姪との思い出。 【2015.08.28 Friday 10:51】 |
走れる時は朝5時から走る。 ここ2回、秋の気配を色濃く感じて、 あんなにしんどかった今年の夏の暑さも、 「ほんと、暑い夏だったね」 って私の中では 過去のことになってき始めた。 さて、そんな中、 姪っ子ちゃんとの思い出を 書いておこうと思う。 (姪っ子ちゃんの母親であり、 私の妹に許可もらったぞ) 姪っ子ちゃんは、 はっきりと嫌いなものを言った。 それが気持ちよかった。 「私はスイカが嫌い。 あのテクスチャーが嫌いなの」 など。 そんな風に、 パン、冬瓜、アボカド豆腐など、 嫌いなものはちゃんと嫌いって言ったけど、 断る時には「ノー」というより、 「大丈夫」と言った。 「これもっと、食べる?」 「大丈夫」 みたいな感じ。 姪っ子ちゃんは、ニュ−ヨークで、 父親とは英語で話し、 母親は日本語で話しかけ、 姪っ子ちゃんは英語で答える という生活をしているということ。 アメリカには 「はっきり断る」文化があると思ってたのは、 思い込みか、または、 彼女の環境が背景にあるのか。 すごくおもしろく感じた。 私が彼女を尊敬したのは、 自分のことをちゃんと考えるという作業を よくしていたこと。 そして、その自問自答の様子を 教えてくれた。 たとえば、 二人でホテルに宿泊した時のこと、 私がシャワーから出ると、 彼女はそれまで着ていたパジャマから、 ホテル備え付けの寝間着に着替えていた。 「着替えたんだね?」ときくと、 「そう、くみちゃんがシャワーの間に、 どっちがコンフォタブルかな?って 自分にきいてみたの。 それで、こっちの方が 今日はコンフォタブルだって 思ったから」 自分と対話したことそのものを、 言葉にすること、 私はびっくりした。 「こっちを着てみたかったから」 「こっちの方が居心地よさそうだったから」 くらいに結果だけ答えるって方法もあるけど、 過程を言葉にしてくれたことが、 記憶に残った。 ア二メ好きな彼女をアニメイトに連れていくと、 池袋本店では感動して泣いていた。 そして、 「くみちゃん。 私は、アニメイトでは ノーコントロールになってしまう」 と分析してた。 私が 「じゃ、あなたがノーコントールになってる って私が思ったとき、 何か手伝えることある?」 と質問すると、 「う〜ん。 ない。そのままにしておいて」 正直だなあ。 原宿のかわいいものの店では、 ほしいといっていたものがあったのに、 結局買わない彼女に、 「なんで買わなかったの? ここではコントロールできたの?」 と質問すると、 「ううん、コントロールというより、 レイジーになったの、並ぶことに」 と教えてくれた。 「そうなんだ。じゃ、ほしいという気持ちより、 レイジーが勝ったんだね」 ときくと、 苦笑いをしていた。 ある時、「感情的」について 二人で話した。 何かの時に、私が 「あなたは、感情表現が豊かだね。 私はそこもとっても好き」 と言うと、 それって、 「エモーショナルってこと? 私は、それはいやなの」 という。 それで、 「エモーショナルな行動をするって ことじゃなくって、 あなたはいろいろ、いっぱい感じる すばらしい心をもっているってこと」 と言うと、 「あっ、今ピンときた」 と言い、 以前、 誰かに言われてイヤだと思っていたことを、 リフレームできたようなことを言った。 彼女は3週間の間に 4冊本を読み、 アニメを見ては泣いたり笑ったりしていた。 宿題で、「動物の習性」を調べ、 動物園と大自然の中の違いについて、 VSにして書いていた。 求められている以上のことを、 おもしろければ、やる。 すごい集中力で。 でも、納得できないスペイン語の宿題 (まだ学校で習ってないのに、 宿題で出ることがどうしても納得できないらしい) は、渋々やっていた。 ゲームセンターで二人でクレーンゲームをした。 彼女の好きなアニメのキャラグッズが、 もう少しで落とせそうなところにあったから。 私はそれまで、クレーンゲームは嫌いで、 ほぼやったことがなかった。 でも、1000円までと決めてやった。 結局取れなかったんだけど、 彼女は 「前、こういうのやること 理解できなかったけど、 やってみると、 はまる気持ちもわかる」 と言う。 私は、 「でもはまっても、途中で 『もうやめよう』とできるって すごいよね、私たち」 というと、 「ほんとだね」 笑いながら、そんな話をした。 彼女の夢は、 公園の遊具などをデザインする人のようだ。 「ブランコとかから、 たとえば落ちてしまってケガするのは、 それは想定できることとして デザインする。 でも、何かひっかかるようなデザインで、 それでケガをするのは、よくないデザイン だと思う。そういうことがない 安心して遊べる公園をデザインする アーキテクチャーになりたい」 いろいろ体験が、 今のところの彼女の夢に繋がっているんだろうな。 私は英語が思うように話せず、 彼女は日本語が充分には話せない。 それで、わかりあおうと、結構努力した。 言葉が通じると、それだれで いろいろわかった気になってしまうこともあるけど、 通じないと、 分かろうと必死になるから、 それって、すごいことだと思った。 日本に暮らして、 日本語で話している方々とも、 これぐらい分かりあおうとしてみるのも おもしろいかもしれない。 本当は分かりあえないことの方が多いんだから、 そこを出発点にするってこと。 相手の意見を、 自分の勝手な思い込みや、 判断を加えて 受け取ったりしていることも 日常では多いと思うけど、 たとえば姪っ子ちゃんとの間でそうしたように、 ひとつひとつ、 「それ、こういう意味?」 とか、 「私にはこう聞こえたけど、それでいい?」 とか、 そんなやりとりがたまにはあっても、 いいのかもなあ・・・ 姪っ子ちゃんと、 プリクラを撮った。 ゲキ盛ってのにしてみたら、 目がリアルの3倍くらいの大きさ、 足が2倍くらいの長さで、 気分があがった。 いろいろある日常の中で、 このプリクラはかなり効きそうな お守りだ。 我が家は 夕飯に炭水化物をとらない生活になって長い。 姪っ子ちゃんはお米が大好きだったので 「ごめんね、あんまりご飯を食べさせて あげられなかったね」 と言うと、 「いいよ。 ニューヨークに帰ったら、 いっぱい食べるから」 と言った。 思い出してもクスっとする。 あ〜プリクラだけじゃない。 姪っ子ちゃんとの時間、 時々思い出しながら 秋も冬もなんとかやっていこう!!! |
author : tanizawa-k
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