2016年05月の記事 | 今のところではありますが…
「これでよかったんだ」と思えること。

【2016.05.31 Tuesday 13:08
私は、30代に、不妊治療を
約2年間しました。
月に一度ホルモンの注射や、
卵管に水を通す治療、
痛いし、なんだか情けないし、
その時間は決して明るくハッピーな
時ではありませんでした。
そんな中、祖父が亡くなるということがあり、
祖母も母も亡くしていた私は、
父と二人でお葬式のことなど、
色々なことを決めなくてはならず、
不妊治療を中止し、
再開させませんでした。

それで
結局は子どものいない人生を
送っている私たち夫婦。

あの時続けていたら・・・とか、
もっと高度な治療をしていたら・・・とか、
しばらくは考えたものでした。
その後、やりがいのある仕事についた私は、
「我が子」ということについては
考えなくなりました。
が、閉経を迎える頃に再び、
もうこれで本当に
「我が子はない」という事実に、
もっと何かできたのではないか・・・
という心残りのようなものも
正直ヒリヒリしたのです。

今はもう、
「子供がない人生をどう生きるか」
という人生からの問いかけに、
私なりに精一杯で応えていこう
という覚悟があるので、
「あの時再開しないという選択は、
 あれでよかったんだ」と思います。

ただ同時に、
多分私は、
あの時再開したとしても、
再開して高度な治療に挑戦したとしても、
そしてまた、
再度それを中断したとしても、
(それで、これは本当に
 嬉しい想像ですが、
 子供を授かることが
 できたとしても)
つまり、
どれを選択したとしても、
結局は「これでよかったんだ」と
納得できるような気もするのです。

「ポジティブ・シンキングだね」
と言われそうですが、
私、自分で自分をポジティブとは
思ってないんです。
「これでよかったんだ」
「今でできることを、
 とにかくやるのみ」
的な発想になるまで、
苦悩します。
心や頭の中は
時々は嵐吹きまくり、
グチャグチャ
めちゃめちゃなんだけど、
それを経ないで
簡単にポジ変しちゃうのも、
実はあまり体に良いと
思えないんです。
(納得しないと「根」が残る)


谷澤相談室勉強会の
2016年度のテーマは「選択」。
今まで「感情」「回復」「自信」
とやってきての「選択」

いざって時
「これでいい」「これでよかった」
って思えるような選択ができるために
「選択」を色々な視点で考えあう会。

5月28日に一回目を終えました。
20名が参加してくださり、
考え、書き、聴き合い、振り返り・・・
の2時間半時間でした。

以下、オープンにすることをOK
してくださった方の感想です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*講座に向かう途中で、
 (この日1日の予定を
 たくさん入れてあり、
 ひねりだした講座参加だったので)
 目一杯予定を入れてしまって、
 「私、無理してない?」
 「参加の選択、正しかったの?」
 「もっともっと
 考えた方がよかったのでは?」
 自問自答しながら
 向かいました。
 でも講座が終わって、
 なんか気持ちがすっきりしたし、
 ワクワクして、本当に嬉しかったです。
 今日1日どう過ごすか、
 自分なりに選択して、
 そうやって私は(これまでも)
 1日1日生きてきたんだなあ
 と改めて感じられた2時間半でした。
           (ミニー)

*(講座翌日)ちょうど今朝、
 娘の「選択」に直面しました。
 今週末、アメリカへ旅立つ友だちを
 成田空港まで
 お見送りに行くか、行かないか。
 娘の「行かない」という結論を聞いて、
 あんなに行きたいって言っていたのに
 どうして?と思い、
 理由を聞いていきました。
 そして深掘りしていきました(笑)。
 行かない理由は、
 勉強会で出てきた「思いっきり自分本位」
 な理由でしたが、
 勉強会で学んだおかげで、
 頭ごなしに怒らずにいられました。
 あぁ、そこまでちゃんと考えて
 選択しているんだったらいいよね、
 って思えたので。
 きっと今までも
 私が娘にちゃんと聞かなかったり、
 娘もちゃんと自分で
 そこまで考えているということを
 自覚(言語化)していなかったことが
 あったんだろうなぁ。
 一方的に怒ってきたこと
 多かっただろうなぁ・・・と、
 私が反省。
 これも勉強会のおかげです。
 ありがとうございました。
              (N)


*・自分が、誰かと一緒にいるときは
  迷わず選択できるけれど、
  一人でいるときは
  迷ってしまって
  なかなか選べないことに気づきました。
  (相手を待たせたら
   迷惑になると考えて、
   妥協しているのかもしれません。)
 ・いつもベストなチョイスをしたいと
  考えている自分がいて、
  考えすぎてしまうために
  気持ちが整理できず、
  逆に動けなくなってしまうことが
  あることに気づきました。
  ペアワークの相手から、
  イヤなもの・嫌いなものを除いたら、
  あとはどれでもいいという
  軽い気持ちで決めている
  という話を聞いて、
  そういう考え方もあるんだ
  と感心しました。
 ・自信のなさが、挑戦する決断に
  ブレーキをかけることが
  あることがわかりました。
  今まで生きてきた中で、
  人生の重大な決断を
  してきたことは間違いない
  (そして、その決断は
  概ね正しかったと思っている)
  ので、その点を認めてあげて
  新たなチャレンジが
  できたらいいなと思います。
             (あんまちゃん)

*今回あまり気持ちの準備なしで
 参加したので、
 始めは少し戸惑いました。
 でも講座が進むうちに意識が
 自分の過去に戻っていく感じに。
 そして更に進んだら、
 自分の人生の転換期が
 どこだったか、再認識。
 過去の出来事で失敗した事は
 どこがまずかったか考えるけれど
 (同じ間違いをしないために)
 今回のような捉え方を
 していませんでした。
  過去の選択について
 話し合う場面では
 自分の重大な選択にまつわる
 エピソードを話しました。
 今の私の中では
 その選択は自然だと感じているので、
 気楽に?話せましたが、
 何かしら聞いてくれた人の
 (彼女も同じような経験があり)
 心に響いたようで、
 彼女が
 「自分の気持ちを見直すキッカケになった」
 とそんなニュアンスの
 感想を貰いました。
 それを聞いて、
 自分のやってきた事(生きてきた事)が
 ほんのちょっとでも誰かの役に
 立つなんてことが起こる、
 そしたらなおさらその選択に
 意味があったのだと思い、
 泣きそうになってしまいました。
 そんなやり取りができる場を持てた事、
 そんなチャンスを与えてくれた勉強会に
 心から感謝です。
 次回まで今回学んだ視点から、
 自分に向き合ってみます。
                (ももちゃん)


*今回、自分の過去の
 選択について思い起こし、
 今なら考えつく
 いくつもの選択肢についても考え、
 他にもあったことがわかり、
 その時はとっくに
 過ぎてしまったけれど、
 また同じような決断が必要になったら、
 きっとさらに「ベター」なものが
 選べるのかもしれないと思いました。
 そして、なぜそうしたかが
 意識できれば、
 それに伴う結果も
 引き受けやすそうな気がします。
 講座の中で、自分のしてきた選択
 について考えてみた時に、
 選択って特別なことばかり
 じゃないんだなって思ったし、
 日常生活の中のささやかな選択にも
 やっぱり理由があったんだなって
 思いました。
 そして、重めのというか、
 ここ一番という時の決断には
 「なぜそうしたか」は
 大きく関わってくるよなぁ
 っとも思いました。
  また、次回までの宿題
 「自分の強み」についてです。
 偶然ですが、私は最近、
 自分の強み…というか、
 持ち味みたいなものについて
 考える機会がありました。
 なかなかやっかいな心配
 ばかりかける娘に、
 私は最近「らしくない対応」を
 しようとしました。
 もちろん娘を大切に思うがゆえで、
 だから本当にその方法をとるのか、
 とても悩みました。
 その時私は偶然だけど考えました。
 「ちょっと待って。私ってどういう人?」
 「私の持ち味ってなに?」
 「今までどうやってやってきた?」
 …結果、私は「らしくないこと」を
 やめました。
 今回はそれでよかったと思っています。
  もちろん普段とは違うことを、
 勇気を持ってしてみることが
 必要な時もあるでしょう。
 なぜそちらを選択したかが
 自分でわかっていれば、
 結果の良し悪しも
 少し受け入れやすいと思うのです。
 「らしくない」行動についても、
 考えた末に取るのであれば、
 もし撃沈したとしても傷が浅いかなぁ…
 みたいな気もします。
  選択する経過こそが大切であって、
 その責任も受け入れていけたら、
 と思った一日でした。
                (K)



*『選択』をテーマにしての
 勉強会に参加して、
  自分の中の何かに
 たくさんヒットしたと感じて、
  いろんな思いも浮かんで、
 考えようとしたけど、
  テンポ良く次々シートがきて、
  またヒットしてって感じで
 講師が最後に言ってたように、
 何本か走った感じと似てて、
 いい感じで体も頭も気持ちも
 温まった感じがした。
 それで、浮かんだイメージが、
 今までモヤの中を
 足元を見ながら歩いていたとして、
 ふと立ったまま休んで
 これまでの道の方を見てみたら、
 さぁっ!とモヤが晴れてて、
 あ、こんな道を通ってきたんだ。
 と思って、
 ハッとこれから進む前の道を見たら
 そちらも晴れていて、
 そこはなんとなく登山の途中で
 雲が風に吹かれて切れて
 景色がほんの少し見られた!
 みたいなところで、気持ちがいいなぁ!
 って感じがパッと見えた。
           (まめちゃん)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

みなさんの感想を読みながら、
結局「これでいい」「これでよかった」
と思える選択ができることって、
どんなことからでも学べる姿勢があったり、
ささやかな良いことを見つけられたり、
たとえマイナスの結果であったとしても、
それを自分の明日のために
生かしていけたり、
そういうことなんじゃないかなあと。


次回は9月24日。
さらに楽しい会にします。

勉強会については、こちらを→






 
author : tanizawa-k
| 相談室 | comments(0) |

欠けたまま。

【2016.05.28 Saturday 18:24
両手で顔が洗えるって、
本当、せいせいする。

ってのは、
昨日、23日ぶりに
ギブスが取れたんだ。

とはいえ、これからリハビリ。
ガンバってグーにしようとしても、これ。
ここまでしか曲がらない。

もちろんまだ、
雑巾も絞れないし、
マジックの蓋も開けるのに苦労する。

医者に曲がらない理由を聞くと、
ギブスで固定していたためと、
脱臼の時に、骨とともに
幾つかの腱も傷めていて、
それらを治そう、固めようと、
人間の治癒力が、
そうさせるのだそうだ。

すごいな、人間の身体。

で、実は前回の診察の時、
新たなことが判明した。

下から小指、薬指という写真なのだが、
薬指の関節の小指側のところが、
ちょっとだけ欠けているそうだ。
欠片は、見つからなかった。


医者は
「このくらいは仕方ないので、
 欠けたままいきましょう」と
そのとき言った。

私はその考え方が、ちょっと好き。

身体のことだけではなく、
例えば、何かを製作しているとき、
全部物が揃っていないながらやるって、
なんか、いい。

全員揃ってできたらそれにこしたことないけど、
中途半端なところからでも始められるのは、
成熟の形の一つのような気がするんだ。

なんですが、
今回レントゲンを撮ってもらったら、
何と何と、
欠けた骨からモヤモヤっと、
骨の赤ちゃんが育ってきてる。

先生が
「欠片が近くにいてくれたら、
 そこまで頑張るんですよ、きっと」
と言っていた。

あああ!私の体!

なんか、愛しくないですか?
体の中で、そんなことが起こってる。

故障した部分を固めて守ろうとしたり、
なくした物を補おうとしたり。

普段はめちゃくちゃこき使い、
その上あまりにも労わらない、
そんな私なのに、
体は
私に
より良い明日を!
とガンバってくれている。


体と心と頭をばらばらに考えてみたとする。
谷澤頭は、谷澤体に「よく頑張ってる」と感謝だ。
谷澤心は、谷澤体に「報われたよ」と伝えたい。

我慢して使わないできてよかった。
厳しいリハビリが始まったばかりで、
まだ全然治ってはいないけれど、
私は、昨日、なんだか23日間の不便が
報われた感でいっぱいだった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


で、こんな私のしょぼい話から、
いきなりなんですが、
治療の後帰宅し、
オバマ氏の広島訪問のニュースを見て、
つくづくと、
私は「誰かが報われているところを見るのが好き」
なんだと思った。

オバマ氏が
被爆米兵を調査してきた被爆者の森重昭さんをそっと抱き寄せた時に、
涙が出てきて仕方なかった。
彼が70年以上頑張ってこられたことが、
報われた瞬間だったように思う。

オバマ氏は
「世界はこの広島によって一変しました。
 しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。
 なんと貴重なことでしょうか。
 この生活は、守る価値があります。
 それを全ての子供達に広げていく必要があります。
 この未来こそ、私たちが選択する未来です」
と言った。

そうそう、
私たちは「選択」できる。そういう未来を。


で今日は午前中、
「選択」をテーマに勉強会を行った。


全部揃わなくっても、
ちょっと何かがなかったとしても、
その中で、
その時その時、選択し、
私たちの人生は続く。

そして、世界も動いていく。


勉強会についてはまた書きます。


ってわけで、なんか繋がってる。
面白い。



 
author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

PTGとPEG

【2016.05.16 Monday 12:48
4月26日の毎日新聞夕刊に
詩人和合亮一氏のコラムがあって、
その記事の中に
宮城県河北新報社が震災後に募集してきた詩の
いくつかが掲載されていた。

「故郷でみんなで
 うんめもの食って 
 とんでもね苦しさを
 笑顔で語り合う
 最高の幸せ」(日野修 「うんめな」)


熊本地震で苦しい思いをされている方々にも、
いつかこんな日が来るといい。

同じ日の朝刊の発信箱
岩手県宮古市立第一中学校3年生の修学旅行の
話題だった。

彼らの修学旅行先は東京で、
スカイツリーにもディズニーランドにも行ったけど、
宮古市出身者が要職にある企業を、手分けして訪ね、
復興の様子を報告し、支援してくれた人々に感謝を
届けて回ったというのだ。

その中の一つに、
同校合唱部の指導に、
震災後何度も足を運んでくれた
「心の花を咲かせよう合唱団」という存在があった。
お礼の気持ちを込めて、
3年生全員で合唱したそうだ。

♪ていねいに生きて 
 いっしょうけんめい生きて
 ひっそりでいい
 心に花を咲かせよう♪

震災にあった時小学校3先生だった彼らは、
義務教育を終える年齢となって、
大切な修学旅行の時間を、
震災を語り継ぐことや、
成長した姿を見てもらうことや、
感謝の気持ちを表すこと、
それらに使う選択ができる人となっている。

なんて素晴らしいんだろう。



本「スーパーベターになろう」の中に、
PTGに関する記述がる。

PTGとは
「ポスト トラウマティック グロース」
「心的外傷後の成長」
という意味。
(よく知られているPTSDは
 心的外傷後ストレス障害。
 その後、
 不安や憂鬱がつきまとう症状)

つまり、
ものすごいショッキングな出来事を経験したとしても、
必ずしもその後、長期に及ぶ問題を引き起こす訳ではなく、
逆に
以前よりもしなやかに、
以前よりも人格的に成長し、
力強く生きていける人もいるということを
PTGという言葉で表す。

まさに、
日野修氏の詩に描かれているのは
そういう人々だし、
宮古市の中3生もそうだ。

私もカウンセリングや研修で、
PTGを体現している方々に
たくさん出会った。

PTGを経験した人が口にする代表的な5つの言葉が
「スーパーベターになろう!」の中にある。
1・優先順位が変わった。
  幸せになるために行動することを恐れなくなった。
2・友人や家族を身近に感じるようになった。
3・自分をもっと理解できるようになった。
  自分が何者なのかわかった。
4・人生に新しい意義と目的を見出した。
5・目標と夢に集中できるようになった。



私自身も、もう約30年前になるが、
母の突然の死や
約20年前になる父の死と家業の廃業は、
相当なダメージだったけれど、
それを乗り越えられた自分のことを、
それ以前よりも信じられるようになった。
(もちろん自分の力で
 乗り越えたのではないけれど。
 たくさんの惜しみないサポートが
 あったんだけど)
つまり「3」に関して、
めちゃ実感した。


ロゴセラピーでは
「苦悩は人間の能力の一つである」という。
「苦悩というものが、
 人間の精神的成長にとって欠くことの
 できないもの」ともいう。

そして、
ここまでは
これまでも知っていたことだし、
見てきたことだし、
実感できることでもあった。




さて、
「スーパーベターになろう!」の中に
もう一つの概念PEGという新しい言葉を
見つけて、とっても納得した。

PEGとは「ポスト エクスタティック グロース」
「恍惚後の成長」と訳されていた。

著者は
「トラウマを全く経験することなく
 5つの恩恵を享受する方法はないのだろうか?」と考えた。
「PTGの恩恵を得られるからといって、恐ろしい喪失や怪我、
 病気、その他様々なトラウマを経験したいと思う人は
 いないはずだ」と。

そしてリサーチ。
先に研究していいた臨床心理学の開業医
アン・マリー・レープク氏のPEG、
「痛みなき成長(あるいは極めて小さな痛みでの成長)」を
見つけたのだ。

「PEGはPTGと同じ働きをする。
 ちがいは、自分でチャレンジを選ばないとならない
 ということだ。
 恐ろしいトラウマに見舞われるのを
 じっと待つのではなく、
 大きなストレスとチャレンジを生み出す
 有意義なプロジェクトやミッションを
 進んで引き受ければ、いつでもPTGを獲得できる」


私は、この春、
ちょっとした新しいことにチャンレンジをした。

準備の段階がとても苦しくて、
なんで引き受けてしまったのかとか、
荷が思い!とか、
何度も何度も考えた。

断ることも可能だったけれど、
あえて引き受けた新しいこと。
それは確かに、
終わってみれば、
今までよりもう少し厚くなった自信と、
今年度は、もっともっといろいろチャレンジしようと
いう自分への期待が増したように思う。

このPEG の考え方は知ってしまうと、
すごくいい。
何かに挑戦することは、
もしも成功したならば、
そのこと自体の結果以上の恩恵があるし、
たとえ失敗したとしても、
挑戦を選んで挑んだことの意義は
得られるってわけだ。

すごい。

成功の反対は
失敗ではなく、
何もしないこと。

そして何かをすれば、
結果がどうであれ、
もれなく「成長」がついてくる。




予期しない、とんでもないことが
起こったとしても、
人間は、
それを自分自身の豊かさにつなげることができる。

そして、普通の日常の中で、
何かに挑むことは、
そのことそのもので自分をの厚みに幅を
持たせることもできる。


なんか、
そう考えると、
とってもとっても卑近な例で
恥ずかしいけど、
私の今の左手は、
ま、私の研ぎ石なんである。

今はこんな感じ。↓パンパン。




 
ジェイン マクゴニガル
早川書房
¥ 2,160
(2015-11-15)

author : tanizawa-k
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こけた。外れた。冒険だ。

【2016.05.06 Friday 18:20
ジェイン マクゴニガル
早川書房
¥ 2,160
(2015-11-15)

「スーパーベター」とは
自信や活力を取り戻すためのメソッド。

著者のジェイン・マクゴニカル氏が、
自身の体験、
脳震盪後症候群から回復する過程で
開発したもの。

いろいろな症状の苦しみの中、
ある日突然、
「自死」か「これをゲームにする」か、
どちらかを選ぼうとひらめき、
「ゲーム」を選択したことがスタート。

なぜゲームだったのかというと、
彼女自身ゲーマーで、
しかも、ゲームの心理学の研究者。
「ゲーマーの心の強さを実生活での問題解決に
応用する方法」で博士号を取得していたのだ。


つまりこの本は、
日常の様々な試練に対して
「これがゲームだとしたら」
と考えて立ち向かう方法を示している。


で、この本の半分くらいのところを
読んでいた5月4日、
コトは起こった。

夫とカルと夕方の散歩をしている最中のコトだった。

4車線の道路を挟んだ向こう側にあるお店に、
以前買い物に行った時、
おいしそうなアイスを見つけてあった。
今日こそは買いたい。食べたい。
信号はまだ青。
よーし、渡っちゃおうと
走り出した途端、
私は派手にこけ、
めちゃ痛くて動けなくなった。

あまりの痛さに、
手を見ると、
左手の薬指がグロテスクに中指の方に曲がってる。
ありえない曲がり方だ。

道行くカップルが「大丈夫ですか?」と声を
かけてくれ、手を見せると
思いっきり同情してくれた。



さてどうしよう?
家まで走って戻っても15分はかかる。
お金は、なんしろカルの散歩が目的だから
500円しか持ってない。

夫が
「すぐそこにある、
 あなたがよく行くブティックで
 お金を借りて、タクシーで当番医に
 行きなさい。
 僕は急いで戻って、カルを家に置いて、
 当番医に車で向かうから」
と。

なんと、素早い判断。

そしてこの時、
私の頭に、
「来たな、スーパーベターゲームの
 プレイチャンス!」
と浮かんだのだった。

これは日常の中の、
ちょっとした試練だ。

人生は、こんな風に、
時々私に問いかける。
こういう試練にどう立ち向かうのか?と。

今回はちょうど、
この本を読んでる真っ最中。
やってみない手はない。



スーパーベターをプレイするためには、
幾つかのルールがある。

その中に一つ、
「パアーアップアイテムを集めて使う」
がある。
夫の機転や知恵は
私にとってのパワーアップアイテムだ。
まずはそれを意識した。


で、
もちろん、痛いよ。
めちゃ痛いよ。
痛いんだけど、
頭の中で、
他のルール
「クエストを探してクリアする」
を意識した。

怪我を治す冒険(クエスト)に
向かっていくしかないじゃん。!私。


ルールは他に
・悪者を見つけて戦う
・仲間を作る
・秘密の正体を持つ
・エピックウインを追求する
などがある。

早速「仲間を作る」だ。
ブティックの店主 さんに訳を言い
2000円貸して欲しいと頼むと、
「何かあったら大変だから」と
1万円貸してくださった。
あ〜ありがたい。

タクシーの運転手さんが
当番医を確認してくれ、
レントゲンを撮影。


脱臼とのこと。

脱臼はそのままにしておいても治らないので、
整形外科の専門医がいる救急医を紹介してくれ、
車で迎えに来てくれた夫とともに、
向かった。

そこでは
「悪者を見つけて戦う」
ルールが大活躍した。
何しろ、受付済ませたのが18時半。
30分経っても1時間経っても診察の番が
回ってこない。

っていうか、
後から来た患者さんが呼ばれたりする。

悪者は、私の心の中にいた。
(どうせ、脱臼くらいのことじゃ、
 待たせとけ、くらいに思ってるんじゃないの!)
(忘れられたんじゃないんだろうか)
と全く勝手に相手を責め、
また、
(なんでアイスを買おうなんて
 思ってしまったのか)
(よりにもよって休みの日に
 こけるなんて、バカだな私)
と自分を責める。

頭の中に、そうやって悪者が出てくると、
私はクエストを思い出した。
(スーパーベターが気に入った理由の一つは、
 悪者の存在を否定しないところ。
 悪者が出てこないようにするというより、
 悪者がいて当たり前的なところがいい。
 だって、ネガティブな感情や考えは、
 湧いてきてしまうものだもの。人間だから)

ふっふ、冒険は、こうやって難題が
あればあるほど、
達成した時気持ちよいもの。

この場合の、
達成を邪魔する悪者は、
勝手な想像で相手を悪く仕立てあげる
「他責大魔王」
(「全ては他者の責任と考る考え方」に対して、
あまりにも暇なので名前をつけてみた)と、
私の中に時々出てくる「ダメダメ虫」
(逆に「全部自分が悪いと考える考え方」)
だ。

これらと戦うために
「仲間」つまり夫とラインをして
気を紛らわすことをしたり、
救急の待合室の様子や人間観察に集中したり、
救急車が入ってきた後に
患者さんを守ろうと一生懸命なスタッフの方々の
気配を感じようとしたり、
利き手でなくってよかったと考えたり、
翌日の午前中に会える友達の顔を思い出して、
深呼吸を試したり、
とにかく
クエストを達成する過程を味わってやろうと
考えたのだ。

結局診てもらえたのは、
22時15分頃。

整形外科の先生は、
救急車で運ばれてくる患者さんの
緊急の対応で大忙しだったようだ。
本当に忙しいし、
神経を使う仕事だと思う。



スーパーベターという考え方は、
ロゴセラピーや認知行動療法や、
マインドフルネスなど、
色々なものを
上手に組み合わせた
使える方法だと、
試してみて、私は思った。



現在の私の左手はこんな感じ。


この手で、
どう料理するか、
どう髪を洗うか、
雨の日に荷物も持って傘をどうさすか、
東京出張はどうなるか、
折れそうになる気持ちは?
・・・
スーパーベターな
ゲームは続く。

本も引き続き読む。楽しみ〜。











 
author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor