「これでよかったんだ」と思えること。 【2016.05.31 Tuesday 13:08】 |
私は、30代に、不妊治療を 約2年間しました。 月に一度ホルモンの注射や、 卵管に水を通す治療、 痛いし、なんだか情けないし、 その時間は決して明るくハッピーな 時ではありませんでした。 そんな中、祖父が亡くなるということがあり、 祖母も母も亡くしていた私は、 父と二人でお葬式のことなど、 色々なことを決めなくてはならず、 不妊治療を中止し、 再開させませんでした。 それで 結局は子どものいない人生を 送っている私たち夫婦。 あの時続けていたら・・・とか、 もっと高度な治療をしていたら・・・とか、 しばらくは考えたものでした。 その後、やりがいのある仕事についた私は、 「我が子」ということについては 考えなくなりました。 が、閉経を迎える頃に再び、 もうこれで本当に 「我が子はない」という事実に、 もっと何かできたのではないか・・・ という心残りのようなものも 正直ヒリヒリしたのです。 今はもう、 「子供がない人生をどう生きるか」 という人生からの問いかけに、 私なりに精一杯で応えていこう という覚悟があるので、 「あの時再開しないという選択は、 あれでよかったんだ」と思います。 ただ同時に、 多分私は、 あの時再開したとしても、 再開して高度な治療に挑戦したとしても、 そしてまた、 再度それを中断したとしても、 (それで、これは本当に 嬉しい想像ですが、 子供を授かることが できたとしても) つまり、 どれを選択したとしても、 結局は「これでよかったんだ」と 納得できるような気もするのです。 「ポジティブ・シンキングだね」 と言われそうですが、 私、自分で自分をポジティブとは 思ってないんです。 「これでよかったんだ」 「今でできることを、 とにかくやるのみ」 的な発想になるまで、 苦悩します。 心や頭の中は 時々は嵐吹きまくり、 グチャグチャ めちゃめちゃなんだけど、 それを経ないで 簡単にポジ変しちゃうのも、 実はあまり体に良いと 思えないんです。 (納得しないと「根」が残る) 谷澤相談室勉強会の 2016年度のテーマは「選択」。 今まで「感情」「回復」「自信」 とやってきての「選択」 いざって時 「これでいい」「これでよかった」 って思えるような選択ができるために 「選択」を色々な視点で考えあう会。 5月28日に一回目を終えました。 20名が参加してくださり、 考え、書き、聴き合い、振り返り・・・ の2時間半時間でした。 以下、オープンにすることをOK してくださった方の感想です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ *講座に向かう途中で、 (この日1日の予定を たくさん入れてあり、 ひねりだした講座参加だったので) 目一杯予定を入れてしまって、 「私、無理してない?」 「参加の選択、正しかったの?」 「もっともっと 考えた方がよかったのでは?」 自問自答しながら 向かいました。 でも講座が終わって、 なんか気持ちがすっきりしたし、 ワクワクして、本当に嬉しかったです。 今日1日どう過ごすか、 自分なりに選択して、 そうやって私は(これまでも) 1日1日生きてきたんだなあ と改めて感じられた2時間半でした。 (ミニー) *(講座翌日)ちょうど今朝、 娘の「選択」に直面しました。 今週末、アメリカへ旅立つ友だちを 成田空港まで お見送りに行くか、行かないか。 娘の「行かない」という結論を聞いて、 あんなに行きたいって言っていたのに どうして?と思い、 理由を聞いていきました。 そして深掘りしていきました(笑)。 行かない理由は、 勉強会で出てきた「思いっきり自分本位」 な理由でしたが、 勉強会で学んだおかげで、 頭ごなしに怒らずにいられました。 あぁ、そこまでちゃんと考えて 選択しているんだったらいいよね、 って思えたので。 きっと今までも 私が娘にちゃんと聞かなかったり、 娘もちゃんと自分で そこまで考えているということを 自覚(言語化)していなかったことが あったんだろうなぁ。 一方的に怒ってきたこと 多かっただろうなぁ・・・と、 私が反省。 これも勉強会のおかげです。 ありがとうございました。 (N) *・自分が、誰かと一緒にいるときは 迷わず選択できるけれど、 迷ってしまって なかなか選べないことに気づきました。 (相手を待たせたら 迷惑になると考えて、 ・いつもベストなチョイスをしたいと 考えている自分がいて、 気持ちが整理できず、 あることに気づきました。 ペアワークの相手から、 イヤなもの・嫌いなものを除いたら、 軽い気持ちで決めている という話を聞いて、 と感心しました。 ・自信のなさが、 ブレーキをかけることが あることがわかりました。 今まで生きてきた中で、 してきたことは間違いない (そして、その決断は 概ね正しかったと思っている) ので、 新たなチャレンジが できたらいいなと思います。 (あんまちゃん) *今回あまり気持ちの準備なしで 参加したので、 始めは少し戸惑いました。 でも講座が進むうちに意識が 自分の過去に戻っていく感じに。 そして更に進んだら、 自分の人生の転換期が どこだったか、再認識。 過去の出来事で失敗した事は どこがまずかったか考えるけれど (同じ間違いをしないために) 今回のような捉え方を していませんでした。 過去の選択について 話し合う場面では 自分の重大な選択にまつわる エピソードを話しました。 今の私の中では その選択は自然だと感じているので、 気楽に?話せましたが、 何かしら聞いてくれた人の (彼女も同じような経験があり) 心に響いたようで、 彼女が 「自分の気持ちを見直すキッカケになった」 とそんなニュアンスの 感想を貰いました。 それを聞いて、 自分のやってきた事(生きてきた事)が ほんのちょっとでも誰かの役に 立つなんてことが起こる、 そしたらなおさらその選択に 意味があったのだと思い、 泣きそうになってしまいました。 そんなやり取りができる場を持てた事、 そんなチャンスを与えてくれた勉強会に 心から感謝です。 次回まで今回学んだ視点から、 自分に向き合ってみます。 (ももちゃん) *今回、自分の過去の 選択について思い起こし、 今なら考えつく いくつもの選択肢についても考え、 他にもあったことがわかり、 その時はとっくに 過ぎてしまったけれど、 また同じような決断が必要になったら、 きっとさらに「ベター」なものが 選べるのかもしれないと思いました。 そして、なぜそうしたかが 意識できれば、 それに伴う結果も 引き受けやすそうな気がします。 講座の中で、自分のしてきた選択 について考えてみた時に、 選択って特別なことばかり じゃないんだなって思ったし、 日常生活の中のささやかな選択にも やっぱり理由があったんだなって 思いました。 そして、重めのというか、 ここ一番という時の決断には 「なぜそうしたか」は 大きく関わってくるよなぁ っとも思いました。 また、次回までの宿題 「自分の強み」についてです。 偶然ですが、私は最近、 自分の強み…というか、 持ち味みたいなものについて 考える機会がありました。 なかなかやっかいな心配 ばかりかける娘に、 私は最近「らしくない対応」を しようとしました。 もちろん娘を大切に思うがゆえで、 だから本当にその方法をとるのか、 とても悩みました。 その時私は偶然だけど考えました。 「ちょっと待って。私ってどういう人?」 「私の持ち味ってなに?」 「今までどうやってやってきた?」 …結果、私は「らしくないこと」を やめました。 今回はそれでよかったと思っています。 もちろん普段とは違うことを、 勇気を持ってしてみることが 必要な時もあるでしょう。 なぜそちらを選択したかが 自分でわかっていれば、 結果の良し悪しも 少し受け入れやすいと思うのです。 「らしくない」行動についても、 考えた末に取るのであれば、 もし撃沈したとしても傷が浅いかなぁ… みたいな気もします。 選択する経過こそが大切であって、 その責任も受け入れていけたら、 と思った一日でした。 (K) *『選択』をテーマにしての 勉強会に参加して、 自分の中の何かに たくさんヒットしたと感じて、 いろんな思いも浮かんで、 考えようとしたけど、 テンポ良く次々シートがきて、 またヒットしてって感じで 講師が最後に言ってたように、 何本か走った感じと似てて、 いい感じで体も頭も気持ちも 温まった感じがした。 それで、浮かんだイメージが、 今までモヤの中を 足元を見ながら歩いていたとして、 ふと立ったまま休んで これまでの道の方を見てみたら、 さぁっ!とモヤが晴れてて、 あ、こんな道を通ってきたんだ。 と思って、 ハッとこれから進む前の道を見たら そちらも晴れていて、 そこはなんとなく登山の途中で 雲が風に吹かれて切れて 景色がほんの少し見られた! みたいなところで、気持ちがいいなぁ! って感じがパッと見えた。 (まめちゃん) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ みなさんの感想を読みながら、 結局「これでいい」「これでよかった」 と思える選択ができることって、 どんなことからでも学べる姿勢があったり、 ささやかな良いことを見つけられたり、 たとえマイナスの結果であったとしても、 それを自分の明日のために 生かしていけたり、 そういうことなんじゃないかなあと。 次回は9月24日。 さらに楽しい会にします。 勉強会については、こちらを→ |
author : tanizawa-k
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