背景の意図。 【2012.11.28 Wednesday 19:24】 |
ある中学校では、 スクールカウンセラーの私も 卒業アルバムに載せてくれるということ。 写真を撮られるのはあまり得意ではないけど、 でもま、ありがたいことだ。 ただ、もう全職員撮影は終了したとのこと。 私だけ写真屋さんのスタジオにいって撮影して いただくことになった。 写真屋さんからは、 17時までに来てほしいということ。 私の勤務は17時までだけど、 30分前に学校を出ることとなった。 その背景を知っているのは教頭先生。 ただ、私が職員室を出る時、 教頭先生はいらっしゃらないで、 校長先生がいらした。 私は普通に 「ではお先に失礼します」というと、 校長先生は二言三言声をかけてくれて、 で、さっと出た。 写真屋さんまでの道中、車を運転しながら、 私は急に胸がざわつく。 「校長先生、 谷澤、勤務時間より、ちょっと早いじゃん」 って思わなかったかな? 私は私の行動の背景にある意味や意図を、 もちろん分かっているから、 私にとって 16時30分に仕事場を出るという行動は 正当だ。 でも、それを知らない校長先生に、 この30分は、どう映るのかな? 先日、夫がネットショップで注文したものが、 1週間たっても届かないということがおこった。 不在連絡票も入っていなかった。 辿ってみると、 静岡の物流の営業所にきていて、 それを23日に一度届けたけど不在で、 その後どうなっているのか分からないということだった。 それで夫はサービスセンターに電話をしていた。 うちの夫は、これがまた見事にアサーティブな人で、 私がやりとりを聴いていても、 よくもキレないなあとおもうほど、 根気よく丁寧に説明をしている。 「私の方でなくしてしまったのかも しれないのですが、 不在連絡票がなかったもので、 なかなか届かないと不信に思っていたんです。 しかし、静岡にまだあるのなら、 配送をお願いしたいんです。 その歳、また不在であると申し訳ないので、 配達の時間帯を19時以降に 指定していただきたいんです」 (多分、指定は確実にはできないと言われたのだろう) 「もしできたらということで結構です」 「ではもし、不在の場合、 私の携帯に連絡いただけるように お願いしたいのですが」 (多分断られ) 「ですから、できたらで結構です。 これをお願いしているのは、 前回、不在連絡票が入ってなかったので、 もちろんそれは、 私の方でなくしてしまったのかもしれないんですが、 それでも、 どうなっているのか心配になってしまったんです。 またもし、不在連絡票を私の方で見つけられないと いうことがあると、同じことを繰り返すので、 連絡いただければ対処できる訳ですから、 それでお願いしているだけんです。 でも、できたらでもちろんokです」 「では、あなたのお名前をお聞かせ願えますか」 (多分断られて) 「そうですか、私はただ、 もしまた同じことがあった場合、 また1から理解していただくには 大変ではないかと思って、 それで、あなたに連絡するのが一番早いと思って 伺っているだけです」 (多分名乗ってもらって) 「はい、○○さんですね。 ではよろしくお願いします」 途中で「じゃ、もういい!(怒)」と 怒って電話を切ったとしても「わかる!」 と思うような相手の対応の様子を私は感じたが、 うちの夫は、 本当に見事に、 なぜそれをお願いするのか、 なぜそれを訊くのか、 意図を本当に丁寧に説明していた。 人は、自分の行動の意図は自分で分かっている。 だから、行動は当然!と思う。 でも他者には意図まで見えない。 その人の「行動」しか見ないので、 そこに反応する。 夫は説明をしていた。 中学の校長先生は私に対して、 「まだ30分あるじゃないか! どういうことだ!」 と怒ったとしても、 私は 文句は言えなかった。 私が説明してなかったからだ。 上司が部下に 「本気だせよ。 おまえだけとり残されているじゃないか」 と言ったとする。 この言葉の背景には、 「ノルマまで今の段階で15%下回っている。 今できることなにか考えてみてほしい。 場合によっては相談にのるぞ」 という意図があったとしても、 その意図の説明がなければ、 「オレはこの仕事にむいてないのかもしれない」 と受けとる可能性だってあり、 その結果ますます やる気がなくなってしまうなんてことも あるかもしれないな。 たとえば、上司からの評価が低いと感じていたら、 会議の席での発言を増やしてみるとか、 営業周りの件数や電話での営業の件数を増やすとか、 自分の意図(上司からいい評価がほしい)に向かう 行動をとってみるか、 あるいは、 行動の意図、 たとえば、会議での発言を控えていた意図は、 思いつきで発言するのではなく、 熟考してからペーパーをまとめて 意見を出したいと考えていたことを、 たとえば、営業件数を抑えていたのは、 今までのやり方に疑問をもっていて、 迷いがあるので困っていて動けずにいたということを、 伝える努力をしていくのがいいんだろうなあ。 なんてことを、 「選択日記」の中の、「あなたは自分の行動の背景にある意図が分かっているから、 自分の行動を正当と考える。でも、人は自分の見るもの だけに反応するのだ」 「(だから自分が思っているほどに評価を得られてないなら) 意識して、自分の行動を変えてみるか、 その行動の意味を説明してみるよう 心がけるのです」 という文章が印象的で書いてみた。 まったくその通りだなあと思う。 |
author : tanizawa-k
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