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ちょうどいい距離にいる。その2

【2016.01.02 Saturday 18:06
年末年始に「フィードバック」について考えたのは、
「みんなのきょうしつ」という本で、
伴走者という言葉に出会ったことも大きいと思う。


この本の舞台は小学校。

担任の岩渕先生がクラスで起こったことを
自らフィードバックして(前の記事の②)
それを、
別のクラスの中谷先生がフィードバックする(前の記事の③)
って内容。
昨年末に、
普通に1ページ目から読んだが、
年が明けてから、
どうしても気になり、
中谷先生の部分だけを読み、
その中で、
岩渕先生の実践に、
質問をしたり、
気になったことを書いたりしている部分を
拾い出して、
そこでもう一度岩渕先生の文章を読んで、
そこはなぜ質問が必要で、
なぜ「気になったこと」を伝える必要があったのかを、
考えてみるってことをやってみた。

つまり、
相手を応援し、
相手の成長を願い、
相手を尊重して出す、
より良いフィードバックってものを、
中谷先生の言葉から研究してみたってこと。
(まだまだ研究序の口ですが)

中谷先生は、
ほとんどは、
鏡のように、岩渕先生の実践を
ただただ受け止める。
時々は彼が使ったそのままの言葉で、
時々は自分自身の言葉で言い換えて、
「こういうことをしたんだね」
「こういうことが起こったんだね」
って感じ。
岩渕先生は見ていてくれている
安心感を感じたのではないかなあ。

また
岩渕先生の実践で、
素敵だな、いいな、まねしたいな、感動した
ってことに関して、
めちゃ「具体的に」フィードバックしている。
この具体的ってところが多分、ミソ。
時には「」の岩渕君の言葉を拾い価値づけている。
岩渕先生は、
「おし、これでいい!」と確認できたし、
自信のようなものも感じたんじゃないだろうか。

また、時々は、
「岩渕君は、こうやって、子どもたちを見守りながら、
 進化・変化していく環境を整えている」
というように、
その実践が向かっている方向に
大きな意味付けもしてるんだ。
間違ってないと思うよ!と
軽く背中を押している雰囲気だ。

時々は、
岩渕先生が自身に批判的になっていることを、
リフレーミングしたりもしてる。
「『フィードバックがないと続かない』の話。
 岩渕君が書いているように、コントローラーを
 他人に預けている状態とも言えるし、
 やっぱり誰かとつながっていることが
 学ぶことには必要なのかもしれないな、
 とも思った」
​岩渕先生は、すっごく勇気づけられ、
絶対の味方を感じていたんじゃないか。

つまり、基本、ポジティブなフィードバックを
その時々に、その場面にあった方法で出している。
で、
多分、それは私も、それは得意な方だと思うんだ。


中谷先生のすごいのは、
岩渕先生が何気なくやっていることに、
つっこみをいれてること。

多分、岩渕先生にとっては当たり前のことなので、
自分の中で問いかけるまでもないことや、
気付かずにおおまかになっていることを
見逃さず、
そっと差し出しているんだ。

「『今はそれでいいんじゃないか』の『今は』は
 どこでどう感じて判断しているのか、
 岩渕君の経験観測なところがあるよね、
 そこを言語化できるとおもしろいんだろうな』
とか
「『②振り返り』の中で、内在する力がある子が、
 『より成長した』と感じられるアプローチが
 必要だと書いているけど、(中略)もう少し、
 具体的に知りたい」
とか、
「休み時間の歌の練習のしかたについて、
 ここにきて岩渕君がファシリテーターに
 なったのはどうしてだろう?(中略)
 ちょっと気になった」

つまり、特に中谷先生が指摘してたのは、
岩渕先生が「無意識」になってる箇所。
(「叱る」のような場合も、
 選択肢のひとつとして「叱る」方法を
 とってる場合は、たとえ岩渕先生が
 それを改善点としてあげていても、
 中谷先生は「それもありじゃない」
 とフィードバックする)
岩渕先生が、
経験や感覚的なことでしていることを
できるだけ言語化することにサポート
している感じ。
 (これは一般化につながるなあ)

多分、それを中谷先生がしなかったら、
流れていってしまったことを、
言葉にして、
そこに在るものとしておいたからこそ、
それが次へのヒントになる。
それができたのも、
岩渕先生の細部に渡っての自身のフィードバックが
あったからで、
だから、
二人で協力して
無意識を
意識にあげたってこと。

変えるにしても、
そのまま続けるにしても、
「何を」変えるのか、
「何を」変えないのか、
言葉になっていないと
意識できない。


しかも、
この中谷先生のフィドバックの出し方が、
自分の中に湧いてきた疑問や気になった気持ちを、
なかったことにしないで、
そのまま、すっと率直に出している感じが、
めちゃくちゃすがすがしい!!!
とってもとってもアサーティブ!!!


中谷先生は、岩渕先生から頼まれて
彼のフィードバックにフィードバックを与える役割を
担った。
そういう役を担うと、
役に立ちたくなってしまうがゆえに、
正論を振りかざしたり、
無理してでも改善点を示したくなってしまったり、
評価判断して、
厳しいことを言わなくちゃ的になる場合もあると思う。
たとえば、
「ここの考えが甘かったんじゃないかな」
とか
「ここは不注意だったね」
とか、
表面的には柔らかい言葉を使いながらも、
「あなたの○○がダメ」みたいなメッセージ・・・。
ああ〜言ってしまいそうだ。

そうではなくって、
中谷先生は、
岩渕君をまったく否定してないし、
気負いがないし、
だけど、
建設的なフィードバックをしている。

中谷先生が示してくれた
「伴走者」という姿勢。
それがより良いフィードバックを
出す時のイメージなんだと、
よ〜くわかった。

あ〜モデルがあるって、幸せ。
こういうことをしたらいいんだ!
って分かってありがたい。

「おわりに」で
著者の中川氏(中谷先生役)は
「やりとりを進めている途中で
 岩瀬さん(岩淵先生役)に言われて
 一番驚いたことは、『教室でときどき、
 綾(中川氏)だったらどうするかなと
 考えるようになった』ということでした」
と書いている。

これが、最高の伴走者の姿なんだなあ。

伴走者は
ちょうどよい近さのところにいる。
先にいってひっぱりもしないし、
力いっぱいお尻を押したりもしない。
方向転換させようとしたりも、
前にある石をどけたりもしない。

合いの手をうつように、
時には隣でポンポンと肩をたたきながら、
時には拍手しながら、
時々ハイタッチ、時々ハグしながら、
共に進んでいくパートナー。

初めてすぐの頃は、
実際に伴走者に質問してもらって、
実践者はそれに答えようとする。
それが続いていくうちに、
「伴走者だったら、こんな時、
 どう問いかけてくれるか?」
と考えて、それに答えを出していくようになる。
そのうちに、
伴走者なしでも、
自分で自分に問いかけられるようになる。

これをいったりきたりながら、
人は学び続けていくのかもな。

良いフィードバックが出せるって、
こんな感じのことだろうか?


まだまだ研究を続けよう。
これが今のところの私の考え。


今年私は、
私の中の
特徴のひとつ
「成長促進」
をフィードバックという視点で
具体的にしていきたいのだ。

良いフィードバックを贈りたい。

贈る。
譲る。
そういう年にしていく。









 
岩瀬 直樹,中川 綾
学事出版
¥ 1,728
(2015-10-13)

author : tanizawa-k
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【2018.11.03 Saturday 18:06
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谷澤 久美子
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