2014年08月の記事 | 今のところではありますが…
小さな屈辱感を積み重ねて。

【2014.08.25 Monday 15:44
先週の火曜日は54歳の誕生日だった。

その日は東京で仕事だったので、
1時間強移動の時間がある。
はりきって
読みたい本を2冊持参した。

なんだけど、
なんと、
老眼鏡を忘れ、
読めない。

もう、私の不注意の虫!!!

それで、ぼ〜と目をつむった。
久しぶりだな、こういう時間。


そんな中で頭に浮かんだことは、
こうありたいなあという
「伝え手」としての憧れの姿だ。


①わかりやすくて、楽しいけど、
 うすっぺらくない。

②説得力や納得して学んでもらう力はあるけど、
 参加者が学び合うことのパワーも信じてる。

③個人の選択は大事にするけど、
 指示は明確に出す。

④自分のことは話すけど、
 ちゃんと一般化して示す。

⑤参加者が自身の
 改善点を見つけられるけれど、
 理想と自身を比べて、
 落ち込みすぎるようなメッセージは
 発しない。

⑥どのテーマであっても、
 その講座の時間の全ての時間、
 そのテーマを体現できること。


そんなことを頭の中でまとめていたら、
先輩が、
初期の頃の私にくれた
改善点のひとつが、
頭の中に浮かび上がった。
実はその改善点は、
当時の私にはあまりにも難しく、
解釈することさえできないものだった。
何言ってるの?って感じのこと。

解釈ができていないことさえ、
先輩に伝えられず、
わかったふりをしてしまい、
でもわからないので、
反芻していたことのひとつ。

何度も何度も頭の中に呼び出しては、
こう考えたらいいのか?
方法としては、あ〜してみたらどうだろう?
としていたことだ。

ちょっとずつわかるようになった頃は頃で、
理解しただけに、つらい・・・というのは、
それがあまりに高い理想で、
いつ手が届くのか想像もできないものだったから。

「あなたにはこういう講座を作ってほしい」
と言ってもらった、
その改善点。

私は、
54歳の誕生日の日に、
その改善点を
クリアしたかどうかではなく、
クリアしようと、
考えて考えて、
自分なりにトライし続けてきた日々が、
今日に繋がっているってことを、
めちゃくちゃ意識した。



誕生日の日に、
頭の中で
ぼんやりとまとめた、
「姿勢」と「理想」みたいなものを
頭におきながら、
先週は3本の講座、研修の講師を担当した。

正直、
うまく行った部分もあり、
自分にダメ出しの部分もあった。




そうして、昨日日曜の朝。
考えが、
次の段階に進む。

「ボクらの時代」(CX)で、
蜷川幸雄さんが
小栗旬さんや綾野剛さんに、
「役者は常に小さな屈辱感を積み重ねてほしい」
のようなことを話した時に、
「小さな屈辱感を積み重ねること」
って言葉と、
自分のもてている力が、
ぱっと結びついたように思ったんだ。

もてている力とは、
「小さな屈辱感を積み重ねること」

耐える力というか、
支える力というか、
そういうものだ。



大きさに大小はあれ、
結構しょっちゅう感じてる
屈辱感、
悔しさ、
情けなさ、
恥ずかしさ、
そんな気持ち。

もっと、うまくできたはず。
もっと喜んでもらえたのに!
なんであの時、
 あんなこと言ってしまったんだろう。
失敗を指摘されてしまった。
おおぜいの前で、間違ってしまった。

そんなことはあるから、
仕事の中でも、
プライベートでも、
日常的に感じているそういう屈辱感のような気持ちで、
落ち込むけど、
落ち込み過ぎずに、
今できることに意識を向けられる力。

それは、
鍛えることができたなあと
思ったんだ。


ずっと昔、先輩がくれた改善点から、
または日常の中の小さな屈辱感から、
「だから自分ってダメなんだ!」と、
落ち込みに浸っていることもできるけど、
そこだけにとどまらないでいたよね、私・・・
ってそう思った。

その力は間違いなく、
鍛えられたなって
思ったんだよね。



それらを経て、
今日考えたことは・・・

最初っから、
ネガティブな気持ちに
上手につき合える自分じゃなくって
よかったってこと。

小さなことを気にして、
他者からの目におびえて、
ほめてほしくて、
うらやましがりで、
すぐに悲劇のヒロインになれて、
それでいて、自分のせいにして自分をいじめる、
そういう時があって、ほんと、よかった。

それがあったから、
実感をもって、
人の中には、
自分で自分を回復させていく力があるって
言える。

その力は鍛えることができるって確信がある。

さらに、
今でも油断すると、
そういう傾向もでるかもしれないってことを
知っているからこそ、
出たときに、対応が早くなるという実証がある。



そんなことがごちゃごちゃと、
頭の中にあった。
それをそのまま言葉にしてみた。
きっともうちょっと経つと、
もう少し読みやすい
文章になると思う。
今のところは、この辺で。















 
author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

夏休み読書 2

【2014.08.17 Sunday 11:31

◆「一度、死んでみましたが」神足裕司

 コラムニストで、
 暮れの流行語大賞の選考委員でもある神足さんは、
 2011年に飛行機の中で重度のくも膜下出血で倒れ、
 大変な手術をへて生還した方。
 左半身に麻痺が残り、歩くこと、寝返りも、
 話すことも、自分で満足に食事をとったりも
 できなかったけれど、
 書く事ならできる・・・
 と書き始めた文章を集めた本。

 最初は10行くらいだった文章。
 それがだんだん長い文章を書けるようになって
 いくのだが、
 それでも、前に書いたことを忘れることもある。
 でもそれでも、彼は「書く」と決めた。

 この「決める」ってすごいことだと思った。

 彼の妻はまえがきで
 「手術をはじめ一つひとつの分岐点で、
 治ると信じて選択していなかったら・・・。
 あのとき、家に帰る選択をしていなかったら・・・。
 パパはこの本は書いていなかっただろうと、
 振り返るのです」
 と書いている。

 妻が選択したことが功を奏し、
 そして神足さんが決めて、
 文章を書き始め、
 そのことで、私は多くのことを知った。

 たとえば脳科学の本を読んで知ってはいたが、
 実際に
 「歩こうと思うと、歩くという指令は逆に足に
 届かない」という文章を読んでびっくりした
 その時の神足さんは2つのことを同時にする
 ことが不可能。
 「考える」「行動する」を一緒にはできなかった
 って訳らしい。そういうことが起こるんだ・・・
 とびっくりした。

 また、
 テレビを見ていて、急に悲しくなって、
 止めどもなく悲しくなる様子が書かれていた。
 「何が悲しいのかは分からないが、
  悲しい気持ちだけは残る」
 このことも、義母とのやりとりで想像は
 していたが、やっぱりそうだったんだ!と
 すごく納得。

 それまでできなかった頭を前に少し倒す
 ということができるようになると、
 蕎麦やラーメンをすすることができ、
 おじぎができ、原稿が読め、
 ご飯もこぼさなくなる・・・。
 体の機能が少し回復すると、
 できることがめちゃ増えていく驚きと、
 感謝。
 「ヒト」ってものは、
 本当によくできているのだ。

 で、神足さんの心は、
 すごく豊かに動いていることも感じた。
 
 これから先のことを考えると怖くなる
 こともあるけど、
 「いまの自分にできることは、
 怖くないふりをすることぐらいかな。
 ボクが怖がっていることを知ったら、
 よけいにみんな怖くなるからね」

 あまりしゃべらない彼をみて、
 だいたいの人が「あまりわかっていない
 んじゃない?」という扱いをするけど、
 その時はわかってないふりをする。
 それはそのほうがおもしろいし、
 相手の人を傷つけないですむからとか。

 ヘルパーさんの投げやりな仕事に
 傷ついたり、
 心地よい仕事に感謝したり、
 看護師さんのためいきつきながらの
 下の世話にはつらい想いもしたり、
 家族の献身に感謝して、
 友人たちの変わらず友情に心震わせている。

 そして、彼は何度も何度も「書くこと」に
 ついて書いている。
 書いたことさえ忘れてしまうのに
 書いていいのか?と書きながらも、
 それでもそれを読むと、その時は
 そのことを考えていたんだと思えることで、
 またよし書こうと、繰り返し自分に
 言い聞かすかのように考えている。

 「あとがき」で、
 「こんなに身体が変わってしまったのが、
  いまでも信じられない。
  つらかった。
  けれど、どうだろう?
  そうなってしまった身体を嘆いていても、
  しかたないじゃないか!

  このつたない文章が、いまのボクに
  できることなのだ。
  どうしても書かなくてはならなかった。
  ボクには唯一、書くという機能を
  神様が残してくれていた。
  書くことが生きていてよいと唯一、
  言ってくれている気がするから。

  ボクは書き続ける。
  脳のほうはさっぱりだけど、
  書くことはできる。
  ・・・・
  これからもボクはつまらなくても、
  忘れても、書き続けると思う。
  これからもずいぶん、おもしろい人生を
  送ることができそうだ。
  迷惑をかけてしまうかもしれないが、
  これからが楽しみだ。
  書くことが、生きることなのだ。
  書いて、書いて、書きまくるぞ」

 現状の意味を問い続けることに、
 深入りしないで、
 今自分ができる「書くこと」に
 意味を見いだせた彼が
 すごくかっこいい。

 そうやっていいんだって思う。
 自分の時間の使い方は、
 自分で選択していいんだ!って思う。


 起こってしまったことを
 苦しみながらも受け入れて、
 人生からの問いかけ、
 「こういう時にどうする?」に
 書くことで応えることを選択した彼。
 神足さんがそれを選択してくれたおかげで、
 脳の機能のことをいろいろ知ることができた。
 ロゴセラピー的な生き方だと思う。




◆「子どもたちの感情を育てる教師のかかわり
 〜見えない『いじめ』とある教室の物語〜

 「いじめ」や「問題行動」を、
 不快感傷の取り扱い方が上手にできない
 ことからの表れととられてみると、
 まだまだやれることはあると勇気が湧く。
 品川さんの
 「いじめない力、いじめられない力」の
 12のつけたい力のひとつめ、
 「自分の気持ちをコトバにできる力」
 についての詳細と考えてもいい。
 なぜそれが必要か、
 それらが上手にできないと
 どういうことが起こるか、
 不快感情を認知できない子どもたちへ
 はどんな対応が効果的かなどを、
 ひとつのクラスの中の様々な出来事を通して
 書かれていて、ストーリーもあるので読みやすい。
 
 この本ですすめている
 「こどもの感情によりそうための援助シート」は
 すごくよくできていて、
 担任の先生方が、クラスの子どものことがよく
 わからなくなった時に、チェックしてみたい
 ポイントが書かれている。
 
 このシートは、
 10年前の佐世保市の事件後に
 長崎県教育委員会が大河原さんを含む、
 専門家チームで作成したもの。
 加害少女に対する処分理由の中に、
 「少年は情緒的な分化が進んでおらず、愉快な
 感情は認知し、表現できるものの、その他の感情
 の認知・表現は困難で、とりわけ、怒り、寂しさ、
 悲しさといった不快感情は未分化で適切に処理さ
 れないまま抑圧されていた」
 とあったことからという。
 
 ところが、10年後、
 先の事件は起こってしまった。
 被害にあった少女やそのご家族、友達たちの
 ことを考えると、
 なんてことが起こってしまったんだ!と
 本当に腹が立つ。

 
 そしてそれとは別に,
 だとしても
 このシートはすごく意味があるシートだと
 私は思う。
 
 今回の事件の加害少女にも、
 学校、児相、病院と、
 さまざまな支援の手が入っていたのは、
 彼女が支援を必要としている子どもだと
 多くの人が認識していたからだ。
 それはもしかしたら、
 こういうシートの考え方、
 つまり、
 子どもの感情に寄り添うという考え方が、
 あったからかもしれない・・・って思う。
 それでも、こんな事件が起こってしまった理由、
 つまりは、加害者のことを
 支援しきれなかった理由や、
 問題がありそうな連携方法は、
 課題として、みんなで共有すべきだと思う。

 

さて、まだまだ読みたい本がある。
あと半日。
読む。

 

 
 
 
author : tanizawa-k
| | comments(0) |

夏休み読書 1

【2014.08.15 Friday 19:50
白石 一文
毎日新聞社
¥ 2,052
(2014-04-26)

神田 茜
集英社
¥ 1,296
(2014-03-05)

ここのところ読んだ本

◆「神秘」白石一文 
 医者から余命一年と宣告された、出版社役員53歳
 の菊地。東京での暮らしや人間関係、仕事、すべてを
 断って、奇跡の力をもつ女性を探して神戸に移り住む。
 それまでの仕事一辺倒の生活の中ではやらなかったこと、
 ゆっくり散歩をしたり、体によいものをしっかり作って
 食べたり、そんなことをしながら、
 奇跡の女性を探し続ける。
 彼女を探しながら出会う人々は、なぜか、
 その人たち同士が繋がっていることが見えてくる。
 そしてそれは菊地の過去の人間関係とも繋がりが
 あったことが分かってくるのだ。
 このあたりが、どこまで繋がるの???と
 とっても面白い。

 この小説の中に、
 オーストラリアの緩和ケア病棟の看護師さんが
 死ぬ間際の患者さんたちが口にした「後悔」を
 ランク付けしたものの、1〜5位が書かれている。
 1「自分自信に忠実に生きればよかった」
 2「あんなに一生懸命働かなくてもよかった」
 3「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば 
   よかった」
 4「友人関係を続けていればよかった」
 5「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

 菊地は「あんなに一生懸命働かなくてもよかった」
 に共感する。
 病を得て、一年という猶予があったために、
 彼はその後悔をしなくてもよい環境に自分を
 おくことができた。

 そして、これまで見聞きしてきたいろいろな
 ことを文にして残そうと考えるのだが、
 それは、「まとめずにきた乱暴な自己をきちんと
 再構成する行為」だと言っている。

 そんなことができるとしたら、
 余命を宣告されるのもマイナスなことばかり
 ではないかもしれない・・・と不謹慎なことを
 考えながら、
 そういう他者や周りや自分以外の力に期待する
 んじゃなくって、自分で変えていけばいいじゃん
 と考え直す。

 久しぶりに小説を読んだ。ふふっ!夏休みっていい。


◆「いじめない力、いじめられない力」品川裕香
 子どもの成長を見守る方法や、指導する方法は、
 勘や感情論ではなく、エビデンスベース(根拠
 ある方法)で考えていこうとする本を何冊も書
 いている彼女の最新作。
 いじめをしない力、いじめられない力として、
 12の力をあげている。
 1「自分の気持ちをコトバにできる力」
 2「自分自身のことをわかる力」
 3「自分をコントロールする力」
 4「達成感を得て、自分の可能性を信じる力」
 5「自分で決定する力」
 6「自分の将来に期待する力」
 7「問題に気付いて解決しようとする力」
 8「人の話を聴く力」
 9「事実と意見を分けて伝える力」
 10「相手の表情や態度を読み解く力」
 11「社会に貢献する力」
 12「将来を楽観する力」
 そして、これらのトレーニングの方法も
 書かれているし、発達のアンバランスをもつ子ども
 たちへの支援方法も書かれている。

 12の方法の一番最初は
 「自分の気持ちをコトバにする力」だ。
 子どもも大人も、情動を調整するために、
 避けては通れないのが、感情認知。
 エビデンスを大事にする彼女が、このことを
 明確に記してくれていることが、本当に
 嬉しい。
 アダルトチルドレンから回復していく
 12のステップの最初も、感情認知。
 ストレスマネージメントの方法、
 SOC(sense of coherence
 〜首尾一貫感覚)のスタートも、
 アサーティブコミュニケーションの
 スタートも、レジリエンスのスタートも、
 感情認知。
 
 気持ちを自分の頭の中でコトバにすることを
 子どもの時から意識できれば、
 人生、本当に生きやすい。

 
 この12の方法、すごくいいけど、
 今の子どもたちは、とてもとても忙しいから、
 さらにこれらを学びトレーニングするとなると、
 やるべきことにおしつぶされてしまわないかと
 心配になる。
 しかし、よく読んでいくと心配は無用だと
 思う。

 つけてあげたい力が明確になっていることは、
 大人側がばっちり認識できるってことだ。
 それはかなりの影響を与えると思う。
 からだのトレーニングをする時も、
 「今は腿の後ろの筋肉を鍛えている」と
 意識したほうが効く。それと同じだ。
 「いじめはよくない」「いじめを見たら、何も
 しないのもよくない」などと、言葉で確認しあう
 学級会や道徳では身につけられないことが、
 ここに書かれている。


◆「ぼくの守る星」 神田茜
 LDをもつ中2の男子が主人公。
 彼の周りの人たち・・・
 母親、クラスの友達、クラスの中の大人しい女の子、
 父親などが、が一編ずつの主人公の短編を集めて
 構成している。それぞれがどんな気持ちでいるのか、
 とてもよくわかる。
 みんな一生懸命に生きているし、良かれと思って
 やっているが、それがすべてうまくいく訳ではなく、
 それがせつないし、苦しい。

 カタカナがうまく読めない主人公。まわりの人は
 彼にそんな困難があると思わないので、彼の発言に
 大ウケ。中2くらいまでは人気者的な扱いだったけど、
 中3の進学を意識する頃になると、みんなの目も
 変わってくる。
 彼の母は、なんとか自信をつけさせて、自分の
 アンバランスを受け入れながらいい人生を送って
 ほしいと相談にいったり、療育としたりと、
 いろいろ行動しているが、どこかで、多分、
 どうしても受け入れられないでいる。
 そのいらだちも、すごくせつない。
 
 6月に開催した「思春期の子どもをもつ親のための
 講座」の参加者の方に教えていただき読んだ。

 幸せには3種類あると言ったのは、
 鍵山さん(イエローハットの創業者)だった
 と思う。
 してもらう幸せ、
 できる幸せ、
 してあげる幸せ、
 だ。

 主人公は最後、守ってあげたい人をみつける。
 それでようやく、落ち着く。
 母親や、周りの方々にしてもらっているだけでは、
 彼は落ち着けなかった。
 自分でできる実感を持ちたかった。
 そして、してあげられることがみつかることが、
 「生きていていいんだ」と安心させた。
 それは、彼だけではないと思う。
 学校の中でかかわるいろいろな子どもの顔を
 頭に思い浮かべながら、
 その子たちが貢献できることを、自ら
 みつけられるように、支援していきたい
 なあと思った。
 
 すべての学校の先生が読むといいと思う。

そして、あと2日の夏休み。
まだまだ読む。

 
author : tanizawa-k
| | comments(0) |

ポジション。

【2014.08.11 Monday 13:25

8月10日放送の「軍師勘兵衛」で
こんなシーンがあった。

息子長政は、父親が留守の間、
新しい領地をしっかりと納めることを
任される。
そこで、農民たちの声を聴こうと
集まってもらった。
どんなことでも話してほしいという
長政の言葉に、
農民たちは、黒田家が領主になってからの
不満を口々に言い出す。
長政はがまんをしていたが、
ついには父親を批判され、
カッとなって、
刀に手をかけてしまうシーンだ。

ちょうど
頭をめぐらせていたこといくつかと
繋がるシーンだった。

ひとつ目は、
「分からせようと、
 伝えようとすればするほど伝わらないことがあり、
 逆に、
 相手のことを分かろうとすればするほど、
 なぜか伝わることがある」
ってことについてだ。

私の例で言うと、
この4月からのいろいろな講座講演を振り返り、
参加してくださっている方の納得感というか、
満足感などを感じられた
(感じられたと私が思う・・・ので
 客観的とはいえないが)
講座や講演で私が行ったことは、
目の前にいる方々の多くの想いが
つかめた時だ。本当に共感できた時。

特に初めてトライした
高校での人権に関する講演は、
その時その時の高校生の気持ちを
私なりにだけど
丁寧に想像しながら話すことができたと思う。
逆に、何度も行っているテーマだと、
慣れからくる安心からか、
「こういう気持ちだろう」と決めつけてしまう
ようなところがあって、
「その時その場の」彼らの気持ちには
寄り添うことができなかったことが
あったかも。
それは、なんとなくのズレに繋がり、
伝わった感も薄くなる。


伝える側にある、
「このことを伝えたい」という考えは、
最初からそれをぐいぐいと押し付けても、
受け取る側に、
その準備ができていなかったり、
押しの強さに辟易されてしまったり、
時には心のシャッター下ろされて
しまったり、
反発されてしまうこともある。

まずは、
場(相手)の声を、
それは言葉になっていない声も含めてだけど、
いかに聴けるかなんだよなあ。


これは、
講座講演の講師と受講者
領主と農民・・・
という関係性の中だけではなく、
営業の方とお客さん、
管理職とスタッフ、
医者と患者、
親とこども、
いろいろな関係の中での法則だ。



ただ、それだけでは
説明は不十分だ。

2つ目に考えたことは、
それでも
長政は、いつか、
「こういうビジョンで
 この国をマネージメントしていく」
という方針を語るときがあり、
それを納得してもらわねばならない。

その時どうするかってこと。

それを
教師と子どもという関係の中で
考えると、
「伝えようとすればするほど
 伝わらず、
 分かろうとすればするほど、
 伝わることがある」
だけでは、
授業が成り立たなくなる。


大河原美以先生は
「子どもたちの感情を育てる教師のかかわり」
という本の中で、以下のように書いている。

「 教室で教師が教壇に立ち、子どもたちが教師の
 話をきいているという授業の場面では、
 子どもと教師の関係は、『教師が伝えようと
 していることを子どもがくみとる(ワンアップ
 ポジション=教師が一段上の立場)』という
 関係にあります。そのような関係性を前提と
 して、教師は発問し、子どもがその意をくみとる
 という行為を通して、思考する、学習するという
 ことが実現するわけです。授業をして子どもに
 学習させることは、教師の本務です。
  ところが、子どもたちの内面の危機をキャッチし、
 支援するという心の教育、教育相談などの仕事は、
 『子どもが伝えようとしていることの意を教師が
 くみとる(ワンダウンポジション=教師が一段下
 の立場)』という関係性を必要とします。この関
 係性のちがいは、通常、無意識・無自覚の領域に
 あります。関係性がまったく正反対の方向にある
 わけですから、意識的に教師が子どもとの関係性
 のポジションを変化させることができないと、一
 人一人の感情に目を向けるということはきわめて
 難しいことになります」


先生方への研修の時に、
このこと・・・
 意識的に、
 関係性のポジションを使い分けることは、
 結構ハードなことだし、
 そのことが苦手な方もいる・・・
を見逃した話をしてしまうと、
いくら
「聴くテクニック」や、
「発達のアンバランスのある生徒への
 支援の具体的な方法」
などを練習したとしても、
日常に生かすのは難しいだろう。

もちろん、難しいことでも苦手なことでも、
努力はするのだけど、
それでも
100%できないかもってことを認めることが大切だ。


つまり2つ目に考えたことは、
今はどういうポジションをとるか、
意識して、選択して、実践するってこと。
そしてそれは、たま〜にだったらできたとしても、
毎日続けていくことは結構ハードってこと。


だからこその3つ目。
それを補うことのできる
システムを作っておく。

そのひとつは「チームで動く」
ということになる。

チームの中で役割り分担すると、
聞き逃してしまった声や、
見逃してしまたSOSを
ゲットできる可能性がある。


これは学校の教師だけの話じゃない。


黒田家チームは、
それぞれの良さを生かし合う、
(おじいさんの含蓄ある例え話や、
 一番の家臣の冷静な行動などなど)
すごくステキなチームだし、

私も講座や講演会で、
アシスタントに入るときは、
講師が何かを伝えているとき、
もし見逃している声があったら、
それを講師に伝える役をしたいなあ。

実際、
私は
スタッフの方々や
時には主催者の方にも助けてもらっている。




ポジションの意識をもつこと。
そして、まずは分かろうとすること。
そして、伝えるときには、
受け取れきれていないものが
あるかもしれないと認識して、
その時に補完できる何かを
もっておくこと。
今のところのそのヒントはチームで
動くってこと。


夏休み明けの先生方への研修のプログラムに、
長政が、
ヒントをくれた。











 
author : tanizawa-k
| SC | comments(0) |

望遠鏡と顕微鏡

【2014.08.09 Saturday 10:40
夏休み前の講座は、
アサーティブ・トレ−ニング。
3時間のもの。

コミュニケーションの講座に参加くださる方々の
動機は、
・身近な人間関係で困っている
・言いたいことが言えなくて、
 そのことでつらい思いをしている
・自分の伝えていることで
 相手はどう思っているのかが不安
・何度言ってもわかってもらえない。
 どうしたら分かってもらえるか
などが多い。

そのことを解決しようと、
自分から動き出した方々が、
講座には来てくださる。

解決の方法のひとつが
アサーティブトレーニングにはある。

今、職場でのストレスの大きな原因のひとつは
人間関係だと言われているので、
自他尊重のコミュニケーションの方法を
学んでもらうことは、
日常のストレス要因を減らすことに
繋がっていく。


また、自分のコミュニケーション能力の向上以外の
動機に、
・自分はうまくいっているけど、
 指導的な立場にあるので、
 他者にコミュニケーションの方法を
 教えるために学びたい
というものもある。

コミュニケーションを体系的に学ぶ機会は
普通に暮らしているとほぼないので、
理論→方法→練習と体験してもらうことは、
その解決にもなると思う。
ただ、私がおすすめしたいのは、
自分が実践していないと、
教えるのはなかなか難しいし、
自分がうまくいっていることを般化できて
初めて多くの人に教えられることになるので、
まずは自分のために体験してほしいって
こと。


今日の参加者の方も、
きっといろいろな動機で参加されると思うけど、
その動機にきちっと応えたいよなあ。



で、それだけで終わりたくないって思う。

参加者の方々の動機の奥には、
もっと深い思いがあると思う。
そのことが言葉になっている方と、
まだ認識されていない方がいると思うけど、
どっちにしても、
もってる想いはあると思うんだ。

それは、
こうしたいとか、
こうなりたいとか、
つまりは
「人生を、自分の考える使い方をしたい」
というような想いだと思う。

元々持っていた目標の仕事をしてみたいとか、
もっとムダに時間を使ってみたいとか、
寛容な考え方ができるようになりたいとか、
好きなことだけやっていきながら、
 なんとか生きていければいいやとか・・・
とか、
変わりたいとか
変わりたくないとか、

人が自分の想いを実現していくときに、
他者の権利を侵害せずに
その方向を進むためには、
「説明できる力」って必要になってくる。

今のまま変わりたくないってことだって、
身近な人が「変わって!」というメッセージを
発信してきたら、
「いや、自分は変わらずいく」ということを、
自分の想いを大切にするように、
相手の想いも尊重しながら
伝えていけた方が行きやすい。


ひとつのお願い事、
ひとつのお断り、
それは小さなこと
と思うかもしれないけど、

自分の中に芽生えた「それ」を伝えたいという想いは、
奥に、
自分のことを大切にしたいという想いがある。

それを自分のことだけ大切にするのではない方法で、
正々堂々と言いたい!
ってめちゃステキだ。

細かなことは、
大きなことに繋がっている。




アサーティブの講座では、
考え方やスキルを学び練習をすることで、
細かい技を取得してもらいながらも、
そのことが、
目標に繋がっているってことも、
意識してもらえるといいと思う。




さらに、
私は
一人一人のコミュニケーション能力アップの場を
ファシリテートすることは、

攻撃や暴力ではなく
対話で問題解決をする社会を作っていくために、

微力かもしれないけど、
何にも動いていない訳じゃないってことを
意識しようと思うんだな。




今日は長崎に原爆が落とされた日だ。

そんな恐ろしい暴力を使わなくても、
私たちには「対話」という道具があるもんね。
理想論!って思う人もいるかもしれない。
それはそれでその方の大切な意見。
ただ、
まずは、自分が、
考え方が違い、
価値観が違い、
方法論が違う
そういう誰かを攻撃しない。
そう何度も言い聞かせてやっていくしかない。


さて、準備!!!

今日の新しい出会いが
楽しみだ。









 
author : tanizawa-k
| コミュニケーション | comments(0) |

プリントと日常。

【2014.08.06 Wednesday 13:45
高校のコミュニケーションの授業で使う教材は、
静岡県教育委員会による「生きる力」という冊子。

「ことばで感情を伝えよう」というテーマの
プリントの問いで、
こんなものがある。

<1>
「大事な試合で自分が失敗したために、
チームは負けてしまいました。試合後、
先輩から『お前はよくやったよ』と声を
かけられました。
①あなたはそれをどう感じますか?
②その気持ちを一文にまとめて、
 先輩に伝えてみよう。

①の答として(多数派)
・先輩の優しさに、感謝の気持ち
・申し訳ない
・負けて悔しい
・自分自身が情けない
・次はがんばりたい
・なぐさめようとしてくれているのが
 嬉しい
以上のようなものと、
少数派だけど
・なぐさめてもらうと逆に困る
・無理に気を使わないでほしい
・自分が悪いのに、そこまで言われると、
 きまづい
などもある。

多数派でも少数派でも、
どっちもいいじゃん!って思う。

人は、
自分の育った環境や、
体験してきたことや、
そういうことからできあがってきた考え方の傾向など
があるから、
同じひとつのことでも、
本当に様々な受け取り方をする。

どれも間違いではないし、
どれも大切なその人の感情や考え方だ。

で大事なのは、どう表すか?だ。
この場合だったら先輩に
何と言うかってところが大切だ。

②には 
たとえば
「先輩、自分のミスで負けてしまい申し訳
 ありませんでした。それなのに気を使って
 くれて、すみません。そこまで気を使って
 くれなくて大丈夫です。
 今更おそいですけど、でも次回からは
 ミスのないようがんばります」
系の文章があって、

実際のそういう場面で、そういうやりとりが
できるかどうかは別にして、
考え書けることだステキだ!って思った。


あ〜
高校生も、
いろいろあって、
で、おもしろい!!!
と思う。



ところで、我が家の出来事。

義父のところに来てくれるヘルパーさんの
仕事の中には、
ペットの世話ってのは入ってない。
掃除はしてくれるし、食器は洗ってもらるけど、
犬の糞尿の始末や、犬の水のお皿に水を入れる
ってのは、仕事の範囲外だ。
私は、その境界線ってのは非常に大事だと
思ってるので、そのことを明確に言ってくれる
うちのケアマネさん、ヘルパーさんのこと、
とってもとっても尊敬しているし、
ステキ!って思うし、
境界性を超えたお願いはしない
って決めている。

なので、初めてカルをケアマネさんに
紹介した時、
「犬の糞尿の始末のこと、ちゃんと
理解してますので、ヘルパーさんに
迷惑かけないようやりますね。
これからもよろしくお願いします」
と挨拶した。

すると、
彼女、本当に心優しい、
めちゃいい人で、
「あ〜いいです、いいです。
 それ気にしないでください」
と言ってくれた。


さて、問題。
①あなたはそれをどう感じますか?

私、多分、この問題がコミュニケーションの授業の
中でプリントかなんかで出たら、
そこに書く答えは、
・こちらに気を使ってくれていて
 優しさがあると思う
・はっきり言えないのは、
 こちらを大切に思ってくれているからで、
 思いやりがあると思う。 
なんてことを書くと思う。

でも実際のところは、
・とまどった
・へっ?
 仕事の範囲を気にしなくていいの?
 と少し困った・・・
なんて気持ちや考えがわいてきて、

なんか、プッ・・・と自分でおかしくなった。

結構私も、受け取り方が少数派のところが
あるのかも・・・。

我が家のケアマネさんもヘルパーさんも、
本当によくやってくださっていて、
しかも、めちゃくちゃ気を使ってくれる。
今回の犬の件は、
義父にとっても、
犬を可愛がる、世話をするってのは
いいことだって、
きっとケアマネさんもヘルパーさんも考えて
くれていて、
でも仕事だから、
決まりの中で動かないとならない。
困ったんだろうな。

素直に、
こちらへの気遣いを受け取ろう!
って瞬時に私は考えた。


ってな訳で、
日常はプリントとは違う。

だからって、プリント(架空の事例)は
ムダか?というと、そうでもないと思う。

そこで頭を使って考えてみるのも大事。
日常の中の一筋縄ではいない自分の事例と
ぶつかり稽古も大事。

そのどちらも、
できれば、やりっぱなしにしないで、
後で振り返りをしておくと、
どんどん身に付いていくんだろうな。


さ、あと1講座で、
夏休み!!!







 


 
author : tanizawa-k
| コミュニケーション | comments(0) |

充実。

【2014.08.02 Saturday 17:17
今日は清水区の小中学校の先生方へ
講演をする機会があった。
清水区での日常の活動は、
学校の中で相談の活動を始めた当初から
ずっと継続しているので、
知った顔があちこちにいてくれる、
そんな講演会だった。

久々お会いした先生から、
同じ学校に在籍していた時に、
一緒に考え合ったA君が無事小学校を卒業して、
その後元気に毎日中学校に通っているという報告を
いただいたり、
異動の年で4月から大変だったという
ことを教えてくれる先生がいたり、
アサーティブについての授業をまとめた研究成果を
書面にしたものを持ってきてくださったり、
私にとっては講演以外の時間も、
とっても豊かな時間となった。

その中に
昨年、ある会で出会い、
ソーシャルスキルの授業について、
アドバイスを求めてきてくださった方がいた。

私が小学校で「心の健康」についてお話する時に
時々使うグループ活動のひとつを、
彼は実践しようとされていた。
それは
各々が持っている情報を場に出して、
そこから考えを組み立てていくグループ活動だ。

私は彼に、
グループ活動の最初と終わり頃の写真を
とっておくといいかも・・・
とアドバイスをした。

彼はそれをやってみたと教えてくれた。

最初の方の写真では、
なんとなくよそよそしく、
硬い感じでいた子どもたちが、
終わり頃の写真では
一枚の用紙を真ん中に頭は近づき、
手振り身振りで熱く話し合っている様子に
変わっている。
その変化を子どもたちが気付いて、
次々に言葉にしていったのだそうだ。

その振り返りの方法は、
「自分にとっても子どもたちにとっても
 すごく良いものとなった」と
教えてくれた。

私はそのことがすっごく嬉しかった。

すぐにやってくれた彼が素晴らしい。
そして、
子どもたちは
「人とかかわるって、
なかなかいいものだなあ」
って、
今の子どもたちが心底思えたらいいなってことを
言葉で確認し合えた時間となったと思う。
それってすごくステキだと思うんだ。

で、そのことをまた、私にわざわざ報告してくれる、
彼のその姿勢そのものが、
人とかかわることに積極的だと思う。
つまり、彼は子どもたちのモデルだと思う。

ってなことで、
講演以外の時間も
なかなか濃い時間。


で講演の内容は「情動調整力」について。

その最初のステップは感情認知だってことを、
これでもか!ってくらいに話してきた。
余分な話しもほぼせず、
一直線にその話をした。
そのことで45分話すのは初めての経験だ。
笑いをもってきて
なんとなく楽しい気分ってものでごまかす
こともせず、
45分間、感情というものとひたすら向き合う、
参加者の方にとっては
結構苦しい時間だったかもしれない。
それでも、このことが必要だと思った。
大人も子どもも
感情認知のスキルが圧倒的に足りてないと
思うから。

このことを学校の先生が知っていると、
日常のいろいろな場面で
子どもの情動調整力を、
その時その子に起こっている問題から
育んであげることができる。

その時その子に起こっている問題に関して
その子が「自分がどう感じているのか」を
自分で分かることは、結構むずかしい。
国語の授業で主人公の感情を想像して答えることは
できても、
自分の中に起こっていることを、
気持ちの言葉ひと言で、
たとえば
「私は今困ってる」「ショックを感じてる」
って明確にすることはなかなか難しいのだ。

それができていないことが多いから、
「ルールは守る」
「いじめはだめ」って頭で分かっていても、
行動を抑制できない場合がある。

そこにたたみかけるように、
「友達の気持ちを考えてみよう」
「思いやりをもとう」
というアプローチでは、

その子の中に生まれていて、
誰にも受け止めてもらえていない感情は、
剥き出しのまま、行き場を失う。

そのことに気づこう!

ま、簡単に言えば、
そんなようなこと。


学校のクラスの中で、
子どもたちに、
自分の実際の事例を使って
コミュニケーションをロールプレイで
学んでもらうことはハードルが高い。
だとしたら、
何か問題が起こったとき、その時その場で、
まずは一人から
感情認知を体験させてあげたいものだ。

で、実は、授業の中というか、
集団の中で、一人の感情認知から
全員にアプローチできそうな方法も
アイディア固まり中。

あ〜このことを夏休み中に突詰めていくぞお。

そして、
先生方には、
「子どもにやってあげたほうがいいことは
 ご自身にも必要なことですよ」
ってこともしつこいくらいに言ってみた。
「誰かにゆっくり話を聴いてもらい、
 自分では掴みづらい感情を、
 誰かに受け止めてもらうと、
 このことの効果がはっきりわかりますよ」
って。

(そして、これは先生だけではなく、
 どの職業であったとしても!!!)

ってな訳で、
今日の私は、
やりきった感がある。

今までお世話になった先生方と再会し、
新しい出会いもあり、
さらに、
これが今一番大切!
って私が思うことを、
率直に伝えることができた。

さらに、これからやっていきたいことも、
一層明確になった。

素晴らしい機会をいただけたものだ。
ありがたい。



そんな私の達成感など、どこふく風の
今日のカル。



 
author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

リズム。

【2014.08.01 Friday 09:39
岩合光彦さんという方が
世界中で猫の写真を撮影している番組を
BSでやっている。

昨日の朝の始まりは、
「この猫は、ぼくが近づくことを許してくれる猫だ」
って言葉だった。

岩合さんがそう予想した理由をきいてびっくりした。

それは
少し距離のあるところから岩合さんがその猫の方を見ていても、
その猫は岩合さんの方を見なかったからだそうだ。

近づいてくる相手の方を見て気にするのではなく、
そちらを大して気に留めず、
自分のリズムで時間を過ごしている、その猫。

「自分のリズムで時間を過ごしている猫は
 近づくことを許してくれる」という言葉は
岩合さんの言葉。
とってもおもしろい。

自分のリズムで時間を過ごせるということは、
他者に惑わされないってことなんだろうな。



この春から高校でもスクールカウンセラーとしての
活動を始めて、
高校生になると昼食の時間は、
あまり管理されてないことを知った。
みんな、それぞれ、
教室内の好きな場所で
食べたい人たちと一緒に食べているようだ。

ただ、このことが困る子もいる。

一緒に食べたいと思う人がいない。
でも、他者からどう見られているかが
必要以上に気になってしまう子は、
「ぼっち」に見られることの恐れから、
その時間をどう過ごすかは切実だ。

気が進まなくても、
どこかのグループにまじるという選択を
している子もたくさんいるんだろうなあ。

自分のリズムで、
今日は一人で食べたいから一人で食べて、
食べ終わったら図書館に本を借りにいく・・・
などと、
自分を主体とした行動ができれば
ほんとに楽だと思うけど、
なかなかそうはいかないんだろうな。


自分のリズムでいるってどういうことかというと、
・他者がどういう行動をするかに、
 あまり惑わされない
・他者にどう思われてるかということが
 あまり気にならない
・自分のしたいこと、自分の感情が分かっている
・自分の行動を自分で選択することができ、
 その選択の結果を受け入れることができる
ってことだと思う。

それはとってもとっても生きやすいだろう。


この自分のリズムみたいなものを、
自然に身につけている人もいるし、
苦労しながら獲得してきた人もいる。
今挑戦中の人もいるだろう。
そういうことに無関心な人もいて、
その中の、
何がよくって何が間違っているかってことは
ない。

私は非常にラッキーなことに、
苦労を重ねて獲得してきた方だと思う。
獲得してきたと言い切るのもためらいがある。
ってのは
今も時々めちゃくちゃ意識して
ギアを入れるような感じで取り戻すことがあるから。
ただ、そのことが本当にラッキーだと思う。

私は自分が他者の行為や感情で
自分が揺さぶられることがあることを知っている。
特に自分が振り回されがちな行為、考え方、感情が
あることを意識している。

私にとってそういう行為、考え方、感情を
クライアントの方や受講生の方が提示し、
私の感情が揺さぶられた時、
そのことに気がつかないまま話を聴いたり、
講座を続けることで、
私の反応がクライアントや場に投影されてしまうと、
それはよいカウンセリングであり、
講座であるとはいえない。
だって、それは私がクライアントや受講生の方を
引きずってしまったことになる訳で、
クライアントや受講生のための時間ではなくなってしまうから。

そこにストップをかけるのは、
「おっと、私の感情がゆさぶられて、
 そのことが影響を与えてしまう
 (しまっている)」
と意識することだ。

この意識ができるのは、
「自分のリズムでいる」ってことに、
100%の自信がないからだと思う。

そのことが
私の取り柄なんだろうなあ。

そこに絶対の自信がないことで、
自分や、
他者や、
自分と他者との間に起こっていることに、
客観的であろうとすることの大切さが
身にしみていると思う。



さて、私は小学校での活動中には、
職員室などで、級外の先生方と給食を
一緒にいただく。
全員で「ごちそうさまでした」と手をあわせたところで、
食器を片付けることもあれば、
時々は早めにカウンセリングの部屋に戻り、
午前中のまとめや午後からの準備をしたい時もある。
ここでの席の立ち方も、
今だにドキドキすることがある。

「さて、準備しないと。
 じゃ、お先に失礼します」
なんてサラっと言うときもあれば、
他の先生方の話が盛り上がっていると、
そこで何か言うのも気が引けて、
黙って立ったりした時は、
なんだか居心地悪くて、
ゆっくり片付けたりして。

いつも「自分のリズム」が持ち続けられれば
それに越したことはないけど、
そうもいかないことを知っていること。

そうもいかない時の状況を
ある程度特定できていること。
(こういう人にいらつくとか、
 こういうことが気になるとか、
 こういう発言には気がめいるとか
 自分の傾向を知っておくこと)

そういう時には、
葛藤し、
ゆれ、
ぶれ、
振り回されそうになり、
そのことで
振り回しそうになり、
そういう自分のことを知っていること。

それがいいと思うんだ。

自分のリズムがある猫にはあこがれるけど、
人間には知恵があってさ。
そうじゃない自分の扱い方を
学んでいくことができるんだよね。


そして、自分のリズムで過ごし始めた
カル。












 
author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |


谷澤 久美子
counselor