2016年09月の記事 | 今のところではありますが…
それがあるだけで、ちょっとだけ救われる。

【2016.09.30 Friday 09:08

義父の葬儀翌日、

谷澤相談室勉強会、

今年度の2回目を開催した。

 

その日、

夫は親戚の四十九日に

参列することになっていて、

家には骨になってしまった義父を

一人で残すことになる。

後から義父の死を知った方が、

土曜ということもあり、

見えるかもしれない。

 

どうしよう・・・。

迷ったが

「開催する」を選択。

私にとって特別な勉強会になったと思う。

 

今年度の勉強会のテーマは「選択」。

そして、義父は私にとって

「日々の選択が一生を作る」を生きた

良いお手本だ。

 

 

 

 

「選択」をテーマにした全3回のうちの

この日は2回目。

「過去の選択を振り返る」。

 

アインシュタインの言葉に、

「いかなる問題も、

 それをつくりだしたときと

 同じ意識によって解決することはできない」

というものがある。

 

参加者の皆さんにも、

過去にはいろいろなことがあり、

その中には、

理不尽で、残念で、

とんでもないこともあったと思う。

 

そのとんでもないことを

乗り越えたのか、

放り投げたのか、

逃げたのか、

通り過ぎるのをじっと待ったのか、

それはわからないけど、

でも

なんとかなった、

あるいは、

なんとかした、

あるいは、

なんとかしてもらった

からこそ、

今を生きている。

 

たとえ「逃げた」としても、

「逃げる」を選択した力があったわけだし、

助けてもらったとしたら、

適切な人に助けを求められたわけだ。

 

アインシュタインの言うように、

問題が起きたときより、

たとえちょっとだけでも自身のあり方を変え、

問題がどうにかなった瞬間に、

さらに自身のあり方が変わったと思う。

 

そういうことは一切説明はせず、

(私の頭の中だけに置き)

「レッスン」という

アメリカの詩人キャロル・リン・ピアソン氏が

作った絵本をテキストに、

学び合い、確認し合った。

 

「レッスンの主人公は「ロバート」。

「学校・教室」という名の

 毎日の中で学ぶ。

「先生」が日々「問題」を出してくる。

「先生」は、もう一人の自分。

「問題」は出来事。

 

って具合に考えていた私だったが、

参加者の皆さんは、一歩先をいく。

 

「問題」は単なる出来事ではなく、

「自分をより良くしてくれるもの」

「自己成長の機会」だと。

 

アインシュタインの言葉を

引っ張り出さなくっても、

過去の出来事を、

そう捉えようとしている皆さんに、

なんだか、涙が出そうだった。

 

Sさんは

「参加者の話を聞いて、

 みんな頑張って今この場にいることが、

 尊いことに感じられました」

とある。

 

あ〜ほんと、そうだ!

 

 

オープンOKの感想を交えて、

勉強会を振り返る。

 

 Aさんは

 

小学生の頃、

 親のお財布からお金をとってしまったこと

 

という蓋してた出来事を思い出した方だ。

 

「今現在、なんとなく自分が人との関係の中で

 『自分はすごい悪いやつなのに』とか

 『怒られたらどうしようという恐怖」を

 持ってることに気がついた。

 ああ、子どもの頃のことが繋がっているんだなあと」

 

 で

「少し考えたけど、帰りのホームで母に電話して、

 『告白がある。

  私小さいころ、

  お母さんのお財布からお金とってたの、

  ごめんなさい』と伝えた。

 そしたら母は

 『全然知らなかった。なんで気がつかなかったの

  かしら』とか、いろいろ話し、

 『スッキリした?』という返事。

 私は

 『聞いてくれてありがとう』と伝えた。

  

 したことは変わらないのだけど、

 少しだけ罪を償った気分」

 

と書いてくれてる。

 

彼女は、母親に伝えて謝るという選択肢を

選択したけど、

その過程には、

「(ずっと後で)お墓の前で詫びる」

という選択肢もあったとのことだった。

 

「伝える」か「伝えない」か

だけではなく、

「お墓の前で伝える」という選択肢を持てるたこと。

それが行動の背中を押したのかもしれない。

 

 

Mさんの感想には

「選択肢が二つだと、

 選ぶのにすごく悩んでしまいますが、

 選択肢が三つ(以上)あることによって

 選択しやすくなる気がしました」

とある。

 

うん。ほんと、そうだ。

 

「やる」「やらない」のほかに、

「やってみて、ダメだったら撤収」

とか、

「手をぬいてやる」

とか、

「今日はやらない」

とか、

選択肢があると、ちょっとだけ救われる。

 

Mさんは

「私自身、小さなつまづきから、

 大きな課題まで、ぶつかることが多々ありますが、

 それについて、選択肢を広げて、

 自分で選択し、成長していく・・・

 人生とはその繰り返しなんだと思いました。

 時々凹むこともありますが、

 成長していく喜びは、

 自分が一番実感出来るのかもしれません」

と書いてくれている。

 

 

ご自分の離婚について振り返った方もいる。

 

「離婚するかしないか、さあ、どうする?」

 

と考えた時。

 

「選択肢

 1:離婚せず、今まで通りの夫婦関係を続ける。

 2:離婚せず、夫婦関係を改善するための

   努力をする。(けど、相手はどうだろうか?

   協力してくれるだろうか?)

 3:すぐに離婚し、新しい人生を始める。

 4:数年後に離婚するために、準備をする。

   経済的な自立、一人になってからの生き方、

   子どものことなど

 結局、(その時は)4を選択しました。

 正しい選択だったと思います。

 (それを経て離婚しましたが)

 何より離婚後の方が、自分の人生を生きて 

 いる気がしますし、楽になりました」

と。

 

彼女は

「後から考えると、何かを決めなければならない場面で、

 実はすでに心の奥底では決めているのに、

 意識には上ってこない、あるいは行動に移せなかった、

 ということが起こっているのではと思うことがあります。

 そんな時に『選択する』と、意識的に考えていくことの

 背中を押さられるようで、決心がつきやすく行動できる

 気がします。万が一上手くいかなかったとしても、

 どこか踏ん切りがつき、スッキリするのではないかと。

 ・・・

 今後は益々意識して自分の人生を選択していこうと思います」

と書いてくれているのだ。

 

上手にまとめてくれて、私こそ、スッキリだ。

 

 

 

Sさんは小4の時に受けたいじめを振り返った。

 

クラス全員から無視され、放課後に「さいばん」

という名目で黒板の前に立たされ、

Sさんに対する不満をみんなからぶつけられ

「土下座するまで帰さない」と言われたという、

本当に理不尽な体験。

 

「先生に助けを求めたら 

 『相手にするんじゃない』と言われ、

 母に『学校に行きたくない』と言ったら、

 『そんな弱い子はお母さんの子じゃない』

 と言われ、例えではなく、本当に目の前が

 真っ暗になりました。

 この出来事は、

 恐怖心と絶望感を私の心に深く刻み付け、

 そのあとも長く引きずることになりました。

 この体験をひどい形の粘土だとすると、

 その後のふとした折に、何度も私は

 この粘土をこねることになります。

 そのたびに、形は変わるけど、

 パッとしない、好きになれない作品が

 続きます。

 しかし、アサーティブや勉強会に出会い、

 7年ほどたちますが、

 ずっとこね続けてきた粘土が、

 ここ数年で、少しずつ好きな感じに

 変わってきているような気がするのです。

 出来上がるのは、ずっと先かもしれません」

 

Sさんは

「簡単に解けない人生の問題は、

 いろいろな方法で何回でもトライし続けたり、

 時々寝かせて、熟成するのを待ってもいいんだ!

 ・・・と思いました」

と書いてくれている。

 

Sさん、

ひどい目にあって、どんなに傷ついただろうかと思う。

それでもなお、

自分の人生を作っていってる!

そういう過程を含めて、

Sさんの粘土は、味のある素敵なものに、

すでになっていると私は確信。

 

 

 

Kさんが

3回目のテーマを先取りした感想を書いてくれた。

 

「必ずしも結果だけで『スッキリ感』が

 決まるわけではないと感じました。

 結果が思うようではなくても『スッキリ』

 する時もあります。その反対に、どうにも

 モヤっとしてしまう時・・・、そんな時は、

 大概、自他尊重のバランスがどうも悪かった

 と思いました。(バランスは)同じである

 必要はないけど、どちらかだけに片寄って

 しまうと、後に残す気持ちも『今ひとつ』

 になることが多いようです」

 

ですよねえ。

 

そこで3回目。

3回目はロゴセラピーの要素を取り入れて、

「未来」に起こりうる出来事で、

より良い選択ができるようにと学ぶ。

 

ロゴセラピーの創設者、フランクル氏の言葉に、

「あたかも二度目に生きるかのように

 人生を送りなさい。

 しかも最初の人生では、やろうと考えたことを

 全て間違えてしまったかのように・・・」

うん、そうしてみようじゃないの!

 

 

選択肢はあった方が、生きやすい。

その中からどれを選ぶか。

 

一緒に考えあいましょう。

 

 

3回目は、

2017年1月7日(土)。

「未来からの質問に選択肢をもっておこう」

お申し込みなどは、こちらをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お見事っ!

【2016.09.26 Monday 18:47

9月20日午後2時25分。

義父が永眠いたしました。

89歳と8ヶ月を見事に生ききり、

夫と夫の姉に見守られながら、

息を引き取ったのです。

 

22日お通夜、23日お葬式に

たくさんの方にご参列いただき、

義父を無事に送ることができました。

 

 

義父は

今年に入って徐々に体が弱り、

9月に入ってからは、

内臓がすっかり弱ってしまっていて、

医師からは覚悟を言いわたされておりました。

 

9月16日の午後、

義父の病室に一人で行きました。

義父は口を開けて、大きく息をしながら眠っていました。

 

私はベットの横に座って、腕をさすりながら

「お父さんに謝りたいことがある」というと、

目をぱちっと開け、また閉じました。

「お父さん、孫ができなくって、

 お父さんをおじいちゃんにできなくてごめんね」というと、

またぱちっと目を開け、すぐに閉じました。

「ずっと前に、お母さんも泉さんもいなくって、

 二人でご飯を食べに行こうということになって、

 ちょっと飲みながら話した時に、

 お父さんは、私に、

 『久美子、養子をもらってくれ』と言ったよね。

 その時私は少しその話にのって、

 『それいい案ですね』なんて話したのは、

 お父さんが、私のことを少しも責めずに、

 少しも私に「子供がないこと」の罪悪感や情けなさをを抱かせずに、

 細心の注意を払って、

 その話をしてくれたからだと思う。

 そのことが伝わってきてた。

 それなのに、

 投げてくれたボールは私の手元にあったのに、

 私はそれから一度も返事のボールを投げ返さなかった。

 その話をする覚悟ができなかったからだと思う。

 お父さんは、ものすごく思いきって聞いてくれたと思うのに、

 一度も切り出さなかったこと、絶対にあやまりたかったんだよ。

 本当にごめんなさい」

というと、またぱちっと目を開けてくれて、

それですぐに目を閉じました。

 

「それから、お父さんが弱くなってしまってから、

 一切の面倒をお義姉さんに任せてしまったことも、

 ごめんなさい」というと、

義父は目をパチパチっと二回開けました。

義父はお義姉さんが大好きだったから、

反応したと思います。

「お姉さんは会社の仕事と

 社会的な活動があって忙しい人だけど、

 お父さんの事を本当によく面倒見てくれたね。

 しかも、私に一回も、

 『あれやってこれやって』とか

 言わないでやってくれたんだよ」

義父はぱちっと目を開け、

しばらく開けていましたが、

静かに閉じました。

 

私は度々起こすのが申し訳なくなって、

20分くらいで部屋を後にしました。

その時言い足りなかった感謝は、

結局生きている間には

伝えられませんでした。

 

 

 

 

 

私の実家の父が亡くなり、

家業を廃業することになった時、

家業の従業員の方々に廃業を告げる場

というのがありました。

酷なことを言わなければならない場は、

まだ30代だった私には心細くてたまらなかったけど、

義父は「俺も行く」と行ってくれて、

立ち会ってくれたんです。

私の後ろにいて、

仕事の関係は全くないのに、

一緒に頭まで下げてくれました。

私の肩にかかった荷物を

一緒に背負ってくれてるようで

私は安心でした。

それも、一言も頼んでないのに、

義父は私を思いやってくれた。

あの時のこと、忘れたことありません。

 

家業の後始末が終わって、

私は自分のこれからを考えていました。

ある時義父の書斎に行って、

「もしみんなが望んでくれたら、

 お兄さんやお姉さんや泉さんの

 会社に入れてもらって、頑張りたい」

と言いました。

そしたら義父は英語を勉強していた手を止めて、

私の方を見て、

「お前は、家のことで苦労した。

 散々頑張った。

 お前はあれだけ頑張ったから、

 もう好きなことをすればいい」

と言ってくれました。

あの時の義父の言葉で、

私は今の仕事を見つけることができました。

 

 

私は学校での相談の仕事と、

コミュニケーションの講師の仕事をすることができ、

なんとかやっています。

ある時、

「久美子。俺は85年生きてきて、

 つくづくとコミュニケーションが

 大事だと思う。それに尽きると思う」

と言ったことがあります。

私は思わず

「どういうことですか?」と聞くと、

「今まで俺は長いこと、

 自分の言いたいことを通したくって、

 大きな声で怒鳴りつけたりしてきた。

 それじゃ、ダメなんだよ。

 お前のやり方の方が、人として大事なんだよ」

と言ってくれました。

「俺は母さんの世話をするようになって、

 時々イライラして、

 大きい声出していうこと聞かせることがある。

 でもそれでは後味悪いんだよ。

 それで介護の本を読んで

 勉強してるところだ。

 俺は今まで 怒鳴ってばかりいたなって、

 悔やまれてな」

私はあの時は照れながら、

「お父さんは心の中は優しさでいっぱいだと思う」

って言いました。

「だって褒めてくれたりするじゃないですか。

 それに、我が家に毎年来てくれるツバメにも

 めっちゃ優しいし。

 孵ったツバメが飛ぶ練習するために、

 電線までだとちょっと距離があるからって、

 つっかえ棒つけてくれてあるじゃないですか。

 私、それ

 『コミュニケーションパターンと性格はイコールではない』例として、

 お父さんに無許可で講演でしゃべちゃってますよ。

 事後報告ごめんなさい」

と言うと、

「おっそうか。それはまあいい。

 母さんにもそうできるといいんだけどな」

と言っていました。

私は85歳になって、

自分のことを振り返って反省して、

自分の伸びしろを確かめられる義父が、

めちゃ素敵だとおもいました。

向上心を持ち続けられる、

学ぼうとしてることが

すごいと思いました。

 

義父のチャレンジする姿勢は、私のモデルです。

泉さんと結婚した時、父は剣道5段で、

6段目指して頑張っているところでした。

40代から始めた剣道。

体育の先生や、警察官などの猛者たちに混じって

稽古してると聞きました。

私は40代から始められるんだ!とまずはびっくり。

でそのびっくりは序の口でした。

それから義父は年に2回、昇段試験を受けました。

でもなかなか受からない。

東北の会場にいったり、名古屋の会場にいったり、

とにかく受けました。

そして落ちる。

どこがダメだったのか、どこをどう直せばいいのか、

教えてもらえないってことでした。

自分で考えたことを改善して次に望む。

また落ちる。それでも挑戦する。

義父は全く諦めませんでした。

途中1〜2回、腕の故障で受けないことはあったけど、

それでも14年かけて6段に昇段した義父。

そのことがどれほど、

私たち家族に影響を与えてくれたかと思います。

一回二回の失敗ないて、なんでもない。

諦めなければ、失敗したとしても、

目標の途中なんだって思えているのは、

義父のおかげだと思います。

 

義父が74歳の時、

頼んで、

中学校を卒業する子どもたちに、

励ましの文章を書いてもらったことがありました。

自分の波乱万丈の人生を書いてくれた最後は、

こう結ばれています。

「社会は極めて公平で温かく、

 そして極めて冷酷である。

 自分に甘え、他人の助けを当然とする

 自分の努力のない人には冷たいが、

 真剣に努力すれば、道はどんどん開けていく。

 頑張ろう!

 理屈抜きにがんばろう。

 自分のしあわせのためじゃないか。

 目的を持って、

 目標をクリアしていく。

 一歩一歩、その道以外に道はない、

 グッドラック」

この言葉は、義父の生き方、そのものだと思います。

 

 

そういう頼りになるがんばる義父も好きだけど、

よく思い出す義父の表情があります。

 

ある時、なんかの弾みで「なぜ泉さんと結婚したか」

というような話になった時、私が

「結婚する前に泉さんと電話していて、

 『電話の前何してたの?」

 と聞くと

 『おばあちゃんの足の爪を切ってた』

 って言ったんですよ。

 私、それに感動しました」

と言った時、

その時の義父の表情です。

「この子は優しいところがある子でな」

と、すごく自慢そうに、

当時54歳の息子を捕まえて、

本当に暖かい笑顔で、

涙を浮かべてた。

あの表情。

 

仏壇の花は、

主に義父が花を買ってきて

バケツに水をはって入れておいてくれるのを、

義母が生けていました。

義母が入院した2010年のお盆。

私がやるものと思ってたら、

義父が生けたんです。

さすが、華道の先生である義母と一緒に暮らしてきた義父。

大きな花は短くきって前の方に、

その後ろに小菊をいけてあります。

多分、私に負担をかけまいと生けたと思うんです。

私は、義父の、

苦労をいっぱいしてきた、

無骨なあの指が、

小菊の茎を持ってハサミをきっているところを想像して

泣けてきました。

義母のお見舞いに行きその話をすると、

「今まで一度もないわよ」と母。

そこに義姉が来て、

「そりゃびっくりだね」。

そこに義父が顔を出すと、

可愛らしい義母は、

「今日は誰もお見舞いがなくって、

 本当に一人ぼっちで淋しかったの。

 それで我慢してたら、急に3人もだもの。

 できればバラバラに来てくれないかしら」

と義父の方を見て言ったんです。

それまでそんなこと言わなかったのに、

義父が来た途端に甘える義母。

「まあまあそう言うな」と義父。

あの表情。

 

私には、どのシーンも宝もの。

ただ、もう新しいシーンに一緒に

いられないんです。

 

大きな出来事の中や、

日常のなんでもない会話の中や、

その時々の出来事に臨む態度で、

結局義父が私たちに言いたかったことは、

多分、

「学べ!励め!」

「人として良いと思ったことはしろ」

ってことだったのではないか・・・

と思うのです。

 

それ、していかないとなあ。

うん。

していかないと。

 

 

 

で、さみしいけれど、

私は思います。

お父さんは

見事な生き方をしたって。

 

見事な生き方を見せてくれた!

 

お父さん、

お見事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「できないことを克服するためだけの人生って、どうなのか?」

【2016.09.12 Monday 09:39

9月3日に行われた

「ロゴセラピー講演会」。

 

3人のロゴセラピストの講演と、

中谷剛氏

(ポーランド国立アウシュビッツ・ミュージアム公式通訳)

の特別講演があり、

どなたのお話も素晴らしかった。

 

 

その中で

一週間経っても頭から離れず、

時々取り出しては考える言葉がある。

 

広野ゆいさん

~NPO法人DDAC(発達障害をもつ大人の会)代表〜

が講演の中で話された

「できないことを克服するための人生って、どうなのか?」

という言葉だ。

 

私は学校の中などで、

診断を受けていたり、

診断は受けていないが

傾向をもつ子どもに接することも多いが、

その子たちへの接し方に、

改めて背筋が伸びる思いだった。

 

もちろん向上心を持って、

より良い自分になるように、

より周りの人とうまくやれるように、

できないことをできるようにするために、

努力するってことは大事だと思う。

 

でも、そればかりのために

時間を使うようになってしまったら、

それはつらすぎる。

 

特に、

周りから求められるのは、きつすぎる。

 

彼女は、

「発達障害を持ちながら生きるということは、

 ストレスに弱いとか、

 我慢ができないのではなく、

 もともとストレスがかかっている状態なのだ」

と話してくれた。

 

感覚過敏があれば、

必要がない音まで聞こえてしまい、

物も目に入ってくるし、

匂いや、触った感じの不快感もある。

 

不注意や衝動性や多動も、

自然にコントロールできるものではなく、

いちいち自覚的にならねばならない。

 

誰か自分以外にもう一人いたら、

その人にどう振る舞うか、

その人の振る舞いをどう捉えるか、

ある方の話では、

いちいちギアをチェンジし運転している感じだ

ということだった。

オートマだったら楽なのに。

 

広野さんは言う。

「普通に思われたい。

 できる時もできない時も、

 できないと思われたくないし、

 自分で思いたくない。

 できないことは隠したい」

 

あ〜、

私は、このことを

本当の意味で、理解していたのか?

 

広野さんは、

「その人を障害状態にしているのは、環境」

と言っていた。

法律にも明記された「合理的配慮」とは

「特別扱いをするのではなく、

 その人が能力を発揮できる環境を作ること」

そのためには

全ての人が、

「自己超越の力を使う」ことを提案されていた。

 

「自己超越」とは

ロゴセラピーの言葉で、

「人間が自分自身を超えて、

 自分自身でない何かの対象か、

 誰か他の人に向かっていくこと」

誰かのため、何かのために、

自分自身の力を使うこと。

 

 

 

 

 

「できないことを克服するだけの人生って、

 どうなの?」

という問いかけは、

発達障がいを持つ方だけへの言葉ではないと思う。

 

広野さんの言葉は、

まっすぐに私に入ってきて、

留まって、

考え続けさせてくれている。

 

発達障がいがあってもなくても、

年齢とともに体力が落ちてこようと

そうでなかろうと、

記憶力もあやふやであってもなくても、

いろいろなことが面倒になり、

つい丁寧さに欠ける、

そんなことがあってもなくてもだ!

 

それを克服するだけに時間を使うのではなく、

自分のできることを、

誰かのために、何かのためにする選択をすること。

 

 

 

特別講演で

中谷氏は、

ご自分がアウシュビッツに関わることになった過程を

丁寧に話してくださった。

何と最初の出会いは小6の時の、

学校の行事の時に聞いた

学者の話だったそう。

それからの数々の出来事が、

彼をポーランドに向かわせた。

 

その彼が

講演の冒頭で私たちに問いかけた。

 

「このきっかけが何を意味するのか?」

 

それは、その日の4つの講演を聞き、学んだことを、

どういう意味にするのかは、あなた次第!

ということだったと思う。

 

私は

「できないことを克服するだけの人生って、

 どうなのか?」

を考え続けていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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谷澤 久美子
counselor