2012年02月の記事 | 今のところではありますが…
アドバイス。

【2012.02.27 Monday 10:26
走ってて、もうダメだって時に、
小学生の時に先生に教えてもらった、
「苦しくなったら腕を振れ!」を
思い出しがんばる件は以前も書いた。

これは私の人生史上、
ベストのナイスアドバイスだと思う。

こういう精神論でなくて、
すぐやれて、
それでめっちゃ効果あるアドバイス。

しかも、理論的根拠が、
きっとどこかにあるかもしれないけど、
そういう疑問など蹴飛ばしてしまうほど、
本当に効くアドバイス。
すごくいいな。

それを
他にもうひとつ思いついた。

それは美容院でシャンプーしてもらっている時だ。
最近、全部寝てしまうのではなくて、
背中がリクライニングする感じで、
そのままシャンプーしてもらえる台があるが、
あれで洗ってもらう時は、
顔を覆う紙?をかけてはもらえない。
あまりにも微妙な角度なので、
何か覆うとすると、するっとしてしまうんだろうな。

なんか、その日、私はいまいち、
メークがへんで、
特に目の辺りが、
アイラインがにじんでしまっているんじゃないかと
気になっていた。
気になっていると
肩に思い切り力が入る。
緊張してる感じを、
悟られるのも、なんかイヤなので、
「アイラインがにじんでないかと、
 ちょっと不安でね」
と言葉に出して、
その瞬間、ふと
「そうだ!こういう時は、
 足に力いれるんだっけ。
 そうすると肩の力が
 ぬけるんだっけ」
と思い出した。

これは、父のアドバイス。
運転免許を取るとき、
仮免の後、
路上の練習を父はよくつきあってくれた。

ガチガチに緊張し、
肩に力は入りまくりでハンドルを握る私に、
「右足に力いれてみろ」
と言ったのだ。

右足に力いれると、
なぜか肩の力はすっとぬけて、
それでハンドルの操作が滑らかに
できるようになった。

この時も、すっと肩の力は
ぬけていく。

こういう、四の五の言わせない
最強のアドバイスって、
なんか、いいなあ。

そんなこと考えながら、
髪を染めたり、切ったりしていただいている時に、
私を担当してくださっている方に、
「そういうコレぞ最強!という、
 美容師さんの先輩として後輩にする、
 代々伝わっているようなアドバイスって
 あるの?」
と質問してみる。

すると、
「そういうものは、あるかな?どうかな?」
と考えられた後に、
「そういうアドバイスではなくて、
 本当にそうだなと実感が伝わっているものは
 ありますよ」
と教えてくれた。

それは
「シャンプーが下手な人は
 何をやっても下手」
なんだそうだ。

どういう意味?
ときくと、
 シャンプーは、手順もいろいろあるんだけど、
 手順やスキル以外のものが大きい。
 シャンプーは小学生でもできる。
 でも、だからこそ、本当にお客さんのことを
 思いながらシャンプーしてるかどうかって、
 手を通して伝わってしまう。
などと、教えてくれた。

なるほどなあ。

まずは、手順を間違えないようにやる。
次はスキルを磨く。
その次の段階が、すごく難しくて、
言葉やお手本を見せるようなことでは、
なかなか伝わらなくて、
でも、こういう言葉が代々伝わっているってことは、
きっと、
「考え続けなさい」
ってことなんだろうなあ。

こういうことが、
いろいろな職業にあるんだろうな。


すぐに実行し、すぐに効果がでる、
具体的な行動に結びつくアドバイスは最強だけど、
そうではない、
ずっと考え続ける系のアドバイスは、
最深なアドバイスなんだろうな。

両方大事だなあ。






author : tanizawa-k
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あこがれ。

【2012.02.25 Saturday 14:25
あこがれの女性たちがたくさんいる。

ミラノに行った時、
「10コルソコモ」で、
フランカ・ソッツアー二さんを見たときは、
興奮してドキドキが止まらなかった。
彼女はイタリアのヴォーグの編集長。
ショーを見に来ているプレス達を撮った
雑誌の特集記事でも、
彼女はいつもすごくかっこいい。

アウンサンスーチーさんの
「自由」に対するぶれない姿勢も、
あこがれる。
自宅軟禁をとかれて以後、
時々毎日新聞に寄せられる記事にも、
彼女の信念みたいなものが表現されている。
髪にさしている花や、
からだをピタっと包んでいるスタイルが
すごくいいと思う。

キャサリン・ヘップバーンさんの、
潔さも好き。
あの頃、女優に求められていたものを
スタイルであらわすと、
柔らかい素材のドレスと、
完璧なメイク、
結い上げた髪・・・
という感じだったと思うけど、
彼女は、無造作にまとめた髪を
頭のてっぺんでシニョンにしたり、
トレンチコートをはおって、
大股で歩いてる写真を見たこともあって、
求められていることより、
自分がしたい装いをしている感じだった。


今、一番気になるあこがれの人は、
フランスの経財相を経て、
IMFの専務理事に就任した
クリスティーヌ・ラガルドさん。
IMG_0610.JPG
雑誌に特集記事が出ていて、
思わず購入してしまった。


IMG_0611.JPG

この上の写真の真ん中、
私はこれまでロングのブーツは、
正式な場では履かないものだと
思い込んでいた。
でも、ちゃうんだなあ。

IMG_0612.JPG

日本の女性の政治家の方々って、
よく赤や、白や、ピンクや、
目の覚めるような色のスーツを着てることが多い、
あれは、圧倒的に人数が多い男性の中で
存在感を出したくてすることなんだろうな。

でも、仕事で存在感を出しているラガルドさんは、
紺や黒やグレイのスーツで、
十分に目立っている。


IMG_0613.JPG

知的で、
報道でみる限り、
いつも堂々としていて、
誰といても対等感があって、
スタイルがあるラガルドさん。

あ〜あ。かっこいいなあ。




author : tanizawa-k
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本当に偶然か?

【2012.02.24 Friday 09:10
野口喜則さんという方のメルマガを取っている。
昨日送られてきた記事の内容は
「予期しない偶然性」というもので、
本屋などで偶然手にとった本を
何気なく購入し読んでいて、
「まさに、今の自分に必要だった」と
思うことありますよね・・・
的な記事だった。

まったく同感で、
そういうこと、よくある。

最近でいえば、
岡本太郎氏の「壁を破る言葉」。
普段なら多分手に取らない類の本だけど、
なぜかひっかかった。
で、結局その本の中から今の自分に
必要だった一文「壁は自分自身だ」と出逢い、
仕事の質を考え直すことができた。

しかし、それって、本当に偶然か?
ってちらっと思ったんだ。

それで
偶然じゃなかったら何?と自分に問いかけ、
今のところ、二つの答がみつかった。



ひとつは、
「無意識の中の要求」ってこと。

どちらかというと、
「そういうこともあるよ。
 ぼちぼちやろうよ」系が好きな私が、
そればっかじゃ、ヤバいよ!
という防衛本能のようなものが、
無意識の中で動き出していたんじゃないか?
ちょうどそういう頃に本屋に行き、
たくさんの本の中から
「壁を破る言葉」に
スポットライトがあたったんじゃないか。

テーマを持って本屋に出かけたら、
自分のテーマに沿った本を探すと思う。
でも、そうでなく、
なんとなく本屋にいくって時は、
 ①リラックスしたい
 ②刺激・知識がほしい
大体どちらかだと思う。

そしてなんとなく②な感じで
本屋にいくという行動をした時は、
きっと無意識の中でいろいろなものが
動いている時なんじゃないかな?



もうひとつは、
「私の生い立ちからくるパターン」。

私は商売をやっている家に生まれていて、
とことん、「元を取る」ってことに、
こだわるとこがあるんだよなあ。

時間とお金と労力を使って学んできたことを、
絶対中途半端でやめられないっていうか、
とにかく元を取れる感じになるまで
やめないってとこ、私の中にあると思う。

これが本や映画との出会いの中では、
良い方面に働くと思うんだ。

絶対、何か得してやる!的な。

どの本の中からでも、
どの映画の中からでも、
美術展からも、
舞台からも、
何か、コレッてもの、見つけてやる!
のようなところがあるかもなあ。

これはネガティブに働くこともありそうだ。
だって、別に、全てのことから、
何かを感じなくてはいけないとか、
何か学ばなければいけないとか、
ないものね。

それらのに、自分にムリを強いたりしたら、
それはしんどいよなあ。

しかも、自分に強いることは、
他者にも強いる可能性があるってこと、
ちゃんと自覚していたいな。



ただし、こんなふうに考えたとしても、
やっぱり「予期せぬ偶然」だったとしても、
本との出会いの中には、
様々なことが起こる。

人は他と出会って
自分を知っていく。

本は手軽にできる他との出会いだ。

そろそろ春休みに読む本を
どれにしようか探してみよう。















author : tanizawa-k
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高校時代のこと。

【2012.02.21 Tuesday 22:55
事情があって高校時代のことをあれこれ思い出している。

片岡義男を片っ端から読んでた。
クリント・イーストウッドが好きだった。
MCシスターから、アンアンへ雑誌を変えた。
友達と交換日記をやっていた。
女子高だったので、下級生の女子にモテた。
(そうかあ、モテ期はあそこだったか、
 そかも、女子で使い切ったかあ、残念)
家出を試みたことがあること。行き先は鎌倉と決めていたけど、
寝坊しておじゃんだったこと。
確か「一つ目小僧」というブランドの服が好きだった。
教室でおかしを食べていたのをみつかって、
「教室でお菓子なんて、トイレでお菓子食べるのと、
 一緒です」と担任に叱られ、
中途半端な例え・・・と思ったこと。
世界史で学年2位の成績だったことがある。
しかし、一瞬だったこと。(しかも、今はまったく覚えてない)
修学旅行先が中学と同じで、
それはあんまりだと署名活動をしたが、却下。
生徒会長をやっていて、お昼の放送で延々演説をし、
5時限の授業を30分くらいにさせたこと。
しかもその演説内容が、
「みんな、もっと熱くなれ!」的な、
相当うざい内容だったこと。
バレー部だったこと。
バレー部の顧問の先生が本当に本当に好きだったこと。
(今でも泣けるほど、好き)
顧問の先生は、いつもいつも私の味方にたってくれたこと。

ああ、バレーボール部!
同じ学年の子たちは、
体育系の部活がいやになってしまって、
集団でぬけてしまった後、
それでもバレーボールが好きだった私は一人続ける訳です。
他の学年がいろいろな行事などの準備で
部活に出てくるのが遅い時など、
私は一人で運動場で、走っていたりなど、
していた訳です。
ある日の部活の話し合い。
顧問の、マンさん(←佐藤先生、くまみたい)は、
「みんな、池上(私の旧姓)のことを考えてやれ」
そう言ってくれた。
「一人で準備して、一人で走って、
 みんなを待ってる池上のことを、
 考えてやれ」
ああ!マンさん。
(51歳になった今でも、
 あの時のマンさんの声の感じを覚えてる)


数学が極端にできなかった。
体育祭の応援団の団長をやった。
約40分の電車通学、行帰りいろいろ考え、
よく電車の中で泣いていた。
TVで「エマニエル夫人」の放送があったとき、
厳しい家庭で絶対に見せてもらえないというか、
見たいと口に出せないと言う子を家に泊めて、
確か妹と3人で見た。
ある日、休みの日に友達と街におしゃれして出かけた。
次に出かけたとき、その友達が、違う子と歩いてて、
しかも、前の私のスタイル、そのままマネしていたことに
裏切られたような、ショックを感じた。
夏休みなど長い休みの宿題は、
計画は立てるし、最初はちょっとやるが、
やっぱり最終的には最後の最後に、
ものすごくいい加減にやった。
汗っかき。
靴下、左右若干違う色とか、全然平気だった。
一時期清水健太郎が好きで、結婚する妄想をしていた。
矢沢永吉も好きだった。後楽園スタジアムのライブを
高3の夏に見に行って、ソレ以後ぼけ〜っとしてしまい、
こんなんじゃいけないと思いつつ、
高3の夏は勉強せず。

一番の問題は、
大学だった。

両親は、いずれ家をついでお菓子の製造卸販売の会社を
経営するのだから、
経営学部にすすんでほしいと願っていた。
あるいは、ま、短大くらいにいってほしい的な。

私はとにかくそれがイヤ。
はっきり伝えて正面から傷つけるのもいや。
かといって、親に押し付けられた進路はもっといや。
ふてくされた態度と、いやいやオーラで、
親が気がついてくれて、
「おまえの好きなようにすればいい」と
向こうから言ってくれるのを待つ感じ。
しかし、親には親の思いがあり、
そんなこと言う訳ない。
私のとった方法は、なんと不誠実、
なんてひねくれているんだろう。
担任の先生に悩みを打ち明ける感じで、
「アナウンサーになりたい。
 ついては、日大芸術学部に行きたい。
 でも、どうしても親の理解が得られない」
と訴え担任から説得してもらうことを試みる。
ちょっとだけ親が引きそうなところで、
「いずれ後を継ぐんだから4年くらい
 遊ばせてほしい」
と、嘘つきだよなあ、これは、
とにかくそんなことを言う。

今まで、このあたりの過去のことを、
いろいろ思い出してみたけれど、
どうやら、これがあの時の真実に近いかも。

本当にアナウンサーになりたい訳ではなくて、
家を継ぐ以外のことをやりたかったし、
でも、アナウンサーになりたいって思い込んで、
いろいろしてたんだろうなあ。



今日は、午後から高校生に
コミュニケーションについての講演をする。

今の子どもたちも、
きっといろいろな葛藤があるだろうな。
友達関係も、メールがある分きっと複雑だし、
生きていくメニューが増えた分、迷いもあると思う。
しかも、生まれた時からずっと不況の中、
成長している彼ら。
いい大学に入れば、一生食べていける仕事につける、
なんてことは幻想だし、
かといって、
起業して成功している人の話をきいても、
そこまでがんばるエネルギーに
自信がない子もいるだろうな。


その子たちに、
私でいいのかどうか分からないけど、
自分って人間を見せてくる。

悩みつつ、準備をすすめてる。







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寄り添う他者の存在。

【2012.02.20 Monday 21:29
光市母子殺害事件で
最高裁での死刑の判決に対し、
元少年側の上告が棄却された。

私は「死刑」という制度には、
納得できない部分が多い。
しかし、一番重い罪が今のところ死刑であれば、
やはり、元少年は死刑に値する罪を犯したと思う。

被害者の本村さんの書かれた本や、
彼の記者会見などをよく見ていたし、
元少年の弁護士たちの、
死刑制度に反対するという自分たちの意見を
表現する場に使ったような見えた
不誠実な態度には腹が立ったこともあるし、
だから、これは、もしかすると、
被害者家族側に立った意見なのかもしれない。

それにしても元少年に対する死刑という刑は
確定した。

元少年は、
幼い頃から父親の暴力を受けて育ってきた。
母親が父親から暴力を受けているところも
見ていた。
その母親は彼が中1という思春期まっただ中に、
自死を選んだ。
その後、彼が高校2年生のときに父親は再婚し、
それを契機にそれまで明るく、
元気に学校に通っていた彼とは
違ってしまってきたらしかった。

その彼が、最近、
記者の取材か、弁護士への話かは
分からないが、
「誰かに話しをきいてほしかった」
と話しているとTVで報道されていた。

小さな時から虐待を受け、
自分の「帰る場」だった母親が
虐待を受けているのを見ていた彼。

誰かにその苦しさを分かってほしかったんだと
思う。
でも誰に言っていいのか分からなかったと
思うし、
なんと言っていいかもわからなかったと思う。
言っていいものかどうかも
分からなかったんじゃないだろうか。

大切な大切な存在であった母親が
亡くなったあとも、
学校では明るく振る舞っていたというが、
心の中の葛藤を、
彼はどう処理していたのだろう。

きっと、いろいろ考えたり、
感じたりすることを、
無意識の中で止めて、
自分を守っていたのではないか。

今晩のニュースに、
高校1年の担任がVTRで出ていて、
なんとかしてあげられなかったかと
悔いてらしたが、
そういう、
寄り添いたいと思っていた人がいても、
どうしようもなく、
漫然と時間が流れてしまうことがあって、
そのことを、学校での活動に結びつけてみると、
心が痛い。


私は改めて想う。

人が心のエネルギーが不足して、
自分のことをだめだと思ってしまったり、
もう何をやっても意味がないと考えたり、
どうにもならなくて、
また、周りの人の目が必要以上に気になって、
にっちもさっちもいかなくなってしまった時、

その心が回復していくために、

寄り添う他者の存在は必要だと思う。
他者の心が、必要なんだ。
他者の心が、そばにあることを知って、
安心して、心のひずみは回復をしていく。

人は、
一人では何も出来ない状態で生まれてくる。
どうしようもなく社会的な動物なんだ。

だから社会、
最小単位でいえば、
誰かもう一人、
その心が近くにあることで、
回復の道程に進むことができる。


元少年が、
これから死に向い、
反省や後悔や恐怖や、
様々な葛藤と向き合う時、
誰かがそばにいてくれていると
感じられるといいと思う。

そうして、
幼い時に
なぜ、助けを求められなかったか、
どういう手の差し出し方だったらよかったか、
その時ほしかった支援はどんなことだったか、
それをどのように提示されたら受け入れられたらかなど、
これからに活かせることを、
私たちに教えてほしいと思う。

そして本村さんが、
私たちに示してくれた
死刑制度を含めたいくつかの問題は、
考え続けていかないとと
思う。








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今だよなあ、今!

【2012.02.18 Saturday 21:27
岡本 太郎
イースト・プレス
¥ 1,050
(2005-04-01)

先日、代官山のTSUTAYAに行った。
めちゃくちゃおもしろくて、
気がつけば2時間もいた。
いや、本当はもっともっといたかった。
でも次の用事があって切り上げた。

その時何冊かの本とCDを購入。
その中の一冊がコレ。
岡本太郎氏の言葉集だ。

今日の私にぐっときたのは、
「壁は自分自身だ」
という言葉。

私をどこからか見てるのか?
と思うほど、
今の私にちょうど必要な言葉だ。


私は、
来週、中学1年生にむけて授業をする。
夕方からその準備をしていた。

この時期、ここ3年毎年、
保健室の先生からの依頼で、
同じ授業をしている。
凹んだ時にどう自分を安定させるかがテーマ。
事前学習として、
子どもたちには「心の健康」俳句(もどき)を
書いてもらう。

全作品を眺め、
昨年のパワーポイントのスライドを全部印刷し、
私は、
昨年の子どもたちの俳句と似た俳句を探す
作業をした。
昨年使ったスライドに、
今年の子の作った作品を上書きすれば、
今年の授業になる。

しかし、
心の中でちょっとした葛藤はあった。

同じことやるの、どうよ?自分。
でもさ、ここのところ、講座講演続きで、
いろいろあったからさ、
ちょっとくらい手をぬいてもいいんじゃない?自分。
いやいや、
今年の子には、今年の子の授業をしないと、
目の前の人を見ずに授業することになるぞ,自分。
そうはいっても、その後の高校生向けのも
やらないとならなくて、
あんまり時間をかけられないよ、自分。


そんなことを思いながら、
準備は進めていて、
ちょっと休憩、お風呂に入る時に
持ち込んだのがこの本。

とびこんできた言葉が、
壁は自分自身だ」。


そう、私が乗り越えていきたい壁は
私の中にある。

成功体験によりかかる自分のくせ。
そして、明日を心配しすぎて、
ついつい臆病になり、
丸く納めようとするくせ。

よかった過去のこと、
不安な未来のことを考えすぎて、
時々「今」をないがしろにすること。

昨年、この授業の中で
中学生にむけて書いたメッセージ。
「過去は変えられない。
 未来も今はまだ変えられない。
 変えられるのは、今だけ。
 この瞬間だけ」

それを、堂々と、授業で、
今のこの私で、
言えるか?自分。


この本の中の別のページには
むかしの夢によりかかったり、
 くよくよすることは、
 現在を侮蔑し、おのれを貧困化
 することにしかならない
とある。

くよくよしたりするのは仕方ないけど、
でも、今できることを精一杯することは、
やっぱ、
大事だ。

それで、お風呂からあがり、
バージョンアップさせた
授業を組み立て始めた。


よし!
昨年とはまた少しだけ成長した私の
授業をしよう。
昨年より葛藤を重ね、
ちょっとだけ深く豊かになったと思いたい今の私の、
授業をしよう。

岡本さんは言う。
もっともっと悪条件の中で
 闘ってみることだね
う〜ん。まだまだそこまで強くは
なれないけれど、
今の私でやってみる。

血を流しながら
 にっこり笑おう
そんなことができたら、
本当にすごいなあ。

あ〜
この本は興奮する。




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振り返り、振り返り。

【2012.02.17 Friday 15:45
バーニーと散歩していると、
小学生の女の子が一人で下を向きながら歩いている。
上履きをもっていたので、
「こんにちは!
 今日は金曜日だから上履き
 もって帰るんだね」
と声をかけると、
「そうだよ。
 でも今日はおばあちゃんちで
 アバターみるから、
 おばあちゃんちにいくんだけどね」
と言う。
「ふーん。おばあちゃんちで
 アバター見るんだ。
 それはいいねえ。8時からだよね」
「そうだよ。
 弟もくればいいのに、
 来ないんだよ」
「ふーん、なんで?」
「ママが好きだからだって」
「あなたもママのこと、好きでしょ?」
「え?そうでもない。
 だって、おっかないもん。
 3歳までは優しかったけど、
 それより後は、
 怒ってばっか」
「そうなんだ。
 あなたも大変だね。
 何年生?」
「3年」
「3歳までは優しかったって、
 しっかり覚えてるんだね」
「そうだよ。
 ちっちゃかったからじゃない?」
「なるほどね。
 今は3年生だから、
 いろいろあるんだね。
 それにしても、
 あなたっておしゃべり上手だね。
 なんかすごくよくわかるよ」
「ほんと?
 学校では早口ッて言われるよ」
なんて話しながら歩き、
角のところで別れた。

しばらく、その会話を思い出しながら歩いて、
茶畑のところにでると、茶畑の向こう側から、
「犬の散歩のひと〜」
と彼女が呼んでくれてる。
振り返ると手を降ってくれてる。

私は手を振り返しながら、
この3年の女の子のママが、
講座に出てくれるといいのになあ!
なんて思った。

きっと、彼女のママにはママの背景があって、
それは忙しさであったり、
こうであってほしいという期待であったり、
この子の成長を思うからこそのしつけとか、
そういういろいろが、
彼女にとってみると、
「いっつもおっかない」という様に
伝わっているんだろうなあ。

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静岡市社会福祉協議会主催
「思春期の子を持つ親育ち講座」
連続3回が、今日終わった。

今回の受講生の方々なら、
彼女のママが参加してくれたら、
「そういうこと、あるある」
「仕方ないよねえ」
なんて笑って話しながら、
彼女のママの日常のいろいろを優しく受け止めて、
で、さ、明日からどうする?
って励まし合えたんじゃないかな?
と私は思う。


今回の講座の受講生の方々も、
本当に素晴らしかった。
参加された動機はいろいろだけど、
ホントに一生懸命に取り組まれていた。

そして、みなさん、私の目から見ると、
どんどん変わられていた。
特に今回は今日3回目での変化が大きかった。

一回目の講座修了後のアンケートには、

(ご安心ください、
 「アンケート結果を開示してもいいでしょうか。
 不可の方はチェックを入れてくださいというボックスに、
 チェックが入っているものは、記しません)

「自分だけかと思ったけど、
 子育てに悩みを感じている人が他にも
 いることが分かって安心した」
というような感想が多く書かれていた。

お一人
「早く家に帰り、子どもに会いたいと思った」
という感想には、
私は、とてもとっても嬉しくなった、

講座を受けてそう思ってくれたなんて、最高!


また質問事項としては
「今が楽しければいいという娘に、
 どうしたら気づかせてあげられるか」
とか
「本音を言わない子にしゃべってほしい。
 どう対応すればいいか」
とか
「反抗的な態度の子どもとどう向き合ったらいいか」
のように、
子どもをより良く変えたい!
そのための質問を書いてくださっている。



これが二回目になると、
もっとぐっと質問が具体的になってくる。

みなさんが安心して表現できる場になって
いることを、とっても感じた。

「ついアドバイスを先走ってしまいます。
 どうしたらいい?と訊かれたときは
 アドバイスを言ってもいいですか?」
「ごほうびで釣ってもいいですか?」
「お母さんは、かたずけが苦手。
 でも上手にできた方があなたたちが
 よい人生を送れるからアドバイスするんだ
 と言ってもいいですか?」
などなど。

感想には
「毎日同じことを繰り返し怒り注意されている子の
 ことが、かわいくないと思ってしまう気持ちに
 とまどいを感じています」
などがある。

本当に正直に自分と向き合ってくださっている。


3回目のなると、
感想の内容が、
自分の内面を振り返るものになってくる。
「自分に足りないものが何かよくわかりました。
 いつも否定的な言い方をしてしまってきました」
「なぜ自分は悩んでいるのかが、
 子どものせいだと思っていたのが、
 原因は自分の中にある、自分の思い込みが
 そうしていたんだと思いました」
「他人、家族に対して、主に目をむけていたのですが、
 3回目でやっと自分自身のわき上がってくる感情に
 OKを出せる感じがつかめ始めてきた気がします。
 やっと、本当にほっとしたようなすっきりしたような
 気持ちでした」
「子どものこと、夫のこと、どうしようどうしようと
 悩んでばかり、眉間にどんどんしわが刻まれていく
 毎日でしたが、自分の努力でみんなが幸せになれる
 のかもと希望がわいてきました」
「子どもに対してだけでなく、自分に対して勇気づけられた
 講座でした。家庭や仕事のことで色々悩むことも
 多いのですが、少しずつでも前向きにがんばることが
 できればと思います。 たくさんメモを取りたかったの
 ですが、追いつけないところもあり残念(←筆者注、
 「申し訳ない」)
 毎回の宿題はなかなかできなかったのですが、頭の
 どこかには残っている自分が、今までの自分とは少し
 変われたと思い嬉しく思います」
「心に少し余裕ができたように思います。今までも
 子どもに対し凸トークはすごくしていますが、逆に
 凹ませトークもおもいきりします。気持ちに余裕の
 ある時はいいのですが、負の気持ち、負の状態が
 続いた時は、どこにもはけ口がなく、ストレス解消
 する場もなく、充実した部分が何もみつけらません。
 そんな時は自分の行動もコントロールできません。
 でも、そんな時は、(よくやっている)自分をほめて
 みょうかと思います」
「私は高校へ行きたくないと思っている現在中2の娘が、
 高校へ行きたくなる様、いろいろな勉強をして子どもに
 接していました。でも、普通に学校に行ってもらうこと
 に目標をもちすぎて、本来の子どもの将来すべてを
 見据えて考えていなかったことに気がつきました。
 思春期の中で、去年より成長している娘をもっと認め、
 今まだ成長しようとしている娘の気持ちをきいて、
 将来のことを一緒に考えていこうと思いました」
「思い込みによる失敗がいっぱいあります。
 改めて反省させられました。小6の息子は、もうからだも
 私と変わらなくなってきました。先日リビングにジーンズが
 脱いだままほおってあったので注意すると、私のジーンズ
 でした。ちらかす=息子 のイメージが私の中にあることを
 強く認識した出来事でした。
 自分の子育て、自分自身を見つめ直す、よい機会になりました」

・・・
などなど、
一回目の後の「子どもを変えたい」とは大きく違い、
自分を振り返る受講生の方々!!!
あ〜なんて、すごいんだろう。
すばらしい。

様々なことに気づき、
具体的な方法を掴んでいってくれてる感じが
伝わってくる。



出逢ったばかりの方々が、
離れ難そうにいつまでもおしゃべりしている姿を
見ながら、
あ〜やってよかったなあと
私はつくづく感じたのだ。




バーニーの散歩の時に会った3年生の女の子の
ママも、
きっと、いろいろな思いがあるんだろうな。
そして、今はその方法がベストと思ってやって
いるんだろうな。
それはそれであり。
でも時々、言い過ぎちゃった自分が
いやになる時もあるんじゃないだろうか?
もし、もし、そうだとしたら、
そのママにも、いつか出会えるといいなあ。

と、余計なお世話なくせが顔を出す私です。





author : tanizawa-k
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「私の愛した男について」

【2012.02.13 Monday 13:09
田口 ランディ
角川書店(角川グループパブリッシング)
¥ 1,470
(2011-12-23)

表題始め4つの小説が納められている本。

田口ランディさんには、
これまでも相当いろいろ影響を
受けてきたのだけど、
今回のこの小説集の中の「命につけし名」は、
すごかった。

この小説のテーマは「言葉」。
「コマサ」と呼ばれる登場人物は、
本来なら言葉を習得する時期に、
親は彼が聴覚に障がいがあることに気がつかず、
その後知的障がい者として育てられ成長した青年。
しかし親が亡くなってしまって一人ぼっちになり、
教会の中にいたところを主人公の女性に見つけられた。

教会を訪ねてきたソーシャルワーカー橋本によって
彼の聴覚障がいは発見される。

この橋本の説明が本当にわかりやすい。

「彼は、本来、人間の脳が言葉を習得する時期に
 言葉を習得していません。ですから、彼はたぶん、
 未だに言葉というものを知らないのです。言葉と
 いうものは人間の精神を形成しているんです。
 言葉がなければ、思考できません。それゆえ
 コマサ君は思考ができません。見ることはできても
 見たものを意味付けすることはできません。
 意味は言葉だからです。経験を積んでもそれを
 意味あるものとして記憶に蓄積することができない
 ので、知的障がい者のように見えてしまうんです」

以前、言語聴覚士の方が書いた本を読んで、
言葉のもつ三つの役割を知った。
1・コミュニケーションの道具
2・思考の道具
3・行動を抑制する道具

この3つの違いを理解しているのだが、
特に2つ目と3つ目の違いと他者に説明
する時に、とても難しいと感じていた私。


私は聞こえるし、
モノには名前があり、出来事に意味付けすることも、
行動を言葉に置き換えて頭の中で振り返ることも
可能だ。

人はこの世に誕生して、
親や周りの人々から話しかけられ、
耳が聞こえれば、
それぞれに名前があることがなんとはなしに分かり、
言葉によってコミュニケーションしていることも分かる。
しかし、聞こえず、
聞こえてないことに
周りの人たちが気がつかなかったら、
無音の世界が当たり前なのだ。


だから、
やはり2と3は、確実に違うのだ。

頭の中で、言葉を使って考えることは、
たとえば、
「今日はバレンタインのチョコをもらった」
というふうに、
今日の出来事を言葉に置き換えることから始まる。

「食べたいと思うけど、
 今食べると夕飯が食べられなくなって
 お母さんに叱られると、めっちゃ嫌だな。
 じゃ、食後にしよう」
というように、
考え+気持ちやどうしたいかを言葉にした末に、
行動を抑制できる。


牧師は、コマサを自分の手で助けたいと考え、
声を出すことを教える。
クリスマスの日にスタッフのみんなに、
コマサの声を聞かせたいと考えるのだ。
ものに名前があることも、
つまりは自分に名前があることも、
自己紹介ということの意味も何もしらず、
何のためにそれをやるかもわからないまま、
自分の名前の音を発生する練習をさせられ、
クリスマスの食事の席で、
牧師に促されやっと言葉を発する。
しかし、それは彼にとっては本当に
ムリなことで、
最後の1音を発生したあと、
テーブルの上に崩れてしまう。

彼は言葉を持たないから、
頭の中で考えることも行動を抑制することも
できない。

ただ、からだの中に流れる、
どうしようもないエネルギーを放出するように、
御馳走がならんだテーブルをひっくり返し、
暴れる。


私は、この部分を読んだとき、
涙が止まらなくなった。

コマサのような子どもは知らないけれど、
コマサのように、
上手に言葉で考えをつなげたり、
自分の気持ちを自分の頭の中で言葉で置き換えたり、
そういうことが得意でない子どもたちとの出会いはある。

そういう子どもたちに、
牧師さまのような接し方をしていなかったか、
私は自分を振り返る。
牧師様も悪意はこれっぽっちもない。
私も悪意などひとかけらもなくても、

「私たちはわからないものの前で
 いつも傲慢になってしまうのです」

この言葉は突き刺さる。

私は彼らに、
順をおって、
何をやったらいいか、
何はやらなくていいか、
彼らの立場にたって伝えてきたか?

無理矢理健聴者のようにふるまわせることが
暴力的なことと同じように、
彼らに、ムリな要求をしていなかったか。



橋本が牧師に言う言葉の中に、
「人間は言葉を耳で聞いて、
 他者の力を借りて言語を習得します、
 全世界のどんな国の人も言語の習得 
 の方法は同じです。(中略)
 その時期は2歳から4歳です。その間に
 子どもは親との会話から言語を習得し、
 複雑な文法を短時間のうちに把握して
 自由に使いこなせるようになります。
 それは健聴者も耳の聞こえない者も同じなんです。
 言語の種は誰にでもあります。開花させれば
 いいだけです。」
というものがある。

私が言葉を獲得してきた最初のところは、
両親や家族や周りの大人や子どもたちが、
私にたくさん話しかけてくれたことなんだなあと
つくづくと思ってしまうなあ。

いやあ、すごい小説を読んだ。

私の仕事に、
本当に必要な小説だと思った。
もちろん、他の3編もおもしろかった。
またまた田口ランディさんにやられた。




author : tanizawa-k
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伝える技術を知ってから、より聴けるようになった。

【2012.02.10 Friday 19:09
アサーティブネスの講座を基礎、応用と
受けてくださった方から、
話を伺うことができた。
(その方の了解を得て、
 ここに書いています)

たくさんの嬉しい変化や、
頼もしい効果を聴かせてもらったのだが、
その中で最も感動したのが、
「伝え方を学んで、
 上手に伝えられるようになりたい
 と思っていた。
 だんだんできる時もあるようになってきた。
 できなくても、それほど自分を責めず、
 どこを改善すればよかったか振り返られるように
 なってきて、そういう自分が嬉しい。
 でも、嬉しいといったら何が嬉しいって、
 伝え方がわかったら、
 ちゃんと他者の話を聴けるようになったこと」
という感想だ。

嬉しい感想だなあ。

アサーティブネスでは、
伝える時に、伝えたいことを整理する。
その整理の方法を知ると、
誰かに何かを伝えたいとき、
準備をする方法がわかる。
どういう項目を言葉の中に含めると、
伝わりやすいか、わかるようになるのだ。

自分が伝えたい時にそうだとすると、
他者のことがわかりたいとしたら、
伝えるときに言葉にする項目を中心に
聴くといいのだ。

それが入ってなかったら、
質問すればいい。

そうすると、
その相手のことを分かりたくて聴いていることが
相手にも伝わると思う。


私はカウンセラーとして活動しているが、
カウンセラーの仕事は聴くことだ。
もちろん傾聴のトレーニングは受けている。
傾聴トレーニングは役立った。
そして、それと同じくらい
アサーティブネスで伝える訓練をしたことが、
「聴き方」に建設的な影響を与えてくれた。


相談関係の仕事をされている方、
教師の方などで、
アサーティブ・トレーニングに参加される方は、
クライアントさんや生徒さんの中で
人間関係作りが苦手な人に
教えたくて学ばれる方もいると思う。
それもOK。
それプラス「聴き方」にも効果があること、
ぜひ体験してくれるといいな。

もちろん、職業に関係なく、
どなたにでも習得していただきたいもの。


3月と5月に静岡で行う特別料金の講座。
基礎講座、残席数名分あり。
応用講座は、募集中。
ぜひ、参加のご検討を!

☆ アサーティブ・トレーニング基礎編 
アサーティブの理論スキルを学び練習します。
ちょっとした依頼や断りができるようになります。
・ 日時:3月17日(土)10時〜17時 
      18日(日)9時半〜16時半
・ 会場:ふしみやビル903号
    (静岡市葵区呉服町2−3−1 054-253-2438)
・ 定員:20名(先着順) 
・受講料:20000円(税込み/テキスト代込み)



☆ アサーティブ・トレーニング応用編
いやな言葉を言われた時
どうしたらいいか(批判の対処)、
自分の中に湧いてくる怒りの感情を
どう取り扱ったらいいか、
また複雑な問題をいかに解決していくかなど、
アサーティブネスをより深く知り、考え、練習します。
アサーティブジャパン主催の基礎編、
または上記の基礎編を終了された方(受講予定の方も)が
お申し込みいただけます。
・ 日時:5月26日(土)
      27日(日)両日とも 9時半〜16時半
・ 会場:静岡県教育会館 中会議室
  (静岡市葵区駿府町1−12 054−252−1011)
・ 定員:20名(先着順) 
・受講料:23000円(税込み/テキスト代込


<申し込み方法>
メールで、以下を記入の上申し込みください。
受付後、詳細を連絡いたします。
① 講座の種類 
②氏名 
③住所(〒も) 
④電話番号 
⑤詳細をお送りする時の
 ご希望の連絡方法(電話/携帯電話/FAX/メールなど)
*応用編にお申し込みの際は、基礎編受講の日時、会場をお書きください。

 メール:kumikotanizawa@gmail.com
 (このアドレスに相談の内容を書かれても、
  それについてのお返事はできません。
  ご了承ください)
 






author : tanizawa-k
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自信なんてなくていい。

【2012.02.07 Tuesday 18:28
成功者と失敗者の条件.jpg

↑これがFacebookでよくシェアされている。
私自身もシェアしながら、自分に合うところだけ、
言い聞かせよう!なんて考えていた。

しかし、どうしても違和感があるのが、
「成功する人」の2と9の項目だ。

私は元々、自信は
何かをやった後からついてくればラッキーなもので、
何かをやる前から自信があるののは、
そのほうが変と思ってた。

「信じる」ってのもそうで、
信じられるかどうかは意志の力ではどうにもしようがなくて、
せいぜいできることは、
「信じるって決める」ってことだと思う。

「信じる」と「信じるって決める」は、
似ているようで違う。

「信じる」だと、
疑ってしまったら、信じなくなってしまうが、
「信じるって決める」と、
たとえ疑っても、疑った後に、
「いやいや、私は信じるって決めたんだ」と
信じられることを探すような感じだ。

恋人の携帯電話を見ないってのは、
「信じるって決めた」行為だと思う。



ま、つまり、
「成功する人」のこの12の条件への、
私の違和感はその辺りにあった。


さらに、違和感を感じながら、
思い出したことがある。

以前NHKの「プロフェッショナル」で見た
左官職人の挟土秀平さんのことだ。

彼は有名な建築家からも依頼をうける、
カリスマ左官職人らしい。つまり成功している人だ。

その彼が番組の中で「職人は臆病であれ」と言っていた。

彼は、左官の仕事をチームで請け負う。何人かで現場に
いくそうなのだが、朝集まって職人の仲間達と、
「俺たち、今日、絶対失敗するよな」とか、
「ひどいことになるかもな」とか、
「うまくいかないんじゃないか」などと、
そういうことを話し合うんだと言っていた。

ま、言ってみれば、自信の反対だ。

常に不安を抱えることで、
感覚が研ぎ澄まされ、
慎重に慎重を重ね、
結局は
良い仕事ができるとのこと。
彼は小さい頃から臆病だったらしいが、
臆病であるってことが、
今の仕事に活かされていて、
いい仕事をしている挟土さん。

さらには
「追い込まれたら、逃げろ」とも言っていて、
あせって仕事をするよりも、
逃げて一旦落ち着いて、
それから取り組む方がいい仕事ができるという理論は、
確かにそうで、
「逃げるな、立ちむかえ!」でがんばれる人もいるだろうけど、
私には、「追い込まれたら、逃げる」の方が
あってそうだなあと思った。


・・・と違和感を感じながらもシェアしたのは、
最近の自分に足りないことを思い出させてくれたからだ。
一昨年や昨年は、年の初めに、
その年に学びたい講座などを決め、
申し込みをするなどした。
しかし、今年はしてなかった。

8の「自己投資を続ける」という項目を読んだとき、
そのことを思い出すことができた。

講座や講演会で、
自分の中のものを出し、
伝えることが多くなればなっただけ、
入れてかないとね。

で、昨日から、
スケジュールを見ながら、
今年何に投資するか考えてる。

という訳で、
納得できた項目だけ使って、
自分に活かそうっと。








 
author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor