2011年12月の記事 | 今のところではありますが…
志しちゃう。

【2011.12.31 Saturday 21:02


2011年最後の日。

今年もアネモネを飾る。
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おでんをいっぱい煮て、
大根なますと、
レンコンのつくねなどなど、
お料理をした後、
夫とバーニーの散歩をした。


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今年は本当に大変な年だった。

夫は自分の人生について深く考え、
行動したり、ちょっと立ち止まったりしていた。

私は、今までいろいろしてきたことが、
なんとなくまとまりつつありそうな、
そんな感じの年になっただろうか。

今までと同じことをしているのに、
なぜか、今年、
改めて気づくことも多かったと思う。

その代表的なものが、
「誘う」という行為についてだ。

うちは今まで外でご飯を食べることがあまりなかったが、
今年はよくあった。
それは、私が夫を誘ったからだ。
今まで、なんで食べにいこうって言ってくれないんだろう
と考えていたけど、
それを待つのではなく、
私が食べに行きたかったら、
私から誘えばいいという、
そのあまりにも単純なことに、
自分でもびっくりしてしまうが、
今年気がついた。

しかも、
私は誘い下手だったと思っていたが、
それは、断り下手と繋がっているってことも
わかった。

断ることが比較的楽になると、
誘うのも、楽になる。
断られても、必要以上に凹まないからだ。

これらは、小さいことだけど、
私にとっては、
いろいろなことに繋がる大きなことになると思う。

自分でふるまい方を選び、
その ふるまいの責任を自分で負っていくってこと。

待つよりも、
自分が動くことで解決に向かうのなら、
まずは自分が動くってことが、
かなり気持ちがいいって、分かったんだよなあ。


まとまりつつあることの、
ヒントは本との出会いからもやってきた。

「途上国の人々との話し方」、これは、
本当に素晴らしい出会いだった。
このことを知ったことは、
私にとってすごくすごく大きなことだ。

コレを知って以降、
フィードバックの意味が、
イキイキとしてきて、
それこそが、学びの核だと
今は思うし、
講座の中で、受講生の方々が、
日常で自分でフィードバックできる(分析)ように
なることを、常に頭においていると思う。

P1010034(変換後).jpg

今は↑この本が手元にあり、
しょちゅう広げている。

世界の中で起こったことを
写真を通してみてる。


そして、今年一番の出来事は、
Facebookで、28年ぶりに大学の同級生たちと
繋がることができ、再会を果たしたことだ。

同級生が制作したテレビ番組の中で、
その頃から「伝える」ってことにこだわっていたことも
知った。

あの頃からそうで、
ずっとそうで、
今もそうで、
そういうことがまとまりつつある今年。

来年は、
もっともっと発信をしていこうと思う。
もっともっとコミュニケーションについて、
いろいろな方と一緒に考え学ぶ機会を
増やしていきたい。

もう、それが、
(ええい!恥ずかしいけど言ってしまえ)
「志」なんだ。

様々な方々が、
「いろいろあるけど、
 この自分でまあまあいいか。
 この自分で、今やれることやっていこう」
と思ったとき、
やれることのひとつとして、
自他尊重のコミュニケーションのあり方を
そおっと差し出すこと。

そうすることで、
様々な方々が自分を大事に生きていくようになる
(もちろん、自分だけを大事にすると、
 そういう自分を自分で責めたりするから、
 自分を大事に生きていくとは、他者も大事に
 できることとイコールなのだけどね)
手伝い。

それを、「志」って言っちゃう。

わかってる、そんな大層なこと言っていいのかって。
時々、私にはまったく悪気はなくても、
無自覚に誰かを傷つけてしまっていることも、
多分あるって知ってる。
私の存在自体をうっとおしいって思う人がいても、
不思議なことじゃないってわかってる。
今年も、いろいろな方に、
迷惑かけながら生きてきた。
そんな私が「志」なんて言葉を
使ってしまっていいのか?
そうも思う。

でも、2012年にむけて、
そう言ってしまおうって、
今日思った。

来年は母が亡くなった年になるんだもん。
そろそろ、まとまりつつ・・・ではなく、
まとめないと!だもん。

P1010032(変換後).jpg

今年一年、
本当にありがとうございました。

来年も、
皆さんが、
ご自分自身を活かすことができますように。
たとえ、悩んだり、凹んだり、くやんだり、
悲しいことがあったとしても、
また笑い、立ちあがり、前をむき、
目の前の必要な行動をとっていかれますように!

来年も、
どうぞ、よろしくお願いいたします。

谷澤久美子




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繕う。

【2011.12.30 Friday 20:25

カーテンが何カ所か破れてしまって、
ほっとくとその穴はもっともっと大きくなっていきそうで、
もちろん丸ごと変えたいのは山々だが、
その前に繕ってみた。

この繕うという言葉が好き。

林真理子さんは、
コピーライターだった時代に、
西友の広告で
「つくりながら つくろいながら くつろいでいる」
というコピーで賞をとった。
私はこのコピーが好きで好きで、
針をもつことなどほとんどない私だが、
それでも持つ時は、必ずこのコピーを
頭に思い浮かべている。

私がカーテンと格闘している間、
夫はお風呂のタイルの目地をうめる作業をしていた。
DIYのお店で買ってきたらしい道具を使って、
まるでタイル職人さんのように、
丁寧に目地をキレイにしていた。

今日は夫も私も、
繕う日だったんだな。


繕うという言葉は好きだけど、
繕うという行為そのものも、
私は好きなんだと思う。


なぜ好きなのか、
今日は考えながら縫ってみた。


「作る」はゼロからだけど、
「繕う」は、一旦100%になって、
その状態も知っていて、
でも、そこから何%か欠けて、
そこからより良くしようとする行為だ。

もちろん、
ゼロから作る、
クリエイションってすごいことだ。
それもいいけど、
繕うという行為が好きなのは、
いい状態を知っているだけに、
そうではない今を受け入れて、
でも、より良くしていくために
努力していくってのが、
私っぽい気がする。
「完璧じゃない状態を受け入れる」という
段階ってのが、もうまったくもって
私の好みなんだと思う。
決して派手ではなく、
すごく地道な、
でちょっと悲しいっていうか、
だって、どれだけがんばっても、
元通りには、ほとんどの場合ならない訳で。
でも、より良くしたいという
そのメンテナンスって行為。
それが、なんか、
私らしい感じがする。



毎年、12月31日と
元旦の日はやることが決まっている。

31日はひたすらお料理DAY。
そして元旦は、約30人のお客さんのおもてなし。
これはもう、12年間毎年だ。
(元旦のおもてなしは、
 結婚以来だから、
 もう22回やってきてる!!!)

そして、29日の過ごし方も、
やはり10年以上、同じ。
毎年、横浜の中華街に行く。

まず安記さんでお粥を食べて、
ウーロン茶と餃子の皮と
チャーシューと月餅と、
肉まんと黒胡麻のあんまんを買い、
バーニーズニューヨークをうろつき、
元町の方をちらっとひやかして、
萬来亭で酸辣湯を食べ、
横浜駅方面で買物する。

これが29日で、
こうやって、お正月のものを買い出しをしながら、
自分のその時あるほころびや、
これから年末年始に
ささくれ立ちそうになる心を、
先に繕っておくんだと思う。

それで、さ、がんばろう!って、
年末から年始を駆け抜けるんだと思う。


で、カーテンは、
繕った後洗濯をし、
拭いてピカピカになった窓を覆ってる。
あまりにも下手な縫い仕事だったけど、
それでも穴よりましな気がする。


昨日のメンテでがっちり補強したため、
今のところ、
まだまだ、がんばれそうな私です。




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「続」

【2011.12.28 Wednesday 09:27
今、床を3分割し、
そのひとつのワックス掛けが終わりました。
乾くまでの間、
今年の自分を振り返ろうかと思います。

私の今年を漢字で表すと「続」。



いろいろなものを続けながら、
少しずつ結果を手にできたり、
これからへの自信のようなものも
得ることができました。

たとえば、このブログ。
以前エキサイトでやっていた頃を含めると、
スタートしたのが
2004年12月7日だったから、
7年です。
私にしてはよく続いています。
特に今年は3月11日があり、
あの頃は表現するってのが、
非常にしんどかったです。
何を書いても薄っぺらいし、
何を書いても、
地に足がついていない気がしました。
じゃ、やめればいいって話ですが、
それでも、そうしなかったのは、
やはり、私の場合は、
書かないと考えないからで、
考えないのが、
非常に不安だったんだと思います。
しんどいけど、
やらずにはいれらない。
でも、時々非常に面倒で、複雑なもの。
この7年の中で、
「ちょっと放置しとこうか」
と一番何度も考えた年だったと思います。
しかし、「続」けました。


コミュニケーションの講師の仕事も、
地道に続けたことで、
次のステージに入りました。
学び続け、伝え続けて、
今までより、
伝える対象や、
伝える内容が増えました。
ただ、順調とは言い難く、
度々、自分の力不足を目の当たりにして、
受講生の方への申し訳なさで
いっぱいになったことも正直あります。
ある時、先輩の講師の方と、
「続けるって結構しんどいよね。
 でもさ、それでも私たち、続けてるよね。
 学ぶことや、伝えることをやめないよね。
 やめないってすごいよね」
ほんと、そう思いました。
そして、学んでも学んでも先があるし、
伝えても伝えても、
もっと上手な伝え方を探すんだけど、
そういう答がないことを
求め続けることのしんどさには、
求めていることのヒントを手にする以外にも、
たくさんのおまけがついてくることを実感。
谷澤、「続」けました。


それがなんにしても、
やめるための理由は、
私はすぐに見つけることができる自信があります。
取り繕うことにかけては、
幼い頃から訓練を積んでいて、
それで、最もらしい大義名分探し出せます。


でも、そうしなかったことが、
今年はもうひとつあります。

それが「走ること」。
このことが私にもたらしたものは、
本当に大きいと思います。
継続は力なり!
努力は裏切らない!
それを実感しています。
「走ること」は体調を整えたし、
体力をつけたし、
なんと、少しスリムになりました。
このことによって着ることができる洋服が増えたんです。
特に夏に走ったことは、
感情に巻き込まれないトレーニングになりました。
嫌だな、
暑いし、
面倒だし、
疲れるし、
様々な感情がわいてきても、
走ると決めた日は走る。

やる気なんていらないし、
根性も、根気も、
モチベーションも
走ることを継続するためにいりません。

ただ、走ること。

感情は大切なものだけど、
感情を過信しないし、
感情にしばられない、巻き込まれない。

ただ、走る。

いやなことがあっても、
相当凹んでいても、
怒りにいっぱいでも、
困っていても、
不安なことや心配事があっても、
そう感じながら
走りました。

と、
なんと、走るってことは、
からだを整えるだけではなく、
心の状態がどうであれ、
やることをやるという練習になったと思います。


ま、こんなふうに書くと、
すごい人!みたくなってしまいますが、
「ここらでいい加減やめないとヤバいでしょ」
ってこともいっぱいあります。

それは、
片づけない習慣、
そして
誤字脱字、
だらしなさ。

あ〜これは、本当にいやになります。

それらをやめるってのは、非常に難しいと思うので、
そうであっても、
慎重に、
丁寧に!
でいきたいなあ。


こうやって言葉にしとくいいかもなあ。

だって昨年の最後の記事のタイトルは
「ingでいいんです」
(続けていけばいいんです」のような意味で使い、
本当にそういう年になりました。

きっと意識付けできるんだろうな。

では!

ワックス掛けに戻ります。






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報告の必要ないかも。

【2011.12.26 Monday 08:38
 浅田真央さんが全日本で金メダルをとって、
共同インタビューで記者が
「お母様になんと報告しますか?」と質問し、
今一番そばにいるように感じる、
分かっていると思うから、
特に報告しなくてもいいと思います、
のようなことを言った。

その言葉が、
本当によくわかる。

12月25日は母の命日で、
1988年に亡くなったので、
22年もたった。
母がいなくなるってのは、
あまりにも大きな出来事で、
私の中で、
何かが抜け落ちたまま生まれ変わるような出来事で、
生まれ変わったとしたら、
生まれ変わった私は23歳になったってことだ。

23歳、いい大人だ。

母がいなくても、
22年も、なんとか生きてくることができた。

私としては、
そんなふうに思うほど、
母の存在は大きかったんだ。

母が亡くなった後、
ずっと、報告の必要なんてないって思ってた。
仏壇に手を会わせても、
お墓参りしても、
おしゃべりみたいに、
「カウンセラーになってね」
とか、
「妹の子どもがね」
とか話しながら、
心の中で
「知ってるよね。上からの方がよく見えるもんね」
な感じだった。


だから、報告、特にいい報告の時は、
心はほかほかしたまま
母と一緒に喜び合えるような感じなんだよな。


でも、何かに失敗した時は、
自分に対して失敗の言い訳をしまくる自分のことも、
母はちゃんとそばで見ているわけで、
それはそれで、苦しい時もあったかも。

いい加減なことをしたあとに、
あっこういう自分もバレっちゃった、
と思って、
あっ知ってるか、母はよく
「まったくおまえはいい加減なんだから」と
言ってたなと思うが、
死んだ母の前でも
いい加減な自分を隠したいと思う自分を
振り返ったりしてきたな。



そして、今頃になって
見事に似ているとこを発見して
私はなんだか苦笑してしまう。


母は、
近所の高齢の方々にすごく優しかったけど、
父の母親(私の祖母、一緒に住んでいた)には、
そこまで優しくはなかったと私は感じていた。

今の私もそうだと思う。

バーニーの散歩の時に会う近所の方々には、
優しく声かけできるのに、
義母に対してはそこまででできない私。
「やろう」って決めればできるけど、
自然にはしない私。

母に、
「なんでお店に買いにくる
 おばあさんたちにはあんだけ優しいのに、
 うちのおばあちゃんには、
 そうでもないの?」
と質問したことあったけど、
困った顔をしていた母。

言葉にできないいろいろな想いがあったんだろうな。

今なら、わかるよ。
すごく分かる。
今母が生きてたら、
「だよね、そういうこと、あるよねえ」
ってお茶のみながら話すだろうな。


その祖母が入院した時に、
母と私は毎晩、車で40分かかる病院に
祖母を見舞った。
往復、
私の車の助手席で、
少年隊の「君だけに」をかけて、
カラオケで歌う時の練習をしてた母。

「楽しいよ」
って笑いながら、
「不謹慎だよね」
と言ってた母。

どんなことでもちょっとした楽しみを
見つけられる私の強みは、
母からもらったものなんだと思う。


こうやって、ブログに、
毎年12月25日に書いている。
書いても書いても、
つきない思い出がある。

どれだけ、大事だったって言葉にしても、
いい切れない大切さ、

さて、
年末年始。
母から受け継いでる、
イザッて時のパワーで
乗り切ろうと思う。














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「人を喜ばせるということ」など 本の日々。

【2011.12.22 Thursday 08:53
Facubook上で大学の後輩が、
彼の同期小山薫堂さんの著書「人を喜ばせるということ」
を紹介していた。
タイトルからして興味深い。
読んでみた。

読んでいると、
彼の場合、
人をどうやって喜ばせようかって考えていることが、
仕事になったり、
プライベートでの誕生日プレゼントに
なったりしてる感じで、
それは、
仕事としては、
たとえばテレビ番組になっていたりと成果物がある。
でも、プライベートで、
相当凝ったことを仕掛けても、形には残らない。
形には残らないけど
誰かの心の中の温かい記憶になっているだろうものを、
まとめたものがこの本。

読んでくと、
えっそこまでやる?と思うようなものまである。
たとえば、この本を紹介してくれた後輩は、
CM監督をやっているが、
彼も仕掛け人として登場しているものなんか、
結構すごい。
事務所のスタッフ内田君に、
CMのオーディションを受けさせる。
それは航空会社のCMで
最後には6人目のSMAPになって歌って踊るみたいなもの。
オーディーションをしている側にだんだん乗せられて、
いい感じになっている内田君に、
あるシーンを演じてもらうことになる。
それは彼女とのキスシーン。
「もう、彼女役は決めてあるんだよ」と
呼ばれて入ってきた女性は、
内田君の本物の彼女。
しかも、ついたての向こうで、
ずっと審査の様子を窺っていた彼女は
怒ってる。
CM監督が「風俗なんか、いったりするの?」
「最近はいつ?」など、
ちゃんと考えれば変な質問をしていて、
内田君、正直に答えちゃっているんだよなあ。

ま、ギリギリセーフみたいなサプライズもあるけど、
でも、なんかいいな!やってみたいな!
って思えるのは、
善意からの企画だからだと思う。

そして、
彼が、サプライズ好きになったのは、
私たちの卒業した大学
日本大学芸術学部放送学科の
新入生歓迎会に
代々伝わる偽装一年での衝撃があったらしい。
(ただ、この素晴らしい伝統も
 2000年にはなくなっていたらしい)

確かにこの偽装一年って、
すごかった。

あまりすごかったので、
Facebookで大学のグループができた直後、
みんなで思い出を出し合った。
その時でてきた話が以下。


モンゴル人で日本語や日本の文化をいっさい知らない
スデノモ・セニという一年生がいたらしい。
(名前を反対から読むとバレるってもの、
 おもしろかった。
 南の島の王女 ロミアマザ ヨリウ ハトンホ
 なんて、それっぽく聞こえるけど、
 うり という女子が演じてた)
沢田研二の影武者をやっている設定の
それっぽい髪型、ファッションの男子もいたらしい。
集会がある時には必ず遅れてきて
「ケンジさんの入りが遅れて、自分がずっとリハやって
 ました。だからここにくるの、遅れてすいません」
とか、やっていたそう。

今考えると、なぜ、気がつかなかったんだろう?
と思えるくらいめっちゃふざけた設定でも、
あの頃は、「すごいな、日芸。あるかも」
って思ったんだろうなあ。

そしてそこにも、
先輩たちの、
これから日芸で学ぼうとする一年生への
愛があったんだよなあ。
純粋な愛情かどうかは、
今となっては分からないけど、
少なくとも、いじめてやろうとか、
入学を後悔させてやろうとか、
そんな気持ちは一ミリもなかった。

私は二年の時に仕掛け側をやったから、
その辺りは断言できる。
ま、自分たちの楽しみはあったよ。
それをサカナにお酒も飲んだ。
でもね、結構マジに
キャラ設定会議みたいにして、
アイディア出し合ったんだ。
アイディア出し合った後は、
小道具作ったり、集めたり、
種あかしをした後に、
一年生が喜ぶ顔を想像してやったと思う。

私が2年の時の私の班の偽装一年は
(新入生をいくつかの班にわけ、
 各班に一人偽装一年がいた)
超マザコンの男の子。
どの場面にも、必ずママがついてくる。
このママ役は3年の先輩が着物来て、
演じてくれた記憶があるなあ。


ま、そういうベースがあって、
小山さんは人を喜ばすってことを、
仕事でもプライベ−トでもやっている。

「『企画とは何か?を一言で言え』と
 聞かれたら、
 『大切な人へのバースデープレゼントを
 考えること』だと思います」
と書いている。

そして究極の企画とは、
「『自分の人生をいかに楽しくするか』、
 『いかに自分が幸せな気分で生きるか』。
 それを乗り切る手段を企画と呼びたい」
と書いている。

仕事を楽しんでやっているが、大変なことも
あると書いている。そしてそんな時は、
マラソンでいえば給水地点のように、
楽しい仕事をするんだそうだ。
サプライズは、給水地点なんだそうだ。


読んでいて、
めっちゃ楽しい気持ちになったなあ。
誰かに何か仕掛けたくなったなあ。

お正月、また我が家には約30人くらいの
お客様がみえる。
夫と、何か企画しようかなあ。
今、すごくそんな気分です。



他に、ここのところ、
「生き直し」
「人は感情によって進化した」
を読んだ。

「生き直し」は、
目標をコピーにする時の
視点の持ち方についてが私にとっては新しかった。
たとえば、
目標はもったはいいけど、このまま何もしなかったら
どうなるかをコピーにしたりする。
かたずけができなかった自分に「倉庫ずまい」
行動を起こせなかった自分に「口だけ番長」
みたいな。
とにかく、なるべく具体的に、しかも見える化
していくための様々な方法が書いてあった。

「人は感情によって進化した」
これは、いつか、ちゃんと感想を
まとめようと思う。







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丸っと2年だったんです。

【2011.12.20 Tuesday 20:39
 本当にちょっとしたことが、
日常を変える。

静岡市清水区は、ビン缶も収集を結構厳しく種類分けしている。
ビンは、茶色、透明、グリーンなど分けたりする。
隣組の中で交代で、地域の方が持ってくるのを見守る。

今朝、その日で、
年内最後ってことで、
今日を逃してはならん!と出そうとしたが、
ごま油の空いたビンが3本もあって、
その全て、蓋のところのプラスチックが上手に取れず、
いやあ、困ったと思った。

この蓋みたいなものも一緒に付けて出すのは、
気がひけるなあ。
でも、それを取ろうとあれやこれやしている時間がない。
あ〜なぜ昨日のうちに準備しとかなかったんだ、私!

以前の私なら、
こういう時、
隣組の見守りの方の目を盗むように
こそこそ出して知らんふりしていたと思う。

そうしておきながら、
そうする自分がいやで、
後から自分を責めて、
そんな自分を責めてぐちゃぐちゃしてるなら、
あと一ヶ月家においとけばよかったのに!と
思いながら、
そこに考えが及ばなかった自分をさらに
責めたりしていた可能性がある。

今朝、私は、
見守りの方々に、
(こんなことぐらいで・・・
 そんな大袈裟な!
 と思われるかもしれないけど)
正々堂々と、
そのプラスチックのところを見せて、
「取ろうとしても、どうしても取れなくて、
 困ってしまったんですが、
 何か方法ありますでしょうか?」
と訊いた。

すると、男性の方が、
「それで、大丈夫ですよ。
 そのまま出してってください」
と言ってくれた。

なんか、さわやかなんだな。


ここからが、めっちゃ恥ずかしい話なんだけど、
思いきって書く。

私、自分自身の家で相談室をスタートさせて、
丸々2年だ。
来年4月で3年目に突入する。

3年目に突入、3年目になるんだなと
思っていたら、
なぜか、3周年に頭の中でなってしまって、
いろいろな企画をしてるとき、
「3周年」としたり、
「開設して3年になる」と書いたりしていた。
本当は丸々2年なのに。

あ〜恥ずかしすぎる。

なんなんだ、その間違い。

ほんと、さっき、
それに気がついた時は、
自分が怖くなった。


 (「仕事では、本当、慎重に慎重を
  重ねてしているからね」
  とここで、言っておかねいと、
  心配される方がいるといけないので)


恥ずかしすぎるけど、
自分で気がついて、
どうしよ?と
パニッくって、
ま、直せるところは直そうと考え、
そして、いろいろ直した。

で、多分、それが
以前と違うところだと思うんだ。

多分、以前だったら、
直さず、そのままで、
ごまかしきっていたと思う。

実は以前も同じようなことがあった。
今年の7月くらいの時期、
誕生日(8月19日)で51になると
考え続けていたら、
7月の時点で今51と思い込んでしまい、
「51歳です。誕生日に52になります」
なんて言っていた。
もちろん、間違いに気がついた時点で、
それを話した方に、訂正したよ。

ほんと、あぶないヤツだ。

あ〜不甲斐ないです、本当に。

自分には思い込むくせがある。




なんだけど、
何を言いたいかというと、

間違ったって分かった時点で訂正できるように、
やっと、やっとなったってことは、
悪くないと思う。
開き直っているのではなく、
正直、それは自分でよし!って思えるんだ。

自分のいい加減さは、まったくもってイヤになる。
いい加減、
だらしない、
あわてんぼう、
その上に思い込みやすい、
それはイヤになるけど、
どうがんばっても、
きっと治らないのだ。
治らないけど、

それとともに生きてくために、

ごましながら生きていくんじゃなくて、
自分の間違いが分かった時点で
訂正したり、質問したり、
そうやって生きていったほうが、
自分を自分で認められる。

もう、そうしていくんだ。


ってわけで、
谷澤相談室、
丸っと2年でした。
4月に3年目に突入します。

って訳で、いろいろな企画は、
「3年目突入記念」です。


あ〜これ書くの、
勇気がいた。
ふ〜。


author : tanizawa-k
| 日常 | comments(4) |

改善!コミュニケーション。

【2011.12.19 Monday 21:57
谷澤相談室オープン記念
3つのアサーティブ講座開催決定!

この機会に、
コミュニケーションの改善へ
一歩踏み出しませんか!


 アサーティブとは、
自分も他者も尊重するコミュニケーションのあり方。
仕事やプライベートで、
人間関係が元でストレスを感じている方には、
取得していただきたい考え方とスキルです。
つい言い過ぎてしまう方、
言いたいことを飲み込んでしまう方、
話しているうちに言いたいことが
分からなくなってしまう方など、
ぜひ、自分の意見や気持ちを上手に伝えて、
日常をもっともっと生きやすく、
気持ちよく送られるようにしていきましょう。
尚、すべての講座が体験型、座学ではありません。
講師は谷澤久美子(アサーティブジャパン認定講師)
が務めます。

☆ アサーティブ・トレーニング基礎編 
アサーティブの理論スキルを学び練習します。
ちょっとした依頼や断りができるようになります。
・ 日時:3月17日(土)10時〜17時 
      18日(日)9時半〜16時半
・ 会場:ふしみやビル903号
    (静岡市葵区呉服町2−3−1 054-253-2438)
・ 定員:20名(先着順) 
・受講料:20000円(税込み/テキスト代込み)

☆ アサーティブ・ロールプレイ講座
アサーティブトレーニング基礎編・応用編を
受講された方、また4回の連続講座を
受講された方が対象。
アサーティブを思い出したり、
今のご自身の課題に取り組むことができます。
・ 日時:3月11日(日)13時半〜16時半
・ 会場:静岡県教育会館 中会議室 
   (静岡市葵区駿府町1−12 054-252-1011)
 ・定員30名(先着順) 
・受講料:2500円(税込み/テキスト代込み)

☆ アサーティブ・トレーニング応用編
いやな言葉を言われた時
どうしたらいいか(批判の対処)、
自分の中に湧いてくる怒りの感情を
どう取り扱ったらいいか、
また複雑な問題をいかに解決していくかなど、
アサーティブをより深く知り、考え、練習します。
アサーティブジャパン主催の基礎編、
または上記の基礎編を終了された方(受講予定の方も)が
受講いただけます。
・ 日時:5月26日(土)
      27日(日)両日とも 9時半〜16時半
・ 会場:静岡県教育会館 中会議室
  (静岡市葵区駿府町1−12 054−252−1011)
・ 定員:20名(先着順) 
・受講料:23000円(税込み/テキスト代込


<申し込み方法>
メールで、以下を記入の上申し込みください。
受付後、詳細を連絡いたします。
① 講座の種類 
②氏名 
③住所(〒も) 
④電話番号 
⑤詳細をお送りする時の
 ご希望の連絡方法(電話/携帯電話/FAX/メールなど)
*応用編にお申し込みの際は、基礎編受講の日時、会場をお書きください。

 メール:kumikotanizawa@gmail.com
 (このアドレスに相談の内容を書かれても、
  それについてのお返事はできません。
  ご了承ください)
 



谷澤相談室とは、
心理カウンセラー谷澤久美子のカウンセリングルーム。
今回の講座は、オープンを記念してのもの
となりますので、特別の価格で行います。
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author : tanizawa-k
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悲鳴をあげるアイデンティティ。

【2011.12.17 Saturday 18:55
静岡新聞で13日から始まった村上龍さんの小説
「55歳からのハローライフ」。

5回目の今日は韓流ドラマにはまっている
再婚を希望している女性の話だ。

「(韓流ドラマの)登場人物たちは
 はっきりとものを言う。言い過ぎて
 取り返しのつかない状態に陥ること
 もある。それに歓迎されない場所、
 たとえば恋敵の実家などに平気で
 押しかけていく。相手の都合は考
 えない。
  わたしは結婚前も結婚後も周囲
 や相手の都合だけを考えて生きて
 きた気がする」

彼女は電車に揺られながら、
そんなことをぼんやり考え、
「生まれてからずっと、
 この電車のガラス窓のような
 ものが、自分と周囲を隔てて
 いた。
  それは相手の露骨な批判や
 悪意から守ってくれることも
 あったが、深い思いは決して
 相手に届かないというあきら
 めも生んだ」
と自らを振り返る。

私も、自分と周囲との間のガラス窓で
自分を守っていた期間は長かった。
それは守っていたと思ってたけど、
そうではなくて、
あきらめていたんだよなあと
この文章を読みながら思った。
あきらめてたのは、
相手との関係と、
自分自身を。




今日はその後、
強引に午前中休みにして
「あしたのパスタはアルデンテ」
というイタリア映画を見た。

これがまた、
テーマのひとつが、それ。

主人公トンマーゾは南イタリアのレッチェという街で
パスタ会社を経営する名門の家の次男。
ローマの大学の文学部で学び、作家をめざしている。
しかし、家族は彼が経済や経営を学んでいて、
いずれ帰ってきて会社を長男と共に経営するんだと
思ってる。
長男は会社を手伝い、長女の連れ合いも
このパスタ会社で働く。

事業を長男と共同経営者たちに引き継ぐための
夕食会のためにレッチェに戻ってきたトンマーゾ。

そこから、様々な問題が浮き彫りになる。

実は、トンマーゾも長男もゲイ。
夕食会の席上、
がまんにがまんを重ねてきた長男は、
ガラス窓をぶち破るように、
カミングアウトする。

しかし、保守的なこの街で
正当派イタリア男(女性を見たら
ナンパする感じのタイプ)の父親は、
そんなこと、絶対に許せない。
家族の恥だ!と怒りにふるえ、
心筋梗塞で倒れてしまう。

出ていった長男の変わりに、
共同経営者とパスタ会社で働く
トンマーゾ。
しかしローマに残してきた恋人や、
「書く」ということがあきらめきれない。

映画のパンフの中に
「悲鳴をあげるアイデンティティ」という言葉があったが、
まさに、そんな感じのトンマーゾ。

でも、それはトンマーゾだけではない。

実はおばあちゃんも、実は夫の弟が好きだった。
夫との結婚式の朝、夫の弟の前で自分は死のうと
さえ考えるくらい彼が好きだった。
でも、彼はそうはさせてくれず、
兄の方と結婚した。
日常は普通に過ごしながらも、
いつまでたっても、その想いは消えない。

父親だって同じだ。
退院して初めて街をトンマーゾと歩く時、
訳もなく、やたら笑顔でいて、
時々笑い声まであげる。
そうして幸せ風にしていないと、
周囲から何を思われるか、怖いのだ。

自分自身の本当のところと、
周囲からの期待の間にあるガラス窓を、
それぞれが持ちながら生きている。

映画は、
結局おばあちゃんの想像を超えた行動で、
長男は許され、
次男はローマに戻り作家をめざす道を
すすむことになり、
めでたしめでたしなんだけど、
おばあちゃんの行動があまりにすごすぎて、
そこに至るまでの間に、
他にやれることあったのではないか!
と思う。



現実の社会の中では、
誰かが自身の身も顧みず、
家族一人一人のアイデンティティを守るために、
行動を起こしてくれることなんて、
ありえない。

自分でやっていかねばならないのだ。

しかも、
韓流ドラマや長男のように、
ガラス窓を叩き割るようなやり方ではなく、
相手のことも尊重しながら、
自分のアイデンティティを大切にしたい。

ま、宣伝になってしまうが、
そんな時、
多分、知っていて損がないのが、
アサーティブネスだと思う。

自分自身をどこまで出していいのか?
周囲への気配りはどんな感じで表せばいいのか?

自他尊重のコミュニケーションを知っていることこそ、
本当の意味で自分を守れるようになる。
ガラスを叩き割るのではなく、
こっちにいる自分と,
向こうにいる相手で、
一緒に、このガラス窓をはずしてみようか!という
対話。

結局、午前中の休みも、
そんなこと考えて終えたんだな、これが。









author : tanizawa-k
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言葉。

【2011.12.16 Friday 19:19
言葉に関して。
「何かくれよ。くれるの、待ってるんだよ」
と、
私と目を合わせようと、
必死になっているバーニーに変わって、
夫が言う。
バーニーは、
「そうそう。それそれ」
みたいな感じで、
一層威張ってこっちを見る。

言葉を持たないバーニーが、
何を望んでいるのか、
夫は、常に考えている。
いや、考えるなんて意識的なものじゃなく、
無意識に、そうなってしまってるかのように、
彼の心の中をセリフにして、
ソフトバンクのお父さんのように、
私に言う。



言葉に関して。
今の教科書にものっているのかどうか、
中学生の国語の教科書に
「『ありがとう』と言わない重さ」(←あやふや)
というエッセイがあったと思う。

モンゴルの人たちは、日本人やアメリカ人に比べ、
簡単にありがとうと言わないんだそうだ。
お礼の気持ちを言葉ですましてしまうのは安易であり、
むしろ失礼となる。
他者からの恩は黙って受け止め、そのことを忘れずに、
いつの日がお返しするという行動で表すことに価値がある。
言葉ではなく、行動!
という文章。

言葉にしてしまったら、軽くなる。
のか?



言葉に関して。
月曜に授業をした6年生のあるクラス。
ゲームをやったが、
完成できないチームが何組があった。
私がそのゲームの意味について説明を始めても、
まだ、そのゲームをしあげようと一生懸命に
なっている。
私は心の中にあまりつっこむのもどうかな?
と思いながらも、
「今、どんな気持ち?」と
完成しなかったチーム、何組かにきいた。

子どもたちは、
いらいらする、
腹がたつ、
くやしい、
といくつかの感情名を答える。

すると、一人の女子が、
「全部、おんなじ意味じゃん」
とつぶやく。

「イライラする、腹がたつ、くやしい、
全部、おんなじ意味だと思うんだね。
実はちょっとずつ違うんだよ」
と私は、簡単に説明をする。

感情をマネージメントするためには、
①感情の名前を自分の中で言葉にする
②感情を受け止める
③感情を安全に表す
という手順が必要だから、
ちょうどいい機会になったと思う。

そうは思いながら、
そのつぶやいた女の子は、
もしかしたら今まで
「イライラする、腹がたつ、くやしい」
を全部、
「むかつく」
にまとめていたのかもしれないなと思う。
もしかすると、
「不安、心配、あせる」
までをもまとめて、
「むかつく」
にしていた可能性もあるなと。


気持ちは、言葉にしてしまうと、
制御できる可能性があるから、
気持ちに振り回されないためには、
言葉にしておくほうがいいんだけどな。




言葉に関して。
田村隆一詩集の中から

「『帰途』

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復習されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

あなたのやさしい眼の中にある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくたちはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に 果実の核ほどの意味ががあるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる」


言葉に関して。
言葉を覚えてしまったがために、
言葉以外のことから
感じとろうとする努力を忘れてないか、自分。

言葉を聴いたら、それで満足して、
その言葉を口から出さずにはいられなかった背景や、
なんか違うなと思いながら表現している想いを、
受け取ってないことはないか、自分。



言葉に絶対を求めるのではなく、
それでも、
言葉にすることや、
言葉にしてもらうことの努力をし続ける。


そんなんで、やっていこう。








author : tanizawa-k
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反応。

【2011.12.14 Wednesday 20:35
先週、中学3年生に呼吸法のミニ講座をもった。

今週、彼らは第一志望を決める面接をやっていて、
それに備えて先週は、ぴりぴりしている子も多かった。
また、今後、
集中して勉強をしたいけど、
なんとなくやる気になれないこともあるだろうし、
リラックスしたい時にいろいろ考えてしまって
不安になってしまう時もあるだろうし、
また受験当日には、無駄な緊張はといて、
集中をしたいだろうし、
ま、
呼吸法を知っていてやったとしても、
絶対大丈夫とはいえないけれど、
でも知っておいて損はないと、
保健室の先生と一緒に考えての講座だった。

昼休みの15分、
希望する生徒だけで行ったが、
50人以上が集まってくれて、

口から4数えながら吐き、
鼻から3数えながら吸い、
これを何回か繰り返し、
まずは落ち着かせ、
次に、
リラックスする呼吸法、
その次に集中する呼吸法、
と体験しながら、
学んでもらった。


今週、あることでお会いした保護者の方が、
「先生、先週、3年に呼吸法を教えてくれたでしょ?」
と話しかけてくれた。
「うちの息子がね、先生から習ってきて、
 私にリラックスする呼吸法をやれやれっていって、
 自分がやればいいのに、
 私にすごく丁寧に教えてくれたんです。
 あんたがやればいいじゃないって言うと、
 お母さんにリラックスが必要だって言うんです。
 それでね、やったら、本当に楽になって、
 あ〜力をぬくってこういう状態なんだなあって
 久しぶりにわかりました。
 先生、子どもたちにいいこと教えてくれて、
 ありがとう」
そう言ってくれた。

なんか、私は嬉しくってね。

この子が、自分も大変な時なのに、
母親を思いやって、
そしてその日に習ったことを、
お母さんに役立てたいって思ってくれたんだと
考えると、
なんだか泣けてしまって。



今週はこういう嬉しい反応をいろいろいただく週に
なぜかなっている。


月曜に、ある小学校の6年生に1クラスずつ
「心の健康」についての授業をした。

コミュニケーションのゲームをやって、
一位になったチームに対し、
みんなで「チャチャチャ」と手をたたき、
いっせいに「チャンピオン!」と言いながら
両手の人差し指でさすという、
ちょんせいこさんに教えてもらった方法で
讃えるってことをやった。

そのゲームの間、活躍した人たちそれぞれに、
「チャチャチャ チャンピオン」と讃えることを
何回か続けてやった。

ひとつの方のクラスでの出来事。
ゲームを総括し、
まとめのミニ講義をし終わり、
「これで授業を終わります」というと、
そのクラスの、ちょっとやんちゃな男の子が、
立ち上がってクラスのみんなを見渡して、
「みんな、分かってるよね」と声をかけ、
「せ〜の」と声をかけると、
全員でいっせいに
「チャチャチャ チャンピオン」と
私の方に指をむけて、私を讃えてくれたのだ。

私は、言葉に出して相談した訳でもないのに、
この男子の意志が全員に見事に伝わっていたことに
びっくりして、そして、めっちゃ嬉しかった。
そうしてくれるってことは、
そんなに退屈な授業ではなかったってことだと
思う。それも嬉しかった。
でも、もっともっと嬉しかったのは、
その男子の意志を全員で分かりあえたことを
クラスの子達みんなが得意に思っているような、
その表情が素敵だったことだ。
さらに、
そうやって敬意みたいなものを表せる子どもに
成長していることを、
誇らしくて思っているだろう先生の顔も輝いていた。

誰かを讃えると、
讃えられた人はもちろん嬉しいけど、
讃えている人も、すごく素敵なんだと思った。



さらに、先週授業で訪れた、
小学校と中学校からも児童生徒、そして、
小学校の方の授業を参観してくれていた保護者の方からの
感想も届く。
小学校の一人の子どもは、私にクイズを出してくれている。
中学校の子どもの中には、
自分を冷静に分析していて、課題を明確に言葉に表して
いる子もいる。
みんな、すごいなあ。
特に保護者の方からの感想は、
私の子どもへの褒め方が勉強になったと
書いてくれているものが多かった。
特に意識している訳ではなく、
本当にいいと思ったから口に出していただけだけど、
そう感じてくれていたんだなあ。
身に余る感想だ。


さらに、本日、
新年早々に務める講座の募集を閉め切ったところ、
定員を13人オーバーしているけど、
どうしたらいいかという問い合わせをいただいた。
ありがたいことだ。
ほんと、ありがたい。
期待に応えられるよう、
準備を精一杯やるのみだ。



いい反応をもらうと、
エネルギーになるなあ。
今週も土日も仕事で22日まで突っ走るしかないけど、
からだ中、前向きパワーで満タン。
がんばる!




author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
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