誰の胸にも、傷跡がある。 【2009.09.30 Wednesday 17:53】 |
中学生対象に「自信」についてのお話をする機会は、 いよいよ来週にせまった。 このブログを通じて「中学生時代のコンプレックス」について たくさんのコメントをいただいたが、 いろいろな学校でお会いする先生にも、 少しの空き時間を利用して取材している。 「先生、5分時間ください」と話しかけ、 趣旨を説明し、 先生がたの中学生時代のコンプレックスと、 それとどうつき合ったかについて伺うと、 とても5分ではすまなくなることが多い。 そのコンプレックス自体がとても重いものだったり、 それを克服していく過程が厳しくて、 それでも正面から向かい合った その姿勢がすばらしかったりと、 心が震えるような話をたくさん聴いた。 プロフェッショナルやプロジェクトXのような話しは、 身近にあるのだ。 さらに、そんな話をきっかけに 現在の悩み事も話してくれることもあった。 あ〜先生方も人間。 心の中に傷跡はあり、 現在も、傷を負いながら、 がんばっているんだ! その先生方がコンプレックスと どのようにつき合っていたかは 分類すると大きく3つある。 ①自分のことを認めてくれる存在を持っていたこと。 ②自分のもっていないものについてはあきらめ、 もっているものを大事に使うことにしたこと。 ③コンプレックスを感じながらも、日々やるべき ことをやっていったこと。 とくに①をあげてくれた先生は多く、 それは部活の顧問の先生からほめてもらったことだったり、 親が何があっても分かってくれたことだったり、 コンプレックスをもちながらも なんとかかんとか毎日を送っている自分を 認めてくれる存在は大きかったようだ。 これは、私たち、思春期の子どもに関わる大人は おおいに参考にしたいことだ。 思春期は、からだが変わる時だ。 性ホルモンが働きはじめ、安定をするまで からだや心のバランスが崩れやすい。 感情の起伏が激しくなって、 よくいらいらしているし、 反抗的な態度をしてみたり、 すごく自己中心的に偏った考えを表現し、 「うちのこ、どうなってしまうのか?」と びっくりすることもあるだろう。 強い劣等感ももつ。 ある時など、100点満点で96点をとった中ニの女子に、 「すごかったね、よくがんばったね」と声をかけたら、 「でも○○さんは100点でした。4点も失点してしまいました」 と答えてくれたこともある。 同じ学年の誰かと比べたり、 世間一般と比べたり、 誰が比べなくても、自分で比べて、自分で苦しくなってしまう。 混乱の時期であり、 第二の誕生期の生みの苦しみの時期。 そんな彼らにとって、 大人になってから、 自分の中学時代を振り返ったとき、 「自分には認めてくれる人がいた。 自分をわかってくれる人がいた」の その「人」に、 大人たちがなれるといいのだ。 そうそう、ある学校でこんな素敵な先生と出会った。 ある子どもがカウンセリングルームに駆け込んできて 「先生、次の授業いきたくない。 今いっぱいいっぱい。ここにいたい」と言う。 私は 「私は次の時間はあいているからかまわないよ。 でも次の授業の先生にわけをいって、その先生のOK をもらってからおいで。もしだめだったら、 昼休みにおいで!待っているよ」 と伝えた。 すると、職員室にいってもどってきた彼女は さっきとうって変わりすっきりとした表情だ。 「どうだった?」と尋ねると、 授業の先生が 「そのことをよく申し出たね。言ってくれて嬉しいよ。 いっぱいいっぱいなら、まずそっちを解決してから、 授業においで」 と言ってくれたんだそうだ。 「よく申し出たね」と言ってもらえてほっとしたと 彼女の表情は柔らかだ。私に20分くらい話したあと、 授業に出ていった。 後でその先生に、彼女のほっとした表情のことを伝えると、 先生は 「彼女はいろいろ悩んでいても、 いつもいつもがんばってきた。 今回はちゃんとSOSを伝えてくれた。 そのことは勇気を使ったと思うんです。 それを認めてあげたかった」 なんとすばらしいコミュニケーション!!! こういうひとつひとつの大人の支えが、 荒れ狂う思春期の子どもの成長を支えるのだと思う。 誰の胸にも、傷跡はある。 まだまだ生々しい傷跡も、 かさぶたになったものもある。 記憶も定かでないうっすらとした跡もある。 それを心の中に持ちながら、 生きている人間が愛おしいな。 そのことを 私の中にしっかりと置いておきたいと思う。 |
author : tanizawa-k
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