本 | 今のところではありますが…
ぐさりっ。

【2017.11.21 Tuesday 19:03

糸井重里氏おすすめの本を

2冊読んだ。

「君たちはどう生きるか」

「SHOE DOG」

 

「成り上がり」以来、

「おいしい生活」を経て、

とにかく大好きで、

「ほぼ日」や彼のSNSを追いかけてきて

本当に良かった。

そういう人が勧めてくれてなければ、

2冊とも手に取らなかった本だ。

 

 

「君たちはどう生きるか」は、

中学生のコペル君と

コペル君の「叔父さん(母親の弟)」が

コペル君の

発見や

つまづきや

悩みや

起こしてしまった問題(卑怯な振る舞い)

に対して、

そのことを通して、

「どう生きるのか?」を問いかけ続ける内容。

 

コペル君からの問いに、

コペル君の想像をはるかに超えた視点から

ヒントを出し、

考え方のプロセスを示す「叔父さん」。

 

私は少しずつ読み進めながら、

私だったらどう答えるだろう、

私だったらどうナビゲートするだろうか

と「叔父さん」の立場で考えた。

だって、そういう年だもの。

 

で、

やばい。

浅すぎるぞ、私・・・と思う。

 

人が「問題を抱える」ってことは、

今はまだそれを解決する力がないから、

それを問題と捉えた

ってことを意味してる。

ってことは、

問題を解決しようと考えたり、試したり、

人に尋ねたり、行動したりすることは、

それまでの自分よりも、

成長、成熟しようとしている時となる訳だ。

 

「叔父さん」は、

そんなコペル君に

本当のこと、

つまり、

時に厳しい言葉を伝え続ける。

 

 

「肝心なことは、

 世間の目よりも何よりも、

 君自身がまず、

 人間の立派さがどこにあるのか、

 それを本当に君の魂で知ることだ」

 

「こうして悲しいことや、つらいことや、

 苦しいことと出会うおかげで、

 僕たちは、本来人間がどういうものであるか、

 ということを知るんだ」

 

「僕たちが、

 悔恨の思いに打たれるというのは、

 自分はそうでなく行動することも

 できたのにー、と考えるからだ。

 それだけの能力が自分にあったのにー、

 と考えるからだ」

 

「自分の過ちを認めるのはつらい。

 しかし過ちをつらく感じるという

 ことの中に、人間の立派さも

 あるんだ」

 

「僕たちは、

 自分で自分を決定する力を

 もっている。

 だから誤りを犯すこともある。

 しかしー

 僕たちは、自分で自分を

 決定する力も持っている。

 だから、誤りから立ち直ることも

 できるのだ」

 

どう生きるかという命題に対し、

直球な

「君たちはどう生きるか」

に対して

「SHOE DOG」

は全く違う形態をとる。

NIKEの創業者が自ら記した

回想記。

 

そして、そこには

共通のテーマがあった。

それは、

「葛藤や失敗こそ生きてるってこと」

「次の瞬間にどう行動するかは

 自分で選択できること」

「選択の結果の責任を負う

 権利があること」

「そういうことを繋げていくことは、

 どう生きるかという問いに

 答え続けていくということ」

 

 

「SHOE DOG」で、

本当にびっくりしたのは、

「あの」NIKEが、

創業から株式公開するまでの17年間、

どうしようもなく

失敗の連続だったということだ。

最初の方に、

「オニツカ」との契約のために日本に来た彼は、

自分のこれまでの考え方ではダメだ

と気づく場面がある。

「禅では一直線の考え方は幻想に過ぎず、

 (中略)

 現実は一直線ではないと禅は教える」

という文章があるが、

まさにそれを体現していて、

山あり谷あり、

曲がり角ばかりの中を抜け道探して

自転車操業がず〜っと続く。

かっこいい起業のスピリットや、

戦略や戦術などなく、

成り行き任せに思える決断もある。

「もうダメだ」「今度こそダメだ」

という瞬間の連続。

でも、548ページのこの物語が

終盤に差し掛かると、

私は、著者つまりNIKE創業者ナイトの虜となり、

もっともっと彼の人生を知りたくなった。
そして、最後の数ページ、

惜しみながらめくって、

何があっても、

めちゃカッコ悪くても

諦めないで、

何とか凌ぎ続けて

ここまでにした彼の日々が、

愛おしくてたまらくなり、

ラン周りのものは、

これからは全部NIKEにしようと決めた。

 

ラインを引いた文章

「会社がダメになるかもしれないと、

 失敗を恐れることはない。

 失敗しないとうぬぼれているわけではない。

 むしろ失敗するのではないかと思っている。

 だが失敗したら失敗したで、

 さっさとそこから学んで、

 それをプラスに変えればいいというのが

 私たちの思いだ」

 

「ルールを守ったことではなく

 ルールを破ったことが

 人々の記憶に残る」

 

「寝てはいけない夜がある。

 自分の最も望むものがその時

 やってくる」

 (眠れない夜もあって良し)

 

「野心に免じて目をつぶりましょう」

「みんな数字ばかりに

 気を取られ過ぎです」

(NIKEにとってなくてはならない存在

 日商岩井の担当者の言葉)

 

「自分の知識を補強する最善の方法は

 それを分け合うことだと、

 経験から学んだのだ」

 

「私たちはリコールを出し、

 世間からの批判に備えたが、

 クレームは出なかった。

 それどころか、聞こえてくるのは

 ねぎらいの声ばかりだ。

 他の会社はどこも

 新しいことを試そうとしない。

 ナイキの努力が成功しようと

 しまいと、その意気込みは立派だと

 見なしてくれたのだ。すべての革新が

 進歩的で前向きだと評価された。

 失敗しても私たちはくじけなかったし

 顧客の信頼も失われることは

 なかったようだ」

 

「私たちにとってビジネスとは、

 金を稼ぐことではない。

 人体には血液が必要だが、

 血液を作ることが

 人間の使命ではないのと同じだ。

 (中略)

 人体の営みは、より高い次元の

 目標達成に向けた基本的なプロセスだが、

 それ自体は私たち人間が

 果たすべき使命ではない。

 その基本プロセスを超えようと

 常に奮闘するのが人生だ。

 (中略)

 私たちは全ての偉大なビジネスと同様に、

 創造し、貢献したいと考え、

 あえてそれを声高に宣言した。

 何かを作り改善し、何か伝え、

 新しいものやサービスを、

 人々の生活に届けたい。

 人々により良い幸福、健康、

 安全、改善をもたらしたい。

 (中略)

 単に生きるだけではなく、

 他人がより充実した人生を送る

 手助けをするのだ」

 

ナイト氏は、↑のように

この物語を締めくくる。

混乱続きの人生の中で

彼やNIKEが見出した意味。

 

 

 

「君たちはどう生きるか」の中で、

「叔父さん」はコペル君に

「君は、

 毎日の生活に必要な品物

 ということから考えると、

 たしかに消費ばかりしていて、

 なに一つ生産していない。

 しかし、自分では気がつかないうちに、

 ほかの点で、ある大きなものを、

 日々生み出しているのだ。

 それは、一体、なんだろう」

と問う。

そして叔父さんは答えを言わず、

「自分で一つその答えを

 見つけてみたまえ。

 別に急ぐ必要はない。

 この質問を忘れずにいて、

 いつか、その答えを見つければいいんだ。

 決して、ひとに聞いてはいけないよ」

と続ける。

 

この問いへのナイト氏の答えは、

「靴に全てをかけることで、

 他人がより充実した人生を送る

 手助け」

なんだったんだと思う。

 

 

私はまず「君たちは〜〜〜」を読み、

そのあとで「SHOE DOG」を読んだ。

でも、

「SHOE DOG」を読みながらも

「叔父さん」の言葉を確かめたくなって

「君たちは〜〜〜」を開いたり、

コペル君とナイト氏が重なって思えたりした。

2冊を行ったり来たりするような

幸せな読書の時間を持てた。

 

 

「叔父さん」の問いかけに

57歳の私が答えるとしたら、

私が日々生み出しているものは、

「あなたはあなたのままでいい。

 そのあなたが今できることを

 やっていこう〜

 と思ってもらえるような働きかけに

 ついて、

 考え、悩み、トライしながら、

 苦闘していること」だ。

時々上手くできることもある。

でも、全く役に立てないこともある。

 

それでもまた

次の瞬間の行動は選べる。

 

 

私の毎日をどうするかを

決定できるのは、私だけだもんね。

 

 

 

この2冊には、

ところどころで、

ぐさりとつかれた。

しかしその痛さも

清々しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ネガティブ・ケイパビリティ」

【2017.11.04 Saturday 15:40

「ネガティブ・ケイパビリティ」とは

「どうにも答えの出ない、

 どうにも対処しようのない事態に耐える能力」

ということ。

 

この概念がどこに由来し、

どう再発見され、

社会の中でどう実践されてきたかの事例や、

現代社会の中で

いかに実践していったら良いのかなど、

丁寧に描かれている本。

 

 

原発の廃炉問題しかり、

少子高齢化の年金問題しかり、

東京と地方の格差問題しかり、

貧困の問題しかり、

ジェンダーギャップ114位問題しかり、

 

北朝鮮への対応方法しかり、

ロヒンギャの問題しかり、

台頭してる「〜ファースト」問題しかり、

 

簡単には解決できない問題が

私たちの周りには、あまりにも多い。

 

その中で

この概念は心強い。

 

 

 

 

なんとか耐え続けていくのも、

力なんだ!

と示してくれるのは、

ありがたい考え方だと思う。

 

実際、

私の活動場所、

学校の中でも、

簡単には答が出せないことは多い。

 

学校に登校することが厳しい子、

いじめの問題、

勉強の苦手さや

集団の中で行動することが難しい子、

親子の間の、教師との葛藤など、

 

表に現れてる出来事は似ていても、

一人一人全く違う背景がある子どもたちに、

「こうすれば絶対にうまくいく」

などという絶対正解などなく、

 

だからこそ、

悩み、考え、話し合い・・・

どうにもならない事態に、

立ちすくみながらも、

ただただ困難の中にいることも多い。

 

見立て、

対応方法を示すのが

私の仕事なんだけど、

簡単にわかったようなことは

言えないことが多いのだ。

 

そして、

その子の問題がすっきりと解決しなくても、

その問題が、

後から考えると、

その子や、その家族にとって

意味あることだったと思えることも多く、

だから、

困難の中で、

その子や家族や先生や支援さんたちと一緒に

ただただそこにいることも、

ネガティブ・ケイパビリティなんだと思いたい。

 

 

 

 

世間一般で、

お手軽な解決方法が好まれるのは

仕方ないことだ。

デジタルな機器が身近になってからは、

加速度的にそうなっている。

私もそうだ。

 

CMの間が待てないで

何か刺激的な情報が入ってこないか

チャンネルを変えるし、

履くだけで痩せる下着や、

塗るだでけでシミが消える化粧品に

興味津々だ。

 

言葉を思い出せないと

すぐに幾つかのワードを入れて検索する。

仮説を立てるのに、

ネット上にあるデータを探す。

 

「早く!早く!」と

誰かに言われているわけでもないのに、

気持ちが急いて、

すぐにすっきりしたくなる。

 

・・・ってこれ、

脳の仕業なんだとこの本で知った。

「私たちの脳は、

 ともかく何でも分かろうとします。

 分からないものが目の前にあると、

 不安で仕方ないのです」

 

つまり人が分かりたがる、解決したがるのは、

本能の働きということだ。

 

でも、

本能ばかりに委ねたくない。

 

「それにしても、

 と改めて考えざるを得なかった。

 謎や問いには、

 簡単に答えが与えられぬほうが

 よいのではないかと。

 不明のまま抱いていた謎は、

 それを抱く人の体温によって

 成長、成熟し、

 更に豊かな謎へと育っていくのでは

 あるまいか。

 そして場合によっては、

 一段と深みを増した謎は、

 そこの浅い答えよりも

 遥かに貴重なものを

 内に宿しているような

 気がしてならない」

 (黒井千次氏)

 

 

 

 

先日、再放送していた

「英雄たちの選択」の「直虎編」で、

MCの磯田氏は以下のように

番組を締めた。

 

「ぼく、やっぱりね、

 直虎は、

 理不尽な時の過ごし方の

 名手だと思うんですよ」

 

「人生も、組織体も、

   いつも自分が勝てる要素を

 持っている時ばかりではなくて

 むしろ弱かったり、ダメなときって、

 多いですよね。

 その時、どう過ごすかっていうことが、

 本当、一番重要だと思うんです」

 

「直虎は、

 こんな今川の状態は続くはずがないと、

 考えた。

 夜明けの前が一番暗い。

 もうちょっとしたら、

    確実に夜明けが来るってことを

 ひたすら信じて処していった、

 凌いでいった。

 戦う力という

 武士にとって一番重要なものを、

   男を殺されつくして失っていたところで、

 どのように凌ぐか。

 先を、大局を読んで、

 これから何を身に着けていったらいいのか、

   考えた」

 

「そしてやがて

 家柄、戦闘力、外交情報力、

 三拍子揃った井伊家になって

 日本最大の譜代大名、

 35万石、

 井伊家になっていくわけです。

 だから、今、つらいと思っている皆さん、

 大河ドラマを見ながら、

 つらい時の凌ぎ方、学びましょう」

 

今大河ドラマでは、

直虎のいい感じのネガティブ・ケイパビリティと

万千代の積極的な挑戦が、

ちょうど対比されているところだ。

 

 

 

そして、この本の締めくくりは

「寛容」と「共感」だった。

 

「どうにも解決できない問題を、

 宙ぶらりんのまま、

 なんとか耐え続けていく力が、

 寛容の火を絶やさずに

 守っているのです」

 

「共感が成熟していく過程に、

 常に寄り添っている伴奏者こそが

 ネガティブ・ケイパビリティなのです。

 ネガティブ・ケイパビリティがない

 ところに、

 共感は育たないと言い換えても

 いいでしょう」

 

 

すごく理解できる。

 

誰も悪者にせず、

どこにも責任を求めず、

何に対しても事を押し付けない、

今の状況を引き受けて、

その中で、

できうることをしながら、

待つ。

 

それができるのは、

自分のことを理解し、

相手や周りのことも理解でき、

受け入れる心を持っているからこそだし、

そうやって耐えている間こそ、

多様な人の思いを理解できる力を

醸成する。

 

私に

ちょっとはその力があるとすると、

苦しかった事のおかげだ。

 

 

 

 

 

・・・とはいえ、

各地で理不尽な災害にあった方々が、

そのネガティブ・ケイパビリティで

今をなんとか凌いでくれている間に、

希望を見出してくれるような

政策が必要だ。

 

横田めぐみさんはじめ拉致被害に

あった方々や、

その家族の方々の

ネガティブ・ケイパビリティが

発揮されているうちに、

なんとか解決を!と

願わずにいられない。

 

 

 

 

 

 

 

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アマゾンの思う壺

【2017.08.29 Tuesday 14:25

恥ずかしながら、

ずっと「ブルボン」だと思ってた。

「ブルゾン」かあ。

なんてこともあり、

 

今朝は、

9時少し前に、

横断歩道が青になっても、

なかなか渡らない小学3年?4年?の

男の子を見てしまって、

宿題やってないのかな?

何か嫌なことがあるのかな?

と心配になったり、

 

8月も終わりますなあ。

 

夏も終盤にきて、

これから読む本への期待が高まってます。

その前に

読んだ本の整理しとこう。

 

 

 

 

ここのところ読んだ本 ↓

ビジネス系の本、どれも良かった。

 

大人であっても人の知性は成長する。

組織の力を最大限に引き出す最善の方法は、

組織に属する人々の人間としての発達に

光を当てることだ。

 「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか」

 

ただ、それには組織内で

適切なフィードバックができることが不可欠。

しかしながら今「フィードバックレス社会」

と言えるほど、フィードバックが足りていない。

「フィードバックとは

 相手にとって耳の痛いことでもきっちり通知し、

 本人の立て直しのお手伝いをすること」を言う。

  「会社の中はジレンマだらけ」

 

フィードバックが苦手な理由に、

評価を怖がり、

自分の弱さを隠そうとする意識が働いていることと、

知性の発達段階の一段目で留まっている人が多いという

可能性がある。

 一段目:環境順応型知性

   (周囲からどう見られ、どういう役割を期待

    されているかということで自分が形作られている。

    合わせられる。指示に対し忠実に行動できる)

 二段目:自己主導型知性

   (周囲の環境を客観的に見られる。自分自信の

    価値基準を持っていて、それと周囲の期待に

    ついてを合わせて考え、判断し、選択できる)

 三段目:自己変革型知性

   (自分の価値基準ややり方をもっているけど、

    それだけにこだわらない。しかしそれが全てだと

    思ってないので、修正したり、訂正したりできる。

    矛盾も対立も、曖昧も、ジレンマも受け入れること

    ができる)

  「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか」

 

 

フィードバックを技術的な面から考えると、

客観的な事実を提示することが必要だ。

「あなたって気が利かないよね」

は、あまりに主観的だ。

客観的な事実とは、

「会議の資料、

 参加人数分なかったよ」

 

 

「自分の言葉が相手に理解されているかどうか

 鋭敏な感覚を持ち、理解されていないことを

 嫌がらずに謙虚に受け止め、理解してもらう

 にはどうしたら良いかを本気で考える。

 何度も何度もそんな経験を

 繰り返さなければならない。何度も何度も」

自分の言葉の何をどうチェックしたらいいかが

わかれば、

フィードバックもしやすくなるかも。

「大人のための国語ゼミ」は

以下が具体的に書かれてる。

・事実と意見と推測

・簡潔にし、話題でまとめ、順番に注意

・接続の言葉

・要約

・理由と原因と根拠

・的確な質問

・反論の仕方

 

 

「大人のための国語ゼミ」を読みながら、

「伝える」ことについて思い返してみた。

私は「アサーティブ」というコミュニケーションのあり方で

「相手伝わるように伝える」ための工夫をしてるのだが、

学び始めた初期の頃にやり始めて、

今でも気をつけている事がある。

それは端的に知らせたい時には余分な事を言わないこと。

タクシーの運転手さんに目的地と道順を知らせる時、

駅の窓口を利用して切符を買う時、

そんな時、

いかに少ない言葉で正確に相手に伝えることができるか、

最初の頃は、

(思ったことを、しかもどうでもいいことを

 口にしてしまう私にとっては)

結構大変で、面白かった。

今もスッキリ決まるとめちゃ嬉しい。

そして、それには脳内リハが大切なんだな。

「大人のための〜」の中の、

枝葉は一旦置いて、幹、つまり中心的主張を!

は、なるほどなんだな。

 

 

 

これらの本の中で出会った

「ポータブルスキル」という言葉が気になった。

「ポータブル」だから持ち運びできるって訳で、

つまりは、会社を変えても、仕事を変えても、

自分の身についた技術は持って異動できるって訳だ。

それらは3つあり

\賁腓涼亮韻箋蚕

∋纏の仕方(現状を把握したり、課題を設定できたり、

   スケジュールの管理や、状況に対応できる力など)

人との関わり方

と言われているとのことだ。

 

 

私の仕事の一つは

コミュニケーション能力の育成だから、を扱ってる。

そして、のちからがあると、

´△蚤疹の苦手があっても、わからないこともあっても、

質問したり、助けを依頼できたりするので補える。

 

そんなアプローチも可能だなあと

なんだか、少し考えも広がったと思う。

 

 

ってわけで、

これから読む本は↓

 

 

 

 

 

    

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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「私の物語」→「私たちの物語」

【2017.08.23 Wednesday 08:55

今朝の「ひよっこ」(NHKの朝の連ドラ)で

ムネオさん(主人公のおじさん)が言った。

「悲しいこと、辛いことは突然やってくる。

 どんなに誠実に生きてても

 悲しいことは降ってくるみたいに

 いきなり起きるんだ。

 でもね、

 悲しいことを救ってくれるのは人だよ。

 人を救うのは人だよ」

良いこと言うわあ、ムネオさん。

 

そして、

悲しいこと、辛いことを、

人に救ってもらいながらでも乗り越えると、

それを乗り越えられた自分に対する信頼度は、

めっちゃアップする。

 

さらに、

助けてくれた人に対する感謝や信頼する気持ちは

増大し、その人との間の関係はとても太くなる。

しょっちゅう会えなくても、

事あるごとに話せなくても、

心の底での繋がりを感じるだけで、

力が湧く。

 

自分に対する信頼度も

助けてくれた人に対する信頼度も、

時間を経ると変化があるけど、

その頃また

何かが起こったりするのが、

生きていくことだと思う。

 

そして

私はそんなことを重ねてきたなあと

つくづくと思う。

その上で

私は、

いよいよ「人間の生きていく力」に

確信を持てている。

 

 

 

昨日、突然、1日ポッと空いて、

気の置けない友達を誘って遊んだ。

5か月ぶりくらいに会えた彼女とは

話すことは山のようにあった。

その中で、彼女の身に最近起きた

突然の出来事を聞き、

どう対応しようか考えている話を聞きながら、

このことも、

彼女は絶対に乗り越える!

って思った。

彼女には近くに住む姉という

心強い存在に相談もしている。

 

一昨々日

久しぶりにラインのやり取りをした

アメリカに住む妹も

はっきりとはわからないが、

転換期を迎えているようだった。

姉としてはすごく心配だけれど、

でもやはり、

妹は必ずなんとかする!って

私はどこか信じてる。

妹も、アメリカで

なんでも話せる友人を

持っている。

 

 

大変さ、しんどさを

誰かに表すことは、

「私の物語」から、

「私たちの物語」への変化を

スタートさせることになる。

 

 

ムネオさんの言葉も、

その前に

「主人公の父親(記憶喪失になってしまってる)」が

将来のことを家族に相談したことから始まり、

彼が一人だけで思い悩んでいても、

「自分の一人の物語」だけど、

それが

「家族の物語」になった。

 

 

 

最近読み終わったのは

「なぜ弱さをみせあえる組織が

 強いのか」

という本。

 

帯に書かれた

「ほとんどのビジネスパーソンが

 『自分の弱さを隠す仕事』に

 多大な労力を費やしてる」

というコピーに惹かれた。

読む前は、

弱み、弱音を吐きあえる組織ということは、

吐いても馬鹿にされず助けてもらえるということか・・・

という想像だったが、

そんなに甘い話ではなかった。

 

どちらかというと、

自分の苦手をさらけ出せ、

それに対策を立てていく環境を

システムとして作っている

組織の実例を交えながら、

そうやって個人が成長していくことが

組織の成長にもつながっていく

ということだった。

 

事例であげられていたある会社の

合言葉のような数式

「痛み➕内省=進歩」

が記憶に残った。

この会社では

「自分の失敗から学ぶことが職務上の義務」

とのことだった。

 

大人になって知る自分の弱みや苦手、

あるいは失敗、

他者からの批判的な指摘は

とてもとても痛い。

痛いけれど、

そこでそのことを見なかったことにするのでも、

流してしまうのでもなく、

受け止めて、

どこに問題があったか、

何をしなかったのか

プラスにするためにした方がいいことは何か

と内省を深め

見つけ出せ、行動できた時、

進化となっていく。

 

そしてその間、

内省はするが、

自分一人で背負うのではなく、

他の方にサポートしてもらってる。

そのサポートを組織でシステムに

しているところがすごい。

 

このことで成長している組織には、

「大人も発達する」という

共通の前提があるのだ。

 

 

 

自分の弱さ、苦手、弱み、弱音を

オープンにできるって、

すごいことなんだと思う。

 

そこから始まるんだと思う。

そこから始め、

人は、

いくつになっても

進化、発達することができる。

「生きていく力」を発揮できる。

 

 

 

 

少し前、

大学3年生の女子が、

乳児遺棄で逮捕されるニュースがあった。

法律を犯してしまった、

確かに悪いことをしてしまったんだけど、

私はこのニュースが切なくてたまらなかった。

一線を越えてしまってから

妊娠判明し、出産、

乳児遺棄まで、

どんなに悩んだかと思う。

どれだけ

苦しくて辛くて困っただろうと思う。

心細かったし、

自分や相手を責め続けたと思う。

気づかれてはまずいという気持ちと

相反して

誰かが気づいてくれたらという期待

もあったかもしれない。

ちょっとでも

「やばい」って言うことができたら、

いいアイディアをもらえたかもしれないけど、

彼女には、

そのハードルはすごく高かったんだろうな。

言えなかったんだよな。

彼女が、

少しこぼせたら・・・

ねえ、実はさ・・・

って言えたら、

って思わずにはいられないけど、

それができていたら十月十日の間に

なんらかの代替案があったんだろう。

(それにしても腹がたつのは、

 相手の男性だ!

 いろいろ事情はあるとは思うけど、

 なぜこういう時に、

 女性だけさらされるのか!!!)

 

<加筆 昨日↑のように書いた後、

 知人とこの件でメールした時、

 知人の言葉

 「彼女の逮捕を知って相手は

  どんな気持ちでいるだろう?」

 にハッとした。

 そうだ、彼も、もしかすると今、

 誰にも言えずに苦しんでいる

 かもしれない。どうしたらいいか

 わからず、自分を責めるだけの

 時間の中にいるのかもしれない。

 安心できる、信頼できる誰かに

 できれば大人に、話せるといいな。

 

 そして、私は自分だけで考えている

 時は考えもしなかったことを、

 知人と「私たちの物語」に

 したことで、狭かった考えを

 広げることができた>

 

彼女が償って、

新しい一歩を歩き出したあと、

かっこいいコトやかわいいモノに「いいね」を

しあうだけではない人間関係が作れると

いいと思う。

弱音が吐きあえたり、

助言しあえたりする存在が出来るといい。

 

「かっこ悪い自分、面倒な自分は隠しておくべき」

などというマインドと、

そのことに対して使う力は、

すっごくエネルギーいるけど、

それで磨くことができるのは

「ごまかす」スキルだけになりがちだ。

本当の力はついていかないって

気がつけるといいな。

 

そうして、

オープンにし、助けを求め、

問題解決に向かって動けば、

彼女も発達するし、

(その相手だって、

 正しい「内省」があれば

 進化の可能性は大いにある)

彼女の中の「生きていく力」は、

ポジティブな方向に発揮できるのでないか。

 

 

 

 

 

「私の物語」を

「私たちの物語」にでき、

反対に、

「あなたの物語」を聞かせてもらえて、

「私たちの物語」にできる。

そんな関係を一つでも作りたい。

どちらかだけだどバランス悪い。

そうしあえる人がいるって、

素敵だと思う。

 

そうしあえる「私」でいるために、

私は、

痛みをそのままにせず、

内省していきたいと思う。

 

助けてって言えて、

助ける行動ができる人間でいたい。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

妊娠に関しての相談機関の情報が

facebookにアップされてました。

ついでのようだけど、

大切なことだから、

流れてきた情報をそのまま

アップしておきます。

 

<にんしんSOS東京>

【生まれたその日になくなる命だけでなく、

 乳児遺棄によって犯罪者になってしまう

 女性もなくしたい】

乳児遺棄の疑い、20歳女子大学生逮捕 
静岡・牧之原
朝日新聞 2017.8.18

ひとりの女子大生が、
母子手帳の交付も受けず、
医療にかかることなく、
(おそらく)一人きりで出産をし、
嬰児を遺棄した。

報道から今私たちが知ることができるのはこれだけです。

相談する相手がいたのかいなかったのか、
赤ちゃんの父親との関係、
どんな気持ちで妊娠期を過ごしたのか、
変化する身体にどう対処していたのか、
どこでどんなお産をしたのか、
まだわからないことだらけです。

でも、

周りの誰にも言えない、
言っちゃいけない、
そう思う背景がきっとあったはずです。

どうか、
相談する先がいくつもあること、
色々な選択肢があること、
を多くの方に知って欲しい。

そして、
どこかに相談して、
自分の納得できる対応をしてもらえなかったとしても
諦めないでまた別の相談機関に相談して欲しい。

これからのことを一緒に考えてくれる誰かがここにいます。

私たち、にんしんSOS東京は、

「生れたその日になくなる命だけでなく、

乳児遺棄によって犯罪者になってしまう女性

もなくしたい」と強く願います。

今まさに悩んでいる方、

ひとりで悩まず、相談して下さい。
また、周囲に悩んでいる方がいたら、

以下の相談機関を伝えて下さい。

 

■一般社団法人 にんしんSOS東京
https://ninshinsos-tokyo.com/
にんしんにまつわる全ての「困った」、

「どうしよう」に寄り添います

 

■一般社団法人 全国妊娠SOSネットワーク

(全国の相談窓口の一覧があります)
http://zenninnet-sos.org/contact-list

 

■特別養子縁組の相談窓口

一般社団法人 ベアホープ
http://barehope.org/

NPO法人 環の会
http://wa-no-kai.jp/

認定NPO法人 フローレンス
http://engumi.florence.or.jp/

一般社団法人 アクロスジャパン
https://www.acrossjapan.org/

 

■レイプ・性暴力の相談窓口:

NPO法人 レイプクライシスセンター TSUBOMI
http://crisis-center-tsubomi.com/

NPO法人 性暴力救援センター・東京
https://sarc-tokyo.org/

 

■出産費用がない場合の相談窓口:

NPO法人 円ブリオ基金センター
https://www.embryokikin.com/

 

■出生前診断を受け、産むかどうか迷っている方の相談窓口:

NPO法人 親子の未来を支える会
http://www.fab-support.org

 

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1 ON 1 その2

【2017.08.07 Monday 13:03

 

先週買った「AERA」の

「空気はもう読まない」という特集に、

6月の都議選時の

今井絵理子参議院議員のツイート

「今日から都議会議員選挙が始まります!

 『批判なき選挙、批判なき政治』を目指して、

 子どもたちに

 堂々と胸を張って見せられるような

 選挙応援をします」

に関して触れていた。

 

このツイートの話題は、

知ってしまった瞬間から、

気になって仕方なかった。

「批判なき政治」という言葉に対して、

いろいろな考えや感情が浮かんできた。

ほんとにいいの!という焦りみたいものや、

大丈夫?という戸惑いや不安や、

とにかく収まりがつかなかった。

 

ただ、考えても考えても、

彼女が深い意味を持って

ツイートしたとはどうしても思えず、

彼女はきっと「批判する」を

「disる」と同じような意味で

使ったんだと思うようになった。

侮辱したり、あげ足とったり、

噂話をながしたり、

そういう応援はしないつもりです・・・

くらいの感じで、

「批判という言葉の意味を知らない」とか、

「政治に批判がないと進化しない」とか、

そういう問題じゃないんだと考えた。

彼女の世代より年齢が若い方々は、

「批判」とか

「忠告」など、

相手の「耳の痛いこと」系は、

できればしない方がいいことなんだろうな

と解釈して落ち着いた。

 

「AERA」の中で

女子高生のマーケティングを行っている

清水絵梨氏は、このツイートの背景として

〜他人に深く踏みこまないのがルール。

 だから批判をするなんてもってのほかだ。

 気にくわないことがあれば

 フォローを外したりブロック・ミュート

 したりして、心地よい人間関係を

 オーガナイズできるSNSに慣れているため、

 わざわざその壁をやぶって反対意見を

 述べるのは失礼にあたるという感覚

 なのである〜

と分析してる。

 

だから清水氏は今井氏のツイートを

「若者たちは『ハッピーにやるよ』

 というポジティブな意味で

 受け取ると思います」

と書いてる。

 

やっぱりそういうことだったんだと

ちょっと落ち着き、

じゃあ、反対意見や

批判の必要がある時はどうするんだ!と

別のザワザワが出てくる。

 

 

 

 

8月4日毎日新聞の夕刊特集ワイドは

インターネットと

軽んじられていくプライバシーの件に

ついて書かれていて、

その最後に気になる文章があった。

〜岡崎さん(中央大准教授)によると、

 若い世代の場合、

 誰も批判しない、

 似たような価値観の者同士だけで

 交流できる

 狭い『ネットワーク』で、

 いくつものキャラクターを演じるのが

 今は普通のため、

 そこでひどく傷つくことは

 少ないという〜

 

高校生の中には

表のアカウントでは卒なく、

好きなアニメつながりのアカウントでは

その話題で盛り上がり、

裏アカでブラックな自分を出して・・・

といくつものキャラで

生活してる子たちもいるもんなあ。

 

アニメのアカウントで失敗してしまったら、

裏アカで思いっきり本音を話し、

だから表のアカウントでは、

いい人というか、面倒くさくない人を

やれるんだよなあ。

がんばってるよなあ。

 

 

 

意見が違ったら、

とことん話し合うとか、

正面から向き合うとか、

そういうことしなくても、

生きていけるなら、

そんな面倒なこと、

しなくなるのが普通だと思う。

 

 

自分の考えと合わないなら、

話し合って

合意を形成する努力をするのではなく、

そこから注意深くフェードアウトすればいい。

注意をしないとならないことをする人には

しっかりと改善点を伝えるのではなく、

そういう人とは距離を置けばいい。

ただ、こういうことをしていると、

対話する能力は

残念だけど育まれない。

 

 

 

 

そうなると困ったことが起きる。

学生や

プライベートなSNSの付き合いの中

ではいいけど、

組織の中に入り、

自分の意見を表現することを

求められた時や、

注意をしないとならない時だ。

すっごく困ると思う。


上のような

自分がしなくてはならない時困るけど、

もっと困るのは、

反対意見を言われた時や、

注意された時など、

きっとめっちゃショックだと思う。

ものすごく戸惑うと思う。

 

清水さんによると

「反対意見を述べることは

 失礼なことにあたる」訳だから、

その考えを持っていると、

反対されたら「失礼なことをされた」

に捉えやすいと思うんだ。

 

 

私はもう直ぐ57歳で、

少なくともその年代の人たちは、

いろいろアドバイス受けて

ここまでなんとかやってきた。

時には罵倒されたり、

罰を与えられたり、

大勢の前で叱られたり、

一つのミスで人格否定されたことが

ある方もいるだろう。

(それをした先輩も、

 それが人を育てることだと思って

 やっていたと思う)

 

だから、

「その考えは間違ってると思うよ」

「書類に間違い多かったぞ」

「いつまでそうやって、

 人にきいてから動くの!」

などと言いたくなると思う。

 

でも、

「批判はダメ」

「反対意見は失礼」

という価値観の中で、

我慢しながら、キャラを使い分けながら

すごく必死で生きてきた若い人の中には、

そういう先輩や上司の言葉を、

自分への攻撃として捉えてしまったり、

自分が丸ごと否定されたような気分になり

落ち込んでしまったり。

すっかり萎縮してしまい、

そこから抜け出せなくなってしまったり・・・

ってあるのではないか?

 

 

世代間の差ってものは、

厳然としてある。

 

年齢が違い、

育ってきた背景が違い、

価値観が違い、

コミュニケーションの取り方が違う、

様々な人が、

一つの目標に向かって一緒に仕事をする

組織の中で、

問題解決のために、

どう対話していくのか?

 

 

若い世代だけを責めても、

上の世代を責めても始まらない。

 

若い世代が反対意見や注意を与えると

傷つくんじゃないかと

遠慮しすぎても問題解決しないし、

上の世代に、

我慢や諦めだけを求めるのの

行き過ぎてる。

 

 

 

そういう中での解決方法の一つが

1 0N 1なんだと思う。

 

 

1ON 1は、

定期的に上司と部下の間で行う

一対一の対話。

 

ヤフーでは

部下の進捗を確認し、

問題解決をサポートし、

部下の目標達成と成長の支援を行うもの

としてるらしい。

 

上司としては

アクティブリス二ングや

コーチングや

フィードバックの技術などが必要になる。

 

大変だとは思うけど、

何も言わないで、

若い方々が自分で気付くのを

待っているだけの時間が長引くより、

やれることが明確になるのは、

ストレスが減るのではないか。

 

若い方々も、

フィードバックされるわけだから、

建設的にではあっても批判を受けなくては

ならない。

今の若い方に大丈夫?と思うが、

そこに至るまでに、

しっかりと傾聴し信頼関係を作る。

また、「定期的」に行うから、

コミュニケーションの量は増える。

量が増えるってことは、

質問のチャンスや意見表明の機会が増えるってこと。

否定されない、評価もされない、

そこは心理的安全を担保した場と

確認できる機会が増えるってことだ。

 

そういうなかで、

それでも、

「ここは直してほしい」

と冷静に、問題を明確にして伝える

フィードバックの具体的な言い方についても、

先輩がそうやること自体が、

後輩のお手本になると思う。

 

これについては

「フィードバック入門」に詳しいし、

実践的に学びたいなら、

アサーティブ・トレーニング」は、

大いに役立つと思う。

 

 

 

これを言ったら傷つけちゃうのでは?

そう思いやるばかりに、

あるいは

自分が厳しい人と思われたくないばかりに、

あるいは

浮きたくないばかりに、

もの言わない、

萎縮した世の中へと、

これ以上、社会を進めたくないと思う。

 

そのためには、

みんなが

ちょっとずつ

本当ちょっとずつ、

学んだ方がいいんだろうな。

 

 

 

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「今日の人生」

【2017.06.05 Monday 18:12
益田ミリ
ミシマ社
¥ 1,620
(2017-04-20)

土日は盛岡。

 

盛岡駅の朝6時半オープンのカフェで

7時から、

増田ミリさんの「今日の人生」を

クスクスしながら読む。

勉強会の開場が8時半で、

それまでの間に読んでしまった。

 

日常の中のささやかで

見逃しちゃいそうな出来事を、

そ〜っと差し出してくれるような本。

 

もともと出版社ミシマ社さんの

ホームページに連載されていたものを

まとめたもの。(継続中)

 

「初めて

 電車の中で

 盲導犬を見ました

 足下で

 小さく伏せて

 いる姿を見ていると

 わたしはこれほどまでに

 誰かの役に立ったことは

 あるのだろうかと

 思った今日の人生」

みたいな感じ。

 

 

読んだら誰もがきっと、

自分の1日の一コマを

「今日の人生」と題して書いてみたくなると思う。

 

 

早速やってみる。

 

「会場に向かおうと、

 まずはリュックの右肩を背負い、

 左腕を通そうともたもたして、

 それでも

 やっと立ち上がりかけて

 『よいしょっと』と言いそうになった時に、

 隣に座っていた若い女性が

 すっと立ち上がりながら

 しなやかにリュックの右を通し、

 歩きながら左の腕を通す姿に

 見惚れ

 『よいしょっと』を飲み込んだ

 今日の人生」

 

ミリさんはこれを漫画で

描くから、いいんだよなあ。

 

 

「キャリーバックを引きずって、

 to goの一番大きいサイズを右手に持って、

 なんとかドアを開けたら、

 はずみで、

 プラスチックの蓋の飲み口から

 一滴溢れて道に落ちたカフェオレ。

 すごく綺麗に

 🌟に広がる!!!

 おっ!な

 今日の人生」

 

 

「狭いところが苦手な私は、

 ホテルのあまりの狭さに

 息がつまって

 『酸素〜』と言いながら

 窓を開けると、

 ちょうどその時着信音。

 知人が就活一次を通ったという

 ニュースに

 『よかったね』と返信して

 顔を上げると

 部屋がちょっとだけ

 広くなったような

 今日の人生」

 

「小さい文字でメモをとる。

 意外に読める字。

 今日の人生」

 

以上、

盛岡での

谷澤久美子「今日の人生」。

 

 

毎日いろいろなことがあって、

辛いこともあるし、

期待に応えられない情けないこともあるし、

忙しすぎてパニックな時も、

大失敗しちゃうことも、

ほんといろいろあるんだけど、

探すと、

1日の中には、

ほっとしたり

何かを発見したり

くすっとした瞬間があったりする。

 

100%真っ暗やみじゃないなって思う。

 

もし真っ暗やみって思ったら、

それはまだ見つけてあげてない

「今日の人生」があるんだと思う。

 

それは、

探してくれるのを

待ってると思う。

 

どうしても見つからないほど

ひどい状況の時は、

探すのを、

誰かに手伝ってもらうといいと思う。

 

 

 

 

 

調子に乗って、

細かいことを忘れないように

これ用のノート購入。

 

 

6月5日

「小4の社会の授業。

 先生と子どもたちのやり取りが

 楽しい中、

 じっとしている女の子。

 男の子が

 『かねんごみってなんですか?」

 と質問。

 先生が

 『日本語はすごいよね。

  漢字で書くとみんなわかっちゃうかも』 

 と黒板に『可』と書き出した途端、

 ひらめいたらしい彼女が

 小さく『あっ』って言った時、

 目があっちゃった

 今日の人生」

 

 

 

さて、ミリさんのこの本の中で、

超ロゴ的な「今日の人生」がある。

 

「わたしの、

 わたしの人生に

 降りかかってくる

 面倒なできごと

 すべて作品に

 昇華してみせる

 と、改めて思った

 今日の人生」

 

どの歌歌っても

♪唐獅子牡〜丹♪でしめると演歌になるみたいに、

「〜〜〜な今日の人生」でしめるのは、

山あり谷あり時の

おまじないになりそうだな。

 

 

私バージョンは続く。

「カルの散歩の途中に寄った公園で、

 そろばん帰りの兄妹にあう。

 小6と小3くらい?

 『お座りとお手やってみる?』ときくと、

 パッと走り出した兄。

 猫じゃらしを手にして全速力で

 戻ってきて、妹に

 『これでやってみな』と

 手渡す。

 残念ながら、犬なんだけど、

 猫じゃないんだけど、

 それでも

 妹想いの行動に

 ぐっとくる

 今日の人生」

 

 

「ブロッグ塀の中に

 魚を見つけた

 今日の人生」

 

 

 

 

「小学生用『コミュニケーション』と、

 高校生用『ストレスマネージメント』と、

 小中学校の保護者用『子育てについて』。

 何としてもレジュメを3本作らねばならない。

 なのに、

 なかなか進まない

 というよくある

 今日の人生」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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道にしちゃう。

【2017.06.03 Saturday 05:42

田口ランディさんの

「『ありがとう』がエンドレス」は、

大学生になり一人暮らしをする

娘さんに向けて書いた言葉集。

 

例えば、

「大事なことを

 じっくり考える時間を作るために、

 些細なことは、

 さっさとやるように

 脳を仕込むんだよ。

 やってみれば簡単だから、

 実験してごらん」

は、行動療法系の私としては大好きな考え方だし、

 

「いま私って怠慢?

 はっとした瞬間に、

 どこからか元気な自分が現れて、

 がんばれ、

 もうちょっとだから、

 いまやっとこうよ

 って言ってくれる。

 その人が自分を育てるリーダー。

 一人暮らしをすると、

 その人と仲良くなれるよ」

は、メタ認知を、

子どもに伝える時に、

使わせてもらいたい言葉だなあと思う。

 

それらの中でも、

とても深く心に刻まれた言葉は、

「お釈迦様は心を他者にむけて、

 幸せになる道を選んだ人。

 答ではなく道を選んだ。

 悟りを得てからずっと
 その道を歩まれたんだよ」

「お釈迦様に悩みはなかったのかな?」

「道を選ぶと悩みが喜びに転換するの。
 悩みは智恵の種になるから、

 悩みを得たことを心から
 喜ぶようになるの」

「へえ」

という娘さんとのやりとりだ。

 

このポイントは二つあって、

「心を他者にむける」

という部分と、

「答ではなく道を選ぶと

 悩みが喜びになる」

という部分だ。

 

前者は

ロゴセラピーの

自己超越や

過剰自己観察という理論を通して、

いつか語れると思う。

 

 

 

今日は後者について考えてみる。

 

相談の仕事の中で、

時々答を求められることがある。

例えば、

「A社とB社、両方から内定を

 もらったのですが、

 どちらを選べば幸せになれるでしょうか?」

的なことだ。

相談の仕事はそれに答えることではない。

(っていうか、そんなこと決められないし)

 

この場合でいったら、

「働く場の選択」という課題に対して、

どんな風に考えていくかとか、

どういう態度で取り組むかとかを、

見守る。

 

つまり、

その課題を通して、

その方自身の中に、

自分で考えをまとめたり、

自分で決断したり、

迷う自分を認めたり、

 

決定した後で方向転換したくなる自分を

なだめたり、

いやいややっぱり方向転換だ!と

なった時には、

それを伝える自分の背中を押したり、

 

自分で自分を励ましたり、

慰めたり、

助けたりする

力を育んでいただく手伝いをするのが

相談の仕事だと思う。

 

それは道の「歩き方」なんだと思う。

 

答ではなく道を選んだということは、

例えば幸せをが目的だとすると、

「幸せ自体」を求めることではなく、

幸せであろうと「努力すること自体」を

選び続けるってことだと思う。

 

人間はお釈迦様じゃないから、

悩みを喜びにまで転換することもないと思うし、

私自身、できれば悩まないで歩きたいとは思ってるけど、

同時に、悩みはいかせることや、

悩みがあったことでより良くなることも

知ってるから、

何かが起こっちゃった時には、

どうせしんどいなら得しよう!

という考えはわく。

 

たとえば

アサーティブのトレーナーとして

自分自身をもトレーニングし続けているんだけど、

それは

「アサーティブであろうと努力し続けること」

を選んでいるんだと思う。

 

そうなると、

他者との間での

難しい場面は、

「いやな出来事」から

たちまち

「きたな!アサーティブチャンス」

に変わる。

 

ロゴゼミナールで

ステキなロゴセラピストの先輩方と共にいると、

彼らはロゴセラピストになる事が

目的じゃなくって、

ロゴ的な生き方をする事を

選んでいるんだとわかる。

彼らは、

理不尽な出来事が起こった時には、

理不尽な出来後という人生からの問いかけに

どう答えようかと考えてらっしゃる。

 

悩みを喜びに転換・・・

てのは、

そういう意味なんだと思う。

 

それって、カッコいいな。

憧れる。

 

 

「『ありがとう』がエンドレス」の中には、

しばらく浸っていたい言葉が

ぎっしりだ。

 

最近、硬い本ばかり読んでたので、

新鮮!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

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人は最善を尽くして生きているか?

【2017.03.26 Sunday 15:59

私の全く勝手な命題

(だから自己命題と名付けよう)に

コミュニケーションをする時に、

「相手を理解しようとする態度」は大事なので、

「相手を理解する」方法を、

「考え方編」と「方法論編」に分けて

明確にするってのがある。

 

その「考え方編」に

決定的な影響を与えてくれる言葉を

見つけちゃった。

 

ひとつは、

「ダイアローグ・スマート」(幻冬舎)

という本の中にあった。

 

それは、

他者を悪者にしている自分を意識したら

自問する言葉、

「分別のある常識的な人が

 こんなことをするのは

 なぜだろうか?」。

 

もうひとつは

「立て直す力」(講談社)

という本の中にあった

「人は皆、最善を尽くしてる」

という言葉。

 

著者のブネレー・ブラウン氏は

「わたしが一方的にマイナス評価を

 くだした人たちはおそらく

 『あなたはわたしを知らない。

  わたしのことなど何も知らない。

  だから一方的に決めつけないで』

 と言いたいに違いない」

と書いている。

 

この二つの言葉は、

半月くらいの間、

だから、ほぼ同時くらいに出会えて、

それから世界が明らかに変わってしまったと

思う。

 

私は、

「人は最善を尽くしていると思う?」

と、誰かから質問されたら、

「なんか、子どもじみてると思うかも

 しれないし、

 別に性善説を採用してるわけでもないけど、

 そう思う」

と答えると思う。

 

カウンセラーとして人の話を聴くと、

例えば、

世間的には受け入れられないようなことを

している方がいても、

その人にとっては、

それはそうせざるを得ない、

決して大げさではなく、

そうしないと命を守れないようなこと

だったりすることばかりだ。

 

摂食の問題も、

自傷行為などなども、

そうしないと今もたないから、、、

されていること。

 

子どもが昼夜逆転し、

夕方3時くらいに起きてきて、

一晩中ゲームをやっていても、

今は他に方法がない、

今は、

そうしないと生き延びることが

できなくってそうしている・・・

と思う。

 

いじめの問題があったら、

真っ先にケアするのは

被害者だ。

被害者の回復をサポートするのは、

優先順位の第一位。

ただ、加害者にも

ケアの必要があることが多いと思う。

行動そのものは間違いだったけど、

精神的に満たされていて、

毎日が充実している子は

誰かをいじめる言動はしないから、

その子たちのその行動をせねばならなかった

背景を理解しフォローしようとするサポートは

必要だ。

 

 

 

行動そのものは

問題もあるし、

時には犯罪だったり、

誰かをひどく傷つける言動だったり、

許されることではないこともある。

絶対にやってはダメなことはある。

 

ただ、その人の選択肢の中では、

それをする他なかったんだと思う。

 

 

 「立て直す力」の中に

 マヤ・アンジェロウ

(アメリカの活動家。

 キング牧師とともに公民権運動を

 戦った。詩人)の言葉が出てくる。

 「あの時は、

  自分が知っている方法でやった。

  いまはもっとたくさんの方法を

  知っているから、

  もっとうまくやれる」

 

 

 

だから、

人は、

自分の選択肢を

より良い方向に広げていくしか

ないのだ。

 

 

 

 

話を戻して、

私はこれらの言葉に出会って、

苦手な人の顔を思い出してみた。

 

これまでの人生上、

ひどく罵倒されたことが2回ある。

その2回のお相手の顔。

 

そして、

どうしても

距離をおきたくなってしまった方の顔、顔。

 

確かに苦手は苦手で、

再び何かのプロジェクトの仲間になる・・・のは

ご遠慮したいが(って向こうもそう思ってるかも)、

それでも、

その苦手な方々は、

やはりその時々、最善を尽くされていたんだ、

と改めて思う。

 

その中のお一人は、

仕事中に

個人的なことばかり話しかけてきたけれど、

それは、

あの方が、

その時のご自身を保つために、

あの時間が絶対的に必要だったんだ!

と思う。

 

そう思うと、その時は(ずっと昔ね!)

アサーティブも知らず、

話を聞き続け、

心の中で「しょうもない人」と悪者にしてたけど、

今の私なら、

その方自身と、

その方の「ムダ話ばかり」を切り離し、

「今は、他にする必要がある仕事があるから

 聞くことができない」と言えたと思う。

それはスキルで言えるのではなく、

「この、

 分別のある常識的な人が

 仕事中、こんなことをするのは

 何らかの意味があってのことに

 違いない」

という考えに基づいて、

全く責めずに言えると思う。

 

そして、その時の聞き続けた私も、

その時は

その方との関係を大事にすることしか考えられす、

また「要求の方法」を知らず、

そんな中では最善だったんだと思う。

 

 

 

私は、

いつも社会的に正しいことばかりを

してきたわけではないし、

人として思いやりある行為を

選択し続けてきたわけではないように、

そして怠けたり、ケチったり、

意地汚い考えに基づいた言動をしちゃうことも

あったように、

でも、

そのどんな時も、

そうするしかなくてしてきたように、

 

人って、そうなんだと思う。

 

 

 

何か、理不尽な出来事があって、

その出来事を起こした人を

悪者と決めつける自分を意識したら

「分別のある常識的な人が

 こんなことをするのは

 なぜだろうか?」

と自分に問いかけてみる。

 

「最善を尽くそうとして

 これをしているとしたら、

 どういう背景があるのか?

と自分に問いかけてみる。

 

この言葉が自分の中に入ってきて、

「考え方編」の土台が

固まってきたように思う。

 

ただ、疑り深いところもある私。

今のところはこれ!と考えて、

当分、これを採用してやってみる。

 

 

 

 

これをここに書くのは、

とっても勇気が必要だった。

だって、

誰かにひどいことをされて、

ダメージを受けてる方もいるだろうから。

その方は、その人が最善を尽くしていると

考えることなど、とってもできないだろうから。

その方を、二重に傷つけてしまうことにも

なりかねない。

 

 

 

 

それでもこれは、

対話で問題を解決していこうとする時には、

必要な

「相手を理解する」ための

大切な考え方のひとつかも・・・

って思う。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケリー・パターソン,ジョセフ・グレニ―,ロン・マクミラン,アル・スウィツラ―
幻冬舎ルネッサンス
---
(2010-09-25)

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複雑さを噛みしめる。

【2016.12.17 Saturday 08:53

プーチン氏が遅刻したことを家人と話す。

「3時間も会議を遅らせるとは!

 どうしてそういうことができるか理解できない」と私。

「外交はそういうもの。

 成果をあげるためには

 いろいろなことをするものだ」と家人。

納得いかない私。

 

私は、

最近は

あまり遅刻はしない方だと思う。

会場に誰よりも早く到着することを常としてた

父親からの薄〜い影響があるのかも。

とはいえ、20分くらいまでの遅刻は理解できる。

 

ただ3時間とは!!!

 

家人は

「こうなると、

 誰が彼を待たせるか?だな」

という。ふむふむ、それは面白い。

待たされた時、

彼がどんな反応をするか楽しみだ。

 

 

なんて言いながら、

彼の遅刻の背景を想像してみた。

 

・落とし所をロシアで幹部と話し合っていた。

・1日押せ押せだった。

(何しろ夕方のスタートだから、

 朝からプーチン氏方式で遅れ遅れてきた

 ことが積み重なって)

・アメリカとの関係改善が予想される中、

 領土問題もある日本は、そこまで重要視

 してない感を出したかったから。

・安倍さんの地元での会議という

 日本側のアドバンテージを

 平らする方法を採用。

 

考え出すと面白くなってきたぞ。

 

 

とはいえ

遅刻常習者のプーチン氏のことを

理解することは難しく、

ま、そんなことを私がする必要もなく、

そして

私が今日言いたいことは

そこではなく、

他者を理解しようとすることの

難しさだ。

 

 

人って本当に複雑だ。

 

 

TED タヴィ・ジェヴィンソン: 10代はまだまだ模索中

が面白い。

12歳の時にファッションブログを始め、

15歳でオンラインマガジンをスタートした彼女。

今は20歳だが、

このスピーチは17歳の時らしい。

 

彼女がオンラインマガジンを始めたのは、

「”どちらかしかなれない”ものを

 どうにかできないか」と考えていたからという。

女の子は、

「賢くて可愛いの両方なんて高望み、

 周り、特に男性からどう思われるか、

 どう思われたいかで服は選ぶべき」

という社会からのメッセージを、

彼女なりにどう受け止めたらいいか考え続け、

その模索や混乱を、

まずはブログで発信したんだという。

そして「女性のある一面だけを強調するもの

でない10代の女子向けのサイト」を

作ったんだそう。

彼女はフェミニストだと自認していて、

女子達の中にある「フェミニスト」への

誤解も解きたいと思っているという。

「フェミニストになるには、

 自らの信念を貫徹しないといけない、

 不安になっても疑念を抱いてもダメ、

 全てに答えを持っていないといけない、

 などと思われているかもしれないけど、

 それは違う。

 実際フェミニズムを知ることで

 私は自らの矛盾に折合いが

 つけやすくなりました。

 フェミニズムは規制ではなく、

 話し合い、対話、プロセスなんです」

 

これを「フェミニスト」に限ってしまって

考えるのはもったいない。

全ての「こうあるべき」に対する

もう一方の、

バランス感覚のある考え方で、

彼女は10代の女子は模索中と言って

いるが、

模索中なのは、

10代の女子だけではなく、

人間ってそうなんだと思う。

 

10代の女の子たちがそうなように、

模索し続けてる、

「常に今のところ」の人間たち。

 

模索しながらなんとか

自分の答を見つけながら生きる。

それを他者が理解しきるのは、

ほとんど無理なのではないか?

 

 

今年読んだ本の中で、

良かった何冊かの中の一冊

「言葉が鍛えられる場所」。

 

著者がこれまで書いてきた

ビジネス、経済、介護などに

テーマを置くエッセーではなく、

「言葉」について書き、

しかも、

「言葉が表しているもの」についてではなく

「言葉が隠蔽しようとしているものが

 何であるのか」

について書いている。

 

この本の中では、繰り返し、

言葉の向こうには

表されなかったもの、

表しにくかったもの、

表したくなかったもの、

があることを丁寧に書いている。

 

「見えるものがあるのは、

 見えないものがあるからであり、

 形のあるものが確かだと思えるのは、

 形のない不確かなものが存在している

 からであり、

 輪郭のはっきりした外側があるのは、

 輪郭を持たない内側があるからだということを、

 しばしば忘れてしまうのです。

 鍛えられた言葉は、

 いつも、見えるもの、存在、充足、正確さ 

 と言うものの背後に、

 不在、欠落、遅れを導き入れるのです」

 

 

この本の中に取り上げられている

石原吉郎という

戦後のシベリア帰還者である

詩人が書いた、

 

「わかったな それが

 納得したということだ

 旗のようなもので

 あるかもしれぬ

 おしつめた息のようで

 あるかもしれぬ

 旗のようなものであるとき

 商人は風と

 峻別されるだろう

 おしつめた

 息のようなものであるときは

 ききとりうるかぎりの

 小さな声を持てばいいのだ」 

(「サンチョ・パンサの帰郷」より

    「納得」の部分)

という詩。

 

これには、

敗戦、

シベリアでの過酷な労働、

期間後の危険人物扱い

(シベリア帰りは「赤」だという風評が

 あったとのこと)、

という人間性を踏みにじられるような

経験をしてきた者でしか書ききれない

納得の形がある。

「おしつめた息」という言葉に、

「物言えば唇寂し」という経験でさえ

する機会を与えられなかった、

あるいは絶望のあまり自らしなかった・・・

そういう背景を考えてしまう。

 

 

 

外交は複雑だ。

駆け引きをしあう人間が複雑だ。

 

10代の女子は複雑だ。

簡単にわかってほしくないし、

しかしわかろうとしてほしい、

人間が複雑だ。

 

言葉は複雑だ。

その言葉だけでは

表しきれない、

表さないことに意味を込める

人間が複雑だ。

 

 

簡単に判断したらダメだ。

レッテル貼ってはダメ。

 

理解したと思えた瞬間、

「今のところの理解」くらいに

意識しよう。

 

 

サッカーのゴールを外して泣いていた

小5の男子がいた。

「悔しかったんだね」

と声をかけると、

ヒックヒックと泣きじゃくりながら、

「悔しいんじゃない。

 もう6年生とサッカーやれなくなるから

 悲しかったんだ」

と言った。

 

 

ある学校のPTAの役員決め。

会議には母親、つまり女性たちが集まった。

くじを引く前に、

今年度の会長(男性)が言ったそうだ。

「くじで当たった方は、

 ご主人を説得してください」

参加していた

私の大好きな知人は、

その言葉にカチン。

男性がやるものと決めつけてる、

その態度に、

聞いた私も腹たつ〜!

・・・だからといって

その方を男性至上主義者と決めるのは、

早い。

もしかすると

今まで 、当たり前の、

「毎年の会長のくじ前の言葉」

だったのかもしれないし、

母親のしんどさをわかっての

説明だったのかもしれない。

リーダーという立場が得意な女性に

これまで会ったことがなかったかもしれないし、

ひとり親で子育てしてる人がいるかも

という想像を持てなかったのかもしれない。

「差別」に、(多分)無意識に加担してるけど、

ものすごい悪気があったわけではないんだろうな。

 

 

 

「つまりは〜〜〜なんでしょ」

「要するに〜〜〜ってことだよね」

ってわかった気になって

まとめるのではなく、

せめて

「〜〜って理解でいい?」

でいきたいなあ。

 

 

で、

どこまでいってもわかりきらないのは、

他者もそうだし、

自分もそうだ。

 

人間が複雑。

その中に自分も入れておこう。

だからブレる。

時々、迷う。

自己嫌悪も、

自己卑下もある。

それでいこう。

 

それを自分にも許そう。

 

そして、

複雑な

私とあなたでやっていくしかないのだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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【2016.11.02 Wednesday 19:34
ディーパック・チョプラ,デビー・フォード,マリアン・ウィリアムソン
ヴォイス
¥ 1,836
(2011-01-25)

今朝の「べっぴんさん」(NHK朝のドラマ)の中で、

主人公の友達が

 私は心の器が小さい。

 友達の夫が戦争から帰ってきて、

 そのことは嬉しいけど、

 毎日その話ばかり聞かされると

 きっと嫌になると思う

というようなことを言う。

彼女の夫はまだ戻ってきてないのだ。

 

すると、彼女たちを支援している人が、

 そんな風に自分の心の小ささを

 認められることが

 心の器が大きいことだ

のようなことを言う。

 

 

10月に読んだ本、

「シャドウ・エフェクト」は、

まさにそれを書いていた。

 

アマゾンによるこの本の内容は以下(一部)。

 光あるところに影があるように、

 どれほど善人と称される人でも、

 神聖に見える人であっても、

 かならず悪魔的な面や闇、

 影の部分(=シャドウ)を抱えています。

 それは、怒り、怖れ、妬み、敵意

 といった“悪い感情”や、

 “エゴ”と言い換えることもできるでしょう。

 私たちはそんなシャドウを自分の中に見つけると、

 罪悪感や羞恥心などから、

 無視したり、排除しようとしたりします。

 でも頑張ったところで、

 シャドウが消えてなくなることはありません。

 

この本は、

シャドウが自分中にあることを認めないでいると、

認めないけど、そこにあるので、

巻き込まれることになってしまい、

それは結局は他者を非難するように

誘導する可能性がある。

シャドウが自分の中にあることを認めるためには、

シャドウを理解することが必要で、

理解が進めることで

シャドウを自分の人生に生かしていくことが

できるよいうになるってことが書かれているのだ。

 

 

「べっぴんさん」で言えば、

友達を羨ましく思う気持ち〜シャドウ〜が

自分の中にあると認めることができたことが

最初の一歩を踏み出したことになる。

妬む気持ちを薄々感じながらも

気がつかないようにしてたり、

認めたくないばかりに

過剰に話を合わせたりすることを続けると、

もしかすると、

「なぜうちの夫は帰ってこないのか』とか、

「その友達ばかり良い思いをして!」など、

社会や他者を恨むようになる可能性があるって

ことだと思う。

 

「それを認めることが

心の器が大きいことだ」

というセリフの人を演じているのは、

市村正親さんで、彼がこのドラマの中で

ホントにいい味だしてることも相まって、

私はぐっときた。

 

 

そして同じようなことを

村上春樹氏が

「アンデルセン文学賞」受賞スピーチの中で

言っている。

長くなるけど、

めちゃいいので後半部分を引用。

 

「アンデルセンが生きた19世紀、

 そして僕たちの自身の21世紀、

 必要なときに、僕たちは自身の影と

 対峙し、対決し、

 ときには協力すらしなければならない。
 それには正しい種類の知恵と勇気が必要です。

 もちろん、たやすいことではありません。

 ときには危険もある。

 しかし、避けていたのでは、

 人々は真に成長し、成熟することはできない。

 最悪の場合、小説「影」の学者のように

 自身の影に破壊されて終わるでしょう。
 自らの影に対峙しなくてはならないのは、

 個々人だけではありません。

 社会や国にも必要な行為です。

 ちょうど、すべての人に影があるように、

 どんな社会や国にも影があります。
 明るく輝く面があれば、

 例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。

 ポジティブなことがあれば、

 反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。
 ときには、影、こうしたネガティブな部分から

 目をそむけがちです。

 あるいは、こうした面を

 無理やり取り除こうとしがちです。

 というのも、人は自らの暗い側面、

 ネガティブな性質を見つめることを

 できるだけ避けたいからです。
 影を排除してしまえば、

 薄っぺらな幻想しか残りません。

 影をつくらない光は本物の光ではありません。
 侵入者たちを締め出そうと

 どんなに高い壁を作ろうとも、

 よそ者たちをどんなに厳しく排除しようとも、

 自らに合うように

 歴史をどんなに書き換えようとも、

 僕たち自身を傷つけ、苦しませるだけです。
 自らの影とともに生きることを

 辛抱強く学ばねばなりません。

 そして内に宿る暗闇を

 注意深く観察しなければなりません。

 ときには、暗いトンネルで、

 自らの暗い面と対決しなければならない。
 そうしなければ、

 やがて、影はとても強大になり、

 ある夜、戻ってきて、

 あなたの家の扉をノックするでしょう。

 「帰ってきたよ」とささやくでしょう。
 傑出した小説は多くのことを教えてくれます。

 時代や文化を超える教訓です」

 

最後はアンデルセンが書いた「影」をたたえて

締めているが、

彼のスピーチは

影を認めないのでも、

排除するのでもなく、

影とともに生きていこう!と言ってる。

 

ホントにホントにその通りだと思う。

 

 

 

自分の中にあるシャドウは、

時々御しきれないほどの熱を持つ。

情けないほどのだらしなさの時もある。

自分を全否定したくなり、

全否定するパワーは他者にも向く。

 

そこに至る前に、

ただただ、

自分の中にある

シャドウ、

影、

ネガティブな感情、

悪魔、

心の闇、

どす黒くって、

ネバーっとしてて、

どうしようもない部分を認める。

 

認めるとは何をすることかというと、

意識するということで、

意識するとは、

頭の中で言葉にするということだ。

 

まずそれが出発点。

アサーティブも、

ロゴセラピーも、

認知行動療法も、

そこを経て進む。

 

改めてそのことを考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor