2010年09月の記事 | 今のところではありますが…
TEDを、メモとりながら。

【2010.09.30 Thursday 21:56
夫が購読しているCOURRIER JAPON に
TEDのことが掲載されていて、
彼がそのすごさに、携帯にメールしてきた。

///////////////
件名:すごいぞ!

内容:いいよ

http://www.ted.com/translate/languages/jpn

////////////
仕事中だったので見ることができず、
でも気になって、帰宅してすぐに開いたのが
4日前のこと。

それ以後、
そのあまりにも贅沢な時間に、
時間さえあればひたっている。

TEDは、
一人18分の持ち時間の講演を集めた講演会の、
ひとつひとつの講演を、
WEBで公開しているもの。
(こんな説明でいいのかどうか・・・)

教育関係者は、まず、
2006年にケン・ロビンソンさんが講演した
見たらいいと思う。

今の、全員が大学をめざす教育に対する提言を
行っていて、教育について、なんとなく疑問を
もっている人には、
もやもやしていたものがすっきりとすると思う。

その続編、
2010年のケン・ロビンソンさんの
もまた考えさせられる。

まず私たちの中の思い込みを、
腕時計を例に考えさせる。
今の10代は、腕時計をしていない方が普通。
デジタルな社会に生きている彼らは、
単機能の腕時計の必要性など、
まったく感じていないのだ。
そこから、
今までと同じことをしていても、
意味がないことにつなげていく。

また、
最新の日本語に訳されたもののページにある
スガタ・ミトラさんの
必見。
教育が行き届いていない地域に、
パソコンをおいたことで、
子どもたちに広がった学びの深さを映像を交えて
語っている。
インドのある地域にパソコンを提供し、
課題を与えて、その場を去り、
一人の女性をサポーターとしておく。
しかし、その課題についてはまったく知識がない。
彼女に与えられた使命は、
子どもたちがパソコンを使って課題に取り組む後ろから、
「すごいわあ」「そんなことがわかったの!」
と声をかける。
子どもたちのどんどん深まる知識は、
印象的な映像だ。


彼らのプレゼンテーション能力にも、
圧倒され、
難しい話しを、
楽しくわかりやすく話すことが、
可能なんだと、本当にわかる。


学びの秋。
メモを取りながら、
授業を受けるように見たい動画。
家にいながら、
世界の知性と出会える幸せ。

見ないのは、もったいないなあと
思う。

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フィードバックで伝える良い点は大事!!!

【2010.09.29 Wednesday 18:54
今日はいつも活動をしている中学校の一年生4クラスで、
一クラスずつ授業をした。
めざすところは、
「チームで活動する中から、
 自分のコミュニケーションのくせをみつけること。
 また、他者とかかわりあうことの楽しさを
 体験すること」
という授業だ。

彼らにはすでに
5月に「聴き方」
7月に「伝え方のくせに気がつく」
という授業をしていて、
その第三弾だった。

これがもう本当におもしろかった。

まず、
7月に会ったときより、
夏休みや体育祭を経て、
一人一人がちょっとだけ大人になっていて、
成長をまぶしく思った。

さらに、いつも男女があまり話をしない
微妙な年代だけど、班活動になった途端に、
協力しあう姿を見ることができた。

班活動の内容は、
各人に与えられた情報を組み立てながら、
班で問題を解決していくゲームだ。

各班に20枚の情報カードを与える。
それを班の人数で均等にわける。
見ていいカードは自分にわけられたものだけ。
他の人のカードを見てもいけないし、
取り替えっこするものだめ。
一人一人が自分のカードを読んで、
班の人たちに情報を伝えるのだが、
どの情報も、問題を解決するのに
必要なカードだから、
全員が参加しないと、
問題がとけないのだ。

いつもはあまり発言しない子も、
自分に与えられたカードを読み、
それがまちがって受け取られたら、
「そうじゃなくて・・・」と言わなくてはならず、
あるいは、
誰か発表していない子がいれば、
ほおっておいてはコトが進まず、
誰かが「○○クン、カード読んで!」などど、
声をかけなければならない。

優しい子どもで、ほとんど声を発しない女子が、
感想に
「みんなが話し合っているのをきいて、
 自分もがんばろうと思いました。
 あと、みんなとやってたのしかったです」と
書いてくれてあって、
私は、その子が、他の人とかかわり合う喜びみたいものを
感じてくれたことが、本当に嬉しかった。

ある男子は
「すごく班の空気がよく、
 一人一人の発言をしっかりきいていたから、
 早くできたと思います。
 みんなが目的をもっていて必死になっていたから、
 いい空気になれたと思います」
と書いてあって、
なるほど!と思った。

この班活動をしている間中、
私は各班を周り、
場に貢献している発言やふるまいを見つけては、
黒板に書いた。

「だれから始める?」
「一から順番に読んでいこうか』
「あ、ここ、わかったあ〜〜〜!」「じゃあ、言ってみて」

という何気ない一言も、
場に勇気を与えるすばらしい一言だ。

机の上に座ることがいいかどうかはおいといて、
ある子は机に座って、そこから全体を見て、
意見を言い、そのやる気で、
班をひっぱっていっていた。そのことも書いた。
やる気をからだで表してくれていると、
みんなも、乗る。

行き詰まったときの、
一言の冗談。
これも、すごい。
シーンとして
あきらめムードになった班を救っていた。

「それじゃあ、情報が混乱するから、
 Aについての情報だけを先に読んでいこうよ」
「項目を全部、一度出してみよう」
など、問題解決のための建設的な意見も、
ぽんぽん飛び出す。


黒板いっぱいに、
みんなの言葉やふるまいを書き出すことができたのは、
この夏の研修の時の出来事が、
私の背中を押してくれたからだ。

ある学校で先生方への研修を担当したとき、
同じようなゲームをやり、
ふと思いついて、先生方の貢献的な行動を
黒板に書いたら、
「あの価値付けがとてもよかった。
 価値付けてもらっているときの
 先生方の表情がすごくよかった」と、
ある先生からメールをもらったのだ。
その先生は、
私の初期の初期を知ってくれている先生で、
とても尊敬する方。


そうかあ、いいんだ!
それでいいんんだ。
そう言われてみれば、
それって、私の持ち味じゃん。

そう思えて、
今日は積極的に班の間を歩き回り、
言葉やふるまいを拾い、
書いた。

でね、思ったのだけど、
授業や、
ロールプレイや、
会議のファシリテートの方法などを
フィードドバックしてもらうとき、
確かに、改善すべき点を、
具体的に伝えてもらうのは大事。
でもね、良い点を、
しっかりと伝えてもらうことも、
同じくらい大事だと思う。

それはいいんだあと明確になり、
次は意識的にやるようになる。
意識的になるようになると、
これが、もっともっとうまくなったりするんだなあ。


今日の私の黒板に書いたひとつひとつの良いことが、
中一の子どもたちの、背中を押したらいいなあ。

こんなふうに言葉をかけていいんだ。
こういう態度は人に前向きな影響を与えるんだ。

そんな気づきを得てくれるといいな!
そう思う。


はあ〜、めっちゃ疲れたが、
いい一日だった。






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「自分自身」という限りなく貴重な資質。

【2010.09.26 Sunday 14:35
ロバート・E. アルベルティ,マイケル・L. エモンズ
東京図書
¥ 2,520
(2009-12)

 アサーティブネスの最初の本は、
1970年アメリカで「Your Perfect Right」
というタイトルで出版され、
それは1994年に「自己主張トレーニング」
という邦題で日本でも出版された。
その本を、私は2005年頃に読んだ。

その改訂版(第9版)の日本語改訂新版を、
今回読んだ。
原書で読んでいた方から話には聴いていたが、
時代の変化とアサーティブネスの関係に、
感慨深いものがあった。

たとえば、今回の本の中には、
オンラインでの自己表現についても書かれている。
句読点の打ち方や絵文字による感情の表し方など
にも触れている。

一番の大きな違いは、
3つの章が新たに加えられている点だ。
「21世紀のアサーティブ・メッセージ」
「アサーティブに成るとき、成らないときを決める」
「アサーティブネスが効果的でないとき」

以前なら、
並んでいた列の順番に関してアサーティブにふるまうこと、
たとえば、
「私のほうが先に並んでいました」と率直に言うことは、
当然していいことだというような言い回しの文章だったが、
この版では、個人の選択の問題であると、
終始一貫している。
つまり、そのことによって、
攻撃的なキレ方をする人もいるから、
よく様子を見て、自分で言う言わないを選択することが
必要だということだ。

21章「アサーティブに成るとき、成らないときを決める」
には、
「『アサーティブにふるまうことができる』からといって、
常にアサーティブにふるまう必要はないのです。
ちょっとイライラするたびに
『アサーティブにふるまおう』と
するのはやめましょう。
また、わざわざ『アサーティブに成る』機会を
探し求めるのもやめましょう。
その場の空気を読み、
思っていることを口に出すことで、
起きた状況を本当に改善できるなら、
そのときこそ
アサーティブネスの才能を発揮するときなのです」
とあり、
アサーティブネスに成るタイミングを13の問いとともに
紹介している。

その部分を読んでいて、
アサーティブネスの理論をからだの中にしみこませ、
技法をしっかりと身につけてこそ、
使え時に使えるってことを、つくづくと考えた。

そしていざという時に使える道具を
自分の中に持てているということは、
いつ使うか、
どう使うか、
自分で選択できる訳で、
持っていなければあきらめることを、
持っていれば使わないにしてもあきらめるのではなく、
選ぶわけだから、
その時の自分に対する信頼感は、
全然違うものだと思った。

さらに、使う権利があるからではなく、
自分の選択の上で使う。
つまりは、主体的に生きるための道具なのだ。

そして、
成るとき、成らないときを選択するように、
成ろうと決めたときは、
本当のアサーティブネスで取り組みたいのだ。

 相手とすれ違ったとき、
 テーブルの上に出す議題は、
 本当に客観的な事実を元にしているのか、
 自分でチェックすること、
 これは必ず行いたい。

 本当に相手の権利を侵害していないのか、
 言葉にする時には何度も自分に問いかけたい。

 また、コミュニケーションの半分の責任は自分に
 あることを、
 自分でしっかりと認識し、
「わかってくれない」相手が悪いのではなく、
「伝わるように伝えなかった」自分に、
 次のチャンスがあることを知っていたい。




また
22章「アサーティブネスが効果的でないとき」には、
本当に当たり前のことだけど、
間違ったテクニックを用いることや、
あまりにも未熟すぎる技法のことなどが明記されていて、
そうやって言葉になっているのを読むと、
身が引き締まる思いがする。
伝える立場の者として、
「これが絶対の道具ではない」ってことを、
謙虚に認めよう。

その上で、
正確な理論と技法を伝え、
安心安全な練習の場を提供していくことに、
真摯に取り組もう。


と同時に、
私自身は、私の持ち味のひとつである
ねばり強さをもって、
もっともっとアサーティブであろうとすることに
挑戦していきたいと思う。
あきらめないでいきたいと思う。

これからも小さなことから、
アサーティブであろうとしていきたいんだ。

今、そんな強い気持ちを持っている。



新しい版には進化した箇所がいくつかあるが、
もちろんまったくぶれていない部分がほとんどだ。

最後の言葉は、今も私の胸を打つ。

「あなたは『自分自身』という限りなく貴重な資質を
 持っているのです」

「あなたにとって、何が重要であり、
 あなたの人生においてアサーティブ行動を
 どのように適用するかを決めなければなりません」

「忘れないでほしいのは、
 アサーティブネスとは、人を操ったり、脅かしたり、
 わがままを通したりするための道具ではないことです。
 アサーティブネスは、自分の権利のために立ち上がり、
 対等な関係を築き、怒りを表現し、他者とふれあい、
 好意を表し、より率直になるための手立てであると
 いうことです。
 そして何よりもアサーティブネスは、自分らしい自分になり、
 自分に好意を抱き、他者の権利に注意を払い、
 尊重していることを示す手立てのひとつであることを
 深く心に刻んでおいてください」

あ〜、背中がぴしっとする。











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一人で歩くには、長い道。

【2010.09.25 Saturday 18:07
今日は小学校でお話した。
PTA会長さんが、
私が話し終わったあと、
「勉強されていますね」と褒めてくれた。

その言葉が私はすごく嬉しかった。

私は特に話が上手ではないが、
でも時々、
「話がお上手ですね」と言われることがある。
それは多分褒め言葉で言ってくださっていると思うが、
実は、複雑な気持ち。

というのは、
私には
「話が上手」=「話がうまい」=「相手をまるめこむ」的な
イメージがある。

時々上手に話せたとしても、
私としては、それは私なりの努力の結果で、
それを
「話が上手ですね」と言われてしまうと、
なんだか「上手に化けましたね」と言われているようなんだ。


で、今日「勉強されてますね」と言ってもらえて、
その言葉が、
ささやかなんだけど私なりにがんばっている日常を
認めてもらえたみたいだったんだよね。

ありがとう!PTA会長さん。



さて、今日は、内容にぴったりだったので、
イチロー選手の葛藤を話題にした。

イチロー選手は昨日、メジャーリーグ10年連続
200本安打を達成した。
(今日はさらに2本追加したらしい)

しかし、達成した瞬間、すぐには喜びを表さなかった。
2年前、彼が日米通算3500本安打と、
8年連続200本安打を達成したとき、
シアトルマリナーズは最下位で、
チームメイトたちの中には、
彼を、
「チーム最下位の中で、個人の記録ばかりを考える
自己中心的な人」と評価する選手もいて、
それ以降、彼は何を喜んでいいのかわからなくなったと
いうことだった。

あの、あのイチロー選手でも葛藤するんだということを
保護者の皆さんと確認した。
あの、バッティングの高い能力を持ち、
その上に、WBCの時に発揮したリーダーシップや、
高い精神力を持ち、
さらには日々努力ができるという才能まで持っている、
あのイチロー選手にも、
迷い、悩んだ日々があったのだ。

ましてや、私たちが接する子どもたち。
子どもたちは、小さなからだの大人ではなく、
これから心を成長させていく「子ども」だ。
彼らに迷いや心配や不安があるのは、ある意味
当たり前ってことだ。

そういうことがあっても、
イチロー選手は、目の前のやるべきことを、
淡々とこなし、
記録を重ねた。

しかし、私たちが接する子どもたちには、
一緒に寄り添いながら歩く、
他者の存在が絶対に必要だ。

迷うあなたでいいんだよ。
悩みながら、一緒にいこうねと、
隣に並んで歩ける家族や友だちが必要なんだ。

ま、そんなことを話した。


昨日のイチロー選手の快挙の時、
ブルペンで喜んでいたブライアンという選手は、
彼の葛藤を知り、
「そんなことがあったのか、
「心配する必要なんてないのに」と話した後で
「そういう孤独を感じながらプレーし、
 200安打に達したのだとしたら、さらにすごい」と言ったそうだ。
さらに、
「1マイル(約1.6キロ)を一人で歩くと、
 長く感じるだろ。
 でも、仲のいい友だちや子どもと歩けば、
 1マイルなんてすぐだ。
 イチローは、本来短い道のりを、
 何倍もの距離に感じながら、
 たった一人で道を歩いていたんだろうか」
と言ったそうだ。

多分、彼のパートナーは一緒に歩いたんだろうな。
彼の苦しい胸のうちを受け止める存在は、
パートナーだったんじゃないだろうか。

私たちは、
子どもの隣にいようよ!
と保護者の皆さんにお話した。




でもね、でも、
それは
子どもたちだけじゃないんだ。
私たちは誰しも、
葛藤を抱える時ほど、
誰かに隣にいてほしい。

大人だってそうだ。

存在そのものを受け止めてくれて、
静かに気持ちを受け止めてくれる
他者の存在が必要なんだ。

・・・・・・・・・・・・・・・


もしも、あなたが今葛藤を抱えていたら、
私はその葛藤を一緒に整理する、
あなたに寄り添う人の中の一人になりたいな!と
思います。

10月11月の相談日を掲載しました。
サイトをご覧ください。



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「安心」がもたらすもの。

【2010.09.24 Friday 19:46
講座をファシリテートするときに、
まず最初に心を配ることは、
「この場が安全で安心できる場なんだ」
ということを
受講してくださっている方に
いかに伝わるようにするかということだ。

ほとんどの人が、
初対面の人と話すということは、
緊張をするものだと思う。

ましてや、多くの方の前で
自己紹介するとなると、
心臓がどきどきばくばく、
自分の番にくるまで緊張でいっぱいで、
自分以前の方の話などきいていられない・・・
なんて方もいらっしゃると思う。

それでも、一緒に「コミュニケーション」を
学んでいく場合には、
少しずつ知り合っていただくことは、
大切なことなので、
初対面の方と話したり、
みんなの前で話したりする機会をもうけたりする。

時間がた〜っぷりあれば、
十分にアイスブレイキンングして・・・
なんてこともできるが、
限られた時間の中ではそうもいかない。


今日の午前中の講座の中でも、
受講してくださった方が、
かなり無理をし、
多くの方が緊張をしながら、
自己紹介をしてくださった。
しかし、そうしてくださったおかげで、
自分以外の方々がどういうモチベーションで
この講座に参加しているのか
場全体で理解することができ、
「私だけではなく、他の方もコミュニケーションに
 課題をもっているんだな」とか、
「あらあら、案外、
 人前で話すのが苦手って方いるんだわ」とか、
そんなことが共通の認識になった。

こうやって共通の認識が場の中で醸成されてくると、
だんだんと場が「安心」になってくる。

またその中で、

自分が話したことをうなずきながら聴いてくれる人がいた。
思い切って話してみたら、
「私もそういうこと、ありますよ」と言ってくれた。
ちょっとした冗談に笑ってくれた。
そんな小さなことが重なって、安心に繋がっていく。
それは私がリードしたことではなく、
受講されているお一人お一人がされたこと。

私はみなさんが「安心を得ていく」プロセスを
感じながらすすめ、
人間にとって「安心」は、
自分のチカラを発揮するための、
基本中の基本だなと思った。

  それはマズローの
  生命を維持したいという欲求が満たされて、
  安心安全の欲求をもち、
  安心安全が満たされて、
  所属と愛の欲求をもち、
  それが満たされて
  自分が集団から価値ある存在と認められ、
  尊重されることを求める承認の欲求が生まれ、
  それが満たされて自己実現の欲求が生まれるという、
  「欲求の段階説」を持ち出すまでもなく・・・だ。



「この場だったら、大丈夫かも」という安心を手に入れて、
だんだんと心を開く。
心を開き始めると、
そこで行われていることが
もっともっと自分の中に入ってくるようになる。

この自分でいていいんだ。
何か間違ってしまったとしても、
それもまた経験だ。
失敗するかもしれないけど、
人間には失敗はつきものだし、
人の目は気になるけれど、
まあまあ、なんとかなるだろう。


それをね、
講座の中で、受講生にも経験していただきたいし、
日常の中では、子どもたちに与えたいと思う。

今日は午後、小学校で講演を行った。
その中で話したことは、それだった。

大人がみんなで、
子どもたちが、
安心して失敗できて、
安心して自分の気持ちを出せて、
安心して自分そのままでふるまえる、
そんな場を作っていこうよ!

そんなことを話した。

なので、私の中では繋がっていたんだ。










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過去が、変わった。

【2010.09.22 Wednesday 06:17

質問「アサーティブネスを学んで一番びっくりしたのは?」
私「自分の感情を口に出していいことを知ったこと」


質問「アサーティブネスを学ぶ中で印象的な出来事は?」
私「トレーナー養成講座一回目に、AJ代表の森田汐生が
 『くみはもう自分のことを卑下しなくていいよ』と
 言ってくれたこと」



昨日、電話で取材を受けた。
アサーティブネスについて、
私の個人的な体験を話した。

質問をしてくれた方は、
本当に丁寧に、
私のアサーティブネスとの出会いからを
訊いてくださって、
与えてもらった質問によって、
私はこれまでをまとめることができた。

その中に、
「身近な方はあなたがアサーティブネスを学んで、
 どこが変わったと言っていますか?」

という問いがあった。
私は答えにつまって
「どうだろうなあ?」と答えたと思う。
そのように答えながら、
もし夫に訊いたら
はっきり意思を言うようになったとか、
電話でウソの理由ではなく断ったとこを
見たことがあるとか、
そんなことを言うかな?と考えていた。
そういうことを言われたことがあるのだ。

電話をきったあと、
彼に訊いてみた。
そしたら、本当に思いがけない答えが返ってきたんだ。

 そうだなあ。
 人当たりがよくなったかな。
 それと、キレなくなったね。

私は、もう本当にびっくりした。

私がアサーティブネスを学ぼうとしたのは、
自分が「いい人」や「できる人」でありたくて、
断れなかったり、違う意見が言えなかったり、
自分の中に意見や感情を押し込めがちだと思っていて、
つまり、
私としては「人当たりがよくて、どちらかというと
誰にでもいい顔する」的な自分がいやだったのに、
彼の目からみると、
当時の私は今より人当たりがキツかったんだ・・・.
そして、私って、時々キレてたんだ・・・。

そう言われて、よ〜く思い出してみると、
洗濯物のことでひどくキレたことを思い出した。

当時はまだ、夫の両親と別々に暮らしていて、
時々ご飯を一緒に食べるために両親のところに行った。
ある時、
夫や夫の姉夫婦は先にいっていて、
私が遅れていく時があった。
洗濯物を干してから行ったのだ。
遅くなりました〜と入っていって、
支度を手伝おうとしていると、
家族(←さっぱりした、本当にいい人)が
本当に何気なく、なんの悪意もなく、
「洗濯は洗濯機がやってくれるのに」
のようなことを言ったのだ。
 (あ〜これはもう20年くらい前のこと。
  こんなことを覚えている私。とほほ)
まったく善意の人で、そのことを言ったことで、
私を批判しようとは、多分これっぽちも考えてなかったと思う。
それでも私は心のひっかかりを感じた。

そして帰宅してから夫に詰め寄ったのだ。
「なんで、私をかばわなかったの?
 私は毎日朝、6時前に起きて、
 これだけ必死にやってるじゃん。
 じゃ、ほしてくれるとこまでやる
 洗濯機を買ってよ!」
的な勢いで。

これを思い出しながら、次々といろいろ思い出す。

そういうキレ方もあったが、
もっと数多くやっていたのは、
黙り込むというキレ方だ。

何を話しかけられてもうんともすんとも言わず、
無視攻撃を、これはさんざんした。
これは私にとってはすごく使いやすい攻撃の道具で、
なぜかというと母がよくやっていたのを見ていたのだ。
幼い頃から慣れ親しんだ方法で、
多分妹もこの技は身につけていると思う。

確かに、そういうこと、
なくなったなあ。

人当たりについては、
どう悪かったのか、よくわからないので、
また訊いてみようと思う。

過去の自分はおどおどしていて
周りの顔色を伺ってばかりいるのように
思い込んでいたが、
それは思い込みだったんだ。






それにしても、
自己評価を客観的にすることは難しい。

家人は私の外側を見てる。
つまり、私の言った言葉やふるまい方を見ている。
でも、私は私の内側、その言葉を言うときの気持ちや
頭の中でぐるぐるしている考えを見ている。
それが一致していないから、
まったく逆の評価になった。

そして私の内側はそれを表さない限り誰にもわからない。

この一件を通しても、
私はますますアサーティブネスの大切さを思う。
アサーティブネスを学ぶということは、
自己一致へのプロセスでもあるんだな。


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人の向こうにある背景。

【2010.09.20 Monday 07:43

組織の中には、
本当にいろいろな方がいる。

きちきちっと物事を進めて行きたい方。
進めいくことよりも、
その時のやりたいことを優先したい方。

みんなに同じように言葉で指示をしても、
それで伝わる方と、
書いたり、図に示したほうが
伝わりやすい方もいる。

やり方や方法が違うと、
時々、そのことがものすごくストレスになる。

きちきちと進めたい人にとっては、
目標に向かうことより他に優先することを選ぶ人を、
なぜあの人はいい加減なんだろうと疑問に思い、

自分のタイミングや自分のその時の感覚を優先したい人は
たんたんと進める人を、
なぜあの人は融通かきかないのかと憤慨する。

なぜあの人は自分の好きなことには一生懸命になるのに、
その他のことには手を抜くのか?
なぜあの人はにこやかな挨拶ができないのか?

自分とは違う考え、価値観、方法論をもっている人と、
チームの中で上手に仕事をしていくことは、
なかなかやっかいだ。


そんな時に、
私は自分自身のことをよお〜く考えたこれまでのことが、
本当に役立っていると感じる。

自分がなぜ突然の思いつきで動くようになったのか?
私はそのことを考えたことがある。

いきついたところは、私の歴史だった。

それは商家の長女に生まれ、こうすべき、こうすべきでないが
強い中で成長し、
そのことへの反発の気持ちが強く、
思いがけない行動をすることで、
家からの期待から逃れようしてきた自分を、知っている。



また、自分はなぜ、課題の解決より、
人とのつながりを優先するのか?についても考えてある。

それはやはり母からの影響が強く、
商家で結婚生活をすごした母が、
従業員の方々とうまくやること、
義理の両親や兄弟と問題を起こさないことが
落ち着いて生きていくベストの方法で、
私にとっては小さなころは「家」が社会だったから、
それこそが社会で生きていくベターな方法なんだと、
からだにしみついていることだと思うんだ。


私は自分のことを考えるにつけ、
あの人にも、
私と同じような背景があるということに気がつく。

その人にも、
私のように、それを使って生きてきた環境や、
これまでの歴史をもつ。

もちろん背景の中には、もともともっている脳の働き方もあるだろう。


そうすると、間違っている人なんていなくて、
唯一の方法もないとわかる。


そこにあるのは、
いろいろな人の
いろいろな考えであり、
いろいろな方法論であり、
いろいろな価値観だ。


背景を含めて、
そうして生きてきたその人を尊重して、
チームになれたらいいなあと思う。

そこで起きたすれ違いは、
話し合っていくしかない。

自分にとっては、この生き方しかしてこなかったから、
他者の方法は理解が難しい。
だから、
だまっていてわかってもらおうというのは、
ムシがよすぎるのだ。

その人との関係が大事で、
あるいはチームで動く必要があることなら、
言葉とふるまいを尽くしていきたいなと思う。


つくしても、理解しあえないこともある。
そのことも覚悟しながら。


さ、今日は4日連続の講座の最終日。
一生懸命に皆さんの学びのサポートをしよう!!!


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マイナスをどう扱うかが、人生だよ!と言い切る。

【2010.09.17 Friday 21:42

講座の講師を務めていると、
どういう講座でも、
受講してくれる方が、
そのl講座で伝えていることと、
その時点の自分とのギャップを確認する様子がある。


ま、ほとんどの方が、
よりよくなりたいからこそ、受講されるのだから、
それはある意味当たり前のプロセス。


当たり前なんだけど、
毎回、本当に感動する。


で、私は、
欠点や失敗や短所があることがだめなんじゃないと
心から思う。
それがだめではなくて、
欠点や失敗や短所を、
どう扱っているかが大切なことなんだと思う。


それを他者のせいにしてしまえば、それは残念だ。
「他者」のせいにしている限り
よりよくなるには「他者」にどうにかしてもらわないと
ならなくなるが、
「他者」をコントロールすることは不可能だから、
状況は変わらず、
結局苦しい思いをするのは自分だ。




でも、講座に参加される方は、
自分のできることをしようとされている.
「他者」のせいにもしていないし、
自分をあきらめてもいない。

時には見たくない自分の部分を見ながら、
あるいは思いがけない自分の部分を発見しながらも、
ギャップを受け止め、
だからってあきらめるのではなく、
それでも今やれることをされようとしている方々。


あ〜いいなあ。
素敵だなあ。


講座のたびごとに、
受講生の方々のそのエネルギーに触れ、
私もそうやっていこうと思う。


私も欠点も失敗も短所も、
決して誰かのせいにせず、
自分の成長のチャンスとしてやっていこうと
思う。



それが私の生きる道だと、
言い切ってしまう。

それほど、私は感動している。



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チャンスをつぶしてしまったよ。とほほ。

【2010.09.16 Thursday 21:19

今日、アサーティブネスの研修の中で、
ある方に、
今自分のもっているコミュニケーションに関する課題を
教えてもらう場面があった。


コミュニケーションに関する課題とは、
いえないことや、
いいすぎてしまうことや、
伝えているつもりでも伝わってないことや、
そういうことだ。


その方は、ご自分で「小さなことですが」と
前置きしてシェアしてくださった。


そのとき、その場にいたお一人の方が、
「そんなつまんないことを・・・」とおしゃった。
シェアしてくれた方と親しいからこその一言。
まったくいやな感じもなく、
逆にちょっと場をなごませてくれた、
そんな悪意のない、
本当に何気ないひと言だった。


何気ないひと言だったんだけど、
それは今思うと、
アサーティブネスの一面を場に示す、
めっちゃ大きなチャンスだった。


にもかかわらず、
私は
「でも、○○さんにとっては大切なことなんですよね」
と、
そのシェアしてくれる方の立場にたっただけのコメントを
言ってしまった。


「そんなつまんないことを」という、
絶好のボールを投げてくれたのに、
なんてことだ。
「ああ。△さんは、そう思われたんですね」と
コメントするだけで、
かなり違ったのに。


あああ!おしい。


そこで示すことができることはいろいろあった。
アサーティブネスというジクソーパズルのピースの、
結構重要なものを、
ここで埋めることができたのに。


「△さんは、そう感じられたんですね。
 それは△さんの考えですよね。
 しかし、同じことでも、○さんにとっては、
 そのままやりすごすことをもうしたくない、
 大切なこと。
 人によって、同じことに対しても考えや感情が違うからこそ、
 それに対してどう思っているかを、
 伝えることが大事なんですね」


そうすれば、
人は自分の考えや感情を大切にしていいという
アサーティブネスの大切な部分を伝えることが
できたんだよなあ。


「私はあなたの意見とは違う。
 しかし、あなたが意見をいう権利は
 なんとしてでも守る」
人がひとりひとり、
そんなふうに考えていったら、
もっと生きやすくなる。
そういう社会を作っていく一歩ずつを、
もっともっと大切にしていかないと!!!


それにしても
講座は生きている。
場も生ものだ。
同じものはひとつとしてない。
だからこそ、おもしろいな。



author : tanizawa-k
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相談員とアサーティブネス

【2010.09.16 Thursday 11:38
 今日の午後は、相談を業務としている方々の研修で、
アサーティブネスをお伝えする。

他者を支援する立場の方にこそ必要だと考えている私としては、
本当によい機会をいただいた。

なぜ他者を支援する立場の方にアサーティブネスが有効かというと、
もうこれは、
私の実感なんだ。


カウンセラーはクライアントの話しを自己一致で聴くってのは、
最初に学ぶことだ。
カウンセリング辞典には
「一致とは具体的には自己概念と有機体的経験の一致のことを指す。
 クライエントを目の前にしてカウンセラーは自分が感じていること、
 経験していることを否認したり歪曲してはならない。
 一方クライエントは始めは混乱した自己不一致の状態にあるが、
 カウンセラーの自己一致した態度や受容・共感に触れ続けることで、
 次第に自己一致の方向に向かって変化していく」とある。

つまり、簡単にいってしまうと、
カウンセラー自身にどういう感情がわきあがろうと、
どういう経験があろうと、
「今ここ」を大切にクライアントさんに向かう。
その姿勢がクライアントさんの自己一致に影響を与える
ってことだと思う。

これは、書いちゃうと簡単だけど、なかなか難しいことだ。

特に私のように、
他者からの評価を気にし続けて生きてきたものは、
当初、このカウンセリングの出来ってものに、
とらわれてしまったこともある。
また、自分の思い入れの強さが、カウンセリングに影響を
与えることもあるし、
また、
クライアントさんを援助することで、自分の価値を見出そうと
さえしていた時もあったかのしれない。


アサーティブネスを学んだのは、
最初はコミュニケーションがうまくなるためだったのだが、
小さなことからスキルを使い、
葛藤しながらアサーティブであろうと努力しているうちに、
なんというか、
「この自分でいい」という気持ちが生まれ、
「自己信頼」というものの在庫が枯渇しなくなり、
それは同時に、
仕事での
「自己一致」に大いなる影響を与えてくれたと思う。

これはカウンセラーに限った話しではないと思う。
他者を支援する立場の方には、
本当に有効だと思う。

単純にスキルを使うことで、
他機関との連携に便利だし、
仕事にまじめな人ほどしたほうがいいことが見えるが、
そこでの燃え尽きから自分を救う手だてになる。

クライアントさんの感情に巻き込まれず、
「あ〜今、目の前にいる方は、〜〜のことで
 怒りがわいているんだな」という事実を受け止め、
自分自身にわいてくる感情も、
なかったことにはせず、
そのまま自分の頭の中で受け止める。
他者の内側の声を分かろうと共感的理解に務めながら、
自分の内側の声もちゃんと聴く。
このことが、
アサーティブネスの理論を知り、スキルを使う、
延長戦上にあったのだ。


スキルを使っていくことは、
エネルギーもいることだけど、
同時に自分を大事にし続けていることで、
そのことにより、
自己信頼は高まり、
たとえばクライアントさんの役に立てなかった時に、
自分を責めすぎないようになるだろう。
クライアントさんとの依存の問題も、
起こりづらいと思うんだ。
だって、自己信頼感があるということは、
誰の評価も特に必要とせず、
自分で自分を認めていることだから。


そして、スキルは理論と連動しているから、
スキルを使ってトライすればするほど、
アサーティブネスの根幹が理解、納得、そして
身に付いていくんだと思う。

たとえ凹んでも、
凹みながら、目の前のことをやれること。
そして、そのことで、
クライアントさんにも
「凹んでも大丈夫」と、同時に「でもやれることはあるよ」と
メッセージを伝えられる。


そういうことが
カウンセラーを含めた支援者には、
大切なんだと思うんだ。


ま、ここまで話すととても複雑なので、
今日のところは、このあたりはさらっと、
でも、私の頭の中にはしっかりと置きながら、
伝えてこようと思うんだ。


*このブログ記事は、
NPO法人アサーティブジャパン認定講師である
谷澤久美子が個人で開いているブログです。
このブログ記事に関する全ての責任は
谷澤久美子にあります。
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author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor