2010年10月の記事 | 今のところではありますが…
タカをくくらず。

【2010.10.31 Sunday 18:08
29日の毎日新聞朝刊「論点」は、
ザッケロー二 サッカー日本代表監督についてだった。
3人が彼への期待の文章を寄せているのだが、
その中の大黒選手の文章の中に、
「こうありたい」と思わせてくれる
ザッケロ−二さんのコミュニケーションについての記述がある。

大黒選手がトリノでプレイしていた時、
ザッケーロー二さんは監督だったそう。

 チームは結果が出ず、シーズン半ばでザッケロー二さんも
 解任されてしまったが、そのシーズンの序盤に個別に話す
 機会があった。あまり出番のなかった僕に、「チャンスを
 与えられないけど、(状態が)すごく良いのは分かってい
 る。動きは間違っていない。だが、(勝てない状態で)日
 本人を使ったら、ザポーターから『なぜ使うんだ?』とも
 言われる。少し我慢してほしい」と言ってくれた。外す理
 由も説明し、自らコミュニケーションをとってくれるタイ
 プだった。



「勝利をめざしている気持ちは同じなのだから、
 以心伝心で監督の心は選手に伝わるはず」という考え方も
あると思うし、それでチームビルディングしていっている
チームもあると思う。それはそれでいいのかもしれない。
でも私は、
このザッケロー二さんの方法が好きだなあと思う。



以前、小学校の中学年の男子児童と話していて、
とてもせつない気持ちになったことがある。

その子は、やってはいけないことをして、
先生や両親にひどく怒られたということだった。
それを泣きながら話す。
何をやったかも、なぜやってはいけないかも、
これからどうするかも、話してくれたが、
ヒックヒック泣いていて、泣き止む様子はない。
誰が一番怒ってくれたの?と訊くと、
パパと言う。
そしてわ〜っと泣く。
私が、
パパは、なぜあなたを怒ってくれたと思う?
と訊くと、
彼はやっとの思いで、

僕のことが嫌いだから

と答えた。
嫌いだから怒ったと思ってたの?
と訊くと、
うなづいて泣いている。
私はそれは違うよ。あなたが嫌いなら、
わざわざ真剣に怒ってくれないよ。
あなたが大事だからこそ、
怒ってくれたんだよ。

そう言いながら、
この子は、その怒られた日から
ずっと不安だったんだなあと思った。


一番大事なところは、
しっかりと伝えたいと思う。

そのために、
省略したり、
言葉を惜しんだりしないで、
また、こんなことぐらい説明しなくても
わかってるだろうとタカをくくらないで。


ザッケロー二さんは、
戦術においても詳細まで説明する人だそうだ。
アルゼンチン戦や韓国戦で勝利した後も、
「大事なことは、
 我々が進化していくことだ」と言っていた。
期待したいし、

大切なことを言葉にするってことに関しては、
おおいにマネしたいと思った。



・・・・・・・・・・・・・・・・

静岡から焼津に向かう150号線沿いに、
ひまわりと
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コスモスが
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同じ場所で咲いている箇所あり。
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とてもさわかや!

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いただきもの。

【2010.10.30 Saturday 17:32
 今週、いろいろいただきまして。

親戚みたいなおつきあいをしている方から
「裏の山で取れた早稲みかんと柿食べて」と。
柿は食べてしまいました。
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現在25歳になった、
元中学生から。
彼の好きな考え方の本と、
彼の尊敬する女性の詩が掲載されている本を。
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思春期の子どもを持つ親のための講座の
受講生の方から、
彼女が所属するグループで作った本を。
「morist〜森からの案内状〜」
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今回の連続講座の受講生の方の感想も、
トライした結果を書いてくださったものが多く、
感激。
紹介してもいいチェックボックスにチェックを
いれてくれた方も多かったので、
いずれ紹介したいです。


昨日講演をした際に花束をいただきました。
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担当の先生と、
何度かメールのやりとりをするうち、
最初は固かったメールの文章が、
だんだんと打ち解けてきていて、
お会いした時には、久しぶりの友人に会ったよう。
そう思っていたら、
その方が最初の挨拶で同じような想いを言ってくださり、
緊張していた心がほどけていきました。
大事だなあ、やり取りするって。

講演を聴きに来てくださった方から、
一枚の色紙を。
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彼女は、今年の一月にも私の講演を聴いてくださり、
その時にお伝えした言葉
「凹んだときは
 あるもの探し。
 幸せなときには、
 ないもの探し」
を気に入ってくださり、
それを書道をやってらっしゃるお父様に伝えたら、
色紙に書いてくださったそうで、
その一枚をもってきてくださいました。



今週も、本当にいろいろあったけど、
嬉しいことも多いのでした。

こんなふうに進んで、
今年もあと2ヶ月なんですね。




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それでも、やる。

【2010.10.30 Saturday 10:27
台風がきていて、
一人暮しをしている女の子のことが気になる。

いろいろな事情で、
この春からアパートで一人暮しを始めた彼女。
中学の時から知っている彼女。
恐がりだった彼女。
強い風が窓を揺らすとき、
どんなだろうかと思う。

土日も仕事があるから、
昼間はなんとか仕事にたどりつけばいいだろうけど、
夜は心細いのではないか。
震えているのではないか。

震えながらも、
なんとか過ごしているんだろうなあ。

昨晩はそんなことを考えながら寝た。



夏から秋にかけて、
以前関わったことがある子と交流をもつ機会があった。
直接会ったり、
メールで近況を教えてもらったり。

みんなそれぞれの場で、
目の前のやる必要のあることをやっている。
恋人と家族の関係で苦しい思いをしたり、
職場の人との関係が難しかったり、
夢をみつけてそれに向い始めたけど、時々めげたり、

苦しみながら、
悩みながら、
それでも、目の前のやる必要があることをやっていた。

必要があることとは、
とりあえず生きるために必要なこと。

食べるとか、
なんとか、寝るとか、
誰かに相談するとか、
とにかくバイトはいくとか、
今は休むとか、
人によってその時必要なことは違うが、
そういうことだ。


そして、私はつくづくと、

大人ってのは、
なんとか、
子どもが
その時その時、
「今の自分を使って生きていく」
というチカラをつけてほしくて、
関わっているんだと思う。
私はそうしてるつもりだ。


「それでも、今の自分を使って生きていく」
というチカラが威力を発揮するのは、
大概、困った時だ。

失恋した時、
受験に失敗した時、
上司にどやしつけられた時、
部下に先に成績をあげられた時、
誰かに裏切られた時、誰かを裏切った時、
好きになった人にすでに決まった人がいた時、
ものすごく卑怯なことをしてしまった時、
ま、そんな時だ。

そういう時に、
どうするか!!!

自分でいくつかの選択肢を考えることができて、
その選択肢は、
真っ当な事から、ちょっと道を外れた事まであって、
その中から考えて、
自分のその時できそうなことを選んで、
それは、
ええい面倒だ、寝ちゃえ!でもよくて、
それでそれをして、
その行動の結果も自分で引受けていかれるようになること。

それが
その時の「今の自分を使って生きていく」
ってことだ。

そのチカラをつけていくために
してあげられることは、
小さい失敗をいっぱいさせてあげることではないか。

小さなことをクリアしていくことが、
いつか大きなことをクリアしなければならない時の、
準備にもなるし、自信にもなる。

子どもから失敗する権利を取り上げないってことは、
同時に、
失敗したときに、どうするかを自分で考えるチャンスを
与えるということでもある。




彼女は、
何か温かくなるものを飲んで早めに寝たかもしれないし、
誰か友だちを呼んだかもしれない。
もしかすると、DVDを借りてきて見続けたかもしれないし、
実家に電話して迎えに来てもらったかも。



子どもの今日が、
子どもの今が、
できれば避けたいけど、
やってくる可能性が高いダメージの大きないつかに
繋がっているんだと思う。





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自分の不甲斐なさに凹む。

【2010.10.29 Friday 09:42
 27日に、
また私にとって大切な人が亡くなってしまった。
おばあちゃんの妹で、
「小須のおばさん」と呼んでいた人である。
数えで94歳。
施設にお世話になったりもしたが、
主には自宅で過ごしていたらしく、
27日の朝、おかゆをおいしく食べ、
ひ孫とちょっと遊び、
気分が悪くなって救急車で病院に運ばれ、
そのまま逝ってしまったんだそうだ。

10日ほど前に叔父がお見舞いにいくと、
枕元に辞書があり、
「なぜこれがあるの?」と訊くと、
「わからない言葉あったら、
 こまるから」と言っていたそうで、
最期まで前向きな人だったんだということがわかる。

彼女はうちの父(彼女にとって甥)のことを、
本当にかわいがっていたと思う。
かわいがっていたから、
母が亡くなったとき、
父のことを思うあまり、
彼女の嘆きようはすごかった。

しかも、すごいのは、
母が亡くなり、
祖父と父を家に残して
結婚して家を出ることを選択した私にも、
彼女は何も言わなかった。

一言も私を責めず、
それまでと変わらない態度で私と接してくれた。

そのことを、私は昨晩、お通夜の席で、
ずっと考えていた。

「久美子、おじいちゃんと嘉寿雄(父)のことを、
 ちゃんと考えなさい!」
と私に言うチャンスは、何度もあった。
「福島屋(家業の屋号)はどうするの!!!」
というチャンスも、たくさんあった。

それでも何も言わないでくれた。

おばあちゃん(つまり彼女の姉)が、
戦争に二度行ったおじいちゃんの留守を守りながら、
子どもたち5人を育て、
商売をやる中で、
何人かの職人さんを預かり、
共に暮らして面倒をみて、
その間の苦労を、多分、一番よく知っていて、
その、
おばあちゃんが人生をかけて
大切に守ってきた家も家業も、
継承することを選ばなかった私に、
何も言わないばかりか、
かわいがってくれたんだ。

そして、時々訪ねると、
しらす干しを用意しておいてくて、
おみやげに持たせてくれた。

そのおばさんが、
死んでしまった。



「小須のおばさん」の息子さんも、
心の中に一点のシミもないような優しい人。

祖母が亡くなり、母が亡くなり、祖父が亡くなり、
そして父が亡くなったとき、
本当にすぐにかけつけてくれた。

昨晩、挨拶すると、
「おまえ、来てくれたのか、
 焼香してくれた時に、気がつかなくて、
 悪いっけな」
と言う。
 そんなあ、悪いっけななんて、とんでもないです。
 悪いのはろくに、お見舞いにもいかなかった私です。
 行けば、喜んでくれるのを、知っていたのに。


祖母の親戚関係の方も、
家族を失い続けたきつかった15年間、
私のことを、いろいろな距離で
ずっとずっと支え付けてくれた。
私は、何のお返しもしていないのに、
誰も私を責めず、
私に優しくしてくれる。


恩返しはおろか、
ちょっとしたつきあいさえしていない、
これも私なんだと認めざるを得ない。

あまりにも小さい私。

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「『みんなの意見』は案外正しい」

【2010.10.27 Wednesday 20:46
ジェームズ・スロウィッキー
角川書店(角川グループパブリッシング)
¥ 780
(2009-11-25)

3年ほど前に参加したワークショップで、
ある案件について、
まずは自分の意見を用紙に書き、
その後5人のグループで話し合い、
多数決などで決めるのではなく、
あくまで話し合いで答えを出すというワークをやった。

チームは2つあったから。
最初は、10人の10の意見があり、
それが一定の時間の話し合いの後、
2つの意見に集約され、
それが、驚くべきことに、
正答率は、話し合い後の方が、
圧倒的に高かったのだ。

私はこの経験があって、
「対話」のチカラというものを、
体感も含めて知ることができた。

ただ、本当にいつもいつもそうなのか?
という疑問を持ち、
経験をしたことに、
理論の裏付けが欲しかったが、
反対の立場からの意見も知りたかったから、
「絶対」ではなく「案外」という部分に、
それを感じ、この本を手にとったと思う。



この本は集合知、
つまり、
特別な専門家の意見より、
普通の人の意見や感覚をまとめた方が、
予測程度の高さや適応力の高さを
示すことがある・・・
についての本だ。

それが正しく働くための理論と、
成功と失敗の事例で構成されている。

議論を3つの問題にしぼっているのも、
話しが広がりすぎず、理解しやすい。

この本の中で集合知を語る場面は、
①「認知」どこかの時点で
必ず明快な答えが存在するタイプの問題、
②「調整」利害が一致しない間で
おりあいをつけていく必要がある問題
③「協調」利己的で,不信感いっぱいの赤の他人同士が、
一丸となって何かに取り組むようにするという非常に
難しい問題

この3つの問題の中で、
集合知が正しく働くためには
多様性(独自の情報を持っている人が集まること)
独立性(自分自身の考えをもち、他者の考えにまどわされないこと)
分散性(意見にばらつきがあること)
が必要が条件で、
それらを集約するメカニズムを必要としているということだ。



読み終わったあと、
「新しい公共」や「熟議」という社会の流れの中で、
どういうことに注意深くなればいいかがわかり、
それは、
普段の仕事場での会議などにも十分に生かせる考え方だけど、
それと専門家との役割分担を明確にしていく必要があると思った。

裁判員制度も、
市民感覚という名の集合知を期待していると思うが、
それを成立させるとすると、
本当に多様性、独立性、分散性という
3つの条件をクリアしているかどうかと、
集約するための機能は、重要だと思う。
そのことと、
法律の専門家との役割分担は、
なんだか、あやふやなまま使われてはいないか。

今日始まった仕分けも、
今まで手をつけてこなかった特別会計を対象としているのは、
本当にすばらしいことだと思うが、
そこに国会議員13人、
民間有識者29人の集合知を期待するなら、
やはり、
3つの条件と、
それを発揮できる時間的な環境と、
そして集約するシステムが必要なはずなのだ。

使ってほしいけれど、
使うには、使うための環境を整備して使ってほしいな。
そして、
絶対的なものではないけれど、
「案外正しい」というそのスタンスを
保って使っていかれたらいいなと思う。



集合地が機能するための
3つの条件・・・、

違いがいい、
自分の意見があっていいし、それを表現していい、
いろいろな意見があることが大事、

そこから考えていこう!は、
まさに、サンデル先生の授業と繋がる。

そして、私自身に必要な考え方だし、
私の活動している、
コミュニケーションのワークショプや、
小中学校という場面でも必要なことだと思う。








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言う、言わない、の間。

【2010.10.25 Monday 10:40
歯医者さんでのこと。

この歯医者さんにもう何年もお世話になっており、
これからもずっと診ていただきたいと思っている。
この歯医者さんは、
歯だけを診てくれているのではなく、
歯ぐきが腫れて痛かった時などは、
私のカラダの疲れぐあいや、ストレスのことも
気にかけてくれ、労ってくれる歯医者さんだ。
治療の最後は、毎回私の手の平に
数敵のアロマオイルをたらしてくれる。
私はその香りを吸込みながら、
とてもリラックスするのだ。

なんだけど、一点だけ、
要望がある。

多分、歯垢をとってくれているんだと思うが、
その時、口の中で動かす機械の早さが、
私には早すぎて、ちょっと怖いのだ。
最近、早くなったように感じる。
ちょっと乱暴な感じだ。

私は
口の内側の皮膚にあたってしまったら、
どうなるだろうと、
なんとなくその時間、
手をギュっとにぎりしめて、
がまんしている。

いつも、
前後の患者さんが隣のイスにいるので、
どのタイミングで話そうかと、
いろいろ思案していた。


で、ついに、この前の治療のときに、
その時が訪れた。
前の患者さんが隣のいすにいなかったのだ。

治療を始める時、
「はい、では座って、うがいしてください」
と先生がおしゃった。
その時に、

先生、ひとつ、相談があるんです。

と言ってみた。

先生は
「何ですか?」
とおっしゃる。

実は、多分歯垢をとってくださっている時の、
機械を動かしてくれるスピードが、
なんか、私にはどうも早くて、
怖く感じてしまうんです。

というようなことをいうと、

先生はびっくりされたようで、
すぐに、
「それは申し訳なかった」
とおっしゃた。

で、いえいえ、多分、
私、小さい時に、
口内炎がよくできるタイプで、
結構長引いたりして、
口の中に何かができるとか、
皮膚がきれるとか、
そういうことにめっちゃ敏感だと思うんです。
それで、怖くなるんだと思うんですよ、

「これまで、治療のあと、
 何かありました?」

いいえ、ありません。
そうなったらどうしようって心配なだけで。

「そうかあ、まあ、何もなかったなら、
 それはよかった。
 でも、そうだったんですね。
 失礼しました」

で、今日、
いつもよりスピード遅めで
やってもらえないでしょうか?

「それはそうしてみますよ。
 いやあ、本当にすみません」

急にこんなこと言って、
先生、びっくりされたでしょ?

「びっくりというか、
 申し訳ないというか。
 どれぐらいがいいか、
 言ってください。
 今日は、ゆっくり動かしてみますので」

はい。
途中で口をゆすぐとき、
感じを言わせてもらいますね。
じゃ、お願いします。


ってな訳で、
私にとってちょうどいいスピードで
やってもらえた。


治療が終わったとき、
先生が、
「このスピードを覚えていたいと思うけど、
 もし、早いと思ったら、
 これからは言ってくださいね」
なんて、言ってくれる。

私は、
はい、そうします。
これからもずっとお願いします。

と言ってきた。




中学生と話すと、
たとえば
いやなあだ名で呼ばれているとか、
昼休みに一人でいたい時もあるけど、
誘われると、おしゃべりに入らなければならないとか、
いやな係を押しつけらているとか、
そういう、
「じゃ、いやって言えばいいじゃん」的な相談をよく受ける。

しかし、その度に思う。

言った方がいいなんてことは、
彼らは百も承知している。
そして、言えるぐらいなら相談にはこないのだ。

私は、コミュニケーションに関して、
かなり時間をかけて学び、訓練をしてきて、
今は講師として練習の場をファシリテートすることもある。
それで言えることが多くなったし、
言わないとしても言うならこう言うけど、今は言わないと
選択して言わないってことをしているから、
それだからこそ、
簡単に、「いやって言えばいいじゃん」などとは言わない。

言うか言わないかではなく、
その間にある、
様々な選択肢をもっていたいと思う。


歯医者さんに使った選択肢は、
「歯医者さんと二人になれたときに言う」だった。

これと迷ったのは、
「わざわざ、二人にしてもらえるように頼んで言う」
というものがあったが、
それは選ばなかった。
これはそこまで大層なことにしないって、自分で選んだ、
ただし、だからって「言わない」ってことも選ばなかった。
私は私にとって、
この歯医者さんに治療をしてもらい続けたいという
考えを大切にしたいからこそ、「言う」と決めた。


それぐらいの事を・・・
と思われるかもしれないが、
こういう小さいことをいろいろ考えながらやっていることこそ、
中学生にいろいろな選択肢を提示するための、
訓練になっている気がする。


私は、中学生に対して、
「軽く『そんなのいやって言っちゃいなよ』と言う」
という選択肢を選ばないことが多い。



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時々、スイッチいれてみる。

【2010.10.22 Friday 09:11
小中学校に通うお子さんをもつ保護者の方のお話を
伺うことが多い仕事をしているが、
「人を育てる」というのはすごいことだと思う。

私のところに話をしにきてくださるのは、
何かに困ってらしたりすることがほとんどなのだが、
来てくださるということは、
困ったの循環から一歩出ようとされた方だ。

私の方針としては、
話を聴くのだが、
なるべく早い段階で
その保護者の方と私の間で、
共通の目標をもてるといいと思っている。

お互いが納得できる共通の目標を設定し、
そののために、
今やっていることを検証し、
それがうまくいっていれば続けることを応援し、
それがうまくいっていない場合は、
代替案を考える。

そしてその代替案を次回までにやってきていただき、
それを検証する。

代替案はひとつの場合もあれば、
複数の場合もある。

ここのところ、
何人かの方が、
代替案に
「子どもの話を一旦は受け止める。
 受け止めた後で、相談にのったり、
 アドバイスをしたり、叱ったりする」
ってことを選択し、
トライしてきてくれて、
しかも、その結果を報告してくれるのだが、
それがすごい。

ここにはその事例を直接書かないが、
たとえばでいうと、
「お母さん、塾休みたい」
と子どもが言ったとき、
今までなら、
「何言ってるの!行ってきな」
というところを、
「そうか、行きたくないんだ」と
一旦は受け止めて、
その後で、
「気持ちはわかるよ。
 わかるけど、行っておいでよ。
 何分に、家でる?」
的なことだ。

このことが必要な人と、
必要でない人がいると思うが、
これを代替案でやってきてくれる方は、
子どもに何らかの気になる点があり、
しかも自分の対応方法に対し、自分で
言いすぎてしまうことが多いと思っている方が
ほとんどだ。

このことをやってみてくれた方の感想は、
いろいろだけど、
ほとんどの方が、
一旦受け止めたら、そのまま、
何かに行かなくなったり、
やらなくなったりするのでないかと
思って怖かったが、
そうでもなかったと教えてくれる方が多い。

気持ちは受け止めて、
でも丸のみはしない。

この対応方法は、
この方が、結局は子どもがいろいろ話してくれるようになり、
ってことは子どもの気持ちや、子どもが何で困っているかなど、
子どもの今の状態を知ることができるようになると、
多くの方が気がつかれる。

そして、
子どもをコントロールしようとする無理を
自分にも課さなくなるので、
自分も楽になることが多いようだ。

そうなると、
その対応は自然なものになり、
日常になっていくこともあるが、
ほとんどの方は、
意識してやればできるし、
自分に余裕がある時はできるが。
そちらの方がいいと分かっていても、
今まで違う方法を取ってきただけに、
突発的な時には、
「何やってるの!(怒)」
的になるようなんである。

で、私は、それがいいように思う。

何しろ、「人を育てる」ってのは、
もうすごいことだ。
食事を作り、清潔にし、世話を焼き・・・
だけでも、すごいことだ。
「そんなの当たり前ですから」と言う方もいるが、
本当にすごいことだ。

だから、ぼちぼちでやってくれるといいなあ。

時々、カウンセラースイッチを入れる。
くらいの感じ。
いつもそうでなくちゃ!となると、最初から無理!に
なってしまうことも、
やれるときや、ここぞって時にやろう・・・
くらいに思っている方が、
一歩が踏み出しやすい。

ソレ以外にも、
時々は遊び相手スイッチもいれると思うし、
時々は家庭教師スイッチもいれる、
その中のひとつとして、
時々使うカウンセラースイッチも、いいんだなあ。

そして、カウンセラースイッチの入れ方や、
使い時なんかを
知っている方が安心して使えると思う。



とにかく、
代替案として、

 子どもの話を一旦は受け止める。
 受け止めた後で、相談にのったり、
 アドバイスをしたり、叱ったりする

ってのは効果的だと思う。








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正解を探すのではなく。

【2010.10.20 Wednesday 21:43
今、思春期の子どもをもつ親のための連続講座を行っている。

子どもの話をどうやったら聴けるかや、
今、命令、指示、押し付けようとしていることは
本当に親が言う必要があることかや、
どうしたら、子どもを本当に
勇気づけられるのか・・・
などを学び合う。

それらを学び合うために、
考えるきっかけの練習問題を作ってあるので、
それに対して
まず、個人で考え、
自分なりに考えたことを、
ペアになったり、3人組になったりして、
話し合う。

正解などどこにもない。

もしも、その問題に正解があったとして、
正解を導きだしたとしても、
考えたり、話したり、話し合ったりしなければ、
その答えに意味はない。

まずは、ただただ、自分で考える。
考えて、場に出して、
話し合う。
話し合うと、
自分では考えなかった視点を誰かから与えられ、
より自分の考えが深まる。

保護者の方達の世代も、
小さい頃は親や先生の指示に従って生きてきて、
自分の考えより正解を発表することに意識を
もっていたと思う。
だから、自分の考えをまず書いて、
それをグループの中でたたき台として出すことにも、
抵抗があったかもしれない。
でも、今日で3回、このことを繰り返してきて、
抵抗より、
楽しさを感じてくれているように思う。

他者とともに考え合うことの楽しさ。

こうやって、
一人ではないことや、
完璧な母親にならなくていいことを、
体験してもらっているつもりだ。

他者に、
ゆっくりと自分の話を聴いてもらう時間をたっぷりとって、
誰かが自分の話に真摯に耳を傾けてくれて、
理解しようという気持ちで聴いてくれる心地よさを、
浴びて浴びて浴びてほしいと思っている。

そのことが本当に安心感をもたらせてくれると分かると、
その経験を子どもに与えてあげたくなる可能性は高い。


「お母さんやお父さんが望んでいるような子どもに
 なったら、あなたを愛してあげる」

ではなくて、

「欠点もあるし、失敗もするよね。
 そのあなたでいいんだよ。
 そのあなたで、やれることをやっていこう。
 そのあなたをお父さんもお母さんも応援してる」

ということは、
保護者の方自身が自分に引き寄せて感じることが、
多分一番深いと思う。


さて来週が最終回。
来週こそが、この連続講座の神髄なんだ。


今回の参加者の皆さんも、
宿題をやってくださって、
その効果を発表してくれている。
この感じでいくと、
充実度の高い最終回になりそう。
とっても楽しみだな。







author : tanizawa-k
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改善勧告、どこにいく?

【2010.10.19 Tuesday 20:58
ちょっと遅いなあと思ったが、
例の、
女性起業家サミットでの
中山政務官の発言に関する記事が、
静岡新聞の夕刊の「ウーマンアイ」というコラムに
出ていた。

夫はそれを読み、
何度もためいきをついていた。
「本当に恥ずかしい」
と言いながら。

「日本人女性は家庭で働くことを喜びとしているし、
 文化となっている。(それを)もっと評価してもいいし、
 (夫の)給料に還元できればいいが、
 男の方も厳しくなり、できなくなった」
という、
ホンットに恥ずかしい発言だ。

 
宇宙飛行士の山崎直子さんが、
宇宙に行く前に、
NHKのおはよう日本の中でインタビューをされていて、
その時に、
「子育てはどうされるんですか?」
と訊かれていた。
私は男性の宇宙飛行士に子どもがいても、
こういう質問はしないよなあと思った。
その質問者の気持ちのどこかに、
 あなたは子育てより、
 自分の夢を選べた恵まれている方ですね...
のような考えとか、
 夫さんの理解があって幸せですね...
のような考えとかがちらちらとしていて、
私はなんだか落ち着かなかった。
山崎さんは、
「夫ががんばってくれます」的なことを
にこやかに答えていた。

村木さんが無罪を勝ち取った後の記者会見でも、
「裁判で仕事をしない間、
 家事ができましたね?」(←不正確だけど、こんなような内容)
の質問があって、それにもびっくりした。
村木さんも、
「この間はしっかり食事の支度ができました」
のように答えていた。

クリントンさんに対して、
こんなような質問する記者は、
いないだろうなあ。
いたら能力を疑われるだろう。


昨年秋、
ヨーロッパでのアサーティブネスのトレーナーの第一人者、
アン・ディクソンさんによるセクシャリティの講座で、
私は自分の中にも、
性による差別をしている一面があることを、
自分で認めた。

たとえば、夫側の親戚が集まったとき、
夫がお茶の支度などを手伝う姿を見て、
「くみちゃんは幸せだねえ」などと言われたとき、
彼は男性女性など関係なく、
人として、大変そうに動く他者を助けようと
考えてそうしてくれているのだが、
私は
「(男でありながら率先してくれて)
 ありがたいです」
なとど答え、
それはその方が「夫を立てている」と思われて、
受けがいいかも・・・と考えている、
そんな自分のことを顧みたんだ。

でも、その講座で、
もう、そういうことはよそうと思った。
そして積極的に性による差別に加担することはやめるって
決めた。


この件に関しても、
まずは自分!なんだよなあ。


日本は男女平等指数184カ国中94位で、
昨年国連から改善を勧告されたということだが、
制度やシステムが、少しずつ改善されてきたとはいえ、
みっともない発言や、
無意味な質問は、
意識の中に根付いているものの深さを示している。



そんな中で、
広島県知事の育休を取るというニュース。
彼はいろいろなことを考えて、
自分の立場の者がそうすることが、
今必要だと考えての選択だろうと思う。
いい経験になるといいなあ。

先日私を担当してくれたネイりストの方は、
男性だった。
両親には公務員になることを期待されていて、
ネイリストになり3年たつのに、
せいせいと賛成されてはいないとのことだった。




性差による特性の違いは確かにある。
それは認める。
しかし、
誰でも自分ってものを活かして生きていけるように
したいよなあ。

そして、
やっぱり、
まずは
自分からだ。















author : tanizawa-k
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ギャップがいいなあ。

【2010.10.16 Saturday 23:45
自分の個性を知り、お互いの持ち味や違いを生かす
コミュニケーションのプログラム、
TRUE COLORS 入門講座を静岡で初めて開催することができた。

私が昨年から今年にかけて、
この講座の入門、基礎、応用のプログラムを受講し、
ぜひ、静岡でも紹介したいと思ったプログラム。
開催できて、本当によかったと思う。

22名の参加があり、
満足された方も、そうでない方もいたと思うが、
各カラーの特色が明確に出た講座だったと思う。

特に今回のハイライトは、
私にとっては「自分の変化」だ。

私は、最初、入門講座を受講した時、
とても苦しかった。
自分の特性と同じものをもっている人(同じカラー同士)で
話す時間帯があるのだが、
自分の良さもマイナス点も併せ持つ人たちとともにいる時、
自分のマイナス部分がストレートに感じられて、
気分がどんどん沈んでいった。
うっとうしいような、
押し付けがましいような、
そんな感じがしたんだ。

私は入門から基礎を続けて受講したので、
翌日の基礎の時は、
重苦しい気持ちのまま参加し、
それで、
わざと他の特性のカラーを選んで活動することにした。

と、
すごく違和感があるのだ。
なんか、違うと思う。
しっくりこない。

それで、すぐに、
入門講座で選んだ特性のグループに入ると、
ほっとして、
その時に第一段階をクリアしたように感じた。

「自分を知る」こと。
つまり、この自分でいいんだ!と思えること。

自分と自分の特性のことをそう思えると、
他の特性をもつ人も、
「この自分でいい」と思っていいんだってことを、
からだで理解し、
「相手を知る」という第二段階をクリアしたように思った。

ここまでは、最初の学びからすぐにクリアできたが、
第三段階は、結構時間がかかった。

「違いを受け入れる」というところだ。

今回、再度の入門講座で、
新しい発見や、納得がいっぱいあった先に、
それがあったのだ。

今日は、私は主催側だったので、
自分の学びというよりは、
学びの環境作りという視点で参加したため、
人数調整的な役割で、
自分の中では分量の少ない特性のグループに混じって
話し合いに参加した。

その時に、
すごくわくわくしたのだ。
以前は違和感ばかり感じ、
しっくりこないという気分ばかりが残ったのに、
今回は違ったのだ。

私は、彼らのことが
知りたくて知りたくてたまらないという感じ。

へえ、という驚きや、
えっ、という疑問、
訊きたいことが後から後からわいてくる。

しかも、私の質問から返ってくる答えが、
思ってもみないことが多くて、
楽しくて楽しくて仕方なかった。

それで、
特性が違う人とともにいて、
わかりたいという考えになれたこと、
それこそが
「違いを受け入れる」ということなのかな?と思ったんだ。


私を分かってよ!ではなく、
あなたのことが分かりたい!
それが違いを受け入れる、
ひとつの表し方なんだと思う。

とはいえ、講座の場は、
お互い利害関係のない場。
その場でお互いのことを認め合えるのは、
簡単だ。

ということは、
知りたい、分かりたいという感覚を
いかに日常の中で持ち続けることなのかな。

つまりは、
違う特性や、
違う価値観や、
違う意見や、
違うふるまい方をする方と、
会議をもったり、
チームになったりする時は、
まずは、
私をわかって!ではなく、わかろうとすること。




TRUE COLORSは特性を4つのカラーで表す。

オレンジは自由、挑戦。
ブルーは調和、つながり。
ゴールドは秩序、責任。
グリーンは探求、思索。

私はかなりブルーが濃いと思う。
しかし、最近、もともともっていたものの中に、
オレンジの要素をとても感じている。
小さいころの自分が本来持っていたもの(オレンジ)を
大切に思えた瞬間に、
誰にでも、そういう大切にしたいものがあるのだ
と思えたことは、とても幸せだと思う。

そして私の中で分量的に少ないカラーはゴールド、グリーンと、
そのことを自己確認できてからは、
逆に、
仕事の場ではゴールドを鍛えたいと思うようになって、
時間管理などは随分とましになっていると思う。

また、時々は出てくる、「なぜ?」「どうして?」という、
私のグリーンの部分についても、
もっともっと育てたいなって思うんだ。

つまり、
カラーを、
どうせこのカラーだから仕方ないじゃん!
と自分に対する開き直りに使うのではなく、
自分という人間を豊かにするために、
鍛えるべきところを意識する意味で使う。

また相手に対し、
あの人はあのカラーだから・・・と決めつけるのではなく、
相手とのギャップをうめる時の参考に使いたいし、
そのカラーの良さを十分に発揮してもらうような関わり方を
するために使いたい。


そんなわけで、
受講するたびに深みがあり気づきもあり、
新鮮な体験をしようと思えばできる、
おもしろい講座だと、
つくづくと思うんだ。


 










author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor