今のところではありますが…
複雑さを噛みしめる。

【2016.12.17 Saturday 08:53

プーチン氏が遅刻したことを家人と話す。

「3時間も会議を遅らせるとは!

 どうしてそういうことができるか理解できない」と私。

「外交はそういうもの。

 成果をあげるためには

 いろいろなことをするものだ」と家人。

納得いかない私。

 

私は、

最近は

あまり遅刻はしない方だと思う。

会場に誰よりも早く到着することを常としてた

父親からの薄〜い影響があるのかも。

とはいえ、20分くらいまでの遅刻は理解できる。

 

ただ3時間とは!!!

 

家人は

「こうなると、

 誰が彼を待たせるか?だな」

という。ふむふむ、それは面白い。

待たされた時、

彼がどんな反応をするか楽しみだ。

 

 

なんて言いながら、

彼の遅刻の背景を想像してみた。

 

・落とし所をロシアで幹部と話し合っていた。

・1日押せ押せだった。

(何しろ夕方のスタートだから、

 朝からプーチン氏方式で遅れ遅れてきた

 ことが積み重なって)

・アメリカとの関係改善が予想される中、

 領土問題もある日本は、そこまで重要視

 してない感を出したかったから。

・安倍さんの地元での会議という

 日本側のアドバンテージを

 平らする方法を採用。

 

考え出すと面白くなってきたぞ。

 

 

とはいえ

遅刻常習者のプーチン氏のことを

理解することは難しく、

ま、そんなことを私がする必要もなく、

そして

私が今日言いたいことは

そこではなく、

他者を理解しようとすることの

難しさだ。

 

 

人って本当に複雑だ。

 

 

TED タヴィ・ジェヴィンソン: 10代はまだまだ模索中

が面白い。

12歳の時にファッションブログを始め、

15歳でオンラインマガジンをスタートした彼女。

今は20歳だが、

このスピーチは17歳の時らしい。

 

彼女がオンラインマガジンを始めたのは、

「”どちらかしかなれない”ものを

 どうにかできないか」と考えていたからという。

女の子は、

「賢くて可愛いの両方なんて高望み、

 周り、特に男性からどう思われるか、

 どう思われたいかで服は選ぶべき」

という社会からのメッセージを、

彼女なりにどう受け止めたらいいか考え続け、

その模索や混乱を、

まずはブログで発信したんだという。

そして「女性のある一面だけを強調するもの

でない10代の女子向けのサイト」を

作ったんだそう。

彼女はフェミニストだと自認していて、

女子達の中にある「フェミニスト」への

誤解も解きたいと思っているという。

「フェミニストになるには、

 自らの信念を貫徹しないといけない、

 不安になっても疑念を抱いてもダメ、

 全てに答えを持っていないといけない、

 などと思われているかもしれないけど、

 それは違う。

 実際フェミニズムを知ることで

 私は自らの矛盾に折合いが

 つけやすくなりました。

 フェミニズムは規制ではなく、

 話し合い、対話、プロセスなんです」

 

これを「フェミニスト」に限ってしまって

考えるのはもったいない。

全ての「こうあるべき」に対する

もう一方の、

バランス感覚のある考え方で、

彼女は10代の女子は模索中と言って

いるが、

模索中なのは、

10代の女子だけではなく、

人間ってそうなんだと思う。

 

10代の女の子たちがそうなように、

模索し続けてる、

「常に今のところ」の人間たち。

 

模索しながらなんとか

自分の答を見つけながら生きる。

それを他者が理解しきるのは、

ほとんど無理なのではないか?

 

 

今年読んだ本の中で、

良かった何冊かの中の一冊

「言葉が鍛えられる場所」。

 

著者がこれまで書いてきた

ビジネス、経済、介護などに

テーマを置くエッセーではなく、

「言葉」について書き、

しかも、

「言葉が表しているもの」についてではなく

「言葉が隠蔽しようとしているものが

 何であるのか」

について書いている。

 

この本の中では、繰り返し、

言葉の向こうには

表されなかったもの、

表しにくかったもの、

表したくなかったもの、

があることを丁寧に書いている。

 

「見えるものがあるのは、

 見えないものがあるからであり、

 形のあるものが確かだと思えるのは、

 形のない不確かなものが存在している

 からであり、

 輪郭のはっきりした外側があるのは、

 輪郭を持たない内側があるからだということを、

 しばしば忘れてしまうのです。

 鍛えられた言葉は、

 いつも、見えるもの、存在、充足、正確さ 

 と言うものの背後に、

 不在、欠落、遅れを導き入れるのです」

 

 

この本の中に取り上げられている

石原吉郎という

戦後のシベリア帰還者である

詩人が書いた、

 

「わかったな それが

 納得したということだ

 旗のようなもので

 あるかもしれぬ

 おしつめた息のようで

 あるかもしれぬ

 旗のようなものであるとき

 商人は風と

 峻別されるだろう

 おしつめた

 息のようなものであるときは

 ききとりうるかぎりの

 小さな声を持てばいいのだ」 

(「サンチョ・パンサの帰郷」より

    「納得」の部分)

という詩。

 

これには、

敗戦、

シベリアでの過酷な労働、

期間後の危険人物扱い

(シベリア帰りは「赤」だという風評が

 あったとのこと)、

という人間性を踏みにじられるような

経験をしてきた者でしか書ききれない

納得の形がある。

「おしつめた息」という言葉に、

「物言えば唇寂し」という経験でさえ

する機会を与えられなかった、

あるいは絶望のあまり自らしなかった・・・

そういう背景を考えてしまう。

 

 

 

外交は複雑だ。

駆け引きをしあう人間が複雑だ。

 

10代の女子は複雑だ。

簡単にわかってほしくないし、

しかしわかろうとしてほしい、

人間が複雑だ。

 

言葉は複雑だ。

その言葉だけでは

表しきれない、

表さないことに意味を込める

人間が複雑だ。

 

 

簡単に判断したらダメだ。

レッテル貼ってはダメ。

 

理解したと思えた瞬間、

「今のところの理解」くらいに

意識しよう。

 

 

サッカーのゴールを外して泣いていた

小5の男子がいた。

「悔しかったんだね」

と声をかけると、

ヒックヒックと泣きじゃくりながら、

「悔しいんじゃない。

 もう6年生とサッカーやれなくなるから

 悲しかったんだ」

と言った。

 

 

ある学校のPTAの役員決め。

会議には母親、つまり女性たちが集まった。

くじを引く前に、

今年度の会長(男性)が言ったそうだ。

「くじで当たった方は、

 ご主人を説得してください」

参加していた

私の大好きな知人は、

その言葉にカチン。

男性がやるものと決めつけてる、

その態度に、

聞いた私も腹たつ〜!

・・・だからといって

その方を男性至上主義者と決めるのは、

早い。

もしかすると

今まで 、当たり前の、

「毎年の会長のくじ前の言葉」

だったのかもしれないし、

母親のしんどさをわかっての

説明だったのかもしれない。

リーダーという立場が得意な女性に

これまで会ったことがなかったかもしれないし、

ひとり親で子育てしてる人がいるかも

という想像を持てなかったのかもしれない。

「差別」に、(多分)無意識に加担してるけど、

ものすごい悪気があったわけではないんだろうな。

 

 

 

「つまりは〜〜〜なんでしょ」

「要するに〜〜〜ってことだよね」

ってわかった気になって

まとめるのではなく、

せめて

「〜〜って理解でいい?」

でいきたいなあ。

 

 

で、

どこまでいってもわかりきらないのは、

他者もそうだし、

自分もそうだ。

 

人間が複雑。

その中に自分も入れておこう。

だからブレる。

時々、迷う。

自己嫌悪も、

自己卑下もある。

それでいこう。

 

それを自分にも許そう。

 

そして、

複雑な

私とあなたでやっていくしかないのだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| | comments(0) |

歯からのメッセージ

【2016.12.10 Saturday 09:16

容量を超えて頑張っていて、

超えてることを気がつかない時、

あるいは、ちょっと「あれ?」って

思ったとしても、

大したことないとごまかしている時、

 

「ちょっと待った!」

と突っ込み入れてくれるのは、

 

私の場合、「歯」だ。

 

歯が浮いたような気持ち悪い感じになったり、

歯茎が腫れたり、

歯が痛くなったりする。

 

人によっては胃腸にきたり、

目に来たり、

耳が聞こえにくくなったり、

めまいがあったり、

皮膚や息苦しさなど、

体の、

自分の中の弱目なところに

表れる場合は多いと思う。

 

そんな時には

そのしんどさの元から

離れる時間をもてたり、

ゆっくり休める時間をもちたいものだ。

 

そういうことは、

ストレスフルな時代を生きている

今の人にとっては

常識だと思う。

 

そうした方がいいことは

多くの人がわかってる。

 

それがいいんだけど、

わかっているけど、

 

ほんと、

そうなんだけど、

 

体(私の場合は歯)が教えてくれた

自分のしんどさを、

ちゃんと手当する時間が持てないほどの

時もある。

 

私の場合は、

11月初めからそういう日々だった。

 

歯が浮いてることに気がつきながら

気がつかないようにしていた11月中頃を過ぎ、

11月終わり頃、

「歯が浮いている」と、

とうとう私は自分で認めた。

 

「あ〜、私は今、

 歯が浮くほど、

 仕事のこと、

 いろいろ考えて 

 大変なんだな」

 

すると、

それだけでちょっとだけ浮き方が軽くなり、

さらに、

安心できる仲間に打ち明けた直後、

その日の朝まで恐る恐る使っていた右奥歯を

ランチ時にはガンガン使ってた。

 

 

 

心と体は繋がっていて、

影響しあっている。

そして、体も心も、

今の状態を、

それほどまでに、

ちゃんと受け止められたいんだと思う。

 

 

大丈夫じゃない時に、

元気なふりしてしまったり、

 

落ち込んでる時に

やる気見せちゃったり、

 

そうやって

繕うことができるのも、

すごく大事なことだから、

 

社会に対して、たとえそうしていたとしても、

 

せめて自分は自分自身の、

痛さや

嫌さや

気持ち悪さや

苦しさ、大変さを

わかっていたいと思う。

 

それがささやかなうちにわかれば、

私の「歯」だって、

浮くまで行かずに

済んだかもしれないな。

 

そして、浮いたまま、

それでも

「平気平気!」と突っ走っていたら、

 

体は

「こんだけのことが起こってるのに、

 まだ気がつかないか! 

 冗談じゃない!

 どこまでサイン出せば

 気がつくか、

 こうなりゃ勝負だ!」

的に、

あっちこっちに不調が出てくる場合も

あったかもしれないな。

 

 

自分の体と心とは

勝負するんじゃなく、

理解しあいたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

駄目な子だったです、その2。

【2016.12.03 Saturday 18:14

 

来週伺う中学校では、

新しいプログラムで講演するため、

アンケートを実施した。

 

,笋蕕覆い肇瀬瓩世箸錣っているのに

 なかなかやれないことはありますか?

 やめた方がいいとわかっているのに、

 やめられないことはありますか?

 何ですか?

↓,紡个靴董△△覆燭覆蠅旅夫をしている

 ことはありますか?あったら教えてください。

 

詳細は書けないが、

これがもう本当に

せつないし、

時々おもしろいし、

感心する。

 

勉強をやらなきゃいけないとわかっているけど、

ついついゲームに手がのびてしまう・・・

だから、携帯やタブレットを遠〜くに置くとか、

親が見ているところで勉強するとか、

彼らは頑張っていた。

 

挨拶や掃除、片付けや、

時々ぼ〜っとしてしまうこと、

ちゃんと自覚していて、

しかも、

この学校の子どもたちは

本当に素直に正直に書いてくれている。

 

ほとんどの子が、

ゲームを長時間やるのをやめたいと思っていて、

だから例えば

ポケモンGOをやりにくくするために、

なるべくボールを0にしておくなどの工夫をしている。

立派だと思う。

 

なんだけどその中に一人、

もっとゲームをやりたいのだけど、

眠くて寝てしまうのが悔しい的なことを

書いている子がいて、

その子は、

眠さを抑えるために、

ゲームの音楽をイヤホンで聞きながら

自分を煽る工夫など、

3つの工夫を書いているのだ。

 

それを読みながら、

一瞬、

えっ?まじ?読み間違い?と思った。

 

しかし、うん、

ちゃんとそう書いてある。

 

面白いなあ!!!

 

私は考えた。

 

もしこれを、この中学生が、

アンケート制作者である私に対し、

ふざけた態度で挑んできたとしたら、

それでも3つもの工夫を考えついたことが

すごい!と思う。

 

もしこの中学生が本当にまじに

このことで悔しい思いをしていて、

なんとかしなくちゃ!と工夫をしているとしたら、

それもそれで、素晴らしいことだと思う。

 

だって、どっちにしても、

自分の問題解決のために

考えて、

選択肢を3つもあげることができて、

そこからなんとか行動しようとしているんだもの。

 

 

今日、久しぶりに、

自分のブログの過去に書いたもの

「駄目な子だったです。」

を読んだ。

そこには、

大学3〜4年から25歳くらいまでの、

しょうもない私のことを書いてる。

 

あの頃の私には、

この中学生のように、

自分の中の葛藤への解決のために、

考えて、

選択肢を幾つか考えられる

そんなパワーはなかった。

 

 

話は変わって、

(ご安心を!また戻ってきます)

今日は富士市で

保護者と教職員の方対象の講演会で

講師を務めたが、

ここでリフレーミングを紹介した。

 

思春期の子どもを持つ親のための講座の中では、

リフレーミングの練習をよくする。

 

リフレーミングとは、

一つの事象に違う意味づけをし、

思考を転換することだ。

 

事実はひとつ、

たとえば

「よく話をする」という子がいるとする。

これをネガティブな意味づけをすると、

「おしゃべり」。

ポジティブな意味づけをすると、

「自己主張ができる」

となる。

 

とくに我が子には、

なんとか健やかに成長してほしいと思うから、

ネガティブな意味づけをして

改善していってほしいと願うのが

親だと思う。

ただ、リフレーミングってことも

知っておくといい。

 

たとえば、

「自分から進んで動かない」は

ネガティブな意味づけをすると、

「自主性がない」とか「消極的」。

ポジティブな意味づけをすると

「慎重」「物事をよく考えてから行動する」

 

「お金をよく使う」は

ネガティブな意味づけをすると

「金使いがあらい」「無計画」。

ポジティブな意味づけしてみると、

たとえば

「景気に貢献してる」みたいな。

 

「やりたいことはやる、

 やりたくないことはしない」

はネガティブな意味づけでは

「わがまま」。

ポジティブな意味づけでは

「力の抜き方を知っている」。

 

事実はひとつだけど、

それに対して

ポジティブな視点も持つことができると、

子どもとのコミュニケーションに、

余裕をもたらせてくれる可能性がある。

 

 

 

で、私のダメダメ時代の話に戻る。

 

あの私のダメダメ時代は、

幼い頃を取り戻そうとしてたのではないか?

 

これまでの私の人生を省みた時に、

もしかしたら、

ある程度力の抜き方を知っていて、

やりたいことはやるけど、

やりたくないことはほどほど・・・

ってことを、幼い頃にやってたら、

ちょっと違ったのではないか?

と思うから。

 

幼い頃、

親や家や商売関係者の期待に応えたい!

どうすれば、褒めてもらえるか?

そのことでいっぱいだった私。

緊張もしてただろう。

いい子ちゃん着ぐるみは

時々重かっただろう。

それでも、それをやり続けるしかなかったから、

頑張ってやっていた私に、

今思うと、

人生からのプレゼントみたいな

隙間の時間が、

あのダメダメ時代だったのではないか?

 

ダメダメだったけど、

ダメダメを十分にやらせてもらえたことが、

なんとか今、多少のことでは挑んでいける私で

いられてるんじゃないか。

 

もちろん今はもう、

私の人生に

なんの文句も愚痴もない。

幼い頃の健気な自分も含めて、

今までの全部が結構愛おしいし、

登場してくれた方々の影響あっての今って、

ちゃんとわかってる。

 

 

でもこうして書いておくのは、

「ゲームばっかりやっている子」や、

「やりたいことしかやらない子」も、

だからって、

今だけで判断しなくっていいって、

思うから。

 

 

 

 

 

さて中学生へのアンケートを

自分に問いかけてみる。

 

,笋蕕覆い肇瀬瓩世箸錣っているのに

 なかなかやれないことはありますか?

 やめた方がいいとわかっているのに、

 やめられないことはありますか?

 何ですか?

↓,紡个靴董△△覆燭覆蠅旅夫をしている

 ことはありますか?あったら教えてください。

 

 1・喪中欠礼はがきの準備をしなくてはならないのに

   してない。

 2・近所の野菜ハウスに義父の好きだったイチゴが並んだ。

   お供えしようと思いながら、何日か過ぎた。

 

 1・ホワイトボードにチェックボックス付きの

   やるべきことリストを久しぶりに書く。

   そして、チェックつけるために、やった。

 2・勢いだ!と考え、

   カルの散歩を終えた瞬間、

   面倒だの何だの、何も考えずに、

   野菜ハウスに直行。買ってお供え。

   しばらく義父の位牌と話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| SC | comments(0) |

この命をどう使う?

【2016.11.14 Monday 23:13

水曜日に

中3の女子二人との何気ない話の中で、

彼らに諭してもらった。

「先生、いいことしてたら、いいことあるよ」

こういうシンプルなことを

ばしっと言ってもらうことは、

なんと清々しいんだろうと思った。

本当そうだなあ。

ゴミは拾おう。

挨拶はしよう。

迷惑かけたら謝ろう。

欠礼はがきは、書かないと。

(ちなみに、この件、

 ブログに書いていいと、

 二人が許可してくれました)

 

学校の中では、何気ないことから

いい影響を貰うこともあるし、

時には

授業内容にものすごい感動を貰うこともある。

 

 

 

 

 

2015年3月に、

小学校3年生対象の

「誕生学」の授業を見て、

恥ずかしいくらいにボロボロ泣いた。

 

もう本当にめちゃくちゃボロボロで、

授業が終わった後、

3年生の何人かの子どもは、

「このおばちゃん、一体どうしちゃったの?」

というような顔で、私の方をじっと見てた。

 

その大人版の

講演会を企画した。

 

 

 

 

誕生学とは、

母親のお腹の中でどんなうふうに命が育まれ、

どんなふうに生まれてきたのかを、

教えてくれるプログラム。

 

母親の中で芽生えた命は、

芽生えた瞬間から、

自らの命の力をも使って育つ。

世の中に誕生する瞬間は

自分の力と母親の両方の呼応するような力が必要だ。

そして誕生した瞬間から、

他者の愛情もないと成長できない。

 

 

そのことを頭で理解しながら、

心の中にまで染み込ませてくれるような

プログラム。

 

 

この授業は、

子ども対象のプログラムだったが、

大人対象のものもあると知り、

企画したのが、

「誕生学・家庭で伝える命の話

 〜この命の使い方〜」

講師は

誕生学協会認定講師で

誕生学アドバイザーの

萩原奈津子氏。

小学校の先生で、

私がボロボロ泣いた授業をされた方だ。

 

 

 

 

何を今さら命の誕生のことを?

と考える方もいるかも。

 

ただ、自分の命の始まりを学ぶことは、

これからをどう生きていくかを考える時に

インスピレーションを与えてくれる。

 

さらに、

子どもに伝えにくい命の始まりについて、

どう伝えるかのヒントもある、

そんな講演会になる。

 

 

 

あの時私がボロボロ泣けたのは、

なんだか、生まれてきたことが、

ありがたくって・・・だった。

 

生まれてきたってことは、

私には生まれてくる力が

あったんだなって思え、

そして母親も私を生み出そうという

強い意志があったんだって、

めちゃ確認できた。

当たり前のようにして考えてもいなかったことを、

言葉にして伝えてもらってことで、

ものすごく確認できたのだ。

 

 


生きていると、
理不尽な目にあったり、
自分自身の足りないところばかり
考えてしまったり、
言われのない批判を浴びたり、
失敗に恥ずかしくって情けなくって、
自分のことがいやでいやで仕方なくなる日もある。

他者や社会をうらみたくなる日もあるし、
自分で自分に課したことに、
押しつぶされそうになることもある。

そんな時に、
この授業のことを思い出すと、
「生きてる意味があるのか」
というより、
「せっかく産まれてきたこの命の
 使い方を考えよう」
そう考えられるように思う。

そんなエネルギーで
からだが満たされると思う。


開催日は、

2017年2月4日(土)の午後、

お申し込みなどは、コチラ→

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

教育現場のSOS、コミュの力でできること。

【2016.11.04 Friday 10:46

学校現場の問題って、

度々マスコミを賑わす。

 

先生の不祥事や、

いじめの件数、

長期化する不登校などなど。

 

そのたびに、

先生方の忙しさやストレスのこと、

年齢の偏り

(50代と20代が多く、3〜40代が数ない)

などの背景が話題になる。

 

 

ま、今、楽な現場なんてどこにもないから、

教育の現場だけ取り上げて「大変」などと言うつもりはない。

ただ、やっぱね、厳しい仕事だと思う。

重い責任と、

やってもやっても湧いてくる仕事。

文科省も良かれと思ってなんだけど、

新しい指導方法の指示は順次ある。

授業の準備や子どもとのコミュニケーションという、

本来やるべきことをやりたいのに、

作成すべき書類は多く、

参加しないとならない会議はある。

 

成果はすぐに現れる訳ではなく、

地道な仕事だ。

 

 

私は学校現場で活動を始めて18年なので、

その間、たくさんの先生方や職員の方と

仕事をしてきた。

 

時には残念だなあと思う方もいたけど、

(向こうも私のことそう思ってたかもしれないけどね)

ほとんどの方が仕事に精一杯取り組んでた。

 

それでも、

学年の先生方の組み合わせの問題か、

児童生徒や保護者との相性との関係か、

うまくいかない時もあったりして、

真面目で、子どもを思う先生が、

めちゃしんどい思いをされたりしてるのを

見てきた。

 

裏番組では、

保護者からの話を聞いていて、

先生の思いが上手に伝わってない歯がゆさや、

先生としてその態度はまずいよ!と思うこともあったりして、

とにかく、

いろんな思いがありすぎて、

学校の現場に関することに関しては、

熱くなってしまうんだ。

 

そんな私が、

「教育現場で活用するための

 アサーティブ講座」

の講師を担当できるのが、

ほんとにほんとにうれしい。

(11月12日に千代田区連合会館で開催。

 下記チェック願いします)

 

 

 

私は、

子どもと接する時間が多い、

学校関係者の大人は、

そりゃ、いろんなことあるけど、

 

あ〜生きてるっていいなあ、

失敗もして凹んだけど、次に行くぜ、

一人じゃ難しかったけど、助けてもらえた、

 支え合えるっていいなあ、

ダメなとこもあるけど、

 まあまあ自分なりにやってきた、

学ぶって面白い、

人と関わるって、いいなあ。

 

的なマインドがあるといいなって思う。

それが、ほんのちょっとでも。

 

厳しい職場環境の中で、

ポジティブなマインドまで強要されたくない!って

声も聞こえてきそうで、

もちろん、強要なんてしないし、できない。

 

ただあるといいなって思う。

 

そして、そのために、

役立つものを提案したいと思ってる。

 

 

 

 

 

下記は

アサーティズジャパンのメルマガより。

 

「育現場で働く方々の疲弊やストレスが

 深刻化しています。

 仕事量の多さや多様化する課題の数々、

 周囲から高い期待や批判を

 受けやすい立場であること。

 また、子どもたちはもちろん、

 保護者や上司、地域の方々など、

 人間関係のるつぼの中で仕事を進める
 必要があること…など、

 責任も仕事量も過重となり
 心をすり減らすような

 毎日を送っている教育関係者は

 多いのではないでしょうか。

     ■

 アサーティブトレーニングに参加される

 教職員の方々からは、

 次のような声をよく耳にします。

 

 ・困っていることを同僚や上司に

  なかなか相談できない

 ・他の教職員が「つらそう・困っていそう」

  な時にどう声をかけていいのか

  躊躇(ちゅうちょ)する

 ・教育に関する価値観の違いを、

  冷静に話し合って協力し合っていくことが

  むずかしい

 ・「これくらい出来て当然」という

  周囲の評価の中で、

  わからないことや「ノー」の意思が伝え

  にくい etc…

 

 子どもたちに直接かかわる立場の皆さんにこそ
 自分自身を大切にしつつ、関係者とうまく

 協力・連携していくにはどうしたらよいのでしょ
 うか。

 

   ■

 このたび

 「教育現場で活用するためのアサーティブ講座」

 というタイトルで、2時間の公開講座を開催いたします。

 教育現場での問題に日々向き合っているスクール
 カウンセラーであり、アサーティブジャパンの認定
 講師でもある講師が担当いたします。

 教職員に限らず、教育に関心のある方ならどなた
 でも参加できる講座です。

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■「教育現場で活用するためのアサーティブ講座」
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 【間もなく開催!】

 日時:2016年11月12日(土) 12:30〜14:30
 会場:連合会館(東京都千代田区)
 費用:一般 5,400円(税込)/+Aメンバー※ 4,320円(税込)
 定員:30名
 対象:教職員、および教育に関心のあるすべての方
 講師:谷澤久美子(アサーティブジャパン認定講師
          スクールカウンセラー)

 (※+Aメンバー:基礎講座を修了された方)

 

 詳細はこちら

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| アサーティブトレーニング | comments(0) |


【2016.11.02 Wednesday 19:34
ディーパック・チョプラ,デビー・フォード,マリアン・ウィリアムソン
ヴォイス
¥ 1,836
(2011-01-25)

今朝の「べっぴんさん」(NHK朝のドラマ)の中で、

主人公の友達が

 私は心の器が小さい。

 友達の夫が戦争から帰ってきて、

 そのことは嬉しいけど、

 毎日その話ばかり聞かされると

 きっと嫌になると思う

というようなことを言う。

彼女の夫はまだ戻ってきてないのだ。

 

すると、彼女たちを支援している人が、

 そんな風に自分の心の小ささを

 認められることが

 心の器が大きいことだ

のようなことを言う。

 

 

10月に読んだ本、

「シャドウ・エフェクト」は、

まさにそれを書いていた。

 

アマゾンによるこの本の内容は以下(一部)。

 光あるところに影があるように、

 どれほど善人と称される人でも、

 神聖に見える人であっても、

 かならず悪魔的な面や闇、

 影の部分(=シャドウ)を抱えています。

 それは、怒り、怖れ、妬み、敵意

 といった“悪い感情”や、

 “エゴ”と言い換えることもできるでしょう。

 私たちはそんなシャドウを自分の中に見つけると、

 罪悪感や羞恥心などから、

 無視したり、排除しようとしたりします。

 でも頑張ったところで、

 シャドウが消えてなくなることはありません。

 

この本は、

シャドウが自分中にあることを認めないでいると、

認めないけど、そこにあるので、

巻き込まれることになってしまい、

それは結局は他者を非難するように

誘導する可能性がある。

シャドウが自分の中にあることを認めるためには、

シャドウを理解することが必要で、

理解が進めることで

シャドウを自分の人生に生かしていくことが

できるよいうになるってことが書かれているのだ。

 

 

「べっぴんさん」で言えば、

友達を羨ましく思う気持ち〜シャドウ〜が

自分の中にあると認めることができたことが

最初の一歩を踏み出したことになる。

妬む気持ちを薄々感じながらも

気がつかないようにしてたり、

認めたくないばかりに

過剰に話を合わせたりすることを続けると、

もしかすると、

「なぜうちの夫は帰ってこないのか』とか、

「その友達ばかり良い思いをして!」など、

社会や他者を恨むようになる可能性があるって

ことだと思う。

 

「それを認めることが

心の器が大きいことだ」

というセリフの人を演じているのは、

市村正親さんで、彼がこのドラマの中で

ホントにいい味だしてることも相まって、

私はぐっときた。

 

 

そして同じようなことを

村上春樹氏が

「アンデルセン文学賞」受賞スピーチの中で

言っている。

長くなるけど、

めちゃいいので後半部分を引用。

 

「アンデルセンが生きた19世紀、

 そして僕たちの自身の21世紀、

 必要なときに、僕たちは自身の影と

 対峙し、対決し、

 ときには協力すらしなければならない。
 それには正しい種類の知恵と勇気が必要です。

 もちろん、たやすいことではありません。

 ときには危険もある。

 しかし、避けていたのでは、

 人々は真に成長し、成熟することはできない。

 最悪の場合、小説「影」の学者のように

 自身の影に破壊されて終わるでしょう。
 自らの影に対峙しなくてはならないのは、

 個々人だけではありません。

 社会や国にも必要な行為です。

 ちょうど、すべての人に影があるように、

 どんな社会や国にも影があります。
 明るく輝く面があれば、

 例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。

 ポジティブなことがあれば、

 反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。
 ときには、影、こうしたネガティブな部分から

 目をそむけがちです。

 あるいは、こうした面を

 無理やり取り除こうとしがちです。

 というのも、人は自らの暗い側面、

 ネガティブな性質を見つめることを

 できるだけ避けたいからです。
 影を排除してしまえば、

 薄っぺらな幻想しか残りません。

 影をつくらない光は本物の光ではありません。
 侵入者たちを締め出そうと

 どんなに高い壁を作ろうとも、

 よそ者たちをどんなに厳しく排除しようとも、

 自らに合うように

 歴史をどんなに書き換えようとも、

 僕たち自身を傷つけ、苦しませるだけです。
 自らの影とともに生きることを

 辛抱強く学ばねばなりません。

 そして内に宿る暗闇を

 注意深く観察しなければなりません。

 ときには、暗いトンネルで、

 自らの暗い面と対決しなければならない。
 そうしなければ、

 やがて、影はとても強大になり、

 ある夜、戻ってきて、

 あなたの家の扉をノックするでしょう。

 「帰ってきたよ」とささやくでしょう。
 傑出した小説は多くのことを教えてくれます。

 時代や文化を超える教訓です」

 

最後はアンデルセンが書いた「影」をたたえて

締めているが、

彼のスピーチは

影を認めないのでも、

排除するのでもなく、

影とともに生きていこう!と言ってる。

 

ホントにホントにその通りだと思う。

 

 

 

自分の中にあるシャドウは、

時々御しきれないほどの熱を持つ。

情けないほどのだらしなさの時もある。

自分を全否定したくなり、

全否定するパワーは他者にも向く。

 

そこに至る前に、

ただただ、

自分の中にある

シャドウ、

影、

ネガティブな感情、

悪魔、

心の闇、

どす黒くって、

ネバーっとしてて、

どうしようもない部分を認める。

 

認めるとは何をすることかというと、

意識するということで、

意識するとは、

頭の中で言葉にするということだ。

 

まずそれが出発点。

アサーティブも、

ロゴセラピーも、

認知行動療法も、

そこを経て進む。

 

改めてそのことを考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| | comments(0) |

気ぜわしい。

【2016.10.18 Tuesday 19:22

暗くなるのが早くなって、

気ぜわしい。

 

そして

怒涛の10月を過ごしている。

講演や講座が多く、

毎日、

パワポで上映用の資料を作ってる感じだ。

ガンバ!私。

 

 

そんな中、素敵なことは起こる。

 

夕方のカルの散歩の時に、

いい光景に出会った。

薄暗くなった道で、

母親が小学校5年?6年?の男子に、

スケートボードを教えてもらってる。

 

「お母さん、そうじゃないよ。

 こうするんだよ」

とやって見せ、

母親が上手にできると

「そうそう」と褒める。

母親が転びそうになると、

支える。

 

そばを通る時、全く知らない方だったが、

「お子さん、教えるの、上手ですね」

と声をかけると、二人で笑ってた。

 

こういう時間がある親子って、いいなあ。

素敵だなあ。

 

 

 

親子のコミュニケーションについての講演では、

「ムダ話」というか、雑談というか、

そういう時間を持とう!

というようなことをしゃべってる。

生産的な話や、ためになる話

以外の会話が大切・・・

的なこと。

 

つまり、

「勉強」とか「宿題」とか、

「塾に行く行かない」

「サッカーやミニバスでのいろいろ」、

「高校どうするか問題」や

「スマホの使い方問題」、、、

そういう話じゃないこと。

 

「今日、先生のオヤジギャクが

 つまんなすぎで、逆にウけた」とか、

「ねえねえ、なんでゲームの実況、

 そんなに面白いの?」とか、

そんなようなこと話せた上での、

「高校のことなんだけどさ、

 見学行ってどうだた?」

があるといいと思う。

 

 

スケートボードの親子は、

きっと、

スケートボードがどうしたらうまくなるかも話すし、

友達のことも話し合えるし、

宿題や勉強のやり方についても

相談し合えるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

そんな風な話を講演でする時に、

最も気をつけるのは、

参加された方が凹みすぎないこと。

「ムダ話など全然してなかった・・・

 私ってだめだ」と反省するのではなく、

「今までは、確かにムダ話してなかったな。

 帰ったらしてみるか!」

くらいの感じがいいなあと思う。

 

それが成功することもあるし、

そうでもない時もある。

 

 

 

今年6月に中学校区(中学一校小学校二校)で

呼んでくださった地区がある。

この時は理論編のような話をした。

そして10月に入ってから、

今度は各校で体験編をやった。

短い時間の中だったが、

「楽しかった」だけで終わらないように、

「超凹んだ」でもないようにと、

プログラムを作った。

 

感想の中に

・子どもにとって良くない言葉や態度ばかり

 とっていたことに気づかされました。

 「私はダメだな〜」と思うことなく、

 とても楽しく「じゃあこれからは気をつけよう」と

 前向きな気持ちになれました

・実は今、仕事が忙しく、子どものことをしっかり

 見てあげられずに「本当にこれでいいのか」と

 毎日不安、自信喪失していました。でも今日の

 話を聞いて「今の自分でいいんだ」と安心した

 自分がいます。今日も(子どもは)一人で

 待っています。帰ったらとびきりの笑顔で

 自信を持って接していきたいです・

・体験を取り入れていただき、大変楽しい中で

 自分の姿勢に気づかされました。

 自分をダメ人間と思うことが多いのですが、

 前を向き生きていきたいと思えました

などがあって、

ほっとした。

 

こんな時ばかりじゃないけど、

でも、こういう時もある。うふふ。

 

 

保護者が自分にダメ印ばかりつけるのは、

辛すぎるなあ。

完璧な人なんていないし、

完璧である必要もない。

保護者だって、

時々は自分の感情に振り回されることだってあるし、

子どもとぶつかりあうことだってある。

それがダメなんじゃなくって、

そういうこともあるけど、

それでもなお、

違う方法も知っとこう、やってみよう・・・

ってことだと思う。

 

 

 

「完璧な人なんていない」という一言。

子どもたちへの「心の健康」という授業で

話すのだが、

その時にシーンとなる。

今日も小学5〜6年生に話したが、

なんというか、

全員の全身が、

その瞬間、

私に集中したような感じだった。

続けて

「完璧じゃなくたっていい」

というと、

今度は、

「ホっ」という音が聞こえた気がした。

肩の力が抜けたんだよなあ。

 

みんなガンバっているんだなあ。

 

 

そういえばゲームの実況の件、

私には、なんで子どもたちが

 You Tubeで

他者がゲームをやってるのを見るのか、

全くわからなかった。

どこが面白いんだろう。

自分でやったらいいじゃん。

そう思ってた。

ある日テレビの中で、

外国の方が言ってた。

「テニスも見るし、

 サッカーも見ますよね。

 やった方が面白いのに・・・

 などと言いませんよね」

なるほど、そういうことかあ。

 

聞いてみないとわからないなあ。

わからないまま、批判だけするのは、

やっぱり良くない。

 

 

 

11月いっぱい怒涛は続く。

気ぜわしい中、

やること書き出して、

「今」に集中して、

そして

ぼちぼちやっていく。

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

意見の「衝突」を、スキルで「対話」に!

【2016.10.06 Thursday 09:33

一昨日だったか、運転中の車の中のラジオから

コミュニケーションの話が流れてきた。

 

「先輩が忙しそうで声をかけられない。

 質問したいことがあるけど、

 邪魔になったらどうしようと考えてしまう」

 

うんうん、わかるわかる。

あるなあと思って聞いていた。

 

しかし、次の瞬間、ちょっと違和感。

 

「だから、先輩に、

『今話しかけてokですよ』

 という印を、なんかの形でしてほしい」

 

・・・言いたいことはとてもよくわかる。

すごくわかる。

 

ただ、自分が話しかけづらいから、

先輩に一手間かけさせるってのは、

私には、納得しがたい。

 

 

「話しかけづらい」

「迷惑かけたら、悪い」

「先輩の仕事の手を止めさせるのは気がひける」

という考えは、

相手(先輩)のことを思う考えや、

仕事を滞らせたくないという考えにプラスして、

 

「空気読めない人とか、

 タイミング悪いなあとか、

 そういう人と評価されるのが嫌」

という自分の側の防衛本能に基づいた考えも

あると思う。

 

自分の評価を下げないために、

相手に変わってもらうってのは、

う〜ん、やはり私は納得できないぞ。

 

 

 

じゃ、どうするか?

 

 

このことに関して二つの面で考えた。

1つ目は、

 

「相手をコントロールしようとするのではなく、

 自分のできることを考えて行動する」こと。

 

 

そして、そこに登場、コミュニケーションの力!

 

 

事前に相談や提案をしておくってのはどうだ?

 

1日のうちで一番忙しい時間帯を

あらかじめ聞いておく

とか、

一応、お声かけしますが、後の方がいい時は、

首振ってください。そしたらまた頃合い見て

お声かけします。何度でもokです。

とか・・・。

その話し合いの中で先輩が、

仕事が滞ると困るから、

okサインでも作る?

って言ってくれたらラッキーだ。

 

 

 

あるグループの勉強会で

アサーティブの練習を行った中で、

「役所などで、

 要件を伝えると、

 お待ちくださいと言われ、

 次の方に最初から説明し、

 それなのにまたお待ちくださいと言われ、

 3度目でまた最初から説明し、

 ようやく要件の担当の方と話せた時など、

 もう、どうすればいいのか!と腹立たしい」

のようなことをシェアしてくださった方がいた。

 

その方に、

それでも自分の側の責任で、

そうならないための行動をするとしたら?

と質問をしたら、

 

「最初に短く要件を伝えるとか、

 それでも『お待ちください』と

 言われたら、

 『電話口に出て下さる方に、

 あなたから要件を伝えておいてください』

 とお願いしておく」

などと上がった。

 

 

相手を責める気持ちになる時あるし、

相手が変わってくれたら!と願わずに

いられない時もあるけど、

それでも、

自分ができることは、

自分の「見方」「態度」を変えることだけ。

 

あ〜

アサーティブって厳しいなあ。

厳しいけれど、

コントロールできないこととできることを分けて、

できないところで

やきもきすることはなくなるから、

物事にスッキリと向かうことはできる。

 

そして、新人の方も、

そういうことを繰り返していきながら、

OJTで

コミュニケーション力をつけていかれるといいなあ。

 

 

 

 

二つ目は

「人間関係を大事にするばかりに

 衝突を避けがちになることは、

 長い目で見ると、問題」ってこと。

 

少し前に読んだネットの記事

「良い人間関係は、衝突することを

 前提にしている」

(安藤裕哉氏)

を思い出したのだ。

 

この記事の中に、以下がある。

 

ある会社の社長との話のこと。

その会社は業績がいい時は、

いいチームワークだったのだけど、

悪くなったら、チームの雰囲気も暗くなった。

このままではよくないと思った社長は

一人一人に「何が問題か」と質問して回った・・・

そのことが書かれている。

 

「で、一人ひとりに時間を作って

 『何が問題か』と聴いて回ったら、

 よくわかった。

 皆が『言いたいことがあるのに、黙っている』

 という状態だった。

 何で直接言わないんだ、と聞くと、

 人間関係を壊したくない、っていうんだよね。

 これ、メチャクチャヤバイと思った。

 つまり、人間関係を壊したくない、

 と思う心が、人間関係を更に悪化させる、

 ってことだ」

そして安藤氏は

「なるほど、と思う。

 嫌われまい、嫌われまいと思うと、

 気に入られようとして

 かえって卑屈になってしまう。

 良い人間関係を生もう、

 いい友達でいようと思うと、

 ビビってしまい、

 かえって心を開くことができない」

と書いている。

 

本当にその通りだなあと思った。

考え方としては、

確かにその通りだと思う。

 

言いたいことを口に出さないことで、

短期的な人間関係は表面上はうまくいく。

しかし

問題は解決しない。

解決しない問題の中にはまっていると、

不満は出てくる。

人間関係のストレスは増す。

そうしているうちに問題は大きくなり、

ハードルはどんどん高くなる。

 

人が二人以上いれば、

問題への考え方も、

解決方法のアイディアも、

代替案も優先順位も

「違い」はあると思う。

一人一人に

それを頭の中で考える権利も、

自分の意見を大切にする権利も、

それを口に出す権利も、ある。

 

だから、

権利の「衝突」は、

人間関係の中で起こりうる。

起こりうるけど、

スキルで、

「衝突」を

「対話」にすることはできると

私は考えてる。

 

しかも、誰か一人が始めることで、

他者に影響を与えていく可能性も

信じてる。

そういう場を見てきた。

 

なので、

良い人間関係は

お互いの意見を聴き合い、対話することを

前提としてる

って考えたいな。

 

安藤氏も、

この記事を通して言いたいことの先には、

「対話」の可能性ってものがあったのではないか?

 

 

ラジオの後輩さんが、

先輩は忙しそう VS 質問する必要がある

を「VS」

にしないで、

 

つまり、どっちを取るか?にしないで、

 

先輩の仕事も大切にしながら、

その上で

自分の質問も大事にする方法を、

「対話」をキーワードに見つけられるといいな。

 

なんてこと、考えてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| アサーティブトレーニング | comments(4) |

それがあるだけで、ちょっとだけ救われる。

【2016.09.30 Friday 09:08

義父の葬儀翌日、

谷澤相談室勉強会、

今年度の2回目を開催した。

 

その日、

夫は親戚の四十九日に

参列することになっていて、

家には骨になってしまった義父を

一人で残すことになる。

後から義父の死を知った方が、

土曜ということもあり、

見えるかもしれない。

 

どうしよう・・・。

迷ったが

「開催する」を選択。

私にとって特別な勉強会になったと思う。

 

今年度の勉強会のテーマは「選択」。

そして、義父は私にとって

「日々の選択が一生を作る」を生きた

良いお手本だ。

 

 

 

 

「選択」をテーマにした全3回のうちの

この日は2回目。

「過去の選択を振り返る」。

 

アインシュタインの言葉に、

「いかなる問題も、

 それをつくりだしたときと

 同じ意識によって解決することはできない」

というものがある。

 

参加者の皆さんにも、

過去にはいろいろなことがあり、

その中には、

理不尽で、残念で、

とんでもないこともあったと思う。

 

そのとんでもないことを

乗り越えたのか、

放り投げたのか、

逃げたのか、

通り過ぎるのをじっと待ったのか、

それはわからないけど、

でも

なんとかなった、

あるいは、

なんとかした、

あるいは、

なんとかしてもらった

からこそ、

今を生きている。

 

たとえ「逃げた」としても、

「逃げる」を選択した力があったわけだし、

助けてもらったとしたら、

適切な人に助けを求められたわけだ。

 

アインシュタインの言うように、

問題が起きたときより、

たとえちょっとだけでも自身のあり方を変え、

問題がどうにかなった瞬間に、

さらに自身のあり方が変わったと思う。

 

そういうことは一切説明はせず、

(私の頭の中だけに置き)

「レッスン」という

アメリカの詩人キャロル・リン・ピアソン氏が

作った絵本をテキストに、

学び合い、確認し合った。

 

「レッスンの主人公は「ロバート」。

「学校・教室」という名の

 毎日の中で学ぶ。

「先生」が日々「問題」を出してくる。

「先生」は、もう一人の自分。

「問題」は出来事。

 

って具合に考えていた私だったが、

参加者の皆さんは、一歩先をいく。

 

「問題」は単なる出来事ではなく、

「自分をより良くしてくれるもの」

「自己成長の機会」だと。

 

アインシュタインの言葉を

引っ張り出さなくっても、

過去の出来事を、

そう捉えようとしている皆さんに、

なんだか、涙が出そうだった。

 

Sさんは

「参加者の話を聞いて、

 みんな頑張って今この場にいることが、

 尊いことに感じられました」

とある。

 

あ〜ほんと、そうだ!

 

 

オープンOKの感想を交えて、

勉強会を振り返る。

 

 Aさんは

 

小学生の頃、

 親のお財布からお金をとってしまったこと

 

という蓋してた出来事を思い出した方だ。

 

「今現在、なんとなく自分が人との関係の中で

 『自分はすごい悪いやつなのに』とか

 『怒られたらどうしようという恐怖」を

 持ってることに気がついた。

 ああ、子どもの頃のことが繋がっているんだなあと」

 

 で

「少し考えたけど、帰りのホームで母に電話して、

 『告白がある。

  私小さいころ、

  お母さんのお財布からお金とってたの、

  ごめんなさい』と伝えた。

 そしたら母は

 『全然知らなかった。なんで気がつかなかったの

  かしら』とか、いろいろ話し、

 『スッキリした?』という返事。

 私は

 『聞いてくれてありがとう』と伝えた。

  

 したことは変わらないのだけど、

 少しだけ罪を償った気分」

 

と書いてくれてる。

 

彼女は、母親に伝えて謝るという選択肢を

選択したけど、

その過程には、

「(ずっと後で)お墓の前で詫びる」

という選択肢もあったとのことだった。

 

「伝える」か「伝えない」か

だけではなく、

「お墓の前で伝える」という選択肢を持てるたこと。

それが行動の背中を押したのかもしれない。

 

 

Mさんの感想には

「選択肢が二つだと、

 選ぶのにすごく悩んでしまいますが、

 選択肢が三つ(以上)あることによって

 選択しやすくなる気がしました」

とある。

 

うん。ほんと、そうだ。

 

「やる」「やらない」のほかに、

「やってみて、ダメだったら撤収」

とか、

「手をぬいてやる」

とか、

「今日はやらない」

とか、

選択肢があると、ちょっとだけ救われる。

 

Mさんは

「私自身、小さなつまづきから、

 大きな課題まで、ぶつかることが多々ありますが、

 それについて、選択肢を広げて、

 自分で選択し、成長していく・・・

 人生とはその繰り返しなんだと思いました。

 時々凹むこともありますが、

 成長していく喜びは、

 自分が一番実感出来るのかもしれません」

と書いてくれている。

 

 

ご自分の離婚について振り返った方もいる。

 

「離婚するかしないか、さあ、どうする?」

 

と考えた時。

 

「選択肢

 1:離婚せず、今まで通りの夫婦関係を続ける。

 2:離婚せず、夫婦関係を改善するための

   努力をする。(けど、相手はどうだろうか?

   協力してくれるだろうか?)

 3:すぐに離婚し、新しい人生を始める。

 4:数年後に離婚するために、準備をする。

   経済的な自立、一人になってからの生き方、

   子どものことなど

 結局、(その時は)4を選択しました。

 正しい選択だったと思います。

 (それを経て離婚しましたが)

 何より離婚後の方が、自分の人生を生きて 

 いる気がしますし、楽になりました」

と。

 

彼女は

「後から考えると、何かを決めなければならない場面で、

 実はすでに心の奥底では決めているのに、

 意識には上ってこない、あるいは行動に移せなかった、

 ということが起こっているのではと思うことがあります。

 そんな時に『選択する』と、意識的に考えていくことの

 背中を押さられるようで、決心がつきやすく行動できる

 気がします。万が一上手くいかなかったとしても、

 どこか踏ん切りがつき、スッキリするのではないかと。

 ・・・

 今後は益々意識して自分の人生を選択していこうと思います」

と書いてくれているのだ。

 

上手にまとめてくれて、私こそ、スッキリだ。

 

 

 

Sさんは小4の時に受けたいじめを振り返った。

 

クラス全員から無視され、放課後に「さいばん」

という名目で黒板の前に立たされ、

Sさんに対する不満をみんなからぶつけられ

「土下座するまで帰さない」と言われたという、

本当に理不尽な体験。

 

「先生に助けを求めたら 

 『相手にするんじゃない』と言われ、

 母に『学校に行きたくない』と言ったら、

 『そんな弱い子はお母さんの子じゃない』

 と言われ、例えではなく、本当に目の前が

 真っ暗になりました。

 この出来事は、

 恐怖心と絶望感を私の心に深く刻み付け、

 そのあとも長く引きずることになりました。

 この体験をひどい形の粘土だとすると、

 その後のふとした折に、何度も私は

 この粘土をこねることになります。

 そのたびに、形は変わるけど、

 パッとしない、好きになれない作品が

 続きます。

 しかし、アサーティブや勉強会に出会い、

 7年ほどたちますが、

 ずっとこね続けてきた粘土が、

 ここ数年で、少しずつ好きな感じに

 変わってきているような気がするのです。

 出来上がるのは、ずっと先かもしれません」

 

Sさんは

「簡単に解けない人生の問題は、

 いろいろな方法で何回でもトライし続けたり、

 時々寝かせて、熟成するのを待ってもいいんだ!

 ・・・と思いました」

と書いてくれている。

 

Sさん、

ひどい目にあって、どんなに傷ついただろうかと思う。

それでもなお、

自分の人生を作っていってる!

そういう過程を含めて、

Sさんの粘土は、味のある素敵なものに、

すでになっていると私は確信。

 

 

 

Kさんが

3回目のテーマを先取りした感想を書いてくれた。

 

「必ずしも結果だけで『スッキリ感』が

 決まるわけではないと感じました。

 結果が思うようではなくても『スッキリ』

 する時もあります。その反対に、どうにも

 モヤっとしてしまう時・・・、そんな時は、

 大概、自他尊重のバランスがどうも悪かった

 と思いました。(バランスは)同じである

 必要はないけど、どちらかだけに片寄って

 しまうと、後に残す気持ちも『今ひとつ』

 になることが多いようです」

 

ですよねえ。

 

そこで3回目。

3回目はロゴセラピーの要素を取り入れて、

「未来」に起こりうる出来事で、

より良い選択ができるようにと学ぶ。

 

ロゴセラピーの創設者、フランクル氏の言葉に、

「あたかも二度目に生きるかのように

 人生を送りなさい。

 しかも最初の人生では、やろうと考えたことを

 全て間違えてしまったかのように・・・」

うん、そうしてみようじゃないの!

 

 

選択肢はあった方が、生きやすい。

その中からどれを選ぶか。

 

一緒に考えあいましょう。

 

 

3回目は、

2017年1月7日(土)。

「未来からの質問に選択肢をもっておこう」

お申し込みなどは、こちらをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

お見事っ!

【2016.09.26 Monday 18:47

9月20日午後2時25分。

義父が永眠いたしました。

89歳と8ヶ月を見事に生ききり、

夫と夫の姉に見守られながら、

息を引き取ったのです。

 

22日お通夜、23日お葬式に

たくさんの方にご参列いただき、

義父を無事に送ることができました。

 

 

義父は

今年に入って徐々に体が弱り、

9月に入ってからは、

内臓がすっかり弱ってしまっていて、

医師からは覚悟を言いわたされておりました。

 

9月16日の午後、

義父の病室に一人で行きました。

義父は口を開けて、大きく息をしながら眠っていました。

 

私はベットの横に座って、腕をさすりながら

「お父さんに謝りたいことがある」というと、

目をぱちっと開け、また閉じました。

「お父さん、孫ができなくって、

 お父さんをおじいちゃんにできなくてごめんね」というと、

またぱちっと目を開け、すぐに閉じました。

「ずっと前に、お母さんも泉さんもいなくって、

 二人でご飯を食べに行こうということになって、

 ちょっと飲みながら話した時に、

 お父さんは、私に、

 『久美子、養子をもらってくれ』と言ったよね。

 その時私は少しその話にのって、

 『それいい案ですね』なんて話したのは、

 お父さんが、私のことを少しも責めずに、

 少しも私に「子供がないこと」の罪悪感や情けなさをを抱かせずに、

 細心の注意を払って、

 その話をしてくれたからだと思う。

 そのことが伝わってきてた。

 それなのに、

 投げてくれたボールは私の手元にあったのに、

 私はそれから一度も返事のボールを投げ返さなかった。

 その話をする覚悟ができなかったからだと思う。

 お父さんは、ものすごく思いきって聞いてくれたと思うのに、

 一度も切り出さなかったこと、絶対にあやまりたかったんだよ。

 本当にごめんなさい」

というと、またぱちっと目を開けてくれて、

それですぐに目を閉じました。

 

「それから、お父さんが弱くなってしまってから、

 一切の面倒をお義姉さんに任せてしまったことも、

 ごめんなさい」というと、

義父は目をパチパチっと二回開けました。

義父はお義姉さんが大好きだったから、

反応したと思います。

「お姉さんは会社の仕事と

 社会的な活動があって忙しい人だけど、

 お父さんの事を本当によく面倒見てくれたね。

 しかも、私に一回も、

 『あれやってこれやって』とか

 言わないでやってくれたんだよ」

義父はぱちっと目を開け、

しばらく開けていましたが、

静かに閉じました。

 

私は度々起こすのが申し訳なくなって、

20分くらいで部屋を後にしました。

その時言い足りなかった感謝は、

結局生きている間には

伝えられませんでした。

 

 

 

 

 

私の実家の父が亡くなり、

家業を廃業することになった時、

家業の従業員の方々に廃業を告げる場

というのがありました。

酷なことを言わなければならない場は、

まだ30代だった私には心細くてたまらなかったけど、

義父は「俺も行く」と行ってくれて、

立ち会ってくれたんです。

私の後ろにいて、

仕事の関係は全くないのに、

一緒に頭まで下げてくれました。

私の肩にかかった荷物を

一緒に背負ってくれてるようで

私は安心でした。

それも、一言も頼んでないのに、

義父は私を思いやってくれた。

あの時のこと、忘れたことありません。

 

家業の後始末が終わって、

私は自分のこれからを考えていました。

ある時義父の書斎に行って、

「もしみんなが望んでくれたら、

 お兄さんやお姉さんや泉さんの

 会社に入れてもらって、頑張りたい」

と言いました。

そしたら義父は英語を勉強していた手を止めて、

私の方を見て、

「お前は、家のことで苦労した。

 散々頑張った。

 お前はあれだけ頑張ったから、

 もう好きなことをすればいい」

と言ってくれました。

あの時の義父の言葉で、

私は今の仕事を見つけることができました。

 

 

私は学校での相談の仕事と、

コミュニケーションの講師の仕事をすることができ、

なんとかやっています。

ある時、

「久美子。俺は85年生きてきて、

 つくづくとコミュニケーションが

 大事だと思う。それに尽きると思う」

と言ったことがあります。

私は思わず

「どういうことですか?」と聞くと、

「今まで俺は長いこと、

 自分の言いたいことを通したくって、

 大きな声で怒鳴りつけたりしてきた。

 それじゃ、ダメなんだよ。

 お前のやり方の方が、人として大事なんだよ」

と言ってくれました。

「俺は母さんの世話をするようになって、

 時々イライラして、

 大きい声出していうこと聞かせることがある。

 でもそれでは後味悪いんだよ。

 それで介護の本を読んで

 勉強してるところだ。

 俺は今まで 怒鳴ってばかりいたなって、

 悔やまれてな」

私はあの時は照れながら、

「お父さんは心の中は優しさでいっぱいだと思う」

って言いました。

「だって褒めてくれたりするじゃないですか。

 それに、我が家に毎年来てくれるツバメにも

 めっちゃ優しいし。

 孵ったツバメが飛ぶ練習するために、

 電線までだとちょっと距離があるからって、

 つっかえ棒つけてくれてあるじゃないですか。

 私、それ

 『コミュニケーションパターンと性格はイコールではない』例として、

 お父さんに無許可で講演でしゃべちゃってますよ。

 事後報告ごめんなさい」

と言うと、

「おっそうか。それはまあいい。

 母さんにもそうできるといいんだけどな」

と言っていました。

私は85歳になって、

自分のことを振り返って反省して、

自分の伸びしろを確かめられる義父が、

めちゃ素敵だとおもいました。

向上心を持ち続けられる、

学ぼうとしてることが

すごいと思いました。

 

義父のチャレンジする姿勢は、私のモデルです。

泉さんと結婚した時、父は剣道5段で、

6段目指して頑張っているところでした。

40代から始めた剣道。

体育の先生や、警察官などの猛者たちに混じって

稽古してると聞きました。

私は40代から始められるんだ!とまずはびっくり。

でそのびっくりは序の口でした。

それから義父は年に2回、昇段試験を受けました。

でもなかなか受からない。

東北の会場にいったり、名古屋の会場にいったり、

とにかく受けました。

そして落ちる。

どこがダメだったのか、どこをどう直せばいいのか、

教えてもらえないってことでした。

自分で考えたことを改善して次に望む。

また落ちる。それでも挑戦する。

義父は全く諦めませんでした。

途中1〜2回、腕の故障で受けないことはあったけど、

それでも14年かけて6段に昇段した義父。

そのことがどれほど、

私たち家族に影響を与えてくれたかと思います。

一回二回の失敗ないて、なんでもない。

諦めなければ、失敗したとしても、

目標の途中なんだって思えているのは、

義父のおかげだと思います。

 

義父が74歳の時、

頼んで、

中学校を卒業する子どもたちに、

励ましの文章を書いてもらったことがありました。

自分の波乱万丈の人生を書いてくれた最後は、

こう結ばれています。

「社会は極めて公平で温かく、

 そして極めて冷酷である。

 自分に甘え、他人の助けを当然とする

 自分の努力のない人には冷たいが、

 真剣に努力すれば、道はどんどん開けていく。

 頑張ろう!

 理屈抜きにがんばろう。

 自分のしあわせのためじゃないか。

 目的を持って、

 目標をクリアしていく。

 一歩一歩、その道以外に道はない、

 グッドラック」

この言葉は、義父の生き方、そのものだと思います。

 

 

そういう頼りになるがんばる義父も好きだけど、

よく思い出す義父の表情があります。

 

ある時、なんかの弾みで「なぜ泉さんと結婚したか」

というような話になった時、私が

「結婚する前に泉さんと電話していて、

 『電話の前何してたの?」

 と聞くと

 『おばあちゃんの足の爪を切ってた』

 って言ったんですよ。

 私、それに感動しました」

と言った時、

その時の義父の表情です。

「この子は優しいところがある子でな」

と、すごく自慢そうに、

当時54歳の息子を捕まえて、

本当に暖かい笑顔で、

涙を浮かべてた。

あの表情。

 

仏壇の花は、

主に義父が花を買ってきて

バケツに水をはって入れておいてくれるのを、

義母が生けていました。

義母が入院した2010年のお盆。

私がやるものと思ってたら、

義父が生けたんです。

さすが、華道の先生である義母と一緒に暮らしてきた義父。

大きな花は短くきって前の方に、

その後ろに小菊をいけてあります。

多分、私に負担をかけまいと生けたと思うんです。

私は、義父の、

苦労をいっぱいしてきた、

無骨なあの指が、

小菊の茎を持ってハサミをきっているところを想像して

泣けてきました。

義母のお見舞いに行きその話をすると、

「今まで一度もないわよ」と母。

そこに義姉が来て、

「そりゃびっくりだね」。

そこに義父が顔を出すと、

可愛らしい義母は、

「今日は誰もお見舞いがなくって、

 本当に一人ぼっちで淋しかったの。

 それで我慢してたら、急に3人もだもの。

 できればバラバラに来てくれないかしら」

と義父の方を見て言ったんです。

それまでそんなこと言わなかったのに、

義父が来た途端に甘える義母。

「まあまあそう言うな」と義父。

あの表情。

 

私には、どのシーンも宝もの。

ただ、もう新しいシーンに一緒に

いられないんです。

 

大きな出来事の中や、

日常のなんでもない会話の中や、

その時々の出来事に臨む態度で、

結局義父が私たちに言いたかったことは、

多分、

「学べ!励め!」

「人として良いと思ったことはしろ」

ってことだったのではないか・・・

と思うのです。

 

それ、していかないとなあ。

うん。

していかないと。

 

 

 

で、さみしいけれど、

私は思います。

お父さんは

見事な生き方をしたって。

 

見事な生き方を見せてくれた!

 

お父さん、

お見事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| 日常 | - |


谷澤 久美子
counselor