SC | 今のところではありますが…
いろいろでいい。

【2015.12.24 Thursday 13:23

全校道徳の講師として伺った学校から
全校生徒分の感想が届いた。
このときのテーマは
「自分とのコミュニケーション」。

このテーマでの授業は
プログラムが完成してからは
2校でしかやったことがない。

その2校の感想に共通点がある。
①感想が多様
 ほんとに見事に、子どもによって
 ひっかかった箇所が違う。
 そのことにめちゃびっくり。
 一校目の時は、授業時に出張で
 参加できなかった先生が
 担任しているクラスの子たちの
 感想を読んだ際、
 どんな内容だったのかが
 感想があまりにも多様で分からず、
 使ったパワポの資料を見せてほしい
 と連絡がきたほどだ。

②自分の経験を書いてくれる子が多い
 部活でうまくいっていない内容、
 友達と意見があわず自分が変なのかと
 心配していたこと、
 親のことが急にうざく思えてきたけど
 反抗しちゃった後で後悔する気持ちもあること。
 多くの子どもたちが、話をきいて
 思い出したことを、
 あれやこれや、書いてくれてる。 
 「自分とのコニュニケーションって
  具体的にはどうすることだろう?と
  考えながらききました。
  ひとつ思い出したことは、
  何かあったとき、
  自分は自分に『大丈夫』とか
  『次がんばろう』とか言いきかせてます。
  それもそうなのかなと思いついて
  嬉しかったです」
 「ある子と、ある日を境に
  ばったり口をきかなくなりました。
  いつも私はその子にべったりで、
  2人で一つだねと言われたくらいでした。
  今日の話をききながら、
  私は自分のことだけ考えていたと
  思いました。
  相手のことを考えない発言や態度が
  あったと思い出しました。
  そのことをすぐにあやまりたいです」
 「僕は、中学に入って、部活や生徒会や
  クラス、勉強と悩むことが多くて、
  周りと比べていらいらします。
  なんで自分は生きてるんだろうとか
  思ったりもします。
  でも大丈夫だと思いました。
  周りに頼れる人がいることを
  思い出せました」
 私は、読みながら、中学生のしんどさや、
 複雑な心のうちを感じて、
 本当に心から「ゆっくりでいいよお」と言いたくなる。

③自分の改善点を書きながら、
 最終的に自分を認める方向で
 まとめているものが目立

 「私のクラスに、一人で行動できなくて、
  リーダー的な人に逆らえない、
  下っぱみたいな人がいます。私はそれをみて
  敵にまわすのは怖いかもしれないけど、
  もっと勇気をもった方がいいと思っていました。
  少し自分より下にみていました。
  今回の講座では、そうやって差別する
  自分に気がついてしまい苦しかったですが、
  それに気付けたのはすごいことだと思いました」
 「自分は他人に嫌われないように
  一生懸命に自分を偽るときがあります。
  でも完璧ではないので、素が出る時もあります。
  出てしまった素も、受け入れていきたいと思いました」
 「今日の話を聞いて、ぼくには、
  みてみぬふりをする自分や、
  わるいことを考える自分、
  さぼってしまう自分がいることが
  わかりました。でも、最後まで
  たにざわ先生の話を聞いて、
  その自分もうけいれればいいと
  思いました」

④私への改善点を率直に書いてくれてるものがある
 「あと、今日の講座の内容はよかったのですが、
  スクリーンがまったく見えませんでした。
  もうちょっと見やすいと、もっと伝わりやすい
  と思いました」
 「ずっと座っているのもあれなので、
  子ども同士になんかやらせてもいいと
  思いますよ」

他にも、

「正直5時間目だし『ねむくなってしまうかな』と
思ってました。でも話がおもしろくて寝ることが
できませんでした」←これ、めちゃ嬉しい。

「ぼくは今まで谷澤さんがいうように、
自分は自分の物語の主人公だと思って
ましたが、主人公である自分の存在を
あまりにも大きく作りすぎてきたと
思いました。『地球は自分のために
まわっている』タイプだったです。
でも話をきいて、少し他人も大切に
思うようにしてみようと思いました」
←いやあ、「少し他人も大切に」の
 「少し」ってところが正直な感じ
 がして、なんか嬉しいなあ。

「先生の話は、
自分という生き物がどういう生き物
なのか考えさえてくれました」
←そんな時間になってよかったよ

「『怒ってしまう』ということは
『相手を考えられていない』とも
『自分をしっかり主張してる』とも
言える。自分は他とは違う。だからこそ
間違いはないのではないか。親から
与えられた自分の物語を最高にするだけだ」
←リフレーミングのことなど、一言も
 言ってないのに、
 「同じ出来事でも、人によって捉え方は
 違う」という話から、この感想。
 すごい。

「自分で自分のことがわからなきゃ、
 誰もわかってくれない」
←これは、いっぱい書いてくれた感想の
 最後に「 」で書いてくれてあって、
 宣言するみたいで、なんか応援したく
 なる。

「自分には自分なりの考えがあって、
 人には分かってもらえないことも
 あるかのしれないけど、
 意見をもつことができるだけでも
 すごいことだと思いました」
←ほんと、ほんと、ほんと、そう。
 私もそうだと思う。

「誰がなんといおうと、
 自分は自分だと思いました」
←そうだ!その通りだ!彼は
 この後に、細かい文字で
 いろいろ自分のことを書いてくれてる。
 ありがたい。

「自分の感情の変化に興味を持ちました。
『友達と違っていい』とふだん、よく
 言われますが、頭でそう思っても、
 実際違うとやっぱり気にします。
 でも今日改めて、『自分』は『自分」
 と思えて、すっきりしました」
←中学生のときって、違っていいって
 思いにくいよね。でも頭のすみに
 今日のこと、ちょっとだけでも
 置いといてくれるといいな。



このプログラムが私はめちゅ好きだれど、
条件があって、
①1年の間に2回伺うことができる
②1回目は「心の健康とは』か
 「自分も友達も大切にした
   コミュニケーション」を行い、
 その感想を全校生徒分読ませてもらって、
 二回目がこれ



自分は自分だし、
他者と違っていい
なんて、
話の中で言葉で言わないんだけど、
そういう印象が残ってくれていること、
すっごくすっごく嬉しい。


中学生の
「周りと同じでありたい」という想いの
強さは、
いつの時代でもあるし、
それはきっとこれからも
すごく薄くなることはないかもしれない。

ただ、違いを感じた時に、
それを表に出せなくても、
せめて心の中では
「違っていい」ってことを
認めてくれるといいと思う。
せめて自分では、
「他者と違う自分」を責めなくていいって
分かっててほしい。

そんな願いがある。
来年はいっぱいやれるといいなあ。


 
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わるくち。

【2015.12.02 Wednesday 22:40
「友達が他の人の悪口をいってきたら、
 どうしたらいいですか?」

今日、小学校5年生への「心の健康」という
タイトルの授業を終えたあとに
出た質問。


「うんうん、そういうことあるね。
 そういうことあると、困っちゃうよね」
って私は答えた。


自分は、その子のこと、
そんなに悪く思ってなかったりすると、
うなづいちゃうと、同意したみたいになってしまって
気持ち悪いし、
反対に
自分もその子のことイヤだなって思ってた場合だって、
そのことで盛り上がるほど嫌いじゃなかったりすると、
すごく困る。

「悪口いうの、やめようよ」
って言えればいいけど、
「え〜何それ?いい子ぶっちゃって」
なんて言われたら、それも困る。


そんなことを考えながら
その時私が答えたことは・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・


そういう時、
実はいくつかの行動を選べる。
4つくらいの行動がとれる。

1・ごまかす
 他の話をしたり、用事があるふりをして
 その場を離れたりする
2・自分の正直な気持ちを言う
 「ごめん、私、今その話し、ちょっと無理」
 的な。
3・注意する
 「うわさ話はやめとくか」
4・いったん話に乗る
  どうにもならない時は
  乗るしかない時だってある
  (あとで、もやもやを
   大人の人にきいてもらうのはあり)

他にも、
もっといろいろな方法があるかもしれないけど、
今、私が思いついたのは、以上。
で、その中のどれを取るかは、
自分で決めていい。

厳しい言い方かもしれないけど、
自分で決めていくんだ。


・・・・・・・・・・・・

以上のようなことを言いいながら、
バシっと、正しいこと
つまり、
「そういう時は、
 『悪口言うの、やめよう』って言いましょう」
のようなことを言った方が
ホントはいいんだろうなと思った。

でも多分、そういう正しいことは、
先生方が言ってくれていて、
私は今日「先生」とは違う立場の人として
そこに呼ばれたんだから、
私の考えで話していいんだよな
って思い直してた。

後で校長先生に
「そこんとこ、どうなんでしょうか?」
と質問すると、
「正解はひとつじゃないですよ」
って言ってもらえてほっとした。







さて、
この質問に関して、
言い足りなかったことを書いとく。


言い足りなかったこと①
そうやって自分で決めていく時に、
方法(難しい言葉でいうと選択肢)を
いっぱい知ってた方がいいよね。

方法(選択肢)をいっぱいもつためにも、
毎日の中で、みんながもうやってるみたいに、
いろいろ経験することは大切なんだよね。

いろいろ経験すると、
いろいろ感情がわいて、
いろいろ考えるから。

たとえば、

いつも3人で遊んでるとする。
授業で2人組を作る時、
自分はいつもその中の1人と組む。
ある日急にそのことに気がついて、
もう1人の子のことをみると、
クラスでいつも一人でいる子と組んでた。
「悪いな」って思う。
「悪いから、次回は自分が遠慮しよう」って思う。
でも、次の時もからだが動かない。
罪悪感、自分を責める気持ちがわく。
「よし次は、絶対、
 私はあの子と組むね
 って言ってみよう」
って思う。
でも。またできなかった。
「あ〜なんで、私って!!!
 こんなんじゃ、だめだ」

なんてことが、
心を厚くしてく。


そのうち、
「私、今日はあの子と組むね」
って言えて、
そのことで
胸のつかえがとれて、すっきりしたりして、
それはそれで、
心を深くしていく。


同じチームの子が、
いい場面でシュートをはずした。
つい、
「なんでだよ!」
って言ってしまった。
後悔・・・


給食のデザートの缶をひっくり返した。
あっちゃー。
やっちゃったあ。
なんて時に
「おまえさあ、気をつけろよ」
なんて適当に責めながら
雑巾もってきてくれた子。
軽く責めてくれたの、
結構助かった。
しかも、一緒にかたづけてくれたし・・・
感謝。



他者のことを考えたり、
気持ちを想像したりすることは、
心を厚く、深く、大きくしていく。


いろんな方向から
考えられるようになる可能性がある。



言いたりなかったこと②
悪口をききたくないって思ったら、
自分が言わないってのは、
結構有効。

他者のことはコントロールできないけど、
自分の行動についてはコントロールできる。

自分が言わなければ
悪口をきかされないって保証はできないけど、
せめて
自分がやれることをやっていこう。


そういえば今日、
授業が終わってから、
子どもたちが
わらわらと質問に寄ってきてくれて、
その中の一人の男子が、
「意地悪をしないって
 自分で決めて、
 そういうふうに自分を
 変えていけばいいんですよね」
と確認しにきてくれた。

「うんうん、そうだね、
 そうできたらいいね」
って私は答えて、
その子の頭をなででしまった。



「悪口」
ってことだけでも、
結構なテーマになる。

プログラム、できそうだ。





・・・・・・・・・・・・・・
という訳で、
10月から続いていた、
いろいろな学校での
全校道徳や
学校保健委員会の講師の仕事が
一旦終了。

清水の「Cafe 中川」さんのランチに
何度か助けられた。
今日もそう。
















 
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寂しがりや。

【2015.04.15 Wednesday 20:41
今晩の夕飯のメニューは
ごはん、もやしと油揚げのみそ汁、
メンチカツ、サラダ、
練り物、生青のり だ。

こう決めて、
とりかかる時の段取りが好き。

まずは玉葱をみじん切りにして炒めて冷ます。
その間にお鍋でお湯をわかし、
沸騰するまでの間に、
卵をといて、牛乳を混ぜ、パン粉をしとらせておく。
沸騰したお湯に出汁をとるための鰹節を入れ、
煮出している間に、油揚げを細く切る。
冷めた玉葱としとらせたパン粉とひき肉をまぜて、
丸めておき、
出汁のために鰹節をこす。
出汁の中に油揚げともやしを入れて煮て、
その間に、メンチのために
小麦粉を出し、卵をといておく。

こんなことが好き。
うまく運んで、
手持ち無沙汰な時間がなく、
台所仕事を終えると、
すごく気持ちいい。

母は、
作り終えると、
道具まで洗い終えているような人だった。
私は、とってもじゃないが、そこまでは無理だ。
母は私以上にせっかちだったんだと思う。

私の「せっかち」は
以前より一層色濃くなってきた。

こんなふうに
段取りしてどんどん進めるっていうふうに、
せっかちが良い方に出る場合もあるし、
あわてて忘れ物したり、
しくじったりと、
ダメな方に出ることも、もちろんある。

子どもの頃から
あれほど注意されてきたけど、
ちっとも直らない。
もちろん、それを補う方法は
いろいろ身につけてきたけど、
「せっかち」自体は直らない。



うちの犬カルは、
めちゃ寂しがりやで甘えん坊だ。
先代バーニーも
出かける時に多少は騒いだが、
カルは、もうこの世の終わりのように
さみしがる。
朝、夫が着替え始めると、
すがりつくような感じだし、
夫が出かけてしまうと、
私に訴える。
私のそばを離れず、
膝にのろうとする。
お化粧を始めると、それは出かける前の準備だと
彼女はもう分かっていて、
騒ぎ始める。

そんな彼女を一人にするのは
本当に辛いけど、
ドアを閉める。

先代バーニーは気位の高い犬で
抱っこなど、成犬になってからは
ほとんどしたことがないが、
カルは抱っこをせがみ、
ソファーで抱っこすると、
そのまま寝てしまったりする。
夫はそんな私をみて、
「あなた溺愛だね」と言うが、
溺愛で結構!って感じだ。

カルは「寂しがりや」で「甘えん坊」だ。
それを変えようとしても、無理だ。
「寂しがりや」で「甘えん坊」の
カルと、どうつき合っていくかが
私たちのやることだ。


そういう生来、
その人(あるいは犬)自身が
もっている傾向がある。
それを変えようとしても、
なかなか難しい。
それを、
できれば生かしながら、
生かすまでは無理な場合は
折り合いつけながら、
どう生きていくか。


「慣れるのに時間がかかる」という
傾向がある方にとっては、
この季節はなかなかきついかもしれない。
でも、
「なぜ慣れないんだ!自分」
と自分をののしっても、
慣れるのが早くなる訳ではなし、
だとしたら、
「この時期は、時々自分をゆっくり
 させてあげる時間をもちながら、
 失敗があったとしても
 仕方ないって思いながら、
 なんとかすごそう」
くらいな感じでいけるといいと思う。

「せっかち」な私は、
同時に「不注意な部分」もいっぱい
もっているし、
「片づけ下手」もある。
そういう自分とどうつきあっていくかだ。

「計画をたてるのが苦手」や
「全体がわからないと不安」や
「納得しないと行動できない」や
「急な変更は受け入れられない」や
「初めての人とは、話すのがおっくう」や
いろいろな生来自分の中にある傾向と、
どうつきあっていけるかは、
良い人生を生きていく鍵だ。




生来の傾向と共に、
生き物として抗えないものもある。

たとえば私の場合、
今回の種子骨障害もそうだし、
老化もそうだ。

白髪も
忘れっぽさも
体力も
老眼も、
それに対抗したり、否定したりしても、
どうにもならない。
やはりどうつきあっていくかは
ポイントだ。

で、老化に関しては、
これまで生き物として
そして社会的な動物として
生きてきた中での知恵や経験が
ある程度蓄積されているから、
とまどいはありながらも、
調整していける。
がっかりしながらも、
受け入れながら
日常を生きられる。

ただ、思春期の時の
からだに起こる変化は、
10数年の人生の中で、
初めてのこと。
感性や衝動など、
生き物としてのパワーが強い子ほど、
きついんだろうな。

それを、
カルをみていてつくづく考える。
今、彼女は
初めての発情期を迎えている。
これからしばらくの時期、
彼女の中では
子孫を残すために生殖行動をすることが、
遺伝子に組み込まれた
優先順位の一位。

自分のからだの中に起こっていることが、
なにがなんだかわからない混乱を
彼女が感じているのが分かる。

トイレの失敗も多くなり、
なんとなく元気もない。

不安そうだ。

そんな中、
やむにやまれぬ衝動と、
ともにいるカル。



私の活動している中学校、高校で
出会う子どもたちは、
まさに思春期真っ最中。
からだの成長と心の成長の
アンバランスが、
認知や感情や行動に、
様々なことをしかけるのは、
人間も生き物だからこそだ。

そこをどう乗り切るのか?

カルに対して、
何もできず、
ただただ見守る私。

保護者の方も、
子どもが大人になっていくこの過程を、
どうやって見守ってあげられるか、
どうしてあげればいいのか、
しんどいこともあるだろうし、
不安も迷いもあるだろう。
思いっきり気も心も使うんだろうな。


さあ、
今日から高校での活動が始まった。
来週から
中学、小学校も始まる。


子どもたち自身はもちろん、
彼らを支える保護者や先生方が、
思い通りにならないものは受け入れて、
コントロールできることを
コントロールするように努力していくことを、
私なりにサポートしていこう。


さ、スタートだ!!!




飲みに出かけた夫を
階段の上で待つカル。↓








 
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「でもね」というより「だよね」から。

【2015.03.06 Friday 19:24

子育ての講座に参加してくださった
Aさんは、2人のお子さんを育てるお母さん。
学校の役員の仕事などを
責任もって果たそうとされる
本当に素敵な方。

その方が子育て講座参加後の変化を
話してくれた。
(この話をここに書くことを許可いただきました)
それまでは、
「早く〜〜〜しなさい」
「ちゃんと〜〜しなざい」が多かったけど、
それをやめてみたんだそうだ。

子育て講座では、
まず気持ちは受け止めて、
行動に関しては、
指示したり、相談したり、アドバイスしたり
しようってことを、
繰り返しやる。

たとえば、
「あ〜もうやだ。
 塾いくの、やだ」
と子どもが言ったら、
「そんなこと言ってないで、行きなさい」でも、
「だめだよ、休んじゃ」でも、
「そうやってまたなまけようとしてるね」でもなく、

「そうかあ、いくの、いやなんだ」と
一旦は受け止め、
「じゃ、何時に出る?」
と行動は応援してあげよう!
って感じ。


Aさんは、それをやってくれた。

幼稚園の年中さんの娘さんが
お片づけが苦手なんだそうだ。
これまでは「早く片付けようね」というと、
「だってまだ遊ぶもん」という会話が多かったそうだ。
Aさんは夕飯の支度をしながら、
ちらかったままの部屋を見ると、
だんだんイライラが募り、
「早く片づけなさい!」と
大きな声になってしまっていたんだそうだ、

私は、大きな声になってしまうことが
あったとしても、
全然いいと思うけど、
でも、Aさんは、
そうじゃない方法を考えた。

そこがすごい!
ほんと、すごい!

娘さんを変えようとするのではなく、
自分の方法を変えて、
娘さんの行動にいい影響を与えようとしている。

「もうすぐ夕飯だよね?
 どうしようか」
と言うと、
案の定娘さんは
「だってまだ遊ぶもん」

その次のAさんの対応がすごいんだけど、
「そうか、遊ぶんだね」
(受け止めてる!!!)
でもそのままでいいにしてしまわないで、
「使わないものだけ、カゴに入れよう」
と一緒にカゴに入れることを
何日が続けたそうだ。

そしたら、
ある日、
夕飯の支度をしているAさんの目に
さんざん遊んだあと、
一人でカゴにおもちゃを入れている
娘さんの姿が飛び込んできた。

 えええっ?
 私が何も言わないのに、
 自分で考えて、自分から行動してる?

Aさんは嬉しくって嬉しくって、
娘さんを抱きしめて、
「お母さんが何にも言わないのに、 
 自分で考えてお片づけして
 エラかったね」
と言ったそうだ。


この件をまとめて、
彼女は私に、
「『でもね』じゃなくて、
 『だよね』から始める
 会話にしたほうがいいんですよね」
と教えてくれた。

こんなに分かりやすい言葉で
まとめてくれたAさん。


親「宿題まだやってないでしょ、やりなさい」
子「あとでやるし」
親「でも、いつもそういって、
  結局遅くなって、困るのはおまえでしょ」

親「ママ、これ買って」
子「でもね、今日はもうひとつ買ったでしょ、
  何個も買えないよ」

そういう会話が、絶対悪い訳ではない。
ただ、違う方法を知っておくのも悪くない。

「でもね」の次にくるのは、
相手を否定する言葉がほとんどだろう。
それとは逆に、
「だよね」は、
相手を受け止める言葉だ。

ちょっとだけ同感の匂いがするから、
同感できない時のために、
「そうなんだね」
という、
共感を示すような言葉ももっておくのも
いいかも。


「だよね、今やりたくないんだね。
 おし、何からやる?」
みたいな。

「だよね、ほしいの、わかるよ。
 次はそれ買おうか」
みたいな。


これは、大人同士の会話にだって
使える。

夫「あ〜もう、
  また上司が言いたいこと言うし、
  おれがどれだけ企画だしても、
  却下だよ」
妻「でもさ、それ乗りこえてこそじゃん」

というよりは、
「そうなんだ。
 それはしんどいね。
 出し続けてるってすごいじゃん」


妻「は〜、またママ友のランチで
 なんだか疎外感だよ」
夫「でも、おまえが行くからだろ?
 なんで断らないんだ?」
妻「断れる訳ないじゃん」
夫「じゃ、文句言うな」

というよりは
「そうか。それはやだったな。
 子ども繋がりは、大変だな」
なんて言ってもらえたら、
「もうちょっとがんばってみようかな」
なんて思えたりする。


人は否定されると、
自分を守るために
心のシャッターをおろしたり、
スルーして聴かなかったことにしたり、
言い訳しようとすることが多い。
なので、そこにある問題そのものの
解決に近づかないこともある。

受け止めてもらえると、
安心して、
自分でどうしたらいいか考えられるもの。


Aさんに教えてもらった
「『でもね』というより
 『だよね』から」
これ使えるようになると、
楽になる人多いだろうな。

ありがと、Aさん。






 
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今日は決めない。

【2014.10.24 Friday 09:31

「今日は決めない」ということを決めた
会議を行った。

教育の現場でのことで、
ある学年の先生方との会議だ。

なぜ「決めないと決めた」というと・・・

・半月ほど前に開催した会議で
 一度結論が出たのだが、
 何人かの方の中は、迷いながらの結論だった。
 その後、現場の中で想定内ではあったけれど
 問題が起こった。
 ↓ 
・再度検討しようということになった。

という流れだった。

再度開かれた会議の中では、
A案(決定していたこと)
B案(別の意見)
があり、
それぞれの意見をきいたあと、
全員の意見を発言してもらった。
参加された先生(ほぼ学年の先生全員)が
意見を発言くださり、
2案に集約はされるけど、
多様な、温かく、表現は違っても
子どもたちへの想いを感じられる、
そういう意見を聴く機会となった。

その中で、
ある先生が
前回の決定の過程では、あまり深く考えていなかった
ことを正直に告げてくれた方がいて、
「誠実」であることのパワーを感じた。


この会議のテーマは、
ある子どもの指導方針にかかわることだ。

今回の会議の結論は、
どちらかに決めない、
全員で考え続ける。
ただ、期限があることなので、
ぎりぎりのところで担任の先生が決める。
担任の先生が決めたことは、
それがどちらの案であったとしても、
学年全員で応援しよう!
ということを決めた。

担任が決定するために必要なことで、
協力できることはないか質問された方がいたり、
会議終了後には、協力を申し出ている方もいた。

若い先生にとっては、
キャリアのある先生の教育観のようなものに、
ちょっとだけだけど触れる機会になったと思う。
それから、どの意見も大切に扱われる場の
温かい空気を感じられる機会にもなったと思う。

そのポイントは、
あの最初に正直に話してくれた
前回はあまり考えていなかったことを
告げてくれた先生のおかげだったように思う。



私も会議の最後に、
先生方に謝った。
前回の会議の時に、
結論を急いだ私は、
ある程度のところで「専門家」としての意見を述べた。
「専門家」としての意見は、多分強いから、
それ以降B案をもった方々は、
多分言い難くなったと思う。
「今日のように、あの時全員の意見を
きかせてもらえるようにしなかった
私は責任がある。本当に申し訳ない」
と頭を下げた。


会議の質って、
何を決めたかってのも大切かもしれないけど、
実は「どう決めたか」なのかもなあ。

決めたけど、もやもやしている人が多いと、
結局実践に結びつかないことが多いし、
何かひとつ問題がおこるとぶれることもある。
でも、充実した話し合いの時間をもつと、
明確に決めなくても、
自主的に動けることもでてくる。
そして、また開けばいい。

この会議の時間を共有した先生方は、
成熟したチームへのステップを踏んだと思うし、
その場にいることができたことを
とってもとっても幸せに思う。



効率的で、結論がでて、役割分担できて、
次までに何をどの程度やるか明確になる
そういう会議は必要だと思う。
ただ、時々は、
こんなふうな、きちっとしてない、
ぼんやりとしていて、あやふやな、
そんな会議もいいのかもなあ。
私はそんなふうに思う。




 
author : tanizawa-k
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ハアハア言いながらも。

【2014.10.10 Friday 09:17
特に思春期の子どもたちに対して、
心は当然不安定ながらも、
それでも、なんとか毎日をやっていけるように、
そう考えながら、
学校の中で相談の仕事をしてきている。

その16年の活動の中で、
学校保健委員会などでの講師の仕事を
ハアハア言いながらやってきた。

迷いながら、
自信もないまま、
それでも、
今何を伝えたいか、
子どもたちにどのことをどう伝えたら、
ちょっとは安心してもらえるか、
やってきた。

そうやってやってきて、
時々ギャフンとなるようなショックな感想を
もらうこともあるし
(ま、それは勉強になるのだが)、
時々、報われる思いをすることもある。

最近の嬉しい反応を2つ。


1つ目のこと・・・

10年くらい前になるのかなあ?
「親友はじぶん」というタイトルの絵本?を
手づくりした。


私が文章を書いて、
知人の真島タケシさんという方が絵を描いてくれて
デザイナーの中村裕輔さんが構成してくれ、
その頃活動を共にしていた
「静岡市民総目利き化推進委員会」という街づくりの
仲間が製本を手伝ってくれた。

中学で相談員として活動していた私は、
その年の卒業生にプレゼントする目的で
作った。

内容は

親友がほしかったら、
まずは自分の親友になってみよう。
そのためには自分のことを
よく知ることが大切。

自分のことをよく知るためには、
いろいろな体験があるといい。
いろいろな体験は
客観的になれる時間を作ってくれ、
そのことは自分を確認できることと
繋がる。

まず、体験は他者との出会いを、
自分にもたらす。
他者と出会って、
その他者との違いや共通点などから、
自分が見えてくる可能性があるのだ。

また、いろいろな体験をすると、
自分の中にいろいろな感情が生まれる。
そのことからも自分が見えてきやすい。
たとえば、
自分の作ったものをばかにされ、
すっごく悔しくなったとしたら、
そのものがめっちゃ大切だったか、
あるいは自分は他者に認めれたい
思いが強いか・・・って
考えるきっかけになる。

そうやって自分のことを知って、
親友にみたいに思えると、
自分のことを大切にできるようになれそう。
そして、自分のことを本当に大切にできて
初めて
他者のことを大切にできるようになる。

・・・

みたいなもの。

この絵本をパワポーイントにしてあって、
ある中学校で学校保健委員会の講師をつとめた時、
読み聞かせした。
昨年の6月だ。

昨日、その学校の職員の方から、
その中の一部をお便りに使ったという連絡をいただいた。
↓の部分。


こういう反応って、
なんて嬉しいんだ!!!と思った。
私の作ったものが
その方の目の前の子どもたちに必要なものとして
使ってもらえること!!!

さらにそのお便りは、
あるクラスの先生の目にとまり、
その先生の目の前の子どもたちに必要だと
その先生が考えられて、
学級たよりに掲載してくれたものも、
同封いただいた。


他との出会いは、
エネルギーがいる。
でも他と出会うからこそ、
得られることの大きさは
はかりしれない。

そのことを、
その先生方が伝えたい!って思ったとき、
役立てたかもしれないこと。
よかった。



2つ目。
9月の終わり、ある高校で講演をした。
この高校は日常、活動はしていないが、
講師として依頼くださった。
「心の健康」についての講演をしたが、
昨日、感想が届いた。

これは中学校でやっている、
まず生徒に「心の五七五」を書いてもらい、
それを私がカテゴライズして
心の健康に結びつけて話すものの、
高校生バージョンだ。

その中の2枚にめちゃくちゃ励まされた。

「紙には本音が書けると思った。
 なので、紙に書くことは良いことと
 思った。(途中略)
 (今日の話は)今までの自分には無かった
 考えだったので、いろいろな話を聞けて
 とてもよかった」

この方に、他の人の個性的な五七五が
届いたということだと思う。
そして本音を表現することのすっきり感や、
他者の本音を知ることも、
それほど怖いことじゃない
って分かってくれたように思う。
また、彼が今までは、
もしかしたら「書く」ということを
あまりしてこなかったかもしれないけど、
これから、何か自分の中にぐちゅぐちゃとした
想いがたまってしまった時に、
書いてみるという選択肢ができたとしたら、
すごくいいなあと思う。

高校生ってすごいなあと思うのは、
頭の中に自分にとって必要な言葉を
メモっておいてくれて、
それを、結構正確に感想に書いてくれていること。

ポイントになる言葉は、
パワーポイントで作ったものに映しながら話したから、
目からの情報もあって、覚えやすかったのかな?
この表れは、7月に行った高校でも、
そうだった。
このあたりは、中学生と違うところだ。


もう一枚の感想。
「自分たちが作った川柳を使って
 話してくれたので、
 珍しく眠くならなかったし、
 面白くて笑えたし。
 こういう講話だったら
 自分のためにすごくなるし、
 いくらでも聞いてられるなって
 思いました」

ありがたい感想!!!


この生徒たちが作った五七五を使った講話は、
実は準備が結構時間がかかる。
カテゴライズすることや、
それをタイプすること、
話の流れは作品が集まらないと作れないし、
かといって、子どもたちが作品を作ってから
講話まで長く時間があいてしまうと、
生徒たちの「今」を捕まえられない。
だから、大変なんだけど、
でも、プログラムができていくプロセスを含めて、
実はめちゃ楽しい。
生徒の作品に笑ったり、泣けたり、
感心したり、はっぱかけられたり。
当日も緊張はするけど、
一枚一枚、いろいろな想いをもって
選んだものなので、
それを作った生徒と対話しているように
話せる気がする。

だから、この高校の校長が、
講演のあと言ってくれた言葉
「ライブ感があった。
 生徒たちとやりとりしながら
 すすめている感じがあった」
は、私にとって最高の褒め言葉だなあ。



・・・というふうに、
試行錯誤しながらの
子どもへのプログラムだけど、
続けていると、
時々、報われる。
べつに私が報われることが目的じゃなくって、
なんとか子どもが安心して生活してもらえる
ようになればそれでいいんだけど、
それでも、こういう瞬間は、
やっぱ、嬉しいなあ。





 
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あふれてしまいそう。

【2014.10.06 Monday 18:54
小学生への「心の健康」の授業のことを考えていて、
このことが必要なのは、大人も同じだと
つくづくと思う。


「悲しい気持ちや、
 心配な気持ちや、
 怒りの気持ちなどが、
 心の中にいっぱいになってしまうと、
 誰かにぶつけたくなってしまったりするもの。

 できるだけ、そういう気持ちにならない
 ようにしたいけど、
 人間、そんなにうまくはできない。

 大切なものをなくしたときには
 悲しい気持ちになるし、
 うまくいくかどうかわからないことが
 あれば心配になる。
 自分にとって大切なことを
 どうでもいいようにされたら腹はたつ。

 そういう気持ちになりたくない
 って思ってても、
 なってしまうことだってある。

 そういう気持ちになるのは、
 防衛本能が働いているってこと。
 気持ちは命を守るための
 からだのはたらきだ。

 だから
 そういう気持ちになることは
 悪いってことじゃない。
 でも、ためるってことは、
 なるべくしないほうがいい。

 問題なのは、イヤな気持ちを
 感じることじゃなくって、
 そういう気持ちを繰り返し感じて、
 ためてしまうこと。

 ためないようにするために、
 どうしたらいいと思う?」

みたいなプログラムを、
どんな事例を使って、
どんな例えを使って
話そうか、
考えた。

「どうしたらいいと思う?」
と問いかけると、
子どもたちは、
ストレス解消法のことを
考えるかもしれないな。

もちろんそれもいいだろう。

あるいは、問題に立ち向かおうと
する子どももいるだろう。
悲しみのもと、心配のもと、
怒りのもとの
問題を解決するために
自分にできることを考えて行動するってこと。

それはすごいことだと思う。

それらにプラスして、
誰かに、
その心の中のことを話すって
アイディアが出てきてくれるといいな。


そんなふうに思う。


このことが必要なのは、
大人も同じだ。

大人になると、
心の中があふれてしまいそうでも、
上辺を取り繕ってがんばって仕事していたり、
そこにある問題に手をつけてしまうと
日常に支障をきたしそうで、
先送りすることでなんとか日々を生きていたり、
そうやって、
必死に
今日を過ごしている方も多いと思う。

そういう時に使ったストレスの解消法が、
依存になってしまいそうで、
そのことで新しい心配事が
おそってきている人も
いるかもしれない。




あふれてしまいそうで、
爆発してしまいそうで、
誰かにぶつけてしまいそうで、
それでも
飲み込む、いろいろな思い。



それらを安心して
吐ける場があるといいな。

口からやっと出した想いを、
大切に扱ってもらえる場が、
いろいろな人にあるといい。

じゃまされず、
ただただゆっくり
聴いてもらえる場が、
さくさんの子どもや大人に
あるといいよ。

あふれだしそうな想いを
誰かにわかってもらえたら、
どんなにすっきりするだろう。


子どもにも
大人にも、
「わかってもらえた!」という経験は
必要だ。

その経験は、たくさんあればあるほどいいし、
その経験をした人は、
誰かをわかってあげられる人になる可能性大。



「わかってもらえた!」という
その瞬間、
あふれだしそうに重かった
心の中のバケツは、
ずいぶんと軽くなると思う。






 
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うちの子は大丈夫でしょうか?

【2014.09.08 Monday 19:58
佐世保の事件から、
カウンセリングの場面だけではなく、
ちょっとした集まりの時や、
立ち話などで、
特に母親の立場の方に、
「うちの子は大丈夫かな」的なことを
質問してもらうことが多い。

虫を殺したところを見てしまったり、
「あいつ、殺してえ〜」と書いた紙が
ゴミ箱から出てきたり、
ナイフや刀の絵や
血がしたたっている絵を
描いていたりするのを見てしまったり
したら、
ビビるのは、
親ならあることだと思う。

私は、その度に、
ビビりながらも、今したほうがいいこと、
しよう!
的な話をしてる。

テレビやネットでは
分かりやすい方が受け取られやすいから、
「兆候」のような言葉で、
小学校時代からの様々なことの
延長に事件があるように書かれているが、
確かにそれもあったとしても、
そんなに人間短絡的ではなく、
表に現れた事象の奥には、
もっと複雑にいろいろなことが絡み合ってる
ことだけは確かだと思う。



AERA 9月1日号では、
「子どもを犯罪者にしない」という特集の中で、
花まる学習会代表の高濱正伸氏は、
「中学時代にネコを解剖したことがあるという
男性を知っている。単純な興味だったかもしれ
ないし、悪いことをしてみたいという気持ちだ
ったかもしれない。彼は犯罪者にならず、大学
教授になった。とても情に篤い人間で、彼が好
奇心で残忍なことをしてもエスカレートしなか
ったのは、孤独ではなかったからだと思う」
と書いてある。

夜回り先生水谷さんは、
子どものSOSをキャッチしようと、
SOSをキャッチするヒントを紹介し、
「どんな形であれ子どものSOSに気付いたら
その行動だけを矯正しようとしてはいけない。
まず親が変わらなくては」と言い、
変わり方を紹介している。

心理カウンセラーの心屋仁之助さんは
「まず親が弱みを見せよう」と言う。

この特集は、多くの親たちが
ビビりながらも、今やれることをやる、
その「やれること」の考え方と方法を
それぞれの立場から具体的にしてあるから、
助かるのではないか。

特に高濱さんの考え方
「内に秘めた悪魔は『共感力』で
コントロールできる」
に同意。
誰も分かってくれない・・・
ではなく、
分かろうとしてくれる人がいる
って感じていることの安心感。
この大切さは、
「子育て講座」での主要テーマだ。




そしてもう一冊、
「謝るなら、いつでもおいで」
という10年前の佐世保の事件(小6同級生殺害事件)
を取材した本も、
ビビりながらも、
子どもたちの周りにいる大人として、
読んでおいた方がいい本だと思った。

事件の背景の、
複雑にからみあった、いろいろことを
被害者の父親の部下である新聞記者の筆者が
丹念に丹念に言葉にしている。
事件の核心にせまろうと、続けた取材。
被害者に心的に近いから、
時々とまどい、迷いながらも、
マスコミ上をにぎやかす表面的なコメントや
単純化した見立てには一線を引いている。

そして、家裁で判断が出て、
加害者が児童自立支援施設に入所してからも、
自分の上司である被害者の父親、
そして、加害者の父親、
さらには、被害者のすぐ上の兄(当時中3)に
取材し続ける。

被害者の父親の言葉はすごい。
親たち向けに
「子どものすべては理解できないと
分かったうえで、理解する努力を続けて
ください。それぞれの家がそれぞれの
やり方で」
は、本当にその通りだと思う。

我が子の死から考えぬいた答は、
分かろうとしている姿が、大事なんだと
いうことなんだ。

分かりきらないんだけど、
分かろうとするその態度、姿勢。

私は深くうなづく。


たとえば、
なんだか、今日はよくためいきついてるな。
何かあったのかな?
そういえば、テストが返ってくる頃だけど、
思ったような結果じゃなかったのかな?
それとも、体育祭の練習が、なにかうまく
いってないのかな?
移動教室の時に一緒にいく友達と、微妙に
すれ違ったかな?
忘れものして、何かできなかったとか?
先生に誤解されてることでもあるのかな?
クラスの子に挨拶したのに、
返してもらえなかったとか?

子どもは、なんてたって子どもだから、
大人の心を持ってる訳ではないから、
ひとつの嫌な出来事で、
真っ暗闇の中に入ってしまうことだってある。

それを、分かろうとすること。
分かろうとするったって、
むやみやたらに質問責めにするのではなく、
子どもの生活を考えなら、
どんなことがあるのか?
表情の背景を想像すること。

雑談もすること。

そして、
そおっと、
きいてみること。

きいてみた反応が
沈黙であっても、
別に〜であっても、
責めないこと。

何か言ってくれたら、
大切に扱うこと。

ただ、それって難しい。
難しいし、
保護者の方だって、
時々は自分の感情でいっぱいの時だってあるから、
「それ難しいんですよ」とか
「迷います」とか、
「わかっちゃいるけどできないんです」
などと、言い合える場があるといい思う。




被害者の父親がインタビューに応える時の
土台に、
「なぜ防げなかったのか」という自問自答
がある。

「なぜ防げなかったか?」は
学校関係者にとっても必要な問いだ。
その意味でも
この本を学校関係者は読んだ方がいいと思う。

そのことを私も私自身に問い続けることが
すごく必要なことだけど、
もうひとつの意味でも、
この本を読んだ意味があった。

被害者の兄のケアの面だ。

兄は妹からいろいろ相談を受けていたから、
後に明らかになった
妹と加害者の間の交換日記やネット上での
トラブルを知っていた。
でも誰からも話をきかれなかったから言わなかった。
そして、自分が、
「妹は今、こんなことで悩んでるよ」と
父親に言っていれば、
こんなことは起こらなかったかも・・・
と自分を責めていた。
そのことは、
長年の間、彼を苦しめた。

というようなことが起こってしまうってことを、
知っていないと!と震えてくるように思った。

この事件があって、
被害者のことを分かろうとしていたか、
加害者の日常を分かろうとしてかと、
多くの人が振り返ったのに、
大人たちがそうして振り返っている瞬間、
兄はとても苦しくって、
でも、
兄には支援の手が届かなかったかということ。
そういうことは起こってしまうと、
ちゃんと認識していないとな。

緊急支援で学校の中で起こる出来事の
対応に入った経験から、
被害者の兄をどうケアするかは、
必ず支援事項のひとつに入っていたと思う。

それでも、こういうことが起こるということを
知っていたいと思う。

深く傷ついた人のそばにいた人もまた、
傷ついていることを、
ちゃんとちゃんと知っていないと。


そういうことをここで書いている私も、
今この瞬間、すごく苦しんでいる誰かの
ことを、
本当に分かろうとしているかどうか、
あ〜自分に課していかないとダメだと思う。




この本の事件と今回の事件は、
まったく違う事件だ。

そして、
こうすれば絶対に
子どもを加害者にしない、
被害者にもならないなんて
方法もない。

でも、
私も
AERAのタイトルの横に書かれた
「大人にはきっと、『できること』がある」に
同意する。


それは、
以前ここにも書いた中2の男子の
教えてくれた言葉に
ヒントがあると思う。

「のび太に必要だったのは、
 ドラえもんの道具じゃなかった。
 絶対にのび太の味方だという、
 ドラえもんの存在そのものだ」

そしてそれを、
大人は心の中で思ってるだけじゃくて、
子どもがそう感じるように
伝えていくことだと思う。

そのひとつの方法が、
「わかろうとすること」
「共感すること」なんだと思う。

ただ、
その伝え方の方法は、
被害者の父親の言葉にあるように
「それぞれの家の、それぞれのやり方で」
なんだろうな。

そのことを、
我が家はこれで大丈夫なんて、
絶対的な自信をもってやるのではなく、
迷いながら、
ぶれながら、
やっていくことだと、私は思う。

そして、
保護者の方々が、
迷いやぶれを
ビビってることを
言い合える場って、
やっぱり大事なんだと思う。















 
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ま、一旦落ち着こう。

【2014.09.05 Friday 10:59
学校の中で活動をしていると、
この時期は、いろいろある。
(いつもあるけど、一層ね!)

夏休みが終わって
学校が始まってしまって(そう、「しまって」)、
子どもたちはまた、
朝起きて、せかされながら登校し、
課題を提出するよう言われ、
授業をうけ、
中学生なら部活があり、体育祭の準備があり、
そのあと塾もあったりして、
あののんびりと、
ゆっくりと過ごせた夏の日々は、
はるかかなたの出来事のように思える。

学校に登校できている子はそうだし、
学校に行けないでいる子たちの中には、
また罪悪感と共に過ごさなくてはならない子たちも
いるだろう。



変化に対応するのに、
時間がかかる子にとっては、
物理的にも、
日常にからだを戻すのはなかなかしんどいと思う。

それに加え、
離れていた間に、
友達との話題がなんか変わってしまった不安や、
勉強に対するクラスの子の姿勢が変わってきていて
そのことに対するあせりや、
でも、心の中のそんな感情をおくびにも出さずに
「普通だよ〜」という体で生活をすることのしんどさ。

子どもたち一人一人が多様な心の中をもち、
そのことの重なりも要因のひとつとして
クラスの中が不安定になると、
先生方だって、人間だもの、心が揺れたりする。


学校の中のカウンセラーとして
活動している私のところへは、
「空いています」というプレートをかけてある時、
「ちょっといい?」と入ってきてくれる方
(大人も子どもも)が、
この時期は結構多い。


変化の中で、
しかも、徐々にちょっとずつ始まっていくのではなく、
いきなりテスト、
いきなり体育祭の準備、
みたいな
いきなりフルパワーでいかないとならない場では、
かなりの人たちが
疲労困憊な日々だと思うんだ。


一方、親たちも、
子どもが変化に慣れるのに時間をかけるタイプだと、
落ち着かないと思う。
なかなか調子がでない我が子に
いらいらしたり、
他の子と比べてあせったり、
そして思わずきつい一言を放ったその後に、
あ〜自分の感情をぶつけてしまったあああああと
自分にダメ出ししたり。

保護者の方も、よく学校に来てくださる。



早くなんとかしたい・・・
ちょっとでもよくしたい・・・
もっと落ち着いてほしい・・・

そう考えられて、
相談にきてくださること、
勇気を使ってきてくださっているんだなあと思う。


私に
魔法の杖でも薬でも、
おまじないでも、
とにかく、
一発で効く「何か」があればいいのだけど、
もちろんそんなものはなく、
私はただただ話を聴くだけだ。



あ〜
疲れている人が多いと感じるこの時期!!!


あせること、ある。
なぜなら、うまくやっていきたいし、
子どもにうまくやっていってほしい、
その方が子どもが生きやすいだろうから、
って思うからこその、あせりだもん。

イラっとくる。
それほどそのことが大切なことなんだもん。
思い通りにならないとイラっとくるよ。

不安なのは
将来が大切な証拠。
どうでもよければ不安にはならない。

いろいろ複雑な感情におぼれてしまいそうなほど、
疲れてしまうこともある・・・。


だからね、
この時期、
ま、
ひと呼吸おいてみよう。

先に先にとはやる気持ちを感じながらも、
ちょっとからだを伸ばしてみよう。

口角あげて笑ってみよう。

大きい声で挨拶してみよう。

だめだあ・・・ってことがあった日は、
シャワーですまさず、
お風呂にゆっくり浸かってみよう。

目先のご褒美も用意しよう。

一人っきりになる時間を作ってみよう。

メンテナンスの時間を、
どこかでちょっとでもとってみよう。

自分が「一旦」落ち着ける方法、
思い出してみよう。
それ、使ってみよう。

とにかく
ま、
一旦
落ち着こう。



で、
ゆっくり呼吸しながら、
そおっと
再スタートしよう。











 
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ポジション。

【2014.08.11 Monday 13:25

8月10日放送の「軍師勘兵衛」で
こんなシーンがあった。

息子長政は、父親が留守の間、
新しい領地をしっかりと納めることを
任される。
そこで、農民たちの声を聴こうと
集まってもらった。
どんなことでも話してほしいという
長政の言葉に、
農民たちは、黒田家が領主になってからの
不満を口々に言い出す。
長政はがまんをしていたが、
ついには父親を批判され、
カッとなって、
刀に手をかけてしまうシーンだ。

ちょうど
頭をめぐらせていたこといくつかと
繋がるシーンだった。

ひとつ目は、
「分からせようと、
 伝えようとすればするほど伝わらないことがあり、
 逆に、
 相手のことを分かろうとすればするほど、
 なぜか伝わることがある」
ってことについてだ。

私の例で言うと、
この4月からのいろいろな講座講演を振り返り、
参加してくださっている方の納得感というか、
満足感などを感じられた
(感じられたと私が思う・・・ので
 客観的とはいえないが)
講座や講演で私が行ったことは、
目の前にいる方々の多くの想いが
つかめた時だ。本当に共感できた時。

特に初めてトライした
高校での人権に関する講演は、
その時その時の高校生の気持ちを
私なりにだけど
丁寧に想像しながら話すことができたと思う。
逆に、何度も行っているテーマだと、
慣れからくる安心からか、
「こういう気持ちだろう」と決めつけてしまう
ようなところがあって、
「その時その場の」彼らの気持ちには
寄り添うことができなかったことが
あったかも。
それは、なんとなくのズレに繋がり、
伝わった感も薄くなる。


伝える側にある、
「このことを伝えたい」という考えは、
最初からそれをぐいぐいと押し付けても、
受け取る側に、
その準備ができていなかったり、
押しの強さに辟易されてしまったり、
時には心のシャッター下ろされて
しまったり、
反発されてしまうこともある。

まずは、
場(相手)の声を、
それは言葉になっていない声も含めてだけど、
いかに聴けるかなんだよなあ。


これは、
講座講演の講師と受講者
領主と農民・・・
という関係性の中だけではなく、
営業の方とお客さん、
管理職とスタッフ、
医者と患者、
親とこども、
いろいろな関係の中での法則だ。



ただ、それだけでは
説明は不十分だ。

2つ目に考えたことは、
それでも
長政は、いつか、
「こういうビジョンで
 この国をマネージメントしていく」
という方針を語るときがあり、
それを納得してもらわねばならない。

その時どうするかってこと。

それを
教師と子どもという関係の中で
考えると、
「伝えようとすればするほど
 伝わらず、
 分かろうとすればするほど、
 伝わることがある」
だけでは、
授業が成り立たなくなる。


大河原美以先生は
「子どもたちの感情を育てる教師のかかわり」
という本の中で、以下のように書いている。

「 教室で教師が教壇に立ち、子どもたちが教師の
 話をきいているという授業の場面では、
 子どもと教師の関係は、『教師が伝えようと
 していることを子どもがくみとる(ワンアップ
 ポジション=教師が一段上の立場)』という
 関係にあります。そのような関係性を前提と
 して、教師は発問し、子どもがその意をくみとる
 という行為を通して、思考する、学習するという
 ことが実現するわけです。授業をして子どもに
 学習させることは、教師の本務です。
  ところが、子どもたちの内面の危機をキャッチし、
 支援するという心の教育、教育相談などの仕事は、
 『子どもが伝えようとしていることの意を教師が
 くみとる(ワンダウンポジション=教師が一段下
 の立場)』という関係性を必要とします。この関
 係性のちがいは、通常、無意識・無自覚の領域に
 あります。関係性がまったく正反対の方向にある
 わけですから、意識的に教師が子どもとの関係性
 のポジションを変化させることができないと、一
 人一人の感情に目を向けるということはきわめて
 難しいことになります」


先生方への研修の時に、
このこと・・・
 意識的に、
 関係性のポジションを使い分けることは、
 結構ハードなことだし、
 そのことが苦手な方もいる・・・
を見逃した話をしてしまうと、
いくら
「聴くテクニック」や、
「発達のアンバランスのある生徒への
 支援の具体的な方法」
などを練習したとしても、
日常に生かすのは難しいだろう。

もちろん、難しいことでも苦手なことでも、
努力はするのだけど、
それでも
100%できないかもってことを認めることが大切だ。


つまり2つ目に考えたことは、
今はどういうポジションをとるか、
意識して、選択して、実践するってこと。
そしてそれは、たま〜にだったらできたとしても、
毎日続けていくことは結構ハードってこと。


だからこその3つ目。
それを補うことのできる
システムを作っておく。

そのひとつは「チームで動く」
ということになる。

チームの中で役割り分担すると、
聞き逃してしまった声や、
見逃してしまたSOSを
ゲットできる可能性がある。


これは学校の教師だけの話じゃない。


黒田家チームは、
それぞれの良さを生かし合う、
(おじいさんの含蓄ある例え話や、
 一番の家臣の冷静な行動などなど)
すごくステキなチームだし、

私も講座や講演会で、
アシスタントに入るときは、
講師が何かを伝えているとき、
もし見逃している声があったら、
それを講師に伝える役をしたいなあ。

実際、
私は
スタッフの方々や
時には主催者の方にも助けてもらっている。




ポジションの意識をもつこと。
そして、まずは分かろうとすること。
そして、伝えるときには、
受け取れきれていないものが
あるかもしれないと認識して、
その時に補完できる何かを
もっておくこと。
今のところのそのヒントはチームで
動くってこと。


夏休み明けの先生方への研修のプログラムに、
長政が、
ヒントをくれた。











 
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谷澤 久美子
counselor