2011年06月の記事 | 今のところではありますが…
「127時間」

【2011.06.29 Wednesday 18:16
私の、今のところの今年度ナンバー1。
すごい映画を見てしまった。

自立ってのは、自分で何でもできることを言うのではなく、
時には「助けて」って言えること。
私はそう思っているのだけど、
通常の、何の変哲もない毎日の中では、
なんとなく他者を頼ることは、
弱いことだと思ってしまいがちだ。

この映画の主人公も、
今まで何でも独りでやってきた。
大概のことは独りでのりきれてきた。
これからもそうだと思ってた彼だったが、
そうではなかった・・・
それを、めちゃくちゃすっごい状況で心底分かった人の物語。


主人公のアーロンは、
都会で普通に仕事をし、
週末はブルージョン・キャニオンを
音楽を聴きながら歩き回ることを楽しみにしている。
この日もいつもと同じように、
妹からの電話に出る間も惜しんで準備をして、
出かけた。
到着してしばらく楽しんでいると、
迷子になった二人の女性をみつけ、
道案内をし、さらに、ワンランク上の楽しみ方、
崖の狭い隙間から泉にダイブして遊ぶ方法をトライさせて
あげたりする。
二人からは別れ際翌日のパーティに誘われ、
その後、アーロンはいつもと同じように
ビック・ドロップという目的地をめざす。
だが、その途中、足がすべり、狭い岩壁の間に、
落石と共に落ちてしまい、
しかも、岩壁と落石の間に右腕は挟まれ、
にっちもさっちもいかなくなってしまう。

タイトルの「127時間」は、
そこから、脱出するまでの間が127時間だった
という意味。

この間、本当にすごいんだ。

そんな状態になれば、誰でも混乱する。
アーロンも、最初はムキになる。
絶対無理なこと、
落石を外そうと使える方の左腕で
力いっぱい落石をたたく。
たたくというより、からだごとぶつける。

しかし、びくともしない。
すぐに冷静になる。
「考えろ、考えろ」と自分に言い聞かせ、
背負っていた荷物をおろし、
持っているものを落石の上をテーブルにして起き、
食料の量、残っている水の量を確かめる。

そして、小さなナイフで、
岩壁と落石の間を少しずつ掘り始めるのだ。

少しずつ掘り進めるが、ほとんど役には立っていない感じ。
それでも、時間を決め、水を飲み、眠り、
遺書代わりのためにビデオを撮影し、
両親へ語りかける。
落石から開放されるアイディアがわくと、
それを試してみる。
たとえば、ロープで落石をつり上げる作戦。
しかし、やっぱりだめだ。
夜は寒くなり、一度は大雨が降った。
温かい日差しが指すのは朝の15分間だけ。
そんな中、あきらめずに掘り続ける。

時には幻想をみる。
幻想を見たときは、
自分を保つために撮影してみる。
すると、何も映っていないので、
幻想とわかる。

また、これまでの人生をいろいろと振り返る。

母から電話があって、
留守番電話に向い話す母の声は
「今出張で父親がいなくて
 さみしいから話したい」と
言っているのに、
他の用事をしていてスルーしてしまったこと。
妹の結婚式にも、
自分の用事を優先して出席せず、
かつての恋人と、
一緒に野球観戦をしている間に、
「自分優先のあなたとはやっていけない」
と言われたこと。
多分彼女は「君を大切にするよ」と言ってほしくて
言ったことだと思うのに、
そのままにしてしまい、
「きっとあなたはひとりぼっちになるわよ」と
捨て台詞とともに去っていった。

出会ってきた人たちのことを
大切にしてこなかった日々を思い出すアーロン。

そして、
気づくのだ。
ブルージョン・キャニオンに来ることを、
誰にも言ってはこなかったことを。

自分は自分ひとりで生きてきたし、
これからも生きていけると思い込んでいた、
驕りみたいなものを思い知るアーロン。


ここから、めちゃ壮絶だし、
この映画は、超おすすめなので、
どういう方法で彼がサバイブするかは、
書かない。

ただ、すごい。本当にすごい。
さらに、これが実話ということだもん、
言葉がない。



途中彼が考えるいろいろなことの中で、
ある歌が流れる。
この歌詞がとってもいいんだ。
あまりにも曖昧なんだけど、
こんな感じ。

どうしようもなく動きがとれない時がある。
そんな時もあるけど、
そんな時は、その場で種をまこう。

私はすごく力強く思った。
これ、私はしてる!って思った。

凹むし、くじける私だけど、
凹みならは、くじけながら、
その時できることをするってことを、
心がけている。
ご飯を食べるとか、
掃除をするとか、
仕事にいくために準備をするとか、
そういう本当に大したことない種まきだけど、
それでも、それをすることが、次につながる。

アーロンも、何度ももうだめだと思いながら、
自分の尿まで飲んで、行き伸びるのだ。
常に種まきしながら。



元恋人は、アーロンに
「ひとりぼっちになるよ」と言って去っていったけど、
私は、彼は岩壁と落石にはさまれ、
身動きできない孤独の中で、
結局はひとりぼっちではなかったと思う。
いろいろな人が、頭の中に表れた。
その人たちがアーロンを大切にしてくれたからこそ、
彼は、どうしてもその人たちにもう一度会いたくて、
あるいは、お返ししたくて、
それがサバイブのモチベーションになったと思う。

そのことに気がつけたからか、
実在のアーロンは、
人生をやり直せるとしても、
もう一度同じ目にあいたいと言っている。
「人生の困難は、逆に恵みでもあるんだよ」と
パンフに書いてあった。

おおお!すごい。

絶対に、みんな、見て!

これだけすごい話なのに、妙に明るいし、
音楽もいい。


あ〜興奮したあ。




 
author : tanizawa-k
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へりくだりすぎず。

【2011.06.27 Monday 18:07
「させていただく」という言葉を
意識して使わなくなって、どれくらいになるのだろう?
多分、2010年の始めくらいからは使っていないと
思う。
ソレ以前はよく使っていた。

自己紹介などのとき、
「私は学校でカウンセラーとして活動させていただいて
 おります」
「今回の講師を務めさせていただくのは私、谷澤です」
勉強会、講座に参加するとき、
「この講座に参加させていただいた理由は・・・」
ってな具合だった。

「させていただく」という言葉は、
「謙虚な人」という印象を周りに与えるのではないかと思い、
使っていたと思う。

しかし、やめよう!と自分で決めたのは、
「自己信頼」ということを突き詰めて考えた
ことが大きかった。

それからは私は
「スクールカウンセラーとして活動しています」とか、
「コミュニケーションの講師です」
と言い切ってきた。
「講座に参加した動機は〜〜〜」と言ってきた。

突き詰めて考えていくと、
私の使う「させていただく」という言葉の裏側には、
こういう役を私などがやらせていたくほどの力は
ないのですが、いろいろなご縁の中で廻ってきた
役割で、決して私がこの役に似合っているとか、
適任だとか、そういうことではないのです。
ですから、もし、ハンパなことをしてしまった
としても、それは大目にみてくださいね・・・
のように、
謙虚なイメージをもってもらいたいという考えとともに、
期待に応えられなかったときの、
エクスキュ−ズも入っていたように、
自分なりに分析をした。


で、もう、そういうのは、やめよう!
って思ったんだ。

へりくだりすぎなくて、いいぞ、私!って感じ。

相手からどう思われたいか、
というところから、
コミュニケーションを出発させるのはやめよう。
失敗したときのことを考えて先回りするのも
やめよう。

「私は、こういう人です」でいいし、
失敗したら、そのときに、その時の精一杯でことに当たる。
それでいい。

そして、本当の謙虚さは、
「させていただく」という言葉の中にあるのではなくて、
価値観の違う相手に対しても、その方の価値観を認めながら
対話することの中や、
自分が伝えたいことが絶対だ!というところに立たない、
ってことの中にある。

失敗したら立ち上がれないと、
自分で自分を過小評価をしている時に
先回りをしたくなるが、
私は結構タフに、失敗から学んできたはず。


「させていただく」という言葉に依存しなくなってから、
呼ばれ方も意識してみた。

私は特定の仲間たちの中で、
「くみ。」と呼ばれたいと、
ずっと思っていた。
「。」の意味は呼び捨てでOKという意味だ。

しかし、キャリアの年数や、年齢が下の方などは、
とても呼びにくいようで、
「くみさん」と呼んでくれていたり、
時には「くみちゃん」と呼んでくれていた。

最初は、ま、いいかと思ってた。

しかし、「くみさん」って呼ばれた時の、
落ち着かない感じや、距離のある感じ、
そして「くみちゃん」と呼ばれたときの、
小さな子どもになったような感じ、
身長差のある方からそう呼ばれると、
一層ちっちゃくなったようで、
やっぱ、やだなと思った。
この、やだなって気持ちを大事にしようって
思ったんだ。

そして、その時に気がついた。
私は「くみ。」って呼んでほしいということを
ちゃんとは伝えていないって。
それなのに、
「呼んでもらえない」って、
心の中で思っているって。
「結局人は私が呼ばれたい呼び方ではなくて、
 自分が呼びやすい呼び方で呼ぶんだな」
と相手のせいにしているって。

じゃくて、ちゃんと伝えよう、
小さなことだけど、何回も伝えよう、
そう思った。

そう思って、ちゃんと伝え、
「くみさん」と呼んでくれた時に、
すかさず「くみ。」でお願いしますと依頼すると、
おもしろいように、そうなっていくんだな、これが。



自分で、
私ってなんて面倒なヤツなんだって時々思う。
でもさ、不器用だからね、
ひとつひとつ、自分でちゃんと考えて、
つかみ取っていくしかないのさ。



「させていただく」も
「くみ。」も、
私の自己信頼と大きなつながりがあるのです。












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「Beフラット」

【2011.06.26 Sunday 15:32
中村安希
亜紀書房
¥ 1,575
(2011-05-09)

夫の強いすすめで読む。
読み出してすぐに、
こりゃ、人にすすめたくなるって思った。
夫が手にとったのは、帯のこの文章、
「物心ついたときには、経済成長なんて
 すっかり終わっていた。就職難も自殺も
 過労死も、それに無差別殺人だって、ご
 く当たり前の現象として受け入れなが
 ら大人になった。
 私は、動物が果実を食い尽くして
 走り去ったあとの、フンと食べかすだけに
 なった果樹園を思い浮かべた。私たちは
 真新しいバスケットを小わきに抱えフン
 だらけの果樹園へ颯爽と登場すると、
 食べカスを指でつまみ上げため息をついて
 それらを投げ捨てた。
            ープロローグより」
つまり帯買いしたとのことだが、
ここだけ読んでも、
寒気がするくらい、本当のことだ。

そして、上の文章の中の『動物』の、
私も間違いなく一人で、
私が仕事の中でかかわっている小学生・中学生の
顔を思い浮かべると、
「生きてるっていいよ」って言える私の背景と、
それを聴かされる子どもの背景との、
あまりにも大きな違いに、
申し訳なさで、言葉がなくなる。



原発事故の現状を知る度に、
自分達ではコントロールできない怪物を、
発電(だけを考えた時の)価格があまりに安かったからと
いう理由で、使い続けることを許容していた
自分自身の浅はかさにいやになる。
処理にお金がかかるだけならイザ知らず、
汚染水がもしあふれてしまったら、
また地下水をよごし、海にシミでてしまったら、
二号機が水素爆発してしまったときに、
また化学物質をばらまく・・・、
お金も大変なことだけど、
与え続ける影響の大きさに、
恐ろしくなっている。
一度事故を起こすと、
途方もないお化けになってしまう原発だが、
事故を起こさなくたって、
今稼働している原発の使用済み燃料の処理方法は、
なんとなく棚上げしたままだ。
最終処分の場が未定なまま、
それでも電気は使い続ける私。
だけど、
私が許容してきたことは、
原発だけではなかったことが、
この本で、言葉を得てしまい、
確実に問題となって目の前で出された。
解決していかなければならない問題の
メニューが並んでしまった。


著者は国会議員へのインタビューと、
自身の経験をふまえて、
今の日本の抱える問題を明らかにした。

子ども時代のこと、派遣労働者としての経験、
海外での学生生活、
日本での社会人としての経験、
それらの経験と現実の政治が方向性を示すべき問題が
繋がって語られるから、
すごくわかりやすい。

たくさんのメニューの中で、
社会保障のあり方と、雇用のかたち、
そして教育のシステム、
こられの問題点が、
この本によって、特に
私にはわかりやすく、
はっきりしてしまった。

はっきりしてしまったと書いたのは、
残念っていう意味ではなく、
責任の重さを感じているからだ。
今までもちょっとは考えてきたけれど、
食べ尽くしてきた大人の一人として、
考えていく責任と、その重さに、
どうしたらいいのか!という意味だ。

本は、
フラットな社会保証制度、
そしてフラットな税制、
さらに、フラットな教育システムという
フラットであることを方向性として
示しているように思える。


明解な答えなどない時代を生きている私たちが、
やった方がいいことは、
考え、考えを表明し、
自分とは違う考えを聴き、
また考え、
対話をし、答えを求め続けていくことだと思う。

そういう機会を自分から作っていったり、
求めていく責任が、
私にはあるんだな。

特に教育に関しては、
当事者でない訳ではないから、
もっと、その問題点や、
あまりにも局所最適を考えすぎて、
全体として変な方向に向かっていることを、
発信していっていいのかもしれない。


あーあ、やることがいっぱいだあ。
めげるう。
めげていい、
めげていいけど、めげた時には、
目の前のやるべきことに集中することから!

来週の講演のレジュメを作ろう。

そして、子どものために大人ができることを、
考え合う時間を作ることで、
フラットな社会に貢献するのだ。


それと、次の選挙では、
もっと突っ込むと決めた。
準備がないと突っ込めない。
この本は、次の選挙の前に、
もう一回読む。





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家族が一緒にいることの「奇跡」。

【2011.06.23 Thursday 14:50
是枝監督と「まえだまえだ」の「奇跡」を見た。

両親が離婚。
鹿児島でお母さんとお兄ちゃんは暮らし、
弟とお父さんは博多で暮す。
お兄ちゃんは大阪で4人で暮らしていた日々が恋しくて、
「意味分からん」を口癖に、なんとかかんとか暮らしている。
弟は早々にお父さんとの暮らしに慣れ、
友達もできて、楽しく暮らしている。

ある日お兄ちゃんは友達から
九州新幹線が全線開業する日の朝の
一番列車、
福岡からの新幹線と、鹿児島からの新幹線が、
最初にすれ違ったところを見た人に、
奇跡がおこるという都市伝説を知る。

お兄ちゃんは、奇跡を起こしたいって考える。
奇跡とは
また大阪で家族一緒に4人で暮すこと。

その冒険に兄弟の友達ものって、
子どもたち合計7人で
すれ違う場所をめざす。

お金を集めたり、
学校をどうさぼろうかと算段したり。

彼らの冒険を大人たちが協力してくれる。
弟のお金は、
お父さんと直談判し、子ども手当から出してくれることに。
お兄ちゃんとその友達合計3人は、
ほぼ同じ時間に気持ち悪くなって保健室にいくが、
保健室の先生が「私も小学生のとき、
学校さぼってミスチルのコンサートいったんだよね」と
体温計の数字を上げる方法を教えてくれる。
おじいちゃんは、ちょっとタイミングを間違ったけど、
迎えに来てくれて、
お兄ちゃんたち3人と弟たち4人は、
それぞれが住む町の駅を出る。

めざす小さな駅でおり、集合。
そして、新幹線がすれ違うところを
ちょうど見られそうなスポットを探すうち、
見ず知らずの老夫婦に一晩お世話になることになる。
このおばあさん役が、
なんと、なんと、りりいなんだけど、
本当に普通の、何でもない、人の好いおばあさんを
演じてて、それが、もうすごくびっくり。

そして子どもたちは目的を達成して
また日常に戻っていく、
そんな物語。

多分、この映画の弟くんは、
環境に慣れるのが早くて、
その中で自分の居場所を見つけていかれるタイプの子だ。
だから、スイミングから帰ってきて一人で
コンビニのお弁当やたこやきを食べながらも、
なんとなく楽しめたり、
ま、そうは言ってもいろいろ我慢していると思うが、
それでも、その生活の中で、
自分で家庭菜園をやって野菜作りを楽しむなんて
こともできる。
でもお兄ちゃんは、
お母さんや祖父母に囲まれてにぎやかにご飯を食べても、
学校では友達もできでも、
火山灰のことや、
学校までの長い坂や、
いろいろなことを納得するのに、
時間をかけるタイプの子なんだと思う。

どちらがいいとか悪いではなく、
そういうタイプってことだし、
多分、生きやすいのは弟くんのタイプだろうけど、
こんな冒険を実行まで持っていくのは、
お兄ちゃんのタイプだったりする。
それは、想いが強いからなんだと思う。
簡単に親の離婚を納得しないから、
どしても家族で一緒にいたくて、
その想いは、他の何かではごまかしきれない程
強いものだったんだと思う。



私は子どもたちにコミュニケーションの授業をするとき、
時々、
手塚さんというファシリテーターに教えていただいた
「絵によるコミュニケーション」というゲームをする。
ジェスチャーゲームの絵バージョンだ。

最後に「しあわせ」という言葉をお題で出すと、
多くの子どもたちが描く絵が、
ゲームをやっているところでも、
遊んでいるところでもなく、
家族が一緒にいる場面だ。

家族が一緒にいる場面をチームの選手が描く。
チームの子どもたちは、
描かれた家族が一緒にいる場面を見て、
「しあわせ」と答える。


それが分かっていても、
大人の事情ってある。
そうしない方が子どものためだと分かってはいても、
子どもにとっては良くないことだと思っても、
それでも、どうしようもなく、
別居や離婚を選ぶことが、ある。
私は別居することや離婚を選ぶことを、
悪いこととは思えない。
その、あまりにも深い葛藤や、
抱えるしんどさは、
その選択肢しかないとどちらかが考えた瞬間から、
きっと一緒にいることを選んだとしても、
抱えるものだと思うから。

あ〜あ、生きるって、どうして、
思うようにいかないんだろう・・・。

また、それを受け止めきれない
この映画でいえばお兄ちゃんのようなタイプの子が、
抱えるものも、また、せつないなあ。

誰もが幸せを願っているのに、
時々すれ違う、事情や感情・・・。



この映画は、多分昨年作り始めたものだと思う。
でも、3月11日を境に、
また意味が違ってきたと思う。

両親の都合の問題ではなく、
もっと他の理由で
別々に暮らさなければならなくなった、
家族が、たくさんいる。

その方々は、
どういう思いでこの映画を見るだろうか。

大切な人同士が一緒にいられることって、
この映画が描いているように、
「奇跡」みたいなものなんだな。
「奇跡」みたいなものなのに、
一緒に居る時は、
それが「普通」みたいな気がしてしまう。
「普通」だから、気にも留めない
「当たり前」の日常にしてしまう。



毎日が「奇跡」みたいなものなんだと、
あれほど胸に刻んだのに、
それでも忘れてしまう私に、
こういう映画は、時々必要なんだと思う。




で、私としては、
だまされてあげる大人になりたいな。
保健室の先生みたいに、
方法までは教えないとしても、
だまって、分かってても
だまされる大人!
そういう方が、かっこいいもん。





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天野祐吉さんにインタビューしてた私。

【2011.06.21 Tuesday 22:12
今日、大学時代の友人からDVDが届いた。

私は日大芸術学部放送学科に在籍していた。
専攻は、私はアナウンス。
他にテレビ制作、ラジオ制作、
技術、広告制作があった。

そのテレビ制作専攻のグループが作った番組のDVD。
中で私はインタビューのコーナーを担当していた。

こんな大きな出来事を
なぜ今まで忘れてしまっていたんだろうと
思うけど、
なんと、私がインタビューしている相手は、有名人!
天野祐吉さんだった。
広告批評という雑誌を作った方で、
今もよくコメンテイターとしてテレビに出ている。

彼は大学で授業も持ってくれていて、
多分そんな関係でこのコーナーに出演してくださったのだろう。

画面の中の27〜8年前の私は、
天野さんに対し、結構失礼な口を訊いている。

「広告批評」は特集に特徴がある。
直接今どうしても必要なことではないことを
特集している。
たとえばこの号は「届いてますか?言葉」。
それって、どういう意味?
的なことを訊いている。

びっくり!だ。

天野さんは丁寧に答える。

ファッション雑誌に掲載されているスタイリングを
見れば、あ〜こう装えばいいんだなと分かって、
すぐに真似ができる、すぐに何かの利益になる。
それはそれでいい。
でも僕は、すぐに今必要ではないとしても、
でも僕が今の社会の中で必要だと思う事を、
特集にしている。
第一、言葉は今、本当に届いていると思いますか?
コマーシャル見て心動かされる?

こういう答をもらうために、
一生懸命にインタビューをしている、
まだまだ子どもだった私。

雑誌を作っている天野さんに、

雑誌って、結局たかが雑誌ですよね。

なんて言っている。あ〜〜〜恐れをしらない私。

読もうと思って読むというよりは、
寝っころがって何気なく目を通していて、
でもふっと心の残る記事とかあって、
時には、自分の人生を変えちゃうほどの記事に
出会ってしまったりする。

なんて、生意気にも、言っている。

この頃天野さんは広告制作を仕事としたい人のための、
広告の学校というものを作られて活動していた。
私はその事もきいている。

なぜ広告の学校を作ったのですか?

言いたいことがあったり、
どうしても伝えたい何かを持っていても、
伝え方の技術を知らないと、伝わらない。
その技術を教えるための学校ですよ。

私は、
天野さんがその言葉を言った瞬間、
すごくびっくりした。

こういうことが、27−8年前に、
私の中にインプットされていたんだという驚き。
今と繋がる縁というか,糸というか、
そういうものを感じたんだ。

それまでは、若い私がいろいろ発言していることが、
照れくさくてしょうがなくて、斜め見な感じだったけど、
その言葉の瞬間に、胸が熱くなってしまって、
涙がでてきた。

私は、今もかわらない。
あの頃と同じようなことを考え、
同じようなことをテーマに活動をしていることに、
もしかしたら、
いろいろ寄り道もしたけれど、
この一本の軸が私の中にまっすぐ入っているのかも・・・
と思えて嬉しい。

「届いてますか?言葉」というタイトルの特集があったら、
今の私も本屋で立ち読みすると思うが、
あの頃の私も、それを手に取らずにはいられなかったんだ。

なんか、あの頃の自分が愛しくてたまらなくなった。

そこには、
届けたい想いがあり、
伝えたいこと、
わかってほしいことをがあり、
それをどうしたら
伝わるように伝えることができるか、
四苦八苦してた私がいる。

私って、結局、
伝え合うとか、
分かり合うとか、
言葉のやりとりとか、
コミュニケーションとか、
そういうことをずっとテーマにしてきてたんだ。

そうやって
生きてきたこの年月。

やっと
その方法を習得し、
訓練を重ねている私。

そして、講師として伝える立場に立つ私。

その第一歩って、
このあたりだったんだなあ!!!

あ〜感慨深い。
すごい一日になった。



このDVDを見ることができたのは、
このテレビ制作のチームの一人が、
卒業後に母校を訪ねダビングがなんかして、
大切にもってくれていたことが始まり。
そのことを彼がFacebookに書き込むとすぐに、
それをDVD化してくれようとする友人が表れて、
それが実現していったのだ。

そういうことのおかげで、
私は自分のルーツのようなものを発見できた喜びに
浸ることができた。

本当に、本当にありがたい。


author : tanizawa-k
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家族の自慢をちょっとだけ。

【2011.06.20 Monday 17:38
うちの義父なんですけど、
めっちゃかっこいいとこ、ある。

少し前、義父のところに一本の電話がかかってきた。

あなたは選ばれた。
◇会社の社債を購入できる権利があなたにある。
静岡県は、◇会社の社長の故郷で、
故郷に貢献したいという願いから、
80人の人にこの権利をお渡しする。
年率18%〜20%の金利がつく。

というような、そんな話。

義父はそんなばかな!と思いながらも、
一応パンフを送るように言ったようだった。

すると、その後、2つの証券会社から電話が。
ある筋から入手した情報によると
あなたは◇会社の社債を購入する権利を与えられたようだが、
ぜひその権利を譲ってもらえないか?

義父はそこで、「もしかしたら本当?」と思ったらしい。

それで、急にもったいなくなって、
その社債を購入することに決め、
ある程度の金額を振り込んだ。

その話を聴いた夫が、
ネットで◇会社を調べようとしたが、
サイトがない。

夫は義父に一応お金を止めてもらって、
証券会社にそういう話があるかどうか確かめた方がいいと、
アドバイスした。

義父は急いで銀行に行き、
とめてもらうように頼むと、
送金先は郵便局で、
郵便局はそのお金の流れを怪しく思い、
とめておいてくれたとのことだったらしい。

あっちへ問い合わせたり、
こっちへ出かけたり。
その日は一日、相当忙しい想いをし、
疲れたはずだ。
その義父が言った一言が、
めっちゃかっこよかった。

「あ〜もうかった」

「詐欺にあうところだった」でもなく、
「あぶなかった」でもなく、
「損する寸前だ」でもなく、

「もうかった」

「くたびれもうけ」でも、
「あ〜わずらわしい」でもなく、

「もうかった」

夫は「オレは父親を尊敬する」と言っていたが、
本当にそうだ。

義父は、そういう視点をもった人だ。




もうひとつ家族自慢をすると、
うちの夫の怒りの伝え方。
これが、上手な時はめちゃ上手だ。
(もちろん、そうでない時もあるよ)

私は彼と話している時、
特に政治や原発事故の話題について、
私の話しっぷりが拙いことで
上手く伝わっていないのではないか?と思うことがある。
そういう時、
「わかる?」と訊く。

この「わかる?」は、
「(あなたにこの複雑な話が)わかる?」の
「わかる?」ではなく、
「(こんな拙い伝え方で)わかる?」の
「わかる?」だ。

しかし、彼には一番目の方の言い方に聞こえるようだった。

「あなたが『わかる?』っていうのきくと、
 すごく腹が立つ」

彼は、感情的ではない、本当に冷静な言い方で、
カチンときていることを、私に伝えた。

あれれれ、これは、怒りの伝え方のお手本みたいだなあと
私は思いながら聴いた。

で、私は二番目の方の理由で訊いているんだよと伝えると、
「そうだとしても、やっぱりその言葉には、
 腹がたつんだよ。
 だとしたら、『この言い方でイメージわく?』って
 訊いてほしい」

私は、心底すごい!と思った。

私がアサーティブ・トレーニング応用講座の、
「批判に対処する」で、
伝えてきたこと、
伝えながら、
「なかなか難しいですよね、
 咄嗟の時にはいつものパターンがでてしまいがちですからね」、
なんて説明してきたことを、
いとも簡単にやってのける彼。

彼は、「わかる?」という私の言葉にカチンときて、
まずは、自分の感情を私に伝え、
さらに、私に、その言葉の理由を聞き、
最後には代替案を提示した。

すごいなあ。すごい。



日常の一コマで、
素敵な事にであえることも
学びに繋がるなあ。
見事だなあ、うちの男性たち。




author : tanizawa-k
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絶望への特効薬。

【2011.06.18 Saturday 06:34
以前読んだ本「『対話』がはじまるとき」は、
相当たくさんのチェックしながら読んだのだが、
その自分がチェックしたところだけ、
あらためて拾い読みしてみると、
これがまたいい。

様々なチェック箇所で様々な考えを巡らせるが、
今日の私には下の一文だ。

「絶望に対する特効薬は希望ではありません。
 心を曇らせている問題に自分はいったい
 どんなふうに取り組みたいのか、
 それを見つけたときに、
 絶望は癒されるのです」

これは私自身の体験に照らし合わせても
同意できる。

私はこれまで、母が52歳で亡くなってしまった時や
家業の経営者であった父が亡くなってしまった時、
途方にくれたし、絶望というものを味わった。

母が亡くなった時は、
その直前に婚約をしたばかりだったから、
これからの自分がどうなるのかと考えると、
真っ暗だった。

父が亡くなった時は、
私も後継者として経営の勉強を始めたばかりで、
どうしたらいいか分からず、
絶望の中でからだだけは動かしていた感じだった。

確かに、その私に「希望」を持てと、
あの時、もし誰かに言われたら、
「希望なんか、どこにありますか!」と
腹がたったと思う。

夢なんか描けなかったし、
明るい未来の想像なんかできなかったし、
もし想像できたとしても、それとのギャップに
逆に落ち込んだと思う。

幸い私はその両方の時に、
語り合える人がいて、
悲しみや不安や絶望を
受け止めてくれる人たちがいた。

そしてその人たちが聴いてくれることで、
自分の方向性が決まっていったと思う。

母の時には、それでも結婚をするということを。
父の時には、実家を廃業することや、
 それによる周りへの迷惑を最小限にすることを、
自分の中で決めることができた。

結婚したあとの明るい未来や、
廃業してどうなるのかなんか、
まったくわからなかったが、
このことで自分の人生をどうでもいいものには
しないということ、
つまり、
それでも幸せを求めていいんだと、
自分に許すことができたと思う。

そして、そのそばには、
いつも「人」がいて、
そのつながりの中で、
そう思えていったのだと思う。



昨日、「思春期のココロ」という講座を終えた。

受講生の方々の感想を読むと、
「これからもイライラしつつ、子どもと
 一緒に成長していきたい」
とか、
「自分のできる範囲で、
 できるところからやっていきたい」
とか、
「親だから、ということから
 力をぬいてやりすぎないようにしていきたい」
とか、
「自分のために一歩踏む出す勇気がもてた」
とかいうものがあった。

すぐに問題が解決する訳ではないけれど、
方向性とか、心構えとか、
そういうものを見つけてくれたように思った。

多分、それは
2時間X2回と短い時間の中だったが、
可能な限り、
受講生同士で「話し、聴く」という部分を
持てたことが大きいと思う。

話し聴くことで、
分かってもらえた体験、
自分の困難に寄り添ってもらえた体験、
誰かが真実を話し始めると、
それは、他の誰かの心に灯りを灯すように
つながっていく、そういう体験。

そういう体験をしてもらえたようで、
本当によかった。



「テクノロジーは助けにはなるでしょう。
 しかし、解決策は人間そのものなのです」

本当にその通りだと思う。
メールもfacebookもtwitterも、
それを使う人の使い方が、
人と人をつなぐ助けになっていることで、
いきる。

「心と心でつながることは喜びを与えてくれます。
 しかも、そうしたつながりは状況を選びません」
 
東北の方々のこの100日間を、
私はテレビや新聞やネットで知るだけだから、
それを一般化して言うことは憚れるが、
しかし、繋がることを生きる支えとして、
毎日を送ってらっしゃる方が
多くいらっしゃるってことは分かる。
困難の中にいて、
人本来の持つ可能性を示してくれているようにも思う。




目の前に困難があったとき、
その困難に自分はどんなふうに取り組みたいのか、
それを整理することを、
自分ひとりでやらなくてもいい。
もちろん、自分で考えることは必要だ。
しかし、考えたことを誰かに聴いてもらい、
そういうつながりの中で、
たとえば練りながら、
あるいは修正しながら、
自分の方向性を見つけていくことが、
困難からの一歩でる方法なんだということに、
あらためて勇気が湧く。



以前、
大切な友人が困難を抱えた時、
私に
「私のいいところを、教えて。
 分からなくなってしまっている」
と言ってきてくれたことがある。

私は、書ききれないなあと思いながら
彼女に心をこめてメールを送ったこと、
思い出した。

彼女が私をそういう存在と思ってくれていたことが
ありがたいし、
私も、度々彼女に助けを求めてきた。
これからも、そうできる。


・・・といろいろと考える朝。












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ブレーキは「恐れ」。

【2011.06.16 Thursday 20:52
小学校中学校でカウンセラーとして活動していると、
「恐れ」という感情によくぶつかる。
この感情に支配されて、
辛い思いをしている子どもと会うことがあるのだ。

間違ったらどうしようと思うと、
手をあげれらなくなるし、
きらわれたらどうしようと思うと、
友達と違う考えは言えなくなったりする。
常に自分が浮いていないかどうか考えるし、
一部を注意されても、自分を全否定されたように
感じてしまったりする。
自分がいつも、友達の中の、
どの辺りのランクにいるか気になって、
目の前にやるべきことに集中することが
できにくくなってしまったりする。
小さいことが気になる自分が
自分でいやになってしまい、
集団の中にいることが
落ち着かなくなってしまったりするかも。

「恐れ」は躊躇や怯えにつながり、
つまり心配と似ている気持ちで、
「安心」の反対なんだと思う。

認知行動療法の考えでいくと、
出来事から直接感情が湧くのではなく、
考えを通って、感情となる。

つまり、同じ出来事、
たとえば、

何かを間違ってしまった(出来事)
ばかにされるかも。怒られるかも。(考え)
心配(感情)
という経路を取るか、

何かを間違ってしまった
なんとかなるし(考え)
特になにも感じない(感情)
という経路をとるかは、

(考え)で決まるが、
この(考え)に影響を与えるという意味でも、
周りの大人の言動は大切だと思う。


つまり、
いろいろな出来事が起こるのが社会ってものだから、
その時、まあまあ、安心っていうか、
ま、こんなこともあるさ!くらいの感じ、
なんとかなるよ!的な感じがあると、
恐れより安心の方にいきやすいんじゃないかと思う。

恐れという感情は、
人が生きていく時、大切な感情。
恐れがあるから、
車に気をつけて歩くし、
人とコミュニケーションをとる時
気をつける。

大事な感情だけど、
必要以上にわいてでてくると、
成長や回復や改善のブレーキにもなりやすいから、
そういう意味で
大人のできることとして、
認知行動療法の「考え」のところに、
影響を与えるような行動を取りたいなって思う。


ずっと前、
ある3年生の子どもの親御さんと
何気なく話している時、
宿題の○付けを親がやることになっているが、
子どもがやらせないと言っていた。
で、詳しく聴いてみると、
○付けなんだけど、
正答に○はつけず、
間違っているところには×をつけているということだった。

私は、
それでは
(考え)が
「どうせ認めてもらえない」になってしまうのでは?
と思って、
○も付けてみたら!と提案した。

彼女はすぐにやってくれて、しかも、
×のところは一回目は?にしたんだそうだ。
で、もう一度やってみて、できたら○にしたとのこと。
つまり、○を付け始めた途端に
宿題の時間がやらせなくてはならない嫌な時間から、
○をふやしてあげる時間になったそうだ。

私はお母さんってすごいな!って思って、
彼女のことを尊敬した。

恐れではなく、
安心をあげたい。

安心は大人になると自分で勝ち取っていくものだけど、
子どもの間は、まだまだ大人が差し出してあげられる。

安心をあげられると、
思春期になって、
自分のいいところも他者と比較してまだまだと
卑下したりもせず、
改善した方がいいところを、あわてて隠そうとしたり、
攻撃的になって守ろうとしたりすることもなく、
あわてないで、冷静に、
良い点は、まあまあいいかとし、
直したい点を見極めることができると思う。

明日の「思春期のココロ」の二回目は、
そういうことを共有できるといいな!って思う。


ででで、大切なのは、
お母さんたちの「安心」だ。

ちょっとでも安心してもらえるように、
がんばってこよう。
それには、私がらく〜にいくことだよなあ。




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葛藤し続けることへの期待。

【2011.06.14 Tuesday 20:37
先週の土日は、初めての立場を経験した。

講師をめざす方々のプレゼンテーションの場に立ち会う役だ。
その立場の重要な役割の一つに、
的確なフィードバックをすることがあった。
参加されている方が、
講師として成長していくために、
その方のもっている良い点と、
改善したらもっと良くなるという点を指摘する。

あああ、つくづくと、
この立場でのフィードバックの難しさを感じる。
それで、そのことについて考え続けている。



考えのテーマは二つある。



ひとつは
<葛藤し続けることへの期待>

たとえば私の場合、
私も今まで様々なフィードバックをもらってきた。
仲間からのフィードバックは、
「〜〜〜が良くなかった」では終わらず、
だから「〜〜〜した方がいい」と具体的に
私のやれることを示してくれてきた。
しかし時々、先輩方は、
そこが私の考え所だという理由があってと思うが、
その場合には、
すぐには行動をどう変えたらいいか分からない
フィードバックをくれた。

ある時、もうかなり前のことだが、
講座が終わり、ミーティングも終了した後、
帰るために駅まで歩き、
さて、ここで解散!という時に、
スタッフを努めてくれた先輩の講師が、
一言言ってくれた。
「くみ、今日、重かった」

私は、なんとなくその日の講座中に感じていた違和感が、
客観的にみるとそういうことだったんだと分かり、
すっきりした反面、
講座を全否定されたように捕らえてしまい、
辛くなった。

電車でひとりになった時、
悔しさや、
苦しさや、
自分への情けなさや、
「じゃあ、どうしたらいいのよ!」という怒りがわき、
混乱しながら帰途についた。

しかし、
少しすると、
「彼女は、私の講座すべてを否定した訳ではない」と理解し、
しかも、
「それが私の陥りがちなことだ」と整理でき、
「どうしたらいいか」については
私の大切な課題として「考え続けよう」と思えた。

そして
私にはカウンセラーという一面もあるので、
多分、共感力が仕事柄ついていて、
それがですぎた時、
コミュニケーションの講座としては、
重いものになるのだと思うという考えに至った。
そして、
単に「コミュニケーションを改善したい」と
考えて参加された受講生の方がいらしたら、
望んでないものを押し付けてしまったと思う。

つまり、私には、
私の伝え方で伝えることを優先し、
目の前の受講生の方すべての満足を考えるということを
してないことがあるという、
危険な「根」を見つけることができた。

さらに、私たちが伝えるものは、
「自分も相手も大切にしたコミュニケーションのあり方」
であるのに、
その講師が自分の伝え方を大切にし、
相手(この場合は受講生)を
大切にしていないかもしれない伝え方を
してしまっているという矛盾。


このことを私に考えさせてくれた先輩(ま、
仲間だけどね)には、本当に感謝しているし、
あの時
あの一言がなければ、
私の幅は広がらなかったと思う。
私はあの後凹んだが、
凹んだ分だけ、成長できたんだと思う。


実は今現在も、
先輩の講師から課題を与えてもらっている。
理想と現実の間で葛藤し続けているが、
この私の「じたばた」を抱えている間が、
結局は自分を育てると、私はもう知ってしまった。

「だからこうした方がいい」という
具体的な行動まで示す提案は、
確かにそのことに関してはすぐに直すことができて、
とてもいいアドバイスだ。
しかし、
表れはいろいろなかたちで出てくるが、
根が同じものについては、
根について自分で考え、自分で整理をしておかないと、
思わぬところで足元をすくわれてしまったりするのだ。



でね、私は先週の土日、
多分初めて、
葛藤し続けることを期待して改善点を示した。
それが伝わったかどうかは分からないけど、
私はそうしたつもり。

葛藤し続けることでしか、
つかない力があることを、
実感しているからこその。



二つ目は<感謝>だ。

今まで本当に、
様々な時に様々なフィードバックをもらってきた。
私は土日以来、
私がもらってきた
フィードバックのひとつひとつを思い出していて、
それらが愛しくてならなくなっている。

自分がその立場をやってみて初めて、
どんな背景があって、
そのフィードバックをしてくれたのか、
今まで以上に理解できたと思う。

そして、今までいろいろな方が、
いろいろなことを考えて、
私に言葉を投げかけてくれたのだと、
ほんとに本当に思った。
私のことや、私のこれからのことや、
その為に、何をどう言えばいいか考えてくれた、
その考える時間まで含めて、
私にくれたプレゼントだ。

厳しい言葉もあったし、
そのフィードバックをもらった後、
帰宅する新幹線の中で、泣いて泣いて、
目が一気に腫れ上がったこともあった。

でもそれらも、
この土日を経て、
今まで以上に、
私の中でイキイキとしている。



こういう仲間がいることの幸せを
しみじみと考えながらも、

少し先に講師になった者として、
講師になろうとしている方などへの
フィードバックの難しさは、

これまた、
私の「成長の余地」だと考え、
チャレンジしていきたいと思うんだ。

ハードルは、本当に次から次へとやってくる。
少しずつ高くなっていて、
しんどいけど、
引き続きやっていくんだ。






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失敗の要因。

【2011.06.13 Monday 06:59
昨日の毎日新聞のコラム「時代の風」は
加藤陽子さんで
「原発事故失敗を生かすには」というもの。
事故調査・検証委員会の委員長に
失敗学の畑村氏が就任され、
委員会がスタートしたことにエールを送っている。

記事では、畑村氏の失敗学の考え方に触れている。

事故が繰り返されるのは
失敗情報の知識化が、
きわめてまれにしか
されてこなかったことによるという。

失敗の知識化が難しい実態として、
失敗情報の急激な減衰化
(時間が立つと情報伝達という点で減衰化が起こる)と、
失敗情報の歪曲化
(何かの目的により、失敗の原因を歪曲される)をあげ、
知識化するには
失敗の事象、経過、原因、対処、総括まで脈略をつけて
記述することが重要だと述べている。

畑村氏は失敗を
「人間が関わったひとつの行為が、
 望ましくない、
 あるいは期待しないものになること」
と定義しているのだそうだ。

ポイントは
人間のかかわりと、
望ましくない結果。
この二つ。

そして、失敗を未然に防ぐには、
失敗した時に、
早々と分かりやすい原因を見つけることではなく、
また、見つけた原因で早々に責任追及をすることでもなく、
最も有効に知識かできる方法を使うことだと書いている。

人間の関与と、
要因と結果をつなぐからくりを検証するのだ。

そして、私がこの記事の中で最も注目したことは、
実は、ここから。
検証するのはシステムの問題や構造的なことのみではなく、
失敗の当事者が、その時取った行動の裏には
どんな考え、どんな感情があったかを丁寧に取材することこそだと
言っていること。

人間は自分の考えや感情を元に行動を起こす。
失敗を起こしてしまったときの
そのことをあぶり出すのが、
 未然に防ぐワクチンになると書かれているのだ。


なぜ、ここを注目したかというと、
大惨事でのみこのことが必要なのではなく、
自分の身近にある、
他者にはあまり影響のないちょっとした失敗から、
他者に迷惑をかけてしまう失敗まで、
このことは有効だと思うから。

児童、生徒が
誰かをなぐってしまったという失敗をした時も、
どういう考えがあって?どういう気持ちだったの?
という「なぜ」を訊く。
そうすると、
何も理由がなく殴るってことはほとんどなく、
必ずその前になんらかの出来事がある。
たとえば、
自分の机の上のものをわざと落とされたように見えて、
「腹がたって(感情)」「仕返ししようと思った(考え)」
などだ。

それが明らかになると、
次に「怒りがわき」「仕返ししようと考えた時」、
どう行動すればいいかを、
その子どもに知識として与えることができる。

もちろん、知識と持つことと、
それを使えることは違うが、
知識としてないより、
何倍もいいと思う。


実はこれを、
トレーナー同士のミーティングで、
たとえばファシリテーションの研修をしている時、
ファシリテーター役が場に対してあまり貢献的でない
ふるまいをしたりすると、
「なぜそうしようと思ったの?」などの言葉で
背景を質問してくれる場合がある。

私もそういう質問を受けたことがある。

たとえば、
「なぜ指示が通らなかったと思う?」
のような感じだ。


「あと10分でこのテーマを終わらせたい(考え)」
「あせって(感情)」しまい、
早口でしゃべってしまった(行動)とすると、
今後、
時計を見てあせってしまったとしても、
だから早口でしゃべるのではなく、
自分にはその傾向があるから、一層丁寧にしようと
意識付けできるのだ。

自分の失敗を自分で次に生かすときは、
こんなふうに自分の中で要因と結果の間のことが
分かっていればいい。


しかし、
失敗を社会全体の財産にしようとした時は、
きちんとデータベース化できることが大事で、
その時忘れがちな個人の考えや感情が、
大きな意味をもつことを明確にしたことは
重要だと思う。

誰もが完璧な人間ではない。
人間だから失敗はする。

だからって、個人の考えや感情は、
失敗を起こした行動の言い訳にはならないし、
言い訳にしてはいけないと思う。
ただ、
要因のひとつであることは変わりないから、
明確にしていくことが必要なんだと思う。


それにしても、加藤陽子さんには、
いつもいつも考えさせられる。










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谷澤 久美子
counselor