本 | 今のところではありますが…
「今日の人生」

【2017.06.05 Monday 18:12
益田ミリ
ミシマ社
¥ 1,620
(2017-04-20)

土日は盛岡。

 

盛岡駅の朝6時半オープンのカフェで

7時から、

増田ミリさんの「今日の人生」を

クスクスしながら読む。

勉強会の開場が8時半で、

それまでの間に読んでしまった。

 

日常の中のささやかで

見逃しちゃいそうな出来事を、

そ〜っと差し出してくれるような本。

 

もともと出版社ミシマ社さんの

ホームページに連載されていたものを

まとめたもの。(継続中)

 

「初めて

 電車の中で

 盲導犬を見ました

 足下で

 小さく伏せて

 いる姿を見ていると

 わたしはこれほどまでに

 誰かの役に立ったことは

 あるのだろうかと

 思った今日の人生」

みたいな感じ。

 

 

読んだら誰もがきっと、

自分の1日の一コマを

「今日の人生」と題して書いてみたくなると思う。

 

 

早速やってみる。

 

「会場に向かおうと、

 まずはリュックの右肩を背負い、

 左腕を通そうともたもたして、

 それでも

 やっと立ち上がりかけて

 『よいしょっと』と言いそうになった時に、

 隣に座っていた若い女性が

 すっと立ち上がりながら

 しなやかにリュックの右を通し、

 歩きながら左の腕を通す姿に

 見惚れ

 『よいしょっと』を飲み込んだ

 今日の人生」

 

ミリさんはこれを漫画で

描くから、いいんだよなあ。

 

 

「キャリーバックを引きずって、

 to goの一番大きいサイズを右手に持って、

 なんとかドアを開けたら、

 はずみで、

 プラスチックの蓋の飲み口から

 一滴溢れて道に落ちたカフェオレ。

 すごく綺麗に

 🌟に広がる!!!

 おっ!な

 今日の人生」

 

 

「狭いところが苦手な私は、

 ホテルのあまりの狭さに

 息がつまって

 『酸素〜』と言いながら

 窓を開けると、

 ちょうどその時着信音。

 知人が就活一次を通ったという

 ニュースに

 『よかったね』と返信して

 顔を上げると

 部屋がちょっとだけ

 広くなったような

 今日の人生」

 

「小さい文字でメモをとる。

 意外に読める字。

 今日の人生」

 

以上、

盛岡での

谷澤久美子「今日の人生」。

 

 

毎日いろいろなことがあって、

辛いこともあるし、

期待に応えられない情けないこともあるし、

忙しすぎてパニックな時も、

大失敗しちゃうことも、

ほんといろいろあるんだけど、

探すと、

1日の中には、

ほっとしたり

何かを発見したり

くすっとした瞬間があったりする。

 

100%真っ暗やみじゃないなって思う。

 

もし真っ暗やみって思ったら、

それはまだ見つけてあげてない

「今日の人生」があるんだと思う。

 

それは、

探してくれるのを

待ってると思う。

 

どうしても見つからないほど

ひどい状況の時は、

探すのを、

誰かに手伝ってもらうといいと思う。

 

 

 

 

 

調子に乗って、

細かいことを忘れないように

これ用のノート購入。

 

 

6月5日

「小4の社会の授業。

 先生と子どもたちのやり取りが

 楽しい中、

 じっとしている女の子。

 男の子が

 『かねんごみってなんですか?」

 と質問。

 先生が

 『日本語はすごいよね。

  漢字で書くとみんなわかっちゃうかも』 

 と黒板に『可』と書き出した途端、

 ひらめいたらしい彼女が

 小さく『あっ』って言った時、

 目があっちゃった

 今日の人生」

 

 

 

さて、ミリさんのこの本の中で、

超ロゴ的な「今日の人生」がある。

 

「わたしの、

 わたしの人生に

 降りかかってくる

 面倒なできごと

 すべて作品に

 昇華してみせる

 と、改めて思った

 今日の人生」

 

どの歌歌っても

♪唐獅子牡〜丹♪でしめると演歌になるみたいに、

「〜〜〜な今日の人生」でしめるのは、

山あり谷あり時の

おまじないになりそうだな。

 

 

私バージョンは続く。

「カルの散歩の途中に寄った公園で、

 そろばん帰りの兄妹にあう。

 小6と小3くらい?

 『お座りとお手やってみる?』ときくと、

 パッと走り出した兄。

 猫じゃらしを手にして全速力で

 戻ってきて、妹に

 『これでやってみな』と

 手渡す。

 残念ながら、犬なんだけど、

 猫じゃないんだけど、

 それでも

 妹想いの行動に

 ぐっとくる

 今日の人生」

 

 

「ブロッグ塀の中に

 魚を見つけた

 今日の人生」

 

 

 

 

「小学生用『コミュニケーション』と、

 高校生用『ストレスマネージメント』と、

 小中学校の保護者用『子育てについて』。

 何としてもレジュメを3本作らねばならない。

 なのに、

 なかなか進まない

 というよくある

 今日の人生」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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道にしちゃう。

【2017.06.03 Saturday 05:42

田口ランディさんの

「『ありがとう』がエンドレス」は、

大学生になり一人暮らしをする

娘さんに向けて書いた言葉集。

 

例えば、

「大事なことを

 じっくり考える時間を作るために、

 些細なことは、

 さっさとやるように

 脳を仕込むんだよ。

 やってみれば簡単だから、

 実験してごらん」

は、行動療法系の私としては大好きな考え方だし、

 

「いま私って怠慢?

 はっとした瞬間に、

 どこからか元気な自分が現れて、

 がんばれ、

 もうちょっとだから、

 いまやっとこうよ

 って言ってくれる。

 その人が自分を育てるリーダー。

 一人暮らしをすると、

 その人と仲良くなれるよ」

は、メタ認知を、

子どもに伝える時に、

使わせてもらいたい言葉だなあと思う。

 

それらの中でも、

とても深く心に刻まれた言葉は、

「お釈迦様は心を他者にむけて、

 幸せになる道を選んだ人。

 答ではなく道を選んだ。

 悟りを得てからずっと
 その道を歩まれたんだよ」

「お釈迦様に悩みはなかったのかな?」

「道を選ぶと悩みが喜びに転換するの。
 悩みは智恵の種になるから、

 悩みを得たことを心から
 喜ぶようになるの」

「へえ」

という娘さんとのやりとりだ。

 

このポイントは二つあって、

「心を他者にむける」

という部分と、

「答ではなく道を選ぶと

 悩みが喜びになる」

という部分だ。

 

前者は

ロゴセラピーの

自己超越や

過剰自己観察という理論を通して、

いつか語れると思う。

 

 

 

今日は後者について考えてみる。

 

相談の仕事の中で、

時々答を求められることがある。

例えば、

「A社とB社、両方から内定を

 もらったのですが、

 どちらを選べば幸せになれるでしょうか?」

的なことだ。

相談の仕事はそれに答えることではない。

(っていうか、そんなこと決められないし)

 

この場合でいったら、

「働く場の選択」という課題に対して、

どんな風に考えていくかとか、

どういう態度で取り組むかとかを、

見守る。

 

つまり、

その課題を通して、

その方自身の中に、

自分で考えをまとめたり、

自分で決断したり、

迷う自分を認めたり、

 

決定した後で方向転換したくなる自分を

なだめたり、

いやいややっぱり方向転換だ!と

なった時には、

それを伝える自分の背中を押したり、

 

自分で自分を励ましたり、

慰めたり、

助けたりする

力を育んでいただく手伝いをするのが

相談の仕事だと思う。

 

それは道の「歩き方」なんだと思う。

 

答ではなく道を選んだということは、

例えば幸せをが目的だとすると、

「幸せ自体」を求めることではなく、

幸せであろうと「努力すること自体」を

選び続けるってことだと思う。

 

人間はお釈迦様じゃないから、

悩みを喜びにまで転換することもないと思うし、

私自身、できれば悩まないで歩きたいとは思ってるけど、

同時に、悩みはいかせることや、

悩みがあったことでより良くなることも

知ってるから、

何かが起こっちゃった時には、

どうせしんどいなら得しよう!

という考えはわく。

 

たとえば

アサーティブのトレーナーとして

自分自身をもトレーニングし続けているんだけど、

それは

「アサーティブであろうと努力し続けること」

を選んでいるんだと思う。

 

そうなると、

他者との間での

難しい場面は、

「いやな出来事」から

たちまち

「きたな!アサーティブチャンス」

に変わる。

 

ロゴゼミナールで

ステキなロゴセラピストの先輩方と共にいると、

彼らはロゴセラピストになる事が

目的じゃなくって、

ロゴ的な生き方をする事を

選んでいるんだとわかる。

彼らは、

理不尽な出来事が起こった時には、

理不尽な出来後という人生からの問いかけに

どう答えようかと考えてらっしゃる。

 

悩みを喜びに転換・・・

てのは、

そういう意味なんだと思う。

 

それって、カッコいいな。

憧れる。

 

 

「『ありがとう』がエンドレス」の中には、

しばらく浸っていたい言葉が

ぎっしりだ。

 

最近、硬い本ばかり読んでたので、

新鮮!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

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人は最善を尽くして生きているか?

【2017.03.26 Sunday 15:59

私の全く勝手な命題

(だから自己命題と名付けよう)に

コミュニケーションをする時に、

「相手を理解しようとする態度」は大事なので、

「相手を理解する」方法を、

「考え方編」と「方法論編」に分けて

明確にするってのがある。

 

その「考え方編」に

決定的な影響を与えてくれる言葉を

見つけちゃった。

 

ひとつは、

「ダイアローグ・スマート」(幻冬舎)

という本の中にあった。

 

それは、

他者を悪者にしている自分を意識したら

自問する言葉、

「分別のある常識的な人が

 こんなことをするのは

 なぜだろうか?」。

 

もうひとつは

「立て直す力」(講談社)

という本の中にあった

「人は皆、最善を尽くしてる」

という言葉。

 

著者のブネレー・ブラウン氏は

「わたしが一方的にマイナス評価を

 くだした人たちはおそらく

 『あなたはわたしを知らない。

  わたしのことなど何も知らない。

  だから一方的に決めつけないで』

 と言いたいに違いない」

と書いている。

 

この二つの言葉は、

半月くらいの間、

だから、ほぼ同時くらいに出会えて、

それから世界が明らかに変わってしまったと

思う。

 

私は、

「人は最善を尽くしていると思う?」

と、誰かから質問されたら、

「なんか、子どもじみてると思うかも

 しれないし、

 別に性善説を採用してるわけでもないけど、

 そう思う」

と答えると思う。

 

カウンセラーとして人の話を聴くと、

例えば、

世間的には受け入れられないようなことを

している方がいても、

その人にとっては、

それはそうせざるを得ない、

決して大げさではなく、

そうしないと命を守れないようなこと

だったりすることばかりだ。

 

摂食の問題も、

自傷行為などなども、

そうしないと今もたないから、、、

されていること。

 

子どもが昼夜逆転し、

夕方3時くらいに起きてきて、

一晩中ゲームをやっていても、

今は他に方法がない、

今は、

そうしないと生き延びることが

できなくってそうしている・・・

と思う。

 

いじめの問題があったら、

真っ先にケアするのは

被害者だ。

被害者の回復をサポートするのは、

優先順位の第一位。

ただ、加害者にも

ケアの必要があることが多いと思う。

行動そのものは間違いだったけど、

精神的に満たされていて、

毎日が充実している子は

誰かをいじめる言動はしないから、

その子たちのその行動をせねばならなかった

背景を理解しフォローしようとするサポートは

必要だ。

 

 

 

行動そのものは

問題もあるし、

時には犯罪だったり、

誰かをひどく傷つける言動だったり、

許されることではないこともある。

絶対にやってはダメなことはある。

 

ただ、その人の選択肢の中では、

それをする他なかったんだと思う。

 

 

 「立て直す力」の中に

 マヤ・アンジェロウ

(アメリカの活動家。

 キング牧師とともに公民権運動を

 戦った。詩人)の言葉が出てくる。

 「あの時は、

  自分が知っている方法でやった。

  いまはもっとたくさんの方法を

  知っているから、

  もっとうまくやれる」

 

 

 

だから、

人は、

自分の選択肢を

より良い方向に広げていくしか

ないのだ。

 

 

 

 

話を戻して、

私はこれらの言葉に出会って、

苦手な人の顔を思い出してみた。

 

これまでの人生上、

ひどく罵倒されたことが2回ある。

その2回のお相手の顔。

 

そして、

どうしても

距離をおきたくなってしまった方の顔、顔。

 

確かに苦手は苦手で、

再び何かのプロジェクトの仲間になる・・・のは

ご遠慮したいが(って向こうもそう思ってるかも)、

それでも、

その苦手な方々は、

やはりその時々、最善を尽くされていたんだ、

と改めて思う。

 

その中のお一人は、

仕事中に

個人的なことばかり話しかけてきたけれど、

それは、

あの方が、

その時のご自身を保つために、

あの時間が絶対的に必要だったんだ!

と思う。

 

そう思うと、その時は(ずっと昔ね!)

アサーティブも知らず、

話を聞き続け、

心の中で「しょうもない人」と悪者にしてたけど、

今の私なら、

その方自身と、

その方の「ムダ話ばかり」を切り離し、

「今は、他にする必要がある仕事があるから

 聞くことができない」と言えたと思う。

それはスキルで言えるのではなく、

「この、

 分別のある常識的な人が

 仕事中、こんなことをするのは

 何らかの意味があってのことに

 違いない」

という考えに基づいて、

全く責めずに言えると思う。

 

そして、その時の聞き続けた私も、

その時は

その方との関係を大事にすることしか考えられす、

また「要求の方法」を知らず、

そんな中では最善だったんだと思う。

 

 

 

私は、

いつも社会的に正しいことばかりを

してきたわけではないし、

人として思いやりある行為を

選択し続けてきたわけではないように、

そして怠けたり、ケチったり、

意地汚い考えに基づいた言動をしちゃうことも

あったように、

でも、

そのどんな時も、

そうするしかなくてしてきたように、

 

人って、そうなんだと思う。

 

 

 

何か、理不尽な出来事があって、

その出来事を起こした人を

悪者と決めつける自分を意識したら

「分別のある常識的な人が

 こんなことをするのは

 なぜだろうか?」

と自分に問いかけてみる。

 

「最善を尽くそうとして

 これをしているとしたら、

 どういう背景があるのか?

と自分に問いかけてみる。

 

この言葉が自分の中に入ってきて、

「考え方編」の土台が

固まってきたように思う。

 

ただ、疑り深いところもある私。

今のところはこれ!と考えて、

当分、これを採用してやってみる。

 

 

 

 

これをここに書くのは、

とっても勇気が必要だった。

だって、

誰かにひどいことをされて、

ダメージを受けてる方もいるだろうから。

その方は、その人が最善を尽くしていると

考えることなど、とってもできないだろうから。

その方を、二重に傷つけてしまうことにも

なりかねない。

 

 

 

 

それでもこれは、

対話で問題を解決していこうとする時には、

必要な

「相手を理解する」ための

大切な考え方のひとつかも・・・

って思う。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケリー・パターソン,ジョセフ・グレニ―,ロン・マクミラン,アル・スウィツラ―
幻冬舎ルネッサンス
---
(2010-09-25)

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複雑さを噛みしめる。

【2016.12.17 Saturday 08:53

プーチン氏が遅刻したことを家人と話す。

「3時間も会議を遅らせるとは!

 どうしてそういうことができるか理解できない」と私。

「外交はそういうもの。

 成果をあげるためには

 いろいろなことをするものだ」と家人。

納得いかない私。

 

私は、

最近は

あまり遅刻はしない方だと思う。

会場に誰よりも早く到着することを常としてた

父親からの薄〜い影響があるのかも。

とはいえ、20分くらいまでの遅刻は理解できる。

 

ただ3時間とは!!!

 

家人は

「こうなると、

 誰が彼を待たせるか?だな」

という。ふむふむ、それは面白い。

待たされた時、

彼がどんな反応をするか楽しみだ。

 

 

なんて言いながら、

彼の遅刻の背景を想像してみた。

 

・落とし所をロシアで幹部と話し合っていた。

・1日押せ押せだった。

(何しろ夕方のスタートだから、

 朝からプーチン氏方式で遅れ遅れてきた

 ことが積み重なって)

・アメリカとの関係改善が予想される中、

 領土問題もある日本は、そこまで重要視

 してない感を出したかったから。

・安倍さんの地元での会議という

 日本側のアドバンテージを

 平らする方法を採用。

 

考え出すと面白くなってきたぞ。

 

 

とはいえ

遅刻常習者のプーチン氏のことを

理解することは難しく、

ま、そんなことを私がする必要もなく、

そして

私が今日言いたいことは

そこではなく、

他者を理解しようとすることの

難しさだ。

 

 

人って本当に複雑だ。

 

 

TED タヴィ・ジェヴィンソン: 10代はまだまだ模索中

が面白い。

12歳の時にファッションブログを始め、

15歳でオンラインマガジンをスタートした彼女。

今は20歳だが、

このスピーチは17歳の時らしい。

 

彼女がオンラインマガジンを始めたのは、

「”どちらかしかなれない”ものを

 どうにかできないか」と考えていたからという。

女の子は、

「賢くて可愛いの両方なんて高望み、

 周り、特に男性からどう思われるか、

 どう思われたいかで服は選ぶべき」

という社会からのメッセージを、

彼女なりにどう受け止めたらいいか考え続け、

その模索や混乱を、

まずはブログで発信したんだという。

そして「女性のある一面だけを強調するもの

でない10代の女子向けのサイト」を

作ったんだそう。

彼女はフェミニストだと自認していて、

女子達の中にある「フェミニスト」への

誤解も解きたいと思っているという。

「フェミニストになるには、

 自らの信念を貫徹しないといけない、

 不安になっても疑念を抱いてもダメ、

 全てに答えを持っていないといけない、

 などと思われているかもしれないけど、

 それは違う。

 実際フェミニズムを知ることで

 私は自らの矛盾に折合いが

 つけやすくなりました。

 フェミニズムは規制ではなく、

 話し合い、対話、プロセスなんです」

 

これを「フェミニスト」に限ってしまって

考えるのはもったいない。

全ての「こうあるべき」に対する

もう一方の、

バランス感覚のある考え方で、

彼女は10代の女子は模索中と言って

いるが、

模索中なのは、

10代の女子だけではなく、

人間ってそうなんだと思う。

 

10代の女の子たちがそうなように、

模索し続けてる、

「常に今のところ」の人間たち。

 

模索しながらなんとか

自分の答を見つけながら生きる。

それを他者が理解しきるのは、

ほとんど無理なのではないか?

 

 

今年読んだ本の中で、

良かった何冊かの中の一冊

「言葉が鍛えられる場所」。

 

著者がこれまで書いてきた

ビジネス、経済、介護などに

テーマを置くエッセーではなく、

「言葉」について書き、

しかも、

「言葉が表しているもの」についてではなく

「言葉が隠蔽しようとしているものが

 何であるのか」

について書いている。

 

この本の中では、繰り返し、

言葉の向こうには

表されなかったもの、

表しにくかったもの、

表したくなかったもの、

があることを丁寧に書いている。

 

「見えるものがあるのは、

 見えないものがあるからであり、

 形のあるものが確かだと思えるのは、

 形のない不確かなものが存在している

 からであり、

 輪郭のはっきりした外側があるのは、

 輪郭を持たない内側があるからだということを、

 しばしば忘れてしまうのです。

 鍛えられた言葉は、

 いつも、見えるもの、存在、充足、正確さ 

 と言うものの背後に、

 不在、欠落、遅れを導き入れるのです」

 

 

この本の中に取り上げられている

石原吉郎という

戦後のシベリア帰還者である

詩人が書いた、

 

「わかったな それが

 納得したということだ

 旗のようなもので

 あるかもしれぬ

 おしつめた息のようで

 あるかもしれぬ

 旗のようなものであるとき

 商人は風と

 峻別されるだろう

 おしつめた

 息のようなものであるときは

 ききとりうるかぎりの

 小さな声を持てばいいのだ」 

(「サンチョ・パンサの帰郷」より

    「納得」の部分)

という詩。

 

これには、

敗戦、

シベリアでの過酷な労働、

期間後の危険人物扱い

(シベリア帰りは「赤」だという風評が

 あったとのこと)、

という人間性を踏みにじられるような

経験をしてきた者でしか書ききれない

納得の形がある。

「おしつめた息」という言葉に、

「物言えば唇寂し」という経験でさえ

する機会を与えられなかった、

あるいは絶望のあまり自らしなかった・・・

そういう背景を考えてしまう。

 

 

 

外交は複雑だ。

駆け引きをしあう人間が複雑だ。

 

10代の女子は複雑だ。

簡単にわかってほしくないし、

しかしわかろうとしてほしい、

人間が複雑だ。

 

言葉は複雑だ。

その言葉だけでは

表しきれない、

表さないことに意味を込める

人間が複雑だ。

 

 

簡単に判断したらダメだ。

レッテル貼ってはダメ。

 

理解したと思えた瞬間、

「今のところの理解」くらいに

意識しよう。

 

 

サッカーのゴールを外して泣いていた

小5の男子がいた。

「悔しかったんだね」

と声をかけると、

ヒックヒックと泣きじゃくりながら、

「悔しいんじゃない。

 もう6年生とサッカーやれなくなるから

 悲しかったんだ」

と言った。

 

 

ある学校のPTAの役員決め。

会議には母親、つまり女性たちが集まった。

くじを引く前に、

今年度の会長(男性)が言ったそうだ。

「くじで当たった方は、

 ご主人を説得してください」

参加していた

私の大好きな知人は、

その言葉にカチン。

男性がやるものと決めつけてる、

その態度に、

聞いた私も腹たつ〜!

・・・だからといって

その方を男性至上主義者と決めるのは、

早い。

もしかすると

今まで 、当たり前の、

「毎年の会長のくじ前の言葉」

だったのかもしれないし、

母親のしんどさをわかっての

説明だったのかもしれない。

リーダーという立場が得意な女性に

これまで会ったことがなかったかもしれないし、

ひとり親で子育てしてる人がいるかも

という想像を持てなかったのかもしれない。

「差別」に、(多分)無意識に加担してるけど、

ものすごい悪気があったわけではないんだろうな。

 

 

 

「つまりは〜〜〜なんでしょ」

「要するに〜〜〜ってことだよね」

ってわかった気になって

まとめるのではなく、

せめて

「〜〜って理解でいい?」

でいきたいなあ。

 

 

で、

どこまでいってもわかりきらないのは、

他者もそうだし、

自分もそうだ。

 

人間が複雑。

その中に自分も入れておこう。

だからブレる。

時々、迷う。

自己嫌悪も、

自己卑下もある。

それでいこう。

 

それを自分にも許そう。

 

そして、

複雑な

私とあなたでやっていくしかないのだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【2016.11.02 Wednesday 19:34
ディーパック・チョプラ,デビー・フォード,マリアン・ウィリアムソン
ヴォイス
¥ 1,836
(2011-01-25)

今朝の「べっぴんさん」(NHK朝のドラマ)の中で、

主人公の友達が

 私は心の器が小さい。

 友達の夫が戦争から帰ってきて、

 そのことは嬉しいけど、

 毎日その話ばかり聞かされると

 きっと嫌になると思う

というようなことを言う。

彼女の夫はまだ戻ってきてないのだ。

 

すると、彼女たちを支援している人が、

 そんな風に自分の心の小ささを

 認められることが

 心の器が大きいことだ

のようなことを言う。

 

 

10月に読んだ本、

「シャドウ・エフェクト」は、

まさにそれを書いていた。

 

アマゾンによるこの本の内容は以下(一部)。

 光あるところに影があるように、

 どれほど善人と称される人でも、

 神聖に見える人であっても、

 かならず悪魔的な面や闇、

 影の部分(=シャドウ)を抱えています。

 それは、怒り、怖れ、妬み、敵意

 といった“悪い感情”や、

 “エゴ”と言い換えることもできるでしょう。

 私たちはそんなシャドウを自分の中に見つけると、

 罪悪感や羞恥心などから、

 無視したり、排除しようとしたりします。

 でも頑張ったところで、

 シャドウが消えてなくなることはありません。

 

この本は、

シャドウが自分中にあることを認めないでいると、

認めないけど、そこにあるので、

巻き込まれることになってしまい、

それは結局は他者を非難するように

誘導する可能性がある。

シャドウが自分の中にあることを認めるためには、

シャドウを理解することが必要で、

理解が進めることで

シャドウを自分の人生に生かしていくことが

できるよいうになるってことが書かれているのだ。

 

 

「べっぴんさん」で言えば、

友達を羨ましく思う気持ち〜シャドウ〜が

自分の中にあると認めることができたことが

最初の一歩を踏み出したことになる。

妬む気持ちを薄々感じながらも

気がつかないようにしてたり、

認めたくないばかりに

過剰に話を合わせたりすることを続けると、

もしかすると、

「なぜうちの夫は帰ってこないのか』とか、

「その友達ばかり良い思いをして!」など、

社会や他者を恨むようになる可能性があるって

ことだと思う。

 

「それを認めることが

心の器が大きいことだ」

というセリフの人を演じているのは、

市村正親さんで、彼がこのドラマの中で

ホントにいい味だしてることも相まって、

私はぐっときた。

 

 

そして同じようなことを

村上春樹氏が

「アンデルセン文学賞」受賞スピーチの中で

言っている。

長くなるけど、

めちゃいいので後半部分を引用。

 

「アンデルセンが生きた19世紀、

 そして僕たちの自身の21世紀、

 必要なときに、僕たちは自身の影と

 対峙し、対決し、

 ときには協力すらしなければならない。
 それには正しい種類の知恵と勇気が必要です。

 もちろん、たやすいことではありません。

 ときには危険もある。

 しかし、避けていたのでは、

 人々は真に成長し、成熟することはできない。

 最悪の場合、小説「影」の学者のように

 自身の影に破壊されて終わるでしょう。
 自らの影に対峙しなくてはならないのは、

 個々人だけではありません。

 社会や国にも必要な行為です。

 ちょうど、すべての人に影があるように、

 どんな社会や国にも影があります。
 明るく輝く面があれば、

 例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。

 ポジティブなことがあれば、

 反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。
 ときには、影、こうしたネガティブな部分から

 目をそむけがちです。

 あるいは、こうした面を

 無理やり取り除こうとしがちです。

 というのも、人は自らの暗い側面、

 ネガティブな性質を見つめることを

 できるだけ避けたいからです。
 影を排除してしまえば、

 薄っぺらな幻想しか残りません。

 影をつくらない光は本物の光ではありません。
 侵入者たちを締め出そうと

 どんなに高い壁を作ろうとも、

 よそ者たちをどんなに厳しく排除しようとも、

 自らに合うように

 歴史をどんなに書き換えようとも、

 僕たち自身を傷つけ、苦しませるだけです。
 自らの影とともに生きることを

 辛抱強く学ばねばなりません。

 そして内に宿る暗闇を

 注意深く観察しなければなりません。

 ときには、暗いトンネルで、

 自らの暗い面と対決しなければならない。
 そうしなければ、

 やがて、影はとても強大になり、

 ある夜、戻ってきて、

 あなたの家の扉をノックするでしょう。

 「帰ってきたよ」とささやくでしょう。
 傑出した小説は多くのことを教えてくれます。

 時代や文化を超える教訓です」

 

最後はアンデルセンが書いた「影」をたたえて

締めているが、

彼のスピーチは

影を認めないのでも、

排除するのでもなく、

影とともに生きていこう!と言ってる。

 

ホントにホントにその通りだと思う。

 

 

 

自分の中にあるシャドウは、

時々御しきれないほどの熱を持つ。

情けないほどのだらしなさの時もある。

自分を全否定したくなり、

全否定するパワーは他者にも向く。

 

そこに至る前に、

ただただ、

自分の中にある

シャドウ、

影、

ネガティブな感情、

悪魔、

心の闇、

どす黒くって、

ネバーっとしてて、

どうしようもない部分を認める。

 

認めるとは何をすることかというと、

意識するということで、

意識するとは、

頭の中で言葉にするということだ。

 

まずそれが出発点。

アサーティブも、

ロゴセラピーも、

認知行動療法も、

そこを経て進む。

 

改めてそのことを考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

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敢えて、読んでみる。

【2016.08.18 Thursday 17:10

夏休みの間に読んでみた本。

(途中もあり)

 

「どんなものかしらん?」と

疑問に思ったものなどを、

あえて読んでみた。

 

で、結局どれも面白かった。

 

例えば

「言いにくいことを言わずに

 相手を動かす魔法の伝え方」

は、

アサーティブの講師で

「言いにくいことでも、

 必要なことは、

 相手を尊重しながら

 伝える方法あるよ」

という立場の私としては、

「ウムム!」となったタイトル。

 

ただ、内容を読むと、

相手を理解しようとする態度が

大切だということが書いてある。

それらを

21のシチュエーションで学べる

ようになっているので、

「相手をコントロールするのではなく、

 自分のコミュニケーションで工夫する」

という意味では、

タイトルほど、アサーティブと

かけ離れたものではないと思った。

 

また最終的には言わないとならない時の

言い方に触れているのも、

「だよね」と納得。

 

とはいえ

伝えたいことを率直に伝えるのではなく、

質問してみたり、

視点を変えてみたり・・・

という提案が多いので、

「だから何が言いたいの!

 はっきり言って!」

となってしまわないためには、

努力が必要なんだろうな。

 

著者加藤アカネ氏の人間的な魅力が

随所に感じられたのも、面白かった。

 

 

*「反省させると犯罪者になります」

は、振り返りこそ学び!

と考えている私にとっては、

挑戦的なタイトルだ。

ただ、これも、

すごく納得できる内容。

著者も振り返りは大切だと思ってる。

ただ、振り返りもさせず、

「反省の態度を表す」ことを先にやらせ、

そればかりさせても、

学ぶのは「良い反省の仕方」、

つまり「反省していると認めさせる能力」

だけだといっている。

してしまったことを、

本当の意味で自分の人生に生かすには、

まず反省・・・ではなく、

自分の自動思考をキャッチすることが

最初だとのこと。

 

まだ読みきってないが、

これからの部分も楽しみな本。

 

 

 

「アクティブ・ラーニング」に関しては、

私はちょっとだけ心配がある。

人と交流することが苦手な子、

一人で勉強したい子にとっては、

きつい時間になるのではないか?

と心配してるんだ。

 

そんな時に

「コンビニ人間」を読んだ。

 

この小説の主人公は、

幼い時から「普通」の人とは

違う考え方を持っていて、

「普通」の人とどう交流していいか

全くわからず、

小・中・高と

ほぼ誰とも話さないで

生きてきた女性だ。

彼女はコンビニの店員になって、

「挨拶の仕方」や「商品の補充の仕方」や、

「話しかけ方」など、

コンビニ店員としての正解を教えてもらって、

初めてどう行動すればいいか分かり、

それで生きている。

 

「コンビ二人間」を読んで、

これは小説だけれども、

ここに描かれている女性のような

生きづらい感じを持ちながら

生活してる子どももいることも知ってるし、

その子たちにとっては、

「アクティブ・ラーニング」は

本当に辛いだろうと思うのだ。

 

「話そう!」

「聴こう!」

「質問しよう!」

「問いを立てよう!」

「考えたことをまとめて、伝えよう!」

「考え合おう!」

「話し合おう!」

を期待される場や、

それを楽しめることが「良し」と

される雰囲気は、

彼らにとっては

「あなたは、

 あなたじゃないあなた

 になりなさい」

と言われているような気になるのではないか?

 

「コンビ二人間」の主人公を、

家族は「普通」にしたがる。

そして「治そう」とするんだけど、

「アクティブ・ラーニング」にも

そんな側面はないのだろうか?

 

 

「史上最強のアクティブ・ラーニング読本」

は、

まだ全てを読んだわけではないが、

それでも、

これ読んで

ちょっとだけホッとした。

 

「AL的な学びを苦手とする子たちが

  こぼれていき、学力の底抜けが

 起こる可能性ある」

 

「人と絡み合って学ぶことが

 得意でない子どもたちの教育が

 ちゃんと担保されるかどうかですね」

 

・・・というような危惧を

ちゃんと考えた上で

「アクティブ・ラーニング」の必要性や

考え方、具体的な方法を示してくれている

のがこの本。

 

読み進めていくと、

「慎重論」派の方の考えも読むことができる。

(ただ、「慎重論」派の意見の方が

 私には納得が難しかった)

 

 

とにかく、導入された時に、

先生方が、

子どもの話さない権利、

人と交流しなくてもいい権利、

一人で考え続けたい権利などを

保証してくれるといいと思う。

 

少なくとも、

「誰にとっても万能の方法!」

って思ってほしくない。

もしかすると、それを進めることで

「自分を治さないと!」と

深く傷つく子もいることに

せめて自覚的でいてほしいなあ。

 

ま、現場に立つ先生方は、

そんなこと承知なんだろうけど。

 

 

それにしても先生方、大変だよなあ。

「これを導入しましょう」はあるけど、

「これはやらなくてよいことに

 しました」は案外明確じゃないもんね。

 

 

 

 

 

 

村田 沙耶香
文藝春秋
¥ 1,143
(2016-07-27)

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「子どもの頃から哲学者」

【2016.06.12 Sunday 09:30
「教育の力」の著者苫野一徳氏の新刊。

自身の半生をネタにして、
精神のバランスを、
哲学によって取り戻せたことを
示す本。

著者の承認欲求からくる悩みや問題は、
多分、多数の方の日常の悩みにつながるから、
この本によって、
つまり哲学の力によって、
多くの方が救われると思う。

しかも、
ルソー、デカルト、
キルケゴール、
ニーチェなど、
かろうじて名前は知ってるけど・・・の
哲学者たちの考えを、
わかりやすく書いてくれてあるから、
めちゃお得な本だとも思う。

私自身は、
著者が見つけ出した哲学のテーマ
「多様で異質な世界の人たちが、
 『相互承認』できる社会。
 そんな社会をどうしたら
 築いていくことができるか」
にとても共感する。

また、そのテーマの元が
自身の成長の過程の中にあることも、
すごくうなづける。

彼は幼い頃、
友だちがいないと思い込んで、
一人孤独感を抱えていた。
中2の頃には、お弁当をトイレで食べて
いたというから、筋金入だ。
子どもの頃から
「人はどうすれば、
お互い分かりあうことが
できるのだろう。
認め合うことが
できるのだろう」
と考え続け、
その答えを、
高校時代は生徒会の活動で、
大学時代はなんと教祖様になって、
見つけようとする。
その姿勢が、当時の本人は、
必死だったと思うけど、
読者としては
めっちゃおかしくって、切ない。

そして、それを追求していくことが、
彼の哲学のテーマになった。


本当に小さな例だけど、
私も、
今、相談の仕事や
アサーティブというコミュニケーション講座の
講師の仕事をしていることの元に、
子どもの頃の葛藤がある。
「家制度」に基づく「後継者」としての役割を
期待されたことは、
当時は苦しくって仕方なかったが、
今となってみると、
「テーマ」を与えてもらったことに
なったと思う。

私はずっと、
個人の思いを持っていいのか?
それを表現していいのか?
相手の思いは、どう考えればいいのか?
相手の思いとの折り合いをつけることは
可能なのか?
という「わかりあう」ことに対する、
問いの答を
自分なりに考え、
そして探してきたと思う。

私は
「建設的な生き方」
「アサーティブ」
「ロゴセラピー」
に出会った。

彼は哲学に出会った。

そして、この本を読むと、
哲学は、
「方法論」的なものより
根本にあるもので、
だから、
哲学の上に立つ方法は、
方法自体をもっと強力にすると思う。


哲学を背景にもった方法論が
なぜ強力なものになるか?

彼は、実用的な哲学というものが可能だと
考えていて、
2つの例で示しているが、
その一つ「信念対立の乗り越え方」が
わかりやすいと思う。

「信念対立」とは、
私が正しいの?相手が正しいの?
どっちよ!!!的なことで、
乗り越えるとは、どうわかりあうかって
ことになると思う。

例えば、アサーティブにはその方法論がある。
「伝える内容の整理方法」
「伝える順序」
「伝え方のポイント」
(アサーティブジャパンでは
 応用編で取り扱う)

もちろん、アサーティブでは
マインドも大事にしている。
そのマインドに、
彼の理論をプラスしたら、
もっと強力になりそうだ。

彼は、
まず自分に
「どうしてこういう信念を
 抱くようになったのか」
と問いかけることを勧める。
そして、その背景にある欲望を確認する。
次に相手の信念の理由と、
理由の背景にある欲望の次元まで考える。

お互い欲望の次元まで遡ることができれば、
「共通了解」が生まれる可能性が出てくる
という訳だ。

子供の頃、
「後継者という役割を拒否したい」
という信念の背景にある欲望は、
多分
「自分のことは自分で決めたい」という
自由選択に関する欲望があった。
両親を含む家の「長女が後継ぎ」という
信念の背景にある欲望は
「家や商売を守りたい」があったと思う。



この彼の理論の背景に
ルソーの言葉
「わたしたちの欲望と能力の間の
 不均衡のうちにこそ、
 わたしたちの不幸がある」
がある。
それはつまり不幸の本質は、
欲望と能力(または環境)の
ギャップだということで、
とすると
不幸から抜け出すための道は3つと示す。

1・能力をあげること
2・欲望を下げること
3・欲望を変えること

上記の例で言うのなら、
自分の「自由」への欲望は、
どのあたりまで下げられるか。
あるいは、それを変えることは可能か、
検討するという選択しが生まれ、
次に、
親(家)の欲望はどのあたりまで
抑えてもらえるのか?、
また変えることはどうか?
話しあうという選択肢も生まれる。

つまり、
お互いの欲望の
どの部分で折り合いつけるか
という対話に繋がり、
「継ぐの?継がないの?」の
二元論ではなくなった可能性がある。




今、
日常の中に、様々な信念対立はあると思う。

夫婦の間では
子どもを持つかどうするか?
家事分担について。
働き方について。

親子の間では
どの学校を目指すか。
ゲームやスマホの使い方について。
一人暮らしするか、親元から通うか。

仕事場では
仕事の進め方。
部下への指導の仕方。
などなど。

そんな時、
哲学は
机上のものだけではなくって、
使用可能な道具にもなる。




手にとった時、
タイトルのイントネーションが
「暦の上ではディッセンバー」に似てて、
くすってした。
その中身は、
面白くって、
深くって、
そして次に読みたいものを呼んでくれた。

あ〜面白い本だった。


















 
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PTGとPEG

【2016.05.16 Monday 12:48
4月26日の毎日新聞夕刊に
詩人和合亮一氏のコラムがあって、
その記事の中に
宮城県河北新報社が震災後に募集してきた詩の
いくつかが掲載されていた。

「故郷でみんなで
 うんめもの食って 
 とんでもね苦しさを
 笑顔で語り合う
 最高の幸せ」(日野修 「うんめな」)


熊本地震で苦しい思いをされている方々にも、
いつかこんな日が来るといい。

同じ日の朝刊の発信箱
岩手県宮古市立第一中学校3年生の修学旅行の
話題だった。

彼らの修学旅行先は東京で、
スカイツリーにもディズニーランドにも行ったけど、
宮古市出身者が要職にある企業を、手分けして訪ね、
復興の様子を報告し、支援してくれた人々に感謝を
届けて回ったというのだ。

その中の一つに、
同校合唱部の指導に、
震災後何度も足を運んでくれた
「心の花を咲かせよう合唱団」という存在があった。
お礼の気持ちを込めて、
3年生全員で合唱したそうだ。

♪ていねいに生きて 
 いっしょうけんめい生きて
 ひっそりでいい
 心に花を咲かせよう♪

震災にあった時小学校3先生だった彼らは、
義務教育を終える年齢となって、
大切な修学旅行の時間を、
震災を語り継ぐことや、
成長した姿を見てもらうことや、
感謝の気持ちを表すこと、
それらに使う選択ができる人となっている。

なんて素晴らしいんだろう。



本「スーパーベターになろう」の中に、
PTGに関する記述がる。

PTGとは
「ポスト トラウマティック グロース」
「心的外傷後の成長」
という意味。
(よく知られているPTSDは
 心的外傷後ストレス障害。
 その後、
 不安や憂鬱がつきまとう症状)

つまり、
ものすごいショッキングな出来事を経験したとしても、
必ずしもその後、長期に及ぶ問題を引き起こす訳ではなく、
逆に
以前よりもしなやかに、
以前よりも人格的に成長し、
力強く生きていける人もいるということを
PTGという言葉で表す。

まさに、
日野修氏の詩に描かれているのは
そういう人々だし、
宮古市の中3生もそうだ。

私もカウンセリングや研修で、
PTGを体現している方々に
たくさん出会った。

PTGを経験した人が口にする代表的な5つの言葉が
「スーパーベターになろう!」の中にある。
1・優先順位が変わった。
  幸せになるために行動することを恐れなくなった。
2・友人や家族を身近に感じるようになった。
3・自分をもっと理解できるようになった。
  自分が何者なのかわかった。
4・人生に新しい意義と目的を見出した。
5・目標と夢に集中できるようになった。



私自身も、もう約30年前になるが、
母の突然の死や
約20年前になる父の死と家業の廃業は、
相当なダメージだったけれど、
それを乗り越えられた自分のことを、
それ以前よりも信じられるようになった。
(もちろん自分の力で
 乗り越えたのではないけれど。
 たくさんの惜しみないサポートが
 あったんだけど)
つまり「3」に関して、
めちゃ実感した。


ロゴセラピーでは
「苦悩は人間の能力の一つである」という。
「苦悩というものが、
 人間の精神的成長にとって欠くことの
 できないもの」ともいう。

そして、
ここまでは
これまでも知っていたことだし、
見てきたことだし、
実感できることでもあった。




さて、
「スーパーベターになろう!」の中に
もう一つの概念PEGという新しい言葉を
見つけて、とっても納得した。

PEGとは「ポスト エクスタティック グロース」
「恍惚後の成長」と訳されていた。

著者は
「トラウマを全く経験することなく
 5つの恩恵を享受する方法はないのだろうか?」と考えた。
「PTGの恩恵を得られるからといって、恐ろしい喪失や怪我、
 病気、その他様々なトラウマを経験したいと思う人は
 いないはずだ」と。

そしてリサーチ。
先に研究していいた臨床心理学の開業医
アン・マリー・レープク氏のPEG、
「痛みなき成長(あるいは極めて小さな痛みでの成長)」を
見つけたのだ。

「PEGはPTGと同じ働きをする。
 ちがいは、自分でチャレンジを選ばないとならない
 ということだ。
 恐ろしいトラウマに見舞われるのを
 じっと待つのではなく、
 大きなストレスとチャレンジを生み出す
 有意義なプロジェクトやミッションを
 進んで引き受ければ、いつでもPTGを獲得できる」


私は、この春、
ちょっとした新しいことにチャンレンジをした。

準備の段階がとても苦しくて、
なんで引き受けてしまったのかとか、
荷が思い!とか、
何度も何度も考えた。

断ることも可能だったけれど、
あえて引き受けた新しいこと。
それは確かに、
終わってみれば、
今までよりもう少し厚くなった自信と、
今年度は、もっともっといろいろチャレンジしようと
いう自分への期待が増したように思う。

このPEG の考え方は知ってしまうと、
すごくいい。
何かに挑戦することは、
もしも成功したならば、
そのこと自体の結果以上の恩恵があるし、
たとえ失敗したとしても、
挑戦を選んで挑んだことの意義は
得られるってわけだ。

すごい。

成功の反対は
失敗ではなく、
何もしないこと。

そして何かをすれば、
結果がどうであれ、
もれなく「成長」がついてくる。




予期しない、とんでもないことが
起こったとしても、
人間は、
それを自分自身の豊かさにつなげることができる。

そして、普通の日常の中で、
何かに挑むことは、
そのことそのもので自分をの厚みに幅を
持たせることもできる。


なんか、
そう考えると、
とってもとっても卑近な例で
恥ずかしいけど、
私の今の左手は、
ま、私の研ぎ石なんである。

今はこんな感じ。↓パンパン。




 
ジェイン マクゴニガル
早川書房
¥ 2,160
(2015-11-15)

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こけた。外れた。冒険だ。

【2016.05.06 Friday 18:20
ジェイン マクゴニガル
早川書房
¥ 2,160
(2015-11-15)

「スーパーベター」とは
自信や活力を取り戻すためのメソッド。

著者のジェイン・マクゴニカル氏が、
自身の体験、
脳震盪後症候群から回復する過程で
開発したもの。

いろいろな症状の苦しみの中、
ある日突然、
「自死」か「これをゲームにする」か、
どちらかを選ぼうとひらめき、
「ゲーム」を選択したことがスタート。

なぜゲームだったのかというと、
彼女自身ゲーマーで、
しかも、ゲームの心理学の研究者。
「ゲーマーの心の強さを実生活での問題解決に
応用する方法」で博士号を取得していたのだ。


つまりこの本は、
日常の様々な試練に対して
「これがゲームだとしたら」
と考えて立ち向かう方法を示している。


で、この本の半分くらいのところを
読んでいた5月4日、
コトは起こった。

夫とカルと夕方の散歩をしている最中のコトだった。

4車線の道路を挟んだ向こう側にあるお店に、
以前買い物に行った時、
おいしそうなアイスを見つけてあった。
今日こそは買いたい。食べたい。
信号はまだ青。
よーし、渡っちゃおうと
走り出した途端、
私は派手にこけ、
めちゃ痛くて動けなくなった。

あまりの痛さに、
手を見ると、
左手の薬指がグロテスクに中指の方に曲がってる。
ありえない曲がり方だ。

道行くカップルが「大丈夫ですか?」と声を
かけてくれ、手を見せると
思いっきり同情してくれた。



さてどうしよう?
家まで走って戻っても15分はかかる。
お金は、なんしろカルの散歩が目的だから
500円しか持ってない。

夫が
「すぐそこにある、
 あなたがよく行くブティックで
 お金を借りて、タクシーで当番医に
 行きなさい。
 僕は急いで戻って、カルを家に置いて、
 当番医に車で向かうから」
と。

なんと、素早い判断。

そしてこの時、
私の頭に、
「来たな、スーパーベターゲームの
 プレイチャンス!」
と浮かんだのだった。

これは日常の中の、
ちょっとした試練だ。

人生は、こんな風に、
時々私に問いかける。
こういう試練にどう立ち向かうのか?と。

今回はちょうど、
この本を読んでる真っ最中。
やってみない手はない。



スーパーベターをプレイするためには、
幾つかのルールがある。

その中に一つ、
「パアーアップアイテムを集めて使う」
がある。
夫の機転や知恵は
私にとってのパワーアップアイテムだ。
まずはそれを意識した。


で、
もちろん、痛いよ。
めちゃ痛いよ。
痛いんだけど、
頭の中で、
他のルール
「クエストを探してクリアする」
を意識した。

怪我を治す冒険(クエスト)に
向かっていくしかないじゃん。!私。


ルールは他に
・悪者を見つけて戦う
・仲間を作る
・秘密の正体を持つ
・エピックウインを追求する
などがある。

早速「仲間を作る」だ。
ブティックの店主 さんに訳を言い
2000円貸して欲しいと頼むと、
「何かあったら大変だから」と
1万円貸してくださった。
あ〜ありがたい。

タクシーの運転手さんが
当番医を確認してくれ、
レントゲンを撮影。


脱臼とのこと。

脱臼はそのままにしておいても治らないので、
整形外科の専門医がいる救急医を紹介してくれ、
車で迎えに来てくれた夫とともに、
向かった。

そこでは
「悪者を見つけて戦う」
ルールが大活躍した。
何しろ、受付済ませたのが18時半。
30分経っても1時間経っても診察の番が
回ってこない。

っていうか、
後から来た患者さんが呼ばれたりする。

悪者は、私の心の中にいた。
(どうせ、脱臼くらいのことじゃ、
 待たせとけ、くらいに思ってるんじゃないの!)
(忘れられたんじゃないんだろうか)
と全く勝手に相手を責め、
また、
(なんでアイスを買おうなんて
 思ってしまったのか)
(よりにもよって休みの日に
 こけるなんて、バカだな私)
と自分を責める。

頭の中に、そうやって悪者が出てくると、
私はクエストを思い出した。
(スーパーベターが気に入った理由の一つは、
 悪者の存在を否定しないところ。
 悪者が出てこないようにするというより、
 悪者がいて当たり前的なところがいい。
 だって、ネガティブな感情や考えは、
 湧いてきてしまうものだもの。人間だから)

ふっふ、冒険は、こうやって難題が
あればあるほど、
達成した時気持ちよいもの。

この場合の、
達成を邪魔する悪者は、
勝手な想像で相手を悪く仕立てあげる
「他責大魔王」
(「全ては他者の責任と考る考え方」に対して、
あまりにも暇なので名前をつけてみた)と、
私の中に時々出てくる「ダメダメ虫」
(逆に「全部自分が悪いと考える考え方」)
だ。

これらと戦うために
「仲間」つまり夫とラインをして
気を紛らわすことをしたり、
救急の待合室の様子や人間観察に集中したり、
救急車が入ってきた後に
患者さんを守ろうと一生懸命なスタッフの方々の
気配を感じようとしたり、
利き手でなくってよかったと考えたり、
翌日の午前中に会える友達の顔を思い出して、
深呼吸を試したり、
とにかく
クエストを達成する過程を味わってやろうと
考えたのだ。

結局診てもらえたのは、
22時15分頃。

整形外科の先生は、
救急車で運ばれてくる患者さんの
緊急の対応で大忙しだったようだ。
本当に忙しいし、
神経を使う仕事だと思う。



スーパーベターという考え方は、
ロゴセラピーや認知行動療法や、
マインドフルネスなど、
色々なものを
上手に組み合わせた
使える方法だと、
試してみて、私は思った。



現在の私の左手はこんな感じ。


この手で、
どう料理するか、
どう髪を洗うか、
雨の日に荷物も持って傘をどうさすか、
東京出張はどうなるか、
折れそうになる気持ちは?
・・・
スーパーベターな
ゲームは続く。

本も引き続き読む。楽しみ〜。











 
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「『やさしさ』という技術」

【2016.04.04 Monday 10:56
4年続けて呼んでいただいてる中学校での
年度初めの学校道徳のプログラムを作った。

その学校の学校目標や重点目標、
そのための短期目標を伺い、
私のできることとの共通部分を考え、
昨日半日かけてパワポが出来上がった。

その作業の間、
自分のことを振り返っていた。

若い頃に行った、
「やってはいけないこと」をした時の
自分の心理状態ってどうだったんだろうか?




いろいろな背景はあったと思う。

小学校低学年の時には、
おばあちゃんが集めていた
一円玉貯金をくすねてしまった。
まだ後先考えることができない、
衝動的な部分が、
私にはあったんだと思う。
もちろん見つかって叱られる。


ちゃんと後先のことを考えられるようになって
確信的に悪いことをしたこともあった。
その時の最終的な決断の背景に、
「どうせ、心が汚いもん」
ってのがあったように、
今考えると思う。

これはニキビが背中にもできて、
見てもらった宗教家から言われた
「心の汚さが表に出てきてる」
という一言に、
そうだと思い込んでしまった背景があると思う。
表面的にはいい子だったけど、
心の中では悪いこといっぱい思ってたから、
肯定せざるをえない納得が
自分の中にもあった。



例えば、
欲しい物がある。
今なら誰も見ていない。
取ってしまおうと思えば取れる。
その時どうするか?

例えば、
ルールを破ってばかりのA男がウザい。
先生に叱られてるのに、まったく
堪えてないのがイライラする。
自分はいろいろ我慢して提出物も出している。
なんでヘラヘラしてられるのか?
ラインのグループからA男を外してやりたい。
その時、どうするか?

例えば、
もうゲームはやめなきゃとわかってる。
宿題してかないとやばい。
でも、あとちょっとだけやりたい。
その時どうするか?


そんな時に、
そのことをやるかやらないかの判断をする時、
人によっては、
それまで浴びてきた言葉は、
大いに影響する可能性がある。

「どうせ、あんたはダメな子だから」
「ズルばっかりして」
「だから友達できないんだよ」
「本当にだらしないね」
「もうあなたのことはあきらめた」

大人が、
本人のためだと思って、
良くなってほしいからこそ
使う言葉だとしても、
それがネガティブな言葉ばかりだとすると、
その言葉を浴び続けた人は、
そう思い込んでしまう可能性は高い。
そう思い込んで、
「どうせ自分はそうだから」と
あきらめてしまう選択をする。



大人は、
例えば
自分もネガティブな言葉を浴び続けながら
成長してきたとしても、
あるいは私のように一回のめちゃ大きなダメージを
与えられたとしても、
まずは、
その中で生きてきた自分の頑張りを認めた上で、
その上で
「自分はネガティブな言葉がけばかりしない」
と決めることが
必要だと思う。
そして、努力をしたいものだ。



私は、
子どもたちに直接話すチャンスを
与えてもらっているんだから、
本当のことを伝えることが大切だ。


どんなことを思ってしまっても
仕方ないこと。
感じる気持ちに善悪はないこと。
なまけたいな、ズルしたいな、
意地悪したくなってしまった、
そういうことは、人間だからあるってこと。
そう思ってしまった自分を
汚いって決めなくっていいってこと。
そう思う自分はダメだって、
ダメ印つけなくっていいってこと。

感情は湧いてきてしまうもの。
でも、
考えと行動は手当ができるもの。

手当とは、
責めることとは違う。

人として間違った方向や、
あとで自分のことが嫌になってしまう方向に、
考えや行動が向かいそうになった時に、
責めるんじゃなくって、
そっと
手を添えるように戻してあげることだ。

「気持ちはわかるけど、
 それやばいよ」って。



やっぱ
私が子どもたちに伝えたいのは、
このことにつきるなあ。

思春期真っ盛りの子に、
自分を肯定していいんだよって
口でいっくら説明しても、
きっとウザいだけだと思う。

だから、どんなこと思ってもしょうがない。
でも、
必要なこと、やろう・・・

工夫して伝え続けるしかない。



・・・・・・・・・・・・・・・

さて、
「『やさしさ』という技術」という本の中から
抜粋。
「『悪い考えを持つのは良くない』という
 メッセージは忘れよう。邪悪なことを考えても
 罪悪感を覚える必要はない。悪いことを考える
 だけでうっぷんが晴れれば、悪い考えを実行に
 移さずにすむかもしれない。」
「私たちは自分の行動をかなりコントロールして
 いる。良い行いを行いをすると決めるのは
 自分自身であり、行動の背後にある動機は
 さほど重要ではない。重要なのは実際に
 どんな行動をとるかである」
 
author : tanizawa-k
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谷澤 久美子
counselor