今のところではありますが…
「本音」への態度

【2019.05.21 Tuesday 06:09

先輩に

「最近、アイディアにキレがないよね」

と言われたとしよう。

そんな時に、

「私のために言ってくれてるんだから、

 感謝しないと」

と思えたら素敵だ。

 

手一杯な状況の中、

上司から責任の重い仕事を任されたとしよう。

「厳しい状況だけど、

 これもチャンス!」

と捉えることができたら、

とてもいい。

 

前向きに考えるのは、

とってもとっても素敵なことだと思う。

 

ただ危惧もある。

 

本当に素直に、心からそう思えれば

それもいいと思うけど、

その出来事が起こった時から、

そう思えるまでの間に、

「本音」があったとしたら

その「本音」を自覚できるといいなあ。

 

 

「最近、全く企画をあげてない先輩に

 そんなこと言われる筋合いはない」

とか

「この状態で、それ?

 仕事量見てから指示してよ」

などという「本音」があるのに、

そのことに無自覚に

ポジティブな考えで上書きすると、

うまくいかないことも多いと思う。

 

ま、何回かはそれでやれるだろう。

 

でも、「本音」に無自覚が続き、

自覚しなかった「本音」がたまっていくと、

それは体や心に毒だ。

ためると、

よどんだり、

変質する。

ちょっとしたことにも

イライラしたり、

くよくよしたり

するようになったりするもの。

 

 

 

じゃ、どうしたらいいのか?

 

自分の「本音」を一旦は認めよう!

とおすすめしたい。

 

例えば、

「最近、全く企画をあげてない先輩に
 そんなこと言われる筋合いはない。

 悔しい」

とか、

「この状態で、それ?
 仕事量見てから指示してよ。

 めっちゃしんどい」

とか、

「本音」の中に湧いてる感情まで

しっかりと認識することだ。

 

この一手間を通りたいのだ。

その次だったら、

ポジティブシンキング、

すごくいいと思う。

 

「本音」を自覚した上に、

ポジティブに考えられたら、

幾つかの選択肢から、

自分の明日にとってプラスになることを

選んで行動できるんじゃないか。

 

 

ただ、

一般的には

「本音」は悪いものというイメージがある。

隠しといた方が無難だと、

なんとなく学習しながら成長するものだ。

 

(他者にわざわざ言うこともないけど、

 自分にまで隠してしまったら、

 そのままの自分を粗末に扱ってることに

 なってしまう)

 

そして

「本音」にどういう態度で接することが

心の健康に良いのかを

学ばないまま大人になる。

ピンチはチャンス!

とか

われ以外みな師

とか

言い聞かせて

毎日を暮らすのは、

ホント辛いよ。

 

 


大切なことは、

自分自身の「本音」に対して

誠実であること。

 

「本音」への態度を知り、

日々の出来事の中で

実践すること。

 

 

 

この重要性を伝える機会をいただいてる。

 

今週火曜は20代〜30代の男性の組織で

話した。

明日はボランティアで保護者を支援する方々に

お話する。

 

なんか、このことに関して、

私はめっちゃ力が入ってしまうんだなあ。

 

 

 

 

 

 

「居るのは辛いよ」、、、これまた良き本。

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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「愛と誠」反芻デイ

【2019.05.14 Tuesday 17:50

「愛と誠」という漫画に、

幼い時にハマった。

 

 

いくつかの印象的なシーンの中で、

今も時々想起するエピソードがある。

 

 

愛の父親はある事件で汚名を着せられたが、

その事件の真相を話そうと

会見の場を設定した。

しかし、

真実がバレることを恐れた人たちが、

不用意に行動していた

愛の母親を誘拐してしまった。

父親は彼らからの取引に応じて、

会見をとりやめた。

返された母親に対し、

父親は「浅はかな真似をしてくれたな」と

責める。

 

その次の瞬間の愛の言動が、

子どもだった私にとっては

衝撃だったんだ。

 

優しくって、周囲をいたわり、

天使みたいな心の愛が、

なんと、

母親を罵倒したんだ。

 

謝る母親に対して、

「謝ってすむことではない」

とか、

「自分の夫の面目を丸つぶれにした」

とか、

「なぜ誘拐された時、夫の名誉を守るために、

 舌を噛み切って死ななかったのか」

とか・・・。

結構な剣幕で、結構なことを言う。

 

すると、それまで責めていた愛の父親が、

「そこまで言わなくても」と

母親をかばうのだ。

 

愛は、

「やってられない」のようなことを

つぶやき

家を飛び出る。

 

 

私は、驚愕!

そう驚愕って言葉がぴったりくるような

気持ちを味わい、

愛は一体どうしてしまったのかと思った。

 

 

続いて

誠が愛の言動を解説する。

 

誰かが憎まれ役をやらないと、

父の恨みが母親に集中する。

もしかすると夫婦は

うまくいかなくなるかもしれない。

それを見越して愛が憎まれ役を熱演したと。

 

「自分は、

早乙女愛に対して、

ずっと悪役を演じ続けてきた

悲しい三文ピエロだから、

愛の気持ちがよくわかった」

と告白するんだ。

 

薄く見積もっても

40年以上前のことだから、

細かいところは勘弁してもらって、

大筋こんな感じで、

このシーンは、

初めて誠が愛に、

愛を告白するシーンでもあるんだけど、

私にとっては、

その前の、

「憎まれ役をやることで

 その場の弱い立場の人を守る」

という行為が、

なんというか、

神聖で、

尊くて、

美しくって、

高邁で、

演じるとしたら「いい子」しか

知らなかった自分に、

もう

本当、ズドンときた。

刺さった。

 

そのあと、

小説やドラマで

憎まれ役が登場するたびに、

「愛と誠」のこのシーンを

思い出してた。

 

そして、今日のNHK朝ドラの

「なつぞら」だ。

 

 

血が繋がっていない自分を

育ててくれた家族(北海道で)に

「東京に行きたい」という主人公。

 

草刈正雄演じる祖父は、

主人公を愛しく思うばかりに、

本当の家族になりたいし、

主人公の牛飼いという仕事に

期待していて、

だからこそ

「お前の顔は

 もう二度と見たくない」

と言い放す。

 

あ〜おじいちゃん。

なんてぶきっちょな

憎まれ役。

 

「申し訳なくていられない」

という主人公に

愛で溢れてる分かりやすい憎まれ役の

松島菜々子演じる母親は、

ビンタ!

 

「申し訳ないなんて

 言われるくらいなら

  憎まれたほうが、

 よっぽどましだわ。

  一人で苦しみたいなら、

  家族はいらないっしょ」

 

 

そんなわけで、

今日は

「愛と誠」反芻デイ。

 

 

人生の中で一度は、

誰かのために、

憎まれ役やれると

少しは大した人になれるとちゃうか?

なんて、今日は思う。

しかも誰にもばれずに。

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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人生からの問い。

【2019.05.12 Sunday 15:23

私は中学生・高校生の頃に、

よく考えた。

「なぜ私は跡取りなんだろう?」

「なぜ私ばっかり将来を

 決められているのか?」

 

菓子の製造卸販売を家業としている

家に生まれ、

二人姉妹の長女だった私は、

小さな頃から周囲の大人から

「跡継ぎ」とか

「後継者」と呼ばれていた。

 

今になってみると、

親もきっと葛藤しながらの強要だろうと

想像できるが、

その頃はとってもそんな風には

思えないから、

「なんで?」「なんで?」

ってばっかり思ってた。

 

とにかくイライラしてたし、

もやもやしていて、

高校生の時には家出を企てたり、

大学で自由になるために家族を騙したり、

しかも大学時代はめっちゃ自堕落な

生活を送ったり・・・

としていた。

 

 

ロゴセラピーを学んでわかった。

その問いの立て方では

うまくいかないのだ。

 

「なぜ私は跡取りなんだろう?」

と人生に答を求めるのではなく、

状況を、人生からの問いと

捉えてみるのだ。

 

「人生は、跡取りという立場を

 私にもたらせた。

 さあ、どう応える?」

 

もちろん、まだまだ幼かった私が、

ロゴセラピーを知っていたとしても、

そんな風に素直には

考えられなかったとは思う。

 

ただ、この視点を持って

こうして過去を振り返ってみることも、

悪くないなと思った。

 

昨日は、

谷澤相談室主催の

「ロゴセラピーを学ぶ会」

を開いた。

 

様々な人が

自己を内省し、

生きる意味を確認することを

援助していくロゴセラピー。

 

昨日は全4回のうちの1回目だったので、

「ロゴセラピーとは」を大まかに話し、

「私とロゴセラピーの出会い」を

聞いてもらい、

「ロゴセラピーのキーワード」から

少し深く知っていただく

2時間にした。

 

その準備のために

「私とロゴセラピーの出会い」を

まとめている時、

上記の

中高生の時のことを始め、

今までスルーしておいたこと

ロゴセラピーの視点で考え、

新しい発見もあったりした。

 

 

なお、
2回目から参加したいという方の
ために1回目の内容の講座を
5月27日(月)午後1時半〜3時半
で開催します。

限定5名(締め切りました)。

興味ある方は、

kumikotanizawa@gmail.com

まで。

 

 

 

 

1回目に参加してくださった方の

フィードバックシートから

オープンOKのものを紹介。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・私も、なぜ自分は生まれてきたのか

 ずっと問いかけてきました。

 感覚で、自分を、自分に起きた出来事を、

 客観的に見れるようになってきたところ

 でしたが、今日、本当に腑に落ちました。

 そうか!そういうことだったのか、と。

 目の前がさらに開けた気がします。

 そしてさらに「自己超越」があることを

 知って、感動しました。  シヲ

 

・過剰自己観察しがち。

 自己距離化の能力までは

 私は持っている。

 「なぜ?」と問うのではなく、

 人生から問われている、

 それにどう応えるか

 と考えると、

 ずいぶん気が楽になりました。

 体験談を通して分かりやすい話を

 聞くことができ、

 とても元気をもらえました。

 ありがとうございました。S

 

・人間は生きる意味を求める強い意志を

 持っている。

 環境が幸せに与える影響はわずか。

 また自ら動くことで幸せを感じる。

 ということは、おかれている状況を

 嘆いてもしょうがない。

 いつだって、自らの意志で幸せに

 向かっていけると思った。I

 

・講師の経験されたことが印象的でした。

 その渦の中にいるときは、

 きっとお辛かったと思うけど、

 そこから意味を見出された講師は 

 すごいなと思いました。

 私は、過剰自己観察をしてしまう

 ことがあります。でも最近は、

 「あ〜またやってる私」と

 少し自己距離化できるように

 なってきました。

 価値を見出すまで、

 意味を見出すまで、

 幸せをもっと感じられるように

 なるまで、

 これから少しずつ考えて

 いきたいです。     T

 

・「日々の平凡な暮らしの中に」

 という言葉に救われました。

 私のような人間には、意味を

 見つけにくいのではと

 思ったのですが、

 平凡な中にも意味があるという

 言葉で、私もこの先生きていける

 と思いました。    Y

 

・私がボールをどう投げるか?と

 いう言葉が印象に残っています。

 自分に選択する自由があることを

 忘れずに生きたいと思います。

 人生でいろいろな「お題」が

 自分にやってきますが、

 そのひとつひとつを意味あるものに

 していきたいです。

 自分以外のものは変えられない。

 自分の感情を味わいつくし、

 どんな自分も受け入れていきます。

             M

 

・過剰自己観察に陥りやすい自分が

 わかりました。

 時々、ノートに現状や心の中を

 書いていたのは、

 自己距離化していたんだと

 わかりました。

 この行動には意味があったのですね。

            まーみん

 

・心に残っていることは、

 良心=意味器官

 自己超越

 過剰自己観察消去

 「ロゴセラピー」という名前は

 知っていましたが、

 その内容には今日初めて触れて「?」

 のことがいっぱい出てきました。

 それをこれから解き明かして

 いくかと思うと、

 少しワクワクします。

             もも

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

今回はフィードバックシートに、

「理解が難しかったところは?」

という項目を作ってみたが

みなさん、

いろいろ書いてくれている。

 

次回に何をどう話したらいいかの

ヒントをいただいた感じ。

 

「難しかったこと」で

特に多くあがっていたのが、

「日常で生かせるかが難しそう」

ということ。

そのための仕組みを

次回紹介するつもり。

 

またそれ以外の質問にも、

お答えするよう準備していきますね。

 

お楽しみに!

 


 

 

 

 

↓南部町のなんと!

 無料のドッグランにて

 気前がいいね、南部町。

 ありがとう!!!

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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影響

【2019.05.11 Saturday 10:22

自己確認の方法を

まとめると

大きく二つになるんじゃないか

 

一つは

出来事が起こった時に、

自分の中に湧いた感情や

持った考えや

体の反応や

選択した行動を

知ろうとしていくこと

 

知ろうとするとは、

言語化を試みるってこと

 

 

もう一つは

「他」と出会うこと

 

「他」とは、

他者でもあり、

本や映画など芸術作品であり、

未体験の食べ物や服や道具であり、

新しい知識など、

つまり

「体験」がキーワードになりそうだ

 

「他」を鏡にして

共通の思いや

違いがはっきりし、

自分ってものが明確になっていく

 

〜〜〜

のような話を

今年度の初め、中学生に話した。

 

その時、

「他」と出会うのは、

わざわざどこかに行かなくてもいい

それは日常の中にもある

ってことの例として、

山田和花さんの話をした。

 

私は彼女を直接知らないが、

勝手にめちゃ尊敬してて、

このブログでも、

前にも書いた記憶がある。

 

当時学生だった彼女が書いたコラムに

こんな話が掲載されている。

 

「私には、小学校時代の授業を

 振り返ると真っ先に浮かぶ

 授業があった。

 それは小学校四年生の時の

 道徳の授業でのこと。

 担任の先生からこんな質問が

 クラス全員に投げかけられた。

 

 『とても仲良しな友達がいます。

 しかしその友達は遠方に

 引っ越すことが決まりました。

 二人は文通する約束をして別れます。

 間もなく、最初の手紙が届きました。

 その手紙は切手の料金が足りなかった。

 不足分は受け取ったあなたが支払いました。

 そのことについてあなたは

 少しがっかりして怒ります。

 さて、切手の料金が足りてなかったことを

 返信の手紙に書きますか?』

 

 クラス全員が何らかの形で書いて知らせる

 って答えたけど、その中でただ一人

 『書かない』って答えたのは

 担任の先生だけだった。

 先生は最後までなんで『書かない』派

 なのか理由を話してはくれなかった。

 

 モヤモヤした私は、

 いろんな人にどうするか聞いてみたい

 衝動にかられ母に授業と同じ質問をしてみた。
 母も『書かない』派だった。

 答えが聞けるような気になって理由を聞いてみた。

 

 『手紙は話すのと違って文字として

 残るものだよ。大人になった時、

 一緒に過ごした大好きな友達からの手紙として

 ずっと残しておきたいと思うかもしれない。

 その子が大人になった時、

 手紙を読み返して料金のことが書かれていたら、

 どんな気持ちになると思う?』

 

 返ってきた理由に、当時の私は、

 そんな先のことまで考えてたの?って。
 自分では思いもしなかった答えに

 とても驚いたのを覚えてる。

 

 それが初めて、先を想像して判断する

 ってことを意識した瞬間だった。

 それ以降、私の物事の判断基準の中に

 時間軸というものが加わった。
 そして私は、その時間軸の概念が

 今の政治には足りないんじゃないかな

 ってすごく感じてる。」

 

そして、彼女は思い切って

バイト先の仲間たちに

選挙に行こうと誘うと

決めたそうなのだ。

 

 

日常の、

例えば授業の中にも

「他」と出会う瞬間があるし、

今学校に行っていない子どもたちにだって、

ネットやゲームや

「うたいてさん」や「アニメ」の中に

「他」はいっぱいあるってことだ。

 

 

もちろん

出かけて出会う「他」もある。

 

 

私が初めて

多面的なものの見方を知った瞬間は、

小学校4年か5年の身延山のロープウエイの中だった。

祖父母に連れて行ってもらった身延山。

身延山は何度か訪れたことがあったが、

その日初めてロープウエイに乗ることになった。

 

なのに、なんてことだ、曇!

外の景色が全く見えない。

私は祖母に

「何にも見えないね」と言った。

 

すると一緒にゴンドラに乗ってた

年を重ねた女性の方が

「本当だね。残念だね。

 これはまたおいで!

 ってことだね」

と言ったのだ。

 

そんな考えがあるのか!と

私はびっくりした。

そして、なんだか嬉しくなった。

もう一回来れるなら

曇天もいいような気がしてきたのだ。

 

ものごとを一方的には見ない考え(他)を

知って、

自分はそうではなかったことに気づき、

新しい考え方を自分の考えに加えていく。

 

 

そういう自己確認を繰り返しながら、

いろいろな影響を受けて、

58歳を生きている。

 

 

 

ある時、

私は新しい知識を学ぶことで

わざわざ「他」と出会うことを始めた。

それまでの自分の方法では、

うまくいかないことがあったからだ。

 

まずは

「CL〜建設的な生き方」という人材育成法を

通して

感情と行動について学び、

 

次に

「アサーティブ」で

自他尊重のコミュニケーションの方法が

あることがわかり、

練習次第で、使えるようになることも

知った。

 

「認知行動療法」で

出来事による反応を区別することと、

自分の陥りがちな考え方のクセを知り、

それが出てきた時の対処を知った。

 

 

そして「ロゴセラピー」で、

生きる意味を人生に問うてもうまくいかない。

「人生が、その状況を通して、

 あなたにどうこたえる?と

 問うている」

という考え方を知る。

 

 

感情をマネジメントして、

自他尊重のコミュニケーションの

スキルを使って何かを伝えたとしても、

 

それが「自分本意」であると、

 

CL的でもないし、

アサーティブでもなく、

 

何となく落ち着かなかった意味が、

 

ロゴセラピーを学ぶことを通して、

ストンとわかった。

 

 

そんな私が、

初めて

その「ロゴセラピー」を

私の言葉で話すのが、今日。

 

さっき準備が終わったところだ。


 

 

 

さて、中学校の話に戻る。

 

私が話し終わり、

ある3年の男子が感想を発表してくれた。

彼が話すことは決まっていたようだが、

話す内容はその場で考えたことのようだ、

 

感想をいろいろ話してくれた最後に

彼は言った。

 

「先生の考えは

 僕の考えとは少し違うところもありました。

 それこそ、今日僕は『他』と出会ったんだと

 思います。

 その違いについて、

 しばらく考えてみたいです。

 ありがとうございました」

 

私はこの瞬間を思い出すたびに、

心の深いところで

自分が喜んでいることを感じる。

そういうことがやりたいんだ!と思う。

 

彼の感想という「他」を通して、

私は自分のやりたいことを知る。

 

 

 

今日の「ロゴセラピーを学ぶ会」が、

参加者の方々にとって、

いい意味の「他」になれるといい。

 

山田さんにとっての4年の時の授業や、

身延山での出来事や、

CLやアサーティブや認知行動療法や、

私に影響を与えた彼の感想みたいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↓5月4日に5歳となった カル

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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自分のタイミング

【2019.04.23 Tuesday 19:52

私の住んでいる地区の

ビン缶など不燃ゴミの回収日は

朝6時から8時までの間に

決められた場所に持参する。

立会う人が通常2名で

それを見守る。

この見守り役は、

何年かごとに回ってくる。

 

今月はなぜか4名の方が

立ち会ってくれていた。

 

ペットボトルは

ラベルをはがし水洗いして踏み潰し、

缶はアルミとスチールを別に、

ビンは色ごとに分けてコンテナーに

入れる。

 

見守り役は

何年か前までは、

前の晩から出してあったものを

分別することで最初の30分くらいは

忙しかった。

 

その日、

私は6時になるとすぐに

出しに行ったが、

立会う人たちは、

すでにおしゃべりをしていて、

つまり時間を持て余している感じで、

それは4人いたからという訳ではなさそうで、

というのは

回収されているビン缶など、

量が圧倒的に少ないのだ。

 

最近は、

スーパーマーケットの

常時オープンしてる回収場所に

出す人が多いんだと思う。

 

私も、時々はそこに出す。

 

古新聞も同じで、

以前は、

自治会が回収して活動費にしていたので、

その日に出したり、

引き取りを仕事にしているNPO法人の

回収日に家の前に出したりしていたが、

最近は、

いろいろな場所にできた古紙ステーションに

出してしまうことが多い。

 

なぜそうするのか?

 

私の場合は、

「自分のタイミング」だ。

決められた日に合わせて出すのではなく、

出したい時に出したいんだ。

 

きっと多くの人が、

そうじゃないかと思うのだが、

どうなんだろう?

 

考えてみると、

いろいろなことで、

相手に合わせるのではなく、

自分のタイミングでできることが

多くなっている・

 

テレビの番組も、

とにかく録画をしておいて、

自分のタイミングで、

しかもCM飛ばしてみる。

 

 

今度初の

スクールカウンセラーなどが集まる

大人数の会議に参加した時も、

それぞれの机の上には水筒があり、

休み時間を待たずに

それぞれのタイミングで飲む。

 

会議の中で分からないことがあったが、

その言葉をメモっておいて、

休み時間に調べる・・・

ではなく、

机の下でスマホで検索。

私はそうした。

決して

会議や話している方を軽んじているわけではなく、

そこでつまづいているより、

そうした方が会議の内容は

私にとってはより意義深くなる。

 

 

我が家は、人間は二人しかいないし、

一緒のタイミングで食べる方が効率的なので、

(いや効率的だからというより、

 私が一緒に食べたいからなんだけど)

そうしているし、

なにしろ昭和だから、

家族全員一緒に食事が当たり前の中で

育ってきたけど、

今、塾があったり、部活があったり、

残業があったり、

働き方改革で逆に早かったりで、

家族全員一緒に食卓を囲まない家庭も

多いだろう。

一緒にとなれば、

みんながその時間にちょっとずつ努力して

合わせるのだけど、

そうではなく自分のタイミングを

大切にできているんだと思う。

 

電話もそうだ。

自分が自分のタイミングを大事にしているから、

相手に煩わしい思いをさせたくなく、

まずラインで

「電話したいけど、今日空いている時間ある?」

と聞いてからにしている人は多いと思う。

 

 

 

さて、

今年度も私は小学校中学校高校で

スクールカウンセラーとして活動してる。

スタートして約3週間。

慣れるスピードは人によって違うけど、

3週間経つと、慣れたとは言えなくなても、

だいたいどんな感じかは、

ちらっとはわかってきた頃だろう。

 

わけがわからない時は

緊張でいっぱいだったとしても、

ちょっとわかってきただけに、

「違い」や「合わない」など意識することもあり、

それがしんどさにつながっている子もいると思う。

 

その中で、

学校の、

学年の、

クラスの、

班の、

隣の子の

タイミングに合わせないとならないことは、

疲れるだろうな。

 

何しろ、自分のタイミングを優先できることが

いっぱいある中で生活をしてきていて、

折り合いをつけるトレーニングの機会は、

年々少なくなっているんだもんなあ。

 

 

そう考えると、

みんな、よくやっているんだよなあ。

 

 

なんとかかんとか頑張ってきて、

世間はあと3日でGW。

私はあと4日で。

 

 

社会のタイミングに合わせて

ガンバってきた人が、

少し緩めるといいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもここで会う、

おやつをくれる男性が、

今日はいなかった。

彼を待つカルクラ。

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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「わかった」と思った瞬間

【2019.04.10 Wednesday 17:04

「なぜ人と人は支え合うのか」

という本は、

映画「こんな夜更けにバナナかよ」の

原作者の本。

 

帯には

「障害者について考えることは、

 実は健常者について考えることであり、

 同時に自分自身について

 考えることでもあります。(中略)

 そして、障害のある人たちが

 生きやすい社会を作っていくことは、

 結局のところ誰のトクになるのか、

 という素朴な視点で、福祉という

 発想を根本から問い直してみたい

 と思ってます」

とある。

 

著者の意図、とりわけ前半の

「障害者について考えることは、

 実は健常者について考えることであり、

 同時に自分自身について

 考えることでもあります」

この部分に、

私自身はハマった。まさにその通りに。

 

 

特に

「やまゆり園障害者殺傷事件」の犯人

植松被告の人物と考え方を

「高みから全否定するのではなく、

 その主張をわが身に照らして、

 じっくりと吟味してみる必要がある」

と試みている部分に、だ。

 

著者は植松被告を

・「もし自分だったら」という考え方や

  発想ができない人

という見方をしていると同時に、

世の中には

・「もし自分だったら」という言葉を用いて、

 いとも簡単に物事を判断し、結論を下して

 しまえる人もいる

と考え後者にも疑問を投げかけている。

 

私は、

後者の立場をとりかねない自分を

なんとなくわかってる。

それが私の浅さにつながっているとも

意識している。

意識しているから、

いろいろ本読んだり、

勉強したりして、

客観性や広い視野を保とうと努力してるし、

それでもなおそっち寄りになってることに

気がついた時は修正するんだけど、

それでも、先日も危ない時があった。

 

 

専門家Aと話している時、

あることの説明に

私は納得がいかなかった。

そこにいたもう一人の友人も、

納得がいってないようだった。

彼は反論したが、私はしなかった。

その時の私の思考は、

「Aさんは、きっと何か誤解して

 いるに違いない。

 目くじら立てることじゃない」

しかし、後日友人から連絡があり、

「Aさんが言ったこと、

 どう思う?間違っているよね」

と訊かれ、

「私もそう思うけど、

 Aさんほどの人が間違うはずないから、

 きっと誤解しているだけだよ」

と答えた。

しかしそう答えながら、

もう一度調べてみようと思い直し、

調べると、

間違っていたのは、なんと、

私と友人の方だったのだ。

びっくりした。

そして、わかって本当よかった。

 

その時の私の考えの流れは、

「自分だったら誤解もある。

 Aさんもそうだろう」で

片付けてしまっていたが、

友人がそのことに

こだわってくれたからこそ、

「あっやばい、

 自分だったらで考えを

 終わらせようとしている」

と気づき、

調べて正しいことを知ることができたのだ。

 

なんか、そういう時が

私にはあるんだな。

 

 

著者が紹介している

「もし自分だったら」と考えて思考停止する例は

「自分なら延命治療をしてまで生きていたくない」

などというもので、

私はそれとは少し違うけれど、

それでも、

自分にもその芽があることを

ちゃんと認識しておかねば!と、

自分に引きつけて読むことができて、

著者の意図に

引きずり込まれてよかったと思う。

 

 

 

帯に書かれている著者の言葉の後半部分、

「障害のある人たちが

 生きやすい社会を作っていくことは、

 結局のところ誰のトクになるのか、

 という素朴な視点で、福祉という

 発想を根本から問い直してみたい」

に関しては、

繰り返し述べている

「人はできることより、

 できないことの方が多い。

 できないことは助けてもらえばいい」

ってのが、私にはぴったりくる考え方だ。

 

これを丁寧に言葉にしてくれているのが

この本の中で紹介されている

「東京インクルーシブ教育プロジェクト」代表の

海老原さんの著作の中の言葉。

 

「人は『誰かの(何かの)役に立つ」ということを

 通して自分の存在価値を見出す生き物なんじゃないか、

 という気がします。でも、役に立てる対象(困って

 いる人)がいなければ、「誰かの役に立つ」こと

 自体ができないので、困っている人の存在という

 のも、社会には欠かせません。となると「困って

 いるよ」ということ自体が、「誰かの役に立って

 いる」ということになりますね。つまり、世の中

 には「困っている対象者」と「手を貸してあげら

 れる人」の両方が必要なんです。(略)

 一生困ったことがない人なんていないんだし、

 一生困ってる人を助けるだけの人だっていない。

 それが『平等』ということ。」

  (海老原宏美・海老原けえ子

    「まあ、空気でも吸って」より)

 

うんうん、そうだよなあ。

ほんと、そう思う。

 

って、ほら、わかった気になる私。

 

著者の渡辺一史氏はあとがきで

「『あの障害者に出会わなければ、

 今の私はなかった』ーそう思える体験を

 これからも発信し続けていくことが、

 植松被告の問いに対する一番の返答に

 なるはずですし、植松被告に同調する人たち

 への何よりの反論になるはずです。

 ゆめゆめ、人生について知ったかぶりをして、

 わかったようなことを言うべきではないと

 思わされるようなできごとが、

 この世界にはあふれているからです」

 

 

「わかった」と思った瞬間、

「本当に?」って問いかけ続けて

いくしかないよな。

それでだんだん断言できないように

なってるけど、それもありなんだよな。

 

だいたいブログのタイトルを

「今のところではありますが」に

したのは、

そういうことだったんだよなあ。

 

 

とはいえ、

「『こういう人が正解』という人がいて、

 『その条件を満たさない人は不正解』

 という考え方は間違いだ」

と思う自分の考え方に関しては、

堂々とこだわっていいと思ってる。

そのことは、

この本に描かれていることと共通している

と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ロゴセラピーを学ぶ会」へのお誘い

【2019.04.08 Monday 15:52

ロゴセラピーを学ぶ会へのお誘いです。

5月11日に第一回目を開催します。

 

もし今、悩み、苦しみ
迷っている方がいたとしたら、
ロゴセラピーは、
そのあなたの悩み、苦しみ、迷いに
意味があることを示してくれます。

 

相談、支援の活動をしている方は、
目の前の相談者に対して、
「その相談事こそ、
あなたの人生の意味を見いだすヒントですよ」
というスタンスでいいという
確信を与えてくれます。

 

一緒に学びませんか!

 

 

◆「ロゴセラピーを学ぶ会」

〜「生きる意味を見つけるための

  心理学を学び、日常にいかしましょう〜

 

内容:

 毎日それなりに一生懸命に取り組んでいるのに失敗

 すること、

 病気事故災害など突然襲ってくる理不尽な出来事、

 複雑な人間関係の中に巻き込まれたり、

 がんばっても報われなかったり、

 良かれと思ってやっ たことが理解されなかったり、

 「なんのために生き ているんだろう?」

 「自分の生きる意味は?」

 と問いかけたくなることもあるのが人生です。
 そんなあなたが「生きる意味」を発見する

 道しるべとなるのがロゴセラピー。


 ロゴセラピーの創始者

 ヴィクトール・エミール・フ ランクルは

 「夜と霧」(第二次世界大戦中にナチスによっ

 て送られた強制収容所での体験記。

 1991年のアメリカ議会図書館の調査で

 「私の人生に最も影響を与えた本」の9位)

 の 著者でもあります。


 「意味」(ギリシャ語でロゴス)を軸にした心理療法、

 ロゴセラピーの考え方を知り、

 日常に生かすため、学びあいましょう。
 

 1回目は「ロゴセラピー」とは?という講話
 2回目以降は考え方と実践のためのワーク

    というプログラムを予定しています。

 

 *1回のみの参加も可能。

 2回目以降参加される予定の方は、

 なるべく1回目に参加されることを

 お願いいたします。

 1回目の参加が難しく、2回目以降の

 参加を希望される方は、相談いたしましょう。

 

講師:谷澤久美子(C級ロゴセラピスト)


日程:1回目5月11日(土)14時~16時

   2回目7月27日(土)14時~16時

   3回目9月28日(土)14時~16時

   4回目11月30日(土)14時~16時

 
会場:1回目~3回目の会場は静岡県教育会館

 

定員:20名  

 

参加費:2000円


<申し込み方法>
1氏名  2住所(〒も)  3電話番号 
4詳細をお送りする時のメールアドレス
 (添付資料送付可能なもの)
をお書きの上、

谷澤相談室までお申し込みください    
 kumikotanizawa@gmail.com

 

主催:谷澤相談室 https://ktanizawa.exblog.jp

 

 

 

 

 

以下は、

ロゴセラピーに関することです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

最近、幸せの研究がいろいろな形でされている。

 

例えば、

「ウェアラブルセンサー」を使って、

人間の行動と幸福を解析している、

ビッグデータ研究の第一人者矢野和夫氏は、

著書「データの見えざる手」の中で、

「人の幸福度は環境にほとんど影響を受けない」

と紹介した。

 

「我々は普通、結婚してよき伴侶を得たり、

 新しい家を購入したり、

 たくさんボーナスをもらったりすると、

 自分の幸せが向上すると思う。

 リュボミルスキ教授の定量的研究によれば、

 これらには、案外小さな効果しかない。

 逆に、人間関係がこじれたり、

 仕事で失敗したりすると、

 我々は不幸になると考えている。

 ところが、実際にはそうでもないというのだ。

 人間は、我々が想像するより

 はるかに短期間のうちに、

 よくも悪くも、

 これらの自分のまわりの環境要因の変化に

 慣れてしまうのだ。

 この環境要因に含まれるものは広い。

 人間関係(職場、家庭、恋人他)、

 お金(現金だけでなく家や持ち物などの

  幅広い資産を含む広義のもの)、

 健康(病気の有無、障害の有無など)

 がすべて含まれる。

 驚くべきことに、

 これら環境要因をすべて合わせても、

 幸せに対する影響は、

 全体の10%にすぎないのだ」

 

そしてこれらは、

大量のデータに裏付けられて

慎重に統計解析された結果と書かれている。

 

じゃ、人の幸せを決めるのは何なんだ?

 

この本の中では

「日々の行動のちょっとた習慣や

 行動の選択の仕方によるというのだ。

 とくに、自分から積極的に

 行動を起こしたかどうかが重要なのだ。

 自らの意図を持って何かを行うことで

 人は幸福感を得る」

とある。

 

私は本当にびっくりしたが、

それは

やっぱりそうだったか!!!

の方のびっくりだ。

 

やっぱりか!の背景は2つある。

 

ひとつは、

私自身のこれまでの人生を振り返った時に、

突然の理不尽な出来事があったとしても、

そのことは、

私の「その中から幸せを見つけること」には

とくに影響がなかったことを

自分で一番よくわかっていたからだ。

 

結婚前の母の死や

父の死の後の借金や、

家業廃業に関わる交渉事など、

大変は大変だったし、

寂しさや悲しさや悔しさは

いっぱいあったけれど、

だからって、

私の人生が丸ごと悲惨だったのではなく、

現に今こうして、

ささやかであったとしても

幸せを見つけだせる毎日を

送れている。

 

 

2つ目は、

ロゴセラピーの学びに対する

科学的な裏付けを与えられたから。

ロゴセラピーを創設したフランクルは、

自身の強制収容所に捕虜として収容された時の

経験から実証したが、

この本はそこに

科学的な根拠を与えてくれたのだ。

 

フランクルは強制収容所での

過酷な体験の中で、
「いかなる状況下でも人生には意味がある、
 人生にイエスと言うことができる」
という信念を捨てなかったし、

一緒に捕虜としての生きた人々の中に、

そういう態度を見つけることができた。

 

それが「夜と霧」に書かれている。

 

 

 

 

 

どういう環境が押し寄せたとしても、

 

例えば、

突然の人事異動で

 望まないチームに配属されたとか、

どうしても合わない人と

 隣になってしまったとか、

子どもが学校に行きたがらない、

子どもが働くのがむずかしそう、

夫との関係が苦しい、
お金の問題、健康の問題・・・

そういう問題があったとしても、

 

人間には、

そこから意味を見出す力があると

フランクルは言う。

 

苦しいことからも意味を見出し、

明日に向かう力があるなら、

それを、

意識して使っていきたいものだ。

 

 

フランクルの言葉、

「どんな時にも人生には意味がある」

「意味のない苦しみはない」

「それでも人生に『イエス』と言おう」

「苦悩は人間の能力のひとつ」

「絶望の果てに光がある」

 

これらを実感し、

日常の中で使えるように

学ぶ時間を企画している。

 

 

一緒に学び合いましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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丁寧な振り返りは、前を向かせる。

【2019.04.01 Monday 15:02

新年度がスタートした。

早速学校での仕事もスタート。

 

異動されてこられた方も含めた

メンバー全員で

「生徒指導における取り組み方」

について確認しあう会議の中、

子どもや保護者の方との

コミュニケーションでの

大切なことを話すよう

依頼があった。

 

時間は15分。

 

短い時間だからこそ、

色々な中から

1点に絞って話そうと考えたのは、

今までの数々の失敗のおかげだ。

 

といっても

今日、特に上手に話せた訳でもない。

これから自己内フィードバックして、

それをメモしておこう。

 

 

 

さて、

先月の終わり、

30日は

「アサーティブ・カフェ」という

アサーティブを学んだ方々で、

学びを深めたり、おしゃべりしたり、

ロールプレイで練習しあったり・・・

という時間を持った。

 

今回は

受講生の皆さんにスピーチを

していただく時間を作った。

〇笋肇▲機璽謄ブ

∋笋鮖戮┐討れるもの

最近の成功とその背景

というテーマの中から

一つを選び

5分程度にまとめてきて

いただいていたものを、

2つの班に分かれて発表。

 

そのあとは、

自分の課題を

・ロールプレイを使って練習する人、

・聞いてもらうことで整理する人、

・聞いてもらった上でアドバイスを

 もらいたい人

がそれぞれ入った班に分かれて

活動をした。

 

 

フィードバックシートを

提出してくださった方で

シェアokの方の感想などを

交えながら振り返ってみたい。

 

 

Pさんは、

スピーチの発表を2班に分けて行うことを

伝えた時に、

私のところにきて、

「ゆっくり読んでも4分でまとまるよう

 作文を書いてきた。

 宣言のようなつもりで書いてきたので、

 自分は全員の前でスピーチしたい。

 今まで一緒に学んできた仲間みんなに、

 聞いてもらいたい」

のようなことを伝えに来てくれ、

私は、

「班での発表が終了した後で、

 そういう時間を持つ」

と伝えた。

 

彼女のフィードバックシートには

 

「私のわがままを通してくださり、

 そのための時間を設けてくださったこと、

 心より感謝します。

 私はその思いを、誠実に率直に講師に

 伝えられたこと自体が、

 アサーティブを学んできてよかった

 ことだと思います。

 皆の前で、私のこれまでの人生を

 駆け足で、作文を読むという形で

 表現できたこと、私の作文を聴き、

 心動かせてくれている方が何人か

 いらっしゃる姿を見て、

 私自身のこれまでが丸ごと肯定された

 気がして、あーこれは勇気を持って

 やってよかったと思いました。

 ありがとうございました。」

とある。

 

苦しい時期も理不尽な出来事も乗り越え、

逆に、それがあったからこそ、

アサーティブを含めて色々な学びに出会え、

色々な人に出会えたことを、

静かに話してくれた彼女。

多くの方が感銘を受けていた。

 

アサーティブのイギリスでの第一人者

アン・ディクソンさんが来日された時、

アサーティブジャパンの会員研修、

「自己信頼」についての

セミナーの中で、

無力感に陥らないために必要なものの

4つの中の一つとして、

「インスピレーション」をあげてた。

 

Pさんのスピーチは、

みんなを勇気づけ、

みんなを明日に向かわせた。

多くの人に「インスピレーション」を

与えたと思う。

 

 

 

きんぎょさんは、

自分の問題への取り組み方を、

「話を聞いてアドバイスが欲しい」

という選択をした。

 

連絡してこない長男に対して

不満があるが、それを伝えたいのか、

会いたいのかどうかも正直わからない

ということだった。

では、会うと仮定して、

会ったら何をどう言うか、

とにかくロールプレイしてみよう

ということになった。

 

「(ロールプレイをしてみて)

 長男はもう大人。自立したのだから

 干渉はしないと大分割り切れた。

 また、もし長男に会うとしたら

 ほめずに育てたことを謝りたいし、

 今自立していることを褒めたい。

 そういうロールプレイをしてみたら、

 改めて長男に会いたいんだという

 自分の気持ちに気がついた」

 

先のアンさんの話に戻るが、

無力感に陥らないために必要なことの

4つのうちのもう一つが

「スキル」だ。

 

「伝える時の整理の仕方」という

アサーティブのスキルを使うと、

大分整理でき、それを

「伝える時のポイント」というスキルを使って

ロールプレイで練習するうちに、

自分の本当に言いたかったことが

浮き出てくるのは、よくあることだ。

 

どんなに伝えたくても、

何を伝えたいのか自分でわかってなかったら、

伝えようがない。

その時、

ただ「何を伝えたいの?」と

自分に問いかけ続けるより、

整理方法を知っているのは、

パワフルなことだと思う。

 

きんぎょさんは

「(ずっと)母親に向き合える気が

 しなかったけれど、

 自己信頼を高めれば、何を言われても

 ひるまずに向かい合えるかもしれない

 という希望が持てた」

と書いてくれている。

 

スキルを得て、

一歩ずつ進んでいる彼女が、

本当に素敵!!!

 

 

 

さて、今回の

アサーティブカフェは、

12月の基礎編でアサーティブを知り、

日常の中で葛藤しながら使ってきた方に、

7〜8年来学んでこられた方が、

アドバイスしたり、

励ましたりしている姿もあった。

それは

心を打つものがあった。

 

 

Cさんのフィードバックシートより。

「今回、宿題もあったため

 私はアサーティブにふれてから

 どのくらいたつのか考えました。

 おそらく7〜8年になるかと思います。

 その間いろいろなことがあり、

 自分なりの理解を

 おそらくしてきたのだと思いますが、

 今回のカフェに参加させていただき、

 その7〜8年の間におきていった

 自分の気持ちの変化を

 改めて思い起こしました。

 アサーティブの講座に参加し始めた頃、

 言いにくい話をする練習をして

 実生活に生かそうとがんばったこと。

 それをしない、

 できない自分を責めたこと、

 同時に相手のせいだと

 心の中で責めていたこと。
 そのうち、

 整理して練ってチャレンジ、

 時には時期を待ち、

 棚上げにしたり

 また取り出したり…
 そういう一貫してない自分を

 さほど責めることもなくなっていったこと、

 同時に相手を責める気持ちも

 薄れていったこと。
 ゴチャゴチャしてる悩みの種を

 整理して

 『何とかしたい、

  やるならどこからだ?』

 と優先順位をつけたりしながら、

 いつのまにか過ぎていった

 年月だったんですね。
 今回、他の参加者の方々から

 それを思い出させていただきました。

 『4つの柱』を知った頃より、

 今は『4つの柱』を身近に感じます。

 結局そこに返ります。

 さすが最初に勉強するモノですね。
 自分に誠実になるところから始めると、

 次にどうしようかと

 少しずつ進んでいくみたいです。
 『自分に誠実』の答えを

 ゴールにおくばかりではなく、

 必ずしも思いのとおりにいかなくとも、

 『私の本当の気持ちはここにある』

 とわかっていたいです。

 そして『だけどこうする』のも自分だと、

 その責任についても

 心に留めておきたいです。」

 

 

アンさんが教えてくれた

無力感に陥らないための4つの中の

もう一つが「孤立させないこと・

孤立しないこと」。

 

アサーティブを学び、

言えるようになったがための葛藤に

難しさを抱えている方に、

自分の体験も踏まえて

寄り添っていたCさん。

そして自分の

振り返りにつなげているCさん。

 

 

私はただただ感じ入る。

みんなすごいなあ。

 

丁寧な振り返りは、

前を向くための発奮剤になるんだなあ。

 

 

 

アサーティブの視点で

振り返りを行った翌日

3月31日は父の命日。

いやあ、私、

なんとか22年やってきましたわ。

 

母が亡くなったのは

昭和の最後の年だから、

31年。

いやあ、

踏ん張ってきましたわ。

 

うまくいかないことも多いけど、

それでもなお、

ちょっとずつ進んできましたわ。

 

わからないことも多いけど、

本を読み、

人に聞き、

勉強に出かけと、

なんとかやってきたんですわ。

 

そんな中、

傷つけてしまった人や

迷惑かけてしまった人も

いると思う。

あ〜本当、

いつまでも

こんなんですわ。

 

こんなんで、

いきますわ。

 

 

 

 

2019年度の

スタート地点です。

 

 

 

・・・・・・・・・・

次回のアサーティブカフェは、

8月3日(土)13:30〜16:45

お申し込みは→

 

 

なお、

8月3日(土)の10:00〜12:00に

アサーティブ・トレー二ング紹介講座を開催。

2時間で、気軽に学んでいただけます。

お申し込みは→

 

 

 

 

 

 

レモンの花が咲きました。

 

 

 

author : tanizawa-k
| アサーティブトレーニング | - |

結び目はどこにあるのか?

【2019.03.23 Saturday 11:58

学校の先生方との世間話の中で、

講座や講演会の後、

主催者の方やスタッフの方々との話の中で、

あるいは知人との話の中でも、

最近、

「発達障がい、ちょっとあるんだよね」系

の話がよく出る。

 

 

私は、

幼い頃

「おっちょこちょい」

とよく言われていた。

忘れ物やケアレスミスが多く、

落ち着きのない子だったし、

夜尿症も結構な年まで続いた。

ADHDの不注意の

特性がグレーにあるのではないかと思う。

 

後述する神田橋先生が

発達障がいの最近の増加の原因の一つに

幼児の遊び(日常生活の中での

トレーニング)の貧困化を

上げているけれど、

それでいくと、

私がその後、生活の中での困り感が

そこまでないのは、

近所の子たちとの毎日の昭和の遊びと、

大勢の人の中で育てられたことが

背景としてあるのかもしれないな。

 

とはいえ、

もともと

不注意がある訳で、

大人になっても

その特性は

いろいろな面で不便だった。

 

鍋はいくつも焦がしたし、

片付けがめちゃ下手だし、

一回の買い物で済まないことも

多かったが、

煮物を始めたら

キッチンタイマーを押すことや、

1か月に一度書類を処分する日を作ったり。

スマホのメモ機能を使うことで

「普通」な生活を営めている。

 

ま、

私がそんな感じの話をすると、

「俺も、あるかも。

 会議の時にメモ取れないんだよね」

とか

「なかなか新しい環境に慣れなくて。

 スケジュールを立てるのも苦手だし、

 優先順位も、なんか、めちゃくちゃに

 なってしまうんだよね。

 私って、発達障がいかな?」

などという話になったりするんだ。

 

 

そんなこともあり、

発達障がいについて

学び直していて、

これがとっても充実した時間となってる。

 

 

読んだ本などは以下↓

当事者による
「発達障害当事者研究」
(感覚を統合することの困難さ、
 そして行動を選択する時に
 常に「普通」を意識することのしんどさ。
 人と共にいることが彼らにとっては
 疲れることだと
 知識としては理解していたことが
 ほんの少しだと思うけど

 具体的にわかった)


「ソーシャル・マジョリティ研究
(多数派=定型発達の人が
 無意識にやっていることを
 めちゃ細部化してくれている。
 当たり前にやっているから疲れないけど、

 これをわざわざ意識してやるとなると、

 ものすごい思考量と選択力と行動力を
 使うことになると思う。

 学校へ行くこと自体がストレスという

 言葉の意味の背景には、

 こういうことがあったのか!驚き)

 


大好きな神田橋先生の
「発達障害をめぐって」
(先生の2018年10月時点での
 考えを惜しみなく披露してくれてる。
 発達障がいの原因、脳に効くサプリや
 体操。
 何よりも支援する人の姿勢というか
 考え方に引き締まる。
 どんな現れにも背景があり、
 それをその人にとって役立つ行動に

 結びつけてあげるストーリーを
 考えられるかどうか。
 脳は70歳まで発達する。
 脳自身の発育努力を援助し、
 妨げないことが正しい援助
 という考え方に共感)

 


いつか開きたいな、グレーゾーンの会
「発達障害 グレーゾーン」
(診断をされてはいないが、
 定型発達とも言い切れない

 何らかの特性により

 日常生活の困難を抱えている

 グレーゾーンの方々。
 定型発達の人のように
 できることも多いが、
 どんなに頑張っても
 できないこともあり、
 「普通であるために」
 相当無理をするので疲労も
 蓄積しやすい。
 診断をされることで受けられる

 支援やサービスもあるが、

 それもない中、

 何とか頑張っている方々が、

 その困難について寄り添い合える会

 をいつか開いてみたい!と

 思った)


講義動画を見ながら勉強
「公認心理師のための
『発達障害』講義」

(発達障がいを正しく理解し、
 適切に支援していくための
 テキスト。
 特に自閉スペクトラム症に
 ついての特性や、アセスメント法、
 支援方法について詳しくて、
 新しく知ったことも多い。
 著者のお一人田中康雄先生との

 出会いは私にとって大きい。
 彼の考え方の優しさと、
 謙虚な姿勢には
 何度か涙が出てきた。
 彼は『生活障害』という言葉を
 使っている。『発達』が障害
 されているというよりは、
 生活のしづらさ、生活上の困難
 だから。
 支援者は、
 生活のもつれた糸をほどきながら
 一本ずつつないでいける結び目を
 探し続けることも大事と。
 フットワーク(よく動く)し、
 ネットワークを作り、
 ヘッドワークを続けながら
 支援し、
 私たち専門職がフェードアウトして
 いける状態を目指しましょう、

 と書かれている。納得)

 

 

これらを読み学び直したことで、

はっきりしたことがある。

 

私はこれまで、

発達障がいを抱えた方だけではなく、

様々な困難を抱えて相談に来てくださる

方々に対して、

 

コントールできることとできないことを分けて、

コントロールできないことはそのまま受け止め、

(ありのままのあなたで OK)

コントロールできることに関しては、工夫し、

スモールステップで実践していこう

 (そのあなたが、今できること

 やっていこう)

 

というスタンスでやってきたつもりだが、

これからもそれでいっていいと

明確になった感じだ。

 

ただ、コントールできないことの中に

辛さやしんどさがあるわけだから、

小さい頃であるならば、

 丁寧で計画的な療育を提供できるよう

支援者同士のネットワークを広げることは大切だし、

私自身の強化が必要な部分だと思う。

 

 

また、

田中先生が質問に答えて、

「うつ病や双極性障害で治療をしている方に

 発達障害が隠れている可能性がある方が

 青年期以上の方に多いです」と言っていて、

それは、

子どもの頃から

自分ではどうしようもないこと(発達の特性)への

コントールを社会(周りの大人)から求められたり、

自分で自分に強いたりしてきたことの

積み重ねからの現在の困難であると、

一旦考えてみるのも

ひとつの方法だと示してくれていると思う。

そうなると、

うつ病や双極性障害などの治療はしながらも、

発達の特性に関しても含めて

トータルなサポートを受けることで、

生きやすくなる可能性がある。

そしたら本当に素敵だ。

 

 

そして、

今なんとなく自分の中にグレーな部分を

認めている方は、

私を含めてだけど、

「だからダメ」ではなく、

「その自分でできること」を考え、

その「できること」のひとつには

「助けを求めること」も入ることを

頭に入れておきたい。

 (物に頼っていいし、

  人に相談するのもいいし、

  スキルを学んだり、

  社会的サービスの機会を

  伺ったりもあり)

 

 

 

いずれにしても

他者に対しても

自分に対しても、

「やる気がない」とか

「他者を思いやる気持ちがうすい」とか

「人とうまくやれない」とか

「だらしない」とか

「マルチタスクに弱い」とか

「人をまとめられない」

など、

「心の問題」や「努力の問題」

としてしまうと

にっちもさっちもいかなくなってしまうことが、

発達の特性(脳の機能)であり、

直接コントールできないこととと認めることが

有効な場合は多い。

 

 

支援者としては

その特性と、

日常生活をまあまあ上手くやっていってもらうための

結び目を探し続けよう。

そして、

支援者はその方の人生の物語から

フェードアウトしていくことの

意識も必要なんだよなあ。

 

 

 

年度変わりだ。

今年度の私も、

ダメなことが多かったけど、

私としては精一杯だった。

来年度も、

自分のダメさを恐れつつ

でも、いく!!!

 

そして神田橋先生オススメのサプリを

とりあえず1か月飲んでみるぞ。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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正しいことを口にする時。

【2019.03.16 Saturday 02:28

静岡駅から新幹線に乗ると、

隣の座席の青年が電話でしゃべっていた。

 

注意しようかな?と考えながら、

そのうち切るだろうと、

そのままにしていた。

 

読書に集中していたので

気にもならなかったが、

フッと気づくと

三島をすぎても話してる。

 

居心地悪くなってきた。

 

ここは

大人として

注意した方がいいだろうか。

しかし、自分だって若い頃、

電車の中で友達と騒いだ記憶がある。

マナー違反なんていっぱいしてきた。

自分のことを棚にあげるの、

かっこ悪いなあ。

しかも

注意して逆ギレされても嫌だしなあ。

それに今しとかないとならない話なら、

仕方ない。

そう思っとこうか・・・。

 

なんて考えながら

聞き耳立ててみると、

横浜の大学に入学が決まったようで、

この春から一人暮らしをするらしい。

どういうバイトをしようかと

友達に相談してる。

 

って、それ、

今じゃなくてもいいじゃん。

 

私はノートに

「新幹線の中でスマホで話す時は、

 デッキでね!」

と書き、

肩をチョンチョンとした。

びっくりした様子で

こっちを向いた彼にそれを見せると

困った顔でぺこんと頭を下げ、

すぐに電話を切った。

私は、

「喋りたいの、わかるけど、

 切ってくれて、ホッとした」

と言い、

読書に戻ろうとした。

 

と、

彼はSNSだろうか、

めっちゃ入力してる。

 

もしかして私のことをディスってる?

Twitterで

「隣 ばばあ 文句」と検索してみた。

出てこない。

「ばばあ」を「おばさん」にしてみた。

出てこない。

「うるせえ ばあさん」にしてみたが、

出てこない。

 

ラインで友達との間では

いろいろ言ってるかもしれないけど、

公につぶやいてないのが、

いいヤツに思えてくる。

(それとも、私の検索能力が低いのか!)

 

とにかく

私は無事読書に戻った。

 

その後、

横浜駅で立った彼に

「素直に聞いてくれて、

 ありがとね」

というと、

「すいませんでした」

と言って降りてった。

 

後ろ姿を見送りながら、

私が若い頃だったら?と考えてみた。

 

私だったら

席を移動したと思う。

気まずくって

いたたまれなかったと思う。

 

指定席ってのもあったと思うけど、

あの席にとどまった彼。

 

とどまれるってすごいなあ。

 

これから、

いろいろな人に

いっぱい

いろんなことを教わるんだろうな。

自分のことを正当化したり、

マナーに反抗したり、

常識を疑ったり、

私もそうだったように

きっと周りに迷惑かけながら、

恥ずかしい思いもしながら、

ゆっくり大人になっていくんだろうな。

 

 

 

それにしても、

正しいことを言うのって

難しい。

 

 

以前、自治会の組長の時に、

組内のアパートに越してきた若いカップルに

「組に入って欲しい」と伝えにいった時の

苦い思い出。

 

 ゴミ、出しますよね?

 びんや缶やペットボトルも

 出したいですよね?

 災害の時の避難場所などの確認を

 回覧板で回しますが、

 それなくていいんですか?

 組費はかかりますが、

 近くに住む者どうし、

 何かあった時には助け合うんだし、

 組に入った方がいいんじゃないですか!

 

 

面倒臭そうな相手の表情を見ながら、

それでも説得をしながら、

ふっと途中で浮かんだのは、

詩人吉野弘さんの「祝婚歌」の一節だった。

 

「正しいことを言うときは
 少しひかえめにするほうがいい

 

 正しいことを言うときは
 相手を傷つけやすいものだと
 気づいているほうがいい」

 

思い出せてよかった。

私はその後、

ちゃんと詫びることができた。

 

 ごめんなさい。

 なんか、熱くなっちゃいました。

 もし入ってくれるなら、

 書類に記入して、

 うちのポストに入れておいてください。

 入らないなら、

 この書類は処分してくださいね。

 

この件を夫に言うと、

「あなた、東京で一人暮らししてた時、

 勧誘されたら入ってた?

 入らないでしょ」

 

本当にそう。確かにその通り。

そういうもんだわ、若い時って。

 

 

 

正しいことを言うのは、

難しいなあ。

「自分が正しい、相手が間違ってる」

「間違ってる相手を正したい」

という思いでいっぱいの時は

「正論」を武器にして

戦ってしまっている可能性に気がつこう。

相手に

「マナーに反する非常識」

「周囲に合わせられない未熟者」

などとレッテル貼ってるうちは、

発信するのを控えよう。

 

レッテルを剥がし、

「そういう人」ではなく、

「その行動」に的が絞れた時、

発信し時なんだろうなあ。

 

 

 

4月になると、

新人さんがいろいろな場に入ってきてくれる。

緊張でいっぱいだろう。

不安もあるだろうな。

せめてその場に慣れている者は、

正論を振りかざし、

正しさで追い詰めるのではなく、

 

「正しいことを言うときは
 少しひかえめにするほうがいい」

 

を頭に入れておきたいな。

 

 

 

 

彼が隣で電話してくれていたおかげで

いろいろ考えたぞ。

 

 

 

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ホワイトデイに夫からお返しでもらった↓

何はなくとも「柿の種」!

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor