攻撃した記憶。 | 今のところではありますが…
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攻撃した記憶。

【2015.07.16 Thursday 11:21
先週から今週にかけて、
雑談の中で、なぜかよくでてきた話があって、
それはひどく攻撃された経験の話だった。

攻撃を受けた方のことを考えていたら、
2つのことを思い出した。

ひとつは、
私自身が20年くらい前に電話で受けた
攻撃のこと。

もうひとつは、
自分自身が正義の固まりのようになって
攻撃したこと。


ひとつめについて。
その攻撃を受けたときのことは、
今でもはっきり覚えていて、
それは夕飯の途中にかかってきた電話でだった。
ボランティアでやっていた活動の中のことで、
その頃の私はめちゃくちゃいろんなことに甘くって、
多分「ボランティアだから」という考えがあっての、
仁義をかいた行動をとったことを
批判されたのだった。
Aという組織に、最初にお声かけして活動を進めながら、
より有意義になりそうなBという組織と知り合うやいなや、
そちらにも声をかけるという、
しかも、それをAに断りなく・・・ということを
咎められたのだ。
電話の相手はAという組織の責任者で、
お酒を飲まれていたようだった。
多分約20分くらいの電話の間、
ずっとなじられた。
私はもうすでに35〜6才だったと思うけど、
ぽろぽろ泣きながら
「すみません、すみません」と頭を下げていた。

Aという組織の責任者の方は、
生活すべてを、
その商売や、
商売で扱ってる物の社会的意義の向上に
かけてやってらしている訳だから、
今から思えば当然の反応で、
私は自分自身の浅はかさに恥ずかしくって
たまらなくなる。
でもその時はそんなことはわからず、
電話の声が
ただただ怖かった。
もう二度とその方と会いたくなかったし、
電話に出るのも、
「もしその方だったら」と思うと手がすくむような
それほど、恐ろしかった。

ただ、その経験がなかったら、
ここのところの雑談で伺った、
ひどい攻撃を受けた方のことが、
今ほどわからないでいただろうなと
考えた。

「気にしないしな」とは
とっても言えなかった。
「考え過ぎだよ」とも言えない。
「もし、次に会ってしまったら、
 こっちから挨拶しちゃえば!」って
すごく正論だと思うけど、
私はそういう前向きなこと言えなかったな。
ただただ、
それは
 怖かったね。
 辛かったと思う。
 よくその場で耐えたね。
としか言えなかった。

それはあの電話での恐ろしい経験が
私に与えてくれたものだ。



もうひとつの
私が攻撃したことを
思い出したのは、
攻撃する方の考えや気持ちを
考えていた時だった。

なぜそこまで
威嚇したり、
強迫めいたことを言ったり、
恫喝したり、
自分を主張できるんだろう?
と考えていて、

自分が正しいと心底思ってるんだよな、
と思い至って、
それで、
そこまで考えたら、
あれ?自分だってそうしたことあったじゃん・・・
と、
全部で3つ思い出した。

2つは手紙で、
ひとつは口頭で
攻撃した。

祖父の介護をしている時に、
手紙をくれた親戚に対してがひとつ。
もうひとつは、
年上の友人が結婚後、
何かにつけて義理の母親の愚痴をいうことに対して。

両方とも、
私は善意と正義の固まりで、
100%自分が正しいと思ってた。

親戚には
「おじいちゃんのために時間を作ることが
 むずかしくって、親戚間でおしつけあって
 いるなら、もう一切お願いしない」
のようなこと。

「おじいちゃんは、二回戦争にいって、
 激動の時代を生きて、私たちの親たちを
 育てた人。そのおじいちゃんを大事に
 思えないなら、もういいです!」
みたいなこと。

そんなことを書いたと思う。

あ〜今なら、
私は違う書き方をしただろう。

「大変なんで、手伝ってほしい」
「みんなも生活がある中、
 来てほしいっていうのは、
 すごく心苦しいんだけど、 
 この部分に関しては、
 私の予定があわなくって、
 すごく困ってる。
 来てもらえないか」
そうお願いできたと思う。

ただね、その頃の、
あの熱さ!
あれは、私がなんとかしないと!
って思ってたんだよなあ。




もうひとつの手紙では、
友人に、
「悪いところばかり探しているように
 私には思える。
 それではあなたの心がさみしいものに
 なる。
 義母様にも、きっと良いところや、 
 あなたを助けてくれていることなんか
 あるはずだ。
 それを見逃しているのは、あなたの心が、
 今貧しいからではないか」
的なことを書いた。

そのあとしばらくたって返事がきたが、
「くみちゃんは、
 心はまっずぐで豊かな考えができて、
 うらやましです」
のようなことが書かれていて、
それから一切、
付き合いがなくなってしまった。

その時の私は、
友人をなんとかしたかったと思う。
その友人の目を開かせてあげないと!って
思っていた。
私のアドバイスの通りにしたら幸せになれるのに!
と歯がゆい思いだったと思う。

ひどく攻撃的な手紙は、
彼女を傷つけたと思う。
たとえ、善意100%であったとしても。


もうひとつは、
ある会を閉じる時に、
「この会がうまくいかなかったのは、
 〜〜さんのせいだよ」
と私がその方に
面と向かって言ったそうなんだ。
びっくりすることに、
私はそんなことを言ったとは、
まったく覚えてなかった。
その方はその後、
別の組織で
その会と同じような目的の活動を始め、
成功させた。
私が自分の言った攻撃的な言葉を認識したのは、
知人を通じて
「この成功は、
 あの時の谷澤が言った言葉で
 がんばろうと思った」
と聞いたからだった。

もう、ほんとに、
過去の自分よ、なんてこと言うんだ!
上から目線なんだよ。とほほ・・・
という感じだ。




それでね、
以上のようなことをつらつら思い出しながら、
こんなふうにまとめてみた。

攻撃的になってしまうのは、
それほど大切な何かか、
それほど強い信念のようなものが
あるからこそ。
だから攻撃的な発言をするその方が
100%だめって訳じゃない。
(私もしてるってことで、
 こう書くと許されることを強要してる
 みたいで、非常に恐縮ではありますが)

ただ、伝えたいことが
そこまで大切なことだとすると、
言い方がもったいないのは、事実。

言われた側は、
言われたからって、
相手のいっていることをすべて鵜呑みにする
必要もないし、
そりゃ凹むけど、
だから自分が弱いって訳でもない。
相手の言い方に、ついつい防衛的になって、
感情が波立つけど、
波だった感情を感じながら、
自分自身のことはしっかり守ってあげていいって
まずは知っておこう。

そして、
落ち着いたら、
その攻撃的な言い方の中にある、
自分に伝えたかったことを
自分なりに受け取って、
自分のこれからに生かしていけたら、
すっごく得ではあるよね。

ただ、ちょっとした非難、悪口、批判、アドバイスなら、
短時間で
考えや感情の整理はつくけれど、
ひどい攻撃には、
ちゃんと、手当てしてあげることが大切だなあ。

どこがどんなふうに痛いのか、
せめて自分では
ちゃんと分かって、そこを丁寧に扱ってあげることが、
必要なこと。



そんなようなことを、
考えている今。

攻撃された話をきくことが多かった、
ここのところ。

せめて、自分はもう、
攻撃しないよう、
ゆっくり
ぼんやり
できる時間を作っておきたいものだなあ。

 だって、誰かを攻撃したことは、
 それがすっごく前のことだとしても、
 そのあと、自分を責めちゃうもんね。
















 








 
author : tanizawa-k
| コミュニケーション | comments(2) |

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【2017.08.21 Monday 11:21
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この記事に関するコメント
いつも楽しみに拝見しております。
ここ2か月くらいは、モヤモヤとうまく言葉にできない事がおきると、不思議なことに、
まるで答えあわせをするかのようなタイミングで、久美さんが取り上げてくれます。
感情が波立つことは、止められない。
へこんだり、情けなくなったりするけど、(以前はそう感じることが負けだと思ってた)
段階を踏んで、そこから得るものがあるなら、今の痛さも、恥ずかしさも、未来の何かの成功の種かも...って思えてきました。
そして、自分の正義感で、知らず知らずのうちに、私も誰かをバッサリ斬ってしまっていることがある...ということも忘れずにいようと思いました。




| bamu | 2015/07/16 12:19 PM |
bamuさん、いつも読んでくださっているんですね。ありがとう。そして、ここ2ヶ月、お互いシンクロしてたってこと、なんだか嬉しいです。「感情が波立つことはとめられない」、ここを理解すること。そして感情が波立つ自分を責めなくていいってこと。このことを知らずに生きていくのと、知って生きていくのは、めちゃ大きな違いがあるように思います。bamuさんが実践してくださっていること、すっごくすっごく励みになります。いつか、会いましょうね。
| ◆bamuさん←谷澤 | 2015/07/16 6:46 PM |
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