つながれえええ。 【2014.10.29 Wednesday 10:49】 |
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「あたりまえを疑え」という本を 手にいれて、さ、読もう!と思った時に、 岩瀬さんの「せんせいの作り方」という 本が届いて、岩瀬さんの本を先に読もうと ページを開くと、 第一章が 「『あたりまえ』を問い直す」 だった。 つながってるやん。 岩瀬さんの本の「あたりまえ」は、 岩瀬さん自身が かつて「あたりまえ」と考えて 実践してきた 「『一体感と凝縮生を活かして』 学級をまとめる」という方法を、 ほんとにそれでいいのかな? と問い直すところからスタートしてた。 つまり、自分の中に 刷り込まれてしまってた、 思い込みのような「あたりまえ」を、 根底にして「教育」の現場にいることに、 違和感を覚えた彼自身の物語。 一方、 「あたりまえを疑え!」には、 まかり通っているような通説、 たとえば 「最近のこどもは少子化で きょうだいげんかをしてないし、 人間関係の作り方が下手」 などは、 数字を見ながら確認すると 事実と違っているものもあると書かれてた。 「無意識に、誰でもない誰かに 後押しされながら思い込んで いることの中には たくさんの誤解があることに、 注意する必要があり」、 本当に確かなことは何か、 自分の目で見て確かめることから 考えを深めていこうと説き、 その手がかりを 10のテーマですすめている本。 めちゃおもしろかった。 特に自閉症スペクトラムしょうがいをもつ方々の、 「他者の気持ちや場の雰囲気を理解することが むずかしい」 に関する辛さを書いた部分は、 とても納得できた。 彼らの辛さを理解するために、 まずは他者の気持ちを思う「感情移入」に ついて説明している。 感情移入には自分が相手の身になって考える 「一方的な感情移入」と、 自然に自分の中に入り込んでくる 「浸透的で双方向的な感情移入」の2種類があり、 自閉症スペクトラムしょうがいをもつ方々は、 「浸透的で双方向的な感情移入」というベースのない中で、 「一方的な感情移入」で相手を理解しようとするために、 様々な困難がおきているという説明だ。 「自閉症スペクトラムしょうがいをもつ方々は、 空気がよめない」と 「あたりまえ」のように結論づけていては、 サポートに限界みたいものを感じる場合もあるが、 「他者のきもちがわからない」や 「空気をよめない」とは、 どこがどうそうなるのかを 細かく言語化されていると、 サポートのイメージがひろがる。 これはまた改めて感想を書きたい。 ・・・という訳で、 そういう本をまとめて読もうと思った訳では ないのに、 つなげて読める幸せ。 で、一番最近読んだ本は 「小さないじわるを消すだけで」。 よしもとばななさんと、ダライ・ラマ14世対談 などを本にしたもの。 よしもとばななさんの講演部分が めちゃすばらしい。 「小さな棘、ささやかな悪意、 そういうものを徹底的にとりのぞいていったら、 何がどう変わっていくのか、 人生をかけてしばらくみてみたい」 と試み始めたばななさん。 小さな意地悪とは・・・ 「その場でできることの中で、 人をできるかぎり小さくではあるが、 あえて傷つけながら、 自分が論理的にも倫理的にも 正当化できるやり方をして、 ストレスを発散してしまう」 「小さな意地悪には責任が伴わない」 ふむふむ、分かる。 罪悪感を、それほどまでに抱かない程度に、 自分に対して細心の注意を払いながらも、 相手に対してちくりとしちゃう、 そんな感じのことだな。 私は、 いたたた!と思った。 これって、アサーティブでいうところの ネッチーパターンだ。 つい最近、 夫と義父との夕飯時のこと。 その日、私と夫は 島田市の大井川マラソンに参加した。 ごはんを作る気力がなくって、 お弁当を買って帰った。 疲れきっていた私と夫は すぐにフタをあけて食べ始めた。 義父は、ながめている。 フライドポテトをいくつかつまんで、 「は〜、食欲がわかない」と言った。 その瞬間、私の中で意地悪な気持ちがわいた。 (からだを動かさないでいるからだよ!) ただそれをそのまま口に出したら、 そこは責任が生じることを私は知っている。 それは言わない。 それで、あえて、そのことにはふれずに、 夫に 「今日、初めてちゃんと座ってごはん食べたね」 と言ってのけたのだ。あ〜いやみな瞬間! いかにも、活動しているからこその食欲! ってな感じで。 それは、私の中の、 責任を最小限とらなくてもいいくらいの、 でも、確実に義父を傷つける言葉だったと思う。 直後、やば!ネッチーやっちまった・・・、 すべての言動には責任あると考え直し、 すぐに自分を立て直して、 義父に話しかけ、 義父は時間をおいて食べることにしてくれた。 そのことがあっての、この本。 つながってる。 そして、 本を読みながら、 以前、ドラマセラピーの役割劇で 「意地悪な人」を演じた時、 なんだかすごく気持ちよくって 自分でもびっくりしたことを思い出した。 やっていいというお墨付きでやると、 こんなに気持ちいいってことは、 自分の中に、 意地悪な部分が多分にあるって確認できたし、 本当はそういう自分の部分を 自分でももうあきあきしてて、 いいかげん、もうやめようって分かっているんだ と思う。 だから、 こんなに真っ正面から、 「小さな意地悪をやめよう」と 決めて実践しているのが、気持ちよい。 ばななさんは、たとえば 失恋してかまってほしそうな人がきたら 「どうした?今日は時間ないけど、 来週にはなんとかなるよ」とか、 作家志望の人にアドバイスを求められたらしているそうだ。 (以前は作家志望はみなライバルって思ってアドバイス しなかったけど、それは小さい意地悪って思ったんだそうだ) そうしていたら、 「私の変貌が少しずつ大きな流れを作っていることを、 私ははっきり感じることができます」 って、書いてある。 なんか、そろそろ私も、 私自身が本当に心の底から、裏側までも、 「善き人」になりたいと思ってるんだと、 そんなふうに思う。 で、つながっているんだけど、 ひょんなことからあいた時間があって、 映画「プロミストランド」を見た。 (めっちゃ久しぶりの映画!!!) それは大企業で土地を買収していた人が、 企業の横暴なやり方の道具の ひとつだった自分に嫌気がさし、 自分を誇れる生き方に チェンジしていくストーリーだった。 なんかね、 正々堂々と、 小手先ではなく、 善くありたいんだよなあ。 |
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author : tanizawa-k
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