2013年01月の記事 | 今のところではありますが…
バランス

【2013.01.28 Monday 10:03
先週は3回走ることができた。

ランを初めてしばらくは、
週5くらい走ってたように思うが、
今は週3走ることができると、
ちょうどいいように思う。

カラダを使って放出するエネルギーと、
カラダの中に入れるエネルギーが、
いい塩梅な感じだ。

バランスは大事だ。


昨年は今まで学んできたことや
手に入れてきたスキルを
「出す」ことが多く、
新しいものや、
より深いものを「入れる」機会を、
年初に考えたほど持てなかった。

バランスが悪いと、
ひずみは出る。

私はどちらかというと、
行動的な方だから「出す」ことは
自然にできる場合が多い。
でも「入れる」方は意識的にしないと、
最初の意志が自然消滅してしまう。
だから今年は「入れる」方にチカラを入れる。



山田ズーニー著「おかんの昼ごはん」の中に、
「ありのままでいい」についての
様々な人の考えが書かれている。

著者は、教育者だから
「ありのままのあなたでいいとは言えない」と言う。
とはいえ、
「スタートはありのままの自分を認めることから」
と考えている。

私はこの「ありのまま」もまた、
バランスが大切だと思う。

「ありのままでいい」だけで終わりだと、
あまりにも「自分中心」だし、
今のそのままが永遠に続く。
しかし、世の中完璧な人などいないから、
「ありのままでいい」とすると、
課題は繰り越していく。
じゃ、
「自分は100%ダメ」「自分に生きてる価値なし」
でいくのか?となると、それは苦しい。
自分にダメ印をつけていると、
何かに挑戦し始めうまくいかなかった時、
回復していく時に手がかりにするもの(自分)が
心許ない。

私のおすすめは、
「ありのままののあなたがいい。
 そのありのままのあなたで、
 今できることをやっていこう」。
これが
絶妙なんじゃないか。




何か問題が起こった時、
自分に責任を求める考え方は、
その人を成長させる。
しかし、そればかりでも問題は起こる。
いつもいつも自分を責めていると、
時々、それは自分の自己イメージを破壊していく。

では、他者の責任に押し付ければいいのか?
「あの人が横柄な態度だから、
 私はチカラを発揮できなかった」
「あの人の指示の仕方が細かすぎて、
 私はびくびくしてしまう」
で終わってしまっていいのか?
100%他者の責任にしていると、
それはそれで苦しい。
他者はコントロールできないから、
改めさせるなんてことはできず、
状態は変わらないからだ。

「本当にイヤになってしまう」
などという、他者を責め系の感情が湧いてきたら、
それは自分の中で認めながら、
その上で自分ができることを模索し、行動して
いく方が、
健康なんだよなあ。




多分私がバランスを取った方がいいことは、
義母との関係だろうな。
義母は一人でできることが少なくなってきたから、
どうしても私がいろいろ世話をやく。
言ってみれば「してあげている」ことが多くなる。
これでは、バランス悪いんだ。
「今日はデイサービスの日ですよ」
と言うと、
義母は
「久美ちゃんがいないと、
 生活できないわね」
と言う。
それを言わせてしまう自分に、
工夫の余地があるとすれば、
「してもらう」
ことを増やしていくことだな。
いやあ、バランス、大事だなあ。



自他尊重のコミュニケーション
「アサーティブ」は、
考え方と技術の両方でできている。
どちらかだけ知っていても、使い難い。
そして、講座の中では、
理論を知るし、
それを体験する。
この理論と体験、これも、両方必要だ。

考え方と技術の理論を知り、
考え方と技術を体験によって確かめ、
さらに練習していく。

バランスよく学ぶことが、効果的なんだよなあ。



さて、今日は午後から小学校5年生に授業だ。
日頃、子どもたちは
「考えるチカラ」と「行動するチカラ」を使うことが多いと思う。
今日は「感じるチカラ」に視点を持ってもらえるといいなと
思う。
もちろん「考える」「行動する」「感じる」、
どれも全部大切。
どれかだけ疎かにしているってのは、
バランスがいいとは言えないもんね。
それを分かりやすく伝えられるといいなと
思う。










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「面倒な仕事を入り口にした人は、出口が広い」

【2013.01.26 Saturday 11:10
 読んだ本を記録しておきます。

この三冊の中の私のベストは「おかんの昼ごはん」でした。
ズーニーさんが故郷に帰った時、
母親が老いていて、びっくりしてせつなくなった時のことを
ネットに書きました。
すると、それにたくさんのメールが寄せられたそうです。
たくさんのメールを
いくつかのテーマにカテゴライズし、
さらにズーニーさんの考えでまとめてあるのがこの本。

私が考えさせられた点は何点かあり、
まずひとつめは「消春」という言葉でした。
ズーニーさんは親の老いや、身近に感じた死というものから、
「老い」や「死」を初めて受け入れた瞬間、
自分の役割というか志を確認したそうです。
そしてその時浮かんだ
「春は終わった」という言葉。

私が同じようなことを感じたのは
母が死んでしまった日。
あ〜もう、私はなんとかこの自分で
やっていかねばならないと心の中で
思った日。
心許ないし、まったく自信がなかったけれど、
もう、言い訳できないと覚悟を決めた日です。

今回、この本のこの「老い」というテーマの
ところを読んでいて痛切に感じたのは、
「私は自分の両親の老いとは向き合う経験が
 できなかった」ということです。
義理の両親が年を重ねていくそばに
いることはできるけど、
自分の両親だったら、
きっともっと違う感情、
たとえば客観的になれないはがゆさや、
認められないもどかしさや、
きっと、もっといろいろなことを体験したのだと
思います。
子どもを持たなかったということに続いて、
私にはその経験も、決定的に欠けてしまうんだと
いうことが、
なんだか胸にせまってきました。

両親がいない寂しさと共に、
両親の老後でしんどい想いを経験できなかった寂しさ、
あ〜私って、なんてどん欲なんでしょう。




次に考えた点は、
「自分とは、矛盾したさまざまな考えの社員が
 集まる『ワタシ株式会社』だ」ということについて。
これは以前読んだ平野氏の「分人主義」と同じ考えで、
たとえば自分の意外な一面を自分の中に見つけたとしても、
あるいは「こうありたい」という張り切る自分も、
そのどれかが本当の自分ではなく、どれもが全部集まって
自分。どの自分を、どの場面で使っていくかは、
自分なりに考えてやっていこう・・・的な考え方。

さらに嬉しい発見があったのは、
たとえば酔っぱらって、普段は考えられないようなはめをはずす
自分がでてきたとしたら、
それはなかなか出番のない自分の分人に時々日の目を当ててあげよう
くらいの感覚でいい・・・という考え。
そう考えると、認めたくないめちゃめちゃイヤな自分も、
それが出てきたら、「ま、ここで出しといてやろう」てな感じに
なれて、とても楽だなあ。

先ほどのどん欲な自分も、
「谷澤久美子株式会社」の一人の大切な
社員なのですよ。


次に
「これを読んでよかった」
と考えた点は・・・、
「面倒な仕事を入り口にした人は、
 出口が広い」
という言葉を知ったから。

いろいろな例を使ってこの説明をしてくれてますが、
結局、
面倒な仕事をやればやるほど、できることが増えていく
ということを言ってます。
かといって、ズーニーさんは決してシンプルな仕事を
だからダメと言っている訳ではないんです。
自分が選択したことには、無意識の背景まで含めると、
多分意味はあるのだから、仕事に優劣をつけません。
ただ、今もし、面倒な仕事、複雑な仕事をしている人は、
この言葉で楽になると思うなあ。

誰かと誰かの間で調整したり、
自分だけの考えで進めていくことは不可能だったり、
全体を把握しながら、細かい指示も出し、
しかも、それが年齢や価値観や考え方も違う
多様な方たちの間での仕事だったりすると、
それをやってらっしゃる方は気苦労も多いと思います。

ただ、それをなんとかかんとかこなすことで、
「多種多様な基礎が身に付いて、
 出口として、いろいろな道に進めるものがある」
と。

うんうん、そうだそうだ、
私の仕事は、組織の中で動くことは少ないけれど、
私の仕事特有の複雑さはあり、
その複雑さこそが、私の幅を広げ、
私を鍛えてくれているのだと思うと、
がんば!自分、という感じです。

また、受験勉強にがんばっている方々にも、
この言葉は励みになると思うな。
今、しんどくて、面倒で、苦しくてたまらなくて、
そうであったらあっただけ、
その入口の向こう側、
出口には
広い可能性が広がっているんですよね。


他にも
人と関わる仕事に「医療」「福祉」「教育」
とあるとすると、それを言語化しておくことで、
随分すっきりするということも、
学べます。

ズ−ニーさんの文章を読んでいて、
ズバリと厳しいことも指摘されるのに、
後に残るものが温かいのは、
バランス感覚にあると思います。

決して誰かや何かを責めない。
しかし、彼女の考えは明確にする。
自分の考えは本当に考えて考えて考えた上でのもの
だから、
誰かの考えも、大切に扱う・・・
そのことが伝わってくるんです。


「THE DOUBLE WIN」は、
ウイン・ルーサーの考え方ではなく
ウイン・ウイナーが可能だってことを、
いろいろな視点から一冊にした本。
デニス・ウエイトリーさんの本は、
「幸種」(しあわせだね)に続いて二冊目。
すごい事例ばかりだから、
もう少し身近なウイン・ウインの事例は、
自分で探しておきたいなって思いました。

「10倍伝わる話し方」は、
日常にすぐ役立つコミュニケーションの本。
考え方というよりは、
方法論が簡潔にまとめられていて、
コミュニケーションで苦労されている方には、
すぐに役立ちそうだし、
これから社会に出て行く人には、
よい指南書となると思います。
また近々スピーチする必要がある方も、
読んでおくといいかも。


という訳で1月の読書は、
先日の2冊も含め、
なかなか当たりでございました。












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なんでもない、でもいろいろな1日。

【2013.01.23 Wednesday 19:21
今日の1日。

その1
 「不幸を引受けることが幸せを引き寄せ、
 幸せを追い求めることが不幸を呼ぶ」

という言葉を、今朝facebookの記事で見つけて、
なんだか得した気持ち。




その2
今日は朝から6つの場所で、
それぞれ仕事&用事がありました。
私は注意不足の傾向があるので、
朝まずやったことは、
用事のある順番に、
それぞれでやるべきことを
チェックボックス付きでメモしたこと。
これにチェックしつつ。


その3
朝いちに伺ったのは
「就労移行支援事業所 ウイングル静岡センター」さん。
「障害者自立支援法」に基づいて全国で展開している
就労支援の組織で、精神疾患や障がいをもった方々の
社会参加を支援しています。
スタッフの方が素敵で、
とても効率良く説明をしてくださり、
気持ちのよい時間となりました。
その方のお話を伺っていたら、
お一人お一人に「個別支援計画書」を作成し、
3ヶ月ごとに見直しするとのこと。
そのために一ヶ月に一度面談をするとのことでした。
学校の中でも、
まだまだ「個別支援計画書」は
作成していないところも多いし、
あったとしても作って終わって
しまっているところもあります。
学校が忙しいのは本当にそうだけど、
やはり民間に学ぶことはたくさんあります。


その4
久しぶりに静岡の街中にいったので、
コムデギャルソンをのぞくと、
なんと、プーマとコラボしたスポーツウエアが!
これ手に入れたらランが楽しくなるだろうなと、
値札をみて、即あきらめ。
しかも洗濯がドライ表示で、
スポーツウエアでドライは、そりゃないよ、とほほ。


その5
ここ3回ランは8㌔。
今日はなぜか急に、昨年暮れの
「松井選手の引退会見」を思い出しました。
あの会見は、私にとってはすごく心に残るもでした。
ユニフォームを脱ぐ理由を
「結果がでなくなったのが理由」と言い、
これまでを振り返り
「階段を昇ったと思ったら、
 また階段があった」と語った松井選手。
今自分に声をかけるとすると?という質問に、
よくやった、お疲れさま ではなく、
しばらく考えた後、
「もっといい選手になれたんじゃないか」
と言った時には、
私は涙がとまらなくなりました。
特にファンではないのにね。

それほどまでに自分を追いつめてきて、
ここにきてもまだまだ満足できない、
彼にとってはそういうものに、
出会ったんだなと思ったし、
彼の価値観のようなもの、
「いい選手」の「いい」と発言したところに、
「力/価値(認められたい 貢献したい)」
に欲求の優先順位があるように
思いました。

「力/価値」以外に、
人は
「愛/所属(仲間がほしい、仲良くしていたい)」
「自由(自分で決めたい、独立したい)」
「楽しみ」
「生存(貯金したい)」
などの欲求があります。

サッカーのカズ選手は、
「楽しみ」とか「自由」とかの
優先順位が高いのかも・・・と、憶測。

で私は、今この瞬間は、
どちらかというと「自由」ってのが
勝ってるなあと思います。
昔はがんじがらめの
「力/価値」が70%占めてたと思います。

松井選手は、さらに、
なぜ日本でプレイしないのか?という質問に、
「10年前にジャイアンツの4番でプレイしていた
 あの姿をファンの皆さんは期待している。
 それをお見せする強い自信がない」
と言っていました。

ファンの期待を裏切りたくない以上に、
自分自身が、それでは満足できないんだと
そういうことなんだろうな、
と思ったんです。

カズ選手は今もすごいし、
違う意味での能力はますます開発されていると思うけど、
それでも全盛期の頃と比べれば、
サッカーのプレイそのものでいえば100%って訳では
ないと思います。
でも、サッカーが好きだし、
「サッカーをやりたい」という自分の意志を、
たとえば周りからの評価とか、
そういうものより優先させているんじゃないかな。

なんだか、そんなことを考えながら
走りました。





その6
「不幸を引受けると幸せを引き寄せ」というのは、
多分、不幸だけをわざわざ引受けるのではなくて、
「どういう状況であっても、
 やるべきことをやっていると、
 それは楽なことばかりではないけど、
 それをやっている人は、
 その中で幸せを見つけられる」
ってことなんだろうな。

今日26個のチャックボックスにチェックをつけて、
なんだか、大事なことから瑣末なことまで各種取り揃えての
todoだったんだけど、それでもやり残しなく、
26個にチェックできた自分に、
なんとなく満足で、気持ちよくて、
これって幸せだなあと思ってしまったのでした。


まったく何でもない1月23日のこと。


その7
☆谷澤相談室勉強会の募集始めました。→コチラ









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相手のストーリー。

【2013.01.20 Sunday 21:26
私の方が絶対に正しいと思うこと、
しかし、相手は自分が正しいと思っている、
そのことを話し合う状況というのは、
とっても難しい。


そんな時にやってしまいがちなことを、
NHK大河ドラマ「八重の桜」の中にみつけた。

主人公八重の兄山本覚馬は、
江戸で蘭学や砲術を習ってきた。
そして会津で蘭学所を開き、
そこで砲術、医術、
いろいろなことを教えたいと、
申請している。
家臣に呼ばれお城にあがると、
やはり許可は下りなかった。
あせり、いらいらした覚馬はつい
「古いな」と、
家臣の方々をなじってしまう。
「なんと言った!」と咎められ、
「すでに薩摩は鉄砲の軍隊をもっています。
 黒船を知ってらっしゃるお殿様なら、
 弓や槍でかなうはずないとおっしゃるに
 違いない。そんなことも分からないから、
 会津は井の中の蛙なんです」
とドッカン!
禁足(外出禁止の罰則)を命じられる。

覚馬のストーリーの中では、
薩摩や長州や土佐などに比べ、
会津は保守的で、
スケールが違う黒船を見てないから
悠長な事を言ってられるけど、
古いものに固執していたら、
どんどん取り残されてしまう。
自分は正しい、
だろう。

でもだからって、
「あなたたちは間違っている」という
コミュニケーションでは、
伝わらないんだなあ。

では、
覚馬はどうすればよかったか。

お城に上がる前に、
幼い頃から彼に槍の指導をしてくれていた
家臣の一人に諭されているシーンがあったが、
そこにヒントがあると思う。
「今のままだと、おまえはまずい。
 我らはずっと弓や槍、刀でお仕えしてきた。
 それを江戸から帰ってきた若い者に、
 いきなり鉄砲だ蘭学だと言われれば、
 今まで真摯にお仕えしてきた人たちが
 おもしろくないのは分かるだろう。
 覚馬、
 聞く耳を持て」
この
「聞く耳を持つ」
ということが
伝え合える、
つまり学び合えるコミュニケーションにとって
必要なことだと思う。

相手の背景というか、
相手のストーリーを知る努力をすることだ。

どんな過去の経験が、彼らの考えに影響を
与えているのか?
自分の見過ごしている事実はないか?
相手の心配していることはどういうことか?
自分の言動で、相手にどんな感情をもたらしたか?
この状況は、相手にとってどういう意味を持つのか?

その上で、
自分の言動などで、
責任をとった方がいいことはないか?
も考える。

家臣も覚馬も、目的は一緒だ。
藩のためお殿様のため、
そして徳川幕府というか、
日本を守りたいと考えている。

まずは、少しずつ味方を作っていくという意味でも、
「聞く耳を持て」と教えてくれた家臣に、
「相手のストーリー」を教えてもらって、
その中で、
同調できる部分や、
どうしても相容れない部分を明確にしていきながら、
少しずつ、
「これまで多くの方々が作ってきてくれた
 会津の戦い方は大事にしていきたい。
 なおかつ、
 このままでは会津の存在感が
 薄れてしまわないかと心配。
 だから、
 蘭学や砲術を学べる場を作りたい」
と、
それでもなお、伝えていくことだろうな。


ま、そういう話し合いがあってもなくても、
時代の波で鉄砲や蘭学は
重用されるようになるだろうけど。




私たちは時々やってしまう。

「タバコはカラダに悪いでしょ。やめて!」
「掃除の順番を必ず守ってください」
「就職活動、そろそろ始めないと、
 困るのはあなただよ」

そんな言い方をする時、
私たちは問題は相手にあると考える。
自分のストーリーの中では、いつも自分が正しい。

そして、相手は、憤る。
「オレが今ほしいのは、健康じゃなくて、
 リラックスする時間なんだ。なんでそれが分からないのか」
「今回はいろいろあったから先に次の人に掃除を
 してもらっていただけだ。その人の番の時に、
 私はする予定なんだ。それも知らずに!」
「今はまだ自分の計画では情報収集の時、
 あせって動くより、自分は納得して動きたい
 と考えている。そのことを電話の度に言われると、
 やはり信用してもらってないんだと
 すごく辛くなる」
相手のストーリーの中では、
問題があるのはこちらだ。


だからこそ、まずは自分が相手を責めないと決める。
まずは自分から歩み寄る。
そこから有意義な話し合いは始まるのではないだろうか。





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おせおせ!

【2013.01.19 Saturday 11:43
You Tubeのお気に入りは、
少し前までセンチメンタルな曲が多かった。

しかし最近、
CMで流れていて影響され、
元気出る系2曲追加した。

中島みゆきさんの曲を
吉田拓郎さんが歌ってる「ファイト!」
♪ファイト
 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
 ファイト
 冷たい水の中を ふるえながらのぼっていけ♪

もう1曲は
斎藤和義さんの「ひまわりの夢」
♪ドンマイ 雲の向こうに 
 おひさま オーライ ひまわりの夢
 後悔なんか くるくるぽいだ
 溶けてしまうよ チョコレートアイスクリーム
 
 クヨクヨ めそめそ ドキドキ
 どれがいい?
 オレなら迷わずドキドキを選ぶ ♪

どうだあ!!!


で、
2013年度の勉強会、アサーティブカフェについて、
計画を練った。


<谷澤相談室勉強会について
◇年間4回開催。
◇目的は、
 ちょっとでも生きやすく生きるための考え方を学び合うこと。

第一回「感情に振り回されない選択」 
 (2012年度11月に開催したものと同じもの)

 相手の一言でとっても傷ついたり、
 失敗にめちゃくちゃ落ち込んだり、
 これからのことを考えると不安になったり、
 あるいは過去のある出来事に引きずられていたり。
 生きていると気持ちは常に動いています。
 おいしい、楽しい、気持ちいい、幸せ!
 だけならいいけれど、そんな人生は、きっとありえません。
 だからこそ、感情と上手につきあっていけるといいです。
 感情に飲み込まれたり、降り回されたりしないために、
 知っていた方がいいことを学びあいます。

 日時:2013年4月6日(土)13時15分〜16時30分
 会場:静岡市 
 定員:30名
 *募集開始しました。
 


第二回「聴く力を磨こう」(7月)
 「伝えるチカラ」をつけることは確かに大切です。
 しかし今上手くいってない相手との関係を
 より良くするための最初のステップは、
 相手の話を聴けるようになることにあるかも。
 「聴くチカラ」はビジネスの場面でもプライベートでも、
 人間関係を変えていってくれます。
 
第三回「ストレスと上手につきあおう」(10月)
 この勉強会の目的は、ストレスを感じないように
 することではなく、自分のストレスを自分で管理
 できるようになることです。
 
第四回「自己肯定力をつける」(2014年1月)
 自分を肯定的に捉えられるようになるといいけれど、
 そういう日がくるのを待つのではなく、
 そのことに積極的になってみる時間を
 持とうと思います。

◇各回受講料は3000円。
◇会場は静岡市。基本的にはJR静岡駅か、静鉄新静岡駅から10分以内を
 考えています。



アサーティブカフェについて>
2013年度も3ヶ月に一度のアサーティブカフェを
開催します。
(今のところ6月/9月/12月/2014年3月の
 予定)

自分の意見や気持ちを、
相手にぶつけるのではなく、
伝わるように伝えるコミュニケーションについて、
おしゃべりしあったり、
練習しあったりしましょう。



<講座の企画>
2013年度もちょんせいこさんをお呼びして、
ホワイトボードケース会議の講座を開催したいと
考えています。(まだ全て未定ではありますが)
学校関係者や
医療・福祉関係者の方々、
ぜひぜひご期待ください。







私自身の今年の漢字は「入」。
知識を入れたいって考えてます。

今のところ、6つの勉強のチャンスを
自分に与えようと考え、
4つ申し込み完了しました。

ぐずぐずする時間も持ちながら、
今の自分でできることにちょっとずつ挑戦していく、
その姿勢でいきます。

皆様も、谷澤相談室の勉強会やアサーティブカフェに、
ぜひぜひご参加くださいね。





author : tanizawa-k
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重い蓋。

【2013.01.18 Friday 17:33
私は仕事柄、
何か問題を抱えている中学生に会うことが多い。

そして、
その中の多くの子どもたちの根っこのところに、
感情をそのまま表すことができずに、
「感情に蓋」をしていた時期がある
(または今もまだ真っ最中)
って共通点がある。
(もちろん、全員じゃない)


根っこはそこにあったとしても、
今現在の現れはいろいろで、
自傷行為であったり、
学校に行きたくても行けないってことだったり、
友だちと上手に関われなかったり、
勉強をしなくなって成績ががたんと落ちたり、
あるいは非行だったり、
本当にいろいろな形でSOSを出している。
(これらの現れの原因が全て
 「感情に蓋」の時期があったって訳じゃあない!
  念のため)

私の仕事は、
その子どもたちを
行動面と心理面でサポートしていくこと。
時には、直接子どもには会えなくても、
保護者の方の子どもへの対応方法を、
今までとは別の方法も持ってもらうことを通して、
サポートしていく。

もちろん、SOSを出してくれる時期が、
幼ければ幼いほど、回復は早いと思う。
それでも中学校で出してくれると、
大分違うと思う。
さらに、
人間、いくつからでもチャンスはあるので、
問題からの回復や、
あるいは問題をマネージメントしながら
生きていくことは、それこそ何歳からでも
可能だと、私は信じてる。


でも、
ただ、
やはり、
できれば
「感情に蓋」しないで、
幼児期、小学生、中学生、高校生〜〜〜
といけるといいなって思う。

そのためには
「感情に蓋」することのデメリットを
全ての人が知っておくといいんだろうなあ。

蓋して、
大丈夫なふりをし続けていると、
感情がつかみにくくなって、
そのことは、
人間がもともと持っている
ストレスに対応するシステムを
上手に働かせにくくなるってことは、
どこかで学んだ方がいいのではないか。

ただ、
これを頭で理解していても、
「蓋しないためにはどうしたらいいか」なんて、
蓋している最中に、子どもは分からない。

だから、大人が
「子どもが
 感情に蓋ばかりしないような接し方」を
知っておくといい!
私はそう思うんだよ。


その方が子どもは、
生きやすい。
子どもが生きやすいと、
保護者も嬉しいと思う。



こう書くと問題のない人生の方が
いいように私が思っているみたいだけど、
そういう訳じゃあない。

問題があったからこそ掴むものが大きいことも
あることを、
過去のたくさんの中学生たちに教えてもらってきた。

そのことで、豊かな人生を生きている人はいっぱいいる。

でも、やはり、
時々、とってもとっても思うんだ。

「感情に蓋をすることのデメリット」って、
知る機会なく人は大人になる人は多いけれど、
それを、どこかで、さらりとでも、
学ぶ機会があってもいいんじゃないかな。

親になる前に、
「子どもが感情に蓋をする時期が続くことのデメリット」と、
そうしない対応方法、
それらを学ぶ機会があってもいいんじゃないかな。

いやいや、こういうこと、
この私でさえ思いつくのだもの、
先人たちは、とっくの昔に認識していて、
それで、いろいろ試してきてるんだろうな。
でも、まったく日常の、
自分が全然困っていない時には、
多分、それって他人事だよなあ。


あ〜どうすりゃいいのだろう?自分。

ま、いろいろな機会に、
今まで通り、言葉にしていくしかないよな。












author : tanizawa-k
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「幸福な日々があります」他。

【2013.01.15 Tuesday 15:01
ダグラス・ストーン,ブルース・パットン,シーラ・ヒーン
日本経済新聞出版社
¥ 1,680
(2012-11-21)

新年になってから読んだ本2冊。

朝倉かすみ著「幸福な日々があります」は、
結婚した当初と、10年たった夫婦の心情を綴ったもの。

人が2人以上いれば
必ず権利の衝突はあるもので、
たとえば Aがいい夫に対してBがいい妻がいたとして、
ある時は夫がゆずり、またある時は妻がゆずり、
なんてことで結婚生活を続けていったりする方法がある。
でもそのうち、
AでもBでもないCなんてアイディアが
わいてきて、
それは夫にとっても妻にとっても大満足ではないけど、
まあまあそこそこ許せる・・・的なこと、
そんなことを編み出せる場合もある。
とにかく結婚生活(あるいは誰かと一緒に暮すってこと)は、
そういうことの連続の日々をいうと思う。

この小説の中に出てくる妻森子は、
自己評価が低くって、
多分そのことが元になって、
当初いろいろな場面で、
夫を優先する。
夫もめちゃくちゃ穏やかな人だから、
威張り散らして意見を通すという訳ではなく、
森子は自分の意志で、いくつかのことを譲る。
最初はそれで良かったけれど、
いつもそうやってきたことを
森子は認識してしまう。

そしてある日、森子は別れを言い出す。
しかし夫は「別れたくない」と言い続ける。

その段階にきて、2人は初めて、
「相反する意見がある時」にブチ当たる。
さ、どうするか!

という小説。


結婚1年未満のある頃、
森子は夫をそ〜っとしておいた方がいい時が
あることを確認する。
「私の考えた『そっとしておき方』は、
気がついているんだけど、気がつかないふりをして、
あたたかい飲み物を勧めたり、適度に楽しい話しを
してみせたりすることだ」
とある。

この「気がつかないふりをして」こそ森子の方法
だったんだけど、
これが「別れ」にまで至ってしまう要因のひとつかもな!
って思う。

ちょうどこの当たりを読んでいた時、
我が家でこんなことがあった。

その日私は、
夕飯の支度をしながらも、
夕飯を食べ始めてからも、
あまり話しをしなかったんだと思う。
その日は鍋で、
鍋をつつくのに顔をあげると、
夫と目があった。
その時の夫の目は、
心配をしている目だった。
多分夫は「今日のこいつは変だな」
と思ったと思う。

私は夫が、
私が変なことに気がついたなって感じて、
そこで初めて、
「あ〜私、不機嫌オーラ出してたんだ」
とわかった。
そして同時に、
「夕飯を作る前にかかってきた仕事の電話の内容が、
 受け入れるのに時間がかかっている」
という自分の状態がわかった。
「それほど、その仕事のことを、
 大切に思っている自分」
のことも分かった。
それらは、後から考えるとそうなんだけど、
その時は一瞬で頭の中がそんなふうに動き、
それは、
目があった時の夫の、
心配してるような、
おどおどしてるような、
どう触っていんだろうか的な、
つまりは「気がつかないふり」ではなく、
めちゃ気がついているってことに
助けられた感じだったんだ。


森子は本当は気がついていて、
夫の様子が、
たとえば心配だったり、
不安だったりしたのに、
それを「気がつかないふり」で、
さりげなくフォローする方法をとった。
それをいつも日常的にやっているってことは、
森子が夫のどういう態度に心配を感じているか、
どういう言動に不安になっているか、
夫には分からず、
森子の頭の中だけでスートリーが始まって終わり、
そのことが万事に繋がっていくように、
そんなふうに思ったなあ。


朝倉かすみさんは「田村はまだか」以来、
大好きな作家さん。
昨年、もう一冊出版したらしい。
油断していた。


「話す技術 聞く技術」は、
「ハーバード流交渉術」の著者達が書いた
[DIFFICULT CONVERSATION]の
日本語訳のもの。
最初の編集は「言いにくいことをうまく伝える会話術」
という邦題で出版されており、
これも付箋いっぱい、赤いラインいっぱいの、
いつも手ともに置いてある本で、
二度目の編集の「話す技術 聞く技術」も、
改めて学べるところがたくさんあった、
とてもとても良い本だ。

「いくら成長しても、いくら昇進しても
 人が難しい会話から逃れることはできない」
その通りだ。

この本の中で言っているのは、
難しい会話の時に必要なことは、

どっちが正しいか、どちらかが悪かという
ところに立つのではなく、
自分と相手の間にある、
解決したい問題から、
共に学ぼうとする(共に解決しようとする)
姿勢が大切で、
まずは自分からその姿勢になろう。

ということと、

その時に具体的にした方がいいことが書かれている。

ちょうどこれを読んでいる時、
例の体罰の事件が起こった。
私はこの本を読みながら、
もし自分が、
目の前に体罰する教師を見た時、
その教師を悪者にするのではなく、
でも、体罰以外の方法で指導をしてほしいと
いうことをどう伝えるか、
シュミレーションをした。

すごく難しい。

「むずかしい話し合いにどう立ち向かうか
 というところに、その人の人生に対する姿勢が
 あらわれてくるのだ」

そうだよなあ。







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見て見ぬふり・・・では通らなくなる。

【2013.01.10 Thursday 22:08
大阪の高校で起きた体罰事件には、
いろいろ言いたいことがある。
その中のひとつは、
過去の教師の不祥事の報道のケースより、
明らかに大きく取り上げられている
「同僚性」の件があることだ。
教師間で学び合ったり、注意しあったりする
ことを「同僚性」と言うらしい。

報道では、
「被害者の男子生徒が体罰を受けているところを、
 2人の副顧問が見ていた」
と言っていた。
「見ていて止めなかった2人にも責任がある」
「日常的に体罰があることを知っていたのに
 それを問題にしなかった彼らにも責任はある」
というスタンスの報道だったし、
それはうなずける視点だ。

今日のニュースでは、
顧問は16年間勤務していて、
副顧問は彼の教え子の卒業生のようで、
だから指摘できなかったのようなことも
言っていた。
子どもを守るという立場でいえば、
許されることではないが、
それでも
この背景を知ると、
進言することは難しいことだったと推察する。


とはいえ、
きっとこれからは、
教師の不適切な行為があったとき、
その教師だけの問題とされるのではなく、
それを見ていて問題にしなかったのなら、
注意しなかったという「加担」と見なされ、
責任を負うことになっていくように思う。

キャリアが短い教師が、
先輩で、自身の指導方法に絶対の自信をもっている方に、
「体罰はまずいと思う」というのは、
本当に、本当にしんどいと思う。

しかし、それをやっていかねば、
彼に申し訳が立たない。


この痛ましい、
本当に腹が立ち、
この男子高校生の無念さを思うと、
震えてくるほどだが、
彼が身を以て世の中に訴えかけてくれたことを、
しっかりと
私たち学校関係者が受け止めるということは、
体罰は絶対にダメということだけではない。
私たち職員間の、
お互いをフィードバックしあい、
切磋琢磨し合う、
同僚性の復活というか、加速というか、
それが何がなんでも必要だと思う。



授業の方法、
生徒指導の方法、
保護者の方との関係作りで、
先生同士は、認め合い、そして改善点は出し合う。

職員室が弱音も吐けるけど、
注意もし合える場とする。

理想論のようだけど、
それを目指さすことが必要だ。



そして、これは私にとっても大きな課題だ。
私もこれまで、
学校の中で、
生徒に対する人格否定のような言葉使いや、
セクハラの芽のようなふるまいや、
保護者の方との信頼関係をくずすような対応方法に、
見て見ぬふりをしてしまったことが、正直あった。

私は方法論としてアサーティブをもっているから、
どう言えばいいかは分かっている。
それでも、エネルギーがいることだから、

忙しい合間にちょこっと言えることじゃないしとか、
私に求められてることじゃないしとか、
相手の先生も忙しいしとか、

言い訳を考えて、
見なかったことにして、言わなかったことがある。

私はこの事件を通して、
そのことで加担していたと分かった。

そのことを、
彼が、
教えてくれた。

この事件を通して、
見て見ぬふりをしない方がいい・・・ではなく、
見て見ぬふりは加担だ。責任を問われる・・・
となっていくと思う。

「やるべきこと」、
「やった方がいいこと」、
「やってはいけないこと」
の3つで分けるなら、

見て見ぬふりは、
「やった方がいいこと」ではなく、
「やってはいけないこと」に、
なっていくのではないか。



きっと彼はバスケが好きだったと思う。
キャプテンとして、部活をまとめたかったし、
試合に勝ちたかったし、
自分も活躍したかったと思う。
言葉で、
そして暴力で傷つけられ、
どんなに苦しくつらかっただろうか。
親御さんの悔しさを含めて、
涙が出てくる。


だからこそ、
言いにくくても、
必要なことは、言う・・・
そういう学校関係者でありたいし、

その方法論としての
アサーティブを、
学校の中でもっともっと、
私自身が使っていくことをしたい。



見て見ぬふりが
「やってはいけないこと」になった時、
自他尊重のコミュニケーションの方法という道具を
もっていないと、
苦しいことになると思う。


この高校の関係者の方の中にも、
もしかすると、
「これはまずい」と思っていながら、
それをどう進言していいか、
または、どう話し合ったらいいか分からずに、
結果として言わなかった方もいると思う。

道具を持っていても、なかなか難しいのが「指摘」。
道具を持っていなかったら、
どれほどの負担があるかと思う。

だからこそ、
学校関係者がコミュニケーションの道具を手にする
機会がもっともっとふえるといいと思う。



立場に上下があっても、
経験に長短があっても、
年齢の差があっても、
それでも、
誠実に率直に対等に、
言うべきことを言う。
言ったことや伝え方に責任をもつ。

アサーティブを、
私の現場、学校でもっともっと使っていくことから、
私は始めたい。











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緊急開催!アサーティブ・トレーニング応用編

【2013.01.09 Wednesday 21:16
基礎編を受講された方々から来年まで待てない・・・等々の
お声をいただき、
2月にアサーティブ・トレーニング応用編を
開催することになりました。


アサーティブ・トレーニング応用編
「あなたってだらしないよね」
「もう何度も説明してます。早く覚えてください」
「のん気でいいね」・・・
批判の言葉は、ふいをつかれたように、
突然飛んできます。
そんな時、どう対応したらいいでしょうか?
(批判のアサーティブな対処)
また、自分の中に湧いてくる
怒りの感情にふりまわされず、
適切に対応するには、どうしたらいいのか?
(怒りのアサーティブな取り扱い)
さらに、
複雑になってしまった問題を、
いかにアサーティブに解決していくか、
これらが応用編のテーマです。
アサーティブをより深く知り、
考え、練習するチャンスとなります。

アサーティブジャパン主催の基礎編、
谷澤相談室主催の基礎編を終了されている方に
受講いただけます。
(心のケアグループ主催の連続講座
 +カフェ一回を受講された方も
 お申し込みいただけます)

応用編を受講するのをためらっている方からいただく質問に、
「基礎編がまだしっかり自分のものになっていないけど、
 大丈夫かしら」
とか、
「基礎編を受講してから随分時間がたってしまって、
 忘れてしまっていることも多い。ついていけるのか」
などがあります。

私は「大丈夫です」とお答します。
基礎編を復習しながら進めますし、
応用編を学ぶことで、
基礎編を含めたアサーティブを
より理解できたという感想もいただきます。
どうぞ、安心してお申し込みいただきたいです。

応用編を受講いただきますと、
アサーティブジャパン主催の
ステップアップ講座にお進みいただけます。
(今年5月に静岡での開催を予定しています)

日時:2月9日(土)
     10日(日)両日とも 9時半〜16時半
・ 会場:宝台院(旧アソカ幼稚園) 2階の「2」 
    〒420-0034 静岡県静岡市葵区常磐町2丁目13-2 TEL:054-252-1090
    http://www.houdaiin.jp/access.html
・ 定員:20名(先着順) 
・受講料:23000円(税込み/テキスト代込)

会場と約束をしておりますので、以下をお守りください。
*会場に駐車場はありません。
*会場内で昼食はとれません。
*温かい飲み物のご用意はできません。
また、終了後掃除をすることになっています。
協力いただける方、お願いいたします。



<申し込み方法>
メールで、以下を記入の上申し込みください。
受付後、詳細を連絡いたします。
①氏名 
②住所(〒も) 
③電話番号 
④詳細をお送りする時の
 ご希望の連絡方法(電話/携帯電話/FAX/メールなど)
 *メールの場合は、パソコンのメールアドレスをご記入ください。
⑤基礎編受講の日時

メール:kumikotanizawa@gmail.com
 (このアドレスに相談の内容を書かれても、
  それについてのお返事はできません。
  ご了承ください)
 
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むなしい。

【2013.01.09 Wednesday 20:40
中学3年生の女子Aちゃんは、
時々カウンセリングルームに話しにくる。
予約をとって何かを真剣に相談するという訳ではなく、
ドアがあけてあると(お入りくださいという合図)、
ふらっと入ってきて、
イスにものすごくリラックスした感じで座り、
話し始める。

 以下に書くことは、
 ここに書くことを了解とってある。

その日もそんな感じで、
好きな男子の話しを始めた。

中1の時に、
他県での趣味のグループで知り合った
当時中3の男子が相手。
彼も自分のことを、なんとなく好きじゃないかな?
と感じる瞬間もあったけど、
お互い告白はせず、
会えば仲良く話すという間柄。

穏やかな話し方をする人で、
いじわるなことを言ったりすることがなく、
学校のクラスの男子とは、
まったく違う落ち着いた人だった。

彼はその趣味を活かした将来をめざしていて、
そのために、
遠い県の寮のある高校に進学することを
決めていた。

一緒に友だちの親の運転する車に乗った時、
疲れて眠ってしまっている
彼の左腕に、
車の振動にあわせて
わざとちょこっと触れた右の肘のあたりは、
今でも、何かいやなことがあった時、
触って自分を落ち着かせる大切な箇所。

学校の友だちとの間で、
めちゃいやなことがあった時は、
左手で右の肘を触って、
「彼だったらどうするよ?」と問いかける。

最後に会えた時の別れ際、
笑って手をふってくれた時の、
その笑顔を
今でもはっきり覚えている。


自分は彼と会えたことで、
いろいろな気持ちを味わった。
幸せも、悲しいも、辛いも。

彼が高校に進学してしまってから、
まったく会えない。
彼の寮や携帯の番号もわからない。
だから、連絡を取ることができない。

それで、
これって「さみしい」のかな?って
考えた。

でも、「さみしい」って言葉とは、
なんかぴったりしなかった。

「さみしい」では、もやもやする感じが
残る。

単に「さみしい」ってだけじゃない、
もっと違う何かがある。


それで、
急に「むなしい」って言葉を思いついた時、
すごくすっきりしたんだ。
それがぴったりだと思った。

会いたいけど会えなくて、
いくら、大切に思っていても、
連絡の取りようもない。
考えても考えても、
どうしようもない。

あ〜むなしいんだ、私。
私は、むなしさを感じてる。

こんなことを考えたのは、
初めて。
そしてこんなことを考えさせてくれた彼に、
やっぱりいつかは会いたいって思う。

受験が終わったら、
何かしようと思うんだ。




これは、「相談」ではなく、
私がただただあいづちをうって聴いていただけの中で
彼女が話したこと。
聴きながら、私は彼女の、
この素晴らしい感性に感激していて、
しかも、人が気持ちの言葉を、
本当の意味で獲得していく時のことを
まざまざと見せてもらった感じで、
心が震えてきた。感動した。


彼女は、途中涙を流していて、
話し終わった後、
「泣くなんて思わなかった。
 でも泣いた時、泣きたかったんだと
 わかった」
と言っていた。


中学校での活動は、
時々、こういうことがある。
中学生には、時々、
本当に学ばされる。
影響される。
驚かされる。



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谷澤 久美子
counselor