相手を責める必要がなくなる時。 【2010.02.28 Sunday 00:21】 |
私がコミュニケーションの講座を受講した最初の動機は、 子どもに正しいコミュニケーションの方法を教えたかったからだ。 子どもに教えるために、自分が学ぼうと思って受講した。 しかし、受講してすぐに、 教えるなんてとんでもないと思った。 自分がまったくできていないことに気がついたのだ。 それまで私は自分のコミュニケーションに改善が必要などと 思っていなかった。 なぜなら、周りの人とうまくやっていたからだ。 しかし、それは表面的なものだった。 私がうまくやっていると思えたのは、 表面上は誰とでもつき合えるからだが、 それは私自身が「いい人と思われたい」という目的のために、 依頼されたことを断らなかったり、 「仕事ができる人と思われたい」という目的のために、 能力のなさを時間で、率先してカヴァーしていたからだけだった。 そして、強く自己主張をする人がいると、 「あの人はわがままだから、ここは私が大人になっておこう」とか、 価値観が違う人との話し合いの時には、 「困った価値観の人だけど、チームとしてまとめることを 優先しよう」とか、 今思えば、全く不遜なことを考えていた。 そんなことをしていた私は、 コミュニケーションの学びを初めて、 「あなたはどうしたいの?」 「相手とどういう関係になりたいの?」 「どう感じているの?」 という問いかけに答えられない自分を知った。 コミュニケ−ションのスタートが、 相手によく思われたいとか、 相手がこういうからとか、 相手の考えはそれだからとか、 いつも相手から始めていたので、 自分を起点に、 私はどうしたいか? 私は相手とどういう関係になりたいか? 私はどう感じているか? は新しい考え方で、 そんなこと全く考えたこともなかったから、 本当にびっくりしたのだ。 そんな学びを続けていくうちに、 以前は、 表面的にうまくいっていると考えていた人間関係が、 それはまやかしだと強く思うようになった。 なぜなら、私は心の中で相手を責めていたのだ。 私がこれだけ相手のことを考えているのに、 私のことはちっとも考えてくれない!!! 仕事のことでうまくいかない点ばかり言う人を、 「文句ばっかり言う人」と言う風に、 上から目線でみていたと思う。 そして私の変化は、 本当にささやかなところから始まった。 たとえば美容院でシャンプーをしてもらうとき、 流し足りないところを 「もう少し右の耳の後ろを洗ってください」と言った。 デパ地下で、試食をしたあとで、 「私はいい味だと思うんだけど、 家族は食べないと思うので、 今回はやめておきます」と断った。 早く帰宅したい日は、 仕事場に到着後すぐに帰宅したい時間を 担当の方に伝えた。 友人が誘ってくれたコンサートを、 その日に他の用事はないが、断った。 そうなると、どういうことがおこるかというと、 まずは、 ささやかな場面であっても、 明確に言うことができた自分を、とっても嬉しく感じる。 そして、 相手のことを責める必要がまったくなくなっていることに、 ある時気がついたのだ。 なんでこの美容師さんは、ここに気がつかないの! と相手を責める必要がなくなったし、 試食をすすめた定員さんが悪いと、 考えなくてもすんだのだ。 そうして、段階はすすむ。 そういうことが積み重なると、 本当に人っておもしろいと思うのだが、 自分のことを、自分で ますます認められるようになるのだ。 そうなると、失敗しても、うまくいかなくても、 自分のことを認めているので、 またやればいいか・・・と安心していられる。 そして、 自分以外の人全般について、 責めたり、なんとかしようとしたり、 そんなことをする必要が、 まったくなくなるのだ。 なぜなら、その人も、 自分の意見や考えや感情をもっている一人の人だと、 本当にわかるから。 違いは、話し合っていけばいいのだから。 そして、自分を起点に考えていけばいいのだから。 自分のことも責めなくていいし、 相手のことを責めなくていい。 それって、 心底安心して 生きていけることだと思うんだ。 |
author : tanizawa-k
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