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お見事っ!

【2016.09.26 Monday 18:47

9月20日午後2時25分。

義父が永眠いたしました。

89歳と8ヶ月を見事に生ききり、

夫と夫の姉に見守られながら、

息を引き取ったのです。

 

22日お通夜、23日お葬式に

たくさんの方にご参列いただき、

義父を無事に送ることができました。

 

 

義父は

今年に入って徐々に体が弱り、

9月に入ってからは、

内臓がすっかり弱ってしまっていて、

医師からは覚悟を言いわたされておりました。

 

9月16日の午後、

義父の病室に一人で行きました。

義父は口を開けて、大きく息をしながら眠っていました。

 

私はベットの横に座って、腕をさすりながら

「お父さんに謝りたいことがある」というと、

目をぱちっと開け、また閉じました。

「お父さん、孫ができなくって、

 お父さんをおじいちゃんにできなくてごめんね」というと、

またぱちっと目を開け、すぐに閉じました。

「ずっと前に、お母さんも泉さんもいなくって、

 二人でご飯を食べに行こうということになって、

 ちょっと飲みながら話した時に、

 お父さんは、私に、

 『久美子、養子をもらってくれ』と言ったよね。

 その時私は少しその話にのって、

 『それいい案ですね』なんて話したのは、

 お父さんが、私のことを少しも責めずに、

 少しも私に「子供がないこと」の罪悪感や情けなさをを抱かせずに、

 細心の注意を払って、

 その話をしてくれたからだと思う。

 そのことが伝わってきてた。

 それなのに、

 投げてくれたボールは私の手元にあったのに、

 私はそれから一度も返事のボールを投げ返さなかった。

 その話をする覚悟ができなかったからだと思う。

 お父さんは、ものすごく思いきって聞いてくれたと思うのに、

 一度も切り出さなかったこと、絶対にあやまりたかったんだよ。

 本当にごめんなさい」

というと、またぱちっと目を開けてくれて、

それですぐに目を閉じました。

 

「それから、お父さんが弱くなってしまってから、

 一切の面倒をお義姉さんに任せてしまったことも、

 ごめんなさい」というと、

義父は目をパチパチっと二回開けました。

義父はお義姉さんが大好きだったから、

反応したと思います。

「お姉さんは会社の仕事と

 社会的な活動があって忙しい人だけど、

 お父さんの事を本当によく面倒見てくれたね。

 しかも、私に一回も、

 『あれやってこれやって』とか

 言わないでやってくれたんだよ」

義父はぱちっと目を開け、

しばらく開けていましたが、

静かに閉じました。

 

私は度々起こすのが申し訳なくなって、

20分くらいで部屋を後にしました。

その時言い足りなかった感謝は、

結局生きている間には

伝えられませんでした。

 

 

 

 

 

私の実家の父が亡くなり、

家業を廃業することになった時、

家業の従業員の方々に廃業を告げる場

というのがありました。

酷なことを言わなければならない場は、

まだ30代だった私には心細くてたまらなかったけど、

義父は「俺も行く」と行ってくれて、

立ち会ってくれたんです。

私の後ろにいて、

仕事の関係は全くないのに、

一緒に頭まで下げてくれました。

私の肩にかかった荷物を

一緒に背負ってくれてるようで

私は安心でした。

それも、一言も頼んでないのに、

義父は私を思いやってくれた。

あの時のこと、忘れたことありません。

 

家業の後始末が終わって、

私は自分のこれからを考えていました。

ある時義父の書斎に行って、

「もしみんなが望んでくれたら、

 お兄さんやお姉さんや泉さんの

 会社に入れてもらって、頑張りたい」

と言いました。

そしたら義父は英語を勉強していた手を止めて、

私の方を見て、

「お前は、家のことで苦労した。

 散々頑張った。

 お前はあれだけ頑張ったから、

 もう好きなことをすればいい」

と言ってくれました。

あの時の義父の言葉で、

私は今の仕事を見つけることができました。

 

 

私は学校での相談の仕事と、

コミュニケーションの講師の仕事をすることができ、

なんとかやっています。

ある時、

「久美子。俺は85年生きてきて、

 つくづくとコミュニケーションが

 大事だと思う。それに尽きると思う」

と言ったことがあります。

私は思わず

「どういうことですか?」と聞くと、

「今まで俺は長いこと、

 自分の言いたいことを通したくって、

 大きな声で怒鳴りつけたりしてきた。

 それじゃ、ダメなんだよ。

 お前のやり方の方が、人として大事なんだよ」

と言ってくれました。

「俺は母さんの世話をするようになって、

 時々イライラして、

 大きい声出していうこと聞かせることがある。

 でもそれでは後味悪いんだよ。

 それで介護の本を読んで

 勉強してるところだ。

 俺は今まで 怒鳴ってばかりいたなって、

 悔やまれてな」

私はあの時は照れながら、

「お父さんは心の中は優しさでいっぱいだと思う」

って言いました。

「だって褒めてくれたりするじゃないですか。

 それに、我が家に毎年来てくれるツバメにも

 めっちゃ優しいし。

 孵ったツバメが飛ぶ練習するために、

 電線までだとちょっと距離があるからって、

 つっかえ棒つけてくれてあるじゃないですか。

 私、それ

 『コミュニケーションパターンと性格はイコールではない』例として、

 お父さんに無許可で講演でしゃべちゃってますよ。

 事後報告ごめんなさい」

と言うと、

「おっそうか。それはまあいい。

 母さんにもそうできるといいんだけどな」

と言っていました。

私は85歳になって、

自分のことを振り返って反省して、

自分の伸びしろを確かめられる義父が、

めちゃ素敵だとおもいました。

向上心を持ち続けられる、

学ぼうとしてることが

すごいと思いました。

 

義父のチャレンジする姿勢は、私のモデルです。

泉さんと結婚した時、父は剣道5段で、

6段目指して頑張っているところでした。

40代から始めた剣道。

体育の先生や、警察官などの猛者たちに混じって

稽古してると聞きました。

私は40代から始められるんだ!とまずはびっくり。

でそのびっくりは序の口でした。

それから義父は年に2回、昇段試験を受けました。

でもなかなか受からない。

東北の会場にいったり、名古屋の会場にいったり、

とにかく受けました。

そして落ちる。

どこがダメだったのか、どこをどう直せばいいのか、

教えてもらえないってことでした。

自分で考えたことを改善して次に望む。

また落ちる。それでも挑戦する。

義父は全く諦めませんでした。

途中1〜2回、腕の故障で受けないことはあったけど、

それでも14年かけて6段に昇段した義父。

そのことがどれほど、

私たち家族に影響を与えてくれたかと思います。

一回二回の失敗ないて、なんでもない。

諦めなければ、失敗したとしても、

目標の途中なんだって思えているのは、

義父のおかげだと思います。

 

義父が74歳の時、

頼んで、

中学校を卒業する子どもたちに、

励ましの文章を書いてもらったことがありました。

自分の波乱万丈の人生を書いてくれた最後は、

こう結ばれています。

「社会は極めて公平で温かく、

 そして極めて冷酷である。

 自分に甘え、他人の助けを当然とする

 自分の努力のない人には冷たいが、

 真剣に努力すれば、道はどんどん開けていく。

 頑張ろう!

 理屈抜きにがんばろう。

 自分のしあわせのためじゃないか。

 目的を持って、

 目標をクリアしていく。

 一歩一歩、その道以外に道はない、

 グッドラック」

この言葉は、義父の生き方、そのものだと思います。

 

 

そういう頼りになるがんばる義父も好きだけど、

よく思い出す義父の表情があります。

 

ある時、なんかの弾みで「なぜ泉さんと結婚したか」

というような話になった時、私が

「結婚する前に泉さんと電話していて、

 『電話の前何してたの?」

 と聞くと

 『おばあちゃんの足の爪を切ってた』

 って言ったんですよ。

 私、それに感動しました」

と言った時、

その時の義父の表情です。

「この子は優しいところがある子でな」

と、すごく自慢そうに、

当時54歳の息子を捕まえて、

本当に暖かい笑顔で、

涙を浮かべてた。

あの表情。

 

仏壇の花は、

主に義父が花を買ってきて

バケツに水をはって入れておいてくれるのを、

義母が生けていました。

義母が入院した2010年のお盆。

私がやるものと思ってたら、

義父が生けたんです。

さすが、華道の先生である義母と一緒に暮らしてきた義父。

大きな花は短くきって前の方に、

その後ろに小菊をいけてあります。

多分、私に負担をかけまいと生けたと思うんです。

私は、義父の、

苦労をいっぱいしてきた、

無骨なあの指が、

小菊の茎を持ってハサミをきっているところを想像して

泣けてきました。

義母のお見舞いに行きその話をすると、

「今まで一度もないわよ」と母。

そこに義姉が来て、

「そりゃびっくりだね」。

そこに義父が顔を出すと、

可愛らしい義母は、

「今日は誰もお見舞いがなくって、

 本当に一人ぼっちで淋しかったの。

 それで我慢してたら、急に3人もだもの。

 できればバラバラに来てくれないかしら」

と義父の方を見て言ったんです。

それまでそんなこと言わなかったのに、

義父が来た途端に甘える義母。

「まあまあそう言うな」と義父。

あの表情。

 

私には、どのシーンも宝もの。

ただ、もう新しいシーンに一緒に

いられないんです。

 

大きな出来事の中や、

日常のなんでもない会話の中や、

その時々の出来事に臨む態度で、

結局義父が私たちに言いたかったことは、

多分、

「学べ!励め!」

「人として良いと思ったことはしろ」

ってことだったのではないか・・・

と思うのです。

 

それ、していかないとなあ。

うん。

していかないと。

 

 

 

で、さみしいけれど、

私は思います。

お父さんは

見事な生き方をしたって。

 

見事な生き方を見せてくれた!

 

お父さん、

お見事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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【2017.12.01 Friday 18:47
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谷澤 久美子
counselor