2016年10月の記事 | 今のところではありますが…
気ぜわしい。

【2016.10.18 Tuesday 19:22

暗くなるのが早くなって、

気ぜわしい。

 

そして

怒涛の10月を過ごしている。

講演や講座が多く、

毎日、

パワポで上映用の資料を作ってる感じだ。

ガンバ!私。

 

 

そんな中、素敵なことは起こる。

 

夕方のカルの散歩の時に、

いい光景に出会った。

薄暗くなった道で、

母親が小学校5年?6年?の男子に、

スケートボードを教えてもらってる。

 

「お母さん、そうじゃないよ。

 こうするんだよ」

とやって見せ、

母親が上手にできると

「そうそう」と褒める。

母親が転びそうになると、

支える。

 

そばを通る時、全く知らない方だったが、

「お子さん、教えるの、上手ですね」

と声をかけると、二人で笑ってた。

 

こういう時間がある親子って、いいなあ。

素敵だなあ。

 

 

 

親子のコミュニケーションについての講演では、

「ムダ話」というか、雑談というか、

そういう時間を持とう!

というようなことをしゃべってる。

生産的な話や、ためになる話

以外の会話が大切・・・

的なこと。

 

つまり、

「勉強」とか「宿題」とか、

「塾に行く行かない」

「サッカーやミニバスでのいろいろ」、

「高校どうするか問題」や

「スマホの使い方問題」、、、

そういう話じゃないこと。

 

「今日、先生のオヤジギャクが

 つまんなすぎで、逆にウけた」とか、

「ねえねえ、なんでゲームの実況、

 そんなに面白いの?」とか、

そんなようなこと話せた上での、

「高校のことなんだけどさ、

 見学行ってどうだた?」

があるといいと思う。

 

 

スケートボードの親子は、

きっと、

スケートボードがどうしたらうまくなるかも話すし、

友達のことも話し合えるし、

宿題や勉強のやり方についても

相談し合えるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

そんな風な話を講演でする時に、

最も気をつけるのは、

参加された方が凹みすぎないこと。

「ムダ話など全然してなかった・・・

 私ってだめだ」と反省するのではなく、

「今までは、確かにムダ話してなかったな。

 帰ったらしてみるか!」

くらいの感じがいいなあと思う。

 

それが成功することもあるし、

そうでもない時もある。

 

 

 

今年6月に中学校区(中学一校小学校二校)で

呼んでくださった地区がある。

この時は理論編のような話をした。

そして10月に入ってから、

今度は各校で体験編をやった。

短い時間の中だったが、

「楽しかった」だけで終わらないように、

「超凹んだ」でもないようにと、

プログラムを作った。

 

感想の中に

・子どもにとって良くない言葉や態度ばかり

 とっていたことに気づかされました。

 「私はダメだな〜」と思うことなく、

 とても楽しく「じゃあこれからは気をつけよう」と

 前向きな気持ちになれました

・実は今、仕事が忙しく、子どものことをしっかり

 見てあげられずに「本当にこれでいいのか」と

 毎日不安、自信喪失していました。でも今日の

 話を聞いて「今の自分でいいんだ」と安心した

 自分がいます。今日も(子どもは)一人で

 待っています。帰ったらとびきりの笑顔で

 自信を持って接していきたいです・

・体験を取り入れていただき、大変楽しい中で

 自分の姿勢に気づかされました。

 自分をダメ人間と思うことが多いのですが、

 前を向き生きていきたいと思えました

などがあって、

ほっとした。

 

こんな時ばかりじゃないけど、

でも、こういう時もある。うふふ。

 

 

保護者が自分にダメ印ばかりつけるのは、

辛すぎるなあ。

完璧な人なんていないし、

完璧である必要もない。

保護者だって、

時々は自分の感情に振り回されることだってあるし、

子どもとぶつかりあうことだってある。

それがダメなんじゃなくって、

そういうこともあるけど、

それでもなお、

違う方法も知っとこう、やってみよう・・・

ってことだと思う。

 

 

 

「完璧な人なんていない」という一言。

子どもたちへの「心の健康」という授業で

話すのだが、

その時にシーンとなる。

今日も小学5〜6年生に話したが、

なんというか、

全員の全身が、

その瞬間、

私に集中したような感じだった。

続けて

「完璧じゃなくたっていい」

というと、

今度は、

「ホっ」という音が聞こえた気がした。

肩の力が抜けたんだよなあ。

 

みんなガンバっているんだなあ。

 

 

そういえばゲームの実況の件、

私には、なんで子どもたちが

 You Tubeで

他者がゲームをやってるのを見るのか、

全くわからなかった。

どこが面白いんだろう。

自分でやったらいいじゃん。

そう思ってた。

ある日テレビの中で、

外国の方が言ってた。

「テニスも見るし、

 サッカーも見ますよね。

 やった方が面白いのに・・・

 などと言いませんよね」

なるほど、そういうことかあ。

 

聞いてみないとわからないなあ。

わからないまま、批判だけするのは、

やっぱり良くない。

 

 

 

11月いっぱい怒涛は続く。

気ぜわしい中、

やること書き出して、

「今」に集中して、

そして

ぼちぼちやっていく。

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

意見の「衝突」を、スキルで「対話」に!

【2016.10.06 Thursday 09:33

一昨日だったか、運転中の車の中のラジオから

コミュニケーションの話が流れてきた。

 

「先輩が忙しそうで声をかけられない。

 質問したいことがあるけど、

 邪魔になったらどうしようと考えてしまう」

 

うんうん、わかるわかる。

あるなあと思って聞いていた。

 

しかし、次の瞬間、ちょっと違和感。

 

「だから、先輩に、

『今話しかけてokですよ』

 という印を、なんかの形でしてほしい」

 

・・・言いたいことはとてもよくわかる。

すごくわかる。

 

ただ、自分が話しかけづらいから、

先輩に一手間かけさせるってのは、

私には、納得しがたい。

 

 

「話しかけづらい」

「迷惑かけたら、悪い」

「先輩の仕事の手を止めさせるのは気がひける」

という考えは、

相手(先輩)のことを思う考えや、

仕事を滞らせたくないという考えにプラスして、

 

「空気読めない人とか、

 タイミング悪いなあとか、

 そういう人と評価されるのが嫌」

という自分の側の防衛本能に基づいた考えも

あると思う。

 

自分の評価を下げないために、

相手に変わってもらうってのは、

う〜ん、やはり私は納得できないぞ。

 

 

 

じゃ、どうするか?

 

 

このことに関して二つの面で考えた。

1つ目は、

 

「相手をコントロールしようとするのではなく、

 自分のできることを考えて行動する」こと。

 

 

そして、そこに登場、コミュニケーションの力!

 

 

事前に相談や提案をしておくってのはどうだ?

 

1日のうちで一番忙しい時間帯を

あらかじめ聞いておく

とか、

一応、お声かけしますが、後の方がいい時は、

首振ってください。そしたらまた頃合い見て

お声かけします。何度でもokです。

とか・・・。

その話し合いの中で先輩が、

仕事が滞ると困るから、

okサインでも作る?

って言ってくれたらラッキーだ。

 

 

 

あるグループの勉強会で

アサーティブの練習を行った中で、

「役所などで、

 要件を伝えると、

 お待ちくださいと言われ、

 次の方に最初から説明し、

 それなのにまたお待ちくださいと言われ、

 3度目でまた最初から説明し、

 ようやく要件の担当の方と話せた時など、

 もう、どうすればいいのか!と腹立たしい」

のようなことをシェアしてくださった方がいた。

 

その方に、

それでも自分の側の責任で、

そうならないための行動をするとしたら?

と質問をしたら、

 

「最初に短く要件を伝えるとか、

 それでも『お待ちください』と

 言われたら、

 『電話口に出て下さる方に、

 あなたから要件を伝えておいてください』

 とお願いしておく」

などと上がった。

 

 

相手を責める気持ちになる時あるし、

相手が変わってくれたら!と願わずに

いられない時もあるけど、

それでも、

自分ができることは、

自分の「見方」「態度」を変えることだけ。

 

あ〜

アサーティブって厳しいなあ。

厳しいけれど、

コントロールできないこととできることを分けて、

できないところで

やきもきすることはなくなるから、

物事にスッキリと向かうことはできる。

 

そして、新人の方も、

そういうことを繰り返していきながら、

OJTで

コミュニケーション力をつけていかれるといいなあ。

 

 

 

 

二つ目は

「人間関係を大事にするばかりに

 衝突を避けがちになることは、

 長い目で見ると、問題」ってこと。

 

少し前に読んだネットの記事

「良い人間関係は、衝突することを

 前提にしている」

(安藤裕哉氏)

を思い出したのだ。

 

この記事の中に、以下がある。

 

ある会社の社長との話のこと。

その会社は業績がいい時は、

いいチームワークだったのだけど、

悪くなったら、チームの雰囲気も暗くなった。

このままではよくないと思った社長は

一人一人に「何が問題か」と質問して回った・・・

そのことが書かれている。

 

「で、一人ひとりに時間を作って

 『何が問題か』と聴いて回ったら、

 よくわかった。

 皆が『言いたいことがあるのに、黙っている』

 という状態だった。

 何で直接言わないんだ、と聞くと、

 人間関係を壊したくない、っていうんだよね。

 これ、メチャクチャヤバイと思った。

 つまり、人間関係を壊したくない、

 と思う心が、人間関係を更に悪化させる、

 ってことだ」

そして安藤氏は

「なるほど、と思う。

 嫌われまい、嫌われまいと思うと、

 気に入られようとして

 かえって卑屈になってしまう。

 良い人間関係を生もう、

 いい友達でいようと思うと、

 ビビってしまい、

 かえって心を開くことができない」

と書いている。

 

本当にその通りだなあと思った。

考え方としては、

確かにその通りだと思う。

 

言いたいことを口に出さないことで、

短期的な人間関係は表面上はうまくいく。

しかし

問題は解決しない。

解決しない問題の中にはまっていると、

不満は出てくる。

人間関係のストレスは増す。

そうしているうちに問題は大きくなり、

ハードルはどんどん高くなる。

 

人が二人以上いれば、

問題への考え方も、

解決方法のアイディアも、

代替案も優先順位も

「違い」はあると思う。

一人一人に

それを頭の中で考える権利も、

自分の意見を大切にする権利も、

それを口に出す権利も、ある。

 

だから、

権利の「衝突」は、

人間関係の中で起こりうる。

起こりうるけど、

スキルで、

「衝突」を

「対話」にすることはできると

私は考えてる。

 

しかも、誰か一人が始めることで、

他者に影響を与えていく可能性も

信じてる。

そういう場を見てきた。

 

なので、

良い人間関係は

お互いの意見を聴き合い、対話することを

前提としてる

って考えたいな。

 

安藤氏も、

この記事を通して言いたいことの先には、

「対話」の可能性ってものがあったのではないか?

 

 

ラジオの後輩さんが、

先輩は忙しそう VS 質問する必要がある

を「VS」

にしないで、

 

つまり、どっちを取るか?にしないで、

 

先輩の仕事も大切にしながら、

その上で

自分の質問も大事にする方法を、

「対話」をキーワードに見つけられるといいな。

 

なんてこと、考えてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
| アサーティブトレーニング | comments(4) |


谷澤 久美子
counselor