泣きの2冊。 【2013.02.26 Tuesday 16:52】 |
||||
今日の午前中、連日続いた講演講座の山を超えて、 ちょっとほっとしている。 今日は保護者の方々との学習会だったが、 取り組む姿勢に頭が下がった。 さて、少しずつ読んでいた2冊。 これが両方とも泣けて泣けて。 「死の淵を見た男」は、夫から強く勧められて 読んだ本。 福島第一原発の事故に立ち向かった人々の ノンフィクション。 筆者の門田氏は、 光市母子殺害事件の被害者家族本村さんの 戦いを描いたノンフィクションの筆者。 あの本の時と同じく、 今回も「事実」を丹念に積み重ねることと、 魅力的な人を真ん中にどんと置いた構成で、 本の中にぐいぐい引き込まれた。 福島の原発事故が起きた後、 目の敵のように扱ってきた東電。 自分が電気、環境と快適、原発などについて あまり考えてこなかったことを棚にあげて、 地震や津波に対する想定の甘さや、 電気料金のしくみ、 原子力ムラについて、 批判をしてきた。 批判の対象は主に東電だった。 確かに東電、というか、東電の上層部(これまでも含めて) に問題はあったと思うが、 しかし、事故の後、 自分のことは顧みず原子炉に水を入れ冷やし続けてくれたのもまた。 東電や協力企業、そして自衛隊の方々だった。 この本は、主に東電の方々について書いているが、 中心になっているのは、 吉田所長と、 3月11日当日の1号機2号機の当直長伊沢さんだ。 この2人は 思考力、判断力、責任感に加え、 周りの人の心を掴む人間味があふれている。 リーダ−がそうであると、 あれだけの想定外の中でも、 これほどまでに動けるのかと思った。 あの最中、 浴びた放射能の数字とにらめっこしながら、 水を入れるために命をかけてくれた人がいた。 しかも、自ら「自分が行く」と名乗り出てくれて。 最悪、チェルノブイリの10倍の事態、 あるいは、日本が3分割され、住めるところは3分の2に なるかもしれないという事態を免れることができたのは、 彼らの仕事のおかげなのに、 彼らがそうしていた間、 私はちっともそのことを知らなかった。 海外では「フクシマ、フィフティ」と、 残った約50人をヒーローとして報道したことも あったらしいが、 私はちっとも知らなかった。 慢心していたのは、 電力によってもたらされた快適な暮らしの中で それがどういうものから作られた電気なのかということに 目をつぶり続けてきた私だし、 政治家だし、官庁だし、 東電を含む電力会社だし、 原子力ムラの研究者、学者だし、 つまりは原子力を管理し、推進する人々と、 電気を享受してきた私たち。 土壇場で踏ん張ってくれた方々がいた事実は希望だ。 でも、だからこそ、 使用済み燃料の保管場所が決まっていない中で、 使い続けることには、 今度はもう目をつぶってはいられない。 今度はもう、 私たちの番だと思う。 (なのに、なのに、 なぜか「ゼロ」を目標とはしない政治家を たくさん国会に送り込んだのも、私たち! あ”〜) もう一冊は 糸井重里さんの原稿の中から 若い人たちに贈りたい言葉を集めた 「ボールのようなことば」 「『わかってもらおうとすること』と 『わかろうとすること』、 このふたつがなかったら、面倒もないだろうけど、 明らかに血のめぐりが悪くなって、 死に近づいていく。 生きているというのは、絶えざる更新なのだから」 この言葉は、コミュニケーションの意欲について 考えている今の私に、びびっとくる言葉。 「わかってもらいたい」「わかりたい」 伝える方と受け取る方、 わかりあえないとしても、 わかりあいたいという意欲をもった地点が、 コミュニケーションの出発地点。 しかし、そこに立てない子どもがいることも事実。 「どうせ分かってもらえない」 「だってよく分からない」 から、一歩踏み出さないと、 コミュニケーションは出発しないのだ。 「『わかりません』とわかるのが、 どれだけむつかしいことなのか。 『わかりません』と答えるまでに、 どれだけの知ったかぶりをせねばならないのか。 たまに、『わかりません』と言えるようになっても、 また、わかったような気になっているじぶんに出会う」 先週の土曜日、先生方に対する講演の講師を務めたが、 その間、この言葉が私の頭の中を 時々支配した。 「わかったような気になって」話しているじぶんを、 もう一人のじぶんがすごく情けない気持ちで ながめているようなそんな時間。 しかも、数えきれないほどの「知ったかぶり」の後の、 これだ。もう消え入りたいほどに恥ずかしかった。 それを知ってか知らずか、糸井さんにズバっと言われた。 「『ゴールは遠いなあ』と、がっかりするのも道のりです」 ってのも、いい。 道のりには、いろいろなことがある。 がっかりしたり、励まされたり、 不安になったり、喜んだり。 その瞬間瞬間の先にあるゴール。 それまでどれだけがっかりしても、 続け続けるとゴールする可能性もあるんだよなあ。 とまあ、こんな感じ。 じっくり読んでいて、言葉を自分のこととして捕らえると、 もう泣けて泣けて。 たった今の私には 「ねばれ!」 という言葉が響いてきたな。 という訳で、 2冊の、すっごくすっごくおすすめの本。 |
||||
author : tanizawa-k
|
||||
| 本 | comments(4) |
|
||||