2014年09月の記事 | 今のところではありますが…
「せんせいのつくり方」その2

【2014.09.27 Saturday 18:02
今年の夏に、岩瀬さんのクラスのことについて
めちゃ尊敬する、教育関係のお二人に話した。
その時に「会社活動」という、
自分の好きなこと、得意なことで学級に貢献する
活動のことについて話すと、
その方が、
「そういう積極的な活動に乗れない子
 たちの居場所はあるの?」
のようなことを質問してくれた。

その時に、まるで自分のことみたいに、
「もちろんですよ!」と答えたが、
その問いへの岩瀬さん自身の答が、
この「せんせいのつくり方」に
丁寧に書かれている。

クラスが目標をもって、それに向かって
力を出し合え、協力できるのは
すっごくいいことだけど、
そうやってまとまっていくからこそ生まれる、
排他性。他のクラスから孤立していく感じ。

さらに、そうやってクラスが
まとまればまとまるほど、
生まれやすくなる同調圧力。

また、多様な子どもたちの中には、
同調圧力のようなものの下で、
物が言えなくなっていく子も
出てくるかもしれないという恐れ。

岩瀬さんは、その危険性を考えながら、
どんなクラスを作りたいのか、
自分に問い直している。

しかもすごいのは、
子どもたち大満足で大成功のイベントのあと、
自分の中に生まれた違和感をそのままにしないで、
問いにしたところだ。

この本の中の圧巻が私には三カ所あるが、
この部分と、
小さな生き物をぞんざいに扱ってしまった
子どもたちに叱った後で、
そのことを振り返る場面と、
自主性を重んじたばかりに
ある子の要求を見逃していたことに
気付いた場面。

これも岩瀬さんの中に生まれた
「なんか違う」感じを、
「ま、いいか」で終わらせなかった問いだ。


これらは感想の2つ目に関係してる。
自分の中の「こうあるべき」や
以前決めた「こうしよう」に依存しないで、
いつも「今」の「目の前」の子どもたちを見ながら、
問いを立てて、考え直しているすごさ。


私は、今日の午後、
小学校の保護者の方への講演があった。
「今」「目の前にいる方々」と一緒にいようと
決めて前に立った。
今までの講演会で評判よかったから・・・じゃなくって、
今日集まってくださった、目の前の方々を対象に、
話すって決めていた。
なので、数日前に作ったパワポとは違うことになってしまい、
話しながら、パワポを進めたり、
戻したりした。

心の中で
「今をちゃんと見てる?」って確認できた感じが
すごくした。
1時間半の間、
「今」「ここ」「目の前の保護者の方!」
という言葉が、
時々私を導いた。

めちゃいい影響を、
この本からもらったんだ。



そして感想の三つ目。
対人関係の仕事をしている人にとって、
基本的な「自己理解」を進めておくことは
すっごく大切で、
しかも、刻々と変わっていく自分を、
その都度理解しようと務めていくことが、
必要だってことが、再認識できた。

この本にはワークがついている。
全部で9つのワーク。
それを考えることで
今の自分を構成しているいろいろな部分を
見直すことができるようになっている。

やってみた。

クラスのことについてのワークでは、
ある中学校の職員室や、相談部会のことを
イメージしてやってみた。
講師としてワークショップのクラスのことを
考えてやってみたワークもある。
やはり私は、伝えたい思いが強くって、
時々ファシリテーターではなく、
「導く人」や「背中を押す人」に
なってしまうことがあるようだ。

でもその中から、
今まで思いもしなかった「こうありたい」が
自分の中にあることが分かって、
ワクワクした。

また、ワーク以外にもワークしてしまった。

著者二人が失敗を語っている時には、
自分の、ほぼ忘れかけていた失敗を
思い出し、余白に書き込んだ。

特に「怒りの感情」の取り扱いをテーマと
しているところでは、
12年くらい前の出来事が蘇った。

ある中学校で「親と子のコミュニケーション」
についての3回連続講座の講師をつとめた時、
参加されていた学校評議員の方に、
「あなたは学校で活動してる大人なのに、
 なぜ茶髪でいられるんですか?」
と質問され、
思わずムッときて、
心の中で「あなたに言われる筋合いはない!」
と思いながら、
「ですよねえ。
 ただ、子どもたちには、
 茶髪にしたかったら、早く大人になんな
 って感じなんですよ」
と、訳の分からない返答をした、
その場面がパッと頭に浮かんだんだ。

今はもう、そういうことはないけれど、
私の中に、痛いことをつかれたとき、
ごまかしてしまおう的な時があったことを確認した。
そういう構成要素も自分の中にあったこと、
思い出せて、めちゃよかった。

こんなふうに思い出せたのは、
著者二人の事例が、
めちゃくちゃいきいきと、
まるで目の前で起こっている出来事の
ように思えたからだ。


この本を教育関係者だけでなく、
対人の仕事やチームの中で仕事
している人みんなにいいのではないかと、
「その1」で書いたのは、

ここまで考えて、
ここまで突詰めて、
仕事している人がいるってことが、
インスピレーションに
なると思ったからだ。

ここまで
目の前の人と、
その人のこれからを
大切に考える人がいるって、
希望だ。

こんなふうに大切にしてもらった子どもたちは、
他者から大切にされるってどういうことか分かるから、
他者を大切にする仕方がわかっていくと思う。
同時に、これほど大切にされた自分のことを
大切に思えないはずがない。

自分自身でだって、
自分のことを大切にできるのではないだろうか。

私は、そんなふうに思った。


これまで、岩瀬さんを通じて、
ステキな方々にお会いできた。
ちょんせいこさんには、
ホワイトボードミーティングを教えていただき、
岩瀬さんの呼びかけで集まった、
「類友」の、ステキな方々ばかりのグループで、
アサーティブトレーニングをやらせていただいた。

さて、今度はPAだ。
プロジェクトアドベンチャーの講座を受けてみようと
思う。
そして,共著の寺中さんにお会いできたら最高だな。


この本は、「今のところ」のお二人の考えと、
そこに至るまでの葛藤や過程を丁寧に
表してくれているものだ。
これまでと同じように問いを立てて
「今」に誠実に仕事をしていった先には、
どんなクラスや、どんな子どもの成長があり、
どんな先生像があるんだろうなあ。
楽しみだなあ。

私も、
問いをたてて、
考え続けていくことをやめたくないなあ。
















 
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「せんせいのつくり方」その1

【2014.09.27 Saturday 08:44
「ほんとに」とか
「すごく」とか
「〜〜みたいな」とか
そういう言葉って、便利だ。
便利だから、使ってしまいたくなる。
「ほんとにそう思う」とか、
「このことがすごく大事だと思った」とか、
「勇気みたいなもの」という感じで。

この「せんせいのつくり方」って本は、
そういう(便利な)言葉でまとめちゃうことより、
もし「ほんとに」だったら、
どこがどう「ほんとに」なのか、
「すごく」なら、どう「すごく」なのか、
「〜〜みたい」なら、「みたい」がとれるくれるの
もっと近い言葉を探そうと、
突詰めて言葉にしようとした文章でなりたっている。

内容は
「学ぶ」ってことについて
「子どもが成長していくってどういうことなのか」
 について、
「先生としてプロの仕事って何か」について、
「クラスがめざしたいこと」について、
「怒りという感情との向き合い方」について
「自分はどんな人ととして子どもに関わりたいか」
について、などなどだ。

ここまで読んで、
なんだ、教育関係の本ね。
じゃ、私にゃ関係ないって思った、
そこのあなた!
この本は関係なくないです。
対人の仕事についてらっしゃる方、
チームで仕事をされている方には、
たくさんの発見と、
静かな確認と、
そして確かな希望を感じられる、
そんな本です!!!


著書の一人寺中さんは
プロジェクト・アドベンチャーの専門家として、
もう一人の著者岩瀬さんは
小学校のプロの先生として、
お二人とも、
繰り返し繰り返し、
自分の頭の中にあることはこの言葉で全てなのか?
と自分に問いかけながら書いたんだろうなと
想像がつく。そういう文章だ。
もちろん、人間、頭の中にあること全てを
表現しきるなんて、ほぼ不可能なことだと
お二人とも知ってると思う。
表現しきれないと分かりながらも、
でも突詰めたことがわかるんだ。

っていうと、
文章というか、
「書く」ことへの覚悟の素晴らしさばかり
言ってるけど、
内容もすごい。
この本を読んだ感想はたくさんあるけど、
無理矢理まとめると3つ。


1つ目は上記の、
著者が、
自分の頭と心と、過去と未来と、
「今」に誠実であることを決めて書いたことが
感じられて、そこに取り組んだエネルギーに
感動したこと。

そうやって書かれたものだからこその
説得力がある。



2つ目は、
いつも、「今」「ここで」起こっていることに、
謙虚であるってことが、
どれほど大切か確認させてもらったこと。

彼らは、
「自分に課しているもの」とか、
「自分が大切にしていること」を
ちゃんと持っているけど、
そこに依存しないでいる。

大人として、先生として、
「こうありたい」という基本原則。
たとえば、「叱り飛ばすことはいけない」
ということだったり、
「受容する」ってことだったり、
そういうものをしっかりと持っていたとしても、
その方法を、
「そうすべきだから」という理由で、
あらゆる事例の時に選択していたら、
そこには危うさもあるってことを
意識する。それを彼らはやっている。

私は自分に問いかけた。
それやってる?って。

「あるべき姿」だけじゃなく、
時々は
これまでの成功事例に甘んじたりする自分を
振り返りながら。

私、仕事に関しては、
マジメに取り組んでいるんだけど、
やっぱ、時々あるんだよね。
「この前のあの成功した時の感じでいくか」的なことが。

目の前の、今の、その方々と一緒にいるってことを、
常にね、常に意識しろ!自分。
私は、この本を読んでる間中、
そんなふうに自分に言ってた。



3つ目は、
対人関係の仕事をしている人に
どうしても必要なことのひとつに
やっぱり、
どうしたって、
「自己理解」はあるってこと。


今回の記事は、
感想のさわり。
今、読み終わって興奮していて、
他にしなくてはならない仕事があるんだけど、
吐き出しておかないと仕事にならないので、
こうして書いている。

また、
さらに詳しい感想を書きたいと思うのは、
一人でも多くの大人が読むといいと思うから。



私が、
著者の一人、
岩瀬直樹さんという公立の小学校の先生の存在を
知ったのは、2009年6月13日だ。
ファシリテーションについて学びたくって、
私はその日、
している株式会社」主催の講座に参加した。
そして、講師の長尾彰さんが紹介してくれた本
「学級づくりの『困った!』に効く クラス活動の技」
を購入。
長尾さんと共著の岩瀬さんを知った。

その本は岩瀬さんのクラスを舞台に、
いろいろなアクティビティを実践している様子が
掲載されてた。
「なんだか楽しそうなクラスだなあ」という印象で、
そんな楽しそうなクラスの担任の先生、岩瀬さんに
興味をもち、それから彼の書いた本を読み、
ブログのファンとなった。

その彼の最新刊が
「せんせいのつくり方」という、この本なんだ。

少し前に出版された
「エピソードで語る教師力の極意」が、
彼のこれまでの人生を、
ほぼ時系列な感じでおいかけてるとしたら、
この本は、
コンテンツ事にまとめている。



優れた実践のもと、本を何冊も出版し、
全国的に有名な先生で、
夏休みなど長い休みの期間は全国で研修の講師をして、
ファンも各地にいる岩瀬さん。
なんだけど、
SNSやブログでかいま見る
日常の彼は、
普通の人間がそうなように
時々凹み、時々悩むひとだ。

その彼の頭の中が、
言葉になっている。
おもしろっくって、
複雑で、
なんだか最後は、
自分の仕事が愛しくなったぞ。


は〜、
とりあえずは吐き出せた。

とにかくこれから、目の前の仕事の準備して、
仕事をし、帰宅後、
また書きます。





 
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コンテンツの力。場の力。

【2014.09.26 Friday 16:24
研修、講演会、ワークショップ、
いろいろなものの講師の仕事をしていて、
いつも考えるのは、
「内容(コンテンツ)」が重要なのは当然だけど、、
「場のもつ力」ってのも、相当重要ってことだ。

この夏、アサーティブをワークショップ形式で
伝える場は、たくさんあったが、
2つの場の感想が手元に届いている。

ひとつは、静岡市子ども青年相談センター主催の
3時間の講座の感想。
これは参加者のほとんどの方が
初めてアサーティブを体験する講座。
もうひとつは、
9月13日主催の「アサーティブ・カフェin静岡」の感想。
こちらは基礎講座を終了した方向けのフォローアップな会。
今回は「権利」を学び、自分の最近の課題を事例に、
ロールプレイで学ぶ1日だった。

それらの感想から、
「コンテンツの力」つまり
アサーティブというコミュニケーションの方法についての
コメントと、
「場の力」に関するコメントを紹介してみたい。


まずは
「コンテンツの力」(アサーティブそのもの)を
受け取ってくれた感想。

(3時間の体験講座より)

順を追っての説明に、それに沿って考えて
 いくことで、考えの整理をすることができました。
 相手のことを思いすぎて、自分がなくなってしまう
 ことに悩んでいたけど、自分のことも大切にする
 方法
を教えていただき、自分の人生にプラス
 なったと思う。

・どちらか一方に偏りがちな叱り方、言い方、考え方
 になりがちであるが、どちらも○なやり方があると、
 改めて理解できた。

苦手な人の見方が変わりました。
「あの人はそういう人だから・・・」
 とあきらめていましたが、コミュニケーションの
 パターンを知り、「それはその人の、その時の
 伝え方」だと思え、違う側面もあるのかも・・・
 と考え方を変えることができました。

・アサーティブという言葉は初めて聞いたが、
 相手を傷つけず、自分の要求を相手に伝える
 方法
ということで素晴らしいと思った。
 より具体的に要求を整理し、自分の要求を
 伝えられるように訓練していきたい。

感情を言語化する難しさを知った。
 ただ、私は乗りこえたいと思った。


(アサーティブ・カフェより。
 多少、簡潔にしています。ご了承ください)

・久しぶりにロールプレイをやってみて
 イラっとしたり、悩んだりしていることだと、
 言いたいことがたくさんになって、
 的をしぼるのが難しいと思った。
 でも、何かを伝えたい時には的をしぼって、
 そうすることでドッカンにならずに
 気をつけたいと思った。

・他の方の挑戦したロールプレイをみて、
 感情の言葉が入ることで、伝えたい内容が
 より明確
になるし、事実だけでは説明しずらい
 ことの助け
になっているなあという事です。
 また、自分の方が話す分量が多くなってしまう
 時には、「どうですか?」「どう思いますか?」
 などと問いかけを入れることによって、
 一方的ではない対話になるし、相手が理解して
 くれたかの確認
にもなり、自分が落ち着く
 きっかけ
にもなると思いました。

肯定的に話しを初め、肯定的に終わる
 話し手が一方的に話すのではなく、相手に話を
 ふり、会話にする。会話にすることで、相手を
 尊重でき、話す量も対等になる。
 ・・・
 すらすら上手に言えることがアサーティブではない。
 悩み悩みのしどろもどろの姿は「誠実」だという
 フィードバックは嬉しかった。


大切なポイントを、
みなさんが持って帰ってくださったのが嬉しい。



続いて「場の力」に関する感想。

(3時間の体験講座より)

・講師の言葉1つ1つが心にしみ込んでくる
 講座でした。温かさにつつまれた3時間
 でした。

・自分を肯定的に捉えることが少しできた。
 一歩踏み出す勇気をもてそう。

・参加型で考え話す時間をもらえたことに
 感謝します。自分と向き合う機会になりました。

実際に会話などができ、理解が深まりました。

・講師自身の体験談、他の人の事例、
 ペアワークが理解を深め
てくれた。
 他の人にも是非受けてほしいと思った。


(アサーティブ・カフェより)

・(自分のロールプレイを見て、
 コミュニケーションは)
 勝ち負けではない
ってことを
 思い出せたとフィードバックもらい、
 がんばったかいがあったなあと思った。

・今回、一番驚いたのが、自分の感情を
 なかったこととして、暮らしていたことに、
 気がついたことです。・・・
 ロールプレイもできず、
 「何しにきたんだ、今日・・・」と
 落ち込んでいた私でしたが、
 (一緒のチームになった方から)
 「そうして自分をコントロールして
 がんばっているんだよ」とか、
 「そうしないと暮らしていけない時もあるよ」
 とか言葉をかけてもらい、
 「ああ、やっぱり今日来てよかった」と
 心から思いました。
 共感してもらえるって、力をもらえるんだなあ
 と実感した一日でした。

この秋〜冬も、
各地でアサーティブの講座、
やるぞおおおおおお!



アサーティブのワークショップは、
自他尊重のコミュニケーションの
考え方とスキルを学んでいただくだけではなく、
受講しながら、
他の方との出会いを通して自分を確認したり、
自分のポジティブな面を引き出してもらえたり、
学び合ったり、励まし合ったり、
元気づけられたり・・・、
つまり、その場が
心の充電の場になると感じてくださる方が
多数いる。
日常の中では、
心で思ったことと、
頭で考えたこと、
そして行動を、
ばらばらにしなければならないことも
あるという方も多いと思う。
でも、このような場では
思ったことを口に出しても、
非難されない、否定されない、
大切に扱ってもらえる、
そういう安心感は、
人を元気にするんだと思う。

もちろんコンテンツを正確に、
そして分かりやすくお伝えすることは当たり前、
その上で、安心して自分自身を出してもらえる
場を作ること、
これからもやっていきたいな。



一般の方が参加可能な講座は、
●10月12〜13日の
 「アサーティブトレーニング基礎編in静岡」。
 本格的なトレーニングが、東京や大阪に
 出かけなくても、静岡で受講いただけます。
 詳細は

●2014年2月28日には 体験的な講座を
 「働く女子大学 うるおいプラス」さんの主催
 で行います。「ストレス・マネージメント術」
 3回講座の3回目で、この回だけの受講も可能です。
 こちらはまで。


 


 
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蟻の足跡から。

【2014.09.24 Wednesday 16:32
ある経営者の方に
「ある社員の方にやる気を出してもらうために、
 何かDVDか何かを見せたいと思うんですが、
 何かご存知ないですか?」と質問していただいた。

「どういうことですか?」
と尋ねると、
「私たちの仕事はある意味職人的なところがあるから、
 自分の技を磨きたいと思うと、ゴールがなくって、
 勤務の日数や時間など関係なく仕事・・・と
 なってしまうことがあるんです。
 それは、経営者として良いことではないとは思うから、
 勤務の体制はとっています。
 ただ、そういう気概を見せてくれてる方は、
 やっぱり技術もどんどん上達していく。
 そういうやる気みたいなものを、
 みんなにもってほしいですが、
 どうも、もててないように思える方もいて、
 それで、なにか動画でも・・・と考えたんです」

なるほど。

この経営者の方のことは以前からよく知っていて、
従業員の方を一方的な見方で見ることはしないし、
みんな長く務めていて、
働きやすく、
それぞれが自分の得意を生かしながら
働ける職場環境を作っていると思う。

私は私が知っている情報で、
やる気になってくれるかどうかは分からないけど、
それでも、インスピレーションを与えられそうなことを
お伝えした。


ただ、それは、
「もう少しやる気を表してほしいAさんという『個人』」
に対してアプローチする方法だ。

もうひとつのアプローチは「環境(人間関係など)」
の中にある。
そこまで、その経営者の方とは話せないで
別れてしまったことが、今気になっている。


このことは今読んでいる「弱いロボット」の中に
書かれている。

「砂浜を一匹の蟻が歩いている。その後に延々と続く
 蟻の足跡。この蟻の残した足跡が複雑な絵模様を
 描くのはなぜだろうか?」

こういう疑問がわいたとき、私たちは、
足跡の複雑さを生み出した原因を蟻の側に求めて
しまうことが多い。

複雑な神経をもっているからではないか?
疲れてよたよたしていたか?
それとも迷い迷いだったのか?

「私たちの視点は、この動いている蟻に向きやすい。
 こうしたなにげない帰属意識が、個体能力主義や
 認知主義を生み出したのではないだろうか」

これは1969年に出版された「システムの科学」という
本の中で、ハーバード・サイモンが紹介した話で、
「サイモンの蟻」として知られている。

蟻だけが要因を作っているのではなく、
砂浜という環境の複雑さも、要因のひとつとして
ないだろうかと考えようということ。

「その足跡の複雑さの要因を蟻の内部メカニズムに
 一方的に帰属させることはできないにせよ、
 砂浜という環境の複雑さだけに帰属させてしまうこと
 にも無理がある。その複雑さは、蟻という行為主体と
 その環境との関わりの中から結果として生み出された
 ものだ。それを複雑な『絵模様』を生み出す『能力』だと
 捉えるならば、その能力は蟻とそれを取り囲む砂浜との
 間で分かち持たれるべきものだろう」


やる気を行動にあらわしていないAさんの、
その行動の原因をAさんに求める帰属意識は、
確かにひとつのアプローチだけど、
もうひとつ、環境を考えるとどうなんだろう?
今の環境に、やる気をあらわしにくい雰囲気はないか?
あるいは、Aさんに良い影響を与えられる人材配置を
しているか?
そんなような視点があると、両面から見ることができる
という訳。

私は、この考え方に、めちゃ納得する。

学校の中では、
クラス編制によって、
前の年とはまったく違う表れを見せる子どもがいる。
子どもは成長していくので、もちろん前の年そのままの
その子ではないにしても、
それでも関係性の中で自分のとらざるをえない行動を
したりするものだ。


「サイモンの蟻」を含め、
この本「弱いロボット」は、
かなりおもしろい本だ。


著者岡田美智男氏らが作っている
ロボットたちは、かなり変わってる。
動こうとしても動けない、そのもどかしさが
ついつい周囲の手助けを引き出すロボットや、
相手のことを見ながら、おどおどと
おしゃべりするロボット達。
帯には
「ひとりでできないもん。
 他力本願なロボットが開く弱いという希望。
 できないという可能性」
とあった。

高齢社会の中にあって、
今求められているロボットは、
介護をしてくれるロボットって考えるのが普通だけど、
岡田さんたちは、
手助けが必要なロボットを作っている。

この考え方は、
義父のケアをしながら考えてきたことと
結びつく。
ヘルパーさんや、義姉や、夫や私で、
世話をすればするほど、
できないことが増えてくる義父。
それが本当に義父の幸せなんだろうか?と
考えてしまうことがある。
「してあげる」だけの一歩通行の世話では、
そうなってしまう。

なんて考えて、
ここのところ買物をしてきてしまうことが多かったけど、
今日は義父と共にいく。
と、キャベツやほうれん草、白菜、柿を
かごにばんばん入れる義父。
料理してみようと考えているんだなと思う。
柿を剥こうと思ってるんだって思う。

いろいろできなくなっていることを
義父に要因を求めるというより、
やっぱり、関係の中での義父の表れなんだと思ったりする。

義父に必要なのは、
「してもらったり、したり、してあげたり」の
関係の中でコミュニケーションしながら
生きていく時間なのかもしれない。




幼い頃から
なんでも一人でできるようになるよう
教育やしつけをうけ、
強い心をもって行動を制御して生きていくのが
本来のあり方と教え込まれて生きている私たち。
それは自立していく上で、
必要なことだ。

ただし、もうひとつの視点として、

「ひとりでできないことも、
 他者との関係を作っていくという点では
 すばらしいこと。
 そんな関係の中で、
 ゆるやかにコミュニケーションしていると、
 いつのまにか、前よりできてしまっている
 ってこともあったりする」

ってことの視点ももっていたい。


さらに付け加えれば、
何でも全部自分でやれることをめざすというより、
当然人間パーフェクトな人なんていない訳だから、
やれないことについては、
「手伝って」とか、
「ここ助けて」とか、
「あ〜困った」とか、
そんなことが言えるってことが、
本当の意味での自立なんだって、
ほんと、そう思うな。

そう言ったときに、
将来、
「ごめん。それは無理かも。
 私としてはここまでやれるから、
 ここから先はなんとしてみて。
 手伝うし」
なんてロボットがでてきたら、
すごいんだろうな。


さて,続けて
「ロボットの悲しみ」も読んでみる。





















 
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役割の捉え方。

【2014.09.18 Thursday 19:52
今日はある組織の研修に伺い、
そこに貼ってあったポスターに釘付け。

第4回sccしずおかコピー大賞
「はたらく自分が好きになるコピー」の
ファイナリスト10作品が書かれたポスターだった。

「『お困りですか?』私服の私が言えないことを
  制服の私は簡単に言う。」
という作品に、
役割をまとうことでできてしまうことを
端的に表していて、ストンとくるなって思った。

帰宅後調べてみると、
これは
後藤 梨沙さん(専門学校浜松デザインカレッジ)の作品で
大賞に輝いていた。


役割に、
人は時々、苦しめられることもあると思う。
母親だから、
長男だから、
教師だから、
看護師だから、
娘だから、
上司だから、
後輩だから、
長男と結婚しているから、
隣組の組長だから、

そういう役割をまっとうせねばならないと、
あれしてはいけない、
こうすべきだと、
苦しい思いをしてらっしゃる方は多い。

私自身は、
「初孫だから」に始まって、
「二人姉妹の長女で跡継ぎだから」
「長男と結婚したから」
「相談員だから」
など、与えられた役割に
沿わなくてはならないという責任感と、
自分の中にある「こうしたい」という考えの間で、
葛藤の日々を送ったことがある。

そのうちに、単なる役割以上を
自分で自分に課したりした。
たとえば、
「実家と結婚先の両方でうまくやる、がんばる女性」
「いい嫁」
「面倒見のよい相談員」
など、形容詞つきの役割。

アサーティブで権利の考え方に出会ったことで、
私はやっとそのことから自分を解放することが
できた。
私は自分について最終的に判断する権利をもっていて、
それを行使するかしないかも含めて、
自分で決めていいってことが分かって
本当に楽になった。

では、
役割は人を苦しめる、悪いものなのか?
いいや、違う。

人を成長させるものでもある。
思わぬ発見をもたらせたり、
自分の中の自分でも知らなかった力を確認させて
くれるものでもある。

私の場合は、
「跡継ぎ」という役割を担わなければならないことで、
ちょこっと経営の勉強をすることができ、
つまりは役割自身から鍛えられた。

あまり使っていない筋肉を使うと筋肉痛はおこるけど、
そこが鍛えられて、
使っていくうちに何でもないことになっていくように、
ハードルの高い役割を、
きついなと思いながらも担っていくうちに、
自分の「できる」範囲が増えていく。

同時に、
その役割と自分の中の「こうしたい」の葛藤があったからこそ
心理やコミュニケーションを学ぶことに繋がった。




「『お困りですか?』私服の私が言えないことを
制服の私は簡単に言う。」・・・

仕事での役割でだったら、
普段だったら照れていえないことも言えちゃうし、
自分のチームの部下に改善点を伝えなくてはならないから
呼び出すこともできちゃう。
待てる人にもなれたり、
嫌われ役も引受けられる。

葛藤がありながらも、
役割を担っていくうちに
自分の持ち札が増えるというか、
道具が増えてくというか、
範囲が広がっていくというか、
それって、いい!と思う。


ファイナリストの作品の中に、
「やりたいことができる人は、
 やりたくないこともできる人です。」
 (松崎誠さん)
という作品もあった。これもうなづける。


役割をどう捉えるか。
つまりは、それだと思うんだ。

やらされているのか。
それとも
最初は与えられたとしても、
自分でやると選び直したか。

自分で、
それをやると選択した途端に、
役割にまとわりつく苦しさも、
トレーニングマシンに思えてくる。




とはいえ、
トレーニングにも休憩は必要。
休み休みいくんだぜ。








 
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言いにくいことを伝える時。

【2014.09.15 Monday 18:37


言いにくいことでも、
言わなくてはならない時がある。

たとえば同じ場で働くスタッフに、
「作業の手順を守ってほしい」とか。
後輩に
「遅刻しないで来てほしい」とか。
これはハラスメントにならないように、
怖々伝えている方も多いと思う。

時には上司にも、
「評価について、教えてほしいことがある」とか。
先輩に
「相談したいことがある」とか。
その後のことを考えると、
不安や怖さを感じながらも、
伝える場合があるだろう。

子どものお世話になっている学校の先生や、
お稽古ごと、塾や、スポーツ少年団のコーチたちに、
質問したいことや、
要望を伝える時などは、
モンスターペアレントなどと言われないか、
すごく気を使うと思う。

友人と約束したことを、
間近になって断らないとならない時や、
ボランティアグループでの活動を続けられなく
なった時なども、
言いにくい。

そんな時、
ぜひ気をつけたいのは、
「レッテル張り」をしないことだ。

手順を守らないスタッフを、いい加減。
遅刻した後輩を、だらしない。
評価の査定が不明確な上司を、意地悪。
なかなか教えてくれない先輩を、自分勝手。
学校の先生を、冷たい人。
友人や仲間を、分かってくれない人。

そんなふうに飛躍して、
レッテルを貼ったところからスタートしてしまうと、
コミュニケーションはなかなかうまく運ばない。

レッテルを貼るとは、
ひとつの行動から
「その人自身を決めつける」ってことだ。

アサーティブでは、
要求、要望を伝える時は、
一回にひとつ!
しかも的をしぼって!
という
てっぱんスキルがある。

まずは、
もし頭の中でレッテルを貼ってしまってるとしたら、
そのレッテルを剥がして、
そのレッテルの元になったことについて、
何を、どのようにしてほしいか、
伝えるのだ。
つまりその人自身にダメ出しするのではなく、
行動や考え方や態度などについて、
議題にあげる感じとなる。

「やる気出して!」でも、
「自分のことばっかりしてないでください」でもなく、

「朝、お店に出る前に、
 鏡で笑顔をチェックしてほしい」
とか、
「今日の3時までの間で、
 先輩の都合のよい時間を
 10分、いただきたいんです。
 〜〜について質問させてください。
 何時に来たらいいでしょうか」
とか。


しかも、たとえ相手が間違っていたとしても、
一方的に責めるのではなく、
そこにある問題に対して、
一緒に考えるような姿勢が大切。

一緒に考える・・・ってことは、
自分の考えを言い、
相手の考えを聴き、
自分の気持ちを伝え、
相手の気持ちを聴き、
これを繰り返すってことだ。

決して
言い聞かせるのでもないし、
論破するんでもない、
宣言するのでも、
スピーチするのでもないし、
言いっぱなしにするのでも、
ない。

そうやって
相手と対話でき、
相手と、
「どうしたら、その問題が改善していくか」を
考えるチームになれた実感があると、
問題が起こったことに、
感謝したくなったりするだろう。

「会議で、必ず一度は発言してほしいって、
 何度も言ってるよね。
 なんでやる気出してくれないのかな?
 とにかく、これから絶対に一度は手を挙げてよ」

ではなく、

「会議での発言のことなんだけどね。
 以前も話し合ったけど、
 私の伝え方が未熟だったかもね。
 実はあれからも、会議でも発言がないことを
 心配しているんだ。
 何か発言しにくい理由がある?」
「実は、会議の内容が分かるのが
 前日なので、半日ほどの時間の中では、
 考えをまとめられなくって。
 ほんと、申し訳ないです」
「そうか、半日だと時間ないんだね」
「はい、情けないんですが、
 他の仕事をしながら、いろいろ調べたり
 ってのが、難しくって」
「そうだったんだ。
 会議のテーマはどれくらい前に分かれば、
 考えをまとめておかれそう?」
「せめて3日あると、助かります」
「そうなんだ。
 了解。では3日前に、メールで送ることに
 するから、
 これからは、必ず何かひとつアイディアを
 出してほしいんだ」
「はい、がんばってみます」
「あなたのことをすごく期待してるんだ。
 一緒にいいプロジェクトにしようよね」

なんてことになれば、
この「会議で一度も発言しない」問題があったからこそ、
お互いの間のパイプが太くなって、
これからは、いろいろ相談し合える仲間になれる
可能性が出てくる。



コミュニケーションは、改善できる。

ほっといても上手くならないけど、
スキル、考え方を学び、
安心して練習できる場で、
いっぱい練習することで、
コミュニケーション能力がアップする。

10月のアサーティブ・トレーニング基礎編in静岡、
まだまだ受講生、募集中。
本格的なトレーニングを、
この機会にどうぞ!!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<アサーティブ・トレーニング基礎編の内容>
① アサーティブとは何か
②自分のコミュニケーションパターンを知る
③理論を学ぶ
④方法を学び練習する(ちょっとした依頼やお断りができるようになります)
⑤ほめ方、ほめられ方を学ぶ
⑥自己信頼について学ぶ

<開催日時など>
・ 日時:10月11日(土)9時半〜16時半
        12日(日)9時半〜16時半
・ 会場:静岡県教育会館4階B会議室
   (静岡市葵区駿府町1−12 054−252−1011)
・ 定員:20名(先着順)
・受講料:20000円(テキスト代込み)
・ 主催:谷澤相談室 

<申し込み方法>
メールで、以下を記入の上申し込みください。
① 氏名 ②住所(〒も) ③電話番号
④詳細をお送りする時のご希望の連絡方法(電話/携帯電話/FAX/メールなど)
*もしよろしければ、受講の動機を教えてください。
 メール:kumikotanizawa@gmail.com
受付後、詳細をお送りいたします

詳しくは谷澤相談室へ→











 
author : tanizawa-k
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うちの子は大丈夫でしょうか?

【2014.09.08 Monday 19:58
佐世保の事件から、
カウンセリングの場面だけではなく、
ちょっとした集まりの時や、
立ち話などで、
特に母親の立場の方に、
「うちの子は大丈夫かな」的なことを
質問してもらうことが多い。

虫を殺したところを見てしまったり、
「あいつ、殺してえ〜」と書いた紙が
ゴミ箱から出てきたり、
ナイフや刀の絵や
血がしたたっている絵を
描いていたりするのを見てしまったり
したら、
ビビるのは、
親ならあることだと思う。

私は、その度に、
ビビりながらも、今したほうがいいこと、
しよう!
的な話をしてる。

テレビやネットでは
分かりやすい方が受け取られやすいから、
「兆候」のような言葉で、
小学校時代からの様々なことの
延長に事件があるように書かれているが、
確かにそれもあったとしても、
そんなに人間短絡的ではなく、
表に現れた事象の奥には、
もっと複雑にいろいろなことが絡み合ってる
ことだけは確かだと思う。



AERA 9月1日号では、
「子どもを犯罪者にしない」という特集の中で、
花まる学習会代表の高濱正伸氏は、
「中学時代にネコを解剖したことがあるという
男性を知っている。単純な興味だったかもしれ
ないし、悪いことをしてみたいという気持ちだ
ったかもしれない。彼は犯罪者にならず、大学
教授になった。とても情に篤い人間で、彼が好
奇心で残忍なことをしてもエスカレートしなか
ったのは、孤独ではなかったからだと思う」
と書いてある。

夜回り先生水谷さんは、
子どものSOSをキャッチしようと、
SOSをキャッチするヒントを紹介し、
「どんな形であれ子どものSOSに気付いたら
その行動だけを矯正しようとしてはいけない。
まず親が変わらなくては」と言い、
変わり方を紹介している。

心理カウンセラーの心屋仁之助さんは
「まず親が弱みを見せよう」と言う。

この特集は、多くの親たちが
ビビりながらも、今やれることをやる、
その「やれること」の考え方と方法を
それぞれの立場から具体的にしてあるから、
助かるのではないか。

特に高濱さんの考え方
「内に秘めた悪魔は『共感力』で
コントロールできる」
に同意。
誰も分かってくれない・・・
ではなく、
分かろうとしてくれる人がいる
って感じていることの安心感。
この大切さは、
「子育て講座」での主要テーマだ。




そしてもう一冊、
「謝るなら、いつでもおいで」
という10年前の佐世保の事件(小6同級生殺害事件)
を取材した本も、
ビビりながらも、
子どもたちの周りにいる大人として、
読んでおいた方がいい本だと思った。

事件の背景の、
複雑にからみあった、いろいろことを
被害者の父親の部下である新聞記者の筆者が
丹念に丹念に言葉にしている。
事件の核心にせまろうと、続けた取材。
被害者に心的に近いから、
時々とまどい、迷いながらも、
マスコミ上をにぎやかす表面的なコメントや
単純化した見立てには一線を引いている。

そして、家裁で判断が出て、
加害者が児童自立支援施設に入所してからも、
自分の上司である被害者の父親、
そして、加害者の父親、
さらには、被害者のすぐ上の兄(当時中3)に
取材し続ける。

被害者の父親の言葉はすごい。
親たち向けに
「子どものすべては理解できないと
分かったうえで、理解する努力を続けて
ください。それぞれの家がそれぞれの
やり方で」
は、本当にその通りだと思う。

我が子の死から考えぬいた答は、
分かろうとしている姿が、大事なんだと
いうことなんだ。

分かりきらないんだけど、
分かろうとするその態度、姿勢。

私は深くうなづく。


たとえば、
なんだか、今日はよくためいきついてるな。
何かあったのかな?
そういえば、テストが返ってくる頃だけど、
思ったような結果じゃなかったのかな?
それとも、体育祭の練習が、なにかうまく
いってないのかな?
移動教室の時に一緒にいく友達と、微妙に
すれ違ったかな?
忘れものして、何かできなかったとか?
先生に誤解されてることでもあるのかな?
クラスの子に挨拶したのに、
返してもらえなかったとか?

子どもは、なんてたって子どもだから、
大人の心を持ってる訳ではないから、
ひとつの嫌な出来事で、
真っ暗闇の中に入ってしまうことだってある。

それを、分かろうとすること。
分かろうとするったって、
むやみやたらに質問責めにするのではなく、
子どもの生活を考えなら、
どんなことがあるのか?
表情の背景を想像すること。

雑談もすること。

そして、
そおっと、
きいてみること。

きいてみた反応が
沈黙であっても、
別に〜であっても、
責めないこと。

何か言ってくれたら、
大切に扱うこと。

ただ、それって難しい。
難しいし、
保護者の方だって、
時々は自分の感情でいっぱいの時だってあるから、
「それ難しいんですよ」とか
「迷います」とか、
「わかっちゃいるけどできないんです」
などと、言い合える場があるといい思う。




被害者の父親がインタビューに応える時の
土台に、
「なぜ防げなかったのか」という自問自答
がある。

「なぜ防げなかったか?」は
学校関係者にとっても必要な問いだ。
その意味でも
この本を学校関係者は読んだ方がいいと思う。

そのことを私も私自身に問い続けることが
すごく必要なことだけど、
もうひとつの意味でも、
この本を読んだ意味があった。

被害者の兄のケアの面だ。

兄は妹からいろいろ相談を受けていたから、
後に明らかになった
妹と加害者の間の交換日記やネット上での
トラブルを知っていた。
でも誰からも話をきかれなかったから言わなかった。
そして、自分が、
「妹は今、こんなことで悩んでるよ」と
父親に言っていれば、
こんなことは起こらなかったかも・・・
と自分を責めていた。
そのことは、
長年の間、彼を苦しめた。

というようなことが起こってしまうってことを、
知っていないと!と震えてくるように思った。

この事件があって、
被害者のことを分かろうとしていたか、
加害者の日常を分かろうとしてかと、
多くの人が振り返ったのに、
大人たちがそうして振り返っている瞬間、
兄はとても苦しくって、
でも、
兄には支援の手が届かなかったかということ。
そういうことは起こってしまうと、
ちゃんと認識していないとな。

緊急支援で学校の中で起こる出来事の
対応に入った経験から、
被害者の兄をどうケアするかは、
必ず支援事項のひとつに入っていたと思う。

それでも、こういうことが起こるということを
知っていたいと思う。

深く傷ついた人のそばにいた人もまた、
傷ついていることを、
ちゃんとちゃんと知っていないと。


そういうことをここで書いている私も、
今この瞬間、すごく苦しんでいる誰かの
ことを、
本当に分かろうとしているかどうか、
あ〜自分に課していかないとダメだと思う。




この本の事件と今回の事件は、
まったく違う事件だ。

そして、
こうすれば絶対に
子どもを加害者にしない、
被害者にもならないなんて
方法もない。

でも、
私も
AERAのタイトルの横に書かれた
「大人にはきっと、『できること』がある」に
同意する。


それは、
以前ここにも書いた中2の男子の
教えてくれた言葉に
ヒントがあると思う。

「のび太に必要だったのは、
 ドラえもんの道具じゃなかった。
 絶対にのび太の味方だという、
 ドラえもんの存在そのものだ」

そしてそれを、
大人は心の中で思ってるだけじゃくて、
子どもがそう感じるように
伝えていくことだと思う。

そのひとつの方法が、
「わかろうとすること」
「共感すること」なんだと思う。

ただ、
その伝え方の方法は、
被害者の父親の言葉にあるように
「それぞれの家の、それぞれのやり方で」
なんだろうな。

そのことを、
我が家はこれで大丈夫なんて、
絶対的な自信をもってやるのではなく、
迷いながら、
ぶれながら、
やっていくことだと、私は思う。

そして、
保護者の方々が、
迷いやぶれを
ビビってることを
言い合える場って、
やっぱり大事なんだと思う。















 
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ま、一旦落ち着こう。

【2014.09.05 Friday 10:59
学校の中で活動をしていると、
この時期は、いろいろある。
(いつもあるけど、一層ね!)

夏休みが終わって
学校が始まってしまって(そう、「しまって」)、
子どもたちはまた、
朝起きて、せかされながら登校し、
課題を提出するよう言われ、
授業をうけ、
中学生なら部活があり、体育祭の準備があり、
そのあと塾もあったりして、
あののんびりと、
ゆっくりと過ごせた夏の日々は、
はるかかなたの出来事のように思える。

学校に登校できている子はそうだし、
学校に行けないでいる子たちの中には、
また罪悪感と共に過ごさなくてはならない子たちも
いるだろう。



変化に対応するのに、
時間がかかる子にとっては、
物理的にも、
日常にからだを戻すのはなかなかしんどいと思う。

それに加え、
離れていた間に、
友達との話題がなんか変わってしまった不安や、
勉強に対するクラスの子の姿勢が変わってきていて
そのことに対するあせりや、
でも、心の中のそんな感情をおくびにも出さずに
「普通だよ〜」という体で生活をすることのしんどさ。

子どもたち一人一人が多様な心の中をもち、
そのことの重なりも要因のひとつとして
クラスの中が不安定になると、
先生方だって、人間だもの、心が揺れたりする。


学校の中のカウンセラーとして
活動している私のところへは、
「空いています」というプレートをかけてある時、
「ちょっといい?」と入ってきてくれる方
(大人も子どもも)が、
この時期は結構多い。


変化の中で、
しかも、徐々にちょっとずつ始まっていくのではなく、
いきなりテスト、
いきなり体育祭の準備、
みたいな
いきなりフルパワーでいかないとならない場では、
かなりの人たちが
疲労困憊な日々だと思うんだ。


一方、親たちも、
子どもが変化に慣れるのに時間をかけるタイプだと、
落ち着かないと思う。
なかなか調子がでない我が子に
いらいらしたり、
他の子と比べてあせったり、
そして思わずきつい一言を放ったその後に、
あ〜自分の感情をぶつけてしまったあああああと
自分にダメ出ししたり。

保護者の方も、よく学校に来てくださる。



早くなんとかしたい・・・
ちょっとでもよくしたい・・・
もっと落ち着いてほしい・・・

そう考えられて、
相談にきてくださること、
勇気を使ってきてくださっているんだなあと思う。


私に
魔法の杖でも薬でも、
おまじないでも、
とにかく、
一発で効く「何か」があればいいのだけど、
もちろんそんなものはなく、
私はただただ話を聴くだけだ。



あ〜
疲れている人が多いと感じるこの時期!!!


あせること、ある。
なぜなら、うまくやっていきたいし、
子どもにうまくやっていってほしい、
その方が子どもが生きやすいだろうから、
って思うからこその、あせりだもん。

イラっとくる。
それほどそのことが大切なことなんだもん。
思い通りにならないとイラっとくるよ。

不安なのは
将来が大切な証拠。
どうでもよければ不安にはならない。

いろいろ複雑な感情におぼれてしまいそうなほど、
疲れてしまうこともある・・・。


だからね、
この時期、
ま、
ひと呼吸おいてみよう。

先に先にとはやる気持ちを感じながらも、
ちょっとからだを伸ばしてみよう。

口角あげて笑ってみよう。

大きい声で挨拶してみよう。

だめだあ・・・ってことがあった日は、
シャワーですまさず、
お風呂にゆっくり浸かってみよう。

目先のご褒美も用意しよう。

一人っきりになる時間を作ってみよう。

メンテナンスの時間を、
どこかでちょっとでもとってみよう。

自分が「一旦」落ち着ける方法、
思い出してみよう。
それ、使ってみよう。

とにかく
ま、
一旦
落ち着こう。



で、
ゆっくり呼吸しながら、
そおっと
再スタートしよう。











 
author : tanizawa-k
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「みちこさん 英語をやりなおす」

【2014.09.01 Monday 10:51
ミシマ社の出版する本が好き。

しかも益田ミリさんだし。

アラフォーのみちこさんが、
苦手だった英語を、
家庭教師にしつこく質問し続けて、
「英語の勉強を始める前の勉強」が
終わるところまでを描いたマンガ。

私の周りには
大人になって
学ぶことを楽しんでる人っていっぱいいる。

アサーティブの講座や
ロゴセラピーの勉強会、
私の主催する「谷澤相談室勉強会」に参加
してくださる方々は、
自ら望んで学びにきてくださっていて、
そして
考えたり、考えをまとめたり、
話したり、他者の話を聴く・・・なことを
楽しんでいる姿は、
本当にステキだと思う。

研修で、組織からの指示で学ぶことを
されてる方々にも多数お会いするけど、
最初はしぶしぶだった様子の方が、
夢中になっていく姿や
時には泣いたり笑ったりれて、
その時間を自分のものにされていく様子にも、
励まされる。

同時に、私自身も、
この夏もいろいろな研修に参加し、
自分のアホさに驚いたり、
知ってたけど忘れてたことを確認したり、
違う側面からしていただいた説明に、
頭の中がまとまったり・・・
そういう時間を楽しむことができた。


みちこさんも、ずっとやりたかったけど、
手を出さないでいた英語を学ぶことにした。
これまで、いろいろな習い事はことごとく
飽きて中途半端なまま終わったという設定。

それでも、英語をやりたいって思って、
始めるところがまずステキ。
どうせまた飽きちゃうし・・・とか
多分、ちょっとは思ったと思う。
それでも自分の中に湧いてでてきた
「英語を学びたい」を大切にした姿勢って、
娘のまさみちゃんにも、絶対いい影響だ!
って思う。

みちこさんは、
家庭教師の方に、
とにかくわからないことをそのままにせず、
質問しようと決める。
そう決める時の葛藤や、
決めた後の先生とのやりとりが、
めちゃアサーティブなんだ

先生が「(be動詞や一般動詞など)、
 このへんは簡単だから大丈夫ですよね?」
と言うシーンがある。
すると彼女は言う。

「簡単はどうかは、
 先生じゃくてわたしが決めることだと思います。
 だから、勉強中に『簡単でしょう?』って言うの、
 なしにしてください」

もちろん、この一言を言うのに、
益田ミリさんの作品の特徴であり、
私の大好きなところなんだけど、
一人会議をめちゃする。

自分の「わかっているふり」は、
先生に、言い出しにくいからか・・・
のみこみが悪いと思われたくない
からか・・・
見栄っぱりなのか・・・

で、このままだと、
学校時代と同じになってしまうと考えて、
本当に思いきって言うんだ。

すると家庭教師の先生も、
帰り道で考える。
「『簡単でしょ』って教える側が
 言うのって、
 相手のためじゃなくて
 自己満足なのかもなあ」
「人に何かを教えるのって
 教える側の何かを
 試されてるってことなの
 かもしれない」

先生は、やがて、
固有名詞と一般名刺の話しをする時に、
「勉強臭がしますよね」
なんて言う。
するとみちこさんは「するする」
「香りの違いをかぎわける
 くらいの気持ちで
 いきましょう」
などと、
リラックスさせちゃったりするんだ。

 
みちこさんの過程がアサーティブだし、
先生の気づきがステキ。

そんなこんなで、
私自身が英語を学んだ中1〜高3までの間に、
なんか納得できないけど、
そういうものとしてかたづけてきたことに、
ひとつひとつ答えをもらえたような、
そんな感じだ。

たとえば、
なんで「ペンとって!」とお願いするのに、
わざわざ 「a pen 」って「a」を入れないと
ならないかとか、
なんで「I」には「am」で「you」には「are」なのか?
とか。

みちこさんは、
英語の「a」や「複数形」の取り扱いや
語順などから、
英語を使う人たちが大切にしているものと、
日本語を使ってきた私たちが大切にしてきたもの
なんかを考える。


さらに、
質問をして
先生から「いい質問ですね」って言われると
うれしいってことから、彼女は考える。

「なにかを、わかりたい気持ち
 それは知りたい気持ちとは
 少し違って、
 もっと心の奥のほうにむかっている
 そのわかりたい気持ちを
 相手に手渡したとき、
 『いい質問ですね」って
 言われると
 まるで、
 自分のすべてを認められた気になるって
 おおげさじゃない
 できたことをほめられるより
 質問をほめられるほうがうれしいって
 なんでだろ?
 教える側と教えられる側が
 ほんの一瞬対等になれる
 なんか、
 そんな気になるんだな」


みちこさんは
英語を学びながら、
英語だけを学んだのではなく、
日本語のことを考えたし、
自分のことや
自分の日常を大切にする仕方を
確認したと思う。





この本の中に、
学ぶことをテーマにした本の中からの
言葉の紹介がでてくる。


その中から次に読む本を決めた。
「弱いロボット」(岡田美智男著/医学書院)

「そもそも僕らは、
 言い直すことを前提に
 発話を作り上げているんですよ
 それが当たり前のはずなのに
 最初からきれいな構造のものを
 つくり出すようにトレーニングを
 強制されている
 ちょっと間違うと叱られるから
 頭の中で一生懸命に考えて
 プロットを作ってから
 しゃべり出すようなトレーニングです。
 でも、そうなったら
 誰でもしゃべれないですよね
 
 『やり直しすることが前提で
  言葉は作り出されている』という閃きがあると、
 いろいろな意味で楽だと思うんですよ。
 コミュニケーションにしても
 英語の勉強にしても」

うん。なるほど。

そのこと、学びたくなる。

っていう循環を生むよなあ、
楽しそうに学んでる姿は。



 
author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor