「子どもの頃から哲学者」 | 今のところではありますが…
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「子どもの頃から哲学者」

【2016.06.12 Sunday 09:30
「教育の力」の著者苫野一徳氏の新刊。

自身の半生をネタにして、
精神のバランスを、
哲学によって取り戻せたことを
示す本。

著者の承認欲求からくる悩みや問題は、
多分、多数の方の日常の悩みにつながるから、
この本によって、
つまり哲学の力によって、
多くの方が救われると思う。

しかも、
ルソー、デカルト、
キルケゴール、
ニーチェなど、
かろうじて名前は知ってるけど・・・の
哲学者たちの考えを、
わかりやすく書いてくれてあるから、
めちゃお得な本だとも思う。

私自身は、
著者が見つけ出した哲学のテーマ
「多様で異質な世界の人たちが、
 『相互承認』できる社会。
 そんな社会をどうしたら
 築いていくことができるか」
にとても共感する。

また、そのテーマの元が
自身の成長の過程の中にあることも、
すごくうなづける。

彼は幼い頃、
友だちがいないと思い込んで、
一人孤独感を抱えていた。
中2の頃には、お弁当をトイレで食べて
いたというから、筋金入だ。
子どもの頃から
「人はどうすれば、
お互い分かりあうことが
できるのだろう。
認め合うことが
できるのだろう」
と考え続け、
その答えを、
高校時代は生徒会の活動で、
大学時代はなんと教祖様になって、
見つけようとする。
その姿勢が、当時の本人は、
必死だったと思うけど、
読者としては
めっちゃおかしくって、切ない。

そして、それを追求していくことが、
彼の哲学のテーマになった。


本当に小さな例だけど、
私も、
今、相談の仕事や
アサーティブというコミュニケーション講座の
講師の仕事をしていることの元に、
子どもの頃の葛藤がある。
「家制度」に基づく「後継者」としての役割を
期待されたことは、
当時は苦しくって仕方なかったが、
今となってみると、
「テーマ」を与えてもらったことに
なったと思う。

私はずっと、
個人の思いを持っていいのか?
それを表現していいのか?
相手の思いは、どう考えればいいのか?
相手の思いとの折り合いをつけることは
可能なのか?
という「わかりあう」ことに対する、
問いの答を
自分なりに考え、
そして探してきたと思う。

私は
「建設的な生き方」
「アサーティブ」
「ロゴセラピー」
に出会った。

彼は哲学に出会った。

そして、この本を読むと、
哲学は、
「方法論」的なものより
根本にあるもので、
だから、
哲学の上に立つ方法は、
方法自体をもっと強力にすると思う。


哲学を背景にもった方法論が
なぜ強力なものになるか?

彼は、実用的な哲学というものが可能だと
考えていて、
2つの例で示しているが、
その一つ「信念対立の乗り越え方」が
わかりやすいと思う。

「信念対立」とは、
私が正しいの?相手が正しいの?
どっちよ!!!的なことで、
乗り越えるとは、どうわかりあうかって
ことになると思う。

例えば、アサーティブにはその方法論がある。
「伝える内容の整理方法」
「伝える順序」
「伝え方のポイント」
(アサーティブジャパンでは
 応用編で取り扱う)

もちろん、アサーティブでは
マインドも大事にしている。
そのマインドに、
彼の理論をプラスしたら、
もっと強力になりそうだ。

彼は、
まず自分に
「どうしてこういう信念を
 抱くようになったのか」
と問いかけることを勧める。
そして、その背景にある欲望を確認する。
次に相手の信念の理由と、
理由の背景にある欲望の次元まで考える。

お互い欲望の次元まで遡ることができれば、
「共通了解」が生まれる可能性が出てくる
という訳だ。

子供の頃、
「後継者という役割を拒否したい」
という信念の背景にある欲望は、
多分
「自分のことは自分で決めたい」という
自由選択に関する欲望があった。
両親を含む家の「長女が後継ぎ」という
信念の背景にある欲望は
「家や商売を守りたい」があったと思う。



この彼の理論の背景に
ルソーの言葉
「わたしたちの欲望と能力の間の
 不均衡のうちにこそ、
 わたしたちの不幸がある」
がある。
それはつまり不幸の本質は、
欲望と能力(または環境)の
ギャップだということで、
とすると
不幸から抜け出すための道は3つと示す。

1・能力をあげること
2・欲望を下げること
3・欲望を変えること

上記の例で言うのなら、
自分の「自由」への欲望は、
どのあたりまで下げられるか。
あるいは、それを変えることは可能か、
検討するという選択しが生まれ、
次に、
親(家)の欲望はどのあたりまで
抑えてもらえるのか?、
また変えることはどうか?
話しあうという選択肢も生まれる。

つまり、
お互いの欲望の
どの部分で折り合いつけるか
という対話に繋がり、
「継ぐの?継がないの?」の
二元論ではなくなった可能性がある。




今、
日常の中に、様々な信念対立はあると思う。

夫婦の間では
子どもを持つかどうするか?
家事分担について。
働き方について。

親子の間では
どの学校を目指すか。
ゲームやスマホの使い方について。
一人暮らしするか、親元から通うか。

仕事場では
仕事の進め方。
部下への指導の仕方。
などなど。

そんな時、
哲学は
机上のものだけではなくって、
使用可能な道具にもなる。




手にとった時、
タイトルのイントネーションが
「暦の上ではディッセンバー」に似てて、
くすってした。
その中身は、
面白くって、
深くって、
そして次に読みたいものを呼んでくれた。

あ〜面白い本だった。


















 
author : tanizawa-k
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【2017.10.14 Saturday 09:30
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谷澤 久美子
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