2012年04月の記事 | 今のところではありますが…
気質に抗うな。気質と共に行け。

【2012.04.26 Thursday 22:18
読み終わったばかりの
「心をはなれて、人はよみがえる」(高橋和巳著)
に、
生まれながらに持っている気質、体質は
その人の生き方の基礎になっていて、
それを矯正しようとすると、
苦しい生き方になってしまう・・・
ということについて
すごく理解しやすい表現があった。

「赤ちゃんの額に蠅がとまったときに、
 振り払う動作をする子と嫌な顔だけして
 あまり動かない子との違いは、
 生まれつきの気質の違いである。
 DNAに基づいた反応の差である。
 前者の子がすくすく育てば、
 好奇心旺盛な活動的な性格と社会的な
 立場を作っていくであろう。
 後者の子がすくすく育てば、
 じっくりと物事を分析して進んでいく
 タイプになるだろう」

人って、生まれた瞬間から
自分のDNAで、自分の人生を生きていく。
自分のDNAに基づいた脳の働きで生きていきたくても、
周りの大人は、
少しでも子どもが、
今の社会の中で生きやすいように、
好奇心旺盛な子には落ち着きや注意深さを求め、
納得して進みたい子には、
周りの人と合わせることを求めたりする。
もちろん社会の中で少しでも生きやすいことは
大切だから、
大人の助けを借りながら少しずつトレーニングして
いかれれば、それはすごくいいと思う。

しかし、元々の自分の気質を
否定されて、違う気質を求められると、
それはキツい。

このことを書くと、
親って立場の方は、
きっといろいろな考えがわくと思う。
キツいな、厳しいな、否定された、
と感じる方も、
中にはいるかもしれない。
だって、たとえば、
指示されたことをすぐにできないと、
それでは将来、組織の中で生きてくのは辛かろうと
考えるからこそ、
「とにかく、すぐに動きなさい!」
って言うんだと思う。
愛情や心配からのメッセージ。

それが全部悪いと、この本は言ってない。
根本のところで、
その子のそのままを否定してないかどうか・・・
ってことだと思う。

根本のところで否定してると、
集団生活にあうようにとか、
今の社会に受け入れられるようにとか、
そればかり(この「ばかり」ってのが、多分、困ったこと)
を求めるようになり、
そのうち、それを子どもは
自分で自分に課すようになり、
それはつらい毎日になるだろう。

「私って、こういうところあるからね。
 そうなりがちなんだよね。
 さ、じゃ、どうしようか」
くらいのカンジになるためには、

自分も自分の気質に抗わず、
周りがその人の気質を否定しないってことが
すっごくすっごく重要だと思う。


そして、思春期ってのは、
自分ってものが出てくる時期でもあるから、
求められているものと
それに応えられない自分のことで悩んだり、
求められること自体の苦しさを、
いろいろな形で表したりする。

つまり、この時期に、いろいろな形で
子どもが出す問題行動は、
学校などからみたら「問題」かもしれないけど、
その子や親からみると、
生まれつきの気質の再確認の
きっかけになる可能性が高い。

気質を否定せず、
それとともにどう生きていこうかと考え、
考えたことを行動していけることが
幸せに生きていくってことなんだろうなあ。


と、
ま、こんなことを考えられた本。


この本との出会いは、
「聴く」「共感」について、
もう一度自分を振り返ろう、考えようと
考えたことがきっかけ。
そのきっかけは、
先日の研修でのキツい気づきから。

メディエーションの研修で、
講師の先生から、
「共感と、共感しいてる自分を分かっての違い」
についてコメントをもらい、
そのことがピンときて、
ピンときただけに辛くて、
なんとかしなくちゃと、
こういう時頼るのは、
大好きな精神科医の高橋和巳さんの本だ!と思った。
これまで「心を知る技術」と「生まれ変わる心」
を読んでいるが、
本当の意味での「聴く」ことを、
何度でも確認させてくれる本だった。
まだ読んでない彼の本を2冊選ぶ。

「子は親を救うために『心の病』になる」
と、
「心をはなれて、人はよみがえる」
の二冊。

「子は親を〜〜〜」
を読むのは、今まで、怖かった。
子の「心の病」は親のせいだなどと書かれていたら、
高橋さんのことを嫌いになってしまいそうだった。
でも、この人は、「誰かのせい」という断定的なことを
示すはずがないと思い、読んだ。
で、やっぱりそう。
子の生きにくさと、
親の関わりは関係していることもあるけれど、
親も生きにくかった訳で、
親の生きにくさが楽になると、
子も楽になることがある・・・
ということが書かれている。

そして、親の生きにくさが楽になるためには、
分かろうとする第三者が
ちゃんと親の話を聴くことが大切だと
いうことが書かれてた。





さらに、
気質に抗わず、気質共に生きることの意味を
再確認させてくれた
「心をはなれて、人はよみがえる」。




キツい気づきよ、ありがとう!!!だな。





author : tanizawa-k
| | comments(0) |

トリセツ。

【2012.04.25 Wednesday 19:28
前回のブログの記事を読んでくれた仲間が
「ここまで自分を言語化できる」
「ご自分の取り扱い説明書みたいです」
とコメントをくれた。

それがめちゃ嬉しかったし、
私が学校などの場のカウンセリングでやりたいことは、
それだ!と思った。
相談をもって私の前に座ってくれる方々が、
いつか、
先生や親やカウンセラーがいなくても、
何かが起こった時に、
自分で自分を管理できるようになってほしいし、
そのための過程を共に進みたいということなんだよなあ。


これまでは、
別の言葉で
「この自分をどう活かして生きていくか?」
と表現してたけど、
「自分のトリセツ作り」って、
なかなかいい。


この自分の得意なことは、こんなこと。
この自分、こんなことで怒り、
こんなことで調子に乗る。
この自分の苦手なことはこんなこと。
こういうような場面では、
こんなふるまいをしがちで
こういうようなタイプの方には、
こんな反応をすることが多い。
こんなことで凹み、
凹んだ時はこんなふうになり、
そこから抜け出す方法として
こんなことがある。

だんだんと自分ってものが明確になっていって、
自分の身に何か起きたことに、
自分にあった対処ができるようになること。

死んでしまう直前まで、
トリセツは完成しないかもしれないけど、

だんだんと、
起こったことをカテゴライズして、
その時の自分なりの対処法を考え、
行動できるようになっていくこと。

それがいいなあ。




ある日、久しぶりに会った知人が、
緊張感いっぱいの顔をしていた。
仕事が厳しい状況のようで、
いくつもの重なった荷の重い仕事に、
不安を感じ、自信を失い、チカラをなくしていた。
その方の体はこわばっていて、
動きはぎこちない。
「肩凝っているんじゃないですか?」と訊ねると
「いいえ」とおっしゃる。
でも私の目から見ると
相当凝っているように思ったので、
ストレス・マネージメントのリラックス法のひとつ、
呼吸を使ってからだをゆるめる方法を一緒にやってみた。
その方は、
「あ〜これが、肩のチカラをぬくことなんですね。
 やっぱ、肩凝ってたんだと思う」
とおっしゃった。
ずっと緊張して生きていると、
肩こりは感じない。
肩こりも感じない代わりに、
リラックスも感じない。
そうやって、感じないことで自分を守って
生き延びてくれている。
それが限界を超えてしまわぬように、
そうなる前に、
自分の状況と、
そのことにより自分に起こっていることがわかり、
どう対処することが自分に可能か知っておくことは、
大切なことだと思う。




自分のトリセツ作りで、
「コミュニケーション部門」に関することは、
アサーティブネスを学ぶことで、
大分整理されると思う。

学ぶのではなく、
自分なりに日常の中で手探りで考え、
自分なりの方法をやっていきながら、
時間をかけてより良いコミュニケーションの方法を
得ていくのも悪くないとは思う。
しかし、系統立てて学んだ時に、
もっと早く知っていれば!と多くの方が
振り返ってるのも、また事実。
そして、理論を知り、方法を学び、
練習を重ねたとしても、一瞬で取得できることではないから、
どうせいつか学ぶなら、
できるだけ早めに学ぶことをおすすめしたいなと思う。


さて、
今日の私のことを「谷澤取り扱い説明書」に
足しておくとすると、

期待された役割と
自分のやりたいことがマッチした時、
求められている以上にやりたくなり、
スイッチが入ってしまうが、
そこで限界までやってしまうと、
日常生活に支障が
でるほどやってしまうことがある。
だから、限度いっぱいまでではなく、
8分目くらいでとめておくってことも、
選択肢にいれたほうがよいらしい。













author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

選び直す。

【2012.04.23 Monday 18:00
 仕事がつまって、
キツい、参ったなあと思った時に、
次のことをする。

ひとつは、
自分で決めた仕事だとしても、
キツいって思うことはあるから、
「キツいよね、私」
「参ったね、私」
と自分自身に言う。

自分で決めたのにキツいと思っている
自分を責めない。
だって人間だもの。
キツい時も参る時もある。

自分で自分を責めることをせず、
気持ちを受け入れると、
その段階で、
ま、がんばってみるかって、
切り替えられることは多い。
それはそれで、よし。


それでも、
まだいやいや病が続いた時、
「あ〜明日は、○○へ行かないとならない」
などと思ったら、
さらに、もうひとつのことをする。
選び直すってこと。

「キツいよね、私。
 参ったね、私。
 じゃ、やめるって手があるよ。
 やめとく?」
と自分自身に問う。

明日、○○へ行くの、やめる?
病気になったとか、調子悪いとか、
言い訳考えて電話して、
休むことにしちゃえばいいじゃん。
そうすれば?私。

考えてみると、
絶対にやらなければならないことなど、
ほぼない。
断ることだって、依頼された時点でできたはず。
でも、スケジュール帳に書いてあるってことは、
依頼を受けて、決めて、
そこに書くに至ったわけだ。
何らかの考えがあって、
選択したこと。
断わることもできたけど、
受けたのだ。

「よし、
 やめちゃえばいいよ。」
と自分自身に言うと、
再度「やる」ことを
選び直せることが多い。

だって、私がその仕事を受けたのは、
そうやって人と関わることで実現したい考えがあるから。
まず、○○へ行って仕事をすることで、
信頼関係の一歩を築きたいんだ。

そういう日々が送りたい、
そういう仕事がしたかったんじゃん。
それを目標にやってきたんじゃん。

行かないって手もあるって考えて、
行くことを選び直すと、
その時点で、
逆にやる気いっぱいになることもある。



しかし、
それでも、やはり、なんか嫌だなあと
いやいや病が続く時は、
その仕事が誰のおかげで
自分の仕事になったのか
考える。

その仕事をしたいと思えたのは、
今までのいろいろなことがあったからこそ。
その仕事につけたのは、
数えきれないほどの人たちの援助があったからこそ。
しかも、仕事についてから、
たくさんの方々の感謝の言葉や、
たくさんの方々からのアドバイスで、
なんとかやってこれた。
一人でがんばってやってきたんじゃなくって、
周りにいてくれた誰か一人がいなくても、
今の状態にはなってなかった。

そして、明日もまた、
私を待っていてくれる人がいる。

そう考えて、
よし、やるぞ!
と気合いが入る日は、それでいい。



しかししかし、
それでもどうしても、
それでもいやだって時は、
「キツいよね、私。
 参ったね、私。
 やめることも選ばない。
 この際しょうがない、
 いやだけど、
 決めたからやろう」
と語りかける。

そして、
いやでも、やる。

いやでも、やるは、
トレーニングだ。
自分を鍛えるための。


いやでもやると、
仕事の後に、
そんな自分に満足できて、
ほっとする。


で、おもしろいことに、
あんなにイヤだったのに、
仕事を始めると、
夢中になって、
やっぱよかった!
ってこと、
多いものだ。


あ〜面倒な、私。










author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

背景を無視したら、あかん。

【2012.04.19 Thursday 19:07
 今日から、今年度新しく配属された学校での活動が
始まった

緊張〜。

いきなり会議があり、
その席で、
しょっぱな、
申し訳ないことをしてしまった。

今回の会議は年度始めでもあるので、
各学年部から、
今気がかりな子どもについての報告を
することになった。

まずは一年部からの報告が終わる。

すると
校長先生が、
「谷澤さん、今のいくつかのケースについて
 何か助言はある?」
と。

そういう時、
私、
「役に立ちたい」「認めてほしい」という考えで
頭の中がいっぱいになってしまうんだよなあ。
でも、まだよく分からないのが、本音。
ケースについて2〜3行の報告では、
助言というより質問になってしまう。

それで
「情報があまりに少ない中では、
 難しいです」
のようなことを答えた。

すると学年主任の先生が、
「今まだ始まったばかりで、
 各担任の先生も本当に忙しく、
 なかなか情報を集められる状態では
 ないんです」
と苦々しそうにおっしゃった。

それはそうだと思う。
本当にその通りだ。

私としては
「だから、これから一緒に情報収集しましょう」
という意味で発した言葉。
しかし、あまりに言葉が足りなかった。
申し訳ないことをしてしまった。


あれほど、背景を考えて、
相手のことも尊重して発言しようと考えているのに、
なぜか学校の先生に関しては、
甘えてしまう私。

ばかだなあ、私。


先日のメディエーションの研修で
骨身に染みた学びのひとつ。
人にはそれぞれ事情や背景が感情があるということ。

メディエーション研修のワークのひとつ、
3人が一つのグループになって、
申立人役、相手方役、調停人役なり、
ロールプレイをする。
その時、申立人、相手方を演じるために、
それぞれの役をする人に、
その役だけの事情を書いたペーパーが配布される。
私は一度は相手方を演じたが、
何しろびっくりしたのは、
ロールプレイ終了後、申立人側の事情のペーパーを
見せてもらった時だ。
彼には彼の、そうせざるを得ない様々な事情があるのだ。
相手方からみると、非常識で、責任逃れをしようと
しているあるふるまいも、
彼の側から考えれば、理解できる。

人は、それだけ、
いろいろな事情を背景に
今を生きている。

あ〜それなのに、
学んだばかりなのに、
私ときたら、
水面から見える岩だけを評価するような一言を
発してしまったんだなあ。




しかし、ありがたいのは、
会議終了後のことだ。

その先生が、わざわざ呼び止めてくれて、
「先生、せっかく考えてくださろうとしてるのに、
 すみません」
と言ってくださった。

それで、
「私も言葉が足りなくてすみません。
 これから情報収集する時に、
 私も手伝わせてくださいね。
 観察させていただいたり、
 担任の先生がもしお困りなら
 話をきかせてもらったり。
 ぜひ、手伝いたいんです」
と言うと、
「あ〜やっぱりです」
とその先生が言ってくださった。
「今年転任されてしまった○○先生が、
 谷澤さんと前の学校で一緒で、
 いい先生だから頼りにしたらいいと
 残していってくれたんですよ」
と。

あ〜なんとなんと、もったいないなあ。
ありがたいなあ。


とはいえ、
次にこういうことがあったら、
どう言えば、自分も相手も尊重できるか、
ちゃんと、ちゃんと発言しよう。





author : tanizawa-k
| SC | comments(2) |

欠かせない過程。

【2012.04.17 Tuesday 14:46
カウンセリングでは、
話をよく聴くことで信頼関係を作っていき、
相談者とカウンセラーの間で共通の目標を決め、
目標に対し現状はどうか調べ、
ではどうするかという代替案を提示し、
代替案を行動にうつすことをサポートする。

この過程の全てが大切だ。


ちょんさんが開発されたホワイトボードは、
テーマにそって、
意見・考え・アイディアなどをできるだけたくさん発散し、
それをポイントをしぼって収束させ、
そして実行するための活用方法へと話をすすめる。

ワールドカフェは、
参加者をいくつかのグループにわけ、
全体のテーマに沿って立てた、
3つの問いの中の、
まずひとつをチームで話し合い、
チームのメンバーを変えて、
2つ目のちょっと深める問いを話し合い、
メンバーを変えて3つ目のより深める問いを
話しあい、まとめていく。


どの方法も、
最初から最後まで全ての過程が大切だと思うが、
特にその場を促進する役として難しい点は、
カウンセリングなら「共通の課題」をどう設定するかだし、
ホワイトボード会議なら、収束させて行く時の
軸を何にするかだし、
ワールド・カフェなら、3つの問いの立て方だ。

ここが肝なんだろう。

土日に学んだ「メディエーション」は、
申立人と相手の話を聴くことで、
状況や背景や感情を理解し、
次の段階は
課題を特定して、
問題解決に向かう。
その課題の特定によって、
対話の方向は変わっていく。

講師の稲葉さんは、
「その人が何を求めているかを
 見るチカラが必要」
と表現されていた。
その人が口に出した今困っていることと、
本当にところ、その人が求めていることが何なのかは、
違うこともあるしなあ。
そこを見立てる。


つまり、どういう手法を選ぶとしても、
その手法を使って人間関係間の問題を
解決していこうと考えたら、
聴くチカラと、
見立てるチカラが、
必要ってことだよなあ。


見立てるチカラをつけるとは、
河合隼雄先生がよく書いていた
人間理解を深めることだと思う。

 相手を理解するってことを、
 あせってはいけない。
 だからすぐ相手(クライアント)に問うのではなく、
 なぜそうしたのか、
 なぜそう言ったのか、
 まずは考えてみる。
 どこに目的があり、何がほしいのか、
 まず考える。
 それには人間ってものに対する理解が必要だと、
 先生は言っている。

どこまでいってもゴールがないから、
苦しいけど、
やり続けていきたいな。



ある方(Aさん)が、
Bさんとうまくいかなくて、
絶対に謝らせたい、
言い負かしてやりたいと
口に出されたとする。

でも、よくよく話を聴いていくと、

Bさんに分かってもらえなかったさみしさや、
自分の行動への不甲斐なさなども感じていたりして、
そんな一瞬があると、
もしBさんに謝ってもらったとしても、
そのために二人の距離が離れてしまったら、
Aさんのほしいものは、
手には入らないんだ。
Bさんと、まあまあ良い関係になれて初めて
落ち着くんだろうな。



「理解してほしい」という要望を満たすために、
聴くチカラをもっともっと磨く事。
なんてたって「理解してほしい」を満たさないと、
「解決したい」にいけないものだ。
「理解してほしい」を満たしながら、
見立てるチカラを発揮して、
課題の特定を行うこと。
それが「解決したい」ことに繋がっている
納得できる課題なら、
きっとすっきりと解決に向かっていけるんだろうなあ。
















author : tanizawa-k
| コミュニケーション | comments(2) |

脳まで汗かいたかも。

【2012.04.15 Sunday 23:25
土日二日間、私の属する組織の
会員のための研修に参加した。

「メディエーション」という
対話によって問題解決ををしていくための
考え方や手法を学んだ。

新しいことを学ぶことは、
私の場合、
自分の傾向が明確になるということ。

メディエ−ションの考え方や手法はもちろん
勉強になったが、
同じくらい、
たくさんの自分の傾向をみつけたことの、
意義は大きいと思う。

しかも、今回会員の研修にこのテーマが選択
されたのは、
コミュニケーションの講座に講師として立つ時に、
場を俯瞰で見られることができるようになることが
目的だったのだが、
自分の傾向を認識できたことは、
そのための大切な過程であると思う。


特に強く、今回、認識した自分の一面は、
「共感していることを、
 相手に分かってほしいという考える傾向がある」
ということだ。


私が、日常一番多くの時間を活動しているのは
「カウンセラー」としての仕事だ。

相談に来てくれた方の話をじっくり聴くということで、
その方が自ら問題解決に向かう場面は
何度も経験している。

学校の中では、
教師に対して非常に憤りを持っている保護者の方が、
たとえば、
「教育委員会に告発したい」とおっしゃっていたとしても、
しっかりと話を聴くことで、
「なんか、すっきりしました。
 訴えるとか、もうよくなってしまいました」
なんてことも、結構ある。
(それが私の目標じゃないんだけど)


だから、共感的理解を示しながら
話を聴くことで、
相談者自身が自分の問題を解決することに
繋がっていくことを、
信じてる。

カウンセリングの場は、
相談する人とカウンセラーの一対一の場。
それに対してメディエーションは、
この場合の例でいえば、
申立人の保護者の方、
相手の学校の教師、
調停人(メディエーター)の三者で
問題解決にむかって対話していく。

調停人は、
申し立て人と相手の間で
中立であり、公正でないと、
三者の間の信頼関係は作れない。

その上で、
申し立て人の話を共感を持って聴き、
さらに、
相手の話も共感を持って聴くことで、
話を進めていくのだ。

利害関係のある二人、
両者がいる場で、
一人に共感を示しながら話を聴くのを、
相手が見ているという場。

こりゃ、ほんと、大変だった。


私は二日間の大詰めのワーク、ロールプレイをする時、
調停人役にトライした。

私なりに申し立て人の話を聞き、
そこから出てきた事実や、背景や、感情などを言語化し
次には相手の話を聞き、
同じように事実や背景や感情などを言語化していったつもりだ。
しっかりと共感しているつもりだった。

ところが30分のロールプレイを終わった後、
申し立て人の役をやってくれた方も
相手役をやってくれた方も、
両者とも、私調停人が、
自分より相手に寄り添っているような印象をもったとのこと。
そして両者とも、
自分の気持ちは分かってもらえてないと思った
と感想を教えてくれたのだ。

えええ?

私はびっくり。

それはお困りだったんですね。
心外だったということですね。

そう言葉にしたつもりなのに、
それがまったく届いていなかったとは、
そりゃ、いったい何?

そういう私に講師から
「共感するのと、
 共感している自分を分かってもらうのは、
 違う」という指摘が。

あ〜それだあ、それ。

本当に共感することと、
「今、私はあなたに共感していますよ」とサインも
ばっちり入ったメッセージを送ることは、
まったく別のこと。

共感は、どちらかというと、
あなたは今こんな気持ち?
これでいい?という、
つまり「あなたのことが分かりたい」
という態度だけど、

共感している自分を分かって!は、
ここまで私が分かったってことに
気がついて!
つまり、「私を分かって!」というメッセージ。

それじゃあ、伝わらないんだなということが、
めちゃくちゃ分かり、
しかも、そういう傾向が自分にあると分かったから、
それは意識できると思った。



それに関連して、

「素を出す時に、
 学びも大きい自分」ってことも認識。

というのは、
今回、そのロールプレイの感想を発言する時、
いつもしているように、
何を発言するか、どう発言するかを
考えて発言することをしなかった。
30分間集中した後、脳がまるで開放されて
ゆるんだようになっていて、
意識のチカラが使えなく、
だらだらと、ただしゃべった。
場にいい影響を与えたいとか、
コミュニケーションのプロらしくふるまおうとか、
そういうことが一切コントロールきかない感じ。

でもだからこそ、
「共感と、
 共感している自分を分かってほしい」
という傾向を指摘していただけたように思う。

学びの場では、
失敗するのもお得なんだよなあ。


今回の講師は
稲葉一人さん。
日本でのメディエーションの第一人者。
難しいことを分かりやすく、
(それでも私には難しかったが)、
めちゅくちゃユーモアがあり、
そして、
何よりも、人の持つチカラを信じてる、
その信じっぷりが半端ない、
とてもとても魅力的な方。

その先生がファシリテートしてくれて、
しかも、
一緒に学んだ仲間が、
信頼でき、どんな自分も受け止めてくれると
信じられる仲間だったってことも、
大きいよなあ。





それにしてもこの考え方と手法、
ホワイドボード会議と、
共通点が大有り。

見える化、
開いた質問で発散、
収束のポイントが大事、
ファシリが解決するのではなく、
解決のための場の設定に責任は持つけど、
解決に進むのは当事者。

こうやって
今まで学んできたことが、
網をはるみたいに繋がっていくのも、
おもしろい。


脳まで汗かいてるかも・・・
と思うくらい、
集中して学んだ二日間。
楽しかった。
そして疲れたあ。














author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

さわやかなクレーム。

【2012.04.12 Thursday 22:09
パソコン周りの消耗品を買いにいく店で、
クレームの場面を見た。

70代くらいの男性がレシートを持ち、
値引きについて、
店員さんに説明を求めている。

隣のレジで支払いをしていた私に
二人の声が聞こえてくるが、
店員さんが非常に失礼なもの言いをしている。

「だから、ここからこれを引いてみな。
 この金額になるでしょ。
 この金額の5%だから、
 それがこの金額。
 全体からそれをひくだよ。
 やってみな」

すると、男性は、
本当に落ち着いた声で、

「あなたのその言い方に、
 私は腹がたつ。
 私はこの店が好きだ。
 これからもこの店で買物がしたい。
 言い方を変えてほしい」

すると、店員さんは、
「えっ」
と言い、
お詫びの礼をして、
「これは失礼しました。
 もう一度説明します」

と、先ほどよりは丁寧な言葉で
説明をし始め、
男性はうなづきながら聞き、
納得された。


クレームの場面に出合ってしまうと、
こちらまで不快な気持ちになることが多いが、
今日のこの場面は、非常に気持ちがよかった。
男性の伝え方がとてもいいし、
その後、すぐに反省して
自分のふるまいを変えた店員さんも、
できるなら最初からそうやればいいのに・・・
とも思うが、
それでも、その直し方がとっても良いと思った。
しかも男性は、いつまでも引きずらず、
さっぱり許し、説明を受け入れているその態度が、
めっちゃさわやか。



以前、
パン屋さんで、
私が支払いをしているところに
割り込んできた女性が、
パンに何かが入っていたということを
伝えていて、
「異物が入っていると、
 気持ち悪いじゃないですか?」
と言い、私に向かって
「ねえ?」
と同意を求められ、
とっても困った。
巻き込まれた感じ。
パン屋のオーナーさんは、
「お金を返しますので」
とちょっとぶっきらぼうに言ったが、
その女性は
「お金の問題じゃない」
と声を大きくした。

私は、
「すみませんが、
 私の支払いをさせてください」と言い、
ちゃちゃっと払って外に出た。
その後、しばらくイヤ〜な気持ち。


クレームを伝える時も、
何が問題なのか
感情的じゃない方法で伝えられるといいし、
クレームを受けて、
お客さんにイヤな思いをさせてしまったのなら、
何をおいてもまず謝りたいものだな。


それにしても日常の中には、
コミュニケーションの事例があふれている。
学ぼうとした瞬間に、
どこからでも学べるなあ。











author : tanizawa-k
| コミュニケーション | comments(2) |

うちに帰ろう。

【2012.04.11 Wednesday 09:07
ここのところ出張がある。
仕事はめちゃくちゃやりがいがある。
充実するし、学びにもなる。
もちろん大変なこともある。

あのダルビッシュだって緊張?興奮?
とにかく、感情に巻き込まれる
(彼は感情と肉体のアンバランスと表現してた)
んだ。
もちろん、私にも、そういうこと、ある。

そうやって働いて、
うちに帰る。

うちには義父母と、犬のバーニーと、
夫がいる。

仕事が大成功した日も、
反省でいっぱいの日も、
うちに帰る。

4月9日は結婚記念日。
今年は23回目だった。
出張を終えてうちに帰り、
バーニーと散歩し、
その後、帰宅した夫の手には
ケーキがあった。
ありがたい。

夫との23年間。

15年目くらいまでは激動だったと思う。

知り合い、
結婚をきめて、
婚約をし、
一週間後に式場と衣装を決めに母とでかけ、
その一週間後に母がたおれ、
その一週間後に死んでしまった。
父と祖父と私の3人の家。
商売もしていた。
父は、結婚をやめるようには言わなかった。
祖父も何も言わなかった。
計画通りに結婚し、
私は実家に仕事に通った。
祖父が高齢者福祉施設に入所。
その後亡くなり、
父は一人になった。
私たちはアパートから、
義父母との二世帯住居に移り、
父は週末我が家に来てくれたり、
私たちが実家に行き、一緒にごはんを
食べたりした。
しかし、父の突然の死。
実家の家業を廃業することに決め、
その手続きを、夫は一緒に背負ってくれた。
どんなささやかなステップも、
夫は共にいてくれた。
自分の仕事が終わった後に
私の実家に来てくれて、
夜中まで整理を手伝ってくれた。
いろいろな人に一緒に頭を下げてくれ、
逃げ出したくなる場所についていってくれた。
実家の店をしめる日、
夫は付き合いで飲みにいっていて、
私は彼を待たずに先に寝た。
朝起きると、
手紙がおいてあった。
「今までよくがんばってきたね。
 この決断は間違ってないよ。
 あなたのためになるよう
 精一杯がんばります」
と書いてくれてあった。
しばらく、家庭内の仕事だけしていた時期も、
夫は何も言わなかった。
義父が経営していた会社に入るようにとも
言わなかった。
「あなたはさんざんがんばってきたら、
 あなたの好きなことをすればいい」
と言ってくれた。
私はカウンセリングの勉強を本格的に
始めた。
私のスクールカウンセラーの道を
開いてくれたのも、彼だ。
学校に仕事で出入りしていた彼は、
ある校長先生に篤く信頼されていて、
その校長に
「妻が相談員をめざしている」
と言った一言が始まりだった。
当時はまだゆるい採用で、
「君のパートナーなら絶対信用できる。
 すぐに履歴書送ってくれ」と話が進み、
その日があっての、今日となる。
「コミュニケーションのトレーナーになりたい」
と相談した時も、
「あなたは、それが、多分、あっている。
 やってみれば!」
と言ってくれた。
当時は講座が静岡ではなく、
最初のステップから全て東京に通った。
お金も時間もかかる。
その間の家事もできない。
それでも、何も言わないばかりか、
応援してくれた。
私は、自分で望んで始めたことなのに、
失敗してはよく落ち込む。
それを励まし続けてくれた。
いつも、どんな時でも、
「あなたは、そのままで大丈夫」
「それはあなたの天職だから」
「あなたの仕事は技術も必要だと思う。
 練習も必要でしょう。
 でも、俺が考える、
 ソレ以外の重要なものをあなたはもってる。
 あなたは、その仕事があってる」
そう言い続けてくれてる。
出会った時には、そして結婚する時には、
私が今のような働き方をするとは、
考えてもいなかったと思う。
私だって、そうだもん。
でも、その時その時に、私が選んだ私の道を、
そばで、にこにこと、時には心配そうに、
それでも、応援だけはいつもしてくれていること、
伝わってきていた。


今朝のワイドショーで、
ダルビッシュが投げた時のキャッチャー、ナポリ選手が、
ダルビッシュの似顔絵のついたTシャツを着て、
記者会見に現れた様子をやっていて、
私は、そうやって支えるナポリみたいな人になりたいな
なんて考えて、

いやいや、身近にモデルがいるじゃんと思った。
誰かを支える時にはどうしたらいいかのモデル。
テキサスまでモデルを求めなくても、
私には身近に、
尊敬し、信頼するモデルがいる。

うちにいる。

私が帰るうちに、いる。

ま、お互い、完璧じゃないし、
そりゃ、
彼が多分ちょっとは我慢してるように、
私だってちょっとは我慢してて、
彼が多分してるみたいに、
ちょっとは遠慮してて、
そして、
うち が、
安心して落ち込めたり、しょげたり、
だらしなくできる うち であるようにと、
ちょっとはお互い考えてて、
でも、基本的には
相手がにこにこしているといいなって、
多分、お互い、ちょっとずつ思ってると思う。

こんなカンジでやっていけるといいな。

そして彼がしてくれているみたいに、
彼の一番の理解者、応援者でいたいと、
これは、ちょっとじゃなくて、
強く思っている。
















author : tanizawa-k
| 日常 | comments(6) |

魂の世話

【2012.04.07 Saturday 12:36
 以前、子どものコミュニケーションに
関することで取材を受けた件を
ここに書いたが、
それが今日4月7日(土)付け
朝日新聞の朝刊の26面、
「教育」のページに掲載されている。

「新しいクラス、新しい学校。
 『うまくやっていけるだろうか』と、
 不安でいっぱいの子がいるかもしれません。
 そんな時、どんな風に考ると楽になるのか、
 哲学者の西研さん(54)に聞きました」
とあり、
まず西先生のお話が掲載されている。

 知らない人の中に入るのは
 誰だって不安だから、まずは大勢と
 仲良くなることより、一対一の関係を
 作ってみようという。その際は「たずね合う」
 ことが大切だ。

とあり、たずね合う方法について
教えてくれている。

次に、
 人とうまくいかない時、解決できるのは言葉と
 いうこと。その時に感情をぶつけるのではなく、
 感情を言葉で表すことをしてみようということと、
 いやなクラスになってしまった時に、いじける
 気持ちがわいてきたら、その気持ちがあることに
 まずは気づき、次の考えるチカラがでてくるのを
 待つといいことなどが書かれている。

そして、まとめがある。ここまでが西先生の話で、

次に、イヤな気持ちの時に、それを伝える方法
として、アサーティブネスの紹介をしてくれている。
これが私が担当した部分だ。

限られたスペースの中で、きちんとまとめてくださって
あって、ここは大事だから絶対に落とさないでほしいと
願っていたことは、ちゃんと入れてくれてあって
ほっとした。

この記事を大学の同期が見つけてくれて、
Facebookで紹介してくれたところ、
みんながいろいろなコメントをつけてくれて、
自分のパターンを振り返ってくれたり、
今のしんどさみたいなものを伝えてくれたりしてる。
私は
「大人もおんなじだよなあ」
とつくづくと思った。

大人も、
本当は
自分も相手も責めないで何かを伝えたいけど、
なかなかうまくいかないこともある。

子どもも悩んでるし、
おんなじように
大人も悩んでいる。

大人はそういう時の救急絆創膏みたいな
ものを用意してあって、
たとえば、
誰かにきいてもらうとか、
一人カラオケとか、
寝ちゃうとか、
やり過ごす自分なりの方法を持って、
それらを使ってなんとかかんとか
日常を続けているんだけど、

でも、心の奥の方で、

自分の意見や感情を、相手のことも責めないで、
ちゃんと伝えてみたい
って思ってることが多いようだ。

それって、素敵だなって思う。

本当はこうしてみたいって考えの
小さな芽生えを大切にできるって、
いいな!って思う。

そのことが、
自分の魂を世話していることのような気が
する。


「魂の世話」とは、
この特集の西先生の話の中で
出会った言葉だ。



「 ソクラテスという大昔の有名な哲学者は
 『魂の世話』をしなさいと言っていた。
 自分にとって何が大切で、価値あるものか
 よくわかっている状態にしよう、
 ということだ。
  ひとり遊び、何かを創り出してほめられる、
 役割を果たすー。自分は何を喜びと感じ、
 何を必要とするのか、時々立ち止まって
 考えてみよう。自分にとって大切なことが
 わかれば、そこに向かってまっすぐに進んで
 いける。
  新しい場所で、よりよく『魂の世話』を
 するにはどう工夫すればいいか、考えてみ
 てはどうだろうか」


「魂の世話」・・・、
こうしたい、
こうありたい、
これをしていきたい、
これをしている時の自分が好き、

そういうものを
まずは自分で知り、
自分なりに大切にしていくこと、

そう理解していいのかな?


だとしたら、
この特集を読んで、
頭の中にちゃっちゃく何かが芽生えたら、
せっかく芽生えたそのことを
大切に扱うことが、
今日の自分の魂の世話をしたことに
なるんじゃないだろうか。
そんなことを考えた。


私は「魂の世話」をする時の道具として、
アサーティブネスはかなり有効だと思う。
自分も相手も大切にするコミュニケーションが
アサーティブネス。
「自分を大事にしよう!」って言われても、
どうしたらいいか分からないって人、いると思うが、
アサーティブネスを学ぶ過程は、
そっくりそのまま自分を大事にすることになる。
だって、向き合うもの。
めちゃ自分のこと考えるもの。


「魂の世話」という言葉については、
もっともっと知りたい。深めたい。
ってことは哲学かあ。

いいなあ、哲学学んでみたいな。





 



author : tanizawa-k
| コミュニケーション | comments(0) |

「『しがらみ』を科学する」

【2012.04.06 Friday 09:02
 ほぼ日刊イトイ新聞で、この本が紹介され、
著者の山岸先生が、高校生たちに
「しがらみ」について話す連載を
楽しみながら読んだ。

山岸先生は、糸井さんによると
「なぜ社会の中に『人』がいると、
 過ちがおきてしまうのか
 というような研究を
 ずっとしてきた人」
という紹介。

そして連載の中で
「しがらみ」とは
自分たち自らが作っている「縛り」と
言っている。

ええ?縛られてるんじゃなくて、
自分も加担してたの?
じゃ、どうしたらいいの?
そう考える人は多いと思う。


その疑問に、この連載と同じように
答えてくれたのがこの本だ。


まず最初に出会った言葉は
「心でっかち」という言葉。

「ぼくは社会現象について、一人ひとりの
 心に原因があると考える直感的な理解を、
 『心でっかち』な考え方と呼んでいます。
 いろんな社会現象を理解するために、
 とりあえずすべてを心の問題として
 置き換えるところから出発して、なぜそんな
 心の問題が生まれたんだとうと考えるやり方
 です」
そりゃ、そんな単純である訳ないんだよなあ、
この世の中が。

「心の持ち方さえ変えればすべての問題が解決
 すると考える『精神主義』がその極端な例で」
とあるが、
これは結構困ることだと思う。

「心を耕そう」って目標はいいけど、
でもどうする?となったら、
行動レベルで計画しないと実現していかない。

「みんなで智恵を出し合っていい会議にしよう」
といくら気合いを入れても非効率なことが、
ちょんさんの「ホワイトボドードミーティング」
という方法では可能性が高まる。

そういうようなことだ。

私が「CL/建設的な生き方」を基本としているのも、
感情は大切なものだけど、それはそのまま受け止めて、
目的に向かって行動を変えていこうという、
その理論が実際的だってことと、
では行動のひとつ、コミュニケーションを取る
時はどうしたらいいかの理論とスキルが
アサーティブネスにはあったから、
車の両輪になっている。

山岸先生は、
「『心でっかち』な社会の理論が
 若い人たちに一種の『社会恐怖症』
 と生み出している」
と考えてるようなんだ。

そりゃ、しんどいよなあ。
心は不安定なものなんだから、
心にいろいろな原因を求められたら、
外に出て行くのが怖くなるものわかる。
心は不安定であることを
前提にしとかないとなあ。


山岸先生やあるアンケートや実験を通して、
それに参加してくれた方が、
「ほんとはまわりの人からどう思われるかを
 気にしないで、自分の意見をちゃんと主張し
 自分の思う通りに生きたいんだけど、ほかの
 人たちはその逆の生き方をしている。自分が
 理想としている生き方を、ほかの人たちは好
 んでいないみたいだ。だから、あまり素直に
 自分の理想通りにしたらみんなに嫌われて
 しまうだろう、」
と考えていると結論づけている。

「実際、独立的な生き方をしている人について
 書いた文章と、協調的な生き方をしている人
 について書いた文章を読んでもらって、
 『あなた自身はどちらの生き方をしている人を
 より高く評価しますか』とたずねてみると、
 多くの人は独立的な生き方をしている人の
 ほうを高く評価するんですね。
 そこで次に、ほかの人たちはどちらの生き方を
 より高く評価すると思いますかとたずねると、
 ほかの人たちは協調的な生き方をしている人の
 方を高く評価するだろうと答えるんです」

これ、すごくすごくおもしろい。
それが発展して、
「気配りばかりで気後れする人間関係なんて誰も
 望んでないんだけど、ほかの人たちはそうした
 がってると思うから、みんなそれに合わせて行動
 する結果、気配りしないといられない状態が
 生まれてしまう」
という誰も満足しないことが起こるのだ。



じゃあ、どうすればいいか?

山岸先生は、
こういう他者を意識しないと生きていけない
集まりを「世間」と呼んでいて、
その上に「社会」ってもの、つまり、
ちゃんと決まりや法律を守って
いきさえすればいい集まりがあるから、
世間で生きづらかったら、
社会で生きていけばいいと言っている。

大賛成だ。



また、縛りについては、
こう言っている。

「『そんなの馬鹿らしいじゃないか』って思うでしょ?
 自分で自分の自由をしばりつけるなんて。そして
 その結果、誰も望んでいない結果を生み出して
 しまうなんて。だけど、ほおっておくとそうなってしまう」

だから、

多少なりとも自由になろうと。

まずは自分で、
自分の自由をしばりつけているってことを自覚して、
自分はそれをなるべくしないように気をつけよう!
って。


私はここまで読んできて、
もう嬉しくて嬉しくて。

このこと、理論的には理解できても、
どうやったら自分を縛りから開放できるか、
その方法って多分、なかなかわかりずらい
ことだと思う。

でも、
アサーティブネスという
コミュニケ−ションのあり方を学んでいく過程で、
人がもつコミュニケーションにおける権利を学ぶことで、
まず、大分理解が深まると思う。

さらに、それを実現していくためのスキルを学ぶことで、
頼むなんて評価を下げそうでできないと
思っていたこと(←これも自分にかけてる縛り)や、
断ったら後の人間関係に響くと思って(←これも縛り)
言わなかったことの、
言い方を知り、
小さな実践を体験することで、
結果を予想していたその自分の思い込み(縛り)に気がつき、
そういうことの積み重ねが、
縛りから自分を開放していく。

いきなり大きな縛りを破壊するのではなく、
小さなところから少しずつ実感を重ねることを
おすすめしてるが、
小さな成功は、
次の自分の縛りをみつけさせ、
しかも、トライする意欲を引き出すもの。

そういう方々をたくさん見てきたから、
またしても自分のやっていることに、
違うところからお墨付きをもらった、
そんな気分で嬉しくてたまらない。



この本に出てくる
血液型、
人種差別、
いじめ、
スウォドリングという子どもの抱き方、
すべてが分かりやすく、
とってもとっても読みやすい。
しかも、大切なことがいっぱい書かれた本。

超おすすめだなあ。

















author : tanizawa-k
| | comments(2) |


谷澤 久美子
counselor