2013年11月の記事 | 今のところではありますが…
さあ来い、次の。

【2013.11.30 Saturday 20:28
今日は静岡では初めて、
ロゴセラピーについての講演会を
主催した。
40名以上の方が集まってくださった。

ロゴセラピーとは、
「夜と霧」の著者フランクルが作った
「意味」を軸とした心理療法。

私は、
ドイツ在住で年に三回来日される
勝田先生による勉強会「ロゴゼミナール」に、
一度参加しただけだが、
ずっと学び続けようと考えている。

今日講演してくださったのは
草野智洋さん

「ロゴセラピーは技術ではなく、生き方。
だから、セラピスト自身がロゴセラピーの
生き方をしているかどうかが問われる」
と話してくれた。


自分の人生、どういう意味があるのか?
とか、
何のために生まれてきたのか?
と、
自分が問うのは意味がない。
そうではなく、
「瞬間瞬間、人生から問われていることに、
 良心に従って応えていくことの積み重ねが
 意味に繋がっていく」と。

良心ときくと、
道徳的で、超マジメで遊びがないように
とらえる方もいるかもしれないが、
そうではなく、

「目が光を感知し、
 耳が音を感知するなら、
 良心は意味を感知するアンテナのようなもの」

「こうあらねばならない・・・というものではなく、
 それぞれの人の中にあるもの」で、
「自然体の素直な心」
と説明があった。

ロゴゼミで勝田先生から学んだ時は、
なんとなく堅苦しいものに感じていた「良心」が、
今日は、私の学びがすすんだのか、
す〜っと理解ができた。

スーパーで知っている方にあったけど、
なんとなく挨拶しそびれた時の、
チクっとした感じとか、

フィリピンの台風被害のニュースに心痛めながらも、
ご飯を食べる時の感じとか、

落ちてるのが目に入ったのに拾わなかった
ゴミを思う時の感じとか、

差別を含んだ発言で笑いが起こった時に、
「それは笑うことではなく、差別では!」と
言わなかった後の感じとか、

そういう、もともと私の中にある、
「本当はそうした方がいい」と
分かっているもののことのように思う。


でも、いつもいつも、
「人生からの問いかけに、
 良心に従って応えなくてもいい」
と草野さんは言ってくれた。

打率みたいなものだと。
2割から4割の間でいいのではないかって。

打率って言えば、
我が家のトイレの癒しの日めくり
「年がら年中長嶋茂雄」の
11月25日は
「3割ということは10回打つうち
 7回は失敗していいということだ。
 10回のうちたった3回
 成功すればいいなんてことは、
 ほかのスポーツ、いやあらゆる
 社会の仕事の上で、
 通用することだろうか」
とあった。

私は草野さんの話を聴きながら、
10回のうち7回失敗したり、
さぼったりしてもいいってのは、
すごく気が楽
って思えた。


フランクルの言葉に、
私は随分助けられてきた。

昨日もそうだ。

私は昨日、
昨年に続いて呼んでいただいた小学校で、
5年生に一時間、
6年生に一時間授業をし、
さらに先生方への研修を担当した。
この研修が、
なんというか、
自分としてはうまくいかず、
帰宅後、
情けなさに、
なんだか落ち着かなくって、
夫に愚痴り、
自分で自分をののしり・・・としていたけど、
ふと、
「苦悩できるのは、能力である」
というフランクルの言葉を思い出した。
さらに、
「正しく悩みぬけられた苦悩は、
 成長をもたらす」
も、思い出した。
それで、もう、これは、
いい加減なところでキリをつけて
自分をなぐさめちゃうんじゃなくて、
もう悩みぬいちゃえ!って思った。
来月に先生方への研修は2件ある、
それまで悩み続けて、
いいものにし続けるしかない。


フランクルの言葉は、
感覚より、言葉で理解し納得し、
考えや行動を変えていくタイプの私を、
いろいろな場面で支えてくれた。

「それでも人生に『イエス』と言おう」
「どんな時も人生には意味がある」
「意味のない苦しみはない」
「一瞬一瞬が一度きりのものであることが、
 人生に重みを与える」
「人は、自分自身に対して
 立ち向かうことができる」

これから学んでいくうちに、
これらの言葉の意味がもっともっと
分かるようになって、
そして、
それが私の毎日からにじみ出るくらいに
なるといいと思う。

今日はそのための段階を踏めた日に
なった。



さあ来い、次の苦悩!
赤組 谷澤久美子
ってところです。

















 
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「『怒り』の上手な伝え方」

【2013.11.28 Thursday 20:39
地方に住む家族。
一人娘が東京で一人暮らしをしたいと言う。
父親は、
「絶対だめだ!」
と、怒りを丸出しに大きな声を出す。

これは今晩TBS「人間観察モニタリング」という
番組の中のシーンだ。

一般の家族の娘に仕掛け人になってもらい、
父親の反応を隠しカメラで映し出す。

「大事な話があるんだ」と娘から
東京行きの希望を告げられたとき、
父親は最初驚き、次に怒りで、
「ダメ」を繰り返した。

でもその怒りの裏には「さみしい」気持ちや、
「心配」な気持ちが隠れてた。

「ダメ」とか、
「おまえに一人で暮らせる訳がない」とか、
「働いたこともないくせに何がわかるか」とか、
そういういろいろな理由を並べ立て、
本当の気持ち「さみしさ」や「心配」を
隠していた時には、
うまく噛み合ない親子の会話が、

娘が「なぜだめなの?」ときいた後、
「娘だから」と言った瞬間から
ほぐれ始める。

娘「なんで?」
父「娘だからだよ。
  それだけじゃだめか?」
娘「娘だから?」
父「心配なんだよ」

怒りの裏の本当の気持ちを言葉にした瞬間から、
家族会議は温かいもので満たされる。

父「ずっとここにおれ」
父「おまえとずっと一緒にいたい」



一般家庭に隠しカメラってどうよ?
と思いながらも、
このすごく素敵なシーンに私の心も温まる。
そして、
お父さんの
「心配なんだよ」
「おまえとずっと一緒にいたい」
ってのは、
アサーティブだなあと思った。


ちょうど今日は、
楽しみにとっておいた本
「『怒り』の上手な伝え方」を読んだ。

私の属するアサーティブ・ジャパン代表
森田汐生の最新作だ。

感情の中でももっとも扱いがやっかいな
「怒り」。

読みながら自分の怒りの表し方の傾向に気がつき、
それをどう考えたらいいかの指針があり、
さらに「怒り」の裏の気持ちの説明や、
「怒り」の表現方法など、
詳細に書かれている。

また、今までの本には具体的には書かれていなかった
「他人の怒りにどう向き合うか」が詳細なのが嬉しい。

しかも、
攻撃型に表現する人から怒りをぶつけられた場合、
作為的、受身的なパターンの怒りのサインの見つけ方や
その対応方法と、パターン別に書かれているのが、
本当にわかりやすい。

私は受身的、作為的なパターンが得意だったので、
よくやっていたことが、そのものずばり書かれていて、
いやあ、参った参った。
たとえば、
『目を合わせず返事をしなくなる」
「仕事や家事を必死にやり始める」、
やってた、しょっちゅう。
あと、ここには書かれてないけれど、
急に丁寧語になるってのも、
よくやっていたなあ。

そういう時には、こう対処しましょうって方法が、
確かに、そうしてもらえると、
楽になるなあ!って方法で納得。


溜め込んでしまうと、
振り回されるし、
ドロドロになるし、
ぬけられないループの中のように
なってしまう「怒り」という感情。

小さなうちに対処しておくのがいいけど、
小さな怒りであっても、
対処の仕方を知らないと難しいから、
言葉で確認しておく意味でも、
一度読んでみてはいかが?

そして、
練習はアサーティブ・トレーニング応用編で!
(静岡で来年4月開催決定!お申し込みは
 お早めに。尚、本を読んでなくても大丈夫です)


*このウェブサイトは、
NPO法人アサーティブジャ パン認定講師である谷澤久美子が個人で開いているホームページです。このウェブサイトに関する全ての責任は谷澤久美子にあります。NPO法人アサーティブジャパンが運営・管理しているウェブサイトではありませんので 予めご了承ください
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深読みで ムカムカくよくよ 独り相撲。

【2013.11.28 Thursday 09:03
根拠もないし、
客観的視点もないのに、
自分で勝手に思い込んで、
それで、腹立ったり心配に取り付かれたりすること、
ありませんか?

挨拶したとき、こっちが思っているような挨拶が
返ってこなかったことが一回あったってだけで、
「あの人、私のことを嫌っている」と思いこみ、
で、その人から何か注意を受けると、
「あの人、私を陥れようとしてる」
なんて、深読みをしてしまったりして。

そこまで極端ではなくても、
ちょっとメールの返事が遅いと、
「あれ?何か嫌われるようなことしたかな?」とか
「この重要度を分かってないのかな。
 非常識な人!」とか、
「もう私は切られたかも」とか、
いろいろ考えて、
怒りがわいてきたり不安になったりする。

単純に、
お相手はあなたのことが大切で、
だからこそゆっくり返事を書きたくて、
でも、今週は忙しい・・・
そういう理由だったかもしれないのに。

・・・なんて書いている私ですが、
一昨日はなんだかむしゃくしゃして、
その理由は「深読み」でした。

あ〜でたでた、私の「深読み虫」って感じです。

夕食の支度をしながらも、深読みを理由に
ムカムカしてたのですが、
その時テレビで、
「結婚して妻からの圧力でやめたこと」みたいなことを
男性タレントがおもしろおかしく話す・・・
みたいなことをやっていて、
ムカムカ高じて
「女の方があきらめることは、多いんだ!」と
大きな声でテレビに向かって毒づき、
夫が「どうしたの?」とびっくりしておりました。

ま、しかし、
何に腹が立っていたか自分の中で明確で、
根拠の薄い、つまり深読みで腹立ってたって
ちゃんと認識してたので、
そう時間はかからず収まりました。




私はコミュニケーション上のパターンでいうと、
言いたいことを自分の中に溜め込むパターンを
過去、長い事使っていました。

このパターンは
誘いにあまり気乗りがしなくても、
相手の気分を害さないようにとか、
相手からの自分の評価が下がらないようにとか、
そんなふうに考えて断らない・・・のようなことを
よくするパターン。
相手がどう思うか中心に考えることが得意。

このパターンを使っている時、
結構深読みしている場合があると思います。



たとえば・・・

物理的に不可能な仕事を上司から指示された。
誰かに手伝ってもらいたい。
周りを見渡すと、みんな忙しそう。

この書類の作成だけでもお願いしたい。
でも、この仕事をお願いしたら、
自分に振られた仕事もこなせない、
無能な人って思われないかな?
「私だってこれほど忙しいのに、
空気読めない人ね!」って思われちゃったら
どうしよう。
自分でトライもしないで頼む人とは、
もうランチしないなんてことになったら?
頼んでも断られたら、頼むだけムダだし。
っていうか、
断るってことを相手にさせなきゃならない、
その負担をかけちゃうし。

ま、いろいろ考えてしまったりするんですよね。

それは、
相手の状況を考える、素敵な面でもあるけれど、
でも、それらはすべて想像であって、
頼んだ結果何が起こるかは、ほんとのところは分からない。

「あっ、ごめん、今は無理。
 でも、この仕事片付けたら、20分くらいあくよ」
なんてこともあるかもしれないし、
「私も手伝ってほしいって言おうと思ってたところ。
 お互い、やばいね。
 一緒にチーフに相談してみる?」
なんてことや、
もしかすると、
「いいですよ」
なんて気軽に引受けてくれるかもしれない訳です。


「みんなも忙しいかもしれないし」までは想像だし、
もしかすると「相手を思いやる」思考方法だと思うけど、
「だから無能って思われるかも」や
「これから誘われなくなるかも」などは、
「深読み」なんじゃないかな?と思います、


「深読み」地獄に陥らないようにするためには、
まず自分には「深読み」する傾向があることを
知っておくことだと思います。

そうすると、
むむむ?事実はどれ?
って自分で確認する作業に移行しやすくなるからです。


そうやって、自分の「深読み」虫とつき合っていく。

そうやって、いくつかの虫と共生しながら、
やっていく。

おもしろいものです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記のコミュニケーションのパターンを、
アサーティブ・ジャパンでは受身的(オロロ)タイプと
カテゴライズしています。

他に、
言いたいことをそのまま相手に言い、絶対にノーと言わせない
攻撃的(ドッカン)タイプや、
攻撃性は隠しながらも、言葉ではなく態度などで相手を
コントロールする作為的(ネッチー)タイプ、
そして、
自分の意見や感情を相手も尊重しながら伝える
アサーティブがあります。

頼めたり、
断れたり、
つまり、自分の意見や感情を、相手も大切にしながら
言えるようになると、
生きていくのに、ずいぶんと楽になりますね。

12月に静岡で行うアサーティブ・トレーニング基礎編、
あと若干名、ご参加いただけます。
2014年にむけて、
コミュニケーションの改善にむかい
一歩すすめましょう。
詳細は
谷澤相談室へ






 
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「あんじゅ と ずし王」〜。 

【2013.11.26 Tuesday 02:47
先週の土曜日、メガネを作った。
数年前から老眼鏡に助けてもらっていたが、
どうもそれでも間に合わなくなって、
それで検眼してもらうと、
なんと、乱視があるという。

幼い頃から視力がよかった。
目で困ったことは、最近まで
まったくなかった。

当たり前に、
特に何も努力なしで手に入っているものについては
人間、大切にしなかったりするんだろうか。
私は目に関しては過信していた。
その点、
おそらく中学くらいから視力が弱かった夫は、
弱さとのつき合い方を知っているというか、
ケア方法や大切に扱う扱い方を知っていると思う。


それで話は飛ぶんだけど、
私は、
「伝えたい」って想いはすごく強いけど、
そのことが、多分あまり上手ではなく、
そのことに、今までも、
「それでよかった」と何回も考えてきたけど、
昨日、再確認する出来事があった。



昨日は、結構あわただしい一日で、
午前中、小学校での通常勤務を経て、
午後は、依頼のあった小学校で5年生に授業をし、
その後、授業を見ていてくれた保護者の方に講演をし、
夜は、違う小学校で保護者の方対象の
ワークショップを行った。

5年生に授業をした学校の校長先生は、
学校の中での相談の仕事を
始めたばかりだった過去の私のことを
知ってくれている方だ。
彼に、
「あなたは、よく勉強してきたね」
と言ってもらった。

その瞬間、
私は、うん、よく勉強してきた!って自分で思った。
それで正々堂々と、
「はい、勉強してきました」
と答えた。

私は背筋を伸ばして、
本当に堂々と
「はい、勉強してきました」
と答えながら、
そう答えることに迷いがなかった自分のことを、
ちょっとだけ誇らしく思った。

その後で、急に、
ありがたさで、
胸がいっぱいになった。

これまで、
特に相談の仕事をし始めた当初、
未熟だった、ものすごく未熟だった私に
活動の機会を与え続けてきてくれた方々の
ことを思ったんだ。

考えてみれば、
15年前に相談員になった当初から、
子どもたちを前を話をする機会や、
先生方への研修や、
保護者の方々への講演の機会を、
いただいてきた。
今もまだまだ緊張する私だけど、
あの頃は今の何倍もそうで、
大体、話をする前には、
一字一句全て原稿を書いて、
それを震えながら読みあげていた。

そういう時代から、
私に依頼をくれた方々がいるってことに、
急に思いが至って、
ありがたさや、
申し訳なさみたいなものや、
お返ししていない情けなさや、
そういう履歴がありながら、
いつも成功ばかりではない
自分を恥じ入る気持ちや、
それでも、
依頼をくださり続けてくれることへの
感謝や、
いろいろなものがまじりあった
非常に複雑な感じがからだの中に充満し、

そんな私にその校長先生は、
「あなた、よく勉強してきたね。
 あなたが勉強してきたことが、
 私にはよく分かる」
とニコニコと言ってくださった。

そんなご褒美な
ひと時を過ごすことができた。

私は、
その時その時は必死で学んできたんだけど、
それこそ、いくつかのダメだしに泣きながら
学んできたんだけど、
それでも、それは
当たり前に私の中にあったものではなかったから、
なかなか上手になたないから学び続けたんだ!と思う。

それで多分その最初は、
小学校2年生の
「あんじゅ と ずし王」という
山椒大夫を低学年向けに易しく書いた物語の
読書感想文をほめてくれた担任の先生と、
それでもらった旺文社感想文コンクールの
文部大臣賞のおかげだと思う。

そんなに得意ではないけれど、
あの時に認めてもらった強力な思い出は、
「表現すること」の喜びを私にもたらせ、
それは今も脈々と私の中に流れ、
しかし、そのことがあまり上手ではないために、
ずっと努力できたんだと思う。


ここのところ、講演講座の仕事が多く、
時々「人柄」をほめてもらうことがある。
ほめてもらうことは嬉しいから、
「ありがとうございます」と受け取りながら、
自分の「腹黒さ」を知っているだけに、
なんとなく落ち着かない感じがあって、
土曜日、夫にそのことを伝えた。

私は
すごく準備して、
講演、講座に望んでいるから、
「人柄」というより、
その仕事に取り組む準備の姿勢を
ほめてもらえるなら、
ストレートに嬉しいけど、
「人柄」ってのはどうなんだろう・・・。
誉めてもらっているのに、
あいかわらず面倒くさい私なんである。

そしたら夫は
「あなたの腹黒さは、甘い。
 その程度の腹黒さは、
 腹黒いとは言わない」
と、よくわかんないけど、
多分、私を励まそうと
そう言ってくれた。
ありがたい。

それでもまだモヤモヤっとしていた私は
同じことを友人に言うと、

(どの言葉を使うかとかではなく)
あなたのヴァイブレーションとか、
言葉の響きが、
伝わっているのではないか・・・

のようなことを、
メールで言ってくれて、
それはすごく勇気を与えてくれた。
そっか、そういうことを「人柄」って
言葉で表現してくれているのかも・・・。
すごく勉強して、
トレーニングしてきたけれど、
ちょっとはにじみ出ちゃうような感じになったのかしら。
だったらめっちゃ嬉しい。
素直に受け取ろう!みたいな感じ。


小学校5年生への授業を見ていてくれた
若い先生が、
授業後に、

「この授業の間、
 谷澤先生の全部を見ていた。
 子どもたちへ、
 どう接して、
 どういうことを拾い出して、
 どう反応して・・・
 先生の動きを全部を見た。
 全部見て、
 そういうふうに
 子どもたちが一年に入学した時から
 接していれば、
 子どもたちが安心して
 自分を出せるんだとわかった」

最高の褒め言葉をくれた。
そんな喜びを
いっぱい浴びた一日だった。



幸せすぎて、
なんだか、眠れなかったな。



表現が下手でよかった。
伝え下手で苦労してきてよかった。
今も、時々、こんな私が話しちゃっていいの?
と不安になる時もある。そんな自分でよかった。

情けなさに震えた日に乾杯!
悔しさに泣いた日に乾杯!
恥ずかしくて消えてしまいたくなった、
あの日に乾杯!

さ、とはいえ、
今日もまた、多分、緊張しながら・・・
なんだろうな。

こんな感じでやっていく。

そして新しい老眼+乱視のメガネは
土曜日にできあがる。
すごく楽しみ。



 
author : tanizawa-k
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それが私の気分をあげる。

【2013.11.21 Thursday 19:43
気分が上がっていても、下がっていても関係ない。
とにかく目の前のやることをやる。

ってのが私の方針なんだけど、
それを手に入れると自然にあがってしまうってものがある。

そのひとつは、「想定外の感想」だ。

先週行った中学校から、全員分の感想が届いたが、
これが、もう、本当に、
思ってもみない感想や、
なるほど!と思う表現や、
そこまで考えてくれたか・・・という深いものまで、
バラエティー豊かで、
私の気分はめちゃくちゃ上々だ。

その中に

「ともだちに惑わされて、
自分の気持ちが行方不明になることが、
よくあります」

というものがあった。

この行方不明という表現、
なんと瑞々しい表現なんだろう。

なんと瑞々しくて、
そして切ない言い回しだろう。


この子はきっと、友だちに誘われると、
自分がそれをしたいかしたくないかより先に、
相手にどう思ってほしいか、
相手はどう言えば喜んでくれるか、
相手を傷つけないために何と言えばいいか、
相手を不快にさせないための反応は・・・
などと考えて、
その問いからの答を口に出していたんだと思う。

おかしくなくても、
そこにいるみんなが笑っていたら笑い、
変だと思っても、
みんなが受け入れていたら受け入れ、
断りたくても、
意見を言いたくても、
いろいろな想いを胸の中に押し込んで、
周り最優先で
やってきたんだと思う。

あ〜なんと、がんばって生きているこの子。



多くの子どもが、
「他との違いで、
 自分がわかったりするから、
 他と自分は違っていていい、
 ということに安心した」
と感想を書いてくれている。

時にははっきりと、
時にはぼんやりと、
でもしっかりとある同調圧力の中で、
大なり小なり苦しい想いをしていることがわかる。

その中では自分の気持ちも自分の意見も、
よくわかんなくなってしまって、
そのことを、
「行方不明」って表現してくれたんだよなあ。




今回、50分の授業のために用意したスライドは
107枚。
その中で、
一枚だけ覚えててくれるとしたら、
この一枚が心に残ってくれるといいな!
ってのがある。

「自分の中に、優しい一面やまじめな部分を
 確認したからといって、
 すぐには行動にはうつせない、
 そういうこともある。
 でもだからって、
 優しい一面、まじめな部分をなくさなくていい。
 大事にあなたの中においておけばいい」

というものだ。

急にはキャラを変えられず、
クラスの中でやってきた、
たとえばやんちゃな役割を
演じ続けないともたないって思う子もいるだろう。

周りに流される自分がいやで、
でもどうしようもなくて、
流され続けるしかない子だっているだろう。

今は、そうでも、
その子たちが、
自分のことをあきらめず、
自分の中に芽生えている素敵なものを、
いつか、堂々と表せる日まで
とっといてくれるといいと思う。


気持ちが行方不明になること、
大人だってある。

でも、私は
それを取り戻していくことができることを
知っている。

私たち大人のやった方がいいことは、
子どもが、
せめて、私たち大人の前では、
気持ちを行方不明なんてさせずに、
その時の自分の意見や感情を
素直に口に出せる環境を作ってあげることだと思う。

そして、
私たち大人が、
自分の意見や感情を、
相手も大切にしながら伝えるモデルになれるよう、
努力していくことだと思う。


あ〜熱くなった。
私はこの感想を読んで、
気分があがってあがって、
新しいプログラムの構想が、
一晩でできてしまったのだ!

やった。





 
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一人でも、誰かとも。

【2013.11.17 Sunday 21:42
保護者のために
子どもとのより良いコミュニケーションについて
お話する時、
最初に目標みたいなものを確認する。

今まで、いろいろな方と、
様々な場で目標について語り合ってきて、
それで大体2つに集約されると思ってる。

それは「自立」と「共生」

ある会でこのことを話した時に、
ある方が、

 それって簡単にいうと
 「一人でも生きていける」
 「誰かとも生きていける」
 ってことですね。

って教えてくれて、
なるほどな!って思ったので、
その後からは、
使わせていただく了解をとり紹介している。

ただ、これも、私の中ではすごく
葛藤があって、
特に「自立〜一人でも生きていける」
ってのは、
本当にそう言い切っていいのか?
って考えてる。

だって真実は、
一人で生きていける人なんていないもん。

年を重ねる義理の両親を思うと、
薬の管理にしたって、
身の回りのことにしたって、
だんだんしにくくなっている。
でも、じゃ、人としてどうなの?
って問いに答えると、
すごく立派な二人だ。

義母とは哲学的な会話をして、
そのたびに考えさせられる。
義父は、
今までのようにはいかない自分自身を、
多分不甲斐なく思いながらも、
毅然とした姿勢や、
何ごとも自分で選択しているところは、
頭が下がる。
素敵だ。

しかも、
私自身だって、
一人で生きてるって言えない。
生命を維持するための作業は、
今のところ、なんとかできている。
でも、しょっちゅうくじけては、
誰かに慰めてもらっているし、
最近は以前にまして不注意傾向が
強まっているので、
いろいろな方に迷惑をかけながら、
フォローしてもらって
生きてる。

私が考える「自立」の意味は、
「自分で考えて、選択して、行動して、
 その責任を自分で負えること」だ。

それは、よく考えると
「一人でも生きていける」
とは違う。

だって、
「この部分に関しては誰かに頼る」
って決めることも、
自立のひとつの側面だ。

「助けて」
「手を貸してほしい」
って言えることは、
自立の大切な要素!!!



・・・とここまでは、
これまでも考えていて、
「一人でも生きていける」
って言葉、
どうしようかな?
はいつも頭の中にあった。
でもそのままにしていた。



その上で、今日
「共生〜誰かと一緒に生きていける」
について質問をもらった。

 「誰とでも生きていける」ではなく、
 「誰かと生きていける」にされたのは
 なぜですか?

その答えは実は明確で、
「誰とでも生きていけなくても、別によい」
からだ。

このチームで仕事する必要があるとか、
自分で作ったこの家族は、
(とりあえず)一緒に生きていきたいとか、
そう自分が選択したり、望んだりした「誰か」とは
一緒に生きていくための努力ができるといいけれど、
特に必要がない誰かと、
特に一緒に生きていけなくたって全然いいし、
「♪友達100人できるかな♪」って、
できなくたって全く問題ないって思ってる。

でも、そう質問してもらった時、
一瞬、「目標」だから、
「誰とでも生きていける」ってのもありかなと考え、
それを
質問をしてくれた方に言うと、
その方は
「谷澤さんの説明でわかりました。
『誰かとも生きていける』で
いいと思います」
と言ってくださるという経過。


それで、
結局、
今日の結論としては、

「一人でも生きていける」
「彼かとも生きていける」

を外すことにしようと思う。


自分の考えを表現すると、
同意してもらったり、
共感してもらったり、
時には質問、
時には反論してもらえる。
同意や共感には勇気づけられ、
質問や反論からは、
一層深めるチャンスをもらえる。

私の中で気になってはいたけど、
あいまいにしておいたところがあることを、
そのことズバリではなかったけれど、
つついてもらったことで、
はっきりできた。

今日は、
結構大勢の方を前にお話し、
またまた緊張したけれど、
でも、いい一日だったなあ。












 
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中学生がいとしくて。

【2013.11.15 Friday 19:45
今日は普段は活動していない中学校で
お話してきた。
7月に学校保健委員会の講師として呼んでいただき、
今回は、今年度2度目、全校道徳の講師だ。
「自分を分かっていく」ってことについて
話した。
別にどこかに探しにいかなくても、
日常の中で自分を確認できることはたくさんある。
「自分」は
「自ら 分ける」
「自ら 分かる」
と書く。
他と分けて、自分が分かるし、
自分の中を探って自分が分かる。
・・・みたいなこと。

難しかったと思うけど、
子どもたちは、
「ふ〜ん」という様子で、
聴いてくれていた。


この話はあまりしたことないし、
私はすごく緊張していて、
会場の体育館に行く前に、
以前から知っている養護教諭の先生がいる
保健室におじゃまして、
自分を落ち着かせようとした。
すると昼休みに保健委員の子や、
その友達がガヤガヤと入ってくる。
特にその学年は、
実は昨年度も学年道徳でお話しているので、
今回が3度目。
なんとなく、繋がりがある感じ。

「私、今緊張しちゃってるんだよ」
と言うと、
3人の男子がそれぞれアドバイスをくれた。
一人は
「最初になごませれば、いいですよ」
もう一人は
「人っていう時を手のひらに三回
 書いて飲んで」
そして最後の一人は
「失敗がこわいなら、
 失敗しない人なんかいないから。
 そのこと考えて」

うわ〜!ありがとう。

男子たちの、
私を励まそうとしてくれる言葉に
温まる。

会場に入り、
生徒たちが移動してきて
整列しているのを見てると、
さっきの男子、
最初に励ましてくれた子と目があい、
彼は私に
「大丈夫、大丈夫」とでも言うように
にこっと笑いながら
うなづいてくれた。

なんだか、
その「優しさ」が、
沁みる。


ここのところ、
私はちょっと忙しい。
いろいろなことの準備をやりながら、
その日その日の仕事に取り組むとき、

こういう、
温かさを体験したことは
ものすごく、ものすごく、
サプリになるって
私は知ってる。



その子に元気をもらい、
話をしたが、

なんと、
やっちまった!!!

パワーポイントで作っていった資料を
プロジェクターで写しながらの話だったが、
そこに写った文字に、私自身がびっくり。
大きな間違いをしてしまった。

パワポで資料を作るとき、
11月の初めに行われた合唱コンクールで
各クラスが歌った歌の歌詞を
取り入れたのだが、
映っている歌詞と、
その曲を歌ったクラス名、
なぜかタイトルまでもが違っている。

間違えてしまった。

授業を終わり、
校長室でお茶をいただいている間、
私は全然落ち着かなかった。

私が間違えて書いてしまった
あのクラスの子どもたちも、
きっと合唱コンクールに向けて、
一生懸命練習したに違いない。
その曲の歌詞を何度も読み、
歌詞の意味を解釈するために話し合い、
各パートごと音程を取れるように練習を重ね、
みんなの呼吸を合わせるために、
何度も何度も歌ったに違いない。
お風呂で練習しただろう。
お母さんに聴いてもらい、
アドバイスされて逆キレなんて思い出も
あるだろう。
指揮の子、アナウンスの子、合唱委員、
その責任に震えるような想いもしただろう。
そうやって、
きっといろいろなものが詰まった歌だと思うのに、
クラス名やタイトルを待ちがえるって、

なんなんだ!私(怒)←自分に。

私は、教頭先生にお願いして
そのクラスに謝罪にいかせてもらうことにした。
彼らを傷つけた(かもしれない)。
そのままでは私は、今日、
多分、眠れなくなるって思った。
(このあたりが
 自分ってものを知っている強み。
 私は何より、こういうことで参る自分を
 知っている)

教室に入る時、
教頭先生が
「谷澤先生が、みんなにあやまりたいと
 来てくれてます」
と私を促してくださった。
すると、
笑顔で迎えてくれた子どもたちは、
口々に、
「そんな気にしなくていいですよ」
「大丈夫ですよ」
と言ってくれている。

私は
「みんなにとって
 とっても大切な合唱の曲のことで
 間違ってしまって
 本当にごめんない」
と頭を下げた。

顔をあげると、
そこまでしなくていい・・・
って感じの顔、顔、顔。

男子も女子も、
なんだか繋がりあってるような、
大事な時にはちゃんと協力しあえるんだろうな
って想像できるような、
クラスの中のかかわりあいが感じられる
そんなクラス。

彼らが受験に
せいいっぱい臨めるように、
私は、
本当に余計なことだし、
おせっかいなんだけど、
リラックスしたい時と
集中したい時の
呼吸法を伝えた。
彼らはみんな一斉に、
口から息を吐き、鼻から吸い・・・
なんてやってくれた。

教室を後にする時、
一人の女子が
「お気をつけて!」
て言ってくれた。


あ〜中学生に温まる。



中学生に、
励ましてもらったり
許してもらったり。
大切に扱ってもらえた感覚が
からだの中に充満してる。

私が彼らに
そうする仕事なのに。

ただ、私は今日、
人が
いとおしくて
いとおしくて、
たまんない。

泣けてくる。










 
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連鎖?

【2013.11.13 Wednesday 19:56
昨夜BSで放送していた「阪急電車」という映画。
何の気なしに見始めたが、
釘付けになった。

恋人を同じ会社の後輩に奪われたOL。
暴力のひどいイケメンの恋人に悩む女子大生。
セレブ気取りで、電車の中で大声で話し
周りの人に迷惑をかけているPTAの仲間の誘いを
断りたい主婦。
神戸の大学に入学した女子大生。オシェレな仲間に
なかなかついていけない。
社会人の恋人がいる女子高生。大学に行きたいけど、
兄弟が多いので、親に学費の心配をかけたくない。
女の子の友達から、いじめを受けている小学生の
女の子。一人になると思わず「助けて」とつぶやく。

それぞれが自分の問題を抱えながら阪急電車に
乗っている。
誰もが、
誰かに言っても仕方ないとか、
分かってくれる人なんかいないとか、
そんなふうに思いながら、
とにかく自分ひとりで抱えていることがある。
でも、ふとしたことから、
手を差し伸べてくれる人を得る。

その核になるのは、
高齢の女性と孫の2人。
夏ばっぱ(宮本信子さん)と芦田愛菜ちゃん。
この2人が、ずばりと、
そして人としてそうだよね!ってことを
きっちりと言葉にして、
それぞれの問題の解決の糸口を与えていくのだ。

しかも、彼女たちに助けられた人は、
今度は、他の人の問題に、
ちょっとした助け船を出す。
「わかってもらえた」感は、
まるで
「誰かをわかってあげようする」感覚の
連鎖を作っていくようだ。


電車の中で、ちょっとしたことから恋人に
キレられて暴力をふるわれた女子大生。
その様子を見て泣き出す、愛菜ちゃん。
夏ばっぱは
「泣きなさい。泣いていいよ」
と言う。
そして次の駅で下りると、
その暴力男と女子大生もおりてきて、
彼は彼女をつきとばし、
彼女はホームで倒れてしまう。
夏ばっぱが彼女に近づいて言う。
「くだらない男ね。
 やめといた方がいいと思う」

そして、まだ泣いている愛菜ちゃんに言うのだ。
彼女にも、聞こえるように。
「泣くのはいい。
 でも、自分の意志で涙を止められる女になりなさい」

あ〜夏ばっぱ!!!かっこいい。
自分で自分のふるまいを、そして、
自分の人生を選択していく女性に
なりなさいって言ってくれてる。

流されるんじゃなくって、
自分で決めろ!自分で選べ!って
そう言ってくれている。


その声を受け止める女子大生。
その後、別れたいというメールを
送信する。


その彼女は、今度は、
セレブ気取りPTAの仲間から抜け出したい
主婦を助ける。
高いお金を出してのランチ会に参加したくないのに、
断り切れずPTAのメンバー達と電車に乗ってしまった
主婦。でも途中で胃が痛くなり途中下車する。
隣に座っていた、上記の女子大生も降りて、
彼女の話を聴く。
そして薬を飲もうとする主婦に、ペットボトルのお水を
差し入れた後、言う。
「価値観の違う人とは辛いと思えるうちに
 離れといた方がいいねん。
 自分もそっち側の価値観に慣れてしまうから」

いやあ、ほんと、そうだ!


恋人を後輩に奪われたOLは、
彼らの結婚式に
オトナっぽいめちゃ素敵な白の、
まるでウエディングドレスを思わせるような
ドレスで参列し、
背筋を伸ばしてテーブルにつき、
自分なりに考えた精一杯の嫌がらせを
した後、電車の中で偶然出会った夏ばっぱに、
優しく話を聴いてもらう。
「そんなくだらない復讐なんかして」
という反応ではなく、
「そうすることも勇気がいること。
 その後どういう気持ちになるかも、
 全部分かっていて、あなたが選んだこと。
 よくやった!」
というようなことを言ってもらって、
心底救われる。

そして、ある時、
いじめをうけている小学生の女の子に
静かな涙を流させてあげるのだ。


わかってもらった人が、
次は
誰かを分かってあげようとする。
共感の、
気持ちのよい連鎖の物語。

でも、これって、
物語の中だけの話ではないと、
私は信じてる。



私が、
今日、
誰をどうわかろうとするか・・・
なんだよな。


////////////////////

と///////の上まで書き終わったところに
夫帰宅。

「ただいま」
「お帰り。大変だったね。
 ご飯、食べる?」

「いらない」

の一言に、かっち〜ん。

残業してくるという連絡が入っていたから
私はご飯は先にすませ、
彼の夕飯が終わったら一緒に
片付けようと、
片付けちゃいたいのに、
そのままにしておいたのだ。

ムカっとして、ムカ的な声で

「それならそうと、
 言ってくれればいいのに」

と言いながら、

ぷっと、
自分でおかしくなる。

「私が、
 今日、
 誰をどうわかろうとするか・・・
 なんだよな」

って、書いた次の瞬間、これだ!私。

残業して、
しんどい想いをして帰ってきた彼を、
まず分かろうとしろ!自分。

無念、
連鎖ならず。

家族って、
ほんと、むずかしい。
とりあえず、温かいお茶をいれましょう。













 
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いい人?悪い人?

【2013.11.08 Friday 17:40
8日、仕事の帰りに車のラジオから
ぎょっとする会話が聞こえてきた。

ラジオのパーソナリティの方が電話の向こうの男性に
「あなたはいい人ですか?悪い人ですか?」
と訊ね、男性はしばらく考えて、
「え〜っと、いい人です」
と答えた。それで会話は続く。

「それはどうしてですか?」
「何かをしたことで喜んでもらえることを
 嬉しいと思うからです」
(↑不確かだけど、こんなようなこと)

私は思わず、なんか、聴いていたくなくて、
そこでCDに変えてしまった。

音楽は、リッキー・リー・ジョーンズ。
彼女の歌声を聴きながら、
なぜその会話が嫌だったんだろうと考えたが、
第一にその質問に違和感がある。

「いい人ですか?悪い人ですか?」
にどう答えたらいいんだろ?

もちろん、その質問の背景には何か考えが
あるはずで、
エンジンをかけた途端の会話がそれだったから、
背景まで知らない。

だとしても、
「100%いい人とかいないし、
 100%悪い人とも、多分いないし、
 それらがぐちゃぐちゃいりまじり、
 いったりきたりするのが人間じゃん」
と,
こういうとことが本当に面倒なヤツだと
自分でも思うけど、
大声で叫びたくなった。

そして、
帰宅後、夕刊の記事を読んで、
今度はめっちゃ共感する。

毎日新聞夕刊8日付の「人生は夕方から」。
今日は食と家族の研究家岩村暢子さん
だった。
昔ひどいいじめにあった彼女が、
加害者だった人たちと杯を酌み交わす、
その心境を語っている。

小4の時に、北海道のある町に父親の転勤で
引っ越しし転校した彼女は、
男子たちにいじめられる。
弁当をひっくり返され、服や鞄は裂かれた。
「弁当や教科書さえ持参できない子どもが多い
 地域だった。そこにきれいなランドセルをもった、
 苦労知らずの私がいったから」
と彼女は語る。

「一方で、親を助けて線路の石炭がらを
拾ったり、漁や畑仕事を手伝う級友に
衝撃を受けた」

その加害者の一人の男性
(立派な技術者になっていた)と、
3年前に再会したそうだ。
男性は土下座をしようとしたそうだが、
彼女は押しとどめ、彼の頭をこぶしで一発
なぐったそうだ。
彼女は
「ここまで本当に頑張ったんだろうな、
 辛かっただろうな、と思って。
 許すでも水に流すでもない。
 うまく言えないわね。ただ
 『わかったよ』という気持ちでした」
と言っている。

彼を始め、その時の加害者の男性たちは、
皆、立派な社会人として活躍し、
家族を持って父親になっていたそう。
彼らと杯を酌み交わしながら、
彼女は
「みんな、人のしない苦労をしてきたから、
 人間として味わい深いのよ」
と言う。

私は、彼女についてのこの記事を読みながら、
人間の、
その
複雑で、面倒くさくて、一筋縄でいかなくて、
そういう部分を知っていることの、
(あーこんな言葉でまとめるのはしゃくだけど)
豊かさを思った。

以前、彼女の著書で驚いたことがある。
いろいろな家庭の食卓を写真にとってもらって、
そこからいろいろなことを研究している彼女。
お正月にコンビニの菓子パンを食べている家族は、
私には衝撃的だった。
それでも彼女は、それを一方的に責めることはしない。
糾弾するのでもない。

この記事の中では、こんな言葉でまとめている。
「どんな食卓でも、その経緯や背景がある。
 彼女らへの共感を大切にしつつ、
 人や社会をみつめていきたい。
 人は、ある場面では善にもなり、悪にもなる。
 単純に善悪を論じ、あるべき姿を語るのは
 嫌いなんです。それがあの(いじめ)体験
 が私に教えた姿勢ですから」
と。

うんうん、そうかそうか。
ホントに納得する。
「簡単に善悪を論じ、
 あるべき姿を語るのは、
 嫌いなんです」
に激しく同意。

ジャン・バルジャンを見よ。
ねずみ小僧を思い出せ。

いいとこも悪いとこも、
あるのが人間だ。

もう、
山本太郎さんのことも、
大目にみようよ。
みのもんたさんだって、
いろいろあるんだよ。
そんなふうに思う。

食品偽装の責任者の方達、
確かに悪いよ。裏切り行為だよ。
でも、私も、その立場になった時、
自分がそれを絶対にやらなかったとは、
今は言えない気がする。
だって、以前、実家の商売の仕事をしていた時、
扱っていた「甘納豆」の袋に書いてあった
「朝炊きです」のコピーに、
「そんな、毎朝、炊いてる訳ないじゃん」
と思いながらも、
それを指摘せずに販売していた。

バーニーが生きてくれてた頃,
散歩中、あるお宅の生け垣に、
バーニーはおしっこしてしまった。
私がぼーっとしていた時だ。
ちょうどそこにいたそのお宅のご主人に
「何やってるんだ!
 常識ないな!」
と怒られた。
当たり前だ。
かける水も、その時持っていなかった。
私は
「すみません。ごめんなさい」と言いながら、
あ〜この方の目からみると、
私は非常識で、自分勝手な
めっちゃイヤなヤツなんだろうな
と思った。

聖書の中の「姦通の女」のたとえを
思い出す。(カトリックの女子校育ちなもので)
姦通は石打ちの系ということになっていた。
広場に連れ出された女を囲み、
石を投げつけようとしていた人たちに、
イエスは言う。
「あなたたちの中で、
 罪を犯したことのない人から
 投げなさい」
そして、誰も投げることができなかった。




あなたはいい人ですか?悪い人ですか?
そのラジオの番組の構成を考えた人、
あるいはパーソナリティ、
彼らにはきっと、何か理由があって、
その質問をしたんだと思う。
その理由は、私がエンジンをかける前に
話されていたのかもしれない。
・・・としても、私には違和感のあるこの質問。

「私はいい人です」と言い切った電話の方も
相当勇気のある、すごい人というか、
この質問に答えてあげた、
めちゃいい人だと思う。
で、もし、
彼が自分のことを、
いい人と言い切れると考えているとしたら、
なんか、会ってみたい気もする。
それとも最後まで聴いていたら、
オチがあったのかな?


時々いいとこもあるし、
時々めっちゃ悪いこともある。
しかも、いい悪いは、視点をどこに置くかでも変わる。
そういうあいまいなものだ人間は。
それが人間だ。
私もそうだし、
私以外のみんなも、
そうってものだと思う。

そんな土曜の朝。

さて、今日は午後から
働く女性たちに
アサーティブを伝えてきます。



 
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「外からの刺激」と「自分の中の感覚、感情」

【2013.11.08 Friday 11:47
「ラインで『うん』しか
 返事が返ってこないんだよ。
 それでなんだかザワザワしちゃってさ」
「そうかあ、心配なんだね」
「そうだよ。でもま、テスト前だし、
 そんなもんかなと思う」
「テスト前かあ、それは勉強しないとって
 向こうも思ってるかもね」
「うん、そうだよね。
 テスト終わってもそうだったら、
 また考える」
「そりゃ、いいね」
「でも、気になって見ちゃうんだよ」
「気になるよね。
 気になるの、すごく分かるよ」
「だから、一階にスマホをおいといて、
 二階で勉強するよ。
 そうすりゃ、気になっても見れないし」
「すごいじゃん、それ。いいじゃん。
 何日がんばればいいの?」
「3日」
「3日かあ」
「だからずっと見ないと、それはそれで
 爆発しちゃうから、
 時間きめて一階でみるよ」
「すごいじゃん」


のような会話は、
中学生と話していると
よくあることだ。
(この会話はリアルそのものではありません)




心のことって、結局「脳」のこと。

脳は
自分の外からの刺激という情報と
自分の中での感覚、感情という情報を
処理する経験を積みながら
神経ネットワークを発達させていく。

神経ネットワークは生まれつきのものだけど、
発達させていくことは可能らしく、
そのためには、
良質な「自分の外からの刺激」を
たくさん経験させてあげたり、
「自分の中での感覚、感情」を
ちゃんと味わえるといいようだ。

子どもの心を育みたいと思ったら、
このことを頭に置いておくといいんだろうな。

できるだけ良質な「外からの刺激」と、
ちゃんと「自分の中での感覚、感情」を味わえる
経験がいっぱいあると、
神経ネットワークが上手に働いて、
自分の人生にとって
すごく不利益なことは被らない選択肢を
割り出せるようになるんじゃないだろうか。

上記の中学生のように。

「テストの前の勉強しないとならない時に、
 なんとなく『振られること』を予感させる
 ようなやりとり」
という
「外からの刺激」
がくる。
彼女の「自分の中の感覚、感情」は
「ざわざわする」
つまり、心配でいたたまれない感じなんだと思う。
その感覚、感情をつかまえて、
その時とったらいい考え方や行動を考え出せる。



一瞬で人の脳内の神経ネットワークは、
ぱぱぱっと活動する。すごいものだ。



生きていると、

「外からの刺激」は、
それ、今は勘弁して・・・って時にやってきたりする。

忙しい時に、家族の体調不良がわかる。
よかれと思ってしたことが、余計なお世話だと
言われる。
予算がない時なのに、
ものすごく素敵なものに出会ってしまう。
いろいろ抱えてめいっぱいの時に、
次の仕事をふられる。

そういう時に、
上手に脳内の神経ネットワークが上手に作動し、
冷静に、
様々な選択肢を自分で立てられて、
その中から、もっとも良さそうなものを選びとって、
それに沿って行動をし、
結果については自分で責任をもつ・・・。

なんてことができるといい。

そのためには、
「外からの刺激」を怖がりながらも、
いろいろ体験したほうが、
きっといいし、
「自分の中の感覚、感情」をちゃんと自分で
受け取ることも大事なこと。


で、残念ながら
「外からの刺激」は、いつ、何時、
どんな難度でやってくるか、わからない。
時々予想はできても、想定外があるってこと、
もう私たちは、痛いくらいに知っている。
「外からの刺激」を直接コントロールすることは
できない。

そして、「自分の中の感覚、感情」も
無理矢理ポジティブにすることも不可能だ。
「刺激」に対して「いや」って気持ちをもってしまったら、
そのことは消せない。
そのことを直接コントロールすることはできない。

でも、コントロールすることができる部分がある。

自分から進んで良質な「外からの刺激」を求めること。
これはできる。
家にいながらもできる。本や音楽、映画。
ネットで興味あることを探すもいい。
外に出て、いろいろな体験を自ら求めるのもいい。

それから「自分の中の感覚、感情」を、
ちゃんと受け取る。
このこともできる。
「いや」や「腹立つ」「さみしい」「不安」
って思ったことを、否定したり
ごまかしたりしないで、
そのまま受け取ること。

このことはきっと
幼いうちからやっていれば、
心、つまり脳の発達にいいんだろうけど、
いくつになっても、大丈夫。

ちょっとずつ、
できる範囲でやっていけばいい。


今日は午後から中学生に授業してくる。
なんとなく、こんなことが
伝わったらいいなあ。
そして、子どもたちが、
いろいろ面倒なことあるけど、
ま、なんとか、やっていくか!とか、
自分の目標大事にしていいんだ!とか、
あきらめようと思ってたけど、もう一回!とか、
そんなふうに考えてくれるといい。

今日の授業が、
今の中学生にとって
適当に、なんとなくいい、
そんな刺激になるといいな。










 
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谷澤 久美子
counselor