迷いながらやってきた
子どもへのコミュニケーションの授業。
明日、
そのことについてプレゼンテーションする機会がある。
どんなことを目的にして、
どこを大切にして、
何に注意し、
どんなふうに伝えているか。
明日プレゼンするのは、以上のようなことに
なると思うので、
そこに至るまでの間にあった
私の葛藤をまとめておいてみる。
学校で相談活動を始めた当初から、、
子どものコミュニケーションに課題があることは
分かっていた。
「あの子、うざいよね」と影響力のある子に言われたら、
そう思ってなくてもうなづかねばならず、
そういう日々に疲れ果ててしまっている子。
登校の待ち合わせの時間に遅れてきても平気な
友だちに、
「もっと早く来て」といえなくて、
突然友だち関係を切る子。
友だちとの力関係の中で、
暴力や暴力的な言葉を使って上に立っていたけれど、
だんだんと周りから友だちがいなくなってきて、
結局独りぼっちになってしまい、
学校外に自分の居場所を求める子。
いろいろな子どもの表れと、コミュニケ−ション力は、
密接に関係していて、どうにかしなくてはならないと
ずっと思っていた。
と同時に、
「個」が大事にされる世の中を作ってきたのは大人で、
つまりは誰かと密接なコミュニケーションをとらなければ
生きてはいけなかった時代を思えば、
今の世の中、
そういう訓練の場が日常に少ない訳で、
だとしたら、
子どもにコミュニケーション能力をUPさせる
何かを提供する前に、
大人がやる必要があることが
他にあるのではないかとも思っていた。
スキルを教えれば、
表面上、自分も相手も大切にした言い方を、
子どもたちは考えつく。
でもそのことと、
コミュニケーション能力が身に付くこととは
別物だ。
子どもにコミュニケーションについて
教える必要があるよなあ、
でも、
いやいや、待て待て・・・.
の間で迷いながら、
子どもの前に立ってきた。
ある時、
ひとつ目の確信をつかむ出来事があった。
学校に登校しずらくなった女子生徒が、
担任の先生に卒業式に出ないと伝えたいけれど、
言えない、どうしよう・・・と、
私に話した。
言って、先生をがっかりさせたくない。
でも、だからって、ここで全部のエネルギーを使って出たら、
せっかく決まった高校に、行けるかどうかわからない。
それで私はアサーティブネスの課題の整理の仕方を使って、
担任の先生になんと伝えたら、
気持ちや考えが伝わるか一緒に考えた。
彼女はそこで考えたことを担任に伝え,
伝えることができたことをめちゃ喜んでいた。
思ったこと、考えていることを、
しっかりと口にできた彼女は、
満足そうだったし、
あ〜結局、コミュニケーションの力を付けることは、
自己肯定感を育むことになるんだ!と
納得した。
そしてその時、
どうしても伝えたい何かをもっている個人に対して、
スキルを教え、一緒に考えることは
その子の力になるということが、
わかった。
これはその後も、
部活をやめたいと両親に伝えたいけど、
やめさせてもらえないと言っている子や、
けんかをすると友だちがすぐに機嫌悪くなってしまい、
それが何日か続くことで困ってしまうことを伝えたい子など、
たくさんの効果をあげてきた。
個人的にはスキルを教えることは
力になる。
では、集団に対し、
どう伝えていくか?
小中学校時代の
うまく伝わらなくてもどかしい経験や、
言いすぎて後悔することや、
誤解して伝わった苦い経験。
それらは、その時はキツいけれど、
そういう経験こそ、大切なことではないか。
それらを大人が先回りするようにしては、
それは彼らのためにはならないのではないか?
そんなことも考えた。
その間も、
コミュニケーションのことそのものとは別に、
私は学校で子どもたちとの相談活動を通し、
様々なことを感じていた。
そして、
まだ言語化できていない感情が言葉になった途端に、
感情にまきこまれないで、冷静に何かを伝えられるようになる
子どもたちの具体的な姿をいっぱい見た。
そして二つ目の確信を得る。
子どもにコミュニケーション能力を
付けさせたいと思ったら、
大人がしっかりと
彼らに話をさせてあげることだ!
という確信だ。
大人が、彼らの話を受け止めることが、
彼らのコミュニケーション能力をあげる。
相談室で出会う子どもたちの話を聴けば聴くほど、
彼らは表現力がついた。
ある女子生徒は、それを言葉にした。
「ここでは安心してしゃべれる」
黙ることで身を守っているつもりになっているような子が、
否定せず、ゆっくり話を聴くことで、
話し始める瞬間にたくさん出会った。
大人が子どものコミュニケーション能力を
つけさせたいという時、
それは自分の考えを発表できたり、
他の子の悪さに引きずられない発言を言えたり、
そういうことを指す場合が多い。
しかし、時には大人が聴きたくないことも、
ちゃんと聴くこと。
たとえば、
面倒くさい
○○さんが嫌い
学校に行きたくない
クラスに居場所がない
思い切って口にしたこういうことを、
ちゃんと受け止めてあげないと、
子どもはシャッターを下ろす。
大人が聴きたいことだけしゃべっていいというのでは、
子どもは安心して自分の考えや気持ちを
言葉にすることなどできないのだ。
つまり、大人がやれることは、
コミュニケーションについて教えることより、
まずは、話を聴いてあげることだ。
このことを元に、
子どもの話の聴き方,受け止め方のプログラムを作り、
講演や、連続講座の講師をつとめている。
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そして、3つ目の確信。
集団に対して
できること、
集団の方がより学びがあることを
3点みつけた。
1点目は、
コミュニケーションという視点を通して
自己確認をするということ。
(自分の良いところも課題も知り、
良いところは伸ばし、課題とは上手に
つきあっていくために、まずファーストステップは
自分を客観的に考える機会をもつこと。
そして、自分を確認する時に他を知ることで、
他との共通点や違いで、自分を確認できていく。
つまりたくさんの他の中で、自分とむきあう機会)
2点目は、
自分とのコミュニケーションの機会も、
集団の中の方が突き詰めすぎなくて、
なかなかよいということ。
(自分を感情と考えと行動に分けて、
その3つの中で思い通りになることとならないことを
分ける。
湧いてでてきた感情はコントロールできないが、
行動はコントロールできるし、
考え方も修正が可能なことを知る。
行動はコントロールする責任があるが、
子どもにとっては難しいことだ。
集団の中で話すことで、突き詰めすぎずに
少し離して考えることができそう)
3点目は、
自己信頼感を保てるような機会にするということ。
(感情に快不快はあっても善悪がないことを知る。
そしてネガティブは感情がわく自分を、
それほど責めなくていいし、嫌わなくていいことを
みんなで確認する)
これらは、もちろん個人的に伝えることもできるが、
他の中で知ることの意味も大きいようだった。
ま、まだまだ途中なんんだけど、
悩みながらやってきた過程と、
そこから得た今のところの確信が、
こんなところ。
まだまだ変わるかもしれないし、
進化する可能性もある。
これらを土台にして、
じゃあ、具体的にどんなことをしているか?
明日仲間たちに見てもらって、
フィードバックをもらうんだ。
そして、もっともっと子どもたちの心に
何かを残せるプログラムにしたいものだ。
楽しみだな。
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