バランス 【2013.01.28 Monday 10:03】 |
先週は3回走ることができた。 ランを初めてしばらくは、 週5くらい走ってたように思うが、 今は週3走ることができると、 ちょうどいいように思う。 カラダを使って放出するエネルギーと、 カラダの中に入れるエネルギーが、 いい塩梅な感じだ。 バランスは大事だ。 昨年は今まで学んできたことや 手に入れてきたスキルを 「出す」ことが多く、 新しいものや、 より深いものを「入れる」機会を、 年初に考えたほど持てなかった。 バランスが悪いと、 ひずみは出る。 私はどちらかというと、 行動的な方だから「出す」ことは 自然にできる場合が多い。 でも「入れる」方は意識的にしないと、 最初の意志が自然消滅してしまう。 だから今年は「入れる」方にチカラを入れる。 山田ズーニー著「おかんの昼ごはん」の中に、 「ありのままでいい」についての 様々な人の考えが書かれている。 著者は、教育者だから 「ありのままのあなたでいいとは言えない」と言う。 とはいえ、 「スタートはありのままの自分を認めることから」 と考えている。 私はこの「ありのまま」もまた、 バランスが大切だと思う。 「ありのままでいい」だけで終わりだと、 あまりにも「自分中心」だし、 今のそのままが永遠に続く。 しかし、世の中完璧な人などいないから、 「ありのままでいい」とすると、 課題は繰り越していく。 じゃ、 「自分は100%ダメ」「自分に生きてる価値なし」 でいくのか?となると、それは苦しい。 自分にダメ印をつけていると、 何かに挑戦し始めうまくいかなかった時、 回復していく時に手がかりにするもの(自分)が 心許ない。 私のおすすめは、 「ありのままののあなたがいい。 そのありのままのあなたで、 今できることをやっていこう」。 これが 絶妙なんじゃないか。 何か問題が起こった時、 自分に責任を求める考え方は、 その人を成長させる。 しかし、そればかりでも問題は起こる。 いつもいつも自分を責めていると、 時々、それは自分の自己イメージを破壊していく。 では、他者の責任に押し付ければいいのか? 「あの人が横柄な態度だから、 私はチカラを発揮できなかった」 「あの人の指示の仕方が細かすぎて、 私はびくびくしてしまう」 で終わってしまっていいのか? 100%他者の責任にしていると、 それはそれで苦しい。 他者はコントロールできないから、 改めさせるなんてことはできず、 状態は変わらないからだ。 「本当にイヤになってしまう」 などという、他者を責め系の感情が湧いてきたら、 それは自分の中で認めながら、 その上で自分ができることを模索し、行動して いく方が、 健康なんだよなあ。 多分私がバランスを取った方がいいことは、 義母との関係だろうな。 義母は一人でできることが少なくなってきたから、 どうしても私がいろいろ世話をやく。 言ってみれば「してあげている」ことが多くなる。 これでは、バランス悪いんだ。 「今日はデイサービスの日ですよ」 と言うと、 義母は 「久美ちゃんがいないと、 生活できないわね」 と言う。 それを言わせてしまう自分に、 工夫の余地があるとすれば、 「してもらう」 ことを増やしていくことだな。 いやあ、バランス、大事だなあ。 自他尊重のコミュニケーション 「アサーティブ」は、 考え方と技術の両方でできている。 どちらかだけ知っていても、使い難い。 そして、講座の中では、 理論を知るし、 それを体験する。 この理論と体験、これも、両方必要だ。 考え方と技術の理論を知り、 考え方と技術を体験によって確かめ、 さらに練習していく。 バランスよく学ぶことが、効果的なんだよなあ。 さて、今日は午後から小学校5年生に授業だ。 日頃、子どもたちは 「考えるチカラ」と「行動するチカラ」を使うことが多いと思う。 今日は「感じるチカラ」に視点を持ってもらえるといいなと 思う。 もちろん「考える」「行動する」「感じる」、 どれも全部大切。 どれかだけ疎かにしているってのは、 バランスがいいとは言えないもんね。 それを分かりやすく伝えられるといいなと 思う。 |
author : tanizawa-k
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