2009年12月の記事 | 今のところではありますが…
全部に意味がある。

【2009.12.31 Thursday 18:37
2009年最後の日、
世界中と繋がっている空の下、
日本の、静岡市清水区草薙あたりから
夕暮れ直前に眺めた富士山です。

私の12月31日は毎年お料理デー。
今日も、煮物を煮て、大根なますを作り、
煮豚を3本、黒豆など、
作りました。

今年は大根餅も作ったので、
結局大根一本を千切りにしたのですが、
包丁を動かしながら、
昔から多くの女性たちが、
大みそかに、
今年あったいろいろなことを考えながら、
台所に立ってきたのではないかと思いました。

私も、今年は、多くの会場で
保護者の方向けのお話をいっぱいしたよなあと
思いながら、野菜を刻みました。

それで、数えてみると・・・

今までは、小中学生の子どもをもつ親御さんが対象でしたが、
今年は、幼稚園の保護者の方へ2回、
高校生の保護者の方への1回含め、全部で18回。
少し、話の幅が広がったかもしれません。
3回連続講座を2回。
またまた素敵な出会いや再会がありました。

アサーティブ関連では、講演、講座を含め
7回。

小学生への授業を12回。
中学生へは10回。

先生方の研修に講師として16回、
かかわりました。

また、今年、私が自分なりによくやったなあと
思うのは、
自分で主催した講座を2回やったことです。
昨年3月には「学校関係者のためのアサーティブ一日研修」。
そしてつい先日「ストレス・マネージメントの一日講座」。
来年は、主催の講座を、5回はやりたいと思うんです。

そして、今年の私は、
よく学びました。
チーム・ビルディングのためのファシリテートについて。
NLPについて。
メンタル・トレーニング。
そしてもちろんアサーティブネスの勉強も続けています。

「学ぶ」ということに関しては、
来年はもっと時間もお金も使うつもりで、
すでにいくつか申し込みを終了しています。

ま、数は、料理が終わってから、
手帳を見つつ数えたのですが、
それでも野菜を刻みながら、
お肉にたこ糸をしばりながら、
今年のいろいろなことを思い出していたのは事実で、
ふと、大晦日の料理の意味とは、
こんな時間を料理する人にプレゼントすることにある!
とさえ、思えたのです。

そういえば、
今年は年賀状書きが遅くなってしまいました。
実はまだ終わっていなくて、
なんとか3分の2ほど、今朝ポストにいれました。
で、遅くなったのは、まったく自分の責任なのに、
さすがに、書かねばならない束を見たとき、
「面倒くさ〜い」という気持ちになりました。

ところが、書き始めると、
いろいろなことが頭をめぐります。
この方の個展に、今年は行かなかったなあとか、
この方の娘さんは受験のはずだ、大変だなあとか。
そして私が
「あ〜、○○さんとは、今年会えなかった。
 会いたいなあ」と言うと、夫が、ぽつりと、
「会いたい人とは、会う約束しな!」と言うのです。

そうかあ、そうだよなあ。
会いたい人とは、会いたいってちゃんと言わなくちゃ。

そして、そう思った途端に、
年賀状の束を見たときには、
どうしてこの忙しい暮に出すことになっているんだろうと、
考えたことが、
あ〜そうかあ、一年の最後に
出会った人ということを視点に振り返る、
そういう意味もあるんだなあと、
考えが変わったりしたのです。

私のカウンセリングの師匠が、
オセロの最後の駒を置いた途端に、
パタンパタンと色が変わっていくためには、
最初と最後は大事ということを教えてくれましたが、
まさに、年賀状を出すことで、
一年の最初、自分の駒を置き、
最後、年賀状を書くことで、自分の駒で終われそうな、
そんな気がしてきます。
途中、どんな凹むことがあっても、
どんな誤解をされてしまっても、
あるいは誰かを知らないうちに
めっちゃ傷つけてしまっていたとしても、
最後は自分の駒をおくのです。
年賀状を書くとは、そういうことなのかも・・・。

そして、料理を終え、
年賀状の目処がつき、
お花も飾りました。

今年読んだ本は、63冊でした。
ベストは「噛みきれない思い」。

見た映画は、33本。
50本という目標クリアならず。
ベストは「ミルク」と「サンシャイン・クリーニング」。

なんといっても、一番の思い出は、
妹に会いにニューヨークにいったこと。

そして、世界中のお金を集めて買い戻したい、
そんな経験も。大切な友だちを亡くしました。


晩ご飯を食べた後、
夫の父と、大分年を取ってきた母について
話しました。
忘れっぽいこともある母を、
そのまま受け止め、
気遣っている父。
以前のようには深い話しができなくなって、
きっとさみしいだろうけど、
そんなことはおくびにも出さずに、
母を思いやる父。
いい夫婦だなあと思います。

そして、
薬とか、どの医者がいいかとか、
そんな話をしたけれど、
私がしたかったのは、
本当はそういうことじゃなくて、
母は、母のままでよくて、
時々忘れても、時々歩くのが下手でも、
その母がよくて、
しっかりなんてしなくてよくて、
歩くがしんどかったら誰かがそばにいけばいいから、
そのままでいい!
ってそのことだったんだと、
今、そんなふうに思っているんです。

あ〜、
なんと、いろいろなことがあるのでしょう。

そんな2009年、さようなら!と夫とバーニー。
(本日、散歩のときの彼らです)

そして、みなさん、お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
author : tanizawa-k
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今度は部屋の整理です。

【2009.12.28 Monday 23:03
4月からカウンセリングルームを開設しようと考えているが、
そのため、部屋を一部屋、なんとか、
かたずけなければならない。

昨日と今日、
とにかく、整理、整理、整理!だ。

書類も、衣類も、雑誌も、
いつか必要とする時がくるかもと、
とっておいたいろいろなものを、
整理する。

読みたい手紙がでてきても我慢して、
探りたい事柄がでてきてもそのままにして、
ま、なんとか、かんとか、やっている。

取捨選択するってことは、
自分がここから大切にしていきたいことが
明確になる。

気持ちいいのだが、真っ最中なので、
大変に面倒だってことは、間違いない。



そんな一日のあと、
昨日は借りてきたDVD
「私がくまにキレた理由」を見た。

大学で人類学を学び、卒業をしたばかりの
アニーが、銀行に就職試験を受けにいく。
面接で
「アニーと言う人を、説明して」と
面接官から質問され、
言いよどむ。
「私って誰?」
自分で自分のことが説明できないことに
衝撃を受けるアニー。
セントラル・パークでぼ〜っとしている時に、
ひょんなことからナニー(子守り)に間違えられ、
そのまま、
イーストサイドのセレブな家庭の
子守りとして働くこととする。
その間に、お金はあってもちっとも満たされていなくて、
時間はあっても大切なものに
時間を使っていない人たちの、
浅く、薄っぺらい生活に触れて、
自分のほしいものがそこにないことが
はっきりする。
そして、自分が本当にしたいこと、
人類学で大学院にすすむことをチョイスするという、
そういうストーリー。

人って、
こうやって、他と出会って初めて、
自分ってものがわかったりしていくんだよなあ。

比較するものがあって、
理解がすすむ。

荷物の整理をするときも、
あれは捨てる、
それは、ちょっと判断をまっておく、
これは保存・・・と判別するとき、
心の中で、何かと比較したりしてるんだよなあ。

つまり、「他」と出会うとか、
「他」と交流するってことは、
自分理解がすすむ方法のひとつだ。


ま、こんなことをつらつらと考えながら、
今日も一日整理に奔走している私に、
仕事の依頼の電話が。

県内の中学の養護教諭の先生が、
「コミュニケーションについての講座を」との依頼だ。
しかも、最近多い「スキルを教えてほしい」ではなく、
「友だちとかかわることは、面倒なこともあるし、
 かかわれば傷つくこともあるけれど、
 それでもかかわることが大切なことだということを、
 話してほしい」とのこと。

まさに、「他」と出会い、「他」とふれあうことの
意義を子どもたちに話す機会をいただいたのだ。

なんか、とってもとっても嬉しい。


こういう、セレンディピティ的なことって、
嬉しいなあ。
どれもこれもが、
繋がっている気がする。










author : tanizawa-k
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まずは、自分の大掃除。

【2009.12.26 Saturday 18:31
今日は、
「ストレスの上手な扱い方講座」を行ってきました。

静岡の市街地から車で30分ほど走らせた、
いい雰囲気の山里、足久保というところにある、
「Sato」というスペースをおかりしました。

年末、最後の土曜日、やりたいことは、
他にいろいろあったと思いますが、
それでも、自分のストレスと向き合おうと、
そのことを優先順位の一位に選んでくださった方が、
9名。

現在、大きなストレスを抱えてる方もいれば、
日常的にかかえやすい傾向をもっている方、
特に今そのことに切羽詰まってはいないけれど、
やっといたほうがいいだろうと考えた方、
それぞれいろいろなモチベーションで
参加してくださいました。


①ストレスとは何か、ストレスのしくみがわかること、
②自分の今かかえているストレスを言葉にすること、
③一般的な対処の方法、
④自分のストレスに対して、可能な、あるいはした方が
 よさそうな対処の方法、
⑤思い通りにいかない毎日の中で、それでもなんとか、
 この自分でやっていくヒント。

そのあたりができるといいなあと思って
プログラムを作っていきました。

講座を終えたあと、
「Sato」さんの居心地いい雰囲気もあって、
皆さん、離れがたい様子で、
今日初めてあった9人なのに、
おしゃべりはつきず、
お迎えの車を待たせたり、
催促の電話がかかってきたりしながらも、
長居をされていました。

私はそういう皆さんを見ていて、
「みんな、一年間、よくがんばってきたね」と
心の中で言っていました。

話すことが、後から後からわいてくるみなさんの
様子をみていると、
心の中に押し込んでいるたくさんの想いや、
このくらいのことで弱音を吐いてはいけないと
自身を奮い立たせてきていただろう、
毎日のことが思われて、

ほんと、よくやってきたよね、
今日は聴いてもらおうね!

そんなことが頭の中をかけめぐっていたのです。

ストレス・マネージメントを学んでいくことは、
自分自身のいろいろな部分を確認していくことに
なります。

それは見たくない自分をみることにもなります。
確認しないでおきたかったことも、
見てしまうことにもなったりするのです。

ストレスのしくみは、
ストレスのきっかけのような出来事がおこり、
その出来事に対する受け止め方、捉え方があって、
心やからだにひずみができます。

つまり同じ出来事があっても、
それによって調子が悪くなる人と、
そうでもない人がいて、
それを決めているもののひとつが、
受け止め方、捉え方ってわけです。

だから、学びの過程で、
自分自身の考え方(受け止め方、捉え方)を
チェック、確認する作業があります。


たとえば、
仕事の量という、
ストレスのきっかけがあったとしても、
それが直接、体調が悪くなったり、
会社に行きたくないという反応を
生じさせるのではなく、

仕事の量というストレスのきっかけがあったとき、
「この仕事は全部私が私の責任でやるべきだ」とか
「失敗は絶対に許されない」とか
「こんな仕事の量は私にはできっこない」とか、
「誰も私の大変さをわかってくれない」とか、
そんなような受け止めや捉え方があったときに、
胃が痛くなったり、
会社にいこうと思うと涙がでてきたり、
不調につながっていくかもしれないのです。

そしてその受け止め方や捉え方が
頭に浮かんでくるのは、
誰のせいでもなく、
もちろん自分のせいでもなく、
そういう考えをもたざるを得なかった
これまでの時間や環境や出来事があったのです。

そう、それは誰にせいでもないのです。
自分が悪いわけでもない!ない!ない!


だけど、
受け止め方、捉え方は、
変えたいと願い、
意識をすることで
変えていくことが可能。

今回の講座では、このことを中心に挑戦を
していただきました。


長い時間をかけて積み重ねてきた自分の考え方を
いきなり、違うものに変えることは無理かも
しれませんが、
9人の皆さんが、
自分の考え方を、
もしその中に非合理な思い込みがあったなら、
それを少〜しずつ緩めていってくれると
いいなあと思います。



参加されたみなさん、
今日はいっぱい話したし、
いっぱい聴きました。
自分のストレスを言葉にしていくことにトライし、
自分の思い込みを整理しました。
つまり、
年末に、自分自身を大掃除したことになります。


大掃除の後は、疲れるもの。
今晩はお風呂にいい香りの入浴剤でもいれて、
ゆっくりからだと心を労ってあげてほしいな!

そんなことを思います。

お疲れさまでした。




さて、そんなわけで、
この講座は、我ながら、なかなかよい!と
おすすめできます。
今度は平日にやろうと思います。

年末の、しかも土曜日ってことで、
スケジュールがあわなかった方々、
お知らせをお待ちくださいね。


年末、家の中の大掃除をおえたら、
次は自分の大掃除もいいかも!!!






author : tanizawa-k
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泣き言→。

【2009.12.25 Friday 08:42
1988年12月25日に、母は亡くなった。
母が現実の世界からいなくなってしまって、
丸々20年たってしまったということになる。
今日からは、21年目だ。

私は今心理カウンセラーの仕事や、
コミュニケーションに関する講師の仕事をしていて、
この仕事を通して、
また、この仕事に生かすための勉強を続けて、
だからこそ、
今だったら、もっともっと
母のことを理解できるようになっていると思うし、
ちゃんと母の話を聴いてあげることができたのに!
と思う。

母が、男兄弟に囲まれて育つ中、
唯一の女の子ということで、
どんな役割を担ってきたか?
今の私は、以前よりも、
想像ができる。

環境の中で、子どもは、
誰かからの強制がなくとも、
その中で生きていくために、
自分に役割を課すことがある。
多分、母は責任を負う係をやったり
なだめ役をやったり、
そうやって、自分の居場所を確保したんだと思う。


「ねえねえ、お母さん、
 お母さんは、
 きっと、しきり屋さんをやったり、
 場合によってはなだめ役をやったりして、
 子ども時代も、なかなかいろいろあったんじゃない?」
なんて、お酌をしながら、話したかったな。



母は自分の興味をあることを実現していくために、
高校卒業後、
東京のファッションの専門学校にいった。
彼女のことだから、きっと一生懸命に取り組んだんだと思う。

そんな母が学校を卒業して実家に帰ってきて、
お見合いで父と知り合う。
父は商売をやっている家の3代目だ。
結婚をするということは、
ファッションの世界とは、まったく別の生活に入って
いくことになる。
どんな思いで結婚を決めたのかな?

子どもの私は、
そんなことには想いがいたらず、
その件は一度もきいたことがなかった。

今生きてくれていたら、
「後悔したことなかった?」とか、
「どうやって、他の道をあきらめたの?」とか、
今更聴いたってどうしようもないけれど、
それでも、話をしてもらうことができたかもしれない。


母が結婚して暮らした家は、
つまり私の実家は、
大家族だった。
父の両親の他に、
父の兄弟、
つまり、弟2人と妹2人がいた。
弟たちは東京の大学に通っていたと思うが、
妹2人は実家で暮らしていた。
私の叔母たちで、
私は彼女たちに本当にかわいがってもらった。
叔母たちも母のことを姉のように
慕ってくれていた記憶があるが、
それでも、母にとってみたら、
男兄弟の中で育っていたのだから、
いろいろな戸惑いはあったのではないか?

また住み込みの従業員の人が
一番多いときで4人いた。
彼らの生活もすべて面倒をみていた。

一日何回洗濯機を回し、
昔の手動の脱水機で、
どれだけ衣類をしぼったのかな。

何合のお米をといでは炊き、
野菜の皮をむいて、
煮たり、焼いたりしたのだろう。

もちろん、商売もしっかりとやっていた。
毎朝、店の前をそうじすることからスタートして、
夜シャッターをしめるまで、
働き詰めで、
ご飯の時でさえ、
しっかりと落ち着いて座って食べることは
なかったようだった。

考えてみると、
母は、
妻をやったり、
嫁をやったり、
お店の女将サンをやったり、
姉をやったり、
母をやったり、
経営者をやったりと、
いろいろな役割を生きていた。
その中で、
いつもいつも自分のことは後回しにして、
周りがうまくいき、
トラブルがないように目を行き届かせて、
暮らしていたんだと思う。

今、生きてくれていたら、
お母さん、いつが一番大変だった?
どんなふうに大変だった?
何をどう我慢した?
逃げ出したいときはなかった?
その中で、どんなことが幸せだったの?
いっぱい話を聴けたのに。




ここまで書いてきて、
今、私は、
私の中に、今まで考えたことのなかった考えが
浮かんでるのを、
認めざるをえない。

私の結婚が、
母の命をうばったのかも・・・という考えだ。


だって、
家を継ぎ、
お墓を守り、
商売の跡取りでもある、
そういう役割を担うはずの娘(私)が
家を出るという結婚を決めたんだもの。

母は、
私と一緒に商売をやったり、
私と一緒に暮らしながら
年老いていく日を楽しみに、
がんばってきたかもしれないのに、
私は、その希望を断ってしまって、
そのことが、
母の命に影響を与えたのかもしれない。

だって、私の結納の1週間後に、
母は倒れたんだもの。

それまでの日々が報われないことが
決定的になって、
母は小梗塞を患ってしまったのではないか。

あ〜
こんなことを考えたのは、
20年間で初めてだ。
これまで私は、自分を被害者だと思ってきた。

でも、冷静に母の人生を考えたとき、
今日は、なんだかそう思えてならない。




こんなことを書くと、
きっと心優しい、
このブログを読んでくださっている方々は、
慰めのコメントを書こうとしてくれるかもしれない。

でも、でも、今日の私には、
こう考えることが必要な気がします。

そして、大丈夫。
さんざん、こう考えたあと、
これが、一方的な考え、
つまり半分の考えであることにできることを、
私自身、気がついています。
そうです。
この考えを、
整理をしていくことができる私であることも、
私自身がよく知っています。

そんなふうに、凹んだときの戻し方が
よく分かってきたからこそ、
この考えが、私の中に生まれたのかもしれないな。


とにかく、
私は今日は、
私の結婚が母の命を縮めたという説を、
考えてみようと思う。



20年間、
私にとってクリスマスは、
母を想う日。

めそめそ泣いて、
目がはれて、
そして、
また、
笑顔を取り戻す、
そんな一日なのであります。














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その中に宝がある。

【2009.12.23 Wednesday 21:36
普段活動をしている中学の教頭先生と校長先生と
話す機会があった。
アサーティブな生き方というか、あり方というか、
それは、
自分から動く姿勢の方が、
何かが起こるのを待っているより、
近い。

ででで、今年最後の活動の日に、
4月からの総括の意味で、
改善点があったら教えてもらおうと
話し合いの時間をもっていただいたのだ。

そしたらそれは、本当にありがたい時間となった。
私は一応一年契約だから、
あと3ヶ月で一区切りなんだけど、
その3ヶ月の間にやった方がいいことのヒントを
たくさんいただくことができた。

私の方からも、
自分なりにやれたことや、
もう少しやってみたいことなどを
聴いていただくことができた。

そして、その話し合いの中で、
校長先生が話してくれたことで、
もう、
なんというか、
それそれ!それだあ!と
思うことがあった。

それは、
教頭先生が、
「いろいろな問題の話を聴いてくれているけど、
 自分が大変になってしまわない?」
的なねぎらいの言葉をかけてくれた時だった。

これ系の質問はよくいただくことで、
私はその度に、
何か答えるのだけど、
なんか、ぴったりな感じじゃなくて、
ふわふわとしていた。
今まで答えてきたことは、
「それがプロフェッショナルですから」とか、
「自分を解放するものを持ってますから・・・」系の、
そういう答え方をしていた。

ま、とにかく、
その時に、校長先生が、講演で聴いた
河合隼雄先生の言葉を教えてくれて、
それが、あ〜それだ、私もそれにすごく近いと
思った。
「河合さんが、どの話の中にも、
 きらっとした宝をみつけること
 ができるから、
 人の問題の話を聴き続けても、
 大変なことばかりではないのだよ、
 と言っていたよ」

その河合隼雄先生の言葉は、
すごくよく分かる。

小学生の言葉の中に、
その子がその子なりに必死で考えている心の葛藤があるし、
中学生が言葉もなく黙り込む、
その中にも、一人で乗り越えたい想いを感じる。
先生が子どものことで悩むのは、
子どもの成長の役に立ちたいのに、
立ちきれないいらだちがあるし、
親御さんが子どものことを相談してくれる時は、
自分の育て方や接し方を責めてらしていることが多く、
その裏側には、
本当に子どもを大切に思っている気持ちが
隠れている。

それは、宝だよなあ。

確かに現状は問題があり、
大変ではあって、
そのことを話してくれているんだけど、
私に話してくれているってことは、
なんとかしようと一歩を踏み出したってことで、
それは本当に勇気があることで、
そういう方々とすごせる時間なんだよなあ。

そうだ、だから、
いろいろな方が心配してくださるようには、
私は疲れないのだ・・・。


すごくすっきりと、
2009年の学校の仕事納めをすることができた。

やっぱ、フィードバックいただくことを待ってないで、
自分から動く!って、めっちゃいいと思う。


author : tanizawa-k
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こまめに流してください。

【2009.12.22 Tuesday 17:43
土日は、静岡市のグランシップに行く用事があった。
10階のスペースは外に面した壁一面がガラス。
イスに座ると、真正面に雪景色の富士山を見ることができる。
土日ともよく晴れたので、素晴らしい景色だった。
県外からいらした方々ともご一緒したが、
この富士山は楽しんでいただけたのではと思う。

さて、そのグランシップの12階の女性用のトイレに、
「こまめに流してください」という張り紙が、
ひとつひとつの個室に貼ってある。

こまめ?
こまめって、いつ?

私は、こういうアバウトさに、
ついつい突っ込みを入れたくなる。

アサーティブなコミュニケーションを知ってから、
特にそうだ。

アサーティブ・トレーニングでは
自分の気持ちや意見を、相手も大切にして伝える
コミュニケーションの理論とスキルを学び、
それを練習するのだが、
スキルのひとつに「的をしぼる」ことがある。

これを学ぶと、
「もっとやる気を出して!」ではなく、
「やる気」という漠然とした言葉に変わる、
相手が理解できるような具体的な言葉が
必要だということが分かる。
たとえば、
「電話がかかってきたら、3回以内にとってほしい」とか、
「会議の15分前には書類を、
 私の机の上に提出してください」とか、
「就業時間中の私用の携帯電話は、
 必ず廊下にでて話してください」とか、
そんな言い方。

自分が、
対象となる相手に求めている「やる気」を
具体的にいうと何になるのか、
自分の中で明確にしてから、
言語化するのだ。

同じく、断るときも、
何に対してNOなのか、
的をしぼる。

一緒にごはんを食べましょうと誘っていただいたことが
なんとなくイヤだなあと思ったのなら、
自分に問うのだ。
予算があわないのか、
メンバーが気になるのか、
日程の問題か、
食事ではなくてお茶ならいいのか・・・

相手に言葉を発する前に、
自分自身とのコミュニケーションをして、
的をしぼっていく。



そんな中で、
「こまめ」では
あまりにも漠然としすぎていて、
グランシップが私に望んでいることが、
わからなくて気持ち悪いのだ。


私の属する
アサーティブジャパンの講座は、
基礎講座では、理論や考え方の土台、
率直に頼む頼み方や、
断り方、
ほめ方やほめられ方のスキルを学び、
ロールプレイを通して練習して、
日常での努力の方向性を知り、
毎日のコミュニケーションに
生かせるようにする。

応用講座では、
批判を受けたときの対処の仕方や、
怒りという感情の取り扱い方、
そして、
価値観の違いがあったり、
考え方の違いがあったり、
長年すれ違っている関係の上での、
話し合いの方法を学ぶ。

そうやって学ぶ過程で、
だんだんと、
相手に対して
「なんで分かってくれないの!!!」
と相手をわからずやにしていたことが、
伝わるような言い方をしなかった
自分の側の責任にも気がついたりしていくのだ。

そうなると、結構楽になる。
相手はコントロールできないから、
「わからずや!」と相手を責めていても、
何も変わらず煮詰まるが、
自分の行動はコントロールが可能で、
自分から発する言葉を変えてみようかなど、
自分のやるべきことが見えてくるからだ。

その最初の一歩が、
「的をしぼる」練習を含め、
アサーティブのコミュニケーションの基礎固めをする、
基礎講座。


興味をもたれた方は、
アサーティブ・ジャパンのホームページを、
ぜひぜひご覧ください。
http://www.assertive.org/index.shtml

また静岡での基礎講座は、
来年2月27日/28日に、
静岡市の県教育会館で行われます。
http://www.assertive.org/b/b_2_1/


★この記事は、NPO法人アサーティブジャ パン認定トレーナーである谷澤久美子が個人で開いているブログです。このブログ記事に関する全ての責任は谷澤久美子個人にあります。NPO法人アサーティブジャパンが運営・管理しているウェブサイトではありませんので 予めご了承ください

author : tanizawa-k
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早期教育の危なさ。

【2009.12.21 Monday 22:23
今日のNHKの「おはよう日本」で、
子どもの早期教育が加熱している問題を取り上げていた。

生後6ヶ月から子どもに英語を学ばせていた母親が、
後悔を語っていた。
幼稚園に入園したその子は、
日本語での友だちとのやりとりがうまくいかず、
早々にやめるざるを得なくなってしまったのだ。
もっと遊んだり、親子で一緒に何かしたり、
そういう時間をもてばよかったと言っていた。

脳科学の先生は、
スポーツや芸術の分野では、
早期から始めることで効果的なこともあるが、
その他のことに関しては、
実は20歳すぎてからもシナプスの成長は見込まれ、
早期から始める意味はないことを言っていた。

発達の専門家は、
子どもは自分が疲れていることがわからないから、
からだや心や悲鳴をあげるまで、やる。
周りの大人が判断をしてあげないと、
ある日パタンと倒れてしまうと言っていた。

私は発達の専門家ではないが、
小学校でのスクールカウンセラーの活動を通して、
急がされすぎている子どもを見るのが、
せつなくて仕方ない。

子どもが大人になるのは、
時間がかかって当たり前で、
そのどの過程もすごく大切だ。
大人に甘える時期も、
ぼくがぼくが、という時期も、
なぜ?これ何?という時期も、
私がやる・・・も、
見てみて!聴いて聴いて!も、
全部必要で、
どこかやり残したとしたら、
どこかで補おうとするくらい、
すべての過程が必要な気が、
本当にしている。

小学校1年生で、
英語と水泳とピアノにいっているという話をきいたり、
土曜日は塾をはしごしている話をきいたりすることもあり、
親御さんが、子どもの可能性を延ばそうする、
その気持ちは本当に素晴らしいと思うけど、
もう少し待ってあげてもいいのでは・・・と
心底思うんだ。

早期教育も、子どもを疲れさせ、急がさせるけれど、
もっと怖いのが、
精神的に大人になることを、
大人がそれと気がつかずに強要してしまうことだ。

子どもは感情をそのままあらわすものだが、
うれしい、楽しい、幸せという大人が喜ぶ感情は
表せても、
いやだ、悲しい、さみしい、はらがたつ、苦しい
という感情が表せない子ども。
ダダをこねたり、わがままいったり、
そういう時期がなく、

家庭の中で、
マスコット役をやったり、
仕切リ屋さんをやったり、
大人の愚痴を受け止めたり、
疲れている大人のストレスのはけ口になって
しまうと、
それはもう大人だ。

かといって、それは大人が悪いってわけではなく、
やむにやまれぬ理由があってそうなっていると思うから、
やっぱり社会のあり方を考え直していくしかないと思う。


鳩山さんは、子どもは社会全体で育てていくという
基本的な考え方をもって、
所得制限をなしにして、
子ども手当を支給すると決めたという。

お金だけではなく、
子どもを社会で育てていく具体的な何かを、
私も担っていかねばならぬ!そう思う。
author : tanizawa-k
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本当に言葉って。

【2009.12.20 Sunday 19:27
片山右京さんのお仲間が、
富士山で、本当に残念なことになった。

片山さんは
「助けられなかった。悔しいです。
 すみません」と
顔をあげることもできずに、
号泣されていた。

助けを呼ぶために下山するとき、
本当に下りていいのか、
自分一人で助けるべきではないか、
いやそれは無理だと、
自問自答を繰り返しながら、
一歩ずつ歩いていたことがわかった。

お仲間、二人のご家族の談話を新聞で読んだが、
片山さんを責める言葉は一言もなく、
これまでどんなにいい関係を築いてきていたのか
推し量ることができた。

この件をニュースショーみたいなもので
取り上げていたとき、
ある方が、
「美しい富士山だけど、
 厳しい山だってことを忘れてはいけないですよね」
というコメントをされていた。

それじゃあ、まるで片山さんが、
冬の富士山をなめてかかっていたような
そんな印象を与えちゃうじゃん!
と私は思うのだった。


きっとそのコメントも言った方も、
ちっともそんなつもりはなかったと思う。
こんな感じのことを言っとけばいいかア・・・
くらいのことだったとは思うんだ。

しかし、私のようにひっかかる人がいる。
難しいぞ、言葉!


とはいえ、今年、私も、
そんなようなことを口に出してしまったことがある。

あ〜思い出すのも情けない、
あの一言。

ある地域で、
地域のサークル活動をがんばってらっしゃる方々がいて、
私は、その方々が活動を開始された時から知っていた。
その地域の方々が、自分たちで、
住人の方々の興味のあるスポーツのクラブや文化的なクラブを
立ちあげ運営している。
活動を開始して5〜6年になると思う。
みんなで支え合っている素晴らしい組織だ。
その方々が秋に、神社の庭を借りて、
野外で飲み会をされていた。

私はそれに参加されている方に用事があって、
おじゃました。
すると知り合いが何人もいて、
すごく嬉しかった。
そして、今もまだ、
みんながこんなにがんばっているんだ!と
驚きだった。
なのに、なのに、そこで私が言った一言が、
なぜか、
「まだ続いてたんだね」

なんでそんなことを言ったのか、
今も、わからない。

それじゃあまるで、
続いていることにあきれているような、
そんな印象を与えてしまうではないか!

会とか、組織とかサークルとか、
勉強会とか、
何人かでやることは、
始めることは勢いでできたとしても、
継続することは本当にむずかしい。
私自身もいくつかの会を作ってきて、
そのことはよく分かっているつもりだ。
続けていくことはすごいことだ。
継続は力とはよく言ったもので、
ほんとにそうだと思う。

それなのに、
「続けていてすごいね!」ではなく、
「まだ続いてたんだね」
なんて言ってしまった。

うわあ、今年の後悔のひとつはこれだなあ。

難しいな、言葉。


富士山のことをコメントしてたのは、
写真家の浅井慎平さんだ。
彼もきっと今頃、
あ”〜と思っているかなあ。



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今日は我慢が大切な日。

【2009.12.18 Friday 08:49
iGoogleの12星座占いによると、
今日の私は、

「自分を成長させるためには、
 ちょっと苦しいことにも耐えなければなりません。
 今日は我慢が大切な日。気合いを入れ直して」

とのこと。

我慢が必要な日なんですと。


今日は午前中通常の仕事があり、
午後は月曜に中学生にアンガーマネージメントについて
お話しするための、準備があります。
明日あさっては他の仕事があるため、
月曜日のことは全くできません。

他にいろいろやりたいことがあったとしても、
耐性が大切な日なんですね。

人間が生きていくのに必要な力の
いくつかのうち、
1つが耐性。

耐性は、大きく2つに分けられます。


ひとつは、
今やるのはいやだけど、
明日、あるいは将来の自分のために
やったほうがいいことをやること。

これを努力というのでしょう。


もうひとつは、
すごくそれをやりたいんだけど、
今やらねばならない他のことのために、
それをやらないこと。

それを我慢というのでしょう。


午後がぽかっとあいた金曜日、
しかも、今晩夫は飲み会なだけに、
大手を振って夕食を作らなくてもよいというこの日。

久々映画でもみたいという欲求を、
ぐっと我慢するのです。

そして、月曜のために、努力をするのです。



この努力と我慢ということを、
小学生に説明するチャンスがありました。


やるのいやだなあと思ってもいいんだよ。
いやだなあと思うのは、感情。
どんな気持ちが心に湧いてきても、
心を直すことはないんだよ。

しかし、明日宿題を出さねばならないと、
頭は考える。
そして、出さなかったから、どうなるかを考える。
さらに、本当に今やらなくて、そういう自分で
いいかどうか、自分で考える。
そして必要があることをやることを、
努力するっていうんだ。


がまんだって、
最初心の中に浮かぶ気持ちは、
やだなあと思っていいんだよ。
ゲームの時間は一時間でしょ。もう58分だよ。
あと2分でやめなよ!って、お母さんに言われたとき、
腹がたったら、腹はたっていんだからね。
心は直す必要はないからね。

でも、その次に考えるんだよ。
がまんしないとどうなるか。
このまま続けていたらどうなるか、
考えるんだ。
で、自分で決めるんだ。
それを
我慢っていうんだよ。


こうやって鍛えていくことでしか、
耐性は育まれない。

そのときに、
その努力の一歩を踏み出す子どもや、
我慢の過程をしている子どもを、
見守る大人でありたいな。



とはいえ、今日は私が
我慢と努力の一日をやるのだ。
今日はというより、今日もだけど。
ま、大人はみんな「今日も」だな。
子どもも、だけど・・・。

じゃ、いってきます。
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言葉におさめてしまう、感情。

【2009.12.16 Wednesday 22:00
「先週、給食を食べたとき、
 幸せでした」
と中学3年生の女子が言ってくれた。
私は先週、彼女と、
温かい光が差し込む部屋で給食を
食べたのだ。
牛丼だった。
私もその時幸せだった。
ぽかぽかしていて、
目の前の彼女と、ゆっくりと、
何かを話しながら食べた。


彼女は一ヶ月ほど前、
いろいろなことを話している最中、
「感情の名前がわからない」
と言った。
自分の感じている気持ちを、
どういう言葉で表していいか
わからないということだった。

私はすごくびっくりして、
どういうときにそう思った?
と訊ねてみた。

しかし、それにははっきりとした
返答は返ってはこなかった。

その彼女が今日は、
「大人になると、感情を出せなくなるのは、
 感情の名前が分かってしまうからですかね?」
と言った。

私はまたまた、本当にびっくりした。

そして、あたふたと、
二つの説明をした。

確かに、感情の名前が分かると、
感情的にならなくても、
言葉で感情を伝えられるようになるからね、

ということと、

大人になると、社会とのつながりや、
未来の自分と
今の自分とのつながりがあるから、
感情的でないことを選ぶことが
多くある
ただし、感情的であることと、
感情を表すことは違うので、
大人であっても、感情を言葉であらわすことは
大切なことだよね、

ということ。

すると彼女は、
でも少しさみしい気がする。
子どもの頃に泣きじゃくったような
そんなことは、できなくなるかな・・・

のようなことを言い、

さらに、少し後に、

「今感じていることは、
 今でなければ感じられない今だけのこと。
 言葉にしてしまうと、
 本当はもっと複雑な気持ちでも、
 その言葉におさまってしまうように
 思う。
 今でしか感じられないことが、
 過ぎ去っていくことはもったいない
 ように思う」
と言っていた。

私は彼女とのこの会話は、
すごい会話だと思って、

このことを、日記に書きたいよ

というと、
彼女は、
「私と話したことは、
 全部書いていいですよ」
という。

もちろん、全部を書くつもりはない。
しかし、
これは、すごいことだ!!!


帰宅して、
彼女との会話をいろいろ思い出していて、
「感情」ということを、
ぼんやりと考える。

今度小学生に感情のことを授業できたら、
説明しようと思っていることを
ノートに整理もしてみたりもした。

それは、行動するときに邪魔になる、
やっかいな感情とどうつきあっていくかという
ことが根本にある。

しかし、彼女との話を思い出すと、
どうつきあっていくかに至るには、
思い切り感情を表出する時期が、
絶対的に必要なんだと思う。
そういうことを繰り返して、
なんとか、この感情ってものと、
上手につきあっていかねばならないと、
モチーベーションが生まれ、
それでこそ、
感情の言語化へのステップになる。

感情の表出の時期を十分にもつことの
重要性を、
またまたと感じてしまったのだ。

あ〜、
彼女から教わることがたくさんあり、
彼女の言葉から考えることがたくさんある。
彼女は、私にいい影響を与えてくれるのだ。









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谷澤 久美子
counselor