2010年01月の記事 | 今のところではありますが…
「うちらのこと?」

【2010.01.31 Sunday 21:25
評価:
内田 樹
新潮社
¥ 777
(2009-11)


「書き手の人称代名詞や常体敬体の使い分けで、
 書かれるコンテンツまで変わってしまう」
と、内田樹さんの「日本辺境論」に書かれていたのを
読んでから、自分を何というのかということが
めっちゃ気になる。
女子たちは、何年か前から自分のことを
「うち」という子が多くなっている。
小学4年生くらいからではないか?
もちろん、授業で発表するときや、
作文を書くときには「私」と表すが、
普通に話しているときは「うち」を使う子が、
多いと思う。

これって、何年くらい前からかな?
そのころ、何かがあって始まったのかな?
「私」ではなく「うち」を選ぶのは、
どういう気分を表したいのかな?

そういう私も、このブログの文体を、
時々変えている。
「だ」「いる」のときと
「です」「ます」のときがあって、
それは自分で選んでそうしていると思う。

おもしろいぞ、日本語。

以前友だちと飲みながら、
男性の話し言葉について話したことがある。
私が
「なんとかだぜ」と言う、
その「だぜ」が好きだなあと言うと、
周りに「だぜ」を使う人がいるかどうかという話になった。
彼女の周りに一人いて、
それから彼のことを、
二人の間では「だぜ」と呼んでいる。
「だぜ」と飲みにいくよというような
使い方。


今日は1月最後の日だ。
今月読んだ本は、上の「日本辺境論」の他に、
河合隼雄先生の
「カウンセリング教室」。
カウンセリング教室については、
あらためていつか書こう。

映画はレンタルでいろいろ見た。
「それでも恋するバルセロナ」は、
ベネロペ・クルスのはすっぱっぷりがすごくよくて、
こんなふうに、動物的に生きられたら、
それはそれで大変だけど、
今とはまったく違う人生で、
そんな自分も見たいなあと思ったりした。
スカーレット・ヨハンセンもなかなかよい。
この前衛星放送で幼い時の彼女の映画をみたが、
随分大人になったものだ。

「最高の人生」はモーガン・フリーマンが出演しているが、
「最高の人生の見つけ方」とはまた違う。
ホリー・ハンターも出演している。
テーマは、どんなに罪を悔いても、
犯してしまった罪をなかったことにはできない。
でも、生きていくのだ・・・
的なことだと思う。
でも、それにしては
主人公の行動が疑問なのだ。
少年の頃に犯した罪をあれほど悔いているのなら、
あり得ないような行動をする。
原題は「Levity」。
辞書でひいたら軽卒、軽はずみというような意味とのこと。
なのになぜ「最高の人生」?

「幸せになるための恋のレシピ」は、
オドレイ・トトウの不器用な感じがとても素敵。
好きになった男性の勤めるレストランがつぶれてしまい、
その土地を離れることになったとき、
どうしても「行かないで」っていえない彼女。
深い関係になることが怖いけれど、
それは頭で考えていることで、
心の中は彼のことが好きで仕方ない。
そんな女性を、本当にかわいらしく演じていて、
とってもいい。
彼女は画家志望の女の子の役なんだけど、
彼が描いている人物画も、すごく素敵。

映画館で見た映画は「正義のゆくえ」。
アメリカの移民の問題を、
いろいろな視点から考えさせてくれる映画で、
「扉をたたく人」を見た人は、
一層「移民」について考えることが
できると思う。
移民、移住民については、
私たちもしっかりと考えねばならないことだ。
外国人の地方参政権のことは最近よく議論にあがるし、
それと同時に帰化の話題も出てくる。


さてさて、明日から2月。
2月は今のところ、
丸々一日休める日が、
土日を含めて2日しかない。

映画を見れたらいいなあ。
どうかなあ?



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たじろぎながら。

【2010.01.30 Saturday 10:57
昨日は静岡市の小中学校の
相談にかかわる方が集まる会議があった。
学校の教頭先生や相談担当の先生、
教育相談員さんとスクールカウンセラーだ。
この会議は年に3回あり、
私はここで、スクールカウンセラーの方々と、
グループで話し合う時間がとても好きだ。

昨日は私たちのグループは私を含め4人だった。
それぞれの学校での活動に関して発表しあい、
また今困っていることについて相談をしあった。
もちろん、守秘義務は当然だから、
かかえているケースについて相談をする場合は、
まったく個人が想定できないように話す。
新しい視点をいただけたり、さしあげたりという
時間がもてた。
私たちは学校の中で活動してるカウンセラーなので、
学校の文化との折り合いの付け方や、
あるいはどうしたらもっと活用してもらえるか、
などについても重要なのだ。


スクールカウンセラーだけの〆の会議で、
キャリアも長く、とても活躍されている、
私の尊敬するある方が、
こんなことをおしゃった。
「学校の中で、心の専門性を・・・と言われると、
 時々たじろぐことがある」

私は、
あの方でも、時々たじろぎながら、
相談活動に向かっているのか!と
本当に驚いた。

いろいろなことで相談をすると、
困難な状況のときでも、
「そのあなたでよくやってますよ。
 こういう方法もどう?」と
認めてくれながら、
アドバイスもくれる、
あの方が、
あれだけ勉強されていて、
訓練も、場数もふまれている、
あの方でも、
たじろぐ時があるのか!!!

「学校の中の一人職として、
 誰にも頼らず、そこに立つ時、
 また、自分の言った一言がどう伝わっていくのかと、
 考えるとき」
あの方でもたじろぎながら、
それでもきっと背筋をのばして、
現場にいらっしゃるのだ。

あ〜がんばらねばと思う。

学ばねばと思うし、
もっともっとやったほうがいいことがある。


この方の一言があるから、
この会は楽しみだけではなく、有意義になる。
この方の一言は、グループ協議の発表を受けてのものなので、
その時、その場でなければ聴けないものなのだ。


そして、今回は、
たじろぎながらも何をやっていったらいいかの示唆も
いただけた。
まずは、
「見立てる力」をつけること。
このことに関しては、妥協してはいけないな。
見立てるためには、情報をつかむ力も必要だ。
つまり、「聴く」ことでつかんだ情報を、
知識を使って見立てていくこと。
これこそ、スクールカウンセラーの第一義なのだと
あらためて想いを強くした。
当たり前のことだが、
当たり前のことを、時々確認することが、
大切だ。

そしてその次に、
「伝える力」をつけていくこと。
せっかく見立てたことが、上手に保護者や先生に
伝わらなければ、
対応に動きがうまれない。
伝えることが動きに繋がらなければ意味がないのだ。
「伝える力」については、
私はトレーナーでもあるから、
ここに関してこそ、
たじろぎながらも専門性を生かせるように
しなければ!



そして、そういうことができて初めて、

「あなたはあなたのままでいい。
 100%じゃないかも。失敗もするかも。
 そのあなたがいい。
 そのあなたで、今できることをやっていこう。
 私は応援したいと思っている」

ということを伝えていくことができるんだと思う。




今日は久々、仕事がない土曜日。
それで、午前中、勉強してしまった。
昨日の会議のおかげなのだ。


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代替案にバラエティを!

【2010.01.29 Friday 10:01
なんだかうまくいかないときに、
他の方法を思いつくと、
ちょっと楽になると思う。

あるひとつのことが気になって仕方ないとき、
「そんなに気にするの、やめな」
っていう代替案は無理がある。
そんなことが可能なら、
とっくの昔にやっているのだ。

それよりも、
まあ、気になって仕方ないけど、
気になりながらも、
「お風呂の掃除をする」とか、
「漢字検定に挑戦するために、
 毎日2ページ漢字を書く」とか、
「模様替えをするために、
 まずはインテリア雑誌を見るために、
 図書館にいく」
というような、
言ってみれば、

気になりながらも、
今、何をやったらいいかが
明確にわかるような代替案の方が、役にたつ。

しかもその代替案が、
自分の得意なことや、
ちょうどやりたいと思っていたことや、
あるいはやらずにいる自分のことを嫌いになりそうに
なっていることだとすると、
やる意味もあるから、
行動に結びつけやすい。

行動することで感情に影響を与えるので、
お風呂を洗っているうちに、
そのことに夢中になって
一瞬気になっていたことを忘れたり、
あるいは漢字を書いているうちに、
次の欲がわいてきて、
気になっていたことが
どうでもいいことになったり、
あるいは図書館に行く途中で、
友だちとあっておしゃべりをして、
気が晴れたり・・・
そんなこともあるかもしれない。

私の師匠は、
いやなことをなくそうと努力するより、
同じ一日24時間だから、
快適な時間、建設的にふるまう時間を
ふやしていくほうが実際的だと教えてくれた。

気になることを、なくそうなくそうと
考えるということは、
なくそうと考えることで、
気になることを思い出してしまっているもの。
ますます気になってしまうのだ。


だから、大切なのは、代替案だ。


私は代替案の中で、

「してもらう」系の代替案を
自分に課すことがとても好き。


どういうことかというと、
たとえば、
母が一日時間をもてあましている様子で
心配だとしよう。
心配しているのは私だ。
私は、
母に元気になってほしい、
毎日楽しそうになるといいなと思っている。

でも、母にスイッチはない。
母に「元気」ってスイッチがあって、
それをONにすれば元気になるなら、
それもいいけど、
そんなことはなく、
もちろん、
私が念力を送っても母を元気にすることなど
できやしない。

母を直接コントロールできないけれど、
私にできることがある。
それは、私が、
私の行動をコントロールするのだ。

母が少しでも元気になったらいいなという
私の勝手にたてた目標にむかって、
自分に代替案を出すのだ。

①帰宅したら、毎日5分、とにかく
 母のいつも座っているテーブルの
 前に座り、
 「今日はどうだった?」と話を聴く
②夕飯を一緒に食べる回数を、
 週に3回にふやし、
 その時は、母に対して、何かを質問して、
 母の話す回数をふやす

これら①②は、
どちらかというと、
私が「してあげる」系の代替案だ。

でも、「してもらう」系の代替案もある。

③母の餃子はすごくいい味。
 一緒に台所にたって、
 指示をしてもらいながら、
 一緒に作る。
④洋服で迷ったとき、どっちを着ていったら
 いいか母に聞き、アドバイスをもらう。

なぜ「してもらう」系の代替案を
自分に課すことが好きかというと、
それは私の苦手とすることだからだ。
私は多分「認めてほしい」という欲求が強い人間で、
だから「助けて」とか、「これやって」など、
人に依頼することが、
もともとは得意ではないのだ。

それよりも自分でやってしまったり、
何かをやってあげるほうが、
精神的には楽なんだ。

そんな自分の傾向を知っているから、
「してもらう」系の代替案を自分に課し、
しかも、それを実践しているとき、
努力している自分を感じて、
「おお、がんばってるじゃん、私」
ふうになる。

それが母相手になると、
特にそうなんだと、
自分の中でしっかりとわかっている。

じゃ、
「母に元気になってもらたい」という最初の目標と、
違う方向にいってしまっているじゃん、
と思うかもしれないけど、ちょっと待った。
めざすところは、
「母に元気になってほしい」で、
そのための行動を工夫するときに、
自分のことを自分で認めながらできるという、
一鳥ニ石の代替案。



学校の先生方は、
こんな複雑なことを考えずに、
自然にやってらしゃることがある。

元気のない子どもに、
クラスに貢献する何かをやってもらって、
感謝を伝えたり、
クラスのみんなから「ありがとう」と言ってもらえる
チャンスを作ったりしているが、
それがこれ系の代替案だ。

また、発達のアンバランスがあって、
どうしても1時間の授業の中で、
集中が途中できれてしまう子に対して、
黒板を消してもらうことや、
わざと職員室に忘れてきたプリントを
取りにいってもらうことで、
失敗を経験させないで、
しかも
役に立ってもらうことを、
指示したりしている。
これも、それ系の代替案だと思う。


他にも代替案の種類はいろいろあるけど、
バラエティにとんでいるほうが、
そのときそのときにぴったりのものを
チョイスできて、便利だと思う。

たくさんの中から選べると、
いろいろ意味で楽なのである。




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しきれないけど・・・人間理解。

【2010.01.27 Wednesday 22:33
中学3年の女子が二人で、
なんとなくおしゃべりを始めた。
相談っていうのではなく、
本当になんとはなしのおしゃべりだ。

女子校を受験すると決めた。
もし受かってしまったらしまったで、
不安だ。
女子だけってのが、
なかなか面倒くさそうだ。

もう一人の女子が、
「なんで今まで言わなかったの」と問う。
「だって、言えなかったもん。
 それに今更困るじゃん」
「それもそうだね」
「でも、受かったら、
 ここに相談にくればいいんじゃない?」
「あっそうか」
「来ていい?」

私は、
「もちろんだよ。
 おいで。
 不安ってのは、
 すごい気持ちなんだよね。
 自分の人生を大事に思っているからこそ、
 思ったとおりにいかなかったらどうしようって
 考えて不安になるんだからね。
 だったらさ、自分の人生を大事にするために、
 受かった高校で何ができるか考えればいいことだから、
 それを一緒に考えようよ」
と言う。

「そうなんだ。
 不安って、すごい気持ちなんだね。
 そうなんだ。
 じゃ、とにかく受かってくるよ」

「そうだね。
 健闘を祈る!」

なんて話しながら、
この時期、中学3年生の複雑な気持ちを思う。

「今までの人生の中で、一番考えている」
とその子は言っていた。

そうかあ、そうなんだよなあ。


成長するにつれて、
言葉が伴ってきて、
悩みや抱えている問題が、
言葉になってくる時期がある。
私は、その側にいられることがあり、
そういうひとつひとつのことに、
なんだか感激するのだ。

たとえば、まだまだ文章で表現することは
できなくて、
自分のいらいらなどを、
暴れるとか、
言わないという方法であらわしている子も、
その子の表したいであろうことを、
言葉で、こうだった?ときいていくと、
それは違うとか、
そうそうとか、
最初はそんなことから始まって、
そのうちに言葉になっていったりするのだ。

そういう過程に立ち会えることができるってのは、
本当にすごいことだと思う。

そして、ある日、
はっきりと言葉で、
自分の困難を表現するのだ。


やはり中学3年の、
ある女の子がいる。
以前紹介した、
気持ちを言葉に納めてしまうことに関して
意見を教えてくれた感性豊かな女の子だ。

彼女が、ある日、
自己表現について話をしていて、
こんなことを言ってくれた。

ここで話を受け止めてもらう経験をしてから、
自分の気持ちや意見を言うようになってきて、
そうしたら、今までは家で、
腹がたったらキレて親にぶつけていたのに、
そんなことをしなくなった。
(このことを、ここに書くことをokして
 もらってます)

本当にすごいと思う。
そういうことを、言葉で言える彼女がすごい。

人間って、ほんと、すごいと思う。



河合隼雄先生は、
カウンセラーにとって、人間理解ってことは、
とても大切だと言っている。

相手を理解するってことを、
あせってはいけない。
だからすぐ相手(クライアント)に問うのではなく、
なぜそうしたのか、
なぜそう言ったのか、
まずは考えてみる。
どこに目的があり、何がほしいのか、
まず考える。
それには人間ってものに対する理解が必要だと、
先生は言っている。


私は、もっともっと人間理解を進めていきたい。
奥が深くて、理解しようにもしきれない人間。

ちょっとした彼女たちの話が、
またまた私の人間理解を、深めてくれるように思う。


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あらためて、「聴く」こと。

【2010.01.26 Tuesday 21:19
「『言う』人は聞かれたいから言っているんだからね」

「ほぼ日刊イトイ新聞」のダーリンコラムで、
糸井さんが「聞くは最高の仕事」というタイトルの文章を書いている。
上の文章は、その中の一文。

まったくその通りだ。
「言う」人は、聞いている誰かがいるから「言う」。
この当たり前のことを、
ずばり!と言葉にしてくれてあって、
だからこそ、ものすごいことのような感じがして、
もう一度「聞く」ことを考えたくなった。


人は、
聞いてくれてないと感じてしまうと、
「言う」ことをやめる。
だって、聞かれたいから「言う」のに、
聞いてもらえなければ、
「言う」ことの意味がないからだ。


糸井さんは、
「よく『聞く』人と、
 いいかげんに『聞く』人の差は、
 あきれるほど、どんどんと開いていくものなんだ。
 人っていうのは、『聞く』人に向かって話すからね。
 こいつは『聞く』な、と思えば、
 その人のために、どんなことでも話すようになる。
 そういうものなんだ」
とも書いている。
これも本当にうなずく。

糸井さんは「聞く」という漢字を使っているけど、
私の立場だと、ここはやっぱり「聴く」を使いたい。
で、ここから「聴く」にする。あ〜すっきり。


「聴く」のもっている力ってのは、すごい。
「聴く」ことで、
人を支えたり、
人を励ましたり、
人の背中をおしたり、
人を落ち着かせたり、
人に自信をもたらせたり、
そういう例を、
私はいろいろなところで見ているんだ。

「聴く」ことの意味は、
講演で話すので、
理論的にも説明できるようにしている。

でも、そうやって説明しながらも、
本当に納得できるのは、
とにかくやってみることだって、
思っているんだ。

と同時に、
「聴く」ことについては、
多くの人が自分はやっていると思っているようで、
しかし、講演で「聴く」とはどういうことかという
話をすると、
「聞いていると思ったけど、
 本当には聴いていなかった」
という感想をよくいただく。

シンプルだし、
誰でもできることだけど、
実は難しいことだと思う。

それは、なぜかというと、
多分、
多くの人が本当に聴かれる体験を
してないからだと思う。

ゆっくりと、
沈黙の時間も気にせず、
この時間は、あなたのものだから、
あなたの好きなように使えばよいとでもいうように、
じっくりと聴かれる体験。

そうやって聴かれたときに、
どんなに自分が整理できるか、
どんなに安心できるか、
本当にわかると、
そうではない聴かれ方がわかる。


そうなると、
スキルを学んだときに、
「ポイントはそこか!」と
ストンとわかると思う。


「聞いていると思ったけど、
 聴いてはいなかった」
と感想をくれた方々の、
どうしてそう考えたか、
じっくり話を聴いてみたいなあと、
今日は、そんなことを思うな。



今日NHKのクローズアップ現代で、
「ほめる力」ということをやっていた。
「ほめる」ことが
会社の中の人間関係を変えていく様子が流れた。
それもありかもしれない。
しかし、「ほめる」には危険がひそむ。
「ほめる」ことで相手をコントロールしようとする、
意図が働いた途端、
それは武器(攻撃する道具)になってしまうんだ。

でも「聴く」の意味は、
「理解しようと思ってきく」だから、
攻撃には、絶対に変化しないんだ。
っていうか、攻撃に変化しているときは、
本当には聴いていないときだもん。

私は、そう思う。



もっともっと、人に安心してもらえるような
「聴く」ができる人になれたらいいな。

なんだか引きしまる。













author : tanizawa-k
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「話すこと」を通してつながりあう。

【2010.01.25 Monday 17:57
日曜の朝見たテレビ番組で、
先週突然亡くなった元プロ野球選手の
小林繁さんのことをやっていた。
江川さんとトレードをされた年、
巨人相手に8勝をあげ、
その後も活躍を続けて、
名前を残した。

それから会う機会のなかった二人が、
日本酒のコマーシャルで
28年ぶりに再会し、その時のことを話し合った。

コマーシャルを撮るスタジオで
初めて会うようにすることが、
最大の演出だったようで、
スタジオ入りから控え室の出入りまで、
厳重にチェックして顔を合わさないようにしていたようだ。

そして、
二人は合う。

ぎこちなく近づいて、
丁寧に挨拶をかわした後、
江川さんが
「本当は私が申し訳ないことをしたのですから、
 私の方からご挨拶をしなくてなならなかったの
 ですが・・・」と
今までの非礼をわびた。

その後、
なにしろ日本酒のコマーシャルだから
乾杯をするのだが、
そのとき、小林さんが
「お互いしんどかったな」と言う。

小林さんが亡くなった日の夜、
江川さんはインタビューに応えて、
そのときのことを言っていた。
「お互い大変だったなと言ってもらって、
 本当にほっとしました」

そうだろうなあと思う。

自分の意志を無理矢理通し巨人軍入りした江川さん。
小さい頃からの夢を叶えたとはいえ、
すっきりとはしないままの日々だったと思う。
それでも、周りからの悪役を見るような目は
時間とともに薄まっていたかもしれないが、
もう一方の当事者の小林さんとの間にあるものは、
日を追うごとに
一層深い溝になっていったのではないだろうか。

なんとかしなくてはと考えながらも、
どうにもならず、
そんな自分を責める日もあったかもしれないな。

コマーシャルの中で小林さんが
「お互い」という言葉でねぎらってくれた。
「自分も大変だったけど、
 あなたも大変だったでしょう」
という言葉は、
小林さんを何層も大きくしたと思う。
そして、二人の間にあったものを、
溶かしたと思う。

近づいて話すってことは、
本当にすごいことだと思う。




午後は「やしきたかじんのそこまで言って委員会」
を見た。
大阪府の橋元知事が、
大阪府と大阪市という二つの自治体の関係に、
大きなムダがあることを話した。
大阪市と大阪府と1つにしたいと提案したのだ。
そんなことができうるのか?と私はびっくりだ。

彼の話だと、
グローバルな経済の中で、今は国間競争ではなく、
地域間競争を迫られている。
そういうときなのに、ここは府の管轄だとか、
これに関しては市に指示系統があるとか、
そんなことをしているから、
スピード間のある決定ができず、
せっかくもっている大阪のポテンシャルが、
いかしきれない。
だから、一旦市と府を解体し、
そしてひとつの自治体にしたい。
自分の仕事の目標はそこにあると橋元さんは話した。

すると、よみうりテレビのアナウンサーで
この番組の司会者辛坊さんが
「だったら、自分が市会議員でも府議会議員でも
 立候補して、協力する」
と言った。
立候補して当選したら、
市なら市、府なら府の、解体に一票を投じると言うのだ。

私はすごいものを見てしまった・・・と思った。

市と府を解体し、1つの自治体にするという方法が、
一番いいのかどうかは私には全くわからないが、
一人の政治家が持論をのべ、
それに賛同する人が現れ、
熱く盛り上がる瞬間ってのを、
見た!
って感じだ。

それは持論を話すってところから始まっている。




今朝は少しゆっくりだったので、
「とくダネ!」をつけていた。
沖縄名護市の市長選のことを放送していたが、
それに関係して、
若い人たちは、
辺野古への軍の移転をどう考えているのかを調べていた。
というのは、もう大人たちは、
そのことについてインタビューしても、
「何も話したくない」とか
「もう勘弁してください」という
状態だったのだ。
この件について、あまりにも考え、
あまりにも振り回され続けて、
もう疲れてしまっているという感じだったのだ。
それで、高校の生徒会の人たちに、
辺野古移転に賛成か反対か
投票をしてもらうことになった。
その前に、話し合うのだ。

高校生たちは、
まず自分は反対か賛成か表明してから
理由を話す。
反対。騒音が心配だから。
   これからの子どもたちのことを考えて、
   安心できる社会を渡したい。
   環境を破壊されることが心配。
賛成。うちのお父さんとお母さんは軍の関係で
   働いている。なくなると、困る。
   普通にアメリカ人がいるってことを、
   これからの子どもにも体験させてあげたい。

さまざまな意見がでるが、
途中お互い熱くなったとき、
「どうせ、結論なんてでないんだから、
 もうやめよう」
という意見がでる。
すると、別の子どもが、
「結論が出ないからやめるのではなく、
 それでも考え合い、話し合うことに意味がある」
と言う。

そして、自分たちに今できることは、
このことから目を背けず、ちゃんと考えて、
考えたことを声に出していくことだと、
そんなふうに話しあうのだ。

すばらしいなあ。


今日の新聞には、
トイレ擬音携帯装置が人気だという記事が
出ていた。
以前、生理現象に関する「音」「におい」
などについて必要以上に気にすることは、
私は賛成できないとこの日記に書いた。
私は今もそう思っているし、
その延長線上に、
怒りや涙なども、もっと表しづらくなる
そんな世の中になってしまったら、
本当にイヤだと思う。
そして、
自分の意見を話すってことがその先にあったら、
どうしたらいいだろう。困る。

いやあ、わかってる。
私は心配性である。
そこまでは、いかないと、
わかっている。
でも、やっぱり心配なんだ。

だって、だんだん、メールでないと、
断れないとか、メールでないと謝れないとか、
そういう例もきいてしまうもの。



話すことを通して、
私という者の考えや気持ちを示し、
相手が話してくれることを通し、
相手の考えや気持ちを理解することができる。
今のところ、話し合うってこと以上に、
心がつながる方法ってないと思う。



昨日今日の3つの「話す」を通して、
トイレ擬音携帯装置をもつのなら、
その危険性を考えながら、
使ってほしいなと思うのだ。


人はさ、
おならもするし、
おしっこもする。
お腹もなるし、
涙も流す。
それが人間なんだからさ。

そんな人間どうしが、
話し合いながら、
お互いをわかりあっていくのだよ。





author : tanizawa-k
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「むらさき花だいこん」を知ってしますか?

【2010.01.23 Saturday 20:10
三島から伊豆箱根鉄道に乗ると、
途端に観光気分になる。
最近ではめずらしいボックス型の座席の電車に揺られ、
韮山駅でおりた。

反射炉があり、
江間のいちご狩りが有名なところだ。

講演の会場は韮山時代劇場。


寒い時期。
しかも、一月が始まってまだ3週間。
まだまだ落ち着かない、
そんな時期の土曜の午後にもかかわらす
300人くらいの方が集まってくださった。

会のスタートは、
退職された女性教師のみなさんと
会場が一緒になって合唱。
「月の砂漠」を歌ったのは、
本当に久しぶりで、メロディーが心にしみた。

続いて「退職女性教師の会」のお一人の方の朗読で、
絵本の読み聴かせだ。
もう二度と戦争への道を歩かないようにという
願いをこめた
「むらさき花だいこん」という絵本。

私はこの絵本について、まったく知らなかった。


絵本の中で、
戦争にむかっていく日本の社会の雰囲気を、
「男たちは、生き方より死に方を、
 女たちは、涙のかくし方を、
 子どもたちは、人の憎しみ方を教えらました」
と表現していた。

朗読されている方のたんたんとしながらも、
温かい声で、この文章が読まれたとき、
私は涙がにじんできた。

男性も女性も、
どう生きていくかに一生懸命になれて、
笑顔も涙も堂々と素直に出すことができて、
子どもたちには、
自分のことも、周りの人のことも大切にする、
そういうことを考え合っていかれるような、
そんな社会でありたいと、
つくづくと思った。

この絵本の主人公は若い日本の兵士。
南京で戦い、
中国の一般の人たちを銃で撃ち、
剣でつき、殺してしまっていくうちに、
次第に、角のない鬼になっていき、
ますます人を殺す。
そして南京に日本の国旗を立てる日がくる。
しかし、負傷をして野戦病院で傷を癒しているある日、
自分のこれまでしてきたことを想い、
からだが震え出す。
そんなある日、
一人の中国人の少女にであい、
その子はむらさき花大根の花を一輪差し出すのだ。
彼は、日本にその種を持ち帰る。
そして、戦争を二度と起こすことのないよう、
戦争のことを忘れてはいけないと、
この種をまく。
まいた種はいろいろな土地で、むらさきの花をつけるのだ。

こんな物語。


平和というのは、
勝ち取るってものではないんだなあと思った。
平和というのは、
育てるものなんだ。
平和は、
みんなが大切に育てるものなのだ。


絵本でしんみりとしたあとに、
私のような者の話。
皆様にとってどういう時間になったのか、
よくわからなかいが、
私なりには話せたと思う。



私はコミュニケーションスキルを伝える
ということを媒体に、
種をまいているつもりなんだ。

なかなか難しい。
でも、少しずつ・・・なんだ。

子どもと子ども、
子どもと親、
子どもと先生、
そして大人同士、
そんな人と人の間で、
分かり合おうとできたり、
理解しあう努力を重ねるのは、
小さな反戦運動なんだと思う。










author : tanizawa-k
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どっちも大事。

【2010.01.22 Friday 20:02
理論も大事。スキルも大事。
考えも大事。気持ちも大事。
余裕も大事。忙しいのも大事。
悩むのも大事。笑い飛ばすのも大事。
涙も大事。笑顔も大事。
一生懸命も大事。肩の力をぬくのも大事。
緊張も大事。ゆるめも大事。
拍子抜けも大事。やりがいも大事。
意志も大事。行動も大事。
結果も大事。過程も大事。
威厳も大事。親しみも大事。
思いつきも大事。思慮深さも大事。

野田さんの言葉、
「この自分をどう使えば、うまく生きていけるだろうか」
をかみしめながら一日すごして、
「この自分」の「この」は、
どういう「この」であってもOKなんだなあと
考えがなんだかふっとわいてきて、
そしたら、
いろいろなものが大事に思えて仕方なくなった。

自分のことが、今、どうしても好きになれなかったら、
それも、本当に大切な気持ちだと思った。
何もなかったらそういう気持ちにはなりにくいはずで、
でも、そういう気持ちになったのだから、
相当いろいろなことがあったはずだ。
大変だったはずだ。
それで、
「自分のことがきらい」と思っているだけでも
大変なんだから、
せめて、自分のことがきらいと思っていることに、
罪悪感をもってほしくないなあと思ったんだ。
自分のことがきらいな自分を、
責めるのは、やめよう!って言いたいな。

だから、
自分のことが嫌いも大事。好きも大事。


静かも大事。積極的も大事。
安定も大事。不安定も大事。
浅いも大事。深いも大事。
豊かも大事。少しも大事。
さみしいも大事。満足も大事。
一部も大事。全部も大事。
友だちと一緒も大事。孤独も大事。
前進も大事。バックも大事。
家族も大事。個人も大事。
過去も大事。未来も大事。
今を重ねるも大事。目標をもつも大事。
顕微鏡も大事。望遠レンズも大事。


なんか、そんなことを思うなあ。


今週も、
泣きたい気持ちをこらえている大人たちや、
認めてほしい、理解してほしいと
訴える方法がわからず、
いろいろな方法で表している子どもたち、
様々な方との時間があった。

私にもっと、力があればいいのに!!!
と思う。
と同時に、力がない「この」私も、
大事なんだと思い直す。


直行も大事だけど、
回り道も大事ですよね。




さて、明日は韮山で講演です。
「この」私で、がんばってきます。







author : tanizawa-k
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「この自分をどう使えば、うまく生きていけるんだろう」

【2010.01.21 Thursday 09:14
カウンセリングの勉強をしているときに、
師匠から教わった「アドラー心理学」。
ただし、私はこの専門家ではない。
しかし、今また、これについて
考える機会を多くいただけていて、
それで、以前勉強したときのノートや、
その頃読んだ本や、
講演や講座のレジュメを読み返している。

恥ずかしながら、
すっかり忘れてしまっていたこともあったりする。
びっくりだ。

だから、この機会をいただけたこと、
本当にありがたいと思う。

ただし、十分に注意しなくてはならないことは、
河合隼雄先生もおしゃっているが、
「そのとき学んでる療法にぴったりのクライアントさんが、
 目の前にやってくる」法則だ。
つまり、自分の方の意識、認識が、
ある一定のものに偏ってはいけないことを戒める言葉。

そんなことを頭におきながら、
それでも、ひたってみると、
やっぱりアドラーは、
学校でも家庭でも使える理論と方法をもっている。


読み返した本の中にでてきた、
野田俊作さんの言葉
「この自分をどう使えば、
 うまく生きていけるんだろう」は、
自己受容を一言で説明する素晴らしい言葉。

本当にその通りだと思う。
失敗もする。
完璧ではない。
凹むし怒るし、
いらつく。
その自分を否定するのではなく、
この自分を
どう使っていけば、
自分のやりたいことができたり、
やらなくてはならないことに取り組めたり、
人と共に生きていけるんだろうか?
つまり、
うまく生きていけるだろうか。

この考え方をもつと、
どんな感情も、
どんな出来事も、
ありのままに受け止めて、
その上で、
その自分でできることを探すようになると思う。



アドラーの共同体感覚を
野田さんは3つの条件で示している。

「1・私は私のことが好きだ ということ
    ー 自己受容
 2・人々は信頼できる ということ
    ー 基本的信頼感
 3・私は役にたてる人間だ ということ
    ー 貢献感  」


スタートラインは、
理想から現状をマイナスして考える
「マイナス○○」の位置にあるのではなく、
まず現状をそのまま認める、
つまり、自分自身ってことにかけては、
なんのマイナスもプラスもない、
ゼロにあるってこと。


共同体感覚のひとつめの条件、自己受容は、
自分のどんな部分も自分として認める
ことなんだということを、
何度でも確認したい。



また、これを支援する立場の者として考えるときは、
どんな出来事を引きおこし、
どんなにささくれだった気持ちをもっている子どもも、
そのまんまのその子を受け止めて、そこをゼロとして、
そこから、その子のその時できていることを
加算していけたらいいと思う。

少なくとも、他の子や、一般的とくらべて、
マイナスからスタートすることだけはやめたいし、
そのことは、
支援をする人みんながもっていたい根本だと思う。



「この自分をどう使えば、
 うまく生きていけるんだろう」

目の前の子どもや、
保護者の方や、先生が、
そう思ってくれるために、
私にできることって何だろう?

それはやっぱり、
この私、
この時々失敗をし、
時々凹み、
時々家族に苛立ちをぶつけ、
時々気が廻らない、
その私の使い方を、
私なりに工夫していくしかないのだ。


author : tanizawa-k
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父、84歳。

【2010.01.19 Tuesday 22:38
今日は夫の父の84歳の誕生日。
父はイモ類が好きな人なので、
里芋のお鍋を作ってお祝いしました。

昆布とかつお節で出汁をとり、
酒とお醤油で味付けをしたスープの中で、
里芋やこんにゃく、ごぼう、鶏肉、もやし、ねぎなどをいれて
煮ます。

まあまあ、いい出汁がでて、
なかなかいけました。

父は、40歳をすぎてから、
起業をした人です。
勤めていた会社をやめたとき、
夫や夫の姉はまだ小学生だったとのこと。
きっと母は複雑な想いを抱いたと思います。
それまで結構なお給料をとっていたといいますから、
安定した生活から、
先の見えない生活になるわけで、
それでも母にきくと、
「お父さんの人生だから、悔いのないように、
 やりたいことをやってほしかった」
と言ってました。
起業をするまで3ヶ月ほど、
海でつりをしながら、
何を仕事にしようかと考えていたそうですから、
いくらお互いの人生を尊重していたとしても、
母は、父を海に送り出すとき、
時々は不安になったのではないでしょうか。
でも、母はそんなことはお首にも出さずにいて、
だからこそ、
父も安心して海にいけ、
ゆっくり自分の人生を考えることができたのではないかと
思います。

母はきっと父を信じていたと思います。

信じるというのは、
信じると決めることです。

信じると決めると、
信じる材料がざくざくとでてきます。

母は今日、その頃のことを想い出しながら、
「トンネルのむこうに、
 ものすごく明るい光は見えなかったけど、
 決して真っ暗じゃなかった。
 お父さんは一生懸命に働く人だから、
 なんとかなると思ってた。
 ぼんやりとした明かりが消えたことは
 なかった」
と言っていました。

疑うと、
不安の材料になる釣りも、
信じると、
チャージの時間になったんだなあと、
そう思うんです。

起業した父に
一番最初の仕事の依頼をしてくれたのは、
なんと息子(つまり夫)の担任の先生だったとのこと。

きっと父の一生懸命さには、
応援したいと周りの人に思わせる、
そういう何かがあったんじゃないかなと思うんです。

こうやって、ごはんを食べながら、
少しずつ、二人の人生のことを知ること、
家族だなあと思います。
もっともっと父や母の生きてきた過程を知りたいです。

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谷澤 久美子
counselor