2012年11月の記事 | 今のところではありますが…
背景の意図。

【2012.11.28 Wednesday 19:24
ある中学校では、
スクールカウンセラーの私も
卒業アルバムに載せてくれるということ。
写真を撮られるのはあまり得意ではないけど、
でもま、ありがたいことだ。
ただ、もう全職員撮影は終了したとのこと。
私だけ写真屋さんのスタジオにいって撮影して
いただくことになった。
写真屋さんからは、
17時までに来てほしいということ。
私の勤務は17時までだけど、
30分前に学校を出ることとなった。

その背景を知っているのは教頭先生。
ただ、私が職員室を出る時、
教頭先生はいらっしゃらないで、
校長先生がいらした。

私は普通に
「ではお先に失礼します」というと、
校長先生は二言三言声をかけてくれて、
で、さっと出た。

写真屋さんまでの道中、車を運転しながら、
私は急に胸がざわつく。
「校長先生、
 谷澤、勤務時間より、ちょっと早いじゃん」
って思わなかったかな?

私は私の行動の背景にある意味や意図を、
もちろん分かっているから、
私にとって
16時30分に仕事場を出るという行動は
正当だ。
でも、それを知らない校長先生に、
この30分は、どう映るのかな?





先日、夫がネットショップで注文したものが、
1週間たっても届かないということがおこった。
不在連絡票も入っていなかった。
辿ってみると、
静岡の物流の営業所にきていて、
それを23日に一度届けたけど不在で、
その後どうなっているのか分からないということだった。

それで夫はサービスセンターに電話をしていた。

うちの夫は、これがまた見事にアサーティブな人で、
私がやりとりを聴いていても、
よくもキレないなあとおもうほど、
根気よく丁寧に説明をしている。

「私の方でなくしてしまったのかも
  しれないのですが、
 不在連絡票がなかったもので、
 なかなか届かないと不信に思っていたんです。
 しかし、静岡にまだあるのなら、
 配送をお願いしたいんです。
 その歳、また不在であると申し訳ないので、
 配達の時間帯を19時以降に
  指定していただきたいんです」

(多分、指定は確実にはできないと言われたのだろう)
「もしできたらということで結構です」

「ではもし、不在の場合、
 私の携帯に連絡いただけるように
  お願いしたいのですが」

(多分断られ)
「ですから、できたらで結構です。
 これをお願いしているのは、
 前回、不在連絡票が入ってなかったので、
 もちろんそれは、
   私の方でなくしてしまったのかもしれないんですが、
  それでも、
 どうなっているのか心配になってしまったんです。
 またもし、不在連絡票を私の方で見つけられないと
 いうことがあると、同じことを繰り返すので、
 連絡いただければ対処できる訳ですから、
 それでお願いしているだけんです。
 でも、できたらでもちろんokです」

「では、あなたのお名前をお聞かせ願えますか」

(多分断られて)
「そうですか、私はただ、
 もしまた同じことがあった場合、
 また1から理解していただくには
 大変ではないかと思って、
 それで、あなたに連絡するのが一番早いと思って
 伺っているだけです」

(多分名乗ってもらって)
「はい、○○さんですね。
 ではよろしくお願いします」


途中で「じゃ、もういい!(怒)」と
怒って電話を切ったとしても「わかる!」
と思うような相手の対応の様子を私は感じたが、
うちの夫は、
本当に見事に、
なぜそれをお願いするのか、
なぜそれを訊くのか、
意図を本当に丁寧に説明していた。




人は、自分の行動の意図は自分で分かっている。
だから、行動は当然!と思う。
でも他者には意図まで見えない。
その人の「行動」しか見ないので、
そこに反応する。

夫は説明をしていた。

中学の校長先生は私に対して、
「まだ30分あるじゃないか!
 どういうことだ!」
と怒ったとしても、
私は
文句は言えなかった。
私が説明してなかったからだ。




上司が部下に
「本気だせよ。
 おまえだけとり残されているじゃないか」
と言ったとする。
この言葉の背景には、
「ノルマまで今の段階で15%下回っている。
 今できることなにか考えてみてほしい。
 場合によっては相談にのるぞ」
という意図があったとしても、
その意図の説明がなければ、
「オレはこの仕事にむいてないのかもしれない」
と受けとる可能性だってあり、
その結果ますます
やる気がなくなってしまうなんてことも
あるかもしれないな。


たとえば、上司からの評価が低いと感じていたら、
会議の席での発言を増やしてみるとか、
営業周りの件数や電話での営業の件数を増やすとか、
自分の意図(上司からいい評価がほしい)に向かう
行動をとってみるか、
あるいは、
行動の意図、
たとえば、会議での発言を控えていた意図は、
思いつきで発言するのではなく、
熟考してからペーパーをまとめて
意見を出したいと考えていたことを、
たとえば、営業件数を抑えていたのは、
今までのやり方に疑問をもっていて、
迷いがあるので困っていて動けずにいたということを、
伝える努力をしていくのがいいんだろうなあ。


なんてことを、
「選択日記」の中の、
「あなたは自分の行動の背景にある意図が分かっているから、
 自分の行動を正当と考える。でも、人は自分の見るもの
 だけに反応するのだ」
「(だから自分が思っているほどに評価を得られてないなら)
 意識して、自分の行動を変えてみるか、
 その行動の意味を説明してみるよう
 心がけるのです」
という文章が印象的で書いてみた。

まったくその通りだなあと思う。



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選択の意義。

【2012.11.26 Monday 18:25
シーナ アイエンガー
文藝春秋
¥ 1,029
(2012-07-20)

前々回の記事の中で、
「次第に自分の感情を見つけやすくなって、
 自分で選択する力もでてきています」
という感想をメールしてくれた方のことを書いた。

この言葉が、頭の芯の方に常にある。

彼女は選択する力がでてきたことで、
自己信頼感が高まり、
自己肯定力がついているようだった。

なぜ人は自分で選択することで、
力強く輝くのだろう。

アサーティブの講座をしていると、
よくいただく感想の中に、
選択肢の中から自分で選んでいいと
分かったことの驚きがある。

「今までは、
 キャリアが短いから、
 絶対に他の先輩たちが帰るまでは
 デスクにいなければならないと思い込んでいて、
 それが苦痛で苦痛で仕方なかった。
 しかし、終業時に帰ってもいいし、
 仕事があったら自分の判断で残ってもいいし、
 一端残業始めても、やっぱり帰ってもいいし、
 それを決めるのは自分なんだと思ったら
 楽になった。
 しかも断る練習をして、
 いつでも断れると思ったら、
 ま、今回は受けるかと、
 残業を受ける時も、
 自分が選んでそうするようになった。
 今まであんなに苦痛だったのが、
 不思議」
のような感想。

私自身も、
お正月の料理担当(親戚集合時の約20人分)を、
「嫁として期待に応えないといけない」という思い込みで
嫌々やってた時と、
自分で選んで、「断ることもできるけどやる」と選択し、
やり始めた時から、
やってることは同じでも、
心の安定感はまったく違うことを経験している。

「選択の自由」っていうものの、
意味。
「選択する力」ってものの、
人生に対する影響力。


そういうものを考えるのに、
シーナ・アイエンガーさんの
「選択の科学」「選択日記」という本はめちゃ役に立つ。

なにしろびっくりするのが、
野生のアフリカ象と動物園のアフリカ象の平均寿命が違う件だ。
前者は56歳、後者は17歳。

動物園の方が食料や環境の面で
はるかに恵まれているのに!だ。

その理由は
野生のときのような「選択」ができないから
という研究が明らかになっているそうだ。

「近くにいる天敵の匂いをかぎながら
 自分で逃げ回ることもできません。
 冬場に渡りをしたり、食料を蓄えたり
 することも許されません。
 自分で食料を調達する選択肢もないのです。
 つまり、自分の生活を自分の手で変えることが
 まったくできない状況におかれたまま、
 生涯を過ごすことになります」

決められた場所で、
決められたタイムスケージュルで、
決められた量の食料を、
決められたように食べ、
決められた運動をし、
つがいになるのも連れてこられた相手を
受け入れるかいれないかだけ、
そういう檻の中の生活では、
生きている実感などなくなってしまうだろう。

そして、人間も生き物、動物。
選べることが生きている証とも言えそうだ。



今日、朝、
義母にデイサービスであることを告げた。
その後、私が仕事をしていると、
階下から声をかけてくれ、
「くみちゃん。
 今日は本当に調子悪いから、
 デイサービスをお休みしたいの」
と言う。

義母はだんだん一人でやれないことが多くなってきて、
最近は買物も義父一人でいっている。
食べる物の選択肢も義母にはなくなっている。
与えられたものを食べる生活。
着替えも、
「これとこれとこれを、
 この順番に着てください」
という私の指示に従ってくれている。

洗濯するタイミングも、
私の時間のある時だし、
それを干すのも、
私の都合だ。

「は〜い。
 今日は休みたいんですね。
 了解しました」
と応えながら、
環境を考えると義母に選択してもらえることは
わずかしかなくなってしまうんだけど、
わずかであっても、
してもらえることはしてもらおうと
そう思う。




自分で選ぶってことからわいてくる力。

誰かに決められたのでもなく、
無理矢理させられているのでもなく、
「自分が選ぶ」ことは、
その事自体が自分を大切にしている行動になる。


しかし選択にはエネルギーが必要なことも
また事実。

だって人生には台本などなく、
この選択が絶対に成功するという保障などないのだ。
成功しないかもしれないけど、
AかBの中から選んだり、
第三の道Cを見つけ出したりするには、
それに耐えられると自分で思えないと、
難しい。

人間には防衛本能があるからだ。


だからこそ、
今、選択する力が弱まっている方々には、
エネルギーが貯まるような、
そんな支えが必要だと思う。

そのことをいろいろな視点から、
していくのが、
私の仕事だな。
うん、がんばっていこうと思うよ。




尚、この本には、
選択に関するいろいろな視点が書かれている。
選択肢が多いほど人は選ぶ意欲を失うことや、
判断をじゃまするものに「思い込み」があること、
選択を成功させる時に必要な「経験による直感」を
磨くための戦略などなど。
めちゃおもしろい。





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足らないよ、ユーミン。

【2012.11.24 Saturday 22:08
買おうかな?どうしようかな?と迷っていたけど、
facebook上で,大好きな先輩や友だちが
次々にゲットしていくのを見て、
別に悩むことないじゃん!と 
ユーミンの「日本の恋と、ユーミンと」を買った。
40周年記念ベストアルバムだ。

あ〜よかった。めっちゃよかった。

早速
中学生たちに講演するパワポを
準備しながら
聴いた。

「ひこうき雲」や
「やさしさに包まれて」をBGMに、
中学生達のことを考えていると、
そこに昔の私がまじってる。
ドキっとする。

バレー部の大好きな先輩に、
「目がキツい」と言われて凹んだこと。
今までは、自分の目のことで凹んだと思ってた。
でも、今日、急に、そうじゃなかったんだと分かった。
「目がキツい」ことに凹んだんじゃなく、
大好きな先輩に言われたからこそ凹んだってこと。
たとえ他の100万人に「優しい目だね」って言われたとしても、
大好きな先輩一人に「キツい」と思われてしまったら、
そんな目はどうしようもなく嫌だったんだな、私。
ま、他の100万人にも「優しい」とは言われなかったけど。

教室でおかしを食べたのを見つかったあと、
怒った先生の顔が悲しそうで、
悲しい思いをさせたことが辛かったのに、
そんなふうに言うといい子ぶってるみたいで、
「あんなことで怒るなんて!!!」と
逆ギレを装ったこともあった。


ユーミンのメロディが、
私の中に残っていた表面的な過去を、
何枚も何枚もめくっていく。


大学の頃、
中高の同級生だった友人のアパートで、
ロールキャベツの作り方を教えてもらった。
ひき肉と戻したしいたけと玉葱をいためて、
茹でたキャベツでくるんで、
かんぴょうで巻いて、
お醤油入りのコンソメで煮た。
それは思い切り和風で、
多分、彼女のお母さんの味だったんだなあ。

大学の同級生のアパートに泊まった時に、
彼女のお姉さんが朝ご飯を作ってくれた。
ツナを細かくしてきゅうりとマヨネーズであえてあって、
それをロールパンにはさんだ。

そのメニューは、
私の恋に役立った。
ってことは、
友人の家族までもが
私の人生に影響を与えてくれてたんだと、
今になって気づく。
すっかりどこかにいってた事実。
ありがたくて、
涙が出てくる。

そういうもので作られている私の過去。
まったく忘れていたことが、
♪青春のリグレット♪とともに、
蘇る。


ああ、♪青春のリグレット♪
♪あなたが本気で見た夢を
 はぐらかしたのが、苦しいの♪
そんなふうに真っ当に他者を想うこと。

♪ANNIVERSARY♪では
♪いつの日か かけがえのないあなたの
 同じだけ かけがえのない私になるの♪
ちゃんと他者のことを想うこと。

ユーミンに教わった。


大学の時に好きになった人の家の前まで、
夜、何度も行った。
駅は同じ駅で、
でも徒歩20分はあったかなあ。
二階の彼の部屋の灯りを見て、
家に戻る。
あれは酔ってたなあ、自分自身に。
頭の中で、
♪14番目の月♪を
リフレインしていたんだろうなあ。
言わなかったなあ、私は気持ちを。


と同時に、
ベットの下に片方真珠のピアスを捨てといたり、
それしか会うチャンスがないから、
好きな人の彼女の友だちになるとか、
それやっていいの?みたいことを
教えてもらったし、

♪男はいつも最初の恋人になりたがり
 女は誰も最後の愛人でいたいの♪
という意味を考えて、
返って眠れなくなったりしたものなのだ。




なんだけど、

♪潮風にちぎれて♪がないじゃん、
ユーミン!

私がユーミンから教わった数多くのことの中のひとつ、
「強がる女性の素敵さ」は、
♪あなたと来なくたって、
 私は元からこの海が好き♪
からだったんだよ。

あと、
日芸だからこその仕事をめざしながらも、
胸の奥の方にちらっとあった、
丸の内や追手町のOLにあこがれる気持ちを
みすかされたように感じた
♪ランチタイムが終わる頃♪
もない。

♪ナビゲーター♪の
♪みんな捨てる どこでも行く  
 なんだってやる♪を
歌いながらひどい恋愛をしたこともある。
これはいれといてくれなくちゃ。

あ〜
このベストではおさまりきらない。

私は私のベストを作れ!ってことだな、きっと。





♪心に耳を当てて
 途切れそうな声を
 じっと聴いているの〜♪
は最近のアルバムの中の
♪ダンスのように踊りたい♪という曲。
♪失くさないで 失くさないで 大切なもの〜♪

いつも、
ユーミンは共感してくれたり、
弱音をはかせてくれたり、
励ましてくれたり、
背中を押してくれる。

思い出す私に、
今の私に、
ユーミン。


あ〜興奮する。










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感情をつかむこと。

【2012.11.22 Thursday 17:35
今日は普段は活動していない中学校に呼ばれて、
感情をつかむことで、
自分自身が分かってくるってことについて
話してきた。

たとえば、
志望高校を決めるとき、
親と自分の間で意見が違ったとする。
そのことで大して気持ちが動かなければ、
その出来事は自分にとってそう大事なことじゃない
可能性がある。

でも、すごく困ったり、
すごくイライラしたら、
もしかすると、
どうしても自分の選んだ高校に挑戦してみたいという、
つまりその高校がめちゃ大事な自分を分かったり、
あるいは、
親ともめたくなくておだやかな毎日を送りたい自分が分かったり、
あるいは、
自分の意志を大事にしたいと考えている自分が分かったりすると
思う。

そんな話をしてきたつもり。



ちょうどそんな話をパワポで作っている時に、
そのことに背中を押してくれるメールをいただいた。

アサーティブの基礎、応用、そしてカフェと、
講座に参加してくださっている方からのメールで、
そういう講座を通して
「次第に自分の気持ちが見えやすくなって
 自分で選択する力もでてきてます」
と言ってくださっているのだ。

私は、その言葉にめちゃくちゃ感銘を受けて、
コレだ!と思った。
 (それで、こうしてブログに書くことに許可を
  いただきました)
私が「感情」について
機会をみつけて、
「無視しないで大事にしよう」ということを
いろいろなプログラムで伝えるのは、
特に保護者の方に、
子どもの話に共感しよう、
子どものまだ言葉にならない気持ちを言葉にしてあげようと、
進めているのは、
まさに、彼女の言葉の中にあるんだ。

「気持ちが見えやすくなると、
 選択する力が出てくる」

自分の感情の中には
選択するための確かな情報がある。

自分の感情が分からないと、
他者の顔色や、他者からの評価や、
一般的にいいと言われていることを選びがちになる。
でも、それは、どちらかというと、
他者や一般の方に選んでもらったものだ。
それを続けていると、
つまり、誰かに選んでもらうことを続けていくと、
いつまでたっても、
確かな自分の人生!という確信を持ちにくいだろう。



これから、保護者の方にお話する時、
なぜ子どもの話を聴くことが大事か、
なぜ「聴くのは気持ち」なのか、
つまり共感、
気持ちの代弁が、なぜ必要なのか、
三つにまとめて話すことができそうだ。

①そうすることで、子どもは、
 今わいてきた感情をそのまま受け取る訓練ができる。
 (すり替えないで、イライラはイライラのまま、
  面倒は面倒くさいのまま 受け取る)

②わいた感情を受け取り自分の中で言葉にできるようになると、
a/自分ってものが分かってくる
b/自分で選択できるようになる
c/行動を調節できるようになる
d/アサーティブなコミュニケーションの準備ができる

③自分の感情をつかめるようになると、
 他者の感情が想像できるようになる


そして、①〜③は、
自分を大切にしていることそのものだ。

保護者の方が子どもの話(気持ち)を聴くことで、
子どもを大切にすることになり、
子どもに自分自身を大切にする方法を、
行動で知らせていくことになるんだなあ。



子ども時代から、現在までの間に、
たとえば
誰かの顔色を見ながら暮らしてきて、
そのために自分の感情がつかみにくくなっている方も、
大丈夫。

今、苦しいだろうけど、
でも、
苦しいながらも、丹念に
自分の感情に向き合っていきましょう。

人間は、
いつからでも、
どこからでも、
始められる。

気づいた時が、
再スタートの時。

メールをくれた彼女が、
トライし続けたことで、
開けたように、
やり続けていると、
その日はくる。

できたら、一人でがんばらないで、
誰かに寄り添ってもらいながら、
自分の感情と向き合ってほしいな。
結構しんどいことだから。



中学生に上手に伝わったかどうか、
ちょっと自信ないなあ。
でも、
なんだか私はすっきりしてる。

このことをまとめたかったんだと、
彼女からのメールで気づいて、
晴れやかな気持ちだ。



///////////////////////

まだまだ、お申し込み受付中。
忘年会もあります。楽しくおしゃべりしましょう。

第3回アサーティブ・カフェ イン静岡

日時:12月15日(土)13:30〜16:30          
会場:静岡県教育会館 
会費:3000円
定員:20名(アサーティブジャパン主催又は谷澤相談室主催の
        アサーティブトレーニング基礎講座を終了した方対象/先着順)
 *6名以上で開催
講師:谷澤久美子

<お申し込み方法>
メールで以下を記入の上お申し込みください。
受付後詳細をお送りします。
① 氏名 ②住所(〒番号も) ③電話番号 
④詳細をお送りする時のご希望の連絡方法(電話:携帯:fax:メール)
⑤受講された講座名 
⑥忘年会参加希望の有無
メール:kumikotanizawa@gmail.com



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「ボディ・ランゲージが人を作る」

【2012.11.20 Tuesday 19:21
とってもとっても良い。

ボディ・ランゲージは
心に影響を与えることを
伝えてくれている。

たとえば
とてもストレスのかかる面接の前の
待ち時間に、
手帳を見ながらからだを丸めて下をむいているか、
それとも、胸を開き堂々と力強いポーズでいるか、
それで、その後の面接の評価は変わるという、
実験をしている。

しかも、その評価は、他者からの評価だけではなく、
自分の自分自身への評価に繋がっていくのだ。

自信ないなあと思ったとしても、
だからそういうふるまいをするのではなく。
自信がなかったとしても、
堂々としたふるまいをすること。

これはエイミーさんが自分自身で
体験したことでもある。
高いIQを持つ頭のいい子だった彼女が、
19歳の時に事故にあい、
脳への影響も大きく、
自分としては存在意義だと確信していた「優秀さ」を失い、
すっかり自信喪失。
どこにいても、
「ここは自分のいる場所ではない」と
思った時期があったんだそうだ。
依頼されて大学で研究をしても、
「ここに自分はいるべきではない」と思い、
ダメさがあばかれてしまったらどうしようと、
いつも思っていたそうだ。

しかし、教授からの指示で、
与えられた講演の仕事など、
繰る日も繰る日もこなし、
必然的にそういうふるまいをしていたら、
ある日、気づいたら自信を取り戻していた。
その日々は、今日に繋がっていると
スピーチしている。

最初はふりでいい。
しかし、ふりを続けていくことで
本物になる。
本物になるまでやり続けること。
その最初のステップは、
2分間力強いポーズをすることだけでいいと
彼女は言っている。

小さな変化が大きな違いに繋がっていく!と。


これと、ほぼ同じことを、
実は昨日伺った小学校の校長先生と話した。

その学校は「あいさつ」「そうじ」「廊下は静かに歩く」ことを、
守ろうと、取り組んでいる。
校長先生は、
心そのものを整えることは無理でも、
この三つのことに毎日毎日取り組んでいると、
心が整えられてくると
おっしゃっていた。

そうなんだ、ほんと、そうだ。


アサーティブ・トレーングで、
伝えるのが苦手という方々が、
ボディ・ランゲージを少し変えるだけで、
随分と伝え方が変わってくる様子を
しょっちゅう見ていたり、

私自身も、
講座の時に、
ゆっくり歩き、堂々とふるまうことの方が、
受講生の皆さんが安心して
講座に入ってきてくれることを、
実感している。


これからも、
自信が持てない時もあり、
めちゃ緊張する場面を
乗り越えなければならないことがあると思う。
準備はする。
準備はしっかりして臨むが、
最後は、エイミーさんが教えてくれたように、
エレベーターを待つ間、力強い姿勢でいたり、
ドアをノックする前に、仁王立ちしてみたり、
そうやって、ボディ・ランゲージを変えてみることで、
心に影響を与えたいって思うな。




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不安の中のメッセージ。

【2012.11.19 Monday 19:19
今日は講師として呼ばれて、
ある小学校の5年生、6年生に1時間ずつの授業と、
先生方の研修を担当した。

校長先生が、
子どもたちに私を紹介してくださる、
その紹介の言葉に、
私は胸が熱くなった。

 谷澤先生は、市内の学校でスクールカウンセラーとして
 活動しています。
 先生のお仕事は、
 子どもたちや保護者の方の話を聴いて、
 その人が元気にいきいきできるために
 何をしたらいいか相談にのってくれる仕事です。
 そのまんまでいいよと安心させてくれて、
 その上で一緒に考えてくれます。

ちょっと言葉は違うが、そんなふうに紹介してくれた。
校長先生は、以前、2つの小学校でご一緒したことがあり、
その後、今日のようにその時勤務されてる学校に
呼んでくださって、
子どもたちに「心の健康」について授業をする
機会をくださっている。

その先生が、私のことを、
こういうふうに紹介してくださることが、
私はめちゃくちゃ嬉しくて、
心が温かくなった。

温かくなりながら、
私はめちゃくちゃ怖くなる。
私は、校長先生が
こんなふうに評価してくださっているみたいに、
ちゃんとできているんだろうか?
今日はちゃんとできたんだろうか?


大事なことはひとつだから、
その大事な話をするんだけれど、
それでは飽きられてしまうんじゃないか?

もっと上手に話せるようにならないと、
がっかりされちゃうんじゃないんだろうか?


私の中の恐れは、
不安となって、からだの中を広がり始める。


私は不安だ!
と自分自身に頭の中でつぶやいてみる。

自分自身が私にいう。
「不安なんだね。不安ながらも、
 よくやったじゃん。
 合計3時間だよ。しんどかったでしょ。
 よくやったよ」

私が応える。
「確かにしんどかったけど、
 達成感もあるんだよ。
 子どもたちの一生懸命にふれたし、
 先生方とおだやかな時間もすごせたしね。
 でも、一方で、やっぱり不安なんだ。
 こんなに温かくしてもらって、
 もったいないって思っちゃうんだ」

自分自身が私に言う。
「またまた出たね。
 自分にダメ印をつけるくせ。
 追い出しても追い出しても、
 時々出てくるダメ印をつけるくせだよ。
 不安はさ、
 もっともっといい授業をしたい!
 そして、もっともっと役にたちたい1
 そんな気持ちの裏返しだよ。
 そう思えるのって、めちゃ素敵なことじゃん。
 ダメ印をいつまでも頭の中においとかないで、
 今からできること、してみようよ。
 何だと思う?」

私が応える。
「実はさ、
 多分、質問にうまく応えられなかったことが
 気になっているんだよ、私。
 そのことで、不安も大きくなってるんじゃないかな?
 だからさ、質問をしてくれた先生に、
 今から手紙を書こうと思う。
 それが今できることみたい」

自分自身が私に言う。
「いいじゃん、それ。
 やってみようよ、それ。
 不安ながらも、不安の意味を考えたのは、
 すごいね。
 質問に上手に答えて、もっともっと先生の役に立ちたかったけど、
 そうできなかったことで、
 不安が膨らんだんだね。
 できれば、その時、その先生が合点がいくアドバイスが
 できたらそれに超したことはなかったけど、
 でも、今からでもできることあるじゃん。
 おし!手紙だ、手紙。
 手紙を書こう。
 でもま、ダンナが帰ってきたし、
 まずはご飯の準備じゃない?
 それ終わったら、手紙だね」

私と自分自身。「おう!」


土曜の「感情に振り回されない選択!」という講座の中で、
話したことのひとつに、
「感情は、それに含まれたメッセージを理解するまで
 消えてくれないことがある」がある。

不安という感情に含まれたメッセージを、
自分自身に丹念にきいて理解して、
そしてすべきことが見えた時、
まったく消えたわけじゃないけど、
不安は、かたくてごわごわしている感じから、
扱いやすいものになる。


あ〜こういう毎日が、
私を作っていく。











author : tanizawa-k
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自分全開。

【2012.11.18 Sunday 10:56
益田 ミリ
幻冬舎
¥ 1,260
(2012-11-09)

昨日は私の運営する谷澤相談室の勉強会を開催した。
「感情に振り回されない選択」をするために必要な
ことを考え合う会。

「感情」を取扱う集団での勉強会は、
過去のいろいろなことを思い出すこともあるので、
集まってくださる方々が、
この勉強会に参加したばっかりに、
返って苦しくなったなんてことがないよう、
細心の準備をしながら当日を迎えた。

で、準備している最中に、
先回りご褒美だ!と木曜日に大好きな巻物
(食べ物ののり巻きじゃなく、首に巻く物)を
買ったが、それは都合よくおいといて、
終了後は終了後で、
楽しみにしていたマンガ「すーちゃんの恋」を買った。
ふふふ、ご褒美責め!!!

前回「オレの宇宙はまだまだ遠い」のラストで、
なんとなくそんな雰囲気を醸し出していたので、
すーちゃんがついに恋愛するのではないかと、
めちゃめちゃ楽しみに読んだ。



すーちゃんは、なんと、保育園の給食調理師さんに
なっていた。
そして、子どもたちと食を通して触れ合って、
またまた「一人会議」が忙しい。

今回の「一人会議」のテーマは、
大きわけて三つ。
1「子どもたちは、みんな正しいのではないか」
2「子どもを持つ人生、持たない人生」
3「土田さんとのこと」

「子どもたちは、みんな正しいのではないか」は、
私はまったく同意見。

保育園の給食を、
毎回おかわりする子、
普通に食べる子、
時々おかわりにくる子、
食べられそうなものだけ食べる子、
全く食べない子、
いろいろな子がいる。
すーちゃんはまったく食べない子に、
なんとか食べてほしいと思うけど、
その子は給食を食べなくても
順調にからだは成長していて、
だったらいいんじゃないかって、考え直す。
そして、
その子の中にある食べない理由ってのも、
大事にしてあげたいと考える。
全員、その子がその子であるってことで
正しいのであって、
何か正しくて何が悪いって、
ないんじゃないか。

そう考えながら、
でも子どもたちがなんとか楽しく食べられるように
努力するすーちゃんがなんか、いい。

そして、それが、単純に子どもたちだけのこと、
仕事のことだけ考えているんじゃなくて、
ちょっとだけ自分の恋に関しておいしくもあって、
ってとこが、すーちゃんがリアルなとこだ。


「子どもを持つ人生、持たない人生」について
考え始めて、
すーちゃんは、結局は世間的な評価とか一般的
ってことに引っ張られているだけかもしれない自分に気づき、
保育園での子どもたちの一人一人がまったく違って、
でも、いつだって「自分全開」ってことに思いが至り、

「『わたし』が生まれ
 いつか『わたし』が死んでいく
 『お母さん』になる人生
 って言葉に引っぱられている
 だけなのかな
 最後の最後まで
 『自分』として
 生きていくのに」

と考える。

昨日の講座の中で、
自分の中の「欲求」を強い順番に並べてみたり、
それが叶いそうもない時や、それが踏みつぶされそうな時、
何かの「ふり」をしてしまうことがある
ってことについて、
みんなに考えてもらった。

一人ひとり、いろいろ欲求があり、
そして、いろいろな「ふり」も時々しながら
折り合いつけて生きている。

それぞれがレジュメに向かいながら、
自分の毎日と向き合っている、
とっても静かな息づかいの中、
みんなの間を歩いて、
私は一人一人が愛しくて、愛しくて。

そういう時間を過ごした後の、
この「自分全開」という言葉に、
ズンときた。

一人一人、自分を生かして生きていきたくて、
こうして勉強会に集まってくれたんだよなあ。



今回のすーちゃんの微笑ましいのは、
最後まで考えきらないところ。
「一人会議」の最中に、
土田さんのことが頭によぎり、
そのまま土田さんへのメールの文章を
どうしようかという
別テーマに入っていったりする。
それがまた、結構リアルだと思う。


で、クライマックスは

「いいところばかりに
 その人らしさがある
 んじゃなくて
 おかしなところもある
 あたしなわけで
 これが、
 味わい?
 みたいなもの
 なっているのでは
 ないか?」

ってところかな。


うんうん。
私はそうだと思う。


保育園の給食を食べない子の、
食べない理由がその子なりにあるということを
大切にしたいと思うみたいに、
すーちゃん自身が、
今ひとつ土田さんを押し切れないところも
それも、すーちゃんをすーちゃんたらしめているところで、

それは、私が仕事で関わる子どもの中で、
今は学校に登校できない子の、
今のその状態を、
過剰な刺激をしないで見守りたいということや、

相談の現場や、
勉強会の場で、
葛藤しながらもがきながら
なんとか自分の道みたいものを
探っている方々の、
恐る恐るでもある、
そうしてる
その時間がすごくすごく大事なんだってことと、

同時に、
私の中の、時々顔を出す、
自分にダメ印つけそうになったり、
折れそうになったり
めちゃ凹んだりするところもまた。
大事なんだよなあ。


勉強会→すーちゃん
で、
そんなことを考えた訳です。



 



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ギリギリでも、やる。

【2012.11.12 Monday 12:41
県内の市で、
3年くらい前から、
思春期の子どもをもつ親のための講座の講師を
担当している。 

今回は2週連続火曜日の夜。
50人弱の方々が集まってくださり、
男性も5〜6人参加してくださっている。
明日が二回目だ。

いつもは午前中にやることが多いこの講座。
お母さん達が子どもやパートナーを送り出した後、
ささっと片づけや洗濯なんかをやって、
あわただしく集まってくれている感じだが、
今回は、お仕事終えて、
コンビ二で軽くつまめるもので夕食をすましてから
駆けつけてくれるお父さんや、
子どもたちにご飯を食べさせ、塾に送り、
自分は
座ったか座らないかの勢いで何か流し込んで、
それで来てくれているお母さん達。
忙しさ+疲れなんかもありそうな、
そんな感じがスタ−ト時にある。

大切に思っていることは一つなので、
午前中でも夜でも伝えることは同じだけど、
でも、みなさんの疲れ具合や、会場の雰囲気などで、
伝える方法を変えたりしてる。

会場の空気というか、
雰囲気というか、
一回目は少しずつ確かめながら進めたが、
明日はその上で、あと2時間で
最後までもっていけるようにと、
計画をした。

こういう時間も、
私はめちゃくちゃ好きだ。

こんな問いかけをしてみよう。
話し合いのテーマをこれにすると、
小学生のお母さんはどう思うかな?
3世代同居されている方は、どんなふうに感じ、
周りに頼る人がいない方は、
どんな感情をもつだろうか?

なんか、そんなことを考えながら、
プログラムを組み立てる。



今週土曜日は「感情」にまつまることの
勉強会を行う。

そのレジュメを作りながら、
受講生の方に問いかけることを、
自分にも問いかける。

たとえば、
「以下の気持ちは、
 あなたの場合、どんな時にわくか」

さて、自分だったどう答えようか?

「さみしい」は、
母のおにぎりが食べたいと思う時。
バーニーが伸びする瞬間にこちらをチラミ
する感じを思い出した時。
ニューヨークにいる妹や姪っ子に
会いたいと思う時。

次に、
「さみしい」という気持ちが湧く意味なんかを
考える時間を用意してる。

「さみしい」を感じる気持ちを大切にし、
その感情が湧く奥にある、
自分の欲求などに気がつくことで、
身悶えするようなさみしさに意味がついて、
ちょっとだけ「さみしさ」に隙間ができ、
「さみしさ」とつき合えるようになってくる。

そんなことを、
「こわい」「恥ずかしい」「緊張」・・・とやってみる。
様々な感情を、客観的に考え認識することで、
あくまでひとつの感情として、
自分の本質と切り離して捉えられるようになると、
それぞれの感情への耐性がついてくるものだ。



どちらの講座も、
「心でっかち」にならずに、
ふるまえるようになるために、
できることを探す講座。

全部心のせいにする「心でっかち」にならないためには、
時には「心」を大切に扱ってあげることだ。
「心」のことをよく知っておくことだ。

どちらの講座も、
参加された方が、
ちょっとでもほっとして、
ちょっとでも明日に希望を持てるような
そんな講座にしたいな。

ギリギリまで、準備するのだ!









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コッホ先生と僕らの革命

【2012.11.11 Sunday 17:47
「コッホ先生と僕らの革命」というドイツの映画を見た。

第一次世界大戦前のドイツが舞台。
イギリスに留学していたコッホ先生が、
帰国しドイツで子どもたちに英語を教えることになる。
子どもたちは、規律を徹底的に叩き込まれ、
教師たちの指示に服従する中で勉強している。
抑圧された毎日。
そこに違和感を感じ、
コッホ先生はサッカーを通じていろいろなことを
考えさせ、経験させようとする。
教室を飛び出し、いつもは集団行動を学ぶ体育館の中で、
ひとつのボールを放した途端、
子どもたちはサッカーに夢中になる。
しかし旧態然とした学校関係者は、
強行に反対する。
日が経つに連れ、のめり込む子どもたち。
しかし、認めない学校。
葛藤しながら、
サッカーを根付かせ、
サッカーを認めてもらうまでの
あれやこれやが描かれている映画。


コッホ先生のぶれない姿勢はとっても素敵だ。

従来のドイツの教育方法のように、
暴力を使ったり罰を使ったりはしないが、
でもダメなことはダメと、
ちゃんと子どもたちに伝える。

たとえば、傷痍軍人の方が来てくれて授業をした時、
すごく失礼な態度をとった子どもたちを、
ちゃんと叱る。

サッカーで大切なのはフェアプレイだ。
授業に来てくれた方に対して、
君たちは果たしてフェアだったか、
と厳しく問いかけるんだ。


ピッチに立ったら、
その中では、
個人は、チームの中でいかに力を発揮できるかが
サッカーの最大の関心事になる。
先輩だから立てるとか、
単純に上からの指示に従う・・・ではなく、
どうやってゴ−ルを決め、
自身のゴ−ルをどうやって守るかが大事。

中田は日本代表に選ばれた時、
自分より年齢が上の選手のことたちも
愛称で呼び、
これからそうしようと!提案したときくし、
年齢や経験や地位なんかがコミュニケーションの
じゃまになるなら、
それは横において、
話し合い、
フィードバックしあい、
より良い戦術を提案しあって、
サッカーのチームは成長していく。

そういういってみれば対等性が問われるスポーツ、
サッカーを、その頃のドイツの教室の中に持ち込むことは、
やはり邦題にあるように「革命」だったんだと思う。


ヒエラルキーの上の方にいる
貴族の子どもも、
貧しくてなんとか食べている家の子どもも、
工場を経営している家の子どもも、
ひとつのボールを追いかけている時は対等だ。

コッホ先生のチームは、
最後、イギリスのチームと対戦し、
本当にひとつになる。
ボールを初めて触った日から、
いろいろあったことは、
決して無駄ではなかった。
あの争いも、
あの挫折も、
この時のためだったんだ!と思わせてくれるような
ラスト。

あ〜素敵な映画だったなあ。


それにしても「教師」という仕事は
特別な仕事だなあ。

今年の春に読んだ記事で
「2011年年度のアメリカの小学校に入学した
 子どもたちの65%は、
 大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」
というものがあった。
 「10年前には『情報セキュリティマネージャー』も
 『ソーシャルメディア・コーディネーター』などという
 職種は存在しなかった」
ほんと、そうだ。
スクールカウンセラーだって、20年前にはなかった。

しかし、「教師」という職業は、
これからも、
他者の人生の大切な大切な登場人物となる、
すごい職業であり続けると思う。

コッホ先生のように、
たとえば貴族の子どもには「親の抑圧から
自分を開放していい」と教え、
貧しくからだが小さく自信のない子どもには、
「からだが小さかったらすばしっこく動くこと」で
自信を持たせ、
子どもたちみんなに、
「本当にやりたいもののために、
 チームワークで乗り切る思考と行動」
を導き出す教師もいれば、

反面教師になる教師いると思う。

それでも、他者に、
これほどの影響を与える仕事!!!

 

今の子どもたちが、20年後社会の一員として
働くようになった時にどんな力があればいいか、
流動的な、予測が不可能な時代だからこそ、
つけてあげたい力は「転移可能な一般的能力」だと
して、
先の記事は21世紀型スキルを提唱している。

サッカーを通じてコッホ先生が子どもたちに教えたことは、
今から20年後の世の中でも、
社会を生きていくための力のひとつになるんじゃないかと
そんなふうに思った。






 



author : tanizawa-k
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朝ドラファンとして。

【2012.11.09 Friday 19:02
NHKの朝の連続ドラマを
何年も楽しみにみている。

BSで放送している7時30分からの時間帯で
木曜日以外は大概見られる。

なんだけど、
今回の「純と愛」がきつくてきつくて、
見るのが辛い。

じゃ、見るの、やめればいいんじゃん。
なんだけど、
先日お会いした方とこの話をしていて、
お互いもうちょっとがんばってれば、
いいことあるかも・・・なんて
変になぐさめあって、
がんばって見てる。

ヒロインは勝気な女の子で、
夢に向かってめいっぱいがんばっているのは、
コシノ三姉妹のお母さんを描いた「カーネション」の
ようだけど、
ちょっと違う。
仕事中にプライベートをめちゃ持ち込むところが、
見ていて本当に辛い。
いやいや、それは100歩譲って、
「おじいの夢の国みたいなホテルを作る」
のは確かに夢だけど、
でもプライベートも大事って人生もあるよ、
なんて、
だましだまし見ていても、
仕事中はやっぱ仕事しようよ!と腹がたってきて
TVにむかって、おもいっきりつっこんでる。
「仕事しろ!」

父親の理解がないって意味では、
「梅ちゃん先生」も、そんな雰囲気はあった。
でも、今回の武田鉄矢さんには、
愛が感じられなくて、
せつなくなってしまう。

ヒロイン純のパートナーは愛と書いて
「いとし」と読む男性だ。

彼の設定がありえないのだが、
顔を見ると、その人の気持ちが読めてしまう。

ちょっと前に
長年疎遠だった家族と再会した時には、
もう耳をおおいたくなった。

彼は双子で、
弟を(確か)白血病で亡くしている。
彼はその瞬間から人の気持ちが分かるようになったのだが、
母親の心のつぶやきが聴こえてきてしまったのだ。

「なんで双子なのに、適合しないんだ、使えない」
と愛を責め、
「でも、成績もいい愛の方が残ってよかった」
と気持ちを切り替え、
「こうなったら愛を弁護士にして後をつがせよう」。

母親だって、
いつもいつも天使のように子どもを愛せる訳はなく、
きたない心も、危ない考えもわいてくる。
それを口に出してしまったのなら、
それはすごく問題だけど、
そんなことはせず、
多分お葬式を取り仕切っていたはずだ。

つまり、
心の中で思うことはいいけど、
「それを口に出しちゃあ、おしまいよ」的な
ことが、
次々に出てきて、
もう、ほんと、辛いんだ。

口から出た途端に、
言葉は暴力になってしまうこともあるし、
取り返しがつかない傷を負わせてしまうこともある。

そんなことを、愛は
暴露してしまうんだ。

今朝は、
今度は純の家族たちの心の中を暴く。
父親は
「オレの方をもっと見ろ、オレを愛せ、愛せ」
と言ってるし、
母は獣のような顔してると言い、さらに
「お父さんといるのは疲れた。
 もうやっていけないかもしれない」
と言っていると言う。


そう、私が最も耐えられないのは、
今のところ、このドラマから伝わってくるメッセージは、
心からきれいでなくてはダメ、
いやしいことは考えちゃいけなくて、
いつも心と言葉は一致してなくちゃならなくて、
そうじゃないのは、信頼できない・・・
的なことだからだ。

どこにそんな人間がいるんだ!
って思う。


時々、めちゃくちゃ卑しくていいじゃん、
時々、きたない考えがうずまいていいじゃん、
時々、情けないほど落ち込んで、
時々、心の中ではこっぴどく相手を責めて、
そういうことだってあるのが
人間じゃん。

でも、そういう気持ちや考えがありながらも、
それでも目の前のことに、
なんとか誠実に取り組もうとすることが
人間としてあるべき姿だと、
私は思う。

そういう自分の未熟さ、至らなさを抱えながら、
それでも目の前の人と、
どういい関係を築いていくか、
そこに葛藤するのが、
人間として素敵なことなんだと、
私は思う訳だ。

心から100%キレイなんて意味ないし、
24時間心と言動が一緒なんて、
ありえない。


なんだけど、
「家政婦のミタ」という
国民の半分近くの人がみたという
(残念なんだけど私は見逃した)ドラマを
作った方が脚本を書いているというし、
武田鉄矢さんが、
「もうちょっと辛抱してもらえば、
 だんだん、純が成長していく」的なことを
どこかで言っていたと聴いたので、
私は見ることにする。


ま、これだけ熱くさせられるってことで、
やっぱ、すごいドラマなのかな?





author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor