救い 【2017.10.23 Monday 10:02】 |
日産の無資格検査の件が、 表に出てからも継続していたケースは、 複雑な背景があったと思うが、 その一つには コミュニケーションの問題もあったようだ。
現場の声と管理職の認識のズレは、 コミュニケーションの量が 圧倒的に足りてないことを 示しているように思う。
瞬時に伝えることができるデジタルツールを 誰もが持っているのに、 大切なことが伝わらないのはなぜなんだろうか?
「Aという方法でやってください」 という指示が与えられてとしても、 Aという方法が、 現場にとっては無駄のように感じられたり、 現場ではより効率的な方法で行われていて、 それに慣れていて、 それが長年の当たり前であったり。 しかも、指示をした方が、 現場の人より若かったり、 経験が浅かったりしたら・・・ なんてこと考えると、 現場としては、 「上はあ〜は言ってるけど、 まあ、いいんじゃない」 なんてこともあるかもしれないなあ。
その時に、 「その方法では、効率悪すぎます」とか 「今までこれでやってきて何も問題がないのに、 なぜそうするんですか?」 など、 現場の中に湧いた声を 管理職に伝えることができたら、 何らかの手は打てたかもしれないな。
逆に、 現場の雰囲気を考えると、 とても改善点を伝えられないと いう管理職もいるかもしれない。
強権的と思われたくない、 これまでの(表面上は)いい感じの関係を 壊したくない、 気持ち良く働いてもらいたい、 面倒な管理職と思われたくない・・・ いろいろな考え、感情を背景に、 「とりあえず言わないで様子みてみよう」という判断。
あるいは、 伝え方の問題もあったかも。 「自分はこのままでいいと思ってるんだけど、 上が言えってことなんで、 一応言っときますけど、 これからはできたらAって方法で よろしくお願いします」的な。
そうした方がいいのか、 そうしなくてもいいのか、 よくわからない伝え方。
とはいえ、 言わなかった現場が悪いとか、 拾い上げられなかった管理職が悪いとか、 言える雰囲気作ってない現場が悪いとか、 適切に指導できない管理職が悪いとか、 何か一つに責任があるというほど、 単純ではないと思う。
そして、こういうことは、 いろいろな場で起きていることなんだろうな。
私自身も、 私自身の望みとは関係なく、 強い立場になってしまっている時と 弱い立場の時がある。
例えば雇用されている時や、 経験が浅い場の時があり、 そんな時には、 「反論したら、やっかいな人と思われるかも」とか、 「違う意見があったとしても、 もう少し慣れてから」とか、 そんな考えが頭の中に浮かぶこともある。 発言するのに勇気がいる場合も多い。
立場や役割に違いがあったとしても 人としては対等だと理解していても、 評価される怖さや、 いい人でいたいという自分に課してるものがじゃまして、 「声に出すには勇気がいること」は多いものだ。
それに反して、 例えばこちらが依頼してる時や、 その場に集まった仲間の中では 一番キャリアが長いなんて時。 あるいは、 専門性を持って活動してる場 (カウンセラーとして、講師として) というような場でも、 意に反してだし、それはまずいことなんだけど、 強い立場になってしまうことがある。 年齢も57歳となってくると、 そういうことも多くなったりする。
またそういう役割を担っている上で、 相手にとっては耳の痛いこと、 厳しい改善点や建設的な批判、 「次にはこうして欲しい」など 言わなくてはならないこともある。
これがキツイし、試される。
そういう時に、 問われるのは、 相手から 別の意見を言ってもらえるかどうか? 質問してもらえるかどうか? なんだろうなあ。
これが難しいなあ。
本当に難しいものだけど、 私の場合は、 2つの点で助かっている。
一つは アサーティブ・ロゴセラピー・建設的な生き方など、 戻るところがあることだ。 感情の整理の仕方、 目標の立て方、 コミュニケーションの方法など、 帰る理論やスキルがあることが、 本当に本当に救い。
難しい場面には、 素手で太刀打ちできないもの。
それともう一つ、 私自身の「自信のなさ」が、 救い。 私は時々思い込むし、時々失敗する。 相手を誤解してることもあるし、 間違うこともある。 これって、情けないことなんだけど、 でも、 自分を過信してないことは、 私のコミュニケーション力の 大切な救いだと思う。
自分が間違っているかも・・・ 自分の何かが足りてないかも・・・ あの素晴らしい人が、こういう言動をするのは、 深い背景があるのかも・・・ 自分を過信してないことが、 時々、私をそこに立たせてくれるんだ。
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author : tanizawa-k
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