簡単に判断しないで。 【2014.05.29 Thursday 16:51】 |
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一瞬の場面を見て分析したりするのは、 やめようって思う。 (心配になってしまうのは、仕方ないけど、 だからって、いろいろ決めつけるのは やめようってこと) 新聞の読者からの投書欄をみていると、 たとえば、 「ファミレスで隣に座った 小さな子どもを連れているママ2人が、 自分たちがランチをし、おしゃべりする間、 子どもにスマホを持たせていた。 この子たちの今後は一体どうなるのか」 的なものなど、結構ある。 気持ちは分かる。 子どもの心を育てるには、 子どもとも、 「おいしいね」 なんておしゃべりしながら 楽しくランチしたらいいのに!という その方の善意だと思う。 その子たちが、大きくなってから スマホに依存するようになるかもとか、 目の前にいる人と 顔を見合わせたコミュニケーションの大切さを 感じられなくなるかもとか、 多分、いろいろ考えて投書されると思う。 私もちょっと前までは、 よくやっていたと思う。 大学生の男女のグループが 焼き肉屋さんで 男子と女子に別れてご飯を食べていた時には、 めちゃくちゃやきもきして、 その時心配になったことを、 ここにも書いた。 だけど、最近、思うんだ。 たとえば、前述のママ友。 それが毎日、何時間も・・・ だとしたら、それはとっても気になることだけど、 もしかすると、 久しぶりにゆっくりランチができる時に、 ちょっとだけスマホに子どものお守りを してもらってるって場面だったかもしれない。 それって、 そこまでいけないことじゃないんじゃないか。 たまりにたまった子育ての悩みや、 うまくいくことばかりではない 親戚や家族など人間関係の愚痴や、 自分のことだけに時間を使うことができた 昔を懐かしく思う気持ちや、 そういうこと、 もうそれこそ怒濤のおしゃべりをしたい時だって、 人間だから、ある。 あるし、していいと思う。 そこですっきり吐き出して、 さ、夕食の準備!と自分にカツ入れて、 気持ちよくおしゃべりした分、 ちょっとだけ子どもにも優しくなれたりしたら、 すごくいいと思う。 少し前、仕事のことである方に電話をした。 携帯電話に出てくださったその方に、 「今、お話できますか?」と伺うと、 「はい。電車の中ですが、 さきほどから何回もすれ違っているので、 私は、はいかいいえしか言えませんが、 どうぞ用件をおしゃってください」 と言ってくださる。 その時点でお話できないと、 私はまた2時間は電話ができなくなると思い、 「それでは申し訳ないですが・・・」 と用件を伝えた。 電話をきった後、 その車両に乗り合わせた方はその方のことを 「非常識な人」 のように思ったかもしれないな・・・と思った。 実は私の事情を考慮してくれた優しい方なのに。 私たち人間は、 不完全な存在だと思う。 弱さも、ずるさも、 いろいろもっているのが人間ではないか。 でも、弱さ、ずるさだけでは、 こうして生きてはいられない。 不完全ではあるけど、 100%ダメってこともないのが 人間だと思う。 私も、 その時、その場のことを見て 私の全体を分析されるのはきついし、 私も、誰かのその時、その場を見て、 その人のことを 全て分かったようなことを言うのは 控えたいな。 そういう時もあるのが人間だよね くらいに受け止められるといいな。 とは言っても、 言いたくなってしまうこともあるかもな。 つまり、自分が、 そういうこと 言いたくなってしまう時もある 人間なんだってこと、 せめて分かっていたいよなあ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 「勇気」という絵本の中には、 「すごいのから まいにち であう ゆうき まで」 いろいろな「勇気」が出ている。 「チョコレートバーの ひとつは あしたに とっておくのも ゆうき」 「わかれなければならないときに さよならいえるのも ゆうき」 いろいろな「勇気」がある。 私が持ちたい「今日の勇気」は、 つまり、 「知ったかぶって、一面だけをみて 判断しない 勇気。 たとえそれが善意からでも」 なんだと思う。 |
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author : tanizawa-k
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