さあ来い、次の。 【2013.11.30 Saturday 20:28】 |
今日は静岡では初めて、 ロゴセラピーについての講演会を 主催した。 40名以上の方が集まってくださった。 ロゴセラピーとは、 「夜と霧」の著者フランクルが作った 「意味」を軸とした心理療法。 私は、 ドイツ在住で年に三回来日される 勝田先生による勉強会「ロゴゼミナール」に、 一度参加しただけだが、 ずっと学び続けようと考えている。 今日講演してくださったのは 草野智洋さん。 「ロゴセラピーは技術ではなく、生き方。 だから、セラピスト自身がロゴセラピーの 生き方をしているかどうかが問われる」 と話してくれた。 自分の人生、どういう意味があるのか? とか、 何のために生まれてきたのか? と、 自分が問うのは意味がない。 そうではなく、 「瞬間瞬間、人生から問われていることに、 良心に従って応えていくことの積み重ねが 意味に繋がっていく」と。 良心ときくと、 道徳的で、超マジメで遊びがないように とらえる方もいるかもしれないが、 そうではなく、 「目が光を感知し、 耳が音を感知するなら、 良心は意味を感知するアンテナのようなもの」 「こうあらねばならない・・・というものではなく、 それぞれの人の中にあるもの」で、 「自然体の素直な心」 と説明があった。 ロゴゼミで勝田先生から学んだ時は、 なんとなく堅苦しいものに感じていた「良心」が、 今日は、私の学びがすすんだのか、 す〜っと理解ができた。 スーパーで知っている方にあったけど、 なんとなく挨拶しそびれた時の、 チクっとした感じとか、 フィリピンの台風被害のニュースに心痛めながらも、 ご飯を食べる時の感じとか、 落ちてるのが目に入ったのに拾わなかった ゴミを思う時の感じとか、 差別を含んだ発言で笑いが起こった時に、 「それは笑うことではなく、差別では!」と 言わなかった後の感じとか、 そういう、もともと私の中にある、 「本当はそうした方がいい」と 分かっているもののことのように思う。 でも、いつもいつも、 「人生からの問いかけに、 良心に従って応えなくてもいい」 と草野さんは言ってくれた。 打率みたいなものだと。 2割から4割の間でいいのではないかって。 打率って言えば、 我が家のトイレの癒しの日めくり 「年がら年中長嶋茂雄」の 11月25日は 「3割ということは10回打つうち 7回は失敗していいということだ。 10回のうちたった3回 成功すればいいなんてことは、 ほかのスポーツ、いやあらゆる 社会の仕事の上で、 通用することだろうか」 とあった。 私は草野さんの話を聴きながら、 10回のうち7回失敗したり、 さぼったりしてもいいってのは、 すごく気が楽 って思えた。 フランクルの言葉に、 私は随分助けられてきた。 昨日もそうだ。 私は昨日、 昨年に続いて呼んでいただいた小学校で、 5年生に一時間、 6年生に一時間授業をし、 さらに先生方への研修を担当した。 この研修が、 なんというか、 自分としてはうまくいかず、 帰宅後、 情けなさに、 なんだか落ち着かなくって、 夫に愚痴り、 自分で自分をののしり・・・としていたけど、 ふと、 「苦悩できるのは、能力である」 というフランクルの言葉を思い出した。 さらに、 「正しく悩みぬけられた苦悩は、 成長をもたらす」 も、思い出した。 それで、もう、これは、 いい加減なところでキリをつけて 自分をなぐさめちゃうんじゃなくて、 もう悩みぬいちゃえ!って思った。 来月に先生方への研修は2件ある、 それまで悩み続けて、 いいものにし続けるしかない。 フランクルの言葉は、 感覚より、言葉で理解し納得し、 考えや行動を変えていくタイプの私を、 いろいろな場面で支えてくれた。 「それでも人生に『イエス』と言おう」 「どんな時も人生には意味がある」 「意味のない苦しみはない」 「一瞬一瞬が一度きりのものであることが、 人生に重みを与える」 「人は、自分自身に対して 立ち向かうことができる」 これから学んでいくうちに、 これらの言葉の意味がもっともっと 分かるようになって、 そして、 それが私の毎日からにじみ出るくらいに なるといいと思う。 今日はそのための段階を踏めた日に なった。 さあ来い、次の苦悩! 赤組 谷澤久美子 ってところです。 |
author : tanizawa-k
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