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本当のところ。

【2016.07.22 Friday 09:22

先週行ったある中学校での学校保健委員では、

生徒たちに事前アンケートで、

日常の中のつぶやきを五七五で書いてもらい

それを元に「感情との付き合い方」

について話した。

 

保健室の先生と、

いろいろやりとりしながら

プログラムを作って行ったのだが、

その過程で

「先生方にも書いてもらおう」ってことになった。

お忙しい先生方への依頼は気がひけたが、

保健室の先生が、夕方の職員室で仕事する

先生方に声をかけてくれ、

なんと21の先生のつぶやきが集まったのだ。

(公開することを

 保健室の先生に了解いただきました)

 

その中には

「生徒指導 毎日同じ 繰り返し」

などという、

あ〜先生もお疲れだよなあ、

本当は叱りたくなんかないんだよなあ

と思うものもあれば、

 

「落ち込むな 昔の俺より ずっといい」

という、

なにがなんでも励ましたいというものもあれば、

 

「『おはよう』の 素直なあいさつ やる気でる」

とか

「夏休み 取り戻せるぞ 3年分」

とか

「これぞ!先生」的なつぶやきもあった。

 

その中で、

「素敵だよ 一人でいられる ことだって」

とか

「やる気でない そんな日もある 深呼吸」

とか

「隣の子 うらやましくなる 日もあるよ」

というつぶやきには、心が和んだ。

「ぼっち」は恥ずかしいと思ったり、

やる気ないとダメと思い込んでたり、

スクールカーストの中で惨めさを感じている子、

つまり、

同調圧力の中でもがいている子どもたちは、

どんなにホッとしたかと思う。

 

これらを読みながら。

思い出したことがある。

 

それはかなり前になるが、

ある中学校で

全校道徳の講師を務めた時のことだ。

「どんな感情が湧いてしまっても仕方ない。

 でも行動はコントロールする責任があること

 自覚していこう」的な話をした後、

帰ろうとする私を

車のところで待ってくださっていた保護者の方が、

「小中学生には

 当たり前のこと、

 建前を教えたい。

 いろいろ思いながら

 頑張っている子供たちには、

 今日の講演は

 余計なことだったと思う」

というようなフィードバックを

くださった方がいたのだ。

 

多分、

「どんな感情が湧いてしまっても仕方ない」

という部分を批判されたんだと思う。

 

その時のことを思い出したのだ。

 

 

私はあの時、

待ってくださっていたことへの感謝と、

そういう意見があることも知っていることと、

それでも私は違う意見を持っていることを告げた。

 

彼女は、

「そういうようなことを

おっしゃると思ってました」

的なことを話され、

すぐに保護者会へと行かれた。

 

 

言いっ放しのようにされたその方に対して、

私は腹が立ち、

批判されたこと自体にもカチンときた。

 

しかし、家まで運転する車の中で、

その怒りでもやもやする中身を

あれやこれや探ってみると、

2つの悔しさ、

 屬修ΔいΠ娶を持つ方にも

  そこそこ納得してもらえる講演が

  できなかった自分」

◆峪劼匹發燭舛

  感情のことを話すことの必要性を、

  明確に言葉にしてこなかった自分」

があることに気がつき、

特に2つ目の悔しさについては、

自分の努力不足を自覚することになり、

それに気づけたのは彼女のおかげだと

家に着く頃には、感謝になっていたものだった。

 

そして、私なりに、努力を続けた。

 

 

あれからずいぶん時間がたって、

今回の先生方のつぶやきを読んで、

学校現場はすでに、

「建前」や「すべての人に必要な昔からの教え」的な

ものだけでは、

生徒の心をとらえることができないし、

多様な生徒個人個人の成長へのサポートにはならないことが

浸透しているんだと思った。

 

もちろん

「建前」のようなものも、必要だと思う。

 

助け合おう

努力しよう

失敗しても立ち上がろう

我慢もしよう

仲良くしよう

 

それを言わないんじゃない。

それも大事。

 

でも、

それがいいことだって100も承知で

それでもできない時に、

そんな当たり前を示されても

「知ってるし」で終わってしまうことを、

学校現場は知っている。

もちろん前から知っていたと思うが、

以前はそれは個人との面談の中や

クラスでの話の中であって、

全校という超公の場では

「建前」がほとんどだったと思う。

(私の知ってる限りですが)

 

そのようなことを

先週の中学校での学校保健委員会では

しみじみと考えたのである。

 

 

 

そして昨日の小学校での学校保健員会。

5〜6年生が対象だった。

 

私は話した。

「人間ってね、

 イライラやクヨクヨや、

 悲しい気持ち、辛い気持ちが

 たまってくると、

 なんだか意地悪したくなって

 しまうものなんだよ」

 

それを話しながら幼い時のことを頭に浮かべてた。

 

私は幼い頃、

妹みたいな柔らかい髪じゃなく

硬くてツンツんしてる自分の髪が悲しくて、

母親じゃなく父親に似てる自分が嫌で、

大人には褒められるけど、

同じ年の子からは好かれてないような気がして、

そんなことが辛いなか、

それでも普通に過ごしていて、

ある日、

お風呂で、まだ結構あったリンスを

全部を使ってしまい、

妹に使わせないという意地悪をして、

母に叱られた。

 

「嫌な方の気持ちだって、

 湧いて悪い気持ちなんて

 いっこもないんだよ。

 だからね、嫌な方の気持ちが

 湧いた時だって、

 誰かに言っていいんだよ。

 言えない時もあるって、わかるよ。

 でも、安心できる場で、

 言ってもいいってことは、

 知っておいてほしいんだ」

 

これは「建前」ではなく、

本当のことだと思う。

 

 

 

 

子どもにとっても

ストレスフルな社会の中を、

感情とどう付き合っていくのかという

本当のことを知らないで生きて行くのは、

あまりにも無防備だと私は思うし、

学校もそう考えているように思う。

 

それで、そういう要望が多いし、

それを校外の人に依頼するだけでは

もう足りないんだと思うんだ。

 

 

 

とはいえ、これも今のところの考え。

いろいろ変わっていく中で

その時その時考え続けていくしか

ないよなあ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

私はこの文を書きながら、

「あれ?

 もしかして、私は、

 あの時の彼女に、

 自分の正当性を

 認めさせようとしてるのかな?」

と考えた。

正直、ちらっとそれ、あったかもしれない。

(うググ、せせせこい)

 

でもそれよりも、

あの時の彼女と

いろいろ議論してみたい思いの

方が強い。(うん、これ ほんと)

また新しい課題を、

彼女は与えてくれるんじゃないかと思う。

 

ダメだな、それは甘えだな。

自分で「問い」は作らねば!

 

 

 

さ、夏休みだ。

先生方と研修を共にする機会が多い。

その中から、問いを見つけて、

精進していくぞ。

 

 

 

 

静岡県立美術館で

ミッフィー、始まってる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
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