2010年02月の記事 | 今のところではありますが…
相手を責める必要がなくなる時。

【2010.02.28 Sunday 00:21
私がコミュニケーションの講座を受講した最初の動機は、
子どもに正しいコミュニケーションの方法を教えたかったからだ。
子どもに教えるために、自分が学ぼうと思って受講した。

しかし、受講してすぐに、
教えるなんてとんでもないと思った。
自分がまったくできていないことに気がついたのだ。

それまで私は自分のコミュニケーションに改善が必要などと
思っていなかった。
なぜなら、周りの人とうまくやっていたからだ。

しかし、それは表面的なものだった。

私がうまくやっていると思えたのは、
表面上は誰とでもつき合えるからだが、
それは私自身が「いい人と思われたい」という目的のために、
依頼されたことを断らなかったり、
「仕事ができる人と思われたい」という目的のために、
能力のなさを時間で、率先してカヴァーしていたからだけだった。
そして、強く自己主張をする人がいると、
「あの人はわがままだから、ここは私が大人になっておこう」とか、
価値観が違う人との話し合いの時には、
「困った価値観の人だけど、チームとしてまとめることを
 優先しよう」とか、
今思えば、全く不遜なことを考えていた。

そんなことをしていた私は、
コミュニケーションの学びを初めて、
「あなたはどうしたいの?」
「相手とどういう関係になりたいの?」
「どう感じているの?」
という問いかけに答えられない自分を知った。

コミュニケ−ションのスタートが、
相手によく思われたいとか、
相手がこういうからとか、
相手の考えはそれだからとか、
いつも相手から始めていたので、
自分を起点に、
私はどうしたいか?
私は相手とどういう関係になりたいか?
私はどう感じているか?
は新しい考え方で、
そんなこと全く考えたこともなかったから、
本当にびっくりしたのだ。

そんな学びを続けていくうちに、
以前は、
表面的にうまくいっていると考えていた人間関係が、
それはまやかしだと強く思うようになった。

なぜなら、私は心の中で相手を責めていたのだ。

私がこれだけ相手のことを考えているのに、
私のことはちっとも考えてくれない!!!

仕事のことでうまくいかない点ばかり言う人を、
「文句ばっかり言う人」と言う風に、
上から目線でみていたと思う。



そして私の変化は、
本当にささやかなところから始まった。

たとえば美容院でシャンプーをしてもらうとき、
流し足りないところを
「もう少し右の耳の後ろを洗ってください」と言った。
デパ地下で、試食をしたあとで、
「私はいい味だと思うんだけど、
 家族は食べないと思うので、
 今回はやめておきます」と断った。
早く帰宅したい日は、
仕事場に到着後すぐに帰宅したい時間を
担当の方に伝えた。
友人が誘ってくれたコンサートを、
その日に他の用事はないが、断った。

そうなると、どういうことがおこるかというと、
まずは、
ささやかな場面であっても、
明確に言うことができた自分を、とっても嬉しく感じる。
そして、
相手のことを責める必要がまったくなくなっていることに、
ある時気がついたのだ。

なんでこの美容師さんは、ここに気がつかないの!
と相手を責める必要がなくなったし、
試食をすすめた定員さんが悪いと、
考えなくてもすんだのだ。


そうして、段階はすすむ。

そういうことが積み重なると、
本当に人っておもしろいと思うのだが、
自分のことを、自分で
ますます認められるようになるのだ。
そうなると、失敗しても、うまくいかなくても、
自分のことを認めているので、
またやればいいか・・・と安心していられる。

そして、
自分以外の人全般について、
責めたり、なんとかしようとしたり、
そんなことをする必要が、
まったくなくなるのだ。

なぜなら、その人も、
自分の意見や考えや感情をもっている一人の人だと、
本当にわかるから。

違いは、話し合っていけばいいのだから。

そして、自分を起点に考えていけばいいのだから。



自分のことも責めなくていいし、
相手のことを責めなくていい。

それって、
心底安心して
生きていけることだと思うんだ。

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1年生が6年生を勇気づける。

【2010.02.26 Friday 18:33
 今日は普段活動をしている小学校の
「6年生を送る会」を見学した。

5年生が中心になってすすめる初めての行事らしく、
5年生のある男子児童から見に来て!と誘ってもらえたのだ。

彼が制作にかかわった
卒業する6年生が小学校に入学したときからの写真を、
スライドショーのように映し出す画面はすばらしかった。

2年生はボンボンをもってエールを送り、
3年生は歌を歌い、
4年生はクラブ活動の先輩たちへ、
感謝の言葉を送っていた。

そして1年生の番だ。
これが本当にすばらしかった。
一人一人の1年生が、
自分とペアを組む6年生の名前を呼び、
その6年生が起立してくれたところで、
思い出や感謝や感情を語るのだ。


「○○ちゃん。◇公園に手をつないていってくれたね。
 一緒にお弁当を食べてくれて嬉しかったよ。ありがとう」
「○○君。朝、縄跳びを教えてくれてありがとう。
 おかげでぼくは前飛びができるようになったよ。
 優しく教えてくれてありがとう」
「○○さん。お絵描きを一緒にしてくれたとき、
 髪の毛の塗り方を教えてくれたよね。
 それから上手にぬれるようになりました。
 大好きだよ」

一人一人が、一人一人の名前を呼び、
具体的な場面を思い出しながら、
語りかける。

私たちは大人になるにつれ、
「いつもお世話になります」なんて言葉を覚えて、
いろいろなことをひとくくりにして感謝を伝えたりする。
「ご面倒おかけします」なんて言葉を使い、
迷惑かけたことをおおまかに謝る。

ではなくて、この一年生の子どもたちは、
まるで、そのときのことが目に浮かぶように、
「私がころんで困っていたときに、
 一緒に保健室にいってくれたよね。
 うれしかったです。ありがとう」
と言う。

1年生の語りかけを聴いていて、
6年生の子が顔をハンカチで覆う。
私も、感動で涙がこぼれてくる。


最後に児童会の引き継ぎをしていた。
6年生が5年生を励まし、
5年生は自分たちだけでやっていく不安と、
でも、がんばっていくという決意を話す。


いいなあ、心が洗われるなあ。

6年生のお姉さん、お兄さんのように、
かっこよくなりたいです。
責任感をもちたいです。
みんなのお手本になる上級生になりたいのです。

そんな風に素直に、
ストレートに相手に賛辞を送り、
そして自らを鼓舞すること。
いつの間に、
どこかにおいてきてしまったのだろう。


1年生の子が
「○○さん。
 一緒に遊でくれて、楽しかったよ。
 私のこと、忘れないでいてね」
と言っていた。

忘れないで!と、口に出せること、
なんて、なんて素敵なんだろう。


言葉の種類、数なんて関係ない。
スキルも道具も、
彼らにはいらない。


心からの言葉は、伝わるのだ。


///////////////


とは言いながら、
明日あさっては、
静岡でコミュニケーションの講座の講師をつとめます。
いろいろ、さまざまなものをまとった私たち大人が、
自分の感情や意見を、
相手を尊重しながら伝える方法をファシリテートします。

今を生きる私たちにとって、
持っていたほうが生きるのに生きやすい道具だと
思います。




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涙が出る時。

【2010.02.25 Thursday 20:58

今回のトヨタの件は、まったく疑問だらけで、
日本が環境対応の車に減税したことで、
アメリカの車が日本で売れなくなっていることと、
リンクしているように思えてならない。
ま、とにかく、
トヨタの社長がアメリカの議会で、
選挙をひかえた議員たちの追求にあい、
その中で証言をした。

その後、
ワシントンで開かれたトヨタの関係者の集まりに
出席した社長。
たくさんの販売店や社員の方々の温かい雰囲気の中
「私は独りではなかった」とスピーチしながら
涙ぐんだ。

その後販売店の代表のアメリカ人の男性が、
「私たちはトヨタの販売店であることに
 誇りをもっている」と言うと、
涙があふれていた。

厳しく追及されている時には
気丈にふるまっていた社長は、
ねぎらいの雰囲気と言葉の中で、
涙を流した。

涙って、そういう時にでるものだ。


中学生も、
何か問題の行動をしたとき、
先生から叱られているときには、
どちらかというと反抗的な態度をとっていても、
「おまえも辛かったよな」と、
心情をくみとってくれるような言葉を
かけられると、
目が赤くなってきて・・・
という場面を見る。


人って
わかってもらえた!
わかってくれようとしている!
という時に心が開く。
涙は、最大の自己開示。




先日の土曜日、育ててもらった街で講演をしたとき、
緊張して話しているときではなく、
講演の後、小さな頃からお世話になってきた方々が、
優しい言葉をかけてくれた途端に、
涙を押さえることができなくなった。

クッキーの詰め合わせや、

フラワーアレンジメント、

他にも手作りのパンや金山寺味噌をいただいた。

用意をしてくださったこと、
土曜日の午後、優先順位の一位を、
私の話(しかも2時間も)にしてくれたこと、
そのことで、
帰りの車の中では、
涙があふれて仕方なかった。


その日のことを話すと、
父が
「おまえが幸せに暮らしていることを、
 見せられてよかったな。
 富士川町の人たちに安心してもらえて
 よかったな」
と言ってくれた。

それでまた私は涙涙だ。





人は責められて心のシャッターをおろし、
わかろうとしてもらえて、少しあけ、
わかってもらえた!と思えたとき、
全開にできる。

私が周りの人にしてもらっていることを、
私も誰かにしていかれたらいいな。


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AかBか、ではなく。

【2010.02.23 Tuesday 21:38
小学校の校長先生と話していて、
素敵な話を伺った。

学級会のあり方で、
新しい考え方があるのだそうだ。

今までは子どもたちの中からA案とB案が出てきた場合、
話し合ってどちらかの意見に決める。
最終的には多数決で決めてきたことも
多いと思う。
ところが最近、
A案とB案がでてきたら話し合って、
お互いの意見を組み合わせ、より良いC案を作ろうという、
そういう学級会のあり方が提案されているのだそうだ。

私は、それに全面的に賛成だ。
素晴らしいと思う。

よく運動会などで勝敗をつけなかったり、
劇の主役をたくさんの子どもに分ける・・・という考え方には、
私は疑問で、
競争や勝敗をつけることすべてがよくないと
思っている訳では、全くない。

しかし、言葉を使って勝負をするという、
ディベートというものは、
どうも好きになれなかった。
(でも、これはテレビで、
 高校生の大会を見たぐらいの知識)
相手の論理の隙をついたり、
矛盾を探したり、
つまり相手のマイナス点を指摘していくことが勝利に繋がる。
言葉を道具として行い、
勝った負けたにするところが、
さみしい感じがしているんだ。

自分の意見をもつことはすばらしいし、
誰かの意見に賛成しかねるのも、
これまた悪いことではない。
でもだからって、
言葉を使って相手をやっつけなくてもいいと、
そんなふうに思っていた。


私は話し合うことは、
勝ち負けを決めることでも、
どちらが正しいかを認定することでもなく、
アイディアを交換することだと思っている。



今日、ある学校での会議は、
いつもの情報交換の会議ではなく、
問題解決のために一歩踏み出す会議にしようということで、
実施した。
その会議に参加してくれた
問題を抱えていた先生が、
終了間際、
参加してよかったと言ってくれた。
学期初めだったらもっとよいと思うので、
来年度初めにもやってほしいと言ってくださった。

私は、
こういう会議をやると学校が決めてくださった時から、
ひとつ目標があって、
それは問題を抱えている先生が、会議に参加したことで、
よかった!とか、
明日からひとつやるべきことが見えた!とか、
そういうことを感想にもって終われるような
そんな会議ができたらなと思ってた。

問題を抱える先生が、
みんなからやっていないことを指摘されて落ち込んだり、
明日からの課題が重すぎて一層苦しくなるような、
そんな会議ならしない方がましだと思っていたんだ。

だから、その先生が、
もっと早く出たかったのようなことを言ってくれたとき、
あ〜よかったあ!と思った。


この会議は、
何が正しいかとか、
誰が悪いかとか、
そういう犯人探しの会議ではなかった。
今できることは何か?
なぜそれが効果的なのか?
他の先生の立場では、これまでにたようなケースで
効果的だったことは何か・・・
というような視点に、みんながたっていたように思う。



小学校の学級会の話し合いで、
どちらの意見のほうがより価値があるかではなく、
両方の良いところを生かし合って、
AやBよりもっといい案に育てようという、
そんな経験をいっぱい積んでくれるようになったらいいなあ。

そのために、私にできることは何かな?
夏の先生方の研修時期までに、
そんなところに視点をおいたプログラムを作ってみたい。

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「インビクタス」

【2010.02.22 Monday 17:55
やっと「インビクタス」をみることができた。

この映画は
マンデラさんが27年間の投獄生活から釈放され、
初めての民主的な選挙を経て大統領に選ばれ、
南アフリカ共和国の方向性を示さねばならない
大切な時期の頃の実話。

自国で行われるラグビーのワールドカップにおいて、
弱小だった代表チームを初優勝に導いた、
マンデラさんのリーダシップについて描いた映画だ。

そのリーダーシップとは、
「ぶれない」姿勢だと思う。

この映画で描かれていることでいえば、
何がどうぶれなかったかというと、
「白人と黒人という人種を分ける考え方はしない」
ということに関してだ。
このことに関しては、
どんなに信頼を寄せる人の助言も、
家族の言葉さえも、
これを揺るがすことがなかった。

このことを守るために、
彼は、その時期の黒人が持ちがちな考え方、
仕返し、復讐を、徹底的に避けることをした。

共に働くことに危惧を抱き、
前政権の雰囲気が色濃く残るラグビーチームを
嫌う黒人たちに、
「許しこそ和解をすすめる唯一の方法だ」と諭し、
「今は卑屈な復讐を果たす時ではない」と説いた。

南アフリカ共和国が抱える問題を、
未来にむかって解決していかねばならないときに、
お互いは、
和解し、協力しあう存在でこそあり、
敵対している場合ではないことを、
一貫して通したのだ。

私は
そのことに、泣けて泣けてしかたなかった。

だって、その意志が本物なのだもの。
そして、そういう本当のことの前では、
卑屈な考え方や、
不当な方法は、
賛同を得られない。

そして、彼のすごいところは、
その象徴的なものとして、
このラグビーチームに光を当てたところだ。

白人たちが大切にしていたもの(チーム)を
取り上げてしまうのではなく、
それを大切にしていくことを自らがまず見せて、
そのうちに白人も黒人もなく、
みんなの大切なものにしていく。

それは、27年間の監獄での生活の中で、
看守である白人たちをよく観察し、
彼らのことを理解しようと努めていたからこそ、
ひらめいた考え方だと思う。




マンデラさんの27年間の監獄での生活を支えたのは、
「インビクタス」という詩だったそうだ。

「私が我が運命の支配者
 我が魂の指揮官なのだ」

からだを拘束することはできても、
心までを制服することはできない。
自分の考え方は自分が決めるし、
どう受け止めるか、このことをどう生かすかも、
全部自分の選択することだ。

というような意味なんだと思う。

この間再読した「夜と霧」にも通じる。


そして、今回嬉しかったのは、
マンデラさんのフランクな人柄がわかったことだ。
秘書の女性の服をほめ、
警備にあたってくれる人の家族を気遣い、
そして、時には女性をくどいたりもする。

強くぶれない信念を、
やわらかくおおらかに
表現していく彼が、素敵だ。

映画として惜しむらくは、
チームの精神的な成長を、
もう少し丁寧にみせてもらえると、
もっとよかったかも。
マット・デイモン扮するチームのキャップテンの変化は
よくわかったが、
彼が変化していくことで、
チームのメンバーたちが変わっていく過程は、
もう少し見たかった。

とはいえ、
そんなことはほんのささいなことって言えるぐらい、
すばらしい映画だった。
いや、映画がすばらしいっていうよりは、
この事実、
マンデラさんという人が、希望だ。



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感情は、メッセンジャー。

【2010.02.21 Sunday 20:58
今日の「龍馬伝」もよかった。

岩崎弥太郎の父親が水の配分に異議を唱え、
反対に瀕死の重傷を負わされる。
念願だった江戸で勉強に励んでいた弥太郎は、
それを知り、とにかく必死で戻る。
そして庄屋や奉行所に申し出るが、
公正な裁きをしてもらえないことから、
藩の実力者のところに談判にいくことにするが、
結局はどうにもならない。

そのすべての過程で、
龍馬は弥太郎の家族を助け、
自分の命も顧みずに動く。

その訳を弥太郎から訊かれたときに、
龍馬は言うのだ。

「おまんが、あれほど行きたかった江戸から、
 必死になって、ぼろぼろになって戻ってきたとき、
 ふるえたんじゃあ」

そうなんだよなあ。

ふるえるほどの感動、
そして時には怒りってものは、
それがあるからこそ、
行動に繋がっていく。

飲酒運転の厳罰法制化をすすめたご夫婦は、
ご自分の子どもさん達を、
お酒を飲んでトラックを運転していた人に殺された。
その怒りと悲しみから、
彼らは、地道な署名運動を開始された。

さまざまな差別が、
制度や法律上は、改正されてきたのも、
差別の受けてきた方々の怒りは、
間違いなくあったと思う。

先日、
酔っぱらってホームから落ちてしまった女性を
助けた男性も、
「ヤバ!」とか「困った」とか、
何か言葉にはならない感情がからだの中を流れ、
それで、線路に飛び降り助けたんだと思う。
思考から動いたのでは、
とっても間に合わないタイミングだった。




そして、私の尊敬する峰子さんだ。

空色庵の「空のつづきはアフリカ」の峰子さんだ。

彼女は、
まさに、心の震え、
それは時には
からだが震えが震えるほどの怒りを、
明日への行動に、自ら起こしていく人だと思う。

彼女の記事
「ユミコチャン、元気にしてますか?」を
読んで、私はますます、
彼女が好きで、どうしていいかわからない。

南アフリカに住む峰子さんは、
知人を通して、
日本に住む中学生のユミコチャンがいじめを受け、
その上、そのユミコチャンに対し、
まるで追い打ちをかけるかのように、
やってはいけない対応を大人たちがしたことを知る。

いじめのひどさもあまりにもひどいが、
大人たちの対応の、
人としてのお粗末さと、
大人としての情けなさに、
峰子さんがどんなに悲しさと怒りを感じたか、
すごくわかる。

そして、そこからが峰子さんのすごいところだ。

悲しさや怒りを、
彼女は、「なんとかしなくちゃ!」と
日記に書くだけではないのだ。

彼女は自分の友人、知人に声をかけ、
彼女を応援するネットワークを作り、
彼女の心に寄り添う。

私は、その記事を読んで、
コメントを書きたいのに、
書けなかった。
あまりの志の高さに、
なんと書いていいのかわからなかった。

今もわからないまま、
頭にあることを言葉にしているだけだ。

でもとにかく、
彼女の高邁な生き方に
本当に本当に敬服している。





「建設的な生き方」のレイノルズ先生は、
「感情はメッセンジャー」と教えてくれた。
感情の向こう側には、
目標があり、それと現実が違うからこそ、
感情がわく。
いわば、ネガティブな感情がわくということは、
現状では満足していない、
現状には違和感があることを、
自分に気がつかせ、
その向こう側にある目標を確認させるものなんだと。




格差の問題を語っているだけではなくて、
峰子さんはお弁当屋さんを、実際に開いた。
一人でも多くの人に働き場所を!を考える峰子さんの、
行動なんだ。



人間の
感じる力
考える力
行動する力
という3つの力の中の、
感じる力ってのを、
軽くみてはいけないのだ。

なんとかしなくちゃ!
私がやらなくちゃ!と行動を起こすその前には、
現実を見て猛烈に腹がたつなどの、
熱い感情があるからこそだ。


とっても離れた所に住んではいても、
峰子さんの熱さは、
私にしっかり伝わってくる。
とっても近くにいてくれる気がする。
そして
あ〜私もがんばろうと思う。

私も、私の中にうずまく感情を、
行動にうつしていかねば、もったいないのだ。
わかってはいる。


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健全さを保つための無理

【2010.02.20 Saturday 10:06
今日はコミュニケーションについての講演のために、
富士川町(現在富士市)にいく。
ここは私の生まれたところで、高校卒業するまで過ごし、
その後大学は東京に出て、2年間東京で働き、
またこの土地に戻り、
結婚するまでの間も住んでいた。
結婚してからは住居は変わったが、
仕事場はここにあったから、
12年前までは深く関わり、
本当にお世話になった大切な土地なんである。

大切なんだけど、同時に、
せつない想いの土地でもある。
そこに住んでいた頃のことを考えると、
ちょっとだけ息苦しくなる。

というのは、
親からの期待に応えようとした、
過剰適応を自分に課していた時代を過ごしたからだと思う。
いや、親は悪くない。
親はあの頃は当たり前だった親をやっていた。
毎日一生懸命に働いて、
私と妹を育てた。
しかし、私は親の期待する子どもをやることに必死で、
表面的な健全さを保つために心の中では相当無理をしていた。

大勢の家族の中での母親のやっていることを見て、
「もめごとを起こさず暮らすことが一番大事」と、
私は知っていたし、
「自分のことよりも他人に気を使えることが大事」で、
そのために、本当に近い人、
母の場合は父に対し、時々いやな態度をとっても、
それはそれで許されることだということを、
私は見ていた。

で、それが私の人間関係を構築していくときの、
価値観として私の中にしっかりと根付いた。

表情は笑顔で、
心の中ではまったく違うことも考えることができたし、
反対意見は自分の中に押し込めた。
そして時々安心できる場で爆発したんだと思う。

それに耐えられなくなって、
大学は何がなんでも、実家を離れたかった。
そういう逃げ方を知っていたから、
私は壊れずにすんだと思う。


そして、私が自分を抑圧することは、
私の母が悪いわけでもなければ、
父が悪いわけでもなく、
二人とも、
その上のお互いの両親から受け取ってきたものを、
私の前でやっていただけだと思う。

今はそのことはもう、すっかりと理解している。
そういうことすべて、
私の中でよく考えてきたし、
片がついていることなんだけど、
それでも、その土地にいき、
コミュニケーションについて話すということは、
正直しんどいことなんだと思う。

息苦しいのは、そんな訳だ。
「ちょっとだけ」の意味は、
整理はついているからだと思う。


その土地で、
自他尊重のコミュニケーションについて、
私はこれから話すのだ。

人生は私にこの場を与えているとも思う。

フランクルも書いているし、
ユーミンだって、
歌っている。
♪傷ついた日々は彼に出会うまでの
 そうよ、人生が用意してくれた大切なレッスン♪
高橋選手のトリノは、
バンクーバーで銅メダルをとった今、
なくてはならないシーンだった。
(ま、万が一メダルを取らなかったとしても、
 重要でない時なんて、ひとときもないんだけど)


考えてみれば、
世間や家族の中のバランスを保ち、
健全さを表現しながら心の中で無理を重ねたあの日々は、
私がコミュニケーションのことを伝え続けていくための、
重要な根拠のひとつだ。

その土地で、
「あなたはあなたを大切にしていい」と
伝えてくるのだ。



今回のレッスンは、
「あなたは、自分のことが大嫌いだったときをすごした土地で、
 しかも、
 その当時のことを知っている人がいるかもしれない中で、
 人々に自分を愛することのすばらしさや、
 そのために知っておきたいコミュニケーションの
 あり方を伝えなければなりません。
 さて、あなたはどうする?」という問いかけだ。

私の答は、
「複雑な感情が自分の中にあることを、
 ありのまま認め、
 それでも、今の私にできること、
 つまり、
 誠実に、率直に、対等に、
 話をするってことに責任をもって
 臨みます」
だ。





あ〜こうやって、
感じていることや考えていることを、
言葉に変えていくことって、
すっきりとするものだなあ。

準備は整った。


まずはお墓参りをして、
会場に入ります。









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痛っ!

【2010.02.18 Thursday 20:39
 ほぼ日手帳のカズンについてきた
「365の日々の言葉」を読むのが楽しみ。

今日2月18日は
吉本隆明さんの言葉で
「自分もときどき
 威張ってないつもりなんだけど
 威張ったようなことを言ったりしますから、
 あまり人のことを言えないわけですけど、
 その都度内心で『しまった』というふうに、
 『思う人』と『思わない人』がいると思います。
 そこしかないですよ。
 あとは区別すべきことは何もないと思います」
だった。

あ〜、その言葉、今日の私に痛い。

スクールカウンセラーとして、
話をしているとき、
はっと気づくと、
ちょっとエラそう系に
なってしまっているっぽいときがあるんだ。

特に先生方に対して、
そういうことをしてしまうことがある。

私の立場と役割で、
カウンセラーとしての視点で話しを求められることがある。
専門家としての意見を求められているのだから、
その役割を担うことは当たり前の仕事だ。

でも何か、必要以上はじゃまなんだよなあ。

時々そうなってしまう自分に、
ちょっとがっかりしてしまったりする。



昨日の毎日新聞の万柳の中に
「品格を言う我々の品格は?」ってのがあって、
それにも、
本当にそうだよなあ!と思った。

何かを口にするときに、
それを言う資格が自分にあるかと問うと、
怖いなあ。



今日は国母選手についてどう思うか?という
街頭インタビューをテレビで流していて、
いろいろな方が、
「演技はすばらしかったけど、
 代表選手としての自覚はない」
という意見を言っていた。
それを見ながら、
他者の行動を見て、自覚が足りないと言えるってのも、
考えてみると、怖いことだなと思ってしまった。



私は中学高校とミッションスクールだったので、
聖書を読む機会があった。
マグダラのマリアが広場で群衆に囲まれ、
姦通の罪を咎められ、
石を投げつけられそうになっているとこに、
キリストは、
「あなたたちの中で、
 まず、罪を犯したことにないものだけが、
 石を投げない」と言った。
そして誰も投げられなかったというシーンがある。


人を咎める前に、
自分はその言葉を言うだけのことをしているか、
自分に問いかけないと、だめだなあ。



明日は中学1年生に「心の健康」の話をする。
堂々と胸をはって言えることだけ言おうと思う。
自分ができないことは、言いたくないなあと、
そう思う。









 
author : tanizawa-k
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「夜と霧」

【2010.02.16 Tuesday 21:42
評価:
ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房
¥ 1,575
(2002-11-06)

スピードスケート500mで銅メダルをとった加藤選手は、
製氷車のトラブルで一時間以上スタートを待たされた影響を、
「みんな同じ条件ですから」と、
インタビューに応えていた。

私はその答えをきいていて、
まさに、彼は、
フランクル心理学でいえば、
「製氷車のトラブルは人生からの問いで、
 それにどう応えるか」が
できている人だなあと思った。

認知行動療法でいえば、
「ひとつトラブルがあるとすべてがダメだと
思ってしまう思い込み」を問われるし、
レイノルズ先生の「建設的な生き方」でいえば、
「トラブルをあるがままに受け止めて、
 目標にむかってなすべきことをなす」だ。



「夜と霧」の二回目を読みおえたところだ。
一度目は10代の終わりに読んでいるが、
やはり30年の年月は、
私に、この本の理解を深めてくれたようだ。

ロゴ・セラピーの創始者フランクルは、
第二次世界大戦中に強制収容所に送られる。
そこでの日々を綴ったものが「夜と霧」。

フランクル心理学の要点は、
「どんな時も人生には意味がある。
 なすべきこと、満たすべき意味が
 与えられている」
というもので、

ロゴセラピーは、
人が、自らの生きる意味を見出すことで、
回復していくことを助ける心理療法。

この理論はフランクルが収容所に送られる前に、
完成していたが、
収容所の日々が、この理論が使えるものだということ、
実証することになったということだ。


収容所のあまりの過酷な日々は、
まずは、それまでの人生を
すべてなかったことにすることからスタートし、
やけくそのユーモアや、好奇心が湧き出てきて、
そのうち、
その抑圧された毎日は
人から感情を奪うということを経験する。

「異常な状況では異常な反応をすることが正常」
というのは、緊急時のストレス反応をケアする
仕事をしたことがある人なら、
常識だけど、まさに、
ここでの生活はそれで、
「異常な反応」とはたとえばどんなことがあるのかを、
示してくれている。

でも、フランクルは書いている。
「(人は、収容所のような)状況にあってもなお、
 収容所に入れられた自分がどのような精神的存在に
 なるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。
 典型的な『被収容者』になるか、あるいは収容所に
 いてもなお、人間として踏みとどまり、おのれの
 尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めること
 なのだ」


国母選手について、
私は、成田を出るときの着こなしについては、
みんなと同じものを、
あれだけオリジナルな感じにしたことに、
やったね!という感想をもっていた。

しかし、国費での派遣選手なだけに咎められて、
開会式に参加を許されず、
その後の記者会見で、
そのことについての記者からの質問に、
「ち、うるせえな」と
小声で言ってしまったことに対しては、
とってもとっても残念だ。

堂々と、
「自分としてはユニフォームを自分らしく着たいと
 思ってしたことだが、
 不快に思う方がいらしたことは、
 大変申し訳なく思う。
 開会式に参加できなかったことは残念だが、
 本番では力を尽くす」
くらい言ってほしかった。

っていうか、
人生は、彼に、
そんなふうに答えるチャンスを与えたんじゃないかと
思う。

「ち、うるせえな」では、
自分を貶めてしまうのだ。


あ〜、人のことはよく見える。
私の前にも、問題は次々とおこる。

そうなんだ、
人生は、いろいろな問いをなげかける。

いろいろな時に、
自分の真価を発揮する機会を生かしたか?
そう自分に問い続けたいな。

自分は
人生が用意してくれた苦悩に値したふるまいができたか、
時々振り返るのだ。

人間の内面は
外的な運命よりも強靭だと、
彼は実証をした。

そして、そのことは彼のみが証明した訳では
なかったのだ。

50歳を迎える今年、
この本をもう一度手にしたことは、
すごくすごく大きいと思う。

なんだか、洗濯された気分だ。







 
author : tanizawa-k
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「抱擁のかけら」

【2010.02.15 Monday 20:31
新宿のピカデリーにびっくりした。
学生時代、先輩がバイトをしていて、
顔パスしてくれた映画館だ。
当時はなんとなく、トイレの匂いがするような
「ザ・昭和」ってなl感じの映画館だった。

それがもう、めっちゃ奇麗なシネコンになっていた。

土曜日、仕事を終えたあと、
新宿ピカデリーで
ベネロペ・クルスの「抱擁のかけら」を見た。

ベネロペ・クルス演じるレナは、
父親の面倒を見るのに必要だったことから、
実業家の愛人になる。
しかし、愛人としての暮らしではあきたらず、
女優になりたいと思うようになる。
そして、ハリーという監督の新しい映画のための、
オーディションをうける。
ハリーは一目でレナの虜になってしまう。
レナもまたハリーに惹かれ愛し合うようになるが、
実業家の目をはぐらかさねばならない。
レナに執着している実業家は
自分の息子を撮影現場にむかわせ、
四六時中レナを監視するためフィルムをまわす。
それを父にとどけると、実業家は読唇術の専門家を家に呼び、
レナと監督の会話を聞き、レナの裏切りを知る。
実業家はレナを引き止めるためにあらゆることを試みるが、
撮影が終わった段階で、まだ編集途中の映画を放り出し、
レナとハリーは逃避行するのだ。
実業家は復讐のため、
映画関係者を買収し、撮影したテープをチェックし、
どうしようもないカットをつなぎ合わせ、
最悪の作品にし、公開をした。
そして、二人の滞在先を突き止めると、
息子を送り込むのだ。
そしてその夜、自動車事故が起こり、
レナは死んでしまい、
ハリーは視力を失うのだ。
愛する人と、視力を失ったハリーは、
それまでのすべてのことを封印したかのようにして、
映画だけに生きる。名前さえマテオという名前にして暮す。
愛のある生活からも自分を遠ざけ、
自分らしく生き生きと生きるということから
距離をおく。
しかし、実業家が亡くなったことから、
少しずつハリーの人生が動き出すのだ。
今まで語り合わないできた様々な真相が明らかになり、
編集前のテープがあることも知る。
ハリーは、それを編集し始めるところで映画は終わる。



自分を表現するものだった映画が葬られ、
自らの視力も、
愛する人も失った。
自分よりも大切だと感じていたものを
亡くした後の人間が、
それでも生きていくには、
どうしていけばいいのか。
彼が選んだ方法は
それまでのことを封印することだった。
愛情に満ちた生活ってものと、距離をおいた。
幸せとか、くつろげるとか、
満たされるとか、
そういうことから自分を遠ざけたと思う。

しかし、それは
無理して選んだ方法だったから、
一旦綻ぶと、あとは早い。

レナのことを、意識的に思い出すことは、
彼に感情を取り戻させた。
激しい感情を見せる場面から、
どんどんと血が通ってくるようだった。

再編集を試みるシーンから
エンディングの間、
私は、
彼にとっては視力がなかったことは、
幸いだったんじゃないかな!と
思ってた。
目が見えていたら、
レナの美しい表情の写真を見てしまっただろう。
故意でなくても、見てしまうこともあるだろうし、
時々引き出しをあけたくなる衝動がわきあがってきたと思う。
それとどう戦ったのかと思う。
彼は「封印」することで命を守っていて、
視力を失ったことは、封印には便利だったんじゃないかと思う。


そして、封印を解く瞬間ってのは、
人生にちゃんと用意されているように、
そんなふうに思うんだ。

つまりどんなことがあったとしても、
人は回復していく。

再生していく。

それがテーマの映画なんだと思う。


大人の映画だった。

author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor