映画「プレシャス」 【2010.05.31 Monday 13:52】 |
映画「プレシャス」を見た。 1987年のニューヨ−ク、ハーレムが舞台。 母親に虐待、父親には性的虐待を受けていて、 父親の子どもを生んだ16歳のプレシャス。 母親は「私の男をたぶらしかしている」と彼女をののしり、 彼女に、うまくいかない人生の苛立ちを 暴力や言葉の暴力でぶつけ、はらしている。 彼女を学校に行かせていることで、 生活保護を受けられ、しかも、料理を作らせたり、 買い物にいかせたり、便利に使っているのだ。 しかし、また、身ごもっていることが学校にバレてしまい、 (父親にレイプされた末の子ども) 彼女は退学になる。 そして、代替学校の「EOTO(Each One Teach One)」に 通うことになり、そこで出会った一人の先生が、 彼女に新しい道を示すことになる。 それにしても、 アメリカの底辺の生活のすさまじさ。 16歳のプレシャスは、字が読めないのだ。 それは習っていないからだし、 学ぼうとすると、母親のののしりの言葉が蘇り、 大きなブレーキがかかるのだ。 貧しい生活が、文化的にも底辺であることを 強いられてしまうことを表している。 しかし彼女にはすばらしい力がいろいろある。 特にすごいのが、想像する力。 彼女は辛く苦しい現実を目の前にしたとき、 頭の中で、 自分がスターになって、きらびやかな衣装をきて、 みんなにちやほやされることを想像する。 そうして、 見たくない現実をやりすごす術を身につけてきたのだ。 その彼女が出会ったレイン先生。 「私は教えることが好きだ」という。 そして、 プレシャス以上に破天荒な子どもたちに、 丁寧に丁寧に接し、 読み書きを教えるのだ。 彼女は生徒達に、毎日書かせる。 そこが、「幸せの隠れ場所」とは違う。 ボランタリー精神とか、 「気の毒に・・・」と思うことから スタートしているのではないんだ。 レイン先生は、自分の仕事の中で、 プレシャスが、 自分を自分でエンパワーしながら生きてくための 道具を身につけさせようということに 一生懸命になっている。 ヒラリー・スワンクの 「フリーダム・ライダース」を、 彷彿とさせる。 「フリーダム・ライターズ」も この「プレシャス」でも、 「書く」という、 つまり、言葉を獲得していくことの大切さを、 表現している。 自分の内面を言葉に置き換えて、 それを文字に表して、 そうすることでもう一度確認し、 さらに、他からの反応を得ることで、 もう一度自分を確認していく。 ここでの重要なポイントは、 誰が「他」となるかだ。 誰がそれを読み、どう反応するかは すごく大事なこと。 ヒラリー・スワンクも 生徒達一人一人の日記を 丁寧に受け取っていたし、 今回のブルー・レイン先生も、 必ず返事を書いていた。 それが両方の映画の生徒たちを変えていく。 言葉はコミュニケーションの道具であると同時に、 思考の道具になる。 どちらの道具としても、万能ではないが、 かなり有効な道具だ。 これを手にいれたプレシャスは、 自分の人生を考え始める。 今まで、いい加減に接していた福祉課のカウンセラー (これが、なんと、なんと、マライヤ・キャリー)とも、 きちんと話し合うようになり、 そのことは、母親との静かな対決のシーンに繋がる。 そこで、父親の性的虐待から自分を守らず、 見て見ぬふりをしていた母親の背景を知るのだ。 知ったとしても、それはあまりにも自分勝手な理由だが、 それでも、 やはりどんなことにも奥には理由があることがわかり、 全部が分かったあとで、 彼女は、改めてそこをスタート地点にして、 これからをどう生きていくか、 自分で選択していく。 自分で決めたあとの、プレシャスの颯爽とした歩き方!!! あ〜すばらしい。プレシャス。 ブルー・レイン先生は、 細くて、金髪な人になりたいと言ったプレシャスに、 「そのままのプレシャスがいい」と言う。 「愛なんか、いらない。 愛のために、苦しかった。辛かった」 と言うプレシャスに、 「でも、あなたの子どもはあなたを愛してる。 私もあなたを愛している」 とレイン先生は言う。 ののしられる言葉と、注文をつけられる言葉、 暴力的できたない言葉の中で育ってきたプレシャスに、 その言葉は温かく降り注ぐ。 そのレイン先生は、 アフリカ系アメリカ人で、 レズビアンという設定なところ、 また、物語の途中で、 プレシャスの出産に立ち会うのが アフリカ系アメリカ人の 男性の看護師さんという設定のところが この映画をより奥深いものにしていると思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この映画を見たのは、 私が会員となっている映画館。 今朝の時点で 5月末日まで使用することができる チケット二枚が残っていた。 一枚は私が「プレシャス」のために使うが、 もう一枚は残る。もったいない。 で、チケットを購入されようとしていた女性に、 使っていただくことにした。 後ろに並んでらした60代くらいの女性だ。 その方は、すごく気持ちよく受け取ってくれた。 そして、後から 「すごく嬉しかったから、せめて、これ飲んで!」 とペットボトルのお茶を買ってもってきてくださった。 なんか、嬉しいなあ。 知らない人と、 温かい交流ができることは、 本当に幸せなことだと思う。 |
author : tanizawa-k
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