恩はきるもの。 【2010.03.31 Wednesday 14:44】 |
普段、夜中に目が覚めるということは まったくない私だか、 3時すぎにぱっと目が覚めた。 ひとまずトイレにいくことにして、 からだを起こした途端、 もしかしたら父はこの時間に亡くなったのかな? と思った。 今日は13回目の命日だ。 お墓参りをして、 自宅に戻り、 父の文字を見るために、 父の手帳や父が私にあてて書いてくれた手紙を見た。 手帳は96年と97年のものが手元にある。 「人を思うと書いて偲ぶと読む」とか、 「人の言と書いて信じると読む」とか、 書いてある。 その手帳は仕事の用事もプライベートのことも、 いろいろ書いてあるが、 心情は一切なく、 記録のようなものになので、 その言葉を書き留めた背景はまったくわからない。 でも、それを書いたってことは、 そこに書かざるをえないような 出来事があったのかな?なんて思う。 誰かが、 もしかすると私が、 そのちょっと前に 何か調子のいいことでも言ったのかもしれないし、 父が亡くなる何年か前から親しくしてくれていた 女性がいたから、 その方との間の何かで、 こういう言葉を記したのかもしれない。 手帳の中に 大切にはさんである紙は、 妹が父のためにデザインした 名前のサインだ。 父は妹の作ったサインをとっても気に入っていて、 ジャケットの内ポケットあたりに名入れをしてもらう時は、 かならずそのデザインで刺繍してもらっていた。 「不器用に 使う割り箸 世の中に とらわれすぎずに 生きてゆかん」 という短歌?は、 父が作ったものか、 どこかで見てメモったものなのだろうか。 父が作ったものではなかったとしても、 ぶきっちょだった父が、 この歌に共感した気持ちが私には よくわかる。 商家の長男に生まれて、 勉強ができたのに大学進学をせず、 大阪に丁稚奉公にいき、 そのまま故郷もどり、 商家の長男の役目をやり遂げた父。 そういえば、割り箸を割るのも、 下手だった父。 世の中のこうあるべきや、 周りからのこうしてほしいという期待に、 「とらわれすぎずに 生きてゆかん」の 「とらわれすぎず」ってところが、 すごく父らしいと思う。 「とらわれないで」ではなく、 「とらわれるんだけど、とらわれすぎないで」という そこのところが、 すごく父なんだと思う。 あ〜やばいやばい。 泣けてくる。 私へ書いてくれた手紙の封筒の中に、 一枚のメモ書きが入っている。 それを、父が私に読ませたくていれたのか、 あるいは私が父の遺品を整理しているときにみつけて、 なくならないようにその中にいれたのか、 もうわからなくなってしまったのだが、 とにかくその紙があって、 それには 「恩はきせるものではなく、きるもの」 と書いてある。 父は嫁に出た私に、いろいろ買ってくれた。 着物も買ってくれたし、 私の宝物のひとつである時計は、 カルティエ・タンクアメリカン・クロノグラフという 今の私には絶対に買えないものだけど、 それも父が買ってくれた。 日曜のたびに、 夫と私を外食に誘ってくれたし、 今の私たちの暮らしの中では 考えられない贅沢をさせてもらった。 父は私にいろいろしてくれていて、 それでも私はちっとも感謝を表さないし、 してくれて当然!的な態度だったから、 時々頭にきたんだろうか。 時々頭にきて、 もう何も買ってあげないぞとか、 御馳走も一切しないからなとか、 心の中でそんなことを思って、 でも、きっと心優しい父だから、 私のことを、いろいろ思って、 私なんかの、いいところを いろいろ思い出してくれて、 そして 「恩はきせるものじゃない」って、 自分に言い聞かせたんだろうか。 父は母が死んでしまったあと、 母の兄弟たちとよく遊んでいた。 彼らは古いお寺をみたり、 焼き物や掛け軸などを見る事が好きだったから、 京都や鎌倉にいったりしていた。 手帳にはさんである写真の中の父は、 おじさんたちと、 すごくいい笑顔だ。 父にも、そういう時間があって、 本当によかった。 私は父の恩に報いることができなかった。 母を亡くしたあと、 どんなに不安で心細くて、 ひとりぼっちで、 つらかったかと思う。 飲めないのに、父の枕元には ブランディのボトルがあった。 その時こそ報いるチャンスだったのに、 父に何もできなかった。 私もあのとき、 母を亡くしていっぱいいっぱいだったんだ。 今なら、多少のことはしてあげられたのに、 そんな今は、 こうして父を想うことしかできない。 私はあの頃、 父が夕飯を食べ終わるのを待って、 帰宅していた。 だから父は、私が少しでも早く帰れるように、 すごく早い時間に夕飯を食べてくれていた。 そして楊子をくわえてシーシーしながら、 私にひと声かける 「もう、いいぞ。 気をつけて帰れよ」 私が父からもらったものは、 着物や時計や贅沢な食事だけじゃなく、 そういうことだ。 父が常に私を想ってくれて、 私のために気を使ったり、考えたりしてくれた、 そのことに、 私は報えなかった。 恩は 「因」と「心」でできている。 注いでくれた時間や声の因(もと)を、 私が心にもっておくこと。 そして、 父には報えなかったけど、 いっぱいもらっている恩は、 恩送りしていくことだ。 お墓にむかって、 「ちゃんとやってくよ」と 言ってきた。 |
author : tanizawa-k
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