2010年05月の記事 | 今のところではありますが…
映画「プレシャス」

【2010.05.31 Monday 13:52
映画「プレシャス」を見た。
1987年のニューヨ−ク、ハーレムが舞台。
母親に虐待、父親には性的虐待を受けていて、
父親の子どもを生んだ16歳のプレシャス。
母親は「私の男をたぶらしかしている」と彼女をののしり、
彼女に、うまくいかない人生の苛立ちを
暴力や言葉の暴力でぶつけ、はらしている。
彼女を学校に行かせていることで、
生活保護を受けられ、しかも、料理を作らせたり、
買い物にいかせたり、便利に使っているのだ。
しかし、また、身ごもっていることが学校にバレてしまい、
(父親にレイプされた末の子ども)
彼女は退学になる。
そして、代替学校の「EOTO(Each One Teach One)」に
通うことになり、そこで出会った一人の先生が、
彼女に新しい道を示すことになる。

それにしても、
アメリカの底辺の生活のすさまじさ。
16歳のプレシャスは、字が読めないのだ。
それは習っていないからだし、
学ぼうとすると、母親のののしりの言葉が蘇り、
大きなブレーキがかかるのだ。
貧しい生活が、文化的にも底辺であることを
強いられてしまうことを表している。

しかし彼女にはすばらしい力がいろいろある。
特にすごいのが、想像する力。
彼女は辛く苦しい現実を目の前にしたとき、
頭の中で、
自分がスターになって、きらびやかな衣装をきて、
みんなにちやほやされることを想像する。
そうして、
見たくない現実をやりすごす術を身につけてきたのだ。

その彼女が出会ったレイン先生。
「私は教えることが好きだ」という。
そして、
プレシャス以上に破天荒な子どもたちに、
丁寧に丁寧に接し、
読み書きを教えるのだ。
彼女は生徒達に、毎日書かせる。

そこが、「幸せの隠れ場所」とは違う。
ボランタリー精神とか、
「気の毒に・・・」と思うことから
スタートしているのではないんだ。

レイン先生は、自分の仕事の中で、
プレシャスが、
自分を自分でエンパワーしながら生きてくための
道具を身につけさせようということに
一生懸命になっている。

ヒラリー・スワンクの
「フリーダム・ライダース」を、
彷彿とさせる。

「フリーダム・ライターズ」も
この「プレシャス」でも、
「書く」という、
つまり、言葉を獲得していくことの大切さを、
表現している。

自分の内面を言葉に置き換えて、
それを文字に表して、
そうすることでもう一度確認し、
さらに、他からの反応を得ることで、
もう一度自分を確認していく。

ここでの重要なポイントは、
誰が「他」となるかだ。
誰がそれを読み、どう反応するかは
すごく大事なこと。

ヒラリー・スワンクも
生徒達一人一人の日記を
丁寧に受け取っていたし、
今回のブルー・レイン先生も、
必ず返事を書いていた。

それが両方の映画の生徒たちを変えていく。

言葉はコミュニケーションの道具であると同時に、
思考の道具になる。
どちらの道具としても、万能ではないが、
かなり有効な道具だ。

これを手にいれたプレシャスは、
自分の人生を考え始める。
今まで、いい加減に接していた福祉課のカウンセラー
(これが、なんと、なんと、マライヤ・キャリー)とも、
きちんと話し合うようになり、
そのことは、母親との静かな対決のシーンに繋がる。
そこで、父親の性的虐待から自分を守らず、
見て見ぬふりをしていた母親の背景を知るのだ。
知ったとしても、それはあまりにも自分勝手な理由だが、
それでも、
やはりどんなことにも奥には理由があることがわかり、
全部が分かったあとで、
彼女は、改めてそこをスタート地点にして、
これからをどう生きていくか、
自分で選択していく。

自分で決めたあとの、プレシャスの颯爽とした歩き方!!!
あ〜すばらしい。プレシャス。

ブルー・レイン先生は、
細くて、金髪な人になりたいと言ったプレシャスに、
「そのままのプレシャスがいい」と言う。

「愛なんか、いらない。
 愛のために、苦しかった。辛かった」
と言うプレシャスに、
「でも、あなたの子どもはあなたを愛してる。
 私もあなたを愛している」
とレイン先生は言う。

ののしられる言葉と、注文をつけられる言葉、
暴力的できたない言葉の中で育ってきたプレシャスに、
その言葉は温かく降り注ぐ。

そのレイン先生は、
アフリカ系アメリカ人で、
レズビアンという設定なところ、
また、物語の途中で、
プレシャスの出産に立ち会うのが
アフリカ系アメリカ人の
男性の看護師さんという設定のところが
この映画をより奥深いものにしていると思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この映画を見たのは、
私が会員となっている映画館。
今朝の時点で
5月末日まで使用することができる
チケット二枚が残っていた。
一枚は私が「プレシャス」のために使うが、
もう一枚は残る。もったいない。
で、チケットを購入されようとしていた女性に、
使っていただくことにした。
後ろに並んでらした60代くらいの女性だ。
その方は、すごく気持ちよく受け取ってくれた。
そして、後から
「すごく嬉しかったから、せめて、これ飲んで!」
とペットボトルのお茶を買ってもってきてくださった。

なんか、嬉しいなあ。
知らない人と、
温かい交流ができることは、
本当に幸せなことだと思う。






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今週、コミュニケーションについて考えたこと。

【2010.05.28 Friday 15:51
月曜にあったサッカー日本代表壮行試合韓国戦のあと、
韓国のキャップテン、パク・チソンが日本の守備に関して、
「コミュニケーションに問題があったのでは・・・」と
コメントしている件をTwitterで見つけた。

確かに
途中、夫はテレビに向い、
「声だせ!」と何度も叫んでいた。

その、Twitterの方にニュース元をきくと、
以下を教えてもらった。

そう掲載されている。

サッカーにおいてコミュニケーションの力は、
相当求められるらしい。
声をかけあうなんてのは当然だし、
アイコンタクトで、
相手が何をしたいのか、
自分に何を求めているのか、
一瞬で判断できないといけないみたいだし、
時にはアイコンタクトがなくても、
彼がボールもったから、自分は走り出して、
彼のパスを出しそうなところへ向い・・・的な、
先の先を読むようなことの連続のようだ。
空気も、風も、
相手側の気持ちも、同じチームの人の意向も
一瞬で読んで、行動につなげなくてはならない。


そういうことができるようになるために、
まずは、「言語技術」を磨くことが必要だと、
以前、田嶋さんというサッカー協会の方が書かれた本を読んで、
大いに納得した。

私は、今は
日本代表に対しては応援しきることに決めていて、
あれが足りない、これが間違っているなどという、
批判などは発言しないことに決めているのだが、
今回は、そういう意味ではなく、
「コミュニケーション」をテーマに考えて、
ここに書いた。
だって、
相手からも見えてしまったってのが、
とてもショックなことだと思うから。

コミュニケーションの力が必要なのは、
もちろん、サッカー選手だけではない。
医者もだ。
確か火曜日の朝だったか、
NHKの「おはよう日本」で、
医者になる人を指導している先輩の医者が、
自分が面倒をみている人たちに、
コミュニケーション能力をつけてもらうために、
患者役をやってくれる人をみつけてきて、
ロールプレイをして自己認識したり、
より良い方法を練習したりしている場面を見た。

ある女性の医者の卵の人は、
「お腹が痛い」と訴える患者さん役の人に、
「右辺りなんですね」と言ったきり黙ってしまい、
まったく情報を聞き出せなかった。
ある男性は、
病院の対応へのクレームを延々と述べようとする患者役の方に、
まずは共感をし、
「あなたの症状を少しでもよくするように、
 一緒にがんばりたいんですが、そのために、
 少し質問させていただいていいですか?」と
問いかけ、
いきまいていたその方の顔が、おだやかになった。

白衣を着た医者という専門家へ、
自分の意志を伝えることの難しさを
話してくれる人は多い。
「ジェネリック薬品にしてください」
「痛みがとれずに、心配です」
「説明がよくわからないので、
 家族と一緒に聴きたいのですが、
 いつ時間をとっていただけますか?」とか、
本当に言いにくい。

言いやすい雰囲気にしてほしいから、
こんなふうに、トレーニングしてくれているのは、
ありがたいと思う。
 
今は、実際に仕事をしながら、
コミュニケ−ションの力を伸ばしていく・・・などという、
悠長なことは言ってられない時代なのだろうか?
それとも、それほどコミュニケーションの力をつける機会もなく、
職業人になってしまっているんだろうか?


そして水曜日は、
中学一年生に「聴く」ということの大切を考えてもらう授業をした。
今回の目的は、
授業中とかだけではなく、
日常の中でも「聴く」ってことは大切なことと認識してもらうこと。
自分の普段やってしまいがちな聴き方を、意識してもらうこと。
この二つだった。

特に二つ目については、
アシスタントで入ってくれた先生相手に、
私が典型的な「ひどい聴き方」を演じて、
子どもたちにどこが問題だったのかを、
書いてもらった。

子どもたちはよく見ていて、
それぞれ的確に問題の箇所を指摘してくれたし、
中には、
「自分も時々
 人の顔をみないで、適当に話をきいてしまう時がある」
などと、発表してくれる子もいた。
感想にも、下校のとき、
友だちと一緒に話しながら帰るけど、
ほとんどあいづちもうっていないかもしれないと、
自分を振り返ってくれている子もいた。

中学生の前にたち、
「聴き方」について授業をしながらも、
「私もできないとき、あるけどね」なんて、
エクスキューズしたが、
昨日夜、もろ、夫との会話は、それだった。

昨日、夫は、仕事のことなどをよく話してくれたが、
話し始めた途端、
私は口をはさみ、
彼に、
「そこにひっかかんないでよ」
「言いたいところは、そこじゃないし」
と二回も言われてしまったのだ。

あ〜、ダメじゃん私。

すぐごめん、ごめんと、
ちゃんと聴く姿勢に入った。


な訳で、
サッカー日本代表のことも、
新人さんの医者のことも、
中学一年生のことも、
他人事じゃないっていうか、
まずは、自分なんだよなあ。










author : tanizawa-k
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「心がフッと軽くなる『瞬間の心理学』」

【2010.05.27 Thursday 08:36
名越 康文
角川SSコミュニケーションズ
¥ 819
(2010-05-10)

サッカー日本代表は、スイス合宿が始まった。
その様子をテレビで見る限りでは、
元気そうだった。
日韓戦では、きっと相当落ち込んだと思うけど、
それでもW杯にむけて今できることをしているんだと思う。

これこそ、精神科医名越康文さんの新刊
「心がフッと軽くなる『瞬間の心理学』」に書かれていることだ。

会社に行きたくないと思ったとき、
迷ってばかりの自分に自信が持てないとき、
人からの批判に耐えられないとき、

名越先生は、まずは、
そのときのイヤな感情を「いやなんだな」ととらえ、
しかし同時に
「辛いことや悲しいことにも、必ず終わりがある」ことを肝に銘じ、
「どんなに悲惨な目に遭ったとしても、
『もうこの時間は過ぎ去った。そして今から』と
切り替える」ことをすすめている。

つまり、常に「今、ここ」を大事に生きていくこと、
それが「瞬間の心理学」なんだと思う。

私はこの本を読んでいて、
もう10年くらい前に出会った中3の女の子の言葉を
思い出した。
彼女は友だち関係がうまくいかず、
クラスには通わないで、別室に登校していて、
そういう自分を卑下する傾向をもっていた。
しかし、いろいろと話を聴いていったある日、
彼女は言ったんだ。
「先生、これは一生続かないよね」




私たちは、まだこない明日のことに不安を感じて
身動き取れなくなってしまうことがある。
また、もう取り戻せない昨日のことを後悔して、
落ち込んでしまうこともある。

そういうこともあるのが、人間。

しかし、不安や後悔を感じたとしても、
じゃ、「今できることは何か?」に
意識をもっていくことをして、
なるべく早めに「今ここ」に心を戻せると、
その時間が早ければ早いほど、
楽になるのだと思う。


そう考えると、
先の中3の女の子は、
辛い思いもたくさんしたが、
そのことによって
「それは一生続かない」ことを肝に銘じられたことは、
その辛さを自分の人生に生かしたことになるんだと思う。



この名越先生の本は、
「今ここ」になるべく早く自分を戻す方法を、
心理的なアプローチと、
外的なアプローチ、
両面から解説している。
外的なアプローチは、
たとえば朝の過ごし方などだ。

私は心理的なアプローチについては、
もうひと奥が知りたいと思ったが、
実は、そのヒントみたいなものは、
名越先生のTwitterを追っておると、
なんとなく分かってくるから、
興味のある方には、
この本とTwitter両方読んでみることを
おすすめしたいな。


この本は、
ある意味でハウツー本だ。
ネガティブな感情が起こったときに、
どうその感情とつきあい、
そこからどんなふうに考えて、
行動は、
どんなふうにおこしていくのかが書かれているし、
ネガティブな感情が
おこりにくい日常生活の仕方なども
書かれている。

しかし同時に、単なるハウツー本ではなく、
ネガティブな感情が起こってしまいがちな状況を
作っている社会のことや、
その中で起こっている人間関係における課題も
書かれているから、
読みながら、
「やる気がでない自分が悪いんだ」というように、
自分だけを責めてしまいがちな人の心にも、
素直にすっと入ってくるように思った。
名越先生の言葉から、
「あなたが悪いわけではない。
 いろいろな状況から、今あなたは、その辛さの中にいる。
 でも、今の、あなたができることはある。
 その方法を教えるよ」
というようなメッセージを私は感じた。


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課題→仮定→実践→評価→一般化。

【2010.05.25 Tuesday 21:13
明日は、中学一年生の4クラスで、
授業をやらせてもらう。

社会性を育むために、
人とのかかわり方を学ぶ授業、
一年間で5回くらいを予定しているものの、
第一回目だ。

社会性を育むことは、
生きるために必要なことだ。
本来なら、日常の中で、十分に育まれて当然のもの。
しかし、家庭の中の人数が減り、
地域の中で活動することが減り、
自然にしていても育む機会が減っていることから、
今、先生方は学科の授業の中でも
「かかわり合う」ことを積極的に取り入れている。
また昔から
行事などがあるたびに、話し合いは行われ、
自分のできることを提供し、
協力しあうことの大変さと素晴らしさの経験も、
子どもたちはもっている。

それだけやっていて、
なぜそれ以上にわざわざ?と思うかもしれないが、
日常、授業、学活、行事の中で体験したことを、
そのことを専門に学ぶ機会をもつことで、
客観的に言葉にしておくことを、
やらせていただくことになったのだ。

体験学習とは、
まず課題があって、
それに対する仮定を自分の中にもって、
それを実践してみて、
実践を評価し、それらを考えて
一般化すること。

友だちとの間のすれ違いや、
親に理解されていない感覚、
知ってきてしまった自分のいろいろな部分を
自分で受け入れることが難しい葛藤、
日常の中でころがるそういう出来事の中で、
子どもたちが、それらを乗り越えようと
トライしてきた自分なりの方法を、
客観的に振り返り、
一般的な知識にしていってもらうための
試みだ。


昨日は、流れを考え、
使うプリントを作った。


それらの作業をやりながら、
私は、子どもたちうそはつかないこと、
私自身がやれないことは言わないこと、
そのことを頭にしっかりとおいていた。

つまり、がんばればうまくいくよ!なんて、
言わないし、
いつも相手のいいところだけとつき合おうなんて、
言わない。
心をこめて話せばわかってもらえるよも、
言わないのだ。


また、
何日か前の内田樹さんのブログにあった
「言葉の力」というタイトルの記事の中の、
以下のことは重要だと認識している。

 「言葉の力」とは、私たちが現にそれを用いて
 自分の思考や感情を述べているときの言葉の不正確さ、
 不適切さを悲しむ能力のことを言うのである。
  言葉がつねに過剰であるか不足であるかして、
 どうしても「自分が言いたいこと」に届かないことに
 苦しむ能力を言うのである。 


私自身も、すべてを言葉で説明できるなんて、
全く思っていない。
子どもたちの心にもやもやを残すこともあることを、
意識する。
「かかわりあう」ことの大切さや、
大切にしたいポイントを説明しながらも、
それが「今のところの私の考え」であり、
このことは、
一人一人のバージョンをもっていいが、
そのバージョンを作ろうにも、
上手く言葉にならないこともあるし、
上手にはまったと思った途端に、ちょっとずれることも
あることを、自分がまずは意識していようと思う。

同時に、人と人は、言葉やその他のものを使って
コミュ二ケーションをする。
わかりあおうとすることは、
大切なことだが、
わかりきらないことがあることを知っておくことも、
また大切なことだ。


ま、準備したから、
あとは、子どもたちの顔をちゃんと見て、
そして、楽しもう。

私が楽しくなくては、
きっと子どももつまんないよね。
author : tanizawa-k
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虐待の定義を知ってる?

【2010.05.23 Sunday 22:15
土日で、
私の属する団体の総会と研修に参加してきた。
今回の研修は、
「障がいをもつ人の虐待防止ワークショップ」。
全国自立生活センター協議会 の 人権委員会の方々が、
障がいを持っている人たちを虐待から守るために、
アメリカで学んできたプログラムを
日本の実情にあわせて作ったもの。

本当に素晴らしいプラグラムで、
ぜひぜひ一人でも多くの方が体験するといいと思った。

人は、気がつかないうちに、そして悪気もなく、
何気ない言葉かけ、態度、動作、行動で、
虐待をしている可能性がある。
また、
されている人も、
気がつかなかったり、
ちょっとしたことだとあきらめたり、
そのうちに慣れてしまったり、
なかったことに
してしまわざるを得ないような場合もある。

まずは、虐待とは何かを、
ロールプレイを見ながら確認した。

ロールプレイではいくつかの虐待のシーンを見て、
そのどこが虐待であるのか考えたり、
虐待をされた人の気持ち、
している人の気持ちを考える。

虐待には
①身体的虐待(暴力など)
②言葉による虐待(悪口を言う けなすなど)
③性的虐待
④放置
⑤金銭搾取
という5つの種類があり、

連続性、複合性、継続性という特徴がある。

だから、最初はわかりにくい小さなものでも、
いろいろな種類の虐待をからませて行われるようになり、
それは次第に大きなものになっていって、
とめられなくなってしまうとのこと。

だからこそ早い段階でみつけて止めることが大事なのだ。


私は、自分を振り返りながら受講していた。

夫の母に対する私の態度は、果たしてどうか?

私は母に対して、押しつけはしないが、
杖をついてほしいと何度もお願いをした。
確かに、きつい言い方はしていないと思う。
でも、「いやだ」と言っている母に、
それを押し付けることは、
果たして言葉の虐待になっていなかったか?

母は、年寄りのように見られたくないという
意志を何度も言ってくれているのに、
「でも、もしころんで寝たきりになったら、
 つまんないよね」などと、
脅しのようなことを言ったこともある。

もちろん私に悪意はコレっぽちもない。
本当に単純に「転ばぬ先の杖」だ。

でも、母には自分で自分の事を決める権利があり、
それを犯そうとすることは、
虐待ではないか?


また、時々、母を待たせる時がある。
「くみちゃん、○○して!」という母に、
本当に情けなくて、自分がいやになってしまうのだが、
私の方に特に急ぎの用事がなくても、
なんとなくもったいつけて
「ちょっと待っててください」と
待たせる時があるのだ。

心の片隅で、
「私がしてあげるんだから、
 私の都合にあわせるのが、当然」的な
気持ちが、まったくなかったか?と問われれば、
否定できない。
あ〜ほんと、自分がなさけない。


私はこの自分の態度を、今までは、
私のコミュニケーションのパターンとして理解していたが、
それは全く甘い認識で、それは虐待だという意識が持てた。

本人ではどうしようもできないことを、
他者が取り上げて、
人格を否定するような言葉、態度、動作、行動をすることが
虐待だという認識は、
無意識にしていた虐待を、
少なくとも意識の上にあげてくれることができる。

私は、このことに今気がつけたことが、
本当にありがたい。
これから母はもっともっと年齢を重ねる。
一人ではできないことも増えてくるだろう。

その時に、いつも、
母には、自分で選んで決める権利があるってことを、
それを守らないことは虐待だって認識できたことは大きい。

多分、このことは、
これに関する優れた本を読めば
頭で理解することは可能だと思う。
しかし、このプログラムで、
目の前で繰り広げられる、
虐待のシーンを見る事で、
心で知るというか、
「いやあ、まいった、やってしまっているかも」と、
自分に対する恐ろしさを、
本当に感じることができると思う。
そして、
もうそのことを知らなかった時に戻らないと思う。

受講した仲間には、
母という立場の人もいた。
その人たちは、我が子へのことを振り返っていた。
先生の立場の人は、生徒へのことを、
看護師さんは患者さんへのことを、
みんなが、我が事にして振り返っていた。

それほどパワーある講座だった。

講座は、虐待とは何かを知ったあとで、
なぜ立ち向かえないか、
立ち向かうためのポイント、
という順に学びを深めていく。

私は、
虐待に積極的には加担していないし、
意識してしてやろうと思ってしていることはない。
でも、人間は弱いのだ。
これまでもやってしまっていたかもしれないし、
ある状況の中では、
これからもやってしまうかもしれないと、
知っておくことこと大切だ。

そして同時に、
このことを知ってしまったのに、
広めないという訳にはいかない。
ま、それで、こうして書いている。

人はみんな、
大切な一人の人間として
大切にされて
生きる権利がある。


そのことを、
本当に考えることができたすばらしい一日。



プログラムに興味のある方、
ぜひ主催して開催したいと考える方は、
全国自立支援センター協議会に問い合わせてくださいね。
担当は 人権委員会 です。







author : tanizawa-k
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明るくて、前向きだけ・・・が性に合わぬ。

【2010.05.21 Friday 16:38
こればっかしは、どうしようもないのだが、
明るくて、前向きだけってのは、
どうも、私には、納得できないというか、
惹かれないんだ。

「自分の言っている言葉が人生を作る」から、
後ろ向きな言葉は言わない方がいいって考えも分かるし、
「愚痴は、何も生まない」ってのも、
その通りだと思う。

でも、だからって、そればっかりの考え方には
全く惹かれない自分を感じるし、
そればっかりのことを発する方を、
尊敬も、多分、心の底からはしていない。

そういう言葉の波状攻撃の本も読むし、
講演も聴く。

でも、心のどこかで、
それは私向きじゃないと思っている。

私には、
疲れきって何も行動しない日がある。
「これは神様からの、お休みしなさいのサインだ!」
なんてとっても明るく考えられず、
「なぜだあ、こんな暇ないのに。
 まったくダメな私だぜ」と思う。
まずは、心の中で、本当にそう思うし、
そういう自分がいやになる。
最近でこそ、そういう自分をマネージメントできるから、
「おおっと、危ない危ない。
 これ以上突っ込むと、私なんかだめだの堂々巡りタイムだ」
と、止める事ができるし、
その堂々巡りタイムの時間が短くすんでいるとは思う。
でもだからって、
「本当、私ってダメ」って全く思わなくなった訳じゃないのだ。

それって、そうさせてよ!!!
もうこうなったら、死ぬまで、
時々堂々巡りタイムを、好きにやらせて!
って私は思う。

って、誰からも、そんなこといけないと
言われている訳ではないけど、
でも、
あまりに明るいポジティブなメッセージを受け取ると、
正直、
落ち着かない気分にはなるんだ。

それは、私に向けたメッセージでなくて、
世間一般にむけたメッセージでも、
そんなふうに思うことも、あるんだな。

もちろん、もう他者からの評価など、
そんなには堪えないけど、
それでも、
ま、これは、やはり、こうなると、
好き嫌いの範疇なんでしょうね。
性に合わないってのが、本心なんだ。

こんなこと書いているからって、
今、そういうことがあった訳ではちっともないの。
Twitter上で
「何だろ。力強すぎる言葉を読むと、苦しくなる」という
言葉を見つけてさ、
それって私にもあるよ!って言いたくて、
私バージョンをまとめてみました。

そして、
きっとこのブログを読んでくれている人の中にも、
世間からの、
「明るく考えようね」
「ポジティブな人の方が成功するよ」
「何事も、考えようだよ」
的な空気に、
時々、
反発したくなるような時がある人も、いるじゃないかな?
なんて、思ってね。

で、書いてみたのです。


これは単純に書くと、こうなのだけど、
もっと複雑に書くこともできそう。

いずれ、挑戦してみよう。










author : tanizawa-k
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「未来を変えるためにほんとうに必要なこと」

【2010.05.20 Thursday 22:31
より良く生きていくってのは、
自分の気持ちのみに従った選択をしていくのではなく、
そこにちょっとした付加、

つまり、
やりたいことだけやるのではなく、
やるべきこともやること、

やりたくないことをやらないだけではなく、
やってはいけないことを、やらずにいること、

そういう
ちょっとした付加をかける選択も必要と思う。

「選択」というのは、
毎日のことだからとか、
仕事だから仕方なしに、
というより、
「あえて」のイメージ。
「あえて」自分から、それを選んでいく。

この本を読んでいて、そういうことを
考えていた。

この本を書いたアダム・カヘンさんは、
企業や政府などの問題解決プロセスの
オーガナイザー兼ファシリテーターとして
これまで50カ国以上で活躍している方。

特に南アフリカの民族和解のプログラムに
参加しているのは特筆だ。

その彼だか、彼のファシリテーターとしての
活動の中での失敗も、この本の中にはたくさん
出てくる。なぜ成功したかに関しては、
いろいろな方がいろいろな媒体で語るが、
なぜ失敗したかを披露してくれているのは、
とてもありがたい。

この本は、
問題が複雑になっている今、
未来をより良くしていくために、
「共感しあうだけでは不十分。
 他者とともに成長しよう」、
「そのためには愛だけではなく力も必要」
「ただし、その力は『させる力』ではなく
 『する力』だ」
というようなことが書かれている。

私は特に「力」を使うってことが下手だから、
とても励まされた。
そして普段、子どもと接することもある私は、
「力」を使うとしても
「させる力」ではなく「する力」だということを、
大事にしたい。

勉強させるために力を使うというように、
相手をコントロールしようとした途端、
そこに相手を大切にするという愛はない。

この本に度々出てくるのは、
「愛なき力は暴力であり、
 力なき愛は無力である」
というキング牧師の言葉。

そして、もうひとつ、とてもとても心に残っているのは。
作家のジム・ギミアンという方が、彼の師チベット人僧侶、
チョギャム・トルンバに関して、書いた文だ。
「トルンパの教えにいつまでも色あせぬ魅力があるのは、
 悪い知らせには耳をふさぎ、人は誰でも人生の難問から
 無傷のまま生き延びられるという非現実的な想念に
 しがみつこうとする心にではなく、
 『今ほんとうに起きていること』を見ようとする心に
 向かって話しかけるからである」

共感はすばらしいことだが、
より良い未来に向かっていこうとするとき、
共感できるのは前提であって、
それだけではたりない。

だから私は、
時々「力」を使うことを、
あえて選んでいくことが必要なんだ。


author : tanizawa-k
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「17歳の肖像」

【2010.05.19 Wednesday 20:02
昨日、予定していたことがなくなって、
午後、ぽっかり時間があく。
もう嬉しくて嬉しくて、
映画「17歳の肖像」を見る。

この映画の原題は
「An Education(ある教育)」
オックスフォード大学をめざし勉強ばかりしていた16歳の
女子高校生が、年上の男性と知り合い、
それまでまったく縁のなかった
洗練された大人の社会を知ってしまうという映画。

家と学校の往復で、
たまにカフェでガールズトークすることが楽しみだった女の子が、
退屈な毎日より、
刺激のいっぱいある社会を求めることは、
またそこに、大人の男性の存在があることは、
昔から定番のストーリー。

ただ、この映画が本当におもしろかったのは、
この女の子がしたたかだったこと。

高校をやめ、男性からのプローズを受け
彼との結婚を決めてから、
彼に妻子があると分かり、
失意のどん底に沈みながらも、
校長に復学を願い出るバイタリティ。
それがかなわないと、
以前、その「退屈」な生き方を
思い切りばかにして傷つけた女性教師に
頭を下げて勉強を教えてもらおうとする、
そのしたたかさ。
そして、大学に合格し、
オックスフォード大に入学したあとも、
以前の彼との享楽的な生活の中で知った
さまざまなことを隠して、
自分を演出した計算高さ。

彼女は、この短い期間に、
ある意味の教育を受けたんだと思う。

私は静岡県の人づくり推進員ってのを努めているが、
この活動の中で「人作りハンドブック」というものを
読む機会があり、これに、
ジャーナリストの故草柳大蔵さんの言葉が掲載されている。
(草柳さんは静岡県の人づくりの立役者)

 「学歴」と「学校歴」は違うことです。
 「学歴」は読んで字の如(ごと)く
 「学びの歴史」なのです。
 その人が棺のふたを閉じるまで、
 誰の話を聞いたか、
 どこに旅をしてなにを感じたか、
 何度口惜(くや)しい涙に泣いたか、
 何冊の本を読んだか、
 どれほど美しい詩歌に接したか、
 みんな「学歴」なのです。
 一例を挙げれば、
 本を毎日27ページずつ読めば
 大変な学歴になります。
 これを3年間続けると、
 27×365×3ページになる。
 いま、1冊の本は300ページ未満で
 出来ていますから、
 1日27ページの読書を
 3年間続けた結果を300で割りますと、
 100冊という答えが出ます。
 3年間で100冊の本を読むということは、
 ご自分が静岡県から一歩も動かず、
 古今東西の思想家、
 大作家、芸術家、詩人、学者、
 探検家、名人、宗教家と
 めぐりあうことです。
 読んでいるうちに、
 ある言葉の意味が深くなる、
 別の言葉と連結できる、
 あるいは思想家と宗教家とが
 全く違った意味づけを
 していることがわかる。・・・

こういう文章が出ていて、
読む度に想いを新たにするが、
彼女も、出会い→新しい世界でのさまざまな経験
→重大な決断→絶望→決断→新たなスタート
→努力→成功
という中で、本当にすばらしい成長をした。
学びの歴史を一つずつ積み重ねていたのだ。

そして人生にショートカットはないということを
からだで知る。

遠回りをしたけれど、すばらしい学び!!!

なかなか、おもしろい映画でした。



author : tanizawa-k
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相談は負担ですか?

【2010.05.18 Tuesday 07:37
「おはよう日本!」で、
以前家にひきこもって、ネットで必要ないものまで買い物を
していた男性(現在37歳)が、
その頃のことを思い出して話していたのだが、
注文したあとに、
「ありがとうございました。
 ご注文を承りました」の
そのパソコンの画面に現れる
「ありがとうございました」という文字が、
自分に対して心を込めて言ってくれているような気がして
嬉しかったと言っていた。
しかもその後商品が届く。
そのことで社会と繋がっている気がしたのだそうだ。
そして社会と繋がっていたくて、
買い物を繰り返していたと言っていた。

えええ!
パソコンの画面の中の、
無機質で、
しかも、注文のメールに自動で返信する、
そんな「ありがとう」でよかったの?

あ〜、なんということだ!

彼のこの、
誰かに「ありがとう」と言われたい、つまり
認めてほしいという欲求、
そして社会と繋がっている実感がほしいという欲求を、
他の方法で満たしてあげられる
何かがあったらよかったのに。
早めに誰かに相談してくれたらよかったのに!!!

昨日の午後、大阪で
元看護師さんで、最近は退職し、
家にいて誰とも話さなかったという
32歳の女性が、
小2の女の子を刺してしまうという事件があった。

ニュースに家の人の出て、
何を話しかけても応えてくれなくて、
困っていたようなことを言っていた。

その女性は、どんなこと考えていたのかな?
看護師はどんな理由でやめて、
その後、どんな想いをかかえながら
家にいたのだろう?

たとえ、どんなものを抱えていても、
誰かを傷つけるなんてことは、
絶対にやってはいけないことだ。
それは絶対!絶対だ。
しかし、
なぜ、話をしなくなって何日かたった時、
せめて家族の方が、誰かに相談しなかったのか?

それとも相談したけれど、
どにもならなかったのか?

あ〜せつない。せつなすぎる。

その前の日には、
静岡県で21歳の若いママが、
1才5ヶ月の長女を床にたたきつける虐待の
事件が報道されていた。
今朝の新聞に少し詳しい事情が書かれていたが、
このママも、何か心に重荷を背負っていたようだ。
自治会の会長さんが隣組の用事で玄関をノックすると、
「不審者だ」「子どもはノックの音を怖がる」と
110番通報し、騒ぎになったことがあったとのこと。
その時点で、
被害妄想というか、
対人関係について不安を抱えていることが、
なんとなく想像できる。

このママのパートナーは、
異変に気がつかなかったのか?
それともパートナーとの関係で
何かがあったのか?

どうにもしようがない状況だったのかな?


誰かに相談するってことを、
負担に考える方は、
たくさんいると思う。
しかし、当事者では見えにくくなっている他の方法や、
逃げ道のようなものは、
ちょっと離れている人から見ると、
くっきり見えることがある。

誰かにゆっくりと話をきいてもらうことで、
いっぱいいっぱいだった心に、
少し風が入ることがある。
それは何か困難を抱えている人の家族にも、
すごく有効だ。

県や市の事業でも、
いろいろなところで相談の窓口はある。

小中学生なら、スクールカウンセリングの事業もある。
20歳までの子どもさんについて、
静岡市には青少年相談センターってのも、ある。

もちろん、相談にいっても、
埒があかないこともあるかも。
相談員との相性もあるだろう。

でも、その相談員ではダメだったかもしれないけど、
違う人だったら、何かが変わるかもしれない。


自分だけや、家族だけで抱えないでほしいと、
願うばかりだ。




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出西窯で、日常使いの器をゲット。

【2010.05.17 Monday 15:20
出西窯は出雲にある窯元。
民藝運動の中心人物だった
バーナード・リーチ、
柳宗悦、
河井勘次郎から直接指導を受けた方々が、
工房で器を製作しています。

この出西窯で製作したものを販売する、
工房に隣接したショップ「無自性館」が、
量、デザインとも多種多彩で、
探し甲斐がありました。

柳宗理さんデザインのテーブルウエアは、
ここで作られていて、
そのアウトレットのようなコーナーもあり、
かなり惹かれたけれど、
ブランドより、自分の勘だ!と
たっぷり時間をかけて探し、
以下をゲット↓

両側の二つのお皿は、
パスタなんかの時にいいかな?と。
中の2種類は二枚ずつ購入しました。



外の器は、早速毎日のようにテーブルに登場。

<冷麺>

<プティ・タ・プティのバケット>


<プロッコーリー/もやしのナムル>

<おにぎり>

<今日のお昼は、昨日の残りのハンバーグで>

この器に何を盛ろうというところから、
メニューを決めたりしています。


旅先で出会う日常使いのものは、
購入したそのときも嬉しいけれど、
使うたびに、
その場所や、
その時出会った人や、
その前後のことなど、
いろいろな思い出まで連れてきれてくれて、
ひとつの旅を何倍にもしてくれます。

さて、今晩は何にしましょうか?


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谷澤 久美子
counselor