SC | 今のところではありますが…
本当のところ。

【2016.07.22 Friday 09:22

先週行ったある中学校での学校保健委員では、

生徒たちに事前アンケートで、

日常の中のつぶやきを五七五で書いてもらい

それを元に「感情との付き合い方」

について話した。

 

保健室の先生と、

いろいろやりとりしながら

プログラムを作って行ったのだが、

その過程で

「先生方にも書いてもらおう」ってことになった。

お忙しい先生方への依頼は気がひけたが、

保健室の先生が、夕方の職員室で仕事する

先生方に声をかけてくれ、

なんと21の先生のつぶやきが集まったのだ。

(公開することを

 保健室の先生に了解いただきました)

 

その中には

「生徒指導 毎日同じ 繰り返し」

などという、

あ〜先生もお疲れだよなあ、

本当は叱りたくなんかないんだよなあ

と思うものもあれば、

 

「落ち込むな 昔の俺より ずっといい」

という、

なにがなんでも励ましたいというものもあれば、

 

「『おはよう』の 素直なあいさつ やる気でる」

とか

「夏休み 取り戻せるぞ 3年分」

とか

「これぞ!先生」的なつぶやきもあった。

 

その中で、

「素敵だよ 一人でいられる ことだって」

とか

「やる気でない そんな日もある 深呼吸」

とか

「隣の子 うらやましくなる 日もあるよ」

というつぶやきには、心が和んだ。

「ぼっち」は恥ずかしいと思ったり、

やる気ないとダメと思い込んでたり、

スクールカーストの中で惨めさを感じている子、

つまり、

同調圧力の中でもがいている子どもたちは、

どんなにホッとしたかと思う。

 

これらを読みながら。

思い出したことがある。

 

それはかなり前になるが、

ある中学校で

全校道徳の講師を務めた時のことだ。

「どんな感情が湧いてしまっても仕方ない。

 でも行動はコントロールする責任があること

 自覚していこう」的な話をした後、

帰ろうとする私を

車のところで待ってくださっていた保護者の方が、

「小中学生には

 当たり前のこと、

 建前を教えたい。

 いろいろ思いながら

 頑張っている子供たちには、

 今日の講演は

 余計なことだったと思う」

というようなフィードバックを

くださった方がいたのだ。

 

多分、

「どんな感情が湧いてしまっても仕方ない」

という部分を批判されたんだと思う。

 

その時のことを思い出したのだ。

 

 

私はあの時、

待ってくださっていたことへの感謝と、

そういう意見があることも知っていることと、

それでも私は違う意見を持っていることを告げた。

 

彼女は、

「そういうようなことを

おっしゃると思ってました」

的なことを話され、

すぐに保護者会へと行かれた。

 

 

言いっ放しのようにされたその方に対して、

私は腹が立ち、

批判されたこと自体にもカチンときた。

 

しかし、家まで運転する車の中で、

その怒りでもやもやする中身を

あれやこれや探ってみると、

2つの悔しさ、

 屬修ΔいΠ娶を持つ方にも

  そこそこ納得してもらえる講演が

  できなかった自分」

◆峪劼匹發燭舛

  感情のことを話すことの必要性を、

  明確に言葉にしてこなかった自分」

があることに気がつき、

特に2つ目の悔しさについては、

自分の努力不足を自覚することになり、

それに気づけたのは彼女のおかげだと

家に着く頃には、感謝になっていたものだった。

 

そして、私なりに、努力を続けた。

 

 

あれからずいぶん時間がたって、

今回の先生方のつぶやきを読んで、

学校現場はすでに、

「建前」や「すべての人に必要な昔からの教え」的な

ものだけでは、

生徒の心をとらえることができないし、

多様な生徒個人個人の成長へのサポートにはならないことが

浸透しているんだと思った。

 

もちろん

「建前」のようなものも、必要だと思う。

 

助け合おう

努力しよう

失敗しても立ち上がろう

我慢もしよう

仲良くしよう

 

それを言わないんじゃない。

それも大事。

 

でも、

それがいいことだって100も承知で

それでもできない時に、

そんな当たり前を示されても

「知ってるし」で終わってしまうことを、

学校現場は知っている。

もちろん前から知っていたと思うが、

以前はそれは個人との面談の中や

クラスでの話の中であって、

全校という超公の場では

「建前」がほとんどだったと思う。

(私の知ってる限りですが)

 

そのようなことを

先週の中学校での学校保健委員会では

しみじみと考えたのである。

 

 

 

そして昨日の小学校での学校保健員会。

5〜6年生が対象だった。

 

私は話した。

「人間ってね、

 イライラやクヨクヨや、

 悲しい気持ち、辛い気持ちが

 たまってくると、

 なんだか意地悪したくなって

 しまうものなんだよ」

 

それを話しながら幼い時のことを頭に浮かべてた。

 

私は幼い頃、

妹みたいな柔らかい髪じゃなく

硬くてツンツんしてる自分の髪が悲しくて、

母親じゃなく父親に似てる自分が嫌で、

大人には褒められるけど、

同じ年の子からは好かれてないような気がして、

そんなことが辛いなか、

それでも普通に過ごしていて、

ある日、

お風呂で、まだ結構あったリンスを

全部を使ってしまい、

妹に使わせないという意地悪をして、

母に叱られた。

 

「嫌な方の気持ちだって、

 湧いて悪い気持ちなんて

 いっこもないんだよ。

 だからね、嫌な方の気持ちが

 湧いた時だって、

 誰かに言っていいんだよ。

 言えない時もあるって、わかるよ。

 でも、安心できる場で、

 言ってもいいってことは、

 知っておいてほしいんだ」

 

これは「建前」ではなく、

本当のことだと思う。

 

 

 

 

子どもにとっても

ストレスフルな社会の中を、

感情とどう付き合っていくのかという

本当のことを知らないで生きて行くのは、

あまりにも無防備だと私は思うし、

学校もそう考えているように思う。

 

それで、そういう要望が多いし、

それを校外の人に依頼するだけでは

もう足りないんだと思うんだ。

 

 

 

とはいえ、これも今のところの考え。

いろいろ変わっていく中で

その時その時考え続けていくしか

ないよなあ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

私はこの文を書きながら、

「あれ?

 もしかして、私は、

 あの時の彼女に、

 自分の正当性を

 認めさせようとしてるのかな?」

と考えた。

正直、ちらっとそれ、あったかもしれない。

(うググ、せせせこい)

 

でもそれよりも、

あの時の彼女と

いろいろ議論してみたい思いの

方が強い。(うん、これ ほんと)

また新しい課題を、

彼女は与えてくれるんじゃないかと思う。

 

ダメだな、それは甘えだな。

自分で「問い」は作らねば!

 

 

 

さ、夏休みだ。

先生方と研修を共にする機会が多い。

その中から、問いを見つけて、

精進していくぞ。

 

 

 

 

静岡県立美術館で

ミッフィー、始まってる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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承認と共感

【2016.06.29 Wednesday 21:39

いつ何があるかわからないって思ってる。

いつでもどんな時でも、

絶対に落ち着いて、

ぶれずに、

冷静でいられる

とは思ってない。

私は、

そこまで自分のことを過信してない。

 

ただ、もしも、

ぶれて、

迷って、

自他の感情に巻き込まれたり、

いろんな事情に振り回されたりしたとしても、

戻るところが

確固としてあることは幸せだ。

 

私の場合は、

CL~建設的な生き方

アサーティブ

ロゴセラピー。

 

 

 

「信頼ベースの学級ファシリテーション」

も、

多くの先生方にとって、

「戻るところ」なんだと思う。

先週2日間の講座に参加して、

その思いを強くした。

先生方に、「戻るところ」があってよかった。

そこに仲間がいてよかった!とすごく思う。

 

自分のキャラや、

成功体験や、

先輩や管理職からの助言や、

その時々に見つけた情報、

頼るものがそれだけでは

心もとないと思う。

「信頼ベースの学級ファシリテーション」には、

教育に対しての哲学があり、

理論が背景となった、

方法論が具体的にある。

 

問題の予防にも

問題解決にも、

より良いクラス運営にも

役に立つ。

 

 

 

 

 

二日目に

「ふりかえりジャーナル」

というツールについて学んだ。

子どもたちが、

その日の出来事を振り返って書く日記形式のものだ。

 

ゴリが始めたもので、

クラスの一人ひとりとつながるためのものとして

開発したとのことだった。

 

帰りの会などで、10分くらいかけて書く。

それを読むと、

先生は、それぞれの

その日の出来事や気持ちなどを知ることができ、

たとえ言葉をかわすことができなかった日でも、

その子の「今」を知ることができるってわけ。

先生は、翌日朝、みんなに返す。

 

子どものその日1日の

よかったことや、達成したこと、

失敗や、もめごとや、

自分への苛立ちを綴ったものなどを読むと、

先生としては

いろいろコメントを書きたくなるもの。

 

ただし、ゴリやせいこさんがすすめる方法は、

コメントは「承認と共感」。

「うんうん」

「なるほど」的な本当に短いコメントやサイン。

 

「評価や判断も指示」もしないし、

ましては

反省を促したり、

アドバイスもしないし、

問題の解決もしない。

 

私はこの「承認と共感」ってのが、

子どもの心を育てる!と思った。

 

 

だって、

人は、「評価と判断と指示」に

まみれて生きているんだもの。

 

ほぼ、そればっかな

日常を送ってるんだもの。

 

 

 

それが良い評価だとしても、

バランスをくずすと、

何かをする時の目的が

「良い評価」になってしまったりする。

 

判断を浴びると、

自分で判断するのが怖くなるし、

他者の判断を待つようになる。

 

指示されてばかりいることは、

自主性を阻む。

 

 

 

「承認と共感」というのは、

「こういう事実があったんだね」

「こういう気持ちだったんだね」

ってことを示すことだ。

 

つまり、

「先生は、

 あなたに今日、

 こういうことがあったこと、

 わかったよ」

「あなたが、〜〜って気持ちに

 なったって、理解したよ」

ってお知らせすること。

 

 

それが、

いい時も、

悪い時も、

成功した時も、

失敗した時も、

良いことした時も、

悪いことしてしまった時も、

変わらずに、

「そういうこと、あったんだね」

「そういう気持ちになったんだね」

と、

感情的にならないで、

「今日、今、その時」を

淡々と受け止める。

そういう先生のコメントは、

安心感につながるのではないだろうか。

 

もちろん、他の場面では、

アドバイスしたり、

褒めたり、

相談に乗ったり・・・とする。

でも、ふりかえりの場だからこそ、

子どもが自分と誠実に向き合う環境を作る。

 

 

子どもが、

他の誰からも、

評価も判断もされないという安心感の中で、

しかしながら黙って見守ってくれている人はいる中で、

「自分を振り返る機会」を持てることは

素晴らしい。

 

「自分を振り返る機会」

 =

「自己観察すること」

 =

「自分を外から見る体験」

 =

「自分の言動に自覚的になる」

 

つまり

メタ認知のトレーニングを

積み重ねることになるのだ。

 

 

人は体験から学ぶのではなく、

体験を振り返ることから学ぶ。

 

「経験の開放性が高いと

 運が強くなる」と

脳科学者が言っていた。

 

 

・・・と

幾重にも好循環な

「ふりかえりジャーナル」

 

 

講座に参加されていた

ほとんどの先生たちは

実践されていた。

 

目を通しながら、

微笑んだり、

泣けてきたり、

大声で笑ったり、

はてな?ってなったり、

腹たったり、

先生たちの感情は

いろいろ動くんだろうな。

 

忙しい中、

その時、

先生は、

一人ひとりとつながるんだな。

 

 

 

 

「信頼ベースの学級ファシリテーション」

という「戻るところ」に出会えた先生方は、

ラッキーだと思う。

 

 

私としては、

これを学年や学校の中に広めていく時に、

アサーティブを使って欲しいな!

なんて思ってる。

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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ブッククラブ

【2016.06.26 Sunday 22:42

ちょんせいこさん

岩瀬直樹さん(ゴリ)

のお二人がファシリテートされた、

信頼ベースの学級ファシリテーション2日間講座」

に参加してきた。

 

小学校の先生方と一緒に、

子どもの「心の体力」を温めながら、

エンパワーするための教師としての

あり方と、方法論。

私は、

日常、学校で接する先生方の

より良い伴走者になりたくって、

そのためのヒントを得ようと参加したが、

結局は純粋に楽しみ、

そして、いっぱいの刺激を浴びた。

 

 

今回の学びを

振り返っておこうと思うが、

何回かに分ける。(少なくとも2回)

 

 

 

今回は、

「ブッククラブ」について。

 

子どもたちに本を読むことを体験してもらい、

さらに、その本に関して他者と対話することで、

より理解を深めていく方法を

体験した。

 

講座参加に関して宿題が出ていた。

「時をさまようタック」という児童図書、

全25章のうち、

22章まで読んでくること。

私は行きの新幹線と中央線の中で

なんとか20まで読み、参加。

 

この物語は、

「はじめに」から3章くらいまで、

何がなんだか分からないくらい

ややこしい。

「作者は本を放り出させようとしてるのか?」

と思うくらい、

言い回しは混み入っていて、

情報は複雑に入り組んでいる。

 

まずは、

とにかく手強い「はじめに」を

ゴリが読み聞かせてくれる。

問いかけや対話を織り交ぜた読み聞かせは、

文章を自分自身に置き換えて考えさせてくれ、

物語に入りやすくしてくれた。

また、せいこさんの

ホワイトボードに絵にしていく技は、

いやあ、びっくり、

物語が、なるほど、そういうことね!と

すとんすとんと入ってくる。

この方法なら、

読むのが苦手な子どもでも、

本を読む楽しみを体験できるだろうなと思った。

 

その後私たちは8人のグループになった。

そこでより物語を深める対話を試みる。

しかしその前に、あらすじを思いだすために、

あらすじリレーをした。

右端に座っている方から順番に、あらすじを

話していくのだ。(パスもあり)

 

私たちの班に、

宿題をやってこれなかったAさんがいた。

(その方にブログに書くことを

 お話ししてあります)

 

宿題をやって来ないと、

その場に居づらかったり、

他の人も、その方とどう絡めばいいか

分からなくって、

ちょっと硬い空気が流れる可能性がある。

 

なんだけど、

そんなことが全くない心地よさ。

 

そういうことも見越して、

さらに、

あらすじを忘れてしまった人もいることを

予想してのあらすじリレー。

 

一人ずつ順を追って

あらすじを話し始める。

 

すると、リレーの間、

Aさんの反応がめちゃ素敵だった。

「ふむふむ」

「そうなんですか」

「ちょっと待ってください。

 ってことは、〜〜〜ってこと?」

「それで、それで?」

「え〜、そんな風になるんですか」

 

 

私は子どもの頃、

宿題をやってなかったら、

学校に行けないタイプの子だった。

あるいは、

今回のように

やってなくっても表面的には

分からないタイプの宿題だったとしたら、

やってあるフリをしてごまかしたと思う。

もしかしたら

どうせやってないからと、

ふてくされる態度を取る人だって

いるかもしれないし、

とりあえず、小さくなって

目立たないように

固まってるってやり方もある。

つまり、

そのことで頭がいっぱいで、

本来の目的である

「本を読む楽しさ」

「対話を通して本への

 理解を深める」

「本について語り合うことで

 お互いについて知る」

ってところには全然行けなかった

だろう。

 

でもAさんは、

確かに忘れちゃったのは残念だったけど、

「今、その時」にできる精一杯で

ブッククラブに参加された。

Aさんご自身に

態度の力

(その時その時、どういう態度をとるか)

を感じたし、

「ブッククラブ」の仕組みが

その土台にあったと思う。

 

 

私たち班は、

Aさんの

聴き上手、

うなづき&あいづち上手の

おかげもあって、

あらすじリレーだけでも、

十分におもしろかった。

 

 

 

ましてやその後の、

話し合い!!!

23章から「終わりに」までは、

「結」の部分。

そこを各自で読んで、

疑問点や話し合いたい点を場に出して、

対話していく。

 

自分の予想と違っていたかどうだったか?

終わり方は納得できるかどうか?

結局、この物語は

読者に何を伝えたかったのか?

 

自分だけの考えを超えて、

深まるし、

広がる。

話し合うって、すごいことだ。

 

 

今回体験した「ブッククラブ」は、

誰のことも置いてきぼりにしない、

そこにいる人全員が、

今、

その時、

その人なりの建設的な体験を

積み重ねらるような工夫が

散りばめられていた。

 

 

 

今回の2日間の講座は、

どのテーマも

「対話しながら」が基本。

 

対話をしていくと、

・自分の中でより自分の考えがまとまっていく

・他者の意見が理解できていく

・他者との共通点がわかる

・他者との違いも明確になっていく

・違いがあることも怖くなくなっていく

ってことを経験する。

 

それが子どもたちにも可能なんだってこと。

そのためには、工夫が必要。

その工夫を

順序立てて丁寧に体験させてくれた2日間。

 

楽しかった。

刺激的だった。

 

次は、

「承認のわな」について書こうと思う。

 

 

 

 

 

*それにしても

「児童文学」あなどれぬ。

 私にとって「時をさまようタック」は、

 四六時中祖母や母親から指示干渉され、

 そのことに不満を持っていた少女が、

 「生死」に対して深く考える体験を経て、

 自分で(誰かのせいになどしないで)

 考えて、他者のために、自分のために、

 行動を選択をする物語。

 

 課題図書じゃなかったら

 手にとらなかった・・・と思うと、

 ありがたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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オープン

【2016.06.22 Wednesday 19:22

少し前、

夕方のカル(犬)の散歩の時に、

向こうから

小1か小2くらいの女の子が歩いてきた。

 

その歩道は狭く、

大人二人が横に歩くといっぱいになってしまう感じ。

 

彼女は、

歩道の左端に思い切り寄ってくれた。

 

その寄り方が、

ものすごく左端で、

犬が嫌いなのかな?と

私はリードを短くして

一層しっかり握った。

 

すれ違う時、

彼女は、

腕を胸の前で交差するようにしていて、

私と目があうと、

「さっき、犬に大きな声で

 吠えられて

 怖くて

 まだドキドキしてる」

と言った。

 

「あ〜そうだったんだ。

 それは怖かったね」

と私は答えて、

 

その時、

 

あ〜いいなあ

こんな風に、全く知らない子と、

「怖い」みたいな

心の中のことを話せるなんて・・・

と思った。

 

その時のその瞬間、

彼女は

その時の自身を

私にオープンにしてくれた。

そのことが嬉しかった。

 

 

 

 

今日、

ランチをとったカフェで

私の後のテーブルの3人の女性は、

ずっと「あること」について話していた。

その方々はバイトで、

その職場の上司の人についてだった。

 

あのやり方では効率が悪い。

指示する時の声が小さくて聞き取れない。

社員の人もみんな文句を言っている。

 

「でもま、いいけどね。

 言われたことを、やるだけだし」

と一人が言って、

他の二人が、

「そうだよね。

 言われたこと、

 やるしかないよね」

「声小さいのも、

 慣れてきたしね」

 

そして話は、

まったく別の話になって言った。

 

ここで3人で

不満や不平をぼやいて、

そうしてまた、

家に帰って家事をするんだなあ、

そして明日もまた、

一生懸命に働くんだよなあ。

 

私は心の中で、

ガンバ!と言いながら、

この3人の女性に、

こういう安心して

気持ちをオープンにできる場が

あってよかったなと考えた。

 

 

「愚痴ってても仕方ない

 それより問題解決に動こうよ」

ってな考えもあることは分かってるし、

それに越したことはない。

 

でもさ、

たまには、そういう時間も必要だよ。

 

ぼやきタイムをもったとしても、

人間は精神の力を使って、

そういう時間の先に、

建設的な行動を選べる可能性がある。

 

 

 

 

 

今日は

小学校で学校保健委員会の講師を

務めた。

1〜3年に「こころの力」

4〜6年に「心の健康」というタイトル。

 

心を表す気持ちの言葉について学び合って

いたのだが、

悲しかったことを思い出して泣き出す子がいたり、

ある子のジョーダンがめちゃ面白くて笑ったり、

勝負途中の中断が悔しくて、

 「紙をくちゃくちゃにしたいほど

  悔しい」とつぶやいてくれる子もいて、

とてもとても充実した時間になった。

 

 

もちろん、

自分の心の中のことを話さなくていい権利が

人にはあるし、

私はそれを意識してたし、

だから強要したわけではなく、

なんか自然に、

そんなことになって、

考えていたより

ちょっとだけ、

オープンな場になった。

 

 

 

 

オープンになるには

安心できるってことが大切だ。

 

ここでだったら、

評価も判断もされず、

本音がつぶやけるって思ったら、

どんなに楽に話せるだろう。

 

 

私はAって思うんだよ。

そうか、Aって思うんだね。

自分はBって考えなんだよね。

ええっ、Bなんだ。ふーん。

Bのいいとこどこ?

 

自分の本音のところを話し、

相手の本音のところを聞く。

 

それができやすいよなあ、

安心した場では。

 

 

●●さんはどう思っているのかな?

と顔色うかがったり、

とにかく一つにまとまらないと!と

無理やりうなづくのでもない。

 

どのあたりが、

どれくらい違うのか?

が明確になって、

だからこそ、

その違いを、

どうするかの話ができる。

違いがありながら、

どうやっていくか、

話し合える。

 

いいなあ、そういうの。

 

 

 

今日の4〜6年の授業の中では、

グループワークをした。

結構難しい課題を出したので、

途中で

「もうできな〜い」とつぶやいたりしながら、

各班話し合っていた。

 

その集中っぷり、夢中っぷりがすごくて、

こんな風に、

協力し合いたいんだなと思った。

話し合いで解決していくことの

気持ち良さを、

この子たちは、

味わっているんだなと思った。

 

安心の場を

日常の中で

先生方が作ってらしたんだなあ。

 

 

 

 

オープンになれる場が、

いろいろな人にあるといい。

瞬間だとしても、

オープンになれる時があるといい。

それがいろいろな人に

あるといい。

 

もちろん、

自分にプレッシャーかけるような

追い込むような、そんなことも必要だ。

でも、

それ以上に、

安心してつぶやける場が

ひとには大切だ。

 

 

ここのところの出来事を

思いだして、

そんなことを考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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もしも今、

【2016.03.09 Wednesday 17:24
もし、タイムマシンがあって、
昔に戻れたら、
幼い自分にかけたい声って何?

私は、
良い子でいた自分を
思いっきりねぎらいたいと思う。
そのねぎらう言葉は
「良い子だね」
じゃなくって、
宿題を前にしてる幼い自分に
「めんどくさいって思っていいよ」だし、
テストで思ったような点がとれなかった時に、
「次はがんばるとか言わなくってもいいよ。
 ほんと、悔しいよね」だし、
友達にだるがらみされながらニコニコしてる時に
「はらいのけるって方法もあるよ」
みたいな言葉だ。


そんなことを、

「もしも今
 タイムマシンがあったなら
 幼いわたしを
 助けに行くのに」

という短歌を目にして考えた。
(2月3日付毎日新聞
 山形市 岡崎敏子氏作)

同じ短歌を見ても、人によって
思うことはいろいろだろう。

忘れ物が多かったり、集中が長続きしなくって
しょっちゅう「だらしないね」って
怒られていた人は、
「なんとかなるもんだよ」
って声をかけたいかもしれないし、

友達づくりが上手じゃなくって、
「自分から声をかけないと!」と
自分にはっぱかけつつ悩んでた人は、
「その時に友達がいなくてもまったく
 問題ない」かも。

お稽古事が長続きしないで、
「そんなんじゃ、先行き心配だね」
って小言を言われていた人は、
「いざってなると、
 なんとか続くもんだよ。
 その頃のものはみんな、
 あってなかったんだよ」
かもしれない。


ま、とにかく私は、
幼い私に
「良い子であるとかないとかじゃなく、
 あなたはちゃんと愛されてたよ」
という意味のことを言いたいと思う。


そして私はそのことが背景にあることと、
仕事の上で出会う「良い子をやってきた子」
のことがあるから、
「良い子」という言葉に敏感だ。

「良い子」という言葉というより、
「良い子を求めること」や
「良い子を望まれること」や
「良い子を自分自身に課すこと」などに
過剰に反応するかもしれない。

かもしれない、じゃない。
そこに関しては、譲れない思いがある。


だから、
湯川さん(歌詞)つんくさん(作曲)が
作ってクミコさんが歌ってる
「うまれてきてくれてありがとう」
という子守唄は、
全体を通して冷静に聴けば、
多分すごくいい歌なんだろうけど、
出だしの
「きみはいい子です
 きみはいい子です」
を聴いた段階で、
そんなふうに言われて
良い子を続けないとならない子の
苦しみを思ってしまって、
とっても聴けない。



泣きたい時、
ダダこねたい時、
いらいらをぶつけたい時、
大人から愛されるために、
認めてもらうために、
そういうマイナスの気持ちを
なかったことにして、
麻痺させて、
押し込めて、
否定して、

その上で、
にこにこしたり、
元気なふりや、
普通でいたりして、

そのことで
手がかからない「良い子」とほめらるうちに、
それが当たり前になる。
そうせざるを得なくなる。
それしかできなくなる。

常にそうしてきた子が、
ある日、
どうにもこうにもならなくって出す
SOS。

「これ以上無理」っていう、
命からのメッセージ。

学校の中で、
そういう子といっぱい出会ってきたが、
SOSでメッセージを出せた子は、
ある意味幸せだと思う。

命のどこかで、
この家の中では、
今だったら、
出しても大丈夫って
出せたんだと思う。

周りがそのことに気付けば、
修正できて、
育み直すことができる。


「もしも今
 タイムマシンがあったなら
 幼い私を
 助けに行くのに」
の作者の方に、
私は訊いてみたいなあ。

どれほど辛かったか、
どんなに苦しかったか、
SOSを出せずにいたのか、
どのようにがんばって大人になってきたのか、
その幼い自分を
どんなふうに助けてあげたいのか?



小中学校、高校の活動も、
あと一週間で今年度が終わる。

私はSOSを出してもらえる存在だったか?
出してくれたとして、
その背景のメッセージをちゃんと受け取ったか?
もっと他にやれることはなかったか?

軌道修正に寄与できたか?
育ち直しに貢献的だったか?

あ〜足りない足りない足りないよお。
私なりに精一杯だったけど、
まだまだ足りない気がするぞお。​

気がするじゃだめだから
ちゃんとフィードバックする
まとめの時期に入る。






・・・と言いつつ、
カルには良い子を、ついつい求めちゃう私。
















 
author : tanizawa-k
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いろいろでいい。

【2015.12.24 Thursday 13:23

全校道徳の講師として伺った学校から
全校生徒分の感想が届いた。
このときのテーマは
「自分とのコミュニケーション」。

このテーマでの授業は
プログラムが完成してからは
2校でしかやったことがない。

その2校の感想に共通点がある。
①感想が多様
 ほんとに見事に、子どもによって
 ひっかかった箇所が違う。
 そのことにめちゃびっくり。
 一校目の時は、授業時に出張で
 参加できなかった先生が
 担任しているクラスの子たちの
 感想を読んだ際、
 どんな内容だったのかが
 感想があまりにも多様で分からず、
 使ったパワポの資料を見せてほしい
 と連絡がきたほどだ。

②自分の経験を書いてくれる子が多い
 部活でうまくいっていない内容、
 友達と意見があわず自分が変なのかと
 心配していたこと、
 親のことが急にうざく思えてきたけど
 反抗しちゃった後で後悔する気持ちもあること。
 多くの子どもたちが、話をきいて
 思い出したことを、
 あれやこれや、書いてくれてる。 
 「自分とのコニュニケーションって
  具体的にはどうすることだろう?と
  考えながらききました。
  ひとつ思い出したことは、
  何かあったとき、
  自分は自分に『大丈夫』とか
  『次がんばろう』とか言いきかせてます。
  それもそうなのかなと思いついて
  嬉しかったです」
 「ある子と、ある日を境に
  ばったり口をきかなくなりました。
  いつも私はその子にべったりで、
  2人で一つだねと言われたくらいでした。
  今日の話をききながら、
  私は自分のことだけ考えていたと
  思いました。
  相手のことを考えない発言や態度が
  あったと思い出しました。
  そのことをすぐにあやまりたいです」
 「僕は、中学に入って、部活や生徒会や
  クラス、勉強と悩むことが多くて、
  周りと比べていらいらします。
  なんで自分は生きてるんだろうとか
  思ったりもします。
  でも大丈夫だと思いました。
  周りに頼れる人がいることを
  思い出せました」
 私は、読みながら、中学生のしんどさや、
 複雑な心のうちを感じて、
 本当に心から「ゆっくりでいいよお」と言いたくなる。

③自分の改善点を書きながら、
 最終的に自分を認める方向で
 まとめているものが目立

 「私のクラスに、一人で行動できなくて、
  リーダー的な人に逆らえない、
  下っぱみたいな人がいます。私はそれをみて
  敵にまわすのは怖いかもしれないけど、
  もっと勇気をもった方がいいと思っていました。
  少し自分より下にみていました。
  今回の講座では、そうやって差別する
  自分に気がついてしまい苦しかったですが、
  それに気付けたのはすごいことだと思いました」
 「自分は他人に嫌われないように
  一生懸命に自分を偽るときがあります。
  でも完璧ではないので、素が出る時もあります。
  出てしまった素も、受け入れていきたいと思いました」
 「今日の話を聞いて、ぼくには、
  みてみぬふりをする自分や、
  わるいことを考える自分、
  さぼってしまう自分がいることが
  わかりました。でも、最後まで
  たにざわ先生の話を聞いて、
  その自分もうけいれればいいと
  思いました」

④私への改善点を率直に書いてくれてるものがある
 「あと、今日の講座の内容はよかったのですが、
  スクリーンがまったく見えませんでした。
  もうちょっと見やすいと、もっと伝わりやすい
  と思いました」
 「ずっと座っているのもあれなので、
  子ども同士になんかやらせてもいいと
  思いますよ」

他にも、

「正直5時間目だし『ねむくなってしまうかな』と
思ってました。でも話がおもしろくて寝ることが
できませんでした」←これ、めちゃ嬉しい。

「ぼくは今まで谷澤さんがいうように、
自分は自分の物語の主人公だと思って
ましたが、主人公である自分の存在を
あまりにも大きく作りすぎてきたと
思いました。『地球は自分のために
まわっている』タイプだったです。
でも話をきいて、少し他人も大切に
思うようにしてみようと思いました」
←いやあ、「少し他人も大切に」の
 「少し」ってところが正直な感じ
 がして、なんか嬉しいなあ。

「先生の話は、
自分という生き物がどういう生き物
なのか考えさえてくれました」
←そんな時間になってよかったよ

「『怒ってしまう』ということは
『相手を考えられていない』とも
『自分をしっかり主張してる』とも
言える。自分は他とは違う。だからこそ
間違いはないのではないか。親から
与えられた自分の物語を最高にするだけだ」
←リフレーミングのことなど、一言も
 言ってないのに、
 「同じ出来事でも、人によって捉え方は
 違う」という話から、この感想。
 すごい。

「自分で自分のことがわからなきゃ、
 誰もわかってくれない」
←これは、いっぱい書いてくれた感想の
 最後に「 」で書いてくれてあって、
 宣言するみたいで、なんか応援したく
 なる。

「自分には自分なりの考えがあって、
 人には分かってもらえないことも
 あるかのしれないけど、
 意見をもつことができるだけでも
 すごいことだと思いました」
←ほんと、ほんと、ほんと、そう。
 私もそうだと思う。

「誰がなんといおうと、
 自分は自分だと思いました」
←そうだ!その通りだ!彼は
 この後に、細かい文字で
 いろいろ自分のことを書いてくれてる。
 ありがたい。

「自分の感情の変化に興味を持ちました。
『友達と違っていい』とふだん、よく
 言われますが、頭でそう思っても、
 実際違うとやっぱり気にします。
 でも今日改めて、『自分』は『自分」
 と思えて、すっきりしました」
←中学生のときって、違っていいって
 思いにくいよね。でも頭のすみに
 今日のこと、ちょっとだけでも
 置いといてくれるといいな。



このプログラムが私はめちゅ好きだれど、
条件があって、
①1年の間に2回伺うことができる
②1回目は「心の健康とは』か
 「自分も友達も大切にした
   コミュニケーション」を行い、
 その感想を全校生徒分読ませてもらって、
 二回目がこれ



自分は自分だし、
他者と違っていい
なんて、
話の中で言葉で言わないんだけど、
そういう印象が残ってくれていること、
すっごくすっごく嬉しい。


中学生の
「周りと同じでありたい」という想いの
強さは、
いつの時代でもあるし、
それはきっとこれからも
すごく薄くなることはないかもしれない。

ただ、違いを感じた時に、
それを表に出せなくても、
せめて心の中では
「違っていい」ってことを
認めてくれるといいと思う。
せめて自分では、
「他者と違う自分」を責めなくていいって
分かっててほしい。

そんな願いがある。
来年はいっぱいやれるといいなあ。


 
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わるくち。

【2015.12.02 Wednesday 22:40
「友達が他の人の悪口をいってきたら、
 どうしたらいいですか?」

今日、小学校5年生への「心の健康」という
タイトルの授業を終えたあとに
出た質問。


「うんうん、そういうことあるね。
 そういうことあると、困っちゃうよね」
って私は答えた。


自分は、その子のこと、
そんなに悪く思ってなかったりすると、
うなづいちゃうと、同意したみたいになってしまって
気持ち悪いし、
反対に
自分もその子のことイヤだなって思ってた場合だって、
そのことで盛り上がるほど嫌いじゃなかったりすると、
すごく困る。

「悪口いうの、やめようよ」
って言えればいいけど、
「え〜何それ?いい子ぶっちゃって」
なんて言われたら、それも困る。


そんなことを考えながら
その時私が答えたことは・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・


そういう時、
実はいくつかの行動を選べる。
4つくらいの行動がとれる。

1・ごまかす
 他の話をしたり、用事があるふりをして
 その場を離れたりする
2・自分の正直な気持ちを言う
 「ごめん、私、今その話し、ちょっと無理」
 的な。
3・注意する
 「うわさ話はやめとくか」
4・いったん話に乗る
  どうにもならない時は
  乗るしかない時だってある
  (あとで、もやもやを
   大人の人にきいてもらうのはあり)

他にも、
もっといろいろな方法があるかもしれないけど、
今、私が思いついたのは、以上。
で、その中のどれを取るかは、
自分で決めていい。

厳しい言い方かもしれないけど、
自分で決めていくんだ。


・・・・・・・・・・・・

以上のようなことを言いいながら、
バシっと、正しいこと
つまり、
「そういう時は、
 『悪口言うの、やめよう』って言いましょう」
のようなことを言った方が
ホントはいいんだろうなと思った。

でも多分、そういう正しいことは、
先生方が言ってくれていて、
私は今日「先生」とは違う立場の人として
そこに呼ばれたんだから、
私の考えで話していいんだよな
って思い直してた。

後で校長先生に
「そこんとこ、どうなんでしょうか?」
と質問すると、
「正解はひとつじゃないですよ」
って言ってもらえてほっとした。







さて、
この質問に関して、
言い足りなかったことを書いとく。


言い足りなかったこと①
そうやって自分で決めていく時に、
方法(難しい言葉でいうと選択肢)を
いっぱい知ってた方がいいよね。

方法(選択肢)をいっぱいもつためにも、
毎日の中で、みんながもうやってるみたいに、
いろいろ経験することは大切なんだよね。

いろいろ経験すると、
いろいろ感情がわいて、
いろいろ考えるから。

たとえば、

いつも3人で遊んでるとする。
授業で2人組を作る時、
自分はいつもその中の1人と組む。
ある日急にそのことに気がついて、
もう1人の子のことをみると、
クラスでいつも一人でいる子と組んでた。
「悪いな」って思う。
「悪いから、次回は自分が遠慮しよう」って思う。
でも、次の時もからだが動かない。
罪悪感、自分を責める気持ちがわく。
「よし次は、絶対、
 私はあの子と組むね
 って言ってみよう」
って思う。
でも。またできなかった。
「あ〜なんで、私って!!!
 こんなんじゃ、だめだ」

なんてことが、
心を厚くしてく。


そのうち、
「私、今日はあの子と組むね」
って言えて、
そのことで
胸のつかえがとれて、すっきりしたりして、
それはそれで、
心を深くしていく。


同じチームの子が、
いい場面でシュートをはずした。
つい、
「なんでだよ!」
って言ってしまった。
後悔・・・


給食のデザートの缶をひっくり返した。
あっちゃー。
やっちゃったあ。
なんて時に
「おまえさあ、気をつけろよ」
なんて適当に責めながら
雑巾もってきてくれた子。
軽く責めてくれたの、
結構助かった。
しかも、一緒にかたづけてくれたし・・・
感謝。



他者のことを考えたり、
気持ちを想像したりすることは、
心を厚く、深く、大きくしていく。


いろんな方向から
考えられるようになる可能性がある。



言いたりなかったこと②
悪口をききたくないって思ったら、
自分が言わないってのは、
結構有効。

他者のことはコントロールできないけど、
自分の行動についてはコントロールできる。

自分が言わなければ
悪口をきかされないって保証はできないけど、
せめて
自分がやれることをやっていこう。


そういえば今日、
授業が終わってから、
子どもたちが
わらわらと質問に寄ってきてくれて、
その中の一人の男子が、
「意地悪をしないって
 自分で決めて、
 そういうふうに自分を
 変えていけばいいんですよね」
と確認しにきてくれた。

「うんうん、そうだね、
 そうできたらいいね」
って私は答えて、
その子の頭をなででしまった。



「悪口」
ってことだけでも、
結構なテーマになる。

プログラム、できそうだ。





・・・・・・・・・・・・・・
という訳で、
10月から続いていた、
いろいろな学校での
全校道徳や
学校保健委員会の講師の仕事が
一旦終了。

清水の「Cafe 中川」さんのランチに
何度か助けられた。
今日もそう。
















 
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寂しがりや。

【2015.04.15 Wednesday 20:41
今晩の夕飯のメニューは
ごはん、もやしと油揚げのみそ汁、
メンチカツ、サラダ、
練り物、生青のり だ。

こう決めて、
とりかかる時の段取りが好き。

まずは玉葱をみじん切りにして炒めて冷ます。
その間にお鍋でお湯をわかし、
沸騰するまでの間に、
卵をといて、牛乳を混ぜ、パン粉をしとらせておく。
沸騰したお湯に出汁をとるための鰹節を入れ、
煮出している間に、油揚げを細く切る。
冷めた玉葱としとらせたパン粉とひき肉をまぜて、
丸めておき、
出汁のために鰹節をこす。
出汁の中に油揚げともやしを入れて煮て、
その間に、メンチのために
小麦粉を出し、卵をといておく。

こんなことが好き。
うまく運んで、
手持ち無沙汰な時間がなく、
台所仕事を終えると、
すごく気持ちいい。

母は、
作り終えると、
道具まで洗い終えているような人だった。
私は、とってもじゃないが、そこまでは無理だ。
母は私以上にせっかちだったんだと思う。

私の「せっかち」は
以前より一層色濃くなってきた。

こんなふうに
段取りしてどんどん進めるっていうふうに、
せっかちが良い方に出る場合もあるし、
あわてて忘れ物したり、
しくじったりと、
ダメな方に出ることも、もちろんある。

子どもの頃から
あれほど注意されてきたけど、
ちっとも直らない。
もちろん、それを補う方法は
いろいろ身につけてきたけど、
「せっかち」自体は直らない。



うちの犬カルは、
めちゃ寂しがりやで甘えん坊だ。
先代バーニーも
出かける時に多少は騒いだが、
カルは、もうこの世の終わりのように
さみしがる。
朝、夫が着替え始めると、
すがりつくような感じだし、
夫が出かけてしまうと、
私に訴える。
私のそばを離れず、
膝にのろうとする。
お化粧を始めると、それは出かける前の準備だと
彼女はもう分かっていて、
騒ぎ始める。

そんな彼女を一人にするのは
本当に辛いけど、
ドアを閉める。

先代バーニーは気位の高い犬で
抱っこなど、成犬になってからは
ほとんどしたことがないが、
カルは抱っこをせがみ、
ソファーで抱っこすると、
そのまま寝てしまったりする。
夫はそんな私をみて、
「あなた溺愛だね」と言うが、
溺愛で結構!って感じだ。

カルは「寂しがりや」で「甘えん坊」だ。
それを変えようとしても、無理だ。
「寂しがりや」で「甘えん坊」の
カルと、どうつき合っていくかが
私たちのやることだ。


そういう生来、
その人(あるいは犬)自身が
もっている傾向がある。
それを変えようとしても、
なかなか難しい。
それを、
できれば生かしながら、
生かすまでは無理な場合は
折り合いつけながら、
どう生きていくか。


「慣れるのに時間がかかる」という
傾向がある方にとっては、
この季節はなかなかきついかもしれない。
でも、
「なぜ慣れないんだ!自分」
と自分をののしっても、
慣れるのが早くなる訳ではなし、
だとしたら、
「この時期は、時々自分をゆっくり
 させてあげる時間をもちながら、
 失敗があったとしても
 仕方ないって思いながら、
 なんとかすごそう」
くらいな感じでいけるといいと思う。

「せっかち」な私は、
同時に「不注意な部分」もいっぱい
もっているし、
「片づけ下手」もある。
そういう自分とどうつきあっていくかだ。

「計画をたてるのが苦手」や
「全体がわからないと不安」や
「納得しないと行動できない」や
「急な変更は受け入れられない」や
「初めての人とは、話すのがおっくう」や
いろいろな生来自分の中にある傾向と、
どうつきあっていけるかは、
良い人生を生きていく鍵だ。




生来の傾向と共に、
生き物として抗えないものもある。

たとえば私の場合、
今回の種子骨障害もそうだし、
老化もそうだ。

白髪も
忘れっぽさも
体力も
老眼も、
それに対抗したり、否定したりしても、
どうにもならない。
やはりどうつきあっていくかは
ポイントだ。

で、老化に関しては、
これまで生き物として
そして社会的な動物として
生きてきた中での知恵や経験が
ある程度蓄積されているから、
とまどいはありながらも、
調整していける。
がっかりしながらも、
受け入れながら
日常を生きられる。

ただ、思春期の時の
からだに起こる変化は、
10数年の人生の中で、
初めてのこと。
感性や衝動など、
生き物としてのパワーが強い子ほど、
きついんだろうな。

それを、
カルをみていてつくづく考える。
今、彼女は
初めての発情期を迎えている。
これからしばらくの時期、
彼女の中では
子孫を残すために生殖行動をすることが、
遺伝子に組み込まれた
優先順位の一位。

自分のからだの中に起こっていることが、
なにがなんだかわからない混乱を
彼女が感じているのが分かる。

トイレの失敗も多くなり、
なんとなく元気もない。

不安そうだ。

そんな中、
やむにやまれぬ衝動と、
ともにいるカル。



私の活動している中学校、高校で
出会う子どもたちは、
まさに思春期真っ最中。
からだの成長と心の成長の
アンバランスが、
認知や感情や行動に、
様々なことをしかけるのは、
人間も生き物だからこそだ。

そこをどう乗り切るのか?

カルに対して、
何もできず、
ただただ見守る私。

保護者の方も、
子どもが大人になっていくこの過程を、
どうやって見守ってあげられるか、
どうしてあげればいいのか、
しんどいこともあるだろうし、
不安も迷いもあるだろう。
思いっきり気も心も使うんだろうな。


さあ、
今日から高校での活動が始まった。
来週から
中学、小学校も始まる。


子どもたち自身はもちろん、
彼らを支える保護者や先生方が、
思い通りにならないものは受け入れて、
コントロールできることを
コントロールするように努力していくことを、
私なりにサポートしていこう。


さ、スタートだ!!!




飲みに出かけた夫を
階段の上で待つカル。↓








 
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「でもね」というより「だよね」から。

【2015.03.06 Friday 19:24

子育ての講座に参加してくださった
Aさんは、2人のお子さんを育てるお母さん。
学校の役員の仕事などを
責任もって果たそうとされる
本当に素敵な方。

その方が子育て講座参加後の変化を
話してくれた。
(この話をここに書くことを許可いただきました)
それまでは、
「早く〜〜〜しなさい」
「ちゃんと〜〜しなざい」が多かったけど、
それをやめてみたんだそうだ。

子育て講座では、
まず気持ちは受け止めて、
行動に関しては、
指示したり、相談したり、アドバイスしたり
しようってことを、
繰り返しやる。

たとえば、
「あ〜もうやだ。
 塾いくの、やだ」
と子どもが言ったら、
「そんなこと言ってないで、行きなさい」でも、
「だめだよ、休んじゃ」でも、
「そうやってまたなまけようとしてるね」でもなく、

「そうかあ、いくの、いやなんだ」と
一旦は受け止め、
「じゃ、何時に出る?」
と行動は応援してあげよう!
って感じ。


Aさんは、それをやってくれた。

幼稚園の年中さんの娘さんが
お片づけが苦手なんだそうだ。
これまでは「早く片付けようね」というと、
「だってまだ遊ぶもん」という会話が多かったそうだ。
Aさんは夕飯の支度をしながら、
ちらかったままの部屋を見ると、
だんだんイライラが募り、
「早く片づけなさい!」と
大きな声になってしまっていたんだそうだ、

私は、大きな声になってしまうことが
あったとしても、
全然いいと思うけど、
でも、Aさんは、
そうじゃない方法を考えた。

そこがすごい!
ほんと、すごい!

娘さんを変えようとするのではなく、
自分の方法を変えて、
娘さんの行動にいい影響を与えようとしている。

「もうすぐ夕飯だよね?
 どうしようか」
と言うと、
案の定娘さんは
「だってまだ遊ぶもん」

その次のAさんの対応がすごいんだけど、
「そうか、遊ぶんだね」
(受け止めてる!!!)
でもそのままでいいにしてしまわないで、
「使わないものだけ、カゴに入れよう」
と一緒にカゴに入れることを
何日が続けたそうだ。

そしたら、
ある日、
夕飯の支度をしているAさんの目に
さんざん遊んだあと、
一人でカゴにおもちゃを入れている
娘さんの姿が飛び込んできた。

 えええっ?
 私が何も言わないのに、
 自分で考えて、自分から行動してる?

Aさんは嬉しくって嬉しくって、
娘さんを抱きしめて、
「お母さんが何にも言わないのに、 
 自分で考えてお片づけして
 エラかったね」
と言ったそうだ。


この件をまとめて、
彼女は私に、
「『でもね』じゃなくて、
 『だよね』から始める
 会話にしたほうがいいんですよね」
と教えてくれた。

こんなに分かりやすい言葉で
まとめてくれたAさん。


親「宿題まだやってないでしょ、やりなさい」
子「あとでやるし」
親「でも、いつもそういって、
  結局遅くなって、困るのはおまえでしょ」

親「ママ、これ買って」
子「でもね、今日はもうひとつ買ったでしょ、
  何個も買えないよ」

そういう会話が、絶対悪い訳ではない。
ただ、違う方法を知っておくのも悪くない。

「でもね」の次にくるのは、
相手を否定する言葉がほとんどだろう。
それとは逆に、
「だよね」は、
相手を受け止める言葉だ。

ちょっとだけ同感の匂いがするから、
同感できない時のために、
「そうなんだね」
という、
共感を示すような言葉ももっておくのも
いいかも。


「だよね、今やりたくないんだね。
 おし、何からやる?」
みたいな。

「だよね、ほしいの、わかるよ。
 次はそれ買おうか」
みたいな。


これは、大人同士の会話にだって
使える。

夫「あ〜もう、
  また上司が言いたいこと言うし、
  おれがどれだけ企画だしても、
  却下だよ」
妻「でもさ、それ乗りこえてこそじゃん」

というよりは、
「そうなんだ。
 それはしんどいね。
 出し続けてるってすごいじゃん」


妻「は〜、またママ友のランチで
 なんだか疎外感だよ」
夫「でも、おまえが行くからだろ?
 なんで断らないんだ?」
妻「断れる訳ないじゃん」
夫「じゃ、文句言うな」

というよりは
「そうか。それはやだったな。
 子ども繋がりは、大変だな」
なんて言ってもらえたら、
「もうちょっとがんばってみようかな」
なんて思えたりする。


人は否定されると、
自分を守るために
心のシャッターをおろしたり、
スルーして聴かなかったことにしたり、
言い訳しようとすることが多い。
なので、そこにある問題そのものの
解決に近づかないこともある。

受け止めてもらえると、
安心して、
自分でどうしたらいいか考えられるもの。


Aさんに教えてもらった
「『でもね』というより
 『だよね』から」
これ使えるようになると、
楽になる人多いだろうな。

ありがと、Aさん。






 
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今日は決めない。

【2014.10.24 Friday 09:31

「今日は決めない」ということを決めた
会議を行った。

教育の現場でのことで、
ある学年の先生方との会議だ。

なぜ「決めないと決めた」というと・・・

・半月ほど前に開催した会議で
 一度結論が出たのだが、
 何人かの方の中は、迷いながらの結論だった。
 その後、現場の中で想定内ではあったけれど
 問題が起こった。
 ↓ 
・再度検討しようということになった。

という流れだった。

再度開かれた会議の中では、
A案(決定していたこと)
B案(別の意見)
があり、
それぞれの意見をきいたあと、
全員の意見を発言してもらった。
参加された先生(ほぼ学年の先生全員)が
意見を発言くださり、
2案に集約はされるけど、
多様な、温かく、表現は違っても
子どもたちへの想いを感じられる、
そういう意見を聴く機会となった。

その中で、
ある先生が
前回の決定の過程では、あまり深く考えていなかった
ことを正直に告げてくれた方がいて、
「誠実」であることのパワーを感じた。


この会議のテーマは、
ある子どもの指導方針にかかわることだ。

今回の会議の結論は、
どちらかに決めない、
全員で考え続ける。
ただ、期限があることなので、
ぎりぎりのところで担任の先生が決める。
担任の先生が決めたことは、
それがどちらの案であったとしても、
学年全員で応援しよう!
ということを決めた。

担任が決定するために必要なことで、
協力できることはないか質問された方がいたり、
会議終了後には、協力を申し出ている方もいた。

若い先生にとっては、
キャリアのある先生の教育観のようなものに、
ちょっとだけだけど触れる機会になったと思う。
それから、どの意見も大切に扱われる場の
温かい空気を感じられる機会にもなったと思う。

そのポイントは、
あの最初に正直に話してくれた
前回はあまり考えていなかったことを
告げてくれた先生のおかげだったように思う。



私も会議の最後に、
先生方に謝った。
前回の会議の時に、
結論を急いだ私は、
ある程度のところで「専門家」としての意見を述べた。
「専門家」としての意見は、多分強いから、
それ以降B案をもった方々は、
多分言い難くなったと思う。
「今日のように、あの時全員の意見を
きかせてもらえるようにしなかった
私は責任がある。本当に申し訳ない」
と頭を下げた。


会議の質って、
何を決めたかってのも大切かもしれないけど、
実は「どう決めたか」なのかもなあ。

決めたけど、もやもやしている人が多いと、
結局実践に結びつかないことが多いし、
何かひとつ問題がおこるとぶれることもある。
でも、充実した話し合いの時間をもつと、
明確に決めなくても、
自主的に動けることもでてくる。
そして、また開けばいい。

この会議の時間を共有した先生方は、
成熟したチームへのステップを踏んだと思うし、
その場にいることができたことを
とってもとっても幸せに思う。



効率的で、結論がでて、役割分担できて、
次までに何をどの程度やるか明確になる
そういう会議は必要だと思う。
ただ、時々は、
こんなふうな、きちっとしてない、
ぼんやりとしていて、あやふやな、
そんな会議もいいのかもなあ。
私はそんなふうに思う。




 
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谷澤 久美子
counselor