2013年09月の記事 | 今のところではありますが…
自己をならい、自己を忘れる。

【2013.09.29 Sunday 20:13
今日は、私の祖父母、両親の法事があった。
祖母、母が27回忌、
祖父が23回忌、
父が17回忌となる。

その席で、お上人が、
ご自分の仏道に入るきっかけになったことを
話してくださり、
その話の中で、
道元の
「自己をならう
 自己を忘れる」
の言葉を紹介してくれた。

それで帰宅後調べてみた。

「仏道をならふといふは、
 自己をならふ也。
 自己をならふといふは、
 自己をわするるなり。
 自己をわするるといふは、
 万法に証せらるるなり。
 万法に証せらるるといふは、
 自己の身心および他己の身心をして
 脱落せしむるなり」

「自己をならふ」というのは、
自分のことをよく知るってことだと思う。
自分がどんな時に嬉しくて、
どういうことに心を震わせるのか、
どういう時に権利が侵されたと感じて、
その時にはどういう感情がわいて、
からだにはどういう変化がおこり、
その後とりがちなふるまい方は何か?
他者との関係の作り方で、
どういうパタ−ンをもち、
どんなことにストレスを感じて、
その時は、どういうふうに解消して、
そして問題そのものには、
どうやって取り組んでいくのか?

もっともっと、
様々な自分のコンテンツを分かること。
そして、
「自分の取り扱い説明書」を
作っていくということ。

それは、すなわち、
自分のことを、
とってもとっても大切に扱うってことだ。

仏道をならうということは、
まずは、
自分を大切に扱うってことから始まるって
その考えに、
びっくりした。

そして、
今の私にすごくぴたっときたのは、
その次だ。

「自己をならふとは
 自己を忘れるなり」
あ〜53年かかって、
今年の誕生日、
なんとなく、
もう自分自分ってのは
おいておきたいと、
走りながら考えた、あのことは、
この道元の言葉と関連あるのではないか!!!


もともとの意味は、
自分について様々な角度から考えて分かったと
思ったとしても、
それを疑ってみるというか、
それさえも、
決められた環境の中で得てきたことや、
その中でもしかしたらある思い込みをもって
選んできたものから見つけた自分の特性かも
しれないから、
一旦、全部捨てて、考えてみよう・・・
ということらしい。


ただ私は、この言葉を読んだ時、
もう自分自分って、
なんでも自分に引きつけて考えることなど、
やめてみようと考えたことの、
後ろ盾をもらえたような気がした。

自分に、
執着しないでいいってこと。

すごーく考え続けて、
考えた上の自分に、
いつも
捕らわれなくていい。
そんな感じ。


「万法に証せらるるといふは、
 自己の身心および他己の身心をして
 脱落せしむるなり」

とは、

一切のものは、
自分の一人の力ではないから、
周りのおかげで生きているてこってことを、
わかっていくようになる

ってことらしい。


私は
他者からの評価だけに依存して生きていた時間が
長かったからか、
自分に執着し、
「自分をならう」ことに意外に時間がかかって
しまったかもしれない。
やっと「自分を忘れる」ってことが
自分の中からわき上がってくるように
生まれてきたから、
ちゃんと意識して、
少しずつ重心を変えていけばいいんだよな。

自分と
他者。

自力と、
他力。

自立と、
共生。


で、きっといつか、
自分でギアを入れるんじゃなくて、
自然に、ほんとに自然に、
めちゃバランスよくなるんだろうな。


うちのお寺のお上人も、
きっとぶきっちょな方ではないか。
いろいろ迷いながら、
うまくいかないことにぶつかりながら、
生きてこられたと思う。
だからお上人の口から出る言葉は、
リアルだ。
受けそうだと何かを覚えてしゃべってる訳でも、
誰かの言葉をそのまま教えてくれているんでもなく、
ご苦労しながら、
ひとつひとつ自分で考えて確かめて
そして掴みとってきた今のところの確信を
話してくれているように感じる。
それで、私の心に届いてくる。


ってな訳で、
祖父母、両親は
亡くなってしまってからも、
こういうチャンスを私にくれるんだ。









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涙腺崩壊。

【2013.09.24 Tuesday 18:34
仕事の時には、
自分の感情に振り回されたり、
おぼれちゃったりしては、
仕事にならないので、
そんなことはないが、
普段は、めちゃ涙もろい私。

最近プライベートでは涙腺崩壊気味で
そんな自分がなかなかおもしろい。
先週金曜から月曜、
大阪で4日間の仕事を終えて
帰宅途中の新幹線で、
まず第一段階。
じわじわっと
涙が出る。

大阪での講座ってことで、
私の頭には、
1年前の8月の終わり、
バーニーの死を知った時のことが結びついてしまう。
大阪の阪急百貨店の食品売り場で
夫からの知らせを受け取ったあと、
二日間の講師の仕事を勤めて、
帰宅する新幹線の中は、
しゃくりあげて泣いていた。
その時のことを、
どうしても思い出して、
もう、あの時のようには泣かないが、
じわじわっとくる。

感情がオープンになっている私は、
今回の仕事で出会った方々の、
より良くなりたいという望みや、
仕事を支えてくれた仲間たちの優しさ、
そういうことが押し寄せてくるようにあふれて、
お一人お一人の顔を思い浮かべて、落涙。
人の持つポテンシャルに、
希望を感じて、からだ中が温かくなる感じ。

新幹線を降りたホーム、
旅行から帰ってきたと推測できる家族が
私の横を歩いている。
小学校1年生くらいの子どもが、
母親と手をつぎながら歩いていて、
「ママ、楽しかったね」と言った。
その優しい言い方に、
恥ずかしいけど、なぜか涙があふれてくる。
ママは
「本当に楽しかったね」
と応える。
子どもが
「またいこうね」という、
ママが「うん、またいこうね」
と言う。
優しくしあっている場面に、
涙が後から後から出てきてしまう。


翌日の小学校では、
あることにめちゃくちゃ詳しい子と話す。
10歳に満たない彼が、得意分野の問題を私に出す。
私は答えられなくて
ちょっとだけ悔しいんだけど、
そのことで、彼の表情がすごくよくなっていって、
とっても嬉しい。
嬉しくて、せつない。
その子は
そう意識してやっている訳ではないけど、
自分ってものを取り戻したり、
心の安定を保つために、
多分、安心できる「ひとつのこと」に夢中になるんだと思う。
その人間のもっている、バランスを取ろうとする力に、
帰宅後、
ほろりとする。


翌日、
7月に行った、いつもは活動していない中学校での
学校保健委員会の感想が届く。
あの時は、なんとなく、「届いた!という達成感」がなかったが、
感想は、たっぷり書いてくれてあって、
書くことがいっぱいあるってのは、
まあまあだったのかな?ってありがたい。
読みながら、泣けてくる。

中学生ってめちゃ優しい面もあって、
多くの子どもが
「今日の話はすごくよかったから、
 他の学校の人たちにも
 話してあげてください」
と書いてくれてある。

なんだか、いいなあ中学生。
いろいろあるけど、私はかかわっていきたい!
そう思いながら、
私の話を、受け止めてくれた一枚一枚が愛しくて、
涙があふれる。

しかも、楽天優勝!
「見せましょう、野球の底力を」
がリフレインする。
自分がゆっくり歩いてブルペンにいくことで、
相手チームにはプレッシャーを、
自分のチームには安心感を与えた田中選手。
自分の役割をきっちり分かっているそのことにも
感動する。


な時に、
「あまちゃん」が、
明日で終わる。
もう今週は、毎日泣いている。
宮藤さんの
今までまいてきたことの回収が
めちゃめちゃ気持ちよい。
さよならも言わずにもっと北に行ったのは
忠兵衛さんだったし、
「三途の川の」→「三代前からマーメイド」、
「友達少ない」→「親ゆずりのマーメイド」
にやられ、
「鈴鹿さんの方が苦しかったんじゃないか」
に考え、
今日は
夏ばっっぱの
「金持ちはいっぱい金を出してくれれば、
 おらたちは元気をいっぱい出す」
になんだか泣けた。

おまけに毎日新聞の発信箱は、
東北で作られようとしている巨大防波堤に
ついてのコラムで、
そこに夏ばっぱの言葉が書かれていて、
うるっ。
「海が一回や二回、へそまげたからって、
 よそで暮すべなんて、おら、
 そんな気持ちで生きてねえぞ」

しかも毎日新聞には
宮藤さんのインタビューまで。
「震災直後、地元に帰ると、
 友人らが口にしたのは『大丈夫です』
 という意味の『おがまいねぐ』だった。
 『どんよりとした東京の人間に対する
 被災地の一番愛のある返事に聞こえ、
 随所にこの言葉を盛り込んだ」
「おがまいねぐ」は、気にしないで・・・
みたいな言葉なんだなあ。

あ〜今週一週間、泣けて泣けての日々だった。


それで、
体調をくずしてしまい、
困っていたところ、
予定の変更を快く承諾してくださった方の優しさに、
めちゃくちゃ涙。

あ〜そんな一週間。
そして明日は最終回です。







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夏の疲れに効く〜!

【2013.09.18 Wednesday 21:33
鈴虫の声が聞こえてくる。
風も気持ちいい。

秋の足音がはっきりしてくると、
私はすぐにおでんを煮ちゃう。
義父の好きなスジ、
夫の好きな竹輪麩、
私の大好きなちくわを
いっぱい入れて煮る。
薄い出汁で、じっくり煮るって行為は、
効率的ってのと真反対な感じで好き。
ゆっくりゆっくり味がしみ込んだ具が、
不器用な自分みたいで、愛おしい。

さてさて、夏の疲れが出る頃だ。
特に今年の夏はめちゃくちゃキツかったから、
ちゃんと労ってあげたい自分のこと。

そのためにも、
そう、断言してしまうが、
そのためにも、
私は今、時々やってることがある。
それは投書ができるところで、
嬉しい、楽しい、良かった系の
投書をすること。

少し前のこと。
その日は夜講演があり、それを終え、
全力を出し切ってちょっとばてて、
ご褒美ご褒美!と、
いつものスーパーによって、
冷たい飲み物を買った。
その時対応してくれたレジの、
多分バイトの、若い女性の笑顔が、
すごくすごくさわやかで、
思わず胸の名札を見た。
めちゃくちゃ気持ちいい笑顔!!!
いやー、さわやかだったなあ。
そう言ってくればよかったなあと
考えながら歩いて出口に向かうと、
投書のポストがおいてあった。
もったいないから投書しておこうと、
彼女の名前を書いて、
「疲れきってたところに
 ○○さんの笑顔で、
 めちゃさわやかになった」
と投書した。

何日か後、同じスーパーに行って、
投書コーナーを見ると、返事があった。
彼女は外国に留学するため、
今はもう働いていないけれど、
この投書を読んで、喜んでいた・・・
というような内容の感謝の言葉を
書いてくれてあった。

あ〜そうだったんだ。
彼女の笑顔に会えないのはさみしいけど、
留学でいろいろ学べるといいなあ。
彼女だったら、きっとどこに行っても
いい感じで生活するだろうなあ。
私は妄想癖を思う存分働かせて、
すっかりいい気持ち。

こりゃ、いいぞ。
わざわざ探すことはしないけど、
いいね!って思ったことで、
そのことが投書できることは、
やってもいいかも。

同じスーパーで、やはり夜、
1000円未満の買物に、
一万円札しかなかった。
申し訳なく思いながら
「ごめんなさい」と言ってだすと、
やはり笑顔で受け取ってくれたばかりか、
おつりの5千円札も千円札も、
しわのよっていない、
キレイめのものを探して、
渡してくれた。
私はそのひと手間が嬉しくって、
その日も投書してみた。

やっぱり何日かしてみてみると、
店長からの返事がある。
そういうところに気がついてくれて
ありがとうございます。
みんなでがんばります!系の
こう、なんというか、元気が出るかんじの
お返事。

嬉しいんだ、それが。


以前「『親切』は驚く体にいい」という本を読んだ。
これが「親切」なのかどうかは分からないけど、
私のカラダには確かに効いていると思う。

誰かが、私の小さなつぶやきで
喜んでくれたかもしれないってことは、
私を元気にする。

いろんなところで、
チャンスがあったら、やってみるつもり。




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学びのプロセス。

【2013.09.16 Monday 20:11

アサーティブ・カフェに参加してくださった方々の
フィードバックシートより、
オープンにしていいと書いてくださったものを、
紹介します。

アサーティブの学びをスタートされた方、
積み重ねてらした方、
それぞれの、
大切なプロセス。


・私は思ったことをすぐ口に出してしまいがちでしたが、
 毎回カフェに参加するたびに「事実」「感情」「要求」
 を整理しながら伝えることを確認しています。
 そして昔みたいに頭ごなしに「しっかりして」とか言わず、
 しっかりしてほしい部分を具体的に言えるように
 なってきたかなと思います。 (みねっち)

・具体的な事例で、理論のどこを使っていなかったのか、
 12の権利の何を使ったのかと確かめる作業を通して
 振り返りの大切さを実感しました。また自分に権利が
 あるだけでなく相手にも権利があることを忘れて、
 相手の反応に憤っていたことに気がつきました。
 日常生活の中で、アサーティブであったほうがいい場面を
 見過ごしていましたが、他の方の事例をきくと、自分にも
 あるある!と新たなメガネを手にいれた気がします。
 日常生活すべてが腕をみがく場と考えると、人との
 コミュニケーションが楽しみになってきました。(ケケ)

・(以前言わない選択をしたものを、整理に取り上げました)
 とにかく事実にしても、要求にしても、その相手すら
 誰なんだろうというくらい的がしぼれないのです。
 ですからとにかくひたすらレジュメに書き込みしました。
 その結果すぐに分かったのは、自分はこの件で大変困って
 いるということ。悲しいし悔しいし不安だということです。
 そして誰かを責めてしまう危険があることを除外して、
 誰にどんな要求をすることが現実的に可能であるか、
 少しずつ整理していきました。まだ、整理しきれて
 いませんが難しい問題であればある程、基本に忠実に
 一つ一つ分解するように整理していくと良いと感じ
 ました。まだこの件を話し合いのテーブルに乗せる
 勇気をもてませんが、心の中でグルグルうずをまいて
 いたものは少し楽になったようにも思えます。
 正直言うと、まだ相手との関係が壊れることを
 恐れる気持ち(相手を対等に見ていない)、
 自己責任の部分の覚悟の足りなさがあって、結果
 言わずに終わるかもしれないなあと思っています。
 今、フィードバックシートを書きながら思うことは、
 このプロセス一つひとつだって、自分に誠実になる
 ことなのでは!ということです。(ココロ)

・職場に限らず、人間関係の中で「対等」ではいられ
 ないことに気づけた(自分を下に置いてしまう癖が
 ある)。
 会話に加わり、相手の話を聴き、自分が話すことが
 苦手で、できるようになりたいと思っていた。
 「対等」でいられない自分の考えの癖が原因(の
 ひとつかも)と気づくことができた。(ゆりちゃん)
 
 
・・・・・・・・・・・・

アサーティブの学びを、ちょっと休憩されてた方、
大丈夫ですよ。また一緒に学びましょう。
また、大分休憩されてた方、まったく忘れて
しまった方、大丈夫です。思い出すところから
始めましょう。

次回、12月はおしゃべり中心の会。

一年の終わりに今年のコミュニケーションを
振り返るいいチャンスです。
参加をご検討くださいね。

お申し込みなど詳しくは

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手探り→手がかり

【2013.09.14 Saturday 15:08
ある方の行動を直してほしいと思う。
その行動は、
組織の中ではまずいんじゃないかと考えるから、
それを建設的に注意したい。

その方まるごと駄目だとは思ってない。
これからもチームの一員として
力を発揮してほしい。
でも、ある行動だけは、
直してほしいって思ってる。


伝え方は、楽じゃない。


建設的とはいえ、指摘やアドバイスや
批判をする訳で、
後の関係を考えると怖くなったり、
そのために他の人にイヤな想いをさせることに
なったらどうしょうかと考えたり。

それでも、
指導する立場だし、
チームのリーダーだし、
あるいは管理職だし・・・
となると、
伝える必要が出てくる。



たとえば、
aさんは時間ぎりぎりで出勤する。
そして勤務時間内、
他の方々が準備などで忙しくされている時に、
まずはスマホをチェックして、
メールのやりとりなどをし、
そこからタバコを吸いにいく。

たとえば、
bさんは、部下cさんの相談には丁寧に乗っているようだが、
dさんの相談には、「そんなこと気にするな」と一刀両断。

たとえば
eさんには自分のところにくる時は
メモれるものを持ってくるように伝えているけれど、
また今日も手ぶらできて、
注意事項を書き留めない。
案の定、何度も同じことを説明しなくてはならなくなった。

彼らに一方的に伝えるという方法も確かにあると思う。

「始業時間前に、個人的なメールのやりとりや
 喫煙はすませてください」
「部下の話は、同じようにきいてあげてほしい」
「何度も言っているが、
 自分のところに来るときは必ずメモれるものを
 もってきてほしい」

毅然と伝えるのはもちろん大切だと思う。
それプラス、
aさんにもaさんの考え、
bさんには自分の知らない背景、
eさんには実施できない事情、
きっとそれらがあるんだろと考えて、
それらをふまえて話し合うことができれば、
一緒に働いていく仲間として、
これからのためにも、
よいコミュニケーションの機会になるのではないだろうか?

相手の考え、背景、事情を聴くことで、
相手の必要としていること、
自分の伝えたいこととの接点を見つけられると
いいなあ。



(なんてことを考えている時、
 シリアへどういう介入をするかという話し合いで、
 ロシアとアメリカが、なんとか合意したとニュース。
 よかった。ほんとによかった。
 単純ではない、いろいろな思惑な中のことだと
 なんとなくわかる。
 それでも、とにかく、
 攻撃ではない方法に合意できたことが
 嬉しい・・・)





・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、
今年度2回めのアサーティブ・カフェを開催。
9名の方々が、
自分の課題に取り組んだ。

それぞれの課題を実践していくために、
アサーティブの理論をどう使うか、
言いたいことを伝わるように整理するとしたら
どうするか、
それらを考えた。

コミュニケーションを
手探りでなんとかがんばるのではなく、
アサーティブという手がかりを使って
改善していく方法を、
少しずつ取得されてる皆さん。

そんな皆さんと過ごす
めちゃくちゃ濃い時間となった。


第三回アサーティブ・カフェは、
12月14日(土)午後1時15分〜4時45分。
この回は、年末ということもあり、
一年をアサーティブな視点で振り返ってみる
おしゃべり中心の回を予定。
また終了後、忘年会も。
お申し込みなど詳しくは


また
アサーティブ・トレーニング基礎編も
まだまだ受講生募集中。
手探りでがんばるのもいいけど、
手がかりをつかむと、
人間関係、ぐっと楽になる。
お申し込みなど詳しくは






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間違えながら、行く!

【2013.09.10 Tuesday 18:02
学校で活動していると、
ほんと、幸せだなあって思う瞬間がある。
どうやって自分がいろいろなことを覚えてきたのか、
今の自分の基礎を作ってくれた数々のことを、
確認する機会がいっぱいあるから。

今日は、保護者からの依頼で、
子どもを観察するために、
小学校一年の算数の授業をみることができた。

たくさんの数を数える方法ってのをやっている。
10ずつに分けて数えるって方法を、
私たちは、こんなに丁寧に教えてもらって、
身につけてきたんだ!って、感動する。

しかも、このクラスの先生の、
子どもたちへの声かけが、
すばらしくって、
目の奥がツンとなるような出来事に遭遇した。
(学校では冷静な自分をやった方がいいので、
 泣かないようにしなくては!だ)

私がそのクラスに入ると、
黒板にはすでに
たくさんのイチョウのはっぱの絵が書かれてる
プリントがはってあって、
そばに、
45 って数字と 46 って数字が書かれていた。

このイチョウのハッパの数を、
45と数えた子と、46と数えた子がいるらしく、
ほとんどが45だが、
4人だけ46と答えたらしい。

正解を出すために、先生がやったほうがいい方法を
教える。

まず10ずつの固まりにする。
その固まりがいくつかと数える。
そして、10に満たない半端な数字を
数える。

全員でそれをやると、正解は45ということになった。

先生は言う。
「45が正解だったね。
 46って思った人、立ってくれる?」
4人立つ。
「ありがとうね。今立つってすごく勇気がいるよ。
 4人はすごく間違えた訳じゃなくって、
 たった1間違えただけだよね。もったいないよね。
 もったいないけど、45じゃないから、
 先生は○をあげられないんだよ。
 だから、これからなるべく間違わないようにするために、
 どんな数え方をしたか、教えてほしいんだよ。
 それはみんなの役にたつよ。
 教えてくれる人いる?」
4人とも首をかしげている。
「そうか、忘れちゃったかな。
 では、他の人でもいいよ。
 想像して、どういう数え方をすると、
 間違えやすいか、考えた人いる?教えて」

子どもの中から
「数えたのに、印をつけないと、
 また数えてしまうかもしれない」

先生は
「そうか、それはあるかもね。
 ひとつのイチョウを二回数えないようにするために、
 どうしたらいいんだろう」

子ども
「印をつける」

先生
「そうだよね。
 印をつけるといいね」

「それで、10よりたくさんの数があるときは、
 どうするんだっけ?
 ○○さん」(と間違った子にチャンスをあげる)

子ども
「10のかたまりにする」

先生
「そうそう。
 もう分かったね、
 そうすればいいんだよね」


私は、
こうやって、たくさんの数の数え方や、
10の位、1の位のことを理解してきたんだ!
という、そのことに考えがいく。
今となってはすっかり忘れてしまっていることだけど、
自分が今使っているあらゆることが、
誰かから丁寧に教えてもらってきた
その結果なんだってことが、
そのことへのありがたさと、
そのことを思い出せる場で働いていることのありがたさで、
心の中が温かくなる。

それから、この先生の、
「間違ったことも、みんなの役にたつ」
ってメッセージが、
かけよって握手したい感じだった。


人は間違うものだし、
失敗もするものだ。


だから駄目なんじゃなくて、
間違って、失敗して、
それを自分の人生に活かしていければいいんだ。

この先生は、
それをクラスみんなの役にたったと位置づけた。


このクラスは、
「間違ったらどうしようと、
 発表するのをやめる」とか、
「失敗したら恥をかくから、
 トライするのはやめておこう」とか、
あるいは、
「間違ったり失敗したとき、
 みつからないように隠してしまおう」とか、
そういうのがないだろうな!
って思った。
そういうのが、いいなって思った。


きっと
「傷つくくらいなら、
 かかわらない方がいい」
もきっと、ないと思う。






私が伝えている「アサーティブ」は、
1950年代にアメリカで行動療法として始まり、
1960年代70年代、
一人一人に「自己表現する権利がある」という
人権運動の中で、トレーニングとして発展してきた。

アサーティブジャパンでは「自己表現の権利」を
12伝えているが、
その中で「失敗する権利」を保障している。

「私には失敗する権利がある」

あらゆる世代の方々が、
この権利を紹介した時、ほっとされているのを感じる。

失敗してはいけない、間違ってはいけない・・・
と自分を律して、必死でがんばって生きてきた方々の
背景を思うと、めちゃせつなくなる。


「私には失敗する権利がある」
「あなたにも失敗する権利がある」


あらゆる学校のあらゆるクラスが、
こういう安心して失敗したり間違ったりできる場だと
いいけれど、
そんなことはないことを、知っている。

「恥をかかせた方が忘れものをしなくなるから、
 大きな声で叱り罰を与える」
という教育の方法を使っている先生も、
残念だけどいると思う。

私のスクールカウンセラーとしての仕事のひとつに、
そういう考え方の先生方とも、
その先生自身を否定するのではなく、
でもその考え方からの方法で出る影響や、
(もしあったら)起こっている問題について、
その先生も尊重しながら話し合っていくって
役割があること、十分わかっている。

やっていくよ。
ちょっとずつやってきてるし。




そして、
こういうクラス、こういう先生の存在が、
希望だと思う。


今日の、あの時間のことが、
胸に刻まれて、
彼らは算数も学びながら、
「どうやって生きていくか。失敗編」を
学んだと思う。



算数も言葉も、
そして、
人とのかかわり方も、
誤りをどう人生に活かすかも、
いろいろな人に教えてもらって、
今日に至っている私たち。

そのこと、
時々確認しながらいこう。
それから、
自分の言動が子どもの与える影響を、
やっぱり確認しながらいきたいものだなあ。







author : tanizawa-k
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報われるかもしれない。

【2013.09.04 Wednesday 17:45
今日は午前中は普段活動している中学校で
通常の仕事。
午後は、普段は活動していない中学校で
道徳の講師の仕事。
その学校は月・火とテストがあり、
やっと終わった、今日水曜日。
いよいよ体育祭に向かって準備をしたい!という
そんな日の、しかも、
もっとも眠くなる午後一の授業。
しかも、この気温!湿度!
どんなになるだろうか?と、
準備する段階で心配だった。

でも、昨日の夕方の出来事が、
私にものすごいパワーをくれて、
結果的に今日は、結構いい話ができて、
しかも、子どもたちに伝わった感がある。

・・・・・・・・・・・・・・・

昨日、
自宅の駐車場に車をとめると、
向いの一人暮らしの女性が、
声をかけてくれた。

90歳近い方。

「ねえ、
 仕事もしながら、
 家事もして、
 おうちの方の面倒もみて、
 大変じゃない?」

私が、あいまいにうなずくと、
彼女は話を続けてくれる。

「私が結婚してこの家にきて、
 この家から3人見送ったの。
 義理の父と母と、夫。
 一番大変だったのは、母の時。
 仕事も忙しい時で、
 入院している母のところに泊まり込んで、
 そこから仕事先にいったのよ。
 夫の時は、最後彼はホスピスに入ったんだけど、
 私はもうその時定年退職してたから、
 その夫の病室に、私も入院して二ヶ月
 一緒に暮らしたの。
 モルヒネなんかを使っていて
 朦朧としている時も多かったけど、
 最期の最期は、すごくはっきりしていてね。
 私の耳元で小さい声で
 『ありがとう』って言ってくれたのよ。
 大変なこともあったけど、
 その一言で救われた。
 あなたのこと、家から見てると、
 いつも荷物いっぱい抱えて帰ってきて、
 走って階段かけあがっていって、
 よくやってるなって思ってたのよ」

私は、
なんだかありがたさでいっぱいになって、

「ありがとうございます。
 今、こうしてお話してくれている間、
 私を励まそうとしてくれているんだって、
 すごくすごく思って、ありがたいです。
 それで、そんなふうに思ってくれて、
 すごく嬉しいです」

と言うと、
彼女は

「あなたみたいにやっていると、
 絶対って言えないんだけど、
 報われる日も来るかもしれないってこと、
 言いたかった」

と言ってくれた。


私はその時に、
私が子どもたちに伝えたいことって、
彼女が私に言ってくれたことだ!って
思った。
そのことを、彼女が私にしてくれるように、
私も自分の言葉で話せばいいんだ!って、
すごく力強く思った。


私は彼女にできる限りの感謝を伝えて、

その後、日頃思っていたけど、言ってなかったことを
伝えた。

「そうやって3人の方を見送られて、
 それで、○○さんはずっと社会活動も
 続けてらっしゃるじゃないですか。
 私はそのこと、とっても尊敬しています。
 私もずっと、社会のことに関わっていきたいし、
 ○○さんが先輩の女性としてやってくれているから、
 めざすモデルが近くにいるって感じなんです」

彼女はすごく喜んでくれた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・

子どもたちに、
心理学からのヒントや、
カウンセラーとしての経験からや、
いろいろな事例を出して、
すごく汗いっぱいかきながら、
話してきた。

悲しいこともあるよ、
腹立つこともある。
嬉しいことも、幸せなこともあるし、
でも、さみしくて、苦しくて
どうしようもない時もある。
どうせ、そんなんだから、
ま、どうでもいいよ・・・
って考え方もあるかもしれないけど、
それでも、
その時できることをやっていく
って選択をしてほしいって思う。

バッターボックスに立たなければ、
三振しない。恥もかかない。傷つかない。
打てるかな?って不安にもならないし、
打てなくて情けない想いをすることもない。
でもさ、
バッターボックスに立たない限り、
ホームランは打てないんだよ。

しかも、その時は打てなくて辛くても、
そのことは、
次のバッターボックスに立つ自分の
すごい経験になるんだよ。

今の、そのままのあなたでいいんだ。
そのあなたで、今やれること、
やっていこう。

そうやっているとね、
残念ながら絶対とは言えないんだけど、
でも、報われる日が
くるかもしれないんだよ。




半端ない汗の量で
お化粧もすっかりとれて、
それで、なんだかエネルギー使いはたした
感じなんだけど、
すごい達成感。

そして、向いの女性に感謝だなあ。






author : tanizawa-k
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「『助けて』と言える国へ」

【2013.09.02 Monday 15:13
この本の中で繰り返し
「絆という言葉の中には傷って言葉が入っている」
と奥田さんが言っている。

他者と関わって絆を深めようとした時、
優しくて温かくて柔らかくて幸せなことばかりが
起こるばかりではない。
人と人がいれば、全員同じ意見で
同じ出来事に同じ感情を抱く訳ではないから、
かならず、そこに「違い」が生まれる。
もちろん違いは違い、間違いではない。
間違いではないが、
違っていることから、理解しがたいものを
理解しようとする葛藤が生まれたり、
意見の違いが権利の衝突をうむこともある。
良かれと思ってしたことが
迷惑だと受け取られることもあるし、
逆に,相手が発した何げない一言が
思いのほか堪えた自分に気がつくなんて
瞬間もあるものだ。

奥田さんは言う。
「絆には傷が含まれる。傷から絆は生まれる」

傷つくことなしに、
関係を深めることなど、幻想なんだけど、
「喧嘩のない社会が優しい社会かというか全然違う。
 それは冷たい『無縁社会』です。
 なぜ喧嘩しなくなったかというと、
 仲良くなったのではなくて、
 無縁になったからです」
という言葉に、
あ〜痛いなあと思う。

私を含めて、
大人たちの作っている社会は、
なあなあでいけるとこまでいこうとしたり、
見て見ぬふりしたり・・・。

そういう大人たちの作っている社会を背景にして、
子どもたちの社会があるんだ。


学校の先生方は、
「子どもたちが他者と関わらなくなっている」
とよく言う。
私もそう感じている。
このことには大きなデメリットがある。

人は、他を出会うことで、
自分を確認したり、
新しい考えを知ったりしていき、
また他者に対する思いやりの心も育まれていくが、
そのことの体験が決定的に少なくなってしまう
ってことだ。

その背景には、
大人の社会があったんだ!
子どもたちが変わってしまったんではなくて、
私たちが作ってきた社会の中で、
その中に子どもは適応しようとしていたんだ。
このことに、改めて気がつく。


学校保健委員会の講師として訪れる、
いろいろな学校の保健室の先生の言葉が蘇る。
「今、うちの学校の子どもたちは、
 悩んでいない」
「子どもたちに葛藤や内省を感じられない」
「中学校生活は捨てている感じがする」

コミュニケーションの授業の講師と伺う高校の
先生にも子どもたちの会話が、
「超かわいい、むかつくで、終わってしまっていて、
 むなしい」
と伺う。

かかわらないから、自分を確認するチャンスが少なく、
としたら内省できない。
他を知らずにいたら、今のままで良い訳だから、
そこに葛藤は起こらない。
他と浅いつきあいの中だったら、
どういう出来事でも軽い反応で十分。


子どもたちをそうさせてきたのは、
大人の
傷つかない程度に絆を作っていけたらいいな・・・みたいな、
そんな社会だったってことだ。


とりあえず所属したグループの中に
居場所を求めて、
その中で、
全神経を集中させて空気を読みながら、
暮すこと。
子どもは、私の目にはそうして生きているように見えて、
それは本当に生きづらいだろうけど、
その背景には、
私たち大人が作っている社会があった!
そのことが、納得できて、めちゃ辛くなる。

そういう本。



ちょっと話は違うけど、
まったく違う訳でもないこと。

バーニーが天国に逝ってしまって1年。
新しい家族を迎えたいなと思っているが、
義父が反対意見を表明してくれた。
もう、最愛の犬が死んでしまうという
そのことに耐えられないと彼は言う。
「死んでしまって、
 台所の床のところで横たわっていて、
 かわいそうに、冷たくなって、
 それを、抱きかかえて・・・
 あのことを思うと、
 また、あんな想いをしなくては
 ならないと思うと、
 俺は飼いたくない」
3匹の愛犬を見送ってきた義父にしてみたら、
そうだと思う。

でも、
それがあるからやめるんじゃなくて、
その辛さも含めて犬と一緒に暮そうよと
ちゃんと話し合って、義父にも納得してもらって、
また犬と暮らしたいって思っている。


ちょっとしたささくれだったり、
擦り傷だったり、
時には重傷になってしまう場合もあるが、
かかわって生きていくということは、
傷もできるということだ。
傷も含めて絆。

そのことを、
大人がやっていくことでしか、
子どもの社会は変わっていかないんじゃないかな。


今週、道徳の授業でいく中2の子どもが書いてくれた
五七五の文のひとつ
「人生は 辛いばかりだ 甘くない」
に、
私はちゃんと答えてこようと思う。
確かに辛いことあるよ、
甘くない。
でも、人生は信頼して生きていくに足るものだということ、
傷も含めて絆だし、
辛いに一本足して幸せなんだってこと、
私の言葉で伝えてくる。



ま、そんなこんなで、
辛くなってしまったけど、
それでも読んでよかった本!





author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor