2013年05月の記事 | 今のところではありますが…
突然上等!

【2013.05.30 Thursday 20:42
変化が苦手で、環境の変化や、
 人間関係の変化にゆっくり慣れていく人と、
変化が好きで慣れるも慣れないも、
あんまり意識しない人もいる。

その2つのタイプの間にも「変化」に対しての、
いろいろな感情、対応方法をもつ人がいると思う。

私は、「変化」は比較的得意だ。
というか、好きかも。

今の仕事のひとつ、スクールカウンセラーは、
毎日同じ学校にいくのではなく、
第一と第三月曜はここで、
第一と第三火曜はここ、
第二第四火曜はここ、
毎週水曜はこの学校で、
毎週木曜はこの学校・・・というふうに、
毎日、違う学校にいく。
これが、結構、私にあっていると思う。

ひとつの学校に常駐して、
じっくり取り組みたいと思う時もたまにあるけど、
このあっちこっちいっている感じは、
とってもあってて、
私の場合は、
仕事しながら気分転換できちゃうと
受け止めている。

また仕事自体、
「カウンセリング」という聴くことを中心とする仕事のほかに、
「講師」という仕事では説明したり、応えたり、
ファシリテートしたりという仕事があって、
またそのためにレジュメを作る時には
プログラムを作るという仕事があり、
そんなふうな働き方が、
今のところの私にはいい。

通常がそういう仕事で、
その上、
5月はなぜか「突然」の仕事が6件あった。

私は、間に1日くらいあれば、
仕事が入るのは、まったく苦にならない。
そういう「変化」も結構好き。

そんな私に、
今月、
「今日の今日」という「突然」が三件、
明後日という「突然」が二件
四日後が一件。

特に「今日の今日」の
「突然」の仕事を受けた瞬間に、
頭の中の働きがよくなる感じが、
めちゃ好きだと、今回気づいた。
脳が動いてる感じがするのがいい感じなんだ。

それではごはんは作れなくなるから、
まずは夫に連絡して・・・とか、

次に会う予定がある方に、
10分くらい遅れる可能性があることを
相談しておこうとか、

段取り系のことが、
パパっと頭の中をめぐる感じが、
活性化している感じがする。

では「変化」が好きだとか、
すぐ慣れる特性をもっていることが
いいことばかりかというと、
そうでもない。

夫は、私のことを、
「始めたら気分は終わってる人だよね」と
いつか評した。
最後まで丁寧にやるということが、
努力しないとできない性分だと、
彼は私を簡単に見抜いた。

また
ひとつのことを深く突詰めるということは、
あまり時ではない。


特性って
裏表なのだ。



世の中には、
「突然」が嫌い、苦手な方もいる。

ある、お店のマネージャーの女性(友だち)と、
食事しながら、あれやこれやおしゃべりしてる時、
「うちの店の男性の社員さんなんだけど、
 『上司が急に仕事をふるのですが、
 予定が立たず困ります』
 っていうんだよ。それで、
 急って、どのくらい前?ってきくと、
 『一週間前です』って。
 一週間もあるじゃんって思って
 びっくりしたんだけど、
 一週間前の依頼って、急?」
なんて話になったことがある。

その男性社員さんにとっては、
「一週間前」では対応しにくい「急」に
なるんだなあ。

決まっていることが決まっている通りに進行しないと、
なにか気持ち悪い感じがする方もいらっしゃる。
今日の仕事の段取りが頭の中で終わった後で
もし急に仕事をふられたら、
決まっている通りにはならなくなることで
いらいらするだろう。

異動の年は妙に落ち着かないで、
ゆっくりゆっくりその職場に慣れる方、
好きな先輩が退職してしまい、
人間関係が変わったことで、
気分が落ち込む方・・・。
いらっしゃると思う。

締め切りが前倒し、
朝の会議の予定が上司の都合で午後一に、
担当区域が変わった、
この春から部下の指導という仕事が加わった・・・
そういう変化が突然やってくると、
なかなか気持ちがおいつけなくって、
力を発揮できない・・・。
そういう方も。

ではそういう特性をもっている方が
不便だけかというと、
それも違うな。

専門性を深めたり、
ひとつのことを突詰めたりする必要があることに関しては
「突然上等」派は、多分かなわない。

どっち派も、
お互い、いないと、
いろいろなことに対応できない。
一人の中に両面あればいいけれど、
そういうことって滅多にないから、
だから、お互いの特性をいかして
やっていけたらいいよなあ。

そういう凸凹が集まって、
チームで仕事やプロジェクトを進めていけたら、
理想論かもしれないけど、
いいじゃん。


さて5月が終わる。
突然上等!とはいえ、
そんな私も、流石に
ちょっと疲れたかも。
ま、
今年はツバメがきてくれているので、
彼ら家族の成長をみながら、
6月に突入だなっと。

お疲れ、5月の私。









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揺れるし、悩むし、傷つくし。

【2013.05.28 Tuesday 08:11

26〜27年前、
東京で仕事をしていたが、
実家を手伝うことになり、
まずは努めていた会社の静岡支社に転勤させてもらい、
その後実家の仕事にはいった。

思った仕事にすっきりと向かえない自分、
失恋、
いろいろうまくいかない自分がイヤだったし、
波状な挫折体験に、傷ついてたと思う。
周りの環境のせいにしたり、
自分だけを責めて追いつめてみたり、
している中、
夫と出会い結婚。
一旦は精神的に落ち着くが、
長男長女で、お互い後継者ということから
新たな問題が発生した。

ぶれず、悩まず、強い人になりたかった。
その頃、「心理」「生き方」の学びと出会った。


「CL〜建設的な生き方」と出会い25年くらいになり、
「アサーティブ」と出会い15年くらいになる。

出会って学び続けて、
ぶれず、悩まず、強い人になれたかというと、
そんなことないなあ。
失敗すれば、このままでいいのか?ぶれまくるし、
すべてをさっさと解決できることはなく悩むし、
評価をおそれたり、
自分に自信がもてなかったり、
時々傷つく、弱い人間だ。

なんだけど、
学び続けていると、
ささやかなご褒美はある。

それは、
ぶれても戻るところがあるってこと。
悩んだ時の選択肢を多数持っていること。
弱いままでやっていこうと思えるようになること。

その時に、
愚痴るし、ぼやくし、いやになりながらも、
他だけに責任を押し付けるような考え方もしないし、
自分だけを責めるような考え方もしなくなる。

どっちが良いか悪いか、
どっちが正しいか間違っているか、
勝ち負けはどっち?
という二分化思考に(一瞬なることあっても)、
とらわれず、
その中でどうしていこうかという
「自分のできること」に集中できるように、
ちょっとずつなる。

そういう力を付けることは、
継続して学ぶこと以外に、早道はないのではないか。


不運、
理不尽な出来事、
不当な批判、
間違い・・・
それらは、
「向こうからやってくる。
 こちらが意図して掴むことはできない」(BY田口ランディ)
のように、
こちらの準備ができているかできてないかなど関係なく、
突然やってくる。

それらをコントロールできる力を、
私たちは与えられていない。

でも、
そういうことに対処する力は、
訓練することが可能で、
それを知っているかいないか、
訓練しているかいないかは、
結構大きなことだと思う。




先週の土日、
アサーティブジャパン主催の
アサーティブトレーニング・ステップアップ講座が、
静岡で行われた。

基礎、応用を終え、
もっとアサーティブを深めたいという方が
集まってくださった。

私に、学びのきっかけがあったように、
お一人お一人に物語がある。
基礎、応用と学びを進め、
学びながら新しい疑問を得て、
実践をしたことで壁も感じられ、
つまりは、また新しい動機と共に、
ステップアップ講座にトライされたと思う。

そして、二日間で、
深い理解を持って帰ってくださったと思う。


受講された皆さんが、
これからも、休みながら、ゆっくりと
学びを継続されていかれるといいと思う。

学んでできるようになることは大切だけど、
学ぶことそのものが、本当に力になっていく。
そしてそのことが結果的に、
「できる」ことに繋がっていく。



ぶれず、悩まず、強い人になれたら、
それはそれでいいけど、
私はこれからも、
時々ぶれて、
時々悩んで、
時々弱い、
そんな人でいきたいなあ。

その自分で学び続けて、

ぶれても戻る時間を、もっと短くしたり、
    戻る考えがもっと確かなものになり、
悩んだ時の選択肢のバラエティが増え、
    その中から自分にあった優先順位を
    つけることが可能になっていく。
何かあれば傷つき、凹み、心も折れそうになるけれど、
    でも、だからって自分を丸ごと否定したり、
    他者に振り回されることも最小限にとどめられ、
    その時その時必要な行動がとれるように
    なっていく。

そんなところをめざしていきたいなあ、
なんて思う。











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「おうちでは爆発しちゃうこと、あってもいいよ」

【2013.05.24 Friday 17:18
 今日はある小学校で6時間目に、
小学5〜6年生に1時間の授業をし、
それを小学校1〜6年の保護者の方に見ていただいた。

保護者の方々が、とってもとっても熱心な学校で、
5時間目の授業参観の後、
多くの方が残ってくれた。
ご自分のお子さんが1〜4年生でも残ってくだっていた。
びっくりした。


私は子どもたちに、
感情はわいてきてしまうもの。
でも考えて行動していこうね・・・
というお話をしたが、
「でも、おうちでは、
爆発しちゃうことあってもいいよ」
と話すと、
保護者の方の中から、
その意味を質問してくださる方がいた。

多分、保護者の中にはこの方の他にも、
このことに疑問に感じたり、
違和感をもたれた方がいらっしゃると思う。
その思いを、まるで代表するかのように
質問をしてくださったその方に感謝したいなあ。


上手に答えられなかったので、
ここに補足を書きたいと思う。


私たち大人の、子どもに対する目標は、
自立と共生に集約されるのではないだろうか。

自立とは
自分で考え、選び、行動し、その行動の結果を
自分で負えること。
共生とは、
かかわる相手のことも尊重しながら生きていけること。

その目標にむかって、
育みたい力とは、
究極、いろいろ感情はわくけれど、
感情だけに流されないで、
その時その時必要な行動ができる力
ではないだろうか。

イヤって気持ちがあっても、
必要があればやったり、
もっとやりたいと思っても、
その時ではないならやめたり、
あまり好きじゃない人でも、
一緒にチームとなったからには
仕事をしたり、
今は気分じゃなくても、
挨拶できたり、
そういう、
いろいろ気持ちがあったとしても、
必要な行動が取れること。

子どもは、
小さなカラダの大人ではなく、
子どもだから、
まだまだその力は発展途上だ。

そして、
気持ちはどうあっても、
必要な行動ができるようになるために、
踏みたいステップのひとつは、
気持ちがある程度出せることだと思う。

いらいらする。
面倒くさい。
いやになる。
だいっきらい。

そういう気持ちがある程度出せる時期があって、
「その次のステップ」で
気持ちがいろいろでも行動は工夫するという
ステップにいける。

「工夫」にいく前に、
どうしても必要なステップ、
気持ちを安心して出せるのは、
どこかというと、
やはり「家」を代表とする
「親密な人」「安心できる人」との関係の中だ。



子どもたちへコミュニケーションの授業をすると、
感想に、
「私はおうちでお母さんにいらいらをぶつけてしまうので、
 これからは気をつけようと思います」
など書いてくれる子がいる。

私はそれを読むと、めちゃせつなくなる。

学校で、子どもたちは、
その子なりの使い方だけど、
気を使って生活してる。
だって、そこは社会だからだ。
もし閉鎖された地域なら、
そこで関係がこじれるとやばいって、
子どもたちはよく知っている。
だから、気持ちや考えを出す時も
無意識に気を使う。
オープンな地域であっても、
どこまで自分を出していいか、
無意識の中でだとしても迷いながら出している。

その上、
家の人の顔色や、雰囲気を読みながら
行動するとなると、
子どもたちは、
あまりにも疲れてしまうと思う。心が。

それで、
「おうちでは、
 爆発しちゃうこと、あってもいいよ」
ということを言ってみた。


ただ、これには、
保護者の方むけに、
大事な情報がある。

子どもの、そのままの気持ちをぶつけられると、
いくら我が子でも痛いと思う。
腹も立つことあるだろうし、
心配になったり、
悲しくなったりすることもあるだろう。

子育ての時期、
子どもの気持ちや考えをそのままダイレクトに
受ける分、
どこかで自分のことを大切にする時間を
もってほしいな。

カウンセリングの場で思春期のお子さんを持つ保護者の方に、
「何かガス抜きの方法を持ってますか」と質問すると、
「考えてもみませんでした」とおっしゃることもある。
それほど子どもさんのことに一生懸命になってらっしゃる。

また、
「一日時間があったら、自分のために何をしたいですか?」
と伺うと、
「子どもの服の衣替えが中途半端だから、
 やってしまいたい」
とおしゃったりすることがあって、
目の奥の方がツーンとする。


子どものことを愛しているからこそ、
目一杯考えてるからこそ、
心配になったり、
腹もたつんだと私は思う。

保護者の方々の、
自分のことを大切にする方法は、
人それぞれ違うと思うから、
自分なりの方法をみつけてほしいな。
みつからない時は、
誰かにゆっくり話しを聴いてもらったりするのは、
おすすめなんだな。

愚痴もいいし、ぼやくのもいい。
アドバイスはいらない、ただただ聴いてって、
聴いてもらえる時間が、
多くの子どもを育ててる方に
あるといいと思う。

お忙しいと、それも難しいのかな?

ってなると、それは社会の問題かあ・・・。










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誰のための介護?「愛、アムール」

【2013.05.23 Thursday 18:48
フランス映画「愛、アムール」を見た。

音楽家の夫婦。
妻の教え子のコンサートを楽しんだ翌朝、
妻は発症する。手術が失敗し、
左半身がいうことをきかなくなり、
車椅子の生活になる。
二度と入院はいやだと訴える妻の願いを聞き入れ、
夫は自宅での介護の生活に入る。

誇りを失わず、これまで通りのスタイルを貫く妻だけど、
失禁をしてしまった朝から、
妻の様子はどんどん悪化していく。

今、「悪化」と書きながら、
「悪化」なのか?と考えている。
加齢により、いろいろなことができなくなり、
時々はパニック、時々は訳のわからないことを
訴え続けるというのは、
「悪化」なのかどうか。

一人では何もできない赤ちゃんで生まれてきたヒトが、
いろいろできるようになり、
他者の世話ができたり、
他者に良い影響を与えるようになり、
それがだんだんと、
できなくなっていくことは、
「悪化」ではなくて、
「過程」ではないか。


私は映画を見ながら、ずっと義父と義母のことを
考えていた。

人一倍がんばりやだった義父は、
40代で起業した。
社員の方々やその家族の生活を守るため、
厳しい決断もあったし、
体力を超えた仕事をしてきた人だ。
その義父も86歳。
だんだんとできないことが増えてくる。

私は、
「できないことが増えてきた自分」
を受け入れ始めている義父を尊敬する。

多分、とっても歯がゆいと思う。
全部、自分でやってきた今までのことを
思うと、
時々は悔しさや情けなさみたいものも、
感じていると思う。
それでも、認め、受け入れ、今できることを
しようとしている義父。

発達心理学を調べると(私は全く詳しくないが)、
知能には流動性知能と結晶性知能とあり、
流動性は新しいことを学習したり、
作業の速度を要求される能力で、
子どもの頃をピークとして穏やかに衰えていく知能であり、
結晶性知能は、
これまで蓄積された経験と知識に結びつく能力で、
年老いて尚、伸び続ける可能性がある知能らしい。

この後者の方の知能を生涯発達させていくには、
日常生活の中で自分自身で選択する機会を
多く持つことなんだそうだ。


「愛、アムール」の妻は、
「自宅で過ごす」を始め、
「ご飯を途中でやめアルバムを見る」、
「今は水を飲みたくない」、
など、
ある程度選択を続ける。
それを夫は支える。


私も、義父の選択を応援したいと思う。
ただ、義母の介護の方法についても、
自分自身にどの程度支援を入れるかも、
ケアマネさんとの話し合いの席では、
「みんなのいいようにしてくれ」という感じがあり、
それが、すごくすごくせつない。


もちろん、
この映画の夫婦のように、
夫が看護士さんなどのケアを受けながらも
基本一人で奮闘していると、
それが妻の選択を守るためだとしても、
だんだんと孤独になり、
おいつめられていくと分かる。

それは分かっているけれど、
ケアプランの場で話し合われることが、
義父の選択を大切にするためというより、
家族の安心のためにような気がして、
私は落ち着かないんだ。

義父はヘルパーさんに入ってもらうことを、
以前から私と夫の前ではイヤがっていた。
「他人がいると、わずらわしい」と言っていた。
確かにヘルパーさんに昼間の服薬の世話などを
やってもらえたら、家族は安心だ。
でも、週に1〜2度昼食を取ることや
昼食後の薬を忘れることも含めて、
義父の人生のような気が、
私はしてる。
そういうことがあったとしても、
義父の選択する権利を守りたいって思うのは、
義父のカラダのことを考えていないってこと
なんだろうか?

クオリティ オブ ライフ って何?

あ〜難しい。


ケアマネさん始め、
会議に参加してくれた人全員が、
自分の方法や考え方で
義父のことを考えてる。

考え、迷いながら
やっていくしかないんだろうなあ。





映画を見ながら、
自分の家のことばかりを考えていたよ。















author : tanizawa-k
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小6国語「感情」茂木健一郎

【2013.05.22 Wednesday 08:19
私は今年度スクールカウンセラーとして3校の
小学校を担当している。
時々、依頼を受けて授業中の子どもの様子を観察する。

たまたま、小6の国語の授業が
観察の時間となった。
依頼をいただいている子どもの様子を見ながら、
私は授業で扱っている内容に、
めっちゃ嬉しくなったんだ。

その学校が使っている教科書は光村図書出版さんのもの。
6年生用のものは「創造」というタイトル。
大体タイトルがある教科書ってのに
びっくり。

その授業では
茂木健一郎さんの書き下ろし「感情」という文章に
ついて学んでいた。

・感情には、喜びや希望のようなものと、
 不安や後悔のようなものがある。
・不安や後悔などの感情も
 生きる上で役立つ。
・どんな感情も生きる上で大切。
・様々な感情を持つことは
 人生で起こる様々な出来事に
 対応できる力となる。
・多様な感情をもつ自分自身を認め、
 受け止めていきましょう。

私は、このことを国語で取り上げることの意味に、
なんだか感激をした。
そして、最後の「・」の
「認め、受け止めていく」とは、
具体的にどうしていくことだと思うか、
子どもたちの意見をききたいと思った。
(残念ながら途中で観察の時間が終了してしまった)

腹がたったとき、
心配でたまらないとき、
どうすることが
認め、受け止めていくことなのか?

これは、この授業する先生の考えが
問われるだろうな。
ここで、「前向きにとらえよう!」くらいで
終わってほしくないなあ。



そんなこと考え、
この教科書には他にもすごいテーマがあるかも・・・と、
期待大で、
お昼休憩の時に見せていただいた。

時間の関係でぱらっとしか見ることができなかったが、
あった。

たとえば
「伝えにくいことを伝える」というページ。
アサーティブという言葉は出てこないが、
あきらかに元にしているページ。

クラスにひとつしかないボールを
いつも使ってしまう人に対して、
どう言うか?
①いつも自分たちだけでボールを持っていくのは
 ずるい。自分勝手だよ
②私もボールで遊びたいなあ
③ボールは一個だから、
 みんなで遊べるようにするには
 どうしたらいいかな?
 ボールの使い方を、話し合って決めようよ。

アサーティブでいえば、
①がドッカン。②がオロロ。ここではネッチーパターンは
紹介されていないが、
ネッチーなら、独占している人たちに、挨拶しない・・・
なんてことが考えられるかも。

この教科書がすすめている方法は、
3つのポイントをあげている。
1・言葉や表現を選びましょう
2・表情や声の調子も考えましょう
3・伝えるだけでなく、相手の主張をきき
  話し合いましょう

教科書を作っている方々の苦しい思いが読み取れる。
1の言葉や表現を選びましょうを
もっと具体的にしたほうがいいんじゃないか、
それともそこを考えてもらった方がいいか、
葛藤があったのではないか。
葛藤しながら
抽象的なことでまとめたのだろう。

この教科書をパラっと見た中で、
私が大注目したのは、
「評価・判断、感情を表す言葉」というページがあり、
文書を書く時に、
ここに挙げてある言葉を見ながら、
自分の考えや感情にぴったりした言葉を見つけながら
表現できるようになっている点だ。

感情を表す言葉として、以下の言葉が紹介されている。
したう
ここちよい
胸をふくらませる
そわそわする
たまらない
ふさぐ
あこがれる
なごむ
待ち望む
おろおろする
切ない
気が気でない
ためらう
好感がもてる
くつろぐ
くすぐったい
気がかり
くじける
失望する
かんめいを受ける
意気込む
顔から火が出る
もどかしい
ぐらつく
嫌気がさす
胸にひびく
我を忘れる
気が楽になる
なやましい
鼻につく
わずらわしい
痛快
かたの荷が下りる
後悔する
むっとする
圧倒される
晴れやか
なごりおしい
味気ない
心残り

感情そのものを表す
いかり
悲しみ
喜び
などという言葉とは違うが、
感情を表現する時に使う言葉たち。

自分の考えや感情にぴったりの言葉をみつける
作業をすることそのものが、
自分を大切にしていることんなんだ!
ということを根底にもって、
このページを使ってほしいなあ。
(やってらっしゃるだろうけど)

もちろん、完全にぴったりすることは、
すごくむずかしい。
今+1秒で、変わってしまうことだってある。
でも、そこに努力することそのものが、
とってもとっても大切なこと。

そして、みつかった自分の考えや感情にぴったりの言葉を、
相手に差し出すことで、
自分という人間の一端を分かってもらうこと、
その意味を考えてくれたらいいなあ。

さらに、
相手もそうやって差し出してくれているんだということを
知ること。
知って、だからこそ、
どう受け止めるかは、
考えること。

そういうこと全部含めて、

「自分のことを大切にすることができて初めて、
 他者が『大切な一人の人』だと、
 本当にわかる」

ってことだと思うんだ。


あ〜小6の国語の教科書、
萌える〜。








author : tanizawa-k
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ホワイトボード会議は続く。

【2013.05.19 Sunday 15:22
その後、ホワイトボードケース会議は、
いろいろな事情で中断していたが、
またぼちぼちと始められそうだ。


先週は、ある学校で数名の生徒について、
それそれの課題と目標と支援方法について共有し、
現状の支援方法でいいのかどうかを検討する会議に
利用した。

ホワイトボードに記入をしていき、
それそれ違いはあるけれど、
「友だちとの関係づくり」に関しては
全員、大なり小なり課題をもっていることが明確になり、
まずは小集団の中で、
また大人がある程度見守る中で、
「他者とかかわる力」を少しずつ育てていくことを支援する
方針がかたまった。

それまで、先生方が感覚的に、
なんとなくそれがいいんじゃないかな・・・
と考えていた支援方法だったから、
少しのトラブルで、
本当にこの支援方法でいいのか揺れてらした。

ところが、
参加者全員で
「他者とかかわる力」をつけてほしいと確認したことで、
トラブルも覚悟の上で、
というか他者とのトラブルがあった時こそ、
学びのチャンスだと認識できたことは
大きかったと思う。

会議の成果もあったし、
私はこの会議をファシリテートしながら、
全員の考えを聴くことができたってことで、
会議のあり方にも、
ちょっとした満足感があった。
 ちょっとずつですが、
 谷澤、やっとります!)



同じ週の木曜日、
通勤の時ラジオを聴いていたら、
会議のあり方をテーマとしていた。

会議には、
情報を共有するための会議、
意志決定のための会議、
指示伝達のための会議
の3種類があると専門家が言っていた。

そして効率的な会議をするために
3点が重要とのこと。
①種類を明確に。
会議は上記のどの種類の会議なのか、
明確に意識することが大切だということ。
②準備
会議で配布する資料などを事前に目を通してもらい、
会議の席で議論したいことを提示、
考えてきてもらう。
③まとめ
最後に必ず「まとめ」を行い、
決定したこと、決定できなかったことを明らかにして、
特に決定できなかったことに関しては、
何が足りなくて決定に至らなかったか、
それはいつまでにどうするのか、
共通にしておくこと。

なるほどな。
次にいかしていきたいよなあ。


2013年度、
4月から一ヶ月と20日。
まずは会議に参加するメンバーが
お互いを知り合わないと、
対話をしていくことは難しいので、
情報を共有することをしながら、
お互いの考え方や、発言の仕方などを感じ取り、
そして
コミュニケーションを深める会議をしてきたが、
いよいよ、次のステップに進めそうな学校が、
ぼちぼちでてきたっこと。
嬉しいな。


「効率的」ってものばかりを追い求めるのはいやだけど、
会議が終わったあと、
あんまりにも「何だったの?今日・・・」という、
「これじゃない感」がある会議も考えもの。

時々は脱線したり、
ムダな時間もあったりしながらも、
それでもなにがしかのものが参加者みんなの頭や心に、
残る会議をやりたいよなあ。


そしてここぞという時には、
課題と目標が明確になって、
支援方法を共通理解し、
さらに役割分担と期日まではっきり決める
そんな会議をやれたらいいな。


とはいえ、ちょっとずつちょっとずつ。

昨年ホワイトボードケース会議を
バンバン開いていた学校では、
今年はファシリテーター役を、
担当の先生に変わってもらおうと考えている。
今年の担当は、昨年はこの部会に出てはいなかったが、
クラスの子どものケース会議を開いた時、
参加されて、
「役に立った」という印象をもって
担当を努めてくれている。
その彼が、
このファシリテートの道具を手にすると、
きっとクラス運営にもめちゃ役立つし、
多分、もっともっといい授業を作って
いくようになると思う。

どの時点で引き継いでもらうか、
考えどころだよなあ。

おもしろくなりそうだぞ。






author : tanizawa-k
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貢献的な行動に光を!

【2013.05.14 Tuesday 18:19
小学校で子どもの観察のために
授業をみていて、
めちゃ素敵なシーンを体験することができた。

そして、このシーンは、
組織の中で仕事をしている人が、
人間関係をうまく築くためのヒントになると思う。



1年生の国語の時間。
よく立ち歩いてしまうA君は、
一番前の席。
プリントを使った勉強をしていて、
「る」の字を4つに区切ったマスの中に、
バランスよく書くって練習をしていた。
彼は、それをとっとと終わらせていた。
終わった子は、
プリントのあいたスペースに書かれた動物と車に
色を塗ることになっているようで、
彼もやっていた。
そのうち先生が声をかける。

「みんなプリントができましたね。
 よくがんばりました。
 次は教科書を使うので、
 まず、プリントを一番後ろの人が集めて
 先生のところに持ってきてください。
 それからみんなは教科書を出します。
 それを1分でやりましょう」

それぞれの列の一番後ろの子がプリントを
集める。他の列はすぐに集め終わったけど、
A君の列はなかなか集まらない、
一番後ろの子が一人一人集めてきて、
A君のとこでとまってしまった。
A君はもっともっと動物や車に色を
塗りたくて、終わらないのだ。
一番後ろの子は、待っている。
ちょっといらいらした表情で
A君がプリントを渡してくれるのを待っている。

先生が「さあ、1分まであと、10。
10、9、8・・・」と数え、
やっとA君はプリントを渡した。

先生はそのプリントを受け取り、
「教科書が、今ちゃんと机の上に乗っている列は、
 この列、OK
  この列、いいね」
と順にほめる。

A君の列に目をやると、
A君とぎりぎりになってしまった一番後ろの子が
教科書がでていない。

「この列は残念だったね」
と言って、

でも、すごいのは、
そこで終わらなかったことなんだ。

先生はA君の列の一番後ろの子に
「○○君、エラかったね。
 1分でやればいいって言ってあったから、
 だまって待っていてあげてたね」
と言って、労った。
一番後ろの子は、
(そこほめてもらえるんだ。
 先生、気がついていてくれたんだ)という感じで、
誇らしげ。
さらに先生は、
「お待たせしたのはA君だったね。
 待っててくれた○○君に、
 なんて言ったらいいんだろう?」
と問いかける。
A君は「ありがとう」と言う。
「そう、ありがとう。ちゃんと○○君に言おう」。
するとA君は後ろをむいて、大きな声で
「ありがとう」。
すかさず先生はA君をほめる。
「ちゃんと顔を見ていえて
 えらかったね」

さらに先生は、
 「○○君が集めてくれたプリントは、
 上と下が全部きちんと揃ってます。
 すごいね」
とみんなに、上下を揃えてある
重なったプリントを見せたんだ。

このシーンは、
もちろん、
学校の先生にとっては、
とてもとても勉強になるシーンだと思う。
価値づけるとは、こういうことの繰り返しなんだと、
本当に勉強になると思う。

そして、この先生は多分、
次に同じような指示を出し、
もしもA君が待たせずにプリントを渡したら、
それを当たり前にしないで、
ちゃんと光を当てると思う。




このシーンは、
組織、チームで働く大人にもモデルになる
シーンだと思う。

人が2人以上で、目標を共有して働く時、
いつも成功することばかりではない。
うまくいかないこともある。
でも、うまくいかない事の中にも、
きっと何か貢献的な行動はあったはずだ。
それを見逃さないで、
そこに光を当てることは、
今の時代のリーダーには必要な行動だと思う。

もちろん、光を与えられなくても、
貢献的な行動を続ける人はいる。
誰にほめられなくても、
自分で自分を認める力がある人は、
確かにいる。
でも、それでも、
分かってくれる人がいるってのは、
励みになるものだ。

(「ああ、ほめあって生きたい。
  これは、ぼくの最大の夢だ」 
 糸井重里氏「ボールのようなことば。」より)


成功した時も、直接成功した人は、
成功したってことで、ある程度報われる。
でもその後ろにいる、
たとえば、書類作成のスピードが早かった
営業事務の人や、
無理をきいてくれた工場の作業をする方に対して、
それらを当たり前にしてしまわないで、
しっかりと認めることこそ、
次に繋がっていくんだと思う。



○○君が、もし、「ちゃんと待っていた」ってことを
気づいてもらえず、認めてももらえなかったら、
どういうことになっていくか?

もしかすると、
「おれはちゃんとやってるのに、
 Aのおかげで、教科書出すの遅くなって
 だめだった。Aと同じ班になるとまったく損だ。
  次はAが色を塗っていても、プリント取り上げて
 やろう。やぶったって、しょうがない。
 悪いのはAだもん」
という方向にいくかもしれない。

そして、プリントを無理矢理集めたら、
Aの興奮を誘ってしまうかもしれない。



大人の世界だって、
地道にコツコツと、
チームや会社のためにも、
成功してもうまくいかなくても、
それでも、必要な行動をとっている人がいて、
たまにうまく仕事が進めばいいけれど、
あまりにもうまくいかないことが続けば、
それでも愚直に必要な行動を持続させるのは、
難しいんじゃないだろうか。

そのことで食べているって分かっていても、
それでもやっぱり辛いよ。

だからまず自分が、
誰かの
貢献的なふるまいに気がついて、
そしてそのことに、
ちゃんと分かってるってサインを送ろう。








author : tanizawa-k
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「仕事のお守り」

【2013.05.12 Sunday 13:27
ミシマ社 編
ミシマ社
¥ 1,365
(2013-04-27)

ミシマ社という出版社さんを知ったのは、
西村佳哲さんの「いま、地方で生きるということ」
の前書きだったと記憶する。

出版社代表から与えられたテーマ
「いま、地方で生きるということ」が
あまりにも難しくて、とっても書ける気がしないけど、
大好きな出版社、代表ということもあって
引受けた・・・というような記述があった。

私が大好きな西村さんが大好きな出版社、
ミシマ社のこと、その時初めて気になった。

そしたら、
本棚にある
益田ミリさんの絵本
「はやくはやくって言わないで」
同じく益田ミリさんのマンガ
「ほしいものはなんですか?」
がミシマ社から出版されてたことに気がつく。

そのミシマ社が、
編集した「仕事のお守り」。

働く者誰もが体験するような、
自分の能力に疑問や不安をもったり、
仕事に集中できない悩みや、
コミュニケーションがうまくいかなくて辛い時など、
そういう行きづまったような時に、
どういう考え方をしたらいいかなどを、
集めた本。

「『小さな総合出版社』としてジャンルを問わず
 発刊する出版社だからこそ出会えた著者の方々の
 言葉や、古今東西の名著からの数々の言葉を収録」
とある。

私は、
SNSなどでよく廻ってくる金言などは、
正直あんまり興味ない。
でもこの本がおもしろかったのは、
言葉のお守りの提示の仕方に流れがあったことだ。
かといって昔流行った自己啓発のストーリー
「チーズはどこへ消えた?」みたいなものとも違う。

最初のお守りは
「自分を作り替えようとしてはいけません」
で、
つまり、社交的な人間でない人が
「雑談上手にになろう」とか、
そんなように自分を作り替える必要はないって
ところからスタートしているのが、気に入ったんだ。
ここからスタートして、
自分そのものを作り替えなくていいけど、
その自分で毎日働いていこうってことを、
問題が起こってきそうな順に問いている。


全部で言葉のお守りは36ある。
その中で特に好きなものは、
「希望と不安は往復運動」
  「危機」という字は「危険」の「危」と
  「機会」の「機」でできている。
   危険と機会は一緒にきたりするってこと。
「風邪は経過させるもの」
   風邪をひくのは、その時風邪をひく必要が
   からだにあったから。
  「そうやってそれぞれの人なりの風邪を引くと、
   その偏って疲れている処がまず弾力性を恢復 
   してきて、風邪を経過した後は弾力のある
   ピッチリした体になる」
「『相手が必要としているもの』と
 『伝えたいこと』の開きをなくす」
  これは山田ズーニーさんの「大人の小論文教室」
  からの考え方。
「『自分にできないこと』を知り、
 敬意をもって支援を乞う」
  これは内田樹さんの「街場の教育論」から。
  まずは自分で自分のできないことを理解して、
  「敬意と愛」を持って「自分にできないこと」に
 支援を乞うことが恊働の基本だと言っている。


スピード感だけを求められたり、
勝つことが重要だという価値観の中にいたり、
より良くならなければいけない的な考えが尊重
されていたり、
そういう中で、
目に見えるカタチ、見えないカタチで、
それらを強要されるような状況に、
もし行き詰まって、心が折れそうになった時は、
開いてみるといい本だと思う。

自分がどこにどのように行き詰まったかが
明確になり、
さらに、
ほっとできる本。



この本はジュンク堂で購入した。
ミシマ社さんの本は、
全て直に本屋さんに営業をしておいてもらう方式を
とっているらしい。
大切に作った一冊一冊が、どんなにいい本なのか、
誰かに営業してもらうんじゃなくて、
自分たちで伝えたいってことかな。

出版社さんの仕事の仕方も、
多様化していていいなあと思う。





author : tanizawa-k
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気になるところを見る。

【2013.05.11 Saturday 12:35
たとえば、自分の髪の分け目の白髪が気になっていると、
ついつい相手の分け目を見てしまうこと、ないですか?
そうするうちに、相手もなんとなく自分の分け目あたりに
視線をよこすようになる。
そんな経験ないでしょうか?

自分としては、自分の分け目の白髪が気になっていて、
見られたくないと思ってるのに、
結局は、自分のふるまいによって、
相手の視線を、自分の気になっているところに
集めてしまう。

あ〜人間って、なんとかわいいのでしょう。

かわいくて、そしてせつないのが人間だなあ。


どんなに気になっていても、
そのことが自分の全てって訳ではないのに、
そのことだけに自分が注目することで、
もっともっとそのことが気になるようになってしまい、
そのことが解決しない限り、
うまくいかないように思えてきてしまうことあるけど、
その発端は、
自分がそのことを必要以上に気にしてしまっている
ってこと、ほんとによくあると思う。

お金のことであっても、
家族の問題のことであっても、
仕事の人間関係のことであっても、
自分の体調やからだのことであっても、
やらなきゃならない仕事や用事であっても、

たとえそれらがいくつか重なってやってきたとしても、
問題が自分の全てってことは、
あんまりないと思う。

でも真っ暗やみに思える。
そしてその発端は、
自分が、ほぼそこしか意識してないことだとしたら、

そことの距離をどうとるか?だろうなあ。

上記の「分け目の白髪」問題は、
気になるけど、他者のそこに目をやらないと決める
とか、
気になりながら、とりあえず美容院を予約する
とか、
自分から「もうほんと、気になる」って言っちゃう
とか、
ま、いろいろ選択肢はある。

そして、そんな風に選択肢を考える時点で、
ちょっとだけ距離取れてる。



自分の中で今起きている問題は、
それ自体は「100%自分そのもの」ではないってこと、
知っていたいなあ。


しみやしわやまとまらない髪や虫歯や白髪があっても、
幸せに生きていけるし、
失敗や欠点や落ち込みや不安や怒りがあっても、
なんとか日常をやっていける。

美白がうまくいくまで幸せになるのを
ストップかけなくていい。
ストップかけてるつもりはなくても、
ひとつの「しみ」を必要以上に気にすることは、
ストップかけてることにもなる。

そういうこと、意識しておこう。











author : tanizawa-k
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ダッシュ。

【2013.05.09 Thursday 22:11
連休明け、いきなりダッシュという感じの日々。
ここのところの、あれやこれやを
忘れないように書いておこう。


今朝、仕事場に行く途中、
素敵な場面を運転する車の中から見た。

真新しいランドセルをしょった女の子が、
弟なのか、園服を来た男の子と
手をつないで歩き、
その後ろを、ママが歩いている。
橋のところまで来た時、
女の子がくるっと振り向いて、
弟の手をママに渡した。
ママはその手をとり、もう片方の手をあげる。
女の子はその手にハイタッチ。
そこから女の子は一人で
小学校に向かって歩いていった。
見送るママと弟。

小学校に入学したてなのかなあ?
小学校まで一人で歩いていく
小さなな背中を見送りながら、
ママは心配やたくましさや
不安やがんばれ!や、
いろいろな気持ちがあるんだろうな。

そしてそんな気持ちに浸る間もなく、
今度はママは弟を幼稚園に送っていくんだろう。
忙しいなあ。



昨日の夜はドラマセラピーの二回目。
佐知先生に、
「日記を書いておくといいですよ」
って言われたことをやってみてるが、
これが本当にいいと思う。

私は前回も今回も、翌日書いているが、
一日寝かすってのも、結構いいのかも。

まず最初に、
一番印象に残ったことを書く。
二回目の昨日は
「自分と自分の感情、
 自分と自分の思考、
 自分と他者。
 それらの距離をバランスよくもちたい。
 また、それらの距離は主体的に決めたい」
ってこと。

それから、プログラムを書き、
ひとつひとつのワークの感想を簡単に書く。

冷静に振り返り、言葉にしておくことで、
昨日はまだぼんやりしていたことが、
明確になっていく。

私はイメージすることが苦手だと思っていたが、
イメージすることだけではなく、
からだを使って表現することも苦手だったんだと
ワーク中に発見した。
まず、そこまで発見して、
翌日、
からだを使って表現することが苦手というより、
慣れてないだけだったと気がついた。
そして、ちょっとだけからだを使った表現に
慣れ始めたら、なんと、
イメージすることも、
それほど苦痛ではなくなっている。
相互に作用してるのかな?

3回目が楽しみ。



そして今読んでいる本のこと
「旅立つ理由」。

この本の中に
「結局、旅行というのは、
 本人がすでに知ってることしか
 知ることができないもの
 なのかもしれない」
という一文があり、
これが気になって仕方ない。

この文については改めてちゃんと考える
つもりなんだけど、
ドラマセラピーのワークの中で、
何かをイメージする時、
同じようなことをよく感じる。

どんなに想像を広げようと思っても、
しょせん知っていることの範囲の中を
イメージしている感じ。

一回目に佐知先生は
「想像とは、
 私たちの個人的な限界を超えて考える能力である」
と説明してくれた。
そしてそれを鍛える方法として、
「今この瞬間」感じていることを意識する訓練を
することだと教えてくれた。

旅も多分、
事前に決めたルートを行く限り、
自分の知っていることをなぞるくらいの感じに
なるけれど、
旅している途中の、
瞬間瞬間、
今どうしたい?
今、何を感じている?
を意識し、そのことを求めていくと、
思いもかけなかったシーンに出会うのかも
しれないな。


さて、それにしてもこの本、
日常あまり使わない言葉が
めちゃ使われている。

「吝嗇」
「符牒」
「下賜」

それ漢字で書くんだ?なんてことも。
たとえば「籤」

そして美しい表現、
「1981年のスペインを思い出すと、
 望遠鏡を反対側から覘いているみたいに
 遠くに小さく見える」

読書で現実逃避できちゃうような、
それもかなり豊かな旅の途中にいるような、
そんな気分になって、
連休後のダッシュ中のひと休みには、
すごくいいんだ。








旦 敬介
岩波書店
¥ 2,415
(2013-03-23)

author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor