら、
 進化・変化していく環境を整えている」
というように、
その実践が向かっている方向に
大きな意味付けもしてるんだ。
間違ってないと思うよ!と
軽く背中を押している雰囲気だ。

時々は、
岩渕先生が自身に批判的になっていることを、
リフレーミングしたりもしてる。
「『フィードバックがないと続かない』の話。
 岩渕君が書いているように、コントローラーを
 他人に預けている状態とも言えるし、
 やっぱり誰かとつながっていることが
 学ぶことには必要なのかもしれないな、
 とも思った」
​岩渕先生は、すっごく勇気づけられ、
絶対の味方を感じていたんじゃないか。

つまり、基本、ポジティブなフィードバックを
その時々に、その場面にあった方法で出している。
で、
多分、それは私も、それは得意な方だと思うんだ。


中谷先生のすごいのは、
岩渕先生が何気なくやっていることに、
つっこみをいれてること。

多分、岩渕先生にとっては当たり前のことなので、
自分の中で問いかけるまでもないことや、
気付かずにおおまかになっていることを
見逃さず、
そっと差し出しているんだ。

「『今はそれでいいんじゃないか』の『今は』は
 どこでどう感じて判断しているのか、
 岩渕君の経験観測なところがあるよね、
 そこを言語化できるとおもしろいんだろうな』
とか
「『②振り返り』の中で、内在する力がある子が、
 『より成長した』と感じられるアプローチが
 必要だと書いているけど、(中略)もう少し、
 具体的に知りたい」
とか、
「休み時間の歌の練習のしかたについて、
 ここにきて岩渕君がファシリテーターに
 なったのはどうしてだろう?(中略)
 ちょっと気になった」

つまり、特に中谷先生が指摘してたのは、
岩渕先生が「無意識」になってる箇所。
(「叱る」のような場合も、
 選択肢のひとつとして「叱る」方法を
 とってる場合は、たとえ岩渕先生が
 それを改善点としてあげていても、
 中谷先生は「それもありじゃない」
 とフィードバックする)
岩渕先生が、
経験や感覚的なことでしていることを
できるだけ言語化することにサポート
している感じ。
 (これは一般化につながるなあ)

多分、それを中谷先生がしなかったら、
流れていってしまったことを、
言葉にして、
そこに在るものとしておいたからこそ、
それが次へのヒントになる。
それができたのも、
岩渕先生の細部に渡っての自身のフィードバックが
あったからで、
だから、
二人で協力して
無意識を
意識にあげたってこと。

変えるにしても、
そのまま続けるにしても、
「何を」変えるのか、
「何を」変えないのか、
言葉になっていないと
意識できない。


しかも、
この中谷先生のフィドバックの出し方が、
自分の中に湧いてきた疑問や気になった気持ちを、
なかったことにしないで、
そのまま、すっと率直に出している感じが、
めちゃくちゃすがすがしい!!!
とってもとってもアサーティブ!!!


中谷先生は、岩渕先生から頼まれて
彼のフィードバックにフィードバックを与える役割を
担った。
そういう役を担うと、
役に立ちたくなってしまうがゆえに、
正論を振りかざしたり、
無理してでも改善点を示したくなってしまったり、
評価判断して、
厳しいことを言わなくちゃ的になる場合もあると思う。
たとえば、
「ここの考えが甘かったんじゃないかな」
とか
「ここは不注意だったね」
とか、
表面的には柔らかい言葉を使いながらも、
「あなたの○○がダメ」みたいなメッセージ・・・。
ああ〜言ってしまいそうだ。

そうではなくって、
中谷先生は、
岩渕君をまったく否定してないし、
気負いがないし、
だけど、
建設的なフィードバックをしている。

中谷先生が示してくれた
「伴走者」という姿勢。
それがより良いフィードバックを
出す時のイメージなんだと、
よ〜くわかった。

あ〜モデルがあるって、幸せ。
こういうことをしたらいいんだ!
って分かってありがたい。

「おわりに」で
著者の中川氏(中谷先生役)は
「やりとりを進めている途中で
 岩瀬さん(岩淵先生役)に言われて
 一番驚いたことは、『教室でときどき、
 綾(中川氏)だったらどうするかなと
 考えるようになった』ということでした」
と書いている。

これが、最高の伴走者の姿なんだなあ。

伴走者は
ちょうどよい近さのところにいる。
先にいってひっぱりもしないし、
力いっぱいお尻を押したりもしない。
方向転換させようとしたりも、
前にある石をどけたりもしない。

合いの手をうつように、
時には隣でポンポンと肩をたたきながら、
時には拍手しながら、
時々ハイタッチ、時々ハグしながら、
共に進んでいくパートナー。

初めてすぐの頃は、
実際に伴走者に質問してもらって、
実践者はそれに答えようとする。
それが続いていくうちに、
「伴走者だったら、こんな時、
 どう問いかけてくれるか?」
と考えて、それに答えを出していくようになる。
そのうちに、
伴走者なしでも、
自分で自分に問いかけられるようになる。

これをいったりきたりながら、
人は学び続けていくのかもな。

良いフィードバックが出せるって、
こんな感じのことだろうか?


まだまだ研究を続けよう。
これが今のところの私の考え。


今年私は、
私の中の
特徴のひとつ
「成長促進」
をフィードバックという視点で
具体的にしていきたいのだ。

良いフィードバックを贈りたい。

贈る。
譲る。
そういう年にしていく。









 
岩瀬 直樹,中川 綾
学事出版
¥ 1,728
(2015-10-13)

author : tanizawa-k
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自分の中に「他」を作る。

【2015.12.27 Sunday 20:11
岩瀬 直樹,中川 綾
学事出版
¥ 1,728
(2015-10-13)

多分、成功したときはそういうプロセスを、
失敗したときはそういうプロセスを
踏んでいるんだと思う。

ただ、
ひとつのことで、
ある程度キャリアを積めば、
誰でも成功のための過程がわかり、
失敗してしまった時の原因が
客観的にわかるかというと、
そうとも言えないと思う。

人は経験から学ぶのではなく、
経験をフィードバックすることを通して学ぶ。

このことが描かれている
「みんなのきょしつ」
という本が、
ほんとにほんとに素晴らしい。

著者は
岩瀬直樹氏(東京学芸大学教職大学院准教授)と、
中川綾氏(組織づくりファシリテーター)。

岩瀬氏とは
一緒にワークショップを経験したことがあり、
それで、ここからはゴリと呼ぶ。

ゴリは、
昨年度まで公立の小学校の先生をやっていた。
この本はその15年間の間に、
彼がしていた日々の振り返りと、
それを読んで返事をしていた中川氏のやりとりを
原作にしていて、
いくつかのエピソードを組み合わせたり、
何年かの実践を混ぜたりしながら作った
「ものがたり」だ。
「登場人物もすべてフィクション。
 しかし、そこに起きていることの
 「ねっこ」は本当です」

ゴリは物語上、岩淵先生という役で登場。
日々、
クラスで起こったことや、
子どもたちの現れや
先生の関わりを自身でフィードバックし、
それを同僚(中谷先生/中川氏)に読んでもらい
フィードバックをもらうという形式で
進んでいく。

「ものがたり」とはいえ
「ねっこ」のところは本当って
これだけの具体的なエピソ−ドが
リアルに書けるってことは、
ゴリはほんとに、
日々振り返りをしていたんだと思う。

ゴリは、多分すでに、充分に、
担任が、
どういう目標をもち、
どういう構えで、
どういう行動をすると、
子どもたちの成長に良い影響を与えることができるか、
分かっている。

それでも、彼は、
毎日、振り返ったんだと思うと
それがすごいっ。

丁寧に、
子どもたちの行動を見て、
発言を記録し、
子ども同士の繋がりの変化や、
自分の関わりという「事実」を追う。

振り返るとはどういうことか?
それは自分の中に「他」を作ることだと思う。

事実を記録しながら、
自分の中の「他」の問いかけに応える。

ほんとに、その声かけはそれでよかったの?
あの発問の目的は何だった?
今日の行動は、クラスの目標、
ひいては、この子たちが
未来の社会を作っていくときに、
まずは自分から動こう!とすることを促進してるか?

つまり
めちゃ厳しいことをやっている。

なんだけど、
読んでいると、
これが楽しいんだ。

私は子どもに戻れたら、
このクラスに入りたいと思った。
あるいは、
「担任のせんせ」って仕事は
なんて素敵なんだろうと思った。

圧巻は
彼が「強く叱る」ことを選んで
叱った日の振り返り。

その中に
「今、振り帰りの文章を書きながらも
 なんとか自分のやったことを肯定できないか、
 言い訳を探している自分に気がついた」
という文章がある。

自分の頭の中を流れていく思考を、
何一つもらさず捕まえようとしているかのように、
言語化している。
ずるさも、弱さも含めて、
全部、言葉にしておくことは、
自己の言動に対して自覚的になる
訓練をしてるってことだ。

今までいっぱい素敵なクラスを
子どもたちと作ってきたのは、
偶然や巡り合わせじゃなくって、
ここまでやる?
ってほどの
振り返りで鍛えた、
自分の中に「他者の視点」をもつってことも、
その一因だったんだ!

つまり、
メタ認知の能力ってこと。

この本に出会えた
教師を仕事に選んだ人たちは
(あるいはめざしている人たちは)
幸せだと思う。

「振り返り」は、
特別な能力がなくても、
すごい準備がなくても、
すぐにできるひとつの方法だ。

担任の
経験や
スキルや
人間味みたいなものだけに頼らずに、
子どもと一緒に
安心できるクラスを作っていくためのヒントは、
自分のクラスの毎日の中にあって、
でもそれは経験だけで終わらせてしまっては、
非常にもったいない資源なんだ。

「振り返り」をしていくことで、
調子に乗っちゃって後で悔いるような行為も
少なくなりそうだし、
目の前の子どもは変わっているのに、
以前の成功体験をひきずったり、
感情に巻き込まれて選択肢がみえなくなったり、
自分の中の思い込みに気付けなかったり、
そういうことからの
大きな失敗をなくすこともできそうだ。



でね、で、
大きなおまけがついてきた。

私はモデルをみつけちゃった。
中川氏(=中谷先生)の神フィードバック!。
こんなふうに受け止めてもらえる存在がいると、
安心して振り返られるんだなと思った。
それで、私は、今、
早く冬休みが終わるといいな!なんて思ってる。
学校での活動の中で、
「中谷先生」を、早くやってみたい!!!
うずうずしちゃうのだ。

できるかな?
いや、やるのだ。

・・・・・・・・・・・・・

で、話はここで終わらない。

続いて絵本「きょしつのつくり方」。

「みんなのきょうしつ」と
「きょうしつのつくり方」2冊読もうと
されてる方は、
私のおすすめは、
まず「きょうしつのつくり方」から
読まれるといいと思う。
この絵本は
3部構成になっている。

まずは、絵本部分で、ここには文字はない。
4月にスタートした小学校のあるクラスが、
いろいろな出来事をを経て、
変化しながら3月に至る過程を味わう。
ひとりの子どもを追っていくと、表情が変わったり、
人とのかかわりの仕方がかわっていくことを
感じることができる。

次にガイド編。
どんなことが起こっていたのか
絵に←で言葉で解説してくれてあることで
理解できる。

さらに、著者を含む3人の教育に携わる方々の
鼎談編がある。

鼎談によって、
自分を活かして相手も活かすチームを作るための
ヒントが明らかになっている。

これを充分に味わってから
「みんなのきょうしつ」を読むと、
解説本のように読める。
あ〜あの算数の絵のページの背景には、
こういうプロセスがあったんだ!と、
すごくよくわかるのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「きょうしつのつくり方」の
「はじめに」に
ゴリの望む20年後の社会が書かれている。

「一人ひとりが自分が生きたいように
 生きていられる社会。
 ちがいが大事にされて、
 ゆるやかにつながっていられる社会。
 ひとりでいることも大事にされる社会。
 『助けて』と気楽にいえる社会。
 自分の力が発揮できる社会。
 問題や課題はみんなで相談して
 解決に向かえる社会。」

そんな未来を作れたら、
どんなにいいかと思う。


ゴリは今、
これから教師になる人の育成を通して
それに挑戦していると思う。

彼自身の中にもともとある感性、
その誠実な人柄、
オープンで、おちゃめっぽさもあり、
さらに、素敵な多くの仲間がいる。
どんなことからでも誰からでも学ぼうとする
その姿勢、
誰に対してももっている対等感、
何よりも、人(もちろん子どもも含む)の力を
信じてること。
もちろん、自分の力も信じてること。
私からみるとゴリはそんな感じなんだけど、
そうじゃなくても、
まったく別のキャラでも、
信頼ベースのクラスを、
子どもたちと一緒に作っていくことができるし、
子どもたちが幸せな子ども時代を送りながら
成長していくことに関与できるってことを、
多くの教師をめざす人に伝えているんだと思う。

心から応援したい。

そして、
私は、コミュニケーションのスキルを
提供することを通して、
それをしていきたいし、
ゴリにとっての中谷先生みたいな、
担任の先生のパートナーになることで、
貢献できたらいいと思う。

あ〜興奮した。

ゴリの
「せんせいのつくり方」
をもう一度読んでみよう。





 
author : tanizawa-k
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正しい行動。

【2015.12.05 Saturday 09:19
当たり前だけど
いつも(人として)正しい行動が
できている訳ではない私。
だからこそか、
正しい行動をした人の話には感銘を受ける。

ここのところ、
そのことを考える機会が何回かあった。

まずは以前ブログに書いた、
自分の正しくない行動のこと。
(道で倒れている人を、
 すぐに助けなかった件)


そして
吉本ばなな著
「おとなになるってどんなこと?」
の中に書かれている、
彼女の「大人になった瞬間」のこと。
それは、自分の受診についてきてくれた
父親と祖母に対して、心から感謝できた時。
「おばあちゃんの荷物を全部持ちました。
 ものすごく重かったです。
 これを持ってずっと待っていてくれたのか、
 とまた思いました。
 そして私は言いました。
 『今日はありがとうございました。
  おそば屋さんまでせめてお持ちします』」
「初めて本当の意味で他者を思いやった瞬間だし、
 初めて恥ずかしいとかかっこわるいとか
 面倒くさいとかいう気持ちを脇に置いて
 行動したし、自分の置かれている恵まれた
 環境を客観的に見ることができたときだった
 のです」
で、彼女はおそば屋さんで食事しているときに、
いやなことをいろいろ忘れていることに気付いて
「正しく行動すれば、胸のつかえはなくなる、
 そう感じました」
と書いている。



そして、
借りてきたDVD「グッド・ライ」という映画。
スーダンで起こった内戦による難民が
アメリカに渡り、サポートを得ながら、
支え合って生きていく実話を元にした映画。

3人で支え合っていた仲間。
その中の一人は
内戦を生き延びるためにした間違い
(ただ、それは、彼にとっては罪悪感の元だったが
 果たして間違いかどうか、私にはわからない)
に苦しんでいる。
怯え、自分を責め続ける彼。
大学(?)で勉強し、
講師からも尊敬されるほど賢い彼だけど、
仲間の一人と、ちょっとした諍いから
その「間違い」を指摘されると
逆ギレしたりする。
多分彼は起きている間ずっと、
そのことが頭のどこかにあって、
仕事や勉強をしている時は、
ちょっとだけ隅の方にいってくれても、
大体の時間は頭の中すべてを占めていたんだと思う。
何をしていても、きっと心からは笑えないような
そんな彼。
その彼が、最後、
その「間違い」を取り返すような、
ものすごく勇気ある
人を救う「うそ」をつく。

その後の彼の表情のすがすがしさ!!!
人を救う「うそ」の結果、
彼はすべてをあきらめるんだけど、
彼がたったひとつあきらめなかったのは、
「誇り」だったと思う。
人として正しい行動を選んだ彼の
歩く姿を見ていたら、
もう、ダメだあ、こみ上げてきて、
涙止まらず。

「正しい行動」は
周りにもいい影響を与える。


小学生への授業の後、
質問しによってきてくれた男子が、
「ふざけてばっかりじゃ、
 だめなんですよね?」
的なことを、
友達と肩を組んで、
なんだかちょっとふざけ気味に
きいてきてくれた。
私は、
「うーん、ふざけるのも
 時と場合によってはいいんじゃない。
 でもさ、
 ここではどうか、今はどうかを
 考えられるといいよねえ」
と言った。
「考えるかあ」
とその子は言った。
「その時のものさしの一個として、
 『人としてどうか』ってのは
 大切だと思うよ。
 ま、なかなか難しいけどね」
なんて話した。

子どもに、
堂々と言えるほど、やってるか?自分・・・
だな。



カウンセラーとして、
相談活動している時には、
「正しい」「間違っている」とか、
「良い」「悪い」とか
「善」「悪」とか、
そういう二分化の考え方に、
スペースをあけてもらえるような、
その2つの間にあるいろいろを
拾い上げるような
そんな手伝いをすることが多い。
それはすごく大切な仕事だと思う。

しかし同時に、
時々、
「人としてどうか」
「正しい行動」
を意識したいと思うんだ。

時には、堂々と
正しいことをしたいよなあ。

そして大概、
そういうことをした後、
一番すがすがしいのは
それをした人だ。



運転中、
道を譲れば譲るほど、
晴れ晴れしてくる・・・
って例が卑近すぎ。






 
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「自分を知るための社会学入門」

【2015.11.13 Friday 19:52
内田樹先生の推薦の言葉を見て
帯買いした本。大正解だった。
もう一度大学で勉強するなら
社会学を学びたいと思うほど。



「メタ・メッセージ」の章では、
社会学の意義を
いろいろな事例で表している。

たとえば
恋人から
「今度の日常どうしてる?」
と訊かれたときは、
「日曜にデートしようよ」
という誘いがこめられていたりする。

「なんかコーヒーが飲みたいね」

「コーヒーいれてきて」

「時計もってる?」

「今何時か教えて」

 (これは、発達障がいの視点で
  考えることもできる) 

人が伝えたいメッセージは、
元のメッセージだけではなく、
そこに込められた意味などがあって、

で、それは、
単純に個人の意識の問題だけではなく、
社会の影響を受けていることも多いから、
「人間と人間」「人間と社会」の
関係を暴き、理解していく社会学が
おもしろいという訳だ。



また著者は
自分の人生初デートの失敗を例にして、
マートンという社会学者の提唱した
「事前の社会化」という概念を説明する。

人生初めて、つまり体験したことなどないのに、
著者と彼が交際を切望していた女性は
なんとかデートにふさわしい状況を作ろうとする。
ま、それは残念ながら失敗するのだが、
大事なのは、
一度もデートというものをしたことがなくても、
知らず知らずのうちにどういうものと
無自覚に学習をしていて、
人間は、そういうふうにふるまおうとするってこと。

こうやって、
「メタ・メッセージ」とか「事前の社会化」とか、
名前がつくと
「ぼんやりとしてかたちで刻まれていた記憶が
 明確に説明され」、
「今現在、未来において遭遇する問題を理解する
 うえで一つの道具を手に入れたこと」
に確かになる。


私にとって、特に興味深かったのは
「『私探し』にさよなら」の章で、
「自分が自分であるためには、
 他者の前に自分を押し出す必要」があり、
「他者からの評価がどのようなものかを
 確認しながら生きている」
という自己像を
「他者との関係において
 『鏡に映る自己』という概念」
で説明していること。

そして、現代を生きる人の一つの苦しみを
「操作された自己と、
 操作している自己とが乖離しすぎたり、
 望むような自己が
 他者の鏡に映らなかったりすると、
 不安でいたたまれなくなってしまいます」
と。

「アイデンティティを確立させなければ
 ならないという呪いから解放される
 ことこそ」
苦しみから解放されるという考えに繋げている。

私の学校での相談の場では
このことが元のところにあっての問題が
多くあるので、
ものすごくうなづいて読んだ。




毎日普通に暮らしていて起こることや、
やってくる出来事、
他者の反応や、
自分の考えなどは、
社会学者たちが、
すでにいろいろな名前をつけて
説明していたことが分かると、
なんだか、すごくおもしろい。

こんなふうに、
ものすごく身近な事例から
社会学の知に触れさせてくれる授業を
うけてみたいと思う。



で、
私は来週、
ある中学校で
「自己理解」について話す。

岩本先生のようにはいかないとは思うけど、
脱線しておもしろおかしい話で「おもしろい」
という授業ではなくって、
中学生たちのもやっとしたものが、
「あ〜そういうことだったのか」
と霧が晴れていくような、

これまでの苦しい辛い体験に、
自分なりのテーマやタイトルが
つけられるような
そんな時間を作れたらいいと思う。


って訳で週末は
プログラム作り!







 
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揺さぶり。

【2015.03.26 Thursday 14:52
「脳の強化書」という本を読んで、
年齢のせいにばっかりしてなくっていいんだ!
まだまだやれることがいっぱいある!
って嬉しくなっている。

この本のすごいのは、
鍛えたい部分(著者は脳番地と呼んでいる)
によって、
具体的な方法をいろいろあげてくれているところ。
たとえば、
「思考系脳番地」を鍛えるためには
「一日の目標を20文字以内でつくる」
のような方法を、
これ以外に8つ紹介している。
もちろん
なぜそれが効果的なのかも明確。

各脳番地によって、
トレーニングの方法は違うけど、
「脳」というものを効果的に鍛えるためには
3つの重要なポイントがあるらしい。
①日常の習慣を見直す
(同じことばかりしてないで!
 「それまで偏った脳番地の使い方を
  していたとしても、
  生活習慣を変えて新しい経験を
  作りだすことで、眠っていた
  脳番地が刺激を受けたり、
  無関係だった脳番地同士が
  リンクしたりします」)
②脳の「癖」を知る
  (万人に共通する癖と
   各人がもっている癖があるが、
   万人の方は・・・
   1/ほめられると慶ぶ
   2/数字でくくると認識しやすい
   3/デットラインを儲けることで
    「オン・オフが明確になる」
   4/睡眠によってパフォーマンスが
     高まる)
③「したい思考」で発想する
  (「させられ思考」を
   「したい思考」に転換する)


私は、日常的に②はやっているし、
③に関しても、
もともとが「損得」で考えるタイプだから、
(↑私の脳の癖1)
「やらされているのはもったいない」と考えるところが
あると思う。
今の自分にチャレンジさせたいことは①だ。


この本を読む前、
3月の初めにアサーティブカフェの参加者の方々に、
懇親会の席で、宣言したことがある。
(私は「宣言」しちゃった方が実行する派)
   ↑私の脳の癖2
それは「断捨離」。
その席でなんと4tトラック2台分捨てた
断捨離先輩の話も聴けてやる気まんまんだ。

しかしその時までは、
とにかくすっきりしたい
というのが考え方だった。

その後、この本を読んで、
それは同時に、
すでに習慣になってしまっている
「物をためておく」
「出したら出しっ放し」
「整理しない」
「捨てられない」
を変えるチャンス=脳を鍛えるトレーニング
でもあることがわかり、
超嬉しい。

「生活習慣をほんの少し変えて、
 脳番地に『揺さぶり』を
 かけること」(本の中から)
ができたらいいなあ。



そんなことを考えてる中、
久しぶりに邦画を映画館で見た。
「繕い裁つ人」という
中谷美紀さん演じる仕立て士さんの物語だ。

彼女は、祖母の仕立て屋さんを引き継いで、
祖母の作った服のお直しや、
ちょっとしたリメイクを仕事としてる。

その仕事っぷりは、
丁寧で、妥協のない、
こだわりの職人気質。

二代目の仕事は一代目の仕事を
まっとうすることと、
毎日、変わらず、
祖母の作ったデザインを向き合う日々。

しかし、大手デパートの服飾担当を務める
藤井(三浦貴大さん)が
ブランド化の話をもちかけ、
オリジナルの服を作ってほしいと
依頼してきたことから、
彼女の内面に変化が起こっていく。

藤井が言い、
後に、彼女も口に出すセリフがある。
「簡単にあきらめないでください。
 自分のスタイルを変えることも
 しないで」
私は、このセリフを耳にして、
なんだか痛くて痛くて、
同時に
自分の中に自分で作ってしまった限界を、
超えていくもいかないも、
自分で選択できるのに、
それをこれまでの自分のせいにしてしないのは、
あきらめるってことなんだと思った。

あきらめることが悪いこととも思わないけど、
いつも「あきらめる」を選択ばかりするのは
いやだと思った。

自分のスタイルや、
昨日までの自分がとってきた
方法や考え方や傾向は、
すごく大切なものだから、
それをなかったものにするのではなく、
まるっきり変えてしまうのでもない。
でもそのせいにして
希望や目標や自分に対する期待や可能性に
目を向けないでもない。

大切にしながらも、
守りながらも、
変えていくこと。


いやあ、
「変える」こと、
きてるな。
私の周りに。


・・・と思ったら
「脳の強化書」の中の
「伝達系脳番地」の鍛え方に
「目的を定めておくと、
 脳は必死にキーワードを探すようになり、
 その言葉が見つかると、
 伝達系脳番地が即座に反応するのです」
とある。

「変える」とか「変化」というキーワードを
私の脳は必死に探し、
いくつかを結びつけたのか。

おもしろいな、脳。



 
仕立て士の彼女を揺さぶったのは、藤井。

私を揺さぶってくれるのは、
本や
映画や、
出会った方々、
新しい体験などなど。

揺さぶり、大歓迎だな。

そりゃ、やなこともあるけど、
言っとこう。

揺さぶり、乾杯!
 
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どう捉えるかを自分で決める。

【2014.11.10 Monday 19:22
桐野夏生著「夜また夜の深い夜」
を読んだ。

読んでいる間中、
「事情」ということを考えていた。
事実として表れることは、
悪事だったり
裏切りだったりするけど、
その背景にはやむにやまれぬ事情がある場合がある。
もちろんどんな事情があったとしても
やってはいけないことはやってはいけないけど、
ただ、事情があることを分かっていることも
ありだと
そんなことを考えながら読み進めた。

海面から見える岩は、
海の底にうもれている部分と
水面下の部分、
つまり現れていない部分の方が
よっぽど大きい。

桐野夏生さんの小説は、
いつも、そういうことを私につきつけて
くれるようなところがあって、
物事を自分の側からしか見ようとしないことに、
徹底的に待ったをかけてくるように思う。



自分の例で考えてみると、
私は最近よく話題になる、
幼稚園の建設に待ったをかける方々を
理解するのが難しい。
子どもの声を騒音と言っているシーンを見たけど、
びっくりした。
誰でも子どもの時があって、
子どもの時に大騒ぎしながら遊ぶことは、
すごく大切なことだと思うから。

海面に現れた岩が
「幼稚園反対」だとして、
それを善悪や白黒で決めつけるのではなく、
そういう考えの奥には、
きっといろいろな事情があるんだろうな
と考えてみる。

岩が埋まっている海底には、
いろいろな経験、
たとえば
幼い子どもが飛び出てきて車で事故を
起こしそうになってしまった・・・
なんていうひやっとした過去があるかもしれないし、
あるいは、幼い声をきくと
思い出したくない過去を思い出してしまう
という辛さがあるかもしれない。
水面下には、
今病気をもっていて昼間でも横に
なっている時間があって、
音に敏感になっているなんてことが
あるかもしれないなあ。

だから、同意する訳でもないし、
納得できる訳でもないんだけど、
一方的に自分の側からの考えから、
否定するのは違うって思う。


このこと意外にも、
私が表面に現れた部分だけで
カッとしてしまいがちなことに、
権威主義的、
性差で役割をきめつける、
大声で相手をののしる、
・・・などなどなことがあるけど、
それらも、そこに至る事情があるん
だろうなと考える、
そのひと呼吸が必要だよな。






以前読んだ
「小さないじわるを消すだけで」の中に、
ダライラマ14世が話したことを
文章にしてくれている部分があった。

「 1980年代前半に、
 (知人のチベットの僧侶:18年間中国の
  収容所で強制労働を強いられた人と)
 再会することができたとき、『辛いこと
 はありませんでしたか、危機を感じたことは
 ありませんでしたか』と聞いてみました。
  私はもちろん命の危険があったという
 話が聞けるものだと思っていました。
  彼の答は違いました。
 『中国の役人たちに対して、自分の慈悲の
 心を失ってしまう危険を感じた』というのです。
 敵である中国の収容所の役人に対して、
 慈悲の心を維持していたというのです」

その人自身がどうだこうだではなく、
その人に対する自分を問題にしているところが、
すごいことだと思った。

そして、
どんなことにも「事情」があることを知っておく
(だから許すとか、そういうことではなく、
 ただ、知っておく)
ってことと、
ある「人」や「事」の善悪や白黒を
決めつけるのではなく、
その「人」や「事」を
どう捉えるかを自分で決めるってことは
まったく別ものじゃないと思う。


「世の中には、いい人とイヤな人がいる」・・・
のではなくって、
私がいいと感じる人と、
イヤと感じる人がいるだけだ。
そして私がイヤと感じるその人にも、
私が全部は知りきらない事情がある。

だから「あの人=イヤな人」と決めつけるのは、
やらないほうがいいことだし、
さらに
イヤと感じてしまった自分を責めることも
恥じることもない。
そう感じずにはいられない事情が
私の側にもあるのだ。

ただそれだけのこと。

ダライラマ14世の知人の僧侶の方のように、
「慈悲の心」を持てればそれにこしたことは
ないけど、
そうでなかったとしても全然よくって、
せめて、
その人のことも
自分のことも、
心の中で責めるのも、ストップかけられたら、
自分が安定していられるように思う。



本はまったくいろいろなところに
連れていってくれる。







 
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「せんせいのつくり方」その2

【2014.09.27 Saturday 18:02
今年の夏に、岩瀬さんのクラスのことについて
めちゃ尊敬する、教育関係のお二人に話した。
その時に「会社活動」という、
自分の好きなこと、得意なことで学級に貢献する
活動のことについて話すと、
その方が、
「そういう積極的な活動に乗れない子
 たちの居場所はあるの?」
のようなことを質問してくれた。

その時に、まるで自分のことみたいに、
「もちろんですよ!」と答えたが、
その問いへの岩瀬さん自身の答が、
この「せんせいのつくり方」に
丁寧に書かれている。

クラスが目標をもって、それに向かって
力を出し合え、協力できるのは
すっごくいいことだけど、
そうやってまとまっていくからこそ生まれる、
排他性。他のクラスから孤立していく感じ。

さらに、そうやってクラスが
まとまればまとまるほど、
生まれやすくなる同調圧力。

また、多様な子どもたちの中には、
同調圧力のようなものの下で、
物が言えなくなっていく子も
出てくるかもしれないという恐れ。

岩瀬さんは、その危険性を考えながら、
どんなクラスを作りたいのか、
自分に問い直している。

しかもすごいのは、
子どもたち大満足で大成功のイベントのあと、
自分の中に生まれた違和感をそのままにしないで、
問いにしたところだ。

この本の中の圧巻が私には三カ所あるが、
この部分と、
小さな生き物をぞんざいに扱ってしまった
子どもたちに叱った後で、
そのことを振り返る場面と、
自主性を重んじたばかりに
ある子の要求を見逃していたことに
気付いた場面。

これも岩瀬さんの中に生まれた
「なんか違う」感じを、
「ま、いいか」で終わらせなかった問いだ。


これらは感想の2つ目に関係してる。
自分の中の「こうあるべき」や
以前決めた「こうしよう」に依存しないで、
いつも「今」の「目の前」の子どもたちを見ながら、
問いを立てて、考え直しているすごさ。


私は、今日の午後、
小学校の保護者の方への講演があった。
「今」「目の前にいる方々」と一緒にいようと
決めて前に立った。
今までの講演会で評判よかったから・・・じゃなくって、
今日集まってくださった、目の前の方々を対象に、
話すって決めていた。
なので、数日前に作ったパワポとは違うことになってしまい、
話しながら、パワポを進めたり、
戻したりした。

心の中で
「今をちゃんと見てる?」って確認できた感じが
すごくした。
1時間半の間、
「今」「ここ」「目の前の保護者の方!」
という言葉が、
時々私を導いた。

めちゃいい影響を、
この本からもらったんだ。



そして感想の三つ目。
対人関係の仕事をしている人にとって、
基本的な「自己理解」を進めておくことは
すっごく大切で、
しかも、刻々と変わっていく自分を、
その都度理解しようと務めていくことが、
必要だってことが、再認識できた。

この本にはワークがついている。
全部で9つのワーク。
それを考えることで
今の自分を構成しているいろいろな部分を
見直すことができるようになっている。

やってみた。

クラスのことについてのワークでは、
ある中学校の職員室や、相談部会のことを
イメージしてやってみた。
講師としてワークショップのクラスのことを
考えてやってみたワークもある。
やはり私は、伝えたい思いが強くって、
時々ファシリテーターではなく、
「導く人」や「背中を押す人」に
なってしまうことがあるようだ。

でもその中から、
今まで思いもしなかった「こうありたい」が
自分の中にあることが分かって、
ワクワクした。

また、ワーク以外にもワークしてしまった。

著者二人が失敗を語っている時には、
自分の、ほぼ忘れかけていた失敗を
思い出し、余白に書き込んだ。

特に「怒りの感情」の取り扱いをテーマと
しているところでは、
12年くらい前の出来事が蘇った。

ある中学校で「親と子のコミュニケーション」
についての3回連続講座の講師をつとめた時、
参加されていた学校評議員の方に、
「あなたは学校で活動してる大人なのに、
 なぜ茶髪でいられるんですか?」
と質問され、
思わずムッときて、
心の中で「あなたに言われる筋合いはない!」
と思いながら、
「ですよねえ。
 ただ、子どもたちには、
 茶髪にしたかったら、早く大人になんな
 って感じなんですよ」
と、訳の分からない返答をした、
その場面がパッと頭に浮かんだんだ。

今はもう、そういうことはないけれど、
私の中に、痛いことをつかれたとき、
ごまかしてしまおう的な時があったことを確認した。
そういう構成要素も自分の中にあったこと、
思い出せて、めちゃよかった。

こんなふうに思い出せたのは、
著者二人の事例が、
めちゃくちゃいきいきと、
まるで目の前で起こっている出来事の
ように思えたからだ。


この本を教育関係者だけでなく、
対人の仕事やチームの中で仕事
している人みんなにいいのではないかと、
「その1」で書いたのは、

ここまで考えて、
ここまで突詰めて、
仕事している人がいるってことが、
インスピレーションに
なると思ったからだ。

ここまで
目の前の人と、
その人のこれからを
大切に考える人がいるって、
希望だ。

こんなふうに大切にしてもらった子どもたちは、
他者から大切にされるってどういうことか分かるから、
他者を大切にする仕方がわかっていくと思う。
同時に、これほど大切にされた自分のことを
大切に思えないはずがない。

自分自身でだって、
自分のことを大切にできるのではないだろうか。

私は、そんなふうに思った。


これまで、岩瀬さんを通じて、
ステキな方々にお会いできた。
ちょんせいこさんには、
ホワイトボードミーティングを教えていただき、
岩瀬さんの呼びかけで集まった、
「類友」の、ステキな方々ばかりのグループで、
アサーティブトレーニングをやらせていただいた。

さて、今度はPAだ。
プロジェクトアドベンチャーの講座を受けてみようと
思う。
そして,共著の寺中さんにお会いできたら最高だな。


この本は、「今のところ」のお二人の考えと、
そこに至るまでの葛藤や過程を丁寧に
表してくれているものだ。
これまでと同じように問いを立てて
「今」に誠実に仕事をしていった先には、
どんなクラスや、どんな子どもの成長があり、
どんな先生像があるんだろうなあ。
楽しみだなあ。

私も、
問いをたてて、
考え続けていくことをやめたくないなあ。
















 
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「せんせいのつくり方」その1

【2014.09.27 Saturday 08:44
「ほんとに」とか
「すごく」とか
「〜〜みたいな」とか
そういう言葉って、便利だ。
便利だから、使ってしまいたくなる。
「ほんとにそう思う」とか、
「このことがすごく大事だと思った」とか、
「勇気みたいなもの」という感じで。

この「せんせいのつくり方」って本は、
そういう(便利な)言葉でまとめちゃうことより、
もし「ほんとに」だったら、
どこがどう「ほんとに」なのか、
「すごく」なら、どう「すごく」なのか、
「〜〜みたい」なら、「みたい」がとれるくれるの
もっと近い言葉を探そうと、
突詰めて言葉にしようとした文章でなりたっている。

内容は
「学ぶ」ってことについて
「子どもが成長していくってどういうことなのか」
 について、
「先生としてプロの仕事って何か」について、
「クラスがめざしたいこと」について、
「怒りという感情との向き合い方」について
「自分はどんな人ととして子どもに関わりたいか」
について、などなどだ。

ここまで読んで、
なんだ、教育関係の本ね。
じゃ、私にゃ関係ないって思った、
そこのあなた!
この本は関係なくないです。
対人の仕事についてらっしゃる方、
チームで仕事をされている方には、
たくさんの発見と、
静かな確認と、
そして確かな希望を感じられる、
そんな本です!!!


著書の一人寺中さんは
プロジェクト・アドベンチャーの専門家として、
もう一人の著者岩瀬さんは
小学校のプロの先生として、
お二人とも、
繰り返し繰り返し、
自分の頭の中にあることはこの言葉で全てなのか?
と自分に問いかけながら書いたんだろうなと
想像がつく。そういう文章だ。
もちろん、人間、頭の中にあること全てを
表現しきるなんて、ほぼ不可能なことだと
お二人とも知ってると思う。
表現しきれないと分かりながらも、
でも突詰めたことがわかるんだ。

っていうと、
文章というか、
「書く」ことへの覚悟の素晴らしさばかり
言ってるけど、
内容もすごい。
この本を読んだ感想はたくさんあるけど、
無理矢理まとめると3つ。


1つ目は上記の、
著者が、
自分の頭と心と、過去と未来と、
「今」に誠実であることを決めて書いたことが
感じられて、そこに取り組んだエネルギーに
感動したこと。

そうやって書かれたものだからこその
説得力がある。



2つ目は、
いつも、「今」「ここで」起こっていることに、
謙虚であるってことが、
どれほど大切か確認させてもらったこと。

彼らは、
「自分に課しているもの」とか、
「自分が大切にしていること」を
ちゃんと持っているけど、
そこに依存しないでいる。

大人として、先生として、
「こうありたい」という基本原則。
たとえば、「叱り飛ばすことはいけない」
ということだったり、
「受容する」ってことだったり、
そういうものをしっかりと持っていたとしても、
その方法を、
「そうすべきだから」という理由で、
あらゆる事例の時に選択していたら、
そこには危うさもあるってことを
意識する。それを彼らはやっている。

私は自分に問いかけた。
それやってる?って。

「あるべき姿」だけじゃなく、
時々は
これまでの成功事例に甘んじたりする自分を
振り返りながら。

私、仕事に関しては、
マジメに取り組んでいるんだけど、
やっぱ、時々あるんだよね。
「この前のあの成功した時の感じでいくか」的なことが。

目の前の、今の、その方々と一緒にいるってことを、
常にね、常に意識しろ!自分。
私は、この本を読んでる間中、
そんなふうに自分に言ってた。



3つ目は、
対人関係の仕事をしている人に
どうしても必要なことのひとつに
やっぱり、
どうしたって、
「自己理解」はあるってこと。


今回の記事は、
感想のさわり。
今、読み終わって興奮していて、
他にしなくてはならない仕事があるんだけど、
吐き出しておかないと仕事にならないので、
こうして書いている。

また、
さらに詳しい感想を書きたいと思うのは、
一人でも多くの大人が読むといいと思うから。



私が、
著者の一人、
岩瀬直樹さんという公立の小学校の先生の存在を
知ったのは、2009年6月13日だ。
ファシリテーションについて学びたくって、
私はその日、
している株式会社」主催の講座に参加した。
そして、講師の長尾彰さんが紹介してくれた本
「学級づくりの『困った!』に効く クラス活動の技」
を購入。
長尾さんと共著の岩瀬さんを知った。

その本は岩瀬さんのクラスを舞台に、
いろいろなアクティビティを実践している様子が
掲載されてた。
「なんだか楽しそうなクラスだなあ」という印象で、
そんな楽しそうなクラスの担任の先生、岩瀬さんに
興味をもち、それから彼の書いた本を読み、
ブログのファンとなった。

その彼の最新刊が
「せんせいのつくり方」という、この本なんだ。

少し前に出版された
「エピソードで語る教師力の極意」が、
彼のこれまでの人生を、
ほぼ時系列な感じでおいかけてるとしたら、
この本は、
コンテンツ事にまとめている。



優れた実践のもと、本を何冊も出版し、
全国的に有名な先生で、
夏休みなど長い休みの期間は全国で研修の講師をして、
ファンも各地にいる岩瀬さん。
なんだけど、
SNSやブログでかいま見る
日常の彼は、
普通の人間がそうなように
時々凹み、時々悩むひとだ。

その彼の頭の中が、
言葉になっている。
おもしろっくって、
複雑で、
なんだか最後は、
自分の仕事が愛しくなったぞ。


は〜、
とりあえずは吐き出せた。

とにかくこれから、目の前の仕事の準備して、
仕事をし、帰宅後、
また書きます。





 
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谷澤 久美子
counselor