ロゴセラピー | 今のところではありますが…
永遠の記録

【2017.04.08 Saturday 22:10

ここのところ、

過去のことを

あれやこれや思い出すことが多い。

 

いやあ、

56歳だもの、

あってもいいいよね、そんなことも。

 

 

 

 

先日、

神奈川県に住む友人と

甲府あたりで待ち合わせた。

 

2時間弱の道のりを、

私は車で出かけた。

 

興津から山梨に向かって走る道は、

家族との思い出がいっぱい詰まった道。

実家が営んでいた商売の関係で、

父の運転で、何度も何度も通った道。

 

途中、道の脇に停めた車を見ると、

あんな風に車を停めて、

蕗を摘んだことを思う。

灯油のストーブをしまう前に

お醤油とみりんで

母は「きゃらぶき」を煮て、

灯油を使い切っていた。

 

潰れてしまったドライブインは、

そのまま残っている。

 

春には枝垂れ桜を見に、

2月には節分で訪れた

身延山。

 

あの頃、まだ携帯電話などなかったから、

手書きの伝言看板が出てた。

「(車のナンバー)の

 〇〇さん、

 至急家に電話してください」

それを見ると、

私たちは、

「見逃さないといいね」と

話したものだ。

 

父の好きだった干し柿屋さんの前も通る。

そのあたりでは「ころ柿」って呼ばれてた。

 

母がトイレを借りたお寺は、

すっかり様変わり。

 

このあたり特有のモツ煮は

甘辛い味付けで、

みりん?でテカテカとしてた。

父が一人で配達した日は、

お土産で買ってきてくれたものだ。

 

思い出をたどりながら運転していると、

懐かしさと、

寂しさと、

ありがたさと

切なさで、

胸がいっぱいになって、

涙がこみ上げてきた。

 

もっともっとこの道を

父や母や妹と走りたかった・・・

なんて考える。

少し大人になって

友達と遊ぶ方が楽しくなって、

配達についていくのを

断った過去の自分を責めたくなる。

そんなこと考えても仕方ないのに。

 

 

 

 

4月から始まったNHKの連ドラ

「ひよっこ」を見ながら、

毎朝涙が出てしまう。

うちは農家ではなかったけど、

成長の過程で出会った大人がみんな、

健気で精一杯生きていて、

それが

「ひよっこ」の登場人物たちと重なって、

郷愁にかられるんだと思う。

 

忘れてしまっていた大切なこと、

例えば、

いただき物の包装紙の

セロテープを丁寧に剥がし、

綺麗にとっておいたことを思い出す。

お弁当の包み紙や、

本のカバーなどにしたのだ。

 

そういう暮らし方をした大人たちの中に

育ったこと。

それを大声で自慢したくなる。

 

 

 

甲府で待ちあわせた友人と出会ったのは

22年前。

彼女は、バーのカウンターで一人で

ジャックダニエルをロックで飲んでいて、

私が、

彼女の隣に座っていいかどうか

訊いたことが始まり。

確か私もバーボンを注文した。

私も彼女も呑んべえだった。

 

その頃、私は友達とパーティを

企画主催したりしていて、

そのバーは、スタッフの打ち上げというか、

二次会で行った。

そこに、一次会のクリスマスパーティで

見かけた彼女が一人で飲んでいたんだ。

 

実家が食品の製造をやっていること、

そこを手伝っていること、

でも一時期夢があって東京で、

ちょっとだけ派手な感じの仕事をしていたこと、

とにかく共通点が多く、

5歳下の彼女は

すぐに大切な友達になった。

 

私はその後、父を亡くし、家業を廃業し、

彼女の身にもいろいろな変化があり、

お互い、苦い涙も流したけど、

それらをほぼ全部知っていて、

見守りあっているような存在

だと思う。

ここのところ会えなくって、

1年ぶりのランチだった。

 

近況を話し合ったが、

何も話さなくってもよかった。

一緒にいる時間ってのが、

尊い。

 

 

 

 

今日は

静岡ロゴセラピー研究会だった。

いろいろ学んだ中で、

「時間」、

とりわけ「過去」についてと、

「責任」を

学べたことがタイムリーだった。

 

「すべては永遠の記録として

 書き込まれる。

 私たちの人生すべて

 創り出した作品、

 成し遂げた行為、

 出会いと経験、

 愛と苦悩。

 これらすべては永遠の記録に

 刻まれ、残されるのである」

「人生は、日々私たちに

 問いを投げかけてくる。

 それゆえ、この記録は

 ドラマチックである。

 私たちは、人生の方から

 問われているのであり、

 それに答えていかなければ

 ならない。

 言わば、

 『人生とは、生涯にわたる

  問いと答えの繰り返し』

 である。

 そして、答えに関しては、

 生涯をかけて答えていくこと

 だけが可能なのだ、

 と何度でも行っておこう。

 このようにして人生に

 『応えていく』ことこそ、

 自分の人生に対して 

 『責任を持つ」という

 ことなのである」

(「<生きる意味>を求めて」より)

 

 

 

 

ぎっしりと詰まった

記録があるからこそ!だ。

 

後悔も

不安も

恐れも

あるからこそ!だ。

 

忘れたいことも、

しまっておきたいことも

全部含めて、

大切な過去があるからこそ、

 

今の問い、

そして

これからやってくる問いに

 

意味ある答を見つけられるんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「できないことを克服するためだけの人生って、どうなのか?」

【2016.09.12 Monday 09:39

9月3日に行われた

「ロゴセラピー講演会」。

 

3人のロゴセラピストの講演と、

中谷剛氏

(ポーランド国立アウシュビッツ・ミュージアム公式通訳)

の特別講演があり、

どなたのお話も素晴らしかった。

 

 

その中で

一週間経っても頭から離れず、

時々取り出しては考える言葉がある。

 

広野ゆいさん

~NPO法人DDAC(発達障害をもつ大人の会)代表〜

が講演の中で話された

「できないことを克服するための人生って、どうなのか?」

という言葉だ。

 

私は学校の中などで、

診断を受けていたり、

診断は受けていないが

傾向をもつ子どもに接することも多いが、

その子たちへの接し方に、

改めて背筋が伸びる思いだった。

 

もちろん向上心を持って、

より良い自分になるように、

より周りの人とうまくやれるように、

できないことをできるようにするために、

努力するってことは大事だと思う。

 

でも、そればかりのために

時間を使うようになってしまったら、

それはつらすぎる。

 

特に、

周りから求められるのは、きつすぎる。

 

彼女は、

「発達障害を持ちながら生きるということは、

 ストレスに弱いとか、

 我慢ができないのではなく、

 もともとストレスがかかっている状態なのだ」

と話してくれた。

 

感覚過敏があれば、

必要がない音まで聞こえてしまい、

物も目に入ってくるし、

匂いや、触った感じの不快感もある。

 

不注意や衝動性や多動も、

自然にコントロールできるものではなく、

いちいち自覚的にならねばならない。

 

誰か自分以外にもう一人いたら、

その人にどう振る舞うか、

その人の振る舞いをどう捉えるか、

ある方の話では、

いちいちギアをチェンジし運転している感じだ

ということだった。

オートマだったら楽なのに。

 

広野さんは言う。

「普通に思われたい。

 できる時もできない時も、

 できないと思われたくないし、

 自分で思いたくない。

 できないことは隠したい」

 

あ〜、

私は、このことを

本当の意味で、理解していたのか?

 

広野さんは、

「その人を障害状態にしているのは、環境」

と言っていた。

法律にも明記された「合理的配慮」とは

「特別扱いをするのではなく、

 その人が能力を発揮できる環境を作ること」

そのためには

全ての人が、

「自己超越の力を使う」ことを提案されていた。

 

「自己超越」とは

ロゴセラピーの言葉で、

「人間が自分自身を超えて、

 自分自身でない何かの対象か、

 誰か他の人に向かっていくこと」

誰かのため、何かのために、

自分自身の力を使うこと。

 

 

 

 

 

「できないことを克服するだけの人生って、

 どうなの?」

という問いかけは、

発達障がいを持つ方だけへの言葉ではないと思う。

 

広野さんの言葉は、

まっすぐに私に入ってきて、

留まって、

考え続けさせてくれている。

 

発達障がいがあってもなくても、

年齢とともに体力が落ちてこようと

そうでなかろうと、

記憶力もあやふやであってもなくても、

いろいろなことが面倒になり、

つい丁寧さに欠ける、

そんなことがあってもなくてもだ!

 

それを克服するだけに時間を使うのではなく、

自分のできることを、

誰かのために、何かのためにする選択をすること。

 

 

 

特別講演で

中谷氏は、

ご自分がアウシュビッツに関わることになった過程を

丁寧に話してくださった。

何と最初の出会いは小6の時の、

学校の行事の時に聞いた

学者の話だったそう。

それからの数々の出来事が、

彼をポーランドに向かわせた。

 

その彼が

講演の冒頭で私たちに問いかけた。

 

「このきっかけが何を意味するのか?」

 

それは、その日の4つの講演を聞き、学んだことを、

どういう意味にするのかは、あなた次第!

ということだったと思う。

 

私は

「できないことを克服するだけの人生って、

 どうなのか?」

を考え続けていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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無意識もいいけど、意識もしてみよう。

【2016.06.03 Friday 10:33
朝、カルと散歩をしていたら、
公園の方から人工的な音がしてきた。

トイレの非常灯が点いていて、
そこが元だ。

私の考えと感情・・・

 何かあったのかな?
 ⇩
 助けに行かないと
 ⇩
 でも何か怪しい
 ⇩
 面倒なことに巻きこまれるのも
 困るなあ
 ⇩
 そうだ、誰かが止めてくれるかも
 ⇩
 よし、聞かなかったことにしよう
 ⇩
 でも調子が悪くなった方が
 押してたりしたら、助けないと!


とトイレに近づいた。
そこからの考えと感情・・・

 ドア開けよう
 ⇩
 待てよ、なんか怖い
 刃物とか持った人が潜んでたら
 どうしよう やばい
 ⇩
 不安だなあ
 ⇩
 やめる?
 ⇩
 でもやっぱ、
 誰か倒れてたら助けないと!
 いや、助けたい。

と結局は、
思い切ってドアを開けると、
特に何事もなく、
スイッチを切って、
再び散歩へと。


いやあ、
ほんと、
私は弱いというか、
防衛本能発揮しまくりで、
ビビりなのである。


ところで、
「ロゴセラピー」を学んで3年になる。


最初に、

人間は
「体」
「心」
「精神」
という3次元を持っている

と明確に断言してもらって、
本当にすっきりしたことを思い出す。

誰にも「精神」がある。
誰にもあって私にもある!
その力を使っていんだ!


お墨付きをもらえたような清々しさ。

使い方を、
これから学んでいけばいいんだ。
まず自分で使えるようになり、
そのうちにそれが自然になり、
そして、
他者が「精神」の力を使うサポートが
できたら、
どんなに素敵だろう。


今はまだ、めちゃ意識して実践したり、
自分に起こったことをロゴ的に考えてみたり
することで学びを深めている最中。

〜てなわけで、
この朝のしょぼ〜い体験も、
ロゴ的に言えば、

 非常灯からの音を聞いた。
 さて、谷澤、どうする?
 という人生からの問いかけに、
 心身体は怖さや不安を感じてると自覚
 (ロゴ的には自己距離化を図り)しながらも、
 精神次元で
 『困った人が助けを待っているかもしれない』
 と考え(ロゴ的には自己超越)、
 ドアを開けるという行動を選んだ。

ってなことになる。


だっはっはっは
そんな大袈裟な〜〜〜
という声も聞こえてくるが、
ま、私は大真面目。
私の学び方は、
理論と実践をいったりきたりさせながら・・・
実践はできるだけささやかなところから・・・
だもんね。

これからも、休み休みではあるけど、
意識的に「精神」次元で選択していく機会を
大切にするんだもんね。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、
「選択」の勉強会のフィードバックが
続々と届いている。
オープンOKの方のものを紹介します。

「散々迷ったけど勉強会に来て良かった‼
 この選択は正しかった!と思いました
 変化を振り返るワークの時、
 長男に障害があるとわかった時から、
 娘が中1ぐらいまでの期間が浮かび、
 約20年にわたり選択を迫られる日々
 だったとことを再認識しました
 (他者に障害のことを話すか話さないか、
  2人目の羊水検査をどうするか
  〜そして娘の中学の保護者の中で
  私がいかにやっていくか
  着地点を見つけるまで)。
 いつも不安と緊張を抱え、
 自分を責め、
 時にやさぐれながらも
 なんとか投げ出さずに
 やってきたんだな、と。
 あれで良かったとは
 思えないこともあり、
 講師からの質問
 『人生が自分に
 何を問いかけているか?』は、
 ゆっくり考えたいと思います。
 ただしんどいと言いつつ、
 損得で動くことが多いこともわかり、
 自分のダークサイドに気がつけたのも
 大きな発見です。案外ちゃっかり
 (というより、ずるい?あざとい?)
 ところもあり、
 そこは改善したいとも思っているんですよ」
          (ひろまま)
  ↑谷澤より
  「ダークサイドあっての人間。
   改善もいいけど、
   ダークサイドも使いこなすのも
   ありかも」



「今回も参加できてよかったです。
 他の方の人生の選択の話を聞いて、
 ここは譲れなかったというポイントが
 かっこよくって、
 行動を起こしたこともかっこよくて、
 素敵だと思いました。
 それを聞けたことで、
 私の人生の選択肢も増えたように
 思えました。
 見本ができた・・・というか。
 私も、自ら選択してきたことは
 たくさんありましたが、無意識
 だったからかぼんやりしています。
 自分を向き合うことを知らなかった
 ことが、ぼんやりの原因かも。
 この勉強会をきっかけに、
 選択することに意識を向けて、
 『自分の人生、自分の足で
 歩いてきた』と実感できる
 ようになれたら楽しいと
 思います。
 (それと、今まで学んで
 きたことが、
 実践できる機会があったり、
 実践したあと、
 自己信頼がたまっていることを
 実感したりしています。
 すごく、うれしいです)」
       (ちゃーぱ)
 ↑谷澤より
 「自分の足で歩いてきた
  って思えるよう
  ボチボチやっていきましょう」



「私が今まで『問題』と考えてきたものは、
 何も起きてないのに
 勝手に困ったり不安がったりしたものから、
 (自分の身に)降るようにやってきた 
 出来事まで様々でした。
 でも(勉強会で色々振り返りながら)
 『問題』とは、後者なのだと、
 改めて認識しました。
 わかっていたようで、実は整理できて
 いませんでした。とてもわかりやすい
 講師の説明に初めて知ったような感覚
 を覚えました。
 これからは、何か思い悩む時、
 これが『問題』かどうか、
 そこから意識します。
 選択肢についても、これまでは一つしか
 ないと思い込んだり、
 何も意識せずに選んだりしてきた
 ことに気づきました。
 行動後、良かったと思えるように、
 小さなことから、どんな選択肢が
 あるのか、どれが自分にとっていいのか、
 意識することから始めたいです。
 そして、私にとってはまだまだ壮大な
 スケールに思えてしまうのですが、
 自分の送りたい人生のテーマに沿った
 選択ができるようになる日が来るよう、
 練習を積み重ねたいです。」
       (げんちゃん)
 ↑谷澤より
 「時々意識する・・・くらいで
  いきましょうね。意識すべき
  になると、
  それはそれで辛いものね」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

二者択一だと思い込んで、
苦しくなったときには、
他に選択肢ないかな?
と探してみる。

選択肢から選ぶときには、
ここで大事にしたいのは?
優先順位は?
など、
問いかけて
選び取る機会があってもいいな。




無意識でやっていても、
全く問題ないけど、
意識的にしたことは、
積み重ねていくことができる。


・・・・・・・・・・・・・・

そんなこと、
知ってかしらずか
今日のカル

 
 














 
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出来事に対する態度。

【2015.09.25 Friday 10:19
昨年だったか、一昨年だったか、
アメリカの大学の教授が
「今年小学校に入る全世界の子どもたちの65%が、
 将来、いまはまだない仕事につく」と発表した。

矢沢永吉さんの日産のCMを見てると、
夢のまた夢だった全自動運転も、
すぐそこまできてるし、

未来予測のページにいくと、
2030年には
3人に1人が65才以上となり、
医療や介護サービスがニーズに追いつかなくなるらしいし、
2人に1人が退職者とのことなので、
年金システムは今のままだと維持は不可能だ。


2045年シンギュラリティ問題も
いろいろなところで目にする。
どうやら人工知能が人間を超えるらしい。
コンピュ−タが自ら課題を見つけ出し、
自ら解決策を考えプログラミングし、
自らどんどん改良していくようになった時、
人間の役割はどうなるのだろう。


私は1960年に生まれた。
ガリ版刷り、
ぽっとんトイレ、
ワープロ
レコード・・・
そこから徐々に変化していく社会の中で
年を重ねてきたが、
ここ数年の技術や社会の変化は
あまりにも急速だった。
ただ、
これからの10年はもっと急激に
変化していくと思う。



さて、そんな中、
9〜11月には
保護者の方むけの講演や講座などがたくさんある。

変化があることは必然で、
しかも、私たち大人が想像もつかないような社会で
生きていく子どもたちに、
今の大人たちが
つけてあげることに貢献できる力があるとしたら、
何だろうか。


「自分で考える力」は
絶対に必要だろう。
指示されたことをそのままやる素直さも大事だが、
本当に必要なのかどうか一旦考える力や、
もっと効率よくするためにはとか、
本当の問題解決のためにやるべきことはなど
考える力も、
バランスよくもっていたいかも。
指示通りに動けることならロボットの方が得意だし、
人件費を押さえるために企業は努力を惜しまない。
また
「みんながやっているから私も」という協調性は
なくても生きづらそうだが、
それだけだと相当厳しい世の中になっていくだろう。


それから、
考えたことを相手に伝える力や、
相手の考えを聴く力も必要だ。
働く人口が減ってきたときに
もっともっと外国の方は入ってくるだろうから、
文化も、育ってきた環境も、価値観も、宗教観も、
ほんとに違う方々と、コミュニケーションする力は
身につけておいた方が生きていかれる。
(多様性のパワーはラグビー日本代表が証明中だし)


ただ、
それらの根底にあって、
普遍的に大切な力は、
「出来事に対してどういう態度をとるか」
ということではないだろうか。


私が今勉強中のロゴセラピーにも
そのヒントがある。


すごく理不尽なことが起こったとき、
思いもかけない失敗をしてしまったとき、
突然の辞令、
やったことない仕事の命令、
提案したことが歯牙にもかけられなかったり、
真っ向から反対されたり、
苦手な方と仕事をしなくてはならなくなったり、
差別的な扱いを受けたり、
大切な人との別れ、
大事にしてきた目標をあきらめなくてはならないとき、

そういう事態に、どういう態度でのぞむか?

もちろん、
やけっぱちになったり、
ずる賢く動いたり、
逃げ回ったり、
うずくまってじ〜っとしてたり、
そうやってなんとか生き延びることもできる。

それも選択肢ではあるけど、
でも、
この「危機」そして「苦悩」が与えられた意味を考えたり、
その上で、
「危機」や「苦悩」の先にどんな人生を生きたいかの目標に
むかって、今日、今、したほうがいいことをすることもまた、

人は選択肢のひとつとして持っている。


このことを、
まずは大人がわかっておくことが必要なのではないか?


ロゴセラピーの創始者フランクルは
「苦悩することは人間の能力のひとつ」と言った。


どんな変化が起こっても、
どんな運命があったとしても、
そこで起こるだろう「危機」に対して
「苦悩」したとき、
ごまかさないで、
目を逸らさないで、
とことん苦悩しながら、
自分の目標をみつけ、
それにむかってしたほうがいいことをし続けていく。

そういう態度を、
人は持つことができる。
マララさんはそうされたし、
東北の震災を経験された方々の中にも、
そういう話をたくさん伺った。
事件の被害者の方々が
新しい法律を作ることに貢献されたり、
「危機」の「機」を字のごとく
社会を変えていく「チャンス」にした方は、
いっぱいいらっしゃる。

そのことを、
保護者の方々と、
まずは大人同士で確かめあいたいって、
とってもとっても思う。



で、
じゃあ、確かめあった後に、
保護者の方々向けに、
「実際には
 どう子どもと向き合ったらいいか」って話をするのが
私の役目なんだけど、
それには、こう応えたい。

「子どもの感情の言語化の手伝いをしよう!」

それが高じて子どもが感情認知できるようになると
それは行動を抑制することに繋がっていくことを、
繰り返し繰り返し伝えていきたい。

それは
「いろいろな出来事に対して、
 そこから意味をみつけ、
 自分のするべきことに結びつけていく」
という態度の前に必要なことだから。

そうやって
自分を客観的にとらえられないと、
外からの変化にも、
自分の中の感情にも、
まきこまれてしまいがちだから。


ってな訳で、
タフな秋に向かっていく。































 
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「今」は「今」だけのための「今」じゃない。

【2015.06.07 Sunday 10:51

ある方と話した時に、
彼女が、
「今の自分が、
 未来の自分を助けるんですね」
と言った。
素敵な言葉だ!
彼女が大変だったある時、
彼女を支えたのは、
彼女が昔関わった人たちで
私がそのことを
「昔、あなたがやってきたことが、
 今のあなたを支えているね」
と言ったことから、
冒頭の話になった。
(この件をここに書くこと、
 許可いただいてます)


ずっと前にテレビ番組の中で、
売春を肯定する若者に対して
武田鉄矢さんが言った言葉があって、
それは
「これからも、ずっと君たちは
 生きていくんだけど、
 自分を励ましてくれるのは、
 過去の自分だけだ。
 他の人は援交をやってたけど、
 自分はやらなかった。
 それがすっごい自信になるんだ」
のようなことを言ったことを、
思い出した。


過去と今と未来。

私は今、ロゴセラピーという
ヴィクトール・フランクルが作った心理療法を
学んでいる最中だけど、
その中にも、
過去と未来の中で、
「今」の重要性を伝えて
くれる考え方がある。


一般的な時間の流れの考え方は、
過去があって、今があって、
未来があるというものだと思う。
しかしフランクルの時間の観念は、
未来から今を経て過去に流れていく
という考え方だ。

今はまだ実現されてないけれど、
将来に実現できる可能性のあることは、
すべて「今」という瞬間を通り越していき、
それが事実としてたまっていくのが過去・・・
という考え方。

未来に起こしたいコト(意味)があるなら、
今この瞬間に何をするかを、
選択し続けていくことに
私たちのチャンスがある。

過去は変えることができないから、
過去の積み重ねで今があるという
考え方しか持っていないと、
苦しくなってしまうこともあるかもしれないけど、
もうひとつ、
未来のために「今」をどうするかという考え方を
もっていると、
救いになることもあると思う。




朝日新聞の鷲田清一氏の「折々の言葉」で、
5月の終わり頃、
こんな言葉が取り上げられていた。
写真家の畠山直哉氏の言葉だ。

「いっそ『記録』は過去ではなく、
 未来に属していると
 考えたらどうだろう」

「そう考えなければ、
 シャッターを切る指先に、
 いつも希望が込められてしまうことの
 理由がわからなくなる」
という言葉が続くそうだ。

鷲田氏は解説する。
「写真だけではない。
 家庭で淡々と子どもの日常を記録する
 母親のふるまいにも、役所で誰かの
 ためともなくこつこつ書類を閉じる
 人の作業にも、きっと密やかな祈り
 が込められている」
と。

どうか幸せに!という未来への祈りを
「今」この瞬間のふるまいに
込めているという解説。



「今」、この瞬間に何をするか、
どういうことを感じ、何を考え、
「今」の行動を選択するか。



フランクルは
このことを砂時計を使ってたとえていて、

将来のいろいろな可能性(砂時計の上)
の中のひとつを選んで、
「今」何かをする
(砂時計の真ん中の狭いところ)。
それがたまって過去になる(砂時計の下)
と説明している。


つまり、
「今」は、
今だけのための「今」ではなく、
未来の可能性を実現するための「今」だし、
「今」はすぐに過去となって
貯まっていくのだ。



な〜んて、
ぐだぐだしている日曜の自分にプレッシャーを
与えてみる。
ぱりっとしたシャツを着るという明日のために、
「今」、アイロンをかけるのだ!自分。
あ〜まだまだぐだぐだしたいけど。


ま、時には
ハッパかけていくぞ。
自分に。





写真は3月にカルにかじられてしまった時計のバンド。


時計のネジ山が崩れてしまっていたというトラブルから
3ヶ月かかって直って返ってきた。


父に買ってもらった形見のようなこの時計を
再び手にする、この喜び。あ〜返ってきたあ。
これほどまでに感じる『今」の喜びは
3ヶ月という時間があったからこそなのかなあ。
なんてね。














 
author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor