2010年04月の記事 | 今のところではありますが…
ゴールデンワイークはどうされますか?

【2010.04.28 Wednesday 21:36
もし、ゴールデンウイークに予定がなく、
静岡くらいなら行ってもいいかな?なんて方がいたら、
ぜひ、静岡県立美術館の辺りの散策もお楽しみください。

 
今、開催中は、コレ↑。

周りには、いろいろなアートが。

こんな散歩道もなかなかいいし。

お弁当を広げられる広場もあります。




私たちは、
3日まで留守をします。

福井→島根→兵庫と移動。
出雲大社に行ってみる予定です。

ここは見た方がいい!とか、
これは食べとけ!ってものがあったら、
教えてくださいませ。


author : tanizawa-k
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タリーヌとオーライ

【2010.04.27 Tuesday 22:29
ある街に、
タリーヌという女の子が住んでいました。
彼女の口癖は、
「あ〜いやだ、いやだ」
たとえば、ママが
「タリーヌ、今日のおやつはあなたの好きな豆大福よ」
と用意していた豆大福をお茶と一緒に出してあげると、
「あ〜いやだ、いやだ。
 ママったら、私がダイエットしているのを知っていて、
 豆大福なんか用意しておくんだもん。
 なんて意地悪なのかしら」
と言うし、
だからといって、
ママが野菜中心のメニューを夕飯に出そうものなら、
「あ〜いやだ、いやだ。
 今日だけはダイエットをお休みして、
 自分にご褒美あげようと思っていた日なのに、
 なんで分かってくれないの!!!」
と言います。

「タリーヌ、おはよう!学校に行こう」
と友だちが誘いに来ると、
「あ〜いやだ、いやだ。
 いつもより5分も早いじゃない。
 まだ髪の毛が決まらない」
と不機嫌だし、
友だちが昼休みを一緒にすごそうと誘いにくると、
「あ〜いやだ、いやだ、
 今日は本を読みたい気分だったのに」

ある日、隣町から、
オーライという女の子が転校してきました。
タリーヌの隣の席になりました。
「よろしくね。タリーヌ。私の名前はオーライ。
 今日は教科書を見せてね」
と言うと、
タリーヌはいつものように
「あ〜いやだ、いやだ。
 なぜ、私が見せてあげなくてはならないの。
 せいせいしない」と言います。
オーライは言います。
「大丈夫、大丈夫。
 教科書を一緒に見ていたら、
 ちょっと違うこと考えてても、
 たとえ居眠りしたって、
 お互いに『今ここ』って言い合えて、
 先生にさされた時に便利じゃない」


「あ〜いやだ、いやだ、
 今日も宿題がいっぱいだ」
と文句を言うタリーヌ。
オーライはそれに応えます。
「大丈夫、大丈夫。
 宿題がいっぱい出ちゃったって言えば、
 お手伝いの量が減るわよ」

「あ〜いやだ、いやだ。
 今日は大嫌いなピーマンが給食に出る」
「大丈夫、大丈夫。
 苦瓜が出ると思えば、それよりよっぽど苦くないわよ」

「あ〜いやだ、いやだ。
 なんで私が合唱の伴奏をやらなくてはならないの?」
「大丈夫、大丈夫。
 たった一人のピアノに抜擢されるなんて素敵。
 私が練習につきあうわよ」

「あ〜いやだ、いやだ。
 パパはいつも仕事で遅いし、
 ママは通帳を見て、ためいきばかり」
「大丈夫、大丈夫。
 あなたは、そんなふうに言いながらも、
 宿題もやっているし、
 給食も食べている。
 私に教科書も見せてくれたし、
 クラスのみんなのために、
 伴奏も努めてくれた。
 あなたはいろいろ言いながらも、
 結局やっている、そういう人よ、タリーヌ」

タリーヌは、
そんなふうに人から認めてもらったことがなく、
びっくりしました。
いつも人からは、
文句ばっかり言うタリーヌと見られている
と思っていたのです。

「あ〜いやだ、いやだ。
 私って、いつも文句ばっかり。
 なんで文句ばっかり口をついて出てくるのかしら?」
「大丈夫、大丈夫。
 あなたは、いろいろなことが気になるタイプ
 なのかもしれないわ。
 気がついちゃうのね。
 私はそういうタリーヌのこと、
 よくないって思っている訳ではないの。
 でも、あなたが、そのことがいやだと思うなら、
 私の口癖をあなたにあげるわ。
 私の口癖は魔法の言葉なの。
 何かわかる?」
「あ〜いやだ、いやだ。
 あなたの口癖、『大丈夫』をもらったって、
 大丈夫なんて思えないもの」
「大丈夫、大丈夫。
 思えなくてもいいの。いやだって思ってしまっても、
 それでもいいの。
 それでも、あなたが文句を言う自分を変えたかったら、
 まずは、変えられるところからやってみたらいいのよ。
 言ってごらんなさい。大丈夫って」
「だ・い・じょう・ぶ?」
「大丈夫、大丈夫。
 あなたのぎこちない『大丈夫』。とってもいいわよ。
 ほら、もう一度、言ってみて」
「大丈夫」
「大丈夫、大丈夫。
 とっても素敵よ。
 なにか、あなたにとって大丈夫なこと、
 『大丈夫』って言葉に続けて、
 ひとつ言ってみて。
 いい、ないって言わないで!探すのよ」
「大丈夫。
 今日は発表が上手にできたから、大丈夫」
「大丈夫、大丈夫。
 とっても上手よ。とっても素敵。
 もう一つ.探してみて!」
「大丈夫。
 今日、プリンを姉にあげたら、
 ダイエットに成功したら、
 前から欲しかったスカ−トをくれるっていったから、
 大丈夫」


タリーヌは、オーライに訊きました。
「オーライ、大丈夫って、探して言うの?」
「大丈夫、大丈夫。
 探さなくても自然に言えるときもあるの。
 でも、そんな時ばかりじゃないの。
 どちらかというと、大丈夫って思えない時の方が
 多いかもね。でもね、それでも、
 探すことが大事なの。
 どんなことも、文句の面から見ようとすると
 そう見えるし、大丈夫の面から見ようとすると、
 そうも見えるの。そうやって、探しているうちに、
 だんだん上手になってくるのよ。
 もちろん、探すのが、下手な人もいるわ。
 熱い夏の日に、冷たいお水をごくごく飲みながら、
 大丈夫がないって言う人もいるし、
 桜の木の下で、大好きなおにぎりをほおばりながら、
 大丈夫が見つからないって人もいるの。
 でもね、私は、あなたには大丈夫を探せる力があると
 思うの。だってあなたは、いろいろ気がつける人だから。
 気がつく力の使い方を、ちょっと変えてあげればいいの。
 あなたは大丈夫探しも、きっととっても上手にできるわ。
 今まで、大丈夫は探すものって、知らなかっただけだもの。
 もちろん、私が、いつでも応援してる」
「あなたがそばにいてくれたら、大丈夫な気がしてきた」
「大丈夫、大丈夫。
 ほら、あなたは、もう、大丈夫を上手に探せるわ!」


チャン、チャン。


 
 
 


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挨拶→会話→対話→議論

【2010.04.26 Monday 21:36
順序っていうか、
手順っていうか、
プロセスっていうか、
そういうものをある程度クリアしていきながら、
作り上げたり、
深めたりしていくことが大切だよなあ。

人間関係を作っていくためのコミュニケーションにも、
ステップがある。

朝会っても、ろくに挨拶もしない相手に、
営業の方法を変えてほしいと頼むのは、
相当無理があるし、
同じように、
むだ話を一切しない思春期の娘に、
学校であった話を聞き出そうとするのも、
やっぱり無理がある。

「今日は雨だよ」とか、
「○○さん、髪型変えましたね」とか、
「お昼、お先にいってきます」とか、
「お弁当全部食べてくれて、ママ、嬉しいよ」とか、
そんな会話があることは、基礎だ。

「◇さんの電話の取り方早くて、気持ちいいですね」とか、
「嵐の中の誰が一番好きか教えて」とか、
「この間のプレゼン、準備に時間かけてたね。
 充実した発表だったね」とか、
「お金ためて、自分でゲームソフトを買うなんて、
 成長したじゃん」とか、
そういう会話があって初めて次にいける。

それがあって、
共通の目標を確認しあえる準備ができたというものだ。

たとえば、
「県大会に、本気で出場したいと思っているんだね」とか、
「あなたは売り上げの目標をどこにおいているの?」とか、
「クラスの中で、友だちがほしんだね」とか、
ま、そういう目標だ。

普通に挨拶ができて、
いっぱいムダ話があって、
初めて、対話ができる環境が整うのだ。

そしてやっと議論。
難しい話し。
利害が対立していたり、
重なり合う部分があまりない話の解決に乗り出す。

考え方や価値観や方法論が違う人と、
共通の目標にむかって、
その目標に近づく為に、
それぞれがするべきことを、
考え合い、伝え合う。



挨拶→会話→対話→議論

挨拶はあなたの敵ではないですよ!
ってお知らせ。
会話は、もう一歩踏み込んで、
いろいろ話せる仲間的な感じに思ってます・・・と伝え、
対話になると、
お互いの違いをも認め合い、
同時に一緒に何かをやる意味を探し合うもの。
そして、議論しながら、
お互いのやるべきことを伝え合っていくのだ。

信頼関係を作って、現状を確認して、
目標を言語化し、
それに向かっていくための方法を提示しあう。



・・・相当しつこい文章だ。
でも、大切な打ち合わせや会議が続く時だからこそ、
何度も何度も、自分の中で確認する。

そして、一年の活動を考えたとき、
今という時期は、挨拶、会話を十分にもって、
信頼関係を築く時だからこそ、
反復したい。

そして、これから、
スムースでない時は、
どこかすっ飛ばさなかったどうか、
あるいは、どこかのステップで、
「こんなもんでしょ」と手を抜かなかったか、
自己チェックしていくんだ。



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もう一日だけ浸る。

【2010.04.25 Sunday 15:11
以前このブログに、
その挑戦に成功することができたことを、
金曜日に知った。

達成できたのは、誰のおかげかということを、
その書類を受け取った直後から考えている。

達成に必要なのは、一般的には
意欲と、
能力と、
継続する力だと
言われている。

その3つが、私にあったのだろうか?と
考えると、
あったとは思うけれど。
挑戦を始めた瞬間から
認定の試験のようなものの日まで、
ずっと高いレベルで
その3つを維持できていた訳ではないなあと思う。

高いレベルで維持できていた訳でではないのに、
達成できたのは、なぜかな?と考えると、
サポートのおかげなんだと思う。


「意欲(やる気)」に関していうと、
何度も何度も、失った。
主に、研修の機会は東京であったから、
帰りの新幹線の中で
「私って、全然だめだ」と涙が出たことも、
度々あった。
そうなると、人っておもしろいもので、
自分をどこかで守ろうとするから、
評価する組織を悪く思おうとしたことだって、
正直ある。
(完璧な組織も完璧な人も、
 この世の中にはないってこと、
 百も承知で
 瑣末なことにひっかかったりね)
しかし、その考えに支配される前に、
いつもいつも、私の目を覚ませてくれる人が
現れるのだ。

それはたとえばクライアントさんだ。

他者に対して言いたいことを言えなかった方々が、
コミュニケーションのスキルを獲得していくことで、
自分に自信をもち胸をはって生き始めている姿は、
「やっぱり間違っていない!」と、
思わせてくれた。

学びの仲間も目を覚まさせてくれた。
特に、何かの度にいただくフィードバックは、
直さなければならないものの多さに、
何度も凹みそうになったが、
考えてみれば
改善すべき点が明確だっていう点では幸せだ。

夫の父は剣道の昇段試験を受験しているとき、
一度も、どこが悪かったのか、
教えてもらったことがないと言っていた。
(流石、「道」なんである)
何を改善したらいいのかわからず、
がんばり続けることのしんどさを、
近くで見ていて知っていたから、
いただくフィ−ドバックは、
きついけど、ありがたかったかも。


「能力(技術)」でいっても、
このフィードバックがありがたかったと思う。
もし私が進化しているとすればそのおかげだ。
私には、言葉が多すぎたり、
押し付けがましいとか、
熱きなりすぎるという改善点があったが、
これについては、ある先輩がくれたフィードバック、
「スキル的なことよりも、
 そうなる理由を考えてみたらどうかな?」というものが
大きかった。
考えて、私はあることに想いが至った。
それは、育ってくる中で、
家族の中で世話役をやっていたり、
優等生をやってきたことだ。
世話役や優等生をやってきた私は、
みんなのためになりたいという想いや、
役にたちたい、力を示したいなどの気持ちに、
捕われやすいのだ。
「コミュニケーションの考え方やスキルを伝える」ことより、
「私が伝える」の「私が」って
ところが大きかったことに気がついたのだ。

そこまで気がつくと、
そういう気持ちがわいてきたときに、
どうするかを考えることができて、
客観的になれたと思う。


「継続する力(メンタリティー)」については、
家族のおかげだと思う。

大体、このことを始めようとした時から、
反対されたことは一度もない。
毎月一度は宿泊を含めた出張があるが、
そのことで、一度も文句を言うこともなければ、
逆に、協力してくれている。
夫の父は土曜日の夕方のバーニーの散歩をしてくれ、
夫の母は私が仕事の話をすると、
「すごいね」「すごいね」と聴いてくれる。
と同時に、
父は84歳、母は83歳という年齢だが、
二人ともそれぞれ体調の変化はありながらも、
でも健康でいてくれている。
どちらかが入院なんてことになれば、勉強も
続けられなかったと思うが、
普通に生活をしてくれていることがありがたい。

特に夫の父の生き方は、
私に大きな影響を与えてくれている。
彼は剣道6段を18年ごしくらいで取得した。
年に二度、昇段試験を受けては落ち、
受けては落ち、
それでも受け続けて、そして取得したあの姿は、
あきらめない素晴らしさを、
私に言葉ではなく、その姿勢で教えてくれていた。

そして、ま、夫ね。
いつもは憎たらしいことをいろいろ言う彼も、
私がフィードバックがきつくてへろへろになって
いるときは、
必ず、本当にかならず、
「あなた、よくがんばっているよ」
「そのままでいいじゃん」
と言ってくれた。それは確かなんだ。
一度目に失敗した日にくれたメールは、
とってある。
「あけない夜はない」だった。

ほんと、あけない夜はないなあ。

あけない夜はないし、
雲の向こうは、いつも太陽が輝いている。

そのことを忘れそうになることも、
忘れてしまうこともある。
でも、そのたんびに、
いろいろな人が
教えてくれたんだ。
「でも、挑戦続けようよ」って。

ありがたいなあ。


さて、いつもはamazonで本を手にいれている私。
しかし、今日は久しぶりに本屋に行った。
私の目に飛びこんできた本は、
ユニクロの柳井さんの本。
「成功は一日で捨て去れ」。

いやあ、今度は柳井さんが、
私の目の前に出てきて教えてくれた。
「もう、十分浸ったから、
 さ、次にいこう!」って。

がんばろう。



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未来からのエール。

【2010.04.22 Thursday 21:14
(風邪、絶好調に回復途上です。いい感じです)

昨日の「クローズアップ現代」は、
「アスペルガー症候群」についての特集だった。
すばらしい番組だった。

なぜ自分が人間関係を築けず、
上手く生きられないんだろうと考えた男性が、
受診しアスペルガー症候群だと診断を受け、
子どものころからずっと疑問だったことがとけて、
その自分の特性を知ってくれている場(会社)で、
自分を生かして生きている様子を、
丁寧に見せてくれていた。
そういう方が3人登場されていた。

その中の一人(確か43歳?くらい)は
(たしか)東大を出て就職をしたが、
どうしても長続きせず、
(たしか)3年前診断を受け、
特性を理解してもらい今の会社で働いている。
「人事ブログ」の担当だ。

これから就職を目指す学生が読んでいて、
彼は学生たちを勇気づける精神的な応援や、
時にはものすごく具体的なアドバイスも、
そこに書いている。

彼の上司は、
彼は面と向かって話すコミュニケーションは苦手だが、
文章力に秀でていることに気がつき、
この担当になってもらい、
彼が担当してから、読者数は飛躍的に伸びたという。

番組で、彼のブログの中で一番人気の記事を紹介していた。
これが、もう本当にすばらしい。

「私の中ののび太」というものだ。

「のび太」とは「ドラエもん」の「のび太」だ。
ぜひぜひ、読んでほしい。

45年後ののび太はドラえもんの「入れかえローブ」を使って、
子どもになって遊ぶ。
45年後ののび太は未来の世界に戻る間際に、
今ののび太に
「一つだけ教えておこう。
 きみはこれからも何度もつまづく。
 でもその度に立ち直る強さももっているんだよ」

このブログを書いた男性は、
読者に対し、
就職活動をしている中で、
きっといろいろなことがあると思うけど、
あなたの中に「立ち直れる強さ」があることを忘れず
がんばってほしいとエールを送り、
同時に、
自分も時々それを思い出したいと書いている。
すばらしいエッセイだ。


私は、二つの意味で、この番組を味わった。

ひとつはアスペルガー症候群をもっていてもいなくても、
自分自身の良さを前面に出して仕事をしていける社会は、
実現可能だし、それをめざしていきたいという強い思いだ。

もうお一人は、大学の研究室で働いてらしたが、
人間関係がうまくいかず、鬱病になってしまい、
仕事をやめたが、
その後、不動産関係の会社で自分を存分に生かしている。
彼は数字に強く、数字から分析をしたり、
分かりやすい表を作ったり、そういうコトに長けている。
その会社の営業の方が、人と関係を作っていく力はもっているが、
数字的なことはまったく苦手だった。
お互い、お互いの得意なことを生かして、
会社の業績に貢献している例だ。

そういうことって、可能なんだって、
本当にそう思った。

希望だ!!!




もうひとつは、
45年後ののび太からのエールのことだ。

実は、先の研修「感動塾」で、
「10年前の自分への手紙」を書くワークがあった。
49歳の今の私が、39歳の私への書く手紙だ。
コミュニケーションの勉強をスタートした頃の私に、
今の私は、
45年後ののび太と同じようなことを
手紙にしたのだ。

全部ではないけど、下記に書いとく。


 あなたは、やっぱり迷うよ。
 凹むし、不安もあるし、全部が全部うまくいくってわけじゃ、
 残念ながらないんだ。
 でもね、あなたは、学ぶことをやめないんだよ。
 そして、なんと、
 あなたの周りは
 あなたをサポートしてくれるんだ。

 学び続けて、トレーナーの資格をとってからも、
 あなたには不安で眠れない夜もあるし、
 自信がもてない朝があるんだ。
 でもね、大丈夫。
 あなたはいろいろあっても学び続けるんだ。
 あなたはやめない強さももっているんだよ。
 そして、
 あなたの仕事の関係の記事を見つけると
 きりとってくれる夫の父や、
 あなたの話をきいてすごいね、すごいねって
 言ってくれる夫の母や、
 本当に凹んだときに、
 「そのままのあなたでいいんじゃない」と
 言ってくれる夫がいるんだよ。

 だから、苦しいことも、迷うことも、
 全部引き受けて大丈夫。
 見守ってくれる人を大切にしながら、
 そのまま進んでいけば大丈夫だよ




今、迷いながらも、
悩みながらもやっていることを、
続けていって、
それが未来になる。

未来の私たちの社会が、
どういう障がいがあったとしても、
どんな特質や特徴があったとしても、
自分を生かして生きていかれる、
そんな社会にしていくために、
今日も明日もあるんだと思う。

45年後の人に、
一人一人が自分を生かして生きていかれるような
今があるのは、
45年前のみんなが
あきらめずにそのことに向かって続けていったからだよ。
って、
ま、
そんなふうに言ってもらえるようにしなくちゃ!だな。

短所を責め合う社会ではなく、
お互いの長所を生かし合う、
そんな社会にしていきたい!!!

希望をもって進んでいいんだ、
って、私は強く思うのであった。


昨日のクローズアップ現代は、
再放送でぜひぜひチェックしてください。

author : tanizawa-k
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風邪の顛末

【2010.04.21 Wednesday 18:51
実は私の風邪には二番底があった。

月曜日の夜、講演を終え、治ったか?!と思うほど順調。
そのまま休む。

しかしその晩、咳がひどく、眠れない。
寝ようとがんばるが、咳き込み眠れない。
熱もまたまた上がり、朝布団を出るとき、
異常に喉が痛い。
結局火曜日は仕事をお休み。
家でひたすらからだを休めるが、
熱は37度後半〜39度をいったりきたりしている。

夕方、いつも助けてくれる薬局に行き、症状を説明する。
先週水曜日から風邪をひき、
最初は熱が高く、喉も痛かったが、
一時治ったような感じもあり、今度は夕べから
ひどく咳き込む、どうしたらいいでしょうか?

私はちょっとしたヒントでもほしい。
どうしてちっとも風邪が治らないのか教えてほしいし、
症状を和らげるために何をしたらいいか、
ほんの少しヒントでもいいから教えてほしい。

すると、なんと、なんと、冷たい対応でしょう。
薬剤師さんの言葉は
「そりゃ、負けいくさですね」

私は、なんだか、力がぬけてしまって、
なさけなくて、
「へえ〜〜〜〜』という感じだ。

薬剤師さんは続ける、
「こういう薬は(棚の風邪薬の辺りを示しながら)、
 最初の3〜4日でたたいてしまう時に飲むもので、
 あとは、漢方のようなものや、
 こういうアンプル剤で滋養を取るようにしたいんです。
 おたくは本来ならもうこの時期なんですよね」

私は
「あっそうですか」
「はい」
と言いながら、ちょっとだけ残っていた元気が、
どんどんしぼんでいくのがわかった。

「じゃ、わかりました」と
「本来ならその時期」というアンプル剤を購入し、
思い切り意気消沈し帰宅。

仕事から帰宅した夫に
薬局での出来事を話す。
すると夫は笑いながら(←ここがまた腹立つ)、
「そりゃ、あなた、その通り、負けいくさだよ」

私が夜、
あれほど苦しんでいるのを知っている、
おまえが言うか!それを!(←心の中のつぶやき)
私がいつ、「私は風邪に勝ってますか?」
って訊いた?(←心のつぶやき2)

「私はただ、薬局でなんとかしてほしくて、
 買いにいったんだよ。今の状況を客観的に見て、
 どうですか?っていう正解を教えてほしくて
 行ったんじゃんくて、咳を止めたいし、喉の炎症も
 おさえたいし、熱も早く平熱に戻したくて、
 それでいったんだよ。
 ちょっとでも良くなりたくて行ったのに、
 返って、最低になって帰ってきたのを、
 あなたに聴いてほしかったのに、
 あなたまでそう言うから・・・」
的なことを、もっとしっちゃかめっちゃかに
言っているうちに、
一層激しい怒りや悔しさがわいてくる。
しかし、この怒りをアサーティブに取り扱う気力はまったくなく、
違う部屋に行って、明日の準備をしながら心を整える。

そして、ご飯を作り、一緒に食べ、
即寝る。

しかし、またまた咳き込む→寝られない→それでも無理やり寝る
→寝られない→喉が猛烈に痛い

で、今日はもう、朝4時の時点で勤務は無理だと判断。

教頭先生に、今日私のやるはずだったことと、
それをどうするか、
そして約束してあったことについては、
お相手への連絡をお願いするfaxを送る。

昨日の学校も今日の学校も、
「先生、お大事にしてくださいね」
と言ってくれる。
染みるなあ、その言葉。


で、この期に及んでだとは思うが、
やっと医者に行った。
以前一度行ったことがある医者で、
待ち合い室に「文藝春秋」のバックナンバーがずらっと
並んでいて、印象に残った医者だった。

医者は優しかった。
私のこの一週間をゆっくりときいてくれて、
熱も丁寧に計ってくれて、
呼吸をする時の音なんかや、喉もみてくれて、
「ああ〜これは辛かったねえ」と言ってくれる。
「先生、夜咳き込んで眠れないのが、辛くて、
 そして熱も普段は35度台だから、なんか心配で」
というと、
気管支を広げるテープなんていう、
今まで一回も出してもらったことのないものまで処方してくれ、
「それでも、あまりかわらなかったら、月曜に来なさいね」
と言ってくれた。

で、お昼を食べ、薬を飲み、テープをはり、
横になると、
な〜んと、す〜っと眠ってしまった。
起きて熱を計ると、
久々35度台。


〜〜〜という訳で、
なかなか苦しい一週間だ。
苦しかったが、
二番底は打った!感がある。

明日も明後日も、仕事はできそうだ。


それにしても、
「負けいくさ」って。





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うまくできなくても、お手本をやっていこう。

【2010.04.19 Monday 23:55
風邪と腰痛が少し良くなった。しかも、慣れた。
慣れながら、夕方、湖西市というところに講演にでかけた。
今年度初めての講演だ。
咳き込んでしまったらいけないので、
そこに照準をあわせて薬を飲むために、食事をとり、
準備は十分にできたので、
なんとかやり遂げることができた。

湖西市の会場までは私の住む草薙から約2時間かかる。

浜松で新幹線をおり在来線に乗り換え、
鷲津駅(下車駅)に向かう私の耳に、
年を重ねた女性の声がする。

隣に座る女子高生に話しかけている。
「お嬢さんは、何年生?」
「高校一年です」
「そう。どちらにお住まい?」
「豊橋です」
「あっそうかい。どこの高校に通っているの?」
「浜松の・・・」
「へえ、豊橋にも、いろいろ高校があるのに、
 なんで浜松まで、わざわざ通うだね?」
「・・・」
「豊橋にも、商業も普通高校も、いろいろあるで。
 なぜだね?」
「・・・」
「なぜこの子は豊橋の高校にいかないらか」
「・・・」
と延々、続く。

私は
「おばあさん、そうは言っても、
 人間、好みってものがありますから」
と言いたい気持ちをぐっとこらえ、
「この困難を、この子がどうやって切りぬけるかも、
 この子にとって大事なことだ。
 がんばれ!少女!負けるな!少女!」
と心の中で自分に言い聞かせていた。

と鷲津駅だ。

私が降りる時にも、この会話というか、
もはやおばあさんのひとり言は続いていて、
隣の少女は、下をむいていた。

いやあ、助ければ、よかったか?
あの子が、電車に乗るのが怖くならなければいいが。

あのおばあさんに悪意はない。
でも、あそこまで他人に踏み込める根性は、
今の子どもたちには、
恐怖ではないか・・・。


・・・そして講演では、
ストレス・マネージメントについて話した。

終了後、
控え室前にいた私のところに、
一人の男性が近づいてきた。
私より年上で、柔らかい笑顔の方だ。
紺色のセーターを着てらした。
彼が、
「心がほっとしました。
 こういう話はあまり聴いたことがなかったのですが、
 今こそ必要がある話ですね。
 すごく元気になりました。
 いろんなところで、がんばって話してください」と
ジャスチャー付きで言ってくださった。

ありがたいなあ。
胸に染みてくる。




帰路は、鷲津駅から浜松へ。
そして浜松から新幹線だ。
私はぐったりして、
車両に入ってすぐの一列目に席を取る。

だから誰かが通るたびに、ドアがあき、
車両と車両の間で携帯電話で話している人の声が、
その度に丸聞こえだ。

60代くらいの女性が大きな声で、
昨日あったらしい市議選の結果を知り損ねていて、
その時に、電話の相手から知らされているようだった。

「そうかね。○○が落ちただね。
 そりゃよかったよ。
 ○○が落ちたって聞けただけで、
 十分だよ」
(○○はもちろん、実名)

なんだか、私は哀しいなあと思う。
そりゃ、あなたにとってはそうかもしれないよ。
でも、○○の親戚とか、○○の関係者とか、
○○の幼なじみとか、
もしかしたらすぐすばにいるかもしれないじゃん。
そしたら、すごくイヤな気持ちになるじゃん。
そういうの、電車の中で、たとえ車両の間だからっていって、
大きな声で話すことないじゃん。

多分、彼女にも悪意ばかりがあったのではない。
○○の性格がいかによくないかを
滔々と述べていた彼女。
それが彼女からの一方的な視点だとしても、
彼女はその市のためにも、
○○が市議にならなくてよかったと、
心から思っていたと思う。



しかし、
私たちは、
こういうコミュニケーションにさらされて生きているんだと、
つくづくと思う。


風邪気味で腰痛の私を勇気づけてくれる
コミュニケーションもあれば、
質問されたくないことや、
人を罵倒するような言葉を連ねる、
そんなコミュニケーションもある。

その中で、生きていく。


私がかかわる子どもたちは、
その中で生きていくのだ。
だからせめて私は、
お手本をやりたいんだ。


ぼそぼそとしていてもよくて、
整理されていなくてもよくて、
途中で知らないとこにいってしまっても、
とっちらかっちゃってもよくて、
そこはスキルじゃなくて、
でも、
人の心を温めるような、
人を笑顔にするような、
そんな言葉かけ。


あの紺色のセーターの男性が、
私のお手本だ。

私もお手本になりたい。


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希望に胸を刺される人もいる。

【2010.04.19 Monday 09:14
精神科医の名越先生が、
Twitterでつぶやいていた「希望に胸を刺される人もいる」
という言葉が気になって仕方ない。


昨日は風邪が一層ひどくなり、
一日中、38度〜39度をいったりきたりする中、
なんと、大きな咳をしたときに、
腰をグキっとやってしまい、
ぎっくり腰の一歩手前で、
おそるおそるの生活をしている。

今朝はなんとか、
36度〜37度ちょっとあたりで、
少し安心。
咳も「アネトン」という
ジョンソン・エンド・ジョンソンの薬がなんとか効き、
「第一類医薬品」の威力に驚く。

今朝は、天気もよく、
気温もやっと安定してきたようで、
静岡地方は最高19度らしい。

それにしても、せいせいしない体調と、腰。
世間が明るそうなだけに、
うっとおしいこの風邪!腰痛!
「希望が胸に刺さる人もいる」のだ。



そんな中桐野夏生さんの「ナニカアル」を読み終えた。

桐野さんが、
林芙美子さんという実在した女流作家になりきった、
日記形式の小説。
それって、まずとてつもない勇気だと思う。
なにしろ、実在していて、
今も関係者はいらっしゃるのだから。
それでもなりきって書ききり、
桐野さんがたてた、
林芙美子の子どもは養子として育てられたが、
本当は実子だったのではないかという仮説を、
まるで証明していくかのように、
ぐいぐいと物語をすすめていく。

背景にはこの時代の作家たちがかかえてた、
戦争との距離の取り方ってのがある。
林芙美子は陸軍報道部として南方に渡り、
戦争ネタを仕入れては書き、それで生計をたてる。

もっと軍からの指令に忠実に、戦争を美化し、
国民を鼓舞するものを書いた人もいるだろうし、
あるいは、絶対に拒否した人もいるだろうけど、
林芙美子は、
他の女流作家に負けたくないとか、
一番早く伝えたいとか、
そういうところで書いていて、
そこには戦争に対する葛藤はあまり感じられず、
私にはそのことがおもしろかった。
ま、これば桐野さん説なんだけど。

でも、恋愛に対しては、
ものすごく悩み苦しむ。

ここでの設定は編集者とダブル不倫をしているということに
なっている。
つかの間、会えたり、
会えない間は焦燥感がつのったり、
また、別れるときの修羅場が、本当にすごい。

題名の「ナニカアル」は、
養子という子どもの背景にナニカアルだし、
自分と不倫相手を応援するかのような侍従者に
ナニカアルだし、
表れは、そう見えても、
その奥には一筋縄ではいえないナニカがアルというような、
そんな意味か?


私は桐野夏生さんって作家は、
「希望に胸を刺される人もいる」ってことを、
よ〜く知っている作家だと思う。

希望や
夢や
そういうものの奥に、
明るいものだけではない、
何かがあることを知っているし、
希望や夢ってものを、
持てない瞬間や、
持ちたくない時があることも知っている。

人間て、そういうものだと思う。
いつもいつも、元気で、やる気いっぱいで、
目標をもって突き進むって、ありえない。

だから、読むたびに、
人間、そんなに汚いばかりじゃないよ・・・と、
ちょっと辟易しながらも、
それでも、新しい本が出ると
読まずにはいられないんだと思う。



評価:
桐野 夏生
新潮社
¥ 1,785
(2010-02-26)

author : tanizawa-k
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はがしてしまえ!レッテルなんて。

【2010.04.16 Friday 20:47
風邪気味なんだってことをメールをしたら、
風のまにまに」の白石宏子さん(以下、雨ちゃん)から
そんな時に効く食べ物を教えてもらった。

 しょうがいっぱいのお茶と、
 大根おろしとしょうがとネギのみじんぎりに、
 納豆なんかもお好きならお醤油とあえて、
 ごはんにかけていただくと、
 アーーッという間に、身体がぽっかぽかしてきて、
 楽になりますよ。

ありがとう!雨ちゃん。

という訳で早速今晩やってみた。
シソの葉があって、今日食べないとしなしなに
なるので、それもみじん切りにしていれた。

本当にからだが暖まるし、
何しろ納豆がさっぱりいただける。
さっぱりしてない納豆も好きだけど、
さっぱりもいいって分かった。

夫が「おいしいね」という。
それで私が
「あなたさ、しょうがとか、ねぎとかシソとか、
 そういう匂いの強い野菜好きだしね」
と言うと、
彼はむっとして、
「そうだけど、
 そうやってきめつけられたくない」
と言う。


やってしまった。
私はたま〜にそうやって、
きめるつけるようなコト言ってしまう時があるんだ。



私のところに相談にきてくれる生徒たちの中にも、
周りの人からレッテルをはられて
苦労していることが多い。

「おまえは、どうせ、だらしないから」
とか、
「まったく、あなたって、くよくよする人だよね」
とか。

確かに、そういう時もあるけど、
そういう時ばかりではないってことに、
多くの人が腹をたてたり、歯がゆい想いをしている。

そりゃ、そうだ。

四六時中だらしなくては生きていけないし、
どの瞬間もくよくよしている人なんて見たことない。




人はなぜ人にレッテルをはりたがるんだろう?

私が思うに、
それは、人ってものは、
わけがわからないという、
不安定な状態は落ち着かないというか、
安心できないからではないかと思うんだ。

「この人はこういう人だ」ということにして、
理解すると、おさまりがいいというか、
安心できて、すっきりするのではないかな?

遅刻してきたことを、
「だらしない人だから」と
大きくまとめて理解してしまえば、
訳がわかって、なんとなく納得できて、
それじゃ、しょうがないか・・・と落ち着ける。

落ち着けて、
安心できて
すっきりするのは、
レッテルをはられた方ではなくて、
はった方だけど。


ま、レッテルなんて、そんなものだ。

はられたイヤなレッテルは、
「そう見えたんだな、この人には」程度に受け止めて、
違う自分を見せてあげちゃってもいいかも。



レッテルは、
キャラになっていって、
時々、そのキャラをやり続けることに、
きつい想いをすることもある。

「あの人がいると、楽しいよね」なんて
「おもしろい人」「場を盛り上げる人」なんてキャラも、
期待され始めると、しんどくなってきてしまうときもある。


だから、
不安定でも、落ち着かなくても、
その時のそのまま、
「つまり、今日は遅刻してきた人」でいいじゃん、と思う。

夫だって、
「匂いが強い野菜が好きな時もある」くらいで、いいんだよなあ。
そうじゃない気分の時だってあるはずだもの。


そうそう、雨ちゃん。
「しょうがいっぱいのお茶」は、
どのように作ったらおいしいでしょうか?




author : tanizawa-k
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お散歩ですか?

【2010.04.15 Thursday 17:54
新年度が始まって半月。
いろいろなものが動き始めたなあ!と感じる。
講演や講座の講師の依頼が、
今週初めから増えはじめている。
その際、
「初めて研修担当になってとまどっているのですが・・・」とか、
「この係は初めてなので、ご無礼があったら申し訳ありません」とか、
言ってくださることも多く、
そうそう、そういう季節だよなあと思う。

3月まで学生だった人が働き始めたり、
努めていた会社をやめて、新しい会社に入ったり、
職場は同じでも異動や転勤があったり、
そういう方々にとっては、
なかなか、大変な時期だろう。

おずおずと近づきながら、
昨日まで普通にやってきている人たちの中に、
入っていくタイミングを計って、
ちょこっと入っては、
「おっ、早すぎたか」
「おおお、今ならこの流れに乗れそうだな」とか、
いろいろ考えて、疲れてしまうかも。

そういう時に、
最初に書いたように、
「初めてでとまどっています」とか、
「心配です」などと、
その時の自分の気持ちを言葉にしてしまった方が、
楽になるようだ。

感情を言葉にするということは、
「今、こういう気持ちを抱いている私です」と、
自己開示をすることになるが、
まず自分が開示をするその姿勢が、
相手のガードを緩めると思う。

そう言ってくださった後、
明らかに私は、
応援したい気持ちになって、
仕事の話が一段落したあと、
「ぼちぼちやってくださいね」
なんて言ってしまった。



私は今年は、
仕事に特に大きな変化がある訳ではないが、
それでも、1〜3月までの忙しさのツケが廻ってきたのか、
昨日から体調を崩している。
熱があり、今日の仕事は融通がきく仕事だったので
日程を変えてもらったほどだ。
熱が落ち着いたので、
夕方の犬の散歩にでかけた。

すれ違った方が、
「お散歩ですか?」と声をかけてくれ、
私はなんだか、泣きそうになる。
そして「そうなんです」と答える。

私の頭の中はそれまで、ぐるぐると、
考えてもどうしようもないことを、
考えるでもなく考えていた。
〜新年度の大事な時期に風邪なんてひいてしまった・・・
 本当にトホホだ。
 しかも、ず〜っと風邪なんかひかなかったのに、
 今年に入って2度目の風邪、
 年齢的に身体が変わる時なのか、
 まいったなあ〜
ってな具合。

そんな調子だったから
「お散歩ですか?」と声をかけてくれた彼が、
味方登場に思えたのだ。

だって、
なんの意味もない会話だ。
夕方、犬と歩いていれば、散歩に決まっている。

彼は
「あれ?あの人は犬と一緒に歩いているけど、
本当に散歩しているのかな?」と
特に確かめたかったわけではない。

「お散歩ですか?」は挨拶と同じで、
私は敵ではないですよ。
あなたを攻撃しませんよ。
〜〜〜というお知らせ。

ま、そんなことを考えて、
ちょっと気持ちが温かくなって、
帰宅後
中野民夫さんと西公俊さんの「対話する力」
という本を読み出したら、
中野さんが秋葉原の事件の犯人の言葉を紹介していて、
ぐっとくる。

犯人は遠くの店まで凶器を買いにでかけ、
その店員さんと少し会話をかわしたあと、
携帯サイトに
「店員さん。いい人だった」
「人と話すのって、いいね」
と書き込んでいたのだそうだ。

自分のことをダメダメって思う虫が
自分の中に出てきたときには、
なんでもない他者からのひと言が、
たとえ、それが挨拶でも、
たとえ、それが当たり前のトークだったとしても、
それでも、一瞬、人を救うことがある。

できたら、そこからもう一歩踏み込んで、
自己開示できたら、
犯人も、あんなことを起こさなくてもよくなったのかもしれないな。



author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor