2010年06月の記事 | 今のところではありますが…
主体的に生きるために必要なこと。

【2010.06.29 Tuesday 13:08

自分の人生のハンドルをしっかりと握り、
自分で自分の行き先を決める・・・
そんなふうに
主体的に生きるために必要なことのひとつに、
自己表現の力があると思う。

他者に誘われても、
何かを強要されても、
なすがままに従ってしまうのではなく、
それは選択肢のひとつとして、
自分で考えて決定をしたいし、
決定したことを、
必要があれば相手に伝えたい。
そのときに、
相手のことも尊重しながら
自分の意思、気持ちを伝えることができたら、
本当に気持ちよく生きられる。

それは主体的に生きることに繋がっていくと思う。

主体的に生きることと、
自己表現はきってもきれないものなのだ。


自己表現を学ぶ場としていろいろな講座があると思うが、
私はアサーティブジャパン認定講師!
アサーティブ・トレーニングの講師をしており、
本当に、本当に、この講座をおすすめしたいと思う。
ぜひ多くの方に、トライしていただきたいのだ。


3月の静岡での講座に参加されたある女性には、
「一緒に働く年上の同僚に、
 急に仕事をふることをやめてほしい」
という要望があった。

急な依頼では、自分の仕事の都合もあり、
困ってしまうことが多かったそうだ。

2ヶ月ほどたったある日、別の件でお会いしたその女性は、
その後を教えてくれた。

 実は、その件だけではなく、
 いろいろな面で困ったことがあったんです。
 それで、最初に言ってみたのは、
 イスのことなんです。
 ある日、お客様が事務所に見えたとき、
 同僚全員が離席していたのですが、
 全員のイスが机に収まっていなくて、
 とても恥ずかしい思いをしたんです。
 それで、みんなに対して
 思い切っていってみたんです。
 「お客様がいらしたとき、
  いすが収まっていなかったことで、
  だらしない会社だと、もし思われてしまったら・・・
  ととても恥ずかしかった。
  席を立つ時は、
  イスを机の中にしっかりとおさめてほしい」と。
 そしたら、みんながやってくれるようになったんです。
 で、しばらくたって、もうひとつの懸念事項、
 シンクの使い方のことを伝えようと、
 「大変、言いづらいんですけど、シンクで歯磨きや〜」
 と言うと、 
 「あ〜悪かったね」。
 そして
 「残ってた?これから気を付けます」
 と言ってくれ、
 歯磨きやうがいなど、しなくなったんです。
 シンクを掃除するのは私で、時々タンが排水溝にあって、
 とても嫌だったんですよね。でも、それもなくなった。
 同僚が変化してくれたこと、
 しかも、
 関係が悪くならずに変えてくれたことも嬉しいんですが、
 それにもまして、
 言えるようなった自分のことが、嬉しいんです。

と教えてくれた。
素敵だなあと思う。
(しかも、ここに書くことを、
 了解くださった。ありがとうございます!)

彼女の同僚の方々は、
女性がどのような想いをしているかなんて、
実はしらなかったと思う。
教えてもらったことで、どう行動すればいいかわかった。
しかも、その女性の、
同僚を悪者に扱うのではなく、
その出来事だけにしぼり、
改善してほしい点を伝えることで、
関係は悪くならずに、
事務所の中の人間関係も、
少しずつ風通しがよくなっていく。
しかも、しかも、
女性は自分に対する自信を育んでいく。

あ〜一石三鳥ではないか。


主体的に生きたいと思いながらも、
自己表現の方法を知らずに困っている方がいたら、
ぜひぜひ一緒に学びたいものだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次回の静岡での
アサーティブトレーニング基礎講座は・・・
2010年8/28(土)29(日)!!!

場所:グランシップ(静岡県静岡市)
時間:8/28(土)10:00〜17:00  
    29(日)9:30〜16:30
対象:一般(2日間通して参加できる方)
費用:29,500円
定員:21名
講師: 谷澤久美子(アサーティブジャパン認定講師)

お申し込みは


*尚、このブログ記事は、NPO法人アサーティブジャ パン認定講師である谷澤久美子が個人で書いているものです。このブログ記事に関する全ての責任は谷澤久美子にあります。NPO法人アサーティブジャパンが運営・管理しているウェブサイトではありませんので 予めご了承ください。

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誰かのせいで傷ついたのではなく。

【2010.06.28 Monday 13:40
今日の毎日新聞の朝刊の仲畑流万能川柳の秀逸は、
「深読みをしすぎて傷ついてばかりいる」
というもの。

万流は,
溜飲下がるものあれば、
膝をうつものもあり、
おもわずふきだしたり、
感心したり、
毎朝、楽しみなのだ。

さて、高知の「しばてん」さんによる、
「深読みをしすぎて傷ついてばかりいる」は、
感情が個性のひとつであることを、
よく表している。

挨拶してくれなかった。
単に、こちらの挨拶に気がつかなかっただけかもしれないのに、
あの人、私のことを無視したととらえて、
深く傷ついてしまったりする。

相手がこうした。
それには、こういう意味があるのかな?
と、なんだかネガティブな堂々巡りをはじめて、
収集がつなかくなる。
つまり、それが深読みで、
そんな自分に嫌気がさしたり、
そんなもとを作った相手を憎んだり。
そうすることを重ねることで
傷ついてばかりいる。

そりゃ、苦しいよ。しんどいよ。




ジェットコースターに乗って、
本当に恐怖を感じたとしても、
ジャットコースターが
自分を怖がらせているのではない。
ジャットコースターにのって、
最高に楽しく幸せになれる人もいるのだ。
単純に、その時自分は、ジェットコースターで
恐怖を感じたという、それだけのことだ。

誰かが、自分の悪口を言ってると聞いてしまった。
とても傷ついたとしても、
その悪口を言っていた人が、
自分を傷つけたというわけではない。
悪口を言われても、
「あっそう。そう思う人がいたんだね」くらいに、
平常心の人もいるのだ。
単純に、その時自分は、悪口をいわれていると知って、
傷ついたという、それだけのことだ。

子どもがわがままを言って、
めちゃ苛立ったとしても、
子どもが自分を苛立たせているのではない。
子どもがわがままを言ったとしても、
それを何かのメッセージだととらえて、
その子の本当に手にいれたいものを
読み解こうとして、
つまり、「メッセージをくれてありがとう」と
感謝する人もいるのだ。
単純に、その時の自分は子どものわがままで
苛立ったという、それだけのことだ。

自分の感情は、自分だけのものだ。

自分を大事にするとは、
自分の感情を大事にすることも、
その中に含まれている。

そのことを、相手のせいにしなくていいのだ。
単純に、(今日の、今の)自分は、
そういうことがあったときに、
こういう気持ちになる人間だって、
自分でとらえておけばいいのだ。


友だちの愚痴をきいていると、しんどくなる。
それは、友だちが自分を
しんどくさせているのではなく、
単に、友だちの愚痴を聞くと、
しんどくなる自分ってだけのことだ。

友だちを責めなくていいし、
さらに、そういうことでそういう気持ちがわく自分を
責めすぎなくていいんだ。


感情は生理現象。
汗や尿と一緒だもん。
出すなと言われりゃ、気持ちでからだも心もぱっつんぱっつんに
なってしまう。

だから、汗が出たら、ハンカチでふいたり、シャワーで流すように、
尿はトイレですまうように、
気持ちも、安心して出せるところで出すことが必要だし、
出し方も考える必要があるんだ。

安心できるだれかに話してみたり、
また、相手にいうのなら、
相手を責めず、
自分の気持ちもなかったことにはせず、
自分はこういうことで、
こういう感情をもつ人なんですということを、
冷静に伝えてみる。

たとえば
「あなたの、その話をきくと、
実は私はしんどい時があるのです」ってことを
怒った声でも、おもねるような声でもなく、
まっすぐに相手に伝えてみる。
だって、そうしないと、分かってもらえず、
きっといつまでも愚痴をきくことになるのだから。


大人たちが、そいうい気持ちのやりとりが上手になると、
子どものお手本になっていいんじゃないかなあ!
と思うなあ。


それにしても万流、おそるべし。



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振り返れば、ラインになっている。

【2010.06.25 Friday 20:56
今日の午前中は
「思春期の子どもをもつ保護者のための連続講座」の
最終回だった。

久しぶりに、私は自分のことを聴いてもらった。

今回の参加の皆さんも、
子どもとのコミュニケーションを上手に取ろうと、
一生懸命な方々だったが、
毎回の感想などをみると、
子どもとのコミュニケーションを考えながら、
自分自身を振り返ることをされている方が
多かったので、
なんというか、
「そのまんまのあなたでいいよ。
 今から思えば、あ〜したらよかった、
 こ〜したらよかったと思うかもしれないけど、
 でも、でも、その時々は、
 その時々なりに一生懸命やってきたじゃん。
 失敗も、嫌な出来事も、
 大切なことだったかもね。
 今の、そのまんまの、あなたがいいよ。
 そのあなたで、今できることを、少しずつ
 やっていこうよ」
ということを伝えたかった。

自分のことを責めなくていいし、
そんなに自分をいじめなくて、大丈夫だよ!って
伝えたかったんだ。


そのために、
私の人生の話を聴いてもらった。


ちょうど、今朝、
サッカー日本代表がW杯決勝トーナメント進出をきめて、
決めた以上に、
彼らが、試合ごとにチームとして成長し、
もっている力を思い切りだしていることに
ものすごく感動をした。

スティーブ・ジョブスの伝説のスピーチの中の、
「今から思えば,すべてのことが点であって、
 それが繋がって線になっている」と、
リンクさせながら心が震えて仕方なかった。

思えば、ドーハの悲劇があって、
ジョホールバルの歓喜があって、
W杯に出場しても萎縮した試合や、
連携が取れない試合があり、
2002年の日韓のときには決勝出場を
果たしたがいっぱいいっぱいで、
2006年には、
中田が去ることと共に
ものすごいむなしさを残した。
それらはすべて、点だった。今となっては。
今回のW杯前の韓国戦。
本当に心をざわざわとさせたが、
それも点だ。
イングランド戦も、
コートジボアール戦も、
点だったんだ。

点は、その時は、
線につながる点だとは、とても思えない。

しかし、今となってみると、
2006年W杯でオーストラリアに一点差を
つけて折り返した後半、2点といれられ負けた、
あの悔しい「点」がなけれな、
カメルーン戦の勝利はなかったかもしれないのだ。

大久保は
「準備期間の負けは、
 W杯での戦い方を教えてくれる大事な負けだった」
と言っている。

今思えば、
悔しさ、悲しさ、あせり・・・、
その点ごとに感じた感情が、
全部、今日のこの日の
デンマーク戦勝利の「点」に繋がっていて、
国外でのW杯で初めての決勝進出というラインに
なっているんだ。

ま、そんなことを、ずっと考えていて、
それで、
私は、今日の保護者の皆さんとも、
今までのお一人お一人のいろいろな出来事である「点」は
今日ここでこうして生きていることの「線」に
繋がっているってことを、
確かめあいたかったんだ。

いろいろあったけど、
二度と経験したくないこともあるけど、
そしてでりれば取り戻したい時間もあるけど、
それでも、すべて、
今となってみると、
もしかすると必要なことだったのかもしれない。

そして、
それは
子どもたちも一緒だ。
子どもたちは、困難の真っ最中にいる時は
とてもそれが「点」とは思えないだろう。
しかし、
せめて、私たち、彼らのそばにいる大人は、
ひとつひとつの「点」なんだということを意識し、
そりゃ、もちろん、
時々あたふた、時々ショックも感じながら、
「これは必要な点だ」、
「この子は、この子の線につなげていくんだ」と、
静かに見守っていたいものだ。


私は、今日は、どうしても、そのことを
受講生のみなさんに伝えたかった。

感想をみると、
どうやら伝わったようだった。
なんだか、全速力な午前中だったが、
終わったとき、
毎週会っていた皆さんに、
もう会えないというさみしさとともに、
ちょっとすがすがしかったんだ。



あ〜今日は3時半から、なんだか怒濤だったなあ。
いい一日だった。


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目標は、コントロール可能なことを!

【2010.06.23 Wednesday 21:40
田中ウルヴェ京
ソフトバンククリエイティブ
¥ 1,365
(2008-12-23)

「W杯で4位に入る」という目標は、確かに無謀だ。
二重の意味で実際的ではない。

ひとつには、
日本はFIFAランキングで45位くらい(←すみません、不確か)
ということと、

もうひとつはコレは自分たちの努力だけで、
どうにかなる目標ではないということが
あげられる。

だって、相手があるのだ。
相手が「弱く」て「負けてくれなければ」
叶わない目標だ。

この本の中で、このような結果論的な目標を
「報酬目標」と読んでいた。

この「報酬目標」があるのなら、
同時に「パフォーマンス目標」をもつことが大事だと
書いてある。
「パフォーマンス目標」は、
「自分ができることのみ」にしぼった目標だ。

もしかすると、長友はもっているかもしれないなあ。
「90分間で○㌔走る」とか。

「金メダルをとりたい」が報酬目標。
「自己ベストを出す」がパフォーマンス目標。
そして、この「パフォーマンス目標」に集中して、
結果的に「報酬目標」を達成することを、
この本では「無欲の勝利」と読んでいる。

そして、それを手にいれるための方法を、
いろいろな視点から書いている。

いろいろな視点のひとつに、
「パフォーマンス目標」を達成するためには、
まずは、
自分のこころの状態を知ることから始めようとある。

この理論は、まったく同感だ。

より自分らしいパフォーマンスをするためには、
適度な緊張と適度なリラックスが必要だが、
自分が、
適度な緊張を感じているときはどんな感じか、
適度なリラックスを感じているときはどんな感じか、
その時の感じをしっている必要がある。

その感じを感じ取るために、
普段から自分のこころの状態を
自分で感じとる訓練をしておくと
いいということなのである。

これは目標達成にのみ有効なのではなく、
ストレス・マネージメントにも有効だし、
よりよりコミュンケーションをしたいと思ったときにも、
本当に有効だと思う。

そして、自分のこころの状態を、
いざというとき感じるために、
普段心がけたいことが具体的に書いてある。



著者の田中さんが、
アスリートたちへ
メンタルトレーニングの最初に伝えることは、
「勝つために、
 人に勝つことをまず忘れよう。
 そして日々、
 自分を常に成長させ続けるという覚悟をもとう」

うんうん、そうだな。その通りだな。










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答えがすぐに出ない問いを大切にする。

【2010.06.21 Monday 10:34
白熱教室は、昨日最終回だった。
サンデル教授の最後のスピーチは、
すばらしかった。

「正義とは何か」を考えるとき、
避けて通ることはできないのが、
善とは?
良き生とは?
道徳性とは?
などを考えること。

これら、簡単に答がでることではないことを、
なぜ考えねばならないのか?

サンデル教授は、
この「正義とは?」と問い続ける講義を通して、
答を教えるのではなく、
思考の方法を私たちに説いたと思う。

それは具体例と原理の間をいったりきたりする方法だった。

今回の場合は、
具体として、同性婚は国が承認すべきかどうかで
考えをすすめながら、
常に原理と照らし合わせていた。
その具体と原理の「間」で、
考え、自分なりの意見をもち、
それを表現し、
別の意見を持つ人が、また考えを重ね・・・
というふうに講義が進んだ。


「原理と具体の間をいったり来たりする」は
私の今までの考え方に
プラスアルファを与えてくれたように思う。

私は、他と接することで
自分がみえてくるという立場を取ることが多いが、
常々、それは浅いと思っていて、
しかも、自分の中で考えを進めるときも、
そればっかり(つまり、他者の意見を知ることで、
ぞれと同意か、反対かで自分の考えをまとめていく方法)を
やっている訳ではなかった。
しかし、もうひとつの方法を、なかなか言葉に
することができなかった。

なので、
サンデル先生の「具体と原理の間をいったりきたりする」
という言葉を聴いたとき、思わずメモった。
それだ!それ。


さらに、最後のスピーチで先生が伝えてくれたことは、
「対話せよ!」「考え続けよ!」ということだったと思う。

良い生とは?
道徳性とは?


さまざまな価値感、宗教、考えをもつ
人々が共に生きる世の中、
ひとつの原理にしなくていいし、
だからといって、疑ってばかりいることもしない。

お互いの相違を、多元的に、
探求しながら、対話しながら、
より磨いていくこと。

対話をし、知れば知るほど、
もしかすると、
違う意見に対しもっと反感を覚えるかもしれない、
その意見を持つ人を嫌いになる可能性だってある。
それでも、お互いに探求し、対話し続ける。

それが大切なのではないか。

サンデル先生は、そう語りかけてくれたように、
私には思えた。


そして、その時の方法は、
具体例をあげ、
それについて問いかけ、
考えあい、対話しあい、
原理を探求し、
それに照らし合わせてまた問い直す。


私たち、子どもと接するものは、
サンデル先生が
ハーバードの学生にちょうどいいネタを提示したように、
小学生にはその学年にあった、
中学生には中学生にあった、
どういう具体例をあげられるかに、
彼らの思考の方法を鍛えていくチャンスがあるな!と
思った。


鷲田清一さんも
「わかりやすいはわかりにくい?」という本の中で、
わからないものをすぐにわかろうとするのではなく、
別の地点から問いかけ直してみることを
すすめてくれている。
しかし、別の地点とはどこ?と疑問をもっていた私。

それが
別の地点とは、
時には具体であり、
そして原理との間を行き来することで、
問い直すということなんだなあと、
今のところ、納得だ。


サンデル先生の番組を見たことで、
今まで疑問だったことをも、
すっきりと考え直すことができた。

ふ〜。
しかし、難しい。

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中学生からの質問。

【2010.06.20 Sunday 13:48
今日は、先日行った
中学生への「心の健康」に関する講演の
感想に書かれていた質問に答える作業をしていた。

全部で43問あった。
これは分類できた。

1)自分自身のこと。
たとえば自分の性格のことや、
どうしたらやる気がでますか?という類のこと。

2)ストレスに関すること。
落ち着かせる行動をとってみても、いらいらするときは、
どうしたらいいか?とか、
自分の気持ちにウソをつくと、負担がかかってしまう。
どうしたらいい?という類のこと。

3)人間関係のこと。
友だちの関係はどうしたらよくなるか?
意見が違う人と、けんかみたいになっていて、
今もあまりうまくいっていない。どうしたらいいか?
というような類のこと。

4)哲学的な問い。
親友とは?
というような類のこと。

5)谷澤への質問。
どうしてこの仕事についたか?
どうしたらなれるか?
最近凹んだことがありますか?


私への質問にはひとつひとつ答え、
そうでないものについてはまとめて答えた。

まとめて答えながら、まとめて答えるのは
意味がないと思った。
しかし、だからといって、ひとつひとつに答えるには、
あまりにも無責任な気がした。
なぜなら、それぞれの質問には、文に表しきれない背景が
必ずあると思ったからだ。

「静かな子で『うん』くらいしか反応がない子と、
どうしたらいいですか?」という質問には、
どうなりたいかが書いてない。
それでもその子と仲良くなりたいのか?
あるいは、
少し距離をおきたいのか?
もしかすると、書くことで、
私に伝えたい想いがあっただけなのかもしれない。
たとえば、
「自分とは違うタイプの子と、
 一緒のクラスか何かで仲良くしているんだね。
 それは素敵なことだね・・・」
のような承認がほしいだけなのかも。

ひとつひとつの質問には、
そういう背景が見え隠れしていて、
答えるわけにはいかなかったんだ。


グループに分類して答えるのは、
あまり意味がないと思いながらも、
そうしたのは理由がある。

この学校は先生と生徒の関係が
非常にいい関係のように、
私には感じられていて、
つまりは、
彼らは信じるに足る他者(この場合は先生)がいる
ということだ。

その彼らの
「信じられる大人もいる」というものを、
先生方がせっかく築いてきているのに、
私が壊してはならぬ!と思った。

「やっぱ、大人ってさ、
 せっかく書いても返事とかくれないじゃん」、
それは嫌だなあと思った。

つまり、訊かれたら答える、
という普通のこと、
それを守らなくてはだめだと、すごく思った。


43問、ひとつひとつに、
背景を考えて、
あらゆる視点から答をかけたら、それは一番いいことだけど、
それは今の私の生活や能力を考えた時、
不可能だ。
折り合いをつけて、
このくらいかな。


それにしても、
中学生の悩んでいることも、
大人が悩んでいることも、
あまり変わらないと思う。


悩むということは、
より良くなりたいからこそ。
そして、それを言葉にできた時点で、
もう解決へのスタートはきったということだ。


また、彼らは感想で、
私を励ましてくれた。

「私はあなたの話で、
 こんなことに気がつきました」
と伝えることは、
自分の考えのまとめにもなるし、
その人へのエールにもなる。

私も、やらなくては!と思った。


いやあ、影響されるなあ。
中学生、すごいなあ。


author : tanizawa-k
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さりげなく、何気ないのが、嬉しいな。

【2010.06.18 Friday 19:00
「心の教室相談員」という制度が始まったのは、
平成10年9月。
私は当初から中学校で活動を開始した。

多分、
図書司書さんもこの頃、
学校に配属され始めたのではないだろうか?
どうかな?

その頃、学校の先生方は、
教職員以外の存在とどう連携したらいいか、
迷われていたと思う。

私もそうだった。

私が配置された学校の教頭先生は、
本当に優しい方で、
私の活動を親身にサポートしてくれた。

通信を出したいと言えば、
了解してくださり、印刷の仕方や
各クラスへ配布する方法を教えてくれた。

給食の時間に各クラスを廻るように提案してくれ、
やってみた。

昼休みは図書室にいてごらん。子どもの様子もわかるし、
話しかけてみると、いいかもよ・・・
などのアドバイスもくれた。

学校の文化とカウンセラーの文化は違うから、
お互い、その違いをどう扱ったらいいか、
迷いもあった。
たとえば、
「学校に行けない」という子どもがいたとき、
多分、学校の先生方は「カウンセラーに相談したら、
一もニもなく、休んでいいんだよって
言ってしまいそうで怖い」と思っていたと思う。
私も、せっかくがんばって登校した子どもに、
「この時間にゆっくり来るとは、
 なに甘えてんだ!」
と大きな声を出す先生に、
違和感を感じたこともあった。

会議の席で、
一人の子どもの支援方法をめぐり、
お互いの意見がすれ違い、
もやもやとしたまま終了し、
その後、FAXをやりとりすることで、
友人になれた先生もいるし、
結局分かり合えずに、異動になってしまったこともある。

そんなふうに、本当におっかなびっくり近づいていき、
今日までの間に私は「スクールカウンセラー」という
立場に変わり、
今も学校が主な活動の場だ。

そして、最近、
随分、先生方が、
私たちの活用の仕方に慣れてくれたと思う。

何か困難を抱える子どもの親御さんに、
「うちのカウンセラーに相談してみませんか」と
言ってくれ、親御さんが来室してくれる。

子どもにも、
「先生も、もちろんあなたの話は聴きたいよ、
 でも、もし先生に言えないことがあったら、
 カウンセリングルームがあるよ」
と言ってくれたりする。

そして、最近とくに感じるのが
先生方ご自身が、
さりげなく、なにげなく、利用してくれることだ。

今、小学校は月に一日しか活動できない。
その日は、どの学校も大概職員室の大きな黒板の、
その日のTO DO リストに、
「スクールカウンセラー来校」と書いてくれてある。

もちろん行くとすでにスケジュールは組んであり、
私はその通りに保護者の方とお会いしたり、
子どもと話したり、
時々は授業を見学にいき、
また時々は授業をする。
会議にも出る。

その合間を縫うように、
私のいる部屋をノックして、
先生が顔を出してくれて、
「谷澤さん、
 今日10分時間をとってほしいんだけど」
とか、
「給食のとき、
 うちのクラスの様子を見ていただきたんです。
 どうですか?」
とか、
「全部、終わった後でいいだけど、
 ちょっとだけ来ていい?」
とか、
なんというか、
わざわざ予約して、という訳ではなく、
本当にさりげなく、なにげなく、
利用してくれることもある。


もちろん、私は子どもに元気になってほしくて
活動している。
しかし、そのためには、
親御さんや先生のサポートもしたい。
そして、事が大きくなってからではなく、
「5分でいいんだけど」くらいのうちに
話をしてくれることがいいのだ。



私は表面的には要領よいが、実は不器用だ。
ストレートに右肩上がりで、
徐々によくなってきたわけではない。
いい感じだなあと思う次の瞬間にどん底に落ちたり、
よし、システムにできたなという実感が
まぼろしだったり、
ま、谷→山→谷→平坦→ちょっと山→どん底・・・
みたいな感じできた。

それは、きっと明日からも一緒だと思う。

それでも、きっと
谷の底は今まで通り、
少しずつ上がっていくのではないか。


こうやって、少しずつ、
「冥利」みたいなものを感じる瞬間もあるから、
今まで通りにやっていこうと思う。


6月に入って、
特に、こんなことを感じる。


author : tanizawa-k
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井戸端会議

【2010.06.16 Wednesday 06:17
ひとりひとりのもっている考えは、
ひとりで抱えているうちは考えだが、
誰かに話した途端、材料のひとつになる。

考えをもっていた本人が、
誰かに話したことで考えがまとまっていって、
自分の本当にしたかったことがわかったり、
あるいは自分が今どこでつっかかっていたかわかったり
するかもしれない。

話してもらった人も、同感なのか違和感なのか、
どちらでもないのか、
とにかく感じる何かを得たら、
そこから何かが始まる可能性をもつ。

そういうことが、日本代表に起こったことを、
増島みどりさんの記事で知った。

なかなか結果がでずに日本を立ち、
何かをつかもうとたジンバブエとの練習試合でも、
点が取れなかったあと、
川口が呼びかけて、選手同士が「腹を割った話し合い」を
したそうだ。

いいなあ、川口。川口は、自分が代表に呼ばれた意義を、
この時に、十分に表現したんだと思う。

それからは、いろいろなところで、
いろいろな組み合わせで井戸端会議が
行われたそうだ。

中でも、中澤・長谷部・岡田で
このチームでのキャップンシーを話し合ったことは、
すごいと思う。

ある試合から突然、中澤から長谷部にうつったキャップテンマーク、
そこに何があったのかな?と考えていたのだが、
3人で考えを伝え合った時間をもっていたというのは、
すばらしいと思う。

同時に、
楢崎・中村俊輔・岡崎も、
話し合っていたそうだ。
彼らが日本をW杯に導いてくれた。
しかし、調子を落とし、
先発として試合に出場する機会に恵まれない。
その時彼らは、先発の機会はない自分たちが、
サブとして何ができるかを話し合っていたそうだ。


話し合う。

このことを、軽く扱ってはもったいない。

以前、学校の中の夏の先生方への研修で、
チーム支援を考える研修の講師をした。
一人一人の先生がもっている、
考えや、情報、何かの出来事に対する感情や、
勘や、あるいは、これまでの経験を、
目的に向かっていくときの材料のひとつにするには、
「まずは提示することが始まり」だということを
体感できるようなゲームをして、確認した。

その後、校長先生が、
時間を合わせて会議をすることも大切だと思うけど、
ちょっとした職員室での時間、
廊下ですれ違ったとき、
そういう時に立ち話でもいいから、
お互いが発信、お互いが受信しようと
まとめてくれた。

それをしていると、
何かことが起こったとき、
そこからがスタートではなく、
十分な準備運動ができていることに
なるのだ。


お互いの
情報・考え・感情・価値観・勘・経験を、
交換しあう井戸端会議。

あちこちで行われる場は、
すごく健全な場なんだと思う。



ところで、井戸端会議をするには、
最初の一人、
日本代表でいえば川口のように、
まずは呼びかけ、
自分の考え、たとえば川口なら、
「今、自分はチームの状態をこんなふうに
 感じていて、それはより良くできると思っている」
というようなことを発信する、
最初の一人が必要だ。

「ねえ、ねえ、ちょっときいて」
でも、
「心配事があるんだけど・・・」
でも、
どんな最初の発信でも、
とにかく誰かが話し始める必要がある。


鳩山さんがスタートさせた「新しい公共」のかたちの研究を、
鳩山さんの退場とともに終わらせてしまうのは
もったいないということで、
チームビルディング・ファシリテーションの研修でお世話になった
長尾彰さんが最初の一人になって呼びかけ、
次の動きが始まっていることを
Twitterで知った。

彼の考えが伝わり、深まり、広がっていく様子がすごい。


最初の一人から、
いろいろな場で井戸端会議がおこり、
そのうち、
チーム全員で対処を必要とする目的が一緒になったとき、
ものすごい力になる。

日本代表はそのことを、確認させてくれたし、
私たちの周りで十分に生かせることだ。





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「希望の仕事術」

【2010.06.14 Monday 21:09
橘川 幸夫
バジリコ
¥ 1,260
(2010-01-08)

先日の中学3年生の女子との会話を思い出し、
今非常に後悔している。

彼女と、なぜか仕事の話になった。
私は中学校でスクールカウンセラーをしているが、
彼女は私のことを、「先生」だと思っていたようだった。
「えええ!先生じゃないっすか?」
「うん。先生じゃないよ。
 カウンセラーなんだよ」
「それって、お給料いいっすか?」
「お給料かあ、
 お給料は『先生』たちより全然安いよ」
「そうっすか。
 じゃ、どうやって食べてっるすか?
 あっそうか、結婚してるって言ってたから、
 ダンナさんがいるからいいっすね」

あ〜、私はなぜあのとき、
確かにお金はそうだけど、
私はこの仕事がしたくてしているんだと
言わなかったのか。
まったく後悔だ。
私は自分の力を、自分や家族や、
周りのためだけに使うのはいやだって思っていて、
どこに使いたいかっていうと、
このことなんだ。
それで、この仕事をやっているんだよ。
って言わなかったのか。
私はね、エネルギーをためようとしている人や、
その時何かのことで凹んでいる人に、
「そのあなたがいいんだよ。
 そのあなたは生きてる価値がある。
 そのあなたができることを、
 一緒に探そう」
って伝えたくて、この仕事をしているんだ。
それは意味のあることだって、
自分で思っているんだよ。
それでこの仕事をしているんだ。
お金は大事だよ。
でも、この仕事をすることが、
私にとって大事なことなんだと、
なぜ、
なぜ、言わなかったか。

「希望の仕事術」を読みながら、
以上のような想いが私に打ち寄せて、
自分に猛烈に腹が立つ。

大上段に構えて話したら、照れちゃうようなことを、
そういう場だからこそ、伝えられたし、
そういう場だからこそ、
きっとその子にも伝わったと思うのに、
なんだか、
「旦那の稼ぎのおかげで、
 ちょっこと趣味を生かしている」みたいに
自分を扱ってしまったことが、
非常に非常に腹立たしい。

パートナーの収入が生活の基盤を作り、
それとともに趣味を生かして、
自分の生き甲斐にしていることを、
私は否定しない。

しかし、私は今は、そうではない。

そして私はキャリア教育のチャンスをつぶした。

この本は、
著者橘川さんが
「仕事とは?」を、いろいろな視点から考えて
言葉にした本。
働き方や、仕事について、
私達の日常に課題をぶつけてくる。

私の場合、著者の言葉は、
時々痛いし、
時々、ものすごくすっきりとした。

特に
「人の役に立ちたい」「社会に貢献したい」を
優先して働く世代にむけて書いているという。
確かに、ソーシャルビジネスを起業する若者も、
増えている。

でも、すでに十分に年を重ねた私にとっても、
自分の働き方を、
もう一度振り返られせてくれた。
たとえば
「あらゆる出来事は、
 まず起きたことに感謝せよ」
という一文がある。
「人は体験することのできる動物である。
 動物は体験しない。動物は反応するだけだ。
 人間は起きたことを、自分の意識の中で再体験
 する。必要であれば何度でも何度でも繰り返して
 再体験する。その体験の中で獲得したものが、
 あなたが生きている意味である。どこかに生きて
 いる意味が転がっているわけでも、誰かが与えて
 くれるわけでもない。あなた自身が体験をし、
 その体験をわがものとした時に、見えてくる
 ものが必ずあるはずだ」
と説明してる。

私は熱いものがこみあげてくる。
本当にそうだと思う。

そしてね、
私は、この中3の女子との体験から、
やはりここのところの「あり方」って
ところにゆきつく。
学校にいる時は、常に100%、
寄り添ったり、伝えたり、
常にそういうチャンスとするような、
そんな自分でいたいと、
そんなふうに思い、
そのことを思い知らせてくれたこの体験に、
感謝するのだ。



さて、
私は著者をTwitterでフォローしていて、
今朝、ちょうど、彼の
「徒歩や自転車で買い物に行くと、その途中に
 近所の人に会えば挨拶したり世間話をする。
 しかし、自動車は密室のドア2ドアなので、
 家と店舗の間で会話のチャンスがなくなる。
 今朝は、早朝から戦後コミュニティの変遷
 史の原稿を推敲している(笑」
というツイートに、返信した。
「本当にそうですね。挨拶や世間話やむだ話が
 なくて、「話し合う」時は、いきなりごみの
 出し方、防災の協力・・・という価値観の違い
 をこえなければならない議論になるのは、
 本当に無理があります。無理からは、人は遠ざ
 かりたい。それでますます近所つきあいが減
 っていくのでは?」
と。
すると、なんと、それに返信してもらえたのだ。
「無駄がないというのは余裕がないということ
 ですからね。必要なことだけしか話さない
 関係って、仕事みたいだ(笑) RT」
と。
あたしゃ、嬉しかったですよ。




 
author : tanizawa-k
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できることは作ってでもさせる。

【2010.06.12 Saturday 20:57
NHKの「名医にQ」。今日は発達障がいがテーマだった。

医学/心理学/教育学の専門家が、
視聴者からの様々な質問に、
応えてくれていた。

その中で、
アスペルガー症候群をもつ男性(27歳)が、
これまでのことを振り返り、
現状を話すVTRが流れた。

彼は現在は大学院で経済学を学んでいる。
子どもの頃から本を読むことは大好きで、
そして興味のあることにはとことんこだわる
自分の特性を生かして、研究者の道を選んでいる。

小学校のころ、
なんでも思いついたままを言ってしまうことで、
友だちとはうまくいかなかったそうだ。
四角い顔の友だちに「四角」と言っておこらせて
しまったこともある。
中学に入っても、友だちができず、
ひとりぼっちのさみしい日々。
何か自分が言葉にすると、友だちを怒らせたり、
傷つけてしまうのではないかと、
怖くて話をすることができない時もあったそうだ。

そんな彼が高校生になって、
気がついたんだそうだ。
友だちの言葉で自分も嫌な想いをすることがある。
きっと友だちも、
自分の言葉でいやな想いをすることも
あるんだ。
自分の言葉が、人を傷つけるのなら、
それを直していこう!
そして「自分反省会」というものを
始めたそうだ。
今日一日の友だちとの会話を思い出して、
あの言葉はきっと友だちにしてみたら、
いやだったんじゃないか・・・
この言葉は、きっと喜んでもらえたんじゃないか・・・.
そして、嫌なのではないかと思う言葉は、
二度と口にしないようにしたそうだ。

そして大学生になった彼には
友だちも何人ができたそうだ。

今のストレス解消法は
ドライブ。
3年間、バイトでこつこつ貯めたお金で
ブルーのプジョーのコンバーチブルの車を手にいれた。
今も人づきあいは、しんどいことも多いから、
一日に一度はハンドルをにぎり、
ストレスを流しているとのことだった。

彼は、時々、発達障がいをもつ子どもの保護者の方の、
相談にものっているらしい。


「自分反省会」ってすばらしいと思う。
アスペルガーをもっていた彼だけではなく、
誰にでも、効果的なことだ。

そしてそれこそ、
「この自分を使って、 
 どうしたら上手く生きていけるか」
を考え、行動をしていく時の、
方法論のひとつだ。

私にも必要だことだと、とっても思う。

私も、もっともっと、発達障がいについて、
学び続けないといけない。
その「自分反省会」だ。
今日の自分の相談活動、講師としての活動を振り返り、
良い点はますますがんばり、
改善点は努力していくことが必要ダア。

やるべきことが、またまた目の前に積まれていく。
しかし、ま、これが私のやりたいことだから、うん。


3人の専門家は、その専門性を生かして、
それぞれの立場から発言をされていた。
最後の一言アドバイスでは、
心理学の岡田眞子さんは、
「ないもの探しではなく、
 よいとこと探しをしていきたいですね」と。
教育学の佐藤暁さんは
「できないことはさせない
 できることは作ってでもさせたい」と
言っていた。

私がやってきたことは間違いではなかったと、
ほっとした。
同時に今日のところの「自分反省会」では、
「その伝え方は、まだまだ未熟だから、
もっと特性と、だからこその支援方法を簡潔に
伝えていきたい」ということ。

早速、今の私に必要な本をamazonで
購入したところだ。

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谷澤 久美子
counselor