ヒューマノイドの保育士さん 【2017.07.18 Tuesday 09:23】 |
先日、 夫と 「将来、ヒューマノイドに 保育士さんとか、 幼児教育者は務まるか」 という話を ちょっとだけした。
私は 「幼児期はやらせたくない派」。
でもその理由は、 自分でもモヤモヤしていて、 その時は上手く 言葉にまとめることは できなかった。
で、 「寝る」とか 「漬け込む」ってすごいな! って思うんだけど、 今になって、 「ヒューマノイドは 効率的だからだ」 とまとまった。
幼児期に 「先生」は 身近な大人として、 人間ってものを感じさせてくれる存在だ。
その存在は 人間らしく、 不完全であってほしいと思う。 非合理で、 非効率で、 時々愚かな、 つまり人間であってほしいと思う。
人間は 感情を持ち、 時々はそれに巻き込まれ、 いやいやそれではダメだと自分を律したりする。
先生であっても 月曜はなんとなく気だるく、 でもそれに自分で気づいて背筋を伸ばしたりする、 そういう存在。
こちらが正解とわかっていても、 不正解の方の背景を思いやって 葛藤したりする。
言い間違いがあって謝ったり、 時間ギリギリで飛び込んできた髪の毛がはねてたり、 プライベートでのイライラを持ち込みそうになって 深く反省し、すご〜く頑張ったり、
自分を棚に上げて注意して、 子どもから「先生もやってるじゃ〜ん」なんて 指摘され苦笑いしたりする。
しかった後凹んでる子に、 活躍する場面を作ってあげたりすることもあるけど、 時々は落ち込むことに浸る時間も必要だとも 知っている。
今日のやるべきことはあったとしても、 ムダ話してるうちにそれが楽しくなってしまったり、 ゴールに向かって計画的に進めていくんだけど、 結局最後になって準備が追いついてなくって、 「さ、みんなでめちゃ協力するよ〜」 なんてことになったもある。
不完全であるってことも含めて それが 人間として完全なんだと思う。
保育士さんや幼稚園教諭として、 見守らなくてはならないことや、 教えなければならないことを、 効率よくサービスするという、 以外のところで、 人の子どもは「人間」ってものを 自分自身に 染み込ませていくのではないだろうか? こういうものなんだって。 それでいいって。
言葉での理解ではなく、 一緒にいることで、 こういうのが人間って ものなんだって わかっていく。
もちろん、 ヒューマノイドだったら 罵倒も暴力も 上から圧力かけて子どもをコントロールする ってことも (組み込まなければ)ありえない。 保育園や幼稚園、 小学校1〜2年の頃、 先生から受けた攻撃的な言葉や態度や 不当な批判が心の傷になってしまう場合もあるから、 「安全である」ってのはすごいこと。
だからこそ、 対子ども支援や教育をされてる方は、 努力やトレーニングをする必要が あることは確かだ。
ただ、 そういう、 自分の不完全さや危うさを知っていて、 それでも改善に向かって努力を続ける人が (でも時々怠けたりもする人が) 幼児期の子どものそばにいてほしいって 考える。
やらなくてはならないことが山積みな時、 ヒューマノイドは、 優先順位を判断し、 それに基づいて的確に仕事を仕上げていくと思う。
あ〜、 そして人間らしい私。 いろいろ後回しにしてる私。 ものすごく 言い訳じみたことを書いてる私。 でも、さすがに取り組むぞ〜〜〜〜〜!
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author : tanizawa-k
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