2013年03月の記事 | 今のところではありますが…
「ルビー・スパークス」

【2013.03.31 Sunday 15:37
アメリカ映画「ルビー・スパークス」は、
「リトル・ミス・サンシャイン」の監督による映画。

10年前に10代で作家デビューして天才と言われたカルヴィン。
しかし、それ以降書けていない。
人付き合いが苦手で、スコッティという犬と共に、
ひっそり暮らしている。
話をするのは兄と、
カウンセラーのローゼンタールさんのみ。

ある日カウンセラーから、
理想とする女性をレポートにして!という宿題が出る。
それで、彼はタイプライターに向かうと、
溢れるように言葉が出てくるのだ。
ある朝、目がさめて仕事にいくため準備していると、
家に女性がいる。
彼女は、自分が創作したルビーそのもの。生い立ちも、
容姿もぴったりだ。
最初は幻想か何かかと思っていたカルヴィンも、
他の人からも見えるとわかり、
理想の女性とパートナーになることができた。

しかも、
タイプライターで続きを書くと、
ルビーは、そのようにふるまう。
「フランス語を話せる」と書くと、
突然フランス語を話し始めるのだ。

そこで、
もう彼女のことは書かないと決める。

ストーリーは、
順調だった2人の暮らしが、だんだんすれ違うことから、
展開していく。
ルビーが絵画のクラスにいくようになると、
週一で家に帰ると言い出すし、
絵のクラスのコたちと飲んだりすることもある。

彼女と一緒ではないある夜、眠れないのが苦しくて、
カルヴィンはついにタイプライターに向かってしまう。
そして「ルビーはカルヴィンなしでは生きられません
でした」と書く。
すると、たちまちルビーはカルヴィンにくっついて
離れなくなる。

そんなことを繰り返し、おいつめられたカルヴィンは、
ルビーに本当のこと
「君は、自分の創造から生まれ、自分の思い通りになる」
と告白する。

・・・そういう映画。

これを見ている間中、
2つのことを考えた。

他者を思い通りにできたらどんなにいいかと、
日常の生活の中ではよく考えるけど、
それって、退屈で、薄っぺらい毎日になるだろうなあ
ということと、

理想の人を言語化するとしたら、
どう書くのだろうということ。

後者については、
私には理想ってないって気がついた。

夫も、家族も、今周りにいてくれる人みんな、
言ってみれば結構苦手な人も含めて、
そのままのその方々がいいなあと、
本当になんとなくだけど、そう思う。
もし私に理想があって、
周りの方が理想通りの人間であったら、
私は気後れしちゃって、
今みたいにはいれらないと思う。
私を含めて、人間、そこそこ短所もあり、
もちろん長所もあり、
失敗も、うまくいくこともあり、
共感できることも、よく理解できることもあり、
みんながそんなんだから、
私も今のままで、堂々といられるように思った。


前者に対して、
他者を思い通りに操れたら退屈だと思うのは、
たとえば、
義父と夕食の時、
「昨日煮魚が食べたいって言ってから煮たけど、
 どうかな?食べてくれるかな?」と
いわばドキドキとテーブルにつく。
それで、食べてくれると、「おしっ!」となるし、
口いあわない感じだと「どこがよくなかったのか?」と
考える。
それが最初から、分かっていたら、
後悔も、心配も、不安もないけど、
ドキドキも、「やった!」という喜びも
きっと味わえないんだと思う。

人間関係は、
生きた、
感情を持つ人間同士だからこそ、
難しい。
でも、だからこそ、
相手の立場に立って考えようとしたり、
自分の伝え方に工夫したり、
相手の話を思い込みなく聴こうとしたり、
そういう努力をして、
だからこそ、
分かり合えた時、
心が通じ合えた時、
めちゃくちゃ喜びを感じたりできるんだと思う。


そういうことが確認できる映画だったなあ。
この映画もおもしろかった。








author : tanizawa-k
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「よりよき人生」

【2013.03.30 Saturday 09:21
フランス 映画「より良き人生」を見た。

学食で働くヤンは、より多くの報酬を得ることができ、
さらに「シェフ」と呼ばれる職場に移りたいと考え、
レストランに面接にいくが追い返される。
しかしそこでウエイトレスをしているナディアという
レバノンから移住してきた女性と知り合い、
交際が始まる。彼女には9歳の子ども(スリマン)がいて、
3人での生活だ。

そんなある日、湖畔にたつ一軒の空き家をみつける。
ヤンは、ここでフレンチレストランを開業したいと思い、
無理をして買い取り、改装をする。
しかし、消防法に違反していたことから開業できない。
直そうにも、資金がないのだ。

ヤンは、頭金さえ借金でまかなうという危険な
借金をしていた。

明日のお金にも困った3人。
ついにナディアは、店のオーナーから好条件を示された
カナダで働くことを決める。ただし、最初の一ヶ月は
部屋を借りられないのでスリマンは連れていけない。
ヤンが預かることになり、
2人の生活が始まる。

行政に相談すると、レストランを手放すようにアドバイスされる。
しかし、ヤンは、それだけはいやだった。

騒音がひどく、環境も悪い、最低の家賃の部屋で、
暮し始める。
それでも、スリマンが万引きした時には、
本当の父親のように叱り、人としての尊厳
みたいものだけは守って生きていたが、
ついに、にっちもさっちもいかなくなり、
働いている学食の冷蔵庫から食材を盗み、
スリマンにも売りにいかせるようになってしまった。
生きていかねくてはならない。

ナディアからの連絡も途絶え、
2人の生活はますます苦しくなり、
結局はレストランを二束三文で手放した。

困難な生活をなんとかしのいでいる間に、
ヤンとスリマンの絆は太くなっていった。
スリマンを母親にあわせたい。
こだわっていたレストランもあきらめた今、
自分たちもカナダに行こう!

そういうストーリー。

この映画の批評のようなものをみると、
「多重債務」をテーマにしたものや
金銭的なトラブルよりも「家族を形成していく」
というテーマのもの。

「お金」のトラブルから家族がバラバラになることは、
実際の社会の中でもあることだと思う。
しかし、この映画は、
短いスパンで考えればカナダとフランスで別れて暮らす
ようになったけれど、
血が繋がっていないヤンとスリマンは、それまで以上に
家族になっていった。
しかも、カナダでの生活は、この映画では詳しく描かれては
いないけれど、もっともっと親子になっていったと思う。

それが希望だと思う。

実はヤンも里親に育てられていて、
本当の父親のやり方ってのは、多分知らない。
でも、彼は彼ができる範囲でスリマンと暮らしていた。

というように、批評家たちがテーマにしていた見方は、
うなずける。


で、私には、もうひとつのテーマが見えてしまった。


「一つのことにこだわることで、
 本当に得たいものが離れていく」
ということだ。

ヤンにとって、「一つのこと」とは、
湖畔のフレンチレストランだった。
そこでオーナーシェフとなること。
そのこと中心に彼の生活は成り立っていて、
それなくして自分の人生はないという
思い込みがあったと思う。

でも本当は、
彼の上位の願いとして、
「幸せになりたい」があったと思う。

だとしたら、
ヤンは学食で、
ナディアはウエイトレスとして働いて、
スリマンと3人の
落ち着いた生活をすることだって、
できたはずだ。

少なくとも、最初に相談にした時にすすめられた方法、
レストランを手放すという決断をしていれば、
そういう生活を送ることもできたはずだ。

しかし彼はこだわった。

その時彼は、
湖畔のフレンチレストランのない人生なんて
考えられなかったと思う。

でも、映画館の椅子に座って、
彼らを客観的に見ている観客は、
そのことがどんなにつまらないことか
分かっている。

教訓を得るとするならば、
うまくいっていない時は、
自分の中にこだわりはないかどうか、
チェックすることだろうなあ。

あれがないと駄目だとか、
あの仕事じゃないと意味がないとか・・・。

私の中にも、時々ぽかっとわいてくる、
そういうこだわり。

そこにこだわるのでなく、
本当にこだわりたいのは、
自分のホントの願い、
「幸せに生きる」ってことだと思う。


・・・とはいえ、
じゃあ、ヤンの人生は駄目かというと、
そんなことない。
貧しくて、心が折れそうになるほどの体験もまた、
彼は翻弄されながら、
なんとかしないとと、
目の前の問題に向かっていった。
そして、その過程の中で、
「親子」ってものを得ることができた。

回り道をしたけれど、
結局は本当に得たいものを得たんだよなあ。

フランスでのことは、
きっとこれから後悔することもあるかもしれないけど、
それでも、後悔することも含めて、
もしかすると、
すごい人生なんじゃないかと思う。


ってことはつまり、
こだわる選択をしたとしても、
それもまた良しってことだ。



いやあ、この映画のこと、
誰かと語り合いたいと思うよ。







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ブレネー・ブラウンさん「恥について考えましょう」を見た。

【2013.03.29 Friday 10:07
ブレネー・ブラウンさんのTEDでのスピーチ
「恥について考えましょう」を見た。

以前「弱さという力」というスピーチに
えらく感動したが、
このスピーチもすごい。

今回は無防備さと恥について語っている。

////////////////////

無防備なふるまいをするってことは、
弱いということではなく、
勇気があるということだ。
なぜなら私たちが他者の無防備なふるまいを見た時に、
勇気を感じる。
無防備であることを避けていたら
誠実には生きられないかもしれない。
無防備であるってことは、
自分をさらけ出す、正直であることを示すものだ。
それには勇気がいるから、
無防備は勇気を示す指標となる。

無防備を定義するとしたら
感情面でのリスク、傷つく可能性、不確実性。

今企業で求められている
イノベーション、創造、変革
これらは無防備と関係がある。
なぜなら、それら全て成功するかどうか不確実だ。

つまり無防備にふるまった時、
恥をかく可能性がある。

ルーズベルトの「競技場に立つ人」という言葉を
味わってみよう。

「批判する人に価値はない
 観客席から 行動した人間をさして
 どうすればよかったかとか
 どんなふうに躓き失敗したのかとか
 指摘するだけの人に価値はない
 ホコリと血と汗にまみれて努力したした人
 競技場に立つ人に
 名誉は与えられるのだ
 競技場に立つ人は
 うまくいけば勝利を得るし
 失敗すれば敗北を味わう
 しかし失敗し敗北したとしても
 それに果敢に挑んだ結果なのだ」

そうやって競技場に立とうとした時、
支え合える関係があると、いい。

もしうまくいかなくて
恥ずかしい思いをしたとしても、
支えてくれる関係に
共感してもらえるといいからだ。

共感しようと思ったら、
共感を理解し、
どう共感を示すか知らなければならない。

共感は恥の解毒剤だ。
恥をシャーレにいれたとき、
それを爆発的に増幅させるのに必要なのは、
秘密、沈黙、判定。
同じ量の恥のシャーレに共感をいれたら、
恥は消えてしまう。

そして本当に共感しようと思ったら、
恥が私たちにどういう影響を与えるか知っておくことが必要。
恥が私たちの子育てにどう影響するのか、
私たちの働き方、お互いを見る見方に、
どう影響するのか理解する必要があるのだ。

アメリカで、
女性が感じている、女性として評価を受ける条件は、
感じが良くて、やせていて、控えめで、
あらゆる手を尽くして容姿に気を使うことという
リサーチがある。

男性は、常に感情を抑えて、仕事第一で、
高い地位を求め、暴力的であることだと
考えている人が多いというリサーチだ。

女性はそれからはずれることを恐れ、
男性は弱いと思われることを恐れている。

それらが恥を感じることと関係していることを
よく理解しておきたいし、
それらと反対にあることが
無防備だ。

さらけ出すことだから。

支え合う方法を見つけようとするなら、
無防備は通る道だ。

競技場の外にいたいのは分かる。
きっと、
「弾を跳ね返せるくらいに完璧になれば、
 競技場の上に立ってガツンと言わせてやる」
と考えていると思う。
でも、それは現実的ではない。
たとえ、最高に完璧になって
どんな弾でも跳ね返したとしても、
そんな完璧な姿を
みんな見たいわけじゃない。

ただ、競技場に足を踏み入れ、
みんな一緒に向き合いたいんだ。

みんな、ただ自分自身と、自分が気にかける人と、
一緒の働く人たちにために、
果敢に挑みたいんだ。


////////////////////



競技場の外から見る人じゃなくて、
中に立つことを選ぶと、
いろいろなことが起こる。

成功したらいいけれど、
失敗したら、
批判の矢が襲いかかってくる。
「なんで、できないの?』

自分で自分を責めたりもする。
「自分の器じゃなかったかも」

他者のことも責めてしまう。
「闘うように勧めた人が悪い」

他者からや自分からの批判がなくても、
批判されたらどうしようという恐れで、
足がすくむ。

でも、それでも、その経験は、
競技場に立った人にだけ与えられるものだ。

野球の例えもある。
「バッターボックスに立たなければ、
 三振もしないけど、ホームランも打てない」

頭では、そのことが理解できていても、
それでも一歩を踏み出せなかった人は、
失敗した時に、どうしたらいいかが
分からなかったからって理由のあるんじゃないか。

打ちのめされて、凹んで、
自分がどうなってしまうか分からないから、
立てなかったとしたら、

このブレネー・ブラウンさんのスピーチは、
背中を押してくれると思う。


支えてくれる関係が、
その時のあなたを支える。
だって、共感は恥の解毒剤なんだもの。

そして、そのあなたも、
誰かの恥の解毒剤になれると言っているのだ。




3月ももうすぐ終わる。
進学、進級、異動、転職、引っ越し、
いろいろな人が
新しい生活という競技場に立つだろう。
変化の春を迎える人の周りの人は、
この「共感」のことを、
知ってしまったからには、使おうね!って思う。

そして、そのあなた(周りの人)も、
誰かに共感してもらってね!って言いたいな。

共感してくれそうな人が、
今のところ誰も思いつかなかったら、
せめて、自分で自分の気持ちに
共感してあげることで、
絆創膏貼ってあげてほしいです。
「よくがんばったね」って。
「辛かったね」って。








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認め合おう!

【2013.03.27 Wednesday 22:32
義理の父と毎日夕飯を食べている。
義父は、何度も「うまい」「おいしいな」と
言いながら食べてくれる。

私は照れくさいけど、
嬉しくって、
もっと喜んでほしくって、
密かにデータをとっている。
義父が手が出るものの類いは何か?

じゃがいもが好きなのは知っていたけど、
汁物が好きなようだ。
たっぷりの出汁で煮たものは、
汁ごと銘々椀にとってるな。

じゃ、それ、作る!という感じだ。



いつもと違う道を走っていたら、
大きな荷物を持って歩く女性とすれ違う。
私が走っていることに気がついて
大きな声で
「いち に いち に」と言ってくれた。

「ありがとうございます。
 がんばります」
と言うと、

一層大きな声で
「いち に いち に」と声をかけてくれた。



私は時々叫びたくなる。
世知辛い世の中だけど、
うまくいかないことも多いけど、
突然理不尽なことは起こるけど、

でも、
認め合って生きようよ!


あら探ししたくなること、
そりゃある。
悪口言いたくなる時もある。
そういう時は、
それほどのことがあった時だ。

でもさ、できるなら、
いえいえ、ちょっと無理してでも、
認め合っていこう。



夕飯の時義父に、
私と夫が結婚する前の話をした。
「泉さん(←夫)と電話していて、
 『今まで何してたの?』と訊くと、
 『おばあちゃんのツメを切ってた』
 ということが二回あったっんですよ」
と言うと、
義父は
「このコは、優しいところがあるコでな」と
54歳の彼を見て
涙を浮かべた。

あ〜いいなあ。

認め合うっていいなあ。



大学の後輩が、
この春会社を変えるとfacebookにアップした。
たちまち励ましのコメントが集まる。

みんなが、彼のこれからを応援してる。

あ〜温かくなる。
温かくなると、
ためておいたエネルギーが溢れ出てくるように思える。

認め合うことは力強い。



高校進学を決めた子が、
旅先で、おみやげを買ってきてくれた。
異動が決まった中学の女子生徒が、
文房具屋さんのセールで、ペンを買ってきてくれた。

おみやげそのものも、ペンそのものも、
もちろん、嬉しい。
でも、旅先で、文房具屋さんで、
私のことを思い出してくれた、
そのことがありがたい。
そしてきっと私の顔を思い出しながら、
いろいろ迷って決めてくれた、
その時間が尊すぎて、泣けてくる。

認め合うことの、
からだ中の固くなっていたところが、
ほどけていくような効果。



認めるだけでは成長しない・・・なんて
考えがあるのも分かる。
認めてばかりだと、わがままになりはしないか、
そんな心配もあるだろう。

でも、それは頭で考えること。

認め合ってみようよ。
気持ちいいから。
からだは、どっちにいきたいか
知っている。



今日スーパーのレジで、
3番目に並んでいた。
隣の締めていたレジがあいたので、
私は、前の方に、
「お先にどうぞ!」
と声をかけた。
私より若い女性だった。
特に何も言わずに、彼女は隣のレジに移り、
会計をすまされた後、
私たちは並んで買ったものを、
エコバックの中に入れていた。
彼女が突然、
「さっきはお礼も言わないで、
 私ったら、本当に失礼ですよね」
と言った。
私はびっくりして
「いえいえ、とんでもない」
とまず言い、
心の中で失礼な人!と思ってしまったことを
密かに詫びて、
本当に思ったことを言おうと思った。
「そんなふうに言えるあなたって、
 すごいと思います。なんか感動します」
そしたらその方の目に涙がたまってきて、
「ありがとうございます」
と言う。
と同時くらいに入れ終わって、
足早に出口に向かっていった。

きっと何か背景があるんだろうな。
心がめちゃ敏感になるような
そんなことを背負っているんだろうな。
それでも買物という、
やらないとならないことをしている彼女のことが、
なんだか愛しくなってしまって、

知っているありったけの温かい言葉をかけたくなったけど、
彼女はもういない。

あ〜もっと、認める言葉の語彙がほしい。


少し心がすさんでいるなって人は、
みんなまとめてめんどう見るから、
私のところにいらっしゃい!なんて
堂々と言えるぐらい、
多様な認める言葉がほしい。


認め合えるっていい。

認め合おうよ!って
私は言いたい。

認め合える、そういう社会を作りたいなんて、
大きなことも思ってしまう。



でね、
その最初は、
自分で自分のことを認めることから。

最初の一歩は、自分で自分の認められることを、
確認してみよう。

いつやる?
今でしょ。
















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2013年度もアサーティブ・カフェ開催します。

【2013.03.25 Monday 17:49
3月23日(土)
2012年度第4回アサーティブ・カフェin静岡を開催しました。

16名の参加により、
自分の意見や感情を、
相手のことをも尊重しながら伝え聴く、
アサーティブなコミュニケーションについて学び合いました。


(以下、字体がぐちゅぐちゃで、読みづらいかもしれません。
 申し訳ありません。いつものようにタイプしているのですが、
 なぜかこうなってしまいました。お許しを!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参加者の感想をアップします。
(シェアしてokとしてくださったものです)

◇「私はロールプレイを通して、夫に対して威圧的な
 ボディランゲージをしてしまう自分に気がつきました。
 気がついたことで、正直ショックな気持ちもありますが、
 行動を変えていきたいと、今は思っています。
 それから夫に対して、自分の言い分だけを伝えて
 会話を終了することが多いです。夫がどう思うのか
 これからは聞くようにしようと決めました。
 また参加したいです。」(ひろりん)

↑(谷澤より)ひろりん、いろいろ気づいたことを
 シェアしてくれて、ありがとう。その中で、
 夫に対するボディランゲージに気づいたこと、
 「正直ショック」って書いてくれてますね。
 あ〜ひろりん、自分に誠実に書いてくれています。
 アサーティブだなあ。
 そして自分のできることを探してやっていこうと
 されている。素晴らしいです。ぼちぼちやって
 いきましょうね。また会いましょうね。



◇「他の方の事例を聞いていて、身内とアサーティブな
 コミュニケーションを取ることは、なかなか難しいな
 と思いました。
 職場の人間関係、友人関係では、自分の気持ちや要求を
 少しずつ伝えられるようになってきているので、
 以前ほどは、ストレスを感じなくなっています。
 今回は難しい事例をロールプレイのテーマに選んで
 しまいましたが、友人に率直な気持ちを伝え、相手の
 気持ちに寄り添うように話が聴けるようにトライして
 みます。
 私が行動を意識的に変えるようにしてから、周りの人
 たちにも変化が出てきてるということを、改めて
 感じています」  (m)

↑(谷澤)mさん。シェアありがとう。
 私はmさんのボディランゲージが、すごく
 すごく変わったと思います。前も素敵でしたが、
 今はそれに凛としたところや堂々さや落ち着きが
 加わったと思います。そのことをカフェで伝えそびれて
 しまったので、ここで言えてよかった。
 自分が変わったら周りが変わってきた・・・という文を
 読みながら、私は最初にアイセルでお会いした時の
 ことを思い出していました。mさん、よく続けて
 くださいました。これからも少しずつで。またね。


◇「昨日はありがとうございました。
 久しぶりにあのような場に出向き、緊張したせいか、
 自分でも驚くほど疲れてしまいました。多分、いつも
 使っていない思考回路をフル稼働したせいですね(笑)。
  基礎講座を受講してから随分ブランクが空いて
 しまっていました。アサーティブの必要性はわかって
 いて、おまけに自分ができていないという事にも
 気づいていながら、大きな問題に直面しなかったため、
 何となく見て見ぬふりをしていたのだと思います。
 やはりアサーティブを意識して生活するより、
 いつものコミュニケーションパターンを使う方が
 とりあえずは楽だからでしょうね。
  子供が大学生になり、夫と2人暮らしになってから
 というもの、空の巣症候群に陥り、何事にも前向きに
 なれずにいました。無理はしたくないという諦めの
 ような気持ちを持つ反面、このままで良いのかなあ・・・
 という思いもあって、揺れていた時に見つけた
 アサーティブカフェ。今の私には丸1日とか2日連続
 という講座は荷が重い気がしますが、アサーティブ
 カフェのようなちょっとまったりした雰囲気ならまた
 参加したいと思いました。
  ここ半年夫と「ある話」をすると必ず喧嘩になって
 しまうというテーマがありました。たまたま今日も
 その「ある話」が勃発し、最初はいつも通りの決裂状態。
 そこで、アサーティブを意識して再度話をした所、
 初めて建設的な話し合いができました。
 まさにアサーティブマジックかな・・・
  やはり、細々とでも自分を振り返る機会は
 大切だと思った出来事でした。
  私も今回問題を先送りにしないで、
 何とかしたいと思った自分を大切にしたいと思います」
                  (みかづき)

↑(谷澤)みかづき、久々に講座の場で会えたこと、
 とっても嬉しかったです。振り返ろう、よりよくなろう
 と考えたみかづきの思考と感情のプロセス、フィードバック
 シートでよく分かりました。よく参加してくださいました。
 また、早速パートナーさんとの話に生かしてくれた
 こと、それは本当に素晴らしい!!!
 アサーティブを意識してくれたんですね。
 コミュニケーションに自覚的になることの
 効果を端的に表してくれてます。勇気でます。
 「何とかしたいと思った自分を大切にしたいと
 思った」とのこと、私も、みかづきのその思いを
 サポートできるよう、精進したいと思います。
 また会いましょう。


◇「今回、気づけたことこととして、いくつか考えて
 みました。まずは、やはり(講座で)学んでも
 忘れてしまうし、身につかないものだなあ・・・
 ということ。だけど復習して思い出すことで、
 自分でも気づかずにできていたことがある
 ということ。
 (講座で)学んだ後で、(カフェで)受講生の
 方に度々お会いすることで、必要以上に自分を
 責めずにもいられていると思っています。
 それは、他の方々も「なかなか身につかない」
 「すっかり忘れてしまって」
 などと素直に話されるのをきいたり、
 またがんばっていることが参考になったり、
 様々なお話を聴けることなどにあるのかな。
 カフェがあることで、自分のペースで復習
 しながら、アサーティブに触れることが
 できています。
 そのため、自分がさらに上のステップに
 いきたいと思い、行動のタイミングを
 はかれています。 
  私ができないこと、言えなかったことを、
 必要以上に悩まなくなったのは、
 講師が事あるごとに「ぼちぼちでね」
 「言わない選択」「アサーティブじゃない
 ことを選ぶ」ということを、同時に
 伝えてくれているということから、
 救ってくれているような・・・、
 少なくとも私はそう感じています。
 だから、自分のペースで学んでいこうと
 思えました。
 以前は『アドバンスなんてとても・・・!』
 と思っていましたが、今は
 『もしかしたらアリかも!』と少し思って
 います。
 まだまだ定まらない自分でやっていきます。
 またお会いできる日を楽しみにしています」
          (ココロ)

↑(谷澤)ココロ、いろいろ振り返ってくれていて、
 感謝します。ありがとう。ココロが、自分を
 必要以上に責めなくなったということ。
 本当に素晴らしいと思います。
 「責める」パターンを持っていると、
 自分がきついし、さらに、対象は簡単に
 ひっくり返って他者になって、そうすると
 相手はコントロールできないだけにきついし、
 加えて他者を責める自分を責めたりして、
 ぐるんぐるんになってしまいがちなんですよね。
 それを最初のところでくいとめることも
 できるようになっているとのこと、
 ココロの自己信頼の貯金がたまっているのを
 感じます。そして、それは私の言葉も
 影響あるかもしれないけど、
 ココロの継続によるものだと私は思います。
 また会いましょう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今年度カフェを予定通り開催できたのも、
他にもいろいろお忙しい中、その日、その時間、
カフェを選択肢の一位に選んでくれた方々がいた
おかげです。ありがとうございます。

皆さんのアサーティブな変化を感じる、すばらしい
時間をいただきました。

また、やはり学びの継続こそが、
上手になるための最大の秘訣だと、
改めて感じました。

来年度も4回計画しました。
4回のうち、一回は、テーマをしぼった会にしたいです。
また一回は一日かけて話したり、学んだり、ロールプレイ
したり・・・という会をします。
(これについては、また後日発表します)
カフェ後の、ランチや懇親会も計画していきます。



アサーティブはもめ事をなくす方法でも、
人間関係の悩み事をなくす方法でもありません。
むしろ、もめ事があったとき、また悩んだ時、
解決のために使いたい道具です。

道具はさびないように、手入れしましょう。
もっともっと上手な使い手になりましょう。

それを、一人ではなく、
誰かと共に、やっていきませんか!

ぼちぼちと。休みながら・・・。


2013年度も、
アサーティブ・カフェへの参加をお待ちしています。




*このウェブサイトは、
NPO法人アサーティブジャ パン認定講師である谷澤久美子が個人で開いているホームページです。このウェブサイトに関する全ての責任は谷澤久美子にあります。NPO法人アサーティブジャパンが運営・管理しているウェブサイトではありませんので 予めご了承ください。

 







author : tanizawa-k
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「ハピネス」

【2013.03.25 Monday 16:10
桐野 夏生
光文社
¥ 1,575
(2013-02-07)

桐野夏生著「ハピネス」読み終わる。

東京の埋め立て地の高層タワーマンションに住む
有紗が主人公。
同じマンションに住む、
同じくらいの子どもがいるママたちとの集まりに、
いろいろな思いを抱く彼女。

経済力のある夫を持って、
洗練されたおしゃれをして、
お互いを「○○(子どもの名前)ママ」と呼び合い、
子どもが小さいうちは仕事はせず、
どこの幼稚園に入るかに必死になる・・・
というママとしてのスタイルを生きるママたち。
そこから
外れることを恐れる有紗。

そこから外れることを恐れるけれど、
実はすでにちょっとずつ外れていることを、
自覚している有紗。

何しろ、他のママたちは、
ベイタワーウエストというハイクラスな方のマンションの、
分譲住宅住まいだけど、
有紗はイーストの方で賃貸だ。

自分ともうひとり、
近に住む美雨ママは、
実は公園要員で、
美雨ママは、モデルのようなスタイルでかっこいいので、
子連れの集まりに招かれる。
しかし、
ウエストに住んでいる「いぶママ」「めいママ」「まこママ」は、
自分たちがいないところで、おしゃれなレストランでランチしたり
家族ぐるみで出かけたりもしているらしい。

うらやましく思ったり、あこがれたり、
意地悪な気持ちになったり、
孤独を感じたり、
有紗の感情は揺れ動く。

夫はアメリカに単身で住んでいる。
有紗は子どもと2人の生活の中で、
すっかりだらしない生活となっているのだが、
「だらしない」と近所の人から評価されることは、
恐ろしい。

気後れしながらママ友たちのグル−プに
しがみついている有紗は滑稽だけど、
同じようなことは、
私の活動場所のひとつ中学校でもおきていて、
客観的にみれば、
早く抜け出てしまえばいいのに、
その方が楽なのに・・・
と思うが、
一度踏み入れてしまうと、
その中でがんじがらめになってしまって、
身動きとれないんだよなあ。

同調圧力が強くかかっている中での
生きづらさ。
誰も、それを表立って強要している訳でないけれど、
相互の作用でそうなってしまう。

かといってそれに入っているからこそのサポートを
受けられることもあり、
そんな時だけはほっとする。

そんな彼女が、
公園要員のもう一人、
美雨ママと仲良くなることにより、
彼女がこのグル−プにしがみついているだけではなく、
他の世界ももち、自由に生きていることを知る。

彼女と話すようになっていきながら、
有紗は変わっていく。

そして、
考えや感情は揺れなながらも、、
ママ友のグループが望ましいと考えている
ライフスタイルから一歩ぬけだし、
外からの評価だけで自分の生きる道を決めるのではなく、
自分で考えて、自分の明日を選び始める有紗。
ぐらぐらしつつ、進み始める。

そのことを桐野さんは
「隘路でも道は道なのだった」
と表現している。

隘路とは、狭くて通るのが困難な道のこと。
困難であっても道はあるなら進むことが可能なのだ。

私は、
この小説を読んでいて、
同調圧力に揺れながらも、
自分で選択して生きるようになるための根本には、
「自己信頼」がどうしても必要だと確認をした。

有紗は、
ウソで固めていたことをそのままにしておく限り、
きっと自己信頼へのステップは踏めなかった。
解決しなければならない問題に目をつぶり、
先送りばかりしていたら、
自己信頼から遠ざかるばかりだったと思う。
しかし、
美雨ママによって、過去をほどいていって、
会いたい人に会いにいき、
飲みたい時に飲みにいくというような行動を
起こし始め、
問題解決にむかって、手紙を書くこともした。

そうやっていくうちに少しずつたまってきた「自己信頼」。
そうなってくると、自覚ができる。
もっと自分のことを大切に扱おうという自覚。
積極的に自分を大切にし始めたのだ。

どう思われるかという評価を大切にするのではなく、
どうしたいか、
どう考えているか、
どう感じているかという
自分自身のことを。

そういうひとつひとつのことが積み重なり、
ついに彼女は大きなことを決断をし、
自分と夫と子どもと幸せに生きていくという
目標にむかて、
目の前にある必要があることをやり始める。


それでも、
「仲良く生きていくのって、
 なんて難しいんだろう」
と有紗は思う。

それでいいんだと思う。

これで100%OKってことはなく、
隘路でも、
進める道があれば進むことなんだよなあ。



桐野夏生氏の小説の登場人物の中には、
「これでもか」というきたない考えの人が出てくるのが常だが、
今回は今までほど痛い人は出てこない。

その分、リアルだ。
リアルなだけに怖くて、
そして読後はすがすがしい。






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成功の体験。

【2013.03.23 Saturday 09:03
今日は今年度最後のアサーティブカフェin静岡。

参加してくださる皆さんの話をいっぱい聴きたい。

場をファシリテートするにあたって、
私の今年度のアサーティブなトライに
ついて振り返ってみた。

大きいトライが何回かある。
そのうち、
上司に反対意見を伝えたことは、
とってもとってもよかった。
しかも、
同じ上司に2回。


そのうちの一回を紹介したい。

上司が大切なことを組織内で共有しようとしている時に、
その会議に参加する人選について、
上司の考えと、私の考えは違った。
上司はそこを仕切るのは自分だし、
それに誰が参加するかを決めるのも自分。
他の意見は受けつけるつもりはないし、
自分で決めることが自分の役割だという考えを
表明された。
私は、その時、
本当に冷静に、
外部の方の参加を見送ることによって、
組織に起こると予想されるデメリットを何点があげ、
そのために組織内が不安定になることが心配だと伝え、
参加を検討してほしいと伝えた。

私は、その時、ただの一点も上司を責めることなく、
私の意見を伝えたと思う。
お互いの考えの違いは、違い。
どちらが正解でどちらが間違っているではなく、
組織のために、
一緒により良い方法を考えたいという考えだった。

上司と話し合い、
結局は、理解を示してくれ、
外部から参加していただくことになり、
その重要な会議は、建設的に進んだ。



アサーティブを説明する時に、
入りやすいところから伝えようとして、
「どうやって頂き物を断るか」とか、
「泊を伴う出張は1週間前に提示してほしい」とか、
そういう時どうやって伝えます?
というところから入ることがある。
そういうことも、
自分自身を大切にしながら、
なおかつ相手のことも尊重して伝えるということだから、
めちゃ大事なんだけど、
でも時々、
「アサーティブって飲み会を断る時の方法ね」
と伝わってしまうこともあって
もどかしい思いをすることがある。


いや、もちろん、
たとえ世間的には小さなことでも、
自分の気持ちや考えをないがしろにしないで、
伝えていくってのは、大切だ。

ささやかなことが大切であると同時に、

自分の仕事上、
生き方上、
「ここは踏ん張りどころ」的な時、
たとえば
組織の命運を分けるような大きな分岐点であったり、
自分の人生において重要な決定を周囲に話す時であったり、
そういう時に、
きちんと自分の意見や感情を、
もちろん、相手のことは一点も責めないで
伝えることができると、
そのことによる結果も
すがすがしく受け止められるばかりではなく、
自分で自分のことが、
心底認められるようになると思う。




プライベートでは、
最近、批判に対処する方法として、
めちゃくちゃ気持ちよく決められたことがあった。

義父の介護申請をすることになり、
ケアマネさんと最初に電話で話した時のことだ。
その方は義理の姉が紹介してくれたケアマネさんで、
義理の姉と彼女は直接話はしていないが、
義父の日常に関する簡単な説明は、
義理の姉が書面上か何かでしてくれてあった。

今回、介護申請をすることになった主な理由は、
義父の薬の飲み忘れに気がついたことからだった。
そのことはケアマネさんに伝わっていた。

ケアマネさんは電話の相手を義理の姉だと勘違いしたらしい。
私に、
「薬の飲み忘れがあったということですが、
 一緒に住んでいる息子さん(←私の夫)や
 お嫁さん(←私)と、
 関係が悪いってことですね」
と。

「あっ、
 そう思われましたか。
 それが、違うんですよ。
 実は、私がその『嫁』でして、
 すごくいい関係はどうかはわかりませんが、
 悪いって訳ではないですよ」

と相手の言葉を否定して
(決して相手そのものを否定する訳ではなく)、
そして、
「みんなの目が義母に集中していて、
 義父は自分のことは何でも自分でできていると
 思い込んでいたこと」
を説明した。



上記は成功事例だけど、
もちろん、
アサーティブでない自分を選ぶこともあるし、
またトライしてガクっとなったこともある。

でも、こうやって、
失敗したり成功したりして、
口に出すことを選んだり選ばなかったり、
つまりは葛藤しながら続けていくひとつひとつの点が、
ラインになっていく。




アサーティブには2つの面がある。
コミュニケーションの道具という面。
もうひとつは、自己信頼感を育んでいくという面。

つまり、他者に対する面。
自身に対する面。

そして、この2つは相乗効果をもたらす。
直接コントロールできる行動、
つまりアサーティブな「コミュニケーション」をすることで、
「自己信頼感」が感じられるし、
そうやって自分を信頼できると、
さらに難しいコミュニケーションにチャレンジする
後ろ盾になってくれる。

私自身が、この2つの面をちゃんと意識していて、
実感していることが大切だと思う。


私自身が、
葛藤を引受けながら、
失敗もしながら、
それでも、チャンレンジし続けること。
そういう自分を自分で信頼できる感覚を
いっぱい味わうこと。


そのことが
私から場に、
なんとはなしに
漂うんだと思う。


それにしても
みなさんと会うことが楽しみだなあ。
みなさんのチャレンジや
チャレンジしたからこそ考えたことを
聴けることが、
本当に嬉しいな。

お花見日和の今日の午後、
桜よりアサーティブを選択してくださった皆さんと、
笑顔満開になれるよう、
一生懸命にファシリテートをしようと思う。













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<考え方>と<スキル>

【2013.03.19 Tuesday 19:07
少し前に研修講師の方のメルマガに、

テクニック中心の記事を配信すると、
マインドが大切だという反応があり、
理論中心にリリースすると、
精神論だけでは困る的な反応があるが、
いうまでもなく両方大事だというような記事があった。

本当にその通りだ。

そして、両方大切だと分かってはいても、
研修や講座の時間設定によって、
どちらかが中心になってしまうこともある。

なのだが、
私の方の伝え方と、
受講生の方の学び方の組み合わせなのか、
時々、ものすごいことが起こる。

どちらか中心に伝えても、
もう一方を学びとってもらえて、
さらに実践に繋がるケースだ。

たとえば、子どもたち向けのコミュニケーションの授業では、
伝え方を学んでもらうことが多いが、
感想で、
「差別をしたくないと思いました」とか、
「今までしてこなかったけど、自分の気持ちのこと、
 大切にしたいと思います」などのように、
アサーティブの理論に通じることを
感じてもらえていたりすると、
驚くし、嬉しい。


先日、働く女性たちに2時間の
アサーティブの研修をした。
その受講生のお一人が、
学んだことをすでに実践したと報告してくれたが、
この方が、まさに、
<考え方>の学びから<スキル>を掴みとってくれた方だ。

アサーティブは
<考え方(主に、理論と権利)>と、
<スキル(主に、伝えることの整理方法と伝え方)>を
学んでいただき、
<練習>をする。
そして、その奥にある
<自己信頼を高める>も重要なポイントとなる。

しかし、2時間でできることは、
<考え方>と<スキル>の中の(伝え方)が精一杯。
(伝えることの整理方法)までお伝えするのは、
物理的に難しい。

しかし、彼女はその2時間をがっつり学んでくださり、
伝えたいことを整理して、
行動に結びつけてくれた。

(彼女の許可を得て、記事にしています。ご安心を!)


彼女は長いこと、
仕事の中で求められたり、
自分で間に合わないと考えると、
無理を押して、
休日出勤をしたり、残業をしたりしていた。
からだが悲鳴をあげても、
心まで疲れきっても、
がんばって仕事してきていた。
なぜなら、そういう状態にあることを
上司に言えなかったから。

次の契約更新時に
見送られてしまったらどうしようという考えや、
時間内で仕上げられない、つまり能力がないと
受け取られたら困るという考えで、
上司に伝えるなんてもってのほかと、
もんもんとしながら、
ひたすら日常の仕事に向かっていたそうだ。

しかしあまりにも多すぎる仕事量。
ついに、気心許せる先輩に相談した。

その方がアサーティブトレーニングの
基礎と応用を受講していたことから、
彼女に「とにかく一度受けてごらん」とすすめてくれて、
この2時間に参加・・・という経緯があった。

「この日が待ち遠しかった」と、
集中して学んでくれた彼女。

そして、その時学んだことを元に、
週末に整理をし、
どう伝えようかとひとり会議を開いたそうだ。

まとめあげたことを、
週明け、早速上司に相談。

「自分では30分位のつもりだったけど、
 一時間位話をしていました。
 簡潔に説明、話はできなかったかもしれませんが、
 話す内容のメモを用意して、
 『時間外の覚え』『年間の業務スケジュール」』も
 作成・持参し、
 ちゃんと状況も把握してもらえたと思いますし、
 悪い雰囲気にならずにすんだと思います。
 振替も取れることになり、
 来年度の業務についても
 いろいろ気遣っていただけました」と。


そして「感情をぶつける」のではなく、
「仕事は好きなので苦にはならなかったが、
 大変だった」
と冷静に伝えることができたとのこと。

実践に結びつけることができたのは、
アサーティブの力だけではなくて、
苦しい時に彼女を支え、励ましたいろいろな方の
存在があることも、
彼女は認識していて、
「私は一人じゃない」
「支えてくれる人がいる」
と確認したことも大きな出来事だったと
教えてくれた。
それって、「自己信頼」だ。

<考え方>と
<スキル>の中の(伝え方)を学んだだけで、
(伝えることの整理方法)を学び取ってくれた彼女の学ぶ力に、
私はとっても感激だし、
<自己信頼>を高められたことは、
何よりの報告だ。


「自己主張トレーニング」という、
日本で最初にアサーティブを紹介した本の中で、
人が自己主張できない大きな3つの理由をあげている。
①自己主張することに恐れを抱いている
②自己主張する方法を知らない
③自分には自己主張する権利がない
 と考えている。


彼女は上記の3つを、
支えてくれた人からのバックアップによってと、
研修での学びと、
自分自身の力で、
今回は乗り越えられたと思う。


今後は、
(伝えることの整理方法)を言葉で知って確認し、
練習を積んでおくことで、
道具として使えるように、
基礎講座に参加してくれるといいなって思う。


☆さて、ここまで読んでくださった、
 なかなか実践に結びついてはいないあなた!
 大丈夫です。
 人にはそれぞれペースがあります。
 また、タイミングもあります。
 そして、実践をしていない間にも 
 やれることもあります。
 それは、時々、自分のコミュニケーションを振り返り、
 自分にフィードバックすること。
 
 また、
 久しぶりに練習したいな!と考えられたあなた、
 今週末(3月23日土曜日 13:15~16:45)、
 カジュアルな学びの場、
 「アサーティブカフェin静岡」を開催。
 あと若干名、参加いただけるので、
 この機会をお見逃しなく。
 (基礎講座受講された方が参加いただけます)
 詳細は

 少しずつでも、ゆっくり、のんびり、
 続けていきましょうね。



<考え方>も大事、<スキル>も大事。
どちらかだけでは使えない。
でも、本当に一方を理解できると、
時々もう一方を獲得できることもある。
ただ、いつでも使える道具として持つためには、
両方学んで、言語化しておくといいし、
それに基づいて自分の日常を自分でフィードバックできる
力をもつことが重要だ。
そのためにも、
練習、練習、また練習!だよな。

私も、ぼちぼちいくのだ、







*このウェブサイトは、
NPO法人アサーティブジャ パン認定講師である谷澤久美子が個人で開いているホームページです。このウェブサイトに関する全ての責任は谷澤久美子にあります。NPO法人アサーティブジャパンが運営・管理しているウェブサイトではありませんので 予めご了承ください。








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お疲れさまでした!

【2013.03.18 Monday 22:27
今年度で定年退職される先生の、
最後の授業を見せていただいた。
中学一年への理科で、
地層について授業だ。

その先生とは、以前一緒の学校で勤務し、
今の学校に異動したとき、
再会を喜びあった。
そして、お互い、ぼやいたり,愚痴ったり、
子どもについて真剣に相談しあったり、
趣味の話をしたり、
話す時間を時々持っていた。

さばさばされていて、
ざっくばらんな方で、
私は大好き。

でも、今まで機会がなく、
授業を見るのは、
最後の授業が初めてとなった。

私は最初から釘付けだった。

だって、先生、めっちゃオープン。

先生「今日は、一年の理科最後だから、
   全部やんないとならないんだよ。
   大変なんだよ。早く進めるよ」
子ども「え〜、先生が『早く進める』って
  いうと、ほんと、早いんだもん」
先生「そうだよね。でもやるよ」

前回の授業の復習をしながら
進んでいるようで、
時々大切なポイントは、質問をする。
子どもたちが答えるのを待つ。

その「待つ」ってのは、かっこいい。

全部やらないとと早く進めたくても、
こういう時にちゃんと待てるってのは、
勤続38年の経験の力なのか?
それとも先生の技なのか?
あるいはお人柄?

とにかく待って、
そして出てこない時には、ヒントをひとつ出す。
そのヒントが絶妙で、
子どもたちから答えが出てくる。

途中、板書をする時に、
「このクラスのチョークはいつも
 本当に気持ちよく揃ってるね」
と何気なくほめる。
と、子どもが言う。
「チョークからでた粉を
 キレイにしてくれる人がいるからかな』
先生は
「そうかもね。
 気持ちいいんだよ。とにかく」

認めることができる箇所は、
見つけ次第、ちゃんと注目する先生。
それを誇らしく受け取る子どもたち。
素敵な関係だ。

私は、この時点で、
なんだかいろいろな思いがこみ上げてきて、
涙があふれてくる。

先生は、今、どういう気持ちなのかな?
38年間のこと、心の中にあるのかな?
それとも、この1時間に集中しているのかな?

お子さんが2人いらっしゃるから、
育てながらの教師生活は、きっとしんどいことも
あったのではないか?
専門の教科以外にも担当されることもあった時は、
きっと疲れただろうな?
長い教師生活の中には、
教師冥利につきることもあっただろうし、
逆に、関係がうまくとれない・・・なんて
こともあったかもしれないな。


はっときづくと、地層の授業はどんどん進んでいる。

「地層は地球の教科書。
 古生代から中生代になる時に、
 水の中から、陸にあがってきた『最初のコ』(←比喩)が
 ヒタ○○○○(書き止められなかった、残念)でね、
 このコががんばって陸にあがってくれたからこそ、
 今があるんだよ」

先生は
昔の生物がいたからこそ、
今がある、その繋がりを、繰り返す。
「○○○○って植物が、最初に光合成をしたんだよ。
 光合成をしてできるのは何?」
子ども「酸素」
「そう、酸素。このコが最初に酸素を作ってくれたんだよ」

他にも、
ティラノザウルスはエサをとるのに自分で闘わず、
横とりをするとか、
子どもたちの興味を集めながら授業は進む。

子どもからの質問に、
たとえば、
「先生。それ食べたらおいしい?」みたいな質問に、
わからないことは
「わかんない」と、
ちゃんと返す。


何かの大きさを示すとき、
「この化石は、この写真だと小さいけど、
 本当はこのくらいの大きさなんだよ」
と大きく手振り身振りでみせる。
その「このくらいの」と言ったところで、
ノートをとっていた子どもたちの顔が
いっせいにあがる。

あ〜いいなあ。
リズムがあって、
先生と子どもたちのリズムがあっている。

「地層を調べると、
 そのあたりの歴史、環境の変化、
 大事なことがいろいろ分かる。
 大体化石があるってことは、
 以前海だったってこと。
 その上で断層があれば、
 地震がおこったかも。
 粒の大きさで河の河口か
 どうかも分かる。
 それらを分かった上で、
 現状を考えたり、
 未来を考えたりできる。
 地層は、いろいろなことを、
 私たちに教えてくれる」
ということで、授業は終わった。

ええええ?理科って、
こんなにおもしろいんだっけ?
なんで、私、理科が、
中学時代、あんなに嫌いだったのかな?
私は、いつのまにか授業に引き込まれ、
そんなことを考えていた。



最後のあたりでは、
たくさんの先生方が授業を見に来ていて、
子どもたちが
「一年間、ありがとうございました」と
締めの挨拶をすると、
先生達から拍手が起こった。

見学の先生方の声に出さない声、
「お疲れさまでした」
「いい授業でした」
いろいろな声が聞こえてくるような拍手。



私は時々、学校保健委員会や、道徳で、
子どもたちに授業をするけど、
こんなふうにやりとりのある授業は、
とってもできない。

アサーティブの専門家であっても、
子どもに教える専門家ではないから、
子どもにアサーティブを教える時には、
もっともっと先生方にいろいろたずねたり、
どう工夫すればいいか相談したり、
そうしないと駄目だ、自分。

やりとりのある授業の中での学びが、
子どもの心に残っていき、
子どもの人生に、
いい影響を与えていくんじゃないだろうか。

そんなことを教えてくれた、
その先生の最後の授業。


今晩、どういう気持ちですごしているんだろうな?
肩の荷がおりたような、
そんな安堵の中にいるのかな?
それとも、
もっともっと教えたかった、もっともっと
伝えたかった、そういうせつなさの中に
いるのかな?


38年間、仕事をし続けた先生のことを思うと、
ただただ、ただただ、頭が下がる。

あまりにも言葉が拙いけれど、
やっぱり「お疲れさまでした」しかない。




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「母さんがどんなに僕を嫌いでも」

【2013.03.17 Sunday 21:07
糸井さんの
「心臓が、なんどもぎゅうっとなった」
という言葉で帯買いしたこのマンガ。

糸井さん、教えてくれてありがとう!
そう思う。
このマンガに出会えてよかった。



母親から体罰や言葉によるものや、
いろいろなカタチで虐待を受け、
そしてたくさん傷ついて、
たとえいいことが起こっても、
自分に自信がもてず、
何度も何度も、辛いことを思い出してしまいながら、
その時々に出会った、
寄り添ってくれる人を助けに、
生きてきた歌川さんのこと。


私は相談室の中で、
様々な方が、
親との関係を振り返る場に立ち合ってきた。
感情を爆発させてしまうそのふるまいの奥の方に、
また自分を責めすぎたり、
あるいは全てを他者のせいにしてしまったりする、
その奥の方に、
子ども時代を子どもとして生きてこられなかった、
もって行き場のない苦しみを抱えていることがある。


その方々がどうしたら、
なんとか生きやすくならないかと思うし、
彼らが孤立しないように寄り添う一人になりたいと思うし、
その先には、
彼らが、その過去に捕われすぎないで、
もちろん辛く苦しく悲しかった日々はなくならないけど、
でも、その過去のことが、ちょっとでも
違った見方ができるようになれたらいいなと
思っている。
そのことが「乗り越える」ってことだと思うから、
そのために何ができるか、
私なりに考えてやっている。

だって、憎んでいる限り、
幸せにはなかなかなれないからだ。

憎しみで心がいっぱいなまま、
満たされることは難しい。

そのヒントが、
この歌川さんのマンガの中にある。

もちろん、
回復の過程は人によってまったく違うし、
その方法も、その人にあったものがあると思う。
でも、
多分共通なものはあって、
それは孤立しないことであったり、
自分の心と相談して、
感情を自分で認められるようになったり、
また他者から認めてもらったり、
他者から必要とされたり、
自分で自分のことを、
「生きてていいんだ」と思えることだったり、
そういうことだと思う。

そういうことが、本当に大切なんだ。

そういう日々があって、
初めて、
親にも背景があることが分かったり、
親の苦しみを理解しようとしたりできたり
するんだと思う。

そういうことを経て、
歌川さんがたどりついた
「お母さんが何をしてたって、
 ぼくはお母さんが大好きだからさ。
 お母さん、 
 僕を生んでくれて ありがとう」
に繋がると思う。

そこに辿りついた時初めて、
安心できると思う。
この自分でいいんだって。

もう誰とも比べなくていいし、
失敗してもいいし、
他者にお願いもできるし、断ることもできる。

他者を心から信じることができる。
自分を信じるみたいに。


今読み終わったところで、
かなり興奮している自分が分かる。
だから、文章はめちゃくちゃで、
でも、言いたい事がいっぱいあって、
だから、
またいつかゆっくり感想を書いてみたい、
そういうマンガ。


そして、
親との関係の中で傷ついている人たちのそばで、
寄り添っていたり、
導いていたり、
話をきいたり、
認めたり、励ましたり、
勇気づけている、
いろいろなところにいる温かい人たちが、
元気で、しっかりとそこにいてくれたらいいと思う。

私も微力だけど、無力じゃないって自分に言い聞かせ、
やっていきたいって思う。


さらに、歌川さんが、
めちゃくちゃ辛かったのに、
生き続けてくれて、
そして今幸せでいてくれることが、
本当に本当に嬉しいな。
そのことが大きな希望だと思う。

いつか、そういう日を
引き寄せることができるってことが。














author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor