2011年09月の記事 | 今のところではありますが…
自分の側の責任を果たす。

【2011.09.29 Thursday 10:47
私はアサーティブジャパンというNPOの組織で
認定をいただき、
アサーティブトレーニングの講師を務めている。

アサーティブのヨーロッパの第一人者に
アン・ディクソンさんという方がいるが、
アサーティブジャパンの招聘で、
私の知っている限りでは2度ほど来日され、
私は2回お目にかかった。

1度目には1度目の衝撃的なすごい学びがあり、
2度目には2度目の、
目からウロコがあった。

2度目の主なもののひとつに
「自分の側の責任を果たす」ということがある。

そのことを理論上知っていたが、
アンさんの講座の話をきいたり、
アンさんと接することで、
それがどういうことかよく分かったので、
それからは、
自分の暮らしの中で、
それを取り入れることが多くなった。

たとえば、
先日、新幹線の中で、
ポメラというメモするための機械に
パチパチ音をたてて入力をしてしまうという、
失敗を私がしてしまった時、
隣の男性が品川で降りるときに、
「うるさかった。外でやってくれ」
と言われたことがあった。
もうちょっと早く言ってくれれば直したのに、
と思いながら、
自分の側の責任を果たすとしたらどういうことがあるかと
考え、
公共の場でポメラに入力する時は、
音に気をつけることはもちろんだけど、
コミュニケーションで解決できることとして、
周りの方に「うるさかったら教えてください」と
お願いしようと考えた。

で、翌日、帰宅する時の新幹線の中では、
出張のまとめを入力したが、
音に気をつけるのはもちろん、
3人掛けのひとつ離れて座られた方に、
「音に気をつけて入力しますが、
 もし気になるようでしたら、
 ぜひ教えてください」
とお願いした。

彼は私が静岡で降りるとき、
「大丈夫でしたよ」と言ってくれた。





義母との間でも、
これを念頭に声かけするだけで、
随分と事がスムースに運ぶ。

たとえば、
彼女がデイサービスに出かけるとき、
ある時までは準備が間に合わず、
お迎えの方に待っていただくことが多かった。
私は人に待っていただくことが
あまり好きではなく、
その度にいらいらしてした。

どこに問題があるか考えると、
お迎えの時間が最初に決めたものより
早いことがあることとか、
時間はその通りだけど、義母が間に合わないこともあるとか
いろいろ分析できた。

それを解決するために、
私ができることを考える。
コミュニケーションで解決できることとして、
デイサービスの方に、
お迎えの時間を決めた時間にしていただくよう依頼し、
これはうまくいった。

次は、義母の支度の問題。
私が朝、家にいることができる日、
義母は「デイサービスにでかける」という、
まだまだ定着していないことに不安になり、
度々、2階の私に声をかける。
「何時に来るかしら」
「何をもっていけばいいかしら」
義母に変わってもらうのではなく、
私が変われること、
しかも、コミュニケーションで解決できることは
何か考え、

1時間前に、
「お義母さん、何か困っていること
 ありませんか?
 手伝うことありますか?」
と声をかけることにした。

そうしてから非常にスムーズに
ことが運ぶようになった。

今日も声をかけると、
時間がわからなくなってしまっていたので、
お迎えの時間を紙に書き、テーブルに置き、
ネックレスをしたいというので、
後ろでとめることを手伝った。

以前、仕事中に一階から声をかけられると、
イラッとしたものだが、
自分の都合のいい時間に声をかけるということで、
イラッもなくなる。

しかも、デイサービスの方もお待たせしない。


なんか、いい感じのことが多い。


コミュニケーションだけで解決できないこともある。
でもだからこそ、自分からのコミュニケーションで解決
できそうなものについては、やっていきたいなって思う。
もちろん、うまくいくことばかりではないし、
責任の果たし方が失敗することもあるけど、
そしたら、また別の選択肢を選ぶチャンスになるものなあ。









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子どものコミュニケーション能力を高めたいあなたへ。

【2011.09.27 Tuesday 21:14
ちょっと宣伝です。

静岡おやこ劇場さん主催の
「コミュニケーション上手への道」という
講座の講師を務めます。

学校でカウンセラーとして活動していると、
子どものコミュニケ−ション能力を高めたいという
先生、保護者の方の声をよくききます。

そう思う気持ち、すごく分かるんです。

コミュニケーション能力が高ければ、
生きていきやすいだろうなあと思うからこそ、
子どもにつけてあげたいチカラなんだと思います。

コミュニケーションの方法は、
性格でもセンスでもなく、
くせやパターンです。

しかも、
体験の中から学んできていることが大きいです。

親や周りにいた大人たちを教師に、
あるいは反面教師にして
身につけてきた方法。

つまり、これから育っていく子どもたちにとっては、
子どもの周りの大人が、
より良いコミュニケーションのモデルになることで、
彼らのコミュニケーション能力に良い影響を与える
ことができるって訳。

今回静岡おやこ劇場さんで
子育てをテーマの講師を依頼された時、
コミュニケーション上手な大人になることを
目標として、
そのためにまず第一歩、
自分のコミュニケーションについて、
ゲ−ムを通して
ゆっくりと振り返る時間をもつことを提案しました。
そして、採用してくれました。

今まで、学校の先生方対象の研修以外では
ほとんどやったことのない講座をやります。

世の中の親御さんたちに、
ぜひとも体験いただきたいことを、
提供できること、
すごく嬉しいし、
今から楽しみでわくわくしています。




普段、いろいろ忙しくて、
自分自身のことを振り返る時間などないと
いう方にこそ参加していただきたいと思います。

おもしろいゲームを通して、
コミュニケーションを学び合う時間をもちましょう。



静岡おやこ劇場 子育て学習シリーズ第10弾
「コミュニケーション上手への道」
〜自分自身の伝えるチカラを振り返ろう〜
◇日時:11月23日(祝/水) 10時〜12時
◇会場:静岡市中央福祉センター 大会議室
◇参加にあたり、参加券が必要です。お問い合わせください。
◇お申し込み、お問い合わせ:静岡おやこ劇場
 TEL/FAX 054-245-7543(月・水・金の10時〜17時)

*尚、アサーティブ・トレーニングではありません。
 

author : tanizawa-k
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「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」

【2011.09.25 Sunday 10:16
先々週、「チャイナ・シンドローム」を
レンタルして見て、もう、本当にびっくりした。
1979年に公開されているらしいから、
32年前だ。
その時代に創作されたものと近い事故が
(状況は違うけど)
福島で実際に起こったことに、本当に驚いた。


で、この本。

世界で唯一原爆を落とされた国が、
なぜ原発大国になったのか、
丁寧にそしてわかりやすく書かれている。

特に
第五福竜丸の被爆のあと、
日本の国で起こった「原爆反対、核反対」の
世論の盛り上がりが、
どうして「原子力平和利用推進」に転換していったのかが、
本当によくわかった。

米ソの対立の中で、
アメリカとの関係を第一に考えた方がよいと考えた
政治家(読売の正力さん)が
新聞とテレビの力を最大限に利用して
原子力の平和利用のキャンペーンを行ったこと。

そうして築いたアメリカとの関係があったからこそ、
戦後日本の復興のきっかけになった朝鮮特需につながり、
その後の日本の成長に繋がっていると思うと、
そのことを一概に悪いと言えないという
田口ランディさんの考えは、
フラットだと思う。

多分、その時代、
私が見ていたテレビに、
「奥様は魔女」があったと思う。
(多分、このドラマが輸入されたのも戦略的)
あのドラマで出てくるアメリカの家庭は、
本当に憧れだった。
食洗機など初めて見るような電化製品に囲まれた中、
いつもキレイにおしゃれして、
花が飾れる余裕がある生活。

洗濯物の脱水を汗かきかき手回しで
している母をみていると、
アメリカはいいなあ・・・
と思ってた。

私は、この本の中の、
ちょうど「原子力平和利用促進」に
邁進するあたりを、
台風15号で停電の中、
キャンドルの火のもとで読みながら、
電気を思う存分使って
便利・快適・効率的な生活を送ることを
あの頃の世論が望んだとしても、
それは本当に当たり前のことで、
キャンペーンで展開されたら、
そうなるよ・・・と思う。

さらに、田口ランディーさんは、
イデオロギーと原子力の結びつきを、
ものすごくリアルに書いている。

第五福竜丸の被爆のあと、
日本で「原発反対・核反対」一色の時、
「反米を唱える(社会主義、共産主義の)人たちは、
 日本が共産主義に変わるチャンスだと考えて、
 猛烈に反米、反核運動を展開しました」
ということで、
そのことを、

アメリカと上手につき合っていくこと、
つまり、その時は原子力推進をしていく

ということを使命に感じていた人たちは利用し、
(それが悪ではなく、 
 彼らはそれが日本の生きる道だと信じていた)

原発反対=反米・社会主義・共産主義
原子力平和利用=親米・民主主義・資本主義

という二分化思想を作ることに成功したということなのだ。

それが繋がっていて、
3/11以前まで長いこと、
多くの人々の思考を
ストップさせることになったのだと思う。

そして、あれほどの事故が起こってはじめて
私たちは、
対立の構造の中では、
事故を検証することも、
これからのエネルギーのあり方も、
より良いアイディアは生まれないことを思い知った。

原発を今すぐ止めればそれでいい訳でもないし、
かといって、処分の絶対的な方法をもたないものを
使い続けることのリスクも考えなければならない。
矛盾を抱えるもの。

田口ランディさんは
原子爆弾開発のきっかけを作り、
その後、日本に原爆を落とすことを反対した
物理学者シラードさんの言葉をかりて、
私たちに提言している。

「コミュニケーションの回路ができなければ、
 世界は軍拡の悪循環に陥る」

田口さんはこう書く。
「イデオロギーを超えて、『核の国際倫理』の構築を
 目指すべきときではないでしょうか。
 その最初の項目に、核をめぐる問題を
 イデオロギーの対立に利用してはならない、
 と記したいと私は願っています。
 いいえ、イデオロギーの対立だけではありません。
 宗教、民族、思想どのような対立にも利用して
 はいけない。
 この問題は、いかに困難であろうとも、
 冷静に根気強く対話によってのみ、
 合意を導き出さなければならない」



私がこの本の中で、最も感動をして、
そして、コミュニケーション、対話の力に
ついて考えていることに、
より深く考えるためのヒントをもらったと思う部分が以下。

「私たちが緊急時にほんとうに必要とするのは、
 インタラクティブな生の情報ではないでしょうか。
 なぜなら、人間と人間との間でやりとりさえる
 生の情報は『わからない』ことを超える力が
 あるからです。わかる、わからないではなく、
 わからないことに耐えるための自我を、
 双方向の対話は支えてくれるのです。
 一方的な洗脳ではなく、他者と出会い、
 ダイレクトに言葉を交わすこと。
 それしか不安をやわらげ、この状況の
 建設的な打開方法を模索する術はありません。
 人間と向き合うのはほんとうにしんどいことです。
 皆、違うことを考えています。だから、多様で
 新しい意見が生まれるのでしょう」

すごく心に響く文章。
しかし同時に
なぜそう断言できるのか、
私なりに考え続けていきたいと思う。
(また宿題が,やってきたよお。ま、嬉しいけど)


この本は
核とのつきあい方を考えていく時、
私のように核について知識のない者には、
スタートになる本だと思う。










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くやしかったんだ。

【2011.09.24 Saturday 22:01
愚痴ります。
っていうか、愚痴というより、
弱音を吐きます。




クリアしたと思って安心していたことが、
クリアしてた訳じゃなかったと分かった。

ここのところ、
以前みたいに、
大事なココ!って時に
失敗することがなかったから、
久々だ。

分析すると、
結局いきつくところは、
「その場で起こっていることの問題解決のために
 必要なことをする」より、
「自分のしたいこと、言いたいこと、伝えたいこと
 をいかに実現するかにこだわる」
ってことからきていると思う。

今までは、そういう失敗をしたとき、
後で振り返り、
「出たな、私のパターン!」
と考え、
「気づけたことがよかったから、直していこう」
という決意みたいなもので終わっていた。

今まではそれでもよかったと思う。


でも、もう次のステップにいかないと。

「気づけたことは良かった。直そう」
で終わっては、もうそれではだめだ。
もうそういう時期ではないよ、私。



私が今そう考えたのは、
なんかもやもやしている気持ちを一言でいうと、
「くやしい」って言葉になると、
明確にしたからだと思う。

そうか、
失敗して、
私は悔しかったんだ

と、頭の中で言葉になった途端、
「自分のことを確認できた」で
終わってはいけないと思った。

だって、「くやしい」ってことは、
自分に対する期待があったからこそで、
その期待に反する結果だからこその
気持ちだものね。



そして、今まで決意で止まっていることを
自分に許していたのは、
驕りだと思う。

それでなんとかなると、
どこかで甘えてもいたんだと思う。

それはまったく
自分が自分自身に対して誠実ではない。




私は、これまでも、
何か学んだらすぐに実践できたり、
すぐに身につけられたりする方ではなかった。


失敗を繰り返し、
情けない想いをし、
それでも、ちょっとずつやっていくうちに、
できる時もあって、
そのできる時が増えてきて、
それでもまたダメな時もあって、
という繰り返しでやってきた。

その私が、急に
ず〜っとできてる私にならないのだ。
ず〜っと好調なんてこと、あんまり考えられない。


だから、
またちょっとずつやればいいんだ。


私はもう「継続は力」を体感している。
それでもやり続けると、
先にあるものを
手にすることができるってこと、
経験している。

だから、トライし続けるんだ。



今日、またひとつ確認したことがある。

それはちゃんと凹むことが大事ってこと。

相談の仕事をしていると、
自分をなぐさめる方法を知ってしまっている。
それを知っているのは大切だと思う。
たとえば、気持ちがなんかもやもやしている時に、
・自分のそれでもできているところを探したり、
・目標を確認したり、
・他者に話をきいてもらったり、etc
という考えや行動で
必要以上に自分を責めたり、
相手を責めたりすることをふせぐことができることもある。

それは大切なことだ。

でも時々は
凹むことをじゃましないで、
ごはんも食べられないくらい
自分ってダメって思うこともありだし、
眠れずに、あの時、
なぜあ〜しなかったか、こ〜しなかったかと、
考えてもどうしようもないことで、
頭の中がぐるぐるになることも、
ありなのではないか。

中途半端に
自分を救いあげることを、あえてしないで、

ちゃんと
「くやしい」ってことに向き合うこと。
ちゃんと凹むこと、
それも時々は必要なんだと確認してる。

そして、もしかするとそのことが、
この夏、30年ぶりに会った大学の同期生が、
私に言ってくれたこと、
「イケちゃん(←大学時代に、そう呼ばれてました)
 には、『こうあるべき』にとらわれている
 ときがあるね。もっと自由でいいよ」
という宿題の、
答のひとつかもしれないと思う。
物事、キレイに終われないこともあり
どろどろの、ぐちゃぐちゃ
とっちらかしたままで仕方ない時も
あっていい・・・的な。




あ〜それにしても久々だなあ、
こういう感じ。
自分への腹立たしさで、
なんだか眠れなかった。
ま、こういう感じが
ちょっと懐かしくもあるなあ。







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「海洋天堂」

【2011.09.21 Wednesday 13:36
中国映画「海洋天堂」は、
自閉症をもつ息子とその父親の物語。

ワンさんの息子ターフーは21歳。
3歳の時に自閉症と診断された。
7歳の時母親が亡くなってしまい、
それ以来父親と暮らしている。
だが、ワンさんは末期の肝臓ガンを煩い、
余命いくばくないことを医者から宣告されている。

ワンさんは、一度無理心中を試みるが失敗。
それからは水族館で技師の仕事をしながら、
ターフーが自分が死んでしまった後も
生きていかれるような環境を探すことに懸命になる。

児童施設には、年齢を理由を断られる。
精神疾患を抱える患者のための病院では、
ターフーがあわない。
困っていた時に、
幼い頃にターフーを教育してくれた先生が表れ、
民間の施設を紹介してくれ、
そこに入所がきまる。

この間、
ワンさんはターフーに、
いろいろなことを教える。

店ではお金を払ってものを買うことを。
その時、どのお札を出したらいいのか、
お金の価値を。
一人で着替えができるように、
シャツの脱ぎ方を。
卵の割り方。
ゆで卵を作る時は、
いくつ数えたらいいか、一緒に数える。
バスの乗り方。
そして降り方。

何度教えても覚えられないと、
声を荒げる場面もちょっとはあるけど、
だいたいいつも落ち着いて、
自分の感情をぶつけず、
丁寧に、何度も繰り返して教える。

バスの降り方を教え、
体験させてみた時には、
自分が先回りして目的のバス停で待っているワンさん。

ターフーが乗ったバスがやってくる。
扉があき、女性が二人降りてくる。
そしてそのまま扉がしまりバスは出発する。
扉の向こうで困り顔のターフー。
ワンさんはバスに駆け寄り、
ドアをどんどんたたいて「あけてくれ!」と。
バスの運転手さんは、
「降りたい時には降りますって言ってくれないと」
と捨てゼリフだ。
次の瞬間、
それまで他人には見せたことがなかったことをするのだ。
ワンさんは、走り去るバスに向かって、
「言えない子もいるんだよ!」と声を荒げるんだ。

私はこのシーンを思い出すと、涙が出てくる。

そして親ってすごいと思う。

ワンさんは自分のことでは、
多分、他者に対して声を荒げるような
ことはしないだろう。
誰にでもにこやかに、誠実に、
敬意みたいなものを表しながら接するワンさん。
でも、子どものことに関しては、
そういう自分を打ち破っちゃうっていうか、
なりふり構わないっていうか、
みっともない姿だってさらけ出しちゃうっていうか。

それは、私の知っている
多くの「親御さん」たちも同じで、
自分のことだったらいくらでも耐えるのに、
子どものことだと我を忘れ、感情剥き出しになる
その感じは、
人間味あふれていて、
それを反省される方も時々いるけど、
私はそれは、親である証のように思ってて。

頭で考えるより、からだが先に動く感じで、
子どもを守ろうとするのは、すごいと思う。

ワンさんの、この「言えない子もいるんだよ!」
という語気を強めたその言葉に、
本当に「親」ってものを感じたんだ。



ワンさんはターフーに、スキルを残す。
一人で着替えられるようになり、
部屋の片づけも、
シャツを引き出しにしまうこともできるようになる。
物質的にもお金を残し、
一枚一枚の洋服にすべて名札を手で縫い付けた。
仕事も残す。
彼に水族館の床をモップで拭く仕事の仕方を教え、
館長に頼んでおく。


でも、ワンさんが残したものは、
それだけじゃなかった。

ワンさんはターフーに「安心感」を残した。

ワンさんは水槽で泳ぐ亀をさして、
「あれが父さんだ」と教える。
そして、ザルに布をはり、亀の甲羅の絵を書いて、
それを背負って、自分が亀のようになって、
ターフーと一緒のプールに入る。
ターフーは、亀に扮した父親と泳ぐ。

母親を亡くし、
水族館で仲良くなったピエロの女のコは、
知らないうちに次の場所に移動していってしまった。
誰かが突然いなくなる恐怖を知っているターフー。

でも、水族館に亀はいる。
万年生きる亀だから、
亀はいつもそこを悠々と泳いでいる。
ターフーが心細さから混乱しないように、
さみしさでパニックにならないように、
ワンさんは、
「父さんは亀なんだよ」
と何度も繰り返し伝えるのだ。


ワンさんが亡くなった後、
ターフーにはいつも通りの日常がある。
そして、水族館で掃除の仕事をし、
水槽の中で泳ぐ。
ターフーは親亀と戯れて、
その甲羅にまるでおんぶするみたいにしがみつく。


ワンさんが、懸命に彼に残したものが、
彼の中にしっかりと留まっていることが嬉しくて、
私は涙が止まらなかった。



最後に、
「平凡にして偉大なるすべての父と母に捧ぐ」と字幕が。
「海洋天堂」はすばらしい親子の映画だった。






最近レンタルして見た
「小さな村の小さなダンサー」も、
めっちゃよかった。中国の映画もいいなあ。













author : tanizawa-k
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守りたいものは放っておいても消えない。

【2011.09.20 Tuesday 18:33
NHKの「DEEP PEOPLE」っておもしろい。
同じジャンルで活躍する超一流のプロフェッショナルが
仕事について語り合う。

昨日は「音楽プロデューサー」の回で、
秋元康さんと小林武史さんとエグザイルのHIROさんだった。

完全に裏方仕事をしている秋元さんと、
小林さんは作曲もするし、ミュージシャンでもあるし、
でもプロデューサーでもある。
HIROさんはアーティストとしてスタージにも立つから、
時々踊りながら照明が気になったり、全体の構成を考えたり、
踊ることに集中できないこともあるそうだ。

そんなふうに立ち位置が違う3人が、

音楽プロデューサーって何か。
曲はどんなふうに決定するのか?
アーティストを育てるためにどうしてる?

などを話し合う。

プロデューサーって結局は、
そこにいる人やことを最大限に生かすことを使命と
しているようだから、
それは、
エンパワメントとそう遠くないような気がして、
そう考えると私の仕事と重なる部分もある。

特に私には
アーティストを育てるためのそれぞれの方法が
興味深い。

この夏、AKB48が初めて西武ドームでライブを終えた後、
秋元さんはAKB48のメンバーたちに、
拡声器で怒ってた。
「あのステージに立てるのはあなたたちしかいない。
 そこでどう歌い、踊り、MCで語るかは、
 あなたたちしかやれない。
 なのに、どこかで見たようなパフォーマンスで、
 どこかで聴いたようなことを言っていた。
 本当にそれでいいのか?」
(↑かなりあやふやだけど、こんなようなこと)

その説明として、
「このことに関しては大人が悪いと思っている。
 質をあげていくために必要な準備の時間など、
 余裕のある管理ができていなかった。
 ほんとだったら、こんなスケジュールでは
 十分なことができない、なんとかして!と
 抵抗するくらいのことがほしいと思ってる」
(これもかなりあやふや)
と言っていた。

拡声器からの秋元さんの声は落ち着いていて、
でもその時のパフォーマンスに関して怒りを
きちんと伝えていた。
その言葉は部活の顧問の先生の言葉のようで、
メンバーのみんなにはちゃんと届いているように見えた。

そして、これまでも、
ちょっと待てよ!
とか、
これはまずい!
とか秋元さんが思った時は、
ちゃんと伝えてきて、
それを受け止めて自分たちの成長の糧にしてきて、
今のメンバーがいるんだなと思う。

ちゃんとフィードバックできることが、
いいと思うな。



HIROさんはまたまったく違う方法で、
エグザイルのメンバーや後輩達を育てている。
すごく対等感のある話し合い。
誰でも自分の意見を言いやすい雰囲気を作り、
そのチームの話し合いの中で、
ルールもこれからの方針も曲も決めていくようだ。
チームビルディングにおける、
ファシリテーターのよう。
HIROさんの方法もいいな。



小林さんは、
あるバンドが、泥臭いロックでいきたいというところを、
そうじゃない路線をすすめる。
その路線を進めた後の一言がすごいんだ。
「これは友人として言うんだけどね」

すごい音楽プロデューサーなのに、
小林さんは上からこうしろ!じゃないし、
こうするべきだよと諭すのでもなく、
友人としてというところから、さらりと言う。

そのシーンの後で、
彼は
「守りたいものは放っておいても消えない。
 でも、しがみついていると殻は破れない。
 ただ、殻を破って絶対成功するとは言えない。
 だから、友人として、なんだ」
と言っていた。

守りたいものは放っておいても消えない。
でもしがみついていると殻は破れない。

あ〜そうなんだ。
そうだそうだ、小林さん、本当にそう。
実は私もアサーティブネスの先輩達から、
同じようなことを、様々な言い方で
伝えてもらってきている。
「くみの方法はそれでいい。
 でも、違う方法を持っていた方が
 どんな対象の方々にも伝えることができる」
最初は、私が私の方法でやらなければ自分では
なくなってしまうと、ちょっとだけ思ってた。
私の方法というのは、熱く語るって方法で、
それを好きと言ってくれる人もいた。
でも、先輩たちは、それはそれでいい。
でも他の方法も持っておいた方がもっといいと
言い続けてくれた。
で、少しずつチャレンジして、その意味が分かって、
今は、他の方法をゲットしたとしても、
自分ってものは消えないことを、
十分に知っている。

小林さんも、あのバンドにそれを伝えていた。
そしてアーチストを育てる時に、
そのことを友人としてという立ち位置で伝えているんだ。

おしつけずに、
でも、きちんと伝えることがいいな。


これまでも、
パティシエや、フライトドクター、外科医、
それから写真家の回が、私にとってはめちゃおもしろかった。
目が離せないな。



















author : tanizawa-k
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意識を向けると集まってくる。

【2011.09.19 Monday 13:59
田口 ランディ
角川書店(角川グループパブリッシング)
¥ 1,785
(2011-06-01)


一ヶ月ほど前に 「マアジナル」(田口ランディ著)
を読んだ。

かつて一緒いUFOを呼んだ6人の仲間たちの人生は、
その後、少しずつ、「一般的」なものとはずれていく。
その6人の人生が再び交わる時に、そのズレがはっきりしてきて、
不思議な出来事がおこる。

この小説の中の、とても気になった文章。

①「つまりあなたの今の人生は、あなたが意識をむけた
  ものの集大成ってわけ」
②「人間は意識をむけたものを引き寄せていく。
  磁石みたいにね。だけど要注意。
  磁石は磁気を帯びたものをなんでも引き寄せてしまう。
  ゴミだろうとガラクタだろうと、なんでもね。偶然の
  連鎖だけに気を取られると
  肝心なことを見失うから気をつけて」
③対立を止めなければと思う。
 お互いが絶対だと思っている信念から、
 それぞれ半歩退けば、話し合いのテーブルに付けるのに、
 なぜそれができないのだろうか?
④私の信念は私の裡にあって私を照らすものであればいい。
 そして私は私の信念を決して信じまい。疑い続けよう。
 ソレ以外に対立を避ける道はない。
 私が正しければ、他人は間違っていることになる。
 それほどに私は正しいのかを、私自身に問い続けよう。


最近の私は、
「対話」ということに意識をむけている。
概念としての「対話」や、
自分が「対話」にトライするということ、
そして、どうしたら価値観の違う人同士が
「対話」ができるようになるかを考えることなど、
そういうことに意識をむけている。

つまり①の対象物は私の場合「対話」だ。

すると,多分②がおこり、
そうでもない情報も寄ってくるように思う。

しかし、意識を向け続けていると、
今はその情報がどういうものかは分からないが、
それでも、「対話」のヒントがみつかる、


たとえば、
9月17日(土)毎日新聞朝刊
前大阪大学総長で臨床哲学家鷲田清一さんの
インタビュー。

原発の事故に関して「原子力ムラ」のこと、
それらに大して大学はどう対応していくのかという
質問に、
「専門性を高めると同時にもっと大きな枠組みの
 なかでものを考える訓練が必要です。
 教養、つまり社会的な判断力を磨くと同時に、
 高いコミュニケーション能力も求められます。
 自分の研究を誰にでも分かる言葉で説明し、
 『私の専門ではここまでしか言えませんが、
 こう考えることはできませんか』と、
 異分野の研究者に提案し、討議する力が必要です」
とある。
そもそも今回の事故に関して、
原子力工学はあまりにも細かく専門分野が分かれていて、
自分の専門の領域を超えてまで発言することを
しなかったことも、原子力ムラの存在と共に、
事故後の対応が迅速に行われなかった原因のひとつ
としてあげている。
さらに、
「専門家と非専門家との間に適切なコミュニケーションの
 回路がないことが、
 今の日本社会の大きな問題点」
と言っている。

専門家同士が、自分の領域を深く研究するだけではなく、
領域を超えて意見交換していくときに、
④の考え方ってのが、きっと大事で、
「局所最適」ではないか?と自分を振り返りながら、
違う領域の人の考えにも耳を傾けることが
必要なんだと思う。

と同時に、
原子力においても、沖縄の基地の問題においても、
異常なスピードな円高においても、
専門家ではない私は、
判断を誰かに任せておいて、結果は責めるという
今まで採用してきた方法ではなく、
責任を分かち合うために果たせることを果たしていくこと。
それは事実を知ろうと努力したり、
わからないことは調べたり、
自分の意見をもつことがスタートなんだよな。

鷲田先生は
「私たちが繰り返してきたことが、
 どんな危機を招いたかを
 しっかりと見つめ直すことでしょう」
と言っている。


9月18日、夫と山梨県に遊びに行った。
長坂にある「清春白樺美術館」はルオーの作品がいっぱい。
敷地内の「ルオー礼拝堂」↓

IMG_0472(変換後).jpg

ルオーの作品の中に、
タイトルが
「正しき人は、白檀の木のごとく
 己を打つ斧にも良き香りを移す」
というものがあった。

「対話」ということをよく考えていて、
「対話」ということに意識を向けていた
私には、
これこそがより良い対話の心構えのように
思えた。

自分とは違う考えや価値観をもつ人が、
その「意見」で自分を打ちのめそうとして、
こぶしをふりあげるように「意見」をぶつけてきても、
それにフラットで、
決して相手を責めない態度で受け止め、
その受け止め方が、
「どちらの意見が正しいか」ということに
こだわっていた相手に良い影響を与え、
お互いを多様な意見をもつ者と認め、
お互いの考えを交換する「対話」でもって、
より良い第三案に向かっていく。


「対話」に意識をむけていくと、
それに関するいろいろな情報が集まってくるのか、
それとも、私が無理矢理そこに結びつけて考えるか。
ま、後者でも、考え途中なんだからいいと思う。



author : tanizawa-k
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「かもおばけ」の退治法。

【2011.09.16 Friday 22:41
中学校で「心の教室相談員」という立場で
活動していた頃、
私は「相談室便り」というものを出していた。
月に一回のペースで、
相談日のお知らせと、ちょっとした文章を
のせていた。

その中で「かもおばけ」の話を書いたことがある。

「かもおばけ」とは、
想像で悩みを作ってしまうこと。

失敗するかも
嫌われたかも。
大事な人を失うかも。

最初は小さい「かもおばけ」も、
膨らませるとモンスターになってしまう。

仕事先でのA子とB子が今日はよく話していた。
以前はその中にいれてもらっていたけれど、
今日のお昼、自分にひと声もかけず、
二人でランチにいってしまった。
なんか、気に入らないことがあるのかも
そうだ、二人に嫌われてしまったのかも
二人の影響力は強いから、
明日から、みんなの中に入っていけなくなるかも
そのうちに、お菓子はずしにあってしまうかも
飲み会に、自分だけ誘ってもらえなくなるかも
仕事をやめなきゃならなくなるかも


こんなふうに
「かおおばけ」に飲み込まれそうになったら、
方法は、ちょっと考えつくだけでも3つある。

一つは、現実をみること。
本当に二人でのみ話していて、
自分にまったく話しかけなかったか?
他の人は、自分に今日どういう態度だったか?
ちゃんと振り返る。
つまり、正体をあばいてやるのだ。
できるだけ、客観的になることが大切だ。

二つ目は、「かもおばけ」がつれてくる心配や不安を
を無視せず、心配や不安を自分の中に認めながらも、
それでも、やる必要があることを淡々とやること。
つまり、朝仕事にでかけ、誰にでも挨拶をし、
指示された仕事はし、普通に人々と接して帰ってくる。

三つ目は、「かもおばけ」がつれてくる心配や不安の奥に
隠れている目標を明確にし、その目標に向かって計画を
たてる。
たとえば、なぜ仕事先の人間関係が気になるかといえば、
穏やかで安心できる人間関係の中で働きたいという想いが
あるからこそだ。仕事だけしてれば、人との関係なんて
どうでもいいと思っていたら、心配にも不安にもならない。
穏やかで安心できる人間関係を作るために自分にできる
ことを計画してみる。
早くでかけて掃除をしてみるとか、コピー用紙を補充して
おくとか、電話がかかってきたらすぐに取り、メッセージは
必ずメモにして渡すとか・・・。


子どもたちに書いた時は、
クラスの中の友だち関係の例や、
部活での失敗の例で書いた。


その頃の私は、自分に言い聞かせるつもりで
書いていた。
一つの失敗で、
「かもおばけ」を想像の中で育ててしまい、
「私なんて相談員にむいてないかも」という
モンスターにしてしまいがちだった日々。

そして、時々、
他者に大しても使ってしまうことがある。
他者のたったひとつの言動で軽蔑したり・・・.

ま、こういう循環に入り込みそうになったら、
「出たな、かもおまけ」
と考えるだけで、
モンスターまでにはならないことは
実験済み。



今日は、久しぶりに「お便り」をひっぱり出す機会があった。
結構一所懸命に書いていた
あの頃を思い出し、
あの頃書いていたことは、
今の自分にも、結構役立ちそうだと
なんとなく思うなあ。







author : tanizawa-k
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感謝でいっぱいで不幸な人はいない。

【2011.09.15 Thursday 21:40
「CL~建設的な生き方」の教えの中に、
「感謝でいっぱいで不幸な人はいない」ってのがある。

  「CL」は、神経症の治療で有名な森田療法と、
  内観を組み合わせた人材育成法で、
  私はこれに出会えたことは、本当に幸せだと思う。

ま、とにかく、この「感謝でいっぱいで不幸な人はいない」
ってのは、ほんと、そうだなあと思う。

でも、ここがおもしろいところだが、
「CL」では、感情は大切なものとして扱うが、
感情本意ではないので、
「感謝」、つまり「ありがたい」という感情が
なくてもいいという立場だ。

どういうことかというと、
「ありがたい」って思ってなくても、
感謝を表す行動を示していくこと
すすめている。

たとえば、どういう行動をするかというと、
「一日10回誰かにありがとうと言う」
とか、
「ゴミ箱にゴミを捨てるとき、
 何に使ったかを考えて、ありがとうと言う」
とか、
「引き出しの中のものを全部だして、
 中をキレイにふき、
 出したものも、すべてきれいにふいて、
 しまうときに、ひとつひとつにありがとうと言う」とか。

行動は時々感情に影響を与えるから、
感謝の気持ちがなくても、
感謝を表す行動をしているうちに、
感謝の気持ちがわいてくることがある。

「感謝でいっぱいで不幸な人はいない」から、
不幸でないためには、
感謝でいっぱいになった方がいいが、
常に感謝の気持ちが持てるってわけじゃない。
でもそんな時にも
感謝を表す行動をすることを進めるって訳。



私は、今週、結構毎日ハードだ。
ハードな上に、実力不足、うまくいかないことも
そこそこある。
今日は走りながら、

いやあー勉強が足りないなあ、
いやになってしまうなあ、
いまだってそこそこがんばってるつもりだけど、
あとどれくらいがんばらないとならないだろう、
あ〜いやになるう!!!
なんて思ったわけだ。

そう考えながら、
こういう時こそ、感謝の行動だと、
「こうやって走れるのは誰のおかげか」ってのを、
考えながら走った。


夫が走り始めて、きっかけを作ってくれたおかげだし、
友人たちが、走ることの素晴らしさを発信して
くれたおかげ。
後輩がナイキのアプリを教えてくれたことで、
音楽を聴きながら走るようになったから、
後輩のおかげでもあるな。
そういえば、小さい頃から走ることは、
嫌いって訳ではなかった。
運動能力をある程度もたらしてくれた
両親のおかげだな。
そうだ、コツコツやることが
それほどイヤじゃないのは、
母が、自らの姿勢でそれを見せてくれていた。
それで、私も小学校のマラソン大会の前、
毎朝、学校に行く前に走って練習したんだっけ。
母は毎朝起こしてくれて、
それで、走りに行く私を見守ってくれた。
起きるのがイヤな日も、
母は、叱ったり、励ましたり、背中を押したりしてくれて、
私は練習できたんだっけ。

そんなふうに母のことを考え始めた時に、
急にある場面が頭に浮かんだ。

マラソン大会の日、
「今日は見に行くからね。
 坂を上がったあたりにいるからね」
って言ってた母。
私は先頭グループを走っていて、
その辺りを通ったときに、
エプロンをつけたままの母が、
いかにも仕事を抜けだしてきました・・・
って感じの雰囲気でそこにいたんだ。
母は
「くみこ〜くみこ〜」と叫んでた。

その仕事を抜け出してきてくれた感じのことが、
なんか、ものすごく私には心に響いたんだけど、
その場面が頭の中にくっきりはっきり浮かんで、
しかも、その頃周りは夕暮れでせつない感じもあって、
そしたらなんだか涙が止まらなくなってしまって、
今日は走りながら泣いていた。

ちょっとやそっとのことではびくともしない
カラダに産んでくれたおかげだし、
努力できる私に育んでくれたおかげだ。

お風呂に一緒に入りながら、
しゃべったいろんなこと。
ごまかしたり、うそつくことには厳しかったこと。
そのマラソン大会で一位を取れなくて
悔しい想いをしている私を、
なぐさめてくれたこと。

次から次へと
母がしてくれたことを思い出してしまって、
涙が止まらなくて、汗もかいていたから、
ぐちゃぐちゃになってしまった。


走り終わって、
すごく満足感があって、
母が大切に育ててくれた自分自身で、
精一杯やらないと、それはだめだあ、
と考えながら、
あれ?なんでこんなこと考えているんだろうと、
最初は仕事のことで凹んでいたことを思い出した。


感謝でいっぱいで不幸な人はいない。

感謝でいっぱいになると、
力がわいてくるような気がする。








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「打たれ弱い」と思っているあなたに。

【2011.09.11 Sunday 14:55
「こんなこともできないの!」
「いつも時間、かかりすぎ」
「だからいい加減にやらないで!って言ったでしょ」
「まったく何をやらせても、満足にできないね」
「やっぱりB型。独りよがり」

まるで矢のように、
するどくイタ〜い言葉が、
飛んでくることがある。

相手にとっては軽く言った言葉だったり、
こちらを励まそうとした言葉だったりしたとしても、
受ける側にとってはキツくて、
どう受けたらいいのか、
真っ白になって、
呆然としてしまうこと、ある。


私は長いこと、
打たれ弱かった。
たとえば、相手はアドバイスのつもりで言ってくれた、
「そんなにがんばらなくていいよ」
という言葉に、
がんばろうとする私ってダメなの?
とか思ってしまったこともあったし、

「気にするの、よしな!」という言葉にも、
気になっちゃう私って全然ダメな人なんだ
と思ったり。

私にダメージを与えようとしての言葉ならまだしも、
なぐさめようとしてくれた言葉にも、
凹んだりすることもあった。


大きなカテゴリーでいうと、
そういう私への「批判の言葉」。

そういう言葉を
私自身そのもの丸ごとダメだしと
考えて凹んでいた私が、
「批判の言葉≠自分自身」
って考えることができるようになったのは、
アサーティブ・トレーニング応用講座で
頭で理解したことがスタートだった。

学んだからといってすぐに
「まったくあなたったら
 だらしないんだから」
とか、
「長男の嫁なのに、
 自分の好きな仕事ばかりするのは、
 よくないよ」
とか、
そういう言葉たちにすぐに対処できるように
なった訳ではなかったけど、
少なくとも、延々凹み続ける
考えの悪循環にはまらなくなったのは、
知識として「批判への対応方法」を
学んだのが大きかった。

私に効果があったことが、
みんなに効果があるとは思ってはいないけど、
でも、それでも、
アサーティブ・トレーニング基礎講座を
学ばれた方には、
ぜひぜひ、
次のステップ応用講座まで進んでいただきたいなあと
思う。
多分、
それまで、
どこでも、
学んだことがなかったことに
出会えると思う。



静岡では10月の8日9日で
応用講座が開かれるので、
基礎講座を受講された方は
ぜひぜひ参加をご検討ください。

★アサーティブ・トレーニング応用講座in静岡
日程:  2011年10/8(土)9(日)
場所: 静岡県教育会館(静岡県静岡市)
時間: 10/8(土)10:00〜17:00  9(日)9:30〜16:30
対象: 基礎講座を修了された方(2日間通して参加できる方) 
費用:  31000円
定員:  21名
講師: 谷澤久美子(アサーティブジャパン認定講師)
お問い合わせ/お申し込みは





さて、アサーティブネスの講座・講演が続いている。
主催者の方から、感想などとともに、
いろいろなご報告が。

9月9日富士市のグループ<片づけ対話>さん主催の
講座について、ブログでのご報告。


9月10日に開催した
静岡市のNPOこころのケアグループさん主催の講演会の様子↓
写真2.JPG.jpg


写真.JPG.jpg

**このブログは、
NPO法人アサーティブジャ パン認定講師である谷澤久美子が
個人で開いているブログです。
このブログに関する全ての責任は谷澤久美子にあります。
NPO法人アサーティブジャパンが運営・管理している
ウェブサイトではありませんので 予めご了承ください。


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谷澤 久美子
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