本 | 今のところではありますが…
敢えて、読んでみる。

【2016.08.18 Thursday 17:10

夏休みの間に読んでみた本。

(途中もあり)

 

「どんなものかしらん?」と

疑問に思ったものなどを、

あえて読んでみた。

 

で、結局どれも面白かった。

 

例えば

「言いにくいことを言わずに

 相手を動かす魔法の伝え方」

は、

アサーティブの講師で

「言いにくいことでも、

 必要なことは、

 相手を尊重しながら

 伝える方法あるよ」

という立場の私としては、

「ウムム!」となったタイトル。

 

ただ、内容を読むと、

相手を理解しようとする態度が

大切だということが書いてある。

それらを

21のシチュエーションで学べる

ようになっているので、

「相手をコントロールするのではなく、

 自分のコミュニケーションで工夫する」

という意味では、

タイトルほど、アサーティブと

かけ離れたものではないと思った。

 

また最終的には言わないとならない時の

言い方に触れているのも、

「だよね」と納得。

 

とはいえ

伝えたいことを率直に伝えるのではなく、

質問してみたり、

視点を変えてみたり・・・

という提案が多いので、

「だから何が言いたいの!

 はっきり言って!」

となってしまわないためには、

努力が必要なんだろうな。

 

著者加藤アカネ氏の人間的な魅力が

随所に感じられたのも、面白かった。

 

 

*「反省させると犯罪者になります」

は、振り返りこそ学び!

と考えている私にとっては、

挑戦的なタイトルだ。

ただ、これも、

すごく納得できる内容。

著者も振り返りは大切だと思ってる。

ただ、振り返りもさせず、

「反省の態度を表す」ことを先にやらせ、

そればかりさせても、

学ぶのは「良い反省の仕方」、

つまり「反省していると認めさせる能力」

だけだといっている。

してしまったことを、

本当の意味で自分の人生に生かすには、

まず反省・・・ではなく、

自分の自動思考をキャッチすることが

最初だとのこと。

 

まだ読みきってないが、

これからの部分も楽しみな本。

 

 

 

「アクティブ・ラーニング」に関しては、

私はちょっとだけ心配がある。

人と交流することが苦手な子、

一人で勉強したい子にとっては、

きつい時間になるのではないか?

と心配してるんだ。

 

そんな時に

「コンビニ人間」を読んだ。

 

この小説の主人公は、

幼い時から「普通」の人とは

違う考え方を持っていて、

「普通」の人とどう交流していいか

全くわからず、

小・中・高と

ほぼ誰とも話さないで

生きてきた女性だ。

彼女はコンビニの店員になって、

「挨拶の仕方」や「商品の補充の仕方」や、

「話しかけ方」など、

コンビニ店員としての正解を教えてもらって、

初めてどう行動すればいいか分かり、

それで生きている。

 

「コンビ二人間」を読んで、

これは小説だけれども、

ここに描かれている女性のような

生きづらい感じを持ちながら

生活してる子どももいることも知ってるし、

その子たちにとっては、

「アクティブ・ラーニング」は

本当に辛いだろうと思うのだ。

 

「話そう!」

「聴こう!」

「質問しよう!」

「問いを立てよう!」

「考えたことをまとめて、伝えよう!」

「考え合おう!」

「話し合おう!」

を期待される場や、

それを楽しめることが「良し」と

される雰囲気は、

彼らにとっては

「あなたは、

 あなたじゃないあなた

 になりなさい」

と言われているような気になるのではないか?

 

「コンビ二人間」の主人公を、

家族は「普通」にしたがる。

そして「治そう」とするんだけど、

「アクティブ・ラーニング」にも

そんな側面はないのだろうか?

 

 

「史上最強のアクティブ・ラーニング読本」

は、

まだ全てを読んだわけではないが、

それでも、

これ読んで

ちょっとだけホッとした。

 

「AL的な学びを苦手とする子たちが

  こぼれていき、学力の底抜けが

 起こる可能性ある」

 

「人と絡み合って学ぶことが

 得意でない子どもたちの教育が

 ちゃんと担保されるかどうかですね」

 

・・・というような危惧を

ちゃんと考えた上で

「アクティブ・ラーニング」の必要性や

考え方、具体的な方法を示してくれている

のがこの本。

 

読み進めていくと、

「慎重論」派の方の考えも読むことができる。

(ただ、「慎重論」派の意見の方が

 私には納得が難しかった)

 

 

とにかく、導入された時に、

先生方が、

子どもの話さない権利、

人と交流しなくてもいい権利、

一人で考え続けたい権利などを

保証してくれるといいと思う。

 

少なくとも、

「誰にとっても万能の方法!」

って思ってほしくない。

もしかすると、それを進めることで

「自分を治さないと!」と

深く傷つく子もいることに

せめて自覚的でいてほしいなあ。

 

ま、現場に立つ先生方は、

そんなこと承知なんだろうけど。

 

 

それにしても先生方、大変だよなあ。

「これを導入しましょう」はあるけど、

「これはやらなくてよいことに

 しました」は案外明確じゃないもんね。

 

 

 

 

 

 

村田 沙耶香
文藝春秋
¥ 1,143
(2016-07-27)

author : tanizawa-k
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「子どもの頃から哲学者」

【2016.06.12 Sunday 09:30
「教育の力」の著者苫野一徳氏の新刊。

自身の半生をネタにして、
精神のバランスを、
哲学によって取り戻せたことを
示す本。

著者の承認欲求からくる悩みや問題は、
多分、多数の方の日常の悩みにつながるから、
この本によって、
つまり哲学の力によって、
多くの方が救われると思う。

しかも、
ルソー、デカルト、
キルケゴール、
ニーチェなど、
かろうじて名前は知ってるけど・・・の
哲学者たちの考えを、
わかりやすく書いてくれてあるから、
めちゃお得な本だとも思う。

私自身は、
著者が見つけ出した哲学のテーマ
「多様で異質な世界の人たちが、
 『相互承認』できる社会。
 そんな社会をどうしたら
 築いていくことができるか」
にとても共感する。

また、そのテーマの元が
自身の成長の過程の中にあることも、
すごくうなづける。

彼は幼い頃、
友だちがいないと思い込んで、
一人孤独感を抱えていた。
中2の頃には、お弁当をトイレで食べて
いたというから、筋金入だ。
子どもの頃から
「人はどうすれば、
お互い分かりあうことが
できるのだろう。
認め合うことが
できるのだろう」
と考え続け、
その答えを、
高校時代は生徒会の活動で、
大学時代はなんと教祖様になって、
見つけようとする。
その姿勢が、当時の本人は、
必死だったと思うけど、
読者としては
めっちゃおかしくって、切ない。

そして、それを追求していくことが、
彼の哲学のテーマになった。


本当に小さな例だけど、
私も、
今、相談の仕事や
アサーティブというコミュニケーション講座の
講師の仕事をしていることの元に、
子どもの頃の葛藤がある。
「家制度」に基づく「後継者」としての役割を
期待されたことは、
当時は苦しくって仕方なかったが、
今となってみると、
「テーマ」を与えてもらったことに
なったと思う。

私はずっと、
個人の思いを持っていいのか?
それを表現していいのか?
相手の思いは、どう考えればいいのか?
相手の思いとの折り合いをつけることは
可能なのか?
という「わかりあう」ことに対する、
問いの答を
自分なりに考え、
そして探してきたと思う。

私は
「建設的な生き方」
「アサーティブ」
「ロゴセラピー」
に出会った。

彼は哲学に出会った。

そして、この本を読むと、
哲学は、
「方法論」的なものより
根本にあるもので、
だから、
哲学の上に立つ方法は、
方法自体をもっと強力にすると思う。


哲学を背景にもった方法論が
なぜ強力なものになるか?

彼は、実用的な哲学というものが可能だと
考えていて、
2つの例で示しているが、
その一つ「信念対立の乗り越え方」が
わかりやすいと思う。

「信念対立」とは、
私が正しいの?相手が正しいの?
どっちよ!!!的なことで、
乗り越えるとは、どうわかりあうかって
ことになると思う。

例えば、アサーティブにはその方法論がある。
「伝える内容の整理方法」
「伝える順序」
「伝え方のポイント」
(アサーティブジャパンでは
 応用編で取り扱う)

もちろん、アサーティブでは
マインドも大事にしている。
そのマインドに、
彼の理論をプラスしたら、
もっと強力になりそうだ。

彼は、
まず自分に
「どうしてこういう信念を
 抱くようになったのか」
と問いかけることを勧める。
そして、その背景にある欲望を確認する。
次に相手の信念の理由と、
理由の背景にある欲望の次元まで考える。

お互い欲望の次元まで遡ることができれば、
「共通了解」が生まれる可能性が出てくる
という訳だ。

子供の頃、
「後継者という役割を拒否したい」
という信念の背景にある欲望は、
多分
「自分のことは自分で決めたい」という
自由選択に関する欲望があった。
両親を含む家の「長女が後継ぎ」という
信念の背景にある欲望は
「家や商売を守りたい」があったと思う。



この彼の理論の背景に
ルソーの言葉
「わたしたちの欲望と能力の間の
 不均衡のうちにこそ、
 わたしたちの不幸がある」
がある。
それはつまり不幸の本質は、
欲望と能力(または環境)の
ギャップだということで、
とすると
不幸から抜け出すための道は3つと示す。

1・能力をあげること
2・欲望を下げること
3・欲望を変えること

上記の例で言うのなら、
自分の「自由」への欲望は、
どのあたりまで下げられるか。
あるいは、それを変えることは可能か、
検討するという選択しが生まれ、
次に、
親(家)の欲望はどのあたりまで
抑えてもらえるのか?、
また変えることはどうか?
話しあうという選択肢も生まれる。

つまり、
お互いの欲望の
どの部分で折り合いつけるか
という対話に繋がり、
「継ぐの?継がないの?」の
二元論ではなくなった可能性がある。




今、
日常の中に、様々な信念対立はあると思う。

夫婦の間では
子どもを持つかどうするか?
家事分担について。
働き方について。

親子の間では
どの学校を目指すか。
ゲームやスマホの使い方について。
一人暮らしするか、親元から通うか。

仕事場では
仕事の進め方。
部下への指導の仕方。
などなど。

そんな時、
哲学は
机上のものだけではなくって、
使用可能な道具にもなる。




手にとった時、
タイトルのイントネーションが
「暦の上ではディッセンバー」に似てて、
くすってした。
その中身は、
面白くって、
深くって、
そして次に読みたいものを呼んでくれた。

あ〜面白い本だった。


















 
author : tanizawa-k
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PTGとPEG

【2016.05.16 Monday 12:48
4月26日の毎日新聞夕刊に
詩人和合亮一氏のコラムがあって、
その記事の中に
宮城県河北新報社が震災後に募集してきた詩の
いくつかが掲載されていた。

「故郷でみんなで
 うんめもの食って 
 とんでもね苦しさを
 笑顔で語り合う
 最高の幸せ」(日野修 「うんめな」)


熊本地震で苦しい思いをされている方々にも、
いつかこんな日が来るといい。

同じ日の朝刊の発信箱
岩手県宮古市立第一中学校3年生の修学旅行の
話題だった。

彼らの修学旅行先は東京で、
スカイツリーにもディズニーランドにも行ったけど、
宮古市出身者が要職にある企業を、手分けして訪ね、
復興の様子を報告し、支援してくれた人々に感謝を
届けて回ったというのだ。

その中の一つに、
同校合唱部の指導に、
震災後何度も足を運んでくれた
「心の花を咲かせよう合唱団」という存在があった。
お礼の気持ちを込めて、
3年生全員で合唱したそうだ。

♪ていねいに生きて 
 いっしょうけんめい生きて
 ひっそりでいい
 心に花を咲かせよう♪

震災にあった時小学校3先生だった彼らは、
義務教育を終える年齢となって、
大切な修学旅行の時間を、
震災を語り継ぐことや、
成長した姿を見てもらうことや、
感謝の気持ちを表すこと、
それらに使う選択ができる人となっている。

なんて素晴らしいんだろう。



本「スーパーベターになろう」の中に、
PTGに関する記述がる。

PTGとは
「ポスト トラウマティック グロース」
「心的外傷後の成長」
という意味。
(よく知られているPTSDは
 心的外傷後ストレス障害。
 その後、
 不安や憂鬱がつきまとう症状)

つまり、
ものすごいショッキングな出来事を経験したとしても、
必ずしもその後、長期に及ぶ問題を引き起こす訳ではなく、
逆に
以前よりもしなやかに、
以前よりも人格的に成長し、
力強く生きていける人もいるということを
PTGという言葉で表す。

まさに、
日野修氏の詩に描かれているのは
そういう人々だし、
宮古市の中3生もそうだ。

私もカウンセリングや研修で、
PTGを体現している方々に
たくさん出会った。

PTGを経験した人が口にする代表的な5つの言葉が
「スーパーベターになろう!」の中にある。
1・優先順位が変わった。
  幸せになるために行動することを恐れなくなった。
2・友人や家族を身近に感じるようになった。
3・自分をもっと理解できるようになった。
  自分が何者なのかわかった。
4・人生に新しい意義と目的を見出した。
5・目標と夢に集中できるようになった。



私自身も、もう約30年前になるが、
母の突然の死や
約20年前になる父の死と家業の廃業は、
相当なダメージだったけれど、
それを乗り越えられた自分のことを、
それ以前よりも信じられるようになった。
(もちろん自分の力で
 乗り越えたのではないけれど。
 たくさんの惜しみないサポートが
 あったんだけど)
つまり「3」に関して、
めちゃ実感した。


ロゴセラピーでは
「苦悩は人間の能力の一つである」という。
「苦悩というものが、
 人間の精神的成長にとって欠くことの
 できないもの」ともいう。

そして、
ここまでは
これまでも知っていたことだし、
見てきたことだし、
実感できることでもあった。




さて、
「スーパーベターになろう!」の中に
もう一つの概念PEGという新しい言葉を
見つけて、とっても納得した。

PEGとは「ポスト エクスタティック グロース」
「恍惚後の成長」と訳されていた。

著者は
「トラウマを全く経験することなく
 5つの恩恵を享受する方法はないのだろうか?」と考えた。
「PTGの恩恵を得られるからといって、恐ろしい喪失や怪我、
 病気、その他様々なトラウマを経験したいと思う人は
 いないはずだ」と。

そしてリサーチ。
先に研究していいた臨床心理学の開業医
アン・マリー・レープク氏のPEG、
「痛みなき成長(あるいは極めて小さな痛みでの成長)」を
見つけたのだ。

「PEGはPTGと同じ働きをする。
 ちがいは、自分でチャレンジを選ばないとならない
 ということだ。
 恐ろしいトラウマに見舞われるのを
 じっと待つのではなく、
 大きなストレスとチャレンジを生み出す
 有意義なプロジェクトやミッションを
 進んで引き受ければ、いつでもPTGを獲得できる」


私は、この春、
ちょっとした新しいことにチャンレンジをした。

準備の段階がとても苦しくて、
なんで引き受けてしまったのかとか、
荷が思い!とか、
何度も何度も考えた。

断ることも可能だったけれど、
あえて引き受けた新しいこと。
それは確かに、
終わってみれば、
今までよりもう少し厚くなった自信と、
今年度は、もっともっといろいろチャレンジしようと
いう自分への期待が増したように思う。

このPEG の考え方は知ってしまうと、
すごくいい。
何かに挑戦することは、
もしも成功したならば、
そのこと自体の結果以上の恩恵があるし、
たとえ失敗したとしても、
挑戦を選んで挑んだことの意義は
得られるってわけだ。

すごい。

成功の反対は
失敗ではなく、
何もしないこと。

そして何かをすれば、
結果がどうであれ、
もれなく「成長」がついてくる。




予期しない、とんでもないことが
起こったとしても、
人間は、
それを自分自身の豊かさにつなげることができる。

そして、普通の日常の中で、
何かに挑むことは、
そのことそのもので自分をの厚みに幅を
持たせることもできる。


なんか、
そう考えると、
とってもとっても卑近な例で
恥ずかしいけど、
私の今の左手は、
ま、私の研ぎ石なんである。

今はこんな感じ。↓パンパン。




 
ジェイン マクゴニガル
早川書房
¥ 2,160
(2015-11-15)

author : tanizawa-k
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こけた。外れた。冒険だ。

【2016.05.06 Friday 18:20
ジェイン マクゴニガル
早川書房
¥ 2,160
(2015-11-15)

「スーパーベター」とは
自信や活力を取り戻すためのメソッド。

著者のジェイン・マクゴニカル氏が、
自身の体験、
脳震盪後症候群から回復する過程で
開発したもの。

いろいろな症状の苦しみの中、
ある日突然、
「自死」か「これをゲームにする」か、
どちらかを選ぼうとひらめき、
「ゲーム」を選択したことがスタート。

なぜゲームだったのかというと、
彼女自身ゲーマーで、
しかも、ゲームの心理学の研究者。
「ゲーマーの心の強さを実生活での問題解決に
応用する方法」で博士号を取得していたのだ。


つまりこの本は、
日常の様々な試練に対して
「これがゲームだとしたら」
と考えて立ち向かう方法を示している。


で、この本の半分くらいのところを
読んでいた5月4日、
コトは起こった。

夫とカルと夕方の散歩をしている最中のコトだった。

4車線の道路を挟んだ向こう側にあるお店に、
以前買い物に行った時、
おいしそうなアイスを見つけてあった。
今日こそは買いたい。食べたい。
信号はまだ青。
よーし、渡っちゃおうと
走り出した途端、
私は派手にこけ、
めちゃ痛くて動けなくなった。

あまりの痛さに、
手を見ると、
左手の薬指がグロテスクに中指の方に曲がってる。
ありえない曲がり方だ。

道行くカップルが「大丈夫ですか?」と声を
かけてくれ、手を見せると
思いっきり同情してくれた。



さてどうしよう?
家まで走って戻っても15分はかかる。
お金は、なんしろカルの散歩が目的だから
500円しか持ってない。

夫が
「すぐそこにある、
 あなたがよく行くブティックで
 お金を借りて、タクシーで当番医に
 行きなさい。
 僕は急いで戻って、カルを家に置いて、
 当番医に車で向かうから」
と。

なんと、素早い判断。

そしてこの時、
私の頭に、
「来たな、スーパーベターゲームの
 プレイチャンス!」
と浮かんだのだった。

これは日常の中の、
ちょっとした試練だ。

人生は、こんな風に、
時々私に問いかける。
こういう試練にどう立ち向かうのか?と。

今回はちょうど、
この本を読んでる真っ最中。
やってみない手はない。



スーパーベターをプレイするためには、
幾つかのルールがある。

その中に一つ、
「パアーアップアイテムを集めて使う」
がある。
夫の機転や知恵は
私にとってのパワーアップアイテムだ。
まずはそれを意識した。


で、
もちろん、痛いよ。
めちゃ痛いよ。
痛いんだけど、
頭の中で、
他のルール
「クエストを探してクリアする」
を意識した。

怪我を治す冒険(クエスト)に
向かっていくしかないじゃん。!私。


ルールは他に
・悪者を見つけて戦う
・仲間を作る
・秘密の正体を持つ
・エピックウインを追求する
などがある。

早速「仲間を作る」だ。
ブティックの店主 さんに訳を言い
2000円貸して欲しいと頼むと、
「何かあったら大変だから」と
1万円貸してくださった。
あ〜ありがたい。

タクシーの運転手さんが
当番医を確認してくれ、
レントゲンを撮影。


脱臼とのこと。

脱臼はそのままにしておいても治らないので、
整形外科の専門医がいる救急医を紹介してくれ、
車で迎えに来てくれた夫とともに、
向かった。

そこでは
「悪者を見つけて戦う」
ルールが大活躍した。
何しろ、受付済ませたのが18時半。
30分経っても1時間経っても診察の番が
回ってこない。

っていうか、
後から来た患者さんが呼ばれたりする。

悪者は、私の心の中にいた。
(どうせ、脱臼くらいのことじゃ、
 待たせとけ、くらいに思ってるんじゃないの!)
(忘れられたんじゃないんだろうか)
と全く勝手に相手を責め、
また、
(なんでアイスを買おうなんて
 思ってしまったのか)
(よりにもよって休みの日に
 こけるなんて、バカだな私)
と自分を責める。

頭の中に、そうやって悪者が出てくると、
私はクエストを思い出した。
(スーパーベターが気に入った理由の一つは、
 悪者の存在を否定しないところ。
 悪者が出てこないようにするというより、
 悪者がいて当たり前的なところがいい。
 だって、ネガティブな感情や考えは、
 湧いてきてしまうものだもの。人間だから)

ふっふ、冒険は、こうやって難題が
あればあるほど、
達成した時気持ちよいもの。

この場合の、
達成を邪魔する悪者は、
勝手な想像で相手を悪く仕立てあげる
「他責大魔王」
(「全ては他者の責任と考る考え方」に対して、
あまりにも暇なので名前をつけてみた)と、
私の中に時々出てくる「ダメダメ虫」
(逆に「全部自分が悪いと考える考え方」)
だ。

これらと戦うために
「仲間」つまり夫とラインをして
気を紛らわすことをしたり、
救急の待合室の様子や人間観察に集中したり、
救急車が入ってきた後に
患者さんを守ろうと一生懸命なスタッフの方々の
気配を感じようとしたり、
利き手でなくってよかったと考えたり、
翌日の午前中に会える友達の顔を思い出して、
深呼吸を試したり、
とにかく
クエストを達成する過程を味わってやろうと
考えたのだ。

結局診てもらえたのは、
22時15分頃。

整形外科の先生は、
救急車で運ばれてくる患者さんの
緊急の対応で大忙しだったようだ。
本当に忙しいし、
神経を使う仕事だと思う。



スーパーベターという考え方は、
ロゴセラピーや認知行動療法や、
マインドフルネスなど、
色々なものを
上手に組み合わせた
使える方法だと、
試してみて、私は思った。



現在の私の左手はこんな感じ。


この手で、
どう料理するか、
どう髪を洗うか、
雨の日に荷物も持って傘をどうさすか、
東京出張はどうなるか、
折れそうになる気持ちは?
・・・
スーパーベターな
ゲームは続く。

本も引き続き読む。楽しみ〜。











 
author : tanizawa-k
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「『やさしさ』という技術」

【2016.04.04 Monday 10:56
4年続けて呼んでいただいてる中学校での
年度初めの学校道徳のプログラムを作った。

その学校の学校目標や重点目標、
そのための短期目標を伺い、
私のできることとの共通部分を考え、
昨日半日かけてパワポが出来上がった。

その作業の間、
自分のことを振り返っていた。

若い頃に行った、
「やってはいけないこと」をした時の
自分の心理状態ってどうだったんだろうか?




いろいろな背景はあったと思う。

小学校低学年の時には、
おばあちゃんが集めていた
一円玉貯金をくすねてしまった。
まだ後先考えることができない、
衝動的な部分が、
私にはあったんだと思う。
もちろん見つかって叱られる。


ちゃんと後先のことを考えられるようになって
確信的に悪いことをしたこともあった。
その時の最終的な決断の背景に、
「どうせ、心が汚いもん」
ってのがあったように、
今考えると思う。

これはニキビが背中にもできて、
見てもらった宗教家から言われた
「心の汚さが表に出てきてる」
という一言に、
そうだと思い込んでしまった背景があると思う。
表面的にはいい子だったけど、
心の中では悪いこといっぱい思ってたから、
肯定せざるをえない納得が
自分の中にもあった。



例えば、
欲しい物がある。
今なら誰も見ていない。
取ってしまおうと思えば取れる。
その時どうするか?

例えば、
ルールを破ってばかりのA男がウザい。
先生に叱られてるのに、まったく
堪えてないのがイライラする。
自分はいろいろ我慢して提出物も出している。
なんでヘラヘラしてられるのか?
ラインのグループからA男を外してやりたい。
その時、どうするか?

例えば、
もうゲームはやめなきゃとわかってる。
宿題してかないとやばい。
でも、あとちょっとだけやりたい。
その時どうするか?


そんな時に、
そのことをやるかやらないかの判断をする時、
人によっては、
それまで浴びてきた言葉は、
大いに影響する可能性がある。

「どうせ、あんたはダメな子だから」
「ズルばっかりして」
「だから友達できないんだよ」
「本当にだらしないね」
「もうあなたのことはあきらめた」

大人が、
本人のためだと思って、
良くなってほしいからこそ
使う言葉だとしても、
それがネガティブな言葉ばかりだとすると、
その言葉を浴び続けた人は、
そう思い込んでしまう可能性は高い。
そう思い込んで、
「どうせ自分はそうだから」と
あきらめてしまう選択をする。



大人は、
例えば
自分もネガティブな言葉を浴び続けながら
成長してきたとしても、
あるいは私のように一回のめちゃ大きなダメージを
与えられたとしても、
まずは、
その中で生きてきた自分の頑張りを認めた上で、
その上で
「自分はネガティブな言葉がけばかりしない」
と決めることが
必要だと思う。
そして、努力をしたいものだ。



私は、
子どもたちに直接話すチャンスを
与えてもらっているんだから、
本当のことを伝えることが大切だ。


どんなことを思ってしまっても
仕方ないこと。
感じる気持ちに善悪はないこと。
なまけたいな、ズルしたいな、
意地悪したくなってしまった、
そういうことは、人間だからあるってこと。
そう思ってしまった自分を
汚いって決めなくっていいってこと。
そう思う自分はダメだって、
ダメ印つけなくっていいってこと。

感情は湧いてきてしまうもの。
でも、
考えと行動は手当ができるもの。

手当とは、
責めることとは違う。

人として間違った方向や、
あとで自分のことが嫌になってしまう方向に、
考えや行動が向かいそうになった時に、
責めるんじゃなくって、
そっと
手を添えるように戻してあげることだ。

「気持ちはわかるけど、
 それやばいよ」って。



やっぱ
私が子どもたちに伝えたいのは、
このことにつきるなあ。

思春期真っ盛りの子に、
自分を肯定していいんだよって
口でいっくら説明しても、
きっとウザいだけだと思う。

だから、どんなこと思ってもしょうがない。
でも、
必要なこと、やろう・・・

工夫して伝え続けるしかない。



・・・・・・・・・・・・・・・

さて、
「『やさしさ』という技術」という本の中から
抜粋。
「『悪い考えを持つのは良くない』という
 メッセージは忘れよう。邪悪なことを考えても
 罪悪感を覚える必要はない。悪いことを考える
 だけでうっぷんが晴れれば、悪い考えを実行に
 移さずにすむかもしれない。」
「私たちは自分の行動をかなりコントロールして
 いる。良い行いを行いをすると決めるのは
 自分自身であり、行動の背後にある動機は
 さほど重要ではない。重要なのは実際に
 どんな行動をとるかである」
 
author : tanizawa-k
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「死んだ金魚をトイレに流すな」

【2016.01.22 Friday 09:28
今週の月曜、雨の寒い朝、
傘はささず両手にゴミの袋をもって、集積場に向かう。
年を重ねた男性がゴミを出してらして、
出し終わった彼は、私のために、
カラス避けの網を持ち上げてくれている。
手袋してない手。
冷たかったと思う。l
私が到着するまでまだちょっと距離があるのに、
彼はそうしてくれた。

水曜は仕事が早く終わった。
まだ明るい時間帯にカルの散歩ができた。
家の近くの電信柱のところで、
6人の男子中学生がなにやら丸くなって話してる。
近づくと、みんなで勉強してた。
中の一人が社会のテキストから問題を出し、
5人で答えるクイズみたいな感じで。
確か問題は「1907年にあったことは?」的な
ものだった。
私はじゃましちゃ悪いから
会釈して通り過ぎようとすると、
気付いた一人が
「こんにちは!」って言ってくれる。
すると全員が気付いて挨拶してくれた。
「寒い中で勉強してるんだね。すごいね」
というと、
「がんばります」とか言ってくれる。


カラス避けの網を忙しい朝、しかもめちゃ寒い時に、
私がゴミ袋をおきやすいように持って待っていてくれたり、
多分高校受験にむけて、きっといつもじゃないと思うけど、
時には誰かと一緒に楽しみながら建設的な行動ができたり・・・。
素敵だなあと思う。

そして、彼らに
「金魚が死んでしまったら、どうする?」
って質問したら、
「トイレに流す」
とか
「生ゴミと一緒に捨てる」
とは言わないんじゃないだろか。

「死んだ金魚をトイレに流すな
 〜『いのちの体験』の共有〜」
という本は、友人に紹介してもらって読んだ本。

ある時、
大好きな友人と、
「人間が行動を抑制するためには
 どうしたらいいか」問題を、
いろいろな角度から話した。
その時彼女が
「くみは、金魚が死んでしまったら、
 どうする?」と訊いてくれて、
「多分、庭にうめる」
と答えたら、
「ある時から
『トイレに流す』って
 子どもが出てきたらしいんだよ」
と紹介してくれたんだ。


この本に書かれていることは、
私が今まで
「子どもとのコミュニケーションの方法」などの
講座で伝えてきたことと同じだった。
背中を押してもらえる内容だった。

この本の中で繰り返し書かれているのは、
ネガティブな体験を一人で抱え込まず、
誰かと共有することの大切だ。

「こうした感情の共有体験を積み重ねる
 ことによって、不安や絶望感を
 『棚上げ』し、『自分はひとりぼっちで
 孤独ではない』ということや、『自分は
 自分のままでいいんだ』と、ありのままの
 自分を受け入れることができるようになる。
 『今の自分でいいのだ』ということは、
 具体的にそう考えたり、そう信じ込もう
 とすることではない。
 あえて言えば、根拠のない自信のような
 ものである。何かつらいことがあっても、
 悲しいことがあっても、どこかで『何とか
 なる』『大丈夫だ』と思える。つまり、
 自分を肯定し、信頼できる感情である。
 いのちの体験を誰かと共有し、棚上げする
 作業というのは、実は自分を信頼し、
 大切に思う心を育てる土台作りなのである」

この文章の中の「棚上げ」という言葉で、
今まで考えてきたことの一部が
すっきりとした。
「棚上げ」だから
「解決できなくっていい」ってことだ。
「先送りしてもいい」ってことでもある。

何かが解決しないうちは、動けない・・・
ってなると、
人間大変だ。
だって世の中、答のでないことって多いもの。

「決められる」ってすごいことだけど、
同じくらい
「あいまいのまま動く」もすごいこと。

「棚上げ」は別の言葉でいうと、
「不快感情を安全に抱える」だし、
「不快感情を自己の中に
 統合できる」という言葉になると
思うが、それを
「棚上げ」ってしたところは
私にはすっきりと落ち着く言葉だった。



「棚上げ」できるためには、
ネガティブな体験(著者は『いのちの体験』と呼ぶ)を、
誰かと共有することを積み重ねることだといっている。

それほんと、そうだと思う。

ころんで、膝をすりむいた時に、
「痛かったね」
って手当てをしてもらうこと。
失恋してやばいときに
「つらいね」
って一緒にいてもらうこと。
失敗して落ち込んでる時に
「くやしかったよね」
とお茶出してもらうこと。

「人は人とありて人になる」だ。

この本の中では、
「三角形の体験」と呼んでいるが、
起こった出来事(A)本人(B)寄り添う人(C)
というABCの三角形で体験する。
ひとりじゃなくって、
起こった出来事を誰かと分かち合うこと、
本当に本当に大事だと思う。

そして、子どもにそういう体験を
持たせてあげるためには、
(C)にも、
そうしてもらった体験が必要だと思う。

子どもの頃に、
ちゃんと受け止めてもらえた体験、
困った時に「困った」って言えたりとか、
「イヤ!」などと言えたりできなかったとしても、
今からでも、
誰かにしっかりと受けとめてもらえる経験を、
どこかでしてほしいと思う。


笑っているほうが、
周りはいいかもしれないけど、
しんどい時には思い切り泣けたり、
もしも死にたくなってしまった時には、
死にたいって言える、
そういう場がある人は、
死んだ金魚を
トイレには流さないのではないか。

命の大切さを説くことも大切かもしれないけど、
それよりも、
自分のそのままのところ大切に扱ってもらった
経験があると、
人は自分のことを大切にでき、
周りのことを、
物を言わない生き物も含めて、
大切にできるんだ。

そんなことを改めて確認した本。

 
author : tanizawa-k
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ちょうどいい距離にいる。その2

【2016.01.02 Saturday 18:06
年末年始に「フィードバック」について考えたのは、
「みんなのきょうしつ」という本で、
伴走者という言葉に出会ったことも大きいと思う。


この本の舞台は小学校。

担任の岩渕先生がクラスで起こったことを
自らフィードバックして(前の記事の②)
それを、
別のクラスの中谷先生がフィードバックする(前の記事の③)
って内容。
昨年末に、
普通に1ページ目から読んだが、
年が明けてから、
どうしても気になり、
中谷先生の部分だけを読み、
その中で、
岩渕先生の実践に、
質問をしたり、
気になったことを書いたりしている部分を
拾い出して、
そこでもう一度岩渕先生の文章を読んで、
そこはなぜ質問が必要で、
なぜ「気になったこと」を伝える必要があったのかを、
考えてみるってことをやってみた。

つまり、
相手を応援し、
相手の成長を願い、
相手を尊重して出す、
より良いフィードバックってものを、
中谷先生の言葉から研究してみたってこと。
(まだまだ研究序の口ですが)

中谷先生は、
ほとんどは、
鏡のように、岩渕先生の実践を
ただただ受け止める。
時々は彼が使ったそのままの言葉で、
時々は自分自身の言葉で言い換えて、
「こういうことをしたんだね」
「こういうことが起こったんだね」
って感じ。
岩渕先生は見ていてくれている
安心感を感じたのではないかなあ。

また
岩渕先生の実践で、
素敵だな、いいな、まねしたいな、感動した
ってことに関して、
めちゃ「具体的に」フィードバックしている。
この具体的ってところが多分、ミソ。
時には「」の岩渕君の言葉を拾い価値づけている。
岩渕先生は、
「おし、これでいい!」と確認できたし、
自信のようなものも感じたんじゃないだろうか。

また、時々は、
「岩渕君は、こうやって、子どもたちを見守りながら、
 進化・変化していく環境を整えている」
というように、
その実践が向かっている方向に
大きな意味付けもしてるんだ。
間違ってないと思うよ!と
軽く背中を押している雰囲気だ。

時々は、
岩渕先生が自身に批判的になっていることを、
リフレーミングしたりもしてる。
「『フィードバックがないと続かない』の話。
 岩渕君が書いているように、コントローラーを
 他人に預けている状態とも言えるし、
 やっぱり誰かとつながっていることが
 学ぶことには必要なのかもしれないな、
 とも思った」
​岩渕先生は、すっごく勇気づけられ、
絶対の味方を感じていたんじゃないか。

つまり、基本、ポジティブなフィードバックを
その時々に、その場面にあった方法で出している。
で、
多分、それは私も、それは得意な方だと思うんだ。


中谷先生のすごいのは、
岩渕先生が何気なくやっていることに、
つっこみをいれてること。

多分、岩渕先生にとっては当たり前のことなので、
自分の中で問いかけるまでもないことや、
気付かずにおおまかになっていることを
見逃さず、
そっと差し出しているんだ。

「『今はそれでいいんじゃないか』の『今は』は
 どこでどう感じて判断しているのか、
 岩渕君の経験観測なところがあるよね、
 そこを言語化できるとおもしろいんだろうな』
とか
「『②振り返り』の中で、内在する力がある子が、
 『より成長した』と感じられるアプローチが
 必要だと書いているけど、(中略)もう少し、
 具体的に知りたい」
とか、
「休み時間の歌の練習のしかたについて、
 ここにきて岩渕君がファシリテーターに
 なったのはどうしてだろう?(中略)
 ちょっと気になった」

つまり、特に中谷先生が指摘してたのは、
岩渕先生が「無意識」になってる箇所。
(「叱る」のような場合も、
 選択肢のひとつとして「叱る」方法を
 とってる場合は、たとえ岩渕先生が
 それを改善点としてあげていても、
 中谷先生は「それもありじゃない」
 とフィードバックする)
岩渕先生が、
経験や感覚的なことでしていることを
できるだけ言語化することにサポート
している感じ。
 (これは一般化につながるなあ)

多分、それを中谷先生がしなかったら、
流れていってしまったことを、
言葉にして、
そこに在るものとしておいたからこそ、
それが次へのヒントになる。
それができたのも、
岩渕先生の細部に渡っての自身のフィードバックが
あったからで、
だから、
二人で協力して
無意識を
意識にあげたってこと。

変えるにしても、
そのまま続けるにしても、
「何を」変えるのか、
「何を」変えないのか、
言葉になっていないと
意識できない。


しかも、
この中谷先生のフィドバックの出し方が、
自分の中に湧いてきた疑問や気になった気持ちを、
なかったことにしないで、
そのまま、すっと率直に出している感じが、
めちゃくちゃすがすがしい!!!
とってもとってもアサーティブ!!!


中谷先生は、岩渕先生から頼まれて
彼のフィードバックにフィードバックを与える役割を
担った。
そういう役を担うと、
役に立ちたくなってしまうがゆえに、
正論を振りかざしたり、
無理してでも改善点を示したくなってしまったり、
評価判断して、
厳しいことを言わなくちゃ的になる場合もあると思う。
たとえば、
「ここの考えが甘かったんじゃないかな」
とか
「ここは不注意だったね」
とか、
表面的には柔らかい言葉を使いながらも、
「あなたの○○がダメ」みたいなメッセージ・・・。
ああ〜言ってしまいそうだ。

そうではなくって、
中谷先生は、
岩渕君をまったく否定してないし、
気負いがないし、
だけど、
建設的なフィードバックをしている。

中谷先生が示してくれた
「伴走者」という姿勢。
それがより良いフィードバックを
出す時のイメージなんだと、
よ〜くわかった。

あ〜モデルがあるって、幸せ。
こういうことをしたらいいんだ!
って分かってありがたい。

「おわりに」で
著者の中川氏(中谷先生役)は
「やりとりを進めている途中で
 岩瀬さん(岩淵先生役)に言われて
 一番驚いたことは、『教室でときどき、
 綾(中川氏)だったらどうするかなと
 考えるようになった』ということでした」
と書いている。

これが、最高の伴走者の姿なんだなあ。

伴走者は
ちょうどよい近さのところにいる。
先にいってひっぱりもしないし、
力いっぱいお尻を押したりもしない。
方向転換させようとしたりも、
前にある石をどけたりもしない。

合いの手をうつように、
時には隣でポンポンと肩をたたきながら、
時には拍手しながら、
時々ハイタッチ、時々ハグしながら、
共に進んでいくパートナー。

初めてすぐの頃は、
実際に伴走者に質問してもらって、
実践者はそれに答えようとする。
それが続いていくうちに、
「伴走者だったら、こんな時、
 どう問いかけてくれるか?」
と考えて、それに答えを出していくようになる。
そのうちに、
伴走者なしでも、
自分で自分に問いかけられるようになる。

これをいったりきたりながら、
人は学び続けていくのかもな。

良いフィードバックが出せるって、
こんな感じのことだろうか?


まだまだ研究を続けよう。
これが今のところの私の考え。


今年私は、
私の中の
特徴のひとつ
「成長促進」
をフィードバックという視点で
具体的にしていきたいのだ。

良いフィードバックを贈りたい。

贈る。
譲る。
そういう年にしていく。









 
岩瀬 直樹,中川 綾
学事出版
¥ 1,728
(2015-10-13)

author : tanizawa-k
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自分の中に「他」を作る。

【2015.12.27 Sunday 20:11
岩瀬 直樹,中川 綾
学事出版
¥ 1,728
(2015-10-13)

多分、成功したときはそういうプロセスを、
失敗したときはそういうプロセスを
踏んでいるんだと思う。

ただ、
ひとつのことで、
ある程度キャリアを積めば、
誰でも成功のための過程がわかり、
失敗してしまった時の原因が
客観的にわかるかというと、
そうとも言えないと思う。

人は経験から学ぶのではなく、
経験をフィードバックすることを通して学ぶ。

このことが描かれている
「みんなのきょしつ」
という本が、
ほんとにほんとに素晴らしい。

著者は
岩瀬直樹氏(東京学芸大学教職大学院准教授)と、
中川綾氏(組織づくりファシリテーター)。

岩瀬氏とは
一緒にワークショップを経験したことがあり、
それで、ここからはゴリと呼ぶ。

ゴリは、
昨年度まで公立の小学校の先生をやっていた。
この本はその15年間の間に、
彼がしていた日々の振り返りと、
それを読んで返事をしていた中川氏のやりとりを
原作にしていて、
いくつかのエピソードを組み合わせたり、
何年かの実践を混ぜたりしながら作った
「ものがたり」だ。
「登場人物もすべてフィクション。
 しかし、そこに起きていることの
 「ねっこ」は本当です」

ゴリは物語上、岩淵先生という役で登場。
日々、
クラスで起こったことや、
子どもたちの現れや
先生の関わりを自身でフィードバックし、
それを同僚(中谷先生/中川氏)に読んでもらい
フィードバックをもらうという形式で
進んでいく。

「ものがたり」とはいえ
「ねっこ」のところは本当って
これだけの具体的なエピソ−ドが
リアルに書けるってことは、
ゴリはほんとに、
日々振り返りをしていたんだと思う。

ゴリは、多分すでに、充分に、
担任が、
どういう目標をもち、
どういう構えで、
どういう行動をすると、
子どもたちの成長に良い影響を与えることができるか、
分かっている。

それでも、彼は、
毎日、振り返ったんだと思うと
それがすごいっ。

丁寧に、
子どもたちの行動を見て、
発言を記録し、
子ども同士の繋がりの変化や、
自分の関わりという「事実」を追う。

振り返るとはどういうことか?
それは自分の中に「他」を作ることだと思う。

事実を記録しながら、
自分の中の「他」の問いかけに応える。

ほんとに、その声かけはそれでよかったの?
あの発問の目的は何だった?
今日の行動は、クラスの目標、
ひいては、この子たちが
未来の社会を作っていくときに、
まずは自分から動こう!とすることを促進してるか?

つまり
めちゃ厳しいことをやっている。

なんだけど、
読んでいると、
これが楽しいんだ。

私は子どもに戻れたら、
このクラスに入りたいと思った。
あるいは、
「担任のせんせ」って仕事は
なんて素敵なんだろうと思った。

圧巻は
彼が「強く叱る」ことを選んで
叱った日の振り返り。

その中に
「今、振り帰りの文章を書きながらも
 なんとか自分のやったことを肯定できないか、
 言い訳を探している自分に気がついた」
という文章がある。

自分の頭の中を流れていく思考を、
何一つもらさず捕まえようとしているかのように、
言語化している。
ずるさも、弱さも含めて、
全部、言葉にしておくことは、
自己の言動に対して自覚的になる
訓練をしてるってことだ。

今までいっぱい素敵なクラスを
子どもたちと作ってきたのは、
偶然や巡り合わせじゃなくって、
ここまでやる?
ってほどの
振り返りで鍛えた、
自分の中に「他者の視点」をもつってことも、
その一因だったんだ!

つまり、
メタ認知の能力ってこと。

この本に出会えた
教師を仕事に選んだ人たちは
(あるいはめざしている人たちは)
幸せだと思う。

「振り返り」は、
特別な能力がなくても、
すごい準備がなくても、
すぐにできるひとつの方法だ。

担任の
経験や
スキルや
人間味みたいなものだけに頼らずに、
子どもと一緒に
安心できるクラスを作っていくためのヒントは、
自分のクラスの毎日の中にあって、
でもそれは経験だけで終わらせてしまっては、
非常にもったいない資源なんだ。

「振り返り」をしていくことで、
調子に乗っちゃって後で悔いるような行為も
少なくなりそうだし、
目の前の子どもは変わっているのに、
以前の成功体験をひきずったり、
感情に巻き込まれて選択肢がみえなくなったり、
自分の中の思い込みに気付けなかったり、
そういうことからの
大きな失敗をなくすこともできそうだ。



でね、で、
大きなおまけがついてきた。

私はモデルをみつけちゃった。
中川氏(=中谷先生)の神フィードバック!。
こんなふうに受け止めてもらえる存在がいると、
安心して振り返られるんだなと思った。
それで、私は、今、
早く冬休みが終わるといいな!なんて思ってる。
学校での活動の中で、
「中谷先生」を、早くやってみたい!!!
うずうずしちゃうのだ。

できるかな?
いや、やるのだ。

・・・・・・・・・・・・・

で、話はここで終わらない。

続いて絵本「きょしつのつくり方」。

「みんなのきょうしつ」と
「きょうしつのつくり方」2冊読もうと
されてる方は、
私のおすすめは、
まず「きょうしつのつくり方」から
読まれるといいと思う。
この絵本は
3部構成になっている。

まずは、絵本部分で、ここには文字はない。
4月にスタートした小学校のあるクラスが、
いろいろな出来事をを経て、
変化しながら3月に至る過程を味わう。
ひとりの子どもを追っていくと、表情が変わったり、
人とのかかわりの仕方がかわっていくことを
感じることができる。

次にガイド編。
どんなことが起こっていたのか
絵に←で言葉で解説してくれてあることで
理解できる。

さらに、著者を含む3人の教育に携わる方々の
鼎談編がある。

鼎談によって、
自分を活かして相手も活かすチームを作るための
ヒントが明らかになっている。

これを充分に味わってから
「みんなのきょうしつ」を読むと、
解説本のように読める。
あ〜あの算数の絵のページの背景には、
こういうプロセスがあったんだ!と、
すごくよくわかるのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「きょうしつのつくり方」の
「はじめに」に
ゴリの望む20年後の社会が書かれている。

「一人ひとりが自分が生きたいように
 生きていられる社会。
 ちがいが大事にされて、
 ゆるやかにつながっていられる社会。
 ひとりでいることも大事にされる社会。
 『助けて』と気楽にいえる社会。
 自分の力が発揮できる社会。
 問題や課題はみんなで相談して
 解決に向かえる社会。」

そんな未来を作れたら、
どんなにいいかと思う。


ゴリは今、
これから教師になる人の育成を通して
それに挑戦していると思う。

彼自身の中にもともとある感性、
その誠実な人柄、
オープンで、おちゃめっぽさもあり、
さらに、素敵な多くの仲間がいる。
どんなことからでも誰からでも学ぼうとする
その姿勢、
誰に対してももっている対等感、
何よりも、人(もちろん子どもも含む)の力を
信じてること。
もちろん、自分の力も信じてること。
私からみるとゴリはそんな感じなんだけど、
そうじゃなくても、
まったく別のキャラでも、
信頼ベースのクラスを、
子どもたちと一緒に作っていくことができるし、
子どもたちが幸せな子ども時代を送りながら
成長していくことに関与できるってことを、
多くの教師をめざす人に伝えているんだと思う。

心から応援したい。

そして、
私は、コミュニケーションのスキルを
提供することを通して、
それをしていきたいし、
ゴリにとっての中谷先生みたいな、
担任の先生のパートナーになることで、
貢献できたらいいと思う。

あ〜興奮した。

ゴリの
「せんせいのつくり方」
をもう一度読んでみよう。





 
author : tanizawa-k
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正しい行動。

【2015.12.05 Saturday 09:19
当たり前だけど
いつも(人として)正しい行動が
できている訳ではない私。
だからこそか、
正しい行動をした人の話には感銘を受ける。

ここのところ、
そのことを考える機会が何回かあった。

まずは以前ブログに書いた、
自分の正しくない行動のこと。
(道で倒れている人を、
 すぐに助けなかった件)


そして
吉本ばなな著
「おとなになるってどんなこと?」
の中に書かれている、
彼女の「大人になった瞬間」のこと。
それは、自分の受診についてきてくれた
父親と祖母に対して、心から感謝できた時。
「おばあちゃんの荷物を全部持ちました。
 ものすごく重かったです。
 これを持ってずっと待っていてくれたのか、
 とまた思いました。
 そして私は言いました。
 『今日はありがとうございました。
  おそば屋さんまでせめてお持ちします』」
「初めて本当の意味で他者を思いやった瞬間だし、
 初めて恥ずかしいとかかっこわるいとか
 面倒くさいとかいう気持ちを脇に置いて
 行動したし、自分の置かれている恵まれた
 環境を客観的に見ることができたときだった
 のです」
で、彼女はおそば屋さんで食事しているときに、
いやなことをいろいろ忘れていることに気付いて
「正しく行動すれば、胸のつかえはなくなる、
 そう感じました」
と書いている。



そして、
借りてきたDVD「グッド・ライ」という映画。
スーダンで起こった内戦による難民が
アメリカに渡り、サポートを得ながら、
支え合って生きていく実話を元にした映画。

3人で支え合っていた仲間。
その中の一人は
内戦を生き延びるためにした間違い
(ただ、それは、彼にとっては罪悪感の元だったが
 果たして間違いかどうか、私にはわからない)
に苦しんでいる。
怯え、自分を責め続ける彼。
大学(?)で勉強し、
講師からも尊敬されるほど賢い彼だけど、
仲間の一人と、ちょっとした諍いから
その「間違い」を指摘されると
逆ギレしたりする。
多分彼は起きている間ずっと、
そのことが頭のどこかにあって、
仕事や勉強をしている時は、
ちょっとだけ隅の方にいってくれても、
大体の時間は頭の中すべてを占めていたんだと思う。
何をしていても、きっと心からは笑えないような
そんな彼。
その彼が、最後、
その「間違い」を取り返すような、
ものすごく勇気ある
人を救う「うそ」をつく。

その後の彼の表情のすがすがしさ!!!
人を救う「うそ」の結果、
彼はすべてをあきらめるんだけど、
彼がたったひとつあきらめなかったのは、
「誇り」だったと思う。
人として正しい行動を選んだ彼の
歩く姿を見ていたら、
もう、ダメだあ、こみ上げてきて、
涙止まらず。

「正しい行動」は
周りにもいい影響を与える。


小学生への授業の後、
質問しによってきてくれた男子が、
「ふざけてばっかりじゃ、
 だめなんですよね?」
的なことを、
友達と肩を組んで、
なんだかちょっとふざけ気味に
きいてきてくれた。
私は、
「うーん、ふざけるのも
 時と場合によってはいいんじゃない。
 でもさ、
 ここではどうか、今はどうかを
 考えられるといいよねえ」
と言った。
「考えるかあ」
とその子は言った。
「その時のものさしの一個として、
 『人としてどうか』ってのは
 大切だと思うよ。
 ま、なかなか難しいけどね」
なんて話した。

子どもに、
堂々と言えるほど、やってるか?自分・・・
だな。



カウンセラーとして、
相談活動している時には、
「正しい」「間違っている」とか、
「良い」「悪い」とか
「善」「悪」とか、
そういう二分化の考え方に、
スペースをあけてもらえるような、
その2つの間にあるいろいろを
拾い上げるような
そんな手伝いをすることが多い。
それはすごく大切な仕事だと思う。

しかし同時に、
時々、
「人としてどうか」
「正しい行動」
を意識したいと思うんだ。

時には、堂々と
正しいことをしたいよなあ。

そして大概、
そういうことをした後、
一番すがすがしいのは
それをした人だ。



運転中、
道を譲れば譲るほど、
晴れ晴れしてくる・・・
って例が卑近すぎ。






 
author : tanizawa-k
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「自分を知るための社会学入門」

【2015.11.13 Friday 19:52
内田樹先生の推薦の言葉を見て
帯買いした本。大正解だった。
もう一度大学で勉強するなら
社会学を学びたいと思うほど。



「メタ・メッセージ」の章では、
社会学の意義を
いろいろな事例で表している。

たとえば
恋人から
「今度の日常どうしてる?」
と訊かれたときは、
「日曜にデートしようよ」
という誘いがこめられていたりする。

「なんかコーヒーが飲みたいね」

「コーヒーいれてきて」

「時計もってる?」

「今何時か教えて」

 (これは、発達障がいの視点で
  考えることもできる) 

人が伝えたいメッセージは、
元のメッセージだけではなく、
そこに込められた意味などがあって、

で、それは、
単純に個人の意識の問題だけではなく、
社会の影響を受けていることも多いから、
「人間と人間」「人間と社会」の
関係を暴き、理解していく社会学が
おもしろいという訳だ。



また著者は
自分の人生初デートの失敗を例にして、
マートンという社会学者の提唱した
「事前の社会化」という概念を説明する。

人生初めて、つまり体験したことなどないのに、
著者と彼が交際を切望していた女性は
なんとかデートにふさわしい状況を作ろうとする。
ま、それは残念ながら失敗するのだが、
大事なのは、
一度もデートというものをしたことがなくても、
知らず知らずのうちにどういうものと
無自覚に学習をしていて、
人間は、そういうふうにふるまおうとするってこと。

こうやって、
「メタ・メッセージ」とか「事前の社会化」とか、
名前がつくと
「ぼんやりとしてかたちで刻まれていた記憶が
 明確に説明され」、
「今現在、未来において遭遇する問題を理解する
 うえで一つの道具を手に入れたこと」
に確かになる。


私にとって、特に興味深かったのは
「『私探し』にさよなら」の章で、
「自分が自分であるためには、
 他者の前に自分を押し出す必要」があり、
「他者からの評価がどのようなものかを
 確認しながら生きている」
という自己像を
「他者との関係において
 『鏡に映る自己』という概念」
で説明していること。

そして、現代を生きる人の一つの苦しみを
「操作された自己と、
 操作している自己とが乖離しすぎたり、
 望むような自己が
 他者の鏡に映らなかったりすると、
 不安でいたたまれなくなってしまいます」
と。

「アイデンティティを確立させなければ
 ならないという呪いから解放される
 ことこそ」
苦しみから解放されるという考えに繋げている。

私の学校での相談の場では
このことが元のところにあっての問題が
多くあるので、
ものすごくうなづいて読んだ。




毎日普通に暮らしていて起こることや、
やってくる出来事、
他者の反応や、
自分の考えなどは、
社会学者たちが、
すでにいろいろな名前をつけて
説明していたことが分かると、
なんだか、すごくおもしろい。

こんなふうに、
ものすごく身近な事例から
社会学の知に触れさせてくれる授業を
うけてみたいと思う。



で、
私は来週、
ある中学校で
「自己理解」について話す。

岩本先生のようにはいかないとは思うけど、
脱線しておもしろおかしい話で「おもしろい」
という授業ではなくって、
中学生たちのもやっとしたものが、
「あ〜そういうことだったのか」
と霧が晴れていくような、

これまでの苦しい辛い体験に、
自分なりのテーマやタイトルが
つけられるような
そんな時間を作れたらいいと思う。


って訳で週末は
プログラム作り!







 
author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor