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駄目な子だったです。

【2011.05.18 Wednesday 18:06
ここのところ、Facebookにはまっていることを
何回か書きました。

大学時代の仲間がグループになっていて、
誰かが話題をふり、みんなでおしゃべりして・・・
ってことやってます。

私の大学時代って、
特に3年4年は本当に駄目な子でした。
とにかく何をするのも、
面倒だったし、やる気なかったです。
そのことを、
「あ〜あ、あの頃の私って、
 学生としても、
 人間としても、
 今思うと、ほんと、よくなかった」
と思い出しながら、
そうはいっても、
本当によくなかったけど、
それでもなんとか生きて、
そして今活動できているってことで、
このことがありがたいし、
今、自分のことを駄目!って思ってる人が
もしいたとしても、
それはどうにかなることもあるよ!っていう、
事例くらいにはなれるかもなあ、
くらいに思ったりしています。


一年目は充実してました。
私の行った日大芸術学部放送学科ってのは、
新入生を歓迎をしてくれる、なんというか、
代々の習わしみたいなものがあって、
一年生は6班にわけられ、
各班に先輩たちが何人かついてくれて、
親睦を深める手伝いや、
その後の学生生活のサポートをしてくれました。
たとえば、一泊のバス旅行を企画してくれたり、
ゴールデンウイークにみんなで集まる場を作ってくれたり、
なんか、わいわいがやがやした毎日が楽しくって、
その流れで、運動会、学園祭など、
あっという間の一年だったと記憶しています。

2年になると、今度は新入生を迎える立場。
私は新歓のスタッフメンバーになり、
去年してもらって嬉しかったことを一生懸命にしました。

偽装一年生ってのがあるんだけど、
それは各班2〜3名ずつ、偽装の一年生を
いれておいて新入生をびっくりさせます。
ええ?そんな人いるの?
いやあ、日芸だからいるかもしれない・・・
くらいな感じの偽装。
そういうことを考えるのはとても楽しくて、
二年も勉強はほとんとせず、
授業も超適当で、それは学生としては駄目だったけど、
人としては、仲間を大切にし、
そこそこ悪くない日々だったのです。

ところが3年です。
これはもう、本当に人としても駄目。
何度も書きますが、
とにかくすべてが面倒でした。

昼くらいに起きて、
漫画がおいてある喫茶店に行って、
ランチを食べて、漫画を暗くなるまで読んで、
帰宅して、カップラーメン食べて寝て・・・
みたいな日々。

しょっちゅうバイトをさぼりました。
それもドタキャンっていうか、
急に休む馬鹿者でした。
私はアパートの近所の喫茶店でバイトをしてましたが、
そこにいくのがおっくうで、
体調悪いとか何とか言ってはさぼってた。
オーナー夫妻はとてもいい人たちだったけど、
多分私の扱いは困ったと思います。
嘘をいっぱいつきました。

着替えるのも、面倒って時もあったくらいだもの。
相当ひどかったと思います。

4年になる時に、
妹が高校を卒業し、東京の専門学校に入学したので、
二人で住めるアパートに引っ越しすることになりました。
その時、なんと、私、
その引っ越し当日、
オーストラリアに行ってしまうのです。
あ〜おばあちゃん、妹よ〜
なんて、ヤツなんだ、私。
自分の荷物をまとめるくらいは、
いくら私でも軽くやっといてはあったと思う。
でも、最後のそうじとかはまったく。
しかも、新しいアパートは、
おばあちゃんと妹がいろいろやってくれて、
オーストラリアからお気楽に帰国すると、
もう、住める・・・みたいな。


4年になっても、ひどさ変わらず。
あまり学校にはいかず、
それも、両親の反対をお願いたおして入ったのに、
しかも、私学だし、
結構なお金をかけてもらっているのにもかかわらず、
さぼりまくってました。

しかし、卒業するには論文を書かねばなりません。
これがまたひどかった。

私は「インタビュー論」をテーマにとりあげました。
当時私が憧れていたインタビュアーは二人いて、
一人は高平哲郎さん、
もう一人は黒柳徹子さん。

高平さんのインタビュー集
「みんな不良少年だった」に感動、
なぜ彼のインタビューに、
今活躍している人々は、
過去を赤裸々に話せるのだろうととっても不思議で、
で,アポをとり、
めっちゃ忙しい彼が、なんと、会ってくれ、
話を聴きました。

彼は、
インタビュアーは自分のことは話さないものだが、
自分はまず自分がさらけ出すってことを教えてくれました。
これは、今の私にも繋がっている、
めちゃ大事な話。
なのに、なのに、私ったら、
ろくなお礼をしないばかりか、
お礼状も書かない、
卒論ができても、それを送りもしない・・・。
(送れる代物ではなかった。とほほ)

私は今スクールカウンセラーとして、
また子どもたちに心のことについての授業をする者として、
卒論のためのインタビューを受けることがありますが、
その誰もが、必ず、必ず、仕上がったときに
送ってくれます。
あああ。あの頃の私よ。もういやになる。

黒柳さんは、さすがにアポはとれず、
そのかわり、「徹子の部屋」2本分を丸々書き起こしました。

確か卒論は400字詰め原稿用紙80枚以上。
そのうち40枚くらいが、
恥ずかしいことに、この書き起こしの分。
考察はちょろっとです。

卒論の先生はアナウンサーの新堀俊明先生。

卒論を出しにTBSの部屋にいき、
それもなぜ学校ではないかというと、
一回目の約束した日に間に合わなくて、
家族が危篤の嘘をつき(ばればれテッパンネタ)、
無理矢理伸ばしてもらったので、
そういうことになったのでした。

普通、卒論は、ちゃんと装丁してもっていきます。
しかし、私はちょっと厚紙くらいのものを表紙にして
ヒモで綴じる穴も揃えずに開けたので、
ばらんばらん。
文字は書きなぐり状態。

先生はあきれ顔で、
しかし、読んでくれて、
「これは点数をつけられたものじゃないけど、
 一カ所いいところがある。
 だから、61点。
 (多分60点とらないと、OKにならない感じ)」
のようなことをおっしゃたのです。

その一カ所は、
なぜ彼らが相手の心を開くのが上手かという部分。

高平さんは「まず自分をさらけ出す」。
黒柳さんは「自分の気持ちを正直に伝える」。
そこに注目した部分でした。

(ちなみに黒柳さんのは・・・、
 盲導犬を育てる会の方がゲストのときの回を
 取り上げた。
 その方が「パピーウォーカーから犬を引きとって」
 という話をされた時に、
 黒柳さんがすかざす、
 「今までかわいがってくだっさったから、
 パピーウォーカーのご家族は、さぞ、
 さみしいでしょうね、せつないですね」
 などと言う。
 その言葉がきっかけになって、
 「だからこそ、この犬は立派な盲導犬に
 育てなければ!と思える」のような
 志に通じるところを話した・・・みたいな)

あ〜、違う。なんか↑はよく書きすぎている。
そんなもんじゃない。

でもま、その一部分はよかったとしても、
とにかく、
ソレ以外は駄目駄目で、
何しろ、ごまかしと嘘と面倒くさいの、
だらしないあの日々。

本当はもっともっとネタがあるし、
本当のことを言うと、
ソレ以降、
卒業後の25歳の途中までは、
こんな感じの人間でした。




なんだけど、

そう、

今、

自分のことを最低!って思っている人がいたら、
その方へ言いたい。

あるいは、
保護者の方で
お子さんが
面倒だとばかり言ってるとか、
ごまかしてばかりだとか、
やる気がないとか、
ま、とにかく、何か問題を感じて悩んでいる方にも
言いたい。

ずっとそのままってことばかりじゃないです、人間。

ほんと、なんとかなることもあるんです。

ただ、休憩が必要なこともあります。
その時間が、私のように、
5〜6年続く場合もあります。

しかも、私のように思春期でこなくて、
少し超えた、20歳からくる場合もあるし、
もしかしたら、もっともっと大人になってから
くる場合もあるでしょう。

その人によって、必要な時期に、
それはやってくると思います。

またやってきたその休憩の時間の
長さも気になります。
長いと、不安になるでしょう。
心配かもしれません。


でもね、でも、
立ち上がる日がくることもあるのです。

もちろん、絶対立ち上がる日がくるとは言えない。
そう断言できたらいいけど、それは私には言えない。
でも、絶対ないとも、言えないです。
それは間違いなく言えない。

だとしたら、
立ちあがる日を信じた方が身のためだと
思います。


Facebookでおしゃべりしてると、
私の見たくない「点」が、浮き上がってきます。

しかし、その「点」も、
今となってみると、重要な「点」でした。

だってね、
私、
「面倒だ」って言う人の気持ち、ちょっとは分かる。
「よく分かる」なんてずうずうしいこと言えないけど、、
似た思いは体感している。
ごまかそうとするのは、
自分を守りたいからだって、
うそをつくのも、いいとは思ってないことだって、
なんとなくは分かる。
そして、その後、自分を責める気持ちも、
みんなと同じようにやれない自分を情けなく思う気持ちも、
私にとっては、記憶している懐かしい気持ち。

また、自分が本当にやりたいと思って、
あるいは思い込んで、それをやり始めたとしても、
長続きしないこともあるって知っていて、
そういうことがあったとしても、
それ以降、
すべてが長続きしない訳じゃないってことも、
知っています。



その「点」があるから、
谷澤久美子の人生という名の「線」が途切れず
50歳まできているのです。

そして、今思うと、「線」にとっては、
なくてはならない「点」でした。
弱い自分を、自分に見せつけてくれた
大切な「点」。


とはいえ、最中はしんどいです。

苦しい「点」の日々を送っている人も、
大切な人が苦しんでいる「点」の日々を
見守っている人も、
「点」の最中はしんどいだろうから、
独りだけでがんばらないで、
周りの力をかりながら、やってほしいな!って思うのです。


私にとって、それはおばあちゃんだったな。
お金の無心をすると、
あーだこーだ言わず、内緒で送ってくれました。
(なんとムシのいい話だ)
おばあちゃんの前では、いい子にもなれて、
それもほっとしたな。



で、
あの頃、何があったとしても、
今は、なんともまあ、
いい思い出なのですよ、これがまた。
おかしいね。













author : tanizawa-k
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【2017.08.21 Monday 18:06
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谷澤 久美子
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