2014年02月の記事 | 今のところではありますが…
その人間関係にこれが効く!

【2014.02.23 Sunday 21:26
職場でも、プライベートでも、
ストレスの大きな原因の一つとなるのが、
人間関係。
その人間関係に大きな影響を与えるのが
コミュニケーションの力。

ただ、
「自分なりにがんばろう!」と思うと、
自分を押さえるという方向にいく場合が
多いのではないでしょうか。

「ここは、私が大人になって、
 自分の意見をひっこめよう」
とか
「周りのことを考えて、
 今は、とにかく自分さえがんばって仕事すれば、
 なんとかなる」
とか、
「明日からもいい関係でいないとならないから、
 無理な注文だけど、明るく引受けちゃおう」
とか。

その時々は、
「自分の意見を言わない」と自分で選択して
がんばっているつもりでも、
それを続けていくうちに、
いつも自然にそのスイッチが入ってしまい、
口癖は、
「大丈夫です」
「ごめんね」
「すみません」
になっていた・・・
なんてことも。

あるいは、我慢に我慢を重ねた結果、
限界がきて爆発してしまって、
取り返しのつかないことに
なってしまったり。

ずっと気を使ってきたから、
今回くらいはいいだろうと、
たとえば休みをとったり、
何かを断ったりしたことで、
周りからは、
「急に勝手なことをする」
と思われていて、
報われなかったり。



私は以前、
管理職の方から
「書類の締め切り守ってくださいね」
と言われ、
心の中では、
「担当の方から書類をもらったのが、
 締め切り後だったのに!!!
なぜ私が注意されないとならないんだろう」
と悔しい思いをしながらも、
顔は笑顔で、
「ですよねえ。
 ほんとに、まったく、
 だらしなくって、すみません(笑)」
なんて言ったりしたものです。

レストランで注文したものと違うものがきても、
「変えてもらって、
 みんなを待たせたら申し訳ない」
とか、
「私が注文する時滑舌が悪かったかも・・・」
とか考えて、
まるでそれを注文したかのように、
何にもなかったかのように装って食べたり。

そんな日々の不満をぶつける相手は家族。
特に夫にぶつけていたようで、
ちょっとしたことで
すごく不機嫌な態度をしたり、
だんまり作戦でとまどわせたり、
そんなことをしてました。

下の階に住む義母にも、
義母には分からないように
当たってました。
たとえば
「くみちゃん、ちょっといい」
なんて声がかかって、その時思い切り暇でも、
忙しそうにぱたぱた歩く足音で
階段のところまでいき、
「ちょっとしたら行きま〜す」
なんてイヤラシい意地悪。

そんなことでうさを晴らしても、
せいせいしないことは十分承知。
でも、社会での不満を、
家族に、ひねくれたカタチで
ぶつけるしか、
方法を知らなかったのです。



私は、アサーティブを知って
ほんとに
よかったなあと思うんです。

知ったからと言って
もちろん、
すぐにはできるようにはならなかったけど、
どうすればいいかがわかった事は、
知った瞬間から大きな希望となりました。

人間関係における努力って
どういうことを基本におけばいいのか?

それが言葉としてわからないと、
感覚や経験や他者からのアドバイスに頼ります。
それはそれでok。
でも感覚や経験に頼っていても、
それは自分で考えられる範囲内のこと、
他者からのアドバイスは、その方の範囲内のこと。
あくまでも主観的なものだから、
いつまでたっても自信にはならなかったと思います。

コミュニケーションを体系的に学んでおくことの利点は、
努力の方向性が明確になるってことだと、
つくづく考える訳なのです。

客観的なフィードバックが
自分でできるようになるんです。

何をどうがんばればいいのか分かる。

うまくいった時は、何かどう良かったか、
うまくいかなかった時は、何がどう違っていたか、
自分で自分にフィードバックすることができるんです。



相手のことを攻撃しないで、
自分の意見や感情を伝える。
自分の意見や感情を飲みこまないし、
相手の意見や感情も受け取る。

そういうコミュニケーションは可能です。

誰が間違っていて誰が正しいか?
誰が被害者で誰が加害者か?
誰が善で、誰が悪か?
そういう論争ではなくて、
お互いの意見や感情を大切に扱いながら、
話し合うことは可能です。



静岡は木蓮のつぼみがはっきりしてきました。
さ、そこまで春が来ています。
春から初夏にかけての、
静岡でのアサーティブの情報をお確かめください。


アサーティブを初めて学ぶという方は
 基礎編へ 


◆基礎編を終了した方は
アサーティブカフェIN静岡 

「練習したい」
「忘れてることがあって、思い出したい」
「失敗したことを、どうすればよかったか知りたい」
「もうすっかり離れてしまったけど、
 久々、浸ってみたい」
なんて方、大歓迎!

基礎編を修了し、さらに学びを深めたい方は
 応用編 
 
批判への対処法、
 怒りという感情の取り扱い、
 難しい問題を対話で解決する方法などを
 体験的に学びます。
 基礎編まで学んだら、ぜひ応用編まで学んでいただくと、
 アサーティブは一層使い勝手のいい道具になります。



*このウェブサイトは、
NPO法人アサーティブジャ パン認定講師である谷澤久美子が個人で開いているホームページです。このウェブサイトに関する全ての責任は谷澤久美子にあります。NPO法人アサーティブジャパンが運営・管理しているウェブサイトではありませんので 予めご了承ください





















 




 
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先のばしと行動のバランス。

【2014.02.18 Tuesday 08:51
よしもと ばなな
世界文化社
¥ 1,365
(2012-04-18)

よしもとばななさんの「ゆめみるハワイ」は、
ばななさんの文章と
本の中にも度々登場するカメラマン「ちほちゃん」の
写真がすばらしいのとで、
すごくすごくリラックスできる。

2月に入って、
日常的な仕事ではないことも加わって、
非常にタフな毎日が続き、
そんな時だからこそ一層、
こういう
もうおもいっきりゆるむような本に助けられた。

最初は寝る前に一話ずつ読んでいただが、
それでは足りなくて
お風呂に持ち込んで楽しんだ。

ばななさんは
ハワイとの出会いや、
フラを習うきっかけや、
フラを続けることの意味なんかを、
文章にしている。
ハワイのことを書きながら
北海道や下北沢や土肥や沖縄のことを思ったり、
親のことや子どものことを考えたりしてる。
それで、すごく面白いんだけど、
なんだか、すべての文章を
ハワイで書いたんじゃないかって思わされてしまう。
とてものんびりしていて、
「ここ」って言葉は「ハワイ」って読めるような、
そんな空気が流れてるんだ。

その空気は、
私に「先のばししていいよ」って言ってくれてるみたいだった。

目の前にはやる必要があることがいっぱいあって、
それは結構切羽詰まったもので、
結局はやるんだけど、
だってそれは
私の志につながっているものなんだし、
だからやるんだけど、

「ま、いいんじゃない」

って言ってくれてるような本で、
だからってやらないことはしないんだけど、
それでも、
「なんとなかるよ」
って言われると安心して、
「やらなくてはいけない!」という
差し迫ったような思考とけんかしなくてもよくって、
つまりはその思考と戦うムダなエネルギーがない分、
結局はやれる感じなんだよなあ。



本の中に、
好きなエピソードもいくつもあった。

ばななさんは、
電車の中で風邪をひいた人が隣で咳をして、
つい「いやだな」って思ってしまう時、
フラの大切な先生のひとりアヘアラ二さんの
ことを思うそうだ。
彼女は生徒さんの一人が咳き込んで「ごめんなさい」って
言った時、ふわ〜っと微笑んで
「うつしてうつして、風邪って大好き。
 あの熱が出てぼ〜っとなる感じが
 たまらないの」
と言ったそうなんだ。

ものすごくあいまいな記憶だけど、
ずっと昔、
多分、森瑤子さんの小説かエッセイか何かで、
食事の席で誰かがワインをこぼした時に、
そのこぼれたワインを小指につけ、こぼした人の鼻に
ちょこっとつけて「あなたに幸せを!」と言った女性が
でてきて、その時にその女性ステキだなあと感じた以上に、
このエピソードはたまらない。

ばななさんは
「人生を楽しもうと本気で思ってないと
 そんなことは言えない」
「私の心と体のために、せまくなる方向へは
 いくまい、あの人みたいに生きよう」
と書いている。

そこまで大きくなれたら、どんなにいいだろうか。


ばななさんはフラをやっているけど、
どうやらなかなか上手には踊れないらしい。
上手には踊れないけれど、
それでいいやと思ってるわけではないことが、
私はすごく共感する。

私は本当に不器用で、
いろいろなものを手にいれるまで、めちゃくちゃ
努力と時間を要していると思う。
コミュニケーションの講師という仕事も、
そうなるまでに、いくつもの課題のクリアと
眠れない夜と、自分のくせとの戦いと、
ここで失敗したらダメってとこでの失敗を
乗りこえる・・・みたいものがあった。

ばななさんは書いている。
「私は、フラの世界で自分だけの道を歩んでいる。
 きれいごとではなく、ほんとうに自分だけの道。
 そこには私だけに見えるなにかがあり、私だけの
 小さな上達があり、挫折がある」
あ〜、ばななさん。
私もそう。私もそっくりそのままそうなんだ・・・。

ばななさんは、フラの世界での自分の役割を自分でみつけて、
それをやっていこうと思っていて、
「自分が自分にとってぴったりくる役割の中に
 すんなりいること。その中でたったひとり、
 遅い歩みでも進んでいること。自分が自分でいるだけ
 それ以上の幸せがあるだろうか」
と書いている。
私はまだそこまでには到達していなくて、
まだまだ時々廻りからの評価を気にしたり
するんだけど、
それでも、ちょっとだけ、
この考えもわかる。

「自分を全うするするしかできることはない」
本当にそうで、
やれることをやるしかないんだけど、
そうすることで

「だれかを自分と比べてうらやましいと思ったり、
 だれかがちゃんとわかってくれさえすれば、
 自分はこんな状況にはいないのに、と思うことの
 何倍も、そこには小さなあたたかさがある。
 つきない動力がある。しゃかりきになってねたんだり、
 怒りをバネにしてがんばる人たちの肩に力の入って
 いる様子を見ると、私はいつでも『こっちに来なよ、
 楽な上にちゃんと力が入るから、効率いいよ〜』と
 思うのだ」
と言う。

そうかあ、そうだよなあ。

今解決できないことや、
自分ではどうにもこうにもならないことを、
どうにかするんじゃなくって、
それらは先のばしして、
ま、いつか、その時がきたら、
きっとなんとかなるんだろ・・・
くらいな考えをしておいて、
でも、目の前のやる必要があることで
することが可能なことは、
たんたんとやっていく。

そういうバランスで
きっといいんだろうなあ。

の〜んびりと、そんなことをゆったりと
確かめられるそんなエッセイ集。

なのに、行動をせかすような文章が
ひとつだけあった。
それは
もし、ハワイに行ってみたいと思ってるなら、
なんだかんだ行かない理由を探したりしないで、
「チケット買って、翌朝にはあの島にいよう。
 やってみたら、案外かんたんなこと。
 それが冴えなくても雨でもついていなくても、
 きっと、その人だけのハワイがそこから始まるのだ」

そうかあ、そうだろうなあ。

私はまだハワイに行ったことがない。
あ〜!

 
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今ひとつ納得しづらい。

【2014.02.14 Friday 10:12
ソチで
スノボ・ハーフパイプの平野選手が
銀メダルをとったことが、
本当に本当に嬉しくて、
何度見ても涙が出てくる。


そのことは、一旦横においといて。


「YOUは何しにニッポンへ」という番組は
成田で降り立った外国人たちに、
先の質問をして、
時には、了解を得て、
その人の日本滞在を
取材してしまったりする番組。

その番組を見ていると、
非常に多くの外国人が、
アニメやマンガやゲームで知って、
日本に興味をもってくれたのがわかる。

所ジョージさんの「笑ってこらえて」
という番組では、
アメリカ、イタリア、スペイン、ブラジルなどに
番組の「支局」を作って、
その町を取材するコーナーがあるが、
現地支局員を募集すると、
日本語を話せる多くの外国人が、
日本のアニメやマンガやゲームで学び始めたことがわかる。

確か、
小泉政権下で経済産業大臣だった小池さんが、
「クールジャパン」とかなんとか名付けて、
バックアップしようとしたんじゃなかったかな?
と記憶してる。(かなりあいまいです)
とはいえ、
具体的な支援があったのかどうかは
よくわからない。

で、そのことは一旦横においといて。



私は中学校で活動していると、
部活動のあり方に
ここ何年か葛藤をかかえているのが
よく分かる。

今は学校の部活動に入部することが
必須という時代ではないようで、
帰宅部も公にOKという学校もある。
また、特にサッカーなどは外部のクラブに
所属していると、部活動は免除のような
仕組みを作っている学校もある。

子どもや親のニーズの問題もあるし、
教員の働き方の問題もあって、
土日もなく部活動をやることの弊害なども
問題となっていると思う。

ま、そういういろいろ問題もありながら、
中学校の部活動は、
やっぱり人としての成長に
大きく関与していることは、
本当によく分かる。

リーダーシップが養われ、
他者を思いやる心は育まれ、
より良い成績を取るために
話し合いをしたり、
お互いの改善点を指摘したり、
コツコツ努力する素晴らしさや、
努力しても報われないこともあることや、
本当にいろいろなことを経験できる
素晴らしい場であり機会が
部活動だと思う。

ただ
あまりにも、
均一的であることは否めないと思う。
(教員の数のこととか、
 いろいろあることは、十分承知)


で、置いといたことを戻すと、

平野選手はスケボで練習を重ねた。
今、世界が憧れてくれるのは
日本のアニメやマンガやゲーム。

なのに、
日本の中学生は、
勉強をがんばれば誉められるし、
野球やサッカーや吹奏楽をがんばれば、
認められるけど、
スケボをがんばっても、
アニメやマンガやゲームを
自分なりにがんばっても、
あまり認めてはもらえない。
(平野選手は認められていたかもしれないが)


特に私の知っている子の中には、
アニメやマンガが好きな子は多いが、
めちゃくちゃがんばって絵を書いても、
「遊んでばっかりいる」
「自分の好きなことしかしない」
と言われてしまうことが多い。
これが野球なら、
帰宅してから素振りすると、
「ま、提出物は今いちだけど、 
 野球への取り組みはすごいな」的な
評価がある。

私は以前から、
どうもそこが納得できなくているんだ。


マンガやアニメが好きな子たちが
集まる月に一度のイベントにいくことがある。
長机一本をいくらかでレンタルしてお店を出し、
自分の作品を紹介している子どもたち。
学校ではコミュニケーション能力に課題があると
言われている子が、
そこでは
「いらっしゃいませ」と笑顔で対応し、
コスプレした人と一緒に写真を撮りたい時に、
順番を守れない人に、
ちゃんと注意したりしている。

もちろん、それもやり、
勉強もやることは大事だ。

でも、野球やサッカーやバレーなど
部活があるスポーツや吹奏楽など、
好きでやっていても「努力」になって、
アニメやマンガなどだと「遊び」になるのは、
なぜなのか?
そこを私はきっちりと子どもに説明できない。


そして、
ソチで、
この日本の最初のメダリストになったのは、
スケボで練習を積んだスノボの平野選手だ。

日本に来る多くの外国人たちを引きつけているのは、
日本のマンガやアニメやゲームなのだ。

なんか、どう説明したらいいのか・・・
説明を求められている訳ではないけど、
誰か助けて〜!!!の気分。



と言いながら時間切れだ。
小学校5年生と6年生への授業にいってきます。








 
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展開。

【2014.02.11 Tuesday 13:56
何かを実現していく時に、

明確に目標を決めて、
それに向かって計画を練り、
行動を積み重ねる達成型もいいけど、
私は展開型も好き。

これやってみようと始めたら、
次にやりたいことがみえて、
それでそれをやっていくうちに、
次にやったほうがいいことが見つかっていく感じ。

今年に入って、
二つの勉強会に参加したが、
二つとも展開型でスタートしている。

先週の土曜日は「ロゴセラピーの勉強会」。

始まりは、
ロゴセラピーを学びたくても
静岡では学べる場がなく、
東京で行われている全部で10回の「ロゴゼミナール」に
参加することを決めたこと。
そして一回目に参加したとき、
そこで静岡に専門家がいることが判明して、
その方に講師をお願いし、講演会を開催。
その受講生の中から、
静岡でもロゴセラピーを学べる機会がほしいという声があり、
ちょうど勉強会を始めたいと思ってらした
専門家草野さんの意向と重なって始まった会だ。

草野さんが指定くださった本を読んで、
それについて疑問を質問しあったり、
感想を話し合ったりする会。
私は座学かワークショプ形式の学び方しかしてこなくって、
読書会ってのは初めてで、とっても新鮮。
(偶数月の第二土曜の午後の会なので、
 興味ある方は、コメントで連絡くださいね)
今回は
「それでも人生にイエスという」
という本の30ページまでを読んできた参加者が、
いろいろな話しをしながら学びを深めた


そして今日は
「チーム静岡・アサーティブ勉強会」の第一回目を開催。
これは、アサーティブ・ジャパンのトレーナー養成講座を
終了したメンバーの勉強会。
今日は東京からも一人参加してくれて、
5人で学んだ。
アサーティブの伝え手として、
どう伝えたら分かりやすいかを学びながら、
同時に、アサーティブの理論自体も深められそうな、
そんな予感の第一回目だった。

これも、静岡で講座を開く時、
スタッフとして活動してくれる仲間で、
「やろう!やろう!」とスタートした、
まさに展開型。



今までのことをあれやこれやと考えてみると、
途中まで展開型でいき、
そのうちに明確な目標ができることって多かった。

学校で相談員として活動し始めて、
子どもたちに新しいコミュニケーションの方法を教えたいって考え、
まず自分から始めたアサーティブ。
それが、いつの間にか、講師になりたいという目標に変わっていった。

講演を聴いてくださった方の中からの要望で、
始めた谷澤相談室。
今は、
90歳になっても相談室を続けるという目標がある。

明確な目標ができると、
それに向かってやった方がよいことの、
行動計画が立てられる。
ロゴセラピーの学びは、そのひとつだ。

そんなふうに、
展開型→達成型で
実現してきたものもあるが、

掲げた目標が
年を重ねるうちに変わってきたものもある。

それは
「ありたい自分の姿」。

20代の終わりに参加した
あるワークショップで、
自分の墓碑銘を考えた。
死んだ後にお墓に書いてほしい言葉。
つまり、かかわった人の中に、
どんな印象を残していたいか?みたいなもの。
私は「ニコニコの人」と書いた。

当時は、いやなことがあってもニコニコしている人で
いたかった。
苦しいこと、辛いことを笑顔で乗りこえる、
そんな人に憧れていたし、
周りからそういう評価がほしいって考えていたと思う。
今は、いつもニコニコの必要はないように思ってる、
苦しい時には苦しいって言えるのも、素敵だと考えているし、
ましてや、周りからの評価にしばられたくないなあ。

最近の講座で、
この課題を、受講生の方に考えていただく機会をもった。
すると、みんな、すっごくすっごく素敵な言葉を
考えてらした。

私も「今の自分」ならどんな言葉になるか?
もう一度考えてみた。
今なら、
というか、
今のところは、
ありたい自分の姿を、
「寛容」
と考えた。

それは墓碑銘というよりは、
私の頭の中においておきたい
「ありたい姿」だなあ。

寛容とは
「心が広くて、よく人の言動を受け入れること。
 他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。
 また、そのさま」
とデジタル辞書には掲載されている。

特に心は広くなくっていいのだが、
それでも
意見や価値観違う他者の言動を受け止められる人
(受け入れることは無理でも)
でありたいって、
すっごくすっごく思う。

展開型でも、
達成型でも、
展開型→達成型でも、
目標変化型でも、
なんとなくぼんやりと、こんな感じがいいなあ型でも、
そういうものがあるって、
幸せなことだなって思う。

みつけた目標みたいなものを、
大切にしていけたらいいよな。









 
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異質な他者。

【2014.02.05 Wednesday 21:07
ここのところ、講演講座が続いている。
土曜には、ストレスフルな環境で
仕事をしてらっしゃる女性のための
「自分を肯定する力を取り戻す」という
3時間の講座。
日曜は、手話通訳者の方々への
アサーティブの講演。
月曜は小学校6年生への授業。
火曜は、日常活動している小学校で
カウンセリング。
今日水曜日は、組織の中で
リーダーとして活動されている女性たちへ、
アサーティブの講座。

私は今の働き方が、
本当に自分によくあっていると思う。
毎日対象が違うことが、
私自身のもっている特性に、
めちゃくちゃあっている。

そうして、
こうして仕事でたくさんの他者に出会えことが、
楽しいし嬉しい。
もちろん、一人の方と、深く知り合うのも、
それも好き。
でもそれだけではなく、
たった2時間だけの出会いであっても、
それはすごく大切なんだよなあ。



2月4日付の毎日新聞の「発信箱」というコラムは、
先日亡くなった詩人吉野弘さんが書かれた
「生命は」という詩を紹介しながら
「異質な他者」との出会いの大切さが書かれていた。
(「生命は」という詩は
著者が中学生の時に恩師から教えてもらった詩)

コラムでは
「『生命は自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい』で始まり、花が受粉し
実を結ぶのに、風や昆虫の助けを借りることを描き、
『私もあるとき誰かのための虻(アブ)だったろう』
『あなたもあるとき私のための風だったかもしれない』
で終わる」
とある。
また
「常に好ましいわけではなく、時にうとましくわずらわしい
他者。しかし『そのような<他者>によって自己の欠如を
埋めてもらうのが人間なのだ』と」

土曜の講座の中で、
「短所」という言葉にオリジナルの語釈をつけよう
というワークをやった。
一般的に「短所」の意味は
「劣っているところ。欠点。
また特に、人の性質などのよくない面」
と辞書には書かれている。
でも、本当にそれだけだろうか?
人間関係の中で「短所」は悪い面ばかりなのだろうか?
そう思って、その問いを投げかけたんだ。
なぜなら、私はめっちゃかたづけ下手(←短所)。
高校生の男子が私の部屋の、
本に本を重ねている様子をみて、
「先生、おれ、本棚作ってあげようか」
と言ってくれたことがあり、
それまで少し元気のなかった彼は、
その時、顔を輝かせていたのだ。
私自身も、誰かの苦手なことを
変わってあげるとき、
「役にたっている喜び」を感じて、
なんだか気持ちが晴れ晴れすることもある。

私たちは講座の中で、
「短所は、他者の長所を引き出すもの」
と確認しあった。
私の苦手は、誰かの活躍の機会を作るのだ。

一人で完結しなくてはならないことの方が、
世の中、少ないのではないか。

今日の講座の中でも、
「頼む」ことは、他者の力をひき出すから、
「頼み上手」のリーダーがいると
部下は育つと確認しあった。

自分ひとりでなんとかしなくてはならない
ということを信じていたら、
そこに自分の思い込みはないか、
疑ってみたほうがいいかもしれない。


今日の講座は、
女性たちが、自分を活かして
いきいきと活動するための
素晴らしい企画を次々と実施している
「るるキャリア」さんが、
静岡県から委託されて実施した事業だった。
県の担当の方が、
お忙しい中見守りに来てくださっていたが、
その方は、場での唯一の男性だった。

柔らかな思考をもったとっても素敵な彼と、
帰り際、立ち話で議論した。

「どうしたら、こういう意義深い研修に
多くの方が参加してくれるか?」

参加された方が、志高い素晴らしい方々だったので、
彼が一人でも多くと期待する気持ちが、
めちゃくちゃわかった。

私たちは、
「参加者に充実、満足してもらい、
その方が、次のお一人を誘ってくださることが、
地道なようで、実は効果的」
と考えた。

それをどうやらシステムにしたい彼。

私は、こういう意見が違った時ほど、
楽しくって仕方なくなる。

違いは単なる違いであって、
間違いじゃない。
異質なもの同士が、お互いを補い、
相乗効果を呼ぶことは、
いろいろなことで経験している。

短い時間でも、そんな対話ができたことが、
嬉しかったなあ。
ただ、たっぷり時間があったなら、
じっくり話しができたのに!!!
ちょっと悔しいぞ。


コラムは以下のように締めくくっていた。
「この詩を選んだ恩師は
中学生の私たちに伝えたかったのだ、きっと。
『他者こそ君たちに必要だ。異質な他者を
遠ざけないで』」

常に好ましい訳ではない他者と、
出会いながら、
かかわりながら生きていく私たち。
異質な他者との関係を大切にした方がいいのは、
中学生だけではなく、私たち大人もだ。

そんな時に、他者と、どうコミュニケーションを
とったらいいかを
体系的に学んでおくといないとでは、
とっても違うよなあ。




今日の講座に、以前、
「働く女性のためのアサーティブの3時間の講座」
に参加してくれた方が2名参加してくれていて、
それも嬉しかった。
その中のお一人は。
前回の講座で学んだアサーティブを、
課題のあった部下との関係の中でトライしたら、
その部下とすごくいい関係になれたと報告してくれた。
それで一層学びたいと参加してくれたのだ。


自分と自分以外の人でできているのが社会。
好むと好まざるとにかかわらず、
そこに他者はいる。
異質な他者もいる。
他者とかかわり、関係を作りながら生きていくのに、
コミュニケーションのスキルという道具は、
まずは持った方が生きやすい。
持って、そして使えば使うほど、
上手に使えるようになっていくことを、
いろいろな方に実感していただきたいものだなあ。


さて、私は今週、あと一コマ、中学生への授業がある。
その学校は、普段活動している学校ではないので、
中学生にとって私は異質な他者だろう。
出会ってこようと思う。

さらに、
今月はいろいろな対象の方への講演講座が続く。
私という他者に出会ってもらい、
私も、新しい出会いをいっぱい味わってくるつもり。

いやあ、ますます楽しみだ。








 
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ちょっと。

【2014.02.03 Monday 12:01
★その1
本日2月3日付け毎日新聞朝刊の「毎日歌壇」、
加藤治郎さんが選んだ
八千代市 才田玄氏の短歌に思い切り共感。

「欲しいのは
 今持ってるのと
 ちょっとだけ
 ちょっとだけしか
 違わないもの」

いやあ、わかる。

確かに黒のタートルのセーターばかり
欲しくなる。
タートルの長さが違ったり、
編み方のその畝の感じが違ったり、
身頃の長さや、からだにフィットする感じ、
違うんだ。


あ〜神は細部に宿ってる。


★その2
録画しておいた「しあわせのパン」を見て、
あがた森魚さんにびっくりする。
なんと素敵な年の重ね方!
「赤色エレジー」はザ・昭和というような曲だった。
なんとなく口づさむと夫も重ねてきて、二人と歌えちゃう。
屈折していて、自分のことにいっぱいいっぱいな人と
いうイメージをもっていた彼が、
肩の力がいい感じにぬけている。

そういえば、少し前に、
タイガースの復活コンサートを見た。
ジュリーが太っていて、
目の下がだぶだぶっとしていて、イタかった。
ここまでになってしまう前に、
気付いてなんとかする方法は
なかったと思いながらも、
そう思いながらも、全部見てしまう。
「僕のマリー」「モナリザの微笑み」
「シーサイドバウンド」「花の首飾り」
あ〜これまた全部歌える。
「銀河のロマンス」♪シルビー マイ ラブ♪
「君だけに愛を」♪君だけに 君だけに♪
当時の我が家のテレビを囲む家族の感じが思い出され、
それから、このコンサートを開くために、
ジュリーがトッポをくどいた居酒屋の話を新聞で
読んだことや、
いろいろなことが頭をめぐり、
動くとハ〜ハ〜する感じも、
いろいろなだぶつきも、
まあいいじゃん。
そういうことがあるからやめるじゃなくて、
そういう感じだけど、やるって
決めたのがすごいじゃん、って思った。
夫は「これはタイガースの遺言だな」と言っていた。
私は、彼らは、競技場に立つ人だなあと思った。
周りでいろいろ言うことはできるけど、
彼らは現場を作って現場に立っている。

そして、あがた森魚さんは、
映画の中でおいしそうにパンをほおばり、
悲しみにくれる親子にアコーディオンを引く役を
やっていて、
それがすごく自然だった。
そこにいるだけで
寛容や優しさがにじみでるような、
そんな過去をちょっとずつ作ってきた人なんだろう。


★その3
「違いがあるから戦うのでなくて、
 違いがあるからこそつながっていけたらいいね」
土曜日に講師をつとめた講座で、
最後に話した。

言ってることがよくわからないって時に、
あるいは、自分の考えとは違うって時に、
「もうちょっとあなたの考えを聞かせてほしい」
ということができる力は、すごく大切な力だと思う。

誰にも自分の過去があり、
誰もが背景を背負って生きている。
誰もが事情を抱えていて、
誰もが自分や自分の大切な人や物を守るために、
必死なんだ。

自分がそうなのと
同じように。

以前、内田樹先生のブログで
「相手に私を説得させるチャンスを与える」
という言葉を読み、
なるほど〜と唸った。

そうすることで、
どこがどう違うか分かるし、
逆に、だからここは共通しているって部分も
わかるように思う。

不毛な自己主張を繰り返すより、
もしかすると
「もうちょっと、あなたの意見を聞かせてほしい」
と、
本当に分かろうと聴くことが、
新しい展開を呼ぶのかもしれないな。

そうやって、
相手の肯定できることをみつけていく力は、
自分を肯定する力とも、関連があるのだ。


★その4
そんな訳で、
明日は立春。

春は、ちょっとずつ近づいてます。
それは間違いない。






 
author : tanizawa-k
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やっぱり、コミュニケーション。

【2014.02.01 Saturday 03:07
1月31日に仕事の関係の会議で
講演を聴く機会をいただいた。
「学校や家庭でできる自殺予防」
というタイトルで、
自死を防ぐためのゲートキーパーの
役割についての話だった。

「ゲートキーパーとは、
 悩んでいる人に気づき、声をかけ、
 話を聴いて(傾聴)、必要な支援に
 つなげ、見守る人のこと」とし、
 特に、子どもを対象として、
 気づき、
 声をかけ聴き、
 つなぎ、
 見守る
 具体的な方法などを説明いただいた。

子どもを見守る方法として、
子どもがSOSを出しやすい環境づくりが必要で、
たとえば、
・学校においては教職員同士が支えあえる雰囲気
・教職員と保護者とが風通しのよいコミュニケーション
とのことだった。

子どもを守るには
「まずは安定した大人の存在」ということを
何度も繰り返されていたが、
本当にそうだと思う。

ちなみに、
私が考える「安定した大人」とは、
自分が不安定な時の、
対処法を分かっていたり、
他者に助けを求めることができる人。

そういう大人たちが、
支え合え、
お互いの意見や感情を互いのことを尊重しながら
話し合える関係・・・
すごく大事だと思う。

コミュニケーションの大切さは、
ますます高まっている。



夫が定期購読している雑誌「COURRIER JAPON」の
3月号の巻頭特集は「言葉の力」、
編集長レターには
「しゃべることが苦手な人が練習したところで、
 テレビキャスターのような当意即妙な話術を
 身につけることはなかなか難しいでしょう。
 しかし、相手に与える効果をしっかりと考えて
 言葉を発することは可能です。そして、
 そんな『重み』のある言葉こそが人を動かし、
 あなたという存在を相手の心に刻み付けるのです」
とある。

流暢にしゃべることでもないし、
話しが上手でなくてもいいし、
誰とでも気軽に話せることを目指さなくてもよくって、
でも、
相手に伝える必要があることや、
相手に伝えたいと思ったことを、
伝わるように伝えることは、
訓練次第で可能なのだから、
いろいろな方にチャレンジの機会が
あるといいと思う。

コミュニケーションの力を付けることの大切さを、
今年もいろいろ考えるんだろうな。



日本では昔「無私の精神」が尊ばれた。
「無」にできたらそれはそれですごいと思うけど、
なんてたって自分は生きているのだから、
自分を無にしきることはできない。
つまり、もともと無謀ともいえる「無私の精神」を
自分に課すと、
なかなか「無」としきれない部分が、
知らず知らすに自分の中にたまって、
発酵して、ふくらんで、
自分自身を痛めてしまうことになるか、
爆発して他者に迷惑をかけるか・・・。

自分を無くすのではなく、
この自分を大切にして、
でもそれだけでは不十分で、
他者のことも大切にする、
それが可能だってことを、
ますます広めていきたいな。

そして大人同志が、
自分も他者も尊重する関わり合いができて、
そういう人々が支え合い、刺激し会える関係を
作っていったら、
それは子どもにとっては何よりの安心材料に
なるのではないか。

世の中捨てたもんじゃないって。
生きてるって、やなこともあるけど、
まあまあな感じじゃんって。
なんとかなるかもって。
一人でなんとかしなくってもよさそうだって。

自分の命を大切にできなくなるほど
追いつめられてしまった時に、
とにかく、もう一日生きてみるかって
それくらいでもいいから
価値を見いだしてもらえる社会を
作っていきたいよなあ。

おっと、社会とかいう、
目にみえないものを対象とすると、
ぼやけてしまう。


まずは自分からだ。
と、
コミュニケーションのもつ力を
何度でも確認して、
2月に突入です。











 
author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor