2010年08月の記事 | 今のところではありますが…
「ありのまま」の自分の使い方。

【2010.08.31 Tuesday 10:07
こんなに暑いのに、
8月が終わるってのは、
なんだか夏が終わるような感じがしてしまう。

夏を総括したくなってしまう、そんな気分だ。

私は今年の夏、ついに50才になったのだが、
記録的な暑さの中の誕生日で思ったことは、
うちの母(池上桂子)は、
暑い中で私を産んでくれたということだ。

母は着物が大好きな人だったから、
病院で私を産み、しばらく実家で静養し、
結婚先に戻るときに
黒字に赤い大きな円がいくつか描かれた絽の着物を
着たらしい。

私の誕生を心から喜んでくれたからこそ、
暑い中でもキチンとしてくれたんだよなあ!
と今まで考えなかったことを考えた。

そして50年たち、
今年の私は、
やっとやっと「私らしい」ってことと、
周りとの折り合いの付け方が、
わかってきたように思う。
そのことが、
この夏のいろいろな活動の中で、
感じることができた。
本当に恥ずかしいが、
やっと「肩の力をぬく」ってことの意味もわかった。

30代後半に、
すごく尊敬する方から
「おまえはもっと肩の力をぬけ!」と言われ、
私は、
「どうがんばったら、肩の力をぬけますか?」と
尋ね、
こりゃ、だめだ・・・
的な表情をされたあの時から、
随分時間がかかったものだ。

と同時に、
過去の自分のがんばりが、
今日の自分を作っていることも、
また実感としてある。

それは私のことだけではなく、
私のかかわった人たちのことを見ても、
一般論としてそうだと思う。

昨日は
本当に美しい20歳に成長した女の子に会った。
私と彼女は、彼女の中学時代に出会い、
その後も何かあると電話しあい、faxしあい、
としてきた女の子だ。
すでに彼女は働いている。
心配事も抱えている。
そんな中、
尊敬する大人にたくさん会っている話をきかせてくれた。
たとえば、
同じ会社の違うショップの店長さん(随分年上の男性)が、
上司から彼の部下への指導方法についての注意を受け、
その後
 「私のところにあやまりに来てくれた。
 まだ入ったばかりで、何にもわからない私のところにも、
 『僕の注意の仕方は今までよくなかった。申し訳ない』
 ってあやまってくれたんだよ。
 私は一回も彼の叱り方にいやだと思ったことは
 なかったけれど、その時に、
 こういう大人になりたいと思った」
と教えてくれた。
また、彼女自身が働いている店の店長は、
大人の女性として、気配りも、
コミュニケーションの方法も
すばらしいという。
彼女が悩み事があったとき、
さりげなくミーティングを装い話しを聴いてくれ、
お弁当のおかずの作り方も教えてくれるのだそうだ。
仕事も丁寧に教えてくれる。
彼女の仕事への取り組み方も立派だと思うのだそうだ。
なかには、時々カチンとくる言動をする人もいるそうだ。
でも彼女は、一人暮らしのアパート代を自分で払い、
毎日お弁当をもって仕事にでかけ、貯金もし、
いやなことがあっても、それで会社を休んだりしないで、
働きながら悩み、家事をしながら考え・・・
としている。
そして、
「おはようございますと言うと、
 おはよう!とか、返事を返してくれたり、
 お疲れさまですというと、
 今日もがんばったねなどという、
 声をかけてもらえることが、
 すごく幸せだと思うんだよね」
と言っていた。

なんと、なんと、すばらしい!!!

私は彼女の成長に泣けてきたし、
昨年一年はとても苦しい思いをしていたが、
その一年をのりきったという、
つまり、過去の彼女が、
今日の彼女を支えていると、心から思ったのだ。




人はさ、
「ありのまま」の自分で十分なんだけど、
その「ありのまま」の自分の使い方で、
いつのまにか、
さっきの「ありのまま」より、
もう少し豊かで深くて柔らかくて温かい
そんな「ありのまま」になっていくんだよ。

しかし、
「ありのまま」の自分が、
社会のあり方や、
他者のコミュニケーションの方法などを、
責めているだけでは、
解決に向かっていかないのだよ。

「システムが悪いから」、
「上司の仕事の依頼の仕方が悪いから」、
「パートナーが自分勝手だから」
と、他者を責めているだけでは、
「ありのまま」の自分の
よい使い方とはいえない。

かといって、
「ありのまま」の自分の能力のなさや、
「ありのまま」の自分の方法などを
自分で責めているだけでも、
使い方としては、
あまりにももったいないのだ。

自分を責めて、能力が開発されるなら
責めればいいし、
自分を責めて失敗が取り返せるなら、
責めればいいけど、
そんなこと、ないのだ。

他者や自分を責めるというところに時間や
心やエネルギーを使うよりは、
「ありのまま」の自分で、
目の前にあることを、
たんたんとやっていくことだ。
誰かのせいにもせず、
自分のせいにもしすぎず、
原因や犯人を探すよりも、
どう行動していこうか、
どうふるまおうかを考えてやっていく、
そのことなんだよな。

そうやっていくと、
気がついたら、あら?私ったら、成長しちゃってる?
みたいな。

私もね、
2010年夏に、
まあまあ、ぼちぼちと、私なりにやってみた
この自分を使って、
9月からの自分をやっていこうと思っているのだよ。

突飛なことをするのでもなく、
目の前のことを、ね!

そしてね、また何年かたったとき、
おおお!過去の自分が作っちゃってるじゃん、私を!
なんて思えたら、ラッキー。

ま、今年の夏は、
そんな感じで、たんたんと、ぼちぼちと、
いろいろできたような気がする、
そんなことが、この夏の総括なんですう。



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理想と自分との間を、いったりきたりする。

【2010.08.27 Friday 16:30
今日は一日中、家でデスクワーク。
明日からの講座の準備をしていた。
講座はアサーティブ・トレーニングの基礎講座。
私の今回の役割は講師だ。

分かりやすくアサーティブネスを伝える方法を
考えたり、
ワークに取り組んでもらいやすいように工夫したり、
そんなことをしていて、
ちょっとひと休みしようと、
ほぼ日手帳カズンについてきた
毎日ひとつ「365の日々の言葉」の
今日のところをめくると、

「帰するところ、最も重要なことは何かといったら、
 自分と、自分が理想と考えている自分との、
 その間の問答です。
 『外』じゃないですよ。
 つまり、人とのコミュニケーションじゃないんです。
 自分と自分が理想と考えるもの、
 そことの内的な問答がいちばん大切なんです。
 ー吉本隆明さんが『日本の子ども』の中で」

という文章だった。

オオオ!なんという、
セレンディピティ。

まさに、それ、そのことを考えていましたって、
ところを言葉にしてくれた感じ。

しかも、それからちょっとたったら、
糸井さんがTwitterでも、この言葉を流して
くれていた。

吉本さんは「自分と自分が理想と考えるものとの、
内的な問答がいちばん大切」といっているが、
それがいちばんかどうかは、
まだちょっと、私は考えの途中だ。
しかし、大切であることは間違いないと思う。

アサーティブ・トレーニングの中でも、
相手とコミュニケーションを取る前の準備の
大切さを学んでもらうのだが、
自分が伝えたいことは何かを、
自分の中で明確にすることは、
その時の最重要課題だ。
つまり、「外」の前に
「内的な問答」をたくさんやるのだ。

まさに、吉本さん、ありがとう!
といった感じだ。


さらにね、以下のことも考えた。

私はアサーティブネスに出会うまでは、
「理想」のコミュニケーションってものが、
明確ではなかった。
というより、
他者と問題がおきなければいいとしていたし、
周りから、「いい人」って思われるコミュニケーションを
することがいいことかなア・・・
くらいの感じでしか思っていなかった。

周りにいる人たちは
他者との間に問題が起こったとき、
声高に自分の主張を言い張るか、
あるいは、最初から何も言わずためておくか、
そんな感じのコミュニケーションがほとんどだったから、
それでいいじゃン・・・という感じだったのだ。

つまり、アサーティブネスを知ることで、
そうかあ、こうすれば、自分も他者も尊重できる
そういうコミュニケーションができるようになるのか・・・
と、理想のコミュニケーションの姿が、
初めて明確になったのだ。

理想が明確になると、
それができない自分との間の差に、
びっくりする。
びっくりしたり、
自分を情けなく思えたり、
自分を否定したくなったりもした。

今日の、吉本さんの文章を読んで、
そうか、その過程も、それでよかったのだ
という安心と、
そして、そういう自問自答なくして改善はないことは、
実感をもって知っているなあと思った。

理想との間を、いったりきたり自問自答し続けることが、
結局は他者とのより良いコミュニケーションに
つながっていくことを、
私は体験を通して知ったと思った。

また、講座を受講してくださる方々の挑戦をみていても、
結局は早道はなく、
まずはそこからがスタートだと、
ほんと、そう思う。


理想のかたちが明確にわからないと、
比べるものがないから、
そこに問答も起こらない。
しかし、
明日あさってで、
受講生の方々は、自他尊重のコミュニケーションってどんなものか、
理想なようなものを得る。

それをもって帰ってもらって、
翌日からは問答が始まるのだろう。

それはとてもとてもいいことだと思う。

基礎講座で。、
内的問答の種を、
いっぱい得てくれるといいな。

そういう講座になりますように。


それにしてもほぼ日手帳、おそるべし。




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治る病気を治すには。

【2010.08.26 Thursday 19:08
今日は、友人の関わっているグル−プの主催の講演会に
出かけた。
NPOさい帯血国際患者支援の会の理事長 有田美智世さんの
「白血病は治る!」というタイトルの講演だった。

夫の友人の兄、
私たち夫婦の媒酌人をしてくれた私の友人の母親、
そして昨年末には
友人のパートナーが白血病で亡くなった。
約20年間に3人の知人が白血病で亡くなったのだ。

今日は有田さんの話をきいて、
その間にきいてきた様々な話が、
いかに根拠のないことだったのか、
もう、本当に目から鱗、びっくりだった。

移植したとしても長くは生きられないとか、
臍帯血移植の事例は、日本国内ではまだまだ少ない・・・
などという話は、
うわさや、
あるいは患者さんの家族が主治医から言われた話として、
聴いていたりしたが、
それらは、根拠がないことだとわかった。

有田さんは、昨日は長野の勉強会に参加されたという。

そしてその際、「無言館」に行ったのだそうだ。
「無言館」は美術学生たちが戦争に召集され、
結局は遺品となってしまった、絵画などの作品や、
絵筆、絵の具、手紙などを展示している美術館。

有田さんは
「私たちは命が大事にされていない国に生きている。
 それは、あの戦争の時代がそうだったのではなく、
 その時からずっと、今もそうなんだ。
 だから、声を出していくしかない」
と言った。

それが、
1988年から公的骨髄バンクを求める運動をスタートさせ、
以後、
厚生省の委員会などに選ばれ、
学者や医師や官僚や薬業界の裏側の動きも知った、
有田さんの真摯な言葉だ。

その間に白血病で亡くなる人を知るたびに、
「この人は死ななければいけななかったのか!」
と心がつぶれそうになる想いをしてきたそうだ。

「まだまだ言わなきゃならないことがいっぱいある。
 もちろん言ってもムダになってしまったこともある。
 でも、それでも、言っていかねばならない」
と言い、
そうやって、臍帯血バンク作りに力をつくし、
いつでも患者さんに寄り添い、
患者さんや家族の悩みを聴き、
より良い医師を紹介し、
その後の生活をフォローする活動をされ続けている。

彼女の毎日は
基本的に午前6時から夜中の2時まで相談の電話を
受け付けていて、
トイレの中にも電話をもって入るそうだ。
しかし
「大丈夫ですよ。
 電話のない時は寝てますから」
と明るく笑う。すごすぎる。


彼女は医師のコミュニケーションの力についても
言及した。

彼女のグループの出している通信に以下の文章が
掲載されている。

「主治医から『治療しても治る確立は20%ですよ」と
 言われた白血病の女性の患者さんがいました。私は
 『その医師の腕が20%なのでしょう』と言い、転院を
 すすめました。私が紹介した転院先の医師は、彼女に
 対してこう言ったそうです。『力を合わせて元気に
 なりましょうね。僕は、あなたが元気になるように
 一生懸命やるよ』。彼女はこの言葉に『自分は元気に
 なれるんだ』と思えたそうです」

このことに関連して講演の中では、
彼女は
医師の心ない一言が患者の心に一生残ってしまう傷つきを
与えてしまう事例を説明し、
「患部は診るが、人は診ない、そういう医師ではなくて、
 心も含めて人を診てくれる医師を育てる仕組みを
 作りたい」
と話し、それについての活動も始めていることを
教えてくれた。

本当にすばらしい活動だ。

私の知人も、
医師から
「年齢が高くなるほど移植によるダメージが高くなる表」
を見せられた後は、相当落ち込んでいた。
落ち込むのは当然だと思った。

その医師は、多分それは医師として
説明する必要がある話なんだろうが、
それでも、失敗する可能性を、いろいろな視点から
数値化して説明することばかりを繰り返し、
彼はある時ついに、主治医を変えてほしいと、
思いきって病院に伝え、変えてもらった。

病気を抱えている患者が、
医師の説明の仕方によって、
病気のこと以外にも心配事を抱えなくてはならない
理不尽さ!



不治の病と言われていた白血病は治る病気になっている。

しかし、治すには、
患者側に知識と情報が必要だ。

移植の事例をたくさんもっている病院はどこで、
質のいい臍帯血をもっているのはどのバンクで、
移植の後、無菌室の状態を付くための装置は
どこで借りることができるのか、
知っておく必要がある。

さらに、
患者に希望を与えてくれるような
コミュニケーション能力をもった医師を育てる仕組みを、
日本の国はもつ必要がある。
それは移植の技術や移植後の処置の技術と同じくらいに
必要なことだ。

それにしても
有田さんは志のある人。
想いをカタチにしていく人。
あ〜熱かった。

そして、もう少し早く
この事実を知りたかった。
悔しい。
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「比べること」の裏側。

【2010.08.24 Tuesday 22:00
すごく尊敬するスクールカウンセラーの方がいる。
彼女と話をすると、
すぐに、彼女がいかに頭が良いかわかる。


会議の席で、
たとえば何人かの事例発表があり、
その総括をする時なんか、
もう本当にかっこいい。

まずは事例発表者の発表を認め、
そして、
数々の事例発表の中の共通項を見つけ、
そこに心理学的な視点の話を加え、説明する。
その席には心理学に明るい人ばかりではなかったから、
その方々にとっては
「ほ〜なるほどね」という話にし、
発表者には、「そうそう、それが言いたかった!」のような
話にし、
さらに、カウンセラーの仲間たち全体をまとめ、
背中を押すようなそんな話。
さらにすごいのは、
発表の中に誤解を受けそうな表現があった時は、
それを補うのだ。

私は
以前は、その方の話を聴くたびに、
自分がいやになっていた。

彼女と自分を比べて、
自分の頭の悪さや、
未熟さや、表現力のなさや、
要約の下手さを嘆き、
凹んだりしていた。


しかし、
アサーティブネスを小さなことで実践をし続け、
時にはとても言いにくいことも、
自分のことを大切にして、
相手のことも尊重しながら伝え続けることをして、
そのために、
アサーティブネスの理論の要である、
「誠実」「率直」「対等」「自己責任」ということを
実践することを続けているうちに、
だんだんとアサーティブネスがからだに馴染んできて、
そのことは、大きな変化を私にもたらしたと思う。

特に、この4つのポイントの中では「対等」と関係するのだが、
「人と比べる」ことの、
もうひとつの意味がわかったんだ。

誰かと比べて凹むのは、
「人と自分を比べる」という思考をもっているということだ。
それは他者と自分を比べて凹むばかりではなく、
時には、
自分と比べて他者を見下すってこともあるってことだって、
気がついた。

振り返ってみると、
そういうことが絶対なかったとは、
恥ずかしながら、
情けないながら、
言えない。

なぜ、あの人は、〜〜〜ができないんだろう。
それよりは私はましかも・・・。
と、思ったこともあるかも。
いや、ここまできて、ごまかさない。
正直、ある。


でも、
思考はコントロールすることが可能だと私は思う。
もちろん、簡単にはいかないよ。

でも、比べるたんびに、
「誰かと比べて自分を責める私って、
 本当にアサーティブネス?」っ問いかけ続け、
ってことはさ、
「その反対のこともやっている、
 そういう自分でいいの?」
って問いかけ続ける。

そうじゃない方法で考えてみようと、
考え続ける。

ぐるぐる廻る自己卑下を途中でやめて、
時々やってくる傲慢に、
自分で気づく。

対等の意味を考え続け、
それについての本も読み、
って日々は、
着実に力になっていくんだと思う。

そして、他者と比べて自分の評価を決めるのはやめるし、
他者を、頼まれてもいないに、勝手に評価するのも、
やめるのだ。


思考も習慣のひとつだと思う。

習慣をやめるのは、簡単じゃない。

でも、やめることはできる。


まだまだ相当意識して・・・なんだけど、
続けていこうと思うんだ。


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9月の講座・講演についてのお問い合わせに答えて

【2010.08.24 Tuesday 09:37
「参加可能な講座や講演はありますか?」
というお問い合わせをちょくちょくいただくので、
9月分をまとめて「谷澤相談室」にupしました。

これから、なるべく毎月upできるようにしてみます。

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ちゃんと意思を聴く。

【2010.08.23 Monday 17:12

私は今三好春樹さんにはまりつつあって、
まずは友人に紹介され、
その後、新聞で彼の介護に関する記事をみつけ、
その記事についてブログに書くと、
さらに、そブログを読んでくれた友人が、
彼の「関係障害論」という本を紹介してくれて、
今それを読んでいる。

これは
認知症や寝たきりの原因を、
知能やカラダの障害としてではなく、
人間関係の障害としての理論を
紹介している本で、
いちいちうなずける内容なんだ。

 関係の中で生まれた問題は
 関係の中で治していけばよい。

 社会を変えるとか、環境を変えるという
 一般的な言い方ではなく、
 まず私たち自身の見方や関わり方を
 変えていくことから、
 関係障害の治療の方法を変えていきたい。
 しかも、関係の出発点は私たち自身。

 関係から逃げたり、
 関心を持たないということによって
 人間はどんどんダメにされます。

 われわれが老人をどう思っているか
 ということが、
 相手の老人に影響を与えるのです。

 寝たきりになっても、
 もっとイキイキと人生が送れるはすだ
 と思っている人がかかわると、
 本当にそうなるんですね。

 たった一人の人間との関係で、
 人は変わるんです。

 介護の介は、媒介の介えす。
 私がいなくてもいい状況に
 してあげるというのが、介護です。

 カラダがよくなってから社会性を持つのではなく、
 いま、ここの障害をもったカラダで、どう社会性を
 創っていくのかということにちゃんと応えなくては
 いけないんです。関係を後回しにしたら、
 人間はダメになります。



今、約半分まで読みおわって、
忘れたくない部分を、メモろうとすると、
すごい量になってしまう。
しかも、それらが、
すごく分かりやすい事例とともに語られているので、
めっちゃ納得だ。

読み始めてすぐに、
これがすごい本だってわかっていて、
しかも、
これは認知症や寝たきりの人のためだけの理論ではないと、
確信する。

関係障害と位置づけられるのは、
認知症や寝たきりだけではない。

子どものことでもあるし、
大人のことでもあるのだ。



私は今、義母の世話を時々焼いている。
でも、まだまだ彼女の意思を確認しないで、
やってしまっていることが多かった。

しかし、それって、本当の失礼な話だ。

それで今日は、
彼女とじっくり話をした。
そして、ひとつひとつ、私がやっていることを、
どう思っているか訊いてみた。

義母に訊くことができたのは、
もちろん三好さんの本のおかげだけど、
それだけではなく、
昔、祖父をちょっとだけ世話してたことがあって、
その後、虐待のワークショップを受けたことも大きく、
また、「主体的に生きる」ってことや、
ファシリテートの意味や、
私自身の目標のことを考えたことで、
今日に至っていると思う。

それでも、それが大事なことだとわかっていても、
普段、あまり話をしていないて急に・・・ってのは、
あまりに無謀だから、
特にどーってことない話を
日常の中で何気なくいっぱいしていたことが
本当によかったと思う。

そうすると、大切な話もできるし、
訊きづらいことも訊くことができる。
 
で、今日は、最後の背中を押すことを、
三好さんの本にやってもらって、
その上で、
本当にひとつづつ訊いてみた。

そして、義母の辛さや
恥ずかしさや、
情けなさを聴くことができた。

そうだったんだなあと
しみじみと思った。

今まで、いろいろな思いをして、
でも、言えないでいたんだなあ。

それはせつなかったろうし、
もどかしかったと思う。

いろいろ聴いて、
その上で、
じゃあどうしたら今の彼女の問題を解決できるか考えて、
彼女の希望を叶えるために何ができるかと、
ここまでは妥協して欲しいというお願いをしてみた。

そして、彼女の希望する「もの」がわかったから、
それが本当にあるのかどうか半信半疑で買い物にいったら、
なんとあって、
ゲットしてきたら喜んでもらえた。

今日の夜からは、
なんだかすっきりと、いろいろなことができると思う。



義母が関係障害なのかどうかはわからない。
でも、
社会のことや環境のことに文句を言っていても
彼女は元気にはならない。
彼女のひびがはいった腰の骨が完治してから
幸せになるのではなく、
完治に向かう今も、出来るだけ幸せでいてほしい。


今は私にそれをする時間があるから、
まずは、私が彼女の意思を尊重すると決める。

そして、それをやっていって、
無理になったら、
その時はその時で、相談しようと思う。

そういう相談ができるくらい、
そういう関係を作れてきていると思うんだ。


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「声出していこう」

【2010.08.22 Sunday 19:23
朝倉 かすみ
光文社
¥ 1,575
(2010-08-19)

Twitterを初めて4ヶ月くらいかな?
流れてくるツイートに影響を受けて本を購入したのは
初めて。

作者の朝倉かすみさんは大好きだから、
新しい小説が出たら読みたいなとは思っていたけど、
ここのところ、小説は借りるって、なぜか決めていて、
それで、図書館に入ったらいの一番に借りようと
たくらんでいた。

しかし、
出版社光文社の文芸図書部の方の
ツイートに、
「自意識にからめ取られまくりの人々が
 エッジの効いたエピソードで描かれています」
という言葉があって、
もういてもたってもいられなくなり、
買いに走った。

で、一気に読んだ。

感想は、
その一文につきる。

ある小さな街で
通り魔事件が起こる。
なんとなく、
その街にかかわる人々は落ち着かなくなる。

落ち着かなくなる人々は
中学生から年を重ねた女性まで、
様々な年齢、
様々は立場の人々。
共通項は「自意識にからめとられて」いる。

その自意識っぷりが
本当におもしろい。

で、私は私の小6から中学生の頃を
思い出さずにはいられなかった。

私の小学校までの価値観は、
「大人からどう見られるか」であった。
親や家族からはいい子って思われたかったし、
先生からは賢い子と思われたかった。

しかし、それは今から思えば・・・であって、
小学校時代はそれを意識してやっていた訳ではなかった。
しかし、ある時、
女子のクラスメートが校則違反を計画していることを知り、
それを先生に言いつけたことから、
シカトされたことがあり、
その時はっきり、
もう、そういう役割を演じ続けるのはいやだと思った。

でも地元の中学に行けば、
きっとまた、それをやらなければならなくなる。

それで私は
電車で40分の、
私立の中高一貫のミッションの学校に行くことを決めた。

叔母の母校だったことも
選択肢に入っていた理由のひとつだけど、
私は自分の意志でそこに行きたいと決めた。

そして、
それからは自意識の固まりだったと思う。

だって私は、
この「声出していこう」に登場する人物たちのように、
周りからどう見られたいかってことや、
自分のあこがれる自分だったらどうするかってことを、
行動やふるまいの基準にしていた。

「友だちをかばう」って行動を取ったほうが、
私の考える私らしいよな・・・とか、
生徒会で、学校の校則などに反対する提案をする方が、
私が考える私がやりそうなことだよな・・・とか、
ま、そんな感じだ。

それをのちに、
「野ブタをプロデュース」というドラマを見て、
そうか、私は私をプロデュースしていたんだと、
ちょっと、せいせいした覚えがある。

「声出していこう」の登場人物たちは、
それぞれの自意識に、
まだまだまきこまれていて、
からみとられている人ばかりだ。

しかし、そこから自我は育つ。

だから、登場人物の中の、
中学生や高校生たちが、
これから出会う人とのかかわりの中で、
どういうふうに自意識から自我に育て、
そして、「自分」という者と安心して
つきあっていけるようになるか、
見てみたい気もする。
彼らの将来を読んでみたいなあ。



author : tanizawa-k
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ナビゲーター

【2010.08.19 Thursday 16:17
義母の薬をもらいにいく時に、
必ずもっていくものは診察券、保険証、お薬手帳、
そして血圧手帳。

彼女の血圧の変化を先生がチェックしてくださり、
それによって彼女自身の受診が早まったり、
場合によっては薬に変化があったりする。
血圧手帳は大切で、
毎日同じような時間に計って記入しておいて
もらわないとならない。

最近年齢的なもので、彼女は忘れっぽいので、
看護士さんも、私が彼女に付いていった最初の受診の時に、
血圧に関しては、
私に世話をやくようにと指導してくれた。

それから、私なりに彼女に血圧を計ってもらい、
それを記入し、
とやってきた。
やる度に、彼女は
「あなたに悪いから、面倒だけど計るわ」とか言う。
その度に、
「私のためじゃなくて、お母さんのためですよ!」と
言いながら、ムっとしたこともある。

最近は、朝バーニーの散歩から戻ると、
いつも義母が朝いちに座るテーブルに、
血圧計をおいておく。
そして血圧手帳の今日のとこを広げ、
ペンを添えておく。

そうすると、忘れずにやっておいてるれるが、
一度、
「計らなきゃ、と思ったら、
 もうテーブルにおいてあってびっくりしたのよ」
と言ったことがあり、
「・・・ってことは彼女にとって、
 毎朝そこに置いとくことは、
 もしかして、うっとおしいのかな」と
ちょっとだけ思った。

そして、昨日の「屈辱感」の新聞記事。

それを読んで、私が義母にしているいろいろなことが、
彼女の自尊心を傷つけていたら、
いやだなあと考える。

考えるきっかけとして、
「それは誰のためか?」
ってことを
ひとつひとつ、
自分にきいてみることから始めようと思った。

「血圧を計って血圧手帳に書くのは、
 誰のための行動だろう」

ウーム。
義母のためだろうか?

もちろん、それが彼女のからだの為ではある。
しかし、本当に、それだけかな?

ウーム。
違う。それは私のためだ。
私が、外からの評価を落としたくないためだ。

私が薬をもらいに行くときや、
母の受診に付き添うときに、
その手帳に書いてないと、
私がいやなのだ。

何しろ看護士さんから指導を受けたのは私だから、
書いてなければ私のせいになる。

つまり、
これは私のために母にお願いしていることだ。
だとしたら、母がやりやすいようにすることが
本来だ。
で、相談してみた。

「お母さん。
 毎朝起きると、テーブルの上に血圧計が
 のってるでしょ?
 それって、もしかして、いやな感じする?
 もしそうだとしたら、方法変えようかなと
 思うんだけど」
「ううん。そんなことないわよ。
 久美ちゃんがおいといてくれたって
 思ってるわよ。
 だって忘れちゃうこと、あるもの」
「そうなんだ。それならよかった。
 じゃあ、明日からもそうするね」
「面倒だけど、お願いね」

ま、その件はそんなことになった。

こんなふうにひとつひとつ検証していくと、
結局は、義母のためというより、
私のためにしてもらっていることが多い。
服薬チェックも、
お風呂の後の着替えの支度も、
あれやこれや、
私が安心したくてとか、
私の評価を下げたくなくて
やっていることだ。

それを意識することで、
私の覚悟になっていく。



ところで、
私は、今日50歳になった。
天命を知る50歳だ。

今年の4月から自宅で相談室を始めた。
何か困ったことがある人、
エネルギーの充電の必要がある人、
自分に自信を失って迷っている人、
悩んでいる人が、
少しだけでも楽になってもらえるような
そんな時間を作れればいいな!
と思っている。

現在なんらかの事情で
迷われている方が
安心できるための案内役をやる。

それは私のやりたいことの、
大切なひとつだ。

もうひとつあって、
それはエンパワーメント。
他者の成長を促進させる案内役だ。
日常生活で特に困ってはいないが、
よりコミュニケーションが上手になりたい人や、
ストレスと上手につきあっていけるようになりたい人、
感情のマネージメントをできるようになりたい人、
そういう人々に、
講座などを通して学びや練習の時間を提供したい。



よし!言葉が見つかった。

主体的に生きたいと望む人のためのナビゲーター!

私にとっては、それが
「今のところの」天命だ。
「今のところ」なんて孔子はどう思うかな?
でもま、言い切れないところが、
私の特性でもあるのだよ。
それで、いこう。



「ありのままのあなたがいい。
 ありのままのあなたで、
 今できることをやっていこう。
 私はそれを応援している」
それをこれからも、やっていきたい。



そして、それは家族に対しても。

義母が、主体的に生きるための
ナビゲーターでいられるよう、
考えたり、
ききづらいこともきいたり、
話しあって、
ハグしあって、
そうやっていきたいな。

私自身も、迷ったり、悩んだりしながら
やっていきたい。

主体的に生きることを望む人のためのナビゲーター。
なんか、なかなか気に入ってしまった。








author : tanizawa-k
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屈辱感

【2010.08.18 Wednesday 22:17
今朝の毎日新聞の「くらし」のページに掲載されている
「介護のコトバ」に、納得した。
三好春樹さんという
「生活とリハビリ研究所」の代表の方が書いている。
彼のことは、友人から「認知症を人間関係の病気だという
視点でとらえている本を書いているよ」と
読むことをすすめられている人だ。

今回のこのコラムでは、
ぬれたオムツは、不快感よりも屈辱感を抱かせ、
そのことが認知症につながっていっている人も
多いはずであると書いている。

そういえば、
この間見た映画「キャタピラー」も、
四肢を無くし、顔は半分焼けただれ、
耳は聞こえず、話せない元少尉が、
度々、戦争でもらった勲章に目をやり、
自分のことを軍神と祭り上げている新聞を見て、
なんとか自分を保たせていたが、
妻から虐待を受け、
屈辱でいっぱいになったあたりから、
自らの罪から逃れられなくなり、
そして精神のバランスが崩れていった。

三好さんはこのコラムで、
私たちに対し、
「実際にオムツをつけて排尿してみるといい」と
書いている。
「(最近のオムツは)確かに不快感は少ないが、
 屈辱感に変わりはない」
と。

あ〜確かに、そうだよなあ。



屈辱感は、あまりにも辛い感情で、
それを感じるのがいやで、
忘れたくて、
それで、
そのことが認知症につながっていくのは、
なんか分かる気がする。


考えてみれば、オムツを使ってもらうのは、
その人のためではなくて、
周りの人のためだよな。

一番してあげたいのは、
一緒にいて、様子を見て、
トイレに行きたい感じを受け止めて、
連れていってあげて・・・と
その人自身の尊厳を守りながら介護するってことだ。

しかしなあ、
四六時中一緒にいられないし、
それをしていたら介護する方が
精神的に参ってしまうし。



うちの義母は、
足が大分よくなってきて、
たくさんのことを一人でできるようになった。

でも、
年齢的なこともあって、
つい忘れてしまうこともあるから、
要所要所で世話も焼く必要がある。

その時に、屈辱感を味あわせないで、
世話を焼けたらいいのにな。


そのことを、
悩みながら、
考えながら、やっていきたいな。




author : tanizawa-k
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凹む資質。

【2010.08.17 Tuesday 23:12
私はスクールカウンセラーをしている。
それで思っていることは、
相談を受けることを仕事としてもっている方の資質として、
凹めることってのは大切だと
経験を通して思う。

相談をうける仕事というのは、
カウンセラーや相談員、
それ以外にも、
たとえば学校の先生も相談を受けることがあると思うし、
企業の中でもあり、
組織に属すれば、
その組織に合わない人というのも当然出てくるから、
結局は人とかかわることを仕事としてもっている人
ということになるのかも。

凹めるってのは、
感じるってことだ。

他者の一言や
他者のふるまいに
感情がわき、
自分の発言した一言や、
自分のふるまいひとつに、
葛藤を持てるということだ。

自信満々ではないということ。

そのことは、すごく大切なように思う。

なぜかというと、理由は多々あるが、
一番大きいのは、
相談にきてくれる人の気持ちが理解しやすいということが
あげられると思う。

私自身も、
凹むってことにかけては自信がある。
でもだからこそ、簡単に、
「そんなの気にしないしな」とは言えない。

子どもにも、
親御さんにも、
先生にも、
簡単に言えない。

だって、気になるんだもん。
誰がどんな言葉でなぐさめてくれたって、
気になってしまうものは、気になる。
そのことを知っているから。

凹める人は、
相談者が相談してくれるどんな相談事も、
大切に扱えると思う。

簡単に「わかる、わかる」なんて言えない。

簡単にわかってたまるか!くらいに、
凹んできたんだもん。

つまり「共感」できるって意味で、
凹めるってのは、
とっても大きな力だと思う。


もうひとつ言うとすると、
凹む資質がある人が、
凹みながらも生きていてくれているってことは、
凹みながらもご飯を食べ、
凹みながらもトイレに行っていた人だ。

もしかすると、凹みながらも、
相談の仕事に出かけ、
相談活動を、
凹みながらもしてきているってことだ。

それは、
相談にきてくれている人の、
凹みながらもやっている行動に
視点をもっていくことができると思う。

当たり前のことを当たり前で終わらせず、
そのことを価値付けられる視点をもっていると思う。

だって、凹んでいると、
ごはんを食べるのだって、
場合によってはがんばって食べるし、
夜寝るのでさえ、相当がんばって目をつむるのだ。


さらにいうと、
凹む資質のある人は、
どうやって自分を持ちあげているか、
自分なりの方法を無意識にもっていたりする。

それは自分オリジナリティなもので、
人によってはギリギリのところでやっていたり、
道徳的にはどうかと思うけど、
ってなところで保っている人もいるかも。

その自分オリジナリティな方法があると自分で知っていると、
他者にも、その人オリジナルなものがあることも認められる。

それが、その人の命を守っていたりすると、
率直に認めることができたりするのだ。

今は、その悩める人にとって、
必要なことだったんだって、
そういう視点を持てるのかもしれない。




凹む資質のある人は、
凹む自分との付き合い方を理解し、
その次の段階で、
その理解を他者にも伝えていけるのだと思う。


私自身は、
自信満々で、迷いを表に出さない方より、
凹む人と一緒に仕事ができると、
ほっとしてしまう。

自分が凹んでいることも、
伝えることができるし、
凹んでいる児童生徒をどういう視点をもって
アセスメントするか、
すぐに共通理解に立てる。




もちろん、
凹む素になった出来事に捕われずに仕事をすること、
凹んでるという自分の感情にまきこまれずに
仕事するのは大切だけど、
それには、凹める自分を、
まずは自分で認めるってことが
大きいのではないか。

そこから先は、訓練かも。

だから、凹めることは資質としてとらえて、
やっかいなものではないと
確認しておきながら、
訓練していけばいいのである。



さて、
今晩は飲み会があり、
ちょっと飲み過ぎてしまった。

あ〜なんで、飲み過ぎたのか?私。
とちょっと凹む。

訓練開始である。






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谷澤 久美子
counselor