2014年01月の記事 | 今のところではありますが…
時々、満点が必要。

【2014.01.21 Tuesday 18:31

先週、ある小学校の5年生に「心の健康」についての
授業をした。毎年、依頼してくれる学校で、
昨年もここの子どもたちの表現能力には感心したが、
今年は昨年以上だった。
話し終わったあと、
司会の先生が、
「感想や質問など、自由発言でどうぞ」とおっしゃると、
何人かの子どもがすぐに起立。
一人の子どもが話し始め、
その子が話し終わると、頃あいをみて、
別の子が話す・・・。
気がつくと、すごい人数の子どもが立ち上がり、
次々に感想を話してくれた。
タイミングをみながらなので、
一緒に話し始めたりすると、
「どうぞ!」とか譲ったりする。素敵。
10分くらいは、
そういう時間があったのではないか。
感想のひとつひとつに重みも深みもあって、
たとえば
「私は、5年の最初の頃は、
 友達とあまりうまくいかなくて・・・」
や、
「ぼくは時々いらいらします。それはだめなこと
 だと思ってたけど、いらいらするのも普通の
 ことと知って安心しました」
と、自分のこととして受け取り、
自分を振り返る時間をもってくれたことが
わかった。

その中に一人、
話し始めて言葉につまり、
目をこすり出した子がいた。

涙が出てきてしまったんだな・・・と私は思い、
どうしようか、考えた。

ここで、
「座っていいよ」と言うこともできる。
あるいは質問をして、
発言を助けることもできる。
でも、それでは、彼の力を信じてないみたいだ。
彼が自分で切り抜けたほうが、彼にとっても、
他の子たちにとっても、より良い体験になるの
ではないか。
そう考えながら、少し待った。
しかし、何かを言う気配はない。
そこで司会の先生が
「もう座っていいよ」と言ってくれた。
そしたら彼はほっとしたように座った。

私はこの時、どうしたらより良かったか
その後、ずっと考えていた。
ここは、100点満点の対応が必要な場面だったと思う。
そこでの私のふるまいで、
「心の健康」の授業が、
日常ではどういうふるまいをすることなのか、
体験してもらえた、重要な場面だったと思うんだ。


感想を言おうとして、
勇気を出して立ち上がった。話しているうちに
言葉につまり、涙がでてきた。
その経験を「失敗の経験」にしないで、
「感想を言おうとがんばってよかった」経験に
してもらうには、
そこにいる私としては、どんな方法があったか。
また、それだけではなく
そういう場合の対応として
先生たちに何かヒントになるような対応は
できなかった?

もちろん、「失敗」が悪い訳ではなくて、
「失敗は成功のマザー(by ミスター)」だし、
失敗した時にこそ、学べることもいっぱいある。
だから、この件はこれでも十分によかったと思うし、
その後、担当の先生に彼の様子をきくと、
「感想用紙にめちゃくちゃいっぱい書いていた」
ということだから、
きっと
「なんで、これを発表できなかったんだ!自分」
って悔しさは、彼の成長の糧になるだろう。

でもま、
別の、
何か、
彼も、
彼を見守っていた他の子どもたちも、
また先生方も勇気づける対応はあったはずだ。

そのことを考えながら、
土曜の朝、
東京行きの新幹線の中で
飲むためのコーヒーを買うために
スタバの列に並んでいた。

発車時刻まであと10分。
結構な列。
ちょっとあせる。

私の前は、私と同じくらいの年齢の女性のグループ。
4人組。
そのうちの一人が注文をする。
「スターバックスラテの380円のを
 二つと・・・」
スタッフの方が、
「それですと、このカップの大きさになりますが
 よろしいですが?」
「それは大きすぎるわね、
 どう?あなたは?」
とグループの方に訊く。

正直、私はむっとする。
心の中の声・・・
 今まで並んでいる間、さんざん検討する時間
 あったじゃん。
 その間に、そういうことはやっておいてよ。
 時間を気にしながら並んでいる人が、
 これだけいる時、そういうことする?

で、アサーティブでいえば、
ネッチーな行為、
「はあ〜」と深いためいきをついた。
私のいやみなため息を、
そのグループの一人の女性は見とがめたのが
わかった。

その瞬間、ピンとくるものがあった。

こういう時こそ、レッスンなんだよなあ。
こういう時に、こういう浅い行為というか、
ネッチーな態度を選択することの積み重ねと、
昨日の子どもへの対応は、
そんなに離れていることじゃないかもしれないな。

それでも、
何かいい影響を与えるような行為を
選択する毎日が、
私が、
いろいろな場面で
多様な選択肢、
しかも
勇気づけられる選択肢をもつことに
つながるんだろうな。

なんて、ほんの瞬間考えて、
その時できることをしようと考え、
ランプの下にコーヒーを待つために移動し、
さっき私のためいきを見とがめた方に、
「つい、いそいでいて、いらいらして
 ためいきついてしまって、
 きっと不愉快な思いをされまたね。
 ごめんなさいね」
と言うと、
「私たちこそ」
と言ってくれた。
なんか、私はすっきりした。



土日と東京でロゴセラピーの勉強をした。

人生は私に問いかける。
今、こういう状況の中、あなたは何をする?
今、この瞬間も、すぐに過去になる。
あなたはどういう過去を貯めていく?

いくつかの可能性の中から
自分はこういう未来を叶えたい。
だから、今、この行為をする、
した瞬間に過去になり、
過去は貯まっていく。


私は、関わるいろいろな方が、
「あ〜この自分って、いろいろあるけど、
 なかなかいいよなあ。
 自分は生きてる価値がある人間だ」
って思ってほしいという、
そういう未来がほしい訳だから、
そのために、
あらゆる可能性の中から、
それに向かうふるまいをしていきたいよなあ。

こういうこと書くと、
そんなにいつもいつも、
そのことを突詰めないで、いいんじゃない?
っていうアドバイスをくれる方もいると思う。
(先回りして、お礼を言いたい気持ち。
 「もし、そう考えてくれたら、ありがとうございます」)
ただ、
時々、今だ!って時があって、
その時は「100満点」取りたいんだよな。
そして、
あの涙ぐんだ少年の、
あのシーンはそうだったと思う。

私はあの時、
あの少年を見つめながら、
今、100点満点が必要な時だって
わかった。

最近、そういう自覚はずいぶん持てるように
なっている。

そういう時に、100点満点とるために、
普段、考えておくことが大切なんだなあ。


そして今のところの答えは、
しばらく様子をみた後で、
「感想を言おうとしてくれてありがと。
 もう少し待ったら言えそう?
 それとも座る?」
って質問しようと思う。
首を縦や横にふって教えてくれたら、
「意志を示してくれて、ありがとね」
って言うだろうな。


あ〜もうほんと、
この自分のめんどくささが、
ちょっと好き。

















 
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変わり時を逃さないで!

【2014.01.17 Friday 22:50
アサーティブ(自他尊重の自己表現)を学び始めた時、
自分のそれまでのコミュニケーションを振り返って、
私は自分のことを
「いつもがまんして、自分の言いたいことを
 自分の中に押し込めている」パターン
だと思った。

でも、昔の私を知っている人にそのことを言うと、
首をかしげる人も多かったと思う。

積極的だったと思うよ。

何かを企画して、周りを巻き込んだり
してたじゃん。

「アサーティブを学んでから
 私ってどう変わったと思う?」
という質問に
「キレなくなった」
とは夫の答え。
私はびっくりした。
キレたことなんて、ないと思ってたからだ。
(よく思い出してみたら、あったけど)

私にしてみると、
他者に気に入られるにはどうしたらいいか
ばかり考え、
相手にあわせてふるまったり、
相手に嫌われないように、
何かを言ったりしてきたつもりで、
つまりは我慢したり辛抱したりが
ほとんどな中、
時々たまらなくなっての「キレる」だったと
思う。

だけど、
他者は私のココロの中など
知る由もない。

我慢も辛抱も遠慮も
ココロの中でしている訳で、
それは他者には分からない。

私にしてみたら、
がまん、がまん、がまん、キレる、がまん、キレる
だとしても、
他者からは「がまん」は見えないから
キレる、キレる、
だったのかもしれないな。


何かひとつのことに対して、
言いたいことがあっても、
ココロの中で相当「ひとり会議」をやって、
あ〜でもない、こ〜でもない、
相手が期待していることは〜〜〜なことで、
私の考えは◆◆だけど、そんなこと言ってしまったら
相手はびっくりしてしまうし、
否定したって思われるもの困るしなあ,,,、
などなど、
あまりにいろいろ考えているから、
もう十分に考えたからいいだろう的に、
口から出そうとする時は、
雑な感じになってしまったことも
あったんだなあ。
これほどいろいろ考えて思いやっているんだからと、
「ひとり会議」の時間や内容までそういう背景を含んでの
「発言」だけど、
相手にしてみたら、
「あんまり意見を言わないなあと
思ってたところに口を開いたら、
ズバっと、剥き出しなかんじ!」
と思われたこと、あったんじゃないだろうか。


講座に参加してくださる方の中で、

いつも自分の意見は押し込めてる、
周りの人に嫌われるのが怖くて何も言えない、
これほど、自分を押さえているのに、
なぜか人間関係がうまくいかないし、
周りの人から好かれていると思えない、
どうしていいかわからない・・・
というようなことを言ってくださる人があるが、
もしかしたら、
上記のようなことなのかもしれないな。



コミュニケーションが苦手な方に、
おすすめしたいアサーティブトレーニング。
実は得意だと思ってらっしゃる方にも評判いい。
それは、
うまくいっていた訳が言語化でき、
つまり理論の背景がついて、
一層自信をもてるようになるようだ。



この春、
3月4月5月と
アサーティブの講座を、
開催します。

3月は、基礎編を終了した方なら
どなたでも参加していただける、
アサーティブの考え方を深めたり、
日常のコミュニケーションに関することを
相談しあえたり、
ロールプレイで練習したりできる、
アサーティブカフェ。

4月は応用編。
基礎編を終了した方が参加いただける、
より広く深くアサーティブを知っていただく講座。

そして5月は基礎編。
コミュニケーションの改善のきっかけを
つかんでいただける講座。

詳しくは谷澤相談室まで


この春を、
コミュニケーション改善のスタートにしましょう。
変わり時を逃さずに!!!



 
author : tanizawa-k
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関(かん)

【2014.01.16 Thursday 00:49
12日13日と京都に行ってきた。
久しぶりに訪れた「高桐院」。
「高桐院」の中にある
書院「意北軒」の掛け軸は「関(かん)」。
ぱっと見た瞬間、
「関係」「関与」「関心」「関連」の「関」だから、
「つながり」を感じさせるような
そんな意味かな?と考え、
同時にびっくり。

なぜなら、私はまだ11日に行った
谷澤相談室の「自分の価値を確かめる」という勉強会の
余韻みたいなものがからだの中にあり、
その勉強会のテーマのひとつは
「つながり」ってことだったからだ。

過去と今と未来をつなげて考えること、
自分と他者をつなげて考えること、
ネガティブとポジティブをつなげて考えること、
イメージと実際をつなげて考えること、

視界を広げ、
その中でいろいろなことをつなげて考えることを、
いくつかのワークでやってもらった。

そんな一日を経て、
京都の大好きな場所で、
「関」かあ、
朝の連ドラのテーマ曲の最初んとこ、
♪突然、偶然、それとも必然?♪が頭の中で
ぐるぐるし出す。

ところがちゃんと説明を読むと、
「関」の意味は「生と死のくぎり」と書かれている。

「つながり」ではなく「くぎり」かあ。
「関所」の方の意味だったかあ・・・
と思いながら、
きれいに苔むした庭を眺めていると、
「昨日と今日のくぎり」って言葉が浮かんできて、
その次に、
「今日の自分は昨日の自分ではないけど、
 昨日の自分と繋がってはいる」
とぽっと浮かぶ。

そこまで考えて、やっぱり、
必然のように思えてきた。


勉強会でやったことは、
昨日までの自分を否定して、
新しい今日の自分に、自分を変えよう!
ってことではなく、

昨日までの自分があって、
それがたとえ嫌な部分をもった自分でも、
失敗をたくさんした自分でも、
それを180度変えるというより、
その自分も受け止めつつ、
今できることをしていこう。
そういう点をつなげていこう!
ってことをやった訳なのだから。

これまでどんなことがあったとしても、
どんなに凹んで
くじけて
しぼんでいたとしても、
それも自分で、
そのこれまでの自分も大切にしながら、
今できることをしていこう!!!

くぎりの「関」だし、
つながりの「関」。


そんなことを、
その後の観光や食事や買物の最中にも、
時々考えながらの京都で、
京都から帰ると、
勉強会の感想が、FAXとメールで
たくさん届いていた。

以下はオープンにしていいと
許可くださった方の感想。

★ 生まれてから今日までを振り返って、
 10歳までに成し遂げたり培ったものは
 今の私のル−ツになっているなと
 改めて気がつきました。
  (参加者の中で、何回か一緒に勉強を
 している方々が)今すごく表情や言葉が
 しっかりしていて、意識していると
 より良くなっていくんだと思いました。
 みなさん本当に真摯にご自身を見つめ、
 自分の気持ちを尊重し、不器用でも
 日々がんばってらして、その中に
 自分も含まれているのが
 とても嬉しいです。(ゆみー)

★ 前に気持ちと体はつながっている・・・
 ときいてましたが、子ども時代を振り返る
 ワークで、いいことを思い出す・・・という
 ことをやったあたりから、ずっと締め付けら
 れていたような感覚だった頭と肩のあたりが
 ほどけていくのがわかりました。いい思い出を
 掘り起こしていくことに、こんな力があるとは!!
 それが知性の仕事とは!!
  改めて忘れないでおきたいと思ったのは、
 どんな人にも背景があることと、
 「〜と感じた私。」であることです。
 せっかく見つけた職場で、「若くない自分」という
 苦しみの種をわざわざ育てていたみたいです。
 私が職場のみんなの背景を知らないのと同じように、
 みんなも私の背景を知らない。みんなが私をへこませ
 ようとしているのではなく、傷ついたり、ひがんだり 
 している私なんだなあ・・・と。
 もう少しフラットな気持ちで、(職場の)あの席に
 いようと思うことができました。 (S)

★ 私が(アサーティブカフェで)ロールプレイの課題に
 取り上げるのは、いつも家族のことだけど、何が幸せか
 を話す(ワークの)時、やっぱり登場するのは家族だと
 いうことに気付いたり・・・。ロールプレイの題材に
 取り上げるのは、問題があって改善したいからで、
 改善したいのは、それが苦しいからというのもあるけど、
 やっぱりその関係が大切なのだろうと思ったのです。
 なので撃沈し続けると相当へこむし、傷つきます。
 再チャレンジの意欲など、どこかへふっとびます。
 それでも完全にあきらめていないのも私です。
 そのサイクルをゆっくりとだけと認められるように
 なりつつあると思います。(C)

★ 自分に対する他者からのイメージ、
 逆に私自身が相手を勝手に(ほぼ初対面の方に対して)
 イメージして当たらないの繰り返し。(それが)何か
 とても面白いと思いました。イメージじゃ、その人(の
 本当)はもちろん、この私の(本当の)ことはわからない
 でしょー。仲良くしていると思ってた人のも当たらず、
 かなり悔しかったです。当てたかった〜です。(P)

★ 少し前にテレビ番組でお笑い芸人さんが、
 自分の過去を振り返り、母親と対談していました。
 「お母さん、幸せだった?」ときくと、母親が
 「苦労イコール不幸せとは限らない」と語って
 いました。すると息子(のお笑い芸人さん)が
 『へえ〜」と驚き、「あれでもお母さん、幸せ
 だったんだ」と涙する姿に,私も泣けました。
 なぜかそのシーンを何度も思い出した一日でした。
 私はこれからは、自分に足りない部分を探すより、
 小さな幸せを日々みつけて、年を重ねていきたい
 と思います。(M)

★ 自分の感情が何かのサインであること。それを
 流さないで、その思いを理解した上で対応して
 いけたら、もう少し納得しながら、人と
 コミュニケーションがとれる気がしました。(T)

★「がんばってきた主人公への手紙」
 一番心に響きました。
 私は、家族の問題・仕事での問題が重なった時期を
 振り返り、手紙を書きました。この手紙を書き、
 グループのみなさんに聴いていただいたとき、
 思わず涙がこぼれました。
 自分のことを話して泣くなんて、自分でも驚きました。
 今まで生きていた中で、一番大変な時期でしたが、
 なんとか私なりに解決してきたつもりです。
 私の中では終わったことと受け取っていましたが、
 私の中でなにかまだ納得していないことが
 あったからだと思っています。
 つらく悲しいとき、それでもやらなければいけない
 ことがありますが、そんなときに感情を閉ざす
 というか、凍らせていたように思います。
 ネガティブな感情・思いはなるべく振り返り
 たくないですが、そんな感情を含めて私なので、
 自分の素の気持ちに寄り添ってみたいと思います。
 受講して、たくさんの気づきをいただきました。
               (ぽこすけ)


今回の感想は、
シートにおさまらない程書いてくださった方が多く、
それほど、いろいろな感想をもってくださったことが
心底嬉しい。


もうお一人、感想にタイトルをつけてくださった方があり、
そのタイトルが、まさしく「つながる」。
彼女は、お寺のご住職の妻で、お寺の仕事をしていると、
様々な方からかけられる「あまり気を使わないでください」
という言葉に悩んでらした。このお寺での生活を始めて
15年になる彼女。その彼女が、勉強会を終えた翌日、
お寺の、月に一度の行事の中で、今はもう年老いて
しまったけれど、お若い頃には厳しく指導してくれた
女性から、やっぱり「あまり気を使わないでください」
と声をかけられ、その時は、その言葉を負担に感じる
というよりは、「15年間のお寺の様々な中で、
私たちが共有した、そして良いも悪いもその方が
私にかけてくれた言葉だったのです」と気づく。
「ようやくその言葉が私にすとんと落ちたのです」。



くぎりの「関」。
つながりの「関」。

それはきっと
自分を責めたり、
他者を責めたりするための力を、
すっと解放してくれるものじゃないだろうか。

過去を憎んだり、
未来を憂う余分な力も、
ほどいてくれるようなものかも。


なんだか、めちゃ勝手にだけど、
勉強会の参加者20名の方と、
一緒に行ったような
今となってはそんな感じの
京都だったんです。



///////////

上記の講座は1日でしたが、
これを3時間にしたものを、
2月1日に行います。

ストレス・マネージメント講座
「自分を肯定する力を取り戻す」

お問い合わせやお申し込みは





 



 
author : tanizawa-k
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本能と知性。

【2014.01.12 Sunday 00:55
今日は谷澤相談室2013年度勉強会の第四回
「自分の価値を確かめる」を行った。

私たちは、どうしても、
自分の欠点、短所に目がいく。

今ちょうど、中学校では
高校受験のための
面接の指導を行っている学校が多いと思うが、
想定される質問の中の一つに、
「あなたの長所と短所は?」がある。
子どもたちがそれを言葉にする過程を見ていると、
長所をあげるより、短所をあげる方が
ずっと楽そうだ。

そして、大人もそう。
ネガティブなことは、
いっぱいあげられるって人、
多いのではないだろうか?

それは考えてもれば当たり前で、
本能の中に組み込まれた、
命を守りたいという欲求、
より良く生きたいという想いが、
欠点や短所を意識づけるんだと思う。

今日の講座は、
本能がそういう働きをしてくるなら、
それはそれで受け止めて、
知性を使おう!ってことをやった。
本能が欠点や短所を意識づけるなら、
自分の長所や今までよくやってきたことを、
自分自身で確認することは知性だ。

9時半から16時半までの長丁場の勉強会で、
受講してくれた方々は疲れたかと思うが、
それでも、本当に、心から、
このテーマで
この新しいプログロムをやってよかったと思った。


過去を振り返った。
過去は記憶でできている。
振り返る視点をちょっと工夫すると、
過去に起こった事実は変えられないけれど、
捉え方は変えられる。
そのことに気付いた方は、
たくさんいたと思う。

今現在の自分の幸せを、
見つけようと考えて探すと
見つかる!って発見もあったと思う。

これから、どんな人生を生きていきたいのか
目標を掲げると、
すっきりする感覚も味わっていただけたのではないだろうか。

私は、今日ほど、
受講生になってこの講座を受けたい!
って思ったことはなかった。
講師と受講生という距離ではなく、
受講生の中の一人としてワークをし、
他の方の話をじっくり聞きたかった。
それほど、体験からこそのいろいろなものを
得ている感じを受けたんだ。

防衛本能で短所や欠点や失敗を、
常に意識づけている本能と、
それを補う知性。
その知性は,使っていくほどに
磨かれていく。




この勉強会は、
静岡市の東部生涯学習センター主催の
「思春期の子どもをもつ親のための講座」の
参加者の方々の、
フォローアップ講座の時に行ったワークの反響が
大きかったことからスタートしたものだ。

「感情にふりまわされない選択」
「聴く力を磨こう」
「ストレスとの上手なつきあい方」
と3ヶ月に一度のペースで続けてきて、
今回が今年度の最終回だった。


毎回、すぐに定員に達したのは、
私のことを信じていただいたからだと思う。
感謝しかない。
参加してくださった方、
興味をもって見守ってくださった方、
参加を検討してくださった方、ありがとうございました。


言いたいことは、
4回を通して、
いつも同じだった。

カンペキでなくていい。
失敗も短所もok。
凹んでいい。泣いていい。
あなたの中にどんなきたない心があっても、
それはそれでいい。
ただ、目の前のやる必要があることは、
やろう!
でも、
やろうって思っても
なかなか行動がおいつかないとき、
あなたの中に力があることを意識してほしい
って思う。

あなたの中にある力を
ちゃんと認めること、
それをいろいろな視点でみられるようになること。
すっごく大切なことだと思うので、
来年も同じようなテーマでやっていこう。

2014年度も勉強会は続けていきたい。
企画が固まったら、すぐにお知らせしますね。




 
author : tanizawa-k
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物語の力。

【2014.01.08 Wednesday 18:22
昨日のクローズアップ現代は、
「物語の力が社会を変える」というタイトル


内容は以下。(NHKのホームページから)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“つながり力”から、日本に新たな活路を切り開くヒントを探るシリーズ2夜目。私たちの暮らし、地域社会が抱える様々な課題を、人と人との「つながり」を広げることで克服しようという試みが始まろうとしている。これまでも市民運動やNPOなどが活動を続けてきたが、より広範で推進力を持つ動きに中々つながらないのが現状だ。こうした中、多様な人々を結びつける市民運動を理論化し「分断されたアメリカを一つにした男」として世界的に知られるマーシャル・ガンツ博士(ハーバード大)が来日。日本各地で活動するNPOの代表ら47名を集めてワークショップが開催された。ガンツ博士が訴えるのは、人々をつなぎ、動かすことのできる「物語」を共有することの重要性だ。カリスマ・リーダーに頼らず、一人一人の当事者意識を高めて社会を変革する可能性を探る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということで、
ガンツ博士が講師を務めたワークショップの様子が
放送された。

ワークショップには多くの社会起業家やNPOの代表者が参加していて、
その共通の課題は、
「何をどう訴えていけば
 人々は自発的に行動を起こしてくれるのか」
ということ。

ガンツ博士は、
「相手に行動するきっかけや勇気を与えるのが『物語』。
 いくら立派な活動でもそれがなければ、
 誰もついてきてくれません」と言い、
「物語」の3つの要素について紹介しました。

①「セルフ/私の物語」なぜその活動をしているのか背景を語る
②「アス/私たちの物語」価値観を相手と共有する
③「ナウ/今の物語」なぜ今行動に写さなければならないのか

そして、私はガンツ博士の次の言葉に
テレビに釘付けになってしまった。
「人が行動を起こしたくなるのは、
 理念ではなく感情に響いた時です。
 大事なのは自分を突き動かす動機。
 その根底にある価値観を言葉で表し、
 相手を共有することなのです」

そうかあ、まずは、
自分を突き動かしている
動機を語ることなんだ!!!

語っていいんだ。自分のことを!!!

自分にはこういうことが起こり、
その時にこんなことを感じ、
そして、そのことが根底にあって、
今この活動しているんです。
と語り、
「ああ、そうなんだ」と他者が感じてくれ、
そういうことは自分にもあるなと考えてもらった時に、
それは「私たちの物語」になるってこと。

6日(月)「スマップスマップ」にレディ・ガガが出ていた。
『Born this way」のテーマ、歌詞を知ってから、
私は彼女のファン。
「人はみんな自分自身でいていい」という内容の曲。
あんなすごい曲を作った彼女が、
スマップとの話の中で、
自分の葛藤、
「私はポップスの歌手だと思われていて、
 作詞や作曲をしているように思われていない
 ことに葛藤があった」
と語った。
その途端に、彼女が、
あのすごいスーパースターが
ぐっと身近に感じられた。
仕事に悩む一人の女性が、
その仕事で、
人々を明るくしたいって
がんばっているんだ!
私も私の仕事をがんばろ!
なんて、
ま、私が単純なんだけど、思えた。

このセルフ→アス→ナウは、
そういうことなんだと思う。


クローズアップ現代にゲストとして出演していた
糸井重里さんは、
ストーリー オブ セルフ は、
まず自分が裸になること
ストーリー オブ アス は、
手を伸ばすってこと(あなたと私の利害は一致しますよ)、
ストーリー オブ ナウ は、
何しましょうか?
と解説していた。

信じてもらうために、
まずは自分が裸になること。
そこ抜きに、
いくら
正しい見解や、
立派な理念や、
理解できる目標を語っても、
「なるほどね」まではいっても、
「よし、やろう」ってところまでは
いかないんだなあ。

これは、知らず知らずに、
「今日は伝わったなあ」
と思う講演講座で、
私も、
やってきたことのように思う。

なんとなくやってきたことに、
説明をつけてもらった感じで、
そうなると、
これは道具になる。

道具を手にしたら、
なるべく使ってみて、
使い方を上手にしていきたいな。

セルフ→アス→ナウ
のステップは、
これからの私の活動を助けてくれるんじゃないかと
思う。


そして、この番組自体が、
私にとっては「物語の力」をもっていた。

この番組を見る前、
まだしたことのない仕事の依頼をいただいていた。
それができるかどうか、なんとなく不安で、
返事を保留していたが、
この番組をみた直後、
「やらせてください」と返事したんだ。

ワークショップに参加していた
あの湯浅さん(年越し派遣村)や
大西さん(難民支援のNGO代表)や、
駒崎さん(病児保育のNPO代表)など、
めちゃめちゃ有名な社会活動家達も
活動を広げるためにどうしたらいいか困っていて、
その困っていることをテレビで話してくれていた。
(この番組でその様子を見せてくれていることが
 ストーリー オブ セルフだと思った)
私は
彼らも困ってるんだ、
あんなに活躍している彼らでもまだまだ学んでいるんだ!
深く共感した。(ストーリー オブ アス) 
そしたら、
私もまだまだ学びながら、やるぞ!
とやる気いっぱいになり、
「よしできる、引受ける」(ストーリー オブ ナウ)
というプロセスだったんだと思う。



1960年代から人種差別撤廃運動や
移民の労働条件の改善に取り組んできた
ガンツ博士。
長い現場での活動をベースに、
構築したこの理論。

私も、
もっと堂々と、
ささやかであっても、
誰のものでもない自分の物語を
まずは、
自分から語っていこうと思う。


*ガンツ氏を招聘したのは
Community Organizing in JAPAN
というグループです。
 
author : tanizawa-k
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a new day

【2014.01.06 Monday 13:39
田口壮さんが上原浩治さんに
インタビューする番組を見た。

大リーグワールドシリーズで
レッドソックスを優勝させた立役者、
上原さんは、その重圧、体力的なしんどさなど、
赤裸々に語っていた。
胃薬、痛み止め、睡眠薬、
いろいろな薬を飲みながら
投げ続けたとのことだった。

その中で、チームメイトに助けられた話を
していた。
打たれてしまった翌日、
なんとなく前の日の失敗を引きずってると、
いろいろな選手が
「new day!」と声をかけてくれたとのことだ。

あ〜なんて素敵な言葉なんだろう。
new day!


前の日に、
どんな失敗をしても、
どんな不運な出来事があっても、
すごく悲しいことや、
めちゃ腹がたつことがあったとしても、
今日は、
誰にとっても、
新しい一日なんだなあ。



昨年の12月28日
伯父(母の兄)が亡くなった。
映画が好きで、若い頃は
映画ノートを書いていた伯父。
母は、私にその話をよくしてくれていた。
私が今、映画を見ただけでは
なんか完結しなくて、
このブログにあらすじや、感想や、
気になったシーンや言葉を書き留めたりするのは、
小さい頃に母に刷り込まれた、そのことが
あるんじゃないかと思う。
母が亡くなり、
母方の祖母が亡くなり、
父方の祖父が亡くなり、
父が亡くなり・・・と
私の26歳から35歳までは、
大切な人を次々に亡くした10年だったが、
その時々に、伯父はいつも力になってくれた。
父が亡くなった後などは、
伯父さんのところに寄ると、
お小遣いをくれた。そんなことをしてくれる人は、
もう伯父さんしかいなくって、
お小遣いももちろん嬉しかったけど、
伯父さんの前にいくと、
めちゃめちゃ頼りない一人の
小さな子どもみたいになれるのが、
嬉しかった。
お通夜・告別式は12月30日と31日だった。
伯父さんは、後継した商売を
大きくした人だった。
母はそういう兄が自慢だったことと、
そのことで父にハッパをかけようとしたのか、
伯父さんと父を比べることがあった。
私は子ども心ながらも、
比べられる父が気の毒に思えたものだ。
そんなことを思い出しながら、
手を合わせた。

もう私には、
私を小さな子どものように
扱ってくれる人がいなくなった。
そんなことを望むのは甘えてると思うけど、
そんなふうに思った大晦日だった。


そして、
大切な人を亡くしても、
今日は、
new day だ。



暮れはもうひとつ事件があった。
一昨年の夏の終わりにバーニーを亡くし、
いろいろな気持ちを感じながら、
昨年夏に、また犬と暮らそう!と
夫と話し合った。
ちょうど、バーニーと同じ犬種の子どもが
生まれそうというニュースをみつけ、
神奈川県までその母親の兄弟をみにいった。
(母親は東北で産むとのことで、
 見せてはもらえなかった)
その指定された日が8月31日。
ちょうどバーニーが天国に旅立った日でもあり、
私たちは縁を感じていたと思う。
手付金を支払い、
誕生のニュースを心待ちにしていた。
9月の終わりくらいに生まれたという連絡。
3ヶ月で譲ってもらえるということで、
12月23日に引き取りにいく予定だった。
ところが、その日になって、電話がくる。
家族が危篤状態とのこと、
「日を改めて、こちらから届けます」ということなので、
待った。そう「信じて待った」。
しかし、連絡がない。
その日から携帯に電話をしても通じなくなってしまった。
家電にも出ない。
夫が30日の夜、住所を頼りに訪ねると・・・。
子犬はいなかった。
だまされてしまったのだ。

私たち夫婦は、
バーニーが天国に行ってしまってから、
お互いいろいろな葛藤を経て、
やっと、もう一度犬と暮すことを決めた。
次の犬と暮すことで、バーニーへの想いは
決して消えないけれど、でも、
なんとはなしの
バーニーへの申し訳なさみたいなものがあって、
それでもまた暮らしたいと一歩踏み出したところだった。
バーニーと同じくらい幸せに暮らしてほしいけど、
バーニーと暮らしていた時の改善点は活かそうと、
ゲージなどの広さや位置など決めて、
子犬を迎える準備をしていた。

なのに、だまされてしまった。
お正月にはいるはずだった子犬はいない。
残念だ。

不思議と、怒りは湧いてこなかった。
私たちをだました人も犬好きだと知っていたし、
その犬種のブリーディングをしてた時期も
確かにあったことも分かっている。
それなのに犬を使って詐欺のようなことを
しなければならなかった、そのことが、
なんかめちゃくちゃ悲しかった。

最初に会いにいった時、
公園で待ち合わせした。
家ではないことに、ちょっと変だなと思った。
手付金の仮の領収書をいただき、
「正式なものを送ります」とのことだったが、
こなくて、変だな・・・と思ってた。
変だなと思いながら、
しかっりと確かめなかった私たちにも
責任がある。
今度は被害を受けた側として、
責任ある行動をするために、
夫が、彼の性格から言えば
あまりやりたくないだろう
いろいろな手続きをしてくれている。


しかし、とにかく、今は、
また犬と一緒に暮らせるという希望が
なくなってしまった。
そのことが
本当にがっかりなんだ。

そして、
希望がへし折られてしまっても、
今日は
new day!
だ。






昨日まで、
まったくお正月な食生活をしてしまった。
「どうも こうも、このざまよ!」(by クララ)
な体重だ。
それでも、今日は
new day!


1月中のいろいろな仕事の準備で
「ほんとに間に合うのか、私?」
な状態だけど、
今日は
new day
なんだ。



new dayは
全員に
平等にやってくる。


前の日がどんなであっても、
誰のもとにも
ちゃんと
やってきてくれる。


new dayの今日を、
ちょっとずつ
やっていくことを
積み重ねるしかない。


そんなことを考えてる仕事初めです。



/////////////////
緊急募集
今週末開催、
谷澤相談室第四回勉強会への参加者、
3名募集。

「自分の価値を確かめる
〜自分の価値が分からなくなった時に
 した方がいいこと〜

ワークショップ形式での勉強会。
今回は、凹んだとき、くじけそうなとき、
自分の中にある力を思い出し、
その力を使うために、
自分の力を実感するためのプログラムです。

勉強会というと
頭で考えるというイメージを持たれるかも
しれませんが、
今回は特に、「楽しく」「発見する」
を大切にします。

キャンセルの方があったので、
3名募集。(先着順)

詳しくは・・・谷澤相談室まで







 
author : tanizawa-k
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信じて待つ。

【2014.01.01 Wednesday 11:07
明けましておめでとうございます。

2014年のお正月を飾る花も、
アネモネにしました。(3年目)
紫のアネモネの花言葉は
「あなたを信じて待つ」
っていうんだそうです。


私は「信じる」って決めることが好きです。

「信じたい」くらいの考えの時は、
ちょっとした違和感を感じた時、
「疑う」という考えがでてきて、
「信じられるかどうか」を探す、
証拠探しというふるまいに
いきやすいと思います。
つまり「信じたい」は
「信じていない」んだと思います。

そういうのも悪い訳ではないけれど、
私はここぞの時には
「信じる」って決めることをすることが多いです。

「信じる」って決めると、
違和感も、
挫折も、
遠回りも、
失敗も、
自分のそのことへの想いの強さを
試されるレッスンのように考えられる
ことがありがたいです。


「待つ」ってのは、
私は覚悟してやっていると思います。
私はどちらかというと、
自分からばんばん動きたい方。
だから以前は「こうしちゃあいられない」と
次から次へと、
新しいことにチャレンジしていたと思います。
そんな私も嫌いじゃないし、
今も、それがやるべきことという時にはそうするけれど、
私の職業、
「相談」とか「教育」にとっては、
「待つ」ってのは、
本当に大切なことだと骨身にしみているから、
「待つ」ってことを覚悟してやっていると
思います。

そして、「待つ」がちょっとだけ上手になってきたのは、
人間の持つ「力」の確かさを、
ここ15年の相談の活動の中で、
本気で信じているからだと思います。

いただいた年賀状の中に
中学時代、親や教師に反抗し、
異装、非行を繰り返していた子どもが、
二人の子どもの親になっている写真と共に、
「先生は、今も、
 当時の私みたいな子を
 支えているんでしょうか?」
とありました。

 ○子ちゃん、
 私はあなたと一緒に給食を食べ、
 ムダ話しをいっぱいし、
 あなたが編んでくれたマフラーにあったまり、
 そうして、
 あなたが自分の力に気がつくのを、
 待ってただけだよ・・・。
って年賀状に向かってつぶやきました。


○子ちゃん始め、
学校で出会えた子どもも、
講座や講演会や相談室で出会う大人も、
その人の中に「力」はあって、
でも、今、何かの事情で、
その力が上手く機能しなくて、
それで、休憩やリラックスが必要な時で、
でも、ちゃんと「力」はあって、
その「力」は、
安心しながらゆっくりエネルギーを貯めることで、
発揮する時期がきます。

でも、貯める時期に
何かに恐れていたり、
不安でいっぱいだったりすると、
なかなかエネルギーは貯まらないから、
「信じて待つ」人が近くにいることが
大切なんだと
私は思います。

「そのままのあなたがいい。
 欠点もあるし、失敗もする。
 時々ずるいこともするし、
 きたない気持ちもわいてくるでしょう。
 そのあなたでいい。
 くじけるし、凹むし、
 情けない思いでいっぱいに
 なることだってあるよね。
 そのあなたがいい。
 傷つくし、時々は大切な人を
 傷つけちゃうことだってあると思う。
 だって、誰だってそうだもん。
 そのあなたでいい。
 そのままのあなたがいい。
 
 そのあなたで、
 今、できること、
 やっていこう。
 
 あなたは、
 大切な存在なんだ」

と「信じる」って決めて、
その人の「力」を「待つ」。


暮れは、例年通りお料理漬けでした。
なますのために大根の千切りを絞る時、
明らかな握力の低下を感じました。
昨年とは違います。
乾燥した黒豆の袋を破る時、
松前漬けのために昆布をはさみで切る時、
失った力にびっくりしました。
朝まで眠れなくなったのも、
更年期障害のひとつだそうです。
これからもっともっと、
できないことは増えていくんだと思います。

でも「信じて待つ」ことは、
きっともっとできるようになるような
気もするんです。
だって、「信じて待つ」ことをした先の、
今の報告ひとつひとつがたまってきて、
「信じて待つ」ことの効果は、
だんだんとはっきりしてきちゃったからです。
これはもう、
エビデンスベースと言っていいのでは!!!

一旦味を付けた後、
「待つ」ことで一層おいしくなるのは、
筑前煮だけじゃないんですね。


紫のアネモネの花言葉を知ったのは、
昨年暮れでした。
でも、知らず知らすに選んでいたこの花は、
私の信条そのままでした。



このブログを読んでくださっている皆様。
旧年中は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いいたします。

お互い、
良い年にしましょう!

良いこと、いっぱいみつけましょう!






 

 
author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor