蚊と。 | 今のところではありますが…
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蚊と。

【2018.09.16 Sunday 22:32

14日の朝5時、広島のホテルで目が覚めた。

朝早くからの研修講師の仕事のため、

前泊していた。

 

夫から

夜中にラインが入っていて

「母が亡くなりました」

とあった。

 

びっくりして、

心臓はばくばくして、

頭は固まり、

すぐに夫と連絡を取った。

 

 

夕方16時半までの

1日研修の講師の仕事はやり遂げた。

義母は(一昨年亡くなった義父も)、

私の仕事を応援してくれていて、

特に彼女は

私の仕事の話を聞きたがってくれたものだ。

私は、この日の報告も、

帰宅したらめいっぱいできるように、

すべての瞬間を心に焼き付けるよう

集中することができた。

 

 

義母は5年前から

グループホームで暮らしていた。

私と夫は月に一度会いに行っていたが、

ここ2年ほどは、私のことはわからなかった。

ここのところは夫のことも

わかったり、わからなかったり。

食事もあまり取れなくなっていて、

うつらうつらしていることが多かったから、

覚悟はしていた。

 

14日金曜の夜10時、

帰宅すると、

穏やかな顔で彼女は横たわっていた。

 

91歳。

 

すべてのエレルギーを

使いきるようにして

義母は逝ってしまった。

 

 

義母と初めて会ったのは、

夫と結婚する前、

夫の祖母のお通夜だった。

笑顔が柔らかい、

優しい印象。

 

夫と結納をすませ、

その2週間後に私の母親が脳梗塞で倒れ入院。

夜、仕事を終えて見舞いに来てくれた夫は、

「うちの母親から預かってきた」

と私に靴下をくれた。

ピンクの靴下だった。

病院で泊まり込んでいる私の足が

冷えないようにと考えてくれたんだと思う。

 

 

母が亡くなった後、

義母の前で

病院への恨みや、

自分のいたらなさを、

わあわあ声をあげて

泣きながら話して、

目は腫れたが、

全部吐き出せスッキリしたことも

しっかり覚えている。

 

 

そうして

夫と結婚し、

彼女と家族になって、

会えば会うほど、

彼女はいろいろな面を見せてくれた。

 

 

びっくりしたのは、

義父母、夫の姉夫婦と私たちで

家でお寿司の出前をとっていただいた時だった。

彼女は真っ先に

「いくらいただきます」

とお皿にとった。

 

私は

「男が先。特に嫁、母親は最後」

的な家で育っていたから、

びっくりして、

そしてすごくすごく嬉しかった。

 

ケーキも和菓子も、

真っ先に彼女が選び、

最後の一つも

「いい?」ってみんなに聞いて

みんなは

「どうぞ」と言い

にっこりして食べた。

 

私は、このことが、

なんか自慢で、

「うちのお義母さんね」

と友達に話していたと思う。

 

 

 

ず〜っと前のある時、

二人でバス旅行に参加した。

何か勉強もかねているような、

そんな感じのバス旅行。

浜松方面に向かって走りながら

その勉強会の先生が

「セイタカアワダチ草は、

 いつの間にか日本に入ってきて、

 今ではそこら中に根を生やしてしまった」

のような説明をしてくれた。

それからも しばらくバスに乗り、

目的地に着いた時、

先生が、

「何か気がつくことありますか?」

と参加者に問いかけた。

すると

彼女は手を上げ

「ここにはセイタカアワダチ草が

 生えてません」

と言ったのだ。

私はその時のことを

今でも時々思い出す。

目の前にあるもののことを見ることは簡単でも、

ないもののことを思うのは、

それほど易しいことじゃない。

先生も

「よく気がつかれました」

と褒めてくれていた。

そういう義母だった。

 

 

年をとって、

デイサービスにお世話になるようになってから、

よくデイサービスに行く行かないでもめた。

行かせたい私と、

行きたくない彼女。

その時すでに

コミュニケーションの講師をしていた私は、

彼女とのやりとりは、

本当に本当に訓練になった。

もちろん、それはコミュニケーションの

問題だけではない。

彼女は元々年寄りっぽいことが嫌いで、

杖も絶対につかなかったから、

デイサービスでお年寄りの中にいることが

きっと嫌だったんだと思う。

 

おしゃれが好きで、

アクセサリーは絶対につけていた。

月に一度医者への通院の時、

出かける時になって

「くみちゃん、大変」

と。

何事かと思ったら

「ネックレスしてない」

と言った時は

本当可愛くてたまらなかった。

 

 

グループホームに入所して、

最初の2か月は

会いに行くことを禁止された。

久しぶりに会いに行った時、

「お義母さん。

 週刊文春と新潮、

 定期購読する?」

と聞くと、(それまでよく読んでいた)

「いいわ、いらない。

 そういうの読んで、

 楽しいとか、面白いとか

 そういうこと感じてしまうと、

 寂しいも感じてしまうから」

と言った。

2か月の間、

いろいろ考え、

どう自分を納得させようか、

あれやこれや思い悩んで、

その間、

なんとか楽にいるために、

いろいろ工夫したんだと思う。

ネガティブな方の感情を麻痺させるには

ポジティブな方の感情も

持たせない方がいいと、

自分を抑えこんだんだなあ。

その時のことを考えると

とってもとっても切なくなる。

 

 

 

 

昨日の夜、

お通夜やお葬式に流す動画のための

写真を選び、

棺に入れるものを探している時に、

また新しい彼女の姿を知った。

 

彼女がこれほど俳句をやっていたとは

知らなかったのだ。

 

「亡き母に 似て来し嫁と 栗を剥く」

 

「『お母さん』と 悩み抱えて 嫁(こ)の来る」

 

私のことを詠んでくれているものがあって、

涙が止まらなくなった。

 

 

そして、詠んでくれていて

本当によかった!と思ったのが、

「孫自慢 輪の外ひとり 残り蚊と」

 

紙切れに書かれてた。

 

いつか推敲しようと思ってたのかな?と

想像できる

紙切れにメモった感じのものが

いっぱい入った箱の中に、

ひっそりとあった。

 

義母は、

たったの一度も

「孫の顔が見たい」と言わなかった。

「子ども、まだ」とも、

「不妊治療進んでる?」とも、

とにかく

子どもに関すること、

ほんのちょっとも、

全く、

全然、

私に言わなかった。

 

そのことで

私がちょっとでも引け目を感じないよう

細心の注意を払ってくれていたと思う。

 

でも、孫がいないことで

さみしさを感じたことは

絶対にあったと思う。

だからこの句を詠んで

ほんのすこ〜し表現して、

ほんのすこ〜し

胸の中を、

もしも落ち着かせることが

できたとしたなら、

よかったなあと思うんだ。

 

そして、なんだか、その「蚊」に

そんな時のお義母さんと一緒にいてくれて

ありがとう!と言いたい気持ちだ。

 

 

 

お義母さんという人は、

本当に面白い人だった。

 

魅力的だった。

 

インスパイアされた。

 

お義母さんを通して、

私はいっぱい考えた。

 

いっぱい想像した。

そうさせてくれる人だった。

 

 

夫と結婚したら、

彼女がもれなくついてきた。

夫の母親が彼女で

本当によかった。

出会えてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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【2018.12.09 Sunday 22:32
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谷澤 久美子
counselor