映画 | 今のところではありますが…
「よりよき人生」

【2013.03.30 Saturday 09:21
フランス 映画「より良き人生」を見た。

学食で働くヤンは、より多くの報酬を得ることができ、
さらに「シェフ」と呼ばれる職場に移りたいと考え、
レストランに面接にいくが追い返される。
しかしそこでウエイトレスをしているナディアという
レバノンから移住してきた女性と知り合い、
交際が始まる。彼女には9歳の子ども(スリマン)がいて、
3人での生活だ。

そんなある日、湖畔にたつ一軒の空き家をみつける。
ヤンは、ここでフレンチレストランを開業したいと思い、
無理をして買い取り、改装をする。
しかし、消防法に違反していたことから開業できない。
直そうにも、資金がないのだ。

ヤンは、頭金さえ借金でまかなうという危険な
借金をしていた。

明日のお金にも困った3人。
ついにナディアは、店のオーナーから好条件を示された
カナダで働くことを決める。ただし、最初の一ヶ月は
部屋を借りられないのでスリマンは連れていけない。
ヤンが預かることになり、
2人の生活が始まる。

行政に相談すると、レストランを手放すようにアドバイスされる。
しかし、ヤンは、それだけはいやだった。

騒音がひどく、環境も悪い、最低の家賃の部屋で、
暮し始める。
それでも、スリマンが万引きした時には、
本当の父親のように叱り、人としての尊厳
みたいものだけは守って生きていたが、
ついに、にっちもさっちもいかなくなり、
働いている学食の冷蔵庫から食材を盗み、
スリマンにも売りにいかせるようになってしまった。
生きていかねくてはならない。

ナディアからの連絡も途絶え、
2人の生活はますます苦しくなり、
結局はレストランを二束三文で手放した。

困難な生活をなんとかしのいでいる間に、
ヤンとスリマンの絆は太くなっていった。
スリマンを母親にあわせたい。
こだわっていたレストランもあきらめた今、
自分たちもカナダに行こう!

そういうストーリー。

この映画の批評のようなものをみると、
「多重債務」をテーマにしたものや
金銭的なトラブルよりも「家族を形成していく」
というテーマのもの。

「お金」のトラブルから家族がバラバラになることは、
実際の社会の中でもあることだと思う。
しかし、この映画は、
短いスパンで考えればカナダとフランスで別れて暮らす
ようになったけれど、
血が繋がっていないヤンとスリマンは、それまで以上に
家族になっていった。
しかも、カナダでの生活は、この映画では詳しく描かれては
いないけれど、もっともっと親子になっていったと思う。

それが希望だと思う。

実はヤンも里親に育てられていて、
本当の父親のやり方ってのは、多分知らない。
でも、彼は彼ができる範囲でスリマンと暮らしていた。

というように、批評家たちがテーマにしていた見方は、
うなずける。


で、私には、もうひとつのテーマが見えてしまった。


「一つのことにこだわることで、
 本当に得たいものが離れていく」
ということだ。

ヤンにとって、「一つのこと」とは、
湖畔のフレンチレストランだった。
そこでオーナーシェフとなること。
そのこと中心に彼の生活は成り立っていて、
それなくして自分の人生はないという
思い込みがあったと思う。

でも本当は、
彼の上位の願いとして、
「幸せになりたい」があったと思う。

だとしたら、
ヤンは学食で、
ナディアはウエイトレスとして働いて、
スリマンと3人の
落ち着いた生活をすることだって、
できたはずだ。

少なくとも、最初に相談にした時にすすめられた方法、
レストランを手放すという決断をしていれば、
そういう生活を送ることもできたはずだ。

しかし彼はこだわった。

その時彼は、
湖畔のフレンチレストランのない人生なんて
考えられなかったと思う。

でも、映画館の椅子に座って、
彼らを客観的に見ている観客は、
そのことがどんなにつまらないことか
分かっている。

教訓を得るとするならば、
うまくいっていない時は、
自分の中にこだわりはないかどうか、
チェックすることだろうなあ。

あれがないと駄目だとか、
あの仕事じゃないと意味がないとか・・・。

私の中にも、時々ぽかっとわいてくる、
そういうこだわり。

そこにこだわるのでなく、
本当にこだわりたいのは、
自分のホントの願い、
「幸せに生きる」ってことだと思う。


・・・とはいえ、
じゃあ、ヤンの人生は駄目かというと、
そんなことない。
貧しくて、心が折れそうになるほどの体験もまた、
彼は翻弄されながら、
なんとかしないとと、
目の前の問題に向かっていった。
そして、その過程の中で、
「親子」ってものを得ることができた。

回り道をしたけれど、
結局は本当に得たいものを得たんだよなあ。

フランスでのことは、
きっとこれから後悔することもあるかもしれないけど、
それでも、後悔することも含めて、
もしかすると、
すごい人生なんじゃないかと思う。


ってことはつまり、
こだわる選択をしたとしても、
それもまた良しってことだ。



いやあ、この映画のこと、
誰かと語り合いたいと思うよ。







author : tanizawa-k
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Who are you?

【2013.03.09 Saturday 20:08
ディンゼル・ワシントンの「フライト」を見た。

機体の故障で墜落寸前だったところを、
その技術で多くの乗客乗組員を救ったウィップ機長。
彼はアルコール依存症。またコカインの常習者。
フライト前日の夜も、当日朝も、
またフライト中もアルコールを飲んでいた。

事故を機体の故障の責任にしたい航空会社と
会社の組合、もちろんウイップ機長。
安全委員会の審査会で、どういう結論がでるのか?
という映画。

(ここから先は、ネタばれ含みます)

しかし、映画の本当のテーマは、
依存、うそ、選択、自由などだと思う。


彼は、飛行機の操縦に関しては天才的な腕前を
持っていた。
しかし、抱えている問題は多く、
元妻や彼女が育てている子どもとの上手くいかない関係、
また、同僚との付き合いや、
アルコールや薬物に依存した生活を送っていること。

事故の後、
6人もの人を亡くしてしまったことからか、
あるいは事故調査に不利にならないためか、
一度はアルコールを断とうとする。
しかし、上手くいかない。

新しく恋人ができたが、
彼女ともアルコールが原因で、
別れることになる。

ポイントのひとつは、その恋人が連れて行って
くれたアルコール依存症の人たちのための
グループミーティングだったと思う。

50人くらいの集まりで、
依存症本人がスピーチをするのを依存症の人たちが
きいている。
「依存症の人?」と会場に質問する。
ウイップ機長以外の人が手をあげ、
彼はいたたまれずに、会場を後にするが、
その時演台からは
「私たちはアルコール依存症だ。
 そのことを認めることだ。
 自分にうそをつかないことからしか
 自分を変えられない。
 うそをついている人は、
 ここにいられないはず」のようなスピーチが
聴こえている。

彼は、
会社を守りたい、つまり、機体の故障の
責任にしたい会社が雇った弁護士の力によって、
事故当日体内から検出されていたアルコールや
薬物反応を、にぎりつぶしてもらうことができた。

安全委員会の審査会前、
組合の仲間によってアルコールを断つこともできた。

弁護士によるうそと、
彼自身の一週間くらいのうすっぺらな酒断ちで、
それ以前の間違いすべてをなかったことにしようと
するごまかし、
審査会当日朝の薬物によるさらなるごまかし、
そして審査会の質問に上手にウソをつき、
うまくいきかけた。

最後の質問さえ、
うそをつくことができれば、
彼はこれからも機長として、
また多くの命を救ったヒーローとして
華やかな、しかし、
ごまかしの人生を
守ることができたはずだった。

しかし、彼は、
そうしなかったんだ。

彼は、最後の質問に対し、
真実を語る。

この時のディンゼル・ワシントンの演技は
素晴らしい。
そういうセリフはないが、
「もうこんな自分はやだ!」と
表情全て言っていた。

それまで私は、
「あ〜そこでアルコールに
 手を出したらだめ〜」とか、
あぶなっかしい子どもを見守るような感じで、
なんとかバレないようにと祈りながら
この映画を見ていたが、
最後の質問に真実を話す彼に、
からだ中の力がぬけるような気がした。



そこで初めて彼は、
自由をつかんだのだ。

アルコールや薬物がないと生きていけない人生から、
自由になった。
ひょっとすると、機長という職業でさえも、
それがないと自分を語れない、
つまり、
何かがないと生きていけない人生から、
自由になったと思う。

また、堂々と責任を負うということで、
その後の人生にあったかもしれない
「後ろめたさ」のようなものからも
自由になった。

しかも、バレてしまって結果的にそうなったのではなく、
最後の最後、自分の選択でそうしたことが
すがすがしい。

監獄で受刑の身でも、
その前のどんな時よりも、
彼の表情は晴れ晴れとして、
安心感がある。

おもしろいものだが、
映画を見ている私でも、
「バレないで!」と祈っている時には、
からだに力が入っていたが、
彼が真実を語った途端、それが抜けて、
つまり、
「バレないように」とウソをついている時、
人は本当に強いストレスを抱えてるんだと思うし、
そうではなくなった時、
初めて心もゆるまるのだと思う。


最後、会ってなかった息子が面会にくる。
理由は、大学進学のためのレポートの
タイトルが、
「最も尊敬する人」
で、
先生から父親に会ってくるようにと
アドバイスされたとのこと。

それを知った時の彼の、
びっくりして、嬉しくて、
たまらなく幸せな表情。

そんな彼に息子はインタビューを始める。

最初の質問は
「Who are you?」だ。

映画は、その質問を考え始めたところで終わるが、
あと何秒かこの映画が続けば、
彼はきっと、
「弱い一人の人間だ」
と答えたんじゃないだろうか。

もう、自分を大きく見せなくていいし、
間違いをおかさない人を演じなくてもいい。

もうウソをつくこと、ないから。





この感想を書きながら、
他人事じゃないと思ってる。
まだまだ時々、
私は仕事のできる人のふりをする時ある。
「できる」「やれる」と自分をだまし、
他者には
「あの人できる」「あの人すごい」
と思ってもらえるように演じてるかも。
そんな時は、バレちゃうんじゃないかと、
めちゃ怖い。安心できない。歯をくいしばっている。

でもね、認識しているのが救いだからさ、
幾度でも「誠実」に戻るぞ、自分。















author : tanizawa-k
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重心の低い覚悟

【2013.02.01 Friday 15:48
「サンデーモーニング」というTV番組の中で、
寺島実郎さんが、
アルジェリアで起きた事件に関して、
今後こういう事件を防ぐために
「重心の低い覚悟」で考るべきだということを
話した。

彼は
自衛隊に関する法改正など武力による解決などに反対する
意見を伸べ、そういう短絡的な考えではなく
「重心の低い覚悟が必要だ」
と言ったのだ。

私は武力による解決はまったく反対だから、
うなずきながら聴いていたのだが、
その後もず〜っと頭の中にささっていたのは
「重心の低い覚悟」という言葉だった。


私は重心の低い覚悟をもって、
学校でのカウンセラーを勤めていると、
正々堂々、胸を張って言えるか?



1月15日くらいからだったか、
静岡新聞で
「いじめ 先生はどこへ行った」という記事が
7回連載された。
大津のいじめの事件について
取材で浮かび上がってきた、
「異変に気づきながら
 最悪の事態を回避できなかった
 学校の姿」
について書かれていた。

その5回目にスクールカウンセラーが
登場する。

「学校がスクールカウンセラー(SC)らの見立てに
 沿って、自殺の理由を(被害者)の家庭 
 問題に求めようとする様子が明らかになった」

「中学はアンケートを基に意見も求めた。
 SCは『亡くなった原因はいろんなことが
 重なったから。いじめと自殺の問題は
 完全に切り離す必要がある』と校長らに
 諭し、『(被害者)は親に否定されたから
 あそこまでいじめられた』とまで言い切った」

と書かれている。

この記事は取材を基にしていて、
正確な事実を積み上げたものがどうか、
私にはわからない。
(昨日提出された第三者委員会の報告書で
 この部分はどのように説明されているか
 ぜひぜひ読みたい)
だが、とにかく、
もしも、このことが本当だとすれば、
SCの見立てで、
被害者の自死せざるを得なかった原因が
間違った方向に向い、
そのことで正しい原因追及に時間がかかる
ことになり、
家族を苦しめ、
子どもたちが落ち着かない日々を
過ごすことになり、
学校のガバナンス能力が問われることになったのだ。

スクールカウンセラーの見立てに
間違いがあってはならない。

その重い課題に応え続けるだけの
資質が自分にあるのか?

私がこの学校のSCだったとしたら、
何ができたか?
面接をせず、
アンケートだけで見立てを求められた時、
それにどう応えたか?

そして、
今の私の4校の学校の中での活動で、
その忙しさを理由にして、
目をつぶってきてしまっていることはないか?

本当にこれが私の精一杯か?

「重心の低い覚悟」という言葉を
知ってから、
同じ問いを自分に繰り返している。




そして今日久しぶりに平日の休み、
たまった面接時のメモを記録にし、
そして、映画「レ・ミゼラブル」を見た。

映画は私に
「それは人として正しいか?」と
と問い続ける意味を
突きつけてくれた。


ジャン・バルジャンは、
慈悲深い司教との出会いによって、
正直な人として真っ当に生きていくことを、
神と自分に誓う。
しかし、一度決心し、誓ったからといって、
迷いがなくなるものではない。
成功を納めた後、
自分の身代わりになって捕らえられている人の
存在を知り、葛藤する。
正直に名乗り出て、その人を無実をはらすのか?
しかしそうすると、現在、自分のもとで働いて
いる人たちが路頭に迷う。どうする?
娘同様に育ててきた宝物コゼットが恋をした。
それを応援するのか?娘は自分のものではない。
応援しなくては。
でもそうしたら過去ある自分はずっと一緒には
いられない。どうする?

 「レ・ミゼラブル」はミュージカルなので、
 この苦しみ葛藤する心の声が
 歌になっていて、俳優たちの迫力もすごい。

とにかく、
葛藤は続くのだ。

ひとつ解決しても、また次の葛藤がやってくる。

そして、
彼が答えを出す時のものさしは
「それは人として正しいか?」だったと思う。


私は、この一度決心し誓い、生まれ変わったとしても、
それでも葛藤は続くということに、
ものすごくチカラをもらった。

迷っていいのだ。
悩んでいいんだ。

一度決めたからって、
スパっとすべてが割り切れるわけではなく、
それでも
迷い、悩むのが人間だ。
葛藤は人生につきものなんだ。


そういう葛藤の日々は、
イザッて時に、
すごい選択をさせる。
自分の過去を知っている警官を
殺してしまえるチャンスの時に、
人として正しい行動を、
この時は何の迷いもなく選べるんだ。

こういう選択肢を選べることが
「重心の低い覚悟」があるということだと思う。



それがあるか自分?

情けないけど、
あ〜悲しい、
ものすごく弱いけど、
絶対あると言えない自分。


でもやれることがあるとすると、

迷いながら、
悩みながら、
葛藤しながら、
「人として正しいかどうか」を自分に問いながら、
自分で決め、
決めたことの責任を
負っていくしかないんだろう。

それをひとつひとつやっていくしかないんだろう。



結局は
今まで通り
「葛藤しながらやっていく」で
落ち着いたんだけど、
この間、めちゃくちゃ苦しかった。

一時は、
仕事をやめたほうがいいかもと思って
しまったよ。


ありがとう、寺島さん、ジャン・バルジャン。

私はがんばってみる。





author : tanizawa-k
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コッホ先生と僕らの革命

【2012.11.11 Sunday 17:47
「コッホ先生と僕らの革命」というドイツの映画を見た。

第一次世界大戦前のドイツが舞台。
イギリスに留学していたコッホ先生が、
帰国しドイツで子どもたちに英語を教えることになる。
子どもたちは、規律を徹底的に叩き込まれ、
教師たちの指示に服従する中で勉強している。
抑圧された毎日。
そこに違和感を感じ、
コッホ先生はサッカーを通じていろいろなことを
考えさせ、経験させようとする。
教室を飛び出し、いつもは集団行動を学ぶ体育館の中で、
ひとつのボールを放した途端、
子どもたちはサッカーに夢中になる。
しかし旧態然とした学校関係者は、
強行に反対する。
日が経つに連れ、のめり込む子どもたち。
しかし、認めない学校。
葛藤しながら、
サッカーを根付かせ、
サッカーを認めてもらうまでの
あれやこれやが描かれている映画。


コッホ先生のぶれない姿勢はとっても素敵だ。

従来のドイツの教育方法のように、
暴力を使ったり罰を使ったりはしないが、
でもダメなことはダメと、
ちゃんと子どもたちに伝える。

たとえば、傷痍軍人の方が来てくれて授業をした時、
すごく失礼な態度をとった子どもたちを、
ちゃんと叱る。

サッカーで大切なのはフェアプレイだ。
授業に来てくれた方に対して、
君たちは果たしてフェアだったか、
と厳しく問いかけるんだ。


ピッチに立ったら、
その中では、
個人は、チームの中でいかに力を発揮できるかが
サッカーの最大の関心事になる。
先輩だから立てるとか、
単純に上からの指示に従う・・・ではなく、
どうやってゴ−ルを決め、
自身のゴ−ルをどうやって守るかが大事。

中田は日本代表に選ばれた時、
自分より年齢が上の選手のことたちも
愛称で呼び、
これからそうしようと!提案したときくし、
年齢や経験や地位なんかがコミュニケーションの
じゃまになるなら、
それは横において、
話し合い、
フィードバックしあい、
より良い戦術を提案しあって、
サッカーのチームは成長していく。

そういういってみれば対等性が問われるスポーツ、
サッカーを、その頃のドイツの教室の中に持ち込むことは、
やはり邦題にあるように「革命」だったんだと思う。


ヒエラルキーの上の方にいる
貴族の子どもも、
貧しくてなんとか食べている家の子どもも、
工場を経営している家の子どもも、
ひとつのボールを追いかけている時は対等だ。

コッホ先生のチームは、
最後、イギリスのチームと対戦し、
本当にひとつになる。
ボールを初めて触った日から、
いろいろあったことは、
決して無駄ではなかった。
あの争いも、
あの挫折も、
この時のためだったんだ!と思わせてくれるような
ラスト。

あ〜素敵な映画だったなあ。


それにしても「教師」という仕事は
特別な仕事だなあ。

今年の春に読んだ記事で
「2011年年度のアメリカの小学校に入学した
 子どもたちの65%は、
 大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」
というものがあった。
 「10年前には『情報セキュリティマネージャー』も
 『ソーシャルメディア・コーディネーター』などという
 職種は存在しなかった」
ほんと、そうだ。
スクールカウンセラーだって、20年前にはなかった。

しかし、「教師」という職業は、
これからも、
他者の人生の大切な大切な登場人物となる、
すごい職業であり続けると思う。

コッホ先生のように、
たとえば貴族の子どもには「親の抑圧から
自分を開放していい」と教え、
貧しくからだが小さく自信のない子どもには、
「からだが小さかったらすばしっこく動くこと」で
自信を持たせ、
子どもたちみんなに、
「本当にやりたいもののために、
 チームワークで乗り切る思考と行動」
を導き出す教師もいれば、

反面教師になる教師いると思う。

それでも、他者に、
これほどの影響を与える仕事!!!

 

今の子どもたちが、20年後社会の一員として
働くようになった時にどんな力があればいいか、
流動的な、予測が不可能な時代だからこそ、
つけてあげたい力は「転移可能な一般的能力」だと
して、
先の記事は21世紀型スキルを提唱している。

サッカーを通じてコッホ先生が子どもたちに教えたことは、
今から20年後の世の中でも、
社会を生きていくための力のひとつになるんじゃないかと
そんなふうに思った。






 



author : tanizawa-k
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「彼だけは私を対等に扱う」

【2012.09.18 Tuesday 10:53
 フランス映画「最強のふたり」を見た。

wikipediaによるストーリー・・・・
パリに住む富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、
頸髄損傷で首から下の感覚が無く、体を動かすこともできない。
フィリップと秘書のマガリ(オドレイ・フルーロ)は、
住み込みの新しい介護人を雇うため、
候補者の面接をパリの邸宅でおこなっていた。
ドリス(オマール・シー)は、職探しの面接を紹介され、
フィリップの邸宅へやって来る。
ドリスは職に就く気はなく、給付期間が終了間際となった
失業保険を引き続き貰えるようにするため、
紹介された面接を受け、
不合格になったことを証明する書類にサインが欲しいだけだった。
気難しいところのあるフィリップは、
他の候補者を気に入らず、
介護や看護の資格も経験もないドリスを、
周囲の反対を押し切って雇うことにする。
フィリップは、自分のことを病人としてではなく、
一人の人間として扱ってくれるドリスと次第に親しくなっていく。
・・・・

という映画。


ドリスは、他者の懐に入るのが本当に上手。
それは、もともと持っていた彼の資質によるものや、
育ってきた環境の中で鍛えられたこと
(子どものなかった叔母夫婦に引き取られたあと、
 叔母たちに子どもが二人生まれ、
 その後、叔母は離婚、再婚し、その再婚した
 相手との間にも何人か子どもがいるという
 環境の中で育ってきた)
があったかもしれない。

ドリスの、
フィリップとのコミュニケーションの
根底にあるものは、「対等感」だと思う。


フィリップは、
周囲の反対の声に対して、
ドリスを介護者に選ぶ理由を、
「彼だけは私を対等に扱う」と説明する。

「対等に扱う」とは具体的にいうと、
どういうふるまいをすることか?

私は、
ドリスがフィリップに対して
「自分の意見を言う」ことが
対等の象徴と感じた。

他の介護者の人は、
フィリップが幻想痛で苦しんでいるとき、
ベットサイドに顔を出しても、
フィリップに「ほっといてくれ」と言われれば、
すごすごその場を去る。
白衣を脱げと言われればそうする。
言われるがままで、
自分の意見や感情を表明せず、
フィリップの指示の通りに動こうとする。

しかしそれは、
フィリップを雇い主として自分より上においたり、
とはいえ、首から下を自分の意志で動かすことができない
「気の毒な人」として下においたりのどちらかで、
ふるまいが対等ではないのだ。

それはこれまでフィリップの誕生会を
企画してきた人たちも同じ。
ただただ演奏を聴く会にしてきたのは、
フィリップに好きな音楽を楽しんでもらいたいという気持ちと、
踊ることをしないのは、それができないフィリップに
申し訳ないという思いがあったと思う。

ドリスは違う。

幻想痛に苦しむ
フィリップを、
自分の考えでまだ明けきらない早朝のパリに連れ出し、
気分転換させるし、
そこでカフェに入って、
お互いのことをいろいろ話す。
質問を憚るような性的なことも訊く。
また誕生会では自分の好きな
アース&ファイヤーの曲をかけて踊りだし、
周りの人も巻き込んで踊る。
それをフィリップはニコニコと笑いながらながめている。

ドリスは
「雇い主だから自分は何でも指示に従わなければ」
だけにとらわれている訳でもなく、
同時に
「障がいを持っている人」とだけの視点でみているのでもない、
雇用者であることは事実、
彼に障がいがあることも事実、
そして、お互い「一人の人間同士」ってこともまた事実。
するべき仕事はするし、
同時に自分で考えてしてあげたいことはするし、
質問したいことは訊くし、
言わない方がいいと自分で判断したことは言わないし、
でも必要なことは言う。
そういうスタンス。

これが、本当に気持ちいいんだ。




最近、義母のアルツハイマーは、
少しずつ進んでいる。

できないことや、忘れてしまうことや、
考えられないことが増えている。
しかし、言葉はしっかりしている。

義母が自分の考えを言うことを、
「そんなことはいいから黙って」とか、
「口だけはへらない」とか、
私の中に、そんな考えが時々湧く。

もちろん口には出さないが、
そう言いたくなる自分は、
義母に対して対等ではないとつくづくと思う。
そして私の中に、
面倒をかけているんだから、
自分の意見など言わず、
だまって従っていればいいという考えがあるように思って、
自分に対してぞっとする。

あ〜なんと簡単に、
他者を下にみたり、
自分を下においたり、やってしまうんだろうか。




「対等」は、
アサーティブのスキルの元になる考え方のひとつで、
大切なものだ。

「最強のふたり」を見て、
「対等な関係」を本当に築けた見本を見ることができた。
この素晴らしさに、
自分の中でエネリギーがふつふつとしてくるのを感じる。

と同時に、
身近な関係の中で、
対等のバランスを簡単に崩すことをしてしまう
自分ってものに対して、
客観的に考えることもできた。



なんと、なんと素晴らしい映画。


DVDになったらまた見ようと思う。










author : tanizawa-k
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「キリマンジャロの雪」

【2012.07.31 Tuesday 22:42


「キリマンジャロの雪」というフランス映画を見た。

労働組合の委員長ミッシェルは、
会社からリストラを余儀なくされて、
対象者20名をくじで選ぶことにする。
権限で自分をくじから外すことが可能なのに、
自分の名前を書いた紙もくじの中にいれ、
自らひき、退職する。
「公平でありたい」と考えたミッシェルの選択を
ヘルパーさんとして働く妻も理解する。
そんなある日強盗におそわれ、
結婚30周年をお祝いしてプレゼントされた
キリマンジャロへの旅行券と現金を
盗まれてしまった。
そしてその犯人は、ミッシェルと一緒に働いていて、
くじで当ててしまってリストラされた若者、
クリストフだった。
彼は父親の違う弟2人の面倒を見ていた。
面会したミッシェルはクリストフに
早期退職者でのんきに暮らしていると責められ、
「職を失って暮らせるか?
 新入りだったから解雇手当もない」
「(公平のつもりかもしれないけど)
 まず金持ちや共働きから解雇、
 給料や労働時間も減らす
 (という方法を思いつかなかったのか)。
 その方が汚い妥協よりましだ」
と言われ、
仲間それぞれの家庭の事情を考えずに行った、
くじが実は「公正」ではなかったと省みる。
そして、クリストフの弟二人の
面倒をみることにする。

ミッシェルは35年間、労組の委員長として
活動してきた。
「グローバル経済や経営者を責めるのは
 簡単だ。でも 勇気とは自らの人生を
 理解し、明確さを与え、深化させ確立し
 社会と調和することだ」
と妻に、
ジョレス(社会主義者・政治家)の言葉を
紹介する場面がある。
活動の目的や自らの経験や信念のようなものに
固執することをせず、
「社会と調和する」という「調和」を
大切にすることがすばらしいと思った。
自分を正当化する前に相手を知ろうと
する姿勢、それが本当にかっこいい。
しかも、そも相手は、
家族や仲間たちから送られた
大事なプレゼント奪った相手なのに、
しかも、労働組合の闘争の歴史も、
戦ってきたからこそ労働者の権利を
ひとつひとつ勝ち得てきたことも、
ろくに知らない相手なのに。
それなのに、彼の言葉に耳を傾け、
受け止め、考えるミッシェル。

またこのミッシェルの妻が自立している。
娘にパートナーの浮気を相談されて、
彼女は
「どうしたいかはあなたが決めるしかない」
と応える。
そして、ママのように自分の人生を犠牲に
しろっていうの?とトンチンカンな質問を
する娘に、
「看護学校をあきらめたこと?
 それは自分で選んだ道よ。私だけの道。
 自分で辞めたの。
 昔も今も自分の人生が好き。
 パパやおまえたちがいたから、
 私が望んでいた世界だったもの」
と言う。

お互いを尊重していて、
自立した存在同士であるミッシェルと妻は、
お酒を飲みながら、
二人は周りからどういうふうに見えるか
なんて話をする。妻は
「二人をみてこう思うかも。
 幸せそう。今まで誰も傷つけてこなかった
 からだわ。人を世話してきたからこそ、
 幸せそう。そう見えるかも」
そう言う。
いいなあ。

そしてそういう二人が出した結論は、
クリストフの弟たちを、
彼が刑期を終えるまで
育てるということ。
会社のことや社会全体のことや、労働者の
人としての権利のことを考えてきた彼らが、
そういう大きなことにだけ捕われずに、
目の前にいる困っていると思われる人に
手を差し伸べる二人が、
まぶしいと思う。

幸せとは
最初は「もらう」幸せ、
次は自分で「できる」幸せ、
さらに「してあげる」幸せ。
これは
イエローハットの鍵山さんの言葉だけど、
「してあげる」幸せを知っている二人は、
豊かなんだと思う。


この映画が私にとってとても良かったのは、
以下の3つ点から。

①最近、労働組合の活動ってことに関して考える
機会があったことで、
だからこそ、
労働組合の同志たちの間の格差の重みを、
なんとなく理解することができた

②自分の意見、考えに固執するのではなく、
相手の意見や考えを知ろうとして、
自分の方法にこだわるより、
最良の方法を考えようとする姿勢のお手本。

③尊敬しあい、生き方を認め合う
夫婦の姿を見ることができた。



6月〜7月は
なんだかばたばたして
映画をあまり見られなかった。
その中の一本が、
こんなに素敵な映画だったことが、
うれしいなあ。







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こうなりたいと思う自分を、今、やる。

【2012.05.28 Monday 22:31
ジョージ・クルーニーの「ファミリーツリー」を見た。
ハワイを舞台にした家族の再生の物語。

妻がボートから転落する事故で意識不明になり、
仕事に没頭(依存?)して家庭を顧みなかった父親が、
次女の面倒を見ながら妻の看病に病院に通うようになる。
これまで母親に任せきりだったから、
どう扱っていいかわからず困る父親。
医者には妻の意識は戻らないことを宣告され、
妻は尊厳死を選ぶことを事前にサインしてあったことから、
生命維持の装置は外されることに。
全寮制の高校にいっている長女を呼び寄せるが、
その娘から意外な事実を聞かされる。
妻が浮気をしていたというのだ。

相手を知りたくて妻の友人を問いつめると、
妻は夫と別れて、その浮気の相手と結婚したいと
思っていたほど夢中だったときかされる。
しかも、その相手は、
自分が管理している広大な土地を
売ろうとしている候補者の義理の兄弟。
不動産業をやっていることから、
その候補者に土地を譲れば、
浮気相手が手数料で利益を得ることも知ってしまう。

そんな中、妻の父親は
一方的に責める。
「こんないい子なのに、
 おまえが不幸にした」
と責めるのだ。
すると、父親をかばう長女。
「パパはこんなにがんばっているのに、
 そんなひどいこと、言わないで」

生命維持装置をはずし、
彼女は亡くなってしまったが、
父親と娘二人は、
この厳しい時期を一緒に乗り越えたことで
距離が縮まり、
三人の日常が新しく始まっていく。

・・・というストーリー。


うわあ!困った、
というストーリーだなあ。

もし夫が何かで意識不明になってしまい、
介護しながら、
今までの自分の夫への態度などを悔いている最中に、
彼が浮気をしていたことを知ってしまったら、
どうしたらいいだろう?

当たる相手は意識不明で横たわっていて、
弁解を聞きたくても、
詫びの言葉を聞きたくても、
うんともすんとも応えてくれない。

つまりもう、
自分へ問いかけるしかないのだ。

この事実をどう受け止めるか。
相手を探すのがどうか。
相手をみつけてしまったとして、
何か行動は起こすか。
行動を起こすとすると、
説明をきくのか、それとも攻撃するか。
それらの事実を知った上で、
どう夫に対応するか。
自分にこのことの責任はなかったか。
今、どうしたらいいか。

この映画の父親は
このことを、
ともに悩んでくれる長女に相談しながらも、
ほぼ一人で自分自身の中で問い続け、
眠れない夜を何日も過ごしている。
でもだからこそ、
「こうふるまおう」という姿を自分できめて、
その先にあるこうありたい自分ってのを、
今、その瞬間瞬間にやったのではないかと思う。

何しろ責めたい相手は言葉がないから、
自分でなんとかするしかない。
相手を責めれば
相手も責めてくる可能性が高く、
そうすると
どう問題を解決するかよりも、
どっちが正しいか論争に入っていってしまいがちなところを、
この映画の父親は
「自分はどうするか」に
絞って考えられたんだと思う。

そして、
どうするか、
どうふるまうか、
自分で決めたことを、
やっていった。

浮気の相手に会いにいき、
妻の命について話し、
妻があいたいと願っていると思うから
会いにいってあげてほしいと話す。

また
土地の売却のことも決めた。

それまでは親族会議の投票で決めるとしていたが、
彼は自分自身で売却しないことを選ぶ。
もちろん妻の浮気相手に利益をもたらすことに
嫌悪感はあったと思うけど、
だとしたら他の候補者を選べばよかったのに、
彼は売却しないと決めた。

先祖が残してくれた広大な土地は、
売却しなければ
ハワイの自然をそのまま次世代へ残せる、
そのかわり、
その土地の権利はあと7年で消滅する。
売却すれば、自分や親族に膨大なお金が入るが、
リゾート開発が進むことになる。

これらも、
浮気相手へのあてつけという
そういうエネルギーではなく、
先祖から脈々と繋がれてきた
ハワイを大切に思う、
彼の中にもともとあった気持ちが、
自分と向きあううちにふつふつと湧いてきて、
その決断をさせたと思う。

自分へ問いかけ続けることの大切さ。

つまりもし、
責めたい相手が意識不明ではなく、
目の前に言葉を持って存在してたとしたら、
どっちが正しいかでも、
どちらに原因があったかを争うのではなく、
まずは、
お互いに自分の頭の中で自問自答をして、
どうしたいのか、
どうしていきたいかを、
せめて自分で明確にしておく方がいいんだな。

そこがないと始まらない。

そして、それに沿ったふるまいをしていく。



とにかくまず、
「こうなりたい」と願う自分の姿がないと、
そうなれない。
「自分はこうなりたい」と考えるのは、
自分しかいない。
考えて、悩んでみつけた「こうなりたい」を、
いつかやるのではなく、今やる。
今、この瞬間にやる。


優しい人になりたかったら、
今、目の前の、白髪だらけの義母を
美容院に連れていけばいいんだよなあ。

めげない人になりたかったら、
今、ランのために着替え始めればいいんだし、
夫を大切にする人になりたかったら、
彼の好きな鳥のそぼろを今晩のおかずにするために、
今、買物に行けばいいんだ。



そのことがラインになってく。





ジョージ・クルーニー演じる父親は、
娘たちにとって、いい父親になると決めたと思う。
ラストシーンはソファーで
TVを見ながら次女とアイスクリームを食べる。
いつかいい父親になるのではなくて、
彼は、長女が隣にきた時に、
ソファの隣に空きを作る。
そして2つの大きなボールを、
3人で譲りあいながらアイスクリームを食べ、
TVをみるんだ。


しみじみとしたいいラストシーンだった。








 







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再チャレンジ。

【2012.05.20 Sunday 20:17
ほっと一息つけた今日、
映画を見に行った。
「幸せの教室」
トム・ハンクスとジュリア・ロバーツってことで、
相当期待してしまったことは、失敗。
ま、おもしろかったけど、
レンタルで十分な映画かな。

でも「再チャレンジ」ってことについては、
とってもとっても考えさせられる映画だと思う。

トム・ハンクス演じるラリーは
ある日突然仕事をクビになる。
今スーパーの店長という役職で、
この上は本部での仕事になるが、
このスーパーでは
本部で働くには大卒の資格が必応。
それがないことを理由にリストラにあうのだ。

彼は再就職のために
知識やスキルを身につけようと、
短大にいくことにする。

スピーチと経済学の授業をとり熱心に
学ぶ。
そしてスピーチの先生がジュリア・ロバーツで、
彼女と恋愛をする、
そういうストーリー。

このストーリーの中の、
この短大の存在が、すごくいいなあと思った。


帰宅後ググってみると、
どうやらこの短大はコミュニティーカレッジと呼ばれる
短大だった。
何歳であっても入学できる学びの場で、
単位を取ることもできるらしい。

ラリーは初日、学生課をたずねる。
すると学生の世話をする立場の方が、
彼の相談にのり、
彼が学んで役にたちそうな授業を教えてくれる。
それがスピーチと経済学だったのだ。

wikipediaには竹中さんのコミュニティカレッジに関する
言葉が紹介されていた。
「私はアメリカの社会には、日本にはない
 セーフティーネットがあると思います。
 ある種、階級社会になっていますから、
 貧しいなら貧しいなりに暮らせる仕組みが、
 アメリカの社会にはあります。
 もう1つは、コミュニティーカレッジの
 システムはすごいと思う。
 あれはようするにセーフティーネットなんですね。
 1回失敗した人が、もう1回上に行ける仕組みです。
  ところがコミュニティーカレッジに行く前に、
 ドロップアウトする人たちが出てきています。
 そのセーフティーネットを強化することだと
 思います。教育の機会均等を保っていくことが、
 アメリカにとっての活力の最大の課題だと思いますね」

セーフティネットとしてのコミュニティ・カレッジという
意味は、ラリーの学生生活をみていて納得がいった。

学ぶこと、
自分の成長を自分で感じられることは、
生きる意欲に繋がっていく。
それが、明日の生活を作っていく。

日本の大学も、
外に開いてきていて、
生涯学習の場を作ったり、
社会人の聴講生を受け付けたり、
企業とコラボして研究や商品開発を
したりしている。

それにプラスして、
アメリカのコミュ二ティ・カレッジのシステムを、
大学が取り入れるといいのになあ!
と思う。
もし既にもっているなら、
それが再チャレンジのきっかけになるような
質にしていくことが必要なんだと思う。

新たにコミュニティ・カレッジってものを
作らなくても、大学が資源になると思うな。


私がもし、また再び大学で学ぶなら、
哲学と教育学を学びたいと思う。

答えのない問いを問い続けてきた人たちの
思想の変遷を知りたいし、
人を教え導くときに知っておいた方がいい
基本的なことを、系統立てて勉強してみたい。


たとえ今の仕事に直接かかわらないこと
であっても、
学びの周りにある様々な体験をすることを
学生に戻って再びやってみたいな!って
思わせてくれる映画だった。


それにプラス、
ジュリア・ロバーツが授業していたスピーチの授業より、
アサーティブ・トレーニングの方が
実際的なんじゃないかな?と思ったぞ。

日本にコミュニティ・カレッジのようなものがあるのなら、
それこそアサーティブ・トレーニングは
人間関係で苦労されて仕事をやめた方の
再チャレンジには、すごくいいプログラムだと思うな。

そうか、
そんなふうに、
学んだり
教えたりできると、
いいよなあ。

//////////////////

と昨晩///の上まで書いて、
今朝クマさんからいただいたコメントを読んで、
「科目履修生」という言葉から、
私の周りの社会人になってからも学び続けて
いる人たちのことが頭に浮かび、

そうか、私みたいに、相当なお膳立てを
期待しているばかりで動かないのではなく、
自分からすすんで学びの情報を得ている人たちは、
すでに大学を利用しているんだなと思った。

大学の後輩は図書司書の資格を取ったという
報告をFacebookでしてくれたし、
もう一人の後輩も、
今の自分の職業のための知識を得るため
しばらく大学に通うといっていた。
少し前に友人は働きながら通信で学び
資格をとったし、
この春チャレンジを始めた友人もいる。

再チャレンジの機会は、
自分から望めばいろいろなところにあるんだよなあ。

ただ、「幸せの教室」でみた、
あの手軽さは、
やっぱりあこがれるなあ。





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重荷を下ろす。

【2012.03.31 Saturday 16:37
3月31日は父の命日。
昨日お墓参りにいってきた。

もう何年も前のことだ。
お寺のお上人様に、本堂で、
「この鞄をもってみてください」
と言われたことがある。
持ち上げると結構重かった。
石を入れてあるとのことだった。
その後元あったところで置くように指示された。
私は置いた。すると、
「重い荷物を背負って歩くのはしんどいですよ。
 もう下ろしていいですよ」
と言ってくださった。

昨日、お墓を磨き、
草を取り、
お花を供え、
お水をかけて、
時間をかけてお墓参りしながら、
父と母に心の中で、
その話をした。

私は二人姉妹の長女に生まれたのに、
名字を継がなかった。
実家は会社を経営していたのに、
父が亡くなった時点で継続せず、
廃業した。
そのことで、
時々は自分を責め、
時々は仕方なかったと受け入れ、
時々は、だからこそ今があると
納得させてきた。
それらは長い間、
交互にやってきていた。

お上人様がその話をしてくれた時は、
まだまだとってもそんな気持ちでは
なかったけれど、
昨日初めてお墓で、
父と母にその話をしながら、
「下ろしていいかなあ」
と思った。



今日は朝から春の嵐。

毎年3月31日は、
お墓参り以外に外出はせず、
静かに過ごしていたけれど、
今日は春の嵐の中、
映画を見に行った。
「ヘルプ〜心がつなぐストーリー」

シートに座った時、
「3月31日に、こういうこと、
 できるんだなあ」
としみじみと思った。

時ってのは、すごいチカラを持っている。
父が亡くなって15年。
こういう日が、私にきた。


映画は人種差別を背景にした物語。
白人の家庭で働く通いのメイドは「ヘルプ」と
呼ばれたらしい。
彼女たちが尊厳を取り戻すために、
勇気を振り絞って立ち上がった過程は
なみだ涙。

ヘルプの一人、エイビリーンは子育て上手。
エリザベスの家庭で働いている。
エリザベスは子どもの世話はほとんどせず、
家に友達を呼んでカードをしたり、
その時に着るドレスを縫うことで忙しい。
子どもを一日に一回しか抱っこしないし、
おむつも変えない。
エイビリーンがおむつを変えて帰宅し、
翌朝みると、そのままの状態になっている。
エイビリーンが着替えさせ、髪を整え、
食べさせ、トイレの躾をする。

何よりも、何よりも、すごくすごくいいのが、
しょっちゅう、子どもに語りかけるのだ。
「お嬢様は、かわいい。
 お嬢様は、かしこい。
 お嬢様は、大切な子」
そして、子どもにリピートさせる。

エイビリーンは人間にとって一番大切なものが
何か知っていたんだ。
それは自尊心。
それを、小さな子どもに、育もうとしていた。

だから、ママに起こられて泣きじゃくっている
子どもを抱きしめて、
「お嬢様は、かわいい。
 お嬢様は、かしこい。
 お嬢様は、大切な子」
と言い、彼女にも繰り返させる。

エイビリーンは、白人の子どもに、
自尊心を育んでいたけれど、
自分自身は、
自分自身の中にある自尊心そのままには
生きていなかった。
でも、最後、
彼女は、それを選ぶ。
その選択が気持ちいい。


でね、
私だってそうだ!って思った。
私の中には、
父や母、祖父母や、おじさんおばさん、
そして実家で働いてくれていたたくさんの
方々によって、
自尊心の種をいっぱいもらってある。

かわいいね。
かしこいね。

そうたくさん言われて育ってきた。

なのに、
いろいろなことがあって、
特に「家」とか「家業」とか、
そういうことになると、
時々は、その自尊心を
どこかにおいてきていたこともある。


でも、もうそんなこと、
しなくていいんだ。
もう、自分のこと、責めなくていいんだ。

その時その時精一杯考えてしたことだもん。
その選択を、ちっとも卑下しなくていい。


私は重荷を下ろしていいし、
自尊心を減らさなくて、いい。


そういうこと考えて、
すっきりしている3月31日。


辛いことも苦しいこともあるけれど、
生きていると、
こういうパっと開けたような一日もあるんだなあ。




























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「決めつけ」が、人と人を離す。

【2012.03.28 Wednesday 13:57
NHKの朝の連ドラ「カーネーション」が
もうすぐ終わりそうだ。

主人公の糸子がまだ幼かった頃、
小林薫さんが演じる父親の
男尊女卑な考え方とそのふるまいに、
私はめちゃくちゃ腹を立てた。

腹を立てながら、
「多様性」ということを考えると、
あの時代、
糸子の「父親」にとって、
あの考え方を持たないという選択肢は
なかなか難しかったのでは?と、
コミュニケーションの講座の講師の仲間と
話したりもした。

あの頃の社会のことを考えると、
当たり前のことだったのかもしれないし、
そう育てられてきた彼が、
考え方を変えるのは相当困難だ。



私は、
カウンセリングの場や、
コミュニケーションの講座の中で、
本当に様々な方のお話を伺うことを
仕事としている。

どの方にも
その方が、その考え方やふるまい方をもった
過程や背景がある。

問いかけに対する「間」も、
過去を振り返っての「涙」も、
全部に意味がある。

100人が、
100通りの過去と背景を持ちながら
生きている。


そのことを、様々な場で実感すると、
私の日常の中で出会う、
どんなに意味不明なふるまいや言葉にも、
その方のそうせざるを得ない何かがあって、
そうしてると考えることが、
できる時もあるようだ。

それを見誤り、
自分とは違う考え方、ふるまい方をする人を、
一方的な「決めつけ」で見てしまうと、
「距離を置く」とか、
「挨拶だけの関係にする」とか、
離れる方向にばかり気持ちがいく。

もちろん、それもありだ。
自分で選んで関係を作っていけばいいのだから、
それでいいけど、
だからって、
もしその人に対する「決めつけ」から
頭の中で攻撃ばかりがうずまいたら、
誰かを頭の中だけでも非難し続けるのは
しんどいから、
やはり「決めつけ」をしていないか、
チェックしてみることは必要だなあ。





映画「マリリン 7日間の恋」を見た。
私はテーマとはまったく別のところに
釘付けにされた。

マリリンは、
自分の演技が映画監督に
受け入れられていないことから、
開始時刻に遅刻をしたり、
台本通りのセリフが入らず、
何度も取り直しをしたりと、
撮影所に迷惑をかける。
そして精神的に不安定になる。
この映画は、
その時に彼女を支えた助監督との
関係がテーマだ。

なんだけど、私は、
本読みの段階から折り合いが悪い
マリリンと監督の間を、
なんとなく取り持とうとする大女優シビルと、
監督の妻ビィビィアン・リーの存在が
気になって仕方なかった。

この年を重ねた二人の女性の描かれ方が、
人としてすばらしいと思った。
その時その時の感情に振り回されず、
その場で必要な行動が取れ、
何より、分からないものに対してさえ、
理解を示せる態度を取る。

お互いの「違い」を受けつけず、
「決めつけ」し合って苦しむ、
マリリンと監督とは、まったく違うんだ。


ビィビィアン・リーは、
仕事が滞る理由が彼女にありながら、
ひとたび、役に入って演技をすると、
スクリーンの中で輝きを放つマリリンを見る
夫のまなざしに嫉妬しながらも、
マリリンに対して、理解者である態度を崩さない。
それが、なんともかっこいい。
夫に対してはその嫉妬を素直に表現するが、
マリリンに対しては、
女優としてのマリリンを
受け止め、認めている姿勢を通すことに
ぶれがない。
それが、
すごくすごくかっこいいのだ。

またシビルがすごい。
マリリンが役に入るのに
何時間も待たされるし、
たった一言のセリフが言えないで、
何度も同じシーンを撮り直すこともあるのに、
彼女はマリリンをかばう。

ハリウッドではなくイギリスでの初めての撮影、
その中で、自分の演技をしようとして葛藤している
マリリンを、
不安がらせるような言動は一切せず、
味方であることを言葉でも伝える。

シビルは、マリリンに
自分に不都合なことを繰り返されても、
マリリンにはマリリンの事情があると、
理解しようと務める。
その上でなんとか演じきりたいと努力を
試みている一人の女優として、
彼女を扱っているのだ。


そうありたいなあ。
いつもって訳にはいかなくても、
この映画の中のビィビィアン・リーや
シビルはあこがれだなあ。



来年度は、
2つの新しい学校で活動することが決まっている。
また新しい出会いがあると思う。
苦手なタイプの方との出会いもあるだろうし、
向こうが私を苦手と思われることもあると思う。

そういう時にどういう自分であるか?
また試されるなあ。

それでもチームで仕事をすることが好きな私だ。
その中で、
一緒に活動する先生の、
先生としてのキャリアや考え方や、
生きてこられた背景など、
いろいろ、いろいろ、考えて、想像して、
「決めつけ」そうになったら自分にストップかけて、
やっていきたいなあ。













author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor