2013年06月の記事 | 今のところではありますが…
いってらっしゃい、ツバメ達。

【2013.06.28 Friday 17:23
ツバメが、どうやら巣立ったようだ。

毎年、4月の中頃くらいに、
まず、挨拶みたいに、
我が家の2階と目線があう電線で、
声をきかせてくれることから、
私たちのそわそわは始まる。

「巣を作ってくれるかな?」と心配しながら
見守るが、
年によっては巣までは作らないこともある。

昨年は順調に巣作りを始めたが、
途中、ネコに巣を襲われて、
めちゃダメージを受け、
それからは他所に移ってしまった。

今年はゴールデンウイーク前に挨拶にきて、
一羽が、昨年ダメージを受けた巣の修繕を
始めた。


私たちが旅行から帰り、しばらくすると、
どうやらカップルになったようで、
二羽で修繕を協力してやっている。

↓真ん中の凹んだところを修繕。

私たち家族は、
ネコの襲撃から巣を守るために、
駐車の位置などを決めた。

少し不便だけど、
今年はなんとか子どもが孵り、
育つまで見届けたい覚悟を確認した。

そのため我が家に来てくださるお客様や、
相談室に来室される方にも、
駐車の件で不便をおかけしていた。

そうやって、お客様に不便をおかけしながらも
見守っていた5月22日、
ついに卵をみっつ発見。


よし、家族になるんだぞ、ツバメ!


5月26日、温める親ツバメ。

そして、
6月8日ついに卵が孵る。
東京で仕事をしていた私の元に、
夫からラインで報告あり。
二羽で交代で温めていた。
よくがんばった!ツバメ夫婦。


6月10日の様子
いやあ,赤ちゃんだわ。
赤いもの。


6月14日、ちょっとずつ
はっきりしてきてるぞ。


6月15日
巣の淵に背がやっと届くようになったツバメたち。
親がエサを運んでくれるのをひたすら待つ。


6月17日
今年の子ツバメは、あんまり強く要求せず。
親ツバメがエサをくわえて姿を見せても、
いつもの年のようには、騒がない。

6月20日だんだん立派になってきた。
この後すぐに、2羽が飛べるようになる。

6月21日取り残される一羽。
この子だけ、どうしても飛べない。

6月22日飛べないこの子は、なんだか落ち込んでいる
ようにもみえる。
がんばれ!

6月23日親が運んでくれるエサをほおばる子。
まだまだ飛べない。


そして、今日6月28日。
その最後の子ツバメが、
今朝、めでたく
飛べるようになった。
9時くらいまでは、家の周りを
親と一緒に練習していた。
何度も、二階の私たちの部屋と目線があう電線まで飛んできて、
「心配かけたね。でももう大丈夫だよ。
 ほら、こんなに上手に飛べるようになったよ」
と伝えてくれてるみたい。

10時前になると、
兄弟たちもやってきたのか、
4〜5羽で飛び回っている。

そして、私は仕事に出かけ、
戻ってくると、
すっかりと巣はカラ。



全員巣立てたのは嬉しいことだけど、
ま、さみしいのが本音だなあ。


さみしい上に、心配事もでてきた。

調べると、大体、
ツバメは同じ巣に帰ってきてくれるとのこと。
今回子ツバメ3羽が生まれたけど、
どのツバメが親の作った巣を後継するのだろ。

振り返ると私は、
中学の頃から、
継承問題で悩んできた。

「個」と「家」の間で悩んだことが、
今の私のスタートだ。

なんだかね、
ツバメを見ながらも、
そんなことを考えてしまって、
さみしさと同時に、
ちょっと心配になったりして。


一日300回くらい子どものために
エサを運んだりする親。
子が小さいうちは、
フンは親がすぐに加えて外に出し、
巣の中を清潔に保つそう。
そんなふうに育てた子どもたち。

でも、1羽しか、この巣は譲れない。


あ〜親ツバメも悩むだろうな。

子ツバメの中には、
譲られることが逆に困るというか、
自分は他の場所に一から巣を作りたい!
って子もいると思うよ。私のように。

でました、私の老婆心。

鳥の世界にそんな葛藤はきっとないわな。
最初に帰ってきた子が、
この巣の住人になるんだろう。





それにしても南への旅は長いだろう。
どうか無事で。
そしてまた我が家に戻ってきてほしい。

いってらっしゃい。ツバメ達。






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一方からみると、そう見えるのか。

【2013.06.22 Saturday 18:48
大河ドラマ「八重の桜」を見ていると、
「篤姫」や「龍馬伝」で見たものと、
随分違って見えて、大変におもしろい。

同じひとつの出来事も、
相対する自分と相手から見えることは、
違うんだよな。




話し変わって、
なぜ人は自分が正しくて、相手は間違っている
って思うんだろか?




同じひとつの事実を考えていても、
人はひとりひとり、自分が見たいように
それを見ていると考えてよいかも。

人が考えをかためていくのには、
大体3段階くらいを踏む。

①「情報を取り入れる」
 それも、無意識に、
 自分の得意な方法(情緒的に取り入れたり、
 エビデンスベースで取り入れたり。
 あるいは視覚から、または聴覚から、
 触覚から、得意なバランスで取り入れる)

②「解釈する」
 取り入れた情報に、様々な意味をつける。

③「結論を引き出す」
 
この3段階のそれぞれの段階で、
自分のやり方がある。

①の
情報の取り入れ方は、
以前読んだ「象の鼻としっぽ」という本で、
詳しく触れていて、
同じ象の一人は鼻をさわり、
一人はしっぽを触って、
象という動物の事実を知ったと思い込むのだ。

もう本当に自分の都合なんだと思う。

人は情報を取り入れようとする時、
そのことに関するすべては精査できると
到底思ってない。だからできるだけ集める。
自分の手に負える範囲の情報だ。
つまり全てではない。
しかし、そのことを意識的にか、
無意識でか,忘れてしまい、
自分の都合で取得した情報が全てのように
思ってしまう。

つまり、最初のステップ「情報を取り入れる」
ところから、同じ土俵ではないこともあるって
ことを知っておくことが大切なんだよな。


②しかも解釈となると、またまた自分の都合だ。

よく子どもが使う「みんな持ってるよ」の「みんな」の
怪しさは誰でも分かっている。
仲のよい2〜3人がスマホに変えたら、
世の中全員がスマホかのように親に言ったりする。
親側から言えば、クラスの女子全員なら「みんな」と言ってよし
くらいの感じだろう。
「みんな」の解釈は、子どもと親ではまったく違う。

解釈は、人のこれまでの経験によって変わる。

私のおじいちゃんは鼻紙(←死語)を持っていて
鼻を何度かかんでも、それをポケットにいれて
また使っていた。
そういうおじいちゃんにしてみれば、
ティッシュをシュッシュッと二回とって
テーブルふいて捨てるなんて、
「なんと始末の悪いことだ」と解釈したと思う。
逆に今の子どもたちは、おじいちゃんの鼻紙の
使い方は、想像を超えていて「きたない」と
なると思う。

また、自分なりの「こうあるべき」で
解釈は変わる。

たとえば、白髪はみっともないと考える人は、
白髪染めは優先されるべき事項になるが、
別に生え際が白髪であっても、
そのために、自分との約束を先送りされるのは、
考えられないと思われてしまうことだってあるはず。


違った情報に基づいている上に、
自分オリジナルの解釈をして
③の結論に至る。

自分が正しいと思ってしまうのは、
自分の情報や解釈や、そこからの結論に
何の疑いももたない時だと思う。





このことをちゃんと認識していないと、
自分の意見が一番正しいように誤解してしまう。

相手は相手なりの事実の見方をして、
解釈をして、
そこから導き出した結論をもって、
この話し合いに望んでいる。

私も、私なりに集めた情報から事実をみて、
私の、もしかしたら偏った解釈をして、
その上でこの結論を導き出した。

だから、
私には見えていなかったことがあるかもしれない。
見えてなかったことに、重要なヒントがあったの
かもしれない。
それらを見逃した上での私の解釈。
しかもその解釈も、私の中の思い込みが
働いている可能性だってある。

自分が絶対、100%正しいなんて、
言えない。

というところに立った時に、
話し合いの扉は開く。

もちろん、相手は自身が正しいと思い込んでいる
かもしれないが、
対話とはおもしろいもので、
こちらが、
自分の正しさに謙虚になった途端、
防衛のために頑なになっていたドアの鍵を
あけてくれたりするものだ。




お互い、この問題を解決するために、
自分の見ていた事実をテーブルにのせよう。
そこからどういう解釈をしたのか、
披露しあおう。
そして、両方のものを持ち寄って、
解決に向かえるようにアイディアを出し合おう。




・・・と一方的に考えてたことがあり、
やば!と思って、
自分の整理をしようと書いてみました。

書きながら、やっぱ、最初の自分の結論は
私の少ない情報、しかも、
見たいところしか見てないことからの情報ってことに
気がつきました。

まだまだ時々、そうなる時があるなあ。
自分の「あまちゃん」っぷりが可愛くもあり。






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なんでもなくない、でいい。

【2013.06.20 Thursday 20:32
小6の国語の教科書に

「なぜ、わたしたちには
 不安や後悔などの、
 楽しさをそこなうような
 感情があるのでしょう」

という問題提起をして、
次に

「それは、
 不安も後悔などの感情も、
 生きる上で役に立つからです」

と答え、
その理由を述べている。

たとえば「不安」については、

「どんなときも不安を感じず
 突き進んだために、
 危険な目にあい、
 命を落とした祖先がいたかも
 しれません。
 それに対して『不安』になって
 どうしていいかわからず、何も
 しなかった。そのために生き残る
 祖先がいたのでしょう」

ということだ。

このことを、
私の学んだ「CL〜建設的な生き方〜」では、
感情はメッセージと呼んでいる。

感情が湧くということは、
そこに何かメッセージがあり、
そのメッセージを読み取って、
行動していこうと、
私はCLで学んだ。

たとえば、
講演で失敗して『情けない』と
いう感情を持ったとする。
それは、講演をするという仕事を
私が大切にしてる証拠で、
だからこそ、講演という仕事を
大切にできるような行動計画を立て
やっていこう!
という感じだ。


私は、来週、
通常活動していない中学校で、
「自分を肯定する力を育むことに
 貢献するような授業」
を依頼されている。
しかも、2年続けて呼んでいただいていて、
3回目なので、
新しいプログラムを考えてる。

その新しいプログラムを、
この茂木さんの文章を使って、
組み立てようと考えている。

私たちの生活は「感情」によって
左右されたりする。
嬉しかったり、いらいらしたり、
楽しかったり、くやしがったり、
幸せだったり、心配になったり、
高揚したり、落ち込んだり。

心地よい方の感情は大歓迎だけど、
不快な方の感情を感じた時、
私たちは試される。
私たちの「自己を肯定する力」を
試されるんだ。


今朝のイタリア戦。
吉田選手はなぜクリアをもっとしっかりしなかったか、
多分、めちゃ悔しい思いをしたのではないか。
めちゃ「悔しい」思いをして、
だから何もかもイヤになってしまって、
投げ出した・・・と、彼は多分ならない。
そういう感情とのつき合い方を今までしてきたら、
多分、吉田選手は代表に選ばれる選手までに
なってなかったと思う。
そして、そんな自分のことを、
周りがどんなに慰め、どんなに励ましたとしても、
自分では肯定することが、なかなかできなかったの
ではないか。

不快な感情といかに付き合い、
不快な感情を明日に活かすにはどうしたらいいか、
そういうことを(無意識でも)知っている人たちが、
精神的にも自立した一人の大人として
生きているんだと思う。



感情といかにつきあっていくかこそ、
「自分を肯定する力」と繋がっていると私は思う。

茂木さんの文章の中に、
「喜び、希望、安心、悲しみ、不安、後悔、いかり
 などのどんな感情も、生きていくうえで大切な
 ものです。さまざまな感情を持つことは、
 人生で起こる様々な出来事に対応できる力に
 なります。多様な感情をもつ自分自身を認め、
 受け止めていきましょう
とあるが、

私は、

①悲しみ、いかり、心配、あきらめなどの感情は、
どんなふうに人生に役立つのか、


②「多様な感情をもつ自分自身を認め受け止める」
とは、具体的にはどうすることなのか、

この2つを

中学生に考えてほしいなと思う。

そのことをプログラムにしたいと
思っている。


小6の教科書からのプログラムだから、
簡単すぎちゃうかな?
いや、なことない。
大人でも、難しいと思う。







ちなみに、
私は一昨日の朝、めちゃくちゃ「さみしさ」に
襲われた。
朝、BSで7:30から「あまちゃん」を見て、
続けて火野正平さんの「こころ旅」という番組を
メイクしながら見ていて、
そこで流れたさだまさしさんの「案山子」という歌に
涙があふれてきて、
それはさみしさなんだと思った。

♪元気でいるか
 街には慣れたか
 友達できたか
 寂しかないか
 お金はあるか
 今度いつ帰る♪

という歌詞。

遠くに住む娘に対する、
父親の気持ちを歌ったものだと思う。

♪お金はあるか♪
という歌詞が耳に入ってきた途端、
なぜか涙があふれてきて、

もちろんメイク中なので、
えええ!やばっ!
なんだけど、とてもとまらなくて、

あ〜私はさみしいんだと思った。

お金はあるか?
なんて訊いてくれるのは、
実の父か母くらいだ。
私の場合は、
父方の祖母も母方の祖母も
そうだった。

東京で大学生をやっているとき、
働きはじめの頃、
帰省して顔を見せたとき、
なんと、結婚してからも、
「お金はあるのか?」
って訊いてくれた。

私は強がって
「心配いらないよ」
と言えた時もあったし、
素直にないと甘えた時もあった。

もう、みんなこの世の中には
いない。

そのことのどうしようもない
心許ないかんじが、
きゅう〜っとさみしさという感情になって、
溢れ出てきた感じだった。


「さみしい」という感情は、
この私の人生にどんなふうに役立っているのか?


「さみしさ」は他者と繋がろうとする感情だ。
この感情があるからこそ、
私は人とかかわろうとする。
この感情を知っているからこそ、
私は、今一緒にいてくれる人を、
いつもいつもじゃないけれど、
完璧ではないけれど、
大切にできる。傷つけないよう配慮できる。

あ〜さみしい。
あ〜さみしくてたまらない。

この感情を感じないように
抑え続け、
「なんでもない。さみしいなんて感じない」
と認めないでいると、
孤立していくのだと思う。



この事例では中学生では
共感してもらいにくいと思うので、
そこは、サンデル先生をめざして、
めちゃいい事例を考えて、
それをぽ〜んと場に差し出して、
彼らが
「あ〜この自分でいいんだだあ。
 まんざらでもないじゃん、自分。
 この自分でいろいろ感じちゃいながら
 やっていくか」
って思ってくれるように準備してみる。









 



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困っている人ほどドラマチックに変わる。

【2013.06.17 Monday 20:59
人は特に困ってなければ、
昨日までの方法を変えることは、なかなかしない。

変えるってのは、エネルギーがいるからだ。

潜在意識ってものは、
どうやら現状を維持したいようだ。

面倒くさがりやの人が、
急に計画的にことを起こそうとすると、
潜在意識は、いろいろな方法でそれをじゃましたりする。
「そんなことしたって意味ないじゃん」とか、
「そういうこと、向かないよ」
そんな言い訳を頭の中にいっぱい浮かばせたりして。

鏡を見て、「やばい、ダイエットしなくちゃ!」と、
思っても、
何かを食べる時に「これぐらいはいいでしょ」と考えたり、
運動をしようとすると「ま、明日から」と考えたり、
昨日までの方法を維持することを、
潜在意識は選びたがるらしいんだな。

そういうことを知りつつ、
でも変えていこうとする時は、
最初の一歩を踏み出すことが肝心だ。

最初の一歩を踏み出す時、
準備が必要な人と、
準備などなくやれる人がいる。
やれる人は、「とにかくやる」訳だから、
「とにかくやる」を積み重ねるうちに
それが定着したりする可能性がある。

準備が必要な人にとっては、
何かに「困った」時は、めちゃチャンスになる。

心底「困る」と、
時々、
人はドラマチックな変化を、
自分にもたらす。


私はスクールカウンセラーとして
学校に登校することが困難な子どもの
保護者の方のお話を聴くことが多いが、
その子どもたちの多くは、
今までのやり方への限界を訴えていたりする。
もちろん、そういう言葉では彼らは言わない。
でも、話しを聴いているうちに、
だんだんとそのことが明らかになってくることが多い。

大人も、
社会活動が困難になって初めて、
無理していたことに気がつかれ、
今までの
コミュニケーションのパターン、
考え方のパターン、
行動のパターンを、
もうこれ以上やり続けることは無理!と
からだ全体で訴えているってこと、ある。

そういうことを、
私は私の活動の場で、
多く体験をしているので、
「困る」って感情は、
もしかすると「やる気」や「勇気」と同じくらい
役に立つ感情かもしれないとさえ思うのだ。

こう書くと、もしかすると
今困難の真っ最中にいらっしゃる方の中には、
何をのんきなことを・・・と腹をたてられる方もいるかも。
そう感じられたら、
もしかすると、今は、
困っていることを自分で認めることが辛かったり、
何に困っているのかがはっきりしていなかったり、
そういう状態で、
一番苦しい時かもしれないから、
できたら誰かにゆっくり話を聴いてもらいながら、
整理していくといいかもなあ。

私はそう思う。








先週の土曜日の
「アサーティブ・カフェ」は少人数だったこともあり、
非常に濃い時間を過ごすことができた。

アサーティブと出会って一年半くらいの方々が
多く参加してくれていたが、
この一年半にご自分に起こった、
人間関係の変化(もちろん良い変化)や、
人生の変化(ご自分で選択されたことへの自信)など、
お一人お一人が自分の言葉で語ってくれていた。

以下、オープンにすることをokしてくださった方の感想。

「参加者同士の距離も近く、そのため、他の人の話しに
 とても共感してしまって、泣けました。今回、この泣けた
 ことが、私にとって良かったです。泣けたことで、普段は
 泣くことを我慢していたんだということが分かりました。
 温かい時間をありがとうございました」(T)

「自分の課題の整理と気持ちに向き合う時間が持てました。
 子ども時代から人前で自分の意見をはっきり伝えることが
 苦手で、できないまま過ごしてきました。
 でもアサーティブと出会い、少しずつ自分の気持ちにOKを
 出せるようになりました。まだ、自分が苦手意識をもって
 いる人との関係や夫に、対等に伝えるには時間が必要だと
 思いますが、あきらめてしまわないで的をしぼり、取り組
 んでいこうと思います。(略)
 ロールプレイで練習したことを職場でトライしてみます」
                (メロンちゃん)

「(略)
 アサーティブというスキルを全く知らず、丸ごと傷つい
 ていた過去の自分を、いっぱい思い出し、それでもがんば
 って生きてきたんだよなあと自分のことを愛おしく思いま
 した。またこんな時間が巡ってくると嬉しく思います」
                (W)



私自身、アサーティブに出会った時は、
「子どもにコミュニケーションを教えたい。
 しかし、その方法を知らない」と困っていた。
その後、子どもに教えるなんてとんでもない、
まずは自分じゃ!と困る対象は変わっていったが、
とにかく、困ったことから始まった。

あの時、困ってよかった。

アサーティブを学ぶことは、
時間もお金もかかること。
学び始める時は、
みなさんいろいろな背景のもと、
受講してくださる。
そういう方々が、継続の中で
ドラマチックな変化をとげていく。

自分の人生のハンドルを、
自分の手の中に、取り戻していっている。




100%前向きにスタートできる時は、
それはそれでいいけど、
困って、どうしようもなくて、
だからこそ、何かを変えたくてする
スタートも、いいな。





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アサーティブがメンタルにヘルスに良いもう一つの理由

【2013.06.15 Saturday 10:11
今日は午後から「アサーティブカフェ」を開催する。

3ヶ月に一度のこの場が、
私はとても大切、

考え、話し、聞き、
考えを深め、話し・・・
と繰り返す中で、
参加者の方々が、確実に
生きやすくなっていることを感じる。
アサーティブはコミュニケーションの道具でもあるけど、
それだけじゃないなあ。

アサーティブを身につけていくと、
人間関係におけるストレスが
軽減されていくと思う。

なぜなら人のストレスの大きな原因の一つに
「人間関係」はあげられている。
人間関係も普通の状態ならストレスになりにくい。
しかし、
コミュニケーションがうまくいってないと、
ストレスになっていくことが多い。

手一杯の上に仕事をフラれても、優先順位さえ聞きづらい。
ちょっとしたミスでも怒鳴られるので、
上司の前にいくとびくびくしてしまうし、
なるべくおとなしくしている。
休み時間にみんなで楽しく話している中に、
なんと言って入っていっていいかわからず、
疎外感を感じている。
なぜ、これだけ毎回毎回厳しく注意しているのに、
思ったように動いてくれないのかイライラする。

以上のようなことが、日々重なることで、
心の負担は大きなものになっていく可能性がある。

ストレスが重大なものになる前に、
コミュニケーションを改善し、
ちょっとした相談ができるようになったり、
断れたり、依頼できたり、
中に入っていけたり、
的確な注意ができるようになるといい。
それがアサーティブトレーニングだ。

アサーティブがメンタルヘルスに良いと言われる
大きな要因はここにあると思う。
予防的な意味だ。

でも、それだけじゃない。

もし大きなストレスを感じる出来事があった時、
アサーティブは、めちゃ役立つと思う。


人間が大きな落ち込みから回復していく時の
方法はいくつかある。
その中の効果的な方法のひとつに、

自己効力感をもつことがあると思う。
自己効力感は、未来にむけて
「自分はできる」と思えるチカラだ。
と同時に、
「今の自分だったら、こうできる」
ってのも、
自己効力感の範囲ではないかと思う。

過去のコミュニケーションン上の大きな失敗に対し、
・過去の自分はあれが精一杯だった。
・でも今の自分なら、別の選択肢を選んだ。
・それはこういう方法。
ってのを持てるってこと。

アサーティブという自他尊重のコミュニケーションの
考え方やスキルを知っていることで、
あの時は言えなかったけど、
アサーティブならこう言うよなあ、
だから、今の自分ならそれ選ぼう!
的なこと。

「あの時に答はわからなかったけど
 今なら、自分の中に答をもっている」
ことのチカラ強さ。

もちろん、その答が100満点かどうかは分からない。
人間関係は生ものだから。

でも、少なくとも、
今の自分ならこんなふうに言う、
こんなふうに処理できる!
って確信できることは、

回復するチカラとなる。



「アサーティブカフェ」では、
これから起こりそうなことを練習する方もいるし、
過去の出来事を検証するためにロールプレイを
する方もいる。
前者は練習になるし、
後者は回復に繋がる。


休み休みであっても、
長い目でみると継続されている方が、
生きやすくなってらっしゃるのは、
結果的に、
予防と回復、両方の面から取り組んでるからかもなあ。



じゃ、行ってきま〜す。


静岡でのアサーティブ情報は、



*このウェブサイトは、
NPO法人アサーティブジャ パン認定講師である谷澤久美子が個人で開いているホームページです。このウェブサイトに関する全ての責任は谷澤久美子にあります。NPO法人アサーティブジャパンが運営・管理しているウェブサイトではありませんので 予めご了承ください




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回復していくチカラ。

【2013.06.14 Friday 08:20
自立(自分で考えて、選択し、行動し、
   責任を負えること)
共生(他者の思いを理解しようとし、
   違いを認めながら生きていけること)

この二つは、私の『ありたい姿』。

同時に、学校の中で子どもと接している私が
子どもに対して「いつかこうあってくれると
いいな」という目標でもあり、
支援は、その目標に向かったものでありたい
って思っている。

この二つに向かっていく時、大切な二つの力は、
耐性(我慢する力・努力する力)
社会性。

それらを日常の中で育んでいけるのは、
集団の場である場合が多いだろう。
もちろん、個人的にそれができる人もいるから
一概には言えないけど、
まあまあ、バランスよく学習できるのは、
集団の場になるだろう。

しかし、その二つの力は最初から
完璧にあるものではない。

だから、
それを獲得していく最中に、
傷ついたり、
凹んだり、
悩んだり、
ひどく落ち込んだり・・・
そういう瞬間が誰のもとにもやってくる。

それで、集団の場に参加していくことが、
怖くなったりもする。
怖くなったりするのは、
人の防衛本能だと思う。
ただ、怖いけど、怖いままで長時間
留まってしまうと、結構きつい。

最初は何かが起こって傷ついて、
そのことで集団に参加するのが怖くなったのに、
長時間続くことで、
怖くて出て行けない自分を責めたりするようになったり
するからだ。
何重にも苦しくなる。

回復するチカラは、
だから、
とってもとっても大切なものだと思う。

回復するチカラのことを、
レジリエンスと呼ぶ。

レジリエンスは、
(私は専門家ではないので、
 詳しく説明できる訳ではない)
困難な状況の中で育ちながらも
精神的に自立した大人になった人が、
どういう子ども時代を過ごしてきていたかということから
研究されてきたようだ。

共通することは、
レジリエンスのチカラをもった人は、
子ども時代、リスクがいっぱいある状況の中でも、
かかわる人たちから
「そこにいていい」
「あなたは大切な存在」
という、
存在そのものを大切にするメッセージを
伝えられてきているとのことなんだ。

何かができたからとか、
こういう性格だからとか、
条件を付けて、
大切にされたり愛されたりしたのではなく、
存在そのものを大切にされた体験。

これは考えてみれば、
すごくよく分かる。
からだが冷えきっている時は運かすことが大変でも、
体が温まっていると、冷えているよりしなやかに
動かすことができる。

ココロだって、同じだ。

温めてあげたい。



今日はこれから「思春期のココロ」という、
思春期の子どもをもつ保護者のための3回連続講座の
2回目。

子どもに、
「存在そのものが大切」と伝わる方法、
つまり「ココロを温める方法」を
保護者の方々と一緒に考え、
体験してもらおうと思う。




と同時に、
保護者の方の中には、
子ども時代を振り返ってみた時、
「自分の存在そのものが、
 なんとなくいいかも」
と思えなかった方もいると思う。

そういう方々が、
今からできる、
自分自身を温める方法のヒントになるといいな。


じゃ、行ってきま〜す。










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大人から始めよう!

【2013.06.11 Tuesday 21:33
今年の夏も、小・中・高校から、
職員研修の依頼をいくつか受けている。

今年多いのが、
「職員自身のコミュニケーションについて
 見直す機会を作りたい」という要望だ。

昨年までは、
「子どものコミュニケーション能力アップのために」
というテーマをいただくことが多かった。

ストレートにいうと、
前者が、自分を変えたい。
後者が、子どもを変えたい
となり、
これは、本当に大きな違いだと思う。

子どもをより良くしたいって気持ちも、
痛いくらい分かる。
一刻も早く手をつけたいという思いも
すっごく分かる。


ただ、
子どもを変えたい、子どもをより良くしたいの前に
まず、自らのコミュニケーションを検証し、
まずは自ら始めたいという、
依頼主の学校に、
私は敬意を表したい。
その姿勢に頭が下がる。

もちろん、「教師」という職業を選んだ方は
子どもがより良く生きていく力を育みたいと
考えている方が多いから、
その先には、子どもにも自他尊重のコミュニケーションを
身につけるようになってもらいたいという願いはあると思う。
私も同じ思い。

しかし、そこにいくまでの過程で、
すっとばさないほうがいいと思うのが、
自らを検証するという姿勢だと思う。

先生方の中には、
経験値で、
あるいは元々持ってらしたもので、
または、先輩からの指導を受けて学んだことから、
素晴らしいコミュニケーションをされている方が
多くいる。
日常やっている、
自他尊重のコミュニケーションに、
理論のバックがついて、
スキルを言葉で明確にしておくことで、
ますます自信をもつことができるようになるし、
また、どうしようもない感情に
巻き込まれそうになった時には、
道具として使えるようになると思う。

大人が自他尊重のコミュニケーションを
身につけることは、
日常で接する子どもたちのモデルとなるばかりか、
人間関係上のストレスをためにくくするため、
ストレスからくるいらいらを、
弱い者(子ども)にぶつけてしまうことを
さけることにもつながる。

すごくいいことだ。


で、実をいうと、
昨年まで、「子どものコミュニケーション能力アップのために」
というテーマで依頼くださった学校の担当の先生に、
以上のような説明をすると、
大体は深く納得してくださって、okくださって
子どもへのアプローチを体験しながら、
結局はご自分のコミュニケーションについて
検証する時間をもってきたことは、
付け加えておこうっと。


さて、今年も
なるべく楽しみながら学んでいただけるよう、
準備していきたいなあ。



また、先週から始まった
思春期の子どもをもつ親のための講座
「思春期のココロ」も今週二回目となる。

三回連続のこの講座もまた、
子どもを変えるのではなく、
親が、子どもとの対応方法を見直す機会を
もってもらう。

親から、違う一歩を始めるのだ。

子どもが自ら伸びていこうとする力を、
できるだけじゃましない方法を
参加者同士で考えあう。

毎回、涙あり笑いありの、
とってもいい感じの講座。
今年度の参加者の皆さんも、
積極的に学んでくださっている。



他者は、思い取りにならない。
影響を与えることはできても、
直接コントロールすることはできない。
コントロールできるのは、自分の行動だ。

自分のコミュニケーションの方法は、
変えたいと思ったら、方法はある。

そういう、
できることをしていくことを選んだ大人たちと
たくさん出会える夏!
わくわくちうだし、
わくわくが続きそうだ。







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両忘

【2013.06.07 Friday 18:44
 
書家 金澤翔子氏の書作展を見に行った。

「元気」「希望光」「一期一会」「共に生きる」などなど。
力強い筆使いに、なんだか心がキリリとするようだ。

「飛龍」「青龍」「白龍」「龍神」
「雲従龍」「龍吐水」「龍壽」・・・、
いくつかの「龍」という字を使った書は、
その言葉ごとに「龍」の字のカタチはもちろん、
太さや勢いなどが違い、
彼女がその言葉から受け取ったイメージを
書で表現してるのがとっても分かる。


最も心引かれたのが「両忘」という書だ。

「両忘」とは禅の言葉で、
2つのことを忘れることを意味しているという。
是と非、善と悪、美と醜、愛と憎など、
白黒つけるとか、
どちらが正しいかという二元論を忘れるということだ。

「忘れるかあ。忘れること、できるかなあ」と私A。
「いやいや、忘れるってのは難しいよ」と私B。
「忘れることで無我の境地になれるよ」と私A。
「それは分かるけど、忘れよう忘れようと意識すれば
 するほど脳に刻まれてしまうものだよ。
 知らない間に忘れてたってことはあっても、
 自らの意志で忘れるってのは、不可能に近いよ」と私B。

なんて考えながら書を眺めると、
書の中に、ヒントがあった。

「両忘」という文字。
彼女は輪郭を明確にしない感じで、
なんとなくぼんやりした様子に書いている。

なんとはなしに、ぼんやりとか。

そのことがヒントになって、
この難しい言葉がイメージできた。

忘れるってことはできなくても、
おいとくってことはできる。
白黒つけたいことや、
どちらか選ばないとならないことを、
両方を忘れ、無我の境地に至ることはできなくても、
白黒つけず、
選ばず、
おいとくことはできる。

あなたが正しいってことは、私が間違ってるってこと?
ってところに一旦いったとしても、
その勝ち負けの舞台から自ら下りるということ。

どちらが私の人生にとって良くて、どちらが悪いか?
考え始めてしまうことはあるけれど、
どっちか決めなくてはから離れて
とりあえずそのままにしておくこと。

それならちょっとはできるかも。

そんなことを考えた。


本を買ってきた。
翔子さんのお母様が書かれた
「天使の正体〜ダウン症の書家・金澤翔子の物語」
という本だ。

早速読むと、
お母さまの泰子さんは、
翔子さんの、二つの屹立した大きな特徴について書いている。

ひとつは 競争の世界から遠く離れて生きてきたこと。
「一度も他者に試されることなく、20余年を生きてきた。
 試されたことのない翔子は、人を試すことを知らない。
 『私はここにいるのよ!』と存在を知ってもらいたい
 欲求はあるようだが、その方法が皆と違う。他人との
 比較によってではなく、自身の中から生まれてくる純粋な
 存在の意識だけによる」

もうひとつは先天的な他者を思いやる心。
「心が優しさに満ち、充たされていて、犬や猫に会っても、
 花に向かっても、ましてや母親や友達には、想いがこぼ
 れてしまって、感動、感激、喜びで、翔子はほとんど涙ぐんで
 生きている」

さらに、
「現世を全けき幸せに生きるために。神様が染色体を一個
 多くして、余分な知能を削除して、愛という至宝を下さ
 ったのでしょう」
と書かれている。

まったくなあ。
「余分な知能」ってのは、そうかもしれないな。

「〜〜〜すべきだ」や「〜〜〜すべきではない」や、
「絶対に負けていられない」という思い
他者から認められないと不満を言い、
かけひきしたり、
もっともっとと求めること。
人間らしいかわいいところでもあるけれど、
確かに、余分な知能から生まれてくること
かもしれないなあ。


「金澤翔子書作展」は、
6月30日まで駿府博物館で。

なんと、
明日は翔子さんが来静され、
葵小学校の体育館で席上揮毫されるそうで、
しかも「慈愛」という字を書かれるそう。
すごいことだ!

見に行きたいが、
明日は仕事で東京なのだ。
その仕事もとっても大切な仕事なので、
がむばってくるけど、
後ろ髪引かれるう〜。


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動画に映るのは。

【2013.06.04 Tuesday 17:41
よかった。
やっぱりW杯の予選を勝ち抜くのは、
そんなに簡単なことじゃなかった。
あの崖っぷちで、あの場面で、
ど真ん中に決めた本田選手、
すごい。


「あとは気持ちの問題・・・」
のようなことを、
本田選手は、
オーストラリア戦にむけて開いた記者会見で
言っていた。
彼が気持ちに言及することは、
ありだと思う。(って、上から目線な発言だけど)

技術も体力もあり、戦術ももち、
厳しいトレーニングを続ける努力する力もあり、
実践を重ねてきた彼が、
最後に必要なのが気持ちなんだというのは、
分かる。

でもそれは、本田選手はじめ、
彼らだからだ。
ぎりぎりまで、
やれることは全てやっている彼らだから、
気持ちの問題と口にしても「心でっかち」って
訳じゃない。

しかし、まだまだ他にいっぱいやることがあるのに、
「集中力を高めたい」とか、
「やる気を出す」とか、
「意欲的にいこうと思う」とか、
「気持ち」を口にするのは、
気持ちは分かるが
若干「心でっかち」ではないか
と思う。



自分自身の中に湧いてくる気持ちを
自分で自由自在に操ることができたら、
どうなにいいだろう。

ここで、集中しようとスイッチいれたら集中し、
すごくひどい言葉を投げかけられても傷つかず、
思い通りにならないことがあってもいらいらもせず、
いつも平常心・・・
そんなふうにいられたら、どんなに楽かと思うけど、
そこは人間、そんなふうにはできていないのだ。

ネガティブな気持ちを
湧かないようにすることもできないし、
念力で前向きな気持ちを
湧かせることもできないが、
ひとつとっても有効な方法がある。

ふるまい方、
行動をコントロールしていくことで、
気持ちに影響を与える可能性があるってこと。

脳科学者の池谷さんが講演の中で
話してくれたが、
楽しいマンガを、
口をへの字にして読むより、
口角をあげて笑顔になって読んだほうが、
よりおもしろく感じるように、
人間はできているというのだ。

カタチから入るってのは、一理あるのだ。

つまり、
凹んで
やる気がおきなくて、
いろいろ面倒で、
何もかもいやになっている時に、
「だから」ソファにごろんとすると、
ますますやる気は起きないが、
「それでも」その時必要な行動、
たとえば野菜を刻み始めると、
ちょっとは気が晴れて、
じゃ、煮物作っちゃおうかななんてことになる
可能性があるってこと。

で、これって、
いろいろ応用ができると思う。



「うちの課長、
 いつも最初に声をかけるのはAさん。
 Aさんのことはすごく買ってる感じ。
 Aさんは要領よくやっているけど、
 会議の資料のコピーをとり、
 それを製本するような地味な仕事はしない。
 それで、課長に何か仕事を依頼されると
 張り切ってる感じで、
 ずるいと思う。
 なんかめちゃ不公平。
 いろいろがんばっていても報われない。
 仕事にいくのがイヤになる」
なんて、考えて気がめいる時、

自分のふるまい方を動画を取って
自分でみてみるような気持ちでチェックして
みたらどうか。

仕事の依頼を受ける時の受け取り方、
自分で動画を自分撮りするような感じで、
チェックしてみる。
「はい、わかりました」
気持ちよく受けているか?

その時動画に映るのは
気持ちではなく行動。

どれだけ、複雑にいろいろ考えていたとしても、
どれだけ、もらった仕事に意欲いっぱいでも、
映るのはふるまい、行動なんだよなあ。

そして、相手の目に映っているのも、
こちらのふるまい方、行動。
こちらの気持ちがどうであっても、
それは動画には映らず、
従って相手が評価をするのは、
彼らの目に映った、こちら側のふるまい方、行動を
基準をする。

おはようございます という挨拶の仕方、
了解しました という受け方、
ご相談したいことがあるのですが、
今いいでしょうか?という声の掛け方、

やる気あってもなくても、
集中しててもしてなくても、
意欲まんまんでもそうでなくても、

映っている自分の姿は、どうだろう?

そのことを意識する瞬間を、
時々作ってもいいかもしれないな。

そしてふるまい方、行動を変えていくことで
なぜかやる気がでちゃったり、
張り切れてしまったりすることもある。




それにしても本田選手。
彼ほどの人でも、
PKをける前のことを訊かれて
「緊張してたんで・・・」
と答えていた。

代表の中でもメンタルが強いと言われている
彼でも、緊張はするんだ。

そして、緊張しながらも、
彼は自分に何か言い聞かせるようにして、
そして、その時するべきことをした。
それはボールをけるということ。



「心でっかち」になりそうになった時、
自分の内側にもぐっていろいろ考えるより、
もしかすると、
自分撮りの動画に映る姿を想像してみると
いいかも。
「心」は大事なものだけど、
「心」だけにとらわれそうになった時は、
「かたち(ふるまい/行動)」を意識してみる。



あの本田選手だって緊張するんだから、
どうしたって、
感じたくない気持ちを絶対感じないですむ方法なんて
ないんだから。











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「で、きみは?」

【2013.06.02 Sunday 14:24
私の属するアサーティブジャパンの代表
4月に来日したアン・ディクソン氏の講座講演に
ついてのものだった。
私も今回の来日では2回講座に参加することができ、
さらに個人的に話すこともできた。
深い感動の余韻が種火のように自分の中にある。

森田のブログに書かれているように、
アンさんはロールプレイのファシリテートをする時、
繰り返し、行為者に
「で、あなたの本当の望みは?」
と質問する。

「他者にどうしてほしい?」
ではなく、
「あなたは、どうしたいの?」
という問いかけ。




たとえば、
最近の私の事例でいうと
「夕飯のスタート時刻問題」がある。

夫と2人で食べていた時は、
夫が仕事から戻りランにいき、
ランから戻りシャワーを浴びたあと、
すぐに食事を開始できた。
ほぼ20時。

最近義父も一緒に食事しているが、
足腰も弱ってきている義父は、
いろいろ時間がかかるらしく、
夫がシャワーを浴びている時に、
「ご飯ですよ」と声かけをしても、
なかなか上がってこない。
時刻も言ってあるし、
声かけもしているので、
これ以上どうしようか?と
私の中では
「夕飯のスタート時刻問題」となった。

「他者にどうしてほしいか?」
だと、
「義父に声をかけたらすぐにテーブルに
 ついてほしい」
ってことになる。

となると、
「声をかけても、
 すぐにテーブルについてくれないので、
 私はとっても困っています。
 今日から声をかけたらすぐに階段を
 あがってきてください」
ってな感じで、思いっきり、
悪いのは義父!って感じの会話になる。
こりゃ、アサーティブとはいえないな。

アンさんがここにいたら、
アンさんはきっと私に、
「くみはどうしたいの?」と質問すると思う。

「私は20時にご飯をスタートしたい」

「じゃ、それを言おう」
ときっとアンさんはいうだろう。

「お義父さん、
 このことを言うことで、
 お義父さんが気を使ったりしたら
 それはイヤだと思うから、
 言いにくいんだけど、がんばって言うね、
 お願いがあるんだ。

 夕飯のことなんだけど、
 20時には始めたいんだ。

 私、夕食を片付けたあと、
 まだやる必要がある仕事が残っていることがあって、
 そのことを考えると、
 なんか、なかなかご飯を始められないと、
 あせるんだよね。

 20時に始めれば、
 21時には片づけも終わるから、
 仕事の量にかかわらず、夜の時間を
 有効に使える。

 なんで、毎日20時から始められるよう
 協力してほしい。

 お義父さん、どう思う?」

アサーティブなら、そんな感じに
なりそう。


このようなことを、
特にアサーティブを知らないだろう糸井重里さんが
「ボールのようなことば。」という本の中の
「で、きみは?」という文章で、
なんとなんと、書いている。


「で、きみは?

 で、きみは どうしたいの
 で、きみは なにしているの
 で、きみは どうおもうの
 で、きみは どこへいくの
 あのひとは まちがっている
 あのひとは ばかだ
 あのひとは しんじられない
 あのひとは うそつき
 で、きみは どうしてるの
 で、きみは なにみてるの
 で、きみは どうはなすの
 で、きみは どこでいきる
 あのひとは よごれている
 あのひとは あくだ
 あのひとは ひきょうものだ
 あのひとは ふゆかい
 ららら ららららら そのまま ららら
 ららら ららららら どこまで ららら」




自分がこうしたいと伝える時に、
わざわざ相手をこきおろす必要はない。

相手に負けを認めさせる必要もないし、
相手に対する
こちらからの評価を伝える必要もない。
ただ、
私はどうしたいのか?
自分自身に問い、
自分自身の望みを口に出すこと。

練習すればするほど、
上手に使えるいい道具になってくれる、
アサーティブ!!!




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★アサーティブに関する講座のお知らせ

◆初めての方は、こちらから。
 <アサーティブ・トレーニング基礎編in静岡>
 8月25日・26日両日とも9時30分〜16時30分
 お申し込み方法など、詳細は コチラ →

理論とスキルを学び、練習までする2日間。
人間関係をより良くするためにがんばろうと思った時、
どうがんばったらいいんでしょう。
アサーティブで具体的に努力の方向性や方法を
知ってくださいね。
コミュニケーションは、改善できます。



◆アサーティブの練習の場
 <アサーティブ・カフェin静岡>は、
6月15日(土)午後1時15分〜午後4時45分
お申し込み方法など詳しくは コチラ 

わいのわいの話しながら、
自分のその日の学び方を
自分で選択します。
たとえば、
今回はただただおしゃべりしたいもOK、
ロールプレイで練習したいもOK、
課題整理だけやってみたいもOK、
ぼーっと見学していたいも、
もちろんOK.

今回は、
アンさんの講座での感想なども
お話しようと考えています。
とっても濃い時間になりそうです。



*このウェブサイトは、
NPO法人アサーティブジャ パン認定講師である谷澤久美子が個人で開いているホームページです。このウェブサイトに関する全ての責任は谷澤久美子にあります。NPO法人アサーティブジャパンが運営・管理しているウェブサイトではありませんので 予めご了承ください。




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谷澤 久美子
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