2010年03月の記事 | 今のところではありますが…
恩はきるもの。

【2010.03.31 Wednesday 14:44
普段、夜中に目が覚めるということは
まったくない私だか、
3時すぎにぱっと目が覚めた。

ひとまずトイレにいくことにして、
からだを起こした途端、
もしかしたら父はこの時間に亡くなったのかな?
と思った。

97年3月31日に父は亡くなった。
今日は13回目の命日だ。

お墓参りをして、
自宅に戻り、
父の文字を見るために、
父の手帳や父が私にあてて書いてくれた手紙を見た。

手帳は96年と97年のものが手元にある。
「人を思うと書いて偲ぶと読む」とか、
「人の言と書いて信じると読む」とか、
書いてある。

その手帳は仕事の用事もプライベートのことも、
いろいろ書いてあるが、
心情は一切なく、
記録のようなものになので、
その言葉を書き留めた背景はまったくわからない。

でも、それを書いたってことは、
そこに書かざるをえないような
出来事があったのかな?なんて思う。

誰かが、
もしかすると私が、
そのちょっと前に
何か調子のいいことでも言ったのかもしれないし、
父が亡くなる何年か前から親しくしてくれていた
女性がいたから、
その方との間の何かで、
こういう言葉を記したのかもしれない。

手帳の中に
大切にはさんである紙は、
妹が父のためにデザインした
名前のサインだ。
父は妹の作ったサインをとっても気に入っていて、
ジャケットの内ポケットあたりに名入れをしてもらう時は、
かならずそのデザインで刺繍してもらっていた。


「不器用に 使う割り箸 世の中に
 とらわれすぎずに 生きてゆかん」
という短歌?は、
父が作ったものか、
どこかで見てメモったものなのだろうか。

父が作ったものではなかったとしても、
ぶきっちょだった父が、
この歌に共感した気持ちが私には
よくわかる。

商家の長男に生まれて、
勉強ができたのに大学進学をせず、
大阪に丁稚奉公にいき、
そのまま故郷もどり、
商家の長男の役目をやり遂げた父。

そういえば、割り箸を割るのも、
下手だった父。
世の中のこうあるべきや、
周りからのこうしてほしいという期待に、
「とらわれすぎずに 生きてゆかん」の
「とらわれすぎず」ってところが、
すごく父らしいと思う。
「とらわれないで」ではなく、
「とらわれるんだけど、とらわれすぎないで」という
そこのところが、
すごく父なんだと思う。

あ〜やばいやばい。
泣けてくる。


私へ書いてくれた手紙の封筒の中に、
一枚のメモ書きが入っている。
それを、父が私に読ませたくていれたのか、
あるいは私が父の遺品を整理しているときにみつけて、
なくならないようにその中にいれたのか、
もうわからなくなってしまったのだが、
とにかくその紙があって、
それには
「恩はきせるものではなく、きるもの」
と書いてある。

父は嫁に出た私に、いろいろ買ってくれた。
着物も買ってくれたし、
私の宝物のひとつである時計は、
カルティエ・タンクアメリカン・クロノグラフという
今の私には絶対に買えないものだけど、
それも父が買ってくれた。
日曜のたびに、
夫と私を外食に誘ってくれたし、
今の私たちの暮らしの中では
考えられない贅沢をさせてもらった。

父は私にいろいろしてくれていて、
それでも私はちっとも感謝を表さないし、
してくれて当然!的な態度だったから、
時々頭にきたんだろうか。

時々頭にきて、
もう何も買ってあげないぞとか、
御馳走も一切しないからなとか、
心の中でそんなことを思って、
でも、きっと心優しい父だから、
私のことを、いろいろ思って、
私なんかの、いいところを
いろいろ思い出してくれて、
そして
「恩はきせるものじゃない」って、
自分に言い聞かせたんだろうか。

父は母が死んでしまったあと、
母の兄弟たちとよく遊んでいた。
彼らは古いお寺をみたり、
焼き物や掛け軸などを見る事が好きだったから、
京都や鎌倉にいったりしていた。
手帳にはさんである写真の中の父は、
おじさんたちと、
すごくいい笑顔だ。
父にも、そういう時間があって、
本当によかった。


私は父の恩に報いることができなかった。
母を亡くしたあと、
どんなに不安で心細くて、
ひとりぼっちで、
つらかったかと思う。
飲めないのに、父の枕元には
ブランディのボトルがあった。
その時こそ報いるチャンスだったのに、
父に何もできなかった。

私もあのとき、
母を亡くしていっぱいいっぱいだったんだ。
今なら、多少のことはしてあげられたのに、
そんな今は、
こうして父を想うことしかできない。





私はあの頃、
父が夕飯を食べ終わるのを待って、
帰宅していた。
だから父は、私が少しでも早く帰れるように、
すごく早い時間に夕飯を食べてくれていた。

そして楊子をくわえてシーシーしながら、
私にひと声かける
「もう、いいぞ。
 気をつけて帰れよ」

私が父からもらったものは、
着物や時計や贅沢な食事だけじゃなく、
そういうことだ。
父が常に私を想ってくれて、
私のために気を使ったり、考えたりしてくれた、
そのことに、
私は報えなかった。



恩は
「因」と「心」でできている。
注いでくれた時間や声の因(もと)を、
私が心にもっておくこと。

そして、
父には報えなかったけど、
いっぱいもらっている恩は、
恩送りしていくことだ。




お墓にむかって、
「ちゃんとやってくよ」と
言ってきた。








author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

そもそも、なぜダイエットなのか?

【2010.03.30 Tuesday 11:06
3月後半から4月前半は夜の飲み会や
友だちとランチってことが多い。
おいしいものをいただきながら
おしゃべりするって、
やってみると、
あ〜これが欲しかったんだなあと、
ひたひたとわかる。

しかし脂肪もちゃくちゃくと身に付く。

というわけで、
夜はスープを主食とし、
穀物をとらない計画をたててみる。



3月30日 朝 納豆 みそ汁 ごはん
      夜 スープ(脂肪燃焼スープ)
        こんにゃくのピリ辛炒め
        厚揚げときぬさやの煮浸し
        焼き魚

3月31日 朝 おにぎり みそ汁
      夜 スープ
        キャベツのおかかあえ
        アサリと大根のなべ

4月 1日 朝 納豆 みそ汁 ごはん
      夜 スープ
        ごぼうとレンコンのきんぴら
        肉豆腐

しかし、なぜ、
そもそも、今、ダイエットなのか?




昨日の夜のことだ。

ある活動の場での、
お別れの食事の会があった。
なぜか最後に一言お話させていただくことになった。
それは相当なむちゃブリだと思う。
でも、むちゃブリでも、そういう席で指名して
いただけるってのは
すごく光栄なことだ。

私は「いい事言いたくなっちゃう病」
をもっているから、
何かいい事言わなくちゃ!と咄嗟に思った。
ぐるぐると頭の中で
いろいろなことがかけめぐる。

でもいい事、言えなかった。

まだまだダメだな。と自分を情けなく思う。

準備をしておけば普通な挨拶はできるようには
なってきてると思う。
でも、咄嗟のときは、
まだまだ全然だめ子ちゃんだ。

準備の時間があったら、
以下の考えの行程を踏むだろう。

その場で、自分が一番言いたいことを
言葉にする。
さらに、
「いい事言いたくなっちゃう病」を生かし、
その場の皆さんの記憶に残りそうな何かいい事を、
探し、言葉にしておく。
その次に、それがその場にふさわしいか
考えて、もしふさわしくなかったら、
そのいい事とその場がつながるようにする。
さらに、言いたいこととそのことが、
かけはなれないように工夫する。
そして、ちゃんと最後は、
その場に対する感謝で終わったと思う。

いやあ、
そんなこと、まったくできなかったな。

人生に「『レバ』も『タラ』もない」けど、
あの時準備の時間をくれレバ、
あるいは
もしもう一度やり直せタラ、
以下のように言うだろうなあ。

「どうしようもない寂しさと、
 もっと一緒に働きたいという願望と、
 もっともっといろいろ教えて
 もらいたかったという悔しさと、
 でも、これから100%自分のために
 時間を使っていただきたいという願いと、
 私自身、皆さんのように働きぬきたい
 というあこがれや敬意と、
 いろいろな気持ちが複雑にいりまじっています。

 私は子どもたちに、
 どんな感情もわいていけない感情はないよと
 伝えています。でも、目の前の必要な行動は
 していこうと、語っています。

 そのことを自分自身で実践して
 いかねばなりません。今がその時です。

 なごり惜しい気持ちは、あとからあとから
 わいてきますが、それはそのまま受け止めて、
 今できる、精一杯のお礼の言葉を
 申し上げたいです。
 ありがとうございました。
 そして、お疲れさまでした」


昨日はまったくだめだったな。
せっかくのチャンスを生かせなかったな。
余計なことばかり話してしまった。




まだまだ、全然ダメな自分を
時々、確認することができる、
ランチも飲み会もまた、
私を作っている。

そういう機会に気持ちよく参加できるように、
だから、そもそも、
日常のダイエットとなるわけだ。




  


author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

明るいとか、暗いとか。

【2010.03.29 Monday 14:50
昨日の記事を書きながら、
明るいとか、暗いとかってことを考えてみた。

小学校5年生からの質問、
「私たちの未来は暗いのでしょうか?」を
答えようとしたことから発生した課題だ。

5年のこの子は、
どういうことを暗いといい、
どういうことを明るいと考えていたか。

また今現在は、この子にとって明るいのか、
暗いのか?

そんなことを考え始めたら、
社会にとって明るいか暗いかと、
自分にとっての明るい暗いは
違うのではないかと思った。

私が大学を卒業してから就職し
働き始めた時代は、
経済の世界からいえば、
今よりずっと景気がよかったと思う。

私はその頃西武百貨店のチラシを
制作する広告制作会社で働いていたが、
西武はその頃毎週カラーのチラシを
出していた。

そこからバブルまでまるで繋がっているように、
ずっと景気って視点でいえば、
明るい時代だったと思う。

じゃ、私は明るかったか?

それが違うんだな、これが。

確かに会社の先輩に飲みに連れていってもらったり、
外食もよくしたし、
六本木のディスコを借り切ってパーティを企画したり、
そんなことはしていた。
でも、だからって、
私はそのとき幸せかって意味でいうと、
明るくはなかった。
あの頃に戻りたいとは、思わない。

その後、父が経営している実家の仕事に戻り、
その間に景気はだんだん悪くなってくる。
父は亡くなり、
バブルははじけ、
世の中な感じでいえば、
確かに景気的には暗い。

しかも、
父が亡くなったことで、
私にはいろいろな責任がおおいかぶさってきて、
しかも、会社を閉めるという決断をして、
その決断の重さに、
どうしようもなく不安になることもあった。
家も処分したので、
そのことが本当にいいのかという葛藤もあった。

つまりは、世間的にも、自分の人生的にも、
暗いっていえば、暗いわけだ。

がしかし、私はそのころの自分が、
なかなかいいんじゃないか
と思うんだ。

明らかに、広告制作会社でライターを
やっていたときの自分より、
好きだ。

目の前に起こることに、
すごく誠実に対処していた自分のことが、
今思うと、
なかなかやるじゃんと思うし、
結構な試練を乗り越えてことは、
私の自信にもつながっているのかもしれない。

つまり、社会や自分の周りや、
自分に起こっている出来事が
一見暗くても、
「自分は満足」ってことも、あるんだ。


ってことは、
「私たちの未来は暗いですか?
という質問は、
もしかすると、
あんまり意味がないかもしれないってことだ。

社会が明るくても、
どうしようもなく自分を発揮できない時もあれば、
暗い環境の中でも、
その中で、自分らしく生きていることも可能だ。



ま、そんなことを考えていると、
私たち子どもにかかわる大人が
やるべきことは見えてくる。

社会がどういう状況であっても、
またその子の身に
すごく厳しいことがふりかかってきたとしても、
その子が、
自分で考えて、
自分で選択して、
自分が行動して、
その結果に責任をもてるような、
そういう、
自分を発揮して生きていかれるような、
そういう人に
成長していくような手伝いをすることだ。




★「谷澤相談室」の簡単な紹介のサイトを作ってみました。
http://ktanizawa.exblog.jp/
 
author : tanizawa-k
| 日常 | comments(0) |

わたしたちの未来は暗いのですか?

【2010.03.28 Sunday 14:15
 毎日新聞今日3月28日付け朝刊、
「くらしナビ」ページの質問タイムというコラム、
今回の質問は 東京都 S・Tさん小5からもので、
「わたしたちの未来は暗いのですか?」だ。

子どもにこうきかれたら、
どう答えたらいいんだろう。


毎日新聞の論説委員中村秀明さんは、

私たち日本人はなかなか自信を持てず、
心配ばかりしている人が多い集まりだから、
子どものみならず大人も将来を暗く考える人が
多いといえる。
それは、
危ないことを避けたり、
危なくないようにしたりするのが上手
という一面がある。
でも、
「『心配だ』『不安だ』とばかり思っていると、
 暗くもないのに、未来が暗くなるかもしれません」。
ヘレン・ケラーの言葉を引用して、
「悲観主義者が、人の魂にふれる新しい扉を
 開いたことはない」
ので、
「日本にも地球にも、いろいろな問題はありますが、
 私たち大人は未来を明るくしたいと思っています。
 みんなも、未来は明るいと考えてください。そして
 どんどん挑戦や冒険をしてほしいと思っています」
と結んでいる。


私だったら、どう答えるかな?

私なら、
未来のことは、暗いか明るいか、わからないんだ、
と言うと思う。

(何をもって暗いとか、明るいとかいうか、
 ってことも、よくわからないんだけどね)

未来というか、
明日のことも、
残念だけど、
大人にだってわからないんだよ、
と言うと思う。

これがこの質問に対する答だと思う。


さらに言うなら・・・、

でもね、この質問をくれるってことは、
あなたが心配に思ったり、不安に思ったりしているからだよね。
そういう心配や不安って気持ちをもつってことは、
あなたが自分の未来を大切に思っているからこその気持ちだよ。
自分の未来をどうでもいいと思っていたら、
こういう質問はうかばないはずなんだ。

自分の未来を大切に思っているとしたら、
大切にするための行動をしていくことが、
ベターじゃないかな?

では自分の未来を大切にするための行動って何だろう。

それはさ、
目の前のやるべきことを、
ひとつひとつ丁寧にやることだよ。

明日やるべきことではなく、
今、目の前のやるべきことを
やることなんだ。

そういう日が繋がって、
未来になっていくんだよ。
目の前の必要な行動をしていくことは、
何もしないより、
あるいは 
しないでしないための言い訳を考え続けることより、
可能性を開くし、選択肢を広げるんだ。
だって、何かをやると、
やらないよりそのことが上手になるし、
やったことはあなたの中にたまっていくからね。

でもね、
そうやって毎日を過ごしたからといって、
未来が絶対に明るくなるってわけじゃない。
その保証はないんだ。

でも、そこが大事なんだよ。
保証がなくても、
絶対ではなくても、
それでもやること、やっていくこと、
それがあなたって人を作っていくんだよ。

残念だけど、絶対に明るい未来がくるって言えない。
でもね、
明るくしていく可能性は、ある。
その可能性は、
今日の、自分の選ぶ行動にあるんだよ。

中村さんのように、
「明るく考えてください」
と言えたらどんなにいいかと思う。
でもさ、私は自分にできないことを、
「〜〜〜して!」って子どもに言うことはしたくないんだ。
だて明るく考えたいと思っても、
そう思えないこと、あるもん。

でもね、
心配でも、不安でも、明るくなくても、
そういう感情や考えは受け止めながらも、
目の前の必要な行動をやることを
選び続けることは、
自分の意志でできる。

あ〜、そうだ。
それとひとつ付け加えておかなくちゃ。
脳について研究している池谷さんが、
明るくしたかったら、
まずは笑顔でいることって言っていたよ。
だから、目の前の必要なことを、
笑顔でするってこと、
それが大事なんだね。




それをやっていってほしいし、
そのための努力をしてほしいし、
子どもがそうしていくことを、
支援をしていく責任が、
大人にはあると思うんだよ。








author : tanizawa-k
| | comments(0) |

あれこれ思うはひとの心、ふっと思うは神の心。

【2010.03.27 Saturday 14:11
池谷裕二さんの「脳を味方につけよう」という講演を
聴く機会があって、
もうすごくすごくよかった。

記憶に残っていることは、
大雑把にいってふたつ。

ひとつは
「やる気は身体で迎えにいけ」

 だから、
 やる気を出したかったらまず始めることだし。
 寝たかったら、横になること。
 楽しくなりたかったら、笑顔を作ること。
 表情と姿勢が感情を牽引したりする。

(これは行動療法の立場の私としては、
 本当に嬉しい指摘だ。
 わいてきてしまった感情そのものを
 コントロールすることはできないけど、
 行動をかえていくことで感情に影響を
 与えることができる!!!)  

 
もうひとつは
「直感の正しさは進化の中で証明されている」

 そして
 直感の元は淡蒼球、その上流には線条体がある。
 線条体は方法や手続きの記憶を司るところ。
 方法、手続きの記憶は
 繰り返しの訓練によって身に付くもの
 だから、逆にいえば直感を磨くには
 繰り返しの訓練は有効だし、
 直感は知識と経験の融合なので、
 失敗しながらも、
 知識と経験を積み重ねながら、
 繰り返しやっていくことだ。
 直感は、学習(努力)のたまもの。


話の前段には意識と無意識の話もしてくれていて、
無意識の領域の方が断然広く、
しかも、脳は思い込むことがあるので、
意識にあがってくることを簡単に信じちゃいけない
なんて話もしていて、
だからこそ、
直感の話は「ほ〜そうかそうか」となる。

人間って、ほんと、
動物なんだよなあと思いながら、
話を聴いた。


で、この小説だ。
「好かれようとしない」。

それまで恋愛をしたことがなかった主人公の風吹。
風吹の住むアパートの大家さんは、
彼女になにかと世話をやく。
たまに、教訓めいたことも言う。
そのひとつに、
「あれこれ思うは人の心。ふっと思うは神の心」
ってのがある。
これ、まさに、直感と信じろ!って意味。
池谷さんが言ってたこととおんなじだ。

大家さんは風吹と共通の友だちと共に、
「自分、なんて、大したもんじゃないのよ」とも言う。
これも、池谷さんとかぶる。
だって、
これが自分って意識している自分は、
もしかすると思い込みかもしれないし、
何しろ無意識の方がひろいんだから。


大家さんは、
片思いしている相手が自分の孫だと初めてしった風吹が、
大家さんの機嫌を取ろうと受け答えしていることを感じると、
彼女に言う。
「気に入られようとしないほうがいいわね」
「好かれようとしないことよ」と言う。

散々考えて、いろいろ策を練ったとしても、
直感のほうが正しいんだ。


風吹は家庭教師として教えている中学2年の生徒に、
両想いになるコツをきく。
彼女には両想いのボーイフレンドがいる。
で、教えてもらう。
「おまじないはあるけど、コツなんか、
 ないんじゃないの」と。


私がこの小説の中で一番好きなシーンは、
風吹が思い切って片思いの鍵屋さんを呼び出すところだ。
彼女の想いになんとなく気がついている彼は、
彼女を抱き寄せる。
彼は彼女を抱き寄せて、
「ずっとこうしたかった」
「最初からこうなると思ってた」と言う。

でも、それが嘘だってこと、風吹は気がついている。
そのシーンが好き。

「鍵屋の嘘は甘言だった。甘い言葉がいやなのではない。
 実がないから、厭なのだ。甘言をささやきながら
 動く手つきがスムーズだから、悲しいのだ。
 迷いがないのは、こうすりゃいいんだろ、
 こうされたいんだろ、といわれるのとおんなじだと
 いう感じがする」

言葉とは違うものを受け取ることは、
女性の方が得意だと池谷さんも言っていた。

言葉では「ずっとこうしたかった」と言いながら、
そうではないことを風吹がわかり、
そのことを鍵屋に伝える。
私がほしいものは、コレではないと。

しかも、彼女はその後一人になって考える。
「ほんとうの・わたし」はどこにいるのか・・・と。
鍵屋次第で揺れ動くわたしを「ほんとう」としていいのか
と彼女は考える。
そして、今日のわたしは、どれもこれも
「ほんとうの・わたし」だと考え直すのだ。

私は、風吹に池谷さんの言葉を教えてあげたくなった。
これが自分だ、なんて思うのはまぼろしかも。
脳は無意識に作話するからね。
だから、「ほんとうの・じぶん」なんて意識しなくても、
いいんだ。
たとえもし、これこそ自分だって思ったとしても、
それは意識で考えてる自分だってこと知っておくくらいの
謙虚な感じでいこう。


結局、風吹の直感はあたる。
トランクの鍵があかなくて、
困って来てもらった瞬間に感じたものは、
正解だったんだ。


池谷さんの講演とシンクロする小説だったけど、
結局、人間を描いているんだから、
脳科学のことを言葉として知らなくても、
小説は、それに沿った動きを
登場人物たちにさせていく。

そうじゃなきゃ、リアルじゃない。

池谷さんは脳の訓読みは
「なずく」と教えてくれた。

なずく→なづく→名づく

言葉にできることなんてわずかだけど、
行動の意味に名前をつけたり、
感情の動きに名前をつけたり、
頭の中での出来事や動きを
いろいろな言葉に置き換えること、
つまり、名付けることと、
そんなに無関係ではないような。



朝倉かすみさんにはまった。
今度は「ともしびマーケット」が読みたいけれど、
近所の図書館は貸し出し中なのです。
評価:
朝倉 かすみ
講談社
¥ 1,680
(2007-11-13)

author : tanizawa-k
| | comments(0) |

「田村はまだか」

【2010.03.26 Friday 18:01
評価:
朝倉 かすみ
光文社
¥ 1,575
(2008-02-21)

私はこの小説が好きだなあ。

札幌のスナックに、小学校の同窓会の三次会の
グループがいる。
グループのみんなは同級生の田村をまっている。
なかなか来ない彼を待ちながら、
それぞれが自分のこれまでを振り返る。
それを見守るマスター。彼もまた語るべき過去がある。

それにしても田村がめっちゃ魅力的だ。

小学校6年のとき、
同じクラスの班活動に協力しない女の子が、
そのことを責められて、
なげやりになりながら、つぶやく。
「どうせ、死ぬんだ。
 いつか、絶対、みんな、死ぬんだ」と。

すると、田村が彼女に言う。
「だから生きているんじゃないか。
 どうせ死ぬから、今、生きているんじゃないか」と。

そして泣きじゃくる彼女にむかって、
「どうせ小便するからって、
 おまえ、水、のまないか?
 どうせうんこになるからって、
 おまえ、もの、食わないか?
 喉、かわかないか?
 腹、すかないか?
 水やくいものは、
 小便やうんこになるだけか?」

「どうせ、死ぬんだ。
 でも今は生きているんだ。
 おれの指は動く。
 おれの足は動く。
 心臓は生きている」

「・・・泣くなよ」
と言い、
その後、彼女に、
みんなの前で告白するのだ。

「好きだよ」って。

二人は大人になって、結婚する。

その田村をみんなは待っている。


こんな田村を待っているメンバーは、
それぞれ、すごく味のあるストリーを持っている。


仕事で失敗した自分にむかって
先輩から言われた
「全速力で走れよ、きみ」
その先輩は、妙な距離感のある人で、
後輩を育てるのに計画性とか熱意とかないのだけど、
でも、このときは、彼に
一生懸命になったほうがいいと話す。
「どんな小さなことでもさ。
 一生懸命って普段からやってないと、
 さあやろうと思ったときにできないからさ」
なんて、後輩に自分を振り返らせる言葉を言う。

で、私は父親を知らない田村の父親は、
この先輩なんじゃないかな?と読んだ。

他に、
生徒のことが気になる高校の保健室の先生や、
生保の会社の支店長を勤める如才ない彼が、
かなり年下の隣の女の子のブログを偶然みつけてしまい、
落ち着かない日々をすごしたことや、

このスナックのマスターが小耳にはさんだ彼らの話を、
忘れないようにノートにメモる気持ちが
すごくわかるような、
そんな同窓会のメンバーたち。


「田村はまだか?」
と誰かが声をはりあげたとき、
できれば、
「お待たせ」って入ってくるシーンを読みたかった。

そして、
「どうせ死ぬから、今、生きているんじゃないか」と、
小学校6年のときに言った田村が、
どんな話をするのか、
続きがすごく読みたくなる。



author : tanizawa-k
| | comments(0) |

「いま『開国』の時 ニッポンの教育」

【2010.03.25 Thursday 09:17
評価:
尾木 直樹,リヒテルズ 直子
ほんの木
¥ 1,680
(2009-04-26)

評価:
リヒテルズ 直子
光文社
¥ 1,890
(2008-09-19)

オランダに住む教育研究家リヒテルズ直子さんの本を
二冊続けて読んだ。
日本の教育について問題点と改善の方法についての
提案がある。
普段、学校の中で活動していてぶつかる課題や、
心の中にわいてくる葛藤などについて、
この本のように根本的に考えていかないと、
表面的なものになってしまうと思った。

「『競争型』の教育は、落ちこぼれが出ることが前提です」
という文章があるが、本当にその通りで、
そのことが、生きづらさの元になっていると思う。

大人向けのワークショップの中で、
時々参加者の方が、
ご自身の発達上のアンバランスについて
語られることがある。
その方々は、ワークショプのどんな場面でも、
いきいきとその方らしく参加してくれている場合が多い。
もともとコミュニケーションに関するワークショップは、
どの場面でも「競争する」ってことはなく、
つまり「競争」ってものがないと、
様々な個性がその場で安心していることができ、
自分を発揮してすることができる、
そのことを強く思っていた。

つまり競争型ではなく、
共生がテーマの教育システムを作れたとき、
発達のアンバランスという個性を持ちながら、
あるいは家庭が複雑という環境を持ちながら、
勉強やスポーツは苦手という面を持ちながら、
誰もが、
自分として成長していける場が
学校となりそうだ。

日本の教育は今、
東大(というか、一流と言われる大学)をトップに、
そこをめざす三角形のシステムになっている。

その中で、
自己肯定感を!とか、
表現力を!とか、
って、
それは先生方の愛や教育的な心情からだけど、
結構きつい話だと思う。

一方で
日本の学校社会が求める理想の中、
つまり学業とかスポーツとか、
そういう中で競争はしなくてはいけないし、
でも、そういうものには興味も能力もあまりなかったとしても、
最近は自分を肯定しなくてはいけないし、
自信ももたなくてはいけないし、
また自分の意見や感情を表現もしなくてはならないのは、
本当にきつい。
子どもたちは大変なのだ。


私のところにきてくれる子どもの中には、
ゲームやア二メなどに強く興味をもっている子も多い。
「腐女子」と自分を呼ぶ子もいる。

7〜8年前くらいから、
私は時々、静岡ではツインメッセで行われる「コミックライブ」という
イベントにもいく。

そこにいくと、コスプレしている子や、
自分の店を開いて、
自分で制作したイラストをラミネート加工したカードや、
漫画などを販売する子どもたちが、
本当にいきいきと、楽しそうに、
その世界を満喫している。

学校の中では
コミュニケーションに課題を感じている子も、
「いらっしゃいませ」と笑顔で対応してくれたり、
わからないことを質問すると
丁寧に教えてくれたりする。

私は私がかかわる子が、そのことに興味をもち、
コミックライブにいくことを親から反対されているという
話をきくと、
「野球に甲子園があるみたいに、
 英検や漢検めざして努力するみたいに、
 あなたが、あなたの場で、イラスト描いたり、
 衣装を工夫することは、
 ちっとも悪いことじゃない。
 でも、未成年で、親にはお世話になって生きているから、
 話しあってほしいと私は思う」てなことを伝える。


今の学校の、東大をトップに考えた文化の中では、
イラストが上手でも、
コスプレの洋服が上手に作れても、
価値づけられないが、
彼女たちは、自分を認めてくれる場を知っていて、
そこでせいせいと自分を表現しているのだ。

そして、吹奏楽部がコンサートを開く前、
がんばって練習するように、
コミックライブでお店を出すために、
めちゃがんばってイラスト描く子も、
努力している子だ。


何を言いたいかというと、
「競争型」で子どもたちをふるいにかけていくような中では、
あまりにも狭い価値観の中で、
生きづらい人を育んでいくだけだ。


そして、教育の現場では、
先生方が、その生きづらさを抱えている子と、
向き合っている。
日本の教育という大きな枠組みが決めたことでの
弊害を、
引き受けているのは、現場の人たちだ。
これでいいのかな?と思いながらも、
受験指導されている方もいると思う。


しかも、こういう議論の中では、
よく
「でも、結局は社会に出ると『競争』の中に
 入っていくわけだし、
 このグルーバルな経済社会の中で、
 『競争』をさけて通ることはできない」
という意見がありがちだ。

その通りかもしれない。
でも、だからって、
リヒテルズ直子さんによると
「2007年2月に出されたユニセフの報告では、
 日本の15歳の子どもの、なんと3人に1人が
 『孤独を感じる』と答え」
(日本は第一位で29、8%、
 第二位のアイスランドは10、3%、
 オランダの子どもは2、9%だったそう)
とあり、
その状況は、2007年から3年たっている今も、
そう変わっているとは思えない。
このままでいいはずはない。



日本の教育が国家レベルで競争型から共生型に変わるまでの間、
私たちができることって何だろう。

私たち学校で子どもにかかわる大人は、
そのことを考え続け、
実践し続けるしかないんだと思う。



////////////////////
このことそのものではないけれど、
学校保健委員会で、
「心の健康」ってことを取り上げてくれ、
講師で呼んでくださった学校から、
生徒たちの感想が届いた。

3年男子
「自分がこれまでやってきたことは、
 感情の抑制だと思う。
 そんなことはしなくていいんだと思った。
 でも行動はコントロールしていきたい」

3年女子
「自分はいたって正常な人間なんだと思いました」

2年女子
「今生きていることも『あること』です。
 明日からも自分を知っていきたいです」

2年男子
「自分の欠点はいくらでもでてきますが、
 良いところはでてきません。しかし、それは
 自分の目線であって、他者からの目線では
 ないと思いました」

1年女子
「私の将来の夢は介護福祉士になることです。
 今99歳のばあちゃんの世話をしています。
 そしてばあちゃんの喜ぶ姿をみていて、
 夢を決めました。
 お年よりとのコミュニケーションが大事だと思います」

これ以外にも、
好きな人がいることを告白してくれてあったり、
自分ってことについて初めて正面から考えたと
書いてくれてあったり、
正直自分はバカだしすぐあきらめるけど、
話をきいていて、挨拶ができることや責任感が
あることを思い出したと「あるもの探し」
してくれてあったりする。

保健室の先生と相談しながら、
講話の内容をきめ、
先生方にはアンケートに応えてもらった。
先生方は一面識もない私の質問に応えて
くださった。


競争型のシステムの中で、
私がやれることはわずかだけど、
でも、先生方と協同しながら、
そのわずかなことに、
100%で取り組んでいきたいと思う。


今年度の活動も、
明日で終わり。

来年もやるぞ!!!








author : tanizawa-k
| | comments(0) |

「ずっとあなたを愛してる」

【2010.03.23 Tuesday 21:35
これ、かなりいい映画だと思う。

15年の刑期を終えた姉。
彼女を迎える妹。
姉妹とはいえ、
妹にとっては思春期の頃に姉は事件をおこし刑務所に入ったので、
幼い頃のかすかな記憶しかない。
妹は結婚をしていて、子ども二人と夫と夫の父親とすんでいる。
その家に姉は居候をする。

姉は離婚をしたあと、
実の子どもを殺した刑で刑務所に入っていた。
なぜそんなことをしなくてはならなかったのか、
取り調べの間も、裁判の間も、一切語らなかった。

妹も、それを敢えてきくことはせず、
姉が心を開いてくれるのを待つ。

そしてこの映画は、
心を閉ざした人が、
徐々に開いていく過程を描いた映画だ。

閉ざした心は、
誰かにこじあけようとされると、
一層頑なになるが、
ひとつひとつの交流の積み重ねで、
ちょっとずつスペースをあけていくことができたりする。
でも、それって、またいつ閉ざしてしまうかわからない
あやうさをもっていて、
そのあたりのことを、
脚本がすばらしいのか、
姉役の演技がすばらしいのか、
とてもよく表現していたと思う。

私にとってこの映画がおもしろかったのは、
私が普段の活動の中で知っているそのあやうさを、
見事に表してくれたからだと思う。
それが理由のひとつ。

もうひとつ理由がある。

それぞれの姉への接し方がおもしろかった点だ。

妹の夫は、
そうとは口には出さないが、
どちらかというと、
姉が心を開いたらちゃんとつき合おうとしているようにみえた。
今のままの姉ではなく、
心が回復したら、「姉」として信用するよ・・・的な
感じだ。

しかし、妹や
妹の養女は、
今のそのままの姉と接する。

妹はそのことを、
背景を知っているだけに努力してそうしているし、
妹の養女は、
なんの計算もなく、そうする。


もっと素敵なのは妹の夫の父だ。
彼は妻が亡くなってから、
話すことができなくなってしまっている。

姉は、自分の部屋で一人っきりでいるよりも、
彼の部屋で、
彼が本を読んでいるイスから、
少し離れたところで、
自分も本を読みながらまどろむのが
落ち着くようだ。

彼は、誰に対してもかわらない態度だ。
誰に対しても、同じような距離をもち、
同じように接する。

殺人を犯した彼女を怖がることもせず、
心を開いてあげたいというお世話もせず、
ただ、彼女が部屋に入ってくることを
受けいれるのだ。

しかも、女性として彼女を好きになる男性も
現れる。

そういう人たちの様子を見ていて、
人があることでめっちゃ使ってしまった心のエネルギーを、
ためていくには、
こういういろいろな人たちが周りにいるってことが、
大切だと思った。

妹のように、
心の回復を積極的に待つ人。
水泳やコンサートに誘い、
そのことずばりをきかないけれど、
語り合う機会を積極的に作る。

妹の夫のように、
ちょっとそういうことに
不器用な人。

それから妹の養女のように無邪気に
ありのままを認める人。

夫の父のように、
対等な人。

そして女性として愛そうとしてくれる人。

映画の中には、
保護観察官みたいな人や、
妹家族の友人たちや、
姉妹の母なんかもでてくる。

そういう
人としてのゆるやかな、
自然な集まりの中でこそ、
エネルギーはたまっていきやすいのではないか。


そんなことを考えたのです。







author : tanizawa-k
| 映画 | comments(0) |

私の「あり方」。

【2010.03.22 Monday 20:06
 「TRUE  COLORS」の基礎講座の最後のワークのことを、
考えている。

その頃になると自分の第一カラーが何か、
それぞれが分かってきている。
で、一チーム5人のチームを作るんだけど、
そのときなるべく第一カラーが4色そろうように
集まる。
で、チームでひとつの何かを作るというワークだ。

ワークの目的としては、
カラーによっては苦手な部分があるが、
その苦手な部分は、そのことに強いほかのカラーが
補えばいいことを実感することだろうと思う。
つまり、カラーによって個性があるが、
どのカラーも大切だし、
お互いが生かし合うことの素敵さを
味わうのだ。

私たちのチームはあるストーリーを作って劇をやった。
私は司会進行の役になった。
そして、
登場人物の役と、
その役に設定した第一カラーを紹介した。


そのときの私の「あり方」が、
今思うと
すごくイヤなんだ。

私はそのとき、
各カラーの特徴を濃縮した登場人物たちを
「頑固で、自分の計画をじゃまされたくないゴールドの父親」
「すっとんきょなことを言うオレンジの母親」
など、
ネガティブな紹介の仕方をしたのだ。

「計画がずれても、しばらく時間をおくと
また段取りをとるゴールドの父親」とか、
「明るく行動的で、積極的なオレンジの母親」とか、
そういう紹介の仕方もできたのに。

こういうときに、
人の「あり方」はあらわれてしまうと思う。

私はその日の帰りの新幹線から、
度々、このことを考えている。


昨年度、
思わぬところで褒めてもらえたことがあった。
講演の最中に主催者の方のミスが発覚したときの、
私の態度をほめてもらったのだ。

そのときに、
「講演で何を言うか」も大事だけど、
それよりももっと大事なものは
「講演者のあり方」かもしれないと思ったんだ。

私の中で
「失敗は誰にでも起こるし、
 失敗がおこったら、
 その後どうすればいいか考えればいいだけ」
という考えが、心底根付いていて、
それでそれは「あり方」になったんだと思う。



しかし、このワークのときの
司会進行をする私は、
「他と違うことは素敵なこと。
 違いを生かしていくことが大事なこと」
ということが心底分かってはいなかったような、
そんな気がするんだ。




ま、ここまで考えがはっきりしたら、
あとは、
そのことを生活の中で生かすだけだ。

考えが違う人がいたら、
その考えを分かろうと努力してみたりするんだ。

そういう毎日が、
私の人としての「あり方」に
繋がっていくんだと思う。


そうなると、
「違う人」に会いたくなるから不思議だな。
会えないとトレーニングできないし。





author : tanizawa-k
| コミュニケーション | comments(2) |

ひと皮むいてみました。

【2010.03.21 Sunday 20:50
実家で過ごしていたころ、
毎年大晦日にやっていたことがある。
床屋さんにいくことだ。

うちの隣が幼なじみの家、
細い路地があり、
美容院があって、その隣が床屋さんだ。

その床屋さんに顔と襟足を剃ってもらいにいくのだ。

昼間のうちにまず祖父がいく。
祖父が帰ってくると父がいく。
父が帰ってくると私と妹がいき、
家業を終えた母がいく。

元旦に必ず着物を着せてもらっていたから、
そのためもあったし、
一年の最初をきちっと迎えるって意味も
あったと思う。

しかし、12年前に
実家をなくしてから
(っていうか、自分で始末したんだけど)
床屋さんにいくことがなくなってしまった。
そして時々、
あの泡の香りや、
カミソリが顔にあたる感じや
熱いタオルを顔においてもらう感覚を
懐かしく思っていたのだ。


で、今日清水の三保にある「長澤理容室」で
きれいにしてもらってきた。
ここはひょんなことからホームページをみつけた床屋さん。
 http://www.nagasawa-perma.com/

女性がやっているらしいことと、
建物の感じやインテリアが素敵だ。
何よりも、
その女性が、葛藤しながらお父さんの仕事を継いでいる
ところに惹かれてしまった。

私は父が死んでしまったあと、
家業を廃業した。
考えて考えて、本当に考えて選んだことだが、
当然、継続する選択肢もあったわけで、
それをしなかった自分を、
一年に一度は考える。

父は3月31日に亡くなったことから、
3月ってのは、
その時期。

「長澤理容室」の娘さんは、
悩みながら、継いだ。
そして単純に継ぐだけではなく、
自分らしく継いだ。

彼女は悩みながらロンドンに旅行して、
ロンドンの床屋さんに行って、
紳士たちが自分を磨く場所としての床屋さんのあり方を
知って、納得を重ねながら継いだんだと思う。


その方に顔と襟足を剃ってもらった。

スチームをいっぱい浴びさせてくれて、
顔は丁寧にマッサージしてくれるし、
眉毛も整えてくれた。

とってもさっぱりした。

彼女は立派だなあ。
がんばっているなあ。
素敵だ。




で、
私は確かに家業を続けることを選ばなかったが、
そのことを、
いっぱい考えた上で自分で選んだってことを、
もう一度確認する。
そうなんだ。
あの時、もう必死で考えた。
そして選ぶってのも、ものすごくしんどかったけど、
自分で選んだ。
なんでも「閉める」ってのは「始める」より大変っていうけど、
会社ってのもそうで、
でもそれをいろいろな人に助けてもらいながら、
やった。

っと自分を、そんなふうに慰めてみる。

選択したことに責任をもって生きていくんだけど、
やっぱり彼女みたいにがんばっている人と会えると、
継続は力だなあと思う。

いやあ、このことも、さんざん考えてきたことだけど、
まだまだいろいろな気持ちがわいてくるなあ。




今日は本当にさっぱりとした。
これで2625円。
マッサージや眉のことを考えると、
かなり価値ありだと思う。








author : tanizawa-k
| 日常 | comments(2) |


谷澤 久美子
counselor