2009年09月の記事 | 今のところではありますが…
誰の胸にも、傷跡がある。

【2009.09.30 Wednesday 17:53
中学生対象に「自信」についてのお話をする機会は、
いよいよ来週にせまった。

このブログを通じて「中学生時代のコンプレックス」について
たくさんのコメントをいただいたが、
いろいろな学校でお会いする先生にも、
少しの空き時間を利用して取材している。

「先生、5分時間ください」と話しかけ、
趣旨を説明し、
先生がたの中学生時代のコンプレックスと、
それとどうつき合ったかについて伺うと、
とても5分ではすまなくなることが多い。
そのコンプレックス自体がとても重いものだったり、
それを克服していく過程が厳しくて、
それでも正面から向かい合った
その姿勢がすばらしかったりと、
心が震えるような話をたくさん聴いた。

プロフェッショナルやプロジェクトXのような話しは、
身近にあるのだ。

さらに、そんな話をきっかけに
現在の悩み事も話してくれることもあった。

あ〜先生方も人間。
心の中に傷跡はあり、
現在も、傷を負いながら、
がんばっているんだ!



その先生方がコンプレックスと
どのようにつき合っていたかは
分類すると大きく3つある。

①自分のことを認めてくれる存在を持っていたこと。
②自分のもっていないものについてはあきらめ、
 もっているものを大事に使うことにしたこと。
③コンプレックスを感じながらも、日々やるべき
 ことをやっていったこと。

とくに①をあげてくれた先生は多く、
それは部活の顧問の先生からほめてもらったことだったり、
親が何があっても分かってくれたことだったり、
コンプレックスをもちながらも
なんとかかんとか毎日を送っている自分を
認めてくれる存在は大きかったようだ。


これは、私たち、思春期の子どもに関わる大人は
おおいに参考にしたいことだ。

思春期は、からだが変わる時だ。
性ホルモンが働きはじめ、安定をするまで
からだや心のバランスが崩れやすい。
感情の起伏が激しくなって、
よくいらいらしているし、
反抗的な態度をしてみたり、
すごく自己中心的に偏った考えを表現し、
「うちのこ、どうなってしまうのか?」と
びっくりすることもあるだろう。
強い劣等感ももつ。

ある時など、100点満点で96点をとった中ニの女子に、
「すごかったね、よくがんばったね」と声をかけたら、
「でも○○さんは100点でした。4点も失点してしまいました」
と答えてくれたこともある。
同じ学年の誰かと比べたり、
世間一般と比べたり、
誰が比べなくても、自分で比べて、自分で苦しくなってしまう。

混乱の時期であり、
第二の誕生期の生みの苦しみの時期。

そんな彼らにとって、
大人になってから、
自分の中学時代を振り返ったとき、
「自分には認めてくれる人がいた。
 自分をわかってくれる人がいた」の
その「人」に、
大人たちがなれるといいのだ。




そうそう、ある学校でこんな素敵な先生と出会った。

ある子どもがカウンセリングルームに駆け込んできて
「先生、次の授業いきたくない。
 今いっぱいいっぱい。ここにいたい」と言う。
私は
「私は次の時間はあいているからかまわないよ。
 でも次の授業の先生にわけをいって、その先生のOK
  をもらってからおいで。もしだめだったら、
 昼休みにおいで!待っているよ」
と伝えた。
すると、職員室にいってもどってきた彼女は
さっきとうって変わりすっきりとした表情だ。
「どうだった?」と尋ねると、
授業の先生が
「そのことをよく申し出たね。言ってくれて嬉しいよ。
 いっぱいいっぱいなら、まずそっちを解決してから、
 授業においで」
と言ってくれたんだそうだ。
「よく申し出たね」と言ってもらえてほっとしたと
彼女の表情は柔らかだ。私に20分くらい話したあと、
授業に出ていった。
後でその先生に、彼女のほっとした表情のことを伝えると、
先生は
「彼女はいろいろ悩んでいても、
 いつもいつもがんばってきた。
 今回はちゃんとSOSを伝えてくれた。
 そのことは勇気を使ったと思うんです。
 それを認めてあげたかった」
なんとすばらしいコミュニケーション!!!

こういうひとつひとつの大人の支えが、
荒れ狂う思春期の子どもの成長を支えるのだと思う。




誰の胸にも、傷跡はある。
まだまだ生々しい傷跡も、
かさぶたになったものもある。
記憶も定かでないうっすらとした跡もある。

それを心の中に持ちながら、
生きている人間が愛おしいな。

そのことを
私の中にしっかりと置いておきたいと思う。







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映画「プール」

【2009.09.28 Monday 17:41
タイのチェンマイのゲストハウスで働く母親京子(小林聡美)の元に
やってくるさよ。
空港まで迎えにきた手伝い人の市尾と、
途中で折り合ったゲストハウスの中に住む菊子(もたいまさこ)と、
3人でゲストハウスに向かう。

この車の中の会話が、
さよがこれまで、
周りの人のことを思いやり、
周りの人の目を気にして、
そしてがんばって生きてきたことを、
思わせてくれた。
だって、さよは二人にきくのだ。

私ってどんなふうに見えますか?と。

「どんなふうに見えるかって、どういう意味?」と尋ねられると、
ひとりでさみしそうに見えませんか?と。
「そんなふうには見えないよ」と市尾。
「そうよ。ファッションもかわいらしいし、
 ショートカットがよく似合っているし」と菊子。
すると、安心したように、
よかった・・・とつぶやくさよ。
でもさらに心配になって、
じゃ、きばっているようには見えませんか?

彼女がそんなふうに周りや人の目を気にするのは、
理由がある。

それが明らかになるのは、
ひょんなことから二人だけで夕飯を食べることになったとき。
さよは思い切って、京子にきくのだ。
「どうして私をおばあちゃんのところにおいて、
 タイに行ってしまったの?」

京子はとってもシンプルに、
「だってそうしたかったから」と答える。
「お母さんがそうしたいからそうするって、
 そのかげで私がどんな思いをしているかなんて
 まったく考えなくていいの?」
と責める。
「私は不良になったって、おかしくなかったんだからね」
と自分の思いをぶつけるのだ。

実はこの映画の中で、
自分の気持ちや意見を伝え合うのは、
この場面だけだ。

あとは、たんたんと日常があり、
朝、昼、晩と丁寧に作ったごはんを食べ、
仕事をする人はし、
学校にいく子は行き、
市場に買い物に行き、
知り合いに手作りのお惣菜を届け、
捨て猫や捨て犬を育て、
洗濯をぱりっと干し、
プールサイドで歌を歌う。

この場所では、
みんなが、可能な範囲の中で、
決して無理することなく、
自分がしたいかしたくないかということを
選択の基準にしているようで、
そんな人々と一緒にいるうちに、
さよの中で、自分を大切にするってことが、
可能なことになっていったようだ。

この映画を見ていて、
場のもつ力をすごく感じた。

「かもめ食堂」のヘルシンキ、
「めがね」の携帯が通じないどこかのリゾート地、
そしてこの映画のチェンマイ。

どこも、そこでなくては、
その人の内側の力を
回復させてはくれなかったように思う。


場は大事だ。

そしてもちろんその場を作っている環境の一つに、
そこに存在している人間がいて、
さよがどんどんと自分を解放していくには、
したいことをしている京子や、
命に期限をつけられながらも
捨てられた動物をそのままにしておけない菊子や、
思春期の子どものようなことを時々考え、
そして優しい市尾や、
いつも笑顔で、背筋の伸びた少年ビー、
彼らが必要だったんだと思う。

さらに環境のひとつに、食がある。

自分の中にいれるものだから、
何を食べるかって本当に大事だ。

そして私は映画を見ながら、
アジアなものが食べたくて食べたくて・・・。

すっぱくて辛くて甘い、
トムヤムクンのスープを作ろう。



それにしても、
最初、ビーが、
自分がしてもらいたくしてもしてもらえなかったことを
京子にしてもらっているところを見て
ふてくされたさよ。
ちょっと意地悪なこともビーに言ってしまい、
自己嫌悪を感じたりするが、
それでも花を摘んでくれたり、
笑顔で接してくる彼に、
だんだん心を開いている様子は、
素敵だ。

京子とも、どう接していいかわからず、
ぎこちない時間をすごすが、
そうしながらも一緒の時間を過ごすうちに、
本当に自然に洗濯物を干すのを手伝い、
彼女の引くギターに合わせ一緒歌う。
そして、二人でいてもリラックスする時間が
過ごせるようになるのが素敵だ。

こんなふうに、彼女がやわらかくなっていく過程を、
気持ちよく描いた映画。

あ〜おだやかっていいなあと思う。



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何を伝えるか?

【2009.09.27 Sunday 20:27
鳩山さんや岡田さんが、
世界の舞台で発言している。
確かにその発言の根拠は?とか、
その目的に向かうためのプロセスは?と、
突っ込みどころはたくさんある。

たくさんあるが、
明確にモノ言う日本の姿を見せてもらえていて、
私は心が踊る。

考えたことは二つある。
一つは愛国心のこと。

以前自民党政権下では、
子供の愛国心を持たせるための教育のついて、
いろいろなことが議論されていた。
私は無駄じゃないかなと思っていた。
どんなに日本がすばらしいと強く教え洗脳しても、
今日本に住んでいて幸せを感じられなければ、
この国に生まれてよかったとは思えないだろうし、
今この国で活躍している大人を尊敬できなければ、
やっぱり日本人でよかったとは思えないだろうと
考えていた。

ででで、私は国連での
鳩山さんの
地球環境を守るための覚悟の表明した演説について、
議長であるオバマさんや、
ヨーロッパの首脳たちが、
しっかりと言葉で賞賛をしてくれていることを報道で見て、
今のところではありますが、
ちょっとだけ日本人であることを、
誇らしく思えたんだ。

同じように
核に関しても、
唯一の被爆国としての覚悟を表明したことに関しても、
「よく言ってくれた!」という思いと同時に、
日本のポテンシャルを感じて、

あ〜こういう世界で認められる瞬間ってのは、
オリンピックや
村上春樹や、
さまざまな技術や、
NGOの方々の地道な活動でだけじゃないんだ!
とちょっと嬉しかった。

こういうことが重なることが
結果的に愛国心に繋がっていくのではないだろうか?



考えたことのもう一つは、
「何を伝えるか」をきちんともっておくことの大切さだ。

岡田さんが沖縄の基地について語った。
それが政策としていいかどうかよりも、
今まで
「こんなこと言ってしまってアメリカを
 嫌な気持ちにしてしまったら困る」的な感覚で
言わないできたことが、
意外と
言ってみても、
とりあえずは受け止めてもらえることを知ったような
瞬間だったように思う。

さて、そしたら、次のステップだ。

次のステップとは、
では「何を伝えたいか」をどれだけ明確にしてあるかだ。

ここからが試される。

そして
試されるのはコミュニケーションの技術ではなくて、
私たちの要求の事柄が、
どれだけ明確かだ。

じゃ、どうしてほしいの?
ときかれた時に、
「これです」と言えるようにしておく。

つまり、
私たちが
日米同盟や、
安全保障や、
基地のあり方や、
北朝鮮とのこと、
そして自衛隊や、
憲法9条をどう考えているかが、
いよいよ問われるのだと思う。

大変なことだ。
大変なことだけど、
やっとやっとアメリカとの
対等の関係に一歩踏み出せたのだ。
これをもっともっと進めるために、
私たち一人一人も考えておきたいことだと思う。

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「悼む人」

【2009.09.26 Saturday 10:04
評価:
天童 荒太
文藝春秋
¥ 1,700
(2008-11-27)

人の死を悼むために全国を歩いて回る坂築静人。
その人の亡くなり方や、
生前どんな人生をだったかは問わず、
ただただ、その人が亡くなった場所で、
その人の死を悼む。
成仏できるようにと祈るわけでも、
供養するわけでも、
遺族へのお悔みのためでもなく、
ただ、その亡くなった方が、
他の誰とも違うたった一人の人だということを
自分の中で明確にして、
その世の中でたった一人の人が亡くなったということを
自分の胸に刻み覚えておくために、静人は悼むのだ。

彼がなぜそうしたことを選んでいるのか、
小説は明らかにしていく。

彼は、故人の亡くなった場所の近くで
その方の生前の様子を尋ね歩く。
そして、その取材から
故人が
誰を愛していたか、
誰から愛されていたか、
誰から感謝されていたかということを、
静人なりの解釈でまとめ、
それをもとに悼む。

同じ事実でも、解釈が可能だということは、
私の好きな考え方の一つで、
登場人物たちは、
「それは事実とは違うことではないか」ということに、
葛藤をもつのだが、
私にはすんなり入ってくるのだ。

確かに事実はひとつだが、
それをどう評価するかは、
誰にも決められないことが現実にあることを、
私はカウンセリングの現場で多く見聞きしている。

先生から見れば
学校に登校しないことはもったいないことであったりしても、
本人からすれば
自分の命を守るために必要なことであったりするということは、
多くあり、
こういう例はほかにもたくさんある。

善か悪か、
有益か無益か、
正しいか間違っているかは、
どこに視点をもっていくかで変わったり、
どちら側から見るかで変わるのだ。

私は静人の「評価しない」姿勢が好きだ。
そしてそこに至るまでの苦悩がいいと思う。
行動自体は、人間を超越しているような行動だが、
その内側で、彼は悩み続け、自問自答し続けている。

そして、考えの答えが出たら動くのではなく、
動きながら考えているという選択も、
私の好みであるのだと思う。

つまり「悩みながら行動する」ってことが、いい。



この本を読み終わった昨晩、
私の小学校時代の同級生の女性が
病気で亡くなったという
連絡をうけた。

私は大学時代とその後2年くらい東京で過ごし、
静岡に戻ってきた。
そのとき、小学校卒業以来、
本当に久しぶりに彼女と再会した。
彼女と私とあと2人の女性たちで、
私たちはよく遊んだ。

私たちはBMGパーティというのを企画した。
BOY MEETS A GIRL の略で、
今でいえば婚活パーティだろうか。

4人で企画し、人を集め、実行する。
1988年7月のことだ。

ザ・ピ−ナッツの「♪追いかけて 追いかけて」
という歌を替え歌にして、
「♪追いかけて 追いかけて 
 ここまできたけど 独身♪」と
振り付け付きで歌った。

出席者をいくつかのグループにわけ、
グループ対抗でゲームをやったり、
男性を女装させてその美しさを競ッたり・・・。

その後彼女は東京の外資系の会社で働く。
働いてはお金をためて、いろいろなところに旅行していた。
我が家には彼女がアフリカで買ってきてくれた置物がある。

彼女がガンを患ったと知って、
最初にお見舞いにいったのは、
確か94年頃だったと思う。

「よく来てくれたね、くみちゃん」と言ってくれた
彼女の笑顔が忘れられない。
どちらかというと、
ふっくらしていた彼女は、ほっそりとしていた。

その後も、
彼女はガン細胞と戦うというより、
ガン細胞とともに、
幸せに生きようとしていたように思う。

その
彼女が死んでしまった。

あの本当におバカな踊りも、
忘れてしまった。

そして、それまでは冷静に読んでいたこの小説が、
私にとって全然違うものになる。




一晩たって、今思う。

きっと静人も、
自分にとって本当に大切な人が亡くなってしまったら、
「悼む」より「祈る」を選ぶのではないか?

母、巡子の死を知ったとき、
彼女が苦しんでいる間そばにいられなかったことを詫び、
母に何らかの変化があったことを知りながら連絡しなかった
自分を責めるのではないだろうか?

倖世との出会いによって、
感情が再び動き出したように、
本当に近しい人の死や誕生に対しては
ほかの人とは違う「悼み方」をするように思う。

そして、その後の彼の悼みを
見届けたい思いがある。
母の死、甥っ子の誕生を経たあとの彼の悼みの旅を、
天童荒太さんに書いてほしい。




author : tanizawa-k
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一歩ずついこう。

【2009.09.25 Friday 17:52
中学校時代のコンプレックスについて、
たくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
私のメールの方にも何通かいただきました。
一通一通、昔の大切なことを言葉にしてくださってあって、
胸にしみました。
そして、
すごく勉強になりました。

どんな伝え方をしたとしても、
中学時代に自分自身を認めることは
なかなかハードだと思います。

でも、皆様からのメッセージに背中を押していただき、
がんばってきたいと思います。


///////////////////////////////

で、今日。


 


「思春期の子どもとのコミュニケーション講座」の最終回が終わった。
今回の受講生の皆さんもすばらしい取り組み!
一緒に考え合い、話し合い、練習しあった仲間と、
もう会えないと思うとさみしさがつのる。
皆さんも
なかなか離れがたい雰囲気で、
メアドを交換したり、
話し足りなかった分を補おうとしたりされていた。

この講座はこれで8期が終わった。
毎回少しずつ工夫をしていて、
最初の頃に比べると、随分変わってきている。
(最初の頃に参加してくださった方、お許しを!
 あの頃は、あの頃の精一杯でつとめました)
一番変わったのは、
「毎回今日持って帰ってほしいものはこれ!」
とテーマを絞ったこと。
本当に必要で、しかも日常の中で使えることが、
私もスクールカウンセラーとしての経験の中で、
わかってきたんだと思う。





先日、どうしようもなくごちゃごちゃだった下着の引き出しと
靴下の引き出しを整理した。

私は捨てられない女で、
相当昔のものまで、しっかりとしまってある。
しかし、持っていることと使っていることは、
イコールではない。
すでに全然サイズが違っているものまで、
本当に御丁寧にしまってあって、あちゃ〜。
それでびっくりしたのは、
「使えないものがこんなある・・・」ではなくて、
使えないものにじゃまされて、
今も十分使えるものが奥の方に寄せられて、
ここ何年か使っていなかったことだ。
そういうものが結構あったことがショックだった。
なんともったいないことを!

取捨選択をしたことで、
引き出しはきれいになり、
すべてのものが取り出しやすくなり、
しかも、手にとったどれもが使えるものだ。



その「使える引き出し」
のような講座になったかどうかは分からないが、
私なりに必要なことを過不足なく!に
挑戦できたように思う。

受講生の方の感想は、時間のない中
どれもたっぷり書いてくれてあって感激だが、
「上手にできなくてもいいんだよ。
 でも、がんばってやってみようという講座だった」
ということが伝わっていたらしいってことが、
本当に嬉しくてありがたい。

あ〜みなさん。ありがとう!!!



よくがんばった私!ってことで、
映画のご褒美を自分に与えたぞ。
しかも大好きなラブコメ。
あけすけな会話や、なるほどR-15な内容な
「男と女の不都合な事実」。
ま、子どもには聴かせたくない会話がふんだんだが、
それでも、最後は、
「ありのままのあなたでOK。
 ありのままのあなたを愛してくれる人と
 パートナーになれたらいいよね。
 理想のリストをクリアできる人を
 追い求めるのではなく、
 ありのままのあなたが求めた人と、
 パートナーになりたいね」
ってなメッセージが聴こえてきた。



10月は講座や講演のスケジュールがこんでいる。
がんばりたいな
author : tanizawa-k
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コンプレックスの芽。

【2009.09.23 Wednesday 09:49
今日は、この日記を読んでくださっている方に
お願いがあります。
中学生時代を思い出して、
教えていただきたいことがあるのです。

「あなたの中学生時代のコンプレックスは
 何ですか?」

中学生時代のコンプレックスと、
それにまつわることを教えていただきたいのです。


というのは、ある中学校で生徒対象に講演を
するのですが、そのテーマが「自信」で、
その中で、
今、自立し、他者とともに生きている大人にも、
中学時代には劣等感やコンプレックスに
苦しんだりもがいたりしていたということを、
具体的に伝えたいなと思っているんです。

中学生に「自信」をテーマに講演を!
という話をいただいたとき、
二つの気持ちが湧きました。
ひとつは、よし!というやる気と、
もうひとつは微妙〜という困った感じです。

中学生時代、つまり思春期まっただ中の
大きな特徴のひとつとして、
「誰かや何かや普通と比較して、
 自分自身に劣等感をもつ」
があげられると思います。

私が「自信」というテーマでよし!とやる気をもったのは、
劣等感をもちながらも毎日生きている彼らに、
「自信は必ずしも必要なものではないんだ」という
本当のことが伝えられると思ったからです。

自信はあったにこしたことはないけど、
絶対になければならないものではなく、
自信のあるなしに限らず、
とにかく「やる」ってことが大事。

しかし
学校では、「自信を持て」と言われているし、
目標を書くときに「自信をもちたい」なんて書くと喜ばれるから、
「自信」という言葉を便利に使ってしまいます。
便利に使われる言葉は、
いつのまにか日常に入ってきて、
それがないといけないような、
それさえあればうまくいくような、
そんな錯覚を抱かせ、
さらには、
それがない自分を責めるような気持ちにさえ
させていまうかもしれません。

しかし、「自信をもつ/もたない」は
人間が自分の意志でコントロールできることではないわけで、
「自信をもとう!」といっくら念じても、
わいてくるものではないから、
「もちたい」「もとう」とすればするほど、
苦しくなってしまうのですよね。

私は、
「自信は後からついてくるものだから、
 まず最初にそれがなければならないってことは
 ない!
 自信なんかなくて、全然大丈夫。
 でも、自信がなくても、何かをやり続けているうちに、
 自信がわくってことはある。
 実は自信はご褒美のようなもので、
 そのご褒美は次へのエネルギーになる」
このことを伝えるよいチャンスをいただいたと思い、
やる気になっているのですが、

伝え方は超難しいと思うんです。

それで二つめの気持ち微妙〜、困ったあ〜が、
わいてきた訳です。

言ってみれば、こういう金八先生チックな話は、
子供たちはどこかで聴いている訳です。
だから、頭では、なんとなくわかる。
それを本当に心に落ちるように伝えることは難しいです。
しかも、現在、劣等感とともにある思春期の彼ら。
そうはいっても、このコンプレックスを
どうすればいいのか?もどかしい思いをしています。
また、とにかくやることが大事だとわかっていても、
行動に一歩出られない自分を
卑下している子だっていると思うんです。


そんな子どもたちには、
「今コンプレックスをもっている、
 そのあなたでいいんだ。
 そのあなたで、今生きていることが
 すばらしいんだ。
 そのあなたが、もし何かをやろうとしていたら、
 そのことに対して、私は応援したいと
 そう思っているんだ」

そんなメッセージを伝えたいんです。

そのために
彼らが共感するような具体的な事例があることが、
心のしばりをといて、
開いてくれる第一歩ではないでしょうか?


それで、その学校の先生方に取材をし、
先生方の中学時代のコンプレックスを
集めようと思っています。

そして、事例はできるだけたくさんほしいんです。

今現実の社会の中で、
いろいろなことに悩み大変な思いをしながらも、
生きている大人の皆さんの中学時代の葛藤も、
伝えることがだきたら、
すばらしい時間になるのではないか!
そう考えているのです。

ちなみに私は中2の時、
バレー部の先輩から「目がきつい」と言われ、
この奥二重で小さな目がきつい印象を人に与えることが、
いやでいやで仕方ありませんでした。

毛深いってのも、かなりのコンプレッックスでしたし、
からだがかたいのも、やでした。
かたいで思い出してしまいましたが、
髪の毛もかたく、寝癖がなかなかいうことを
きいてくれないのも、相当イヤでした。
文系は普通でしたが、
理系の出来がかなり悪かったし、
家が店をやっていて、玄関がないってのも、
恥ずかしかったです。ピンポンに憧れました。

夫にきくと、
彼はおでこに横3本のしわがあって、
それが年寄りのようでコンプレックスだったそうです。


ま、そんなカレも私も、
なんとか、今を生きている訳で、
今から思えばど〜ってことないことを、
「これでまともに生きていけるのか?」と
考えていたってことで、
それって、なんか愛おしい。

そんな訳なので、
中学時代のみなさんのコンプレックス、
よかったら教えてくださいね。









author : tanizawa-k
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その笑顔!

【2009.09.20 Sunday 21:01
先週の金曜日は「思春期の子どもをもつ親のための講座」
の2回目。
毎回2回目は、
過保護・過干渉とは何かとか、
その結果起こりうることは何かとか、
そんなことを考えるので、
参加者の方にとってはきつい部分もあると思う。
参加者の方が、自分の普段を、
自分を責めすぎずに振り返り、
しかし、いつもとは違う方法をゲットしていってほしい・・・
そういう思いが強いから、
参加者の方も疲れると思うが、
講座を進める側としても、
自分の全部を使っている感じがする。

そして
土日は東京で仕事だった。
たくさんの出会いがあり、
仕事でありながらも学ぶことも多く、
充実した時間だった。

充実したってことは、
当然疲れるわけだ。

金曜日の週の普段の仕事も
なかなか、いろいろあったので、
そんなことが積もっていたことと、
明日からは休みってことで気がゆるんで、
疲れが一気にきて、
「面倒だよお〜」と心の中で思いながら、
夕飯の買い物だ。

お総菜にしよう。

もうなんでもいいから、
とにかく何か買って帰らないと・・・
と選んでいると、
「何になさいますか?」と女性の声。
ぱっと顔をあげると、
販売の女性と目があった。
ニコッとその彼女は笑う。
その笑顔が
もう本当に本当に素敵で、そして自然で、
心洗われた。

20代前半かな?
かわいらしい女性だ。
目も口も頬も、
全部が笑っている。

お金を払うときに思わず、
「あなたの笑顔、素敵ね。
 私は今日めっちゃ疲れていたんだけど、
 あなたの笑顔みてたら、
 なんだかほっとしちゃった」
と言うと、
「えええ、ありがとうございます。
 嬉しいです」
とまっすぐに私の目を見て言ってくれた。

そのまた素直なこと。

なんか、この笑顔に出会えたことで、
この疲れも、かわいく思えてきた。



私は機械的な営業っぽい声が
苦手だ。
電話での営業の方のすらすら〜っとの
トークは、
その製品がいかにすばらしくても、
そのサービスが我が家にとっていかに得であっても、
聴くこと自体を苦痛に思ってしまう。

デパートの中で
「今カードを作ると、今日のお買い物から
 5%引きになります」
とよどみなく、
口角をがんばってあげたような感じで、
声かけてもらうと、
なんていうか、
「いいよ、そんなに御丁寧にしてくれなくて、
 自然に振る舞ってくれれば、それで・・・」
なんて余計なことを思ってしまって、
私の思っていることは、
本当に大きなお世話なんだけど、
そんなこと考えちゃうから、
居心地悪い感じになってしまうんだ。

電話をくれる営業の方も、
デパートで声をかけてくれる方も、
がんばって仕事をしているんだと思う。
その方々の声の感じが、
気にならない方もいると思う。
私の全くの個人的な好みの問題なんだ。


そして、
今日のような方に出会うと、
私も、誰かの疲れを吹き飛ばすような、
そんな笑顔の人になりたいなと思う。

同時に、
私がよかれと思ってしていることが、
好みに合わないって人がいることを、
ちゃんと意識してないと。







author : tanizawa-k
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「やりきれない思いの人もいると思う」

【2009.09.17 Thursday 20:37
評価:
平野 秀典
大和書房
¥ 1,470
(2006-12-15)

共感の神髄が書かれている本だ。
そうだ、そうだとつぶやきながら読んだ。

とくに、現代の人間が、
感じる力よりも、
考えたり、整理したり、情報処理する力を
優先してきたことを説明するあたりは、
たくさんの人に読んでほしいと思った。


「『良いか悪いか』
 『特か損か』
 『敵か味方か』
 感じるより先に、分類し、判断し、
 データとして処理する能力が、
 人類の歴史史上類がないほど発達してしまいました。
  しかし、もともとアナログな存在である人間は、
 デジタルには処理できない繊細な感情という感覚を
 持っています。
  日常において、心で感じる感情は確かにあるが、
 それを表現できない人間がどんどん増えているようです」

そうかもしれないなあ!


思春期の子供をもつ親のための講座の中で、
共感の練習をトレーニングすることがある。
そのときに、保護者の方が困ってしまうのが、
共感してしまったら、要求をのまなきゃならないかも・・・
という恐れだ。

部活いやだよ〜

に、うっかり、
「いやなんだねえ」と共感してしまったら、

休むとか退部するとかの方向に
いってしまいそうな気がするらしい。

その不安はよくわかる。

うんうん、辛いんだねとか、
そうかあ、さみしいんだ、
とかのあとは、
解決のためのアドバイスをしてあげたほうがいいと、
どこかで刷り込まれているのかもしれない。

でも、
それとこれとは話が別だ。

共感はするけど、
同感するわけではないし、
もちろん同情もしない。

共感は感情を言葉にすることで、
それと、要求をのむこととは全く別のことだ。


部活、いやなんだね。

のあとは、

いやなのに、やってきたんだね、すごいね!
よくがんばってるね。

そういう、
「わかりたいんだよ」
「わかっているよ」
というサインが大切。

解決をする必要もないし、
求められていないのに、
アドバイスをすることもないのだ。

必要なのは、
目の前の人(子)の気持ちをわかってあげること。


共感だ。


長妻厚労相は今朝初登庁し、職員たちに、
「(前略)
 職員の方の中には『一生懸命やっているのに
 なんでこんなに批判されるのか』と、
 やりきれない思いの人もいると思う。
 国民に奉仕し、本当にありがとうと言われる
 役所へ、心機一転、生みの苦しみだが、
 努力してただきたい」と挨拶したと、
夕刊に出ていた。

「やりきれない思いをしている人もいると思う」という
言葉に、
わかってもらえている!と感じた職員の方も
いるのではないか。



著者の平野さんは
「共感力は、コンピューターには決して代役が
 できないスキル」と書いている。
本当にそうだ。

「『共感』という感情の原点には、
 なにより誰かとつながっていたいという
 人間の存在が発する叫びがあるのしょう」
そうだそうだ。そうなんだ。


私は、子どもと繋がっていたくて、
その子の気持ちを考えて考えて考えて、
「そうか、辛いんだ」と言葉にする。
困って相談にきてくれるお母さんたちの
心の動きを知りたくて
「それほど心配されているんですね」と
言葉にする。
子どもや保護者の役に立ちたくて、
でもどうしたらいいかわからない先生が、
目の前でうつむいている。
あ〜この先生は、どんな気持ちで、
今私に話してくれているんだろ。
「それはせつないですね」と、
思わず言葉になる。



共感は、人と人の心をつないていく。
その意味や、その影響力、そして方法論まで、
網羅。
この本を読むと、誰かの話をじっくりと
聴いてみたくなると思う。




author : tanizawa-k
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大人の国へ。

【2009.09.16 Wednesday 21:33
鳩山内閣が誕生した。

国民との間に信頼関係を築けるように
がんばってほしいと思う。

私自身も、要求だけではなく、
自分自身が社会のためにできること、
探し続け、し続けていきたいと思う。


私は日本がもっともっと大人の国になるといいと思う。


大人とは何か?

自分で考えて、
選択肢の中から自分で選び、
さまざまな事情や感情に巻き込まれずに、
行動をし、
行動をした、
あるいはしなかった結果の責任を負える人が
大人の一つ目の条件だと思う。

二つ目の条件は、
他者にお世話になっていることを知っていて、
それについての感謝を表し、
お返しをしていくことで、
自らを生かしていく人。

つまり、一つ目が、
自分で自分を生かせるってことだし、
二つ目は
同時に、他者とも上手にやっていけるってこと。

自立と共生。

たっぷりのお金がある中で、
この二つを実現するのは、
案外イージーにできるだろう。

そうではなく、
どんどん少なくなる税収の中で、
自分を生かし、他者と共に生きていくには、
そこに思考や智慧がいると思う。

子どもは、あれがほしい、これがほしいと言える。
大人は、
今はこれを優先。だから、あれはあきらめるという、
何かを捨てる覚悟を持つ必要がある。


そしてそれは内閣や政治だけに求めることではなく、
私が自分にも課すことなんだ。



成熟した大人の国。
それは誰かにそういう国を作ってもらう、
つまり求めることではなくて、
まずは、自分がそうあろうとすることなんだよな。


街頭インタビューで鳩山内閣誕生の感想をきかれた方が、
「お手並み拝見」と言っていたが、
「お手並み拝見」されているのは、
私たち大人なんだと思う。
子どもは見ているのだ。




author : tanizawa-k
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おまじない。

【2009.09.15 Tuesday 21:16
強くなりたい!
と言うのも私。

強くなんかならなくていいよ、
と繰り返すのも、また私。



嫌な言葉も跳ね返し、
自分の不甲斐なさも受け入れて、
理不尽な出来事に立ち向かい、
いろいろな立場になって考え、
感情にまどわされずに行動する。
おおらかで余裕があって、
いつもにこにこと笑っている。
時々そんな人を頭に描く。

私はそういう人に憧れて、
背中をまっすぐに伸ばして、
からだ中に力をいれる。


でもね、
でも。

時には前かがみもあるんだよ。
いつも正しいってのも、どうかと思う

逃げるってのも方法だし
なまけることが、
自分を守ることになるなんてことも、
きっとある。

愚痴はなんの解決にもならない?
そんなこと、ない。
話すことですっきりしたら、
それは立派な第一歩。



たくさんの「やるべきこと」を前にして、
ためいきばかりが出る夜は、
自分の小ささという、
何度口にしても好きになれないものを
味わいながら、
私は、
首を大きくまわす。

そしてゆっくりと、
おまじないの言葉をつぶやく。

「しかたなかったよ」
「なんとかなるさ」
「これが、今の私にちょうどいい」



そして、また朝は来る。

明けない夜はないってのは、

なんともすばらしい事実なのだ。
author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor