時々、満点が必要。 【2014.01.21 Tuesday 18:31】 |
先週、ある小学校の5年生に「心の健康」についての 授業をした。毎年、依頼してくれる学校で、 昨年もここの子どもたちの表現能力には感心したが、 今年は昨年以上だった。 話し終わったあと、 司会の先生が、 「感想や質問など、自由発言でどうぞ」とおっしゃると、 何人かの子どもがすぐに起立。 一人の子どもが話し始め、 その子が話し終わると、頃あいをみて、 別の子が話す・・・。 気がつくと、すごい人数の子どもが立ち上がり、 次々に感想を話してくれた。 タイミングをみながらなので、 一緒に話し始めたりすると、 「どうぞ!」とか譲ったりする。素敵。 10分くらいは、 そういう時間があったのではないか。 感想のひとつひとつに重みも深みもあって、 たとえば 「私は、5年の最初の頃は、 友達とあまりうまくいかなくて・・・」 や、 「ぼくは時々いらいらします。それはだめなこと だと思ってたけど、いらいらするのも普通の ことと知って安心しました」 と、自分のこととして受け取り、 自分を振り返る時間をもってくれたことが わかった。 その中に一人、 話し始めて言葉につまり、 目をこすり出した子がいた。 涙が出てきてしまったんだな・・・と私は思い、 どうしようか、考えた。 ここで、 「座っていいよ」と言うこともできる。 あるいは質問をして、 発言を助けることもできる。 でも、それでは、彼の力を信じてないみたいだ。 彼が自分で切り抜けたほうが、彼にとっても、 他の子たちにとっても、より良い体験になるの ではないか。 そう考えながら、少し待った。 しかし、何かを言う気配はない。 そこで司会の先生が 「もう座っていいよ」と言ってくれた。 そしたら彼はほっとしたように座った。 私はこの時、どうしたらより良かったか その後、ずっと考えていた。 ここは、100点満点の対応が必要な場面だったと思う。 そこでの私のふるまいで、 「心の健康」の授業が、 日常ではどういうふるまいをすることなのか、 体験してもらえた、重要な場面だったと思うんだ。 感想を言おうとして、 勇気を出して立ち上がった。話しているうちに 言葉につまり、涙がでてきた。 その経験を「失敗の経験」にしないで、 「感想を言おうとがんばってよかった」経験に してもらうには、 そこにいる私としては、どんな方法があったか。 また、それだけではなく そういう場合の対応として 先生たちに何かヒントになるような対応は できなかった? もちろん、「失敗」が悪い訳ではなくて、 「失敗は成功のマザー(by ミスター)」だし、 失敗した時にこそ、学べることもいっぱいある。 だから、この件はこれでも十分によかったと思うし、 その後、担当の先生に彼の様子をきくと、 「感想用紙にめちゃくちゃいっぱい書いていた」 ということだから、 きっと 「なんで、これを発表できなかったんだ!自分」 って悔しさは、彼の成長の糧になるだろう。 でもま、 別の、 何か、 彼も、 彼を見守っていた他の子どもたちも、 また先生方も勇気づける対応はあったはずだ。 そのことを考えながら、 土曜の朝、 東京行きの新幹線の中で 飲むためのコーヒーを買うために スタバの列に並んでいた。 発車時刻まであと10分。 結構な列。 ちょっとあせる。 私の前は、私と同じくらいの年齢の女性のグループ。 4人組。 そのうちの一人が注文をする。 「スターバックスラテの380円のを 二つと・・・」 スタッフの方が、 「それですと、このカップの大きさになりますが よろしいですが?」 「それは大きすぎるわね、 どう?あなたは?」 とグループの方に訊く。 正直、私はむっとする。 心の中の声・・・ 今まで並んでいる間、さんざん検討する時間 あったじゃん。 その間に、そういうことはやっておいてよ。 時間を気にしながら並んでいる人が、 これだけいる時、そういうことする? で、アサーティブでいえば、 ネッチーな行為、 「はあ〜」と深いためいきをついた。 私のいやみなため息を、 そのグループの一人の女性は見とがめたのが わかった。 その瞬間、ピンとくるものがあった。 こういう時こそ、レッスンなんだよなあ。 こういう時に、こういう浅い行為というか、 ネッチーな態度を選択することの積み重ねと、 昨日の子どもへの対応は、 そんなに離れていることじゃないかもしれないな。 それでも、 何かいい影響を与えるような行為を 選択する毎日が、 私が、 いろいろな場面で 多様な選択肢、 しかも 勇気づけられる選択肢をもつことに つながるんだろうな。 なんて、ほんの瞬間考えて、 その時できることをしようと考え、 ランプの下にコーヒーを待つために移動し、 さっき私のためいきを見とがめた方に、 「つい、いそいでいて、いらいらして ためいきついてしまって、 きっと不愉快な思いをされまたね。 ごめんなさいね」 と言うと、 「私たちこそ」 と言ってくれた。 なんか、私はすっきりした。 土日と東京でロゴセラピーの勉強をした。 人生は私に問いかける。 今、こういう状況の中、あなたは何をする? 今、この瞬間も、すぐに過去になる。 あなたはどういう過去を貯めていく? いくつかの可能性の中から 自分はこういう未来を叶えたい。 だから、今、この行為をする、 した瞬間に過去になり、 過去は貯まっていく。 私は、関わるいろいろな方が、 「あ〜この自分って、いろいろあるけど、 なかなかいいよなあ。 自分は生きてる価値がある人間だ」 って思ってほしいという、 そういう未来がほしい訳だから、 そのために、 あらゆる可能性の中から、 それに向かうふるまいをしていきたいよなあ。 こういうこと書くと、 そんなにいつもいつも、 そのことを突詰めないで、いいんじゃない? っていうアドバイスをくれる方もいると思う。 (先回りして、お礼を言いたい気持ち。 「もし、そう考えてくれたら、ありがとうございます」) ただ、 時々、今だ!って時があって、 その時は「100満点」取りたいんだよな。 そして、 あの涙ぐんだ少年の、 あのシーンはそうだったと思う。 私はあの時、 あの少年を見つめながら、 今、100点満点が必要な時だって わかった。 最近、そういう自覚はずいぶん持てるように なっている。 そういう時に、100点満点とるために、 普段、考えておくことが大切なんだなあ。 そして今のところの答えは、 しばらく様子をみた後で、 「感想を言おうとしてくれてありがと。 もう少し待ったら言えそう? それとも座る?」 って質問しようと思う。 首を縦や横にふって教えてくれたら、 「意志を示してくれて、ありがとね」 って言うだろうな。 あ〜もうほんと、 この自分のめんどくささが、 ちょっと好き。 |
author : tanizawa-k
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